公文書館だより 14号
企画展示 公害・環境問題とかながわ 開催期間平成17年9月24日から11月25日まで
平成17年9月24日から11月25日まで、「企画展示 公害・環境問題とかながわ」を当館一階の展示室で開催し、多くの方々にご来館いただきました。「神奈川の身近な公害の歴史がみられた」「年代ごとの環境行政を見ることができた」などの声をいただきました。
私たちをとりまく環境への関心は年々高まっています。今回の企画展示は、戦後のかながわで起きた「公害」「環境」をめぐる問題と、県の対応などについて、公文書などの所蔵資料で概観しようというものでした。全休は6つの小テーマから構成されていました。1戦後の公害問題の始まり、2公害問題の変質と取組みの本格化、3「公害」から「環境」へ、4朝日製鉄問題、5公害センターの活動、そして、6わたしたちの環境、の6つです。1から3までは、公文書と広報課撮影写真を用いて、問題の移り変わりを紹介しました。当時起きたさまざまな問題を、公文書という文字資料と写真という映像資料とで複合的に表現することに努めました。6については、今も刊行されている『かながわ環境白書』も含めて、公害・環境白書に関わる公文書を紹介しました。
今回の企画展示では新たな試みをしました。テーマの範囲をしぼって、関連する公文書等を数多く紹介するコーナーを設けました。それが、4朝日製鉄問題、5公害センターの活動の2つでした。展示室中央の覗きケース内をじっくり見ている方々の姿も多く見られました。今回の企画展示に合わせて、関連講演会「初期公害行政から環境危機まで 公害センターの足跡」を、11月11日に開催しました。元公害センター所長の氷見康二氏に講演していただきました。
氷見氏は初めに「公害」の発生はわれわれの快適な生活と深く結びついていると述べました。続いて、ロンドンでの公害発生事例に触れた後に、かながわでの公害・環境問題に話を進めました。戦前から公害が発生していたこと、戦後の公害行政が、規制権限なき行政から、法令に基づく規制行政へと変化する過程を、多くのエピソードを交えて、語って下さいました(公演内容は当館ホームページなどで紹介する予定)。
朝日製鉄問題(覗きケース内)
講師の氷見康二氏(元公害センター所長)
ミニ展示を終えて ゆめ国体とゆめ大会 開催期間平成17年7月13日から8月31日まで
平成17年7月13日から8月31日まで、ホール内のケースでミニ展示「ゆめ国体とゆめ大会」を開催しました。「ゆめ国体とゆめ大会」は、かながわで平成10年に開催された国体の所蔵資料を紹介するのが狙いでした。
行政資料課担当のミニ展示では期間をいくつかに分けて、できるだけ多くの資料をご紹介することに心がけています。このミニ展示でも、4つのテーマを設定して、展示換えを行いました。
各テーマは、1国体とかながわ、2目でみる「ゆめ国体」、3公文書にみる舞台裏、4「ゆめ大会」(全国身体障害者スポーツ大会)その姿、としました。1では国体の歴史とかながわで昭和33年に開催された第10回大会の資料を、2では「ゆめ国体」のシンボル・マスコット「かなべえ」とボランティアに関する資料を、3では国体の運営に関わる公文書資料を、4では「ゆめ大会」に関する資料を展示しました。
「ゆめ国体」「ゆめ大会」はともに、簡素で効率的な運営や環境への配慮など国体の新たなスタイルを目指した大会でした。また、ボランティアなど多くの県民の参加によって支えられた大会でもありました。当館では「ゆめ国体」「ゆめ大会」に開する多くの資料を所蔵しています。両大会に開する公文書はもちろん、さまざまな刊行物、映像資料、さらにはポスターやマスコットなど多岐にわたっています。解説や写真を交えた資料の目録化を現在進めています。
マスコットも貴重な資料
ミニ展示 副島種臣の書簡 開催期間平成17年9月14日から10月30日まで
平成17年度3回目のミニ展示では、明治政府の外務卿としてマリア=ルス号事件の解決に尽力した副島種臣(そえじまたねおみ)の書簡を紹介しました。
副島は江戸時代末期に国学者枝吉種彰(えだよしたねあき)の子として佐賀城下に生まれました。幕末には京都に遊学し尊王攘夷派の志士達と交流をもち、また長崎の佐賀藩校である致遠館(ちえんかん)で大隈重信らと共に英語・アメリカ憲法などを学びました。明治元年(1868年)長崎で対外折衝に当たった後上京、新政府の参与、制度事務局判事となり、福岡孝弟(ふくおかたかちか)と共に「政体書」を起草しました。明治4年(1871年)外務卿に就任、翌年起こったマリア=ルス号事件の際には、日本側の中心となって事件解決に尽力しました。しかし、明治6年に征韓論で敗れ西郷隆盛らと共に参議を辞任しました。その後、宮中顧問官、枢密院副議長、内務大臣を歴任し、また対外研究会である東邦協会会頭に就任しました。
この書簡は、後にスペイン駐箚(ちゅうさつ)公使を勤める稲垣満次郎に、東邦協会の評議員辞職を思いとどまるよう説得したものです。
「副島種臣の書簡」 山ロコレクション(寄贈)
ミニ展示を終えて 土地を読む 土地宝典の世界 開催期間平成17年11月11日から12月25日まで
平成17年11月11日から12月25日まで、ホールの設置ケースでミニ展示「土地を読む 土地宝典の世界」を開催しました。当館所蔵の土地宝典を用いて、資料の特徴や面白さを紹介するのが狙いでした。このミニ展示でも、3つのテーマを置いて展示換えを行いました。1「土地宝典」とは何か、2明治・大正期の土地宝典、3昭和初期の土地宝典、がそのテーマです。
「『土地宝典』とは何か」では、そのテーマ通り、「土地宝典」についての簡単な説明を、実例を示しながら行いました。登記所などに置かれていた「公図」と「土地台帳」を一冊にまとめたものが「土地宝典」です。土地所有の状況をすぐに確認できるのがその特徴と言えます。『横濱市土地宝典 保土ヶ谷區之部』を例として、「土地宝典」というものの構成を最初に紹介しました。
「明治・大正期の土地宝典」では、明治17年発行の『横濱全図』と大正5年発行の『横濱市中区土地宝典』を取り上げました。幕末以来置かれていた外国人居留地付近の資料を展示しました。
「昭和初期の土地宝典」では、二俣川に近い保土ヶ谷区と瀬谷区の土地宝典から3点紹介しました。上星川町の土地宝典には、「神中鉄道」の「星川停留所」が描かれていました。終了後にも、「展示してあった資料が見たい」といった問合せがあり、限られた数でも、資料の特徴と面白さを伝えることができたのではないかと考えています。
「土地を読む」全景(表示板とケース)
「展示室だよリ」特別版 ー来館者の声ー 企画展示アンケートより
当館では年3回、展示室を会場とする展示を行っています。春から夏にかけて行われる通常展示と、秋・冬にそれぞれ行われる企画展示です。その3回の展示では、アンケートへのご協力をお願いしています。ここでは一面でご紹介した企画展示の際の回答から、公文書館に関する感想・要望をご紹介します。
当館に関する感想として多く見られたのは、「静か」ということです。「静かでとても良いと思います、また来たいです」(10代女性)、「とても良い所だし、静かでなごみました」(10代女性)などの声が多くありました。「癒し」の時代にピッタリの施設かもしれません。
もう一つ、「また来たい」という声も目立ちました。「また来たいと思いました。良い所ですね」(40代男性)、「初めて来てこんなところがあるなんて知りませんでした。また来たいと思いました」(30代女性)、「静かでとても良かったです。また来たときは、もっといろいろじっくり見たいです」(10代女性)などのご意見です。リピーターを増やせるだけの魅力がこの館にはあるのでしょう。
他方、当館への要望には、何が不足しているのかを知る手がかりがありました。圧倒的に多かったのは、広報・宣伝に関する要望です。「もっと存在や役割を県民全般に伝える必要があるのでは」(30代男性)、「もっと宣伝してください。日本のアーカイブズはこの点が弱い」(40代男性)、「公文書館の存在アピールが必要ではないでしょうか」(60代男性)など、多くのご意見がありました。いままでのメディアによる広報に加え、ホームページの活用でより機動的な活動を進める予定です。
また、「寄贈・寄託資料が何があるかわかりにくい。目録の充実を望みます」(60代男性)という声がありました。現在、ホームページ上で所蔵資料の検索ができるようになっています。しかし利用者のニーズはさまざまです。ニーズに応えた試みを、今後も積み重ねていかなければならないと感じました。
所蔵資料紹介
古文書資料 武尾家文書(寄託資料)
足柄上郡山北町谷ケ武尾佑治氏宅に伝来した天正18年(1590)から昭和戦前期に至る古文書で数量は13,000余点あります。
伝来の古文書は、当家が江戸時代初期から谷ケ村名主を勤め明治期に入ると戸長に就任したことから、村経営の名主文書・戸長文書が自然に家文言全体の根幹をなして存在しています。明治期当主であった弥十郎、喜間太親子二代神奈川県会議員としてその職にあった県会(現在、県議会)に関する文書、谷ケ地内に東海道鉄道停車場を設置するための文書、川村山北より谷ケ村を経て静岡県小山に至る道路の開鑿(かいさく)文書、横浜電気株式会社送電線路開係文書、相模水力電気株式会社の用地買収関係文書等々もあり、家文書構成を豊かにし、鉄道・道路・電気関係文書は当該地域の近代化への歩みを知る貴重な史料となっています。江戸時代名主文書には、領主の村支配による触書、村入用、村の概要を知る村明細帳(要覧)、村絵図、戸籍に当る宗門帳、五人組帳、土地台帳である検地帳(寛永17年=1640)、税に関する年貢割付状(寛永16年から明治2年、ほぼ通年、210余点)、年貢皆済目録、谷ケ関所や助郷の交通関係文書等村経営の基本的な文書が見られます。宝永4年に起こった富士山噴火の降砂関係文言は、田畑の復旧に百年以上要したことを記録し被害の甚大さを今に伝えています。掲出写真は、年貢が全く取れなかった(「此取なし」)記載。
宝永5年の年貢割付状(書出部分)
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