令和2年度(第9回)県立図書館・公文書館合同展示「スペインインフルエンザ」第4章4.3、4.4、4.5
令和2年度(第9回)県立図書館・公文書館合同展示「スペインインフルエンザ」第4章4.3、4.4、4.5
スペイン・インフルエンザ -100年前のパンデミックの記録と記憶-
第4章 パンデミック下を生きる人々の思い (後半)
4.3 一般市民
4.3.1 小池駸一日記
4.3.2 村田五三郎日記
4.4 農家
4.4.1 相澤日記
4.4.2 星野日記
4.4.3 その他
4.5 風刺漫画
--------------------------------------------
市井に生きた名も知れぬ人々はスペイン・インフルエンザのパンデミックの中で何を思い日々を生きていたのでしょうか。
公文書館には、「私文書」と呼ばれる民間に所在した個人にまつわる資料が寄贈・寄託されています。近現代の歴史を跡付ける貴重な資料も含まれます、それら資料の中から、個人的な記録である日記を紐解き、彼らの思いを掘り起こしてみましょう。
公文書館が所蔵する「小池駸一氏関係資料」の大部分を占めるのが、小池駸一氏の日記です。
小池氏は明治15(1882)年に東京で生まれ、第一高等学校・東京帝国大学を経て、鉄道技師として統監府や鉄道院等を歴職。昭和2年(1927)に退官後は、神中鉄道技術顧問、駿豆鉄道・大雄山鉄道等に勤務した人物です。氏の日記は、明治29(1896)年から昭和41(1966)年まで、14歳から84歳までの約70年分がほぼ欠けることなく保存されています。
・資料20-1:当用日記,、小池駸一、大正8年【公文書館所蔵古文書・私文書2600100031<小池駸一氏関係資料>(リンク)】から転載
スペイン・インフルエンザが猛威を振るった大正7(1918)年から大正9(1910)年にかけて日記に書き留められた内容を追っていくと、「前流行」の真っただ中に氏本人が流行性感冒に罹患し、入院すること74日にも及んだ事実がわかります。自覚症状があったのは大正8(1919)年の年が明けた元旦でした。
・1月1日の午後「後頭部に多少頭痛を感」じますが、屠蘇を飲んだせいにします。
・日を追うごとに体温が上昇しますが、仕事始めの一月四日は出勤。帰宅後の体温は三十九度近く。
・1月5日に往診してもらった医師からは粉薬を処方されたのみ。
・1月7日に、別の医師から「流行性感冒」に罹っており肺炎を併発していると診断され入院を決意します。
・1月8日に東京鉄道病院に入院。
・資料20-2:当用日記 小池駸一、大正8年【公文書館所蔵古文書・私文書2600100031<小池駸一氏関係資料>(リンク)】
(原文のカタカナ表記をひらがな表記に、旧漢字の一部を当用漢字に置き換えてあります)
・入院後一週間程度で肺炎は治癒しますが熱が下がりません。
・1月15日(駸一氏38回目の誕生日)にパラチフスと診断され隔離室に移動します。
・その後、アイスクリームの食べ過ぎで腸カタル※となります。
※小・大腸の炎症。下痢・腹痛・腹鳴などがある。小腸の炎症では発熱を伴うことが多い。
・3月10日には入院60余日にしてベッドから起き上って歩行
・3月22日に退院(在院74日)
この間、看病に当たっていた夫人も感冒に罹り自宅で一週間ほど静養しています。なお、3ヶ月以上に及ぶ入院を経験した小池氏は、年末に際してこの大正8(1919)年を振り返って、回顧の文章を記しています。
大正8年1月1日から約1か月分と大晦日に書かれた1年間を回顧した日記の翻刻文を読む(リンク)(1078KB)(PDF文書)
東京帝大出身の鉄道官僚である小池氏の筆致は、知的でありながら大らかさを感じさせます。退院後、パンデミックが小康した「前流行」と「後流行」の端境期には、趣味のテニスを再開したり、長女の結婚など日常を取り戻しています。
海軍で軍務に就き、大正6(1917)年に退役した村田五三郎氏の日記が残されています。
スペイン・インフルエンザが流行した大正7~10年の日記には米騒動や第一次世界大戦の休戦に関する記述はありますが、インフルエンザに関する記述はありません。現在残る日記帖は、オリジナルの日記からまとめて抜き書きしたものと見受けられ、その際に切り捨てられた可能性も考えられます。
・資料21:〔日記〕村田五三郎、大正3年5月~昭和10年8月【公文書館所蔵古文書・私文書2200800001<稲木静恵氏旧蔵資料>(リンク)】
旧高座郡橋本村在住の相澤菊太郎氏の日記です。菊太郎氏19才の明治18(1885)年から昭和37(1962)年に96才で亡くなる10日前まで、78年間にわたり、毎日の生活が書きつづられています。その間、明治憲法の発布(1889)や関東大震災(1923)、農地改革などをはじめ、日々の暮らしが記されています。相模原の地主・養蚕農家の生活を知ることができる貴重な史料です。【相模原市ホームページより転載】
・資料22-1:『相沢日記』相沢菊太郎、1965年【公文書館所蔵行政刊行物・図書3199355894/K28-5.4-0003(リンク)】から転載
相澤菊太郎氏は、「前流行」期の大正7(1918)年10月31日に発症しますが、3日強で、11月4日には早くも村役場に出勤しています。
さらに「後流行」期の大正9(1920)年1月14日には、流行性感冒のワクチン注射を受けます。ところが悪寒がひどくなり新年宴会を退席し、さらに発熱したため、医者の診断を受けます。ワクチンとは体内に免疫を作るために弱毒化した病原菌や死んだ菌を体内に接種するものです。相澤氏のケースは副作用が出た例でしょうか。
・資料22-2:『相沢日記/大正編』相沢菊太郎、1972年【公文書館所蔵行政刊行物・図書3199355897/K28-5.4-0003(リンク)】から引用
本書は、依知村(現在の厚木市)金田在住の星野岩吉氏が、明治19(1886)年から昭和4(1929)年まで書き継いだ農業日誌です。この日誌には、年間の農作業を中心に、年中行事、兵事、衛生などの様々な事項が記述されており、当時の諸相を知ることのできる資料となっています。昭和57(1982)年から厚木市文化財協会による翻刻版が5巻に分けて刊行され、活字で読むことができます。
・資料23-1:厚木市文化財協会『星野日記/大正8年~大正14年(農業日誌)』厚木市教育委員会、1998年【公文書館所蔵行政刊行物・図書3199807485/K27-9.2-0002(リンク)】から転載(許諾済)
星野日記に流行性感冒に関する記述が表れるのは、「前流行」期の大正7(1918)年11月の中旬です。
日を追うごとに、農家の貴重な労働力がスペイン・インフルエンザに罹患して失われていく様子がわかります。流行性感冒に因るものかは不明ですが身近で死亡者が少なからず出ている状況もわかります。
・資料23-2:厚木市文化財協会『星野日記/明治42年~大正7年(農業日誌)』厚木市教育委員会、1998年【公文書館所蔵行政刊行物・図書3199359454/K27-9.2-0002(リンク)】より引用(許諾済)
公文書館収蔵資料でスペイン・インフルエンザ流行期に記録された、または他の感染症を記録した日記や日誌としては、上記以外に下記が挙げられます。(1)は三浦郡の南下浦村の村長が書き残した日誌、(2)は生命保険会社の日誌、(3)は村で赤痢が発生した際の日誌、(4)と(5)は農事日誌、と内容も多彩です。
・資料24:南下浦村日誌、大正8年1月【公文書館所蔵古文書・私文書2199303442<相模国三浦郡金田村 菱沼家文書】
(1)古文書・私文書2199303441【相模国三浦郡金田村 菱沼家文書】南下浦村日誌、大正7年
(2)古文書・私文書2200102455【相模国足柄上郡谷ケ村 武尾家文書】日誌 大正9年1月ヨリ 国光生命保険相互会社谷ケ村代理店 大正09/01/~大正09/10/
(3)古文書・私文書2200445354【相模国津久井県佐野川村 吉村家文書】(上岩赤痢発病日誌等)大正12/10/16
(4)古文書・私文書2201200268【神奈川県三浦郡葉山村 石井家農事日誌】農業日誌 大正七年 松久保庵 石井重太郎 大正07/
(5)古文書・私文書2200802637【津久井県湘南村 江島家文書】大正8年、第12号日記帳、第1月1日
明治以降、欧米の影響下で「カトゥーン(一コマ漫画)」としての漫画が新聞・雑誌に掲載され、政治家や社会風俗を庶民感覚で風刺することが人気を得て、特に大正デモクラシーの時代に隆盛します。スペイン・インフルエンザを描いた漫画からは当時の「庶民の感情」を垣間見ることができます。
福沢諭吉が主宰する『時事新報』で風俗・社会を風刺する一コマ漫画を発表し人気を得た楽天もインフルエンザ流行を題材にしています。スペイン・インフルエンザは「世界風」とも呼ばれていたことがわかります。
・参考文献09:北沢楽天「世界風の流行」『時事新報』大正8年2月号_『近代漫画【5】 大正前期の漫画』筑摩書房、1985年【県立図書館所蔵12641502/726.1S 123 5】から転載(出版元の転載許諾済)
大正元(1912)年に東京朝日新聞社に入社して漫画を始め,鋭い描写と警句的な「漫文」により特に政治漫画に新生面を開拓したとされる岡本一平は、自身の作品全集が5万セットも予約が入るほどの人気漫画家でした。妻は歌人の岡本かの子、子は芸術家の岡本太郎という芸術一家です。
・参考文献10:発表年月不明の一コマ漫画『一平全集 第10巻』先進社、1930年【国立国会図書館デジタルコレクション(リンク)】から転載
第4章 おわり
ジャンプしたいボタンをクリックしてください。
参考文献
(本文中に記載した文献は除く)
<スペイン・インフルエンザ等の感染症対策に関する記述がある自治体史>
・『神奈川県史 通史編5 近代・現代(2)』神奈川県、1982年3月、p.229【県立図書館所蔵(以下県図と表示)地域K21 16-3 5、公文書館所蔵(以下公文と表示)K21-0-0003】
・『川崎市史 通史編3 近代』川崎市、1995年3月、p.379(「伝染病と地域公衆衛生」を述べると共に、生活困窮者救済の事例として神奈川県救済協会によるスペイン風邪の巡回診療に触れている)【県図地域K21.21 5 1-3-1、公文K21-2.1-0002】
・『新横須賀市史 通史編 近現代』横須賀市、2014年8月、p.489~【県図地域K21.31 34 3-3、公文K21-3.1-0013】
・『相模原市史 第4巻』相模原市、1971年3月【県図地域K21.54 1 4、公文K21-5.4-0001】
・『伊勢原市史 通史編(3)近現代』伊勢原市、2015年3月、p.206~【県図地域K21.64 7 1-3、公文K21-6.4-0001】
・『大井町史 通史編』大井町、2001年12月(スペインインフルエンザに関する言及は無いが、大正時代の域内村落での暮らし振りを叙述する中で伝染病への対応について触れられている)【県図地域K21.81 26 2、公文K21-8.13-0001-1】
・『開成町史 通史編』開成町、1999年3月【県図地域K21.81 23 4、公文K21-8.16-0002】
・『真鶴町史 通史編』真鶴町、1995年9月【県図地域K21.85 23 2、公文K21-8.52-0001-2】
・『湯河原町史 第3巻』湯河原町、1987年3月【県図地域K21.85 9 3、公文K21-8.53-0002-3】
・『清川村史 通史編』清川村、2018年3月(スペインインフルエンザに関する言及は無いが、「伝染病と衛生組合」の項を立てて、神奈川県立公文書館所蔵の「衛生組合設置規約」を用いた叙述が行われている)【県図地域K21.91 5-2 2、公文K21-9.12-0002-2】
・『愛川町郷土誌』愛川町、1982年3月【県図地域K291.91 8、公文K291-9.11-0001】
・『津久井町史 通史編 近世・近代・現代』相模原市、2015年、p.621~【県図地域K21.95 26 2-2、公文K21-9.52-0004】
・『相模湖町史 歴史編』相模湖町、2001年3月【県図地域K21.95 25 1、公文K21-9.53-0001】
・『城山町史 7 通史編 近現代』城山町、1997年3月(スペインインフルエンザに関する言及は無いが、「防疫と災害」の節を立てて、明治期の伝染病とのたたかいが叙述されている)【県図地域K21.95 77、公文K21-9.51-0002-7】
<書籍>
・川名明彦「1.スペインインフルエンザ」『新型インフルエンザパンデミックに日本はいかに立ち向かってきたか』南山堂、2020年4月
・井上栄『感染症 広がり方と防ぎ方(増補版)』中央公論新社(中公新書)、2020年4月【県図県立 493.8 175A】
・清水勲編『近代日本漫画百選』岩波書店(岩波文庫)、1997年2月【県図県立 イ726 シ】
・赤塚行雄『女をかし与謝野晶子 横浜貿易新報の時代』神奈川新聞社、1996年11月【県図地域ヨサ K28.1 440】
・柳田國男『明治大正史 世相篇(新装版)』講談社(講談社学術文庫)、1993年7月
・清水勲編著『漫画に描かれた明治・大正・昭和』教育社、1988年11月【県図県立 210.6X 277】
・『恩賜財団済生会五十年誌』社会福祉法人恩賜財団済生会、1964年5月【県図県立 369.2 25 64】
・『鉄道院職員録 大正7年7月1日現在』鉄道院総裁官房人事課、1918年10月【国立国会図書館デジタルコレクション】
<雑誌等>
・大和田茂「志賀直哉のスペイン風邪小説二つ」『日本古書通信』2020年7月号、p.5~6
・『社楽 Vol.86』「スペイン風邪の大流行」神奈川県立川崎図書館、2020年6月
・脇村孝平「コロナ危機と「スペイン風邪」-歴史から何がわかるのか」『人間会議 42』事業構想大学院大学出版部、p.114-119、2020年
・「緊急対談 出口治明×鹿島茂 ペスト、天然痘、スペイン風邪、新型コロナ... 感染症が世界史を変えてきた」『週刊文春 』文藝春秋、p.36-40、 2020年4月30日号
・山本 太郎「感染症と文明社会 : 黒死病、スペイン風邪から考える新型肺炎のゆくえ (特集 21世紀の危機? : 瀕死の民主主義と新型肺炎) -- (拡大する新型肺炎)」『中央公論』中央公論新社、p.38-45、2020年4月号
・櫻井 弘人「スペイン風邪などの疫病と民俗 : 遠山谷の事例を中心に」『伊那民俗研究』柳田國男記念伊那民俗学研究所、p.39-62,、2020年4月号
・時実 雅信「第一次大戦時に蔓延した史上最大のパンデミック スペイン風邪」『歴史群像』学研パブリッシング、p.98-103、2010年2月号
・堀良子「日本赤十字篤志看護婦人会」について(その1、その2、最終回)『NICかわらばん』401号(2009年12月5日号)、405号(2010年1月3日号)、409号(2010年2月6日号)
・逢見憲一「公衆衛生からみたインフルエンザ対策と社会防衛 ―19世紀末から21世紀初頭にかけてのわが国の経験より―」『保健医療科学』58(3)、国立保健医療科学院、p.236-247、2009年9月号
・秋葉 哲生、渡辺 賢治「秋田魁新報記事に見る1918年から1919年にかけてのスペイン風邪流行状況」『漢方の臨床』p.331-342、2009年2月25日号
・浦島 充佳「特集 新型インフルエンザ対策最前線 スペイン風邪で見落とされていた事実--東京都が最も死亡率が低かった!?」『リスク対策.com』新建新聞社、p.42-49、2009年1月25日号
・末廣 利人「歴史シリーズ 裏九州脱却への挑戦 大分県の近現代(31)「スペイン風邪」の襲来」『おおいたの経済と経営』(217) 大銀経済経営研究所、p.30-33、2008年10月号
・『100年のあゆみ -日本赤十字社神奈川県支部』日本赤十字社神奈川県支部、p.43、1989年1月
・『北里研究所二十五年誌』北里研究所、1939年12月【国会図書館デジタルコレクション】
・「衛生 流行性感冒」『常磐』常磐社_メソジスト教会女子伝道会社、1918(大正7)年11月号【横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」】
・「衛生 流行感冒に就いて学びし者」『常磐』、1919(大正8)年5月号【同上】
・「衛生 怖るべき流行感冒の再襲」『常磐』、1920(大正9)年2月号【同上】
<テレビ番組>
・英雄たちの選択「100年前のパンデミック ~"スペイン風邪"の教訓~」NHK-BSプレミアム、2020年8月26日放映
・BS1スペシャル「ウイルスVS人類3 スペイン風邪100年前の教訓」NHK-BS1、2020年5月27日再放映