令和2年度(第9回)県立図書館・公文書館合同展示「流行性感冒の歴史―前近代の流行り風邪―」10~12
令和2年度(第9回)県立図書館・公文書館合同展示「流行性感冒の歴史―前近代の流行り風邪―」10~12
第9回 県立図書館・公文書館合同展示
(公文書館担当パート)
流行性感冒の歴史
―前近代の流行り風邪―
序
1 風邪は万病のもと―古代中国由来の疾病観―
2 前近代の流行り風邪
3 風邪と風病
4 海外から吹き込む風邪
5 風邪のひきはじめ
6 寛元二年の流行り風邪―鬱陀鬼、内竹房、三日病―
7 四角四堺祭と都市鎌倉の四至
8 中世の流行り風邪?三日病(みっかやみ)
9 流行り風邪と改元
10 流行り風邪のあだ名
11 せく、たぐる、こづく...あなたの咳はどのタイプ?
12 咳除け信仰のおしゃもじさま
史料27 『兎園小説余録』第二、感冒流行
『日本随筆大成』第2期第5巻 吉川弘文館 1974年
【県立図書館所蔵 11996873/914.08 1A 2-5】
このように、江戸時代の流行り風邪にはしばしばあだ名がつけられることがありました。そこで主なあだ名がつけられた風邪をまとめてみました。
あだ名はその由来から
1.人名に関するもの(1、2、4、6、7、12)
2.地名に関するもの(9、11、13)
3.流行歌・流行語に関するもの(3、8、10)
の三つに大別出来そうです。
しかし、病気に人名や地名のような固有名詞を冠することは、差別を生み、またそれを助長することにもなるため、現在では行われません。
史料28 『兎園小説』第五集 佐倉の浮田 安永以来のはやり風
『日本随筆大成』第2期第1巻 吉川弘文館 1973年
【県立図書館所蔵 11996832/914.08 1A 2-1】
史料29 『時還読我書』乾
【国立国会図書館所蔵 000007295140/特1-2161】より転載、加筆
→国立国会図書館デジタルコレクション『時還読我書』乾(リンク)
参考 小金原の鹿狩(『小金原御狩記』)
【県立公文書館所蔵 伏見芳太郎氏旧蔵文書 2200901510】
→『小金原御狩記』(リンク)
※但し描かれているのは嘉永2年(1849)の12代将軍家慶による鹿狩の様子
史料30 『甲子夜話』96巻26
『東洋文庫』385 平凡社 1980年
【県立図書館所蔵 11999257/914.5K 22-2 6】
*
11 せく、たぐる、こづく・・・あなたの咳はどのタイプ?
江戸時代の方言辞典である『物類称呼』には「咳をする」の各地域での言い方が載せられています。
史料31 『物類称呼』巻五、言語
『岩波文庫』黄269-1 岩波書店 1977年
【県立図書館所蔵 11996873/914.08 1A 2-5】
また『標準語引き日本方言辞典』には以下のような「咳をする」表現が載せられています。
『標準語引き日本方言辞典』 小学館 2004年
【県立図書館所蔵 21667282/818.03 3】
※「せき」の項目より「せきをする」の部分を表化し
刊行後の合併による郡の消滅等を反映させた
現在でも多様な「咳をする」表現があることがわかります。
このうち、しやぶる・しわぶく・すわぶく・すわむく・すわめくは『物類称呼』にもあるように、咳の異称であるしわぶきから来た表現と考えられます。他方、たぐるは「吐る」と書き、「吐く・嘔吐する」の古い表現であるところから、咳をすることも指すようになったと考えられます。たくる・たんぎる・たごく・たごる・たんごるもこの類でしょうか。
こうした多様な「咳をする」表現も、一般的に使われなくなる傾向にあるようです。
公文書館職員(熊本県出身)談
熊本市の西部出身の夫は「こずく」を聞いたことがあるが、北部出身の自分は聞いたことがない。福岡県朝倉市の友人はお年寄りが「こずく」と言っているのを聞いたことがあるという。大分市内で勤務している弟は「大分では『たぐる』というらしいが、実際聞いたことはない」とのこと。
*
12 咳除け信仰のおしゃもじさま
関東から中部・近畿地方にかけた一帯に、おしゃもじさまと呼ばれる咳除けの信仰が見られます。お供えしてある杓文字を1本いただいて帰り、咳がひどい人の喉を撫でたり、ご飯をよそって食べさせたりすると咳が治る。治ったらお礼として新しい杓文字を添えて2本にしてお供えする。結果おしゃもじさまの祠やお堂には杓文字が山積みになる、といったものです。咳の中でもとくに百日咳との関わりが強いようです。
おしゃもじさまについては、石神(せきじん)→しゃくじん→しゃくし→しゃもじとして石神信仰に由来するという考えや、諏訪大社系の社宮司社(しゃぐうじしゃ)との関係、鎌倉妙本寺の蛇苦止明神(じゃくしみょうじん)のような蛇に関する信仰との関係を指摘する説などがありますが、いずれにせよ医療の恩恵に預かることが難しかった人々の切なる願いが寄せられた神様ということができそうです。
史料32 『野乃舎随筆』
『日本随筆大成』第6巻 吉川弘文館 1927年
【県立図書館所蔵 11996469/914.08 16】
※石神由来説。なお「葛飾の亀戸村」の「オシヤモジ」は、
亀戸石井神社として現存します(亀戸4-37)。
史料33 「おしやもじ神之記」
【県立公文書館寄託 武蔵国橘樹郡北綱島村飯田家文書
2200710342/大正期の部No.338 大正11年10月号付録の1(27冊)より】
注意! 飯田家文書の利用には寄託者の許可が必要です。
利用を希望される場合は先ず公文書館へご連絡ください。無断転用厳禁。
※鎌倉妙本寺の蛇苦止明神由来説。飯田快三(俳画家飯田九一の父、大綱村<現横浜市港北区>村長や神奈川県会議員をつとめた、号は海山)によるもので、おしゃもじさま信仰の概要のほかに、江戸時代の茅ヶ崎村(現横浜市都筑区)の概況や、橘樹郡内のおしゃもじさまの分布等についても記されています。
神奈川のおしゃもじさま
横浜市歴史博物館展示図録『すくすく育てみんなの願い 出産と育児をめぐるモノがたり』には横浜市内のおしゃもじさまとして12ヶ所が挙げられています。また、一説には神奈川県内に数十ヶ所のおしゃもじさまがあるとされます(今井野菊1975)。
そうした中から今でもおしゃもじさまの信仰が見受けられたものを三ヶ所ご紹介します。
『すくすく育てみんなの願い 出産と育児をめぐるモノがたり』
横浜市歴史博物館 2015年
【県立図書館所蔵 60717782/K06.1 45 2015-10】
『すくすく育てみんなの願い』P59の「横浜市内のおしゃもじさま」の地図を表化した
高田のおしゃもじさま(社宮神、小田原市高田)
令和2年11月 公文書館スタッフ撮影
お堂に納められた大量のしゃもじ。プラスチックのものがあるのがご愛敬。
合わせて石も納められているのは石神信仰との関係もうかがわせて興味深い。
原当麻のおしゃもじさま(相模原市南区当麻)
令和2年11月 公文書館スタッフ撮影
水田の測量をした縄を埋めた所を祀ったもので、区画整理により現在地に移動したとされます。
茅ヶ崎のおしゃもじさま(横浜市都筑区茅ヶ崎中央)
令和2年11月 公文書館スタッフ撮影
お堂の中には五輪塔の残欠とされる石塔とともに大小さまざまのしゃもじが納められています。
10~12 おわり
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