Web展示「山口コレクションの明治維新」

明治維新期のコレクションである当館所蔵「山口コレクション」の中から、代表的な資料を紹介します。

なお、本展示は、平成30年度企画展示「明治150年・神奈川県150年 明治維新と神奈川県」の一部を当館ホームページ上で再構成したものです。
 

目次

1 山口コレクションとは

2 山口コレクションの明治維新

 菊池源吾(西郷隆盛)書簡坂本龍馬書簡江戸を東京と改める詔書西郷隆盛書

 西郷札勝安房(海舟)書簡東久世通禧(みちとみ)書簡寺島宗則書簡

 陸奥宗光書簡伊藤博文書簡

3 「山口コレクション」デジタルアーカイブについて

 

1 山口コレクションとは

山口コレクションは、帝国臓器製薬株式会社(現在のあすか製薬株式会社)の創業者であり、会長を務めた山口八十八(やそはち)が明治維新期の歴史資料等を個人的に収集したコレクションです。

山口は入手に当たり、維新史料調査の専門学者である文部省維新史料編纂官藤井甚太郎などに託して一点一点その真偽と内容を吟味したといいます。

一点一点がよく吟味された逸品ぞろいである上、全体としてよくまとまっており、維新の人物の精神の躍動を如実にみることができます。

総点数 1,017点
資料の時代範囲 江戸後期から昭和初期
寄贈の経緯 昭和53年7月、山口八十八の長男・山口栄一氏より神奈川県立文化資料館に寄贈され、同館の廃止にともない公文書館が引き継ぎ、現在に至る。

※山口コレクションの資料詳細はこちらから

※人物の肖像写真はいずれも国立国会図書館ウェブサイト「近代日本人の肖像」より転載。

 

2 山口コレクションの明治維新

菊池源吾(西郷隆盛)書簡

西郷隆盛 (文政10(1827)年~明治10(1877)年)

西郷隆盛肖像

菊池源吾(西郷隆盛)書簡

安政5(1858)年、西郷隆盛は幕府の追手から逃れるため、菊池源吾と改名した上で、奄美大島に潜居することとなりました。

この書簡は、西郷が奄美大島蟄居中に、鹿児島の友、大久保利通、有村俊斉(海江田信義)、税所篤、吉井友実の4人からの来書に答えたもので、宛名(「大有税吉」)は4人の頭文字から取っています。

書簡からは、水戸藩の志士と共に井伊大老を討つことのできない悲憤の情が読み取れます。

坂本龍馬書簡

坂本龍馬 (天保6(1835)年~慶応3(1867)年)

坂本龍馬肖像

坂本龍馬書簡 坂本龍馬書簡釈文

三吉慎蔵宛の書簡で、同じ土佐藩の参政後藤象二郎は優秀な人物だから、それとなく見ておくようにと推薦する内容です。

江戸を東京と改める詔書(しょうしょ)

江戸を東京と改める詔書

この詔勅(しょうちょく)は、明治天皇により発せられたもので、東国の要所である江戸で政務を執ることと江戸を東京に改称することを宣言したものです。

この当時は、東京奠都(てんと)に反対の声があったため、東西の都を同視する旨も記されています。

西郷隆盛書

西郷隆盛書

西郷隆盛書釈文

この漢詩からは、高節さを失っている世間を嘆きつつ、伯夷・叔斉(いずれも古代中国の人物)のような節義の高い人を賞賛する西郷の心中が読み取れます。

西郷札

西郷札

西南戦争時に薩摩軍が軍費支弁のために作成・発行した紙幣です。

十円、五円、一円、五十銭、二十銭、十銭の6種が発行されました。

裏面には「通用三ヶ年限」と印刷されています。

当資料は、6種のうちの一円札、五十銭札、二十銭札の3種です。

(画像左から、ニ十銭札、五十銭札(3列)、一円札)

材質は寒冷紗2枚を合わせ、芯に紙をはさんだものです。

勝安房(海舟)書簡

勝安房(海舟) (文政6(1823)年~明治32(1899)年)

勝安房(海舟)肖像

勝安房(海舟)書簡 勝安房(海舟)書簡釈文

この書簡は、薩摩藩士であり、西郷隆盛と親交が深かった吉井友実が、西郷隆盛の詩集を勝に送ったことに対するお礼状です。

吉井友実は、西郷の名前を本人に代わって政府に届け出る際、誤って父親の諱であった「隆盛」という名前を届け出た人物と言われています。

また、上野公園の銅像建設を進めたことでも知られています。

東久世通禧(みちとみ)書簡

東久世通禧(みちとみ) (天保4(1834)年~明治45(1912)年)

東久世通禧肖像

東久世通禧書簡

三条実美宛ての書簡です。

司法省に久留米士族佐田剛之助の採用を願う内容です。

東久世通禧は、慶応4(1868)年3月19日横浜裁判所総督、同年4月20日神奈川裁判所総督、同年6月17日神奈川府知事に就任しています。

寺島宗則書簡

寺島宗則 (天保3(1832)年~明治26(1893)年)

寺島宗則書簡

宍戸璣(たまき)(北京駐在の全権公使)宛ての書簡です。

アメリカ合衆国前大統領グラント氏の斡旋について、清国との交渉の心構えと要点を内示する内容です。

寺島は、明治元(1868)年9月21日、初代神奈川県知事に就任し、約半年間務めました。

陸奥宗光書簡

陸奥宗光 (天保15(1844)年~明治30(1897)年)

陸奥宗光肖像

陸奥宗光書簡 陸奥宗光書簡釈文

高嶋鞆之助(陸軍大臣)宛ての書簡です。

伊藤博文に面会できたら様子を知らせてほしいことと、陸奥の考えを伊藤に話しておいてほしいということが記されています。

陸奥は、明治4(1871)年8月21日に神奈川県知事に就任し、約1年務めました。

また、大磯の伊藤博文邸の近くに別荘を構えていました。

伊藤博文書簡

伊藤博文 (天保12(1841)年~明治42(1909)年)

伊藤博文肖像

伊藤博文書簡 伊藤博文書簡釈文

吉井友実宛ての書簡。

宮内(くない)大臣在任中に吉井に宛てられたもので、別紙への記名・押印を依頼しています。

明治18(1885)年、伊藤は初代内閣総理大臣に就任するとともに、宮内大臣も兼任していました。

 

3 「山口コレクション」デジタルアーカイブについて

神奈川県立公文書館では、「山口コレクション」の資料をデジタルアーカイブで公開しています。

今回ご紹介した資料以外にも多くの資料画像を掲載していますので、ぜひご覧ください。

 「山口コレクション」のデジタルアーカイブはこちらから
 

 

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