平成16年度第1回通常展示 資料にみる神奈川の歴史 会期5月18日から8月31日まで

神奈川県立公文書館では、5月18日より「通常展示 資料にみる神奈川の歴史」を開催します。開館11年目に入り、次の10年に向かう最初の通常展示です。時計の針を開館以前に戻してみましょう。当時知事職にあり、いわば公文書館の産みの親とも言える故長洲一二氏が、開館の8ヶ月ほど前に、公文書館の役割について述べています。

「『公文書館』の役割は大きくいって三つです。第一に、県の公文書や古文書、郷土資料などの歴史資料を収集すること、第二に、それを大切に保存し後世に伝えること、そして第三に、集めた資料を広く公開し、積極的に活用していただくということです。・・・」

当館の展示は、この3点を踏まえ館所蔵資料を多くの方に知っていただき、利用者の皆さまに積極的に活用していくために開催しています。どれだけ多くの歴史資料を収集しても、安定した環境で長期に資料を保存できても、それだけでは不十分なのです。
さて、「資料にみる神奈川の歴史」というタイトルで通常展示を開催するのは5回目になります。今回も、館所蔵資料によって、「古代」「中世」「近世」「近現代」という歴史の大きな流れをたどっています。鎌倉に幕府が置かれた頃の記録写真はありませんし、江戸の庶民の生活の様子を、記録した映像ももちろん存在しません。しかし、当時の歴史資料をじっくりと味わうことにより、当時の情況に思いをはせることはできます。その時代の人々が、今必要な何かを、私たちに教えてくれるかもしれません。
「いくらあかあかと燃えていても、一本のろうそくの灯は燃え尽きて消える。しかし、その一本の灯でも、それが次のろうそくへ、それがまた次へと、次々に灯をともし続けていくならば、尽きることはない。永久に無尽である。」
長洲氏は、「燈燈無盡」という言葉で、世代を超えて受け継がれる「灯」の大切さをしばしば訴えていました。古文書・公文書などの歴史資料は、「灯」を次の世代に引き継いでいくために活用すべき素材です。
ぜひこの展示をご覧になり、興味を持たれた資料を閲覧して下さい。そして利用・活用してください。そこで感じたこと・考えたことが次の世代に受け継がれる「灯」となります。

(参考資料 長洲一二『燈燈無盡』)

上末吉村・下末吉村絵図
上末吉村・下末吉村絵図(近世資料)

公害防止広報用ポスター
公害防止広報用ポスター(近現代資料)

平成15年度第3回企画展示
戦国時代の神奈川―北条五代文書展― 会期1月14日から3月14日まで

東国の戦国時代は、北条早雲【正しくは伊勢新九郎盛時、出家後は旱雲庵宗瑞】の登場によってはじまる。早雲は室町幕府の重臣伊勢氏の出身で、姉妹の北側殿の縁で今川氏の家臣となり、駿河に下向した。明応2年(1493年)伊豆に進入、同4年に小田原城を奪い、伊豆・相模両国の戦国人名に成長した。二代氏綱は武蔵への進出をめざし、大永4年(1524年)江戸城を攻略、北条改姓、虎の印判の使用など、北条氏の基礎を築いた。
三代氏康は上杉謙信や武田信玄と合戦をくりかえし、永禄2年(1559年)には『小田原衆所領役帳』を作成、内政にも意をそそいだ。四代氏政は常陸・上野方面に領国を拡大するが、畿内で織田信長が台頭し、その対応にもせまられた。五代氏直は北条氏最大の版図を形成するが、天正18年(1590年)、全国統一をめざす豊臣秀吉の大軍をまえに、3ヶ月におよぶ龍城戦のすえ降伏した。北条氏は相模小田原城を本拠に、五代、約100年にわたり、伊豆・相模・武蔵を中心として、関東に覇を唱えた戦国大名である。
今回の展示は、公文書館所蔵の北条五代の発給文書を中心に、戦国時代の神奈川の歴史を概観した。(出典資料 前期58点 後期57点)

北条氏康書状
北条氏康書状(永禄12年)12月5日 豊前氏古文書【前期】

北条氏政書状
北条氏政書状(永禄13年)8月4日 山吉文書【前期】

北条家定書
北条家定書(天正18年)6月1日 小幡文書【後期】

所蔵資料紹介

『野毛商店街の露店整理に関する記録(第1輯)』
昭和35年2月 野毛商店街協同組合 B5版80頁 孔版印刷

ここで紹介するのは、野毛本通りと大岡川沿いの野毛銀座通りに残された最後の露店整理の資料です。本書は商店街側により編集されたもので、露店側への撤去働きかけの段階(昭和27年から31年)、県・市への請願と露店側の反対運動(昭和32年)、代替地斡旋時期(昭和33年から35年)の3期に分けて記述されています。表題に第一揖とあるように、昭和39年10月の都橋ビルヘの入居による決着までの記述はありません。第二輯は出版されたのか?当館を含め県立図書館や横浜市中央図書館では所蔵していません。
本書の特筆すべき点は掲載資料の豊富さです。請願文、市との会見記録など商店側の資料だけでなく、露店側の新聞折り込みや商店側への抗議文、組合刷新同盟の怪文書など今となっては個別入手不可能なものが21点掲載されています。例えば、昭和24年10月のこの地域の露店145店の出店状況図面があります。本通りには靴屋・鞄屋、銀座通りには食品店と洋服屋が目につきます。

平成15年度ミニ展示

ウィンドウ展示ケース一つを使用して行うこの展示は、本県が寄贈を受けた山口八十八氏のコレクションの中から時宜に適った史料を選んで釈文、解説、年表などをつけて紹介したものです。
15年度は、坂本龍馬・勝海舟・西郷隆盛・毛利元就この4人の手紙を展示しました。坂本龍馬の手紙については、本誌10号で紹介しましたので本号では残り3人の手紙をまとめて紹介することとしました。
勝海舟書簡は、西郷隆盛絶命詞の摺本を明治天皇に見せるため宮内次官吉井友実に仲介の労を依頼したものですが、これには「必ず天覧に供したい」という海舟の強い願望が込められています。その理由として、西南戦争による西郷朝敵汚名からの名誉回復があります。海舟は、江戸開城時の西郷の協力を忘れ得ず、絶命詞摺本を献上することにより天皇接近を図り名誉の回復に努めたことが上げられます。
西郷隆盛書簡 明治4年10月、台湾の南端で発生した琉球宮古島船員殺害事件に関し、政府派遣樺山資紀の報告書を同参議である板垣退助に転送しその処理を依頼した手紙です。
毛利元就書状 元就の国を想い家を思い子を愛する情熱と神仏に対する崇敬の念とを教え諭した教訓状は有名な文書ですが、二男元春への返事である本書も出陣中の息子に「石見国は山が多く堅固なので危険なことはない」と書き送り親の受が伝わる内容の手紙です。

永禄3年(1560年)霜月27日毛利元就書状
永禄3年(1560年)霜月27日毛利元就書状 (寸法、タテ25.7×ヨコ79.7)

行政資料の紹介 ―「新総合計画資料」― (昭和47年度完結文書全12冊)

当公文書館には毎年多くの公文書が引き渡されています。県庁の各部局や出先機関で作られている公文書が、公文書館のものになり、一般の皆さまにも閲覧可能になります。そうした公文書の中から、今回は、「新総合計画資料」全12冊をご紹介します。この資料は、12冊の簿冊(公文書をまとめて綴じたもの)からなっています。昭和47年(1972年)度完結の文書で、過去数年分の資料が綴られています。
現在でも「新総合計画」が作成されていますが、この資料でいう「新総合計画」は、戦後5番目の総合計画を指しています。その計画を策定するために、一つ前の「改定第三次総合計画」について検討したのがこの資料なのです。この計画は、「人口と産業の集中による都市化の進展に伴い、『往みよい県土の実現』をめざす」計画として、昭和44年(1969年)に策定されています。「新総合計画資料」全12冊には、大別して二種類の文書が綴じこまれています。一つは計画作成の過程で正式に決裁を受けた文書です。「神奈川県専門委員会議における議事の概要について」や、「相模川流域下水道事業進絡協議会幹事会」などがこれにあたります。
もう一つは、計画作成過程で活用された様々な文書です。「酒匂川水系各河川の水質試験調査報告書」や、「砂防関係図面」「治水関係図面」などがこちらに含まれます。いくら「閲覧可能になった」といわれても、実際に閲覧してみようと思わない方が多いかもしれません。でも一度ご覧になって下さい。公文書にも楽しみ方があります。簡単な楽しみ方としては、地図や図面類などをながめること。じっくりみていくと、当時からの歴史的な変化がわかります。
より深い楽しみ方としては、行政刊行物などと合わせて読んでいく方法もあります。『第三次総合計画改訂版』(昭和44年9月発行)と合わせて読み進めることによって、県行政についての理解が深まります。新たな発見や現時点での問題提起につながるかもしれません。ぜひ一度、当公文書館で公文書をお手にとってみてください。

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神奈川県立公文書館 資料課
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