公文書館だより 13号
通常展示 資料にみる神奈川の歴史 開催期間5月18日から8月31日まで
新年度最初の企画(通常)展示である「資料による神奈川の歴史」も今年度で6回を数え、「神奈川の歴史」を古文書や公文書で紹介するこの展示もすっかり定着しました。今回は少しだけ展示の案内をさせていただきます。
古代の代表的な資料が、宮久保遺跡(綾瀬市/複製)出土の木簡です。木簡とは本の札に文字を墨書したもので、荷札、物品の請求や進上・出納の伝票、通行手形など様々な用途に使われました。この宮久保遺跡出土の木簡は、発見された当初は、県内最古(年代が記されているものとして)の文字資料として注目を浴びました。文面は「表 鎌倉郡鎌倉里軽部□寸稲天平五年九月 裏 田令軽部麻呂郡稲長軽部真国」とあり、わずか30字ですが、地方行政や財政など様々な実態を示唆しています。また、中世では、後北条氏関係の史料を多数展示します。これは、公文書館が「豊前氏古文書」という足利氏や北条氏と深い関係を持つ豊前氏(医者の家柄で卓越した医術により、足利氏や北条氏から厚い信頼を得ていた)の文書を多数所蔵していることによるもので、これらは戦国時代の神奈川に関する第一級の史料ともいえるでしょう。
さて、展示室の正面は近世の神奈川です。天正18年関東に入国した徳川家康が、慶長八年征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。この時期から記録史料の数が激増します。
県内にも多くの武家文書や地方文書(名主文書)が残されており、当館にも多数の文書が寄贈・寄託されています。これらの史料によって、具体的に江戸時代の人々の生活を知ることができます。それらは、歴史の教科書や参考書からは知ることのできない貴重なものです。
この機会に、是非一度来館して、生きた歴史に触れていただきたいと思います。今回の通常展示がほんの少しでも、歴史理解の手助けになれば幸いです。
「北条氏康書状」 豊前氏古文書(館蔵)
「東照宮様御条目写」 小塩家文書(寄贈)
展示を終えて 平成16年度第3回企画展示 幕末の神奈川
今回の「幕末の神奈川」では、ペリー来航以前の異国船の来航にも焦点をあてて、展示を構成しました。第4章では、ロシアが漂流民を送り届ける口実で日本に開国を要求していたことと絡めて、幕府の政策(薪水給与令・打払令)を紹介し、江戸湾の防備にも触れました。ペリー以前の外国との攻防もご理解いただけましたでしょうか。また、開国後の神奈川の様子も第4章で紹介しました。
開港というと横浜だけが注目されますが、横浜が開港されたことで、神奈川県内(当時の武蔵国の一部・相模国)も影響を受けています。東海道各宿場への助郷や、この時期に集中して起きた災害(地震や大風)による疲弊、横浜周辺への移住者の増大による農地削減、開港に伴う諸物価の高騰などが、庶民の生活に多大な影響を与えました。華やかな横浜とはまた違った歴史が県内各地に存在するのです。
「黒船画」 瀬戸家文書(寄託)
「貿易契約書」池津珍蔵関係文書(寄贈)
ミニ展示 陸奥宗光の書簡 開催期間5月12日から6月30日まで
平成17年度最初のミニ展示は、廃藩置県後初の神奈川県知事となった陸奥宗光の書簡を紹介します。宗光は江戸末期に和歌山藩士伊達宗広の第6子として生まれました。幼いころ父が政争により失脚、一家離散を体験します。15歳で江戸に出て安井息軒、水木成美らの門を叩き学問を志しました。父は赦免された後脱藩して一家は京都に移り、宗光も行動を共にします。その京都で尊攘派の志士たちと交流し、勝麟太郎の神戸海軍所や坂本龍馬の亀山社中・海援隊に加わりました。これらがのちの宗光の人生に大きな影響を与えることとなります。明治維新後は新政府の外国事務局御用掛となり、以後様々な役職を歴任。19世紀末には外務大臣となり、日英改正条約の調印に成功、安政の5ヵ国条約の不平等条項撤廃に寄与しました。
今回の書簡は高嶋陸軍大臣に、伊藤博文の近況を尋ねたものです。
「陸奥宗光の書簡」 山ロコレクション(寄贈)
所蔵資料紹介
行政資料 「20年後の名木100選を巡る」 女川修・妙子著
「かながわの名木100選」の選定は昭和59年のこと。選定から20年が過ぎた名木の様子を、写真と文章で綴ったものがこの「冊子」です。パソコンとプリンターによるデスク・トップ・パブリッシングの限定4部。いわゆる書物でもなく、文書とも少し違います。約8ヶ月をかけて一つひとつの木を訪ね歩き、丹念に記録してきた著者たちの静かな熱意は十分に伝わってきます。木への旅で出会った人とのやりとりなどを、抑制の効いた筆致で淡々と記し読む者を穏やかな気分にさせてくれるでしょう。
20年前の木の状態を記録した写真集、『かながわの名木100選』(県教育委員会、昭和62年)も当館で所蔵しているので、比べながら見るのも楽しいと思います。
所蔵資料紹介
古文書資料 大澤家文書
曽根原直子氏から寄託されたこの文書は、相模国高座部蓼川村に知行地を有した旗本大澤氏の家伝来の古文書です。
大澤氏は、貞享3年正月豊昌が御廊下番に召出され、切米(蔵米)150俵を給されて幕臣となりました。初めて蓼川村の領主となった人物は先祖豊昌から7代目に当たる直行で、天保11年12月、500石加増されて蔵米収りから地方知行に替わり、上総国市原郡北五井村と蓼川村高311石5斗1升4合が与えられました(掲出写真)。以後、大澤氏による支配は幕府が崩壊するまで続きました。家伝文書には、領地に関する「知行所人数帳」の外、「記録」と表紙に書かれた日記があり、それを見ますと、弘化2年4月10日の条に蓼川村名主勝兵衛が「代助郷」の件で領主大澤氏を訪ねた記事があり、道中奉行に差出す願書のことで領主と名主とが相談している事実や願書提出の使者に名主勝兵衛が同道していることなどが記録されています。名主が村の経営のために領主と相談し、領主がその対応を記録した史料は、遺存例が今日では数少ないものと思います。
大澤家文書は、寄託により一般に存在が初めて明らかになった新史料であり、領主側史料として既刊資料集を補完する重要な役割を果たす貴重な古文書です。
郷村高帳請取書(記載内容の全文)
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神奈川県立公文書館 資料課
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