公文書館だより 20号
通常展示 資料にみる神奈川の歴史
開催期間平成20年4月26日から9月14日まで
早いもので「資料にみる神奈川の歴史」も今回で9回目を迎えました。以前に展示したことがない資料をと考えて毎回企画を練っていますが、時代によっては史料が限られていて、なかなか思うようにいかないのが現状です。
中世の文書は通常展示では期間の都合で、複製のみの展示が多かったのですが、期間限定で原本を数点出展致しました。ご覧いただけましたでしょうか。料紙の状態や、文字のかすれ具合など原本ならではのものを味わっていただければ幸いです。
近世の神奈川では江戸期の基本的な文書を、毎年出典を変えて紹介しています。県内の様々な地域から文書を寄託・寄贈していただいていますので、できる限り未発表の文書を紹介していきたいと考えています。また、新たに収蔵した史料も随時出展致しますので、今後の展示にもご期待ください。
近現代では昨年に引続き、「昭和史」に関するトピックスコーナーを設けました。今回は昭和史を語る上で避けて通ることのできない「十五年戦争」にスポットを当て、その時代を、当館所蔵の公文書、刊行物、写真等を用いて描き出してみました。年々戦争経験者が減っていく中、戦争そのものの風化が進んでいる今、もう一度戦争について考えてもらおうとの思いで企画しました。そしてそこには、私たちが残していく公文書が何らかの影響を与えてくれるとささやかな期待が込められているのです。
一方戦前の資料については、明治の廃藩置県・地租改正・学制、大正から昭和の地方改良運動など、一般によく知られている国の政策について、神奈川県ではどう対応したか、あるいはどのような特徴を持っていたかという視点から資料を選んでみました。また戦後の資料としては、南米移住と神奈川県総合開発計画を取り上げました。特に後者は戦後神奈川の総合開発の出発点となるもので、京浜工業地帯を擁する本県にとって、重要な意味を持っていました。
今後もできる限り神奈川の特徴的な資料を紹介していきたいと思っています。
北条氏直書状(相州文書)
空襲時東部管区情報
ミニ展示を終えて オリンピック東京大会とかながわ
開催期間平成20年7月13日から9月10日まで
今夏、中国でオリンピック北京大会が開催されたのにちなんで、平成20年度第2回のミニ展示では、アジアで最初のオリンピックとなった東京大会の資料を展示しました。
神奈川県はこの大会で、カヌー・ヨット・サッカー・バレーボールの会場となった関係で、県実行委員会や新設されたオリンピック課を中心に様々な準備・整備が行われました。特に興味深いのは、国民ひとりひとりが大会を盛り上げようというオリンピック国民運動の展開です。神奈川県は競技会場であると同時に、外国との窓口となる横浜港、国際観光地の箱根を控えている関係から、とりわけ熱心に取り組んだようで、展示資料にあるような記念行事が県内各地で行われました。
またこの運動の一環として、国際理解、公衆道徳高揚、県内美化などの運動が行われましたが、これらの取り組みは、今回の北京大会においても多くの共通点が見られます。時代が変わっても、オリンピックを成功させるためには変わらぬ取り組みが必要ということでしょうか。
今回展示資料解説を作成するに当たって、東京大会当時の小・中学生の感想文を掲載しました。とても興味深く、かつ示唆に富む内容が多かったからです。今回の北京大会を見ての子どもたちの感想はどうだったのでしょうか。再度開催地として立候補している日本にとって、その内容が少し気になるところです。
オリンピック展覧会藤沢会場開催要領
ミニ展示を終えて 戸長役場の仕事
開催期間平成20年5月10日から7月10日まで
平成20年度第1回目のミニ展示は、当館に寄託されている戸長役場関係の史料について紹介しました。
戸長役場は、明治前期の地方行政の最末端を担った機関で、ここに蓄積された行政文書は、現在県内の旧家に保存されており、当館では、歴史的に貴重なこれらの史料を収集しています。
5月10日から6月10日の展示は、足柄上郡萱沼村(現松田町)の安藤家文書から、大区小区制期(明治6から11年)の戸長役場の機能を紹介しました。安藤家は、近世には名主を、その後大区小区制導入時に、数村をまとめた広域区である小区の区長と、併せて萱沼村の戸長もつとめました。このため、安藤家が戸長役場として機能しており、当家に区内の戸籍や足柄県布達などが残されました。また、萱沼村の村政に関わる文書も保存されており、戸長役場事務の様子がうかがえます。足柄県では、広域区の戸長が戸籍事務などを、各町村の戸長が村内一般の事務を管轄しました。このため安藤家文書中の戸長役場史料は、小区と各村の文書から構成されているのです。
6月10日から7月10日は、足柄上郡皆瀬川村(現山北町)の井上家文書を通して、三新法期(明治11から22年)の役場機能と、文書引継の方法を紹介しました。当家には、町村制導入までの戸長役場史料が存在します。これらの文書は明治17年の連合戸長制実施時に役場が設置された平山村に引き渡されました。その際作成されたのが左記の「村務引渡書」と呼ばれる史料で、皆瀬川村戸長役場が作成、保存した文書を平山村戸長に引き渡す旨が記されています。
その後、町村制実施時にこれらの文書は、平山村から皆瀬川村へ返却されました。そして、一部が皆瀬川村と都夫良野が合併して成立した共和村役場へ保存され、残りの文書が井上家に保管されました。明治初期の行政文書は、個人や村の権利を保障するものであり、行政区画の変遷に従い引継、保存されていったのです。これにより、貴重な戸長役場史料が現在に至るまで保存されることになったのです。
当館寄託 井上家文書
ミニ展示 朝鮮通信使と神奈川
開催期間平成20年9月13日から11月6日まで
今回のミニ展示では、朝鮮通信使と神奈川の関わりを紹介しています。
朝鮮通信使とは、朝鮮(李氏朝鮮1392から19010年 高麗の李成桂が建国)の国王が国書(書契)や進物(礼単/別幅)を持って、足利将軍や徳川将軍(日本国王/日本国大君 日本の外交権者)に派遣した使節のことで、「通信使」「信使」「朝鮮来聘使」「来聘使」「御代替り信使」とも呼ばれました。朝鮮からの正式な使節は室町時代に3回、豊臣政権下では2回、そして江戸時代には12回派遣されています。次代によって、使節派遣の意味合いは異なりますが、江戸期6回目(1655年/明暦元年)からは「徳川将軍職祝賀」のための「通信使(信を信じる)」となります。
通信使は王城から陸路を使って釜山へ至り、ここからは海路で対馬-壱岐-藍島-赤間関と玄界灘を越え、蒲刈-鞆-牛窓-室津-兵庫と瀬戸内海を進み、大坂からは御座船で淀川をさかのぼり、淀から陸路で京都を経て、朝鮮人街道・東海道を通って江戸へ下りました。
神奈川県内も東海道が通っていることから、使節や国書・礼単などを運搬するための人馬が徴発され、さらに一行が休泊する宿の賄として、食糧や食器、煮炊き用の薪などが調達され、普段徒歩渡りや渡船になっている川(馬入川・酒匂川)の仮橋(船橋)掛渡しに必要な船や丸太などの用材、掛渡しのための人足なども県内各地から徴集されました。
朝鮮人通行馬入川船橋にて架橋の図
所蔵資料紹介
歴史的公文書
「昭和39年度 身体障害者スポーツ関係綴り」(請求記号30-5-3-904)
2008年9月に中国北京で身体障害者を対象としたスポーツ競技大会として「第13回夏季パラリンピック」が開催されました。夏季のパラリンピックは、1960年のローマオリンピックの後に同国で始まったのが第1回で、第2回目が1964年の東京オリンピックのあとに開催されました。その大会へ神奈川県から参加した選手の記録が公文書として保存されていますので紹介します。
1964年11月8日から14日までの間に開催されたパラリンピック東京大会(国際身体障害者スポーツ大会)への神奈川県の関わりは、厚生省社会局長から各都道府県知事への大会の開催についての協力依頼(1964年2月10日付け)から始まりました。
大会の実施要領が示されてその構成は、第一部として下半身麻痺者を対象とした車椅子競技が中心の「国際大会」、第二部としてそれ以外の障害を持つ者の競技で、外国からの参加は少なく事実上の「国内大会」という構成でした。第一部の国際大会への神奈川県から推薦されて参加した競技種目は、水泳、洋弓、フェンシング、卓球、バスケットボール等で、参加選手数は31名でした。日本選手の国際大会への参加数割り当てが50人であったのに対して神奈川県が約6割を占めていたことになります。第二部の国内大会は、神奈川県からの参加は7名で、競技種目は水泳、陸上等でした。
公文書からは、国際大会への神奈川県に割り当てられた参加者数の多さから、当時の厚生省の神奈川県に対する期待度が高く、その期待に応えて選手が好成績を出し、大会全体の成功に貢献したのではないかと感じています。
古文書資料
鈴木家文書(素鵞神社)(寄託資料)
鈴木家は、湯河原町吉浜に所在する素鵞神社の神主を務められています。当家の社職は、家伝由緒によれば三郎左右衛門が十六世紀天文年間に祢宜として熊野三所権現を勧請したのが始まりです。享保14年(1729)4月、正能が京都吉田家(吉田神道)配下の神官になりました。そのことを示す神道裁許状原本が現在伝わっています。伝来文書は、社職・神事・神社・古文書・書籍に分類されます。何れも鈴木家が文書の授受・写しの作成・資料の収集をおこなった結果による文書群の構成内容となっています。
文書群の中に文政13年鈴木大進筆記による伊勢参宮道中日記、室町将軍足利義政歌集「東求堂自歌合」、十返舎一九著「雑談紙屑籠」、歌川広重「天神一代記」、為永春水作「北雪美談時代加々見」、神奈川県内俳諧歌人句集「としの春興」が見られます。この内、伊勢参宮道中日記は、表紙に「道中下り日記萬控帳」「道中上り與路寿控帳」とあるだけで一般に見る「伊勢参宮道中日記」とは記載されていません。しかし、この日記は、江戸時代、民衆が伊勢神宮に集団で参詣する「お蔭参り」の道中記であったことは、本書の書き出しに「御かけ参り出立仕ル」とあること、年が、文政13年(改元、天保元年)であることから判明します。
お蔭参りは、慶安3年・宝永2年・明和8年・天保元年(文政13)に行われたのが著名で、文政のお蔭参りは、閏3月から6月半ばまでに427万人を越え各地へ急速に伝播していったと言われており、本書は相模国からも参加者がいたことを示す冊子でその時の様子を具体的に知ることができる貴重な日記です。参詣者は、鈴木大進を向笠大人(むかさうし=吉浜村名主向笠彦右衛門)の二人、8月12日に出立、20日伊勢の湊に上陸し、その日の内に外宮・内宮を参詣して、424文を奉納しています。
8月12日から9月5日間の日記
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