公文書館だより 37号
平成29年度 夏休み小・中学生親子講座
利用者からの提案を受けて、今年度から始めることにした講座です。
8月22日火曜日に開催し、小・中学生と保護者合わせて31名の参加がありました。
今回は当館資料の紙芝居「タンキョー マリア・ルス号ものがたり」(県文化課作成)を取り上げました。これは横浜港で起きたマリア・ルス号事件を基にしたもので、神奈川県令(県知事)の大江卓がペルーの奴隷船から清国人(中国人)を解放するため、初の国際裁判に挑む話です。紙芝居に関連して、マリア・ルス号事件の概要や大江卓についての説明、その他神奈川県のなりたち、公文書館でのしごとについての話も盛り込みました。
最後にバックヤードツアーを行いましたが、子どもたちは大人とは違った視点で書庫内を楽しんでいたようです。ツアー後には公文書館について、中学生からの熱心なインタビューも受けました。夏休みの課題とのことでしたが、当館の理解の一助になったのではないかと思っています。
なお、紙芝居のタイトルにもある「タンキョー」とは英語の"Thank you"の日本語英語、ハマ言葉です。【参考資料「横浜・ハマことば辞典」(資料ID3200407589)】マリア・ルス号事件に関連した図書は当館にいろいろあり、例えば「マリア・ルーズ号事件「(子どものための図書コーナー:ID3199352680)「奴隷船」(ID3200217376)、「僑人の鑑」(ID3200217377)、「秘魯國マリヤルヅ船一件」(ID3199500682)などです。ぜひご利用ください。
公文書館を身近に感じてもらい、幅広い世代に利用してもらえるような館を目指し、楽しめる企画をこれからも考えていきたいと思います。
生涯学習講座「神奈川の地名」
『神奈川県区市町村変遷総覧』から
平成29年5月27日に行われた生涯学習講座「神奈川の地名」は、『神奈川県区市町村変遷総覧』(神奈川新聞社刊、ID3201301990)を作成するときに出会った事柄などを中心にお話しました。
今回は、神奈川県区市町村変遷総覧に記載されている自治体の変遷の中から特に皆さんに知って欲しい事案を幾つかご紹介します。
1.消滅したとされる戸部町
明治の初期に横浜町と隣接していた久良岐郡戸部町は、明治6年にその一部が横浜町内の戸部町として横浜町に編入されました。しかし、明治11年の郡区町村編制法施行時の神奈川県布達に「久良岐郡戸部町」の記載が漏れていたため、明治6年の時点で既に久良岐郡戸部町の全域が横浜町に編入されていた、との誤解が生まれてしまいました。
明治22年には、久良岐郡戸部町、太田村など5町村が合併して戸太村が成立します。既に消滅したと解されていた久良岐郡戸部町が、このときの神奈川県公報には記録されており大きな矛盾が生じます。このため、明治22年の合併は、「久良岐郡戸部町」ではなく「横浜区戸部町の一部」だとする解釈も出現しています。
しかしながら、神奈川県布達を丹念に調べると、この布達に対する訂正の布達が存在していたのです。明治14年11月24日付けの布達には、郡区町村編制法施行時の布達から「久良岐郡戸部町」の脱落を訂正する旨が記載されています。大きな誤解は、この布達を見逃していたために起こったことだったのです。
2.外国人居留地横浜区編入の謎
横浜の外国人居留地は、開港に伴い設けられた横浜町内の区域です。こちらも、明治11年の郡区町村編制法施行時の布達に「外国人居留地」が漏れていたため、外国人居留地は、どこの区や郡にも属さない地域であったとの誤解を生みました。ところが、明治22年に横浜区の138町が合併して横浜市が成立しますが、この中に外国人居留地が含まれています。このため、外国人居留地が何時の時点で横浜区に編入されたかが大きな謎となっていました。
この件については、明治17年3月21日に外国人居留地の脱落を訂正する布達が出されています。この布達の発見により、この謎は解決したのです。
3.まぼろしの戸太町
久良岐郡戸太村は、明治22年3月31日に久良岐郡戸部町、太田村、平沼新田、尾張屋新田及び吉田新田が合併して成立した村です。その後、明治28年10月1日に町制が施行され、明治34年4月1日に横浜市に編入されます。
しかし、この町制施行の期日が曖昧になっています。横浜市史稿(横浜市役所)や神奈川県会史(神奈川県議会事務局)には明治28年7月1日と記載され、神奈川県町村合併誌(神奈川県市町村課)などからは、町制施行の記述が脱落しています。
明治28年10月1日の神奈川県公報には、町制施行の告示(第119号)が掲載されています。また、明治33年12月8日の公報には、久良岐郡戸太町などの横浜市編入の告示(第212号)が掲載されています。昔の神奈川県公報をめくることにより、幻となっていた「戸太町」がはっきりと確認できたものです。
これらのことは、私も長年疑問だったのですが、神奈川県区市町村変遷総覧を編纂するにあたり公報などを調べていて発見したことです。私は、こうしたことから公報などの一枚がどれほど重要か再確認させられました。 (公文書館資料課長 齊藤達也)
古文書講座資料から
平成29年度古文書講座入門編秋の1、2日目では、武蔵国久良岐郡森公田村浜田家文書の「新猟差留出入写」(ID2199515190)を取り上げました。
江戸時代の東京湾(当時は内湾または内海とよばれる)は、84の浦が入会で漁を行っていました。中でも、金杉浦(現東京都港区)・本芝浦(同前)・品川猟師町(現東京都品川区)・大井御林町(同前)・羽田猟師町(現東京都大田区)・生麦浦(現横浜市鶴見区)・新宿浦(現横浜市神奈川区)・神奈川猟師町(同前)は「御菜八ヶ浦」と呼ばれ、天正18(1590)年の徳川家康関東入国以来、江戸城へ魚(御菜御肴)の献上を行っていたとの由緒を持ち、他の内湾浦々に対して優越的地位にあったとされています。
内湾の84の浦は、相互に協力しながら漁業を行ってきましたが、江戸時代も中期以降になると商品経済が活発化し、経済活動優先の漁業が行われ始めると、争論が頻発するようになります。そのため、文化13(1816)年、「御菜八ヶ浦」をはじめとする44の浦が「内海議定」を結び、「江戸湾漁猟大目三十八職」を定めました。
「新猟差留出入写」は、万延元(1860)年、大井村御林猟師町が芝金杉浦・本芝町を訴えた事件に関する文書です。資料後半には、訴えの内容が記されています。
記載内容から事件の経過をみると、もともとは安政4(1857)年、南小田原町(現東京都中央区)が、「三十八職」に定められていない「巻網桁」漁を行ったことに端を発します。この際には、南小田原町と本芝浦が争いましたので、勘定奉行所による吟味の結果、「巻網桁」漁は禁止されます。
しかし、この事件を真似て南品川猟師町が、やはり「三十八職」に定められていない「海老桁」漁を行い始めます。この際にも、安政6年に訴訟が起こり、「海老桁」漁は禁止されました。
ところが、今度は芝金浦・本芝町が、禁止されたばかりの「海老桁」漁を行い始めます。他の浦々は「海老桁」漁の中止を申し入れますが受け入れられず、その結果、万延元年閏3月、勘定奉行に対し、大井村猟師町が芝金杉浦・本芝町を訴えました。
資料にはここまでしか記されていません。
資料の前半は、万延元年の訴訟に際し、「御菜八ヶ浦」のうち「海老桁」漁を行った3浦を除く、神奈川猟師町・新宿浦・羽田浦・御林猟師町・生麦浦の5浦が、久良岐郡の13浦の浦役人に対して、訴訟の概略と、訴訟費用の負担について記しています。
江戸時代の内湾漁業者は、この資料からみられるように、訴訟などに際しても密接に連絡を取り合いながら、協力体制を築いていたことがわかります。
さて、表題のとおり、この資料は「写し」です。原本が久良岐郡の13浦で回覧された際に、書き写されたものと考えられます。この資料には、誤字はもとより文章の意味が通じない部分が見られます。誤字・脱字は江戸時代の文章ではよくありますが、文章の意味が通じないのはなぜでしょう。
その手掛かりとなるのが、浜田家文書の文久2(1862)年「内海議定書写」です。この資料は『神奈川県史資料編9近世(6)』所収の本牧村「浦方儀定書帳」と同内容ですが、比較すると明らかな誤字や、文章の脱落がみられます。「新猟差留出入写」と「内海議定書写」は、いずれも森公田村名主浜田与兵衛が写しています。浜田与兵衛は、写す際に行を飛ばして写してしますことがあったのではないかと推測されます。そう考えると、「新猟差留出入写」も文章が脱落しており、そのため意味が通じない箇所があるのでしょう。
資料を利用すつ際には、こうした点にも注意しなければならないということがわかる資料でもあります。 (資料課 上田良知)
新規公開資料
「在外私有財産実態調査票」と記念展示・講演会
当館が所蔵する「在外私有財産実態調査票」の整理作業が完了し、本年10月から閲覧公開を始めました。それを記念した資料展示(実施中)と専門研究者による講演会を開催しましたので併せてご紹介します。
「在外私有財産実態調査票」とは、平成39(1964)年に引揚者団体全国連合会が実施した調査での回答票の実物資料です。終戦以降に外地から引揚を余儀なくされた一般邦人を対象とした調査で、質問事項は世帯代表者とその家族の状況(調査時点と戦前)や不動産・動産等の私有財産の概算額など多岐にわたっています。
当館では昭和31(1956)年に厚生省が実施した「引揚者在外事実調査」の回答票の一部(神奈川県在住者のみ)も所蔵しており、それらは以前から一般の閲覧に供していました。昭和31年の調査では私有財産に関する設問はなく、今回公開の調査票との大きな相違点になっています。
資料展示「神奈川の海外引揚」は、海外引揚に関連する4つの切り口(当調査票を含めた「在外財産問題」の推移、引揚の経緯や引揚援護策、「満州開拓」を中心にした戦前の海外渡航、引揚者の体験談)で構成しています。
戦前の神奈川県内に設置されていた「神奈川県拓務訓練所」の外観図面や入所者名簿、「大陸の花嫁」を教育するための女子農民訓練所が神奈川県内に設置されていたエピソード、神奈川県が満州国内で経営していた「報国農場」に関する歴史的公文書など、関連資料約30点を展示しています。
本年10月14日に開催した講演会は、戦後引揚問題にとどまらず戦前の満鉄や満州移民などを広く研究範囲としている加藤聖文(かとう きよふみ)先生(国文学研究資料館准教授)に「海を渡った県民たち―海外引揚から見たアジアと神奈川」という演題でお願いしたものです。
時代背景や関連する情報の提供、専門研究者の講演等を通して、当館が所蔵する資料への興味と理解を深めていただければ幸いです。
利用案内
当館では、県が作成した歴史的に重要な文書や、神奈川に関わりのある古文書、図書などを収集、保存しています。
これらの資料は、閲覧室でご覧いただくことができます。また、年間を通じ、さまざまな形で資料を展示し、皆様のご来館をお待ちしています。
展示のご案内
記念展示 「神奈川の海外引揚」
平成29年12月27日水曜日まで
企画展示 「かながわと漁業」
平成29年12月15日金曜日から平成30年3月31日土曜日まで
常設展示 「公文書館の仕事紹介」
平成30年3月31日土曜日まで
講座のご案内
古文書講座応用編 (定員140人)
平成29年11月12日日曜日から平成29年12月10日日曜日まで(全5回)
館利用のご案内
【利用時間】
- 閲覧室:午前9時から午後5時
- 会議室:午前9時から午後9時
【休館日】
月曜日、国民の祝日(月曜日と重なる場合は翌日)、年末年始12月28日から1月4日
【利用方法】
- 閲覧室に開架されている資料は自由に閲覧できます。また、書庫内の資料は受付に請求してください。
- 展示見学は無料です。ご自由にご覧ください。
- 自治会や学校など各種団体の見学も随時受け付けています。
- 会議室は、施設利用予約システムでお申し込みください。
このページのお問い合わせ先
神奈川県立公文書館 資料課
TEL:045-364-4461
FAX:045-364-4459