公文書館だより 21号
開国開港150周年
金河(神奈川)眺望(山口コレクション)
金河眺望(「横浜開港絵巻」)嘉永七甲寅春三月(1854年)
南宗画(南画)家、春木南溟(1795から1878)が描いた横浜から本牧方面を眺めた風景。陸地の中央部分が現在の神奈川県庁付近。海上の船は、ペリー(東インド艦隊司令長官)艦隊。嘉永七年三月、幕府は米国遣日特使ペリーと神奈川条約(日米和親条約)を締結調印しました。
[ここに記載されていた資料については、資料解説の一部に疑問が寄せられたので、指摘の内容を調査するあいだ、記事を一時削除します。]
展示を終えて
古文書にみるかながわの産業-生業(なりわい)から江戸時代を考える-
開催期間 平成21年1月22日から3月8日まで
今回の企画展示「古文書にみるかながわの産業―生業(なりわい)から江戸時代を考える―」では、江戸期に県内で生活していた人々の暮らしぶりを、日々の生業から再現してみました。神奈川は東と南を海に、北と西を山に囲まれた自然豊かな県です。この県域の産業や産物を海・山・里の三つの地域にわけて展示しました。
「第1章 海の幸」では漁業を生業とする漁村の暮らしとともに、製塩や海苔の養殖といった海の恵に由来する産物なども紹介しました。
「第2章 山の幸」は炭焼・木材の伐採や漆、櫨(実から蝋をとる)の栽培、養蚕など山村に多くみられる産業の実態を古文書から探ってみました。
「第3章 里の恵」では、1章・2章で紹介しきれなかった酒造や絞油、水車に関係する資料を見ていただきました。また、村絵図も多数展示しました。江戸期の村の様子がおわかりいただけましたでしょうか。
寛政9年武州久岐郡泥亀新田
同入江新田絵図(泥亀新田文書)
神奈川開港・開国150周年記念プレ展 異国船の渡来と県内の動き-黒船騒動顛末記-
開催期間 平成21年1月22日から3月8日まで
2009年が神奈川(横浜)開港150周年を迎える記念の年であることから、「異国船の渡来と神奈川の動き―黒船来航顛末記―」として、プレ展示を行いました。このなかで神奈川近海に渡来した異国船の絵を多数紹介しました。それぞれに特徴をうまく捕らえて描かれており、当時の人がどこに注目していたかがよくわかります。
米船メルカドル号(帆船)(米艦渡来浦賀之図)
メルカドル号の側面には砲門が多数描かれています。この船は弘化2(1845)年に日本人漂流民引渡しのため浦賀に来航しました。
米艦スェスハンナ号(サスケハンナ 蒸気船)(金河奇勝)
サスケハンナ号は安政5(1853)年浦賀に来航したペリー艦隊の内の一隻です。弘化2(1845)年に日本人漂流民引渡しのため浦賀に来航しました。
来年度はいよいよ150周年本番です。当館でもメモリアルイベントを企画しております。お楽しみに。
ミニ展示を終えて 開国と地域
開催期間 1月10日から3月4日まで
平成20年度第5回のミニ展示は、来年度の開港150年に向けて、その前段階となる資料として、当館に寄託されている武蔵国都筑郡上川井村中野家文書「異国船渡来ニ付御取締御請書」を紹介しました。
この資料は、嘉永7年(安政元年1854)、二度目のアメリカ東インド艦隊来航に備えて出された、取締りの請書です。この中では、沿岸警護の大通行に備えての街道整備や、米穀値段の安定、自警による治安の維持など、幕府が村々に対して出した触れが記されています。
嘉永7年異国船渡来ニ付御取締御請書
ミニ展示を終えて 基地ではたらく人々をめぐって
開催期間 平成20年11月9日から平成21年1月7日まで
神奈川県には今なお15の米軍基地が存在し、施設の数では全国第3位、基地従業員の数では沖縄県をわずかながら抜いて全国1位の9,070人にのぼっています。ところがこれまでの基地問題は、騒音やジェット機の墜落など「基地対策」として捉えられることが多く、そこで働く人々についてはあまり語られてきませんでした。
そこで今回のミニ展示では、駐留軍労働者にスポットを当て、かながわの渉外労務政策に関する資料をご紹介しました。
PERSONNER WORK ORDER(求人票)
終戦による連合国軍の進駐に伴い本県での進駐軍(講和条約後は駐留軍)への労務提供が始まりましたが、この労務提供を含む渉外労務事務は、国からの委任事務として、横浜・横須賀などの渉外労務管理事務所が中心となって行われました。渉外労務管理事務所は、駐留軍からの労務要求に基づき希望者を募集しました。報酬は当初日給でしたが後に月給に逐次改められ、職務や能力によっては語学加給なども行われました。
しかし1950年の朝鮮戦争勃発により増大した従業員は、その後のアメリカ国防予算の削減、施設の整理統合により、大幅な人員整理が行われます。これに対して渉外労務管理事務所では、再就職先の斡旋や職業訓練等を行い対応しましが、切実な従業員の姿が、横浜市長の救済要求や労働協議会の資料などから窺えます。これらの渉外労務事務は、2002年から県の手を離れて、国及び独立行政法人へ移管されました。
所蔵資料紹介
図書資料
「テクノコンプレックスかながわ 頭脳センター構想の奇跡」長洲一二編著 (請求記号K500-0-6)
昭和50年4月にスタートした長洲県政の中で特筆すべきものの一つが商工行政です。従来は中小企業金融などが中心であった商工行政ですが、「地方の時代」を掲げた長洲一二知事は、昭和53年に「頭脳センター構想」を提唱しました。
昭和57年3月に発行された「頭脳センター構想実現のために―技術立国は神奈川から―」(J000-0001-1934)によれば、雇用や生産の構造の変化、神奈川の産業構造の変化を受け、首都圏にある神奈川県の優位性とわが国有数の工業県という先進性を生かして、高付加価値の製品を生産する都市型産業に移行し、新しい質を持った頭脳型の産業構造を形成していくため、県内の各地域に研究開発機能を集積してその活性化と拡大を図るとともに、県内に蓄積された研究者、技術者、大学、研究機関の相互及び企業との間に交流促進のネットワークを組織して、研究開発の風土づくりと活性化を図り、県内の企業の技術開発力を高めようとするものです。
平成3年に発行されたこの資料の中では、神奈川科学技術アカデミー、かながわサイエンスパーク、湘南国際村、厚木森の里などの整備や、神奈川県研究開発型企業連絡会議の設置などの諸施策を有識者と県の担当者の対談などにより振り返っています。また、この構想の中で、みなとみらい21や横須賀リサーチパークなどの産業立地も進みました。このような頭脳センター構想による諸施策を踏まえ、長洲知事が打ち出した新しいコンセプトが「テクノコンプレックスかながわ」と言えるでしょう。
神奈川県立公文書館では、これらの商工行政、産業立地の諸施策の公文書なども保存しています。
古文書資料
八亀家文書
当家は、江戸中期から「箱根屋」として温泉宿を経営されていました。昭和に入ってからは、武雄氏が湯河原町長、夫人が婦人会長を務めました。このようなことから所蔵文書は、主に温泉旅館経営・湯河原町政・愛国婦人会関係で構成されています。資料の年代は、宝暦元年(1751)から昭和54年(1979)。
この中から、川原における湯坪(壺)の存在と川原売買双方の湯壺使用を取り決めた古文書を紹介します。温泉場「湯河原」の名にちなむ史料です。
(「売渡シ申川原之事)川原譲渡証文)八亀信氏寄託資料
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