民際外交の出発
民際外交の出発
国際交流を考えるつどい(1975年12月・広報課撮影写真コレクション)
「民際外交」は、長洲県政(1975~95年)を象徴する言葉の一つです。国家間の交渉である「国際外交」にたいして、民衆同士、地域同士の国境を越えた交流を意味する造語で、地方行政の立場から世界平和の実現に寄与することを目的として展開された政策群を指します。
1975(昭和50)年、長洲一二元知事は、知事選の公約「新神奈川宣言」で民際外交を提唱しました。知事就任後も、県議会での所信表明や職員向けの談話などで、民際外交のアイディアを強調します。同年6月には、記者会見で「国際交流課」の設置を検討すると発表しました。こうして、県行政の現場で、民際外交を政策として具体化するための模索が始まります。
国際交流課の立ち上げも、手さぐりの状態で始められます。地方自治体で国際交流事業を担当する部門を設置するのは、前例の無いことでした。どの部局に設置するか、何を仕事にすべきか、県庁内で論議が続きました。最終的には、渉外部渉外課に準備室を設置することが決定します。しかし、準備室に配置された職員にも一体何をやってよいのか五里霧中の状態だったようです。
翌1976年7月、渉外課は全面改組され、国際交流課が新設されます。新設当初の主な業務は、「国際交流協会」・「国際交流センター」の設置と、「新神奈川計画」の策定に向けて国際交流事業の基本構想を提示することでした。また、国際交流事業の庁内調整のために、「国際交流事業推進連絡協議会」が設置されます。民際外交の事業は、国際交流課のみではなく、各部局にわたっており、その調整が目的でした。
『昭和51年度 国際交流事業推進事業連絡協議会』 国際交流センターオープン
(BS62-2)所収 (1977年7月・広報課撮影写真コレクション)
翌1977年2月、国際交流協会が設立されます。国際交流団体を育成し、民間レベルでの国際交流を全面的に推進することが期待されました。その事業の一つが、同年7月に開設された国際交流センターの管理運営とそこでの交流事業の推進です。語学講座、海外事情講座、講演会、ホームステイ・ホームビジットの振興事業の実施や世界の書籍、雑誌などを閲覧できる海外資料室の設置が進められました。
県内の外国籍住民とのより良い共生を目指した「内なる民際外交」にみられるように、民際外交の取り組みは、理念と政策の両面で深化と広がりをみせながら展開されました。このような事業の数々は、全国の多くの自治体や国レベルでも取り組まれるようになっており、今日では定着をみているといえます。
参考文献:
- 民際外交10年史企画編集委員会編『民際外交の挑戦』日本評論社、1990
- 渉外部の36年を21世紀へつなぐ会『がんばったぞ!神奈川県渉外部―世界と向き合った36年―』1999
(公文書館 大川 啓)