青少年行政の始まり

集団就職列車を迎える津田知事
集団就職列車を迎える津田知事

高度済成長による大都市への産業集中に伴い、神奈川県でも若年労働者が慢性的に不足し、その結果、県外から多くの若者が転入してきました。一方で経済の発展は、核家族化による家庭の変化、急激な所得増による享楽的な風潮を生み出し、悪質な犯罪・非行が増加するなど、豊かさによる新たな青少年問題を浮き彫りにしました。

このような中で、青少年の保護育成とそれに必要な条件整備を迫られた県は、昭和34年(1959)に県青少年問題協議会の要望を受け、青少年の諸活動の拠点として、青少年施設の拡充に努めることになりました。その結果、翌年に青少年の宿泊活動の場として足柄青年の家が、また昭和37年(1962)には日帰り活動の場として青少年センターが開館し、指導者づくり・組織づくりと併せて青少年健全育成への取り組みが本格化しました。

昭和39年(1964)、県は青少年行政の一元化をはかるため、知事を本部長とする青少年総合対策本部を設置しました。その基本方針(当館所蔵)によると、青少年の健全な育成は家庭が基礎になるという立場から、まず第一に明るい家庭づくり、加えて公徳心の高揚、青少年非行の防止、勤労青少年の福祉の増進が重要であると述べられています。

青少年問題協議会関係綴
青少年問題協議会関係綴

青少年会館での音楽会
青少年会館での音楽会

昭和44年(1969)、従来の青少年企画課・青少年育成課に青少年施設課を加えて青少年事務局が発足したのを機に、翌年県は青少年対策総合本部の基本方針を全面改訂し、勤労青少年の教育・訓練の振興と福祉の増進を重要課題として位置づけました。そこで、勤労青少年の地域への定着と健全な余暇活動の場の提供を目的として、青少年会館の建設が始まり、昭和49年(1974)までに18館が開館しました。このほか昭和45年(1970)には、大平・不動尻青少年キャンプ場や多摩川・鶴見川サイクリングコースが開設され、さらに昭和40年代後半には、三浦臨海青少年センター、藤野・篠原台青少年の家など多くの青少年施設が整備されました。

一方、複雑化する青少年の問題行動については、青少年行政の充実とともに、「育成運動への期待に応えるため、恒久的な体制をつくることが必要である」(設立趣意書=当館所蔵)として、昭和45年に社団法人神奈川青少年協会が設立されました。そしてこれ以降、同協会が推進母体となり、青少年健全育成の県民運動が展開されるようになりました。

(公文書館 西澤 均)