夢を現実のものに
神奈川県立公文書館長 雑色吉臣
神奈川県立公文書館が平成5年秋に誕生して以来、今年で15年目を迎える。当時はバブル崩壊後の失われた10年の真っただ中にあり、その後も厳しい財政状況のもとに予算や人員が削減され、館の運営は思うにまかせない日々の連続であったと察せられるが、それでも、年を追うごとに収蔵数も増加し来館者やレファレンスを受ける人の数も目に見えて多くなってきている。この館の設立当時、関係者は「まるで夢を見ているようだ。」と語ったそうだが、まさに夢が現実のものになりつつある。
神奈川県立公文書館条例は何とも不思議な条例である。形式的には公の施設の設置条例のかたちをとっているが、第3条は公文書等の引渡し、第4条は公文書等の選別、保存及び廃棄、第5条は閲覧の制限という行政事務に関する規定がされている。
この条例に接した当初はこうした条例もあるのだなといった程度の認識しか持たなかったが、年報の沿革をみると昭和60年に全庁的な視野のもとに公文書館設立の検討をするため設置された公文書等資料管理に関する検討委員会の検討結果のひとつに「公文書館を情報公開制度の延長線上に位置づける。」としてある。このことは、「県民の知る権利」に対する行政の「説明責任」を果たすことを意味する。
こうした基本的な考えを条例の形式上明記することは難しいが、実務上では第3条から第5条までの規定で説明責任が担保されていることになる。
全国の公文書館の状況みると、市町村の設置はわずかで県レベルでも設置していないところがある、指定管理制度を導入していたり、教育委員会の所管であったり、利用の規定が不備であったり、地方の公文書館の態様はさまざまである。
それぞれの館の出発点が異なっていることがその理由ではあろうが、公文書館法ができてから20年を経過する今日、法律の目的、公文書等の定義、地方公共団体の責務などがはっきりと理解されていないのが一因ではないかと推察できる。このような現状にあって公文書の管理という分野に立ち入るためには、基本的考えを示し「筋道」をつけることがいかに大切か理解できる事例でもある。
現在、国では公文書管理法の制定に向けて、担当大臣のもとに有識者会議を設置して検討を進めているところであるが、基本認識として「国民の知る権利」に対する政府の「説明責任」を明確にしており、また、施設面では中間保管庫を核とした公文書の管理を考えているようである。
これをテコとして、地方の公文書管理のあり方に大きな変化がもたらされることを期待すると同時に、いささか手前味噌になるが、本県が15年以前に構想していた公文書館の設置に際して躊躇なく新たな考え方を取り入れ、運用面でもいかに実際的であったのか示す証左でもある。
業務の遂行は、多くの場合公文書をもって行われるし、重要な会議は議事録が作成など、業務の遂行と公文書の管理とは表裏一体の関係にある。そして、公文書は業務遂行の足跡として残される。
歴史的公文書における説明責任を問うとき、単に、個々の公文書を請求者の求めに応じて閲覧に供するのみならず、いかなる仕組みで様々な行政行為を決定し実施したのかという行政活動そのものを浮かび上がらせる公文書の選別、保存が求められるのではないのか。足跡からその軌跡へ、点から線へと描き出す手立てが必要となってくる。
身近な行政である事業に例を取ってみると、事業を実施するためには予算を編成し議会の議決を得なくてはならない。予算編成に当たっては、要求から決定にいたるまで、予算の性質、積算、根拠等が記載された一定の様式をもった予算審査意見書により行われる。また、資料として、これまでの経緯、実施方針全体計画などがコンパクトに詰まっている。予算や議会は政策決定の最終段階、事業実施の出発点ということになり、様々な足跡が交差する。
施策事業の原因となった社会事象があり、それを行政として受け止めた総合計画の策定、サマーレビューなどの重点施策ヒアリング、予算編成、議会での審議、事業の実施、決算・審査、事業効果の検証、評価というサイクルを描くことになり、その都度、文書が作成される。こうした行政の仕組みをたどることができ、その時代の行政の総体が理解できるようになればと思っている。
神奈川県立公文書館の今後を思うと、開館当時を知っていてその様子を伝えるベテラン職員が退職期を迎え、あと5年もすれば誰もいなくなってしまうという状況にある。ここに業務に関するものや専門分野に及ぶ調査、研究を紀要として取りまとめたことは時宜を得たものと思っている。多忙な日常業務の中で執筆にあたった職員の方々に感謝の意を表したい。
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