神奈川県 神奈川県史 資料編11 近代・現代(1) 政治・行政1 戸長副戸長事務取扱大略 神奈川県布達 明治四年廃藩置県にさきだって太政官布達により戸籍法が制定され行政区画が設けられた これは明治六年神奈川県権令大江卓名で出された区番組制のもとにおける戸長副戸長の事務一般にかんする取扱規程を示した県布達の写しである(資料二〇本文四三ページ参照) 旧足柄県令柏木忠俊にたいする小田原住民の惜別の辞 静岡県田方郡韮山町 柏木俊孝氏蔵 明治九年四月十八日に足柄県は廃止され 相模国は神奈川県に 伊豆国は静岡県に分属することになった これは韮山に戻る元県令柏木忠俊を惜しんで小田原の小学生が差出した作文の一つである (資料八 本文一八ページ参照) 明治15年当時の県庁舎 県庁舎は 横浜裁判所時代から県庁機構の変遷とともに何度か移転した これは明治六年に横浜税関庁舎として建築されたもので 明治十五年の県庁舎焼失を機会に税関から譲り受けたものである 上 多摩三郡の東京府移管賛成にたいする調印取消要求 下 境域変更賛成趣意書 横浜市港北区 飯田助丸氏蔵 西北南多摩三郡は明治26年4月1日付で神奈川県から東京府へ管轄替えとなった この境域変更にたいしてはじめ賛成の態度をとった県民が 問題の重大さを思い知らされ 新聞社にたいして賛成署名の取消を要求した文章がこれである (資料155・156 本文403ページ参照) 神奈川県地方改良会中郡支部関係書類 大磯町役場蔵 地方改良運動は日露戦争後 不況にあえぐ農村の秩序をたてなおすために報徳思想を基軸に展開された これは県が率先して組織した地方改良会の会員増募について大磯町幹事あて中郡支部長(郡長)が指示した文書である とくに神職僧侶の全員を会員にすべきことが付記されている点が注目される 上 大正10年 下 昭和48年 東海道本線時刻表 横浜市港北区 飯田助丸氏蔵(上) 鉄道幹線のスピード化は産業化のバロメーターである工業化が飛躍的に発展する第1次大戦後時点と今日の所用時間はどのくらい短縮したであろうか 参考のために県下における二つの時点の時刻表をかかげた 関東大震災 横浜桟橋付近の惨状(大正12年9月1日) 横浜市旭区 前野栄造氏蔵 大正8年 県会議員選挙の政党候補推薦状 横浜市港北区 飯田助丸氏蔵 上は憲政会系のもので保土ヶ谷町同志会稲田村同志者108人署名の推薦状である 下は政友会系の橘樹郡有志7人署名の推薦状である 両派とも当時大きな社会問題であった多摩川改修問題をとりあげている点が目をひく 序 本巻は、近代・現代の資料編のうち政治・行政1として、明治初年の神奈川置県から昭和初期の大恐慌までの神奈川県を舞台として展開されたさまざまな政治・行政関係の資料を収録いたしました。 この時代は、神奈川県の成立と複雑な行政区画変更、郡制、市制・町村制の施行、三多摩地域の東京府移管、日清日露戦争の体験、米騒動など大きな政治問題もありましたが、とくに関東大震災で県内は壊滅的な打撃をこうむった多難な時代でありました。 本巻の編集にあたっては、これらの歴史的推移を知りうるように、資料の選択、配列に留意いたしました。 この巻の刊行にあたり、貴重な資料の提供や有益な教示を賜わった方々および困難な資料の調査・編集にあたられた執筆委員の方々に対し、ここに心から感謝の意を表します。 昭和四十九年三月 神奈川県知事 津田文吾 凡例 一 神奈川県史資料編、近代・現代編は政治・行政関係資料と産業・経済関係資料とを収録する。本巻は政治・行政編二巻の第一巻として、明治初年から昭和初期までの県政の推移に関する資料を収録した。 一 資料はテーマ別に分類し、それを原則として年代の順に従って収録したが、資料の前後関係によって配列し直す等の処置を講じた場合もある。 一 各資料の標題は、編者がつけた。しかし原資料の標題が内容に照応するものはそのまま採用した。 一 各資料にはすべて一連番号をつけ、さらに小番号を付して一括したものもある。 一 収録した資料は、いずれも原資料の形態を残すように努めたが、編集の都合上と資料を理解しやすくするため、原資料の意味を損じない限り、次のように扱った。 (一) 字体は、当用漢字表にある漢字については原則として当用漢字字体表を用い、この表にない漢字は原資料に従った。 なお、明治期、慣用的に用いられる漢字のうち、本来偏・冠が「木」「氵」「禾」「竹」のものでそれぞれ「扌」「冫」「犭」「⺿」になっているものは本来の漢字に改めた。 (二) 変体がなのうち、助詞の「者」「而」「江」は活字のポイントを落した。 (三) つくり字はかたかなに改めた。 (四) 明らかな誤字は訂正したが、あて字、俗字等は原資料に従った。 (五) 各資料の欄外に書きこまれた所見の類は、編者において、(欄外注記)として表記した。 (六) 朱字は『 』でかこい、(朱書)の傍注を付した。 (七) 脱字は該当部分に(脱)の傍注を付した。 (八) 虫くい、破損等は、□□・□でその状態を示した。 (九) 〓消部分は原則として省いたが、必要な場合は資料の末尾に編者注として表記した。 (十) 敬字の欠字は一字あけとし、改行の場合は原資料に従った。 (十一) 重複の字は原資料に従い、(衍字)の傍注を付した。 (十二) 署名簿等で人数が多い場合は、二段組みにしてすべてを収録した。 (十三) 編者のつけた傍注にはすべて( )を用い、原資料にある一行分の( )は〔 〕に改めた。 一 収録した資料はその末尾に出典および所蔵者名を付記し、解説の末尾に所蔵者一覧表を掲げた。 一 本巻の編集は、大久保利謙・金原左門が担当した。 表紙題字 知事 津田文吾 目次 序 凡例 第一編 明治前期 第一章 県行政区画 資料番号 一 神奈川足柄両県の成立と再編成(一-四) 1 二 事務章程制定に関する神奈川県権令大江卓の諭告 5 三 管内区戸長にたいする神奈川県令中島信行の諭告 7 四 地方長官会議に臨む足柄県権令柏木忠俊等の諭告 8 五 足柄県官員録ならびに同禄高(一-二) 8 六 足柄県廃止に関する行政関係書類 15 七 足柄県廃止等に関する県令柏木忠俊宛書簡 16 八 旧足柄県令柏木忠俊にたいする小田原住民の惜別の辞(一-三) 18 九 足柄県再興建白書 20 第二章 大区小区制 第一節 区長戸長等行政事務 一〇 戸長副戸長心得 27 一一 戸長拝命につき誓約書 30 一二 足柄県大区小区設置に関する件達 30 一三 神奈川県第十五大区正副戸長任命にともなう村役人減員に関する申合書 31 一四 区画改正の大略 33 一五 区画改正にともなう代議人選挙に関する件達(一-三) 36 一六 神奈川県自第二区至第廿区正副区長名簿 37 一七 足柄県正副区長名一覧 38 一八 区画改正にさいし民費に関する伺および指令(一-二) 40 一九 正副戸長の事務引継に関する件達 43 二〇 戸長副戸長事務取扱大略 43 二一 区長副区長事務条例 46 二二 区長戸長事務取扱心得書 47 二三 神奈川県第三区七番組区画改正にともなう番組編成に関する太尾村他二か村願上書(一-三) 48 二四 村用掛選挙に関する指令願上書 52 二五 村用掛拝命誓約書提出に関する件達 53 二六 村用掛選定改正に関する件達 54 二七 人民身分順序に関する件達 54 二八 区長事務章程および同追加(一-二) 55 二九 正副区長戸長身分取扱に関する件達 75 三〇 区番組呼称変更に関する件達 57 三一 民費節減に関する心得 57 三二 足柄県第三大区事務所設立にともなう新吏員定数および職制に関する件達 59 三三 里長等人選に関する約条書 60 三四 村吏改正に関する問合書 62 三五 副戸長後任人選に関する約定書 64 三六 大小区書役身分取扱に関する件達 64 三七 大区書記改称に関する件達 65 三八 正副戸長等選挙の開票に関する件達 65 三九 大区小区制改革等に関する浮説訂正の件達 65 四〇 区長等再選見合に関する件達 66 四一 布告等の下達迅速を期する件達 66 四二 区務受渡規則 66 四三 官令制規等審議禁止に関する件達 68 四四 民費賦課法議案および貯金法議案に関する件達(一-四) 68 第二節 大小区会議関係 四五 足柄県大小区議事概則 82 四六 神奈川県第一大区代議人選挙規則および同改正(一-二) 84 四七 神奈川県自第二大区至第廿大区代議人選挙規則 86 四八 足柄県大小区会議心得 87 四九 神奈川県第一大区区会議事章程および同改正(一-二) 88 五〇 神奈川県県会議事章程 90 五一 足柄県県会議事要領 92 五二 町村会議事心得ならびに仮規則 92 五三 町村会設立見込上申の件達 99 五四 神奈川県臨時県会条例 99 五五 足柄県県区会議事規則および同議員選出に関する件達 100 五六 臨時議事会に関する神奈川県権令野村靖の訓示 107 五七 町村総代人選挙規則同改正ならびに心得書(一-四) 108 五八 町村総代人選挙規則施行に関する件達 111 五九 町村総代人選挙実施督促に関する件達 112 六〇 総代人選出に関する村内規定書 112 六一 神奈川県小区会および大区会議事規則同追加…(一-三) 113 六二 県会議事規則 119 第三章 三新法体制 第一節 郡区町村の編成 六三 郡区役所設置に関する布達および嘆願書(一-三) 122 六四 郡区長等管掌事務に関する件達 124 六五 郡区長委任事務に関する件達 125 六六 足柄上郡役所各掛事務仮章程 126 六七 郡区長公選に関する神奈川県議会の建議書および報道記事写(一-二) 130 六八 第六大区二小区吉田村区務受渡に関する件届 133 六九 戸長選挙規則同改正および同細則(一-三) 134 七〇 戸長等給料支払方法および組合戸長設置に関する件達 137 七一 戸長の配置に関する上申案 137 七二 戸長身分取扱改定に関する件達 137 七三 大住淘綾両郡戸長選挙細則 138 七四 戸長薦挙会施行に関する件達 139 七五 戸長所轄区域変更に関する県令沖守固の訓示および通達(一-二) 139 七六 戸長月次会開会に関する県令沖守固の内達 140 七七 愛甲郡田代村他三か村戸長改選をめぐる紛議(一-三) 140 七八 戸長集会規定 146 七九 町村総代人に関する件達(一-二) 146 八〇 神奈川県町村会規則(一-二) 149 八一 区町村会規則取設に関する件達(一-二) 150 八二 町村会規則に関する伺書 151 八三 大住郡子易村村会規則 152 八四 愛甲郡棚沢村村会議事細則および同副則 154 八五 高座郡町村連合会規則および同議事細則(一-二) 157 八六 町村会議員の分限に関する件通牒および達 161 八七 戸長役場筆生の町村会議員兼務差止に関する件諭達 162 八八 橘樹郡大豆戸村他七か村連合会議事細則 162 八九 町村会に関する高座郡長代理の訓示および同郡橋本村他三か村戸長の上申書(一-二) 164 九〇 橘樹郡下学区連合町村会関係文書(一-五) 165 九一 高座郡下の維新前諸会議の有無等に関する取調の件達 169 九二 高座郡上草柳村下草柳村連合会議事細則認可伺 170 第二節県会関係 九三 県会議員選挙に関する愛甲郡長の伺案 171 九四 県会議員選挙人被選挙人名簿編制心得 172 九五 第一回県会議員選挙区と定数 173 九六 県会議員公選反対建言書 173 九七 県会議員選挙資格に関する件伺 175 九八 議事傍聴心得書 175 九九 県令公選に関する建議草稿 176 第三節 県行政と民情 一〇〇 言論集会等取締に関する件達(一-五) 178 一〇一 教育の普及に関する件諭達 183 一〇二 窮民救育規則 183 一〇三 明治十六年甲部巡察使復命書神奈川県の部および関係書類(一-三) 185 一〇四 騒擾事件と行政取締報告書(一-八) 249 一〇五 騒擾取締に関する高座郡長の内達(一-二) 260 一〇六 負債者対策に関する高座郡長宛南多摩郡長県書記官書簡(一-二) 261 一〇七 負債者徒党取締に関する大住淘綾両郡長の内達 262 一〇八 負債党取捌人賞与に関する高座郡長宛県書記官南多摩郡長書簡(一-二) 263 一〇九 社倉解散下付金維持方法に関する上願書および同許可書(一-二) 264 一一〇 勤倹儲蓄同盟社則 267 一一一 高座郡下鶴間村他三か村節倹約定書 268 一一二 駅逓局への貯蓄奨励に関する県令沖守固の内達 271 一一三 高座郡橋本村他三か村貯蓄規約作成延期についての上申書 271 一一四 特置巡査規則に関する件達および同配置願(一-二) 272 第四節 民費地方税 一一五 明治十年度足柄上郡民費額内訳抜萃 274 一一六 明治十一年自七月至九月第六大区費精算書上 275 一一七 地租改正見込の件上申書 276 一一八 河港道路等地方税支出に関する件達 277 一一九 地方経済郡区分離条例 277 一二〇 地方税戸数割徴収方則議案 278 一二一 備荒儲蓄法廃案議決にともなう伺と指令(一-三) 279 一二二 備荒儲蓄法廃棄に関する大住淘綾両郡の上申書 280 一二三 地方税徴収期限諭示に関する件達 282 一二四 地方税負担集会等学校使用制限に関する県会議員建白書 282 一二五 西多摩郡下地方税備荒儲蓄金等滞納督促の件通達(一-一〇) 285 一二六 諸税納期厳守に関する大住淘綾両郡長の通達 289 一二七 諸税怠納者取締に関する高座郡長の内達 290 第二編 明治中後期 第一章 郡制市制町村制 第一節 県政の方向 一二八 市制町村制施行に関する県知事沖守固の演達および諮問(一-三) 291 一二九 町村制施行準備に関する県知事沖守固の演達要旨 295 第二節 郡制と町村長会関係 一三〇 郡制実施の状況調査に関する依命通達ならびに上申書(一-二) 296 一三一 郡制実施にともなう足柄上下両郡の郡界変更関係文書(一-六) 297 一三二 大住淘綾足柄上両郡の郡界変更に関する件通牒 306 一三三 橘樹郡町村長会同盟規約 307 一三四 三浦郡会会議規則および同傍聴人取締規則 308 第三節 町村制施行の経過 一三五 町村制施行に関する郡区会記録 311 一三六 栃窪村資力等調査をめぐる足柄上郡長の大住淘綾郡長宛申送状 314 一三七 足柄上郡の新村名選定をめぐる往復文書(一-二) 315 一三八 足柄上郡苅野村の合併沿革に関する件上申書 315 一三九 足柄上郡中川村他数か村の資力等調査ならびに新村名選定に関する往復文書 318 一四〇 町村分合をめぐる県知事沖守固の訓令および諮問事項 319 一四一 足柄上郡金子神縄両村制の町村施行に関する上申書(一-二) 320 一四二 足柄上郡山田村他二か村の合併問題に関する意見書(一-三) 322 一四三 愛甲郡棚沢村他四か村の合併問題をめぐる副申書 323 一四四 足柄上郡柳川村他二か村村民の組合村分離をめぐる上願書 335 一四五 都筑郡二俣川村他二か村の合併問題関係書類(一-六) 336 一四六 郡界問題に関する県書記官田沼健の高座郡長宛書簡 340 一四七 都筑郡下村役場開設事務引継に関する照会案 340 第四節 町村合併分離の係争 一四八 橘樹郡保土ケ谷町他数か村の合併問題をめぐる紛議(一-一六) 341 一四九 津久井郡中野村他四か村組合分離問題に関する行政裁判関係書類(一-六) 364 第二章 三多摩分離問題 第一節 三多摩地域移管の基本要綱 一五〇 神奈川県下西北南多摩三郡の東京府管轄替の要領 394 一五一 多摩三郡の管轄替に関する東京府知事富田鉄之助の上申 397 一五二 多摩三郡の管轄替に関する警視総監園田安賢の上申 399 一五三 多摩三郡の管轄替に関する神奈川県知事内海忠勝の内申 400 第二節 賛成派反対派の動静 一五四 多摩三郡有志者の境域変更法律案賛成陳述書 401 一五五 境域変更の賛成調印取消要求 403 一五六 神奈川県有志の境域変更賛成主意書 404 一五七 北多摩郡有志の境域変更賛成請願 405 一五八 東京市市会議員有志の区域変更推進運動に関する往復文書 406 一五九 多摩三郡と東京府の関係についての北多摩郡有志者の口話 410 一六〇 神奈川県県会議員の境域変更反対理由書 411 一六一 多摩三郡町村長の境域変更反対陳情書 412 一六二 飯田快三他の境域変更反対上申書 414 一六三 境域変更反対請願書 414 一六四 境域変更反対理由書 415 一六五 多摩三郡人民の境域変更反対意見 416 一六六 神奈川県東京府の地方税額等比較表と諸見解(一-三) 417 一六七 境域変更反対議員に対する神奈川県県会議員町村長他有志の謝意 419 一六八 多摩三郡境域変更法案可決についての東京市市会議員の謝意 419 第三節 三多摩分離後の行政措置 一六九 三多摩分離後の神奈川県景況私見 421 一七〇 憲兵多摩三郡へ派遣の件通達 422 一七一 多摩三郡境域変更にともなう事務引継往復文書 422 一七二 多摩三郡の警察規則施行に関する往復文書 423 一七三 多摩三郡神奈川県へ管轄復旧に関する建議ならびに請願書(一-二) 424 一七四 東京府神奈川県境域の飛地交換に関する法律(一-三) 427 第三章 地租軽減地価修正 第一節 地租軽減延納問題の系譜 一七五 租税問題に関する県収税長添田知通の具申書(一-九) 431 一七六 地租延納上申書 438 一七七 租税軽減哀願書 439 一七八 未納地租金納入先変更嘆願書 446 一七九 地租未納者呼出状取纒還納に関する許可願 447 一八〇 山林原野雑種地税未納分等年賦払に関する上申書(一-二) 447 第二節 地価修正地租軽減運動 一八一 地租軽減請願書 450 一八二 久良岐橘樹都筑三郡地価修正請願同盟会規則 455 一八三 地価修正請願書 456 一八四 橘樹久良岐都筑三郡地価修正請願費予算決議書 458 一八五 地価修正請願運動関係書簡(一-一三) 459 一八六 地価修正請願書 464 一八七 地租増徴案反対請願書 465 一八八 田畑地価修正請願書 467 第四章 日清日露戦争と地方政情 第一節 日清戦争協力組織 一八九 日清戦争下の橘樹郡の動向(一-一三) 468 一九〇 戦時軍人家族扶助規程 471 一九一 足柄下郡下軍人困窮家族救済に関する件通達(一-二) 472 一九二 愛甲郡下軍人家族救護に関する件通達 474 一九三 愛甲郡下軍人遺族特別賜金に関する件通達 474 一九四 愛甲郡下軍人家族救護に関する郡長演達要領 475 一九五 愛甲郡下義勇艦隊建設義金徴収に関する協議案付 寄付金申込額人員調 476 一九六 橘樹郡招魂碑建設に関する発起人総代郡長書簡 477 一九七 愛甲郡町村長会における兵事関係協議案付 愛甲郡南毛利村兵事奨励会規則 478 第二節 日露戦争と行政指導 一九八 愛甲郡町村長会における郡長演達要項 480 一九九 中郡町村長会における郡長演達要項 484 二〇〇 中郡報国会事業施行方法細則 487 二〇一 神奈川県戦時軍人家族救護会規則 488 二〇二 中郡下政費節減軍人家族扶助に関する件通達 489 二〇三 戦時勤倹貯蓄組合標準 490 二〇四 国債軍資献納金に関する件通牒(一-八) 490 二〇五 召集軍人中下士兵卒家族救護等に関する件通達(一-四) 494 二〇六 愛甲郡奨兵義会規則(一-二) 497 二〇七 郡市別軍人家族救護の状況調査 500 二〇八 無資力者の韓国渡航抑制の件通達 501 二〇九 イギリス公使夫人の義捐金皇后より下賜の趣旨徹底の件通牒 …02 二一〇 時局に関する新聞報道記事謬説注意の件通達 503 第三節 日露戦争後地方経営方針 二一一 郡長会における県知事周布公平の演達要項(一-二) 505 二一二 平和条約調印の件通牒 505 二一三 工業所有権保護協会設立の件通牒 506 二一四 内債募集にさいし留意すべき措置の件通達 507 二一五 愛甲郡町村長会における郡長演達要項(一-二) 507 第三編 大正昭和初期 第一章 地方改良計画 第一節 神奈川県地方改良会 二一六 神奈川県地方改良会規則 521 二一七 神奈川県地方改良会中郡支部関係書類(一-一四) 521 二一八 橘樹郡大綱村地方改良会等設置関係書類 530 第二節 地方改良関係運動の実情 二一九 中郡大磯町における地方改良運動の動向(一-一四) 533 二二〇 足柄上郡共和村南足柄村視察事項大要 547 二二一 中郡大山町戊申詔書奉読式挙行等関係書類(一-三) 558 二二二 戊申大詔紀念高座郡相原村勤倹貯蓄組合等規約(一-六) 560 二二三 橘樹郡大綱村青年会第三支部規約草案帝国在郷軍人分会関係書類(一-三) 568 二二四 足柄上郡南足柄村関本区第三組組合規約書助誠講主意書(一-二) 574 二二五 高座郡下青年団体善導の件通達 577 二二六 足柄下郡現役兵入隊景況調査表 578 二二七 足柄下郡町村長会における郡長演達(一-三) 579 二二八 神奈川県町村長会貯蓄奨励に関する指示事項 584 第二章 米騒動民力涵養計画 第一節 米騒動と米廉売施米対策 二二九 「米騒動と横浜」等県知事有吉忠一の県政回想 586 二三〇 中郡大磯町の米廉売施米実施状況(一-二五) 593 第二節 節米勤倹貯蓄奨励 二三一 節米奨励に関する神奈川県告諭および通牒 604 二三二 勤倹貯蓄奨励等に関する橘樹郡訓令 606 二三三 橘樹郡大綱村菊名勤倹質実申合規約書 608 二三四 節米に関する件通牒 609 第三節 民力涵養運動 二三五 神奈川県民力涵養大会における県知事井上孝哉の講演 609 二三六 民力涵養大会協議会 627 二三七 民力涵養実行要目 631 二三八 橘樹郡大綱村民力涵養実行要目 643 二三九 神奈川県地方改良民力涵養講習会 644 二四〇 神奈川県下郡市町村等主催民力涵養講演会成績 645 第四節 第一次大戦と地方行政 二四一 郡市長会における県知事井上孝哉の訓示 646 二四二 足柄下郡町村長会における郡長演達(一-二) 651 二四三 橘樹郡町村長会における郡長演達指示事項(一-二) 655 二四四 神奈川県町村長会における協議事項 666 二四五 神奈川県町村長会における町村財政救済決議協議事項 667 二四六 橘樹郡大師河原村事務報告 668 二四七 橘樹郡大綱村事務報告 673 二四八 橘樹郡町村長会における町村行政事務関係指示事項 680 二四九 神奈川県町村長会における地租委譲農村振興宣言および協議事項 671 第三章 関東大震災 第一節 被害状況の報告 二五〇 神奈川県下の被害状況一覧表 683 二五一 神奈川県下震災状況に関する県知事安河内麻吉の報告(一-四) 684 二五二 三浦郡下被害概況 694 二五三 鎌倉郡下震災調査報告 697 二五四 震災後の社会経済状態に関する県知事安河内麻吉の報告(一-二) 704 二五五 津久井郡下被害状況事後処理等報告(一-三) 708 二五六 橘樹郡大綱村被害報告(一-二) 711 第二節戒厳令関係 二五七 関東戒厳司令官告諭 712 二五八 戒厳令施行にさいし橘樹郡大綱村の告示 713 二五九 三崎戒厳地区管下状況概要申告覚書 713 二六〇 「朝鮮人暴動」説虚報の件通達(一-二) 716 二六一 軍隊出動要請防衛朝鮮人保護に関する注意の件通知 717 二六二 戒厳令施行に関する件告示 717 二六三 戒厳令施行にともなう命令事項 718 二六四 戒厳地司令官告諭等掲示徹底の件通達 718 二六五 軍隊派遣方の件申請 719 二六六 戒厳地司令部の災害処理関係情報 719 二六七 戒厳地司令部の伝染病防遏命令 720 二六八 戒厳地区司令官の米配給に関する件告達 720 二六九 横須賀鎮守府災害処理関係情報 720 二七〇 横須賀鎮守府震災対策日報 722 二七一 三崎戒厳地区司令部の「レイニン」号入港の件通告 726 二七二 管下町村長警察官にたいする三崎戒厳地区指揮官の告諭 726 二七三 鎌倉郡下警備隊配置状況等に関する件報告 726 二七四 小田原方面警備隊司令部会報 729 二七五 小田原方面警備隊司令部会報指示事項 730 二七六 小田原方面警備隊司令部の災害復旧経過の件照会と回答 732 二七七 臨時藤沢憲兵隊事務開始の件通牒 735 二七八 横須賀戒厳司令部の震災関係情報 735 二七九 鎌倉横須賀憲兵分隊管内に分駐所開設の件通牒 739 第三節 災害対策 二八〇 臨時震災救護事務局神奈川県支部設置の件通知 739 二八一 臨時震災救護事務局の組織と施設 739 二八二 情報活動 744 二八三 朝鮮人の動静に関する県知事安河内麻吉の報告 745 二八四 「不逞鮮人」に対する自衛勧告の件通達 748 二八五 鎌倉郡戸塚町の自衛団組織 748 二八六 鎌倉郡下緊急町村長会協議事項(一-二) 749 二八七 三浦郡町村長会における災害地復興等に関する協議希望事項 749 二八八 津久井郡災害善後処置実施方針報告書 750 二八九 鎌倉郡下町村の震災対策状況報告 751 二九〇 鎌倉郡救護事業状況報告 756 二九一 鎌倉郡鎌倉町の災害復興のための政府援助申請書副申 763 二九二 三浦郡三崎町の施設概況報告 764 二九三 三浦郡下食糧節約に関する件通達 767 二九四 三浦郡下町村の食糧需給統轄の件訓令 768 二九五 食糧徴発命令書交付方申請書 768 二九六 鎌倉郡における非常徴発令の件告示 768 二九七 鎌倉郡下震災激甚町村に対する米供給の件申請 769 二九八 津久井郡下衛生施設に関する件通牒 769 二九九 橘樹郡大綱村の罹災者救助の経過(一-九) 770 三〇〇 鎌倉郡下義務教育等に関する件通牒 776 三〇一 津久井郡日連村他一か村組合役場の罹災民救護等事業従事者に関する調査報告 777 三〇二 労働力需給調節に関する県内務部長の通牒 778 三〇三 地方労働者上京見合せ方説得に関する県内務部長の通牒 779 三〇四 津久井郡下町村別災害復旧従事者調 779 三〇五 災害地建築のための労働者利用方法に関する橘樹郡長の通牒 780 三〇六 遷都論流言取締に関する県内務部長警察部長達の通牒 780 三〇七 罹災者被服給与調査に関する県内務部長の通牒 781 三〇八 罹災者救助に関する県内務部長の通牒 781 三〇九 津久井郡下震災避難者保護に関する注意の件通牒 781 三一〇 新潟医科大学診療班鎌倉郡下で無料治療の件通牒 782 三一一 罹災者救助および就業奨励に関する県内務部長の通牒(一-二) 782 三一二 罹災者ブラジル移住計画の件通牒 784 三一三 罹災者救助に関する鎌倉郡長の報告 784 三一四 海軍工厰解雇労働者対策に関する県内務部長の通牒 785 三一五 三浦郡漁業組合長会議の漁村救済に関する協議決定事項通知 786 三一六 橘樹郡下災害農村救済に関する協議会開催の件通牒 787 三一七 米国軍服給与のための調査依頼の件通牒 788 三一八 災害の経済財政人心への影響に関する津久井郡長の報告 789 三一九 小作問題農民運動等の動静に関する件照会と回答(一-二) 790 第四節 復興更生運動 三二〇 神奈川県復興促進会規約 791 三二一 復興会の組織と活動状況に関する県知事安河内麻吉の報告(一-三) 792 三二二 津久井郡下災害自力復旧要請の件通牒 806 三二三 津久井郡下震災後の産業組合活動に関する件通牒 807 三二四 津久井郡下災害復旧調査回答 807 三二五 震災による公民権喪失者救済に関する往復文書(一-二) 808 三二六 津久井郡下県税等徴収期限に関する件通知伺(一-二) 809 三二七 町村財源補充方法に関する鎌倉郡長の意見上申書 810 三二八 橘樹郡町村長会における郡長演述要旨 811 三二九 全国町村長会宣言 812 三三〇 神奈川県町村長会決議(一-二) 813 三三一 橘樹郡町村長会決議 814 三三二 神奈川県町村長会決議にたいする政友会森恪の返書 815 三三三 神奈川県町村長会の決議請願運動に関する会長の状況報告 816 三三四 罹災地町村への国庫融資促進方心得に関する神奈川県町村長会長の通知 817 三三五 震災応急資金国庫補助に関する中郡町村長会の陳情 818 三三六 足柄下郡小田原町の震災借入金国庫補給期成同盟会脱会通知 818 三三七 橘樹郡大綱村の復興関係書類(一-七) 819 三三八 神奈川県震災誌編纂に関する調査の件依頼 823 三三九 神奈川県震災誌編纂資料三浦郡関係分の報告 824 第四章 郡制廃止税制改正と地方行政 第一節 郡役所廃止前後の行財政問題 三四〇 橘樹郡町村長会における郡長演達 846 三四一 橘樹郡大綱村の行政指導(一-九) 848 三四二 神奈川県町村長会大正十四年度会務報告 854 三四三 郡役所廃止に関する中郡町村長会の諮問答申書 865 三四四 郡役所廃止にさいしての神奈川県町村長会の宣言決議 865 三四五 町村吏員互助法制定の件通知 866 三四六 足柄下郡町村長会協議事項 867 三四七 足柄下郡湯河原町における町行事等参考事項 868 三四八 町村吏員の県公報批判神札頒布所見 870 三四九 町村吏員の勤務に関する件注意事項 874 三五〇 町村負担経費による事業報告の件通知 875 三五一 昭和三年度末現在郡市別県税滞納額調 876 第二節 昭和大恐慌下の行財政問題 三五二 昭和四年県市町村長会議における県知事山県治郎の訓示指示事項 878 三五三 神奈川県教化総動員計画要綱 883 三五四 神奈川県公私経済緊縮運動計画要項 886 三五五 町村予算編成に関する神奈川県町村長会幹事会の決議 888 三五六 町村予算更生に関する神奈川県町村長会会長の通達 889 三五七 時事問題に関する全国町村長会の小冊子発行の件照会 889 三五八 神奈川県町村長会昭和五年度会務報告 890 三五九 川崎市市会における市会議員市参事会員の費用半減に関する議事録と決議(一-二) 902 三六〇 町村予算編成に関する中郡町村長会の申合事項(一-三) 906 三六一 昭和六年県市町村長会議における県知事山県治郎の訓示指示事項注意事項(一-三) 908 三六二 神奈川県町村長会昭和六年度会務報告 918 三六三 義務教育国庫負担金増額租税滞納処分者の公民権停止等に関する神奈川県町村長会の宣言 931 三六四 農家経済救済方法に関する中郡町村長会の請願事項 933 三六五 中郡町村長会の町村財政救済陳情書 933 解説 総論 政治行政編の資料編集方法 1 一 明治前期 1 二 明治中後期 21 三 大正昭和初期 36 収録資料所蔵者一覧 54 あとがき 口絵 戸長副戸長事務取扱大略(神奈川県布達) 旧足柄県令柏木忠俊にたいする小田原住民の惜別の辞(柏木俊孝氏蔵) 明治十五年当時県庁舎 多摩三郡の東京府移管賛成にたいする調印取消要求 境域変更賛成趣意書(飯田助丸氏蔵) 神奈川県地方改良会中郡支部関係書類(大磯町役場蔵) 大正十年・昭和四十八年 東海道本線時刻表(飯田助丸氏蔵) 関東大震災 横浜桟橋付近の惨状〈大正十二年九月一日〉(前野栄造氏蔵) 大正八年 県会議員選挙の政党候補推薦状(飯田助丸氏蔵) 付録 神奈川県管下之図(神奈川県立文化資料館蔵) 神奈川県管内図(神奈川県立文化資料館蔵) 神奈川県地図(国立国会図書館蔵) 装てい 原弘 (裏表紙・遊び紙のマークは県章) 第一編 明治前期 第一章 県行政区画 一 神奈川足柄両県の成立と再編成(一-四) (一) 元年三月十九日 横浜裁判所ヲ置キ尋テ之ヲ神奈川府ト為ス 東久世前少将ヘ達 法令全書 東久世前少将 兵庫裁判所総督被免横浜裁判所総督被仰付候事 ○横浜裁判所ヲ置クノ令他ニ見ル所ナシ姑ク之ヲ存ス 同人ヘ達 同上 東久世中将 是迄之職務被免神奈川府知事被仰付候事 ○神奈川府ヲ置クノ令他ニ見ル所ナシ姑ク之ヲ存ス 元年九月廿一日 神奈川府ヲ廃シ県ト為ス 神奈川府ヘ達 行政官 今般其府ヲ県ト被改候旨被仰出候事 誌 神奈川県ヘ達 以来府号被廃可改県旨被仰出候事 元年十月二日鎮日 ○九月廿一日寺島宗則ヲ以テ神奈県知事ト為ス辞令書ハ官規任免ニ在リ ○復古記云本条達書進退録并寺島宗則履歴書ニ十九日トス然レトモ府ヲ県ニ改ムルノ令本日九月廿一日ニ在リ同日発セシコト疑ナシ二書恐クハ誤レリ 元年六月廿九日 韮山県ヲ置ク 史要 (「太政類典」第一編第六二巻) (注)「明治史要」。東久世の着任前後の動向については「慶応四戊辰目録」(「神奈川県史資料編近代・現代(5)渉外」所収)参照。 (二) 九月 府県廃置ノ議ヲ定ム 大蔵省伺 従前ノ諸県被廃今般更ニ七十三県被置候ニ付テハ別紙ノ通御布告相成可然存候依之御布告按相添此段相伺申候也 九月二日大蔵 (別紙) 御布告案 在来ノ諸県総テ被廃候事 九月 元諸県ヘ達按 在来ノ諸県被廃候ニ付テハ今般別紙ノ通更ニ県ヲ被置候間得其意管轄イタシ来候地処当未年ヨリ物成郷村等其県々ヘ引渡可申事 九月大蔵 (中略) 伊豆国一円島々共 相模国 足柄下郡 高座郡 愛甲郡 津久井郡 足柄上郡 大住郡 淘綾郡 小田原県 相模国 武蔵国 三浦郡 橘樹郡 久良岐郡 鎌倉郡 都筑郡 神奈川県 (後略) 十一月十四日 四年 布告 今般関八州群馬県ヲ除クノ外并ニ伊豆国従来ノ府県被廃更ニ左ノ通府県被置候事 誌 足柄県 県庁 小田原 相模国 足柄上郡 足柄下郡 高座郡 大住郡 愛甲郡 淘綾郡 津久井郡 伊豆国一円 神奈川県 相模国 武蔵国 三浦郡 橘樹郡 鎌倉郡 久良岐郡 都筑郡 (後略) (「太政類典」第二編第九五巻) (三) 十一月四年 東京府ヘ達 武蔵国多摩郡ノ内右其府管轄被仰付置候処御詮議ノ次第有之神奈川県管轄被仰付候条当未年ヨリ地所物成郷村等同県ヘ可引渡事 入間県ヘ達 武蔵国多摩郡ノ内右其県管轄被仰付置候処御詮議ノ次第有之神奈川県管轄被仰付候条当未年ヨリ地所物成郷村等可引渡事 十一月足柄県ヘ御達 欠 大蔵省伺 別紙神奈川県ヨリ外国人十里部内遊歩等ノ儀ニ付相伺候趣勘考致シ候処事情不得止儀モ可有之候間武蔵国多摩郡相模国高座郡ノ分神奈川県ヘ改メ管轄被仰付候様仕度依之別紙御布告按並神奈川県申立書相添此段奉伺候也 十一月二十日 伺ノ通夫々相達候事 (別紙) 御布告案 神奈川県 武蔵国 多摩郡 相模国 高座郡 右ノ通今般更ニ其県管轄被 仰付候ニ付東京府入間県足柄県ヨリ地所物成郷村等当未年ヨリ受取可申右請取候上高反別一村限リ高調大蔵省ヘ可差出事 神奈川県伺 大蔵省宛 今般関八州群馬県ヲ除之外并伊豆国従来ノ府県被廃更ニ当県ヲ被置候ニ付従前管轄ノ県々ヨリ物成郷村等当未年ヨリ請取可申武蔵国橘樹久良岐都筑三郡相模国三浦鎌倉両郡ハ当県管轄其余在来管轄ノ内武蔵国多摩郡相模国高座愛甲大住津久井四郡ハ足柄県其外ヘ可引渡旨御沙汰ノ趣承知仕候然ル処当県管轄十里部内ノ儀ハ外国人遊歩ノ地ニテ夫々御取締向モ有之候ニ付見込ノ趣左ニ申上候 神奈川県 一 高拾四万石余 武蔵国 橘樹郡都筑郡久良岐郡 外高壱万千石余社寺上地ノ分 相模国三浦郡鎌倉郡是ハ今般更ニ管轄被仰付候分 一 高四万二千石余 武蔵蔵 多摩郡 一 高四万六千石余 相模国 高座郡 是ハ在来当県管轄ノ処今般足柄県等ノ管轄被仰渡候処十里部内別而外国人遊歩繁キ場所ニ付従前ノ通当県管下御据置ノ儀相伺候分 一 高五万三千石余 相模国 大住郡 一 高七千石余 愛甲郡 一 高壱万千石余 津久井郡 是ハ在来当県管轄ノ処今般被仰渡ノ趣ヲ以足柄県ヘ郷村物成引渡可申分 右当県ノ儀ハ外県々ト違ヒ十里部内外国人遊歩ノ地ニテ開港場県庁ニ於テ管轄不仕候テハ彼我取締不都合ノ儀モ有之既ニ御一新後管轄相成其以来外国人諸用往復ハ不及申遊歩等ノ節々取締向等小前百姓末々迄心得違無之様追々厚申諭瑣末ノ事件ニテモ直ニ処置イタシ官員於テモ交際上ノ儀厚心得罷在粗取締モ相立候儀ニ有之旧幕ノ節ハ鎌倉鶴岡武州井土ケ谷村其外数度ノ殺傷等有之候処御新政以来先ツハ事変モ無之右ハ御交際上ニオヒテ一廉ノ御都合ニ有之且此上追々開化進歩外国人皇国一円俳徊御差許ノ際ニ至候節ハ御処置ノ品モ可有之方今ニテハ最前ノ条約面ヲ押ヘ十里部内ノ外ハ遊歩御差許無之儀ニテ尤他ノ管轄ニ相成候トモ御取締筋ハ夫々御達可相成儀ニハ可有之候ヘトモ何等急事変有之候節ニ至村民共其管轄庁ヘ訴出候上其事柄ニ寄正院又ハ外務省ヘ申立或ハ当県ヘ掛合有之候様ノ手続ニテハ彼是差跨時日相延可申都テ外国人接対向ノ儀ハ迅速ヲ旨トイタシ不申候テハ主客地ヲ替候様ノ儀間々有之候処他ノ管轄ニテハ平素外国人取扱向モ自今不事馴ヨリ前後反対イタシ終ニハ皇国ノ御政体ニモ関リ不容易儀出来申間敷モ難計且又其ガタメ村民モ及困却候儀無之共難申ト被存併従来ノ府県被廃更ニ府県ヲ被置候モ夫々御主意有之候儀ト奉存候又他県迫邦ノ村落迄ヲ敢テ当県ニテ管轄致シ候様仕度ト申上候儀ニハ無之夫是実地ニ寄再応思惟仕候処在来管轄武州多摩郡八王子宿并同郡原町田村近傍ハ日毎不絶外国人所用并遊歩等イタシ相州高座郡ノ儀モ右八王子等ヘノ往返其他相模川縁イヅレモ遊歩繁キ場所ニ付一躰ノ位地取調候処六郷川已西相模川已東北ハ甲州道中小仏峠ヲ限リ別紙麁絵図面ノ場所ハ従前ノ通当県管轄ニ被仰渡只々境界判然イタシ外国人遊歩其外等ノ御取締モ相立可申其余同郡大住愛甲津久井三郡ハ遊歩モ邂逅ノ場所ニ付足柄県管轄ニ被仰渡可然哉ニ奉存候依之麁絵図相添見込ノ趣相伺申候以上 十一月十六日絵図闕 (「太政類典」第二編第九五巻) (注)別紙略。 (四) 八月十九日 五年 (中略) 神奈川県ヘ達 其県管下武蔵国多摩郡ノ内中野村外三十一箇村別紙絵図面ノ通今般東京府ヘ管轄替被仰付候条地所引渡可申事 別紙略之 大蔵省伺 神奈川県管下武蔵国多摩郡中野村外三十一ケ村ノ儀ハ東京府管内荏原豊島両郡ノ間ニ孕リ候地形ニ付同府取締向ハ勿論下民ノ苦情モ不少趣ヲ以テ管轄替ノ儀伺出候ニ付神奈川県見込ヲモ相糺候処同県ニオイテハ二十六ケ村限リ其余上高井戸外五ケ村東京府ヘ組込候テハ不便ノ趣双方ノ見込相違ニ付猶篤ト取調熟考致候処右六ケ村ノ儀モ神奈川県トハ路程モ相隔リ上下往復ノ不便有之東京府ヘ相付候方上下ノ便利ト被存候ニ付同府ヘ管轄替被仰付候方可然存候依之府県ヘノ御達按并書類絵図面共相添此段相伺申候也 八月十七日大蔵 伺之通相達候事 八月十九日 (中略) 租税寮ヨリ掛合 神奈川県宛 其県管轄武州多摩郡中野村外三拾壱ケ村ノ儀ハ荏原豊島両郡ノ間ニ孕リ東京府所轄ニ相成候ハヽ取締向ハ勿論諸事弁利宜敷候間管轄替被仰付候様同府ヨリ申出候ヘ共其県於テ実地ノ便不便等見込ノ趣至急可被申出事 七月大蔵 神奈川県回答 租税寮宛 当県管下武州多摩郡中野村外三拾壱ケ村ノ儀荏原豊島両郡ノ間ニ孕リ東京府所轄相成候ハヽ取締向ハ勿論諸事弁利宜候間管轄替被仰付候様同府ヨリ申立候ニ付当県ニ於テ実地ノ便不便等見込ノ趣至急可申立旨御達ニ付取調候処 武州多摩郡 雑色村 永福寺村 上萩窪村 高円寺村 上高田村 上鷺宮村 中野村 和田村 成宗村 新井村 馬橋村 江古田村 下井草村 本郷村 堀ノ内村 田端村 下沼袋村 阿佐ケ谷村 片山村 上井草村 同新田 和泉村 下萩窪村 上沼袋村 天沼村 下鷺宮村 〆弐拾六カ村 前書弐拾六箇村ハ管轄替被仰付候方便利ノ村々ニ付同府申立ノ通御沙汰相成可然奉存候依之麁絵図相添此段申上候以上 七月廿一日図闕 (「太政類典」第二編第九五巻) 二 事務章程制定に関する神奈川県権令大江卓の諭告 告神奈川県各官書 卓嘗テ府県□状ヲ察スルニ其制甚タ広ク其事極メテ多シ蓋シ事務ニ大小難易ノ別アリト雖トモ其実諸省ノ事務ヲ兼摂スルモノニ似タリ而シテ本県ノ如キハ内外人民輻湊ノ衢ニ当リ事務ノ繁多ナルコト諸ノ能ク髣髴スル所ニアラス故ニ其事或ハ県治条例ニ因リ難キモノアリ此ニ於テ事務ヲ分課スルノ方法別ニ之ヲ設立セサルヲ得スト雖トモ県治条例□□テ別ニ一県ノ法制ヲ設立スヘカラサルハ地方官ノ権限ニシテ固ヨリ論ヲ待タス但県治条例之書タルヤ其大綱ヲ挙ルモノニシテ実際事務ノ節目ヲ分チ其施為ノ順序ヲ定ムル等ニ至テハ未タ尽セリト云フ可カラス是ヲ以テ今新ニ此事務章程ヲ作リ首ニ県治条例中ノ章程ヲ記シ其下別ニ各課ノ章程ヲ列シ加ルニ職制ト条規トヲ以テス是則県治条例ノ文ヲ拡充スルモノニシテ別ニ一県ノ法制ヲ設立スルニアラス蓋シ職制以テ官員ノ権限ヲ定メ章程以テ分課ノ事務ヲ明ニシ条規以テ施為ノ法制ヲ定ムルナリ庶クハ在庁ノ諸官員能ク此旨ヲ体シ自今以往此章程ヲ遵守シ一層其職ニ尽力セラレンコトヲ抑事務ニ章程ヲ要スルヤ一課毎ニ井然トシテ不乱互ニ相侵踰スルコトナク事務ヲシテ弁済セシムルニアリ然レトモ彼此相関係シ心力ヲ合セテ其功ヲ成スハ之ヲ人身ニ譬フルニ四肢九竅百体ノ各異ナルアリテ脉絡貫通シ相須テ用ヲ為スカ如シ故ニ庁中各課ヲ分ツト雖トモ其事務ノ他課ニ関渉スルモノニ至テハ相共ニ論議ヲ尽シ他課タルヲ以テ置テ不問ニ付スルコトナク当否ヲ決定シ嫌疑ヲ去テ之ヲ担任シ卓ヲシテ罪ヲ上下ニ獲セシムルナカランコトヲ是卓ノ切ニ諸員ニ望ム所ナリ且事務施為ノ際ニ当テ諸員ノ尤モ注意セサルヘカラサルノ一事ナリ夫レ県庁百般ノ事務アリト雖トモ其要管下ノ人民ヲ保護シ専制束縛シテ其自由ノ権ヲ妨害スルコトナク以テ国家ノ公益ヲ計ルニアリ一事ヲ興シ一令ヲ下スモ常ニ此意ニ基カサレハ或ハ一時ノ挙ヲ快シテ百世ノ患ヲ遺シ或ハ姑息□仁ニ流レテ偏頗ニ事ヲ処シ或ハ斗筲ノ利ヲ規リテ衆人ノ怨ヲ醸シ或ハ政府ノ権ヲ挾ンテ庶民ノ権ヲ奪フ其甚シキニ至テハ官挙ニ属スルモノヲ以テ民務ト為シ私事ニ属スルモノヲ以テ公務ト為シ遂ニ上下ノ権義ヲ誤リ民心ノ方向ヲ失セシム夫是ノ如クンハ朝延ノ委托ニ辜負シ下ハ百姓ヲシテ文明ノ沢ヲ蒙ムラサラシムルニ至ル豈畏レサル可ケンヤ諸員宜シク常ニ之ヲ熟慮シ戦々兢々所務ノ本末ヲ明ニシ施設ノ順序ヲ考ヘ人民ヲシテ益開明ノ域ニ進歩セシメ県内ヲシテ静謐ニ帰セシメンコトヲ実ニ県官ノ日夜反省力行セサルヘカラサルモノナリ抑又政治ノ得失時勢ノ沿革等凡テ事跡ノ後来ニ伝ヘテ亀鑑トナスヘキモノハ其書類ヲ編纂シテ散佚錯乱セシメサルニアルハ素ヨリ論ヲ竢タサル所ナレトモ太政維新以来法制ノ変更スルニ随ヒ藩県廃置各局離合ノ際記録ヲ分合スル等ノ事数次ニ及ヒ且事務多般ニシテ末タ書類ヲ整理シ記録ヲ編輯スルノ暇アルコトナシ是所謂一大闕典ニシテ卓ノ尤モ憂ル所ナリ今ヤ事務章程ニ従ヒ記録ノ編輯ノ規則ヲ定メ一ハ既往ニ溯リ一ハ現今ヨリ将来ニ接シ以テ本県ノ伝記ヲ編輯セントス此挙ヤ一難事ノ如シトイヘトモ其効ヲ成スニ至ツテハ事務施為ノ際旧例ヲ捜索シ前規ニ比較シ沿革ヲ察シ証左ヲ徴スル等一目瞭然トシテ従前捜閲ノ為ニ時間ヲ費シ多少ノ凝滞ヲナスカ如キノ弊ナク其便捷ナルコト推テ知ル可シ故ニ又諸員ノ奮励シテ此ニ従事センコトヲ要ス若シ煩雑ヲ厭ヒ汗漫ニ付スルカ如キコトアラハ卓決シテ之ヲ仮借スル能ワス諸官員其之ヲ忽ニスルコト勿レ但此職制ナリ章程ナリ条例ナリ末之レヲ詳悉具備スルモノト云フ可カラス故ニ時ニ当リ規ヲ改メ事ニ触レ製ヲ革ムル等ハ便宜ニ従ヒ之ヲ議定ス可シ諸官員其之レヲ察知セヨ 明治六年八月 神奈川県権令 大江卓 (神奈川県布達) 三 管内区戸長にたいする神奈川県令中嶋信行の諭告 第二百十三号 喩告管内各区区長戸長書 夫レ政府ハ人民ノ政府ニシテ人民ノ為メニ便利ヲ図リ之ヲ保全スル素ヨリ論ヲ待タサルナリ人民既ニ政府ノ保護ヲ恃メハ政府ニ対シ相当ノ義務ヲ尽スモ亦報応ノ道当ニ然ルヘキ所ニシテ其相待テ以テ国家ヲ維持スル腹心手足ノ相依テ一躰タルカ如シ是ヲ以テ政府人民其間決シテ離隔スヘカラス苟モ離隔スレハ上ノ下ヲ待チ下ノ上ニ対スル事皆乖戻シ政府ハ煩労ニ堪ヘスシテ人民ハ紛擾ニ苦ミ事務凝滞シテ国家ノ衰弊殆ト将ニ是ヨリ起ラントス故ニ政府ノ法令ヲ出シ条規ヲ設ルヤ必ス人民ノ便不便ヲ熟察シテ而後之ヲ施行セズンバアラス人民ニ於テモ政府ノ意ヲ体シ法令条規ヲ服膺シテ敢テ違犯セス各其務ムヘキヲ務メ竭スコト乃チ人民ノ義務タリ今ヤ人民ノ義務ニ於ル往々相悖ル者ナシトセス夫レ地券ヲ受ル者ハ必ス地租ヲ納ルコト曩ニ条例ノ頒布アリ且券面之ヲ明載スル者猶其意ヲ得スシテ緩慢ニ付スルカ如キ是其一時ニシテ其弊タル毎事悉ク然ラサルナシ若シ法令条規ノ果シテ大ニ不便ナルカ其故ヲ詳陳シ更ニ方案ヲ具シテ改新ヲ請フヘシ然ルニ其事ノ得失利病ヲ論セス一事輙チ数回ノ督責ヲ煩サヽルナキヲ以テ布令頻煩ナラサルヲ得ス事務叢脞ナラサルヲ得ス町村吏ノ員増置セサルヲ得ス而シテ其諸費ハ即チ之ヲ人民ニ賦課スレハ現今民費ノ日ニ多キヲ加ルハ殆ト人民ノ自カラ其義務ヲ惰リテ己カ膏血ヲ損耗スルナリ夫レ然リ政府法令条規ヲ発シテ人民ノ便利ヲ図ルモ人民ニ在テハ未タ其実恵ニ沿ハス苟モ然ラスンハ地方ノ事務必然省約シ従前三日ノ一日ニ弁スヘク三人ノ務一人ニシテ足リ民費ノ賦課モ盖亦三分ノ二ヲ減スヘシ是豈人民ノ一大至便ナラスヤ抑人民ノ便ハ即チ政府ノ利ニシテ政府ノ利不利ハ国家安危ノ関スル所ナレハ凡ソ保護ノ下ニ在ル者固ヨリ恬然傍観シテ之ヲ度外ニ置ク能ハサル者アリ是則政府人民ト相待テ相睽離スルヲ得サル所以ナリ然リ而シテ政府人民ノ間一致親睦其便益ヲ謀ルノ方法ニ至ツテハ只広ク会議ヲ起シ輿論公議ヲ取ルノ外決シテ他ニ在ルヘカラス依之従今以来追順条規ヲ設ケ管内各区ニ議会ヲ開キ毎町村ノ代議人ヲ公選シ民政民事ノ要件ヲ議定セシメ余モ亦時ニ臨テ其情意ヲ通暢シ相共ニ裨益ヲ謀ラント欲ス実ニ如此ナレハ則政府ノ本分ト人民ノ義務ト両ナカラ徹底シテ余蘊ナク県治民情相背馳セスシテ国家開明ノ盛治ヲ賛助スヘキニ庶幾カラン乎ト云爾 明治七年七月廿二日 神奈川県令 中島信行 (神奈川県布達) 四 地方長官会議に臨む足柄県権令柏木忠俊等の諭告 本年九月十日ヲ期シ各府県ノ長官ヲ輦下ニ召集シ大政維新ノ初神明ニ対シ新誓アラセラレシ旨意ニ基カセラレ漸次ニ之レヲ拡充シ人民ノ代議人ヲ召集シ公議輿論ヲ采リ上下協和民情暢達ノ路ヲ開キ全国人民ヲシテ各其ノ業ニ安シ国家ニ報スヘキ義務ヲ知ラシメラレタキ聖意ニテ先ツ地方ノ長官ヲ人民ノ代議トシテ協同公議スヘキ旨下命アレハ智識浅陋某等ノ如キモ亦タ此会場ニ昇リ肝胆ヲ披キ所見ヲ陳述セサルヲ得ス然レトモ本県ノ如キ区々小県ト雖モ所轄相豆二州ニ跨リ山ヲ負ヒ海ニ瀕シ綿亘数十里ニ下ラス各地ノ景状人情ノ厚薄ニ因リ実際ノ施設ニ於テ便不便利病得失ノ差違ナキコトヲ保ツ能ハス故ニ能ク此ノ情実ヲ熟得明弁スルニ非サレハ何ヲ以テ一般人民ノ代議トナリ 朝旨ノ嚮フ所ロヲ奉シ下情ヲ暢達シ隆渥ノ 聖意ニ対揚スルコトヲ得ンヤ本県ニテモ所在ニ会議所ヲ開設シ条規ニ仮定セシ如ク正副区戸長并ニ重立タル者ハ各区村駅ノ代議人タル責ヲ担任ス固ヨリ言ヲ待ス故ニ敢テ請フ各区村駅ト休戚ヲ倶ニシ国家ニ報スヘキ義務ヲ尽シ今一層奮発励精シ速カニ議会ヲ興シ是非得失ヲ詳論熟議シ大区会議ニ於テ毫モ忌憚ナク之ヲ申告シテ某等ノ不逮ヲ裨補センコトヲ切ニ期望スル所ナリ時宜ニョリ垂問ノ為メ管下人民ヨリ両三名随行ヲ命スルコトモアル可シ預メ其意ヲ領得ス可シ但シ県下大区議会ノ開期ハ追テ報告スヘシ 明治七年八月 足柄県権令 柏木忠俊 足柄県権参事 城多董 (「甲第十二号明治九年編輯之歳出入区会之部」湯河原町役場蔵) 五 足柄県官員録ならびに同禄高(一-二) (一) 職員録 権令 柏木忠俊 参事 楫取素彦 権典事 大属 十等出仕 権大属 本県詰 十一等出仕 少属 石原重庸 平松保雄 宮本重興 古野真興 吉田政定 鈴木庄吉 大庭永章 関重麿 福住英雄 飯塚冬胤 十二等出仕 権少属 十四等出仕 小川清 西脇時治 北村快蔵 佐々木安綱 中村綱亮 寺内定功 林盛安 大趣直温 本庄直養 檜山金平 伊藤正誼 関岡尚志 水野正連 青柳政浮 橘川武紹 仁科信敬 十五等出仕 等外一等出仕 同二等出仕 同三等出仕 使部 仕丁 安原光政 川添久重 小牧克房 長知一 山村正心 渡辺勝 小松通時 古田元詮 市川英俊 八坂権六 平田昭利 野村武勇 小立正孝 赤光将英 准仕丁 市山直員 六等訳官 岡野正章 分課 庶務課 吉野直興 関重磨 小川清 北村快蔵 寺内定功 檜山金平 関岡尚志 橘川武紹 安原光政 山村正心 囚獄掛 獄司 仁科信敬 副獄司書記兼 長知一 書記 古田元詮 丁長 八坂権六 同 平田昭利 牢医 村山伯元 守卒 山崎嘉秀 同 小川元吉 租税課 宮本重興 大庭永章 飯塚冬胤 西脇時治 佐々木安綱 中村綱亮 林盛安 大趣直温 本庄直養 伊藤正誼 水野正連 小松通時 市川英俊 出納課 鈴木庄吉 福住英勇 青柳政浮 川添久重 地券掛 吉田政定 当分本県詰 開田邦光 小牧克房 渡辺勝 地券掛付属 但勤中等外二等格 六人 雇筆生 韮山支庁詰 六十四人 大属 斎藤忠貞 大山有信 権大属 十一等出仕 十二等出仕 十四等出仕 十五等出仕 等外一等出仕 同三等出仕 篠崎胤景 池田春唯 内藤光忠 玉井政春 本間秀俶 前田甲龍 木村真徳 山田広業 木村光正 萩原敬直 安間潔 八田公道 岩下基義 同四等出仕 小沢正雄 加藤賀 但副獄司書記心得兼 岩嶋廉平 准仕丁 橋本信次郎 山下三造 東京出張所詰 典事 根本公直 権大属 柳川信弼 少属 馬場克徳 十三等出仕 雨宮中平 開田邦光 十五等出仕 等外二等出仕 内田利器 鮫島時敏 大井田義路 右 奏任官 二人 判任官 四十八人 内訳官 一人 等外 十六人 此月給 総計金千七百七拾七円 一ケ年 総計金弐万千三百三拾五円 (二)典事 月給七拾両 根本公直 権典事 月給五拾両充 石原重庸 平松保雄 大属 月給四拾両充 斎藤忠貞 宮本重興 吉野直興 大山有信 篠崎胤景 吉田政定 十等出仕 月給四拾充 寺崎正常 権大属 月給三拾両充 柳川信弼 池田春唯 内藤光忠 大庭永章 関重麿 玉井政春 鈴木庄吉 福住英勇 十一等出仕 月給三拾両充 飯塚冬胤 本間秀俶 前田甲竜 少属 月給弐拾五両充 佐野川成誠 馬場克徳 小川清 西脇時治 北村快蔵 佐々木安綱 中村綱亮 寺内定功 林盛安 大趣直温 十二等出仕 月給弐拾五両充 木村真徳 十三等出仕 月給弐拾両充 開田邦光 雨宮真道 吉田織三郎 『三好弘』 十四等出仕 月給拾五両充 関岡尚志 水野正連 青柳政浮 村正光木 山田広業 萩原敬直 十五等出仕 月給拾五両充 橋川武紹 川添久重 二等訳官 月給拾五両 西渉 等外 一等 月給拾両充 市川囗吉 内田利兵 佐賀善政 渡辺栄英 雨宮貞幹 □等 月給八両充 鮫島時敏 山村正心 大井田義路 渡辺勝 小沢正雄 月給六両宛 四等 総計千三百六拾八両 『内五拾両 訳官 百七拾両 典事三人』 差引 金千百四八両 (柏木俊孝氏蔵) 六 足柄県廃止に関する行政関係書類 足柄県 其県被廃伊豆国ヲ静岡県江相模国ノ分ハ神奈川県ヘ被併候条土地人 民夫々可引渡候旨相達候事 明治九月四月十八日 太政大臣 三条実美 旧足柄県管轄相模国分土地人民本日神奈川県江引渡相済候条各区毎戸無洩様可及通知候此段相達候也 九年五月一日 旧足柄県令 柏木忠俊印 旧足柄県下相模国村々本県所轄被仰出候ニ付而者本日旧県ヨリ土地人民請取相済候条自今諸願届ケ等当分小田原駅出張官員江差出可此旨布達候事 但シ御用手続及是迄各区ニ於テ取扱来候事務ハ当分従前之通リ可相心得候事 九年五月一日 神奈川県権令 野村靖印 旧足柄県下一二三大区之儀自今一大区ヲ廿一大区トシ順次廿二廿三大区ト改称候条此旨相達候事 但シ 小区之儀者従前之通リ 明治九年五月一日 神奈川県権令 野村靖印 前書之通御達有之候条御通知申上候也 立会人 里長 拾人長 御中 (瀬戸格氏蔵) (注)小室正朗氏所蔵資料に同様のものがある。 七 足柄県廃止等に関する県令柏木忠俊宛書簡 本月廿三日御認足柄県御廃一条ニ付云々井ニ同廿五日御認城多先生御身分上之義ニ付云々被仰越候御書状共入掌拝読仕候然者右廃県一条所謂灯台元暗しとやら御書状ニて始めて拝承仕候程之次第甚不都合千万尤御状拝見仕候間政府之御様子等承リ度早速伊藤工部卿宅ヘ罷出候処御不在ニ付尚又参上拝顔仕其節城多先生等之義承リ候処未其辺者何とも極リ居不申候旨被申聞候間何分宜敷相願候段申上置候処廿五日付ニて城多先生一件委敷御申越被下候間尚又伊東卿ヘ罷越候処横浜行ニて不在依テ其後ハ内務卿御宅ヘ罷出候処是亦折悪敷御不在ニ付廿九日ハ内務省ヘ押掛拝顔者仕候得共諸県之官員と相見ヘ多人数同席ニ付御別席相願候処然者今日者無拠急御用向有之候間明三十日午前第六時半迄ニ宅ヘ可罷出旨被申聞候間則今朝御宅ヘ罷出御状之意味を以豆州人民内願之趣段々申上候処何分只今之処ニテハ豆州人民之内願を聞届かたき条々有之趣段々被仰聞其内ニ者品々同卿被仰聞候義も有之候得共何分拙文ニ者意味認兼候間此ヨリ直ニ川村大輔宅ヘ参リ二日之暇をもらひ明日一寸小田原迄罷出委細申上候様可仕と奉存候間左様御承引之程奉願候尤奉公人之事故万一川村大輔方ニ差支有之候節者無拠次第ニ候得共多分右様之義も有之間敷と奉存候間先ツ大輔方ヘ出掛ケ願見万々一不行届節ハ無余義次第ニ付其節者尚又書状ニて申上候様可仕と奉存候右者早々御返書可奉差上之処前文之次第ニて何分急ニ御返事仕かたく夫故御報大延引と相成候段平ニ御仁免奉願候恐々頓首 四月三十日 肥田拝 柏木様 二白内藤君御一条頼承リ御心中之程実ニ奉恐察候過日も申上候通只々御身之上御大切被成下候様呉々も奉希候 一 生産会社一条御書状之趣拝承委細城多先生ヘ申上置候間御同人より御承知之事と奉存候是も何レ明日拝顔尚委敷可申上奉存候 啓上仕候然者一昨日者参上御妨仕恐縮之至リ御座候扨今早朝大久保卿御宅ヘ罷越拙子申上候ニ者仰之趣委細柏木旧県令ヘ申聞候処豆州丈ケ之処ハ仮令不被仰付候とも如何様ニも尽力可仕之処まして仰之次第も有之候上者尚更之事ニ付韮山役所等より此迄之通リ其儘御差置被成候得者決テそうどう等無之様御請合申上候間呉々も御安心可被成下候と拍木旧令被申候旨申上候処大久保卿被仰聞候ニ者夫者誠ニ仕合之事大安心仕候と被仰聞候間又私申上候ニ者扨外ニ柏木旧令願筋有之右者別義ニも無之城多氏身上之義何卒何レヘか御遣方相成候様奉願度候と之義ニ御座候と申上候処其義ハかん急之程者難約候得共急度其内何んとか可仕と被仰聞候私勘考仕候ニ大久保位之男如此申候上ハまさかうそニ者有之間敷と奉存候間先ツ此義も御安心ニて可然と奉存候其他相州之事も能々申上候処別ニケ様ニ可仕と申御返事者無之候得共十分はらニ入候様相見ヘ申候間左様御承引可被下候 一 静岡県令ヘ之書状并ニ韮山役所も其儘可差置旨等可申遣旨同卿被仰聞候此段も御安心可被下候 一 金子之義ハ明日仁田君ニ御渡可申と存候乍併御同人今以御宅ヘ御出無之候得共明日迄ニ者必御出府之事と存候 一 城多先生ヘ宜敷奉願候右申上度 恐々頓首 五月四日 肥田浜五郎 柏木様 一 豆州之方少々行違ひの義出来候旨被仰越甚心痛仕候御状之趣者何レ其内内務卿ヘ御内聞申上置候様可仕と奉存候左様御承引可被下候 一 先頃迄小田原ニ御奉公仕候以前之門番ナル佐助義昨今拙子宅江参リ是非とも韮山表ヘ罷越尚御奉公奉願度候間御上ヘナリ貴所様御宅ヘナリ又ハ御役所之方ヘナリ御召遣ひ被下度候間拙子より其段貴所様迄相頼呉候様申出候ニ付相叶候義ニ御座候ハヽ何とか御遣方之義私をゐても奉願候義ニ御座候 右奉申上度御報旁 恐々頓首 (肥田浜五郎カ) 五月十六日 □ (柏木俊孝氏蔵) 八 旧足柄県令柏木忠俊にたいする小田原住民の惜別の辞(一-三) (一) 曩キニ廃藩置県ニ際シ僕ノ旧君大久保氏ノ長ク東都ニ帰セントスルニ当テヤ僕時ニ幼ナリト雖モ衷情離別ニ堪ヘザル所アリ况ンヤ垂白大人多年ノ眷遇ヲ蒙ル者ニ於テヤ知ル可キナリ一藩悽然恰モ孝子ノ慈母ヲ喪フガ如ク彷徨惨然意楽マズ然ルニ乍チ閣下ノ来テ新県ヲ治ルニ及テ前ノ悽然漸ク変ジ再ビ慈母ノ蘇スルガ如ク歓喜踴躍霖雨ノ始テ霽天ニ変スルノ思ヒヲ為シタリ且ツ閣下ノ下ヲ御スル仁恕衆ヲ待スル礼譲是ヲ以テ数年来風俗正ニ帰シ一県大ニ開明ニ趣ク如斯キ所以ノ者ハ皆閣下ノ賜ナリ鳴呼閣下ノ今此ノ県ヲ去ラントスルヤ一県ノ哀働前ノ旧君ノ離別ニ異ラザル僕ノ言ヲ待タズ抑僕不肖幸ニ化育ノ仁ヲ被リ其ノ恩ノ大ナル疎賤ノ能ク報ル所ニ非ズ加ルニ今小学ヲ卒業スルヲ以テ亦復閣下ノ加賞ヲ受ケ感激奚ンゾ之ニ堪ン故ニ閣下ノ去ルニ於テ悲ムノ余此言ヲ書シテ以テ奉別シ且ツ恩顧ノ賜ヲ謝ス 再拝頓首 明治丙子六月八日 目良富有 植田重英 柏木公閣下 (二) 恭奉送 足柄県令公執事序 数十万人ノ上ニ位シ十郡ノ地ヲ統轄シ喜ヘハ賞アリ怒レハ罰アリ太丈夫此ノ如クナレハ又栄ト謂ツヘシ然シテ此栄ヤ徒ニ僥倖ヲ以テ致スヘカラス必スヤ学業身ニ修リ素行天下ニ信セラルヽ者ニ非レハ能ハズ 執事伊豆ノ鄙ヨリ起リ百度維新ノ時ニ際シ豆相両州ノ士民ヲ鼓舞シ駿々乎トシテ開化ニ趨カシメ吾曹小子又其余沢ヲ以テ僅ニ文字ヲ知ルヲ得ル者皆 執事ノ賜也其十郡士民ノ上ニ位シテ恥ル処ナク十郡ノ士民モ又其下風ニ立テ敢テ異議ナキ所以也是豈学業身ニ修リ素行天下ニ信セサル者ニ非スヤ 執事今将ニ去ントス故一言其徳ヲ頌シテ小子輩他日成立執事ノ如クナラント欲スル情ヲ陳スル而己明治九年五月 第百十番公立小学校 学習舎 上等六級生 佐々木国太郎(印) 当子五月十三年一ケ月 恭奉送 足柄県令公執事序 凡人民ノ貴重スベキ者豈実際ノ学ニ非スヤ昔時北条上杉両氏人ノ子弟ヲ殺シ国ノ資力ヲ尽シ寸攘尺奪以テ争フ処ノ土地人民執事一旦是ニ臨ミ其人望ヲ得テ十郡ノ人民帰仰シテ其指令ヲ奉スル所以ノ者何ゾヤ豈其学業夙ニ修リ信義天下ニ顕ハルヽヲ以テニ非ズヤ吾曹小子是ニ於テ亦大ニ感スル処アリ則其一方ニ割拠シテ僅ニ数世ニ伝フルノ栄ノ如キハ誠ニ実際ノ学ニ如カザルヲ知レリ 執事今将ニ去ラントス故ニ一言其徳ヲ頌シテ以テ聊欽慕ノ情ヲ述ル而己 明治九年五月 第百十番公立小学校 学習舎 上等小学第六級生 大房伊之助(印) 当子五月十四年五ケ月 (三) 旧令公ノ郷帰ルヲ送ル文 旧足柄令公ノ入輿以来年ヲ経ルコト数歳ニシテ徳沢下ニ普ク県下ノ人民其徳ニ浴セサル者ナシ如何トナレハ僻境寒地ト雖偏ク学校ヲ設ケ無智文盲ノ児童ヲシテ化シテ学ニ従事セシムルハ公ノ力ニ非スヤ予カ如キモ即チ其一ナリ然レトモ我性頑愚ニシテ其徳ヲ表スルノ力ナク空シク学ニ従事スルノミ今ヤ廃県ノ令下リ公職ヲ解キ故郷ニ帰ルト然ラハ即チ何レノ時カ厚恩ヲ謝スベシト涕泣シテ以テ寸志ヲ表ス 河野寿て 旧令公郷ニ帰ルヲ送ル文 公ノ入輿以降管下ノ人民徳沢ニ浴シ漸々開化ノ地位ニ進マントス然ルニ廃県ノ令下リ神奈川県ニ合併セラル故ニ公職ヲ解キ郷ニ帰ルト予ノ如キ小童ト雖モ離別ノ情余リアツテ日夜悲歎ニタヘス故ニ記シテ以テ妾カ志ヲ述フ之ヲ考フレハ此ノ文ヲ作ルモ公ノ力ナリ如何トナレハ教師ノ丹精ハ言ヲ待タヅ其因テ起ル処ハ公ノ尽力ニシテ学校ノ設ケ有ルニ依ル故ニ其厚恩謝スルニ語ナシ然レトモ余カ如キ女児ノ赤心ハ業ヲ励シ旧令公ノ厚恩ヲ千歳辱カシメサランコトヲ唯神魂ニ停ムルノミ仰キ願クハ炎時ノ旅行恙ナカランコトヲ 角田計以 旧令公ノ郷ニ帰ルヲ送ル文 余聞ク旧足柄県令柏木公廃県ノ令下リ職ヲ解キ当地ヲ去テ帰国セラルト妾等悲泣ニ堪ヘス抑公始メハ庶人ヨリ起リ遂ニ県令ノ高位ニ昇リ当国ニ入輿セラレ昼夜職務ニ黽勉シ数年ナラスシテ道路大ニ開ケ行人ヲシテ便利ナラシム唯惜ムラクハ函嶺ノ嶮岨ヲシテ公ノ着目ノ如ク平坦ナラシメスシテ職ヲ解カルヽヲ又学校ニ至リテハ僻邑寒地ト雖モ偏ク設ケ有ラサルハナシ之ニ数年ヲ加セハ邑ニ不学ノ戸ナク家ニ不学ノ人ナキニ至ラン此皆公ノ力ニ非スヤ且民ヲ撫スルニ恩威ヲ以テス故ニ人民能ク服従スルコト子ノ父母ニ服従スルカ如シ廃県ノ命ヲ聞ヤ悲歎セサル者ナシ一且悽然トシテ道路声ナキノ地位ニ至ル妾カ如キ小女子ト雖モ公ノ厚徳ヲ浴シ上等生徒ノ後ヘニ従フ何ソ悲哀セサルヲ得ンヤ 関由宇 旧令公ノ郷ニ帰ルヲ送ル文 謹テ書ヲ旧足柄県令柏木公ニ奉ル先キニ置県ノトキ公ノ職ヲ吾ガ県ニ奉ゼシヨリ孜々勉励日夜暇アラズ其ノ管民ヲ教フル啻ニ懇ナル而己ナラズ民モ亦皆ナ能ク公ニ服事ス実ニ司命ノ名ヲ辱シメズト謂フベシ今明治九年四月ニ至リ廃県ノ命下リ職ヲ解キ将ニ郷ニ帰ラントス管下ノ民之レヲ聞キ茫々然タルコト恰モ父母ヲ喪スルガ如シ然レトモ已ムコトヲ得ザルモノナリ故ニ別レニ臨ンテ拙文ヲ綴リ聊カ以テ愚意ヲ呈ス 小川勢以 旧令公ノ郷帰スルヲ送ル文 旧足柄県令柏木忠俊公生質温良ニシテ治民ニ長ス入県以来職務ニ勉励セラレ公ノ民ヲ視ルコト子ヲ視ルカ如ク民ノ公ヲ慕フコト猶子ノ慈母ヲ慕フカ如シ今ヤ僻邑寒村ニ至ルマテ偏ク学校ノ設ケアラサルナキハ是レ公ノ力ナラスヤ妾等ノ如キ無智ノ小童ト雖公ノ徳沢ヲ蒙リ此校ニ在テ此級ニ昇ル豈喜悦セサルヘケンヤ然ルニ明治九年四月廃県ノ令下リ公職ヲ解キ郷ニ帰ト聞キ茫々然トシテ日夜悲歎ス然レトモ天命如何トモスルコトナシト思ヒヲ改メ拙文ヲ作テ以テ公ニ奉ル 二見気武 (柏木俊孝氏蔵) 九 足柄県再興建白書 足柄県再興建白書 謹テ元老院議長閣下ニ白ス惟フニ維新以来内外ノ政務常ニ多端国庫歳ヲ逐テ漸ク不足ヲ告ク故ヲ以テ曩者頻リニ諸県ヲ廃合シテ大ニ政費ヲ省略シ尋テ地方税ノ法ヲ制定セラル当時世上之ヲ議スル者アリト雖トモ今日ノ事跡ニ由テ之ヲ観レハ其措置概ネ皆宜キヲ得タリト為ス然リト雖トモ当時県ヲ廃合スル前後数十廟議其初メニ当テ予メ其利害ヲ攻究スル必スヤ深遠ニシテ敢テ精密ヲ欠ク万其理ナキモ凡ソ施為ノ後ニ至テ始メテ其利害ヲ詳ニシ由テ以テ其失ヲ知ルモノ世事往々免レサル所况ンヤ数十県ノ廃合ヲ行フ其事端数ヘ難ク其関係窮リナキニ於テオヤ其今日ニ於テ当初想及セサル一二ノ事実ヲ見ル此レ固ヨリ計画ノ罪ト謂フ可ラサルナリ今生等敢テ僭越ノ咎ヲ顧スシテ管見ヲ具陳セント欲スル所ノ者ハ他ナシ足柄廃県ノ後生等親シク見聞スル所ニ就テ其利害ヲ直言シ以テ政府ノ明察ヲ煩ハサント願フ其綱領ニ曰ク足柄県ヲ廃シテ伊豆ヲ静岡県ニ併スヤ之ヲ其施行以後ノ景状ニ徴スルニ地勢民情一モ其可ヲ見ス賦課重クシテ其利薄ク国力漸ク衰耗ニ趨クノ勢アリ之ヲ救済スルハ足柄県ヲ再興スルノ利便アルニ若カス足柄県ヲ再興スルハ神奈川静岡ノ県治ニ害ナク国庫ノ歳出ヲ増ス亦巨額ナラス此レ上乗ノ計ト為ス所以ナリ請フ願クハ事実ニ就テ之ヲ詳カニセン夫レ伊豆ノ国タル東北相模ノ境界ヨリ遠ク南海ニ斗出シ地勢孤絶人情自ラ亦隣国ト殊ナル所アリ今其県治ノ沿革ヲ按スルニ維新ノ始メ政府特ニ韮山県ヲ立テ専ラ之ヲ治メシメ尋テ明治四年足柄県ヲ置カレテヨリ相州六郡ト県治ヲ共ニスル前後六年明治九年ニ至テ政府令シテ足柄県ヲ廃シ伊豆ヲ静岡県ニ併セ相州六郡ヲ神奈川県ニ付ス是ヨリ先伊豆ノ足柄県ニ属スルヤ韮山ニ支庁アリテ国民其便ヲ悦ヒ県治漸ク人心ニ入テ上下和合人々初メテ公共ノ事業ニ力ヲ致スノ志アリ或ハ旧道ヲ補理シ或ハ新路ヲ開鑿シ国中稍運輸ノ便ヲ得テ殖産ノ事業除々興起ノ兆アリ既ニシテ静岡県ニ属シ幾モアラスシテ府県会ノ創立ヨリ府県政務ノ経費ハ地方税ヲ以テ支弁スルノ制トナリ警察監獄土木教育衛生等ノ事務連年其目ヲ加ヘ一ニ皆其費用ヲ地方税ニ取リ治水費ノ如キモ亦其負担ニ帰ス夫レ静岡県ニハ有名ナル大井天龍安倍富士ノ四大河アリ其暴漲ノ害古ヨリ防クニ術ナシト称ス故ニ静岡県会毎歳議決スル所ノ地方税金額五分ノ一強ハ必ス土木費ニ属シ而シテ其十分ノ八ハ即チ実ニ四大河ノ消靡スル所トナリ其剰余ノ二分ヲ以テ管内四十余里ノ国道ト六十有余ノ川流トニ充ツ然リ而シテ特ニ伊豆一国ニ就テ之ヲ言フトキハ土木費トシテ豆ニ分チ与ヘラルヽ所ハ即チ全県土木費ノ中豆ヨリ支給スル金額ノ十分一ニ過キス其十分ノ九ハ即チ豆ニ課テシ以テ駿遠ニ用ヰラル毎歳必ラス如此ニシテ時ニ或ハ尚ホ此ニスラ至ラサルコトアリ是ヲ以テ到ル処国道崩壊ニ趨キ堤防頽敗ヲ告ケテ行旅日ニ妨ケラレ田圃月ニ荒蕪ニ属スルモ人民力及ハスシテ徒ラニ傍観スルノミ目前焦眉ノ急スラ尚ホ且ツ顧ルニ遑アラサルコト如此矣况ンヤ教育衛生ノ事運輸ノ便ヲ図ルノ土木等都テ永遠ノ計ニ属スルノ類オヤ其既ニ緒ニ就ク者今ハ則チ悉ク日ヲ逐テ衰滅ニ垂ントス自然ノ勢怪ムニ足ラスト雖トモ亦此レ痛惜ノ至ナラス乎目下豆国ノ景状深ク憂フヘキコト実ニ如此矣而シテ其病源ヲ尋ヌレハ則チ駿遠ト経済ヲ共ニシテ常ニ他ヲ補ヒ反テ自営ノ道ヲ欠クニ在ルノミ蓋シ伊豆ノ地形山多クシテ耕地甚タ少ク村落多クハ山間若クハ海岸ニ散在シ人民概ネ山海ニ入テ力役ス其生計ノ艱他郷ノ比ニ非サルナリ然リト雖トモ豆国素ト富源乏シトセス唯目下之ヲ開クニ由ナキノミ若シ幸ニシテ善隣ト治ヲ共ニシ当初歳計ノ不足時ニ或ハ其補助ヲ得加フルニ人民ノ勤倹ト勉力トヲ以テセハ其富実期シテ待ツヘシ豆国ヲ遇スルノ道ハ須ラク此ノ如クナルヘシ今ハ則チ其法ヲ顚倒シテ外他郷歳計ノ不足ヲ補ハシメ内自ラ営養ノ資ニ乏カラシム此レ坐シテ豆国ノ衰滅ヲ待ツノ道ニ非ス乎豆国ノ病源索メ得テ既ニ明カナリ其患〓裡ノ浅キニ在ラス之ヲ毉スル一時ヲ補フノ姑息法何ソ能クセン唯タ宜ク截断ノ術ヲ施スヘキナリ所謂ル截断ノ術トハ何ソヤ他ナシ伊豆ヲ静岡県ヨリ分割スル是ナリ聞ク豆国ノ人民頃日頻リニ静岡県ヨリ分離セント欲シテ其念尤モ急切既ニ政府ニ向テ神奈川県ヘ転管ノ事ヲ建白シタリト生等窃ニ豆国ノ為ニ分離ノ万已ム可ラサルコトヲ観察シテ之ニ処スルノ方法ヲ按スル既ニ久ク遂ニ足柄県ヲ再興スルノ害ナクシテ利便多キニ如クハナシト信セリ若夫神奈川県ヘ転管ノ事ハ生等能ク其至情ニ出ツルヲ識ルト雖トモ亦其勢ノ甚タ不可ニシテ廟議必ス之ヲ容レサルヲ知レリ何トナレハ現時神奈川県ノ管轄武相両国ニ亘リ広袤数十里且ツ外交ニ関スルノ事務特ニ緊急ニシテ県治自ラ内ニ専ラナルコトヲ得サレハナリ今ヤ豆国ノ興廃ハ主トシテ駿遠ト経済ヲ共ニスルト否ラサルトニ係リ既ニ分離ノ事ヲ決スレハ乃チ善後ノ計ヲ定メサル可ラス之ヲ独立ノ一県ト為サン乎国小ニシテ民力堪フ可ラス之ヲ神奈川県ニ併ス其不可ナル智者ヲ待テ後ニ知ラス然ラハ則チ足柄県ノ再興ヲ外ニシテ他ニ豆国ヲ救済スルノ道ナキカ如シ請フ此ヨリ以下足柄県再興ノ利便多キコト民力一県ヲ興スニ足ルコト神奈川静岡ノ県治ニ害ナキコト及ヒ国庫ノ支出ヲ仰ク巨額ナラサルコトヲ弁セン凡ソ一県ヲ画定スル須ラク人心ノ向背ヲ察シ地勢風俗民情ノ宜キニ従ヒ以テ其便益ヲ図ルヘキノミ今相州数郡ト伊豆トヲ合シテ足柄県ノ再興ヲ計ルヤ豆民建白ノ旨意未タ〓ニ出テスト雖トモ此レ自ラ憚テ之ヲ言ハサルノミ満腔ノ熱望凝テ此一点ニ集マレリ加旃往時一タヒ県治ヲ共ニセシ旧情ノアルアツテ将来扞格ノ患ナク相民ノ冀望亦以テ足レリ且ツ夫レ豆州ノ地勢遠ク南海ニ臨テ東シ一葦ノ海水ヲ隔テヽ相武ト相対シ朝発昏至舟楫ノ便猶ホ隣里ニ於ケルコトク薪炭石材魚介其他ノ諸産州民需用ノ外悉ク之ヲ相武ニ輸シ而シテ日用諸品ハ即チ一ニ皆此ニ仰ク因襲ノ久シキ其貿易ノ関繋頗ル親密ニシテ人情風俗自ラ亦相似タル所アリ独リ地勢ノ便否ニ至テ人或ハ函嶺ノ嶮ヲ恐ルト雖トモ要スルニ封建ノ世嘗テ兵要ノ地ト為セシヨリ相伝ヘテ世人其嶮ヲ称道スルノミ其実ハ即チ嶮ト謂フニ足ラサルコト貨物ノ運搬曽テ便ヲ欠カサルヲ以テ知ルヘシ况ンヤ相ヨリ豆ニ入ル海辺ニ道アツテ車ヲ通スルニ足ルオヤ由是観之豆相ヲ収束シテ一県ヲ作ス地勢風俗人情悉ク皆其宜キニ適フテ一モ其不可ヲ見ス正ニ此レ天然連合ノ形ヲ成スモノト謂テ可ナラン〓ニ於テ生等又其民力一県ヲ興スニ足ルヤ否ヲ観ント欲シテ之ヲ最近ノ調査ニ質スニ一県独立ノ経済ヲ維持スル綽トシテ余裕アルヲ認メタリ盖シ旧足柄県ハ相州六郡ト豆州四郡(当時七嶋モ足柄県ニ属シタルトモ今之ヲ除ク)トヲ合セテ一県ヲ成シタレトモ之ヲ再興スルニ及ヒテハ高座郡ヲ神奈川県ニ取リ駿東郡ヲ静岡県ニ取ルヲ可ト信ス権衡略ホ平ヲ得レハナリ今姑ラク高座ノ一郡ヲ加ヘテ之ヲ観ルニ豆相合セテ十一郡村数七百五十四村九駅四町戸数八万四千四百七十一戸人口四十五万零七百三十九人反別二十四万七千零三十二町九反五畝十二歩地価一千七百八十四万四千七百九十一円十銭九厘地方税金十七万二千百十一円三十八銭三厘アリ之ヲ神奈川県現時ノ郡部ニ比較スレハ毎項概ネ其半ニ当レリ試ニ地方税ノ一項ヲ取テ之ヲ明カニセンニ明治十七年度神奈川県郡部地方税収入総額ハ金二十八万八千四百十一円十三銭五厘ニシテ之ニ国庫下渡金前年度繰越金等ヲ加算シ合計金三十七万一千七百五十九円九十七銭四厘ヲ以テ金三十三万四千六百五十四円八十九銭六厘ノ同年度総経費額ヲ支弁シタルモノトス故ニ之ヲ標準トシテ以テ足柄県々治ノ予算ヲ立ツルニ其総経費額ハ金十六万七千三百二十七円四十四銭八厘ヲ以テ充分ト為ス而シテ之ヲ支弁スルニ前記地方税金十七万二千百十一円三十八銭三厘ヲ以テス国庫下渡金等ヲ待タスシテ已ニ如此矣之ヲ要スルニ相州七郡ト豆州四郡トヲ以テ独立ノ一県ヲ成ス小ハ則チ小ナリト雖トモ凡ソ県ヲ廃立スル何ソ必スシモ其大小ヲ論セン苟モ一県特立ヲ要スルノ事由確実ニシテ他ニ便宜ノ道ナキ時ハ其小ヲ嫌ハスシテ之ヲ立テ独立ヲ許スノ須要ナキモノハ大ト雖トモ輙チ廃合ヲ行フ此レ従来我政府ノ挙行スル所生等常ニ其公明ヲ称嘆セスンハアラス今生等切ニ再興ヲ望ム所小県ナリト雖トモ其民力能ク独立ノ経済ヲ維持スルニ足レリ即チ知ルヘシ伊豆ヲ救済スルノ計〓ニ立テ存スルヲ既ニ此計ヲ決ス尚ホ顧慮スヘキモノハ即チ神奈川静岡ノ県治ニ大ナル妨害ヲ加フルヤ否ヤニ在リ生等ヲ以テ之ヲ観レハ相州七郡ヲ割クハ神奈川県ノ経済ニ激動ヲ加フルカ如シト雖トモ其県治ノ眼目ハ盖シ横浜ニ在テ最緊至要ノ時務悉ク之ニ係ル故ニ区部依然変状ヲ呈セサレハ郡部半ヲ割クモ其体面ヲ傷クルニ至ラサルコト生等深ク信シテ疑ハサル所ナリ盖シ神奈川県治ニ於ケル従来区部其重キヲ占ムルカ如クナルニ郡部亦方数十里ノ大アルヲ以テ世人其勢ノ傾向ヲ見或ハ之レカ説ヲ為シテ尾大棹ハサルノ弊アリト云フ者アリ生等遽カニ此説ヲ信セスト雖トモ将来外交日ニ益盛ナレハ事務従テ区部ニ繁ヲ加ヘ勢自ラ郡部ニ疎ナルナキヲ保チ難カラン歟但シ此レ固ヨリ未必ノ勢ニ属シテ断言スヘカラサルモ別ニ已ムヘカラサル事由アツテ郡部ヲ割カンニハ其神奈川県治ニ於ケル寧ロ利アルモ何ソ其レ害アランヤ静岡県ニ至テハ素ヨリ既ニ大ニ過クルノ嫌アリ駿遠ノ二国猶ホ小ナリトセス伊豆ヲ分割スルノ妨ケナキ智者ヲ俟テ後ニ知ラサルナリ以上生等既ニ数千言ヲ臚列シテ先ツ豆国ノ景状ヨリ足柄県再興ノ已ムヘカラサル所以ニ論及シ其利便ヲ説キ其民力ノ一斑ヲ示シ旁ラ隣県ノ経済ニ於ケル利害ヲ弁シ了テ此ニ至レリ今将ニ筆ヲ閣カントスルニ臨テ敢テ又一言センコトヲ願フハ他ナシ国庫ノ支出ヲ仰クノ一事ニ関シテナリ方今府県ノ経済ニ於ケル国庫ノ支出ヲ仰ク者ハ庁中費府知事県令以下吏員ノ俸給郡区長以下ノ給料旅費及ヒ警察ニ関スル国庫下渡金ノ数目トス此レ国庫ノ歳出ニ属スルモノナリ今足柄県ヲ再興スルニ当テハ年々此数目ニ対シテ国庫ノ支出ヲ仰カサルヲ得スト雖モ其此ニ増加スルモノハ必ス神奈川静岡ノ二県ニ於テ応分ノ減少ヲ見ルカ故ニ其増減ヲ算酌スレハ真ニ国庫ノ歳出ヲ増スハ盖シ巨額ニ至ラサルヘキ歟生等私ニ之ヲ胸算スルニ約ネ二万円トスレハ必ス算余アラント信ス夫レ万余ノ金ハ私民視テ以テ巨額ト為スト雖トモ堂々タル政府ヲ以テスレハ正ニ是レ一緡ノ銭ノミ况ンヤ歳出ノ増加此ニ止テ而シテ其潤沢豆相ニ加ハリ道路之レカ為ニ開ケ殖産ノ事業因テ以テ興ラハ其利益実ニ鴻大ナルニ於テオヤ夫レ冗費ヲ省略スルハ急要ヲ挙ルノ道ニシテ我政府ノ夙ニ主義ト為ス所之ヲ倹徳ト謂フ唯財是レ愛惜スルモノト年ヲ同フシテ談スヘカラサルナリ近日政府益意ヲ此ニ用ヰ又大ニ政務ノ拡張ヲ計ラルヽト聞テ生等欣喜ニ堪ヘス且ツ窃ニ謂ラク是レ正ニ生等襟ヲ開テ誠意管見ヲ吐露スヘキ時機ナリト而シテ今生等建白スル所ノ計国庫ノ歳出ヲ増スヲ免レサルハ恰モ政費ヲ省略スルノ盛意ニ悖レルニ似タリト雖トモ生等敢テ之ヲ憚ラサル所以ノモノ誠ニ政府ノ主義倹ニ在テ急要ヲ挙ルニ財ヲ貴シトセス豆相五十万ノ人民ノ為ニ万余ノ金ヲ吝マサルコトヲ信スレハナリ生等故ニ曰ク足柄県ノ再興ハ豆相目下ノ急務ナリ願クハ政府速カニ事ヲ計ランコトヲ閣下若シ山海ノ心ヲ以テ生等カ言ノ粗朴ナルヲ咎メスシテ偏ニ献芹ノ微衷ヲ採リ賜ハヽ生等ノ幸福何ソ之ニ如カン 誠恐誠惶頓首頓首 神奈川県相模国足柄上同下大住 淘綾愛甲合五郡二駅八拾六ケ村 有志人民三百七拾三名総代 同県同国足柄下郡小田原緑町一丁目九十一番地 明治十九年三月 平民 商 吉田義方 四十六年一月 同 十字町一丁目四十九番 同 同 二見初右衛門 五十年一月 同 万年町四丁目六百十五番 同 同 今井徳左衛門 二十八年二月 同 十字町一丁目四十四番地 同 同寺西兵吉 四十七年 同 同町十三番 同 同 益田勘左衛門 三十四年七月 同 新玉町三丁目四百五十番 士族 杉本近義 三十三年三月 元老院議長 伯爵大木喬任殿 (小田原市立図書館蔵) 第二章 大区小区制 第一節 区長戸長等行政事務 一〇 戸長副戸長心得 戸長副戸長村役人御規則書 高麗村役人 記 戸長副戸長江 一 今般戸長副申付候上者以来御布令柄并ニ諸達書区内一同可触達分者村々名宛不致戸長副宛ニ而差遣候間区内ヘ通達可致事 一 区内村々廻状順取調可申出事 一 戸籍法御規則書之内去未四月本紙御布告之儀者最早承知之事ニ付不相渡同七月氏子守札其外同十二月御改正之分表共毎区戸長副江一通宛ツ相渡候条其旨可相心得候事 一 区別番号之儀者村順ヲ以戸毎相立可申事 但明き家も番号ヲ相置可申且水車家并隠居家たり共下屋敷門内ニ無之分者番付いたすへく候 一 番号札寸法別紙通り之事 一 当申正月晦日迄之人員調帳根拠トいたし候御布令ニ付粗漏無之入念取調戸主共より美濃紙ニ相認メさせ戸長副差出し清書之上庁へ可差出事 一 右番号札相立并正月晦日之上者人員調等者来ル晦日迄取調庁江可差出候事 一 生死并寄留縁組出入埋葬等都而御規則之通り前月より取纒メ翌月庁江差出シ候儀ニ付二月分取纒メ三月中可差出事 但付込ニ不致生死并寄留等一々廉分にいたし可認メ候 一 送籍状并入籍状差出シも都而御布令之通り相心得申ノ二月朔日より同五月十六日まては人員検査中ニ付送籍之出入差止メ事実不得止事初者当人斗先き方へ遣し五月十六日後送籍状差出し可申事 一 寄留人者他之管轄地江罷越候もの又者当管下江罷越候者而己認出管内之分者仮令里数隔候共戸長副より戸長副迄之添翰差遣ニ而別段取調書庁へ差出しニ不及事 一 戸長副給料其外筆墨紙等入費之儀追而定額申付候迄第一区別帋伺之分照準仮取立可致事 但シ春秋両度之区内取立者可然ず 一 従前之組合村高学校所取立者勿論夫々手段も相立居今般区画之別相立不都合之者も可有之此上差障不相成候様厚ク申諭之事 一 社寺願等も戸籍法御布令相抱候類者戸長副ヲ以可相届事 一 田畑山林并廻舟私馬持立等総而民産之儀追而取調可差出事 一 区内氏子有之郷社村社旧神官并祠掌名前早々取調可申出事但氏子無之村社も取調可申出事 (別紙) 第何区 何番屋敷 横巾弐寸五分竪七寸厚四分 第何区 何番屋鋪 横巾二寸五分竪七寸厚四分 第一区 番号数千五百廿壱区 内社拾壱明家百三十三戸 〆百四拾四戸引 同居六拾弐戸加へ 戸数千四百三拾九戸 人員貫属三千弐百四拾弐人 人員市中三千四百拾八人 〆六千六百六拾人 寄留人員三百七拾五人 惣人員七千三拾五人 右第一区壱年諸入費見積り 一 半紙弐百五拾六状 代金四両三歩弐朱ト銀弐匁五分 一 上半切千八百四拾枚 代金三歩弐朱ト銀壱匁弐分五厘 一並半切四千六百枚 代金壱両弐分銀弐匁五分 一 美濃紙六拾七状 代金七両三歩壱朱ト銀七分五厘 一 駿河半紙百廿拾弐状 代金弐歩弐朱ト銀弐匁 一 筆墨 代金弐両三分也 一 蠟燭 代金三両 銀壱匁五分 一 厚紙五状 代金三歩壱朱ト銀壱匁弐分五厘 一 筆料其外入費 代金四両弐分也 一 金拾八両弐分 小使給料割壱ケ年分 一 金弐百六拾四両也 戸長壱人副戸長三人壱ケ年分給料 但金七両也 戸長月給 金五両也 副戸長月給 〆金三百七両壱歩ト銀五分 此割合取立方 人員七千三拾五人割 壱人ニ付永四拾三文六分八厘六毛三弗 此金家内平均四人八分八厘八毛割 壱戸ニ付 永弐百拾三文五分三厘五毛 戸長 副戸長江 村役人 一 相模国管内三拾弐区之内第一第二区ヲ除キ三拾区之内三区或者四区申合捕亡下役弐人ツヽ撰可致事 但月給金壱両弐分ツヽ公費ヲ以賜候事 一 差紙書付之類引受郷宿ヘ相渡候条一村限リ之儀者其村より飛脚賃銭相渡区内一般ニ関係之分組合割を以可相渡事 但不取急分者村役人帰村之幸便ニ可差出候ヘ共其外曽而便利之方法も有之ハ可申出事 一 当今引受郷宿名前可書出事 右之通相達候条評儀之上早々可申出事 村役人江 戸長副戸長江 今般銘々区内戸長副申付ケ候間戸数人員氏子守札縁組送籍入籍生死埋葬寄留等〓而戸籍御布告之通相心得其他区内一体ニ関係之事件入念取扱御趣意貫徹候様勉励可致猶委細之規則月給等者追而可相達事 但名主組頭等兼勤之者ハ猶受其職掌混淆可致様可心付候総而村役人江別紙申渡書写為心得相達候事 壬申三月 右之通申渡候条得其意是迄村役人ヨリ差出シ来リ候人別帳者向後不及其儀尤五人組ハ其儘相立置〓而租税を始メ官林有之村々は其場所又者堤防等取締者勿論訴訟失火盗難等村限リ之大小事者従前之通リ取扱今般戸長副被差置候ニ付万一心弛之不取締等生シ候而者以之外之儀夫は心取違無之様篤と了解層々勉励可有之尚ヲ委細者追々可申達候事 但失火盗難等者県庁江届之趣速ニ区々戸長副之内江も通達可致事 別紙 前書朱○印を以テ相達候分者前段区内村々江不相触候間写取社寺并村役人とも江可申聞候事 壬申三月 足柄県 (曽根田重和氏蔵) (注)裏表紙に「曽根田金兵衛写之」とある。 一一 戸長拝命につき誓約書 記 今般私共義当区戸長副ニ被 仰付追々御布告之趣有之然ル上者戸籍之義ニ付而者自村たりといへとも都而戸長副相談之上取斗可申相互ニ一己之取斗不仕且諸入費精々不相懸様可仕候依之連印仕候処依而如件 明治五壬申年三月 神奈川県 相州第一区 戸長 永嶋庄輔 副戸長 高橋幸八(印) 同役入願人 永嶋卯兵衛(印) (「規定書 相州第一区」横須賀市立図書館蔵) 一二 足柄県大区小区設置に関する件達 記 一 大区御設小区ヲ被置候御達書壱通 右 別紙御達書御披見之上村名下江請印被成早々御順達留り村より御返し可被成候以上 申十一月廿八日 副区長 綱嶋弥惣兵衛 〆拾五ケ村御名主中 (別紙) 今般御達之趣も有之当管内別紙之通大区を設小区を置区長差定候従来之戸長副戸長ハ副区長名主役者戸長年寄組頭役者副戸長と改唱事務取扱方者是迄之通ニ候事 但旧区分割合併等之向者戸長副増減不同有之候得共追而可致一定且囗向給料之義者当分是迄之通可相心得事 右之通相達候条区内無洩至急可触知者也 壬申十一月廿四日 足柄県権令 柏木忠俊印 (別紙) 旧第拾弐区相州足柄上郡 戸長 副戸長 追而旧其区第一大区小十一区と可相称事 記 一 第一大区 相州足柄上下郡 一同 内小十四区を置候 一 第二大区 同州淘綾郡大住郡 一同 内小十一区を置候 一 第三大区 同州愛甲郡津久井郡 一同 内小六区を置候 一 第四大区 豆州田方郡君津郡 一同 内小十区を置候 一 第五大区 同州加茂加茂郡那賀郡 一同 内小十一区を置候 右之通御達 壬申十一月 (「御用写」(明治五年)了義寺蔵) (注)曽根田重和氏所蔵資料に同様のものがある。 一三 神奈川県第十五大区正副戸長任命にともなう村役人減員に関する申合書 申合議定一札之事 一 今般名主年寄等御廃し戸長副戸長と改称可致旨被仰渡候ニ付而者村役人可成丈減員いたし戸長副役入可相願旨被 仰触右ニ付村内小前一同及集評候処当村之儀者往古より名主壱人年寄四人ニ而御用村用共相勤罷在候処今般御趣意ニ付村役人減員いたし候而者当節柄別而御用多之時節差支候ニ付従前之通元名主年寄五人ニ而御用村用共都而是迄之通相勤候積り尤今般御趣意之趣者小前一同承伏仕候義ニ付戸長之儀者飯田助右衛門定役ニ取極副戸長之儀者小泉武左衛門始弐ケ年ツヽ隔年勤之積今般右両人共役入相願其余元年寄三人之義者以来百姓代相勤尤今般副戸長役入相願候ものハ当申年より来酉年十二月迄相勤来ル戌年正月ニ至リ候ハヽ副戸長退役相願百姓代三人之内壱人跡副戸長役入相願都而百姓代之内弐ケ年ツヽ隔年勤之積リ自談取極メ候上者重而異変致間敷村為専一ニ相心得村役人新規給料等之見込不相立従前之通高持百姓之内ニ而人撰是迄之通無給ニ而相勤候様可致候尤来ル辰年正月ニ至リ候ハヽ当申年相勤候副戸長江相渡猶又弐ケ年ヅヽ順々ニ相勤候様執斗可申候依之為後証議定連印致置候処如件 明治五壬申年六月 武州橘樹郡第拾五区 北綱島村 小前岡本善五郎(印) 高橋広吉(印) 岡本定右衛門(印) 飯田善太郎(印) 小林新平(印) 小林熊次郎(印) 小林森次郎(印) 小池鉄五郎(印) 小林市五郎(印) 田口与吉(印) 吉原重太郎(印) 吉原冨之輔(印) 吉原半次郎(印) 吉原初五郎(印) 吉原又五郎(印) 吉原三次郎(印) 吉原太郎右衛門(印) 吉原粂太郎(印) 小嶋庄蔵(印) 小嶋治輔(印) 小嶋平八(印) 小泉むつ(印) 吉原惣右衛門(印) 吉原四郎右衛門(印) 吉原七五郎(印) 吉原文四郎(印) 吉原寅次郎(印) 金子平兵衛(印) 小泉五兵衛(印) 小泉源次郎(印) 細野久次郎(印) 金子政吉(印) 浜田友右衛門(印) 高橋きく(印) 長谷川吉蔵(印) 長谷川万蔵(印) 小泉万吉(印) 来迎寺留守居 貞心(印) 小泉喜三郎(印) 鈴木菊五郎(印) 飯田助次郎(印) 小泉三郎右衛門(印) 小泉伊兵衛(印) 鈴木与吉(印) 小泉吉十郎(印) 小泉又蔵(印) 高橋権十郎(印) 石川幸太郎(印) 山口慶仙(印) 西山治郎兵衛(印) 吉田源蔵(印) 百姓代 小泉仙太郎(印) 同 小嶋卯兵衛(印) 同 吉原孝助(印) 副戸長 小泉武左衛門(印) 戸長 飯田助右衛門(印) (「申合議定連印帳」飯田助丸氏蔵) (注)署名は資料では一段書きであるが、本書では二段組とした。以下同様に取扱う。 一四 区画改正の大略 兼而及布達候管内区画改正別紙之通確定致候ニ付来ル五月一日より改正大略之主趣ニ照準し事務取斗可申右ニ付元区戸長副戸長は一同差免候得共当今取扱掛之事件者新区区長副区長江申談事務深切ニ引渡不都合之儀不相生様可相心得事 右之趣区内之人民江無遺漏触示自然会得致兼候者も有之候ハヽ区長副区長より懇切に説諭可致此段相達候也 明治六年四月 神奈川県権令 大江卓 (別紙) 区画改正之大略 第壱条 一 管下武相州七郡を弐拾に区別し是を壱区とし区長壱人を置副区長は組々戸長之内ニて相心得又其実地の模様に依り書記を置区内之事務を可取扱事 第二条 一 壱区中番組を置く組合は凡高弐千石を目的とし大村は壱弐ケ村小村は数ケ村を組合せ何番組と可相唱事 第三条 一 村々戸長副戸長之義者先是迄之通可相心得候事 第四条 一 区長副区長人撰之法は部内之戸長副戸長一同江入札為致高札を以て定むる事 但し今般之儀者創業旁県庁に於て人撰致候事 第五条 一 戸長副戸長人撰之法は小前百戸ニ付五人之代議人を兼而撰挙し此代議人之入札を以て定る事区長人撰におなし 但代議人撰抽之儀者追て規則書可相達候 第六条 一 区長副区長戸長副戸長とも高拾石以上之者を撰挙すべし若小高之者にても格別人望等有之ものは此限にあらず 第七条 一 区長以下勤役之義者四ケ年を以て限りとす四年之後再人撰に当るものは尚四年之勤役すべし 第八条 一 総て小前江会議すへき事は右代議人江詢議すへき事 第九条 一 区内并ニ組々地理に随ひ会所を造立区長以下出勤日ニ事務取扱へき事 但当分仮に寺院等を以て会所ニ代用するも其便宜に任せ候間取極之上可届出事 第十条 一 諸願伺届取扱之順序は区内一般ニ関する事務は所部之区長江差出し総括之上県庁江差出すべし組内限りの事務は戸長副戸長より直ニ県庁江可差出へき事 第十一条 一 区長副区長并書記等之給料あるひは会所諸雑費等者毎口銭を元とし不足之分ハ区内江割合可申事 但横浜町々并宿駅等格別人口多之場所は小間割或は坪割を以て一切之費用に可充事 第拾弐条 一 区長副区長并ニ書記之給料者其実地に就き追而可取極事 第拾三条 一 戸長副戸長書役等之給料者同断追而一定可致候得とも夫迄之処組合村々給与之高を平均し可相渡事 第拾四条 一 区内一般諸入費之儀は区長戸長等ニテ取調県庁へ申立県庁に於て検査之上可取立事 但巨細之仕訳書相添可指出候 第十五条 一 諸入費之儀者其都度々々小前一同へ計算帳相示候間不審之廉ハ可申立事 第十六条 一 地号を唱るは神奈川県管下第何区何番組何州何郡何村何番地誰と可相唱事 但地所之番号は地券調ニ付書出候番号を可相用事 第十七条 一 区長以下公用村用にて県庁へ罷出候時は其旨内庁庶務課江届出帰村之節も前同様其旨を届くべし 等十八条 一 隣区等江会合之節者其地会所に往返之日を記し置其区長副区長之内証印之上可申立事 第十九条 一 本町村を距る事五里以内は半日程とし五里余より十里までを一日程とす其旅費左之通相定候事 但逗留は各三十銭ツヽを給す 第二十条 一 区長以下公用村用にて県庁江罷出候節ハ区内各組々之事務を兼帯し可成累重之資費を可相省事 第廿壱条 一 御布告もの其外触書等は区内へ三日之内ニ相触可申事 第廿弐条 一 呼出し差紙之類を総て会所へ相達候ニ付ては其時限屹度罷出候様可相心得事 第廿三条 一 堤防橋梁道路之修繕或ハ用水等肝要之事務等て惣而戸口に関係する事故或は非常之件ある時は代議人を集め会議すべき事 第廿四条 一 前条之儀ニ付他区ト連係する事件は其区と協議すへき事 第廿五条 一 戸籍会所休暇之儀者左之通可相心得事 一月一日より三日迄 六月二十八日より三十日迄 十二月二十九日より三十日迄 紀元祭 天長節 遥拝 御追祭 祈念祭 土神氏神之祭日 日曜日 右之通堅相守可申もの也 (「壬明治五年申十一月廿日御用留」内野悌二氏蔵) (注)中島富之助『戸塚郷土誌』に同様の資料がある。 一五 区画改正にともなう代議人選挙に関する件達(一-三) (一) 第二大区より二十大区まで 正副区戸長江 客歳区画改正之大略布達およひ置候処右則中第五条代議人選挙之儀其節相達置候人員割合之通相心得毎小区小前一同入札為致其小区之戸長副立会之上区長副ニおゐて是を抜出し壱小区限壱括ニ致し壱大区中之分取纒メ高札之もの順序姓名書相副七月十五日限申出候様可致此段相達候事 明治七年六月廿六日 神奈川県令 中嶋信行 (注)同様の資料が「神奈川県布達」にある。 (二) 前書代議人選挙方法は小区戸長副入札ニ做ひ書式并紙寸等一定可致且現今戸長副は勿論村堤防掛其佗公務ニ関係いたし候ものは差除キ更ニ平民之内より選挙可致就而ハ戸数目的左ニ記 戸数五拾戸迄 議人弐人 同六十戸満 同三人 同八十戸満 同四人 同百戸満 同五人 前記一村ニ見做ひ選挙可致且入札紛錯不致様区長副ニ於て注意可致旨御談ニ付此段及添達候也 庶務課詰 七年七月二日 区長 (三) 庶第二十号 第二大区ヨリ 第二十大区マテ 区長 戸長 代議人撰挙之義兼而相達置候趣も有之候条毎区入札之上高札之もの取調人名申出候ニ付而者右之ものとも自今代議人ニ採用候条来月一日より戸長副長任撰を始メ民情実際ニ験し候義ハ総而右代議人江可及下問候条其旨可相心得候右之趣代議人江も相達候様可致此段相達候事 明治七甲戌 第八月廿八日 神奈川県令中嶋信行代理神奈川県参事 山東直砥 別紙之通今般代議人撰挙高札之通御採用御辞令相成候ニ付而ハ都而被仰渡候条々相心得候様能々御申聞小区限請書取之御差出し可被成候此状速ニ順達已下略 第十一大区 七年九月一日 会所 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 一六 神奈川県自第二区至第廿区正副区長名簿 第弐区 区長 永嶋亀一郎 副区長 高梨林之助 第三区 区長 池谷政之丞 副区長 小川喜左衛門 第四区 区長 添田知通 副区長 村田雄七郎 第五区 区長 鈴木清兵衛 副区長 片山源助 第六区 区長 吉浜逸作 副区長 高橋牧之丞 第七区 区長 角田藤松 副区長 平出右作 第八区 区長 石坂鎮四郎 副区長 中溝昌弘 第九区 区長 佐藤彦右衛門 副区長 横川高徳 第拾区 区長 原泰輔 副区長 清水斎兵衛 第拾壱区 区長 下田半十郎 副区長 小川弥次郎 (欄外注記)二月廿八日依願正副共免役第八区々長石坂昌孝当区々長兼務被仰付其後当区正副戸長入札撰挙いたし明七四月七日振替之通県庁より被仰渡拝命相済申候 第拾二区 区長 砂川源五右衛門 副区長 田村半十郎 『後ニ副区長』村山為一郎 第拾三区 区長 浜中五郎左衛門 『後ニ』山崎喜右衛門 副区長 細谷五郎右衛門 第拾四区 区長 若命源左衛門 副区長 福本寛六郎 第拾五区 区長 小川三郎左衛門 副区長 藤波権六 第拾六区 区長 山本庄太郎 副区長 森小十郎 第拾七区 区長 青木嘉平次 副区長 内田茂三郎 第拾八区 区長 平野愛之 副区長 伊藤清兵衛 第拾九区 区長 伊東孫右衛門 副区長 伊東庄兵衛 第弐拾区 区長 田所新九郎 副区長 飯嶋兵左衛門 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 一七 足柄県正副区長名一覧 第一区 長 吉田元 副 田中直右衛門 同二 長 拝郷源左衛門 同 井沢嘉十郎 同三 田中九郎 同 荒井伊助 四区足柄下郡小田原 長 小西次郎右衛門 同 二見初右衛門 五区同 長 清水伊十郎 同 関村佐五兵衛 六区同 長 鈴木銀二郎 同 吉田仙助 七区同 池上村 長 宮内太次兵衛 上久野村 同 長谷川五郎右衛門 八区同 前川村 長 石塚彦三郎 国府津村 同 長谷川覚右衛門 九区 小竹村 長 小沢八郎右衛門 曽我原村 同 中村栄蔵 十区 鴨宮村 同 松本六兵衛 矢作村 同 星崎亀三郎 十一区 永塚村 同 宇佐美理右衛門 成田村 同 河野次郎右衛門 十二区 飯田岡村 同 高橋権左衛門 中曽根村 同 木村平右衛門 十三区足柄上郡 井ノ口村 長 大島四郎兵衛 北田村 副 榎本文右衛門 十四区同 柳川村 同 熊沢長右衛門 篠窪村 同 内藤九郎兵衛 十五区 萱沼村 同 安藤弥源次 八沢村 同 小宮久兵衛 十六区 金子村 同 細島弥惣兵衛 神山村 同 田中六左衛門 十七区 川村岸 同 尾崎慶次郎 川村向原 同 尾崎川右衛門 十八区 神縄村 同 山崎佐次兵衛 川西村 同 細谷四郎平 十九区 矢倉沢村 同 田代五郎衛門 谷ケ村 同 武尾梅吉 廿区 雨坪村 同 矢埜七郎兵衛 中沼村 同 杉本太三郎 廿一区 怒田村 同 高橋貞二郎 和田原村 同 荒井二左衛門 廿二区 沼田村 同 安藤為之助 栢山村 同 小沢弥太郎 廿三区足柄下郡 牛島村 同 府川徳左衛門 金井島村 同 瀬戸礼助 廿四区 板橋付 長 杉崎源右衛門 須雲川村 副 加藤五郎右衛門 廿五区 宮城野村 同 宮原新太郎 底倉村 同 安藤兵次 廿六区 早川村 同 青木次郎右衛門 根府川村 同 広井長十郎 廿七区 吉浜村 同 向笠五右衛門 宮上村 同 加藤利右衛門 廿八区 箱根宿小田原町 同 駒佐五兵衛 三島町 同 安藤次三郎 廿九区淘綾郡 大磯宿 同 尾上六右衛門 同 小島壮三 同 中川権左衛門 同 北口善助 三十区 山西村 同 宮戸善左衛門 二ノ宮村 同 松本七郎右衛門 三十一区 生沢村 同 二ノ宮平二郎 中里村 同 関山清兵衛 三十二区 千村 同 谷平右衛門 渋沢村 同 粟原清蔵 (柏木俊孝氏蔵) 一八 区画改正にさいし民費に関する伺および指令(一-二) (一) 伺書 壱条 区画御改正已来地方高之唱御廃止相成諸入費割合方目的確定不仕追々地方御改正相成候上ハ地券金高割合ニ可相成儀ニ付右地券取調相付候上当分旧高割ニ而諸入費取立候様仕度尤割合者ニより家別人口等江割当候義者別段都而田畑江割宛候分ハ旧高ニ割合取集候様仕度此段伺上候 弐条 御管下村々凶災用意社倉貯積金人口銭を以去ル明治四未年より来ル子年迄六ケ年之間積立候旨御請書奉差上置候処当今ニ至リ大区会所入費等々毎口銭を以仕払其他学校入費方ニ出金廉多く当惑罷在候ニ付右社倉積金之儀者当酉年より亥年迄三ケ年延来ル子より卯年まて是迄通積立候様仕度御聞済願上候 三条 区画御改正已来送籍之儀区内者旧戸長調印送籍致他府県送籍之儀者区長調印ニ而取扱来候処今般各区番組戸長被仰付候上ハ区内者勿論他区他府県とも都而戸長調印迄ニ而送籍取斗候様仕度此段申上候 四条 村用掛月給金弐拾五銭より金四円迄其村々適宜ニ取斗申度事 五条 貢納并村入費共番組会所ニ而取立村用掛立会割付小札者村用懸リ認メ戸長見留印之事 但割付小札配達并毎口銭取立等ハ各村家別順番役之事 (六条) 一 番組会所出勤時間并休暇等ハ大区会所同様之事 但テイブルイス相用袴着用之事 本月廿三日会所開之事 (七条) 一 番組会所印 一 番組会所高張 一 番組会所弓張 一 同各村用掛 一 会所標札 右之通桃灯懸札相用度候事 八ケ条 一 村用掛之儀者大小ニ不拘各村壱名宛撰挙可申上事 但地租御改正田畑一筆限絵図面取認メ真価地代金小前帳差出シ方其地総而村用差添候節ハ小前重立之内弁用之もの日当を以相雇遣ひ立可申事 (九条) 一 道路ニおゐて行倒及病人等有之検使被仰付等之費用是迄一条不致候ニ付向後左ニ 一 旅人躰有籍之者 金弐拾五銭埋葬料 此入費金弐円五拾銭 内金壱円四十銭番人共二夜昼手当焚物代共 金四拾銭 死骸雨覆縄代 金四拾五銭 棺桶穴掘人足代 金拾弐銭五厘 埋葬料 一非人躰無籍之者 内金六拾弐銭五厘番人足死骸雨覆代共 金弐拾五銭 棺桶代 右件々至急御示令被成下置度此段伺上候已上 第弐区ヨリ 第廿区迄 明治六年第十月十六日 各区長判 (注)伺書の(六)、(七)、(九)の各条は編者が付した。 (二) 『第一条入費取立方田畑ニ関係する分ハ田高割其余ハ他の方法相設ケ割合可申事 但其土地ニ重も立候者江商議之方法可取極事 第二ケ条 貯穀積金年延之義ハ不相成候 第三ケ条 送籍入籍之義者戸長取扱毎一ケ月取調区長江指出候義ト可相心得候事 第四条 村用掛月給之義ハ其村適宜を以給与可致事 但給料取極め之上其段可届出置候事 第五ケ条 貢納并村費とも番組戸長ニ而取集候義と可相心得事 第六条 伺之通 第七条 伺之通 第八条 伺之通 但村用差湊臨時雇入候節者其節々可纒伺事 第九条 行倒死人費用之義者聞置候事』 前書之通御指令相成候間此段御達申上候依而ハ御指令之通リ末々迄 無遺漏御達可成候也 第十一月十一日 第拾壱区会所(印) 第八番組(印) 第七番組(印) 第九番組(印) 第拾番組 戸長御中 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 一九 正副戸長の事務引継に関する件達 『第八十六号』 正副 区長 戸長 先般番組戸長副戸長更ニ撰挙事務夫々為取扱候ニ付而者村々旧戸長副戸長百姓代共今般一同相廃止候ニ付役場関係之書類一切取束目録書ヲ以来ル廿五日限リ番組戸長副戸長江引渡可申候且右請取渡相済候ハヽ退役受書共区長おゐて取纒其旨可申出此段相達候事 明治六年十二月十七日 神奈川県権令 大江卓 別紙之通旧戸長副并ニ百姓代共相廃止候ニ付公用書類一切番組会所江可差出旨御達ニ付依而ハ旧戸長副百姓代者勿論小前末々迄御説諭可成候此段御達申候也 第十二月廿一日 第拾壱区会所(印) 第八番組(印) 第九番組(印) 第七番組(印) 第拾番組 正副戸長御中 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 二〇 戸長副戸長事務取扱大略 戸長副戸長事務取扱大略 一 区長学区取締ニ次キ制限ニ従ヒ番組一切ノ事務ヲ取扱フ事 一 組内種々ノ弊風ヲ改メ勉メテ入費減少ス可シ 一 番組会所出勤退出休暇ハ総テ区会所ニ同シ 一 番組内各村公用村用ニ関スル一切ノ書類ハ悉ク番組会所ヘ備ヘ 置クヘシ 一 事務取扱ノ順序ハ総テ各村ノ小前ヨリ村用掛リヲ経テ戸長副戸長ヨリ具状スルモノ一区中ニ関スルハ区長ヘ差出シ番組限リノ諸願伺届ハ直ニ県庁ヘ差出スヘシト雖トモ必ス区長ノ連印ヲ以テス尤出港先ニ於テ書面改ムルコトアラハ品ニヨリ戸長副戸長ノミニテモ差出スコトヲ許ス 但出発帰村公用ノ次第ヲ庶務課出勤簿ヘ記載シ又帰村ノ上ハ区長ヘ届ク可シ 一 租税上納ノ期ニ至ラハ各村ニ分賦シ之レヲ取立金額精算ノ上区長ニ付ス 一 小前ヨリ租税取立方ハ村々ヨリ種々迂遠ノ旧習ヲ固守シ無謂手数ヲ費ス事不少ニ付更ニ簡便ニ取計フ可シ尤反米反米等ハ必ス村々均シカラサル故簿冊混乱セサル様詳記シ置ク可シ 一 定免切替年季増ノ類区中二三ノ番組ニ渉ルモノハ各戸長申合セ不都合無之様取計フ可シ 一 地所売買質入書入ノ記帳ヲ制シ置キ地券元帳ニ照シ地価反別ハ勿論年季並ニ連証ノ名面ヲ記シ置キ誤テ二重ニ奥印ス可カラサルヲ要ス 一 用悪水引方ハ是迄村々取扱ノ手配アル可シト雖トモ右ハ田方培養ノ第一ニシテ怠ル可カラサルノ事件ナレハ猶一層便利ヲ得毫モ私ナキ様最モ注意スヘシ 一 水損村々ハ平常出水防害ノ策ヲ備ヘ置カサレハ臨機ヲ得難ク土地老農ニ的議シ既往水害ノ模様ヲ熟察シ老幼ヲ除ノ外各持場ヲ極メ至当ノ手当ヲ以テ戸長副戸長村用掛世話掛ニテ指揮シ水害ヲ防ク可シ 但持場人足手配ノ方法相立小前一同規定連印イタシ其旨県庁ヘ届置ク可シ 一 出生死亡其他ノ増減ハ村々ヨリ届出次第加除シ区長ヘ届ヘシ 一 毎歳一月一ケ年ノ戸籍増減ヲ検シ区長ヘ届ヘシ 一 送籍受籍トモ他区ニ関スルモノハ必ス区長連印ス可ク自区中ノ分ハ戸長限リニテ送答シ双方ヨリ其時々区長ヘ届クヘシ 一 組内訴訟起ラハ篤ト事実承リ条条弁解スル様相諭シ止ムヲ得サル義ハ区長ヘ申出ヘシ 但答不条理ノ事タリトモ強テ上裁ヲ請ワントスルモノハ其情実ヲ区長ニ告ケ必ス壅蔽スヘカラス 一 番組入費ハ月々詳細計算帳ヲ製シ在来入費引当トシテ村益ノ備ヘアルハ其村入費ニテ引去ル事トシ地価反別戸数当リ等詳ニ割方ヲ記シ区長ヘ差出ス可シ尤モ取立方ノ手順ハ追テ一定ノ規則ニ依リ公告ヲ得テスヘシ 一 是迄村々ニテ仕来シ堤防道路橋梁修繕ノ入費或ハ村役無賃人足ノ類其土地便宜ニ任セ相成丈ケ合併シ組内平等ノ支費ニ相成候様合議スヘシ 一 社倉積立金ハ月々取立置年々七月十二月両度ニ区長ニ付ス 一 村々鎮守祭礼及入費ハ郷社村社確定イタス迄ハ先是迄ノ通リタリ尤入費ハ月々計算シ区長ヘ差出スヘシ 一 出火ノ節速ニ場所先ヘ出張シ村用掛リトハカリ消防ヲ指揮スヘシ鎮火スルトキハ布告ニ準シ取調区長ヘ届 但消防道具人足手配等ノ方法兼テ用意イタシ置クヘシ 一 難破船ハ兼テ浦方規定ニヨリ救助シ区長ヘ届ヘシ 一 変死行倒人アラハ番人ヲ付ケ置戸長副戸長村用掛立会相改詳細書ヲ以テ区長ヘ届ヘシ 一 路傍餓凍等ニテ歩行不叶歟又ハ既ニ死ニ臨マントスルモノアラハ速ニ出張シ親切ニ手当ヲシ区長ヘ届クヘシ 一 怪敷体ノ者立廻ルコトアラハ土地人民ヲシテ臨機差押エルノ工夫シ置キ自他ノ区ヲ不論賊ノ可相廻ト見込タル場所先又ハ最寄ノ区長邏卒ヘ通達スヘシ 一 御布告モノ其他触書等ハ区会所ヨリ到来ノ日ヲ記シ置キ即刻各村掲示場ヘ張出シ右日限モ同様記載ス可シ 一 田畑耕作ノ出来方水旱損ノ模様ハ時々区長ヘ届ヘシ 一 酒造醤油造其他免許定額ノ外加造スルモノナキ様時々見廻ルヘシ 一 証券印紙ノ類若シ法則ヲ誤ルモノハ番組会所ヘ呼出シ再三説諭シ猶用ヒサルトキハ区長ヘ申出ヘシ 一 紀元祭天長節総テ布告ノ公祭ヲ欠ク可カラス 一 日限ヲ以テ達シタル諸調物等若シ事実出来難キコトアラハ其情実区長ヘ申出ヘシ無謂延期スルコト勿レ 一 学校ヲ設立スト雖トモ費用ノ備ヘナクシテ永続ノ目的モ難立ニ付組内有志ヲ募リ或ハ適宜ノ民費ニ課スル方ヲ設ケ貧生ヲ救助シ学ニ付カサル児童ナキ様心掛可シ区内学校ノ盛ンナラサルハ区長学区取締ノ責タレトモ番組ノ行レサルハ戸長副戸長ノ責タルヘシ但学校ノ一切ハ学区取締ノ指揮ヲ受ケ合議ス可シ 一 疫病流行ノ節是迄土地弊風アリテ病者ノ門戸ヲ塞キ通路ヲ禁シ幽樹付暗居セシムルカ為メ一家悉ク伝染シ終ニ死亡ニ陥リ又神経病ヲ孤付ト唱ヘ患者ヲ呵責究問シ医薬摂生ノ道ニ背キタル所分旧ニ依ッテ不改時ハ其責戸長副戸長ニアリ 一 流行神流行仏又ハ無根ノ妄説起ラハ篤ト村民ヲ説諭シ猶止ムコトナキハ区長ニ報知ス 一 会所ノ位置ハ各村用掛一同共議シ中央ノ寺院等ヲ仮用スヘシ 一 事務創業ノ際取扱振等総テ衆議スルノ義可有之ニ付戸長副戸長月々二十日マテ会所ヘ集議ス可シ右ハ当分別段ノ義ナレハ各日当金十二銭五厘宛ヲ支給ス 明治六年 (神奈川県布達) 二一 区長副区長事務条例 区長副区長事務条例 第壱条 御布令書其外御達向到着ノ日ヨリ三日ヲ期トシ区内ヘ洩レナク布達イタスヘキ事 第二条 区長副区長月々会所ヘ出頭戸長ヨリ出生出入届出次第戸籍加除スヘキ事 第三条 毎歳一月戸籍増減各戸長ヨリ差出ス下調書ヲ以テ精密ニ取調製表可相納事 第四条 区内ノ風俗ヲ惇フシ勧業ヲ注意シ荒蕪ヲ開拓シ道路ヲ修繕シ物産ヲ興ス等ノ義最モ注意スヘキ事 第五条 区内学校ヲ保護シ開化ニ進歩セシムル様注意致スヘキ事 第六条 区内孝義奇特ノモノアルトキハ具状禀啓ス可キ事 第七条 組内限リ事務ハ戸長副戸長ヨリ県庁ヘ差出スヘキハ勿論ニ候得共其都度会所ヘ相届ケ区内番組内ノ公用村用為相兼可成村費減少候様注意可致事 但諸願届共区長副区長ノ内奥印ノ上県庁ヘ差出シ届書ハ一通差出シ申スヘキ事 第八条 区内訴訟起ラハ先ツ願ノ趣旨会所ヘ為申立双方ノ事情篤ト承リ条理弁解イタス様懇ニ相諭シ納得イタサスヘシ若シ止ヲ得サルノ件ハ添書ヲ以テ上裁ヲ請フヘキ事 但毎歳区内ノ訴訟名目製表シ一月中ヲ限リ上啓スヘキ事 第九条 海辺各区難破船有之節其他戸長ヨリ会所ヘ届出テ区長副ノ内出張取調イタスヘキ事 第十条 戸長副戸長ノ勤怠ヲ査シ具状スヘキ事 第十一条 諸経費詳細ニ記簿シ各番組入費帳一同取纒メ庶務検印済ノ上三ケ月毎ニ区内ヘ公告シ疑念ナク出金可為致事 第十二条 書記ハ区長副区長ヨリ申立辞令書相下ケ可申候事 第十三条 区内ノ事務ニヨリ県庁ヘ出ルトキハ到着並ニ出発トモ其時々庶務課ノ検査ヲ請クヘキ事 第十四条 区内ヨリ上納スル雑税冥加金等便宜ニ任セ区内取纒メ相納メ候義モ可有之事 但取集メ預リ中非常護衛注意スヘキ事 右ノ通確守可仕候事 (神奈川県布達) (注)飯田助丸氏所蔵資料に同様のものがある。 二二 区長戸長事務取扱心得書 第六十七号 各区 正副区長 正副戸長 先般区画改正区長戸長以下夫々撰挙事務為取扱候ニ付テハ諸入費ノ義一際節減不致候テハ不相成筋ニ候得共当今諸般改正ノ義ニ付郷村ノ事務別テ差湊随テ費用モ増加イタシ候ハ各所同一ノ義ニテ事実不得止勢ニ有之候得共小前未々ニ至リ候テハ右等ノ弁別モ無之只管目前ノ苦情ヲ唱ヘ候ハ常情不得止義ニ付テハ区長以下別テ厚注意民費可成丈減少イタシ候様深切ニ可取計候万一毫毛モ不明瞭ノ義有之候テハ不相成候条別紙事務心得書相渡シ候間確守可致此段相達候事 明治六年十一月廿九日 神奈川県権令大江卓代理 神奈川県参事 山東直砥 (別紙) 区長戸長事務取扱心得書 一 大区会所番組会所共正副区長戸長ノ自宅ヲ相用ヒ候義ハ不相成候事 一 願伺届書トモ区長戸長一名ニテハ差出ス可カラサル事 但出港中又ハ病気引他出等ノ節ハ此限ニアラス 一 区会所ニハ村用掛以上ノ印鑑帳番組会所ニハ戸長ノ印鑑帳ヲ兼テ備ヘ置可申事 一 各区会所ニ於テ用度ノ物品買上ケ候節ハ必ラス受取書取置キ計算ノ証ニ備フ可キ事 但受取書ハ半紙ニ認可申候 一 用紙ノ類遣払之義ハ何調ニ付何枚入用ト帳面ニ内訳明細ニ記シ置キ申ス可キ事 一 諸回章継送ノ義ハ兼テ帳面ヲ造リ置キ送リ届トモ番組ノ受取印ヲ取置可申事 但総テ賃銭ノ類ヲ記載スルニハ幾日何方ヘ配達此賃銭何程ト認別ニ賃銭渡帳ヘ受取印可為致置事 一 郵便賃銭等ノ義モ前同様ノ振合ヲ以テ明細ニ留置クヘキ事 一 区長以下旅費ノ義ハ幾日何々ノ義ニ付何方ヘ出張幾日逗留此旅費何程ト認メ別帳ニ当人請取印取置可申事 右ノ通リ (神奈川県布達) (注)飯田助丸氏所蔵資料と内野悌二氏所蔵資料に同様のものがある。 二三 神奈川県第三区七番組区画改正にともなう番組編成に関する太尾村他二か村願上書(一-三) (一) 今般区画御改正相成候ニ付而者各区番組戸長副戸長御取立相成従前村々戸長副之義者都而御廃シ被仰出村用掛リ并堤防世話掛リ等被差置番組之事務一般ニ取扱民費減少之御趣意小前一同江説諭および候処当番組太尾村外弐ケ村小前一同より別紙之通難渋之始末其筋江申立呉候様連印之書面差出候間何分其儘難見捨義ニ付不取敢私共者勿論重立之者篤と集評之上兼而合併之御旨趣モ有之候ニ付小前末々まで懇切ニ申諭候処何分共一時会得いたし兼無余儀尚又再応集議之上一際小前人気不騒立様私共規則囗立候取扱之趣意左ニ申上候 一 太尾村外弐ケ村合高千三百六拾五石余ヲ以壱組と定メ番組御引訳ケ方相願戸長副戸長弐人ヲ相立番組之中央ニ会所ヲ設ケ都而事務取扱大略之御趣意ニ基キ聊御差支筋無之様取扱可申事 一 戸長副戸長并村用掛リ堤防世話掛リ等人撰之義者何れも三ケ村小前一同入札之上高札ヲ以取極メ尤戸長副勤役之村方ニおゐて者都而兼勤いたし入費減少可致事 一 戸長副戸長以下都而無給ニ而相勤メ尤出港入費者兼而御規則之通一日金三拾銭ヲ支給大豆戸村会所用出勤同様一日金六銭弐厘五毛弁当料手当と見積リ其上番組会所出勤者何れも三ケ村より手弁当ニ而相勤メ其余書役下小使給料之儀者組合村々自愛ヲ以月々至当之手当差遣し候積リ且戸長副勤役之義何れも無給之義ニ付永年相勤候得者多分之損毛有之候ニ付一両年目ニ交代いたし尤古役之者時々見廻リ聊事務差支無之様深切ニ取扱可申対談ニ御座候事 一 番組会所遣払筆墨紙都而諸入費之義者三ケ村反別割ヲ以差出候対談之事 一 水旱難遁極難之村々ニ候間御収納其外諸上納物等御触達日限通リ取立方難行届分者是迄之通戸長副并身元之者無利足ニ而立替難渋之小前百姓相続相成候様取斗都而村入費不相掛様丹誠いたし万事心得諸世話行届候様可致事 前書之通私共一同評議之上取扱向之廉々仕法相立一村治リ方専一ニいたし公用并村用共聊御差支筋無之様取斗可申積リ一同示談行届候間何卒右願之通御伺之上番組御引訳ケ方被 仰付候様仕度此段小前惣代元戸長副連印ヲ以奉願上候也 第三区七番組 武州橘樹郡 太尾村 小前惣代 前川権六(印) 元副戸長 森半兵衛(印) 同 漆原定八(印) 元戸長 磯部与右衛門(印) 樽村 小前惣代 横溝勘七(印) 元年寄 鈴木忠兵衛(印) 元名主 横溝与左衛門(印) 北綱島村 小前惣代 吉原孝助(印) 元副戸長 小泉武左衛門(印) 元戸長 飯田助右衛門(印) 前書之通此度番組戸長副御改正相成候ニ付而者村々小前一同より彼是難渋之始末申立候ニ付依而村役人并重立小前惣代集評之上右廉書之通リ取扱振規則相立其筋江可願出旨一同議定いたし候上者前件願之義ニ付若県庁御沙汰ニ相成永引候ハヽ村々ニ而交代いたし入費等之義者 ヶ村高割ヲ以差出候積リ一同対談仕候上者重而違変仕間敷候依之議定連印いたし置候処如件 太尾村 小前惣代 前川原太郎(印) 同 同権六(印) 同 磯部甚左衛門(印) 同 森鉄五郎(印) 元副戸長 同半兵衛(印) 同 漆原定八(印) 元戸長 磯部与右衛門(印) 樽村 小前惣代 横溝勘七(印) 元年寄 鈴木忠兵衛(印) 元名主 横溝与左衛門(印) 北綱島村 小前惣代 吉原孝助(印) 元副戸長 小泉武左衛(印) 元戸長 飯田助右衛(印) (二) 先般各区番組御改正相成候ニ付而者当番組太尾村外弐ケ村小前一同より困迫歎願仕候ニ付重立之者評儀之上人気不騒立様番組御引訳ケ方相願取扱向仕法相立此程願書差出候処今般御呼出シ之上村費被為厭貧民救助之御主趣厚く御説諭被成下殊ニ先達而戸長副戸長以下都而無給ニ而相勤候旨是又願書差上置候得共右者不相成何れも時節柄ニ比校シ給与不請取者ハ難為勤段被仰聞私共一ト先帰村仕篤と御利解之趣申聞候処一同相弁江候得共何分私共村方之義者兼而申上候通外村々と者別格訳ケ而難渋之土地柄殊ニ追々御増永并諸税上納相嵩ミ兎而も割合出金難行届旨末々迄一同悲歎ニ沈ミ難見忍依之不奉顧恐多尚又左之通仕法相立此段奉再願候 一 太尾村外弐ケ村合高千三百六拾五石余ヲ以一組と相定メ番組御引訳ケ方相願戸長副戸長弐人ヲ相立番組村々中央ニ寺院等ヲ借受一時仮会所ヲ設ケ都而事務取扱大略之御主趣ニ基キ聊共御差支筋無之様取扱可申事 一 戸長副戸長以下人撰之義者誰彼ヲ不論何れも三ケ村小前一同入札之上高札ヲ以取極メ可申事 一 戸長副戸長以下給与之義御利解之趣モ有之且者御規則之義ニ付戸長壱ケ月金壱円五拾銭副戸長同金壱円定小使金弐円と相定メ書役之義者戸長副勉励之上相省キ尤出港入費等者兼而御布達之通一日金三拾銭ヲ支給其余日ニ番組会所出勤者何れも手弁当にて相勤メ書役給与之分者未タ組内之小学校更ニ規則不相立候ニ付右ヲ以同校資費ニ遣払度是以村費節減之御旨趣一同相弁江尚一層入費減少いたし候心得ニ候事 一 番組会所遣払筆墨紙都而諸入費之義ハ三ケ村反別割ヲ以差出月々計算張ヲ区長江示し検査相受可申事 一 水旱両災難遁極難之村々ニ候間兼而先般申上候通御収納其外都而諸入費一時難行届者共者戸長副并重立之者共ニ而立替困窮之百姓相続相成候様取斗都而村入費ヲ厭ひ万事心付諸世話行届候様可致事 前書之通三ケ村重立之者并小前一同評議之上仕法相立一村治り方専一にいたし殊ニ草創之義ニ付何分共一時多人数之小前会得いたし兼候間尚追々人気見斗合併為致候上者詰リ盛大ニモ至リ御庁之御見込も可相立と乍恐奉存候間何卒前件申上候始末御推察被成下兼而願之通番組御引訳ケ方之上一ト先治リ方之義ニ付土地之適宜ニ任セ為取扱被下一両年御見試之上外番組より入費等相嵩ミ候得者私共者勿論一同何様之御仕置被仰付候共其節違背仕間敷候間右願之趣格別之思召ヲ以御採用被成下置度此段奉願上候也 第三区七番組 武州橘樹郡北綱島村 五拾五人惣代 明治六年第十二月 飯田光実(印) 吉原太郎右衛門(印) 小嶋卯兵衛(印) 同 樽村 五拾壱人惣代 鈴木忠兵衛(印) 横溝重蔵(印) 同 重右衛門(印) 縄嶋勘助(印) 同 太尾村 九拾壱人惣代 磯部与右衛門(印) 森半兵衛(印) 前川権六(印) 森紋左衛門(印) 神奈川県権令 大江卓殿 (三) 第三区七番組武州橘樹郡太尾村外弐ケ村元役人一同奉申上候今般区画御改正之上者当組正副戸長を以組内之事務一般ニ取扱村費減少之御旨趣尤元戸長副之義者先従前之通可相心得旨被仰達候得共当今多人数有之候而者臨時入費相嵩ミ節減之御趣意ニ悖リ却而奉恐入候殊ニ事務多端之折柄ニ付何分勤続難相成候間兼而番組御改正相成候ニ付而者公用村用一切ニ関係之書類同会所江更ニ可相備置段事務取扱大略を以御布達被為在候ニ付速ニ書証類引渡シ私共義者是迄ニ而辞役仕候間何卒右願之趣御聞届被成下置度此段奉願上候也 第三区七番組 太尾村 元戸長 磯部与右衛門 同副戸長 森半兵衛(印) 同 漆原定八 樽村 元戸長 横溝与左衛門(印) 同副戸長 鈴木忠兵衛 同 横溝重蔵 同 同勘兵衛(印) 北綱島村 元戸長 飯田光実(印) 同副戸長 小泉武左衛門(印) 神奈川県権令 大江卓殿 (飯田助丸氏蔵) 二四 村用掛選挙に関する指令願上書 村用掛撰挙書 第拾壱区拾番組 武蔵国多摩郡 高木村 尾崎 金左衛門 芋久保村 石井 権左衛門 蔵敷村 鈴木重蔵 右撰定仕候間速御指令被成下度奉願上候已上 右 副戸長 明治七年三月四日 宮鍋庄兵衛 戸長 内野杢左衛門(印) 区長 石坂昌孝 神奈川県令 中嶋信行殿 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 二五 村用掛拝命誓約書提出に関する件達 第拾壱区 武州多摩郡 野中新田 与右衛門組 秋山権兵衛 大沼田新田 中村七郎左衛門 鈴木新田 深谷運平 下小金井村 鴨下庄左衛門 下小金井新田 鴨下文左衛門 貰井村 平井六右衛門 牟礼村 高橋董三郎 下連雀村 渡辺源二郎 上連雀村 石井安五郎 北野村 野原七蔵 上仙川村 井上吉之丞 関野新田 大塚平兵衛 梶野新田 梶野直次 西久保村 井野宇左衛門 田無村 小山平左衛門 清戸下宿 小嶋宇右衛門孫 小島義助 中清戸村 村山源蔵 下清戸村 大熊友次郎 小川村 佐藤金左衛門 小川新田 並木源左衛門 (木脱) 榎戸新田 清水藤五郎 高木村 尾崎金左衛門 蔵敷村 鈴木重蔵 芋久保村 石井権左衛門 前記各名ヘ今般村用懸被 仰付候間此旨及 御達候就而者請書之趣 正副戸長加印区会所江取纒早々 御庁江御差出し可被成候也 在港 七年三月卅一日 区長石坂昌孝 第拾壱区 自壱番組 至拾番組 正副戸長御中 別紙御辞令相成候間篤ト御承諾之上速ニ御請書御差出し可被成候此 状御披見次第御急達周尾より御戻達可被成候也 第拾壱区 会処 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 二六 村用掛選定改正に関する件達 庶第五十号 自第二大区 至第二十大区 区戸長副代議人エ 各区村用懸之儀ハ従前区戸長之撰定ニ任セ採用致シ来候処方今民情兎角物議ヲ生シ動モスレハ出訴シ夫カ為メ冗費相嵩ミ往々迷惑及ヒ候者不尠趣ニ相聞右ハ畢竟撰挙之規則無之ヨリ自然右様ノ宿弊今日以テ相存シ候義ニ付自今村用懸任撰之義モ総テ戸長副ニ準シ代議人等一同之入札ヲ以採用候条其旨相心得平素民心ヲ熟知シ任撰之義不都合無之様注意可致此旨相達候事 明治七年十月九日 神奈川県令 中嶋信行 (神奈川県布達) 二七 人民身分順序に関する件達 『第八十三号』 各区 区長 戸長 人民順次之義是迄心得方区々之趣ニ有之候処先般公布之趣も有之候 ニ付以来区長戸長士族平民ト可相心得事 右之趣区内無漏可相達候也 明治七年三月二七日 神奈川県令中嶋信行 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 二八 区長事務章程および同追加(一-二) (一) 区長事務章程 第一章 区長ノ職タルヤ官民ノ間ニ立上意下達下情上通セシムルヲ要シ事ヲ理スルノ任ニシテ即官民ノ媒酌人ト云フヘキ也然ルニ現今ニ在テハ徒ニ其郷閭ニ在テ事務ヲ執リ適月次ノ出庁会同アリト雖モ官民ノ間疎遠ニシテ上下隔絶ノ弊ナキ能ス故ニ今般毎区正副長ノ内交替一名ツヽ県庁ニ出仕シ官民ノ内ニ従事シ以テ上下情意ヲ融通セシメ敢テ擁閉ノ弊ナカラシメンヲ要ス 第二章 各正副区長ハ県庁ニ出席シ政令憲法及一切県治上ノ章程ヲ通暁シ実際施行ノ事務ニ就キ其可否得失ヲ弁論セシメ以テ県治ノ補助トセンヲ要ス 第三章 故ニ其引受ノ区内諸般ノ廻議書視閲加印ノ権ヲ有ス因テ意見アルモノ之ヲ奉者ニ相議シ論議分ルモノハ別ニ議案ヲ付シ長官ノ決判ヲ請クヘシ 第四章 県庁江出中ハ其区内ノ事務ニ関シ先規定例アルモノハ各自奉者ト成リ速ニ事務ヲ所分シ人民ノ便宜ヲ得セシメンコトヲ要ス 第五章 県庁詰交替期限ハ三ケ月ヲ定則トス故ニ庁ニ在テハ当時政躰ノ主意ヲ通解シテ理事ヲ明ニシ郷閭ニ頼テ之ヲ模範シ人民制論教導其宜ヲ得以テ上下ノ情意間然ナカラシメントス 但郷閭ニ在テノ事務ハ従前ノ通タルヘシ 右之通相定候事 明治七年第三月 神奈川県令 中嶋信行 (「区長必携」飯田助丸氏蔵) (二) 庶第七十九号 第二大区ヨリ第二十大区ニ至 正副区戸長 今般区長事務章程左ノ通追加候条其旨相心得出納牒簿等来ル八年一月ヨリ別紙雛形ニ照準シ聊不分明ノ儀無之様屹度注意可致尤旧来ノ勘定都テ詰算不相成因循打過候向モ有之哉ニ相聞ヘ甚以不相済事ニ候就テハ本年十二月ヲ限リ悉皆勘定ヲ遂ケ可申追テ官員派出調査為致候条其節不都合ノ儀無之様兼テ可相心得此旨相達候事 但小区会所ニ於テモ悉皆同様ノ義ト可相心得事 明治七年十一月二十日 神奈川県令 中嶋信行 区長事務章程追加 一 会計ノ精審ナラサルハ人民疑惑ノ念ヲ生スルノ基ニテ之カ為ニ多少ノ不都合ニ至ルノ件往々止ス仍テ区長以下一層厚ク注意シ正租公納ヲ始メ戸口旧高等ヨリ賦課スル一切ノ出入ヲ明瞭ニ計算シ後規ト為ス可キ牒簿ヲ備ルヲ専要トス 一 正租雑税布達日限ノ通可公納ハ勿論ニ候処本人ノ都合ニ依リ事実期限ヲ過ル時ハ情実ヲ審問シ有体ニ具状ス可シ 一 区会所ニ於テ立替繰替金等ハ計算錯雑ノ基ニ付禁止ス可シ正租米金ヲ雑税ノ廉ヘ相納正租雑税米金ヲ区入費ニ立替区入費ヲ正租雑税ノ廉ヘ上納スルノ類万一事ノ都合ニ依リ立替スシテ叶サル時ハ更ニ区入費ハ代議人ヲシテ合議セシメ金主ヲ立テ利金ヲ定メ区戸長並ニ代議人ヲシテ借用証書ノ借主タラシムヘシ租税米金ハ其不納ノ者承諾ノ上金主利金ヲ定メ其不納ノ者ヲシテ借用証書ノ借主タラシムヘシ 一 凡ソ金穀ヲ出納スルノ順序ハ須ク先ツ簿書ノ体裁ヲ精覈ニシ日々ノ入出ヲ遺漏錯雑ナキ様明瞭詳記スヘシ簿書精整ナレハ独調査考検ノ労費ヲ省クノミナラス亦矛盾差謬ノ弊ナキニ至ラン依テ〓ニ会所ニ設クル簿冊ノ体裁ヲ約略左ニ掲ク 一 日計簿 一冊 此簿冊ハ本仮納払ハ勿論毎日出納スル一切ノ金銭ハ無漏洩員数及ヒ受入払出ノ旨趣人名等ヲ式ノ如ク詳記シ納払共ニ廉々主務ノ者及ヒ正副区戸長必ス検印シ日毎ニ其受払ノ合計ヲ掲載スヘシ 一 貢金会計元簿 一冊 一 区費金会計元簿 一冊 此簿冊ハ各種時々ノ受納及ヒ払出高トヲ日計簿ヨリ転記シ而后精密ニ算勘シテ請払会計差謬ナキヲ要シ主務ノ者及ヒ正副区戸長式ノ如ク之ニ検印シテ以テ勘定ノ基礎トスヘシ 右之外尚ホ計算上便利ノ為メ各種ノ簿冊ヲ製スル等ハ其区ノ便宜ニ従フト雖モ成丈ケ繁雑ナラサル様注意スヘシ (神奈川県布達) 二九 正副区長戸長身分取扱に関する件達 正副 区長戸長江 其方共身分之義自今区長者十二等副区長者十三等戸長ハ等外壱等副戸長ハ等外弐等総而県官ニ準シ候義と可相心得且月給之義第三区々長ハ拾五円副区長ハ拾三円ニ金額引直シ其他者従前之通可相心得此段相達候事 明治七年五月二日 神奈川県令 中嶋信行 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 三〇 区番組呼称変更に関する件達 各区 正副区戸長江 先般区画改正之際詮議之次第も有之何区何番組ト唱来候処右者本月十四日限廃止自今是迄之第壱区より順序ニ第幾大区幾小区ト改称候条其旨可相心得候 右之趣小前末々ニ至迄無漏可触示此段相達候事 明七 六月二日 神奈川県令 中嶋信行 前書之通御改称被 仰出候ニ付而ハ更ニ大小区印及ヒ表札其他総而相改メ不都合無之様御取斗有之度候也 庁詰 明治七年六月二日 区長 (「区画改正筆誌」(明治六―七年)内野悌二氏蔵) 三一 民費節減に関する心得 民費ノ事 第一条 民間今日ノ景状ヲ察スルニ旧弊未タ去ラス而シテ新事漸ク興ル其多費ニ渉ル今堪ヘ可カラサラントス故ニ先ツ慣習ノ冗費ヲ刪除節減スヘシ 第二条 婚儀ハ人倫大礼タリト雖モ今日ノ弊徒ニ虚飾ヲ重ンシ許多ノ財産ヲ麋費スルニ至ル因テ之ヲ節制スル左ノ如シ 第一節 立会ハ親族両隣組合ヲ限ル可シ若シ富有者ニテ奔走ノ人ヲ欠時ハ該家主了見ニテ数人ヲ頼ミ或ハ賃金ヲ出シ雇フハ妨ケナシト雖モ自他ノ例ト為ス可カラス (欄外注記)已ニ節制セントス 第二節 礼服ハ欠ク可カラスト雖モ男女婚儀ノ式ニ止リ外人江応接ノ際ニ於テハ常服ヲ用フヘシ例ヒ富有者ト雖モ常日服用セサル衣類ヲ裁製ス可カラス 第三節 継目ト唱ヘ新婦一村中毎戸ニ就テ相見スルノ礼ヲ節シ親族近隣村吏ノ宅ニ趨礼スルモノトス 第四節 貧富ヲ論セス入酒ト唱フルモノヲ廃シ又相識ルノ人祝儀ヲ述フルハ人情ノ交誼ニ付事ノ終ル後ニ至リ来慶スルハ善ト雖モ婚礼ノ後家主平生交ル処ノ友人ヲ招請シ更ニ祝宴ヲ設ケ情誼ヲ厚ヲスルハ格別ナリ 第三条 喪ハ又礼ノ大ナルモノニシテ人子ノ尽サヽル可カラサルモノ也然ルニソノ弊ヤ今新喪ニ逢フモノアル時ハ近隣斉シク雑集シ該家現時ノ資産ヲ計ラス旧礼ヲ比例シ且吊喪ノ人員ヲ臆算シ供膳良否ニ苦配ス焉ソ哀ヲ尽スノ遑アランヤ故ニ左ノ如シ 第一節 新喪ノ節立会フモノハ第二条第一節ノ如シ 第二節 棺槨衣食ノ美ヲ尽スハ所謂親ニ倹セサルモノニシテ今日ノ事其分ニ過クルト言ヒ難シ恃リ葬喪ノ路次ニ在テ多少ノ銭貨ヲ散布シ衆人ヲシテ之ヲ拾取セシムルハ最モ悪弊ト言フヘシ速ニ除去スヘシ 第三節 出喪ノ際ニ臨ミ吊者随葬スルハ然ルヘシト雖トモ葬後ニ際シ吊喪ノ客ヲ敬接送迎シ膳ニ就カシムルヲ止ムヘシ且平生ノ交情ニ因リ赴吊スヘキ者ハ三五日ヲ経テ来訪ス可シ 第四条 右ニ述フル如キハ一家ノ経済ニ止リ民費課出ノ事ニ関セスト雖モ各自冗費ヲ省キ而シテ一般有益ノ公費ヲ支出スルノ力ヲ保スルニ至ル而シテ課出ノ法タル周密ニシテ明瞭ニ整理スヘシト雖モ周密ニ過クルトキハ費ヲ生スルノ患アリ故ニ簡明ノ法ヲ設ケ之ヲ一定スヘシ左ニ 第一節 小区及ヒ毎村ノ経費ハ三ケ月ツヽヲ合セ明細表ヲ製シ且実際取立ル処ノ牒簿江検印ヲ請フヘシ (欄外注記)本議ニ決ス 第二節 一月ヨリ三月マテ四月ヨリ六月マテ七月ヨリ九月マテ十月ヨリ十二月マテト四度ニ小区シテ取立ツヘシ且期合ニョリ或ハ二ケ月乃至四ケ月ニ合シ取立ルコトアルモ必ス六月ト十二月トノ計算ハ伸縮ス可カラス 第三節 課出ハ内割ヲ用ヒス必ス右ノ決算ニ依拠スヘシ但シ其間立替金ノ利子ヲ付スハ至当ナリト雖トモ該職員ノ月給ハ利息ヲ加ヘサルモノトス 第四節 経費表ハ一目瞭然ヲ要スルモノニ付小区表ノ如キモ成丈ケ他ノ名儀ニョリ別途ニ賦課セス大区費警察費ノ割請ケヲモ〓テ算入シ重複ノ手数ヲ省クヘシ 第五節 小区ノ経費表ハ大区扱所ニテ検印シ各村ノ経費表ハ戸長ニテ検印スヘク尤モ表ハ大区ニ出スモノトス (欄外注記)多数ニ付本議ヲ取消シ左ニ決ス 小区江算入セス直ニ各村ノ経費表目江加フルモノトス 第六節 村費取立ノ節ハ表并ニ取立原簿ニ記スル所ヲ以テ旧高壱石ニ付金何程反別壱反何程ト大書シ戸長役場印ヲ押シ之ヲ村吏ノ役場ニ張出シ一般ニ明示スヘシ 第七節 数村ヲ里長一名ニテ統轄シ各村ノ慣習ニョリ経費ノ一般ニ賦シ難キモノ或ハ特ニ戸口ニ関シ又ハ旧高ノミニ課スルノ類ハ表末ニ其目ヲ掲ケ割合法ヲ記ス可シ若シ目ノ数個ニ渉ルハ付録表ヲ製スヘシ (「中川家文書」 大磯町教育委員会蔵) (注)この資料は年不詳。 三二 足柄県第三大区事務所設立にともなう新吏員定数および職制に関する件達 先般城多権参事派出及諮議候趣ヲ猶酌量之上其区内荻野山中江大区事務扱所設立従五月十日事務為取扱候条五月七日限リ従来ノ副区長正副戸長トモ悉皆相廃止更ニ左ノ通吏員ヲ設ケ別冊職制概則ニ依準シ事務無渋滞取扱可申事 一 大区 区長 一員 副区長 二員 議員 二員 書記 (欠字) 一 小区 戸長 一員 副戸長 二員 議員 (欠字) 書記 (欠字) 一 各村町駅 里長 一員 立会人 適宜 議員 (欠字) (別冊) 一 正副区戸長トモニ区内一般ノ人民公選ヲ以薦挙可致当然ニ候得共改正着手之際ニ付当分ノ内官ノ特選ヲ以可申付事 但シ人員ノ儀ハ土地人民ノ景況ニヨリ減員ハ不苦事 一 里長立会人ハ各村町駅一般人民公選ヲ以テ人名取極可申立事 但シ一般人民ノ公選ニ係ル者ト雖モ官ヨリ其性行才能ヲ探偵致シ不都合ノ見込有之節ハ改選可申付事 一 正副区長戸長ノ給料ハ准官等ニ比擬シ適宜酌量ノ上支給可致保長以下ノ給俸日当等協議ノ上至当ノ給額ヲ定メ更ニ可申立事 一 正副区長里長ノ在職ハ四ケ年ヲ以一期ト相定其時々改選可致事 一 昨七年中相達候議事概則ハ時宜ヲ斟酌シ更正ノ上追而可相達事右之通相達候也 明治八年 月 日 足柄県令 柏木忠俊印 (「明治八年亥二月諸控簿」大矢ゑひ氏蔵) 三三 里長等人選に関する約条書 約条書 今般里長立合人各村町駅一般人民取極可申立旨御沙汰ニ付約条取極候所左之通リ 一 各村町駅人撰之義ハ私偏ヲ以セス更ニ公撰ヲ以入札可致事 一 入札高札ニ相当リ候者役請之義私情ヲ以異義申間敷候且亦一同之者ニ於も私偏ニ泥ミ不伏等申間敷候雖然仮令高札ニ相成候共官よリ改選被 仰付候節ハ無違背更ニ改選可致事 一 総而勤役中之義ハ四ケ年ヲ一期トシテ御規則之通リ改正可致事一 今後入札有之と雖も右約条ヲ採用いたし違約致間敷候事 右確約箇条書之通リ一村商議之上取極候条聊相違無之ため連署致候所為後日如件 明治八年五月十日 第三大区一小区 相模国愛甲郡上古沢村 永島武八(印) 永島滝次郎(印) 永島金次郎(印) 永島三郎(印) 永島仁平(印) 永島周吉(印) 永島徳平(印) 永島ひで(印) 水島春太郎(印) 水島豊吉(印) 水島金八(印) 水島百次郎(印) 水島仙太郎(印) 石原重吉(印) 石原太郎吉(印) 石原茂七(印) 青木文次郎(印) 青木長太郎(印) 小川六平(印) 水島和吉(印) 水島平吉(印) 水島喜八(印) 小川清七(印) 松村真梁(印) 小川清吉(印) 小川吉五郎(印) 鈴木捨三(印) 渡辺孫作(印) 永島惣次郎(印) 外山竜吉(印) 外山茂吉(印) 外山源次郎(印) 外山辰五郎(印) 外山甚吉(印) 外山倉次郎(印) 守屋常次郎(印) 守屋久八(印) 井上清吉(印) 井上六太郎(印) 井上七郎(印) 井上佐太郎(印) 守屋喜代三(印) 井上角太郎(印) 井上弥八(印) 井上甚三(印) 守屋惣吉(印) 守屋喜三郎(印) 出口勝五郎(印) 出口市郎(印) 関戸重八(印) 守屋春吉(印) 守屋庄作(印) 守屋庄平(印) 永島彦太郎(印) 関戸弥市(印) 関戸広吉(印) 関戸捨五郎(印) 関戸万吉(印) 永島岩八(印) 外山又平(印) 永島七郎平(印) 渡辺市太郎(印) 永島仙三(印) 堀江今三(印) 井上伝吉(印) 永島丑五郎(印) 永島藤吉(印) 永島熊次郎(印) 毛木紋十郎(印) 毛木長八(印) 毛木忠七(印) 神崎彦次郎(印) 久保田新太郎(印) 久保田弥七(印) 久保田由五郎(印) 霜島嘉吉(印) 霜島兵八(印) 森久保国松(印) 森久保次平(印) 森久保三平(印) 霜島善九郎(印) 杉山市内(印) 榎本ちか(印) 久保田市五郎(印) 石井幸三(印) 石井小四郎(印) 里長 立合人 議員 御中 (「村役人改正ニ付約条書控」(明治八年)柏木喜重郎氏蔵) (注)大矢ゑひ氏所蔵資料に同様のものがある。 三四 村吏改正に関する問合書 村吏改正ニ付御問合書 大区 副区長 一 大区ノ戸数又ハ人口ノ多寡ニヨリ凡定員有之候哉 一 月給定額有之候哉 但全町村駅ヨリ県庁ヘ取立本人江相渡候義ニ候哉 一 辞令ハ支庁ヨリ相渡可然哉 但案文別紙ニ及御問合候 小区 戸長 一 一小区一名ニ而可然哉 一 月給定額有之候哉 但其区内ヨリ県庁江取立本人江相渡候義ニ候哉 一 辞令ハ副区長同様支庁ニ而可相渡哉 副戸長 一 区内ノ戸数又ハ人口ノ多寡ニョリ凡定員有之候哉 一 月給定額有之候哉 但前同断 一 辞令ハ前同様ニ而可然哉 各村町駅 里長 一 村駅戸数人口ノ多寡ニ不拘一名ニ而可然哉 一 辞令不相渡撰挙状江承付ニ而可然哉 一 月給ハ村駅ノ適宜ニ任セ可然哉 立会人 一 村駅ノ戸数又ハ人口ノ多寡ニョリ適宜ニ而可然哉 一 辞令不相渡里長同様ニ而可然哉 一 月給ハ里長同様村駅ノ適宜ニ而可然哉 小前惣代 一 従前之通ニ心得可然哉 右之通及御問合候乍御手数詳細御答有之度且副区長改正大区扱所ヲも囗設候ニ付而ハ従前之区割ニ而者天城山差跨人民不便利とも可有之ニ付左之通割替可申哉尤割替候得ハ村数戸数人口等大ニ多寡ヲ生シ候間一大区相増候方ニも可有之哉及御相談候也 八年 五月廿日 韮山出張所(印) 本県 (別紙) 何之誰 第何大区副区長申付候事 明治八年 月 日 足柄県 韮山出張所 何之誰 第何大区何小区戸長副戸長申付候事 明治八年 月 日 足柄県 韮山出張所 第四大区 『君津国分郡』 十小区 第五大区之内『賀茂郡』 小一区『熱海組』 小二区『伊東組』 小三区『大沢組』 小四区『稲取組』 『右四大区ヘ組替』 〆十四小区 百八拾四ケ村 十九ケ町 合戸数壱万五千八百四拾九軒 人口八万百九十壱人 九十八ケ村 十八ケ町 第五大区『賀茂郡那賀』 小五区 小六区 小七区 小八区 小九区 小十区 小十一区 〆七小区 合戸数壱万四百五拾八軒 人口四万九千二百三十六人 (柏木俊孝氏蔵) 三五 副戸長後任人選に関する約定書 約定書 一 今般当区内副戸長宮代謙吉殿依願免職被 仰付候ニ付而者後職之者人民一般公撰投票之上取纒メ大区江可差出旨御達ニ付私偏ニ不泥公平ヲ旨として取斗可申落票之者私情ヲ以異議申立候儀決而不仕候 但時宜ニより官より改選被 仰出候上者更ニ改選候事 一 区内村町ニ寄人員之定額素ヨリ其異不少甲丁者多人数乙村ハ少人数ニ而自然投票之公平ヲ失し候哉も難斗ニ付町村毎廿五名ヲ以テ代理とし区内拾ケ村丁ニ而弐百五十名之者投票ヲ致尤右之者取斗之上ハ一同更ニ異論無之事 右投票ニ付書面之通約定候上者聊違約不仕候因而一同連署致候処如件 農連印 (「御用留」(明治八年)曽根田重和氏蔵) 三六 大小区書役身分取扱に関する件達 第二百八十八号 各大区 正副区戸長 各大区書記并各小区書役身分取扱方之儀自今書記ハ副戸長ノ次席駅町村掛ノ首座書役ハ駅町村用掛次席ト相定候条此旨相達候事 明治九年十一月四日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 三七 大区書記改称に関する件達 乙第廿四号 各大区 正副区戸長 自今各大区書記ヲ筆生ト改称候条此旨相達候事 但小区書役之儀ハ従前之通 明治十年一月廿三日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 三八 正副戸長等選挙の開票に関する件達 乙第四十二号 各大区 正副区戸長 正副戸長并村用掛撰挙投票之儀是迄当庁第一課ニテ開札致来候処向後正副戸長撰挙投票者該区務所ニテ村用掛撰挙投票者該小区扱所ニテ投票人為立会開札シ其数之順席ヲ記シ投票相添第一課江可差出此旨相達候事 但差出方順囗之儀ハ従前之通可相心得事 明治十年二月一日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 三九 大区小区制改革等に関する浮説訂正の件達 乙第七十二号 各大区 正副区戸長 区画改正ノ儀ハ其当ヲ得サレハ政治上多少ノ弊害ヲ生シ区民ノ疾苦日ヲ追テ長スル儀ニ付容易ニ其改正等ノ儀難相成候処訛伝何レヨリ相発候哉右改正不日有之抔ト相唱フル者有之為之区戸長等ノ内自己ノ進退ヲノミ未発ニ慮リ肝要ノ事務他日ニ譲ル等ノ儀ハ決シテ無之筈ニ候得共万一右等心得ノ者有之候テハ不相成儀ニ付徒ニ訛伝ニ泥マズ勉励其職ヲ尽シ区民ノ迷惑等無之様可致此旨相達候事 明治十年三月一日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 四〇 区長等再選見合に関する件達 丙第七十号 自第弐至第廿大区 正副区戸長 区画改正之大略第七条ニ区長以下勤役之儀ハ四ケ年ヲ限リトス云々ト有之已ニ満四ケ年ニ相成候者ハ再人撰可致之処詮議之次第有之追テ何分之義相達候迄従前之通勤続可致儀ト可心得此旨相達候事 明治十年三月十三日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 四一 布告等の下達迅速を期する件達 丙第百六十五号 自第二至第廿大区 正副区戸長 布告布達ハ官民肝要之儀ニ付発令相成候ハヽ直ニ区民末々ヘ周知可為致筈ニ候処兎角速ニ不行渉哉ニ相聞甚不都合ニ候条兼テ昨明治九年七月中区長ヨリ上申之通急度履行可致此旨相達候事 明治十年五月廿四日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 四二 区務受渡規則 乙第二十四号 各大区 正副区戸長 自今区戸長更替ノ節区務受渡規則別紙ノ通相定候尤町駅村吏更替ノ節モ該規則ニ拠リ事務受渡該区戸長ヘ届出候様可致此旨相達候事 但正区戸長ハ其儘ニテ副区戸長ノミ更替ノ節ハ該規則ノ限リニアラスト雖トモ平常担当ノ事務ハ勿論総テ公文書類ハ無遺漏引渡他日不都合無之様注意可致事 (別紙) 区戸長事務受渡規則 第一条 一 各区戸長更替ノ節ハ辞令拝受ノ日ヨリ二十日以内ニ其区仕来ノ事務ニ関スル一切ノ事件明細廉書ヲ以テ申継クヘシ尤在職中着手事項或ハ将来起興ノ見込有之事項等其手続ヲ経ルノ際未タ上申ニ及ハサルモノハ総テ所見ヲ詳記シ後役ノ者ヘ引渡スヘシ 第二条 一 区務所并扱所ニ属スル簿冊図書等一切ノ公文書及備用器具ニ至ル迄無洩後役ノ者ニ引渡シ互ニ授受ノ証書ヲ交付シ他日ノ証憑ニ備フヘシ 第三条 一 国税県税及ヒ民費等人民ヨリ取立仕払高共夫々簿冊相添可引渡尤現在残金ノ数ハ受払日計簿ヘ引合セ授受詳審ナルヲ要ス但証書交付ノ手続ハ第二条ニ同シ 第四条 一 受渡相済次第先役并後役ノ者連署ノ上其受渡シタル簿冊図書金穀等左ノ雛形ニ傚ヒ錯雑遺漏ナキ様其目録ヲ詳記シ県庁ヘ届出ヘシ 但戸長ハ該雛形ニ拠リ区長ヘ届出ヘシ 区務受渡御届 簿冊ノ部 一 貢租取立簿 何冊 一 民費日計并元簿 何冊 一 同割付取立簿 何冊 一 戸籍簿 何冊 一 徴兵并国民軍成丁免役届簿 何冊 一 社倉金明細簿 何冊 一 何々簿 何冊 以下漸次其目ヲ記スヘシ余ハ傚之 計 何拾冊 布告布達ノ部 一 官省布告布達類 何冊 但何年ヨリ何年何月迄 一 本県布達并達類 何冊 但書前ニ同シ 計 何冊 図書ノ部 一 区内全図 壱帖 一 何々 何冊 一 何々 何冊 計 何帖 何冊 雑書ノ部 一 何々書類綴込 何冊 一 何々書類 何袋 計 何冊 何袋 金穀ノ部 一 金若干 但何年第何期貢租ノ内何ノ誰外幾人納ノ分別紙明細書添 一 金若干 但何年何月分何々税或ハ何々県税ノ内何ノ誰外幾人納ノ分別紙明細書添 一 金若干 但何年何月ヨリ何月迄民費取立金ノ内仕払残現有高 計 金若干 右ノ通簿冊金穀等受渡仕候間連署ヲ以此段御届申候也 旧区長 何ノ誰印 第何大区々長 年 月 日 何ノ誰印 神奈川県令 某殿 (神奈川県布達) 四三 官令制規等審議禁止に関する件達 甲第四十六号 大小区会及県会於テ官令制規等ノ是非ヲ議シ得ヘカラサルハ勿論ノ事ニ候得共為心得此旨布達候事 明治十一年三月廿二日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 四四 民費賦課法議案および貯金法議案に関する件達(一-四) (一) 乙第三十六号 各大区 正副区戸長 今般民費賦課及貯金方法トモ別紙議案之通県会於テ議定可致ニ付来月五日ノ定日ヲ同月二十日迄ニ延シ同日ヨリ五日間開場候条其前先以戸長村吏代議人等篤ト商議ノ上当日出頭可致此旨相達候事 明治十年一月三十一日 神奈川県権令 野村靖 (別紙) 民費賦課法議案 去ル明治八年中臨時県会ヲ開キ衆議一決シテ民費賦課法ヲ改正シ同年十二月第二百六十号ヲ以テ之ヲ一般ニ布達セリ此時ニ際シ地税改正其他百端事務鞅掌ニシテ猶未之ヲ実施スル不能荏苒以テ今日ニ至レリ然ルニ本年一月太政官第二号ヲ以テ民費ノ額ヲ節減シ更ニ正租ノ五分一ト定ラレタリ付テハ第一ニ費額省略ノ方法ヲ調査セント欲スレトモ一般区画改正等ノ見込アレハ今日直ニ之ヲ議スルヲ不得因テ先ツ試ニ明治八年ノ正租ニ拠リ其費額ヲ計算スルニ地価ニ課セントスル五分一ノ制限ハ十五万五千九十円余ナリ而シテ同年支消セシ惣額ハ五十六万六千三百三十余円ナリ内地租改正費及川々国役金ノ如キ将来賦課スヘカラサルモノヲ除去スレハ残額三十五万千八十余円トス之ヲ制限ノ費額ニ比スレハ十九万五千九百九十余円不足ヲ生ス依テ此不足ハ尚他ニ賦課セサルヲ不得然レトモ元来五分一ノ制限ヲ単ニ地価ノミニ賦課スルモノトセハ土地ヲ有スルモノニ非レハ又課スルヲ不得然レハ賦課ノ一点ニ於テハ土地ヲ有スルト有セサルトニョリテ人民ニ負担セシムルノ軽重ヲ現出ス故ニ其惣額ヲ地価ニ三分五厘戸数ニ六分五厘ト目安ヲ立テ之ヲ賦課スレハ一般公平ヲ得ルモノト云ヘキ歟凡三十五万円ノ惣額ト制限ノ金額十五万円ヨト而シテ其戸数ニ就テ賦課スルニ当リテハ其資産ノ厚薄ヲ査覆シテ十二級ヲ分チ以テ収額ノ多寡ヲ定メントス則左ニ其方法ヲ議セント欲ス 但第一大区市街ハ渾テ該案ノ外トス 第一条 一 左ニ記載スル第一項ノ如ク制限ノ全額ヲ地価ニ課シ現ニ不足スル所ノ金額ヲ戸数ニ賦スルハ即今ノ費額ニ於テハ割合法稍其宜キヲ得ルニ似タリト雖トモ漸次民費減少シテ制限ノ額ニ至ルトキハ単ニ地価ノミニ課スルハ不公平ト云フ可シ故ニ緒言ニ陳述セシ如ク地価及戸数ニ分賦セントシ予メ之ガ割合ヲ定メテ第二項ノ如ク一般ニ地価ニ課スルハ費額十分ノ三分五厘ヲ極度トシ其余ハ戸数ニ課セントス 第一項 一金三十七万七千八十三円四十一銭三毛 民費惣額 但明治八年ノ費額ヘ学費ノ増額二万六千円ヲ加ヘテ算ス 外金二十一万五千二百四十九円三十一銭一厘六毛 本文ノ内ヲ除ク 内 金二十万四千九百四十三円七十三銭九厘六毛 地租改正費 金一万三百五円五十七銭二厘 国役金 金十五万五千九十円八十六銭五厘 制限ノ費額地価ニ課ス 但地租五分ノ一則二割ニ当ル 金七十七万五千四百五十四円三十二銭六厘 八年分地租 金二十二万千九百九十二円五十四銭五厘三毛 制限外ノ費額戸数ニ課ス 現戸数十二万七千百五十五戸 此兼戸数五十万八千六百二十戸 但現一戸ニ付平均三戸ヲ兼ヌルモノト見做ス 一戸ニ付金四十三銭六厘四毛余 則等級十二等ノ一戸ニ賦課スル金額ナリ 第二項 一金三十七万七千八十三円四十一銭三毛 民費惣額 但地租改正等ノ費額ヲ除クコト前ニ同シ 金十三万千九百七十九円十九銭三厘六毛 三分五厘地価ニ課ス 但地租金額ノ一割七分余ニ当ル則制限ヨリ少ナキコト三分 弱ナリ 金七十七万五千四百五十四円三十二銭六厘 八年分地租 金二十四万五千百四円二十一銭六厘七毛 六分五厘戸数ニ課ス 現戸数十二万七千百五十五戸 此兼戸数五十万八千六百二十戸 但現一戸ニ付平均三戸ヲ兼ルモノト見做ス 一戸ニ付金四十八銭一厘九毛余 則等級第十二等ノ一戸ニ賦課スル金額ナリ 第二条 一 地価戸数ニ費額ヲ分賦スルハ第一条ノ如シト雖トモ各大区費以下小区費及村費等ニ至リテハ各其地価及民費ノ多寡ニ応シ適宜之カ割合ヲナサヽルヲ不得因テ左ニ其比例ヲ挙ク其甲ナルモノハ地価及費額共制限ノ金額及分賦ノ割合ニ適シタルモノナリ乙ハ之ニ反シ地価ニ比較シテ入費ノ多キモノナレハ歩合ノ極度ヲ以テ分賦スル不能故ニ其割合ノ歩合三分五厘ヲ減シテ二分トナシ余ハ戸数ニ課セントス 甲 地価二百拾六万円 此地租金五万二千五百円 戸数七千二百戸 此兼戸数二万八千八百戸 一金三万円 民費 金一万五百円 但地価千分ノ五則地租五分ノ一ナリ 金一万九千五百円 六分五厘戸数ニ課ス 但兼戸一戸ニ付六拾七銭七厘余 乙 地価金百二十万円 此地租金三万円 戸数八千戸 此兼戸三万二千戸 一金三万円 民費 金六千円 二分地価ニ課ス 但地価千分ノ五則地租五分ノ一ナリ 歩合ノ極度三分五厘ニヨレハ 金一万五百円 内金四千五百円 地租五分ノ一ノ制限ニ越ユルモノニ付戸数ニ課ス 金二万四千円 八分戸数ニ課ス 但兼戸一戸ニ付金七十五銭 歩合六分五厘ニヨレハ 金一万九千五百円 外金四千五百円 地租制限ヲ越ユルモノニ付地価ニ課シカタシ依テ戸数ニ賦ス 第三条 一 第二条中ノ乙ニ反シ地価ニ較算シテ費額ノ少キハ之レヲ制限ノ五分一ニ課スレハ三分五厘ノ極度ヲ越ユルモノニ付其超過スル金額ハ左ノ計算法ヲ以翌年費用予算ノ内ヘ加ヘ右ノ加金ハ其惣額ノ内ヨリ引去リ残額ヲ以テ翌年ノ費額ニ歩合ヲ立テ之ヲ徴収セント欲ス 但三分五厘ノ歩合ニ超過スル金額則翌年ニ越スヘキ金員ハ該区務所ヘ徴収シテ備置クヘキヤ将右ノ割合ハ全ク計算ノ方法トシテ別ニ徴収セサルモノトスヘキヤ 算則 地価金二百六十二万五千円 此地租金六万五千六百二十五円 戸数七千戸 此兼戸二万八千戸 第一年 費額金三万円 一金一万三千百二十五円 地租五分ノ一 内二千六百二十五円 但地価ニ課スヘキモノヽ内歩合ノ極度ヲ越ユルニ付本年ノ費額ニ加ヘス越金トシテ翌年ノ費用ニ加フ 残金一万五百円 三分五厘地価課ス 一金一万九千五百円 六分五厘戸数ニ課ス 通計金三万円 外金二千六百二十五円 翌年ヘ越ス 第二年 費額金三万円 内金二千六百二十五円 前年ヨリ越ス所ノ金額ヲ除ク 残金二万七千三百七十五円 一金一万三千百二十五円 地租五分ノ一 内金三千五百四十三円七十五銭 但前同断翌年ノ費用ニ加フ 残金九千五百八十一円二十五銭 三分五厘地価ニ課ス 外金二千六百二十五円 前年越金 一金一万七千七百九十三円七十五銭 六分五厘戸数ニ課ス 通計金三万円 外金三千五百四十三円七十五銭 翌年ヘ越ス 第三年 費額金三万円 内金三千五百四十三円七十五銭 前年ヨリ越ス所ノ金額ヲ除ク 残金二万六千四百五十六円二十五銭 一金一万三千百二十五円 地租五分ノ一 内金三千八百六十五円三十一銭二厘 但前同断翌年ノ費用ニ加フ 残金九千二百五十九円六十八銭八厘 三分五厘地価ニ課ス 外金三千五百四十三円七十五銭 前年越金 一金一万七千百九十六円五十六銭二厘 六分五厘戸数ニ課ス 通計金三万円 外金三千八百六十五円三十一銭二厘 翌年ヘ越ス 第四条 一 費額分賦ノ割合ハ第一条ヨリ第三条迄ノ方法ナリト雖トモ小区費以下ノ割合ニ至ル迄該計算ヲ用ルトキハ頗ル煩雑ニ渉ルヲ以テ該法ハ一般ニ賦スヘキ分ト各大区ニ課スヘキ分トノミニ用ヒ而シテ小区以下ニ至リテハ悉皆単ニ戸数ニ賦課スヘキ哉 第五条 一 前条ノ如ク一般ト各大区トニ限リ地価ト戸数ニ賦課スルモノトセハ其分賦ノ算則ヲ更正シ費額ニ応シテ歩合ヲ定メサルヲ不得其費額ハ第十八条科目ヲ議定シ而ル後金員ヲ予算シ以テ算則ヲ定メント欲ス 第六条 一 三分五厘ト六分五厘ノ歩合ハ該年費用ノ惣額ヲ以テ制限ノ額ニ割合ヲ定メシモノナレハ年々費額ノ不同ニョリ其歩合ハ変更スルモノトス 第七条 一 家産ノ厚薄ヲ調査スルハ実ニ至難ノ要件ナリ故ニ区戸長村吏及代議人等ニテ親ク実際ヲ考究シテ篤ト商議ヲ尽シ衆評ノ可トスル所ヲ以テ左表ノ等級ニ応シ之ヲ査定シテ県庁ニ具状セシメントス 但等級表ハ甲乙丙丁ノ四葉ヲ制シ甲表ハ一町駅村ヲ限リ乙表ハ一小区ノ集計ヲ掲ケ丙表ハ一大区ノ通計ヲ挙ケ丁表ハ全管下ノ総計ヲ挙ケントス尤組合村々モ亦該表ニ準シテ調制セシメント 第八条 一 戸数ニ賦課スル計算法ハ等級第十二等ニ当ルモノ一戸ニ一個〔現戸数ノ総数ヘ十一等以上戸数ヲ兼ルノ数ヲ加ヘ以テ民費ノ総額ヲ除シ其ノ得ル所ロノ金額ヲ一個トス〕ヲ課スルモノトシ第十一等以上一等毎ニ一個ヲ累加シテ第一等ハ十二個〔現一戸ニテ十一戸ヲ兼ルモノニシテ則十二倍ナリ〕ヲ賦課セシメントス 第九条 一 一村ヲ限リ等級ヲ定ムルモノハ則一村内ノ等級ナレハ之ヲ他村ニ通シテ用ユルトキハ不公平生ス又一小区ニ限リ定ムルモノモ亦之レニ同シ故ニ一村ニテ編スル所ノ甲表ヲ以テ一村限リノ入費ヲ賦課スルニ用ヒ右甲表ヲ小区ニ集メ小区ニテ制スル所ノ乙表ヲ以テ小区限リノ入費ヲ賦課スルニ用ヒ乙表ヲ大区ニ纒メテ丙表ヲ制シ大区ノ賦課法ニ用ヒ丙表県庁ニ集メテ以テ丁表ヲ編成シ而シテ之ニ依テ管下一般ニ係ル費額ヲ賦課セントス 但甲表ヲ制スルハ其村ノ村用代議人及正副戸長乙表ハ其小区ノ正副戸長村用掛丙表ハ正副区戸長ノ衆議ヲ以テシ丁表ハ県庁ニ於テ正副区長ヲ会シテ衆議ニ付シ彼此照較編成シテ等級ノ平準ヲ得セシメン欲ス 第十条 一 戸数ニ課スルハ該財産ニ賦課スルモノナレハ仮令借家人又ハ寄留人ト雖トモ一戸ニ居住占ムルモノハ固ヨリ其等級ニ応シテ賦課セントス尤鰥寡孤独及無告廃疾者ハ此例外ニ置カントス 第十一条 一 該年ノ費額ヲ予算シテ一般ニ賦課スヘキモノハ県庁ヘ徴収シテ割渡シ一大区并ニ組合村々ニ渉ル入費ハ大区ヘ一小区ノ費用ハ其小区ヘ一村ニ止ルモノハ其村吏ヘ徴集シテ以テ各費用ニ分付セシメントス 但大区組合村々ハ予算書ヲ県庁ニ出シテ検印ヲ請ヒ又小区ハ大区ニ致シ村吏ハ小区ニ出シテ各其検印ヲ請フモノトス 第十二条 一 毎年一月前三ケ年ノ費額ヲ平均シ該年ノ予算ヲ立テ之ヲ四分シテ一月四月七月十月四次ニ先入シ其限度ニ至リテ過不足ヲ精算シ而シテ尚余羸ヲ生スルトキハ其金ヲ翌年ノ費額ノ中ニ加フ則其余ル所ノ金員三分五厘ヲ地価ニ賦スル費用ニ加ヘ六分五厘ヲ戸数ニ課スル金額ニ加フ若シ不足ナルトキハ更ニ徴収セントス 但第二条中計算法乙号ノ如キ制限ニ抵触スルヲ以テ分賦ノ割合変セシトハ其賦課ノ歩合ニ拠リ羸余ノ金員ヲ分チテ翌年ノ費用ニ加ヘントス 第十三条 一 一般ニ係ル費額ヲ除クノ外第十二条ノ如ク該年分ヲ四分シテ一月ヨリ三月迄ヲ四月中ニ精算シ逐次三ケ月毎ニ大区ヨリ村里ニ至ル迄ノ各精算帳ヲ制シ以テ県庁ヘ出サシメントス 第十四条 一 家産ノ貧富ハ時々盛衰アルモノナレハ仮令ハ本年ノ二等ハ明年ノ二等ニ非ス故ニ毎年十二月ヲ以テ改正ノ期トシ更ニ調査シテ翌年全一ケ年間ノ費額ヲ賦課スル等級ヲ定メントス 第十五条 一 従来賦課スル所ロノ郷村社祭典及修繕費神官給料其他教院雨乞費ノ如キハ各自信仰ヨリ出ルモノナレハ之ヲ公然賦課スルハ其当ヲ得サルモノトス故ニ自今廃除セントス 第十六条 一 一般ニ賦課スヘキ科目中中学校費以下ノ費目ハ学事緊要ノ急務ニシテ之ヲ民費ニ賦課セルヲ不得且其事タル管内一般同一ノ沢ヲ蒙ルモノナレハ一般人民同一ニ其費用ヲ負担スヘキ義務アルハ固ヨリ論ヲ俟サルナリ然ルニ学事創業属シ民情未タ其域ニ至ラス諸般民費多寡ノ際ニ付暫ク小学扶助委托金ノ内ニテ仕払其残余ヲ以テ一般ヘ配賦セシ処元来委托金ナルモノハ窮民就学ノ資産ナキ者ヲ扶助セントノ優渥 朝旨ニ出ルモノナレハ一般ヘ配賦スルヲ至当セリ因テ自今該費目概算一ケ年凡金二万六千円ヲ管内民費内ヨリ仕払猶県税ノ内ヨリ其幾分カヲ補助シ委托金ハ本旨ニ基キ学齢人口ニ応シ悉皆一般各校ヘ配賦シ其区村ニ於テ篤ト遂協議年々貯置キ以テ学事隆盛ノ基礎ヲ永遠ニ立テシメント欲ス 第十七条 一 暴漲費ヲ除クノ外堤防費ハ河川ノ大小難易ヲ不論管内一般ニ賦課スルモノトナスヘキ哉将来従前ノ等級ニ準シ更ニ幹派支川ヲ分チテ其等級ヲ定メ仮令ハ一等ハ一般ニ賦シ二等以下ハ組合各区村ヲ定メテ課スヘキ歟 但該費ハ民費ノ一部分トシ其割合計算方ハ則民費賦課法ニ準拠セシメントス 第十八条 一 民費ハ一般ニ賦スヘキモノト一大区ニ賦スヘキモノト又組合一小区一村ニ止マルモノアリ故ニ之ヲ左ニ区別セントス 一般ニ賦スヘキ科目 一 県庁営繕費 一 徴役場及監獄営繕費 一 国道県道営繕費 一 布告書類頒布費 一 管内一般臨時諸費ノ諸費 一 国道掃除費 一 巡査給料及警察費 一 復籍人逓送費 一 掲示場建築修繕費 一 難船救助費 一 支庁及出張先官員往復書郵送費 一 徴兵下調費 一 中学校入費 一 中学校吏員教員以下月給旅費 一 師範学校入費 一 師範訓導吏員以下月給旅費 一 学区取締月給旅費 一 巡回訓導月給旅費 大区限賦課スヘキ科目 一 正副区長筆生小使月給 一 正副区長筆生筆墨料 一 区務所借地料并家賃 一 用紙用度品買入費 一 正副区長筆生出庁及区内巡回旅費 一 租税金庁納迄ノ入費 一 脚夫賃 一 区務所営繕費 一 区務所諸器物買入費 一 臨時雇入物書給料 一 大区限取調物入費 一 勧業掛月給 小区限賦スヘキ科目 一 正副戸長書役小使月給 一 正副戸長書役筆墨料 一 扱所借地料並家賃 一 用紙用度品買入費 一 布告配達費 一 租税金徴収入リ区務所ヘ送致迄ノ入費 一 正副戸長県庁ヘ出頭旅費 一 脚夫賃 一 扱所修繕費 一 扱所諸器物買入費 一 臨時増置書役日給 一 小区限取調物入費 一村限賦課スヘキ科目 一 村用掛月給井雇小使日給 一 村用掛筆墨料 一 村用掛用紙用度品買入費 一 村用ニ付村用掛出庁旅費 一 火水盗難猪鹿予防費 一 戸籍調費 一 一村限取調物諸入費 実際ニ応シ組合ヲ設ケ賦課スヘキ科目 一 用悪水路修繕費 一 小学校諸費 一 小学校教員世話役等月給 一 暴漲水防費 一 養蚕世話役給料 一 井堰守給料 一 時鐘費 一 溜井修繕費 一 里道修繕費 第十九条 一 左ニ明治八年分ノ民費算書ヲ登録シテ以テ参考ニ供セントス 一金二千四百五十二円二十四銭七厘九毛 県庁并徴役場囚獄営 繕費 一金七千六百二十七円七十八銭三厘八毛 布告書頒布入費 一金七万二百九十六円三十銭三厘九毛 道路堤防橋梁修繕費 一金千三百八十九円六十三銭四厘一毛 道路掃除費 一金二万六千四百六十一円四十二銭七厘九毛 巡査給料及諸費 一金六百七十六円七十一銭五厘五毛 管内一般達ニ依調物費 一金百九十一円五十一銭五厘 教院費 一金四千六百三十四円八十一銭六厘 掲示物築設費 一金十六円二十九銭五厘 捨児養育料補費 一金四百一円四十五銭五厘五毛 復籍人逓送費 一金三万六千七百六十六円八銭二厘二毛 区務所扱所諸費 一金七万九千六百七十九円十八銭九厘 区戸長以下給料 一金六千八百二十七円二十六銭一厘二毛 区戸長以下出庁其外旅費 一金三千五百八十四円十銭三厘 県社郷村社営繕費 一金八千八十一円八十四銭四厘七毛 祭典并遥拝式費 一金二千二百七十四円八十一銭八厘九毛 郷村社神官給料 一金五万五千八百三十七円八十八銭四厘七毛 学校費 一金二万百四十一円九十六銭三毛 用悪水路費 一金三千百六十一円四十八銭八厘 暴漲水防費 一金八百七十一円十七銭三厘 井堰守給料 一金三百六十二円九十二銭六厘 検見入費 一金二千三百七十円六十五銭二厘 貢米金取集上納費 一金三百十九円五十二銭九厘 山林調費 一金百四十円三十三銭三厘 里程調費 一金千四十円九十四銭六厘八毛 戸籍調費 一金千四十四円十六銭一厘 徴兵下調費 一金五千九十一円三十五銭三厘五毛 消防入費 一金三千六百六十三円九十銭八厘九毛 番人給料并諸費 一金百八十六円四十六銭八厘 猪鹿防禦費 一金五十円八十五銭四厘 時鐘費 一金五十四円四十二銭五厘 波止場修繕費 一金二円四十銭 碇泊船取調費 一金二円八銭 困難人手当 一金二千三百七十九円三十七銭八厘 区費支庁下第十十二大区ニアリ科目不詳 総計金三十五万千八十三円四十一銭三毛 外 金二十万四千九百四十三円七十三銭九厘六毛 地租改正入費 金一万三百五円五十七銭二厘 国役金 貯金法議案 天不測ノ変災ヲ降下スレハ地ニ不虞ニ水旱ヲ露現ス故ニ変災アル年ハ飢渇以テ民ニ菜色ノ憂アリ水旱ナキノ年ハ豊饒以テ開眉ノ兆アリ是豊饒飢渇トニョリテ民ニ幸福ト禍害アルハ世界古今ノ通常ニシテ而シテ其年ノ豊凶ノ如キハ巧暦妙算モ推知スル能ワサルモノナリ是ヲ以テ豊饒幸福ノトキ必ス其有余ヲ儲畜シ以テ飢渇禍害ノ不足ヲ塡補ナスンハアルヘカラス是今般貯金方法ノ由リテ起ル所以ナリ夫レ古来社倉ナル者ハ米穀ヲ畜積スル者ニシテ其法固ヨリ不善ナリト云フヘカラス然リト雖トモ之レヲ永存保護スルカタメニ苟クモ火災水害ノ予防ヲ怠ル時ハ或ハ一朝蕩然烏有ニ帰スルコトヲ免レス其レ如此トキハ何ヲ以テ非常ニ備ルト云コトヲ得ヤ然ラハ則チ米穀ヲ積ムハ金ヲ積ムノ愈レルニ如カサルナリ而シテ今行フ所ノ貯金方法ニ二種アリ一ハ以テ管内一般ニ課シ一ハ以テ村里ヲシテ其組合ヲ立テ適宜貯金セシメ禍害ヲ未然ニ防キ幸福ヲ無彊ニ保チ天若シ不測ノ変ヲ降シ地ニ一立草ナキニ至ルモ此法普ク行ワルヽトキハ恐クハ民ニ菜色ノ憂ナカラン因テ左ニ其方法ヲ議セント欲ス 一般貯積ス法案 第一条 一 一般ニ賦課スル貯金ハ全管内非常ノ災害ニ罹リ将ニ飢渇ニ迫ラントスル時ニ充費スルモノニテ一区一村ヲ済救スルモノニアラス其賦課法タルヤ全管内ノ地価ヘ七分戸数ニ三分〔戸数ニ賦スルハ民費課出法ニ同シ〕ト目安ヲ立年々地租三十分ノ一ト定メ其三分ノ一ヲ一般ノ積立金トシ余三分ノ二ヲ組合村々ニテ積立ツヘキ金額ニ充ントス 但組合村々ニテ三分二ノ金額ヲ割出スモ亦本文ニ準拠セシメントス 第二条 一 事故アリ出金スル不能モノハ米麦ヲ代出スルモ妨ケナシト雖トモ徴収シタル米麦ハ区戸長及□□立会ノ上時ノ相場ヲ以テ売却シ而シテ金銭ヲ以テ県庁ニ出サシメント欲ス 第三条 一 米麦ヲ出スニハ先ツ取立ヘキ金額ヲ定メ其都度時ノ相場ヲ以テ右金額ニ当タル高ヲ納メシム尤小人借家人等ニテ不動産ヲ所持セサルモノ及鰥寡孤独無告ノ窮民ハ之ヲ除カント欲ス 但組合村々ニ賦課スルモ亦本文ニ準拠セシメントス 第四条 一 前条ノ如ク徴集シテ差出シタル金額ハ県庁ニ於テ管理スルモノトシ而シテ抵当品ヲ取リ国立銀行ニ預ケ以テ其利ヲ生セシメントス 但生スル所ノ利子ハ年末計算シテ元金ノ内エ加ヘントス 第五条 一 貯金ハ毎月区戸長ニテ徴集シ以テ二月五月八月十一月四次ニ県庁エ出サシメントス 第六条 一 若シ非常ノ災害アリ貯金ヲ一般管内ニ賦セントスルトキハ臨時区長ヲ会シテ被害ノ軽重ヲ議シ以テ其支出ノ金額及配賦ノ差等ヲ定メント欲ス 第七条 一 若シ甲ノ大区ニ水害アルカ乙大区ニ旱魃アリテ組合村々ノ積立金ヲ以テ救助スルニ不足ナルトキハ先ツ戸長村吏及代議等ト議シ而ル後尚区長ヲ会シテ議決シ而シテ一般ノ貯金ヲ以テ右ノ不足ヲ塡補セント欲ス 第八条 一 前条一般ノ貯金ヨリ救助スルハ其災害ノ重キ組合積立金ノ能ク充費スル不能ヲ以テ一般ノ貯金ヨリ無利足貸渡スモノナレハ全ク下与センモノニ非ス故ニ其備受ケシ金額ハ被害ノ軽重ニョリ三ケ年乃至四五ケ年ヲ据置其翌年ヨリ年賦ヲ以テ返弁セシメントス 但連年ノ水害カ又ハ最モ非常ノ災害等ニテ真ニ困難ヲ極メントキハ臨時会議ヲ開キ特別ノ詮議ヲ以テ全ク給与セントス 第九条 一 前条ノ如ク一般貯金ノ内ヨリ借受ケシ程ノ凶歳ニハ其年一般ニ課出スヘキ金額ヲ免除セシメントス 但組合村々ノ分ハ其年貯金スルカ否其適宜ニ任セントス 第十条 一 満十ケ年災害ナクシテ貯金ヲ配分セシコトナキトキハ其期ニ際シ尚積立ツヘキカ否ヲ議定セントス 第十一条 一 既ニ積立タル所ノ金額ハ共有物ニ付一己ノ転籍又ハ身代限等ノ事故アルトモ再割戻ヲ受ル権ナキモノトス故ニ他管下或ハ他区村等ヨリ送籍シ来ルモノモ亦該年ヨリ該所貯金ノ人員ニ加入スルヲ以テ従来積立金額中ノ分配ヲ受ルノ権アルモノトセントス 組合村々ニ貯積スル法案 第一条 一 組合村々ニ積立ントスル金額ノ本旨タルヤ元来堤防川付ノ村里ハ年々水害アリテ啻ニ禍害ヲ被ルノミナラス堤防其他ノ費用□□□ナレハ平生貯金セサルヲ得スト雖トモ山野僻陬ノ土地ニ至リテハ更ニ水害ノ患ナク却テ禾穀豊熟スル年アリ然ルニ一般積立金ノ内ヨリ水害ニ罹ル村々ヲ救助スルトキハ甲ノ村ハ年々救助請ケ乙ノ村ハ月々出金スルノミ如此ナレハ大ニ人足ノ苦情ヲ醸成スルノミナラス将以テ公平完全ナル良法ト云フ可カラス故ニ一般其土地ニ寄リ〔水旱ノ有無ニ不拘〕便宜数村ヲ組合セ年々地租三十分一ノ内三分二ノ金額ヲ適宜貯金セシメン為メ左ニ予メ其方法ヲ議セント欲ス 第二条 一 其組合ノ村々ニ寄リ若シ金銭ヲ出賦スルコト能ハサルノ事実アラハ米麦ヲ代出スルモ妨ケナシ然レトモ之レヲ品物ニテ長ク貯エ置クハ良善ノ策ニ非ス故ニ戸長村吏代議人及本人等立会ノ上時ノ相場ヲ以テ売却シ換金ヲ以テ公債証書ヲ買入ン歟将外ニ貯金ノ良法アルヤ 第三条 一 前条ノ取扱ヲナスハ渾テ区長管理シ其小区ノ戸長又ハ大区筆生等ノ内ニテ二名以上ノ担当ヲ命シ取扱ニ踈漏ナキヲ欲ス 第四条 一 米金トモ月々取立タル分ハ毎年六月十二月両次ニ金額ノ計算帳ヲ製シ県庁ニ差出サシメントス 但該計算帳ハ二通ヲ製シ一ハ県庁ニ差出シ一ハ務所ニ備置モノトス 第五条 一 災害ノ為メニ貯金ヲ其組合村々ヘ配分セントスルトキハ先其配分スル金高ノ明細計算帳ヲ製シ之レヲ県庁ニ出シテ其証認ヲ乞ヒ而ル後配分セシメントス 但止ヲ得ス燃眉ノ急ニ至リテハ区長ニテ専決施行スルヲ得スト雖トモ其組合一ケ年積立金額ノ三分一ヨリ超過スヘカラサルモノトス 第六条 一 課出方ハ一般ニ貯積スル方法中第一条第三条ニ又転籍等ノ事故アルハ同第十一条ニ照準セシメントス 第七条 一 常ニ水旱等ノ禍災少ク組合村々ハ随テ貯金ヲ費スコト稀ニシテ年々金額累重スルノミ如此村々ハ五ケ年或ハ十ケ年目ニ至リ該村ニテ適宜ノ方法ヲ定メシメントス (注)左表欠。 (二) 乙第弐百拾五号 各大区 正副区長 本年第六拾弐号ヲ以凶歳租税延納規則公布ノ次第モ有之候得共各人民ニ於テ凶荒ノ予備可致ハ勿論ニ付別紙ノ通貯金法議案下付候条本年八月本県甲第八十九号布達ニ拠リ追々総代人撰定候向ハ適宜遂商議候上来ル十二月定日県会ノ節出頭意見陳述可致此旨相達候事 但議案中組合村々トアルハ其土地ニ寄リ二ケ村或ハ三四ケ村便宜組合候儀ト可心得事 明治十年十月卅一日 神奈川県権令 野村靖 (注)前掲。 (三) 乙第弐号 各大区 正副区戸長 凶荒予備ノ為貯金方法ノ儀昨十年十二月県会ニ於テ決議候得共現今追々議員撰定候ニ付テハ尚別紙議案(一般ニ貯積スル法案第一条但書ハ今般更ニ加フ)各大小区議員ヘ下付候条本年初発ノ小区会ニ於テ相議シ尚大区会ニ付シ決議ノ上申出候様可致此旨相達候事 但第一大区横浜市街ハ此限ニアラス 明治十一年一月十一日 神奈川県権令 野村靖 (四) 各大小区 議員 明治六年第二百七十二号公布ノ通改正ノ租額ハ年ノ豊凶ニ拘ハラス上納可致筈ニ付禾穀豊熟ノ日ニアツテ其有余ヲ儲蓄シ以テ凶年饑歳ノ予備ニ供スルハ今日ノ急務ニシテ一日モ之レヲ緩慢ニ付ス可カラサルモノナリ既ニ明治十年第六十二号ヲ以テ租税延納規則公布ノ次第モ有之兼テ各自ノ心得方モ可有之候得共未タ一定ノ方法無之ニ付今般別紙貯金法案取調下付候条本年初発ノ定会ニ於テ議決ノ上区長ヘ可申出此旨相達候事 但第一大区横浜市街ハ此限ニアラス 明治十一年一月十一日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) (注)前掲。但し「一般ニ貯積スル法案」第一条但書は左の事項が追加されている。 但戸数ノ儀ハ大小精粗ノ別アレハ之ヲ同一ニ賦課スルハ不公平ニ付右割合方ハ追テ議定セント欲ス故ニ先ツ地価ノ分ノミ賦課セシメントス 第二節 大小区会議関係 四五 足柄県大小区議事概則 地方事務ノ最大ナル民産ヲ富殖ニシ安寧ヲ保護シ民智ヲ開闡シ民権ヲ保全スル等ノ数目ナル者ハ目今ノ急務ニシテ瞬間モ之レヲ忽セニス可ラス而シテ之レヲ実際ニ施為シ実効ヲ挙クル者ハ則チ地方官吏在職者ノ責ナリ何ヲカ地方官吏ト云フ県官及ヒ区戸長是ナリ其実効ヲ挙クルノ要ハ則チ上下協和シ気脈ヲシテ流通セシムルニ在リ之レヲシテ能ク流通凝滞スルコトナカラシメハ則チ上旨ノ嚮フ所ロ下ニ貫徹シ易ク人民ノ情願スル所ロモ亦タ暢達シ安シ其上下協和気脈流通セシムルハ会同協議シ各其胸臆ヲ披キ肝胆ヲ咄露シ正議極論スルヲ以テ第一要義トナス故ニ嚮キニ各区ニ会議所ヲ設ケ纔ニ議事ノ端緒ヲ開ク然リ而シテ一般ノ人民尚ヲ未タ旧套ヲ脱却セスシテ議事ノ要旨ヲ暁知セス故ニ上下ノ気脈ヲシテ支離阻隔ノ患ヒ尠トセス是ヲ以テ今般更ニ大小区ノ会議ヲ興シ其概則ヲ略定ス苟モ各区戸長代議員タル者一般人民ノ心ヲ以テ心トシ此ノ概則ノ順序ヲ履行シ正議極論上下ノ気脈ヲシテ流通セシメ官民一致協力スルヲ要ス可シ然レハ則チ勧業ノ民産ヲ富殖ス可ク警察ノ安寧ヲ保護ス可ク民智ヲ開闡ス可ク民費ヲ節減ス可ク其他百般ノ事業ニ於テ実効ヲ奏シ無数ノ利便ヲ興シ上ハ以テ 聖化ノ万一ヲ補ヒ下ハ以テ人世本分ノ洪福ヲ徼工国家ニ報スル義務ヲ尽スト云フ可シ敢テ請フ各位勉励従事シ各ノ其職ヲ尽サンコトヲ仍テ概則ヲ頒示シ此段申達候也 明治七年八月 足柄県権令 柏木忠俊 足柄県権参事 城多董 大小区会議概則 一 大区会議所ハ県庁下ニ設置ス可シ 但開場ハ春秋二次ヲ恒例トナス臨時ニ会議ヲ求ムルコトアレハ会頭ノ特権ニテ其ノ時々報告ス可シ 一 大区会議ノ会頭幹事及ヒ議員等〓テ管下一般人民ノ中ヨリ公選スル者トス然レトモ議事ノ体裁未タ整備セス故ニ暫ク仮リニ長官ヲ会頭トナシ担当ノ属官ヲ幹事トナシ自余ノ官員ヲ参座トナシ各ノ所見ヲ陳述スルヲ聴ス正副区長ヲ以テ代議員トナス 但管下未タ正区長ヲ置カス故ニ当分各小区毎ニ副区長ノ内ニテ一名ヲ選択シ其ノ区内ノ代議員トナス 一 会議場ニ於テハ各其胸臆ニ薀蔵スルコト無ク腹心ヲ披キ公議輿論ヲ採リ雷同付和ノ弊ナク上旨ヲ下徹シ下情ヲ上達スルヲ専務トナシ官民協和漸次ニ旧染ノ陋習ヲ破リ人民一般公共ノ利益ヲ振興スルヲ要ス 一 小区会議ニテ議判セシ条件総テ此会場ニ於テ覆按議定シ成規ノ有ル者ハ之レヲ照シテ施行シ其無キ者ハ官省ニ上禀シ許允ヲ得テ施行ス可シ然レトモ其ノ軽重緩急ヲ斟酌シ施行スルト否ラサルトハ会頭ノ特権ニ在ル可シ 一 議事ノ形況ニ因リ本日ニ決議セサル者ハ次会ニ再議スルヲ例トス然レトモ会頭決議ヲ促スコト有レハ数日ヲ累ヌト雖モ閉場ノ命令ヲ得サレハ代議員恣ニ退散スルヲ聴サス 一 会場ニ於テ議サント欲スル事件ハ総テ議案書ヲ作リ幹事ニ付ス可シ幹事之レヲ高声ニ朗読シテ代員ニ付テ議サシム可シ 一 代議員事故アリ会場ニ出ツルコト能ワサレハ自記委任状ヲ以テ代理人ヲ出ス可シ幹事其委任状ヲ承認シテ会頭ニ申禀ス可シ総テ会場ニ在ツテハ本人ト同等同権ト看做ス可シ 一 各区ニ賦課スル費用ハ精算ノ帳簿正副二本製シ会場ニ於テ代議員共同照査シ会頭承認ノ印証ヲ受ク可シ其承認ノ印証ノナキ者ハ之レヲ賦課スルヲ聴サス 但承認印証セシ正本ハ区内一般ノ人民ニモ明示スルヲ要ス副本ハ之レヲ県庁ニ収メ他日ノ参閲ニ備フ 一 此会場ニ於テ議スル所ハ管下一般人民ノ公益ヲ保護スルヲ目的トナス故ニ其綱領ヲ示スコト左ノ如シ 旧染ノ陋習ヲ破リ開化ヲ勧誘スル事 民費賦課ノ方法并費用ヲ検査スル事 学校病院ヲ設立シ并保護維持スル事 勧業ノ事 済貧育幼授産方法ノ事 水利堤防道路橋梁ノ事 保護警察ノ事 予備凶荒ノ事 以上大区会議概則仮定スル所ナリ 一 各小区ニテ毎月一次道路均平適宜ノ地ヲ選択シ会議所ヲ設置ス可シ 一 会頭及議員ハ区内一般人民ノ公選ニテ任スル者トス然レトモ当分ノ内仮リニ副区長ノ内ニテ一名ヲ選択シ会頭トナシ自余ノ副区長ヲ幹事トナス各村町駅毎ニ正副戸長ノ内一名一般人民ノ内ニテ相応ノ家産ヲ所有スル者一名ヲ公選シ各村町駅毎ニ二名ヲ挙ケテ代議員トナス可シ 但県官時々臨席スルコト有ル可シ 一 会議場ニ在テハ上旨ヲ下徹シ下情ヲ上達シ区内ノ安寧輯睦興利除害等ノ事ヲ議スルヲ専務トシ付和雷同ノ弊ナク一己ノ私見ヲ主張セス総テ公論ニ基キ一般人民公共ノ利益ヲ振興スルヲ目的トナス可シ 一 会場ニ在テハ会頭ハ各代議員ノ議スル所ロ可否ノ多寡ト事情形態トヲ審按熟議シ再ヒ大区ノ会議ニ於テ議決ス可シ之レヲ掩蔽壅塞スルコト有ル可ラス 但急遽閣ヲキ難キ事件アレハ臨時会議ヲ大区会頭ニ請求ス可シ一 各村町駅ノ民費ニ賦課スル経費ハ毎月明細精算ノ帳簿ヲ制シ会場ニ於テ協同照査シ会頭承認ノ印証ヲ受ク可シ其ノ印証ノナキ者ハ之レヲ賦課スルヲ聴サス 但此承認ノ印証セシ簿冊ハ遍ク各町村駅ノ人民ニ明示ス可シ 一 本日決シ難キ事件ハ次会ニ再議スルヲ例トナス然レトモ会頭ヨリ決議ヲ促スコト有レハ数日ヲ累ヌト雖モ閉場ヲ告知セサレハ恣ニ退散スルヲ聴サス 一 代議員事故アリ会場ニ出ルコト能サレハ自記ノ委任状ヲ以テ代理人ヲ出ス可シ会頭ノ承認ヲ得レハ〓テ本人ト同等同権ト看做ス可シ 右概則ヲ設為スト雖モ実際ニ於テ不便ナル者ハ漸次ニ審議シ増減更正ス可シ 明治七年八月 (「申第十二号明治九年三月編輯之歳出入区会之部」湯河原町役場蔵) (注)裏表紙ニ「吉浜邨事務所(印)」と記されている。 四六 神奈川県第一大区代議人選挙規則および同改正(一-二) 庶第五十六号 (一) 第壱大区 区長 戸長 該区之義ハ是迄代議人之設ケ無之処他ノ大区ニ於テハ客歳七月中ヨリ議員撰挙之上既ニ民情ニ関スル事件協議為致居候処自今該区ニ於テモ同様相心得代議人撰挙可致事 但代議人会議ノ規則ハ追テ可相達事 第壱条 一 代議人員一小区五名ヲ撰挙ス 第弐条 一 代議人ノ撰挙ニ当ルハ此区内ノ本籍弐拾歳以上ノ男子ノ戸主ニシテ壱ケ年不動産之租税金弐拾円以上相納ムル者タルベシ 但他管下又ハ外区内ヨリ出店ノ名代ト雖モ当区内本籍ノ者ニテ傭主ヨリ兼テ委任ヲ請地所其他ノ物品売買ノ権アルモノハ本条ニ照準シ撰挙スベシ 第三条 一 代議人撰挙ニ当ル者期限壱ケ年トシ毎年入札ノ法ヲ以テ定ムルヲ定規トス尤期限中事故アツテ辞スル者ハ一周前申告スヘシ 第四条 一 議員制限ニ関シ入札日数ヲ以テ除スル者アル時ハ其小区代議人ニ当リタル者ヨリ更ニ入札シテ其数ノ多キヲ採ルヘシ 右之通相心得各人民委任スヘキ見込ノ者印封ヲ以入札為致四月二十日限取纒メ庶務課江差出候様可致此旨相達候事 明治八年三月卅一日 神奈川県令 中島信行 (二) 第十八号 第一大区 各小区 正副戸長 去ル十一日代議人共会同協議一定ノ由ヲ以テ議人増員及税納下額情願之趣聞届候ニ付最前相達候撰挙章程ノ内左ノ通リ改定候事 第一条 代議人員一小区十名ヲ撰挙ス 但二小区ハ人口尠キヲ以五名トス 第二条 代議人撰挙云々租税金ノ下「二十円云々」ヲ削リ拾円二小区ハ租税金並ニ賦金ノ内五円以上相納ムル者タル可シ 右ノ通相心得二小区ハ欠員ノ二名其他ハ増員ノ分一人ヲシテ五名ツヽ更ニ撰挙入札為致来ル十七日午後一時ヨリ開札候条右ノ心得ヲ以入札取纒メ差出候様可致此旨相達候事 明治八年五月十四日 神奈川県令 中島信行 (神奈川県布達) 四七 神奈川県自第二大区至第廿大区代議人選挙規則 第百九拾壱号 第弐大区ヨリ 第弐拾大区迄 正副区戸長 是迄各町村弐拾戸ニ付壱人ノ代議人ヲ置クノ制ヲ定メ相達候処未タ其撰挙及ヒ職務等ノ規程確然相立サル故カ往々其所行上不都合モ不尠或ハ町村用掛ノ代理又ハ輔助抔相勤メ候輩モ有之趣ニ付今般更ニ其程規ヲ相立候間以後右ニ照準可致此旨相達候事 明治八年十月十二日 神奈川県令 中島信行 代議人規則 第壱条 代議人ハ五拾戸ヨリ百戸マテノ町村ハ拾五人百戸ヨリ弐百戸マテノ町村ハ弐拾人弐百戸ヨリ三百戸マテノ町村ハ弐拾五人三百戸ヨリ五百戸マテノ町村ハ三拾人ヲ撰挙シ以上戸数増加スル町村タリトモ三拾人ヨリ多キ代議人ヲ撰挙スヘカラス 但五拾戸以下ノ町村ハ隣町村合併シ定員拾五人ノ代議人ヲ撰挙スルモ障ナシトス 第弐条 代議人ヲ撰挙シ又ハ代議人ニ撰挙セラルヽモノハ其町村ノ本籍ニシテ男子満二十歳以上ノ戸主タルヘシ 但シ戸主病身等ニテ平生其家事向ヲ世話致シ来リ候其戸主ノ子弟ハ代議人ヲ撰ヒ又ハ撰ハルヽヲ得ルト雖満二十歳以上タルハ勿論ナリ 第三条 代議人撰挙ノ節ハ其区ノ戸長及ヒ町村用掛ニテ取扱ヒ予メ撰挙ノ日ヲ定メ無洩其町村ヘ告知セシムヘシ 但撰挙ノ日ニハ其町村代議人ヲ撰挙スルモノ一同集会シ入札相済候得ハ戸長村用掛立合ニテ開札シ高声ニ衆人ノ眼前ニテ読揚ケ終リテ後高札ノモノヨリ順次書記シ其場所エ張出スヘシ 第四条 代議人トナルモノハ決シテ町村用掛ノ代理又ハ輔助タルヲ得ス所謂其町村ノ代議人ナレハ勤メテ公平ヲ旨トシ其町村ノ民費割渡方ヲ相談シ且其遣払ノ当非ヲ検査シテ其町村人民ノ疑念無カラシメンコトヲ要ス 但代議人ハ民費ノ割渡シ方ヲ相談シ及ヒ其遣払ヲ検査スルモノニシテ決議ノ上是ヲ取立テ或遣払ノ事務ハ総テ其町村用掛ノ任タルヘシ 第五条 代議人タルノ年限ハ弐年トス弐年毎ニ改撰スヘシ 第六条 代議人タルモノ年限中町村用掛ノ職務ニ関スル場合アラハ本体ノ職務ヲ解キ議場ニ列スルモ自己ノ異見ヲ陳述シ或ハ議案ヲ可否スルコトヲ得ヘカラス 但町村用掛ノ職務ヲ離レ代議人年限猶余期アラハ再ヒ議員ニ復スヘシ 右之通相定候事 (神奈川県布達) 四八 足柄県大小区会議心得 会議心得之大略 各小区ノ会議ハ各村町ノ議員集会シ小区ノ議員之レカ議長タル可シ但各小区ニテ議員二名宛各村町ノ議員公選ヲ以テ挙ル者トス 大区会議ハ各小区ノ議員集会シ大区議員之レカ議長タル可シ 但シ撰挙ノ法ハ小区ニ同シ 各小区会議ニハ其区内正副戸長及里長立会人等共同臨席シ大区会議ニハ正副区長臨席シテ所見ヲ建議シ又ハ可否得失ヲ討論スルノ権アリ然レトモ之レヲ議決スルノ権ハナキ者トス〓テ議員ノ任タルヤ一己ノ私見ヲ主張スルヲ聴サス公同資益ニ注意シ其ノ施設方法ノ利害得失ヲ論定ス可シ譬エハ道路ヲ修繕スルニ方リ其ノ道幅ヲ画定シ其ノ工役ヲ賦課スル法ヲ立ル如キニシテ此一例ヲ推シテ其他ヲ知ル可シ然レトモ之レヲ実際ニ挙行スルハ正副区戸長及里長ノ権内ニ有リ必ス此権限ニ於テ毫モ乱ル可カラス 議員在任ハ四年トス二年目毎ニ半数ツヽ新旧交換スルヲ以テ仮リニ定則トス 各小区ノ会議ハ一ケ月ニ一回トシ大区会議ハ三ケ月目毎ニ一回トナス可シ 但シ臨時ノ会議ハ此限ニアラス 会議場中ニ於テ議員タル者ハ各村町ノ議員ハ里長ニ准シ各小区ノ議員ハ正副戸長ニ准シ大区議員ハ正副区長ニ准シ候権ヲ有スル者ト可相心得候事 明治八年五月九日 足柄県令柏木忠俊代理 権参事 城多董 (「諸控簿」(明治八年)大矢ゑひ氏蔵) 四九 神奈川県第一大区区会議事章程および同改正(一-二) (一) 第四十一号 第一大区各小区 正副戸長 代議人 該区々会議事章程別紙ノ通相定候条六月一日ヨリ施行可致此旨相達 候事 但議事ノ紹介ヲ得レハ密会ノ外傍聴ノ義不苦儀ト可相心得事 明治八年五月廿八日 神奈川県令中島信行 (別紙) 第一大区々会議事章程案 第一条 一 会議ハ毎月一日十六日ヲ以テ定日トス尤モ日曜日又ハ休暇ノ日ナレハ日送リタル可シ 但臨時要件アリテ議員三人以上連署シテ会議ヲ開カンコトヲ乞フ時及ヒ県庁ヨリ特ニ議案ヲ下付スル時ハ常例外開場スル□アルヘシ 第二条 一 午後一時ヨリ五時迄ヲ会議ノ時間トス 但午後零時四十五分一同議場ニ就キ一時ヲ俟テ発議スルヲ例トス 第三条 一 議員中ニ於テ入札ヲ以テ議長及副議長ヲ撰挙スヘシ 但議長副ハ当分一ケ月ヲ期限トシ其時々議員ノ入札ヲ以テ定ム可シ 第四条 一 区会所書記一人ヲシテ議場一切ノ事務及ヒ諸記録ヲ掌ラシム若シ区会所書記欠員ノ時ハ町用掛ノ内一人ヲ選テ之ニ充ツ 第五条 一 議員ハ虚心公平ヲ旨トシ敢テ褒貶黜陟毀誉侮慢等ノ挙動及ヒ雷同阿〓面従腹非等ノコトアル可カラス 第六条 一 議員ノ席次ハ発会ノ節抽籤ヲ以テ之ヲ定メ一ケ年間其順序ヲ以テス 但会議中故ナク其着席ヲ離ル可カラサルコト勿論タル可シ 第七条 一 議案ヲ出ス者ハ必ス其大旨ヲ書面ニ認メ会議ノ前日迄ニ書記官ニ出ス可シ書記官ハ之ヲ受取速ニ議長ニ出ス可シ 第八条 一 議員ハ必ス一人ツヽ発言ス可シ若シ二人以上同時ニ発言スルトキハ議長之ヲ制止シ先ツ発言セシト見認ルモノヲシテ充分ニ其所論ヲ竭サシムヘシ 第九条 一 議事ハ総テ議長ニ対シテ発言ス可シ尤時トシテハ議長ノ見込ヲ以テ甲乙両員対議セシムルコトアルヘシ 第十条 一 議事ハ衆説ノ多寡ヲ以テ可否ヲ決スト雖トモ之ヲ実際ニ施行スルハ必ス県庁ヘ申請シ県令ノ指揮ヲ受クヘシ 但可否ノ説相半スルトキハ議長ノ見込ヲ以之ヲ決ス可シ 第十一条 一 議案ノ旨趣錯雑ニシテ一時見込難相立又ハ其事ノ方法着手ノ順序等其日ノ会ニ結局ナリ難キモノハ後会ヲ期シ各議員ヨリ書面ヲ以テ答議セシムルコトアルヘシ 第十二条 一 議案ニ対シ討論稍定リタル後各議員ノ同意不同意ヲ徴セン為メ議長ヨリ可否如何ト問フ時ハ議案ニ同意或ハ議案ニ不同意或ハ議案ヲ非トスル何番ノ説ニ同意ト明了ニ陳述ス可シ 第十三条 一 議場ニ於テ他事ヲ私議ス可カラス 第十四条 一 議員ハ素ヨリ区内人民ノ代議ヲ託スル所ノモノナレハ県庁ニ於テハ此議会ニテ決議スル所ハ即チ区内人民ノ可否スル所ト認ム可シ 第十五条 一 時宜ニ依リ区戸長及ヒ其代理者ハ此会議ニ参シ其担任ノ事務ニ付所見ヲ陳スルヲ得ヘシト雖トモ其議案ノ可否ヲ決スル数中ニ入ルヲ得ス 第十六条 一 県庁ヨリ議員ヘ諮詢スル事件ニ付テハ其原由事理ヲ陳スル為メニ県令或ハ参事諸課長等参会スルコトアル可シ 第十七条 一 議事ノ要務トスル箇条左ノ如シ 第一 区入費徴収ノ事 第二 水道建築並保存ノ事 第三 瓦斯燈建築並保存ノ事 第四 学校ヲ設立シ並保存ノ事 第五 病院保存ノ事 第六 新ニ道路ヲ開キ或ハ之ヲ補理シ橋梁ヲ架スル事 第七 救育所ノ事 右ハ其要務ノ大略ニシテ〓ニ掲ケサル事件ト雖トモ区内一般ノ利害ニ関スルモノハ此議会ニ於テ議定ス可シ (二) 番外 第壱大区 区長 同各小区 正副戸長 今般詮議ノ次第有之第一大区々会議事章程追加第十八条ヲ廃シ更ニ左ノ通リ改正候此旨相達候事 第十八条 一 総議員ノ決議ニョリテハ各小区ニ二人以下ノ復撰議員ヲ置ヲ得ヘシ尤撰挙ハ其小区内ノ議員ニテ其復撰議員ヲ撰挙スヘシ 但書ハ従前ノ通リ 明治九年五月十八日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 五〇 神奈川県県会議事章程 第七号 各課長 各大区 区長副 是迄ノ区長会議ヲ以テ爾後県会ト相称シ右議事章程別紙ノ通リ相定明五日ヨリ施行及ヒ且議事ノ義自今庁中書院ニ換候条此旨可相心得此段相達候事 明治八年五月四日 神奈川県令 中島信行 (別紙) 県会議事章程 第一条 一 毎月五日ヲ以テ会議定日トス尤モ当日土曜日又ハ休暇ノ日ナレハ日送リタル可シ 但令参事ノ見込ヲ以テ此定日ヲ閉会シ又ハ臨時閉場スルコトアル可シ 第二条 一 午後二時ヨリ五時迄ヲ会議ノ時間トス 但午後一時四十五分一同議場ニ就キ二時ヲ俟テ発議スルヲ例トス 第三条 一 太政ノ是非ハ勿論官省公布ノ制度条例ハ仮令不適当ト思フトモ此議会ニテ議スル得ス唯管下人民ノ公益ヲ謀ルカ為メナレハ地勢民情ニ因リ実際ニ施行スヘキ事ヲ議スヘキモノトス 第四条 一 治下人民ニ関ス可キ各課長及一大区限リ区長副ノ内一員ツヽヲ議員トス 但事故アリテ欠席スルトキ課長ハ該課中十三等以上ノモノ区長副ハ外区々長副或ハ書記ヲ以テ代議ヲ為サシム可シ 第五条 一 議員ハ虚心公平ヲ主トシテ敢テ褒貶黜陟毀誉侮慢等ノ挙動及雷同阿〓面従腹非等ノ事アルヘカラス 第六条 一 議員席次ハ該年初会ニ抽籤ヲ以テ之ヲ定メ一ケ年其順席ヲ以テス 但代議ノ者ハ本人ノ席ニ着キ且会議中故ナク其着席ヲ離ル可カラザルコト勿論タル可シ 第七条 一 議案ヲ出ス者ハ必ス其大旨ヲ書面ニ認メ会議ノ前日迄ニ令ヘ出ス可シ 但参事代理ノ時ハ参事ヘ出ス可シ 第八条 一 議員ハ必ス一人ツヽ直立シテ発言ス可シ若シ二人以上同時ニ発言スルトキハ令参事其順次ヲ定メ一人ツヽ発言セシム可シ 第九条 一 甲議員発言中ハ乙丙何レモ発言ス可カラス其言終ルヲ待テ初メテ発言ス可シ 第十条 一 議事ハ都テ令参事ニ対シ発言ス可シ尤モ時トシテハ令参事ノ見込ヲ以テ甲乙両員対議セシムルコトアル可シ 第十一条 一 議案ノ旨趣錯雑ニシテ一時見込難相立又ハ其事ノ方法着手ノ順序等其日ノ会ニ結局ナリ難キモノハ後会ヲ期シ各議員ヨリ書面ヲ以テ答議セシムルコトアル可シ 第十二条 一 議事ハ衆説ノ多寡ヲ以テ可否ヲ決スト雖トモ時トシテ其議ノ事由ヲ審案シ其適ト不適トヲ勘査シ令参事ノ見込ヲ以テ専決スルコトアルベシ 第十三条 一 議案ニ対シ討論稍定リタル后各議員ノ同意不同意ヲ徴セン為メ令参事ヨリ可否如何ト問フトキハ議案ニ同意或ハ議案ニ不同意或ハ議案ヲ非トスル何番ノ説ニ同意ト明了ニ陳述ス可シ 第十四条 一 議場ニ於テ他事ヲ私議ス可カラス (神奈川県布達) 五一 足柄県県会議事要領 七月八日会議決議之 県会 第十六条議目ノ要領トスル者左ノ如シ 一 民費ノ事 一 災害備虞ノ事 一 管内取締及安寧風儀ニ関スル事 一 管内共立ノ学校及貧院病院等ノ事 一 諸会社及市場ノ事 一 道路堤防橋梁ノ事 一 土地ヲ開キ産物ヲ興ス事 一 水陸運輸ノ便ヲ開ク事 一 賦金ヲ課スル事 一 府県会内規則ノ事 区会 一 公有財産ノ事 一 区会内規則ノ事 一 取締及安寧風儀ニ関スル事 一 共有ノ学校及貧院病院等ノ事 一 新ニ土地物産ヲ開殖スル事 (「諸控簿」(明治八年)大矢ゑひ氏蔵) 五二 町村会議事心得ならびに仮規則 第九十八号 各区 区戸長副 管下一般衆庶公同之利益ヲ計ラン為メ町村会議事仮規則別冊之通相定候条区内人民ヘ厚ク説諭ヲ加ヘ右規則ニ照準夫々手繰ヲ以各町村議事会為相開候様精々尽力可致此段相達候事 明治八年七月五日 神奈川県令 中島信行 (別冊) 町村議事会心得 第一条 一 町村議事会ハ元来衆庶公同ノ利益ヲ計ル為メ設ルモノナレハ能々右主意ヲ会得シ別冊仮規則ニ照準シ精々取開クヘシ 第二条 一 町村会ノ体裁大略相立チシ上ハ大区会県会ト推シ及スヘシ 第三条 一 規則ハ総テ仮定ノ儀ニ付其間万一違犯ノ者之アルモ敢テ罰則ヲ設ケス若シ犯ス者アレハ議長ヨリ厚ク訓誡ヲ加ヘ又ハ衆議ノ上退席セシムヘシ 第四条 一 会議ハ町村毎ニ開ク可シト雖モ人口寡少ニシテハ会規立チ難カルヘシ仍テ三百口末満ノ町村ハ最寄適宜合併シテ開会スヘシ 第五条 一 会場ハ其町村手広キ人家或ハ寺院等ヲ借リ受ケ仮ニ会議所トスヘシ尤某所某寺院某ノ宅ニ開会スルノ旨届出スヘシ 第六条 一 凡此会議席ニ於テハ尋常弁当ノ外ハ仮令自費ヲ以テスト雖モ猥ニ飲食スルコトヲ許サス (別冊) 町村会議事仮規則 第一章 議事ノ大綱 第一条 此議会ハ専ラ其町村内人民ノ安穏公益ヲ謀ルカ為メニ設クル者ナレハ専ラ第五章第一条ニ掲ルガ如キ条款ヲ議スルヲ要ス 第二条 公選ニ中リ議員タル者ハ即チ其地各人民ノ名代ナレハ職ハラ公正ノ心ヲ以テ其町村内一統ノ安穏公益ヲ議スルハ勿論ニシテ固ヨリ一己ノ私心ヲ挾ミ偏頗ノ議論及ヒ他人ノ自由ヲ妨碍スル等ノ説ヲ主張スルナキヲ要ス 第二章 選挙人之事 第一条 其町村用掛事務取扱所ニ選挙人ノ姓名帳ヲ製シ置ヘシ 第二条 選挙人ハ其町村内ニ住居シ且其町村ノ本籍タルヘシ 但二十歳未満ノモノ及婦人ノ戸主ハ除クヘシ 第三条 前条選挙人タル者他所ニ寄留スル時ハ当人ノ見込ニ任セ名代人ヲ出スヲ得且他町村ノ人ニテ本町村内ニ不動産ヲ所有スル者ハ其者ノ見込ヲ以テ其名代人ヲ選挙人中ニ加フル事ヲ得ヘシ 第四条 瘋癲人及ヒ懲役一年以上ノ刑ヲ被タル者ハ選挙人タルヲ得ス 第五条 選挙人増減変更有之節ハ速ニ名簿ヲ改正スルハ町村用掛ノ任タルヘシ 第三章 公選入札之事 第一条 毎年八月一日ヲ以テ公選ノ定日トナスヘシ 第二条 議院ハ選挙人公選入札法ヲ以テ第四章第一条ニ示ス定員ノ如ク之ヲ選挙スヘシ 入札用紙小半紙 書式 第何大区何小区何町村 身分 何某 右之者当町村議員ニ適当之見込ニ候也 第何大区何小区何町村 何番地 身分 年号月日 何某印 議員 入札 選挙人 何某 第三条 議員ニ挙ケラルヽ者ハ本町村ノ籍ニテ不動産ヲ所持スル戸主及ヒ其子弟タルヘシ尤モ孰レモ満二十歳以上ノ者タルヘシ 但不動産ヲ所持セサルモノト雖モ一村一町中挙テ議員タルヘキノ申立アルモノハ県令ノ許可ヲ得テ直チニ議員タルヲ得ヘシ 第四条 議員タルモノハ左ノ職務ヲ兼勤スルコトヲ得ス 一 区戸長及ヒ町村用掛等 二 小学校ノ教員及ヒ教導職ニ任スル者 三 現今軍務ニ任スル者 第五条 前条ニ記載シタル職務ヲ受ル者ハ直チニ退任シ其由ヲ記シ本会ヘ報告スヘシ 第六条 議員タル者ハ左ノ事件ニ関係スルヲ得ス 一 人民相対ノ詞訟ニ付代言書 二 本町村内ノ共有金穀ノ取扱及ヒ民費工作ノ受負 第七条 前条ノ定ヲ犯ス時ハ議長ヨリ其職務ヲ止ムヘシ 但右申渡ヲ受ケタル者ハ満二年ノ間選挙シテ議員ト為ス事ヲ得ス 第八条 議員公選ノ節ニハ選挙人一同出席シ衆人ノ前ニ於テ入札スヘシ 但其日欠席ノ者ハ其度限リ除名スヘシ 第九条 選挙人多人数ニシテ混雑アルヘキト見込ム時ハ予メ二三十名宛数組ニ分ケ入札ヲナサシムヘシ 第十条 入札開封ノ節モ前条ノ如ク衆人ノ前ニ於テ本町村ノ町村用掛ノ中之ヲ取行フヘシ 第十一条 入札ヲ開ク時ハ夫々認タル名前ヲ壱枚ツヽ高声ニ読上ヘシ 第十二条 開札既ニ終レハ投票ノ多寡ヲ調分ケ誰某ニ幾枚ト云フ事ヲ逐一書留ムヘシ 第十三条 前条書留メ終リテ入札最多キ者ヲ初筆トシ順次其町村ノ定員ノ如ク落札人ヲ定メ其名前ヲ更ニ読上ヘシ 但入札同数ナレハ年長セル者ヲ以テ甲トシ年劣レル者之ニ次ク如シ年齢同シケレハ抽籤ヲ以テ定ムヘシ 第十四条 落札人ハ右落札名前読上ケ終レハ即チ議員ト心得ヘシ 但シ落札ノ者其場ニ不在ナル時ハ其本町村用掛ヨリ本人エ通知スベシ 第十五条 落札ノ者前条ノ報ヲ得レハ任ヲ受ルカ又ハ之ヲ辞スルカ否ヲ町村用掛ヘ翌日決答スヘシ最モ選挙ニ当ル者身体多病ナルカ或ハ其他止ムヲ得サル事故アルニ非レハ其任ヲ辞スルヲ得ス 第十六条 議員タル者其任ヲ辞セント欲スル時ハ其事故ヲ詳明ニ記載シ本会ヘ申立本会ノ承諾ヲ得ルノ後退任スヘシ 第十七条 既ニ公選ニ中リ其任ヲ受ケタル者ハ左ノ誓約ヲ本会ニ差出シ其清廉ト勉励トヲ証スヘシ 某這回我町村会議議員ノ選ニ膺レリ某之ヲ 皇天上帝ニ誓ヒ清廉ト勉励トヲ以テ公平ノ議論ヲ証シ其責任ヲ負担スヘシ敢テ誓フ 年 月 日 第十八条 議員ノ名前既ニ定リ誓約ヲ為シ終レハ其本町村内ヘ掲示シ且県令并ニ本区区戸長ヘ申出ヘシ 第十九条 総テ議員会場ノ座順ハ抽籤ヲ以テ之ヲ定メ毎会必ス其席ニ就クヘシ若シ退任之アル時ハ新任ノモノ下席ニ加ルヘシ 第二十条 議長幹事及ヒ議員ノ任期ハ総テ二ケ年タルヘシ 但交代ノ順序初年ハ鬮ヲ抽キテ之ヲ定メ一ケ年ニテ其半ヲ退任スヘシ 第廿一条 毎年八月一日ヲ期トシ交代表ヲ繰リ総員ノ半ヲ退任スヘシ 但退任シタル者ヲ直チニ再選スルモ妨ナシ 第廿二条 退任死去若クハ他ノ事故アリテ辞スル者アル時ハ議長期日ヲ定メ臨時ノ公選ニテ欠員ヲ補フヘシ 但議長若シ本条ノ如キ事故アルニ際セハ臨時ノ公選ヲ以テ議長ヲ定ムヘシ 第四章 議長及ヒ幹事議員定員ノ事 第一条 一議長一員但議員中公選ヲ以テ之ヲ定ム 二 幹事二員但入札ヲ以テ二員ヲ挙ケ町村用掛一員ヲ合セテ三員ヲ置クヲ法トス尤人口多数ニ渉レハ一員ヲ増スモ妨ケナシトス 三 議員定員左ノ如クナルヘシ 人口三百ニ付議員十五人 同 四百ニ付 議員二十人 以上都テ此割合タルヘシ 第二条 議長ハ本会ノ規則ヲ掌ルモノナレバ会議ノ席ニ於テ自己ノ論ヲ発スルヲ得ス 第三条 幹事ハ本会一切ノ雑事及ヒ記録費用等ノ事ヲ管掌スヘシ 第四条 議長幹事及ヒ議員ハ総テ無給タルヘシ 第五章 議事ノ条款 第一条 町村会ニ於テ議事ノ要務トスル条款左ノ如シ 一 官令ノ旨趣ヲ遵守シ其町村ノ衆庶平和ヲ保ツ事 二 町村限リノ費用ヲ定ムル事 三 租税其外諸公費ノ帳簿ヲ検査スル事 四 他向ヘ対シ其町村ノ名義ヲ以テ原告又ハ被告トナリタル詞訟及ヒ同名義ヲ以テ借金并ニ其返済ノ事 五 町村用掛以下ノ人員給料ヲ取極メ及ヒ公選入札スル事 六 金穀ヲ畜積シテ以テ非常災害ニ備フル事 七 学校ヲ設立シ子弟ヲシテ学ニ就カシムル事 八 貧民ヲ救恤シ棄児ヲ養育シ及ヒ病院ヲ興シ帰籍ノ者ヲ常産ニ就カシムル等ノ事 九 賊盗乱暴ノ者等総テ人民ノ妨碍ヲ為スヲ取締及ヒ其費用ヲ定ムル事 十 其町村内ノ道路橋梁ヲ修繕シ及ヒ水路ヲ疏通シ堤防ヲ堅牢ニスル等ノ事 十一 地ノ宜シキヲ商リ物産ノ利ヲ起ス事 十二 水火難手当ノ事 十三 其町村共有ノ品物ヲ売払ヒ又ハ質入等ノ事 十四 県社以下祭典料営繕費并神官ヘ奉務費ヲ給スル事 第二条 前条議事要務ノ条款本会ニ於テ議事已ニ決セハ県令ヘ申出其許可ヲ受ケ施行スル事ハ総テ其区区戸長ノ任タルヘシ 但一般ノ成規ニテ区戸長限リ施行スヘキハ此限ニ非ス 第六章 議事ノ方法 第一条 此会議ハ本年第八月一日ヲ以テ発会ノ初日トシ爾後毎月一日ヲ以テ会議ノ定日トス 但日ノ長短ニ不拘午前第九時ヲ発会ノ時限トス 第二条 定日定刻ニ到リ総人員ノ半ヨリ多ク出席アラハ議事ヲ開クヘシ出席人員総人員ノ半ヨリ少キ時ハ延会スヘシ 但其節差掛リタル議事アレハ議長ノ特見ヲ以テ発会スル事アルヘシ 第三条 本日ニ欠席スル時ハ後日ニ至リ其事ニ就キ不同意ヲ申立ルト雖モ決シテ取上ヘカラス 第四条 議員ハ自己ノ疾父母ノ病及ヒ官庁ノ呼出等其他不得止事故アルニ非レハ欠席スルヲ許サス 但欠席ノ時ハ其事故書面ニ認メ幹事ヘ差出スヘシ 第五条 議長若シ前条ニ示シタル事故アリテ欠席スル時ハ議員中臨時公選法ヲ以テ入札シ本会一日ノ議長ヲ定メ発会スヘシ 第六条 議スヘキ事件アラハ本日発会前ニ総テ書取ヲ以テ幹事ヘ出スヘシ幹事之ヲ受ケ順次番号ヲ記シ之ヲ議長ニ出スヘシ 第七条 議長ハ之ヲ取集メ其順序ヲ定メ最急務ト見込タル事件ヨリ議事ヲ始ムヘシ 第八条 議事ヲ始ムルニハ議長先ツ其主意ヲ精密ニ演説シ衆議員ヲシテ其意味ヲ十分ニ解得セシムヘシ 第九条 議員ハ先ツ議長ノ演説ヲ熟聴シテ解シ難キ廉アレハ幾回モ問返シ篤ト意味ヲ了解シタル上存意ヲ申述スヘシ 第十条 衆人同音ニ発声スヘカラス若シ同時発言スル事アラハ議長其順序ヲ定ムヘシ 第十一条 議事ハ総テ議長ニ向テ申述スヘシ議事中各員相互ニ論弁私語及ヒ暴怒罵詈嘲哢戯言シ或ハ睡ヲ催シ又ハ喫烟シ倦怠ノ状アルカ如キ数件ハ戒メテ為スヘカラス且酔人アラハ退席セシムヘシ 第十二条 規則ヲ犯スカ又ハ議論入組テ混雑ヲ生スヘキ時ハ議長無用ト声ヲ掛ケ之ヲ差止メ静ニ其次第ヲ正スヘシ 第十三条 総テ議事ハ可否ヲ両端ニ分チ衆説ノ帰スル所ニ随テ決スヘシ 但可否相同シキ時ハ本章第十六条ニ示シタル如クスヘシ 第十四条 議論数端ニ分レ可否決シ難キ時ハ議員中入札ヲ以テ両三名ヲ取調掛トシ見込ヲ立サセ其意見ニ就テ可否ヲ決スヘシ 但何等ノ議事ニ限ラス一同ノ意見既ニ定リテ其方法未タ付カサルハ入札法ヲ以テ本条ノ如ク仕法ヲ付ケシムヘシ 第十五条 取調掛ノ意見尚衆議ニ協ハサル時ハ再ヒ前条ノ如クスヘシ 第十六条 議事三回ニ及ヒ尚決セスンハ当分其議ヲ廃スヘシ若シ廃シ難キ事件ナレハ県令ヘ申立決議ニ随フヘシ 第十七条 議員ハ議事ヲ本務トスレハ施行ノ筋ニ関スヘカラス然レトモ施行ノ方法会議ノ取極メト相違スル事アラハ区戸長ニ向テ之ヲ弁論或ハ臨時発会シ議定ノ上県令ヘ申禀スル事アルヘシ 第十八条 一旦決議ノ上ニ許可ヲ得テ施行セシ事ハ妄ニ之ヲ変改スヘカラス然レトモ事実不得止ノ事アラハ更ニ発会見込ヲ立テ許可ヲ得テ後ニ之ヲ変改スヘシ 第十九条 此議事会毎一日ト定ムルモ議案ノ決シ難キカ又ハ議スヘキ事件多数アル時ハ翌日再ヒ発会決議スルハ妨ケナシト雖モ決シテ三日ニ跨ルヘカラス盖シ其営業上ニ支障アルヲ恐ルレハナリ 但両日ニテ決シ兼ル節ハ後会ニ付スルカ又ハ本章第十六条ニ示シタル如クスルモ衆議ニ従テ決スヘシ 第二十条 臨時会議ハ議長ノ特権カ又ハ議員総人員半数以上ノ望ナレハ速ニ之ヲ開クヘシ 第廿一条 本会ニテ決議ノ後已ニ県令ノ許可ヲ得テ施行スト雖モ爾後政府ノ公令アリテ其決議ノ事ト抵触スル事アレハ速ニ改ムヘシ 万一差支ノ筋アル時ハ其子細ヲ県令ヘ具状スヘシ 第七章 雑則 第一条 議事所ニ決議簿議案録議員名簿ヲ製シ置ヘシ 第二条 民事ニ就キ親ク其町村ニ就キ議スル事アル時ハ県令及ヒ其掛官員時トシテ此会議ニ出席スル事アルヘシ 第三条 本会ニ関スル諸費用ハ公平ノ議ヲ尽シ其町村ニ割符スヘシ 但諸費用明細表ヲ作リ毎年一月七月ニ県令ヘ差出スヘシ 第四条 此議事規則ハ実際施行ノ上潤飾改正スル事アルヘシ若シ本会ニ於テモ此規則ヲ変更シ又ハ増減セント欲セハ其考案ヲ興シテ県令ヘ申請スヘシ 右之通相定候事 明治八年七月 (神奈川県布達) 五三 町村会設立見込上申の件達 丙第二号 自第二至第廿大区 正副区戸長 町村会設立之儀ハ未タ一般行届カサル儀ニ有之処目今各区内之情態実際ニ就イテノ見込早々申出候様可致此旨相達候事 明治十年一月四日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 五四 神奈川県臨時県会条例 第二百十二号 各大区 区長 来ル十二月一日ヨリ臨時県会ヲ開キ候ニ付別紙条例相達候間日限各員来集可致此旨相達シ候事 明治八年十一月八日 神奈川県令 中島信行 (別紙) 臨時県会条例 第一条 県会ハ連月定会之レアルト雖トモ唯一日ノ開会ナレハ綿密ノ事務ヲ議スル能ハス故ニ今般此臨時県会ヲ開ク 第二条 会議ハ十二月一日ヲ以テ発会シ七日間ヲ会議ノ日限トス 第三条 会議ノ時間ハ午前ハ第九時ヨリ十二時マテ午后ハ一時三十分ヨリ四時三十分マテトスト雖トモ時宜ニヨリ点燈夜半ニ至ルコトアルヘシ 第四条 区長若シ病気其他ノ事故アリテ来集スル能ハサレハ副区長ヲシテ代理セシムヘシ 第五条 議スヘキ事件ハ議案ヲ発会前日マテニ衆議員ニ付スヘシ衆議員ハ之レヲ考案シ会議ノ席ニ就テ各員其可否ヲ充分ニ審論討議スヘシ 第六条 議案ノ条件ニ依リ衆議員ノ疑問アラハ主任官ヲシテ是レヲ詳述セシムヘシ 第七条 議案ニ付各議員議決スルノ条件若シ時勢ノ適度ヲ得サル事アラハ再議セシムルコトアルヘシ 第八条 議長ハ県令自任シ時トシテ正権参事ヘ代理セシムルコトアルヘシ 第九条 議問ノ条件左之通リ 第一 民費予算徴集方法ヲ設ケル事 第二 道路修繕方法ノ事 第十条 議問ノ条件会議ノ席ニ於テ議決スト雖トモ其方法及ヒ議案ノ章句等ヲ審議討論セント欲スル時ハ議長其場ヲ退キ衆議員ノ内投票ヲ以テ会頭ヲ定メ此間ノ会主トナスヘシ此場合ニ於テハ一件ノ外他件ヲ併議スルヲ得ス之レヲ小会議ト唱フ 第十一条 小会議ニテ審議討論ノ上議案ノ章句等ヲ改正スルニハ一件毎各議員ノ内投票ヲ以テ三名以上五名迄ノ委員ヲ撰抜シ其事務ヲ担当調理スヘシ 第十二条 総テ議事ニ就テノ規則ハ県会議事章程ノ条件ヲ確守シ不作法ノ儀無之様注意スヘシ (神奈川県布達) 五五 足柄県県区会議事規則および同議員選出に関する件達 第三号 一昨明治七年中相達候議事概則今般別冊ノ通リ改正県区会ヲ開設シ左ニ掲載スル条目ニ照準シ議員ヲ選挙シ本年三月一日ヲ以テ県会発会ト相定候条本月三十一日限リ公選投票可差出此段相達候事但区会ノ儀モ開会ノ日時相定同日迄ニ可申出事 一 県会議員ハ各大区毎ニ区長ノ内一名正副戸長ノ内三名〓テ四名ヲ選挙スベキ事 但シ豆州ノ儀ハ改正未済ニ付当分ノ内副区長ノ内ニテ四名ヲ選挙スベキ事 一 議員ヲ選挙スルニハ該大区一般人民投票ノ公選ヲ以テ之レヲ定ムル事 一 議員ハ該大区一般人民ノ総代人タル責ヲ負荷シ其論スル所ヲ以テ直チニ一般人民ノ公論ト確認スル者ナレハ該区一般一民ノ委任状ヲ受取ルベキ事 一 区会議員ハ各小区毎ニテ正副戸長ノ内一名各里長ノ内二名〓テ三名人員過少ナレハ里長一名ヲ増モ妨ケスヲ公選シテ議員トナスヘキ事 但シ豆州ノ儀ハ当分ノ内各小区毎ニテ副区長一名戸長二名ヲ選挙議員トスヘキ事 明治九年一月 足柄県令 柏木忠俊 (「県会区会ニ関スル布達」(明治九年)了義寺蔵) (別冊) 議場規則凡例 大会議ト云者ハ平常会議ノ席ニテ諸般ノ事件ヲ漸次ニ議スルヲ得ルヲ云フ 小会議ト云者ハ平常ノ会議ト異ナリ譬ハ一事ヲ議会ニテ可ト決スト雖モ其方法及ヒ議案ノ章句等ヲ審議セント欲スル時ハ別ニ議会ヲ開キ議長其坐ヲ退ク若シ議長自己ノ説ヲ述ヘント欲スレハ衆議員ト共ニ列坐シ互ニ是非ヲ討論ス此議会ノ席ニ於テハ唯其一事ニ属スル方法ヲ議スルノミ決シテ他事ヲ議スルヲ得ス此会ノ議長タル者ハ幹事長之レニ任スヘシ小会議ヲ開ク時参集ノ議員悉ク列席スルコトアリ是レヲ〓小会議ト云或ハ別ニ議員中ヨリ投票ヲ以テ委員若干人ヲ撰挙シテ之レヲ別ニ会議セシムル事アリ是レヲ撰任小会議ト云〓小会議撰任小会議ハ事ノ軽重ニ由ツテ臨時之レヲ定ム可シ 議会規則 県会ノ事 第一則 県会ハ本支両部ノ地ニ於テ会場ヲ設置シ毎年春秋二次ニ本支輪転開会スルヲ恒例トス 第二則 県会ハ正副区戸長ヲ議員トナシ以テ成立スルモノナリ 第三則 議会ノトキ本支庁ヨリ出セシ議案ハ開場中主任ノ官員議場ニ出席シ各議員ノ質疑ニ備フ議員質問アレハ其旨意ヲ説明答弁スヘシ 第四則 議場ノ開閉ハ議長ノ特権ヲ以テ之レヲ定ムヘシ 第五則 一切ノ議案ハ議長之レヲ県会ニ付シ其可否ヲ議サシムヘシ然レトモ是レヲ施行スルト否サルトハ県庁ノ特裁スル所ナレハ其権限ヲ踰ルヲ得ス 第六則 議員ハ管内一般人民ノ代議人タル責ヲ負荷スレハ善ク其情願スル所ヲ暢達セシメ人生当然ノ義務ヲ弁シ官府ノ命令ヲ遵奉シ公同ノ資益ヲ振興スルヲ以テ自ラ任トスヘシ 第七則 議場ニ於テハ意衷ヲ竭シ毫モ薀蔵スルコトナク謹議極論ヲ要ス其議論スル所忌諱ニ触ルヽトモ之レヲ糺弾スルヲ得ヘカラス 第八則 会場ノ議論其ノ本意ヲ失シ或ハ時所位ニ適セサレハ議長ノ特権ヲ以テ其議案ヲ収ム可シ 議長及ヒ諸役員ノ事 第九則 議長ハ長次官ヲ以テ之レニ充ツヘシ 但シ時宜ニョリ議員中ヨリ撰挙スルコトアルヘシ 第十則 議長ノ職ハ議場中ノ規則ヲ掌リ議員ヲ統轄シ議問ヲ審定シ建議ヲ収却スルヲ得ル然レトモ会場ニ於テ自己ノ論ヲ発言スルヲ得ス 第十一則 議場ノ規則ヲ整理スルハ専ラ議長ノ職掌ナルヲ以テ若シ之レヲ犯ス者アレハ議長之レヲ警部官ニ命シ退場セシムルノ権アリ 第十二則 議事掛書記官ハ本県属官ノ内ヲ以シ議長ノ命ヲ以テ議会一切ノ事務ヲ綜理スヘシ 第十三則 各議員ノ内ニテ三名乃至五名ヲ公選シテ幹事トナス其ノ幹事中ノ一名ヲ公撰シテ幹事長ヲ置クヘシ 第十四則 幹事長ハ議長若シ自己ノ論説ヲ陳ヘント欲シ議列ニ就クトキハ幹事長ヲシテ代理セシメ且小会議ノ議長タル可シ 第十五則 議員ハ管下各大区ヨリ正副区長ノ内ニテ一名正副戸長ノ内ニテ三名五大区ニテ〓計二十名ヲ以テ議員トナス各議員本職ノ専務アリト雖モ議場ニ昇ルニ至テハ齊シク一般ノ議員タリ故ニ管内一般ノ人民ニ代リ其便否ヲ謹議極論スルヲ以テ任トスヘシ 第十六則 議事ノ調査ヲ便セン為ニ議長ノ見込ヲ以テ予メ議員ヲ数組ニ分チ弁理セシムルコトアルヘシ 常会臨時会開閉并ニ縦聴ノ事 第十七則 常会ハ本支庁下ニ於テ毎歳一回ツヽ之レヲ開ク日数十五日以内タルヘシ 第十八則 常会ノ外管庁ノ命ニョリ之レヲ開キ或ハ区戸長十分ノ六以上ノ申立ニョリ管庁ノ許可ヲ得テ之レヲ開クコトアリ之レヲ臨時会トス 第十九則 臨時会ニ於テハ其開会スル事件ノ大意ヲ記シ凡ソ会期ノ十日前ニ其地ニ達スルヲ計リ議長ヨリ各区ニ報告ス可シ 第二十則 時宜ニョリ管庁ノ命ヲ以テ会議ヲ散スルコトアルヘシ 第二十一則 左ノ場合ニ於テハ延会ス可シ 一 議員十分ノ五以上闕席セシ時 一 議長出席セサル時 第廿二則 議事ハ衆庶ノ縦聴ヲ許スヘシ 但議場ノ都合ニョリ人員ヲ限ルコトアルヘシ 第廿三則 左ノ場合ニ於テ縦聴ヲ禁スヘシ 一 議員四分一以上同説囗以テ之レヲ禁セント請フ時 一 議長自ラ之レヲ禁セントスル時 議事順序ノ事 第廿四則 会議ノ始終ハ鳴鐘若シ鐘ナキトキハ皷或ハ柝木ヲ以テ之レニ代ルヲ以テシ着席ノ順序ハ捻籤ヲ以テ之レヲ定メ椅子毎ニ其ノ記号ヲ貼シ置ケハ毎会必ス其席ニ就ク可シ議長出席スルトキハ各議員起テ礼ヲ為ス可シ但シ議場ノ舗設及諸手続キハ議事掛之レニ任ス可シ 第廿五則 開会中ハ午前第九時昇堂シ午後第四時ニ退場スヘシ 第廿六則 第一次会 議長問題ノ大旨ヲ弁明シ議案ヲ分付シ書記官ニ命シテ其議案ヲ大声朗読満堂ニ洞徹セシム議員聞キ畢テ之レヲ熟読精考スヘシ 第廿七則 第二次会 曽テ領収シタル議案ニ付各議員其所見ヲ書シ本日之レヲ朗読シ或ハ口頭ニテ演述スルモ妨ケス第三十五則ニ由テ之レヲ審議ス可シ若シ発論者二人以上同時ニ□ツ時ハ着席ノ順序ヲ以テ発言ス可シ一員ノ発論中ハ他ノ議員黙聴其議論満堂ニ洞徹□□□要ス 但シ議員発論セント欲スルトキハ起立シテ議長ト呼フヘシ議長其ノ記号ヲ呼テ之レニ答フ然ル後チ発論ス可シ 第廿八則 第三次会 前会ニ討論シタル旨趣ヲ再考シ先ニ領収シタル議按ノ表面ニ可否ノ一字ヲ書シ本日之レヲ議長ニ出スヘシ議長其数ノ多少ヲ検シ其ノ可否ヲ決シ書記官ヲシテ決議ノ文案ヲ草セシメ之レヲ各議員ニ示ス議員其原稿ニ捺印シ閲読ヲ表スヘシ尚ヲ其修正スヘキハ之レヲ小会議ニ付シ修正セシメ浄書スヘシ 第廿九則 議問ノ条件其方法ヲ議スヘクシテ可否ヲ答フ可ラサル者ハ第一次会ニ於テ議長其旨ヲ弁明シ各議員退テ其方法ヲ熟考シ所見ノ文案ヲ作リ之レヲ議長ニ出スハ期日ヲ撰ス稿成ニ従テ封緘シ議事係リニ出スヘシ幹事之レヲ収集シ議長ニ出ス議長之レヲ検シテ委員ニ命シ其同論ノ多キモノヲ選集シテ議案トナシ小会議ヲ経テ第二次会期ヲ報知スヘシ 但シ本則第一項議員ヲシテ其方法ヲ考按セシ□ルモノナレハ時宜ニ由リ第一次会ニ於テ其旨趣ヲ説明シ直ニ委員数名ヲ命シテ其方法ノ考案ヲ草セシメ之レヲ小会議ニ付シテ審議修正ヲ加フ可キ者ハ再ヒ委員ヲシテ修正セシメ第二次会ニ至リ其帰着スル処ヲ定メテ之レヲ議長ニ申告ス可シ 第三十則 同上ノトキ第一次会畢リテ直チニ第二次会ヲ開キ其方法ヲ審議詳論セシメ其同論ノ多キ者ニ帰着ス可シ其ノ増削修正ヲ加フ可キ者ハ委員ヲ命シ之ヲ増削修正セシメ小会議ニ付シ其ノ帰着スル所ヲ定メ之レヲ議長ニ申□スル事モアルヘシ 第三十一則 各議員自ラ建議セント欲スル者ハ先ツ其議案ヲ議長ニ出シ議長之レヲ衆議ニ付シ其立論採ヘシトスル者ハ之レヲ会議ニ付シ各員其議案ニ付質問スル者アレハ建議者之レニ答弁スヘシ 第三十二則 凡ソ議員ノ建議ニ係ル者ハ議長書記官ヲシテ其議案ヲ朗読セシメ議事ヲ始ム可シ此時ニ方リ建議者尚其旨趣ヲ貫徹センカ為メ〓議員ニ之レヲ説明セント議長ニ乞ヒ書記官朗読ノ後自ラ之レヲ陳述スルコトヲ得ヘシ 但シ建議者発言セントスルニ方テハ其席ニ起立シ議長ニ対シ〔発言〕ト唱フヘシ議長之レニ答フニ其席次ノ番号ヲ呼フ是ニ於テ発論スル者トス 第三十三則 事重大ニ渉リ議案ノ旨趣書記官一度ノ朗読ニテ貫徹シカタキ者ハ其ノ会議ノ前ニ書記官ヨリ其写ヲ各議員ニ分付スヘシ 第三十四則 議案ノ条件其大意採ヘシト雖モ衆論其尽サヽル所ヲ修正セントスルニ決定セハ議長其修正如何ヲ更ニ議員ニ問ヒ各所見ヲ尽サシメ書記官又ハ委員ヲ撰ンテ其修正案ヲ□シ小会議ヲ期シテ之レヲ議ス可シ 第三十五則 議員中甲議員乙議員ニ向ヒ或ハ質問セントセハ其地位ニ起立シ議長ニ向ヒ演述スヘシ亦之レニ答フルモ議長ニ向テ発言スヘシ若シ乙其意ヲ誤解シタルトキハ甲ヨリ議長ニ向テ其誤解シタル所以ヲ説明スルヲ得小会議ノトキハ再三互ニ討論スルヲ得ヘシ 第三十六則 議員堂ニ昇ル帽ヲ脱スルヲ礼トス議員議事ノ規則ヲ犯シ議長之レヲ警ムルモ敢テ従ハサル者ハ警部官ニ命シテ所置セシムヘシ 第三十七則 議員故アリ闕席ノ節ハ他ノ一員ヘ其議セント欲スル事件ヲ委托シ置クヘシ一員ニテ二員ノ委托ヲ受ク可ラス 議事ノ権務 第三十八則 議事ハ公平中正ヲ宗トシ誹謗罵詈ニ渉ルヲ聴サス 第三十九則 県会ニハ専ラ一県内ノ事ヲ議ス可クシテ泛ク政府ノ大政ヲ議論スルヲ得ス 第四十則 議会ハ事ヲ議スルノ権アリト雖モ之レヲ実際ニ施行スルノ権ヲ有セス 第四十一則 議事ノ可否ヲ決スルハ同論ノ多キ方ニ依拠スヘシ若シ可否相半スルトキハ議長ノ特権ヲ以テ之レヲ決ス可シ 第四十二則 議目要領トスル者左ノ如シ 一 民費ノ事 一 災害備虞之事 一 管内取締及ヒ安寧風儀ニ関スル事 一 管内公立学校及ヒ貧院病院ノ事 一 諸会社及市場ノ事 一 道路堤防橋梁ノ事 一 土地ヲ闢キ産物ヲ興ス事 一 水陸運輸ノ便ヲ開ク事 一 県税ヲ課スル事 一 県区会内規則ノ事 第四十三則 右議目ニ関セサル条件ト雖モ臨時管庁ヨリ議題ヲ出スハ此限ニ非ラス 第四十四則 決議□条件ハ之レヲ管庁ニ差出シ管庁ヨリ其事施行シガタキ旨ヲ三十日間ニ説明セサレハ必ス之レヲ施行スル者トス 区会之事 第一則 区会ハ各大区内便宜ノ地ニ一ノ会場ヲ設置シ毎年四次開場スルヲ恒例トナス 第二則 区会ノ議員ハ正副戸長里長ヲ議員トシ以テ成立スルモノナリ 第三則 議員ハ区内一般ノ人民ノ代議人タル責ヲ負荷スレハ官令ヲ遵奉シ区内人民ノ情願ヲ通暢セシメ人生ノ当然タル義務ヲ知ラシメ公同資益ヲ振興セシムルヲ以テ己カ任務トナスヘシ 第四則 議場ニ於テハ意衷ヲ竭シ毫モ薀スルコトナク讜議極論ヲ要ス其議論スル所忌諱ニ触ルヽトモ之ヲ糺弾スルヲ得ス 第五則 会場ノ議論其ノ本意ヲ失シ或ハ時所位ニ適セサルトキハ議長ノ特権ヲ以テ其議案ヲ収ム可シ 議長及ヒ諸役員ノ事 第六則 議長ハ正副区長之レニ充ツヘシ 但シ時宜ニヨリ議員中ヨリ撰挙スルコトアル可シ 第七則 議事ノ規則ヲ整理スルハ議長ノ職掌ナルヲ以テ若シ之ヲ犯ス者アレハ議長之ヲ退場セシムルノ権アリ 第八則 議場書記役ハ正副戸長里長或ハ別ニ適宜ノ者ヲ撰択シ議長ノ権ヲ以テ臨時之ヲ撰定スヘシ 第九則 議員ノ内ニテ三名或ハ五名ヲ公撰シテ幹事トナス幹事ノ内ヨリ一名ヲ公撰シテ幹事長ヲ置クヘシ但シ幹事長ハ他ノ幹事ノ職掌ト別ニ異ナルナシト雖モ議長若シ自己ノ説ヲ述ント欲シテ議列ニ就クトキハ之レカ代理トナリ且小会議ノトキ議長トナルヘシ 第十則 議員ハ各小区ヨリ正副戸長ノ内一名里長ノ内二名或ハ三名該区内一般ノ公撰ヲ以議員トナス 第十一則 諸事ノ調査ヲ便ニセンカ為メ議長ノ見込ヲ以テ予メ議員ヲ数組ニ分チ弁理セシムヘシ常会臨時会開閉并ニ縦聴ノ事 第十二則 常会ハ毎年四次開場トス其日数ハ十日以内タル可シ臨時会ハ管庁ノ命ニヨリ之レヲ開キ或ハ戸長十分ノ六以上ノ申立ニヨリ管庁ノ許可ヲ得テ之レヲ開ク其日数七日以内タルヘシ 第十三則 臨時会ニ於テハ其開会スル事件ノ大意ヲ記シ凡ソ会期ノ五日前ニ其地ニ達スルヲ計リ議長ヨリ各区ニ報スヘシ 第十四則 臨時会ニ於テハ其開会スル事件ノ外ハ議員十分ノ六以上同議ニアラサレハ議スル事ヲ得ス若シ此場合ニ至ツテ延期スルモ其日数多クトモ五日ヲ出ツ可ラス 第十五則 時宜ニョリ管庁ノ命ヲ以テ会議ヲ散スルコト有ルヘシ 第十六則 左ノ場合ニ於テハ延会スヘシ 議員十分五欠席セシ時 議長出席セサル時 第十七則 議事ハ衆庶ノ縦聴ヲ許ス可シ 但シ議事上ノ都合ニョリ人員ヲ限ルコト有ルヘシ 第十八則 左ノ場合ニ於テハ縦聴ヲ禁スヘシ 議員四分ノ一以上同説ヲ以テ禁セント請フ時 議長自ラ之ヲ禁セントスル時 議事ノ順序ノ事 第十九則 議事ノ順序ハ県会規則第廿四則ヨリ第三十七則ニ至ル迄ノ規則ニ依準シテ議ス可シ其ノ順序ヲ整粛ニシテ錯雑セサルヲ要ス 議事ノ権務 第二十則 議事ハ公平中正ヲ宗トシテ誹謗罵詈ニ渉ルヲ禁ス 第二十一則 区会ハ専ラ該区内ノ事ヲ議ス可クシテ泛ク政府ノ大政及ヒ県内一般ニ関スル事ヲ議論スルヲ得ス 第二十二則 議会ハ事ヲ議スルノ権アツテ之レヲ施行スルノ権ナシ 第二十三則 議事ノ可否ヲ決スルハ同論ノ多キ方ニ依拠ス可シ若シ可否相半スルトキハ議長ノ特権ヲ以テ之レヲ決スヘシ 第二十四則 議事ノ要領トスル者左ノ如シ 一 民費ノ事 一 区内取締及ヒ安寧風儀ニ関スル事 一 公有財産ノ事 一 災害備虞ノ事 一 公立学校及ヒ貧院病院ノ事 一 諸会社及ヒ諸市場ノ事 一 道路堤防橋梁ノ事 一 土地ヲ闢キ物産ヲ興ス事 一 水陸運輸ノ便ヲ開ク事 一 区会内規則 第二十五則 右議目ニ関セサル条件ト雖モ臨時管庁ヨリ議題ヲ出スハ此限ニ非ス 第二十六則 決議ノ条件ハ区長之レヲ管庁ニ出シ其許可ヲ受テ之レヲ施行スル者トス 第廿七則 決議ノ条件管庁ノ許可ヲ得テ施行スルニ至レハ区長ヨリ普ク之レヲ区内ニ公告ス可シ 県区議会縦聴規則 第一条 縦聴人ハ開会中午前第九時議場出入口詰番ノ者ヘ応接シ同所机上ノ帳簿ヘ姓名ヲ手記シ扣所ヘ着席スヘキ事 但已ヲ得サル事故アルノ外猥ニ遅参スル者ハ登場ヲ許サス 第二条 縦聴人席次ハ登場遅速ノ順次ニ因テ之ヲ定ムヘキ事 第三条 議事開席ノ号鐘ヲ聞カハ議場ニ進ミ前条ノ順序ニ因テ列席スヘキ事 但議場ニ入ル必ス帽ヲ脱シ議長着席セハ礼ヲナスヘシ 第四条 議事ノ際沈黙敬聴シ其旨趣ヲ了解スルヲ要ス或ハ欠伸雑話私語シ或ハ議場猥歩スル等ノ事最注意シ侮謾放肆ノ挙動一切禁タルヘキ事 第五条 扣所ニ於テ高談笑語シ或ハ罵詈争論等ヲ禁ス 第六条 議場ニ於テ吹煙飲食等一切禁止ノ事 第七条 若シ前条ノ規則ヲ犯シ或ハ其他粗暴ノ挙動アリテ之ヲ警シムルモ用ヒサル者ハ退席ヲ命シ縦聴ヲ禁ス其所業ニ因テハ警察吏ヲ以テ詰問セシムヘキ事 (柏木俊孝氏蔵) (注)了義寺所蔵資料に同様のものがある。 五六 臨時議事会に関する神奈川県権令野村靖の訓示 臨時議事会緒言 世ノ能ク洪利ヲ興シ鴻害ヲ蠲クモノ未タ必スシモ衆庶共同成否ヲ公議スルノ宜ヲ得ルニ因ラスンハ非ルナリ泰西各国ノ美ヲ宇内ニ擅ニスル所以ノモノ又焉ンソ此ニ資ラサルヲ得ンヤ是我邦県会区会町村会ノ繇テ起ル処ナリ予ノ該県ニ莅ムヤ施治ノ日未タ久シカラス而シテ此臨時議事会ヲ開設スル恐ラクハ新異ヲ好ムノ軽忽ニ出ルノ議アラント雖トモ此挙ヤ実ニ時態ヲ酌量シ止ムヲ得サルノ衷情ニ出ツ况ヤ区費徴集ノ適不適ハ区内人民ノ寧不寧ニ関係スルニ於テヲヤ故ニ本月本日ヲトシ開設ノ初辰トナセリ切ニ望ム各議員虚懐平心各挾持スル処ナク公論讜議互ニ阿付スル処ナク其議鋒ヲ尽シ其方法ヲ得以テ将来人民ノ権利ヲ保有セシメンコトヲ欲ス各員其レ斯意ヲ諒セヨ 明治九年六月八日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 五七 町村総代人選挙規則同改正ならびに心得書(一-四) (一) 甲第八十九号 従前之代議人及小前総代并五人組ヲ廃シ更ニ町村総代人兼小区会議員ヲ撰定候条別紙選挙規則并心得書之通相心得公選之上来ル九月十日迄ニ可申出此旨布達候事 但規則第五条中改撰ノ儀ハ毎年二月ト有之候得共今般撰定ノ総代人ハ年月半途ニ付来ル明治十二年二月迄改撰不致候事 明治十年八月十八日 神奈川県権令 野村靖 (別紙) 町村総代人選挙規則并心得書 第壱章選挙ノ事 第壱条 町村総代人ハ第二条ノ割合ヲ以テ各宿駅町村毎ニ置モノトス 第二条 宿駅市街ハ一町毎(一町中ニ数丁アルハ之ヲ合スルモノトス)村里ハ一村毎ニ戸数百戸迄ハ二人以上百戸毎ニ壱人ヲ増ス尤三十戸以下ノ宿駅町村ハ最寄隣町村ヘ結ヒ合セ選挙スルモ障ナシ然レトモ二箇ノ町村合併シテ二人ヲ置クトキハ必ス甲乙ヨリ一人ツヽヲ撰挙スルコトトス 第三条 総代人ヲ撰ヒ及撰ハルヽ者ハ其宿駅町村ノ籍ニアル壱ケ年以上居住ノ者ニシテ其町村ニ不動産ヲ所有シ国税或ハ県税ヲ納ムル男子ノ戸主ヲシテ投票セシメ其多数ニ因リ之ヲ定ムルモノトス 第四条 第三条合格ノ者ト雖モ左ノ条款ニ当ル者ハ選挙シ又ハ選挙セラルヽコトヲ得ス 第壱款 年齢二十年末満ノ者 第二款 官吏区村吏学校教員神官教導職及軍人軍属 第三款 風癲狂疾ニ罹リ或ハ除族懲役及身代限ニ処セラレタル者 第四款 娼妓貸坐敷営業及雇人タル者 第五条 総代人ハ毎年二月ヲ定期トシ該小区扱所ニ於テ之ヲ改撰スルコトトス 但各宿駅町村毎ニ毎年一月中第三条ニ適当スル人名簿ヲ製シ之ヲ小区扱所ト該町村トニ備ヘ置クヘシ 第六条 毎年期月ニ至ラハ該小区戸長及駅町村用掛ハ集会ノ日并時刻ヲ予メ遅クモ当日五日以前ニ該町村ヘ告知スヘシ 第七条 集会当日病気或ハ事故アリテ三分ノ一以上欠席スルトキハ該日ノ投票ヲ見合他日ヲ期スヘシ然ル場合ニ於テハ本日ヨリ三日以上後日ニ再会ノ日ヲ刻スヘシ又再会ノ日集員ノ内欠席アルモ該日ノ撰挙ヲ遷延スルコトヲ得ス而シテ初会三分ノ一以下欠席ノ者或ハ再会欠席ノ者ハ本日ノ投票ニテ決シタル総代人ハ自己ノ撰挙シタルモノト見做シ後日決シテ異議ヲ称ルコトヲ得サルモノトス 第八条 該宿駅町村ニ於テ第三条ニ適スルモノハ時日ヲ不誤出席シ戸長ノ面前ニ於テ各自記名調印シテ投票スヘシ然ル後投票ノ数ト出席撰挙人ノ数ト符合スルトキハ戸長ハ之ヲ集員ノ面前ニ於テ開札シ高票ノ者ヨリ順次姓名ノ上ニ札数ヲ登記シテ其紙尾ニ本日集会ノ者各記名調印スヘシ而シテ之ヲ二通ニ認メ一ハ区長ヲ経テ県庁ニ進達シ一ハ該小区扱所ニ留メ置ヘシ 但入札同数ナレハ年長ノ者ヲ挙ルヲ規トス若シ年齢同シケレハ抽籤ヲ以テ定ムヘシ 第九条 県庁ニ於テ之ヲ認可スルトキハ左ノ認可状ヲ作リ区長ニ向ケ下付シ区長ハ之ヲ本人ニ伝達スヘシ然ルトキハ前満期総代人ハ後期総代人シテ認可状ヲ領手セシ日ヲ以テ解職セシモノトス 認可状書式 第十条 総テ該規則ニ適シ選挙セラルヽト雖モ之ヲ認可スルトセサルハ県令ノ特権ニアルモノトス 第十一条 戸長及駅町村用掛ハ区長ヨリ総代人ニ認可状ヲ伝達セハ直チニ其撰ハレタル者ト満期解職セシ者ノ人名ヲ該駅町村ヘ普ク告知スヘシ 第十二条 総代人ハ各宿駅町村毎期半数ツヽ改選交代スル者トス尤前期総代人ヲ更ニ後期ニ撰挙スルハ障ナシトス 但改選初年半数ヲ存置スルハ総代人中ノ投票ニテ決スヘシ 第十三条 総代人ニ選ハレタルモノハ各其義務ヲ尽シ私ニ其職ヲ辞スルコトヲ得ス 但医師及代言人ニ限リ事業上不得止モノハ此限ニ非スト雖モ認可状ヲ領手セシ日ヨリ三日以内ニ其事由ヲ申立サルモノハ本文ノ通タルヘシ 第十四条 総代人ノ内若シ第三条四条ニ抵触ヲ生スルカ或ハ死亡等ニテ欠員スルトキハ其時々之ヲ改選スヘシ 第二章 心得ノ事 第十五条 総代人ハ該宿駅町村内人民ノ代理人ニシテ且小区会議員ヲ兼任スヘシ尤給料ハ之レナキト雖トモ旅費ヲ支給スルハ其宿駅町村ノ適宜ニ任スヘシ 但総代人議員ハ固ヨリ吏員ニ非レハ吏務ニ関セサルハ勿論且代言人ノ業ヲ営ムコトヲ得ス 第十六条 県庁及区戸長ヨリ一宿駅町村一般人民ニ係ル事件ニ因リ其意見ヲ尋問及フコトアルトキハ其町村総代人ニ対シ其事由ヲ尋問シ其答フル処ハ其人民ノ一同答フルモノト見認ルヲ以テ成規トス然ル上ハ其答ヘタル条件ニ就キ他日該人民ヨリ異議ヲ称フル権理ナキモノトス故ニ総代人ノ答議書ハ必ス記名調印セシモノヲ要シ記名調印ナキハ答議ノ効ナキモノトス 但町村ニ於テ金穀ヲ公借シ若クハ共有ノ地所建物等ヲ売買シ及土木ヲ起功スルトキハ明治九年第百三拾号公布ノ通正副区戸長并其宿駅町村内不動産所有ノ者六分以上之ニ連印スルヲ要スルヲ以テ本文ノ限ニ非ス 第十七条 総代人ハ該区々戸長及該駅町村用掛ノ進退アルトキハ之ヲ投票選挙スルコトトス 但官選ヲ以テ申付ル節ハ此限ニ非ス 第十八条 総代人在職中旅行等一週日間以上不在ノ事故アルトキハ其旨戸長ヘ申出ルヲ定規トス (二) 甲第九拾七号 本年八月甲第八拾九号ヲ以及布達候町村総代人選挙規則心得書ノ内第拾七条本文エ左ノ通追加候条此旨布達候事 明治十年八月三十日 神奈川県権令 野村靖 尤駅町村用懸ニ限リ総代人ヲ選挙スルノ権アル人民ト共ニ投票スヘシ (三) 甲第四十一号 明治十年八月本県甲第八十九号布達町村総代人規則第十六条但書左ノ通改正候条此旨布達候事 明治十一年三月十六日 神奈川県権令 野村靖 但町村ニ於テ金穀ヲ公借シ若クハ共有ノ地所建物等ヲ売買シ及土木ヲ起功スルトキハ明治九年第百三十号公布第二条ノ通正副区戸長并其宿駅町村内不動産所有ノ者六分以上之ニ連印スルヲ要スヘシト雖モ都合ニョリ該町村総代人ヲ以テ右公布第二条但書ノ代理人タラシムルモ妨ケナシ (四) 甲第四拾五号 明治十年八月本県甲第八拾九号布達町村総代人選挙規則中第十条刪除シ第十一条ヲ第十条トシ以下逐次操上候条此旨布達候事 明治十一年三月廿一日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 五八 町村総代人選挙規則施行に関する件達 乙第百七十一号 各大区 正副区戸長 本年甲第八十九号ヲ以町村総代人撰挙之儀布達及ヒ候処学校世話役同世話掛及道路橋梁掛之儀ハ該規則第四条第二項ニ関セサル儀ト相心得其旨区内人民ヘモ通示可致此旨相達候事 但総代人ニ撰マルヽモノト雖モ本文之勤務ハ是迄之通ト可心得事 明治十年九月四日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 五九 町村総代人選挙実施督促に関する件達 乙第百七十五号 各大区 正副区戸長 本年甲第八十九号ヲ以町村惣代人撰挙ノ上本月十日迄ニ可申出旨布達及置候処今以進達不致区モ有之不都合ニ候条至急取纒差出候様可致此旨相達候事 明治十年九月十一日 神奈川県権令 野村靖 (神奈川県布達) 六〇 総代人選出に関する村内規定書 〓代人撰挙ニ付村内規定書 本年甲第八拾九号ノ御布達ニ因リ従前之代議人及小前惣代五人組ヲ廃シ更ニ百戸迄ハ弐名ノ村総代ヲ置ク左ノ如シ 第壱条 当村ヲヰテハ左ノ人名ノ内ヲ以テ総代人弐名ヲ撰挙スヘキ事 第弐条 総代人ヲ撰挙スルハ投票ノ上弐小区扱所ニ於テ開票シ高票ノ者ヲシ テ撰定スヘキ事 第三条 高票ノ者ハ必ス異儀ナク勤務スヘキ事 第四条 総代ヲ勤務スル者ニ対シ一同於テ毫モ苦情ハ醸サヾル事 第五条 総代人改撰ハ明治拾弐年二月迄不致事 右規定ヲ確守スルタメ連署スル如件 明治十年第九月十四日 第弐拾弐大区弐小区 淘綾郡高麗村 大沢平右衛門(印) 諸星伝左衛門(印) 坂下半右衛門(印) 坂口幸太郎(印) 福西米吉(印) 川口五助(印) 内田茂平治(印) 内田孫兵衛(印) 片野作右衛門(印) 小嶋仙之助(印) 草山宗兵衛(印) 青嶋勝五郎(印) 小島太助(印) 高橋庄兵衛(印) 中村藤七(印) 高橋勇吉(印) 青木伝右衛門(印) 片野甚右衛門(印) 浅沼弥左衛門(印) 青木由兵衛(印) 曽根田平兵衛(印) 今井磯五郎(印) 藤田清七(印) 高橋直治郎(印) 曽根田平七(印) 小島寅治郎(印) 原田清吉(印) 青木林蔵(印) 青木金兵衛(印) 片野新五郎(印) 吉川金三郎(印) 久保田福松 大沢吉兵衛(印) 青木庄左衛門(印) 茅沼次郎吉(印) 大沢兼吉(印) 吉川蔵之助(印) 片野仁左衛門(印) 今井由右衛門(印) 小幡喜之助(印) 小幡長兵衛(印) 小島嘉七(印) 村用掛 曽根田重兵衛殿 同補助 片野友右衛門殿 投票 四拾壱枚 吉川蔵之助 同 三拾六枚 高橋庄兵衛 同 四枚 中村藤七 同 弐枚 青木林蔵 同 壱枚 青木伝右衛門 (曽根田重和氏蔵) 六一 神奈川県小区会および大区会議事規則同追加(一-三) (一) 甲第百七号 先般甲第八拾九号ヲ以テ町村総代人兼小区会議員撰挙ノ儀及布達置候就テハ別紙ノ通小区会議事規則相定候条此旨布達候事 明治十年九月十五日 神奈川県権令 野村靖 (別紙) 小区会議事規則 第一条 小区会議員ハ該区内町村惣代人ヨリ之レヲ兼任スルモノトス 第二条 議会ハ年二次即チ二月八月最初ノ月曜日ヲ以テ定日トス尤一日ニテ終ラサル要件ハ衆議ニ寄リ連開スルヲ得ヘシ 但臨時議スヘキ要件アリテ総議員三分ノ一以上連署シテ会議ヲ開カンコトヲ乞フトキト県庁ヨリ特ニ議案ヲ下付スルトキハ常例外開場スルコトアルヘシ 第三条 会議時限ハ午前第九時ヨリ始ムルモノトス 第四条 当日定刻ニ至リ総議員ノ半以上欠席アルトキハ会議ヲ開クコトヲ得ス然ル場合ニ於テハ議長ハ当日ヨリ五日以内ニ再会ノ日ヲ刻シテ衆議員ニ通スヘシ尤再会ノ日ハ欠員ノ多寡ニ拘ラス発会スルモノトス但当日半以下欠席及再会ノ日集会セサルモノハ後日其議事ニ付不同意ヲ申立ルノ権ナキハ勿論タルヘシ 第五条 議長ハ毎年初会ニ衆議員中ヨリ互撰投票ヲ以テ定メ該年中之ニ任スルモノトス 但事故アリ議長欠席ノ節ハ其時々衆議員中ヨリ撰定スルモノトス尤時トシテハ該小区戸長ヲ以テ議長トスルモ妨ケナシ 第六条 幹事及書記ハ該小区扱所書役ヲ以テ之ニ充ルモノトス 第七条 議員ノ席次ハ毎年初会ニ抽籤ヲ以テ定メ該年中之ヲ用ユルモノトス第八条 議員ハ各議員ノ満足スヘキ明了タル事故ノ確証アルニ非レハ私ニ欠席スルコトヲ得サルモノトス 第九条 議案ヲ出スハ会議ノ七日前迄ニ書記ヘ出シ書記ハ之ヲ直ニ議長ヘ出シ議長ハ速ニ各議員ヘ達示スルコトトス 第十条 議員ハ専ラ虚心公平ヲ旨トシ敢テ暴慢雷同等ノ挙動アルヘカラス 但会議中他事ヲ私議シ及ヒ無故其席ヲ離ル可ラサルハ勿論ナルヘシ 第十一条 議事ハ衆説ノ多寡ヲ以テ可否ヲ決スルモノトス 但可否ノ説相半スルトキハ議長ノ見込ヲ以テ之ヲ決スヘシ 第十二条 議事ハ総テ議長ニ対シテ発言スルモノトス尤時トシテハ議長ノ見込ヲ以テ甲乙両員対議セシムルコトアルヘシ 但議員ハ議場ニ於テ発言スルトキハ都テ起立スルヲ例トス 第十三条 議員ハ発言セント欲スルトキハ議長ニ向ヒ何番議員ト我席次ノ番号ヲ呼ヒ議長ノ之ニ答フルヲ待テ弁議スルモノトス 但議員ハ必ス一人ツヽ発言スルヲ規トス若シ二人以上同時ニ発言スルトキハ議長ハ先ツ発言セシト見認ル者ヲシテ弁議セシムヘシ第十四条 議長ハ討議稍定リタルトキハ各議員ノ同意不同意ヲ問ヒ其可否ノ多寡ヲ決スヘシ 第十五条 議員ハ素ヨリ区内人民ノ代議ヲ託スルトコロノ者ナレハ此会議ニテ決議スル事件ハ即チ区内人民ノ決シタルモノト見認ルヲ以テ人民ニ於テハ之ニ異議ヲ称ルノ権理ナキモノトス 第十六条 小区会ニ於テハ該区ニ係ル民費予算非常予備ノ蓄積法道路橋梁ノ修造教育上其他共有物保存等ノコトヲ議スルモノトス 第十七条 議会ニ於テ議定シタル条件ハ其旨趣ヲ明瞭ニ書記シ各議員記名調印シ議長ヨリ該区戸長及ヒ区長ヲ経テ之ヲ県庁ニ開申シ指揮ヲ請フモノトス然レトモ之ヲ施行スルトセサルハ県令ノ特権ニアルヘシ 但兼テ区戸長於テ施行スル成規アルモノハ此限ニ非ス 第十八条 時宜ニョリ該区戸長ハ此会議ニ参シ所見ヲ陳スルヲ得ルト雖モ其議案ノ可否ヲ決スル数中ニ入ルコトヲ得サルモノトス 但教育上ニ付議会ヲ開クトキハ該小区内学校世話役小学教員ノ内該場ニ出頭シテ意見ヲ陳述スヘシ尤可否決数中ニ入ラサルハ本条ノ通タルヘシ 第十九条 県庁或ハ区務所等ヨリ議案ヲ付シタルトキハ答弁トシテ主務ノ者参会スルコトアルヘシ 第二十条 会議ヲ傍聴セント欲スル者ハ本会幹事ニ名刺ヲ出シ承諾ヲ得テ傍聴席ニ就ク可シ尤傍聴中私語喫烟スルヲ許サス且議事ニ支障ヲ生スル挙動アルトキハ直チニ退席セシムヘシ 但多人数ニシテ場席ナキトキハ人員ヲ限ルコトアルヘシ (二) 甲第百八号 今般甲第百七号ヲ以テ小区会開設ノ儀及布達候処猶大区会ヲ開キ別紙ノ通大区会議事規則相定候条右ニ準拠シ議員撰挙ノ上来ル十月十五日マテニ可申出此旨布達候事 但規則第二条中改撰ノ儀ハ毎年ト有之候得共今般撰定ノ議員ハ年月半途ニ付明治十二年マテ改撰不致儀ト可心得候事 明治十年九月十八日 神奈川県権令 野村靖 (別紙) 大区会議事規則 第一章 議員撰挙ノ事 第一条 大区会議員ハ戸数三百戸ニ付一人ノ割合ヲ以テ該区町村総代人中ヨリ互撰投票ニテ之ヲ置モノトス 但第一第廿一第廿二大区ハ四百戸ニ付一人ノ割合タルヘシ 第二条 議員ノ任期ハ二年トス尤改撰定期ハ毎年二月町村総代人ノ認可状ヲ受終リタル日ヨリ起算シテ一週日以内トシ毎期半数ツヽ改撰交代スルモノトス 但改撰初年半数ヲ存置スルハ町村総代人中ノ投票ニテ決スヘシ 第三条 議員ノ撰挙ハ該区務所ニ於テシ区長之カ検査員トナルヘシ而シテ其撰挙ニ当リタル者ノ姓名ヲ区長ヨリ県庁ヘ進達シ県庁於テ之ニ認可状ヲ与フルモノトス 第四条 議員ハ総代人ヨリ撰挙セラルヽト雖モ其町村総代人タルヲ退クモノニ非ス併テ之ヲ負任スルモノトス 第五条 議員ニ撰マレタル者ハ私ニ其職ヲ辞スルコトヲ不得尤死亡等ニテ欠員スルトキハ其時々改撰スヘシ 第二章 議事心得ノ事 第六条 議会ハ年二次即チ三月九月最初ノ月曜日ヲ以テ定日トス尤一日ニテ終ラザル要件ハ衆議ニ寄リ連開スルヲ得ヘシ 但臨時議スヘキ要件アリテ総議員三分ノ一以上連署シテ会議ヲ開カンコトヲ乞フトキト県庁ヨリ特ニ議案ヲ下付スルトキハ常例外開場スルコトアルヘシ 第七条 会議時限ハ午前第九時ヨリ始ムルモノトス 第八条 当日定刻ニ至リ総議員ノ半以上欠席アルトキハ会議ヲ開クコトヲ不得然ル場合ニ於テハ議長ハ当日ヨリ五日以内ニ再会ノ日ヲ刻シテ衆議員ニ通スヘシ尤再会ノ日ハ欠員ノ多寡ニ拘ハラス発会スルモノトス 但当日半以下欠席及再会ノ日集会セザル者ハ後日其議事ニ付不同意ヲ申立ルノ権ナキハ勿論タルヘシ 第九条 議長ハ毎年初会ニ衆議員中ヨリ互選投票ヲ以定メ該年中之ニ任スルモノトス 但事故アリ議長欠席ノ節ハ其時々衆議員中ヨリ撰定スルモノトス 尤時トシテハ該大区々長ヲ以テ議長トスルモ妨ケナシ 第拾条 幹事及書記ハ区務所筆生ヲ以テ之ニ充ルモノトス 第十一条 議員ノ席次ハ毎年初会ニ抽籤ヲ以定メ該年中之ヲ用ユルモノトス 第十二条 議員ハ各議員ノ満足スヘキ明了タル事故ノ確証アルニ非レハ私ニ欠席スルコトヲ得サルモノトス 第十三条 議案ヲ出スハ会議ノ七日前迄ニ書記ヘ出シ書記ハ之ヲ直ニ議長ヘ出シ議長ハ速ニ各議員ヘ達示スルコトトス 第十四条 議員ハ専ラ虚心公平ヲ旨トシ敢テ暴慢雷同等ノ挙動アルヘカラス 但会議中他事ヲ私議シ及ヒ無故其席ヲ離ル可ラサルハ勿論ナルヘシ 第十五条 議事ハ衆説ノ多寡ヲ以可否ヲ決スルモノトス 但可否ノ説相半スルトキハ議長ノ見込ヲ以之ヲ決スヘシ 第十六条 議事ハ総テ議長ニ対シテ発言スルモノトス尤時トシテハ議長ノ見込ヲ以甲乙両員対議セシムルコトアルヘシ 但議員ハ議場ニ於テ発言スルトキハ都テ起立スルヲ例トス 第十七条 議員ハ発言セント欲スルトキハ議長ニ向ヒ何番議員ト我席次ノ番号ヲ呼ヒ議長ノ之ニ答フルヲ待テ弁議スルモノトス 但議員ハ必ス一人ツヽ発言スルヲ規トス若シ二人以上同時ニ発言スルトキハ議長ハ先ツ発言セシト見認ル者ヲシテ弁議セシムヘシ第十八条 議長ハ討議稍定リタルトキハ各議員ノ同意不同意ヲ問ヒ其可否ノ多寡ヲ決スヘシ 第十九条 議員ハ素ヨリ区内人民ノ代議ヲ託スルトコロノ者ナレハ此会議ニテ決議スル事件ハ即チ区内人民ノ決シタルモノト見認ルヲ以テ人民ニ於テハ之ニ異議ヲ称ルノ権利ナキモノトス 第弐拾条 大区会ニ於テハ該区ニ係ル民費予算非常予備ノ蓄積法道路橋梁ノ修造教育上ノ其他共有物保存等ノコトヲ議スルモノトス 第廿一条 議会ニテ議定シタル条件ハ其旨趣ヲ明瞭ニ書記シ各議員記名調印シ議長ヨリ該区長ヲ経テ之ヲ県庁ニ開申シ指揮ヲ請フモノトス然レトモ之ヲ施行スルトセサルハ県令ノ特権ニアルヘシ 但兼テ区長於テ施行スル成規アルモノハ此限ニ非ス 第廿二条 時宜ニョリ該区戸長ハ此会議ニ参シ所見ヲ陳スルヲ得ルト雖モ其議案ノ可否ヲ決スル数中ニ入ルコトヲ得サルモノトス 但教育上ニ付議会ヲ開クトキハ該区学区取締ハ該場ニ出頭シテ意見ヲ陳述スヘシ尤可否決数中ニ入ラサルハ本条ノ通タルヘシ 第廿三条 県庁ヨリ議案ヲ下付シタルトキ或ヒハ各議員ヘ対シ諮詢スル事等アルトキハ県令及掛リ官員参会スルコトアルヘシ 第廿四条 会議ヲ傍聴セント欲スル者ハ本会幹事ニ名刺ヲ出シ承諾ヲ得テ傍聴席ニ就ク可シ尤傍聴中私語喫烟スルヲ許サス且議事ニ支障ヲ生スル挙動アルトキハ直チニ退席セシムヘシ 但多人数ニシテ場席ナキトキハ人員ヲ限ルコトアルヘシ (三) 甲第二十二号 本年本県甲第二十一号ヲ以教育会議規則廃止候就テハ明治十年九月甲第百七号同百八号布達大小区会議事規則中左ノ通追加候条此旨布達候事 明治十一年二月十五日 神奈川県権令 野村靖 一 小区会規則第十六条及ヒ大区会規則第廿条中修造ノ下ヘ〔教育上〕ノ三字ヲ加フ 一 小区会規則第十八条ヘ左ノ但書ヲ加フ 但教育上ニ付議会ヲ開クトキハ該小区内学校世話役小学教員ノ内該場ニ出頭シテ意見ヲ陳述スヘシ尤可否決数中ニ入ラサルハ本条ノ通タルヘシ 一 大区会規則第廿二条ヘ左ノ但書ヲ加フ 但教育上ニ付議会ヲ開クトキハ該区学区取締ハ該場ニ出頭シテ意見ヲ陳述スヘシ尤可否決数中ニ入ラサルハ本条ノ通タルヘシ (神奈川県布達) 六二 県会議事規則 甲第二十壱号 従来之県会及教育会議規則ヲ廃シ更ニ別紙規則之通県会開設候条此旨布達候事 但今般議員撰挙日限ノ儀ハ追テ可相達事 明治十一年二月十四日 神奈川県権令 野村靖 (別紙) 県会議事規則 第一章 議員撰挙ノ事 第一条 県会議員ハ各大区議員中ヨリ互撰投票ヲ以二人ツヽヲ置モノトス 第二条 議員ノ任期ヲ二年トシ改撰ハ隔年三月ヲ以定期トス 第三条 議員ノ撰挙ハ県庁ニ於テ県令之カ検査員トナリ其撰挙ニ当リタル者ヘ認可状ヲ与フルモノトス 第四条 議員ニ撰マレタル者ハ私ニ其職ヲ辞スルコトヲ得ス尤死亡等ニテ欠員スルトキハ其時々改撰スヘシ 第二章 議事心得ノ事 第五条 議会ハ年二次即チ四月十月最初ノ月曜日ヲ以テ定日トス尤一日ニ議シ終ラサルトキハ連開スルヲ得ヘシ 第六条 臨時議スヘキ要件アリテ総議員三分ノ一以上連署シテ会議ヲ開カンコトヲ乞フ時ト県庁ヨリ特ニ議案ヲ下付スルトキハ常例外開場スルコトアルヘシ 第七条 会議時限ハ午前第九時ヨリ始ムルモノトス 第八条 当日定刻ニ至リ総議員ノ半以上欠席アルトキハ会議ヲ開クコトヲ不得然ル場合ニ於テハ五日以内ニ再会ノ日ヲ刻シテ幹事ヨリ衆議員ニ通スヘシ尤再会ノ日ハ仮令欠員アルモ其多寡ニ拘ハラス発会スルモノトス 第九条 当日半以下及再会ノ日欠席スルモノハ後日其議事ニ付異議ヲ称フルノ権ナキハ勿論タルヘシ 第十条 議長ハ毎会議員中ヨリ互選投票ヲ以定ルモノトス尤時トシテハ令或ハ書記官ヲ以之ニ任スルコトアルヘシ 第十一条 幹事及書記ハ県庁第一課議事主任ノ者ヲ以之ニ充ルモノトス 第十二条 議員ノ席次ハ毎年初会ニ抽籤ヲ以定メ該年中之ヲ用ユルモノトス 第十三条 議員ハ各議員ノ満足スヘキ明了タル事故ノ確証アルニ非レハ私ニ欠席スルコトヲ得サルモノトス 第十四条 議案ヲ出スハ会議ノ十五日前迄ニ県庁第一課ニ出シ該課於テハ直チニ調査ノ上之ヲ各議員ニ達示スルコトトス 第十五条 議員ハ専ラ虚心公平ヲ旨トシ敢テ暴慢雷同等ノ挙動アルヘカラス且会議中他事ヲ私議シ及ヒ故ナク其席ヲ離ル可ラサルハ勿論ナルヘシ第十六条 議事ハ衆説ノ多寡ヲ以可否ヲ決スルモノトス尤可否ノ説相半スルトキハ議長ノ見込ヲ以之ヲ決スヘシ 第十七条 議員ハ議場ニ於テ発言スルトキハ都テ起立スルヲ規トシ且総テ議長ニ対シテ発言スルモノトス尤時トシテハ議長ノ見込ヲ以甲乙両員対議セシムルコトアルヘシ 第十八条 議員ハ必ス一人ツヽ発言スルヲ規トス若シ二人以上同時ニ発言スルトキハ議長ハ先ツ発言セシト見認ル者ヲシテ弁議セシムヘシ 第十九条 議員ハ発言セント欲スルトキハ議長ニ向ヒ何番議員ト我席次ノ番号ヲ呼ヒ議長ノ之ニ答フルヲ待テ弁議スルモノトス 第二十条 議長ハ討議稍定リタルトキハ各議員ノ同意不同意ヲ問ヒ其可否ノ多寡ヲ決スヘシ 第廿一条 県会於テハ県内一般ニ係ル民費賦課予備蓄積教育勧業共有物保存等其他一般人民ノ利害ニ関スルコトヲ議スルモノトス 第廿二条 県会於テ議定シタル条件ハ其旨趣ヲ明了ニ書記シ各議員記名調印シ議長ヨリ之ヲ県令ニ出シ指揮ヲ請フモノトス然レトモ之ヲ施行スルトセサルハ県令ノ特権ニアルヘシ 第廿三条 議員ハ素ヨリ県内人民一般ノ代議ヲ託スルトコロノ者ナレハ此会議ニテ決スル事件ハ即チ管内人民ノ決シタルモノト見認ルヲ以テ例規トス 第廿四条 各区長ハ正副ノ内壱員議場ニ出頭シテ該議員ノ中ニ加リ意見ヲ陳述スヘシ又其議件ニ依リテハ本県官吏モ該場ニ出頭シテ意見ヲ陳述スルコトアルヘシ然レトモ共ニ議案ノ可否ヲ決スル数中ニ入ルコトヲ得サルモノトス 第廿五条 教育上ニ付議会ヲ開クトキハ学区取締師範訓導等該場ニ出頭シテ意見ヲ陳述スヘシ尤可否決数中ニ入ラサルハ第二十四条ノ通タルヘシ第廿六条 県庁ヨリ議案ヲ出ストキハ其主務ノ官員答弁者ト為リ又議員ノ中ヨリ議案ヲ出ストキハ該議員答弁者トナリ其議案ニ対シテハ議員ト為ルコトヲ得サルモノトス 第廿七条 会議ヲ傍聴セント欲スル者ハ本会幹事ニ名刺ヲ出シ承諾ヲ得テ傍聴席ニ就クヘシ尤開場中議場ヲ出入シ及ヒ私語喫烟スルヲ許サス且議事ニ支障ヲ生スル挙動アルトキハ直チニ退席セシメ又多人数ニシテ場席ナキトキハ人員ヲ限ルコトアルヘシ (神奈川県布達) 第三章 三新法体制 第一節 郡区町村の編成 六三 郡区役所設置に関する布達および嘆願書(一-三) (一) 甲第百四十六号 今般郡区制定ニ就テハ郡区役所左ノ場所へ設置候条此旨布達候事但右番地及ヒ開庁日限等ハ追テ可相達候事 明治十一年十一月十八日 神奈川県令 野村靖 横浜区役所 本町一丁目 久良岐郡役所 笹下村 橘樹郡役所 神奈川駅 都筑郡役所 川井村 西多摩郡役所 青梅町 南多摩郡役所 横山宿 北多摩郡役所 府中駅 三浦郡役所 横須賀町 鎌倉郡役所 戸塚駅 高座郡役所 藤沢駅 大住淘綾両郡役所 大磯駅 足柄上郡役所 関本村 足柄下郡役所 小田原駅 愛甲郡役所 厚木町 津久井郡役所 中野村 (二) 甲第五十六号 本月本県甲第百四十五号ヲ以郡区編制之儀布達候就テハ本月三十日限リ従来ノ大小区并ニ正副区戸長以下相廃シ各郡役所左ノ場所へ相設ケ来ル十二月二日開庁候条此旨布達候事 但各小区正副戸長及駅町村用掛之儀ハ追テ町村へ戸長撰定候迄旧名義ヲ以町村事務取扱候儀ト可相心得事 明治十一年十一月廿六日 神奈川県令 野村靖 旧二大区 久良岐郡 笹下村三十一番地 区務所 橘樹郡 神奈川町八百廿四番地 成仏寺 都筑郡 下川井村三千四百四番地 旧七大区三小区 扱所 西多摩郡 青梅町第三百五十番地 旧拾三大区区務所 南多摩郡 八王子横山宿之内字本宿五百十八番地 禅東院 北多摩郡 府中番場宿百六番地 矢鳥九兵衛持家 鎌倉郡 戸塚駅七十番地 宝蔵院 高座郡 藤沢駅四十三番地 藤沢学校 大住淘綾両郡 大磯駅南本町百九十四番地 佐藤嘉尚持家 足柄上郡 関本村八十七番地 呉地しげ持家 旧廿一大区足柄下郡 小田原駅幸町一丁目百八番地 区務所 愛甲郡 厚木町八十二番地 児嶋治兵衛持家 津久井郡 中野村二十七番地 旧廿三大区五小区扱所 (神奈川県布達) (三) 明治十一年第七月太政官第十七号郡区御制定公布ノ趣キヨリ本年十一月本県甲第百四十五号ヲ以テ郡区御編制被仰出既ニ一区十四郡御撰定猶甲第百五十六号ニ従前大小区画廃シ更ニ郡区役所御設立御布達ノ条々奉拝畏候抑此御編制タルヤ普ク官民ノ務ヲ主トシ汎ク行政ノ便ヲ謀ルニ非スシテ何ソヤ地理ノ広濶狭少ニ依テ統治ノ難易ヲ要シ便宜ヲ妨ケサル様ト厚キ良政ノ御旨意伏テ奉感悦候〓ニ当郡ノ如キハ地形極テ狭遠ニシテ東西三里南北九里ニ渉リ就中旧二十大区ハ中央相模原ノ開拓場ヲ有シ随テ村落隔絶シ元来不便宜僻村ノ多キニ今般御設立郡役所位置タルハ藤沢該地ハ当郡ノ南端ニ界シ北陬在村ヨリ距里九里余ニ至ル比準シテ一村タリトモ遠隔ナラサルナシ依之村民等公事情願ニ就キ出頭スルノ時数里程ヲ促シ炎寒殊更途上雨雪ニ際セハ日ヲ翌シテ到ルラサレ然ラハ果シテ官民不便ノミナラス民費増消ハ勿論自然費金調成ナス不能夫レカ為メ遂ニ情願荏苒ニ陥リ御布令反則ノ輩ハ嘗テ無之儀トハ存候得共彼是レ推考仕理由不過之今ヤ郡区御編制ハ断然便宜厚キ御政法御施行ニヨレハ一郡ノ人民共御官護奉仰度就テハ這回御設立郡役所位置藤沢駅タルハ遠隔村民ノ困難堪エ難ク候仰願クハ実地事情御斟量ノ上至当ノ箇所御撰定御更設被成下置度人民総代連署奉嘆願候以上 右二十五ケ村人民総代 明治十一年十二月十三日 北嶋政吉 中村鉄之助 山本作左衛門 神奈川県令 野村靖殿 (「指令伺綴」大矢ゑひ氏蔵) 六四 郡区長等管掌事務に関する件達 甲第百五十七号 郡区長以下管掌ノ事務別紙ノ通郡区役所江相達候ニ付テハ諸願届書之儀郡区長管掌ノ㕝務ハ郡区長名宛ニテ可差出此旨布達候事 明治十一年十一月廿六日 神奈川県令 野村靖 (別紙) 地方ノ事務郡区長ニ於テ処分シテ後知事県令ニ報告スルヲ得ルモノ左ノ件々トス 第一 徴税并地方税徴収及不納者処分ノ事 第二 徴兵取調ノ事 第三 身代限財産処分ノ事 第四 逃亡死亡絶家ノ財産処分ノ事 第五 官有地ノ倒木枯木ヲ売却スル事 第六 電線道路田畑水利ニ障碍アル官有樹木ヲ伐採スル事 第七 河岸地借地検査ノ事 第八 職遊猟願威銃願ノ事 第九 印紙罫紙売捌願ノ事 第十 小学校学資金ノ事 右ノ外府知事県令ヨリ特ニ委任スル条件 戸長職務ノ概目 第一 布告布達ヲ町村内ニ示ス事 第二 地租及諸税ヲ取纒メ上納スル事 第三 戸籍ノ事 第四 徴兵下調ノ事 第五 地所建物船舶質入書入并ニ売買ニ奥書加印ノ事 第六 地券台帳ノ事 第七 迷子捨子及ヒ行旅病人変死人其他㕝変アルトキハ警察署ニ報知ノ事 第八 天災又ハ非常ノ難ニ遭ヒ目下窮迫ノ者ヲ具状スル事 第九 孝子節婦其他篤行ノ者ヲ具状スル事 第十 町村ノ幼童就学勧誘ノ事 第十一 町村内ノ人民ノ印影簿ヲ整置スル事 第十二 諸帳簿保存管守ノ事 第十三 官費府県費ニ係ル河港道路堤防橋梁其他修繕保存スヘキ物ニ就キ利害ヲ具状スル事 右之外府知事県令又ハ郡区長ヨリ命令スル所ノ事務ハ規則又ハ命令ニ依テ従事スヘキ事 其他町村限リ道路橋梁悪水ノ修繕掃除等凡ソ協議費ヲ以テ支弁スル事件ヲ幹理スルハ此ニ掲クル所ノ限ニアラス (神奈川県布達) 六五 郡区長委任事務に関する件達 庶〔甲第一号〕 来ル二月一日ヨリ左ノ条件郡区長へ委任候条右事務ニ属スル書類等ハ爾後郡区長名宛ニテ可差出此旨布達候事 第一 風震水火ノ難ニ罹ル者一時救助ノ事 第二 難破船及漂流物ノ事 但外国船及内国大難船ハ此限ニ非ス 第三 改宗改式改檀届ノ事 第四 開扉開帳説教願ノ事 第五 社寺修繕願ノ事 但県社以上ハ此限ニ非ス 第六 社寺什物取締ノ事 第七 婦人断髪願ノ事 第八 人民ヨリ他府県へ出願ノ節添翰ノ事 第九 当然ナル士族ノ隠居家督相続養子及跡目養子ノ離別復籍并民籍編入願ノ事 第十 除族セラレシモノヽ跡襲族願ノ事 第十一 失踪セシモノヽ跡相続及妻養子等離別願ノ事 第十二 改名及復姓願ノ事 第十三 原籍問合ニ付往復ノ事 第十四 脱漏ノ者入籍願ノ事 第十五 逃亡訴并帰住届及逃亡人八十年ニ至リ除籍届ノ事 第十六 士族ノ転居寄留届ノ事 第十七 行旅ノ困難及行倒人并無籍漂泊人取扱及往復ノ事 第十八 復籍人逓送費ニ付往復ノ事 第十九 国民軍名簿加除届ノ事 第二十 諸車検査ノ事 第廿一 度量衡新器検査烙印ノ事 第廿二 諸船舶検査ノ事 第廿三 清酒ノ外醸造検査ノ事 第廿四 清酒搾機械封印開閉ノ事 第廿五 酒類営業願ノ事 第廿六 煙草営業願ノ事 第廿七 牛馬売買営業願及鑑札付与ノ事 第廿八 飼犬鑑札付与ノ事 第廿九 売買船ニ付各府県へ照会ノ事 第三十 地方税ニ関シ及無税ニ属スル尋常ノ諸営業願及鑑札付与ノ事 但劇場及芸妓稼場ヲ新ニ設置シ又ハ移転ノ類或ハ製氷営業願ハ此限ニ非ラス 第卅一 諸興行出稼等ノ為社寺官有ノ境内拝借願ノ事 第卅二 官地ニアル動植物売却ノ事 第卅三 官地拝借料動植物土地払下代ヲ徴収シ及ヒ不納者処分ノ事 第卅四 官有地ニ在ル人民所有ノ家屋売買及書入質奥書ノ事 第卅五 並木ヲ植継ク事 第卅六 部分木植付願ノ官有地検査ノ事 第卅七 電信柱敷地手当金調査ノ事 第卅八 堤上堤腹等ノ仕用料徴収ノ事 第卅九 河海漁業鑑札付与ノ事 第四十 賊品取締組合ヲ定メ鑑札付与ノ事 第四十一 小学校優等生徒賞与ノ事 第四十二 小学校舎修繕願ノ事 第四十三 種痘術開業願ノ事 第四十四 他府県下開業医出張所願ノ事 但内務省ノ免状所持セサル者ハ此限ニ非ス 第四十五 道路ニ係リ建物引移願ノ事 第四十六 道路へ足代板囲添柱等ヲ取建ル願ノ事 但道路掘穿ニ係ルモノハ此限ニ非ス 第四十七 路傍ニ建札或ハ飾物木石類差置願ノ事 第四十八 道路添私有地々揚願ノ事 第四十九 諸拝借金ヲ取立ル事 (神奈川県布達) 六六 足柄上郡役所各掛事務仮章程 足柄上郡役所各掛事務仮章程 庶務掛 常務勧業社寺戸籍学務衛生等ノ事務『ハ総テ本掛ノ専掌トス今其目ヲ分掌スル者左ノ如シ』 『常』第一 人民ヨリ他府県へ出願ノ節添翰願ノ事 『常』第二 身代限財産取調ノ事 『常』第三 逃亡死亡絶家ノ財産処分ノ事 『常』第四 風震水火ノ難ニ罹ル者一時救助ノ事 『常』第五 難波船及漂流物ノ事 『常』第六 婦人断髪願ノ事 『常』第七 『町村組合及ヒ戸長役場位置変換願ニ参与スル事』 『常』 『民費ヲ調査スルコト』 『常』第八 戸長筆生等ノ職務ニ関スル諸事ノ事 『常』第九 戸長及議員撰挙㕝務ノ事 『常』第十 議員名簿『ヲ編纂シ之レヲ加除スルコト』 『々』第十一 戸長及議員ノ姓名ヲ郡村内へ広告スル事 『々』第十二 戸長并人民へ達スル諸規則達類ノ回議ニ参与スルコト 『々』第十三 各掛ニ属セサル諸願伺届ヲ調理スル事 『々』第十四 小使等ヲ進退スル事 『々』第十五 暦史ヲ編輯叙記スル事 『々』第十六 諸官員ノ職務及身分ニ関スル事務ノ事 『々』第十七 官員名簿印鑑簿及履歴書ヲ調理スル事 『々』第十八 郡長ニ於テ処分シタル諸事ヲ取纒メ県令へ報告スルコト 『々』第十九 郡印ヲ管理スル事 『々』第二十 諸官員ノ出勤欠席ヲ調査シ及宿直ヲ割当ル事 『々』第廿一 諸達類ノ文例ヲ調査スル事 『々』第廿二 諸興行モノ等ノ許否ニ参与スル事 『々』第廿三 『其他』行旅ノ困難及行倒人并無籍漂泊人取扱及往復ノ事 『勧』 『勧業ノ事務ニ参与スルコト』 『勧』第廿四 農事通信ノ事 『社』第廿五 改宗式改檀届ノ事 『社』第廿六 開扉開帳説教願ノ事 『社』第廿七 社寺修繕願ノ事 『社』第廿八 社寺境内ノ枯木伐採願ノ許否ニ参与スル事 『社』第廿九 社寺什物取締ノ事 『社』第三十 諸興行出稼ノ為メ社寺官有ノ境内拝借願ニ参与スル事 『戸』第三十一 徴兵調ノ事 『戸』第卅二 当然ナル士族ノ隠居家督相続養子及跡目養子ノ離別復籍并民籍編入願ノ事 『戸』第卅三 除族セラレシ者ノ跡襲族願ノ事 『戸』第卅四 失踪者ノ跡相続及妻養子等離別願ノ事 『戸』第卅五 改名及復籍願ノ事 『戸』第卅六 原籍問合ニ付往復ノ事 『戸』第卅七 脱漏ノ者入籍願ノ事 『戸』第卅八 逃亡訴并帰住届及逃亡人八十年ニ至リ除籍届ノ事 『戸』第卅九 士族ノ転居寄留ノ事 『戸』第四十 戸籍月届ヲ調査スル事 『戸』第四十二 国民軍名簿加除届ノ事 『学』第四十三 小学校資金ノ事 『学』第四十四 小学校授業人進退ノ事 『学』第四十五 小学校舎修繕願ノ事 『学』第四十六 小学校教員等ノ帰省并病気療養等ノ為メ他行願ノ事 『衛』第四十七 種痘術開業願ノ事 『衛』第四十八 他府県医師出張所願ノ事 『衛』第四十九 生命健康ニ妨害ヲナスヘキ危険ノ職業地方税ニ属スル願ノ許否ニ参与スル事 『衛』第五十 天然痘并流行病等ヲ上申スル事 『常』第五十一 布告布達『ヲ配達シ及ヒ之レヲ編纂スル事』 『常』第五十三 『各掛ニ属セサル』諸公文及物ヲ受付送致スル事 『常』第五十四 郡長ヨリ号付ヲ以テ各村戸長及人民へ達スル諸書ヲ各掛へ回覧ニ供スル事 『常』第五十五 本県其他往復書ヲ取扱事 『常』第五十六 掲示場ヲ管理スル事 右ノ外本県ノ指揮ニ因リ『及ヒ本県』各課ノ章程ニ依準シ取扱ヘキ事 租税掛 事務ヲ分テ二トス 国税『地方税地理土木等ノ事務ハ総テ本掛ノ専掌トス今其目ヲ分掌スル者左ノ如シ』 『国』第一 徴税并不納者処分ノ事 『国』第二 職遊猟願威銃願ノ事 『国』第三 印紙罫紙売捌願ノ事 『国』第四 諸車検査ノ事 『国』第五 清酒ノ外醸造検査ノ事 『国』第六 清酒搾器械封印開閉ノ事 『国』第七 酒類営業願ノ事 『国』第八 煙草営業願ノ事 『国』第九 牛馬売買営業願及鑑札付与ノ事 『国』第十 売買船ニ付各府県へ照会ノ事 『国』第十一 船舶検査ノ事 『地』第十二 官有地倒木枯木ヲ売却スル事 『地』第十三 電線道路田畑水利ニ障碍アル官有樹木ヲ伐採スル事 『国』第十四 度量衡新器検査烙印ノ事 『地』第十五 河岸地借地検査ノ事 『地』第十六 官地ニ有ル動植物売却ノ事 『地』第十七 官地拝借料動植物土地払下代ヲ徴収シ及ヒ不納者処分スル事 『地』第十八 官有地ニアル人民所有家屋ヲ書入質及ヒ売買奥書ノ事 『国』第十九 地券書換願ヲ受理シ之ヲ本県へ送致シ及本県ヨリ回送ノ券状ヲ人民ニ下付スル事 『国』第二十 地券証印税ヲ徴収シテ本庁へ送致スル事 『地』第廿一 並木ヲ植継ク事 『地』第廿二 部分木植付願ノ官有地検査ノ事 『地』第廿三 電信柱敷地手当金調査ノ事 地方税土木ノ事務ヲ担任スル者左ノ如シ 『方』第一 地方税ヲ徴収シ及ヒ不納者処分ノ事 『方』第二 地方税ニ関シ無税ニ属スル尋常ノ諸営業願及鑑札付与ノ事 『方』 『諸工芸戯物見世物芸娼妓及芸人等ノ諸営業願ニ参与スル事』 『方』第三 諸興行出稼ノ為メ社寺官有地ノ境内拝借願ノ事 『方』第四 飼犬鑑札付与ノ事 『方』第五 賊品取締組合ヲ定メ鑑札付与ノ事 『方』第六 河海漁業鑑札付与ノ事 『土』第七 堤上堤腹等ノ仕用『願ニ参与シ及ヒ仕用』料徴集ノ事 『土』第八 道路ニ係リ建物引移願ノ事 『土』第九 道路ニ建札或ハ飾物木石類差置願ノ事 『土』第十 庁舎ヲ修繕シ及諸建物等ノ事務ヲ担当トスル事 『土』第十一 道路添私有地地上願ノ事 右ノ外本県ノ指揮ニ因リ『及ヒ本県』各課ノ章程ニ依準シ取扱可キ事 出納掛 出納用度『ノ事務ハ総テ本掛ノ専掌トス今其目ヲ分掌スル左ノ如シ『出』第一 諸『貸下』金ヲ取立ル事 『出』 『国税□』 『出』第三 出納関スル各掛ノ回議ヲ検査スル事 (付箋)『一 土木及営繕ノ勘定ヲナス事』 『出』第四 戸長役場ノ諸費ヲ検査シ之ヲ本県へ請求シ及ヒ下付スル事 『出』 『民費ノ計算ニ関与スル事』 『出』第五 諸計算簿ヲ検査スル事 『出』第六 諸勘定仕上ノ事務ヲ担当スル事 『出』第七 為換預ノ金額ヲ照査スル事 『出』第八 俸給旅費需用買上品等ヲ本県へ請求シ及支給スル事 『出』第九 税金其他銀行トノ取引事務ヲ負担スル事 『用』第十 諸需用品ヲ購求付与シ及受払等ノ事 『用』第十一 庁中ノ器具ヲ管理スル事 『用』第十二 棄児養育米代軍人帰郷療養手当等ノ如キ時々本県ヨリ回送金受払ノ事 『用』第十三 農業雑誌其他ノ書籍類新聞紙等ヲ購求スル事 『出』 『復籍人逓送費ニ付往復ノコト』 右ノ外本県ノ指揮ニ依リ『及ヒ本県』各課ノ章程ニ準拠シ取扱ヘキ事(「草稿綴」(明治一二年)山口匡一氏蔵) (注)年月日不詳。同氏所蔵資料に同様のものがある。 六七 郡区長公選に関する神奈川県議会の建議書および報道記事写(一-二) (一) 明治十五年本県々会議場ニ於テ郡区長公撰之儀ヲ建議セシコトニ決議シ其案左ニ 某等明治十一年七月太政官第三十二号達書ヲ按スルニ郡長ノ俸給ハ地方税ヨリ支出ス一月金八十円以下各地方ノ便宜ニ随ヒ府知事県令之ヲ定ム又曰ク市街ノ地ニ置ク処ノ区長并書記ハ総テ郡長郡書記ニ同シ云々ト是ヲ以テ現今我国ノ郡区長ハ皆府知事県令ノ指名スル所トナレリ而ルニ某等二三年已来ノ経験ニ依ルニ神奈川県民ハ郡区長ノ公撰トナラザルガ為メニ大ニ不便ヲ被リシモノ少ナカラス故ニ謹テ左ニ事情ヲ陳述シ速ニ郡区長ノ公撰タランコトヲ請フ 抑神奈川県ノ人情タル他ノ府県ト同視ス可ラサルモノ多シ其故ハ東京往復ノ便ハ当県ニ過キタルモノナク外国往復ノ便モ当県ニ過キタルモノナク往復ノ便利ハ知識開発ノ便トナリ知識ノ開発ハ改進ノ制度ヲ慕フ念ヲ起リ某等維新以来制度ノ改進ヲ見ルニ神奈川県民ハ往々東京ニモ先ンシテ改進ノ制度ヲ取用シ又ハ取用セントシタル事アリ今一二ノ例ヲ挙レハ明治六年四月当時ノ県令ハ区画改正ノ達書ヲ発シ其第五条ハ全管内ニ代議人ヲ置クコトヲ命シ同年十月ヨリ之ニ民政ノ多分ヲ委ネシコトアリ戸長公撰ノ説モ神奈川県民首トシテ之ヲ唱へ郡区分離ノ制度ヲ立ラレシモ東京ト幾ント其時ヲ同フシ其他百般ノ進歩常ニ全国ノ首位ニ居ルト云フモ過称ニアラサルナリ現ニ県内大住淘綾高座ノ三郡ハ昨年郡長ニ欠員ヲ生シ之カ為メ郡内ニ不便ヲ起シタルコトアリ当時県令ハ百方郡民ヲ諭シ公撰同様ノ手続ヲ以テ郡長ヲ定メタレ共其間三郡人民ノ不便ヲ訴ヘシコト実ニ筆記ノ尽ス所ニアラス是某等カ昨年ニ実見シタルノ事実ナリ某等熟ラ按スルニ当県内ニ郡区長ヲ公撰ニスルハ人民ニ益スル所アリテ政府ニ損スル所ナシ今官撰ノ法ヲ改メテ公撰ト為サンニ全県人民ハ必ス政府カ地方政務ヲ改良スルニ汲々タルコトヲ喜ハン是某等カ益トスル第一ナリ官撰ヲ改メテ公撰トセハ郡区長タランモノ甘ンシテ其職ヲ受ケ人民タルモノ郡区長欠乏ノ不便ヲ受クルナカラン是某等カ益トスル第二ナリ郡区長ヲ官撰ニセハ之ニ欠乏ヲ生スルハ本県ニ於テ避ク可ラサルノ事実ナリ此時ニ当リ県令ハ止ヲ得ス属官ノ中ヨリ郡区長タルモノヲ命スルニ此命セラレタル郡区長ハ地方ノ事情ニ疎キヨリ事務往々人民ニ適セサルモノヲ生シ人民モ亦其人ニ向ヒ異郷覊旅ノ人ノ如キ感ヲ生セン之ヲ公撰セハ此弊ヲ去ツテ他ノ弊ヲ生スルヲ見ス是某等カ益トスル第三ナリ左レハ郡区長公撰ハ此三益アリテ一弊ナシ是某等カ断然此書ヲ上リ閣下カ早ク神奈川県ニ向ヒ郡区長公撰ノ法ヲ施コサレンコトヲ望ム所以ナリ 若シ閣下此建議ヲ採用セス依然旧法ニヨリ当県内ノ郡区長ヲ官撰セシメン歟県下一区十五郡ノ人民挙テ郡区長欠員ノ不便ヲ被ルニ至ルモ知ル可ラス某等身一県人民ノ代議士トナリ郡区長官撰ノ不便ヲ昨年ニ経験シナカラ之ヲ黙々ニ付スルハ某等ノ本意ニ非ス故ニ今其事実ノ大略ヲ陳シ閣下ノ採用ヲ請フコト然リ云々 再白 某等昨年大住淘綾高座三郡々長欠員ノ時其不便ヲ患フルノ余リ一時忽卒ニ聊カ郡区長公撰ノ方法ヲ規画セシコトアリ固ヨリ一時匆卒ノ考案閣下ノ採用ヲ期ス可ラサレトモ閣下参考ノ為メ左ニ其規画ヲ追申ス 郡区長公撰大綱 郡区長ハ其郡区内町村会議員之ヲ投票撰挙スルモノトス 郡区長タルコトヲ得ルモノハ神奈川県内ニ本籍ヲ定メ三年已上住居シ年齢二十五歳以上ノモノニ限ルヘシ 郡区長ハ四年毎ニ改撰スルモノトス 郡区長撰挙ノ場所時日ハ凡テ県令ノ指揮スル所ニ依ル 其他詳細ノ事ニ就テハ尚聊意見ナキニ非レトモ此等ハ閣下若シ下問セラルヽアラハ謹テ陳述スル所アラン云々 右県会議場可決ニ因リ内務卿へ建議ス (二) 明治十五年府会議場ニ於テ郡区長公選ノ建議同十六年一月廿日京浜毎日新聞上ニ掲載アル写 本会議員等熟々現行ノ法制ヲ講究シ之ヲ実際ニ鑑ミルニ其未タ整備セサルモノアルヲ知ル故ニ之レヲ建議シ大イニ改良ヲ行ヒ以テ地方自治ノ制ヲ確定セント欲スルヤ久シ然レトモ凡ソ政務ノ改良ハ必ス其秩序ヲ履マサルヘカラサルニヨリ暫ク黙止シテ今日ニ至リシモ今ヤ本年ヲ以テ改正セサルベカラスト思惟スルモノアリ即チ郡区長ノ公選是ナリ凡人ヲ傭使スルモノ必ス其給ヲ償フノ責アリ其給ヲ償フモノ必ス其人ヲ撰ムノ権アリ是条理ノ将ニ然ルヘキ所ナリ然ルニ今ノ郡区長ハ其俸給ノ出ル所ヲ問ハヽ則チ地方税ナリ而シテ其之レヲ任免スルモノニ至テハ則チ専ラ府知事県令ニ在リテ却テ其給ヲ償フモノハ毫モ之レニ関与スルヲ得ス自治ヲ冀望セラルヽノ政府ニシテ尚今日之ヲ改正セサル所以ノモノハ抑何ソヤ或ハ人民未タ政治思想ニ富マス之ヲ許スハ危道ナリ政府深ク之ヲ慮リテ以テ公選ノ法ヲ挙行セサルナリト謂フ者アリ之レ決テ政府ノ真意ニ非ルヲ信ス夫議員ノ職タル一府一県ノ経済ヲ議定スルニアリ其任ヤ重シ而シテ郡区長ノ為ス所唯府知事県令ノ指令ヲ人民ニ通知シ人民ノ請願ヲ以テ府知事県令ニ致ス在リ要スルニ官民ノ間ニ周旋スルニ過キス此ヲ以テ彼レニ比セハ其責ノ大小軽重固ヨリ同視スヘキニ非ルナリ政府既ニ人民ニ許スニ府県会議員ヲ選挙スルノ重任ヲ以テセリ豈何ソ郡区長ヲ公選スルヲ以テ危道ト為スノ難アランヤ且我府下ハ海内文華ノ中心四方知識ノ淵叢ノ如シ我府民ニシテ郡区長ヲ公選スルノ任ニ耐ストセハ則チ日本人民ヲ見テ以テ能ク為スナシトナス者ナレハナリ此レニ因テ之レヲ見ルニ政府ノ未タ人民ニ郡区長公選ヲ許サレサルハ或ハ地方官ノ意見ヲ採用セラルヽニ因ルナラン歟然リト雖モ今日ノ人民既ニ往年地方官ノ会議ヲ開カレシ時ノ形勢ニ非ス然レハ則チ今日又旧制ヲ維持スヘキモノニ非ルナリ故ニ切ニ冀フ自今郡区長ヲ公選トシ地方ノ名望アルモノヲ以テ其任ニ当ラシメンコトヲ果シテ然ラハ則チ政令民心ニ通徹スルノ利アルヤ決テ疑フヘキニ非ス且郡区長ノ公選必スシモ海内画一ノ制ヲ設立スルヲ要セス我府下独リ特別ノ制ヲ立テラルヽモ何ノ不可アランヤ断シテ其好結果アルヲ知ルノミ幸ヒニ裁可ヲ得ハ則チ其選挙方法ノ如キ竊ニ見ルトコロナキニ非ス之ヲ民心ニ鑑ミテ以テ其宜キヲ制スル所アラントス (添田茂樹氏蔵) (注)(二)は神奈川県とは直接関係がないが参考のために収録した。 六八 第六大区二小区吉田村区務受渡に関する件届 区務受渡御届 簿冊ノ部 一 貢租取立簿 二十冊 一 民費日計并元簿 十冊 一 戸籍簿 三冊 一 徴兵并国民軍成丁免役届簿 廿三冊 一 地所質入書入割印帳 五冊 一 道路橋梁修繕工費簿 一冊 一 送籍受籍ノ証 二冊 一 租税并税金区務所引渡及諸調書逓送請取簿 九冊 一 諸願伺届書類扣簿 八冊 一 回章請取簿 六冊 一 出生死亡并送籍受籍扣簿 四冊 計 九十三冊 布告布達ノ部 一 官省本県布告布達類 五十三冊 但明治六年十一月ヨリ本年本月迄 一 諸回達写簿 三十七冊 □書前同断 計 九十冊 雑書ノ部 一 戸籍増減表 一 御辞令書類 一 盗難届書類 一 命亡届書類 一 扱所及村費計算表類外諸雑書類綴込 合十七袋 右之通簿冊受渡仕尤金穀無御座候間連署ヲ以此段御届申上候也 明治十一年十二月 旧副戸長 宮田新左衛門(印) 同戸長 笈川新兵衛(印) 神奈川県令 野村靖殿 (吉浜俊彦氏蔵) 六九 戸長選挙規則同改正および同細則(一-三) (一) 甲第百四十八号 戸長撰挙法別紙ノ通相定候条此旨布達候事 但戸長配置方割合ノ儀ハ追テ達ニ及フヘキ事 明治十一年十一月十八日 神奈川県令 野村靖 (別紙) 戸長撰挙規則 第一条 戸長ハ公撰ヲ以テ挙ケ県令ノ裁可スル処トス 第二条 戸長ニ撰挙セラルヽコトヲ得ヘキ者ハ満弐拾歳以上ノ男子ニシテ其町村内ニ本籍ヲ定メタル者タルヘシ 第三条 戸長ヲ撰挙スルコトヲ得ヘキ者ハ満弐拾歳以上ノ男子ニシテ其町村内ニ本籍ヲ定メタル戸主ノ者ニ限ルヘシ 第四条 戸長ヲ撰ブハ先戸長ノ退職ノ令ヲ受シ日ヨリ第三日メト定メ其都度郡区長ヨリ該町村へ告達スヘシ 但新タニ戸長ヲ置クトキハ特ニ県庁ヨリ撰挙定日ヲ布達スヘシ 第五条 戸長ヲ公撰スルハ左ノ式ノ如ク投票ヲ為スヘシ 投票書式 第六条 撰挙ノ当日第三条ニ当ル者ハ郡区役所へ出頭シテ投票ヲ出スヘシ 但シ事故アル者ハ代人ニ托シ差出スコトヲ得 第七条 投票終ルノ後郡区長ハ撰挙人ノ面前ニ於テ之ヲ開封シ第二条及第三条ノ当否ヲ査シ然ル後其姓名ト票数ヲ順次登記シテ之ニ其投票ヲ添県庁へ進達スヘシ 第八条 投票ハ多数ノ者ヲ以テ当撰人トシ同数ハ年長ヲ取リ同年ハ鬮ヲ以テ定ム然リト雖モ時宜ニ依リ更ニ再撰セシムルカ又ハ官撰ヲ以テ特ニ命スルコトアルヘシ 第九条 其撰ニ当ル者ヘハ県令ノ辞令書ヲ渡スヘシ 第十条 辞令書ハ県庁ヨリ郡区長ニ付シ本人ヲ郡区役所へ呼出シ郡区長之ヲ授与スヘシ 第十一条 郡区長ハ辞令書ヲ渡シタル後直チニ請書ヲ取リ而シテ其姓名ヲ該町村内ニ公告スヘシ (二) 甲第四十六号 明治十一年十一月甲第百四十八号布達戸長選挙規則別紙之通改定候条此旨布達候事 但現任ノ戸長ハ就職ノ月ヨリ任期ヲ起算スヘシ 明治十五年三月廿三日 神奈川県令 沖守固 (欄外注記)『明治十七年六月十八日甲第四十六号ヲ以テ廃止』 (別紙) 戸長選挙規則 第一条 戸長ハ一町村又ハ数町村ニ一人ヲ公選セシム 但時宜ニ依リ官選ヲ以テ特ニ命スルコトアルヘシ 第二条 戸長ニ選挙セラルヽコトヲ得ヘキ者ハ満二十歳以上ノ男子ニシテ其町村内ニ本籍住居ヲ定メタル者タルヘシ 但シ左ノ各款ニ触ルヽ者ハ被選挙人タルコトヲ得ス 第一款 官吏教導職 第二款 身代限ノ処分ヲ受ケ負債ノ弁償ヲ終ヘサル者 第三款 予備軍服役中ノ者 (欄外注記)『明治十七年二月五日甲第五号ヲ以〔第三款ヲ〕削除』 第三条 戸長ヲ選挙スルコトヲ得ヘキ者ハ満二十歳以上ニシテ其町村内ニ本籍居住ヲ定メタル戸主ニ限ルヘシ 第四条 戸長選挙ノ投票ニハ被選挙人ノ住所姓名ヲ記シ之ヲ糊封シ表面ニ記名捺印シ予定ノ日之ヲ選挙会場ニ出スヘシ (欄外注記)『明治十六年一月十五日甲第壱号ヲ以テ第四条改正』 第五条 投票終ルノ後区長ハ選挙人ノ目前ニ於テ之ヲ開封シ投票最多数ノ者ヲ以テ当選人トシ投票同数ナルトキハ年長ヲ取リ同年ナルハ鬮ヲ以テ之ヲ定ム若シ当選人其選ヲ辞スルカ法ニ於テ不適当ナルトキハ順次投票ノ多数ヲ得タル者ヲ取リ本人并選挙人ニ示シ本庁へ具状スヘシ 第六条 当選人ニハ県庁ヨリ郡区長ヲ経由シ辞令書ヲ渡スヘシ郡区長ハ之ヲ渡シ受書ヲ取リタル後其姓名ヲ該町村内ニ公告スヘシ (欄外注記)『明治十六年三月十三日甲第八号ヲ以テ〔第六条〕ヲ更正』 第七条 戸長ハ四年毎ニ之ヲ改選スヘシ但前任ノモノヲ再選スルコトヲ得 第八条 戸長任期中ト雖トモ第二条ニ掲クル諸款ノ場合ニ遭遇スルカ其町村外ニ移住スルカ或ハ事故アリテ退職セシムルトキハ第四条第五条ノ手続ニ依リ其欠ニ代ル者ヲ選挙スヘシ 第九条 選挙ノ会場及ヒ会日其他ノ細則ハ郡区長ノ定ムル所ニ従フヘシ (神奈川県布達) (注) 第四条、六条は次のように改正されている。 第四条 戸長選挙ノ投票ニハ被選挙人ノ住所姓名ヲ記シ之ニ記名捺印糊封ノ上表面ニ記名シ予定ノ日之ヲ撰挙会場ニ出スベシ 第六条 当選人ニハ県令ヨリ辞令書ヲ渡スベシ但シ辞令請書ハ速ニ郡区長ヲ経テ差出スヘシ (三) 高庶第五百五号 本年三月本県甲第四十六号ヲ以テ戸長撰挙法改定布達ニヨリ細則別紙ノ通相定候条此旨布達候事 明治十五年五月十三日 高座郡長 今福元頴 (別紙) 高座郡各町村戸長撰挙細則 第一 戸長ヲ公撰セシムルトキハ其会場及時日ヲ指定シ該戸長役場ヲ経テ告達ス 第二 該戸長役場ニ於テハ前款ニ示シタル達書到着シタルトキハ直チニ部内へ伝達スヘシ 第三 戸長撰挙規則第三条ニ相当スル者ハ前款ノ告達アリタルトキハ同規則第四条ニヨリ左記雛形ニ傚ヒ投票ヲ製シ自分ノ住所姓名ヲ署シ捺印スヘシ但実印遺失等又ハ身代限リ処分中ニシテ特ニ封緘セラレタルノ場合ニ於テハ投票及封箇へ其事□ヲ付記スヘシ 第四 投票ハ撰挙当日刻限遅滞ナク其会場へ差出スヘシ但代人□托シ差出スモ妨ケナシ 第五 戸長撰挙規則第五条ニヨリ投票開札取調ノ上当撰者又ハ其代人へ当撰タルヲ□スヲ以テ代人ハ之ヲ本人へ伝達スベシ 第六 撰挙当日ヨリ五日以内ニ当撰者ニ於テ何等申出サルトキハ承諾シタル者ト認メ本庁ヘ具申ス 第七 投票開札ノ上文字明瞭ナラスシテ勘別シカタキカ又ハ無謂落印等総テ投票ノ正格ヲ欠キタルモノハ廃紙トス (高座郡相原村戸長役場「本郡諸達」(明治一五年)相模原市史資料室蔵) 七〇 戸長等給料支払方法および組合戸長設置に関する件達 甲第百五十五号 自今戸長以下給料支給方左ノ通相定候条本年七月第十七号公布第六条ニ依リ町村戸長配置方至急相極各郡区毎ニ取纒来十二月十日限可申出尤給料支給方ニ就テハ精々費額ノ減省ヲ要シ候儀ニ付成ル可ク最寄町村組合戸長設置候様可致此旨布達候事 明治十一年十一月廿六日 神奈川県令 野村靖 戸長以下給料支給法 一 戸数拾戸ニ付 月給金五十銭 但満弐百戸以上ハ拾戸毎ニ金弐拾五銭ヲ増加ス又総テ十戸未満ノ端数ハ十戸トシテ算ス仮令ハ十五戸ハ二十戸トシ金壱円ト算スルガ如シ尤二百戸以上ノ端数ハ二十五銭ノ割ヲ以算スル勿論タルヘシ尤大町村等ニテ筆生ヲ要スル分ハ其給料モ右ノ内ニテ支弁ノ儀ト心得ヘシ 『但書甲第百六十号追加』 (神奈川県布達) 七一 戸長の配置に関する上申案 郡長 書記 戸長配置方ノ義ニ付上申按回議 郡区御制定ニ付町村戸長配置方御布達ニ基キ組合セ方見込ノ趣ヲモ夫々懇諭差加候得共固陋ノ旧習蟬脱致シ兼候哉彼是不伏申唱終ニ上下古沢愛名ノ三ケ村ヲ除ノ外僅々タル弐三十戸ノ一小村ト雖トモ毎村戸長壱人御差置度旨強而申出候間別紙相添此段上申仕候也 但シ別紙ニ申立書無之村々者孰モ大村ニ付素より毎村ニ戸長壱人ツヽ配置ノ積リ予テ申立有之候義ニ御座候也 明治十二年三月十四日 愛甲郡長 中山信明 殿 (「指令伺綴」大矢ゑひ氏蔵) (注)別紙欠。 七二 戸長身分取扱改定に関する件達 庶乙〔第三十七号〕 郡区役所 戸長役場 戸長身分取扱ノ儀自今左ノ通改定候旨其筋ヨリ達有之候条此旨相達候事 准十等ヨリ准十七等ニ至ル 明治十六年三月七日 神奈川県令 沖守固 (神奈川県布達) 七三 大住淘綾両郡戸長選挙細則 甲第壱号 今般本県甲第五拾号ヲ以テ戸長薦挙規則布達相成候ニ付テハ同規則第七条ニ依リ細則左之通相定ム 右布達候事 明治十七年六月二十日 大住淘綾両郡長 飯岡頼重 戸長薦挙細則 第一項 数町村ヲ所轄スル戸長薦挙委員ハ左之数ニ依ルモノトス但須賀村之儀ハ本則ニ依リ薦挙スヘシ 一町村 同 同 同 同 五名ツヽ 弐名ツヽ 三名ツヽ 弐名ツヽ 同 大磯駅外三ケ村 生沢村外十ケ村 四之宮村外三ケ村 下谷村外九ケ村 高森村外十一ケ村 同 同 同 同 同 三名ツヽ 弐名ツヽ 三名ツヽ 五名ツヽ 弐名ツヽ 子易村外二ケ村 矢崎村外十一ケ村 南矢名村外六ケ村 曽屋村外三ケ村 戸川村外五ケ村 一町村 同 同 同 同 三名ツヽ 四名ツヽ 弐名ツヽ 三名ツヽ 弐名ツヽ 山西村外三ケ村 平塚駅外二ケ村 豊田本郷村外八ケ村 戸田村外四ケ村 伊勢原村外五ケ村 同 同 同 同 同 三名ツヽ 同 同 同 弐名ツヽ 神戸村外五ケ村 広川村外八ケ村 土屋村外四ケ村 渋沢村外五ケ村 東田原村外六ケ村 第二項 戸長薦挙委員ノ撰出方ハ其時々各自町村ノ便宜ニ依リ施行シ其名簿ハ薦挙会場ヘ出スヘシ 第三項 戸長薦挙投票ハ薦挙人自ラ会場ヘ持参スヘシ 第四項 投票用紙ハ該戸長役場ヨリ付与シ其書式ハ左之振合ニ依ルヘシ 何町村 何某 何町村 何某 何町村 何某 何町村 何某 何町村 何某 右戸長ニ薦挙ス 何町村何番地 年月日 薦挙委員 何某印 第五項 戸長薦挙ノ会場及日限ハ其時々相達スヘシ (曽根田重和氏蔵) 七四 戸長薦挙会施行に関する件達 甲第二号 今般本県甲第四十九号布達相成候処此際新任戸長之儀ハ該達末項ニ依リ薦挙相成旨ニ付本月廿八日当庁ニ於テ薦挙会施行候条本県甲第五拾号及ヒ当庁甲第壱号布達ニ準拠シ同日午前第十時投票持参出頭可有之此旨布達候事 明治十七年六月二十日 大住淘綾両郡長 飯岡頼重 (「照会留」(明治一七年)曽根田重和氏蔵) 七五 戸長所轄区域変更に関する県令沖守固の訓示および通達(一-二) (一) 坤庶第八号 戸長 今般戸長所轄区域更正ニ付左ノ件々心得トシテ及訓示候也 明治十七年七月一日 神奈川県令 沖守固 一 戸長役場所轄区域数町村ヲ管理シ随フテ事務繁劇ヲ加ヘ自然事務渋滞人民不便ヲ醸シ候ヨリ毎町村ヘ総代等ノ名義ノモノヲ設ケ戸長職務ニ属スル事件ヲ取扱セ候如キ不都合無之様篤ク注意シ諸般事務細大ナク戸長役場ニ於テ直接整理スヘシ 一 各村公有記録保存方ノ義ハ去ル十三年三月乙第四十七号ヲ以テ相達シ置候趣モ有之候処各村分合役場新置ノ際自然脱漏ノモノ等無之様書類授受ス可ク且ツ数町村管理役場ニ於テハ帳簿其他書類毎町村ニ調成シ若クハ便宜部分ケヲナシ置キ総テ混雑セサル様注意スヘシ 一 戸長役場出勤退散時限ハ郡役所ニ傚ヒ且ツ筆生ヲシテ当宿直セシメ役場監守急務処弁ニ不差支様可致ハ勿論ト心得ヘシ 一 明治十年八月甲第八十九号布達ヲ以テ五人組ヲ廃シ候ハ其名称ヲ廃シ候迄ニテ古来組合ノ慣行ヲ廃シ候儀ニ無之処往々誤解ノ向キモ有之趣相聞一体該組合ハ艱難相保助スル古格ニ付今般布達ヲ廃シ候条組合復旧候様各人民ヘ説諭勧誘スヘシ 一 衛生委員宛送ル 戸長役場ノ数ニ応ジ壱部宛交付ス 追テ壱学区内数戸長ノ管掌町村ニ渉ルモノハ学校所在地ヲ管掌スル戸長役場ヘ向ケ配付スヘシ (二) 高庶第千二百廿七号 新旧戸長 今般役場区域更正戸長拝任ニ就テハ其役場事務ハ勿論明治十三年三月本県乙第四十七号達町村公有ノ記録文書図画並金銭等明治十一年二月本県乙第二十四号達事務受渡規則第一条中ノ日限ヲ除クノ外該規則ニヨリ本日ヨリ五日以内ニ無遺漏受渡ノ上目録ヲ製シ双方連署速ニ当役所ヘ届出ヘシ此旨相達候事 明治十七年七月五日 高座郡長 今福元頴 (「訓第四号四冊之内高座郡役処達」(明治一七年―)相模原市史資料室蔵) 七六 戸長月次会開会に関する県令沖守固の内達 郡長 戸長 来十八年一月ヨリ毎郡役所ニ於テ戸長月次会ヲ開可申別紙会同心得書及毎郡開会定日表相添内達候事 明治十七年十二月廿七日 神奈川県令 沖守固 (別紙) 戸長月次会心得書 戸長月次会ハ左記条項ニ照依スルモノトス 一 本会ハ百般ノ事務調理上区々ニ渉ラサル様其方法順序ヲ協議スルモノトス 一 本会ノ期日ハ一日トス尤モ事件格別多端ニシテ一日内ニ弁ス可ラサル時ハ二日ニ渉ルモ妨ナシ 一 本会ニ於テ各戸長ハ県官若シクハ郡吏ヨリ事務上ノ質問アルトキハ之ニ答ヘ及ヒ各事務調理上ニ付意見アレハ之ヲ具陳シテ其指示ヲ受クヘシ 一 本会長ハ其郡長之任スヘシ若シ郡長事故アルトキハ書記代理スルモノトス 一 会同上ニ要スル細則ハ郡長ニ於テ之ヲ定ムヘシ (「訓第四号四冊之内高座郡役処達」(明治一七年―)相模原市史資料室蔵) 七七 愛甲郡田代村他三か村戸長改選をめぐる紛議(一-三) (一) 戸長管撰之義ニ付上稟書 神奈川県相模国愛甲郡 田代村外三ケ村 平本清三 外四十一名 右奉申上候当連合戸長大矢邑三郎義事故有之曽テ辞職候後愛甲郡長ヨリ後任戸長撰挙之義御達相成タルニ付即チ撰挙仕候処二番高点タル池田良助江御任命之義御下達相成誠ニ其当ヲ得タルモノニシテ私共一同県令閣下ノ明断ニ感服致シ居候処豈図ランヤ自分等ノ最モ望シニ属シタル同人ハ病気ノ為メ奉職難仕旨申出タル趣依テ想フニ今回ハ必ス最高点タル旧筆生等□御任命被遊候ナラン乎然レ共同人等義ハ私共ノ毫モ希望ヲ属セサル義ニテ而シテ同人等ノ該撰挙ニ付最高点ト相成タルハ大ニ事情有之義ニテ決シテ正当ノ所為ト云フヲ得サルノ事ナキニシモアラス左レハ若シモ閣下ニ於テ後任戸長ヲ同人等ニ命セラルヽニ於テハ当部ノ平穏ハ到底保ツ能ハサル義ニ御座候就テハ私共人民ヲ愛セラルヽ閣下ノ御明断ヲ以テ断然後任戸長御管撰ニテ御定メ被成度此段奉懇願候也 明治十八年三月 神奈川県相模国愛甲郡田代村 第廿六番地平民農 平本清三 以下番地ヲ除ク 伊従太吉 荻田弥次兵衛 宇佐美三次郎 伊従惣右衛門 同利兵衛 佐藤保十郎 高嶋清蔵 大矢菊次郎 同竹次郎 花上庄平 伊従文之助 三増村 平本源十郎 小長井崎太郎 松浦林蔵 平本田一郎 小野沢増太郎 小野沢時蔵 同守蔵 平本武兵衛 岡本与八 同菊次郎 菊地原熊蔵 岡本万之助 角田村 杉浦花吉郎 小嶋七重 神奈川県令沖守固殿 半原村 小嶋四郎兵衛 同清左衛門 同喜兵衛 同徳太郎 大貫市郎兵衛 同儀平 小嶋良助 大貫治兵衛 同市郎右衛門 小嶋米作 木藤市五郎 木藤喜代太郎 同源左衛門 同半右衛門 井上万吉 井上伝左衛門 (二) 違法ノ投票御取消願 神奈川県愛甲郡 三増村第百三十番地平民農 小長井崎太郎 同村第百四十六番地平民農 杉浦花吉郎 半原村第百九十七番地平民農 井上万吉 田代村第廿六番地平民農 平本清三 角田村第百九十六番地平民農 諏訪部重三郎 右謹テ奉懇願候当連合前戸長大矢邑三郎儀事故有之退職候ニ付後任戸長推選之儀愛甲郡ヨリ被達即チ選挙投票仕候処染矢三郎池田良助等初等高点ニ相成タリ(尤該選挙ニ当リ染屋三郎カ尤高点相成タルニ付テハ多少不正ノ所為ナキニ非ラサルモ)然ルニ閣下ノ賢明ナル能ク私共人民ノ志望ヲ洞察在セラレ該投票ハ詮議ノ次第有之旨ヲ以御取消之上更ニ推選シ可差出旨御下達ニ相成一同御英断ニ感泣仕居候而シテ今回ノ選挙会ニモ彼染矢三郎等高点ノ内ニ相成愛甲郡長ヨリ具状ノ旨ニ因リ御庁ニ於テ同人江任命被遊候趣ニ伝承誠ニ恐愕ノ至リニ御座候元来前戸長大矢邑三郎ヘ対シ職務上不正ノ所為ナル廉ヲ以テ昨明治十七年十一月中私共人民ヨリ告訴ヲ為シタルモ其際御参考書中ニ明記セシ如ク大矢邑三郎ハ唯々名義ヲ出シ居ルノミニシテ其実不正ノ事務取扱ヲ為シタルハ旧筆生輩ニシテ就中今回任命相成タル染矢三郎ノ如キハ当時其首席ヲ占メ居リタルヲ以最モ其責ニ任スヘキモノナリト思考セシモ仲裁人ノ双方起リタリシモ故意アルニ非ラサル旨ヲ謝シ其意ヲ表スル為メトテ大矢邑三郎ハ直チニ解職ヲ出願シ次テ筆生等モ亦退職シ熟議和解ニ相成告訴ノ願下ケヲ為スニ至リタル次第ニ有之右ノ如ク染矢三郎ハ私共人民ノ望ミヲ属セサルモノニシテ期ク数回高点者中ニ入ルハ暗々裏ニ不正ノ所為ヲ為セシ事ナキニ非ラサルモ如何セン其事ノ巧ミナル前段之ヲ正拠立ツルノ確証ヲ挙クルヲ得ス止ムナク恨ヲ呑テ忍耐致居リ候処今回ノ如キハ其選挙会ニ際シ明証ナル違法ノ廉有之モノナル事ヲ発見仕候間即チ再ヒ閣下ノ御英断ヲ煩ハスニ至リタル儀ニ御座候就テハ願之通リ該選挙会ハ御取消被成下従テ其選挙会ニ因リ任タル戸長染矢三郎ハ御罷免被成下度左ニ其理由ヲ奉陳述候 私共謹テ明治十七年六月御庁甲第五十号ノ布達ヲ拝読スルニ其第五条ニ 薦挙ノ投票ニハ被選人并薦挙人ノ住所姓名ヲ記シ捺印糊封ノ上予定ノ日之ヲ薦挙会上ニ出スベシ但本文ノ手続ヲ尽サス為メニ其何人ナルヲ知ルニ由ナキカ若クハ疑似ニ渉ル時ハ郡長ハ其投票ヲ無効トナシ之ヲ棄却スルコトヲ得 又其第六条ニハ 投票終ルノ後郡長ハ選挙人ノ目前ニ於テ之ヲ披封シ投票多数ノモノ五名ヲ撰シ投票同数ナルモノハ年長ヲ取リ同年ナレハ籤ヲ以テ定ム若シ其薦ヲ辞スルモノアルカ又ハ此規則ニ於テ不適当ナルトキハ順次投票多数ヲ得タルモノヲ取リ県令ニ具状スルモノトストアリ郡長ヨリ予シメ撰挙会ノ日ヲ定メ其郡内ニ達シタル以上ハ必ス其予定ノ日ヲ以テ投票ヲ差出スノ日ト為スヘク又其投票即日開票スヘキモノナルコトハ法文ニ依リ明瞭ナリトス然ラハ若シモ其予定ノ日之ヲ差出サヽルモノアルトキハ其権利ヲ抛棄セシモノト認メ之レニ係ハラス其他ハ直チニ披封スヘキモノナルニ愛甲郡長ハ何故カ其差出サヽリシ者ニ対シテハ撰挙権ヲ抛棄セシモノナリト為シナカラ自カラハ却テ右布達ノ意ニ背キ即日披封ヲ為スコトヲセス之ヲ七日ヲ経過シタル三月廿七日ニ開票セシハ誠ニ不法ノ所為ト云ハサルヲ得ス抑モ撰挙状ノ如キハ予定ノ日ヲ以テ其選挙会上ヘ差出サセ撰挙人ノ目前ニ於テ開封スヘキコトハ誠ニ当然ノ儀ニシテ法文ニ依ルモ又府県会規則及其他ノ撰挙等ニ係ル慣例ニ拠ルモ必然トセサルヲ得サルモノナルニ今回愛甲郡長カ三増村人民ニ対シテハ法律ノ意志ニ依リ権利ヲ抛棄セシモノナリトシテ之ヲ断行シナカラ却テ自カラ違法ノ所為ヲ行ヒタルハ私共人民ノ誠ニ疑ヒ切ニ怪シム処ニシテ私共人民ハ如斯不法ノ所為ヲ甘スル能ハス况ンヤ之レカ為メニ私共人民ノ希望ヲ属セサル人物ニ任セラルヽニ至リタル如キ如何ニ忍耐セントスルモ忍ヒ能ハサル儀ニ付何卒情実御賢察ノ上願之通リ違法ノ廉アル該撰挙会ハ御取消被成下度連署ヲ以此段奉懇願候以上 猶本文ニ尽サヽル事情等夥多有之候間御尋問次第詳細可奉陳述候而シテ愛甲郡長ヨリ撰挙会ヲ開クノ達書写及予定ノ日ニ於テ開票セサリシノ証拠物ノ写等左ノ通リニ御座候 丙第九号 田代村外三ケ村 其部轄戸長之儀已ニ撰挙セシメ候処右詮議ノ次第有之取消候旨本県ヨリ達有之候ニ付明治十七年甲第四十九号布達末段ニ依リ更ニ来ル廿日午前第十一時撰挙投票差出スヘシ此旨相達候事 但撰挙会ハ部轄戸長役場ト定ム 明治十八年三月十八日 愛甲郡長 中丸稲八郎 番外 田代村外三ケ村戸長撰挙投票予テ差出シ有之候明二十七日午前第八時其役場ヘ郡書記出張開札候間三ケ村投票委員刻限出頭候様通知有之度此段通達及候也 明治十八年三月廿六日 愛甲郡役所 田代村外三ケ村戸長役場筆生御中 右 明治十八年四月六日 小長井崎太郎 杉浦花吉郎 井上万吉 平本清三 諏訪部重三郎 神奈川県令 沖守固殿 (三) 契約書 自分共儀貴殿エ左ノ事件ヲ委任ス 一 田代村外三ケ村戸長撰挙会ニ付違法ノ廉アルヲ以右取消ヲ求ムル為メ愛甲郡長ヲ被告トナシ行政裁判ヲ仰ク事 一 右審理中若シモ該件ニ付県令ヨリ愛甲郡長江指示セシカ如キ事アルヲ発見スル場合ニ於テハ県令ヲモ被告ト為シ正当ノ裁判ヲ仰ク事 右出訴ヨリ結局迄ヲ委任シ其実費トシテ別紙証書ノ金額相渡申候且斯委任スル以上ハ貴殿ニ於テ自分共ノ利益ノ為メ尽サルヽハ勿論ノ儀ニ付如何様ノ取斗アルモ自分共ニ於テ聊異議無之候依テ契約スル如件 明治十八年四月六日神奈川県愛甲郡半原村 井上万吉 同県同郡田代村 平本清三 同県同郡三増村 小長井崎太郎 松浦花吉郎 同県同郡角田村 諏訪部重三郎 横浜太田町四丁目 歌木伸一殿 三増村平民 小長井崎太郎 同 松浦花吉郎 半原村 井上万吉 田代村 平本清三 角田村 諏訪部重三郎 右ノモノトモ各村惣代ト称シ去ル六日出庁田代村外三ケ村戸長推薦投票取消願持参尚事実陳述致度趣ニ付主務者於テ委細承リ届候処最初戸長撰挙委員撰定ノ達シ一般ニ行渉ラサル曖昧ノ措置ニ出タルモノニテ右ノモノ等ハ委員撰定スル能ハス則チ不正ノ投票タルニ付取消シヲ請願スルト云ヲ主トシ現戸長従来ノ非ヲ鳴ラス等喋々致候得共右等ハ請願ノ理由無之モノニ付種々説諭ヲ加ヘ候処飽迄願書受理相成度旨ヲ主張致シ候ニ依リ遂ニ書記官ニ於テ懇篤御説得ノ末漸クニシテ願書持参帰村致候得共到底委員撰挙方等ノ措置失当ト致シ居候哉ニ相見ヘ実際右様之義有之テハ不都合ノ次第ニ付兎ニ角戸長撰挙委員撰定ノ達シヲナシタル時日及ヒ達ノ周到スヘキ手続投票ノ員数其他ノ顚末祥細御取調至急御申越相成度命ニ依リ此段及御照会候也 明治十八年四月八日 庶務課長一等属 増田知 愛甲郡長 中丸稲八郎殿 上申書 相模国愛甲郡 田代村 角田村 半原村 右三ケ村人民惣代奉上陳候当所轄前戸長大矢邑三郎任命以来去明治十七年十月中予テ上聞ニ達シ候当郡内有志者減租請願ノ件ヨリ半原村井上萬吉三増村小長井崎太郎彼ノ部内ノ人民ヲ誘導シ動スレハ人民惣代ノ名義ヲ冒シ戸長邑三郎江種々ノ云々ヲ申掛ケ夫レカタメ同人儀ハ本年一月中解職致シ候ニ付後任戸長撰挙之儀愛甲郡長ヨリ被相達同月三十一日該選挙会開ニ相成同年二月中三増村平民池田良助ヘ御任命被遊候趣ノ処同人ハ病気ノタメ奉職相成リカタク旨申立候ニ付該撰挙之儀ハ詮議ノ次第之アリ取消候旨其筋ヨリ被達依之更ニ再撰致スヘキ旨本年三月十八日本郡長ヨリ御達ニ付同月十九日選挙委員ヲ撰定シ該委員ヨリ翌二十日戸長撰挙投票シ同日開札相成ベクノ処井上万吉小長井崎太郎平本清三等三増村人民ヲ煽動シ同村棟岩院ヘ集合致サセ今回ノ戸長ハ官撰ニテ御撰定相成候様請願スルコトニ決シタルニ付戸長撰挙投票スルニ不及ト詐言シ同村小民等ノ調印ヲ要シ而シテ半原村田代村角田村ノ悪民ヲモ数名調印致サセ意外ノ混雑ヲナシ居内同月廿七日本郡長ニ於テ三増村人民ヨリ投票差出サヽルニ付同村投票ハ無効トナシ三ケ村撰挙委員一同立会ノ上御開札相成依テ同月三十日半原村平民染矢三郎ヘ連合戸長御任命被遊誠ニ其当ヲ得タル者ト一同感服罷在候処豈図ランヤ右不平ノ者共相謀リ戸長撰挙会并同撰挙委員撰定不正ノ所為有之ニ付染矢三郎ハ人民ノ不希望ト唱ヘ今回三増村小長井崎太郎杉浦花吉郎半原村井上万吉田代村平本清三角田村諏訪部重三郎ノ五名ヨリ違法ノ投票取消シ而シテ戸長染矢三郎ヲ速ニ解職セラレ度旨御庁江請願候由実ニ正路ノ人民黙止スル能ハス惣代ヲ以右理由上申方切ニ私共ヘ依頼候間閣下ノ拝閲ヲ仰キ彼等ノ所為祥細開陳仕度此段上願候也 右 明治十八年四月十四日 半原村 白井藤左衛門 甘利惣右衛門 佐藤嘉助 角田村 関根八十八 田代村 山口平八郎 神奈川県令 沖守固殿 (「控書」大矢ゑひ氏蔵) 七八 戸長集会規定 庶第千百七号 戸長集会ノ儀今般号外ヲ以テ相達セラレ其規定左之通御内定相成候 間此段及通知候也 明治十九年四月二十二日 庶務課長 竹村二等属印 大住淘綾郡長 飯岡頼重殿 戸長集会規定 一 本会ハ長次官ノ内会頭ト為リ行政上ノ順序ヲ協議シ又ハ諮問アレハ其意ヲ陳ルモノトス 一 会員ハ毎郡区二名ツヽ互撰ヲ以テ之ヲ出シ毎会一員ツヽ交代スルモノトス 一 集会ハ午前第九時ヨリ開クモノトス 一 諮問ハ其按ヲ配付シ答議ハ着席ノ順序ニ依リ各別ニ之ヲ為スヘシ 一 総テ発言ノ時ハ先ツ其郡区各役場名ヲ唱フベシ 一 会員病気其他ノ事故アリテ参会スベカラサルトキハ届書ヲ出スベシ 一 毎会ノ顚末ハ之ヲ筆記シ県庁属官之ヲ担当スルモノトス (「本県内達」(明治一七年―)伊勢原市役所蔵) 七九 町村総代人に関する件達(一-二) (一) 甲第十号 町村総代人ノ儀本年二月半数改撰スヘキ定規ノ処詮議ノ次第有之本年六月マテ右改撰延期候条此旨布達候事 明治十二年一月十六日 神奈川県令 野村靖 (二) 甲第百七号 本年六月本県甲第百壱号ヲ以町村会規則布達候就テハ右町村会議員選定ノ上ハ去ル明治十年八月本県甲第八拾九号布達ヲ以設置候町村総代人ノ儀ハ相廃シ候条此旨布達候事 明治十二年六月廿五日 神奈川県令 野村靖 (神奈川県布達) 八〇 神奈川県町村会規則(一-二) (一) 甲第百壱号 町村会規則別紙ノ通相定候条此旨布達候事 明治十二年六月十三日 神奈川県令 野村靖 (別紙) 町村会規則 第一章 総則 第一条 町村会ハ左ニ掲クル各款ヲ議定ス 第一款 其町村限ノ経費ヲ以テ支弁スヘキ事業ヲ興廃シ或ハ之ヲ伸縮スル事 第二款 其町村ノ経費ヲ予算シ及ヒ其賦課法ヲ設クル事 第三款 其町村共有ノ財産ヲ処分シ及ヒ之ヲ維持スルノ方法ヲ設クル事 第四款 其町村共同ノ名義ヲ以テ土地家屋金穀等ヲ借入又ハ貸与スル事 第五款 其町村ノ負担スル戸数割税ヲ徴収スル為メ各戸出金ノ乗率ヲ定ムル事 第六款 議事ノ細則ヲ議定スル事 第二条 町村会ハ通常会ト臨時会トノ二類ニ別ツ其定期ニ於テスル者ヲ通常会トナシ臨時ニ開ク者ヲ臨時会トス 第三条 臨時会ハ其特ニ会議ヲ要スル事件ニ限リ其他ノ事件ヲ議スルヲ得ス 第四条 町村会ハ其議スヘキ事件ノ数町村ニ関渉スル者ハ該各町村ノ議員連合シテ開クコトヲ得 第五条 前条ノ場合ニ於テ議員多数ニ過クルトキハ該町村ノ協議ヲ以テ毎町村定員ノ半数以下ヲ適宜減シテ出会スルコトヲ得 第六条 通常会臨時会ヲ論セス会議ノ議案ハ戸長ヨリ之ヲ発ス 第七条 通常会ニ於テ議員ヨリ意見書ヲ出ス時ハ戸長ハ之ヲ第一条ニ掲クル各款ニ照シ当ニ議スヘキモノト認ムルニ於テハ直ニ会議ノ議案ト為スヘシ 但意見書ヲ出スハ少ナクモ開会ヨリ三日以前タルヘシ 第八条 第四条ノ開会ニ係ル第六条第七条ノ事件ハ各戸長協議ノ上之ヲ定ム 第九条 町村会ノ決議ハ議長ヨリ戸長ニ届出然ル後施行スルモノトス戸長ハ之ヲ郡区長ニ報告シ郡区長ハ県令ニ具申ス 但シ決議ノ趣ハ戸長ヨリ三日以内ニ其町村内ニ公告スヘシ 第十条 通常会期中議員ノ内其町村ノ利害ニ関スル事件ニ付県令ニ建議セントスル者アレハ之ヲ会議ニ付シ過半数ノ同議ヲ得タルトキハ其町村又ハ其会ノ名義ヲ以テ建議スルコトヲ得 第十一条 町村会ハ県令又ハ郡区長ヨリ其町村ニ施行スヘキ事件ニ付意見ヲ問フコトアルトキハ之ヲ議ス 第十二条 議長副議長及議員ハ俸給ナシ但書記ノ俸給ハ会費ノ中ヨリ之ヲ支給ス 第二章 選挙 第十三条 町村会ノ議員ハ其町村戸数ノ多寡ニ従ヒ之カ員数ヲ定ムル左ノ如シ 戸数百戸未満 議員拾人以下 同百戸以上二百戸未満 同 拾五人 同二百戸以上四百戸未満 同 二十人 同四百戸以上六百戸未満 同 廿五人 同六百戸以上八百戸未満 同 三十人 同八百戸以上一千戸未満 同 卅五人 同一千戸以上 同 四十人 第十四条 町村会ノ議員タルヲ得ヘキ者ハ満二十歳以上ノ男子ニシテ其町村内ニ本籍住居ヲ定メ其町村内ニ於テ土地ヲ有スル者ニ限ル但左ノ各款ニ掲クル者ハ議員タルコトヲ得ス 第一款 懲役一年以上及国事犯禁獄一年以上実決ノ刑ニ処セラレタル者 但満期後七年ヲ経タルモノハ此限ニアラス 第二款 身代限ノ処分ヲ受ケ負債ノ弁償ヲ終ヘサル者 第三款 官吏教導職及県会議員 第十五条 議員ヲ選挙スルヲ得ヘキ者ハ満二十歳以上ノ男子ニシテ其町村内ニ本籍住居ヲ定メ其町村内ニ於テ土地ヲ有スル者ニ限ル但シ前条ノ第一款第二款ニ触ルヽ者ハ選挙人タルコトヲ得ス 第十六条 議員ヲ選挙セントスルトキハ戸長ハ少ナクモ十日以前ニ選挙会ヲ開クヘキ旨ヲ公告シ其町村役場ニ於テ投票ヲ為サシムヘシ但シ便宜ニ依リ役場外ニ於テ選挙会ヲ開クコトヲ得 第十七条 投票ハ戸長ヨリ付与シタル用紙ニ選挙人自己ノ住所姓名及ヒ被選人ノ住所姓名ヲ記シ予定ノ日之ヲ戸長ニ出スヘシ但投票ハ代人ニ托シ差出スモ妨ケナシ 第十八条 投票ハ選挙人ノ面前ニ於テ戸長之ヲ披閲シ最モ多数ノ者ヲ以テ当選人トシ同数ノ者ハ年長ヲ取リ同年ノ者ハ鬮ヲ以テ定ム第十九条 投票披閲終ルノ後戸長ハ選挙人名簿ニ就テ投票ノ当否ヲ査シ又被選人名簿ニ就テ当選ノ当否ヲ査シ若シ法ニ於テ不適当ナル者アルカ或ハ当選人自ラ其選ヲ辞スルトキハ順次投票ノ多数ヲ得タル者ヲ取ル 第二十条 当選人ノ当否ヲ査定スルノ後戸長ハ其当選人ヲ役場ニ呼出シ当選状ヲ渡シ当選人ハ請書ヲ出スヘシ但当選人請書ヲ出シタル後戸長ハ其姓名ヲ町村内ニ公告スヘシ 第廿一条 第五条ニ於テ定メタル減員ヲ為スハ該毎町村議員中ニテ互選投票ヲ以テス 第廿二条 議長副議長ハ議員中ヨリ公選シ戸長ニ届出ヘシ戸長ハ之ヲ郡区長ニ報告シ郡区長ハ之ヲ県令ニ具申ス但シ第四条ニ掲クル会議ヲ開設スルトキハ該各町村総議員ニ於テ該各町村議長中ヨリ更ニ公選スヘシ 第廿三条 書記ハ議長之ヲ選ヒ庶務ヲ整理セシム 第廿四条 議員ノ任期ハ四年トシ二年毎ニ全数ノ半ヲ改選ス但シ第一回二年期ノ改選ヲ為スハ抽籤ヲ以テ其退任ノ人ヲ定ム 第廿五条 議長副議長ノ任期ハ二年トシ議員ノ改選毎ニ之ヲ公選スヘシ 第廿六条 前二条ノ場合ニ於テハ前任ノ者ヲ再選スルコトヲ得 第廿七条 議員中第十四条ニ掲クル諸款ノ場合ニ遭遇スル者アルカ其町村外ヘ転住スルカ又ハ死去シタルトキハ更ニ其欠ニ代ル者ヲ選挙ス其疾病等止ムヲ得サル事故ナクシテ開会ノ招集ニ応セサル者ハ退職者トシ亦其欠ニ代ル者ヲ選挙ス 第三章 議則 第廿八条 議員半数以上出席セサレハ当日ノ会議ヲ開クコトヲ得ス第廿九条 会議ハ過半数ニ依テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ可否スル所ニ依ル 第三十条 戸長若クハ其代理人ハ会議ニ於テ議案ノ旨趣ヲ弁明スルヲ得ルト雖トモ決議ノ数ニ入ルコトヲ得ス但第七条ニ掲クル議案ノ旨趣ハ意見書ヲ出セル議員之ヲ弁明スルコトヲ得 第卅一条 会議ハ傍聴ヲ許ス但戸長ノ需メニ依リ又ハ議長ノ意見ヲ以テ傍聴ヲ禁スルヲ得 第卅二条 議員ハ会議ノ事項ニ方リ充分討論スルヲ得ルトイヘトモ然レトモ人身上ニ付テ褒貶毀誉ニ渉ルコトヲ得ス 第卅三条 議場ヲ整理スルハ議長ノ職掌トス若シ規則ニ背キ議長之ヲ制止シテ其命ニ順ハサル者アルトキハ議長ハ之ヲ議場外ニ退去セシムルヲ得其強暴ニ渉ル者ハ警察官吏ノ処分ヲ求ムルヲ得 第四章 開閉 第卅四条 町村会ハ毎年五月十一月ニ於テ之ヲ開ク其開閉ハ戸長ヨリ之ヲ命シ会期ハ十日以内トス但戸長ハ会議ノ衆議ヲ取リテ其日限ヲ伸ルコトヲ得ルト雖モ直ニ其事由ヲ郡区長ニ報告シ郡区長ハ之ヲ県令ニ具申スヘシ 第卅五条 通常会議ノ外会議ニ付スヘキ事件アリテ戸長ヨリ開会ヲ需ムルカ又ハ議員全数三分一以上ノ同議ヲ以テ開会ヲ求ムルトキハ臨時会ヲ開クコトヲ得但戸長ハ該会ヲ要スル事由ヲ直チニ郡区長ニ報告シ郡区長ハ之ヲ県令ニ具申スヘシ 第卅六条 会議ノ論説法律又ハ規則ヲ犯シ或ハ権限ヲ超ユルコトアリト認ルトキハ戸長ハ其会議ヲ中止セシメ郡区長ニ具状シ郡区長ハ之ヲ県令ニ具申シテ其指揮ヲ乞フヘシ 第卅七条 会議中法律又ハ規則ヲ犯シ或ハ権限ヲ超ユル等ノ不都合アリト認ムルトキハ県令ヨリ閉会ヲ命シ又ハ議員ノ解散ヲ命スルコトアルヘシ 第卅八条 県令ヨリ解散ヲ命シタルトキハ更ニ議員ヲ改選スヘシ (二) 甲第百二十二号 本年六月本県甲第百一号ヲ以布達候町村会規則第十三条議員定数ノ儀常々連合会而己ニテ差支無之向ハ該町村ノ協議ヲ以最寄町村連合シテ員数ヲ定ムルモ不苦候条比旨布達候事 明治十二年七月七日 神奈川県令 野村靖 (神奈川県布達) 八一 区町村会規則取設に関する件達(一-二) (一) 甲第七十七号 本年四月第十八号ヲ以区町村会法布告相成候ニ付右布告第二条第三条ニ依リ議会ノ規則ヲ設ケ来六月廿日限リ郡区役所ヲ経可差出此旨布達候事 明治十三年五月三日 神奈川県令 野村靖 (付箋)区長村会法布告ニヨリ議会ノ規則ヲ設ケ郡区役所ヲ経テ六月 二十日限リ差出ノコト (二) 甲第八十七号 本月甲第七十七号ヲ以区町村会規則取設ノ儀及布達候ニ付テハ右取設方手続左之通可心得此旨布達候事 明治十三年五月十日 神奈川県令 野村靖 一 区会及連合町村会ノ規則ハ現行町村会規則第四条第五条ニヨリ区内各町又ハ連合町村ノ議員連合会ヲ開キ先ツ議員中於テ委員人員ハ便宜之定ムヘシヲヲ撰テ規則草按ヲ編セシメ而シテ之ヲ議決シ郡区役所ヲ経テ差出スヘシ 一 町村会ノ規則ハ現設町村会ニ於テ先ツ委員人員ハ便宜之ヲ定ムヘシヲ撰テ規則ノ草按ヲ編セシメ而シテ之ヲ議決シ郡区役所ヲ経テ差出スヘシ 一 水利土功ノ為メ其関係人民若クハ町村集会ノ規則ハ関係人民若クハ町村於テ申合ノ上之ヲ編製シ郡区役所ヲ経テ差出スヘシ (神奈川県布達) 八二 町村会規則に関する伺書 今般甲第百壱号ヲ以町村会規則御頒布相成候処疑議ニ渉候条件左ニ奉伺候 第壱条 第五条ノ内毎町村定員ノ半数以下ヲ適宜減シテ出会スルコトヲ得ト有之候処連合百有余村ニ渉候トキハ仮令壱町村ニ壱員ヲ出会セシムルモ百有余員ニ相成議員甚過当ナルヲ以利害相同シキ町村ハ協議ノ上数町村ニシテ一両員ヲ出会セシムルモ妨ケナキ儀ト相心得可然哉第弐条 町村会議員ヲ選挙スルハ各町村戸数ノ多寡ヲ以其員数ヲ限リ選定スヘキ御規則ニ候処各町村ノ内弐百戸以上之村落ニ於テハ之レヲ選定スル壱人ニテ数十人ヲ選挙セサルヲ得ス然ルトキハ戸長役場ト雖モ選挙会ヲ開クニ当リ調査上甚錯雑ヲ生シ可申被考候依テハ該町村協議之上ハ壱町村ヲ数区ニ分ケ適宜之レヲ選挙スルモ差閊無之候哉 第三条 第三十四条町村会毎年五月十一月ニ於テ之レヲ開ク云々然ルニ本年ノ儀ハ初度ノ会期已ニ経過シタルト雖モ事ノ始創ニ係ルヲ以目下開会スルモ通常会ト見做シ可然哉 (「草稿綴」(明治一二年)山口匡一氏蔵) 八三 大住郡子易村村会規則 相模国大住郡 子易村 本年四月太政官第十八号及本県甲第八十七号布達ノ趣意ヲ体シ右村村会規則別冊之通議決仕候間御裁定被下度候也 明治十三年十二月廿七日 右村 村会議員 豊嶋義忠(印) 飯田三左衛門(印) 原太右衛門(印) 小川忠兵衛(印) 山口岩右衛門(印) 鈴木万吉(印) 飯田吉左衛門(印) 大津五郎右衛門(印) 大津六右衛門(印) 大津佐右衛門(印) 大津金五郎(印) 大津定右衛門(印) 大津治郎右衛門(印) 望月久兵衛(印) 黒石清左衛門(印) 戸長大津元右衛門(印) 神奈川県令 野村靖殿 (別冊) 相模国大住郡子易村村会規則 第一章 総則 第一条 本会ハ一村公共ニ関スル事件及其経費ノ支出徴収法并本村負担スル地方税戸数割各戸出金ノ額ヲ議定ス 第二条 本会ハ通常会及臨時会ノ二類ニ分ツ其定期ニ於テスルモノヲ通常会トナシ臨時ニ開クモノヲ臨時会トナス 第三条 臨時会ハ其特ニ会議ヲ要スル事件ニ限リ其他ノ事ヲ議スルコトヲ得ス 第四条 通常会臨時会ヲ問ハス議案ハ総テ戸長之ヲ発ス 第五条 本会ハ毎通常会ノ始ニ於テ其前半年度出納ノ決算報告及其説明ヲ受ケモシ異見アルトキハ其筋エ具状スルコトアルヘシ 第六条 通常会期ニ於テ議員ノ内意見書ヲ出スモノアルトキハ戸長ハ之ヲ第一条ノ趣意ニ照シ当ニ議スヘキモノト認ルトキハ直ニ之ヲ議題トナスヘシ 第七条 本会ノ評決ハ議長ヨリ戸長ニ届出戸長ハ之ヲ村内ニ公告シ而シテ後施行スルコトヲ得 第八条 議長副議長及議員ハ俸給ナシト雖トモ開議中ハ弁当料ヲ給ス其額ハ会議ノ決ヲ以テ定ム 第九条 書記ハ議長之ヲ撰ミ庶務ヲ理セシム其□当ハ会議ノ決ヲ取リ会費ノ内ヨリ支給スヘシ 第二章 撰挙 第十条 本会議員ノ定数ハ拾五名トナス 第十一条 本会ノ議員タルコトヲ得ヘキモノハ満二十歳以上ノ男子ニシテ当村内ニ本籍住居ヲ定メ土地ヲ有スルモノニ限ル但左ノ各款ニ触ルヽモノハ議員タルコトヲ得ス 第一款 風癲白痴ノ者 第二款 懲役一年以上ノ実刑ヲ受ケタルモノ 第三款 身代限ノ所分ヲ受ケ負債ノ弁償ヲ終ヘサルモノ 第四款 官吏及教導職 第十二条 議員ヲ撰挙スルコトヲ得ヘキモノハ前条ノ制限ニ同シ尤戸主タルモノニ限ル 但前条第四款ニ掲クルモノハ撰挙人タルコトヲ得 第十三条 議員撰挙ハ戸長ヨリ付与シタル用紙ニ撰挙人自己及ヒ被撰人ノ姓名ヲ記シ予定ノ日之ヲ戸長ニ出スヘシ 第十四条 投票ハ撰挙人ノ面前ニ於テ戸長之ヲ披閲シ最モ多数ノ者ヲ以テ当撰人トナシ同数ハ年長ヲ取リ同年ハ籤ヲ以テ定ム 第十五条 投票披閲終ルノ後戸長ハ其当撰人ヲ役場ニ呼出シ当撰ノ旨ヲ伝達シ受書ヲ出サシム当撰人受書ヲ出シタル後戸長ハ其姓名ヲ村内ヘ公告スヘシ 但当撰人ハ故ナク其撰ヲ辞スルヲ得ス 第十六条 議員ノ任期ハ四年トシ二年毎ニ全数ノ半ヲ改撰シ第一回二年期ノ改撰ハ抽籤ヲ以テ退任ノ者ヲ定ム 第十七条 議長副議長ハ議員ノ互撰ヲ以テ定メ其任期ハ二年トシ議員改撰毎ニ之ヲ撰ム 但本条及十六条ノ場合ニ於テハ前任ノ者ヲ再撰スルコトヲ得 第三章 議則 第十八条 議員半数以上出席セサレハ当日ノ会議ヲ開クコトヲ得ス第十九条 会議ハ過半数ニ依テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ可否スル所ニ依ル 第二十条 戸長及代理人ハ会議ニ於テ議案ノ旨趣ヲ弁明スルハ勿論ナリト雖トモ評決ノ数ニ入ルコトヲ得ス 第廿一条 議員ハ会議ノ事項ニ方リ充分討論スルコトヲ得ルト雖トモ人身上ニ付キ褒貶毀誉ニ渉ルコトヲ得ス 第廿二条 議場ヲ整理スルハ議長ノ職掌トスモシ規則ニ背キ議長制止シシテ命ニ順ハサルモノアルトキハ場外ニ退去セシム 第四章 開閉 第廿三条 本会ハ毎年五月十一月ニ於テ之ヲ開ク其開閉ハ戸長之ヲ指示□ 第廿四条 通常会ノ外会議ニ付スヘキ事件アリテ戸長開会ヲ要ムルカ或ハ議員三分ノ一以上ノ同議ヲ以テ開会ヲ要ムルトキハ臨時会ヲ開クヘシ 『庶第四百〇弐号 書面会議規則認可候事 明治十四年十二月四日 神奈川県令野村靖代理 神奈川県少書記官 河野通倫(印)』 (「村会決議書」(明治一二年)伊勢原市役所蔵) (注)関原徳三氏所蔵資料、藤平二郎氏所蔵資料、神奈川県庁所蔵資料、大和市役所所蔵資料等に同様のものがある。 八四 愛甲郡棚沢村村会議事細則および同副則 『第一号議案』 村会議事細則 第一章 議場整理 第一条 凡ソ会議ハ午前第九時ニ始メ午後第五時ニ終ル時宜ニ依リ之ヲ伸縮スルハ議長ノ指揮ニ依ル 但議事ノ始終ハ撃柝ヲ以テ之ヲ報ス 第二条 議員ノ席次ハ予メ抽籤ヲ以テ之ヲ定メ毎会其席ニ着クヘシ第三条 遅参ノ議員ハ先ツ議長ノ許可ヲ得テ後チ静ニ着席スヘシ又病気其他事故アリ欠席スルトキハ開会時限前其旨書面ヲ以テ議場ニ届出スベシ 但無届ニテ不参スルトキハ其事由ヲ詰問スベシ 第四条 議事中ハ議員漫ニ議席ヲ退キ又ハ相私語シ或ハ吸烟シ及ヒ総テ議事ヲ妨クル挙動アルヲ許サズ 第二章 議事 第五条 議案及ヒ其説明書等ハ発会ノ初ニ於テ議長之ヲ議員ニ頒布スベシ 第六条 凡ソ議事ハ第一次第二次第三次ノ三会ヲ経ルモノトス其順序左ノ如シ 但議案ノ旨趣ニ付疑問ノ条件アリトスルトキハ第一次会ニ先チテ第八条ノ旨ニ従ヒ質問スルモノトス 第一次会 議長先ツ書記ヲシテ議案ヲ朗読セシム而テ後議案ノ大意ヲ議シ可決スルトキハ議長ハ第二次会ヲ開キ否決スルトキハ該議題ハ消滅スルモノトス 第二次会 議長ハ書記ヲシテ第一次会ニ於テ大意ヲ可決シタル議案ヲ逐条若クハ毎節ニ朗読セシメ議員ヲシテ之ヲ討論審議セシム毎条議決シ畢レハ議長ハ第三次会ヲ開クヤ否ヤヲ決スヘシ若シ議決スル条節ノ整理ヲ要スルトキハ之ヲ委員ニ付シ其ノ報告ヲ待テ第三次会ヲ開クヘキヤ否ヤヲ決スヘシ 第三次会議長ハ書記ヲシテ第二次会ニ於テ可決シタル議案又ハ修正案ヲ朗読セシメ議員ヲシテ前会逐条審議ノ次第ヲ再考シ全案ニ就テ可否ヲ議定セシムヘシ全案決定□□トキハ議長ノ名ヲ以テ之ヲ戸長ニ差出スヘシ若シ否決スルトキハ該議題ハ消滅スルモノトス 第七条 小会議ハ議案若クハ委員ノ報告書等ニ付質問ヲ要スルトキ或ハ臨時会ニシテ唯タ戸長ヨリ申告又ハ諮問等ニ止マルトキ之ヲ開ベシ 第八条 小会議ハ第三条第四条ヲ除クノ外敢テ本則ニ従フノ限ニアラズ 第九条 修正説ハ第二次会及第三次会ニ於テ提出スルヲ得 但第二次会ニ於テ賛成者ナキモノ及第三次会ニ於テ二名以上ノ賛成者ナキモノハ之ヲ議題トシテ其可否ヲ衆議ニ問フヲ得ス 第十条 『議題消滅シタルトキハ議長修正委員ヲシテ査理セシメ再ヒ議場ヘ提出スベシ』 第三章 発言 第十一条 凡ソ発言セント欲スル議員ハ先ツ起立シテ議長ト呼ヒ其許可ヲ得ヘシ若シ二人以上同時ニ起立スルトキハ議長其一人ヲ指揮シテ発言セシム 第十二条 討論問答トモ必ス議長ニ向テ演舌スベシ其互ニ相応答シ又ハ着座ノ儘発言スルヲ許サズ 第十三条 議事中ハ議長ノ姓名ヲ称ヘズシテ議長ト呼ブベク又議員ヲ呼フハ其席次ノ番号ヲ称シテ其姓名ヲ呼ブベカラス 第十四条 凡一議件未タ了ラザル間ハ他ノ事件ヲ発言スベカラズ又一議員発言中他ノ議員発言スルヲ得ズ 第十五条 議長議案ニ就キ発言セント欲スルトキハ書記議案ヲ朗読スルノ後直チニ其事ヲ演ヘ副議長ニ席ヲ譲ルヘシ討論中ハ其席ヲ下リ若クハ其席ニ復スルヲ許サズ若シ副議長モ発言セント欲シ之ヲ辞スルトキハ議長ハ議員中ノ一員ヲ指名シ之ヲ議会ニ問ヒ其決ヲ取テ己レニ代ラシムベシ此場合ニ於テハ該議員ハ漫ニ之ヲ辞スルヲ得ズ 第十六条 議長ハ議員ノ論説冗長ニ亘ルコトアリト認ムルトキハ其発言ヲ制止スルヲ得ル 第四章 決議 第十七条 凡ソ可否ヲ決スルノ方法ハ議員ヲシテ起立セシメ其数ヲ算シテ出席議員ノ過半数ニ依テ決スベシ 第十八条 修正案ハ原案ニ先チテ可否ヲ決スヘシ其数多ナルトキハ議長ノ意見ヲ以テ其最モ原案ニ異ナリトスルモノヲ先ニスヘシ 第十九条 議長ノ意見若クハ議員二名以上ノ請求ニ因リ議題ヲ分合シ又ハ条項ノ順序ニ拘ハラズシテ議決セントスルトキハ其可否ヲ会議ニ問フテ之ヲ決スベシ 第二十条 討論審議中ト雖トモ議長ニ於テ論旨既ニ尽タリト認ムルトキハ之ヲ会議ニ問テ其議題ノ決ヲ取ルコトヲ得 第廿一条 可否ノ数ハ書記之ヲ検シ其決定ハ議長之ヲ陳告ス 第五章 委員 第廿二条 議長ノ意見若クハ議員二名以上ノ請求ニ依リ委員ヲ撰ヒ議案若クハ修正案ヲ査理セシメントスルトキハ会議ノ決ヲ取リ其委員ハ議員中ニ於テ議長之ヲ命シ又ハ議員ヲシテ之ヲ撰挙セシムベシ 第廿三条 委員ニ命セラレタル議員ハ漫ニ之ヲ辞スルヲ得ス 第廿四条 委員ハ其付托セラレタル全案ヲ改竄スルコトヲ得其意見ハ最多数ニ依テ之ヲ決シ既ニ整理シタル時ハ之ヲ議長ニ報告スベシ 但議決シタル条節ヲ整理スル場合ニ於テハ其意義ヲ変更スルコトヲ得ズ 『第二号議案』 村会議事細則副則 第一条 本村会ハ議事上ノ便宜ヲ量リ特務委員会ナルモノヲ開設スベシ 第二条 特務員ハ議員全数三分ノ一即チ五名ヲ撰択ス 第三条 本会ハ左ノ事項ニ限リ之ヲ開クベシ 但戸長ヨリ本会ニ付スル事件ト雖トモ会員ノ見込ニ依リ更ニ本会議トナスヲ得 一 細少ノ事件(人民ニ関係無キモノニ限ル)ニシテ臨時評議ヲ要スル事 一 他ノ規則ニ明文アル□□ 第四条 本会員ハ議員ノ互撰ヲ以テ之ヲ挙クルモノトス 但其選挙ハ可成各最寄ニ散□スルヲ要ス 第五条 本会員ハ其性格普通議員ト異ナルコトナシ 但其ノ任期ハ二年トシ議員ノ更選毎ニ改選スベシ 第六条 本会員ハ其議決シタル事件ヲ其後開ケタル村会ニ報告スベシ 第七条本会ハ別ニ議案書ヲ用セズ尤其議事ハ筆記スベシ (「十三年度通常村会議案目録」(明治一三年)関原徳三氏蔵) 八五 高座郡町村連合会規則および同議事細則(一-二) (一) 高庶第八百九号 本郡各町村及数町村連合会規則別紙之通本郡各町町村連合会ニ於テ決議認可相成候条此旨公告候事 明治十四年十一月十五日 高座郡長今福元頴代理 高座郡書記 伴野淳蔵 別紙 神奈川県高座郡町村連合会規則 第一章 総則 第一条 当連合会ハ本郡各町村又ハ数町村ノ公共ニ関スル事件及其支出徴収方法ヲ議定ス 第二条 本郡各町村連合会ノ議案ハ郡長之ヲ発シ数町村連合会ノ議案ハ各戸長協議ノ上之ヲ発ス 第三条 町村連合会ニ於テ第一条ニ掲ル事件ニ付議員ヨリ意見書ヲ出ストキハ本郡各町村連合会ハ郡長数町村連合会ハ戸長之ヲ審査シ当ニ議スヘキ意見ト認ムルニ於テハ直チニ之ヲ会議ノ議案ト為スヘシ 第四条 本郡各町村連合会ノ決議ハ議長ヨリ郡長ニ数町村連合会ノ決議ハ議長ヨリ戸長ニ届出郡長又ハ戸長ハ十日以内ニ関係町村内ヘ公告シ然ル後チ施行スルモノトス 第五条 町村連合会ニ於テ連合町村□利害ニ関スル事件ニ付県令ニ建議セントスル者アレハ議長ノ許可ヲ得テ之ヲ会議ニ付シ過半数ノ同議ヲ得タルトキハ其会議長ノ名ヲ以テ建議スルコトヲ得 第六条 町村連合会ハ議事細則ヲ議定シ郡長ノ認可ヲ得テ之ヲ履行スヘシ 第二章 撰挙 第七条 本郡各町村連合会ノ議員ハ各町村会議長議長事故アルトキハ副議長ヲ以テシ数町村連合会ノ議員ハ各町村会ノ議員ヲ以テス但シ四ケ村以内ハ各町村議員ノ半数奇数ハ寡数ニヨル該人名指定ハ互撰ヲ以テ之ヲ定ム五ケ村ヨリ十ケ村迄ハ正副議長正副議長ノ中事故アルトキハ互撰ヲ以テ之ニ代ル者ヲ定ム以上ハ毎町村議長議長事故アルトキハ副議長一員ヲ以テ之ニ充ツ尤モ数町村連合会ニ於テ町村中分列ヲ要スル場合ニ於テハ其ノ分列町村ヨリ適宜議員ヲ出スヲ得 第八条 本郡各町村連合会及数町村連合会ノ議長ハ毎会議員ニテ互撰シ本郡各町村連合会ハ郡長ヘ数町村連合会ハ戸長ヘ届出ルモノトス 第九条 本郡各町村連合会及数町村連合会ノ議長副議長及議員ハ俸給ナシ但会期中滞在日当及往復旅費ヲ給ス其額ハ会議ノ議決ヲ以テ之ヲ定ム 第十条 書記ハ議長之ヲ撰ヒ会議ノ庶務ヲ整理セシム其ノ俸給ハ会費ノ中ヨリ之ヲ支給ス 第三章 議則 第十一条 議員半数以上出席セサレハ当日ノ会議ヲ開クコトヲ得ス 第十二条 会議ハ過半数ニ依テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ可否スル処ニ依ル 第十三条 本郡各町村連合会ニ於テハ郡長若クハ其代理人数町村連合会ニ於テハ戸長若クハ其代理人ハ議案ノ旨趣ヲ弁明スルヲ得ルト雖トモ決議ノ数ニ入ルコトヲ得ス但第三条ニ掲クル議案ノ旨趣ハ其意見書ヲ出セル議員之ヲ弁明スルコトヲ得 第十四条 会議ハ傍聴ヲ許スト雖トモ本郡各町村連合会ニ於テハ郡長数町村連合会ニ於テハ戸長ノ需メニ依リ又ハ議長ノ意見ヲ以テ傍聴ヲ禁スルコトヲ得 第十五条 議員ハ会議ニ方リ充分討論ノ権ヲ有ス然レトモ人身上ニ付褒貶毀誉ニ渉ルコトヲ得ス 第十六条 議場ヲ整理スルハ議長ノ職掌トス若シ規則ニ背キ議長之ヲ制止シテ其命ニ順ハサルモノアルトキハ議長ハ之ヲ議場外ヘ退去セシム其強暴ニ渉ル者ハ警察官吏ノ処分ヲ求ムルヲ得 第四章 開閉 第十七条 本郡各町村及数町村連合会ハ其議スヘキ事件アレハ毎年壱度四月ニ於テ之ヲ開キ会期ハ臨時会通常会ヲ不論十日以内トス其開閉ハ本郡各町村連合会ハ郡長数町村連合会ハ各戸長協議ノ上之ヲ命ス 第十八条 本郡各町村連合会数町村連合会ハ町村議員三分一以上ヨリ開会ヲ要求スルカ又ハ郡長ノ意見ヲ以テ各町村連合会ヲ各戸長ノ意見ヲ以テ数町村連合会ヲ臨時ニ開クコトヲ得 右高座郡各町村連合会及数町村連合会規則前記ノ通決議相成候間速ニ御許可可奉願候也 高座郡町村連合会規則草按委員 金子小左衛門 明治十四年十一月八日 (二) 高庶第八百八十八号 高座郡各町村及数町村連合会ニ併用スヘキ議事細則別冊之通リ各町村連合会ニ於テ評決認可相成候ニ付テハ本会議長ノ求メニヨリ壱部宛各町村会ヘ及回送候事 明治十四年十二月一日 高座郡役所 庶務掛 各町村会 議長中 (別冊) 神奈川県高座郡町村連合会議事細則 議場整理 第一条 凡ソ会議ハ午前第十時ニ始リ午後第四時ニ終ル時宜ニヨリ之ヲ伸縮スルハ議長ノ指揮ニ依ル 但会議ノ始終ハ起立シテ礼ヲ為スヘシ 第二条 議員ノ席次ハ毎会ニ先タチ抽籤ヲ以テ之ヲ定メ会期中其席ニ着キ漫ニ議席ヲ退キ又ハ相私語シ或ハ吸烟シ総テ議事ヲ妨クル挙動アルヲ許サス 第三条 遅参ノ議員ハ先ツ議長ノ許可ヲ得テ後チ静ニ着席スベシ若シ病疾事故アリ欠席スルトキハ開会時限ニ先チ其旨議長ニ届出ツベシ 議事 第四条 議案及其説明書等ハ発会ノ初ニ於テ議長之ヲ議員ニ頒布スヘシ 第五条 凡ソ議事ハ第一次第二次第三次ノ三会ヲ経ルモノトス其順序左ノ如シ 第一次会 議長ハ先ツ書記ヲシテ議案ヲ朗読セシム而シテ其議案ニ付疑問ノ条件アリト思慮スルモノハ議長若クハ主任者ニ向ヒ之ヲ質問スヘシ而シテ後チ議案ノ大意ヲ議シ可決スルトキハ議長ハ第二次会ヲ開キ否決スルトキハ該議題ハ消滅スルモノトス 第二次会 議長書記ヲシテ第一次会ニ於テ大意ヲ可決シタル議案ヲ逐条若クハ毎節ニ朗読セシメ議員ヲシテ之ヲ討論審議セシム毎条議決シ畢レハ第三次会ヲ開クヤヲ決スヘシ若シ議決スル条節ノ整理ヲ要スルトキハ之ヲ委員ニ付シ其報告ヲ待チ第三次会ヲ開クヘキヤ否ヤヲ決スヘシ 第三次会 議長ハ書記ヲシテ第二次会ニ於テ可決シタル議案又ハ修正案ヲ朗読七シメ議員ヲシテ前会逐条審議ノ次第ヲ再考シ全案ニ就テ可否ヲ議定セシムベシ全案決定スルトキハ議長ノ名ヲ以テ之ヲ本郡各町村連合会ハ郡長ヘ数町村連合会ハ戸長ヘ差出スヘシ若シ否決スルトキハ該議題ハ消滅スルモノトス 第六条 小会議ハ議案若クハ委員ノ報告書等ニ付質問ヲ要スルトキ之ヲ開クヘシ此場合ニ於テハ議長ハ副議長之ヲ勤ムヘシ但小会議ニ於テハ第二条ヲ除クノ外本則ニ従フコトヲ要セス 第七条 修正説ハ第二次会及第三次会ニ於テ提出スルヲ得ルト雖トモ第二次会ニ於テ賛成者ナキモノ及第三次会ニ於テ五名以上ノ賛成者ナキモノハ之ヲ議題トシテ其可否ヲ衆議ニ問フヲ得ス 発言 第八条 凡ソ発言セント欲スル議員ハ先ツ起立シテ議長ト呼ヒ自己ノ番号ヲ唱ヒ其許可ヲ得ヘシ若シ二人已上同時ニ起立スルトキハ議長其一人ヲ指揮シテ発言セシメ会期中ハ総テ議長ノ姓名ヲ称ヘスシテ議長ト呼フベシ又議員ヲ呼フハ其席次ノ番号ヲ呼フヘク直ニ氏名ヲ称呼スルヲ許サス 第九条 討論問答トモ必ス議長ニ向テ演述スヘシ其互ニ相応答シ又ハ着席ノ儘発言スルヲ許サス 第十条 凡ソ一議件末タ了ラサル間ハ他ノ事件ヲ発言スヘカラス又一議員発言中他ノ議員発言スルヲ得ス 第十一条 議長議案ニ就キ発言セント欲スルトキハ書記議案ヲ朗読スルノ後チ直ニ其事ヲ演ヘ副議長ニ席ヲ譲ルヘシ討論中ハ其席ヲ下リ若クハ其席ニ復スルヲ得ス若シ副議長モ亦発言セント欲シ之ヲ辞スルトキハ議長ハ議員中ノ一員ヲ指名シ之ヲ議会ニ問ヒ其決ヲ取リ己レニ代ラシムヘシ此場合ニ於テ該議員ハ漫ニ之ヲ辞スルヲ得ス 第十二条 第三次会ニ於テハ一議題ニ付発言二回ニ超ユルコトヲ得ス 第十三条 議長ハ議員ノ論説冗長ニ亘ルコトアリト認ムルトキハ其発言ヲ制止スルヲ得 決議 第十四条 凡ソ可否ヲ決スルノ方法ハ議長ハ議員ヲシテ起立セシメ書記ニ命シテ之ヲ検セシメ出席議員ノ過半数ニ依テ決定シ之ヲ陳告ス 第十五条 修正案ハ原案ニ先チテ可否ヲ決スヘシ其数多ナルトキハ議長ノ意見ヲ以テ其最モ原案ニ異ナルモノヲ先ニスヘシ 第十六条 議長ノ意見若クハ議員二名以上ノ請求ニヨリ議題ヲ分合シ又ハ条項ノ順序ニ拘ハラスシテ議決セントスルトキハ其可否ヲ会議ニ問フテ之ヲ決スヘシ 第十七条 討論審議中ト雖トモ議長ニ於テ論旨尽タリト認ムルトキハ之ヲ会議ニ問テ其議題ノ決ヲ取ルコトヲ得 委員 第十八条 議長ノ意見若クハ議員二名以上ノ請求ニ依リ委員ヲ撰ヒ議案若クハ修正案ヲ査理セシメントスルトキハ会議ニ問ヒ可決スルトキハ議長ハ委員ノ数ヲ決シ奇数而シテ其委員ハ議員ヲシテ互撰セシメ議長之ヲ命ス此場合ニ於テハ委員ニ命セラレタル議員ハ漫リニ之ヲ辞スルヲ得ス 第十九条 委員ハ其付托サレタル全案ヲ改竄スルコトヲ得其意見ハ最モ多数ニ依テ之ヲ決シ既ニ整理シタルトキハ之ヲ議長ニ報告スヘシ但議決シタル条節ヲ整理スル場合ニ於テ其意見ヲ変スルコトヲ得ス 高座郡各町村連合会及数町村連合会議事細則前記之通決議相成候間速ニ御認可奉願候也 明治十四年十一月九日 高座郡各町村連合会 委員 上野清兵衛 同 中村鉄之助 同 金子小左衛門 議長 富田一三 高座郡長 今福元頴殿 高庶第七百九十九号 書面認可候事 明治十四年十一月十日 高座郡長 今福元頴 (高座郡相原村役場「本郡諸達」(明治一四年)相模原市史資料室蔵) 八六 町村会議員の分限に関する件通牒および達(一-二) (一) 本県庶務課ヨリ通牒 庶第千三百六十壱号 村会議員タルモノハ其村内公共ニ関スル事件ニ付経費予算等ヲ議決スルノ任ヲ帯フルニ止マリ候義者勿論ニ候処往々一般人民ノ総代ト誤解シ諸願書ヘ議員之名目ヲ掲ケ差出候モノ有之不都合之次第ニ付自今右様之弊無之様御注意各戸長江モ便宜御諭示置有之度此段予テ申進置候也 明治十五年三月廿四日 本県庶務課 愛甲郡役所御中 (「指令伺綴」大矢ゑひ氏蔵) (二) 庶〔乙第百三十七号〕 戸長役場 町村会議員ハ明治十三年四月第拾八号布告区町村会法第一条ニ掲クル事項ヲ議決スルノ職ヲ帯フルニ止リ候ハ該公布ノ明文ニテ判然致居候処議員ハ百般ノ事務町村人民ノ総代タル性質ヲ有スルモノト誤解シ町村ノ諸願伺等ニ至ルマテ議員ノ名義ヲ以差出シ候向キ往々有之不都合ニ付議員ト人民総代トハ判然分別シ混淆セサル様注意ヲ加ヘ便宜夫々諭示致置可申此旨相達候事 (神奈川県布達) (注)この布達は明治一六年六月一八日付のものである。 八七 戸長役場筆生の町村会議員兼務差止に関する件諭達 第六百八十六号 戸長役場 町村戸長役場筆生ニシテ其町村会ノ議員タルハ敢テ差支無之義ニ候得共協議費徴収支出予算ニ関シ之ヲ議スルニ至ラハ人民疑惑ヲ生スル一端ニ付自今筆生ニシテ議員ニ公撰セラレシ時ハ孰レカ其一方ヲ辞セシメ或ハ筆生勤務ノ者ハ可成撰挙セサル明文ヲ町村会規則ニ掲載候様可致旨其筋ヨリ内訓ノ次第モ有之候条此旨諭達候事 明治十七年四月四日 大住淘綾両郡長 飯岡頼重 (「照会留」(明治一七年)曽根田重和氏蔵) 八八 橘樹郡大豆戸村他七か村連合会議事細則 連合会議事細則 第壱条 議場整理 一 会議ハ午前九時ニ始メ午后四時ニ終ル 但時宜ニ依リ議長之ヲ伸縮スルコトヲ得 第弐条 一 議員ノ席次番号ハ改撰期毎ニ籤ヲ以テ之ヲ定ム 第三条 一 議事中議員ノ退席ハ其事故ヲ告ケ議長ノ許可ヲ得ヘシ 第四条 一 議員ノ内事故アリ出席スルヲ得サル時ハ開会時限ニ先チ其事由書面ヲ以テ議長ニ届出ツ可シ 第五条 一 議事中議員相私語シ或ハ吸烟シ其他議事ヲ妨クルノ挙動アルコトヲ許サス 第六条 一 議事中ハ姓名ヲ呼ハスシテ議長又ハ何番議員ト呼フヘシ 第七条 一 議事中議題外ニ起リタル総テノ事件ハ議長之ヲ決シ或ハ会議ノ決ヲ取ルヘシ 第八条 議事 一 通常会ニ於テ議員ヨリ意見書ヲ出ス時ハ戸長之ヲ正ニ議ス可キ者ト認ルニ於テハ会議ノ議案ト為スコトヲ得 但意見書ヲ出スハ少クモ開会当日ヨリ三日以前トス 第九条 一 議事ヲ開クトキハ議長ハ書記ヲシテ議案ヲ朗読セシム可シ 第拾条 一 議事ハ左ノ数次会ヲ経ルモノトス 第一次会 本会ハ議案ノ大意ヲ議シ可決スルトキハ第二次会ヲ開クヘシ 第二次会 本会ハ前会ニ可決シタル議案ヲ逐条審議シ毎節議決シ畢レハ第三次会開クヤ否ヲ議定スヘシ 第三次会 本会ハ前会ニ可決シタル全案ニ就キ可否ヲ議定スヘシ 第拾壱条 一 議事前議長ハ先ツ其主意ヲ予メ演説シ衆議員ハ其意味解得ナサヾル時ハ資問ノ上了解シテ発議ス可シ 第拾弐条 一 議題了ラサル間ハ他ノ議題ニ発言スルヲ得ス 第拾三条 決議 一 可否ヲ決スルノ法ハ起立シテ議長之ヲ定ムヘシ 第拾四条 一 動議ハ原案ニ先チ可否ヲ決ス可シ最モ原案ト大ニ異ナルヲ以テ先トシ順次決ヲ取ル可シ 第拾五条 一 討論審議中ト雖モ議長ニ於テ論旨既ニ尽キタリト認ルトキハ之ヲ会議ニ問ヒ其議題ノ決ヲ取ルコトヲ得 右者本年六月本県甲第五拾弐号ヲ以テ村会規則御布達ニ拠リ則チ前条之通議事細則議決候ニ付此段御届及候也 明治十七年七月 橘樹郡大豆戸村外七ケ村 戸長 池谷義広 神奈川県令 沖守固殿 (「干職必携」飯田助丸氏蔵) (注)山口匡一氏所蔵資料に同様のものがある。 八九 町村会に関する高座郡長代理の訓示および同郡橋本村三か村戸長の上申書(一-二) (一) 高庶第千五百廿四号 戸長 町村会及連合会ニ関シ県令ヘ処分ヲ請ヒ若クハ伺届等ノ諸公文書ハ総テ郡役所ヲ経由スヘキハ勿論タルヘシ 議員ノ辞職又ハ資格ヲ失ヒ及満期改撰等更迭ノ節ハ其都度退職就職トモ族籍氏名ヲ具シ郡役所ヘ届出ヘシ 町村会議員撰挙人被撰人トモ本籍寄留ヲ不問儀ト心得ヘシ 明治十四年二月本県甲第三十号布達第壱項ニヨリ会議開閉時日場所ヲ具シ郡役所ヘ届出ヘシ 但臨時会ヲ要スルトキハ規則第廿八条但書ノ通タルヘシ 会議ニ当リ戸長ハ議按ノ旨趣ヲ弁明スルトキハ議長ノ席ヲ退キ番外席ニ就キ説示スヘシ 右為心得訓示候事 明治十七年八月十九日 高座郡長今福元頴代理 高座郡書記 伴野淳蔵 (「訓第四号四冊之内高座郡役処達」(明治一七年―)相模原市史資料室蔵) (二) 上伸 右ハ規則ニヨリ郡下相原村外三ケ村々会議員人名本郡衙ヲ経由本県ヘ届出方去ル十一日別紙届書ヲ以進達候然ルニ相原村ノ儀村会議員七名ナル所規則第六条ノ主意ニ違背スル趣ニテ壱名減員スベキ云々ヲ以該届書ハ本郡庶務懸ヨリ返戻セラル畢竟其六条ノ解釈疑義ヲ起生スルニ付該六条ニ対シ其筋ノ御内示モ有之候ハヽ明知致度趣ヲ以庶務懸ヘ質義候所当懸ノ通知信認セサレハ随意本県ヘ申出ベク云々通牒セラレタリ抑町村会規則第六条ヲ熟視スルニ単ニ戸数ニ従ヒ之ヲ定ムルモノト有之是ニ依テ之ヲ視ルニ相原村ノ如キハ二百廿戸ナルヲ以テ議員七名ヲ選定スルモ敢テ御規則ニ触ルヽモノニ無之モノト信認候ニ付目下会議ニ差逼リ居候間別紙村会議員及ヒ連合会議員共直接本県ヘ届書相添併テ理由開伸候間若シクハ町村会規則第六条ニ抵触ノ点モ有之候ハヽ至急明瞭ノ御訓示奉仰候也 明治十七年八月廿六日 高座郡橋本村外三ケ村 戸長 原清兵衛 神奈川県令 沖守固殿 (「諸願届開申綴込」(明治一七年―)相模原市史資料室蔵) 九〇 橘樹郡下学区連合町村会関係文書(一-五) (一) 神奈川町外一ケ町学区外四学区連合町村会議事細則本郡役所ヨリ交付相成候間別紙之通謄写御回送申候也 十八年五月十五日 大豆戸村外七ケ村 戸長役場(印) 高等科連合会議員 飯田快三殿 (別紙) 神奈川町外一ケ町学区外四学区連合町村会議事細則 議場整理 一 会議ハ午前九時ニ始メ午後三時ニ終ル 但時宜ニ依リ議長之ヲ伸縮スルコトヲ得 一 議員ノ席次番ハ改撰期毎ニ籤ヲ以テ之ヲ定ム 一 議事中議員退着席ハ議長ノ許可ヲ得ヘシ 一 議員ノ内事故アリテ出席スルヲ得サルトキハ開会時限ニ先タチ其事由ヲ議長ニ届出ヘシ 一 議事中議員相私語シ或ハ吸煙シ其他議事ヲ妨クル挙動アルコトヲ許サス 一 議事中ハ姓名ヲ呼ハスシテ議長及ヒ何番ト呼ベシ 一 議事中議題外ニ起リタル総テノ事件ハ議長之ヲ決シ或ハ回議ノ決ヲ問フヘシ 議事 一 議事ヲ開クハ議長ハ書記ヲシテ議案ヲ朗読セシムヘシ 一 議事ハ左ノ数次会ヲ経ルモノトス 第一次会 本会ハ議案ノ大意ヲ議シ可決スルトキハ第二次会ヲ開クヘシ 第二次会 本会ハ前会ニ可決シタル議案ヲ逐条審議シ毎節議決シ畢レハ第三次会ヲ開クヤ否ヲ決スヘシ 第三次会 本会ハ前会ニ可決シタル全案ニ就キ可否ヲ議定スヘシ 発言 一 発言セントスルモノハ先ツ起立シテ議長ト呼ヒ之ニ向ヒ弁論問答スヘシ若二人以上同時ニ起立スルトキハ議長其一人ヲシテ発言セシム 一 議題了ラサル間ハ他ノ議題ニ付発言スルヲ得ス 一 議論冗長ニ渉リタルト認ムルトキハ議長ハ之ノ発言ヲ中止スルコトヲ得 決議 一 可否ヲ決スルノ法ハ起立又ハ投票ヲ用ヒル等便宜議長之ヲ定ム 一 動議ハ原案ニ先チ可否ヲ決スヘシ (二) 『橘第九十二号』 南綱島村外七ケ村学区 神奈川町外一ケ町学区外四学区連合町村会議員左之通当撰相成候条此旨告示候事 明治十八年五月廿二日 橘樹郡長 松尾豊材 神奈川町 鈴木正次 青木町 小林彦四郎 鶴見村 佐久間亮義 子安村 宮森清実 大豆戸村 椎橋宗輔 北綱島村 飯田快三 北寺尾村 滝川和助 東寺尾村 持丸兵輔 下管田村 小川勢三郎 小机村 小島祐定 (三) 『橘第一二二号』 神奈川町外一ケ町学区外四学区 連合町村会議員 神奈川町外一ケ町学区外四学区連合町村会議事細則為議定本月十二日神奈川学校ニ於テ連合町村会開会候条当日午前第八時同校ヘ参着可致候旨相達候事 明治十八年六月九日 橘樹郡長 松尾豊材 前書之通達相成候間当日時間無遅滞御出頭相成度此段御通知およひ候也 十八年六月十日 戸長役場(印) 高等科連合学区議員 飯田快三 (四) 『橘第一三九号』 神奈川町外一ケ町学区連 合町村会議員 神奈川町外一ケ町学区外四学区連合町村会議事細則左記之通認可相成候条此旨及通達候也 明治十八年六月廿四日 橘樹郡長 松尾豊材 議事細則議決上申書 神奈川町外一ケ町学区外四学区連合町村会議事細則別紙之通議決候間御認可相成度此段上申候也 明治十八年六月十三日 橘樹郡長 松尾豊材 神奈川県令 沖守固殿 『庶第六百八十号 書面議事細則認可候事 明治十八年六月二十三日 神奈川県令 沖守固』 (注)前掲。 (五) 『橘庶第一〇八八号』 神奈川町外一ケ町学区外四学区 戸長役場 連合町村会議員 一 神奈川町外一ケ町学区外四学区連合明治十七年度教育費予算議案三部 一 同断明治十八年度教育費予算議案三部 右一部宛及交付候条会日携帯出頭可有之此旨相達候事 明治十八年六月廿三日 橘樹郡役所 『橘第一三七号』 神奈川町外壱ケ町学区外四学区 連合町村会議員 神奈川町外壱ケ町学区外四学区明治十七年度教育費及ヒ十八年度教育費為議定本月廿六日神奈川学校ニ於テ学区連合町村会開会候条同日午前第九時同校江参着候様可致此旨相達候事 明治十八年六月廿四日 橘樹郡長 松尾豊材 神奈川町外一ケ町学区外四学区連合町村会明治十七年度教育費予算及其他議案 甲号 一金拾弐円 教育費 内金拾弐円 書籍器械費 乙号 一金四円拾銭 会議費 内金六拾銭 俸給 内金六拾銭 書記給料 金五拾銭 雑給 内金五拾銭 臨時雇給 金三円 諸費 内金三円 消耗品 丙号 一金拾弐円 教育費 一金四円拾銭 会議費 計金拾六円拾銭 内訳 一金拾六円拾銭 是ハ明治十八年一月一日調神奈川町外一ケ町学区外四学区学齢人員何百人ヲ率トシテ各町村負担額ヲ定メ其賦課徴収方法ハ各町村会ノ評決ニ任ス 但徴収期ハ何月何日トス 丁号 一 神奈川学校ヲ高等科ト定メ高等科生徒授業料ハ一ケ月一人ニ付金弐拾五銭ト定メ而シテ該通学生徒ヨリ直接之レヲ受取ルモノトス (「関議事類」(明治一八年)飯田助丸氏蔵) 九一 高座郡下の維新前諸会議の有無等に関する取調の件達 (一) 高庶第千五十八号 別紙記載之諸項至急調査ヲ要スル義有之候ニ付取調之義本県ヨリ照会有之候条速ニ御取調来ル十五日会同之際無相違御携帯有之度郡長ノ命ニ依リ此段及御通牒候也 明治十八年五月八日 高座郡役所庶務課 戸長役場御中 (二) 五月廿二日 高庶第千四十一号 維新前町村ニ於テ相談会又ハ寄合ノ如キ会議ノ設ケアリヤ否等左ニ列記ノ条項詳細取調之義本県ヨリ照会有之候間取調ノ上各項目ニ依リ書類ヲ要スルモノハ之ヲ添ヘ所見ヲ付セラレ来ル廿五日迄ニ当衙ヘ可差出此段相達候也 但該項目中秘密ヲ要スルモノモ有之候ニ付其辺注意可致候也 明治十八年五月十九日 高座郡長 今福元頴 戸長 桐生増兵衛殿 取調条目 第一 維新前町村ニ相談会又ハ寄合等ノ如キ会議ノ設ケアリシヤ其慣例ハ如何 第二 右会議ニ何等ノ者出席シタルヤ 第三 又同会議ニ於テハ何等ノ事項ヲ議定シタルヤ 第四 同会出席人貧富ノ差ニ依リ自ラ議決上ニ勢力ノ等差アリタルカ 第五 現今ノ区町村会議員ハ地租収納者ニ限ルノ成規ナルニ之ヲ維新前ノ議員ニ比スレハ其出席権利上ニ不平均アルカ又其不平均ノ条件 第六 区町村会ノ景況及創立以来ノ盛衰 第七 同撰挙権アルモノハ悉ク自ラ進テ投票スルカ将タ官ヨリ督促スルカ 第八 同上ノ権利アル者ニテ投票ヲ為サヽル者アルカ又ハ此等人員ハ漸次減少ノ勢ナルカ 第九 当撰ヲ辞スル者数多之レアリヤ此等人員ハ漸次減少ノ勢ナルカ 第十 同会ノ設アルカ為メ行政上便宜不便宜ノ条件 第十一 区町村会ニ於テ議決シタル費金ヲ以テ挙行スル事項ノ細目第十二 連合区町村会ノ有無及其議案 第十三 租税徴収事務ハ戸長役場諸事務ノ大部分ニ居ルカ若シ此徴収事務ヲ引離ストキハ余程閑ニ帰スヘキ見込カ 第十四 管内重ナル神社仏閣参詣人ノ盛衰〔但現今ノ実況〕 (「訓第五号高座郡達書」(明治一八年)相模原市役所蔵) 九二 高座郡上草柳村下草柳村連合会議事細則認可伺 高座郡上草柳村下草柳村連合会議事細則伺 議場整理 一 会議ハ午前九時ニ始メ午後三時ニ終ル 但時宜ニヨリ議長之ヲ伸縮スルコトヲ得 一 議員ノ席次番号ハ改撰ノ期毎ニ籤ヲ以テ之ヲ定ム 一 議事中議員ノ退着席ハ議長ノ許可ヲ得ベシ 一 議員ノ内病気其他ノ事故アリテ出席スルヲ得ザルトキハ開会時限ニ先タチ該事由ヲ議長ニ届出ベシ 一 議事中議員相私話シ或ハ吸烟シ其他議事ヲ妨クルノ挙動アルヲ許サズ 一 議事中ハ各自姓名ヲ呼ハスシテ議長又ハ何番議員ト呼ベシ 一 議事中議題外ニ起リタル総テノ事件ハ議長之ヲ決スベシ 議事 一 議事ヲ開ク時ハ議長ハ書記ヲシテ議案ヲ朗読セシムベシ 一 議事ハ左ノ数次会ヲ経ルモノトス 第一次会 本会ハ議案ノ大意ヲ議シ可決スル時ハ第弐次会ヲ開クベシ 第二次会 本会ハ前会ニ可決シタル議案ヲ逐条審議シ毎節議決畢レハ第三次会ヲ開クヤ否ヲ決スベシ 第三次会 本会ハ前会ニ可決シタル全案ニ就キ可否ヲ議定スベシ 発言 一 発言セント欲スル者ハ先ツ起立シテ議長ト呼ヒ之ニ向ヒ弁論問答スベシ若シ弐人以上同時ニ起立スルトキハ議長其壱人ヲシテ発言セシム 一 一議題了ラザル間ハ他ノ議題ニ就キ発言スルヲ得ス 決議 一 可否ヲ決スルノ法ハ起立又ハ投票ヲ用ヰル等便宜議長之ヲ定ムベシ 一 動議ハ原案ニ先タチ可否ヲ決スベシ 右ハ明治十七年本県甲第五拾弐号区町村会規則第五条之明文ニヨリ当上草柳村下草柳村弐ケ村連合会議事細則前記之通リ連合会ノ議決ヲ得候間御認可相成度此段奉伺候也 明治十九年五月三日 高座郡下鶴間村外三ケ村 戸長 富沢豊治郎(印) 神奈川県令 沖守固殿 (「指令綴」(明治一七―一八年)大和市役所蔵) 第二節 県会関係 九三 県会議員選挙に関する愛甲郡長の伺案 県会議員撰挙ノ儀ニ付伺案回議 今般郡区制定ニ際シ首トシテ郡長ヲ挙ラレ尋ニ郡書記ニ及支邨戸長撰任ノ事ニ至ル是此順序自ラ然ラサルヲ得サルモノト雖〓ニ一ノ顧慮仕ルヘキモノアリ県会議員則チ其人ナリ地方相当ノ人材ヲ撰抜スル已ニ前顕ノ順序ヲ以テス至大ノ責任何人ニ担任セシムベキヤ之ヲ銕中ノ錚々ニ撰フモ恐ラハ其人ヲ得ルニ難カラン若然ラハ大事ノ県会モ徒ニ虚飾ニ属シ其効迹ヲ見ル能ハサルヘシ如斯ハ今般地方治勢一大改革ノ御主意ニモ抵触致スヘキカト思慮仕候依テ先県会議員ヲ撰抜シ議員ニ撰定セハ各自其議スヘキ条款ニ就キメ思慮スヘキ猶予ヲアタフル見込ニ御座候予而シテ戸長撰挙ニ及ヒ度右ハ別紙ノ通リ旧戸長副ヨリ伺出候義モ有之目下切迫ノ事件ニ付至急何分ノ御指令有之度此段相伺候也 明治十一年十二月廿一日 愛甲郡長 中山信明 神奈川県令 野村靖殿 (「指令伺綴」大矢ゑひ氏蔵) (注)別紙欠。 九四 県会議員選挙人被選挙人名簿編制心得 乙第百八拾四号 郡区役所 県会議員撰挙可致候就テハ被選人并選挙人名簿別紙ニ照準至急編制致シ調製次第其旨可届出此旨相達候事 明治十一年十二月廿三日 神奈川県令 野村靖 (別紙) 被選人名簿編制心得 一 被選人名簿ハ各郡区役所ニ於テ調製スヘシ 一 被選人ヲ調査スルハ府県会規則第十三条ニ照シ抵触スル所無キモノヲ左ノ雛形ノ如ク記名シ本人ヲシテ調印セシムヘシ 但年齢ハ明治十二年二月ヲ以テ計算スヘシ 某郡区某町村何番地 何之誰 美濃紙八ツ切 何年何月何日生 明治十二年二月何年何ケ月 一 名簿ハ西ノ内竪帳ニ製シ半葉ニ右ノ名刺四枚ヲ貼付シ其結尾ニ郡長及之ヲ担当シタル書記記名調印スヘシ 一 被選人名簿ハ議員ノ補欠等々要用ニ付左ノ異動アル毎ニ必ス加除訂正スヘシ 転居及他郡区入送籍 死亡失踪 府県会規則第十三条ニ抵触ヲ生スル者 新ニ同条ニ適スル者年齢不足ナル者二十五年ニ満チ納租拾円以下ナル者拾円ニ満チ身代限処分ヲ受シ者弁償ヲ終ヘ他府県ヨリ転籍ノ者三年ニ満チシ等ノ類ヲ云 一 地租ヲ納ムルノ額其郡区外ニ在テ調査シ難キモノハ他郡区ヘ照会シ或ハ県庁ノ納租簿ヲ閲スル等ノ処分ヲ為スヘシ 一 被撰人名簿ハ他郡区ヘモ通シテ用ユルモノニ付他郡区ヨリ借覧ヲ望ムトキハ何時モ差支ナキノ便宜ヲ為シ置ヘシ 撰挙人名簿編制心得 一 撰挙人名簿ハ各郡区役所ニ於テ調製スヘシ 一 撰挙人ヲ調査スルハ府県会規則第十四条及第十三条中ノ第一第二第三項ニ抵触スル所ナキ者ヲ左ノ雛形ノ如ク記名シ本人ヲシテ調印セシムヘシ 某郡区某町村何番地 何之誰 何年何月何日生 明治十二年二月何年何カ月 一 名簿ノ用紙及其調製方ハ被撰人名簿ト同シ 一 撰挙人名簿ハ議員補欠等時々要用ニ付其異動アル毎ニ加除訂正シ及其郡区外ニテ地租ヲ納ムル者取調方等ハ総テ被撰人名簿心得ニ準拠スヘシ (神奈川県布達) 九五 第一回県会議員選挙区と定数 庶〔甲第二十七号〕 本年ヨリ県会開設候就テハ県会議員初度選挙ノ員数左ノ通相定候条明治十一年七月第十八号公布府県会規則ニ依リ本月中ニ選挙会可相開此旨布達候事 但選挙期日及会場等ハ郡区長ヨリ可相達儀ト可心得事 横浜区 五人 橘樹郡 四人 久良岐郡 弐人 都筑郡 弐人 西多摩郡 三人 北多摩郡 三人 鎌倉郡 弐人 足柄上郡 弐人 大住郡 三人 愛甲郡 弐人 南多摩郡 四人 三浦郡 四人 高座郡 四人 足柄下郡 三人 淘綾郡 弐人 津久井郡 弐人 (神奈川県布達) 九六 県会議員公選反対建言書 県会議員公撰不可之建言 御管下高座郡福田村平民農山下康哉薫沐敲頭謹而書ヲ神奈川県令野村公之虎皮下ニ奉ジ公則恐レヲ顧ミズ県会議員民撰不可ノ議ヲ呈シ伏テ命ヲ左右ニ請フ夫レ県会議員ノ任タルヤ極メテ重ク上ハ以テ朝旨ヲ遵奉シ下ハ以テ土地ノ形勢人民ノ情態ヲ明察シ其人トナリ大公至平ノ道ヲ尽シ敢テ暴慢雷同等ノ挙動ナク其論議中聊カ一点ノ私議ヲ挾ム等ノ癖ナク其論ズベキ所洋々平気言語温和ニシテ其ノ理ノアルベキヲ弁説シ其ノ服スベキハ虚心公平ノ心ヲ以テ之レニ服スルコト恰モ影ノ物ニ従フガ如ク敢テ一身ノ謀功ヲナサズ勉メテ人民ノ安寧ヲ計リ以テ職ニ斃ルヽノ剛志ナカル可ラズ如斯ノ人ヲ得テ始メテ一県内ノ人民ヲシテ泰山ノ泰キニ置クコトヲ得ンヤ是ヲ以テ論ズレバ県会議員ノ任タル其重キコト郡区長ノ右ニ出ルト雖トモ亦不可ナカルベシ如何トナレバ郡区長ノ任重シト雖トモ若シ其人ヲ得ザルモ其不幸一郡区ニ止ル苟モ県会議員其人ヲ得ザレバ一県内人民ノ不幸ニシテ其患フベキ亦更ニ大ナリ鳴呼県会議員ノ任亦重乎重矣其任既ニ重ケレバ則チ之レヲ挙撰スルノ道モ亦難カラザルヲ得ズ然ラバ其ノ之ヲ撰挙ス者モ亦同心協力極メテ公平ノ心ヲ以テ敢テ親疎恩讎ノ心ヲ嵌シ以テ其ノ道ヲ私スベカラズ必ズヤ其撰挙セント欲スルノ人ハ平素何等ノ説ヲ吐キ何等ノ㕝業ニ従事シ或ハ百折撓マズ老錬明識ノ験アルヤ否又其ノ目的トナス処何等ノ方向ニ其ノ心鉾ノ向フヤ至公平準ヲ要スルヤ任当事理ニ適実スベキヤ否ヤヲ洞察シ以テ之レヲ撰挙スルニアラザレバ必ズヤ挙々失スルノ患アルベシ然リ而シテ今ヤ我国上ニ英明ノ君アリ下ニ赤心ノ臣アツテ以テ能ク治道ヲ興隆ナラシムト雖トモ維新日尚未ダ浅キノ故ヲ以テ乎将タ七百余年封建圧抑ノ余弊未ダ全ク洗除セザルノ故乎都会ノ人民既ニ智且ツ開化ニ進ムト雖トモ僻邑ノ住民ニ至リテハ未ダ甞テ旧物ヲ改メス父以テ其子ニ教ユルヲ知ラズ子以テ其父ヲ養フヲ知ラザル多シ况ンヤ天下ノ大法ニ於テヲヤ况ンヤ欧米文明ノ意ニ基キ此ノ会議ヲ発クノ趣意ニ於テヲヤ未ダ其ノ味ヲ啜ラザルモノ十ノ半ニ過グベシ如斯キノ人智ヲ以テ重任ヲ負担スル如斯キノ議員ヲ撰挙スル未ダ挙々ヲ失フ患ナシト言フベカラズ康哉夙ニ之ヲ患ヒ以テ人ニ語ル或人曰ク議員ヲ撰挙スル民撰ヲ以テ之ヲナス欧米諸国皆然リ然ルヲ子独リ之ヲ患フ何ゾヤト余亦答テ曰ク議員ヲ撰挙スル民撰ヲ以テ之ヲナス固ヨリ理義相適シ誠ニ良法ト言ツベシ然レドモ人民開化ノ等級ニ随ヒ亦大小㕝ノ区別ニヨリ物事平準ヲ要スルト要セザルアリ今ヤ欧米ヲ以テ規矩トナス可ラズ試ミニ観ヨ欧米諸国ノ良法ヲ以テ俄カニ亜非利加南部ノ野蛮国ニ施行セバ果シテ行ハルヤ否ヤ我断シテ其ノ施行ノ難キヲ知ルナリ今ヤ我国人智ノ等級素ヨリ亜非利加南部ノ民ト日ヲ同フシテ語ル可カラサレトモ之ヲ欧米諸国ノ民ニ較スルニ至リテハ亦日ヲ同フシテ語ル可ラズ故ニ其ノ良法ト雖トモ今俄カニ之レヲ我国ニ施行ス可ラズ之レヲ余ノ民撰ヲ可トナサズシテ却ツテ官撰ヲ可トナス所以ナリ亦問フ其ノ郡区内ニ施テ地租五円以上納ムルモノヲシテ其ノ府県内ニ本籍ヲ定メタル地租十円以上納ムルモノ議員タルヲ得ベキノ公布モ之レ有リ然ル所ノ現今納租人御調査ノ法適実スル能ハズ哉ト余モ亦然リ故ニ其ノ素志ヲ閣下ニ奉通スル所以ナリ鳴呼閣下ハ民ノ父母ナリ民ノ父母ナリ矣希クハ下情御洞察アリテ英邁ノ活眼ヲ以テ抜擢アラシムレバ果シテ挙々失フノ患ナキ矣乎然ルトキハ管下一区十四郡ノ人民安危隆替ノ満足スルノミナラズ其ノ盛ナルコト果シテ他県ニ甲タル可シ之レ子ノ聊カ国家ヘ志ヲ尽ス所以ナリ然レトモ余ヤ素ヨリ僻邑ノ一小農未ダ甞ツテ文字ニ長セズ筆ニ意ヲ尽スコト能ハズ其ノ文体ニ礼ナク言語ニ不遜ノ語アルヤ必セリ矣憐レ願クハ県令其ノ文礼ナキト言語ノ不遜ヲ責メズ正明寛大ノ意ヲ垂レ賜ヒ幸イニ取ルベキアラバ請フ一度余ヲ閣下ニ招キ給ハンコトヲ余モ亦門下ニ敲頭シテ自ラ其ノ愚志ヲ弁ズルコトヲ得ン予何ヲ以テカ之レニ過ギンヤ康哉昧死伏テ斧鉞ノ誅ヲ待ツ 恐惶頓首 明治十二年二月七日 山下康哉 神奈川県令 野村公閣下 (桜井栄一郎氏蔵) 九七 県会議員選挙資格に関する件伺議員選挙ニ付伺 本月五日本県乙第三十号ヲ以議員選挙会取扱方心得御達中第六項「議員及ヒ選挙人トナルヲ得ヘキ者其所有地ヲ質入書入トナスモ所有権ヲ移転スルニ非サルヲ以仍ホ議員及ヒ選挙人トナルノ権ヲ失フコトナシ」ト右御達ニ拠レハ他ニ地所ヲ質入ト為シ現ニ地租ヲ納メサルモノト雖モ所有権ヲ有スルモノハ仍ホ議員及ヒ選挙人トナルヲ得ルカ如シ果シテ然ラハ太政官第十八号府県会規則中地租十円以上ヲ納ムル者ニ限ルトノ成文ニハ聊カ支齬ヲ覚エ候抑モ該成文ノ深意ハ明解スル能ハスト雖モ蓋シ資力アル者ニ非レハ衆庶ノ信用モナク随テ世安ヲ図リ公益ヲ務ムルニ堪エサルヨリ成立候儀ト被考候而シテ本県御達所有権ヲ移転スルニ非サルヲ以テトアルヲ視レハ地所ヲ質入ト為スモ夫レカ為メ其権利ヲ失却セシ者ニ非スト云フヨリ成立シモノヽ如シ然レトモ地所ヲ質入ト為セシ者ハ資力アルモノトハ見做シ難シ若資力ナキモノモ議員及ヒ選挙人トナルヲ得ルトナレハ地租十円以上納ムル者ニ限ルトアル御成規ハ実施スルコト能ハサルカ如シ右ハ目下被選挙人名簿モ整理シ議員選挙会ヲ開設スルニ際シ疑団ヲ生候間至急御指揮相成度此段御伺候也 明治十二年二月 郡長名 神奈川県令 野村靖殿 (「草稿綴」(明治一二年)山口匡一氏蔵) 九八 議事傍聴心得書 議事傍聴心得 第壱条 会議ヲ傍聴スル者ハ必ス傍聴牌ヲ齎スヘシ傍聴牌ハ一日限リ之ヲ収ムヘシ 第二条 傍聴牌ハ其日開会ニ先テ議事堂受付所ニ至リ名刺ヲ出シ之ヲ乞フヘシ 第三条 会議ヲ傍聴スル者ハ静粛ヲ主トスヘシ互ニ語ヲ接シ又ハ喫煙スルヲ得ス若シ規則ニ従ハス議長ニ於テ議事ノ妨ケヲ為ス者ト見認ムル者ハ書記ニ命シテ之ヲ退去セシムヘシ 右之条々確守可致事 明治十二年第八月四日  正副議長 (桜井栄一郎氏蔵) 九九 県令公選に関する建議草稿 明治十五年 県令公撰ノ建議草稿 伏シテ惟ミルニ政ヲ施スハ人民ノ便利ヲ謀ルヨリ要ナルハ莫ク制ヲ設クルハ衆庶ノ情意ニ適スルヨリ先ナルハ莫シ今ヤ熟々県下人民情意ノ在ル所ヲ顧ミルニ自治ノ気風大ニ山野ニ伝播シ依頼ノ習俗稍ク閭巷ニ消減スルモノヽ如シ其将サニ盛ンナラントスル自治ノ気風ヲ振作シ其将サニ衰ヘントスル依頼ノ習俗ヲ掃蕩シ上ミ大政府ノ施政ニ便シ下モ衆庶民ノ情意ニ適セシムル是本会議員ノ職分ナリ府県会規則第一章ノ明条ヲ奉シ事大ニ県治ノ利害ニ関スルモノアルヲ以テ謹テ書ヲ裁シテ閣下ニ建議ス 凡ソ物利アレハ則チ害之ニ伴フ况ヤ政ヲ施シ制ヲ設クル必其時ト其勢トニ従ヒ利害得喪其効ヲ異ニスルモノヲヤ中央集権ノ論地方分権ノ説是レ曽テ朝野ヲ動カシタル天下ノ一大問題ナリ中央集権利害アリ地方分権得喪アリ集権ノ論末タ必シモ害アルニ非ス分権ノ説豈必シモ利アルノミナラン葢シ封建割拠ノ世天下常ニ尾大不掉ノ勢アリ故ニ矯ムルニ中央集権ノ道ヲ以テス是大政府カ維新ノ初ニ方リ三百年来覇府諸侯ノ久ク私セシ土地人民ノ所有ト其擅ニセシ刑政兵馬ノ権柄トヲ収攬シテ大小三百ノ列藩ヲ挙ケテ一掃シ尽セシ所以ナリ此時ニ当テ天下唯施政ノ画一ナラサランコトヲ是憂フ故ニ出テ府知事県令トナルモノ皆中央政府ノ権リニ官撰ヲ以テ之ヲ命シ其土地人民ヲ治シム既ニ其弊ヲ矯矣政令ノ其揆ヲ一ニシ大権ノ中央ニ集マルヤ日アリ今ニシテ而テ其制ヲ更メサレハ従テ生スルノ幣害又浅少ニアラス天下ノ大勢已ニ定マリ集権ノ幣害将サニ成ラントスルニ際シ人民自治ノ気風ハ反テ其間ニ長シテ依頼ノ習俗稍此中ニ消スルヲ見ル地方分権ノ今日ニ急要ナル又何ヲ疑ハン 抑モ分権ナル者ハ則チ地方長官ノ特権区域ヲ拡充スルノ謂ヒニシテ苟モ其特権区域ヲ拡充セハ大政府ハ忽チ地方ノ政治上大ニ煩ヲ省クノ便ヲ得ルハ智者ヲ俟テ而テ知ルニ非ルナリ煩ヲ省テ簡ニ就ク唯大政府ノ事務ヲ減ルノミナラス之カ地方人民タル者欣然産ヲ殖シ勃然業ヲ興シテ其生計ノ度ヲ進メ其快楽ノ情ヲ暢ヘ転タ教育ノ進歩ヲ促シ又益々政治ノ思想ヲ発達スルニ至ラン分権ニシテ行ハルレハ分財又従テ地方ニ併行スルヤ必セリ顧テ本邦今日ノ景状ヲ観察スルニ天下ノ貨財百物皆中央首府ニ麕集シテ地方ノ零落日ハ日ニ衰ヘ年ハ年ヨリ微ナリ歳豊ニシテ傖父顔ニ菜色アリ冬暖ニシテ山妻肌尚寒シ結局遂ニ今日ノ極ニ陥リ言フニ忍ヒサルノ惨状ヲ呈ス其循環融通ノ利ヲ得サルヤ年々歳々地方ノ膏血ヲ他ノ中央首府ニ輸出シ去テ天下ノ富ヲ挙テ以テ東京ノ文明ヲ装飾スルニ至ル而テ其然ルヲ致ス所以ノモノ又集権ノ余弊ニアラサルハナシ噫又恤マサル可ンヤ地方ノ衰態已ニ此ノ如シ山野ノ惨状又此ノ如シ而テ今日人民ノ尚ホ因テ以テ僅カニ自ラ存ルコトヲ得ルモノ唯幸ヒニ此年ノ豊穣ト米価ノ騰貴トニ頼ルノミ加フルニ客歳ニ至ル迄ニテ第四十八号ノ公布アリ令一度出テ賦税忽チ倍ス而テ下民ノ翕然トシテ其令スル所ニ服シテ敢テ或ハ義務ヲ尽スニ怠ラサルモノ豈他アランヤ大政府明カニ示スニ地方政務改良ノ聖意ヲ以テスレハナリ夫レ地方長官ノ職タル掌裡其管内人民ノ安危休戚ヲ握ルモノナリ其官ヲ命シ其職ヲ任スル関スル所大ニシテ且重シ公撰ハ正ナリ官選ハ権ナリ権豈久シク正ヲ犯スヘケンヤ寰宇大矣土壌広矣山川地形ヲ同クセス海陸民業自ラ殊ナリ地形同シカラス民業已ニ殊ナレハ風俗人情亦従テ別異ナキ能ハス風俗ノ別ナル同一ノ政ヲ施ス可カラス人情ノ異ナル亦均一ノ制ヲ設ケ難シ凡ソ州県ノ治ニ為スモノ画一制度ノ不可ナル固ヨリ言ヲ俟タス今日ノ地方長官タルモノ皆才智学識ヲ備ヘ能ク其事ニ幹タルニ堪ユルノ人材ニシテ然モ亦実際ノ経験ニ富メル老練卓見ノ良士ニ非ルモノナシ然リト雖モ関東ノ士来テ関西ノ地ヲ治メ西州ノ人往テ東土ニ牧タリ故ニ其人情ニ通セス其風俗ニ達セサルヲ以テ施スヘカラサルノ政ヲ施ス可ラサルノ地ニ施シ設クヘカラサルノ制ヲ設ク可ラサルノ国ニ設ケ動モスレハ輙チ其政ヲ施スヤ信シテ以テ便トスル所ニシテ反テ人民ノ不便ヲ招キ其制ヲ設クルヤ視テ以テ利トスル所ニシテ反テ衆庶ノ不利ヲ惹クモノアリ况ヤ其僚属又多ク異郷ノ人士ヲ用フルヲヤ本県幸ヒニ未タ曽テ此弊アラスト雖モ将来焉ソ永ク良県令ヲ得ルコト今日ノ如クナルヲ保セン又焉ソ終ニ其弊ナキヲ知ランヤ中央集権ノ弊彼レカ如ク地方ノ民情又此ノ如シ今日地方分権ノ利ニシテ県令公撰ノ正ナル地方政務ノ改良之ヲ措テ他ニ亦急要ナルモノアルヲ見ス然ハ則チ之ヲ条理ニ問フモ我政府ハ実ニ地方分権ヲ許サルヽノ理アリ之ヲ事情ニ照スモ我県民寔ニ県令ヲ公撰スヘキハ道アリ是本会カ深ク県民実際ノ情状ヲ観察シテ敢テ之ヲ閣下ニ建議スル所以ナリ幸ヒニ採択ヲ賜ハヽ県下人民ノ幸福ナルノミナラス政府又一地方ノ施政ヲ改良シ事務又従テ其煩ヲ省スル所アラン閣下冀クハ明鑑ヲ垂レヨ 再拝謹白 (添田茂樹氏蔵) 第三節 県行政と民情 一〇〇 言論集会等取締に関する件達(一-五) (一) 甲第百七十二号 本年七月本県甲第百六号ヲ以テ演説会ヲ開ク者ハ其都度許可ヲ経テ施行可致旨布達候処自今政談講学ヲ目的トシ演説若クハ論議等ノ為集会候節ハ左ノ通相心得可届出此旨布達候事 但現今許可ヲ経開場ノ分ハ本文ニ準シ更ニ又可届出事 明治十一年十二月二十日 神奈川県令 野村靖 第一条 凡政談講学ヲ目的トシ衆ヲ集メテ演説若シクハ論議スル者ハ予メ会主及ヒ会員三人以上ノ連名ヲ以テ其所管警察署ニ届書ヲ出ス可シ 但定日時ナキ者ハ開会ノ日ヨリ少クトモ三日前ニ届書ヲ出ス可シ 第二条 届書ニハ会合ノ趣意場所及定日時又ハ定日時ナキ事及会主ト会員三人以上ノ住所属族姓名ヲ明細ニ記載スヘシ 甲第百七十五号 本年十二月本県甲第百七十二号ヲ以テ政談講学ヲ目的トシ演説若クハ論議スル会場ヲ開設セントスル者ハ所轄警察署エ可届出旨布達候ニ付テハ右会場エ警察官吏監臨候条為心得此旨布達候事 明治十一年十二月廿三日 神奈川県令 野村靖 甲第弐百三拾号 諸新聞並ニ雑誌類読売候儀自今禁止候条此旨布達候事 明治十二年十二月廿七日 神奈川県令 野村靖 (二) 甲第八十五号 本年四月第十弐号ヲ以テ集会条例布告相成候ニ付テハ明治十一年七月甲第百六号同十二月甲第百七十二号甲第百七十五号布達ハ相廃シ候条此旨布達候事 明治十三年五月十日 神奈川県令 野村靖 (三) 甲第三十七号 今般諸印版取締規則左之通創定来ル五月一日ヨリ施行候条此旨布達候事 但行事撰定之儀ハ六月十五日限リ可申出事 明治十四年三月十二日 神奈川県令 野村靖 諸印版取締規則 第一条 印判板木活版銅版焼印石版等ノ業ヲ営ナム者及其他ノ者ト雖モ若シ官庁外ヨリ官ノ文書及印影ノ彫刻印刷ヲ頼ム者アルトキハ其住所氏名ヲ聞取リ其着手前直ニ所管警察署又ハ分署ニ届出指揮ヲ受ク可シ 但戸長役場並ニ公立学校病院モ亦本文同様タル可シ 第二条 前条ノ営業者ハ一郡区ヲ一組トナシ一組ニ正副行事ヲ置クモノトス其行事ハ互撰投票ヲ以テ之ヲ定メ且郡区役所ヲ経由シテ其営業人名簿ヲ警察本署ニ差出スヘシ 但取締向ニ付費ス所ノ費用ハ各組合ニ於テ適宜ニ之ヲ定ムヘシ第三条 行事ハ警察官ノ指揮ニ随ヒ其郡区内営業者等ニ伝達シ及之ヲ申報スヘシ 第四条 印章ハ其印影文書ハ其書名並依嘱者ノ住所氏名ヲ帳簿ニ詳記シ臨時取調ノ用ニ供スヘシ 第五条 疑敷者ト見認ルトキハ最寄警察署又ハ分署ヘ密告スヘシ (四) 甲第二百三十六号 劇場取締規則左ノ通相定メ来ル明治十五年一月一日ヨリ施行候条右ニ関スル従前ノ布達ハ同日限リ廃止ト心得ヘシ此旨布達候事 但已ニ許可ヲ得タル定席ニシテ引続営業セント欲スルモノハ別ニ出願ニ不及候事 明治十四年十二月十三日 神奈川県令沖守固代理 神奈川県少書記官 磯貝静蔵 劇場取締規則 第一条 新タニ劇場ヲ設ケ営業ヲ為サント欲スル者ハ其場所ヲ詳記シ其地主並同町村内地主ハ勿論四隣接続町村地主ノ連署シタル願書ニ図面ヲ添ヘ戸長ノ奥書ヲ受ケ郡区役所ヲ経テ本庁ニ出願許可ヲ受クヘシ 但廃業スルトキハ本文ノ手続ニヨリ其旨届出ツヘシ 第二条 既ニ許可ヲ得タル場所ヲ他ニ移転営業セントスルトキハ前条ノ手続ニヨリ更ニ出願許可ヲ受クヘシ 第三条 定席ニアラスシテ一時演劇興行ヲナサントスルモノハ其場所及四隣地主ノ連署シタル願書ニ戸長ノ奥書ヲ受ケ所管郡区役所ヘ出願許可ヲ受クヘシ 第四条 演劇興行者ハ其都度予メ仕組帳ヲ添ヒ其題号ヲ所管警察署又ハ分署ヘ届出ツヘシ 第五条 左ノ諸項ヲ禁ス 一 淫行醜態ニシテ風俗ヲ敗壊スル事 二 忠孝貞節ノ倫理ヲ顚倒シ勧善懲悪ノ旨意ヲ失スル事 三 営業ノ認可ヲ受ケス又ハ停業中ノ俳優又ハ芸人ヲ出席セシムル事 四 観客ヲ俳優又ハ芸人ノ休憩所ヘ立入ラシムル事 五 種々ノ名義ヲ以テ観客ニ鬮ヲ売リ出金ヲ促ス事 第六条 座席及ヒ厠ヲ清潔ニスヘシ 第七条 夜ハ十二時限リ閉場スヘシ 第八条 観客退去ノ節混雑セザル様注意スヘシ 第九条 木戸銭等ヲ取ラスシテ興業スルモノモ揮テ此規則ニ遵フヘシ 甲第二百三十七号 観物場取締規則別冊ノ通相定メ来ル明治十五年一月一日ヨリ施行候条此旨布達候事 明治十四年十二月十三日 神奈川県令沖守固代理 神奈川県少書記官 磯貝静蔵 (別冊) 観物場取締規則 第一条 観物場トハ天産又ハ人造ノ物品并足芸軽業手踊曲馬其他技芸ヲ演シ又ハ禽獣ヲシテ技芸ヲ演サシメ観覧ニ供スルノ場所ヲ云フ 第二条 前条ノ場所ヲ設ケ営業セント欲スル者ハ其場所及ヒ日数ヲ記載シ戸長ノ奥書ヲ以テ所轄郡区役所ヘ願出許可ヲ受クヘシ 第三条 前条営業者ハ興行ノ都度其物品又ハ仕組ヲ記載シ所管警察署又ハ分署ヘ届出ヘシ 第四条 左ノ諸項ヲ禁ス 一 人造物ヲ天造物ト唱ヘ又ハ贋造ヲ真ト称シ其他人智ノ発達ヲ妨タクル事 二 醜態ヲ顕ハシ其他風俗ヲ乱ス事 三 看板ト実物ト相違スル事 四 木戸銭又ハ見料ノ外種々ノ名義ヲ以テ来客ニ出金ヲ促ス事 第五条 夜ハ十二時限リ閉場スヘシ 但神仏祭典ノ節ハ此限ニアラス 第六条 横浜区内ニ於テハ左ニ記載スル場所ノ外興行スルヲ許サス但神仏祭典等ノ節社寺境内ニ於テ興業スルハ本文ノ限リニアラス 福富町壱丁目 伊勢佐木町壱弐丁目 松ケ枝町 姿見町 若竹町 梅ケ枝町 羽衣町 蓬萊町 浪花町 甲第二百四十号 寄席取締規則別冊ノ通相定メ来ル明治十五年一月一日ヨリ施行候条右ニ関スル従前ノ布達ハ同日限リ廃止ト心得ヘシ此旨布達候事 但既ニ許可ヲ得タル者ニシテ引続キ営業セント欲スル者ハ別ニ出願ニ不及候事 明治十四年十二月十四日 神奈川県令沖守固代理 神奈川県少書記官 磯貝静蔵 (別冊) 寄席取締規則 第一条 寄席営業ヲナサント欲スル者ハ其場所ヲ詳記シ戸長ノ奥書ヲ以テ所轄郡区役所ヘ出願許可ヲ受クヘシ 但廃業スルトキハ其旨本文ノ手続ニヨリ届出ツヘシ 第二条 既ニ許可ヲ得タル場所ヲ他ニ移転営業セント欲スルトキハ前条ノ手続ニヨリ更ニ出願許可ヲ受クヘシ 第三条 寄席ニ於テ興行スルハ左ノ諸項ニ限ルモノトス 一 講談(軍談人情噺) 二 浄瑠理 三 唱歌 四 手品 五 落語 六 音曲 七 写シ絵 八 操人形 第四条 左ノ諸項ヲ禁ス 一 猥褻ナル講談落語浄瑠理唱歌身振写シ絵 二 忠孝貞節ノ倫理ヲ顚倒シ勧善懲悪ノ旨意ヲ失スルノ講談浄瑠理 三 演劇類似ノ所作 四 来客ヲ芸人ノ休息所ヘ立入ラシムル事 五 種々ノ名義ヲ以テ来客ヘ鬮ヲ売リ出金ヲ促ス事 六 燈火ヲ消シ又ハ蔽ヒ客席ヲ暗黒ニスル事 七 営業ノ認可ヲ得ス又ハ停業中ノ芸人ヲ出席セシムル事 第五条 座席及ヒ厠ヲ清潔ニスヘシ 第六条 夜ハ十二時限リ閉席スヘシ 第七条 来客退去ノ節混雑セサル様注意スヘシ 第八条 木戸銭等ヲ取ラスシテ興行スルモノモ揮テ此規則ニ遵フヘシ 第九条 此規則ニ背クモノハ一日ノ拘留ニ処シ又ハ拾銭以上一円以下ノ科料ニ処ス (五) 乙第十二号 郡区役所 戸長役場 学務委員 従来学校等ヲ仮用シテ諸般ノ集会ヲ挙行スル向モ有之候処其行為ノ遊興弄戯ニ属スルモノ并ニ言論ノ猥褻詭激ニ渉ルモノハ教育上妨害少ナカラサル儀ニ付自分学校ヲ右ニ充用セシメサルハ勿論都テ不取締無之様注意可致此旨相達候事 明治十五年一月卅一日 神奈川県令 沖守固 乙第三十一号 郡区役所 戸長役場 学務委員 学校ヲ集会ニ充用取締方ノ儀ニ付本年一月乙第十二号ヲ以テ相達候趣モ有之候付テハ自今止ムヲ得サル事由アリテ学校ヲ集会等ニ充用セシメントスルトキハ其事由及趣旨ヲ具シ郡区長ノ認可ヲ受クヘク且当日行為言論ノ事項並諸般ノ景況等逐一取調郡区役所ヲ経テ県庁ヘ届出ヘシ此旨相達候事 明治十五年三月十日 神奈川県令 沖守固 乙第三十二号 郡区役所 本年三月乙第三十一号達ニ依リ学校ヲ集会ニ充用ノ認可ヲ請フトキハ其教育上ニ妨害ノ有無篤ト取糺シ処分致スヘク万一認定シ難キモノ等之レアル場合ニ於テハ其都度処分ノ見込ヲ具シ県庁ノ指揮ヲ受クヘシ此旨相達候事 明治十五年三月十日 神奈川県令 沖守固 (神奈川県布達) 一〇一 教育の普及に関する件諭達 『郡第弐百九十一号』 各町村 戸長 学校世話役 夫教育ノ一日モ欠クヘカラサル人ノ智識ヲ開暢シ技芸ヲ興隆シ之ヲ大ニシテ全国ノ富強ヲ致シ之ヲ小ニシテ人民ノ幸福ヲ達スル一ニ学ニ由ラスンハアラサル喋々論ヲ俟タサルナリ学ニ大中小学ノ区別ヲ設ク一般ノ子弟齢六歳ニ至レハ小学ニ従事セシメ漸次高尚ノ域ニ進マシムルノ御趣意ニ有之小学ノ如キハ既ニ全国ニ普及シ市井邑里到ル処其設アラサルナク目今其科程ヲ卒ルモノ亦尠シトセス然レトモ此特ニ教育ノ初歩ニ係ルヲ以テ未タ善且美ヲ尽スモノトナスヘカラス中学ハ高尚ノ学科ヲ教ユル処ナレハ小学普及ノ今日ニアリテ之ヲ設立スル固ヨリ急務タルヲ以テ曩ニ六郡ノ協議ヲ尽シ小田原中学校ヲ設立セリ然ルニ人民未タ小成ニ安ンスルノ弊習ヲ脱去セス或ハ小学ノ卒業ヲ以テ学ノ斯ニ尽ルトナシ遂ニ教育ノ洪益ヲ被ラサルモノ亦尠シトセス実ニ慨嘆ニ堪サルナリ各戸長及ヒ学校世話役町村議員ニ於テ厚ク其旨趣ヲ体シ各受持村内人民ニ懇篤説諭ヲ加エ学ノ小成ニ安ンス可カラサルノ理ヲ感発セシメ小学卒業ノ生徒及ヒ晩年子弟ノ篤志ナル者ヲシテ〓々中学校エ入学為致候様尽力可被致此旨及諭達候也 明治十二年十二月廿六日 大住淘綾両郡長山口左七郎 (「郡役所達」(明治一六年)伊勢原市役所蔵) 一〇二 窮民救育規則 甲第百三十六号 窮民救育規則左之通リ相定候条此旨布達候事 明治十三年八月七日 神奈川県令 野村靖 救育規則 第一条 救育所ニ於テ救育スルハ左ニ掲クル者トス 一 赤貧無告ノ窮民ニシテ自活ナス能ハサルモ恤救規則ニ適当セサルヲ以官ノ救助ヲ仰キ難ク事実憫諒スヘキ者 一 前項窮民ニシテ恤救規則ニ因リ官ノ救助ヲ仰クト雖モ尚ホ幾分ノ不足アルヲ以生活ナシ能ハサル者 但官給ノ恤救金ハ悉皆救育所ヘ納付セシムヘシ 一 赤貧ニシテ病者アルカ又ハ老幼数名アリ一家中之ヲ保育スル者ナク親族モ亦赤貧ニシテ之ヲ救済スル資力ナク極メテ困難ナル者 一 赤貧ニシテ戸主又ハ家族ノ内一二ノ執業者アリ鞠躬其力ヲ尽スモ余ノ家人ノ生存シ能ハサル者 一 生家退転寄ルヘキ親戚知音ナク無籍ノ漂泊人ニシテ老幼廃疾又ハ疾病ニ罹リ極メテ困難ナル者 第二条 此規則ヲ以救育スルハ満一ケ年以内タルヘシ倘シ満一年ニ及モ仍ホ前各項ノ情状ヲ脱セサル者ハ更ニ相当ノ延期ヲ許可スルコトアルヘシ 第三条 救育所ニ於テ衣食其他ヲ給与スルハ揮テ給与規則ニ拠ル 第四条 救育所ニ於テ救育ヲ受ル者ハ該場ノ規則ヲ遵守スヘキハ勿 論老幼其他疾病等ニテ就業ニ堪サル者ヲ除クノ外其授クル所ノ業ヲ執ルヘシ該就業ニ由リテ得ル処ノ賃金ノ内半額ハ救育費用ノ内ヘ還納セシメ半額ハ本人ノ所得トシ内幾分ヲ現給シ幾分ヲ積立置本人出場ノ際之ヲ付与スヘシ 但積立金ハ駅逓局貯金預所ヘ交付シ利子ヲ増殖セシム 第五条 此規則ニ因リ救育ヲ仰カントスル者ハ其自活ナス能ハサル事情ヲ詳記シタル願書ヲ作リ其町村戸長ヘ差出スヘシ戸長ハ其事実ヲ取調奥書ノ上郡区長ヲ経テ県庁ニ差出スヘシ但無籍漂泊人ヲ除キ其他ノ願書ニハ隣保ノ者三人以上親族アラハ親族隣保合テ三人以上連署スヘキモノトス 但救育スヘキ人員ハ時宜ニヨリ一時制限スルコトアルヘシ 第六条 行旅困難人原籍ヘ逓送方照会中戸長ノ請求ニヨリテハ一時救育所ニ入レ衣食等ヲ貸与スルコトアルヘシ 但本行ノ諸費ハ追テ本人又ハ其親族等ヨリ償却セシムルモノトス 第七条 此規則ヲ以テ救育スル窮民ニ金銭其他物品ヲ恵与セントスルモノハ左ノ手続キニ拠ル 一 金銭其他物品ヲ恵与セントスルモノハ其恵与スヘキ窮民ヲ指名スルカ又ハ一般窮民ノ救育資本ニ供スル等其旨ヲ書面若シクハ口述ヲ以テ現品ヲ添ヘ県庁又ハ郡区役所戸長役場ノ内ヘ便宜差出スヘシ 一 県庁及ヒ郡区長戸長ハ総テ恵与品ヲ受取タル上ハ本人ノ恵与スヘキ旨趣等ヲ明記シタル請取書ヲ渡スヘシ 一 郡区長戸長其請取タル現品ハ総テ其事由ヲ具状シ県庁ヘ差出スヘシ県庁ハ其恵与者ノ旨趣ニ従テ之ヲ処分シ一ケ月毎ニ取纒メ新聞紙ニテ広告スヘシ 一 恵与スル者自己ノ姓名ヲ名称スルヲ厭フモノハ匿名ニテモ妨ケナシトス (神奈川県布達) 一〇三 明治十六年甲部巡察使復命書神奈川県の部および関係書類(一-三) (一) 明治十六年甲部巡察使復命書第八号 神奈川県ノ部 目録 県庁 郡役所 戸長役場 租税 教育 衛生及病院 徴兵 勧業 土木 警察本署 警察区劃 居留地警察署 新聞紙 政談演説 政社 犯罪 監獄 裁判所 県会 町村会 備荒儲蓄 士族 銀行会社及横浜取引所 民情 外国人関係ノ件 明治十六年甲部巡察使復命書第八号 神奈川県ノ部 県庁 庁中ノ事務ヲ分テ庶務外務勧業租税地理学務衛生土木会計兵事調査職務ノ十二課ト為シ且ツ別ニ本局書記ヲ置ク而シテ各課ニ若干係ヲ置テ其事務ヲ分掌セシム其詳細ハ別表ノ如シ 庶務課 常務係 郡区役所及戸長役場ニ関スル諸事ヲ監査スル事 国郡区村市ノ分合改称及経界釐正等ノ事務ヲ管掌スル事 区町村会ニ関スル事務ヲ管掌スル事 諸達書類回議ニ参与スル事 郡区長及戸長ヨリ諸規則上ノ伺指令回議ニ参与スル事 劇場見世物及芸娼妓貸坐敷ケ所創廃ノ事務ニ参与スル事 免許地外臨時劇場見世物興行ノ許否ニ参与スル事 政表及統計表ヲ編製スル事 篤行者ヲ賞誉スル事 済貧恤窮及備荒儲蓄ノ事務ヲ管掌スル事 社倉及共有物等ノ事務ヲ管掌スル事 居留地ニ関セサル公園名所旧跡ヲ管掌スル事 図書出版々権及写真版権並新聞雑誌ノ事務ヲ管掌スル事 掲示場ヲ管理スル事 庁中取締ニ係ル事務ヲ管掌スル事 各課ニ属セサル事務ヲ調理スル事気象警報ニ関スル事務ヲ管掌スル事 守丁給仕ヲ管理スル事 社寺係 社寺諸般ノ事務ヲ管掌スル事 県社以下ノ神官及寺院住職等ノ進退ヲ管掌スル事 教導職及説教并講社等ノ事務ヲ管掌スル事 社寺境内伐木ノ事務ヲ管掌スル事 社寺ノ什物及古器物ヲ保存スル事 葬儀ノ事務ヲ管掌スル事 社寺境内外地所ニ属スル一切ノ事務ニ参与スル事 戸籍係 戸籍ノ事務ヲ管掌スル事 人民ノ任官免職及処罰等ノ達類ヲ調理スル事 但陸海軍武官ニ関スルモノハ此限ニアラス 相続廃家養子女嫁娶離別分家復籍改姓名ノ諸願伺ヲ調理スル事 救育所一切ノ事務ヲ管掌スル事 救育所寄托金ヲ管理スル事 外国ニ関係ナキ漂泊人逓送人等ノ事務ヲ管理スル事 駅逓係 駅逓郵便ノ事務ヲ管掌スル事 渡船架橋ノ創廃ニ参与スル事 道路里程標位置査定ノ事務ヲ管掌スル事 編輯係 歴史ヲ編輯叙記スル事 記録係 布告布達々告示類ヲ印刷或ハ浄書シ之ヲ頒布スル事 本県布達々告示類ヲ印刷或ハ浄書及ヒ番号ヲ記入シ之ヲ頒布スル事 官省其他ヨリ送付書籍諸表雑誌類ヲ収受及ヒ之ヲ保蔵スル事 布告布達々告示官省院指令訓示等ノ本書及ヒ其他庁中一切ノ文書ヲ収理編纂及ヒ之ヲ保蔵スル事 送達文書ヲ校閲シ番号ヲ記入シテ県印又ハ県令ノ職印ヲ受ル事官報ニ関スル事務ヲ管掌スル事 諸広告ヲ各新聞紙ニ登録セシムル事 新聞紙及雑誌類ヘ掲載スヘキ件ヲ勘載シ之ヲ掲載セシムル事 転写器械及石版職工ヲ管理スル事 受付係 諸文書及物品ヲ受授送達スル事 文書処分稽滞ヲ各署課ニ向テ督促スル事 召喚人及請謁人ヲ通報スル事 収受及送達日表月表年表ヲ調製スル事 郵税電信料及通運賃金ヲ計算スル事 外務課 常務係 外国人ニ関スル治績ヲ視察スル事 成規定例ナキ外国ニ関スル事件ヲ調理スル事 外国ニ関スル課署管掌事務ニ参与スル事 各国領事其他ヘ達スル書翰ヲ起草スル事 但課署専掌ノ事件ハ其課署ノ報告ヲ待テ起草スルモノトス 諸公文ヲ翻訳シ及外国人ト応接通弁スル事 外国ニ関スル件ニ付本局ノ書記ヲ掌ル事 官私傭外国ノ事務ヲ関掌スル事 課署ノ専掌ニ非ラサル外国ニ関スル諸般ノ事務ヲ管掌スル事 外国貴賓接待ニ関スル事務ヲ管掌スル事 礼砲ノ事務ヲ管掌スル事 外国船艦売買ノ事務ヲ管掌スル事 海外旅券ニ関スル事務ヲ管掌スル事 外国船難破及外国人ニ関係アル漂流物ノ事務ヲ管掌スル事 外国ニ関係アル内国漂泊人并ニ逓送人ノ事務ヲ管掌スル事 海外輸出入政府ノ物品請取渡ヲ為ス事 外国人銃猟ノ事務ヲ管掌スル事 外国海員水先人ノ事務ヲ管掌スル事 内国人ヨリ外国人ニ係ル民事訟訴ニ関スル事務ヲ管掌スル事 外国人温泉行ニ関スル事務ヲ管掌スル事 港内取締ニ関スル一切ノ事務ニ参与スル事 外国新聞紙ヲ検閲スル事 居留地係 居留地ヲ管理シ及ヒ之ニ関スル一切ノ事業ヲ勘査スル事 居留地ノ区域ヲ伸縮スル事 居留地貸渡ニ関スル一切ノ事務ヲ管掌スル事 居留地借料及諸税ヲ徴収スル事 居留地ニ属スル公園ヲ管理スル事 居留地一切ノ費用ニ係ル予算及其使用ノ方法ヲ勘査スル事 貯庫係 揮発物並ニ爆発物貯庫ノ事務ヲ管掌スル事 記録係 各国領事其他ヘ達スル文書ヲ浄書シ之ヲ編輯スル事 横文書籍ヲ管理シ及外国ニ関スル諸文書類ヲ編輯保護スル事 外交書類ヲ編輯スル事 外国ニ関スル諸文書及物品ヲ受授送達シ及其日表月表年表ヲ編製スル事 外国ニ関スル文書処分稽滞ヲ各課署ニ向テ督促スル事 諸広告ヲ外国新聞ヘ登録セシムル事 勧業課 常務係 農商工諮問会及右ニ属スル議会ノ事務ヲ管理スル事 博覧会及共進会等ノ事務ヲ管掌スル事 水陸路運輸及開墾地ノ事務ヲ管掌スル事 但開墾地ノ壱町歩ニ満タサルモノハ此限ニアラス 農商工業上ノ統計表編製ノ事務ヲ調理スル事 博覧会及共進会其他農商工合一ニ係ル事件ノ通信報告ノ事務ヲ管掌スル事 農商工奨励上褒賞ノ事務ヲ管掌スル事 本課経費ノ出納物品ノ購求及交付等会計ニ関スル事務ヲ調理ス ル事 港湾ノ修築及用悪水路ヲ査定スル事務ニ参与スル事 農務係 勧農ノ事務ヲ管掌スル事 陸産物ノ改良蕃息ノ事務ヲ管掌スル事 開墾牧畜樹芸ノ事務ヲ管掌スル事 地質風土調査ノ事務ヲ管掌スル事 農業上ノ通信報告ノ事務ヲ管掌スル事 農商工諮問会及其議会ニ諮問スヘキ農業上ノ事件ヲ調理スル事 水産物ノ改良蕃息ノ事務ヲ管掌シ及捕魚採藻場査定ニ参与スル事 獣医及家畜伝染病予防ノ事務ヲ管掌スル事 商工務係 勧商工ノ事務ヲ管掌スル事 銀行諸会社組合市場並職工製作営業其他無税営業ノ事務ヲ管掌スル事 本課ノ主管ニ非サル諸営業取締方法ニ参与スル事 物産陳列場ヲ管掌スル事 古器物ノ保存美術ノ奨勧ニ係ル事務ヲ管掌スル事 土地借区試掘並諸礦開採ノ事務ヲ管掌スル事 農商工諮問会及其議会ニ諮問スヘキ商工ノ事件ヲ調理スル事 商工業上ノ通信報告ノ事務ヲ管掌スル事 内国商船及海員ノ事務ニ参与スル事 船燈及信号ノ事務ヲ管掌スル事 港内取締ノ事務ニ参与スル事 内国水先ノ事務ヲ管掌スル事 山林係 官林ノ事務ヲ管掌スル事 官林地ヲ下渡又ハ貸渡ニ係ル事務ヲ管掌スル事 官林樹木下渡及下草苅取ニ関スル事務ヲ管掌スル事 官有地部分木ニ関スル事務ヲ管掌スル事 民林保護ノ事務ヲ管掌スル事 山林ニ係ル地目変換ノ事務ニ参与スル事 租税課 国税係 地租ノ収額ヲ査定スル事 土地ノ変換等ニ拠リ其租ヲ増減シ又ハ免除スル事 荒地ノ事務ヲ管シ免租ノ年季ヲ定ムル事 開墾地鍬下年季ヲ定ムル事 地価ヲ修正シ地租額ヲ調査スル事務ヲ管掌スル事 耕宅地中ノ地目変換ニ関スル事務ヲ管掌スルコト 官有払下地并荒地及開墾鍬下市街地免税年季明等新規地価調査ノ事務ヲ管掌スル事 国税ヲ統計シ皆済決算ノ事務ヲ管掌スル事 船税ニ関スル事務ヲ管掌スル事 酒類造石検査ニ関スル事務ヲ管掌スル事 煙草税ニ関スル事務ヲ管掌スル事 証券印紙及訴訟用罫紙等ノ事務ヲ管掌スル事 度量衡ノ事務ヲ管掌スル事牛馬売買ノ事務ヲ管掌スル事 内国人銃猟ノ事務ヲ管掌スル事 諸車ノ事務ヲ管掌スル事 地券証印税帳ヲ調査スル事 内国人内地航行ノ外国船ヘ乗込証書ヲ付与シ及其手数料ヲ徴収スル事 地租補助貸与ノ事務ニ参与スル事 売薬税ニ関スル事務ヲ管掌スル事 雑税各種ノ税表ヲ調理スル事 諸会社税表及版権免許税表ヲ調理スル事 地租代米預リ米ノ事務ヲ管掌スル事 山林原野雑地変換及開墾ノ許否ニ参与スル事 地方税係 地方税徴収ノ事務ヲ管掌スル事 各課ノ主管ニ非サル諸営業ニ係ル事務ヲ管掌スル事 新規劇場芸娼妓貸座敷ノケ所及銀行諸会社組合市場并ニ職工製作等営業ノ許否ニ参与スル事 地方税賦課方法ノ事務ニ参与スル事 賦金ヲ徴収シ及其事務ヲ管掌スル事 地方税収入予算ヲ調理スル事 神田玉川両上水ノ賦金ヲ徴収シ及其事務ヲ管掌スル事 娼妓稼高並ニ貸坐敷引手茶屋等営業上リ高ヲ検査シ及ヒ之ニ係ル取締ノ事務ニ参与スル事 地理課 地籍係 地籍ヲ編纂スル事 地種ヲ定ムル事 居留地ヲ除クノ外地券ニ関スル事務ヲ管掌スル事 官有払下又ハ貸下ノ事務ヲ管掌スル事 但官林払下貸下及開墾ノ為ニ借地料ヲ収メシメスシテ貸下ルモノハ此限ニアラス 公用ノ為メ民有地ヲ買上ル事 社寺境内外地所ニ属スル一切ノ事務ヲ管掌スル事 官林及道路並木ヲ除クノ外官地ニアル動植物及損木等ノ事務ヲ管掌スル事 海川ノ捕魚採藻場ヲ査定スル事 地目変換願ノ事務ヲ管掌スル事 但開墾地一町歩以上ノモノ及耕地宅地中ノ変換ニ係ルモノハ此限ニアラス 国郡区村市ノ分合改称及経界釐正ニ参与スル事 官林ヲ除ノ外官有地内ヘ部分木植付願ノ許否ニ参与スル事 河海埋立願ノ事務ヲ管掌スル事 壱町歩以上土地開墾ノ事務ニ参与スル事 地図ヲ保存スル事 地誌編輯係 地誌ヲ編輯スル事 測量係 土地ヲ測量シ地図ヲ編製スル事 学務課 常務係 学区及公私立各種ノ学校幼稚園図書々籍館等ヲ管理シ興廃分合等ノ事務ヲ管掌スル事 学務委員及学校長教員等ノ職務ニ関スル諸般ノ事務ヲ管掌スル事 県立学校ノ事務ヲ管掌スル事 学齢児童就学督責ノ事務ヲ管掌スル事 小学生徒ノ試験ヲ監視シ賞与等ノ処分ヲナス事 学事ニ関スル区町村会ノ事務ニ参与スル事 教育会ノ事務ヲ管理スル事 小学校教則ヲ編製スル事 統計係 学事年報月報及試験表一覧表ヲ編製スル事 会計係 県立学校経費其他教育上須要ノ費用ヲ査定スル事 学資金ヲ管理スル事 衛生課 常務係 医師製薬家薬舗薬商産婆ニ関スル事務ヲ管掌スル事 売薬及薬湯ニ関スル事務ヲ管掌スル事 天然生薬物ノ有無及其産地多寡等ヲ調査スル事 病屍解剖ニ関スル事務ヲ管掌スル事 公私立病院顚狂院ニ関スル事務ヲ管掌スル事 医学及産婆生ニ関スル事務ヲ管掌スル事 貧民救療ニ関スル事務ヲ管掌スル事 地方衛生会ニ関スル事務ヲ管掌スル事 衛生上ノ経費ニ関スル事務ヲ調理スル事 郡区医町村医配置ニ関スル事務ヲ管掌スルコト 梅毒病院及黴毒検査所ニ関スル事務ヲ管掌スル事 娼妓及売淫取締ニ参与スル事 牛痘種継所ニ関スル事務ヲ管掌スルコト 消毒所ニ関スル事務ヲ管掌スル事 保健係 各地飲水検査及其改良ニ関スル事務ヲ管掌スル事 販売ニ係ル飲食物検査ノ事務ヲ管掌スル事 飲食物及玩弄品ノ着色料其他顔料染料等販売ニ関スル事務ヲ管掌スル事 売水売氷牛乳営業并ニ屠場ノ事務ヲ管掌スル事 道路厠圊ノ廃置変換等ノ事務ヲ管掌スル事 汚物掃除及溝渠浚除ノ事務ヲ管掌スルコト 但道路改良及沿道溝渠改良浚除ニ関スル事務ハ此限ニアラス沿道溝渠ノ改良浚除ニ関スル事務ニ参与スル事 墓地及火葬場ニ関スル事務ヲ管掌スルコト 劇場寄席旅舎其他人寄場取締ニ参与スル事 汚物揚卸場ヲ査定スル事 洗湯及温泉営業ノ事務ニ参与スル事 種痘ノ事務ヲ管掌スル事 牧場及畜場廃置ノ事務ニ参与スル事 伝染病ニ関スル事務ヲ管掌スル事 家畜流行病伝染病ノ予防消毒法ニ参与スル事 横浜水道創廃及修繕ノ事務ニ参与スル事 統計係 衛生ニ関スル諸統計表及年報ヲ製スル事 土木課 修路係 道路橋梁修築下水鑿浚ニ関スル事務及其工事ヲ管掌スル事 但本条ニ関スル寄付金又ハ献地等ノ願ハ併セテ調理スルモノトス 道路ノ種別ヲ調理スル事 道路掘穿等ニ係ル願伺ヲ調査スル事 並木ノ事務ヲ管掌スル事 道路里程標建築ノ工事ヲ管理スル事 道路敷地ノ処分ニ参与スル事 道路ノ厠圊廃置変換等ノ事務ニ参与スル事 道路ヘ建設スル掲示場及里程標等ノ位置査定方ニ参与スル事 陸路運輸及開墾地ノ事務ニ参与スル事 渡船架橋ノ事務ヲ管掌スル事 治水係 堤上堤腹等ノ仕用ヲ許否スル事 物品揚卸場ノ事務及ヒ其工事ヲ管掌スル事 河原地払下ケ又ハ貸下ケ等ノ事務ニ参与スル事 河川捕魚採藻場等査定方ニ参与スル事 河海堤防ノ修築川渠ノ疏通港湾ノ修築其他田地灌漑ノ用悪水路等一切ノ治水ニ関スル事務ヲ管掌スル事 但横浜水道久地村内分量樋以下ハ此限ニアラス 水路運輸ノ事務ニ参与スル事 営繕係 諸官舎ヲ管理スル事 但警察費ノ支弁ニ係ルモノハ此限ニアラス 官費並地方税賦金ノ支弁ニ属スル諸建築ノ事務及其工事ヲ管掌スル事 但警察費ノ支弁ニ係ルモノハ此限ニアラス 諸官舎敷地ノ処分ニ参与スル事 本庁構内掃除及樹木ニ関スル事務ヲ管掌スル事 水路係 横浜水道ノ事務及其工事ヲ管掌スル事 横浜水道稲毛川崎ノ二ケ領合併久地村地内分量樋以下ノ水路ニ関スル事務及其工事ヲ管理スル事 雑事係 諸工費収支等計算簿記簿ヲ管掌スル事 河港道路用悪水路等ノ工費一村限金高帳及総計帳ヲ調理スル事 水災表其他土木ニ関スル諸表ヲ調製スル事 課中ノ諸器械及物品ヲ管理スル事 会計課 常務係 為換方ノ事務ヲ管掌スル事 貨幣交換ノ事務ヲ管掌スル事 備荒儲蓄金収支及ヒ儲積ノ事務ヲ管掌スル事 地方税及備荒儲蓄金収支予算精算報告書ニ参与スル事 官舎宿地料ヲ収支スル事 堤塘道路及並木敷地使用料並木枯損木払下代徴収ノ事務ヲ管掌シ及之ヲ支出スル事 国庫ニ関スル経費収支ノ事務ヲ管掌スル事 警察費国庫下渡金其他各官省ニ関スル経費収支ノ事務ヲ管掌スル事 租税本庁直収入ニ係ルモノ雑収入及違警罪科料金ヲ収受シ之ヲ送納スル事地方税収支及支出ノ事務ヲ管掌スル事 各資本金其他本県限リ取扱金ヲ収支スル事 各所ノ寄托金ヲ授受スル事 賦金収受及支出ノ事務ヲ管掌スル事 売淫罰金収受及支出ノ事務ヲ管掌スル事 検査係 金銭物品出納ノ当否ヲ審査スル事 諸成算書ヲ検査スル事 管内諸官衙及神社学校病院救育所等会計ノ実況ヲ検査スル事 為換方ヘ預ケ金及抵当品ヲ照査スル事 簿記係 各種ノ金穀記簿一切ノ事務ヲ管掌スル事 国庫ニ関スル諸経費及雑収入決算及其報告書ヲ調理スル事 地方税及備荒儲蓄金精算書ヲ調理スル事 国庫ニ関スル貸下金及賦金売淫罰金ノ収支決算ヲ報告スル事 出納係 金銭物品ヲ出納シ及之ヲ保管スル事 本庁一切ノ備品ヲ管理スル事 諸用度品購求ノ事務ヲ管理スル事 為換預ケ金ノ抵当品ヲ保管スル事 小使及雇人足ヲ管理スル事 本庁舎ノ保持掃除ニ関スル事務ニ管掌スル事 公債係 公債証書ニ関スル事務ヲ管掌スル事 諸貸下金ノ事務ヲ管掌スル事 備荒儲積公債証書購入売却ノ事務ヲ管掌シ及之ヲ保管スルコト 各所寄托金有利預ケノ事務ヲ管掌シ及其抵当品ヲ保管スル事 兵事課 徴兵ニ関スル一切ノ事務ヲ管掌スル事 陸海軍召募及志願者ニ関スル事務ヲ管掌スル事 陸海軍常備兵ニ関スル事務ヲ管掌スル事 予備軍後備軍ニ関スル事務ヲ管掌スル事 軍人賞勲年金恩給扶助吊祭等ニ関スル事務ヲ管掌スル事 但賞勲年金ノ辞令書ノ伝達ニ関スル事務ハ此限ニアラス 徴発事務ヲ調理スル事 兵籍ニ関スル諸名簿ヲ保護及加除スル事 証券印紙及訴訟用罫紙類等売捌人許否ニ関スル事務ニ参与スル事 徴兵ニ関係アル戸籍上ノ諸達類願伺指令回議ニ参与スル事 人民ノ陸海軍ニ係ル任官免職及処罰等ノ達類ヲ調理スル事 調査課 県会及常置委員会ニ関スル事務ヲ管掌スル事 地方税経済ヲ統括シ及地方税ノ支弁ニ係ル一切ノ事件ニ参与シ其事業ノ起廃得失ヲ勘査スル事 地方税及ヒ備荒儲蓄ノ経済ニ属スル財産管理ノ方法ヲ監査スル事 地方税ヲ以テ支弁スヘキ経費ノ予算及其徴収方法ヲ査定スル事 県会常置委員会ニ関スル議案諮問案報告案ヲ調理スル事 地方税ヲ以テ支弁スヘキ事件及其徴収ニ関スル諸達伺指令等ニ参与スル事 備荒儲蓄金穀及公債証書ノ出入ニ参与スル事 常置委員会ニ係ル書記編纂等ノ事ヲ管理スル事 県会常置委員会ニ属スル図書其他ノ物品ヲ保管スル事 職務課 官員ノ身分ニ関スル事務ヲ管掌スル事 官員ノ出勤欠勤ヲ調査スル事 県印ヲ監守スル事 官記辞令浄書ノ事務ヲ管掌スル事 官員名簿履歴簿印鑑簿宿所簿等ヲ調製保存スル事 儀式礼節拝賀ニ関スル事務ヲ管掌スル事 出勤時限及臨時休暇ニ関スル事務ヲ管掌スル事 官員ノ当宿直割ヲ定メ及ヒ之ニ関スル事務ヲ管掌スル事 皇居御門鑑ヲ監守スル事 元老院議事傍聴牌ヲ受ケ及ヒ之ヲ交付スル事 飛信逓送切手ヲ監守及ヒ之ニ関スル事務ヲ管掌スル事 課印職印封印ヲ調製交付スル事 叙勲者ニ関スル事務ヲ管掌スル事 官船官馬車及其取締以下ヲ管理スル事 本局備付品及ヒ書冊ヲ管守スル事 本局書記 本局書記ノ事務ヲ管掌スル事 本局ニ出ス諸文書諸回議ヲ調査スル事 (注)原資料では一覧表になっているが本書では以下の体裁をとった。 郡役所 県内ニ十五郡アリ十四郡役所一区役所ヲ置テ之ヲ分轄ス各郡区役所ノ状況ヲ見ルニ吏員其人ヲ得事務整理スル所アルト雖モ概シテ隆吉巡視シタル他県ニ比スレハ事務ノ挙行遅緩ナルカ如シ盖シ郡区吏其人ニ乏シキノミナラス県庁ニ於テモ外国交際ニ多事ナルカ為メ内政上ニ充分力ヲ用フル隙ナキニ因ルナラント想像ス県令ヨリ特ニ郡区長ヘ委任ノ条件別紙ノ如シ 『委任条件』 第一 風震水火ノ難ニ罹ルモノ一時救助ノ事 第二 難波船及漂流物ノ事 但外国船及内国大難船ハ此限ニアラス 第三 改宗改式改檀届ノ事 第四 社寺修繕願ノ事 但県社以上ハ此限ニアラス 第五 社寺什物取締ノ事 第六 婦人断髪願ノ事 第七 士族ノ民籍編入願ノ事 第八 除族セラレシモノヽ跡襲族願ノ事 第九 失跡セシモノヽ跡相続及妻養子等離別願ノ事 第十 改名及復姓願ノ事 第十一 原籍問合ニ付往復ノ事 第十二 脱漏ノモノ入籍願ノ事 第十三 逃亡訴并帰住届及逃亡人八十年ニ至リ除籍届ノ事 第十四 戸籍改正願ノ事 第十五 行旅ノ困難及行倒人并無籍漂泊人取扱及往復ノ事 第十六 復籍人逓送費ニ付往復ノ事 第十七 諸車検査ノ事 第十八 度量衡新器検査烙印ノ事 第十九 諸船舶検査ノ事 第二十 酒類営業願ノ事 第廿一 煙草営業願ノ事 第廿二 牛馬買売営業願及鑑札付与ノ事 第廿三 地方税ニ関シ及無税ニ属スル尋常ノ諸営業願届ノ事 但劇場及芸妓稼場市場糶糴トモ新設移転諸会社水車ノ設置製氷飲水陸運並ニ回漕特ニ官ノ保護ヲ乞願スルモノ営業ニ係ル件其他尋常ニ非サルモノハ此限ニアラス 第廿四 諸興行出稼等ノ為メ社寺官有ノ境内拝借願ノ事 第廿五 官地ニアル動植物売却ノ事 第廿六 官地拝借料動植物土地払下代ヲ徴収シ及不納者処分ノ事 第廿七 官有地ニアル人民所有ノ家屋売買及書入質奥書ノ事 第廿八 部分木植付願ノ官有地検査ノ事 第廿九 電信柱敷地手当金調査ノ事 第三十 堤上堤腹及道路並木敷地等ノ仕用料徴収ノ事 第三十一 漁業採藻営業願并ニ鑑札付与ノ事 第三十二 取締ノ為メ設ケタル規則ニヨリ営業者ヘ鑑札ヲ付与シ又ハ検印スル事 第三十三 種痘術開業願ノ事 第三十四 他府県下開業医出張所願ノ事 第三十五 道路ニ係リ建物引移願ノ事 第三十六 道路ヘ足代板囲添柱等ヲ取建ル願ノ事 第三十七 路傍ニ建札或ハ飾物木石類差置願ノ事 第三十八 道路添私有地々揚ノ事 第三十九 諸拝借金ヲ取立ル事 第四十 道路橋梁通行止ノ事 但国道ト仮称スルモノト横浜区内及外国人居留地遊歩道ニ係ル道路橋梁ハ此限ニ非ス 第四十一 売薬受売営業及行商願ヲ許否スル事 第四十二 諸裁判所ヘ往復ノ事 第四十三 社寺境内植木処分ノ事 第四十四 犯罪人原籍并前科資力年齢等調査及人民召喚ニ付裁判官并ニ検事及各府県警察官ト往復スル事 第四十五 搾牛乳営業及請売願ノ事 第四十六 温泉洗湯営業願ノ事 (注)原資料ではこの「委任条件」の前に左記の如くあり、全文削除されている。 乙第壱号 郡区役所 郡区長一般管掌事務ノ外左ノ条件来ル二月一日ヨリ特ニ委任候条夫々例規ニ依リ可取扱此旨達候事 但従来取扱手続ノ儀ハ県庁主務課ヨリ可引継儀ト可相心得事 明治十二年一月四日 戸長役場 全県ニ戸長役場九百四十ケ所ヲ置ク之ヲ町村ノ数千三百七十六ニ比較スレハ凡ソ壱町村半ニ一役場ノ割ニ当ル又人口八十万三百六人ニ比較スレハ八百五十一人余ニ付戸長一人ノ割ニ当ル其給料ハ町村ノ戸数ニ応シ年額ヲ以テ支給ス最寡額金拾二円最高額金二百六拾五円ナリ筆生ノ給料亦之ニ準シテ等差アリ詳細ハ別冊戸長以下給料及戸長職務取扱諸費支給額ニ詳カナリ又撰挙ノ方法ハ一般普通ノ公撰法ニテ別ニ異ナルコトナシ (別冊) 丙第百三十六号 郡役所 戸長役場 戸長已下給料及戸長職務取扱諸費支給額左之通相定メ来ル七月一日 ヨリ施行候条此旨相達候事 明治十五年六月三十日 神奈川県令 沖守固 一 戸長筆生給料ハ其町村ノ戸数前年度一月一日ノ現員ニ応シ年額ヲ以テ支給ス其額左之如シ 但数町村ヲ兼務スルトキハ其戸数ヲ合算シ本文ニ準シ支給スヘシ 戸長給料 弐拾戸未満 年額金拾弐円 弐拾戸以上五拾戸未満 同金弐拾円 五拾戸以上百戸未満 同金三拾五円 百戸以上弐百戸未満 同金五拾円 弐百戸以上三百戸未満 同金六拾五円 三百戸以上五百戸未満 同金八拾五円 五百戸以上七百五拾戸未満 同金百円 七百五拾戸以上千戸未満 同金百弐拾円 千戸以上千五百戸未満 同金百四拾五円 千五百戸以上弐千戸未満 同金百七拾円 弐千戸以上弐千五百戸未満 同金百九拾五円 弐千五百戸以上三千戸未満 同金弐百弐拾円 三千戸以上四千戸未満 同金弐百四拾五円 四千戸以上五千戸未満 同金弐百六拾五円 筆生給料 役場部内ノ戸数五拾戸以下金九円五拾壱戸以上百戸以下金拾八円以上拾戸毎ニ金壱円八拾銭ヲ加ヘ支給ス 但拾戸未満ノ端数ハ拾戸ノ割ヲ以テ算ス 一 戸長職務取扱諸費ハ需用費旅費ノ二項ニ分ケ年額ヲ以支給ス其額左之如シ 需用費 毎役場平等ニ金五円弐拾五銭及其町村戸数前年度一月一日ノ現員壱戸ニ付金三銭ヲ併セ給ス 旅費 各地往復旅費ハ壱里毎ニ片道金拾銭滞在日当一日金五拾銭ヲ給ス 但壱里未満ノ端数ハ給セス 納税ノ景況 国税ハ概シテ怠納スルモノナク明治十四年度中ハ公売処分ノ件ナシ十五年度国税ノ内車税不納ニ付公売処分四件煙草営業税不納ニ付公売処分壱件アリシノミ地方税ハ郡ニアツテハ不納ニ属スルモノ僅少ナルモ区ニ於テハ些々タル商業ヲ営ム貧民夥多ナルカ為メニ納税取扱上甚タ困難ナリト云フ 教育ノ状況 県立師範学校一町村立中学校一私立中学校一町村立小学校五百四十町村立商学校一私立小学校十三私立雑種学校十九アリ町村立小学校教員ノ数一千七百九十三人内百八十五人訓導一人準訓導一千六百八人補助員ナリ其給料ハ訓導ハ金五円ヨリ拾八円ニ至ル補助員ハ五拾銭ヨリ拾五円ニ至ル学務委員ノ数ハ千六百四十五人内専務六百八十九人兼務九百五十六人其給料総額ハ一ケ月凡ソ九百二十六円八拾二銭八厘ナリ外ニ事務取扱フ日ノミ日給三拾銭ヲ給スルアリ三拾四学区同二拾五銭ノモノ三学区同二拾銭壱学区十五銭壱学区拾二銭壱学区アリト云フ爰ニ隆吉巡視セシ学校ノ状況ヲ左ニ掲ク 師範学校○横浜野毛山ニアリ隆吉巡視ノ際暑中休暇ナルヲ以テ授業ノ方法ヲ目撃スルコト能ハスト雖モ教則及ヒ器械等ハ整備セルカ如シ此ニ嘆スヘキ事ハ中学校ノ廃止ナリ明治十一年ニ当師範学校内ニ之ヲ設立シ同十三年七月之ヲ廃止セリ其理由ノ大略ハ中学校ノ費用ヲ十二年度ノ県会ニ付セシニ県会ハ費額ノ節減ヲ旨トシ既ニ小田原地方ニ於テ町村立中学校ヲ設置セルモノモアレハ更ニ地方税ヲ以テ之ヲ設置スルニ及ハサルモノトシテ之ヲ否決セリ因テ姑ク生徒ノ月謝等ヲ以テ之ヲ維持シ再ヒ之ヲ十三年度ノ県会ニ付セシニ又前年同一ノ議決ナルヲ以テ遂ニ之ヲ廃スルニ至レリ今仍ホ再興スルノ目的ナシ 小田原中学校○本校ハ大住淘綾足柄下郡同上郡愛甲郡ノ共立ニシテ高等ノ普通学科ヲ授ケ中等以上ノ業務ニ就クカ為メ又ハ高等ノ学校ニ入ルカ為メニ必須ノ学科ヲ授クル所トス其資本金ノ原由ヲ繹ヌルニ旧小田原藩知事大久保忠良旧藩士子弟教育資本トシテ金五百円ヲ寄付セリ然ルニ故足柄県令柏木忠俊旧知事ノ厚志ヲ継キ次官僚属ト協議シテ毎月々給金若干円宛寄付シ右五百円ト合シテ母金トナシ共同社ニ預ケテ以テ子金ヲ生セシメ積ンテ金八千五百円トナル明治七年十二月此資金ヲ以テ旧足柄県師範学校ヲ設立シ専ラ小学校教員ヲ養成ス明治九年足柄県ヲ廃シ神奈川県ニ合スルヲ以テ神奈川県師範学校トナル明治十二年十月師範学校ヲ廃シ同年十一月足柄下郡外四郡共同シテ本校ヲ設立ス因テ神奈川県ヨリ右資本金ヲ本校ヘ下賜セリト云フ現在生徒数十名教員七名其給料ハ金五円ヨリ二拾円ニ至ル老松小学校○横浜区老松町外六ケ町ノ共立ナリ学区内学齢児童ノ数六百五十人ノ内就学四百五十六人ナリ但他校ニ通学スルモノヲ合算ス該校生徒四百三十七名男二百五十七人女百八十人教員ハ校長以下十三人月給金四円五拾銭ヨリ拾八円ニ至ル資本金ハ毎月ノ授業料金若干円地方税ヨリ毎月金二十円但本校ハ師範校ニ属スルヲ以テ地方税ヨリ該額ヲ給スト云フ部内協議費毎月金三拾円ト定ム尚ホ臨時費ヲ要スル時ハ協議ヲ以テ支弁ノ方法ヲ定ム授業料収納ノ方法ハ凡ソ左ノ如ク定メ置キ尚ホ時宜ニ依リ斟酌スル所アリト云フ 上等 金三拾銭 地主家作人ノ子弟 中等 金二拾五銭 地借人及表借家人ノ子弟 下等甲 金二拾銭 横町ノ借家人ノ子弟 下等乙 金拾五銭 裏借家人ノ子弟 西岸学校○相模国三浦郡浦賀ニ在リ現在生徒三百三拾三人男百七十三人女百六十人教員八人其月給ハ金四円ヨリ拾六円五拾銭ニ至ル学務委員一名世話人五名アリ彼等ノ尽力ニテ有志ノ寄付金ヲ募リ近年建築セシモノニシテ教場ノ結構宜ロシ県内小学校中ノ著名ナルモノナリ 三崎学校○相模国三浦郡三崎ニアリ三崎花暮外七ケ町諸磯村ノ共立小学校ナリ学区内学齢児童ノ数七百四十二人男三百六十五人女三百七十七人内就学児二百六十七人男百三十六人女百三十一人教員ハ十人其給料ハ月給金二円ヨリ拾円五拾銭ニ至ル学務委員五名内二人ハ戸長兼務ナリ該地ハ漁村ニシテ家事ハ総テ女子ノ主任ナレハ読ミ書キ等ハ婦人ノ要用ニシテ男子ニハ却テ不用ナルカ為メ学校ノ生徒モ自ラ割合ニ女子多シ 三坪学校○鎌倉郡戸塚駅ニアリ学区内学齢児ノ数百九十人男九十八人女八十二人内就学児百二十七人男八十人女四十七人教員三名月給金四円ヨリ八円ニ至ル学務委員一名月給金三円五拾銭資本金千五十六円之ヲ貸付ケ年壱割ノ利子ヲ徴収シテ学資ニ充ツ不足ハ協議費ヲ以テ補充ス 幸学校啓蒙学校宮前学校○共ニ小田原駅ニアリ該駅十字町幸町万年町新玉町緑町連合学区ニ於テハ男校女校ヲ分チ且ツ貧民子弟ノ為メニ別校ヲ設ク即チ幸学校ハ女子ノミヲ教育スル所ニシテ隆吉之ヲ巡視セシニ現生徒五百十七人教員二十人内十七人女教員ナリ男教員ハ僅カニ三名ナリ其月給ハ金三円ヨリ拾円ニ至ル教授ノ方法宜キヲ得生徒勉励進歩ノ状著シ啓蒙学校ハ男子ノミヲ教育シ現在生徒五百二十四人宮前学校ハ商賈及雑業漁業等赤貧又ハ職業ニ関シ定期授業時間ヲ蹈ミ難キノ子女ヲ教育スル所ニシテ現在生徒二百十八人内男百十八人女百人ナリ右二校ハ隆吉巡廻ノ都合アリシニヨリ授業ノ実際ヲ目撃スルコトヲ得スト雖トモ聞ク所ニ依レハ教員等其人ヲ得諸規則整頓セリト云フ盖シ該地方ニ在テハ旧足柄県以来蓄積金アリテ学校ノ資本充分ナルニ依ルヘシ現ニ右三校ニ属スル資本金額二万五千五百五拾四円〇七銭七厘八毛アリ内金壱万九百弐拾五円ハ新公債証書金八千七百七拾五円ハ金禄公債証書金五千八百五拾四円七銭七厘八毛ハ貸金ナリト云フ但シ資金ノ組成タル旧足柄県ニ於テ資本金取扱社ヲ置キ預リ金及貸金等ノ法ヲ設ケ利子ヲ倍殖シ又ハ旧小田原藩主大久保氏ノ旧藩士ヲ教養セシ学資残金及有志者ノ寄付金等ヲ以テ蓄積セルモノナリ然レトモ明治十一年以降貸付金ノ法ヲ廃シ取立金ヲ以テ漸次公債証書ヲ買得シ利益半額ヲ学資ニ積ミ半額ハ学費ニ仕用ス 八王子学校○現在生徒五百六十四人男三百三十二人女二百三十二人教員七名其月給ハ金六円ヨリ拾三円ニ至ル学務委員二名アリ資本金ハ千二百五十二円ノ積立テアリ 衛生及病院ノ状況 衛生ノ事業ハ著シキコトアルヲ見ス病院ハ県立十全病院及ヒ梅毒病院数ケ所アリ私立病院ハ横浜ヲ除クノ外郡ニハ之レアルヲ聞カス隆吉巡視セシ病院ノ状況左ノ如シ 十全病院○横浜区老松町ニアリ十六年度経費予算金壱万八百四円四十五銭区部地方税ヲ以テ支弁ス医師ハ外国人二名隔月出勤ス而シテ出務中銀貨二百円ヲ給ス他ハ当直医六名皆二拾七円以下ノ月給ナレハ其医術モ押テ知ルヘシ一昨十四年中患者総計一月ヨリ六月ニ至ル九百七十一人内男六百九十六人女二百七十五人自七月至十二月千百七十九人内男七百七十人女四百九人内病症ノ多キハ消化器病呼吸器病トス昨年及ヒ本年ノ患者表ハ未タ整頓セスト云フ 県立黴毒病院○久良岐郡横浜戸部町ニアリ位地高燥空気ノ流通好シ病院ニ適当ノ地ナリ医師四名事務掛四名患者常ニ数十名アリ又八王子横須賀三崎藤沢小田原ノ各地ニ分病院ヲ置キ梅毒ヲ検査シテ其蔓延伝染ヲ予防ス入費ハ総テ賦金ヲ以テ支弁ス其額十五年度予算金壱万五千二百九十円五十銭ナリ 私立病院○管内私立病院ノ数十アリ内六ハ横浜区内及ヒ比隣ノ地ニアリ他ハ八王子小田原大住郡平塚駅及ヒ愛甲郡厚木町ニ各一アリ 徴兵ノ状況 徴兵令施行以来県下一般徴兵ヲ規避スルモノ甚タ多キヲ以テ県庁ニ於テハ多年厳ニ之カ取締ノ方法ヲ設ケ且ツ説諭勧誘等ニ力ヲ尽クセルヲ以テ規避スルモノ漸ニ減少スルノ状況ナリ然レトモ予メ老衰死ニ近キ輩ヲ分家セシメ置キ其死ヲ待テ死後養子トナシ又ハ絶家再興ノ名ヲ以テ免役ヲ謀ル徒猶未少カラスト云フ〓ニ徴兵下検査手続及ヒ徴兵人員概算表ヲ付シテ参看ニ供ス 徴兵下検査手続 徴兵下検査ハ左ノ方法ヲ以テ施行ス 第一 戸籍点検 第二 戸籍照較 第三 質問 第四 送籍地調査 第一 戸籍点検 戸籍点検ハ各町村戸籍簿毎葉ヲ調査シ其年適齢者其他常備年期間身上異動者ニシテ除籍死亡ハ勿論其常備年期間ノ異動者ニ非ラサルモノト雖トモ苟モ徴兵ニ関シ嫌疑アルモノハ悉ク戸籍ニ凡ソ竪二寸巾五分ノ片紙ヲ貼付スルノ法ナリ抑モ之ノ付箋ヲナスハ脱漏者ナカラシム手段ニシテ最モ緊要トス之ヲ敷衍スルニ此方法ヲ施サヽレハ到底其事務ヲ全フスルコトヲ得ス然レトモ戸籍照較ハ徴兵事務条例ニ単ニ戸籍照較スヘキ明文アルノミニシテ之カ方法ヲ示サヽルヲ以テ其方法密ナルトキハ照較ノ効アルモ若シ其方法宜キヲ得サルトキハ其脱漏者ヲ防クコト能ハス聞ク処ニ拠レハ他府県ノ如キハ其方法ヲ異ニシテ調査上大ニ精粗アリト今本県経歴上ノ事件ト点検上着目スル処ヲ概述セン是徴集者ヲ発見スル基礎ナレハナリ則左ノ如シ 一 本人若クハ父母等ノ誕生年月ヲ塗抹或ハ刳取之ヲ改竄スルモノ 一 送籍年月分家絶家再興年月退隠若クハ廃嫡年月ヲ第一項ノ如ク改竄スル者 一 戸籍用紙ノ新キ者 一 検査時限内下検査巡行后ニ係ル異動者 一 付箋等ヲ以テ送入籍其他異動ヲ記スル者 一 戸籍上姓名アリテ其身分誕生登記ナキ者 第一項誕生ヲ改竄スル者仮令十六年適齢者〔文久二年二月生〕ヲ元治元年トシ下検査巡回后之ヲ剝キ取リ翌年調査ニ際シ又十六年適齢ナラシメ或ハ適齢ノ期ヲ前后ニシテ免役名称ヲ得ントシ就中父母誕生ノ如キハ五十歳未満ヲ五十歳以上ナラシムル等ノ弊害ナキ能ハス第二送入籍年月等徴兵令改正后ニ係ル者ヲ其以前ノ年月ニ改竄スルノ類アリ第三ノ如キハ第一第二ノ奸策ニ較レハ大ニ調査ヲナスニ難カラス何トナレハ本県戸籍ハ大抵明治十年一月改正ニ係ルヲ以テ之ニ新紙ヲ挿入スルモ其新ヲ掩フ能ハサレハナリ第四ノ異動者ハ下検査巡行前ノモノヲ巡行后ノ異動トナサンカ為事務官巡行終ルヲ待テ戸籍ニ登記スル情状ナキヲ保セス故ニ是等疑訝ノ輩ヲ調査スルニ多クハ届洩ナリ而シテ其届漏応徴者ノ情態ヲ探クルニ徴兵適齢若クハ免役名称ヲ罷メタル当時届漏トナルモ発露ノ際先入兵トナルニ過キサルヲ以テ万一ヲ僥倖セントスルノ弊ナシトセサルナリ第五付箋ニ送入籍等記スルモノハ前半調査ニ莅ミ之ヲ削キ取リ調査ヲ免レントスルモノアリ或ハ否ラサルモ応徴身分ニシテ前年調査セシ付箋ノ貼痕ナキハ適齢当時之ヲ抜キ后亦編入シ或ハ其年皈籍セシモノヲ前年ニ遡リ某年月皈籍ト記スル等ノモノ尠カラス第七誕生年月等記入ヲナサスシテ適齢或ハ常備年期罷名称等ノモノ往々アリ故ニ之等ハ最モ緻密調査ヲ加フルモノトス 第二 戸籍照較 戸籍照較ハ其法左ノ如シ 甲 戸籍点検者 乙 国民軍ノ外免役壮丁名簿ト平時免役届書ヲ持スルモノ 丙 平時免役壮丁名簿ト徴集届書ヲ持スル者 丁 徴集壮丁名簿ト国民軍ノ外免役届書ヲ持スル者 戊 国民軍名簿ト年齢計算表ヲ持ツ者 抑モ戸籍照較タルヤ甲戸籍ヲ点検シ照較ヲ要スルトキハ之カ免否ヲ決シ若シ決シ難キモノハ衆議ニ決ス而シテ某長男国民軍ノ外免役ト甲呼ハ丁其声ニ応シテ其届書ヲ朗読シ以テ戸籍及戊ノ国民軍名薄ニ照較ス朗読竣ルヤ否ヤ戊其父兄年齢ヲ計算何年何月ト呼ヒ免役ノ印ヲ国民軍名薄備考欄内ニ捺押ス而シテ甲ハ同時戸籍ニ貼紙アル付箋ニ圏点ヲ画ス若シ乙丙ノ名簿ニ符合シ丁戊ノ名簿ニ齟齬スルトキハ甲ハ其要領ヲ戸籍ノ付箋ニ記シ以テ質問ノ材料トス 第三 質問 前条戸籍照較上ヨリ起ル不明ノ件中届洩ト認ムルモノ或ハ年齢改竄等ノ者ハ前年名簿或ハ質問録ニ拠リ精細調査ヲ遂ケ尚不明ナルトキハ質問録ヲ製シ精覈ヲ得ルヲ要ス但質問書ハ郡区長ニ付シ其答弁ヲ得ルモノナリ従前ノ実査ニ拠ルニ由是徴集者ヲ発見スルモノ幾ト其年ノ十二分ノ一二ニ居レリ 第四 送籍地調査 送籍地調査ハ仮令ハ甲郡ヨリ乙郡ニ送籍スルモノハ乙郡巡行ノ際之ヲ調査ス亦乙郡ヨリ更ニ丙郡ニ養子等ニ送籍セシモノハ之ヲ丙郡ニ調査シ以テ其結果ヲ見ルヲ要ス然ルニ連年ノ経験ニ拠レハ往々入籍セス或ハ送籍包懐シ遂ニ発露スルモノ尠カラス 右之通 但為御参照前年徴員増減表ヲ相添候 徴兵人員概算表 一 千六百五十人 右ハ十六年徴兵 千八百三十九人 十七年徴兵 内 南多摩郡 百八十人 津久井郡 七十人 北多摩郡 百三十人 西多摩郡 百八十人 都筑郡 八十六人 橘樹郡 百三十人 横浜区 五十人 足柄下郡 百二十人 足柄上郡 百三十人 大住淘綾両郡 二百十三人 高座郡 二百二十五人 鎌倉郡 九十人 愛甲郡 七十人 久良岐郡 四十五人 三浦郡 百二十人 差引十六年ヨリ増員凡百八十九人 勧業ノ状況 勧業ノ事ハ米麦其他共進会ヲ勧誘シテ漸々民智ヲ発達セシムルヲ主トシ別ニ民業ニ干渉セサルモノヽ如シ 土木起功ノ状況 道路河川橋梁修繕開鑿等ニ就テハ官民トモ尽力セサルニアラスト雖モ仍ホ著シルシキ功績アルモノ稀レナルカ如シ別紙県庁ヨリ差出タル現況書ヲ付シテ閲覧ニ供ス 土木起功ノ現況 一 横浜区内字野毛坂道路切下ケ事業 此ハ東海道橘樹郡ヨリ横浜港ニ至ル開港以来之本道タリ該線路中戸部町ト野毛町トニ係ル字野毛坂ハ峻険ナラサルモ通行不便ナルヨリ多クハ此線ニ依ラスシテ北方紅葉坂ニ迂回ス故ニ本阪路長百九十九間ノケ所高キハ弐拾六尺ヲ切下ケントス而シテ其業竣ルノ后チハ勾配壱間ニ三寸以内ニシテ車馬十分ニ往来シ得ルノ経画ナリ其工費ハ九百三拾六円八拾五銭八厘外ニ切下ケヨリ生シタル土砂ノ他ニ要スル処アルカ為メニ用所ヨリ土砂運搬費トシテ支出スル金千八百弐拾七円弐拾四銭ナリ 一 相模国三浦鎌倉両郡内道路開鑿事業 此ハ三浦郡浦賀横須賀地方ヨリ東浜ヘハ海路一方ノ便アルノミニテ他ハ悉皆山岳ニ隔テラレ本県中最モ通行ノ不便ナルヨリ有志者ニ於テ道路ノ開鑿ヲ謀リ三浦郡久木村ヨリ鎌倉郡大町村ニ至ルノ間タ長七百余間ヲ開鑿シ而シテ字名越坂及名越谷戸ノ弐ケ所ハ峻山ナルヨリ〓ニ長九拾間ノ墜道ヲ開鑿セントスルノ法案ニシテ其工費ハ金四千円余ナリ 一 県下川々堤防修築事業 此ハ多摩川相模川酒匂川其他川々昨明治十五年ノ秋季ノ出水ハ近年稀ナル洪水ニテ為メニ堤防破壊ノケ所不少殊ニ水刎ノ如キハ十ノ七八ハ流失ス其旧復スヘキ工費ハ拾四万九千三百拾九円トス然レトモ地方費及ヒ協議費支出ニ限リアルヨリ本年度ニ在テハ地方費ヨリハ金四万円ヲ補助シ其他ハ従来堤防修繕ニ関係アル町村ノ地価五百分一ノ協議費トヲ併セ前述破損ノケ所ニ就キ最モ急ヲ要スル部分ヲ修メ其他ハ十六年度ニ之ヲ譲ル且従来本県堤防修築ノ方法タルヤ一時ノ防禦ニ備ヘルモノニ過キサルヨリ漸次方法改良ノ見込ヲ以テ内務省土木局ト協議ヲ遂ケ多摩川筋北多摩郡谷保村及橘樹郡菅生村地内ニ於テ目下刀根川等ニ施ス所ノ芝工ニ着手セリ 一 横浜外国人居留地下水路改造ノ事業 此居留地下水構造ニ就而者其区別ヲ三区ニ別ツ其第壱区ハ沼地ヲ塡埋シ新居留地トナシ其際ニ構造セシ下水管ハ完全ナラサルモ稍流通ニ障碍ナキヲ以テ之ハ暫ク現在ノ儘閣クモ第二第三ノ〔旧居留地ト云ケ所ニ該ル〕二区ハ其起業タル明治三年ノ施行ニ係リテ下水管ノ口経七寸亦ハ五寸ナルモ其第二区ノ部ニ至テハ路傍ニ雨水ト汚水ト合流セシメテ堀川ニ注入スヘキ石造樋ノ存在シアルト二区ト三区トノ地盤ニ高低アルカ故ニ一時ニ之カ連帯ノ工業ヲ施為セントスルハ事業モ不容易ニシテ其工費モ亦巨額ニ渉ルヲ以テ是ヲ区分シテ他日ニ譲ル然ルニ第三区ニ至テハ全部中央ノ管タル七寸ト五寸トノ口経ニシ雨水ノミニテモ疏通シ難キニ尚ホ居住者ヨリ注流スル所ノ汚水ノ管ヲ之ニ接続ス故ニ悪水渋滞シテ終ニ路傍及ヒ各館内ニ瀦溜スルノ憂ヲ招クニ至レリ仍テ此三区ノ地盤高低ヲ測定シ雨水汚水ノ量ヲ算出シ別紙図面ノ如ク構造ノ法案ヲ定メ明治十四年十二月業ヲ起シ目下九分ノ出来形ナリ其工費ハ金八万余円ナリ 土木起功セントスルモノヽ件 一 甲州街道開鑿之事業 是ハ東京府ヨリ山梨県ヘ至ルノ街道ニシテ其間県下ニ属スル字小仏峠ノ阪路アリ其峻険ナル実ニ単身徒歩ト雖モ困難ヲ極ムルノ悪路ナルヨリ津久井郡小淵村ヨリ南多摩郡上椚田村ニ至ル道路ヲ開鑿修理スルトキハ大ニ便ヲ得ルヲ以テ此工費ヲ概算スルニ金拾八万千六百四拾七円七拾七銭五厘ヲ要ス乃チ寄付金地方税ヲ併セ国庫ノ補助ヲ請ヒ事業着手セントス目下夫々取調中ニ係ル 一 東海道阪路開鑿事業 是ハ程ケ谷戸塚両駅間ニ三峻路アリ車馬通行ノ不便不尠ヨリ之ヲ開鑿セントス其工費ハ壱万三千七百七拾円九拾三銭壱厘ニシテ即チ寄付金地方税国庫補助費(目下請求中)ヲ併セ開鑿着手セントスル所ナリ 一 同箱根車道開鑿ノ事業 是ハ延長九千九百九拾七間ヲ開鑿シ延長四千六百四拾九間半ハ旧道ニシテ修繕ヲ加フルノ見積リナリ其工費概算拾二万四千余円ニシテ成功ノ上ハ四十ケ年間通行ノ人車馬ヨリ道銭請求スヘキノ見込ヲ以テ発起人東京府平民田中金兵衛外十数名ヨリ本県并ニ静岡県ヘ出願セリ仍テ当今其筋ヘ禀議中ニ係レリ 一 本県庁移転之件 是ハ本庁明治十五年十二月中焼失ニ付旧庁位置亦ハ尾上町旧外務省出張所跡又ハ太田陣屋ノ議アルモ理論上ヨリ考案ヲ下セバ税関ヲ買請クルニシカサルカ故ニ此議ニ決シ其筋ヨリ裁可ヲ経テ金八万円ニテ買請ルノ約ヲ為ス而シテ移転ニ就テハ廐馬車置所馬丁部屋及ヒ焚所新築且間内模様替等ニ要スル費用ハ五千弐百拾弐円拾銭ノ予算ナリトス但シ旧県庁敷地ハ公売ニ付シ地方費雑収入ニ組込ノ計算ナリ (付箋)『本文図面ハ再ヒ面談之折可供電覧候』 警察本署 警察本署ヲ県庁内ニ置キ警部長署長トシテ事務ヲ総理ス署中ノ事務大別シテ庶務視察紀律探偵会計ノ五掛ト為ス左ニ掲クル条件ハ県令ノ裁可ヲ経テ処分シ他ハ署長専決施行ノ後報告スルモノトス但非常重大ニ係ルモノハ此限ニアラス 第一条 違警罪目ヲ増加更正スル事 第二条 警察署及分署ノ位置ヲ変更スル事 第三条 巡邏方法并ニ巡査派出所交番位置変更又ハ廃立ニ属スル事 第四条 署中ノ諸掛ヲ廃置分合スル事 第五条 各署并郡区役所又ハ戸長役場ヨリ伺書ニ指令スル事 但特ニ例規アルモノハ此限ニアラス 第六条 外国ニ関スル事件ヲ処分スル事 但特ニ例規アルモノハ此限ニアラス 第七条 外国領事ヘ照会往復スル事 第八条 火薬石油其他危険物ニ係ル製造場等ノ事件ニ関スル事 第九条 警察上褒賞及救助料等ヲ賜給スル事 第十条 官院省ヘ禀議及庁府県ヘ照会往復スル事 但巡査身分上ニ係ルモノハ此限ニアラス 第十一条 各署ノ定員ヲ増減スル事 第十二条 警部以下ヲ管外ヘ巡遣スル事 但非常急遽ノ場合ハ此限ニアラス 第十三条 巡査雇ノ賞罰黜陟ニ関スル事 第十四条 臨時警察会議ノ事 第十五条 警察会議ノ議案ヲ調製スル事 第十六条 諸願届ニ指令スル事 但特ニ例規アルモノハ此限ニアラス 第十七条 警察上寄付物品ニ関スル事 第十八条 報告表ヲ調製スル事 第十九条 集会条例ニ関スル事 第二十条 警察上ノ経費ヲ予算及ヒ増減スル事 第廿一条 警察上ニ関スル金銭ヲ収支スル事 第廿二条 営繕ニ関スル事 第廿三条 新ニ事ヲ設ケ又ハ旧規ヲ変更スル事 第廿四条 劇場見世物及芸娼妓貸坐敷ノ創廃并ニ取締ニ関スル一切ノ事 第廿五条 旅客汽舟取締ニ関スル一切ノ事 第廿六条 港内取締ニ関スル一切ノ事 第廿七条 外国人ニ関係セサル内国難破船及漂流物ニ関スル一切ノ事〔難破船及漂流物等ニ付各官庁ト相互文書往復シ并ニ管内ヘ告示スルヲ除ク〕 第廿八条 洗湯及温泉営業ニ関スル一切ノ事〔洗湯及ヒ温泉営業者ノ代替及改姓名願届ノ事ヲ除ク〕 第廿九条 風俗取締ニ関スル一切ノ事 各掛ノ分掌事務左ノ如シ 庶務係 事務条例第二条第四条第六条第七条第八条第九条第十条第十一条 第十二条第十三条第十七条第十八条第二十三条 銃砲取締規則ニ関スル事 警察上庶務一切ニ関スル事 劇場見世物及芸娼妓貸坐敷ノ創廃并ニ取締ニ関スル事 旅客汽船取締ニ関スル一切ノ事 港内取締ニ関スル一切ノ事 外国人ニ関セサル内国難破船及漂流物ニ関スル一切ノ事 洗湯及温泉営業ニ関スル一切ノ事 風俗取締ニ関スル一切ノ事 視察掛 事務条例第十九条 巡査勤惰ヲ査察監督スル事 各署事務ノ挙否ヲ注目スル事 集会演説場劇場等ヘ臨監スル事 健康保護ノ事 紀律掛 事務条例第一条第五条第十条第十四条第十五条第十六条第二十二条 警察上ニ関スル諸規則類起草ノ事 署中記録簿冊編纂保存スル事 署中書籍ヲ監守スル事 探偵係 事務条件第十条 警察上探偵一切ニ関スル事 会計掛 事務条件第十条第二十条第二十一条第二十二条第二十三条 警察官費地方警察費警察庁舎建築修繕費及ヒ探偵消防費特置巡査費ヲ出納スル事 巡査積金及警察上ノ寄付金ヲ出納スル事 違警罪犯者科料金及ヒ売淫等ノ罰金其他警察上ニ関スル雑収入金ヲ取扱フ事 本署ノ予備金ヲ出納スル事 警察署金銭ノ出納及ヒ物品ヲ調査スル事 官没品及遺失物等ノ売却処分ヲナス事 巡査被服属具及ヒ用度ノ事 県庁各課管掌ノ事務ニシテ警察署ノ参与スルモノ左ノ如シ 庶務課事務ノ内 図書出版及写真出版并ニ新聞雑誌ニ関スル事 外国人ニ関係ナキ漂泊人ニ関スル事 外務課事務ノ内 外国船難破及外国人ニ関係アル漂流物ニ関スル事 外国人銃猟ニ関スル事 揮発物并ニ爆発物貯庫ニ関スル事 勧業課事務ノ内 獣医及家畜伝染病予防ニ関スル事 租税課事務ノ内 内国人銃猟ニ関スル事 諸舟車ニ関スル事 賦金ヲ徴収シ及其事務ニ関スル事 衛生課事務ノ内 医師製薬家薬舗薬商産婆ニ関スル事 売薬及薬湯ニ関スル事 病屍解剖ニ関スル事 顚狂院ニ関スル事 地方衛生会ニ関スル事 梅毒病院及楳毒検査所ニ関スル事 消毒所ニ関スル事 各地飲水検査及其改良ニ関スル事 販売ニ係ル飲食物検査ニ関スル事 飲食物及玩弄品ノ着色料其他顔料等販売ニ関スルコト 売水売氷牛乳営業并ニ屠場ニ関スル事 道路厠圊ノ廃置変換等ニ関スル事 汚物掃除及溝渠浚除ニ関スル事 但道路改良及沿道溝渠改良浚除ニ関スル事務ハ此限ニアラス墓地及火葬場ニ関スル事 汚物揚卸場ノ査定ニ関スル事 伝染病ニ関スル事 土木課事務ノ内 道路橋梁修築下水鑿浚ニ関スル事 道路掘穿等ニ関スル事 物品揚卸場ニ関スル事 警察区画 警察署六分署三十七アリ警部二十七人警部補二十八人巡査七百四拾九人総人員八百五人之ヲ全県ノ戸数十五万九千五百六十一ニ比較スレハ百九十八戸余ニ付一人ノ割ニ当ル又人口八十万三百六人ニ比較スレハ九百九十四人余ニ付警察吏一人ノ割ニ当ル 警察署ハ警部ヲ以テ署長ニ充テ本署長ノ指揮ヲ受ケ所轄内警察事務ヲ施行ス其事務ヲ大別シテ庶務会計検察掛治安裁判所々在ノ地ニ限ル内勤掛外勤掛内外内訳ハ区内警察署ニ限ルト為ス管掌ノ事務左ノ件々ハ本署長ノ指揮ヲ受ケ所分シ他ハ非常重大ニ係ルモノノ外専決施行スルモノトス 第一条 巡邏方法并ニ巡査派出所交番位置ノ変更又ハ廃立ニ属スル事 第二条 新ニ事ヲ設ケ又ハ旧規ヲ変更スル事 前各項ニ記載セサルモ本署事務条件ニ掲タル条件ハ素ヨリ専行スルヲ得ス 各掛分掌事務左ノ如シ 庶務掛 違警罪犯ヲ処分スル事 巡査雇ノ進退賞罰ヲ具状スル事 巡査会議ヲ開ク事 巡査ヲ召募シ本署ヘ進退スル事 但横浜区内各署ハ本文ノ限ニアラス 集会条例ヲ取扱及集会演説所其他寄場等ヘ臨監シ其犯則者ヲ処分スル事 庁府県ノ各課裁判所営所警察所及郡区役所戸長役場等ヘ照会往復スル事 警察取締規則ニヨリ営業者ヲ処分スル事 規則ニヨリ淫売ヲ処分スル事 罪囚ヲ押送スル事 拘留人疾病ヲ治療セシムル事 規則ニヨリ遺失物ヲ処分スル事 火災消防ニ関スル事 拘留人ニ差入物及通信并面会願ヲ許否スル事 監視ニ付セラレタル者ヲ処分スル事 巡査雇ヲ所管内ニ出張セシムル事 但管外ト雖モ逓伝及非常急遽ノ場合ハ本文ニヨル 探偵雇及小使ヲ進退スル事 戸口調査ノ事 報告表ヲ製シ翌月七日迄ニ本署ヘ逓送スル事 警察上庶務一切ニ関スル事 署中ノ簿書ヲ編纂保存スル事 署中ノ書籍ヲ監守スル事 会計掛 各費ノ予算金及予備金ヲ収支スル事 罰金科料金及巡査積金雑収入金ヲ取扱フ事 毎月ノ仕払概算金ニ対スル勘定帳ヲ製スル事 各分署ノ予備金及ヒ用度品受払帳備付品台帳等ヲ監査スル事 巡査被服属具ヲ事故アリテ請求ニヨリ引替スル事 営繕用度等ニ関スル事 遺失物ヲ監守シ及ヒ売却処分スル事 警察分署長ハ警部警部補又ハ代理ヲ以テ之ニ充ツ所属署長ノ指揮ヲ受ケ部内警察事務ヲ執行ス管掌ノ事務左ノ二ケ条所属署長ノ指揮ヲ経テ処分シ其他ハ専決施行スルモノトス但シ非常及ヒ重大ノ事件ハ此限ニアラス 第一条 巡邏方法并巡査派出所交番位置ノ変更又ハ廃立ニ属スル事 第二条 新ニ事ヲ設ケ又ハ旧規ヲ変更スル事 警察分署事務専掌 第一条 遺警罪者ヲ処分スル事 第二条 規則ニヨリ遺失物ヲ処分スル事 第三条 警察取締規則ニヨリ営業者ヲ処分スル事 第四条 監視ニ付セラレタル者ヲ処分スル事 第五条 所属署長ノ批可ヲ得テ売淫取締規則違犯者ヲ処分スル事 第六条 集会演説所其他劇場等ヘ臨監シ其犯則者ヲ処置スル事 第七条 罪囚ヲ押送スル事 第八条 拘留人疾病ヲ治療セシムル事 第九条 拘留人指入物及通信并ニ面会願ヲ許否スル事 第十条 巡査ヲ所轄内ニ出張セシムル事 但所轄外ト雖モ逓伝及ヒ非常急遽ノ場合ハ本文ニヨル 第十一条 庁府県ノ各課裁判所営所警察署及ヒ郡区役所戸長役場等ヘ照会往復スル事 第十二条 諸費遣払仕出書ヲ所属署長ヘ差出ス事 第十三条 戸口調査ノ事 第十四条 報告表ヲ製シ翌月三日迄ニ所管警察署ヘ逓送スル事 第十五条 署中ノ簿書ヲ編纂及ヒ保存スル事 第十六条 署中ノ書籍ヲ監守スル事 (注一、二、三)原資料では一覧表となっているが本書においては以下のごとき体裁をとった。 居留地警察署ノ状況 居留地警察署ハ横浜区境町ニ在リ外国人ノ居留地一円ヲ管轄ス職員ハ署長警部兼五等属能勢辰五郎ヲ始メ警部補ニ至ル八名巡査二百三拾三名等外御用掛五名内通弁三名雇三名外国人羅卒一人瑞典国人十五年六月雇入ル月俸金四拾五円ヲ給ス合計弐百五拾八名アリ居留地総坪数三拾六万九百三拾三坪余ニシテ外国人戸数十五年十二月三十日ノ調査ニ依ル六百九拾二戸人口三千五百拾二人内男二千三百三十七人女三百八十八人其内英国人六百拾八人米国人二百五拾五人清国人二千百五拾四人独乙人百六拾一人仏国人百拾八人以下各国人等百人ニ上ラスナリ右外国人ノ現員及ヒ戸数ヲ以テ巡査定員ニ比較スルニ巡査壱名ニ付外国人員拾五人強ニ当ル戸数三戸弱ニ当ル抑居留地警察上ニ就テハ県令殊ニ注意ヲ為シ務メテ外国人ノ信用ヲ厚シ我国権ヲ冥々裡ニ拡張セント尽力ス故ニ署長其他各員ニ於テモ県令ノ意ヲ体シ勉勤怠タルコトナク能ク其職ヲ尽クス然レトモ水夫其他卑賤ノ外国人等我人民ヲ軽蔑シ暴行ヲ為スモノ続々之レアリ又ハ我国民罪ヲ犯シ外国人ノ家屋ニ逃匿スル等ノ弊アリテ警察官吏ハ甚タ多事ナルノミナラス時トシテハ処分上大ニ困難スルコトアリ〓ニ警察署長ヨリ提出セル刑事々故表ヲ付シテ参考ノ一斑ニ供ス 外国人ニ関係事故ノ部 日本人ニ関係事故ノ部 新聞紙ノ状況 新聞紙雑誌ハ管下ニテ発行スルモノハ外国新聞ヲ除クノ外之レ無シ京浜毎日新聞ハ近頃本店ヲ横浜ヨリ東京ニ移セリ而シテ県下人民ノ購読スル新聞帋ハ東京ニテ流行スル諸新聞帋ナリ就中京浜毎日新聞帋輸入ノ数最モ多シト云フ 政談演説ノ状況 本県ハ東京ニ接近スルヲ以テ都下ノ演説者更々来テ演説会ヲ催シ人民ヲ誘動ス而シテ其場所ハ重ニ横浜港武州八王子相州高座郡上溝村小田原駅藤沢駅五ケ所ニシテ横浜ヲ以テ第一トス八王子之ニ次ク一ケ月開会度数異同アリト雖モ多キハ拾度少キモ五六度ニ下ラス仮令ハ十度開会アレハ横浜ニ五度八王子ニ四度他ハ算スルニ足ラス弁士ハ多ク東京ヨリ来ルモノニシテ就中重立タルモノハ別紙ノ通リニ有之其他県下人民ニ在テハ島田三郎肥塚龍大塚成吉今村角太郎等ヲ巨摯トシ其余ハ多ク代言人等ニ係レリ東京ヲ除クノ外他ノ府県ヨリ来テ演説スル者甚タ稀ナリ傍聴人ハ大抵商人多シ近来軽躁過激ノ演説無之概ネ自由改進両党ニ於テ互ニ党社ノ是非如何ヲ甲論シ乙駁スルノミニシテ先ツ穏カナリ而シテ彼ノ自由改進両党相駁撃スル以来聴衆ハ非常ニ増加シ目下頗ル盛大ノ景況アリト雖モ是レ盖シ一時人心ヲ聳動スルニ足ルノ演説タルカ故ニ然ルモノナラント思量セラル 自由党演説者中重立タルモノ 宮部襄 内藤魯一 北田正董 大井憲太郎 星亨 古沢滋 末広重恭 『当県大住郡南金目村寄留』細川〓 植木枝盛 高橋基一 城山静一 西村玄道 馬場辰猪 土居光華 赤羽万次郎 鈴木舎弟 小室信介 『愛甲郡三田村平民』井上徳太郎 『高座郡藤沢駅平民』府川鎌斎 『当港寄留』今村角太郎 井田忠信 改進党演説者中重立チタルモノ 『当県平民』島田三郎 『同』肥塚龍 沼間守一 青木匡 尾崎行雄 藤田茂吉 飯塚銀弥 堀口昇 角田真平 志摩万次郎 波多野伝三郎 高梨哲四郎 砂川雄俊 小野梓 『横浜寄留』大塚成吉 政党ノ状況 本県管内ニハ認可ヲ与ヘタル政党無之政事ヲ談スル輩ハ総テ東京ノ改進自由両党ニ加盟ス而シテ其加盟スル者ハ概ネ平民ナリ然シテ明治十五年中迄ハ僅々八拾二名ノミナリシカ本年ハ未タ半歳ヲ経過セサルニ八拾弐名ノ多キニ至ル本年分ハ漸次加盟シタルモノヲ通知ノ節纒メテ八拾弐名ニ至リタルモノナレトモ仮リニ本年分トス其原由タルヤ人民政事思想ノ智ニ富ンテ然ルニアラス是果シテ両党遊説勧誘スルノ然ラシムル処ナリト思量セラル然而該党員タルヤ当港ニ少ク却テ武州西南北三多摩郡ニ多シ今其理由ヲ考フルニ当港ハ人民輻輳人家稠密且ツ五港ノ一ニ位スル都会ニシテ商業繁劇唯タ営利ノ間ニ奔走スル輩多クシテ素ヨリ空談理論ニ従事スルノ暇ナキノミナラス政事上ノ思想ニ乏シキ者多ク稀レニ加盟スル者アルモ生計ニ裕ナル者或ハ代言人社会ノ者ニ止レリ而シテ彼ノ輩等ノ思想ヲ探知スルニ敢テ確乎不抜ノ精神アツテ加盟スル者ニアラス概ネ世間ニ栄誉ヲ需メントシテ加盟スル者ト云フテ可ナリ又武州三多摩郡ノ如キハ尤モ東京ニ接近スルヲ以テ政談弁士等交モ往復煽動スルニ原因シ自然無智ノ人民等加盟スルニ到リシト察セラル他各郡ハ大同小異ナリ警察署ニ於テ取調タル政党人員左ノ如シ 神奈川県下政党人員及党派取調書 計人員百六拾四人 内 自由党 百四拾人 改進党 弐拾四人 犯罪ノ状況 神奈川県下ノ犯罪ハ相模地方ニ少フシテ武蔵地方ニ多シ而テ其種類中最モ多キモノハ詐偽取財富籤購買窃盗賭博之ニ次クモノハ強盗紙幣偽造等トス 監獄ノ状況 監獄ハ横浜戸部町ニ本署ヲ置キ横浜横須賀小田原八王子ノ四ケ所ニ支署ヲ置ク本年八月十日現在横浜監獄署ニ已決六百六十四人内男六百二十五人女三十九人未決百四十一人男百二十六人女十五人已決囚ノ就役ハ七宝焼米搗竹工紙漉織工桶工大工裁縫藁工莫大小工染工雑役外役等トス横浜支署ハ未決男九十三人女ナシ横須賀支署ハ已決男百五十九人アリ小田原支署ハ已決男十二人女二人未決男十人八王子支署ハ已決男十人女二人未決男七十一人女二人右合計已未決千百六十六人之ヲ全県ノ人口八十万三百六人ニ比較スレハ六百八十六人三分六厘余ニツキ囚徒一人ノ割ニ当ル亦少ナシト云ヘカラス爰ニ監獄本署ヨリ提出セル現在已決囚人ノ数男女ノ内訳及ヒ処刑ノ種別表明治十五年中及十六年六月迄ノ毎月末在監ノ已末決総表十四年度在府県獄囚徒費一覧表十五年度在府県獄囚徒費予算一覧表十四年度監獄収支一覧概表十五年度監獄収支予算一覧概表四葉ヲ付シテ電覧ニ供ス (注)別表欠。 裁判所ノ状況 横浜始審裁判所及ヒ同裁判所小田原八王子ノ両支庁横浜治安裁判所小田原治安裁判所八王子治安裁判所ノ状況左ノ如シ 横浜始審裁判所民事件数明治十五年中八百四十三件内已決七百五十七件未決八十六件十六年一月ヨリ五月ニ至ル三百四十三件内已決二百三十四件未決百九件又控訴件数十五年中七十七件内已決六十一件未決十六件十六年一月ヨリ五月ニ至ル五十六件内已決四十二件未決十四件又軽罪ハ十五年中総件数千二百九十二件内已決千二百五十五件未決三十七件上告二十七件故障四十五件十六年一月ヨリ五月ニ至ル五百九十二件内已決五百四十八件未決四十四件上告二十九件故障十四件又重罪総件数ハ十五年中三十六件内已決三十六件上告八件十六年一月ヨリ五月ニ至ル三十五件内已決二十六件未決九件上告六件又予審総件数ハ十五年中千三百十五件内已決千百八十二件未決百三十三件十六年一月ヨリ五月ニ至ル三百九十八件内已決三百四十三件未決五十五件又民事訴訟中外国交渉件数ハ十五年中四十八件内已決四十一件未決七件十六年一月ヨリ五月ニ至ル拾八件内已決十二件未決六件ナリ 小田原支庁○欠ク 八王子支庁○八王子支庁ハ十六年二月ヨリ開庁ニ付十五年ノ件数ナシ十六年自二月至七月二百二十五件控訴十一件又軽罪ハ十六年一月ヨリ六月ニ至ル百五十六件又予審ハ十六年二月ヨリ五月ニ至ル百八件ナリ 横浜治安裁判所○勧解ハ十五年中壱万八百三十件十六年一月ヨリ五月ニ至ル五千二百七十九件ナリ小田原治安裁判所○民事件数明治十五年中七百三十五件内已決六百三十六件未決九九件十十六年一月ヨリ五月ニ至ル四百六十件内已決三百八十件未決七十二件八又勧解ハ十五年中五千百八十一件十六年一月ヨリ五月ニ至ル二千八百四十五件又軽罪ハ十五年中二百四十八件已決二百四十四件未決四件十六年一月ヨリ五月ニ至ル百四十七件已決百四十一件未決六件ナリ 八王子治安裁判所○民事件数十五年中二千六百九十五件十六年一月ヨリ七月ニ至ル千六百九十三件又勧解ハ十五年中一万九百三十四件十六年一月ヨリ五月マテ六千百二十四件又軽罪ハ十五年中三百四十三人已決十六年一月ヨリ八月ニ至ル二百四十二人已決ナリ 県会ノ状況 管内本籍ノ者人口総計七十四万八千六百弐十六人ノ内撰挙権ヲ有スル者三万三千百八名アリ即チ人口二十二人六分ニ付撰挙人一人ノ割ニ当ル被撰挙権ヲ有スル者一万五千三百八十名総人口四十六人五分余ニ付一人ノ割ニ当ル議員五十七名皆平民ニシテ士族ナシ区部常置委員五名郡部常置委員七名ヲ置ク議員中最モ納税額ノ多キモノハ横浜伊勢町海老塚四郎兵衛ニシテ金二百六十二円八十五銭ヲ納ム議長ハ福井直吉ナリ議員中島田三郎肥塚籠其他改進党員多ク動モスレハ妄リニ減額論ヲ主張シ事業ノ進歩ヲ妨クルノ景況アリ乃チ本年通常会ニ於テモ原案総額金六十万三百四十三円九十六銭六厘ノ所金六万九千三百十二円三十二銭七厘ヲ減少セリト云フ然レトモ県令悉ク認可ヲ与ヘ議事穏便ニ結了セリ爰ニ明治十五十六両年度地方税収入予算決議額比較増減表明治十五十六両年度地方税支出予算決議額比較増減表十五年十六年度原案予算増減表十六年収入予算ト決議案比照増減表十五年度十六年度原案増減表十六年度地方税支出予算原案同決議対照表ヲ付シテ参看ニ供ス 明治十五十六両年度地方税収入予算決議額比較増減表 明治十五十六両年度地方税支出予算決議額比較増減表 十五年度十六年度原案予算増減表 収入ノ部 十六年収入予算ト決議案比照増減表 十五年度十六年度原按増減表 支出ノ部 明治十六年度地方税支出予算原按同決議対照表 町村会ノ状況 町村会町村連合会土木町村会等ハ各郡開会スル所多シ〓ニ一二会ノ規則ヲ付シテ参看ニ供ス 津久井郡連合会規則 第一章 総則 第一条 連合会ハ全郡連合会数町村連合会ノ二種ニ分ツ 第二条 全郡連合会ハ郡内一般ノ公共ニ関スル事件及其経費ノ支出徴集方法ヲ議定シ数町村連合会ハ該町村ノ公共ニ関スル事件及ヒ其経費ノ支出徴集方法ヲ議定ス 第三条 連合会ハ予メ会期ヲ定メス臨時之ヲ開クモノトス 第四条 全郡連合会ハ数町村連合会ヲ論セス会議ノ議案ハ郡長又ハ連合町村戸長協議ノ上之ヲ発ス 但開会ヨリ少クモ三日以前ニ頒布スルモノトス其時期ニ依リ至急ヲ要スルトキハ此限リニアラス 第五条 連合ノ評決ハ議長ヨリ議案ヲ発セシ郡長又ハ戸長ヘ届出郡長又ハ戸長ハ之レヲ連合町村ヘ公告セシ上施行スルモノトス 第六条 連合会ニ於テ第二条ニ関スル事項ニ付キ議員ヨリ意見書ヲ出ストキハ之レヲ会議ノ議案トナスコトヲ得但意見書ヲ出スハ開会ヨリ三日以前タルヘシ 第七条 連合会期中議員ノ発議ヲ以テ其連合町村ノ利害ニ関スル事件ニ付キ其筋ヘ建議セントスル者アレハ先会議ノ許可ヲ得テ之ヲ会議ニ付シ可決スルトキハ其町村又ハ其会ノ名議ヲ以テ之ヲ建議スル事ヲ得 第八条 連合会ハ議員ノ招集ニ応セス又ハ事故ヲ告スシテ参会セサルモノヲ審査シ其退職者タルヲ決スルヲ得 第九条 連合会ハ議事ノ細則ヲ議定シ之レヲ施行スルモノトス 第二章 撰挙 第十条 連合会ノ議員ハ各町村会議員中ヨリ互撰投票ヲ以テ弐人ツツ撰挙スルモノトス 但数町村連合会ニ於テハ時宜ニヨリ郡長戸長若クハ議員三分ノ一以上ノ同議ニヨリ議員ノ数ヲ増減スルコトアルヘシ 第十一条 議長副議長ハ議員中ヨリ投票ヲ以テ之ヲ撰定シ戸長及郡長ニ報告スヘシ 但正副議長及議員ハ俸給ナシ然レトモ会期中相当ノ日当ヲ給ス其金額ハ会議ニ問フテ之ヲ定ム 第十二条 書記ハ議長之レヲ撰ヒ庶務ヲ整理セシム 但俸給ハ会費ノ内ヨリ之レヲ給ス 第十三条 議員ヲ撰挙セントスルトキハ先各町村戸長協議ノ上撰挙会日ヲ予定シ少クモ十日以前之ヲ各町村会議員ニ達シ投票用紙ヲ渡シ互撰投票ヲナサシムヘシ 第十四条 投票ハ予定ノ日ニ至リ戸長役場ニ於テ之ヲ為スヘシ 但時宜ニヨリ役場外ニ於テ撰挙会ヲ開クコトヲ得 第十五条 町村会議員撰挙会予定ノ日ニ至リ予メ戸長ヨリ頒布シタル投票用紙ニ自己及被撰人ノ姓名ヲ記シ之レヲ戸長ニ出スヘシ 但投票ハ代人ニ托シ差出スモ妨ケナシ 第十六条 投票ハ撰挙人ノ面前ニ於テ戸長之レヲ披閲シ最多数ノ者ヲ以テ当撰人トシ同数ノ者ハ年長ヲ取リ同年ノ者ハ鬮ヲ以テ定ム第十七条 投票披閲終ルノ後戸長ハ町村会議員名簿ニ付テ当撰人ヲ査定シ当撰状ヲ渡シ当撰人ハ請書ヲ出スモノトス 但当撰人受書ヲ出シタル後戸長ハ其姓名ヲ町村内ニ公告シ且郡長ニ具申スルモノトス 第十八条 議員ノ任期ハ四ケ年トシ二年毎ニ全数ノ半ヲ改撰ス 但第一回二年期ノ改撰ヲ為スハ抽籤法ヲ以テ其退任ノ人ヲ定ム 第十九条 議長副議長ノ任期ハ二年トシ議員ノ改撰毎ニ之ヲ公撰スヘシ 第二十条 前二条ノ場合ニ於テハ前任ノ者ヲ再撰スル事ヲ得 第廿一条 議員中欠員アルトキハ直ニ之レニ代フル者ヲ撰挙スルモノトス 第三章 議則 第廿二条 議員半数以上出席セサレハ当日ノ会議ヲ開クコトヲ得ス第廿三条 郡長戸長又ハ其代理人ハ該会ニ於テ議案ノ旨趣ヲ弁明スルヲ得然レトモ決議ノ数ニ入ルヲ得ス 但第六条ニ掲クル議案ノ旨趣ハ意見書ヲ出セル議員之ヲ弁明スルヲ得 第廿四条 会議ハ過半数ニ依リテ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ可否スル所ニ依ル 第廿五条 会議ハ傍聴ヲ許ス 但郡長戸長及本案者ノ需ニヨリ又ハ議長ノ意見ヲ以テ傍聴ヲ禁スルヲ得 第廿六条 議員ハ会議ニ当リ充分討論スルヲ得然レトモ人身上ニ付テ褒貶毀誉ニ渉ルヲ得ス 第廿七条 議場ヲ整理スルハ議長ノ職掌トス若シ規則ニ背キ議長之ヲ制止シテ其命ニ順ハサル者アルトキハ議長ハ之ヲ議場外ニ退去セシムルヲ得 第四章 開閉 第廿八条 全郡連合会数町村連合会ハ郡長又ハ連合町村戸長協議ノ上之レヲ開キ若クハ議員五分ノ一以上ノ同議ヲ以テ開会ヲ要スルトキハ開会スルコトヲ得 第廿九条 連合会ハ開閉共郡長ヘ具上スルモノトス 第三十条 会期ハ十日以内トス 但シ期限内議了セサルトキハ其事由ヲ再申シ更ニ日限ヲ伸フルコトヲ得 南多摩郡八王子横山宿々会規則 第一章 総則 第一款 本会ハ当宿公共ニ関スル事件及ヒ経費ノ支出徴収方法并議事ノ細則ヲ議定ス 第二款 本会ハ通常会ト臨時会ノ二類ニ別ツ其定期ニ於テ開ク者通常会トシ臨時ニ開ク者ヲ臨時会トス 但臨時会ハ其特ニ会議ヲ要スル事件ニ限リ其他ノ事件ヲ議スルヲ得ス 第参款 通常会臨時会ヲ論セス議案ハ総テ戸長ヨリ之ヲ発ス 但通常会ニ於テ議員ヨリ意見書ヲ出ストキハ戸長之ヲ調査シ当ニ議スヘキモノト認ルニ於テハ直ニ議案トナスヘシ尤モ意見書ヲ出スハ開会ヨリ三日以前タルヘシ 第四款 本会ノ決議ハ議長ヨリ戸長ニ届出戸長ハ之ヲ三日以内ニ宿内ニ公告スヘシ 第五款 本会ハ毎年通常会ノ初ニ於テ経費ニ係ル前年度ノ出納決算ノ報告書ヲ受ケ戸長ニ其説明ヲ求ムルコト得 第六款 通常会期中議員ノ中当宿ノ利害ニ関スル事件ニ付県令ニ建議セントスル者アレハ之ヲ会議ニ付シ可決スルトキハ本会ノ所見トシ議長ノ名ヲ以テ建議スルコトヲ得 第七款 議員ノ中招集ニ応セス亦ハ事故ヲ告ケスシテ参会セサルモノハ審査シ其退職者タルヲ決スルヲ得ル 第二章 選挙 第一款 本会ノ議員ハ廿名トシ議長副議長ハ議員中ヨリ公撰ス 但議長副議長及ヒ議員ハ俸給ナシ 第二款 書記ハ議長之ヲ撰ミ庶務ヲ調理セシム其俸給ハ会費中ヨリ之ヲ支給ス 第三款 本会ノ議員タル事ヲ得ヘキ者ハ満二十歳以上ノ男子ニシテ当宿内ニ本籍住居ヲ定メ且土地ヲ有スル者ニ限ル 但左ニ掲タル者ハ議員タルコトヲ得ス 第一項 風癲白痴ノ者 第二項 徴役一年以上及ヒ国事犯禁獄一年以上ノ実決ノ刑ニ処セラレ満期後未タ七年ヲ経サル者 第三項 身代限ノ処分ヲ受テ負債ノ弁償ヲ終ヘサル者 第四項 官吏及ヒ教導職 第五項 本会ニ於テ退職者トセラレタル後一ケ年ヲ経サル者 第四款 議員ヲ撰挙スル事ヲ得ヘキ者ハ満廿歳以上ノ男子ニシテ当宿内ニ本籍住居ヲ定メ且土地ヲ有スル者ニ限ル尤前款但書ニ掲クル第一第二第三第五各項ニ触ルヽ者ハ撰挙人タル事ヲ得ス 第五款 議員ヲ撰挙セントスルトキハ戸長ハ五日以前ニ撰挙会ヲ開クヘキ旨ヲ公告シ当宿役場或ハ役場外便宜ノ場所ニ於テ撰挙会ヲ開クコトヲ得 第六款 撰挙人ハ戸長ヨリ付与シタル投票用紙ニ自己及被選人ノ住居姓名ヲ記シ預定ノ日之ヲ戸長ニ出スヘシ其投票多数ヲ得タル者ヲ以テ当撰人トシ同数ナレハ年長ヲ取リ同年ナラハ鬮ヲ以テ之ヲ定ム 但投票ハ代人ニ托シ差出モ妨ナシ 第七款 投票終ルノ后戸長ハ撰挙人名簿ニ就テ投票ノ当否ヲ査シ又被撰人名簿ニ就テ当撰人ノ当否ヲ査シ若法ニ於テ不適当ナルカ或ハ当撰人自ラ其撰ヲ辞スルトキハ順次投票ノ多数ヲ得タル者ヲ取ル 第八款 当撰人ノ当否ヲ査定スルノ后戸長ハ其当撰人ヲ役場ニ呼出シ当撰状ヲ渡シ請書ヲ出サシメ然ル后其姓名ヲ宿内ニ公告スヘシ第九款 議員ノ任期ハ四年トシテ二年毎ニ全数ノ半ヲ改撰ス第一回二年期ノ改撰ヲナスハ抽籤法ヲ以テ其退任ノ人ヲ定ム 第十款 議長副議長ノ任期ハ二年トシ議員ノ改撰毎ニ之ヲ公撰スヘシ 第十一款 前二款ノ場合ニ於テハ前任ノ者ヲ再撰スルコトヲ得 第十二款 議員中第二章第三款但書掲クル場合ニ遭遇スルカ其他総テ欠員アルトキハ更ニ之ニ代ル者ヲ撰挙ス 第三章 議則 第一款 議員半数以上出席セサレハ当日ノ会議ヲ開クコトヲ得ス 第二款 会議ハ過半数ニ依テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ可決スル処ニ拠ル 第三款 戸長若クハ其代理人ハ会議ニ於テ議案ノ旨趣ヲ弁明スル事ヲ得ルト雖トモ決議ノ数ニ入ルコトヲ得ス尤モ第一章第三款但書ニ掲クル議案ノ旨趣ハ意見書ヲ出セル議員之ヲ弁明スルコトヲ得第四款 会議ハ傍聴ヲ許ス 但戸長ノ需メニ依リ又ハ議長ノ意見ヲ以テ傍聴ヲ禁スルヲ得 第五款 議員ハ会議ニ方リ充分討論ノ権ヲ有ス然レトモ人身上ニ付テ褒貶毀誉ニ渉ルコトヲ得ス 第六款 議場ヲ整備スルハ議長ノ職掌トス倘シ規則ニ背キ議長之ヲ制止シテ其命ニ順ハサル者アルトキハ議長ハ之ヲ議場外ニ退去セシムルコトヲ得 第四章 開閉 第一款 本会ハ毎年五月十一月ニ於テ之ヲ開ク其開閉戸長ヨリ之ヲ命シ会期ハ十日以内トス 但戸長ハ会議ノ衆議ヲ取リ其日限ヲ伸ルコトヲ得 第二款 通常会ノ外会議ニ付スヘキ事件アツテ戸長ヨリ開会要スルカ又ハ議員全数三分以上ノ同議ヲ以テ開会ヲ要スルトキハ臨時会ヲ開ラクコトヲ得 右ハ当宿々会規則前書之通制定議決奉呈仕候間御裁可被成下度此段上申候也 南多摩郡八王子横山宿 議長不在 明治十四年三月十二日 副議長谷合弥八印 戸長 石川善右衛門 印 神奈川県令 野村靖殿 水利土功会規則 第一章 総則 第壱条 本会ハ神奈川県北多摩郡拝島村田中村大神村三ケ村ノ水利土功ニ関スル事件及経費ノ支出予算徴収方法ヲ議定ス 第弐条 本会ヲ二類ニ分チ定期ニ開クヲ通常会トシ臨時ニ開クヲ臨時会トス 但臨時会ハ特ニ会議ヲ要スル事件ニ限リ之レヲ議ス 第三条 本会ノ議案ハ総テ連合戸長協議ノ上之レヲ発ス 第四条 通常会期中議員ノ内三人以上ノ発議ヲ以テ連合各村内ノ水利土功ニ関スル事件ニ付県令ヘ建議セントスルモノアルトキハ之ヲ会議ニ付シ可決スルトキハ本会ノ所見トシテ議長ノ名ヲ以テ建議スルヲ得ル 第五条 本会ハ毎年通常会ノ始メニ当リ水利土功費ニ係ル前年度出納決算ノ報告書ヲ受ケ戸長ニ説明ヲ求ムルコトヲ得若シ異議アルトキハ議長ノ名ヲ以テ上申スルヲ得 第六条 決議ハ議長ヨリ戸長ニ届出戸長ハ之ヲ五日以内ニ村内ニ公告シ然ル後施行スルモノトス 第七条 議長副議長及議員ハ日当金若干ヲ給ス該金額ハ会議ノ決議ニ依リ之ヲ定ム 但書記ノ俸給ハ議長適宜ニ之ヲ定メ会費ノ内ヨリ支給ス 第弐章 撰挙 第八条 本会ノ議員ハ連合各村ノ耕宅地ヲ論セス水害反別五町歩毎ニ壱名ヲ定員トス 但拾町歩未満五町歩以上ハ二名ヲ撰出シ拾町歩以上五町歩前後ノ端数ハ切捨ツルモノトス 第九条 本会ノ議員ハ満二十歳以上ノ男子ニシテ連合各村内ニ水害反別三反歩以上所有スルモノニ限ル 但左ノ各款ニ触ルヽモノハ議員タルヲ得ス 第一 風癲白痴ノ者 第二 旧法ニヨリ壱年以上徴役及国事犯禁獄ノ刑ニ処セラレ満期後五年ヲ経タル者 新法ニヨリ公権ヲ剝奪及停止セラレタルモノ又ハ一年以上軽重禁錮刑ニ処セラレ満期後五年ヲ経サル者 第三 身代限ノ処分ヲ受ケ負債ノ弁償ヲ終ヘサルモノ 第四 官吏及教導職 第十条 議員ヲ撰挙スルヲ得ヘキ者ハ満二十歳以上ノ男子ニシテ連合各村内ニ水害土地ヲ有スルモノニ限ル 但前条第一第二第三ノ各款ニ触ルヽモノハ撰挙人タルヲ得ス 第十一条 議長副議長ハ議員中ヨリ公撰シ之ヲ戸長ニ届出可シ 第十二条 書記ハ議長之ヲ撰ミ庶務ヲ整理セシム 第十三条 議員ノ任期ハ満四ケ年トシ二ケ年毎ニ全員ノ半数ヲ改撰スルモノトス第一回二年期ノ改撰ヲナスハ抽籤法ヲ以テ退任ノ人ヲ定ム 但前任ノ者ヲ再撰スルヲ得ル 第十四条 議長副議長ハ議員ノ改撰毎ニ之ヲ公撰スヘシ 但前任ノ者ヲ再撰スルヲ得ル 第三章 議則 第十五条 議員半数以上出席セサレハ当日ノ会議ヲ開クヲ得ス 第十六条 会議ハ過半数ノ同意ニ因テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ可否スル処ニ依ル 第十七条 戸長其代理人ハ会議ニ於テ議案ノ旨趣ヲ弁明スルヲ得ルト雖モ決議ノ数ニ入ルヲ得ス 第十八条 会議ハ普ク傍聴ヲ許ス 第十九条 議員ハ会議ノ事項ニ当リ充分討論スルヲ得ルト雖モ或ハ議論詭激ニ渉リ人身上褒貶毀誉ニ触ルヽトキハ議長之ヲ中止ス 第二十条 議場ヲ整理スルハ議長ノ職権トス議員若シ規則ニ背キ議長ノ命ニ従ハサルトキハ之ヲ議場外ニ退去セシムルヲ得 第四章 開閉 第廿一条 通常会ハ毎年三月十日之ヲ開キ其開閉ハ戸長ヨリ之ヲ命シ会期ハ三日以内トス 但戸長ハ議会ニ問ヒ会期ヲ伸フルコトヲ得 第廿二条 通常会期之外連合戸長ニ於テ会議ニ付ス可キ事件アリテ開会ヲ要スルカ又ハ議員全数三分一以上ノ同議ヲ以テ開会ヲ求ムルトキハ臨時会ヲ開クヲ得 備荒儲蓄ノ状況 備荒儲蓄ノ儀ニ付テハ民間更ニ苦情アルヲ聞カス本年県会ニ於テモ総テ原案通ニ議決セリ其額左ノ如シ ○明治十六年度区部備荒儲蓄金収支予算 一金千五百七拾円七拾九銭六厘 収入総額 内訳 一金九百九拾円四十銭 本県公儲金 一金四百九拾五円八銭三厘 政府配付金 一金八拾五円三拾壱銭三厘 公債証書七朱利子 一金百三拾五円 支出総額 内訳 一金三拾円 避難所借入費 一金百五円 焚出飯諸費 一金千弐百七拾円七拾九銭六厘 儲積総額 ○同上郡部予算 一金三万三千八百九拾壱円九拾五銭八厘 収入総額 内訳 一金壱万六千百弐円三拾七銭二厘 本県公儲 一金壱万五千八百六拾九円九拾一銭七厘 政府配当金 一金千百五拾円拾銭 儲積公債証書七朱利子 一金七百六拾九円五拾六銭九厘 儲積預ケ金八朱利子 一金三千百六拾円 支出総額 内訳 一金三千百円 給与補助貸与金 一金六拾円 経費 一金三万七百三拾壱円九拾五銭八厘 儲積総額 内訳 一金壱万六千九百四拾五円九十七銭九厘 公債証書買入金 一金壱万三千七百八拾五円九十七銭九厘 預ケ金 士族ノ状況 本県ハ士族ノ数少ナク県庁ノ保護授産ヲ要スルモノハ独リ旧小田原藩アルノミ該士族ハ明治十年第四拾四国立銀行ニ公債証書ヲ差入レ株主トナリタル者多カリシカ彼等ハ該銀行ノ損失ニ付多ク資産ヲ失ヒ進退頗ル困窮セリ又精米社ナル者ヲ設ケ亜米利加ノ精米器械ヲ用ヒ精米ノ業ヲ営マントセシカ是亦失敗解散スルニ至レリ其解散ノ原因タルヤ同盟社員ヲ以テ職員及職工ニ充テ其事業ヲ採ラシムルニ因リ自然其器械ノ運転ニ慣レサルヨリ図ラサル損失ヲ致シ加之試験ノタメ設ケタル五馬力ノ器械及家屋等悉皆焼失ノ災ヲ受ケ是レカタメ多少資金ニ不足ヲ生シタルノ後更ニ三拾馬力ノ器械ヲ設ケシニ売捌キ方未タ広カラサルヲ以テ其器械モ十分ノ用ヲナスコトナク又日々ノ益金以テ其薪木等ノ費用ヲ支フル能ハス而シテ内ニハ社員其景況ヲ危ミ前約ノ株金大凡二千円余ヲ出サヽル者アリ斯ル不都合ヲ醸シテ遂ニ解散セシト云フ斯ク如ク二回ノ失敗ニテ弥々生活ノ途ヲ失ヒ自ラ方向ヲ知ラサルモノ多シ然レトモ尚ホ奮励自営ノ途ヲ立テント欲シ漁市場ヲ設ケテ漁類ノ仲買ヲ為スモノアリ又積小社ナル貸付金会社ニ委頼シテ機織場ヲ設ケ士族力役場トナサントスルノ議アリ県令モ該地士族授産ノ事ニ付テ頗ル尽力スル見込ナルカ如シ 銀行諸会社及横浜取引所ノ状況 銀行及ヒ諸会社営業ハ一般商業ノ不景気ナルカ為メニ多少閑隙ナルヲ覚フト雖モ其困難甚シキニアラス但横浜取引所ハ布告以来大ニ衰微ヲ来タシ目下取引中止ノ勢ヒナリ右ノ銀行諸会社及ヒ取引所ノ現況ハ別冊県庁ヨリ提出セル取調書中ニ詳カナルヲ以テ添テ参考ニ供ス 銀行諸会社株式取引所景況 管下国立銀行ハ正金銀行ヲ加エ本支店ヲ併セ九ケ所資本金四百十八万円トス此内管下ニ本店ヲ置ク者ハ正金第二第七十四第三十六第百三拾二ノ五行ニシテ支店ヲ置ク者ハ第一第百七第三十五第百ノ四行ナリ今左ニ其概況ヲ述ンニ 正金銀行ハ昨十五年以来逐次其衰替ヲ挽回シ方今大ニ其基礎ヲ堅固ニシ頗ル世ノ信用ヲ得タルヲ以テ株券ノ価直モ漸々騰リテ目下百拾円余トナレリ而シテ本年下半期利益配当割合ノ如キモ商業ノ振ハサルニモ拘ラス之ヲ本年上半期配当割合ニ較レハ二三分ヲ増加スルノ見込ナリト云フ 第二銀行ハ著名ナル鞏固ノ銀行ニシテ業務繁盛株金ニ対スル利益配当割合ノ如キハ常ニ諸国立銀行ニ冠タリ現時其株券ノ価直百五拾円以上ナルノ一事ヲ以テモ世ノ之ヲ信用スル厚キヲ見ルヘシ 第七拾四国立銀行ハ一昨十四年中不時ノ損失ニヨリ殆ント鎖店ノ困難ニ陥溺シタリト雖トモ漸次回復ノ途ニ就キ目今ニ至テハ世之ニ充分ノ信ヲ置クニ至レリ 第三拾六国立銀行ハ其位置管下著名ノ生糸織物産出地ナルヲ以テ営業繁劇往々資金ノ不足ヲ告ルヲ以テ昨十五年資本金五万円ヲ増加シ爾来益々其業務ヲ盛営シ産出者之ヲ便トシ之ヲ信スル厚シ云フ 第百三十二国立銀行ハ其本店ヲ保土ケ谷駅ニ置クト雖トモ営業ハ重ニ東京ニ於テス而シテ本年四月一時鎖店ヲ命セラレタル以来戒〓着実業務ニ従事スルト云フ 第一及第百七国立銀行支店ハ重ニ普通銀行業務ヲ経営シ第三拾五及第百国立銀行支店ハ重ニ荷為換ヲ取扱フ而シテ四店大小アリト雖トモ皆世ノ信用スル所ナリ 右各銀行本年一月以来七八月頃迄ハ営業上格別ノ障碍ニ遭逢セサリシモ八九月頃ヨリ銀貨次第ニ低落シ十十一月ニ至リ其低落益々甚シク銀貨ヲ抵当トシテ貸金ヲ為スハ勿論輸出物品ノ荷為替ヲ取扱フモ損失ヲ免ルヽ能ハサル勢ニシテ諸物価モ亦頻ニ下落シ商業振ハス資本ノ需用ナキヲ以テ殆ント営業ノ途ヲ杜絶シ一時ハ余程困難ノ地位ニ立テリ爾后銀貨ノ価少シク昇騰シ且歳末ニ近ツキタルヲ以テ稍々此衰状ヲ回復シタルカ如シト雖トモ尚ホ金融ハ緩漫ニシテ金利ハ之ヲ本年五六月ノ頃ニ較レハ二三分許ノ低落ナリト云フ以テ銀行景況ノ一斑ヲ知ルヘシ 管下私立銀行ハ三井銀行ヲ除キ本支店ヲ併セテ十九ケ所資本金百弐拾五万余円ニシテ銀行類似会社ハ倉庫金融二会社ヲ除キ六十六ケ所資本金三拾三万余円ナリ而シテ私立銀行ノ重ナル者ハ横浜ニ於テ丸三銀行八王子ニ於テハ八王子銀行青梅ニ於テ多摩銀行等トス此等私立銀行ニ於テハ業務ヲ経営スル活潑ニシテ資本運転ハ国立銀行ヨリモ繁ク借出預入請取等ノ手数ノ如キモ之ヲ国立銀行ニ較レハ簡便ナルヲ以テ之ヲ悦フ者多シ然レトモ条例ノ之ヲ検束スル者ナキカ故ニ動モスレハ危険ヲ冒スノ傾キアリト云フ 銀行類似会社中誠実ニ業務ニ従事スル者尠トセス雖モ往々高利ヲ貧リ毎月縛天利ト唱ヒ最初悉ク期限内ノ利子ヲ引去リ且別々ニ不当ノ手数料ヲ取リテ貸金ヲ為シ期限ニ到レハ峻酷ニ其返弁ヲ督責シ毫モ仮ス所ナク義務者延期ヲ請フヲ奇貨トシ証書ヲ書キ換エ更ニ期限内ノ利子及手数料ヲ出サシムル者アリ細民ノ之カ為ニ窮淵ニ陥ルモノ少カラス為メニ身代限ノ処分ヲ受クル者尤多シト云フ 私立銀行銀行類似会社ノ如キモ亦本年十月以来多少衰状ヲ呈セサルハナク随テ其新設ヲ出願スル者稀ナリ以テ世間資本ノ需用少キヲ知ルヘシ 管下商業会社ハ本支店ヲ併セテ百廿一ケ所資本金弐百四拾八万二千八百余円ナリ而シテ本年九月迄ハ陸続新設ヲ出願スル者アリテ結社営業ハ漸次隆盛ニ赴クノ姿ヲ顕ハシタリト雖トモ九月以来物価次第ニ下落シ商業日ニ衰替シ十十二月ニ至リテハ不景気益々甚シク更ニ之ヲ新設スル者ナキノミナラス売込営業ノ者ヲ除クノ外已ニ設立シタル者モ其維持ニ苦シム程ナリシト云フ然レトモ目下歳末ニ近ツキヲ以テ多少繁ヲ加エ少シク回復ノ色アリト云フ 本港株式取引所ハ全国取引所中首位ヲ占ムル者ニシテ昨十五年中売買シタル銀貨ノ額ハ四億六千六百六拾五万三千円一日平均九百二十七万円ナリ然ルニ本年四月一日ヲ以テ昨十五年十二月ニ於テ布告セラレタル六十五号ヲ実施セラレテヨリ其売買頓ニ跡ヲ絶チ当八月二十七号ヲ以テ更ニ二ケ月以内ノ定期売買ヲ許可セラレタリト雖モ其当初僅ニ一枚〔千円〕ノ売買アリタルノミニシテ爾後売買ノ声ヲ聞カス其仲買人モ漸次退社ニシテ現今付属スル者ハ僅カニ八九人ニ過キス全ク休業ノ姿トナレリ取引所ノ景況ハ已ニ此ノ如クナリト雖トモ貿易ハ一日モ止ムヘキ者ニアラス故ニ銀貨ノ売買モ亦一日モ止ム可カラス然ルニ売込引取商ハ両換店ニ就キテ之レカ売買ヲ為サンヨリハ寧ロ路頭売買人ニ依頼スルヲ以テ便トス故ニ路頭売買ハ倍々行ハレ已ニ法ニ触レタル者六拾名拘引セラレタリト雖モ未タ其跡ヲ絶ツニ至ラス却テ漸々其数ヲ増スモノヽ如シ是レ株式取引所ノ衰頽ヨリ起リタル弊害ニシテ之ヲ除クハ実ニ目下急務ト云フヘシ 民情 県下一般民情平穏ナリ然ルニ俗ニ所謂三百代言人ナル者村落ヲ徘徊シ愚民ヲ誑惑シテ金銭ヲ貪ルモノ往々有之相州三浦郡三崎村ノ如キ数百ノ漁戸挙テ其術中ニ陥ラサル者ナキニ至ル其状況ニツキ郡長ヨリ申出タルコト左ノ如シ 一 近頃金貸営業次第ニ増加シ昨今百人ニ下ラス就中三十人余(俗ニ三百代言ト云フモノ)是等ノ金銭ヲ一度三円ヲ借受一ケ年半ヲ経過セハ元利積テ三十円余ニ昇リ其貸方ノ如何ヲ問フニ初メハ三円貸セシコトハ瞭然ナルモ爾后満期ノ度毎元利ヲ結ンテ証書ヲ改メシコト数度然レトモ其母子金ノ多寡ニ至リテ之ヲ細別スルコトヲ知ラス剰ヘ書換ノ故証書ノ取戻シ等ニ至リテハ敢テ意トセス只一時ノ催促ヲ免レタルヲ喜ヒ后日ノ憂ノ来ルヲ慮ラサルナリ該書ニ就キ聞ク所ニヨレハ 某月一日ニ金一円ヲ借受タキコトヲ金貸業ノ者ニ乞フ金貸日本月限ナレハ用達ヘシ金利ハ月々八厘ツヽ(之レヲ天保利ト云フ)毎月之レヲ納レ尽月ニ至リ元金ノミヲ返済スヘキノ納ヲ結ヒ保証人ヲ定メテ借用証ノ認メ方ニ至リテ負債主無筆ニシテ且婦人ナレハ書記スルコト能ハス之ヲ債主ニ依頼ス債主ハ予メ是等ニ供スル数通認メアル証書ノ内一枚ヲ出シ金員ノミヲ記入シ保証人ノ誰ナルヤヲ問ヒ之ヲ書記シ保証ノ印形ヲ該家ノ妻ニ借受ケ我夫ノ実印ト倶ニ債主ニ渡ス債主之レヲ受テ捺印ス隣家何某ハ勿論負債主モ保証人即チ保証人ナリト心得シモ証書ハ連借ニ認メアリ(何レモ債主ノ宛名ヲ書残シ余白アリ)甚シキハ債主ニ於テ負債主一名ノ証書ヘ出訴ノ際負債主ノ親族ヲ故造シテ保証トシ又ハ連借ニ書加ヘ偽印ヲ押シ之ヲ公裁ニ訴フ裁判官ハ証書面ニ付召喚状ヲ発付ス爰ニ於テ初テ驚クト難トモ無筆ノ漁民殊ニ妻ノ主ル所ナレハ出庭之レカ偽証ノ詐造ナルコトヲ答弁スル能ハス且横浜迄ノ旅費ニ差支旁他人ニ取扱ヲ頼ミ幾分ノ金円ヲ投シ示談ヲ致スモノ不尠又ハ返付スヘキ書換ノ古証文(即チ反古)ヲ他ノ出訴者売渡シ若クハ之ヲ買受自ラ証書余白ヘ我カ宛名ヲ書入レ一応ノ催促モナク出訴シ召喚状ニヨリテ考フレハ右原人ヨリ金銭借用セシ覚ヘ無之然トモ慥ナル証書原告ノ手ニ存在センニ依テ不得止扱人ヲ頼ミ示談スル者往々有之債主ノ名前記入セサル証書ハ他ニ売渡ス用意ナリ 債主負債主ノ取扱右ノ振合ナリ人民無識ヲ甘シ其証拠ヲ得テ訴ル処ナレハ如何トモ致方ナキ次第ナリ 一 漁民ノ中チ一家ノ負債計量スルトキハ殆ト二千円ニ近キモノアリテ日々捕魚ノ収穫ニテハ一家ノ経費ヲ去レハ負債ノ子金ヲモ償フヲ得ス况ヤ母金返済ノ義務ヲヤ故ニ一漁船ノ帰帆スルヲ見レハ債主数人之ヲ擁シ高声ニ催促シ其収穫ヲ自宅ヘ持帰ルヲ許サス於是漁民ハ即時飢渇ニ迫リ僅ニ其日ヲ凌キ翌日未明ニ男子ハ出船ス依テ留守居タル婦ニ対シ債主ハ之レヲ促カシ甚シキニ至リテハ之ヲ腕力ニ訴ヘント欲スルノ勢ニ恐レ婦女子ハ多ク昼間他家ニ身ヲ遁レ夜ニ入リテ帰宅寝ニ就クハ午后十二時頃ナリ此時ヲ窺ヒ債主再ヒ之ヲ襲ヒ其門戸ヲ敲キ厳促ニ及ハレ一家挙テ他郷ニ避在シ(多クハ房総海岸ニ寄留)漁業スルモ間ニアリテ名状スヘカラサルノ情態ナリ然シテ其残リ居ル負債主共ヘ裁判所ヨリ召喚状一時ハ日トシテ百通ノ多キニ至リシコトアリテ身代ヲ差出ス如キハ続々絶ス之レ自業自得ニシテ止ムヲ得スト雖トモ中ニハ出庭ノ旅費ニ困シ遂ニ喚徴不応ノ罪科ニ問ハレ其罰金亦完納スルコト能ハスシテ力役ニ替ラルヽ者アリテ家族ハ在宿スルモ無職ナレハ目下ノ糊口ニモ塗ヲ失ヒ実ニ憫然ノ極ニ至レリ依テ昨十五年ニ至リ窮民婦女子相率テ処々ニ集合シ生営ノ業ヲ仰カントノ報アルニ由テ警察官ト倶ニ該地ヘ出張懇々相諭シ一ト先解散ヲ命セリ其后婦女子共打連レ郡役所ヘ出来リ哀訴スル情状ヲ聞クニ其主トスル処ハ該金返済方永年賦返済ヲ望ミ債主ノ了諾ヲ乞フニアリ依テ之レヲ債主ニ懇解説諭スルモ債主之レニ服セス都詰ル所之ヲ法律ニ訴ルノ外他事ナキニ付右説諭モ水泡ニ属セリ 一 家屋漁具等ヲ抵当ニ引取ラレ且身代限ニテ負債ノ金額ヲ償フ能ハスシテ家屋公売所分ヲ得シモノ一時雨露ノ凌ク可キ所ラキハ素其地狭ク殊ニ貸店等無キヲ以テ海辺ヘ仮ニ苫家ノ如キヲ設ケ生業ノ途ヲ与ヘンコトヲ有志者ニ詢リ略承諾セシニ由テ県庁ニ乞ヒ該費ノ内ヘ幾分カノ資助ヲ仰キ置キタリ 一 該地戸長及ヒ有志者ニ相詢リ彼ノ漁民該地ニ相続ノ方策ヲ設ケンコトヲ協議シ従来漁民ヘ貸付シタル債主ノ金高ヲ纒メ一社〔共益社〕ヲ設ケ負債ノ漁夫日々捕魚収穫金ノ内三分一ヲ該社ニ積立金百円ニ充ツレハ債主共ニ入札法ヲ用ヒ糴リ落サセ(貸金百円ノ証書ヲ所持ノ者五円乃至十円ニ糴リ々々金ノ尤モ低キニ落ス)既ニ三月中百円ノ証書ヲ所持スル者該証書ヲ金四円五十銭手取ニ糴リ落セシ由斯クシテ該糴落金ヲ相渡シ残金ハ債主共一般ノ証書金額ニ応シ割渡ノ方法ニ定メタリ依テ現今貸金債促出訴ノ途既ニ絶ヘントスルニ至レリ且纔ニアルモ社外ノ債主ノミニ帰セリ 以上ニ述ル不学無識ノ漁民ニシテ加フルニ狡猾飽ナキノ債主ニ対スルニ疎忽ノ契約ヲ為スニ生スルノ致ス処ニシテ勢ヒ止ムヲ得サルナリト雖トモ是等ノ弊害独リ此土ミニ非ラスシテ至ル所咸此弊アルアラン故ニ政府爰ニ先見セラレ十年七月七日第五十号ヲ以布告セラレシナリ実ニ之ヲ防クノ良器ト雖モ如何セン人民之ヲ遵守セス之ヲ遵守セサルニ非ラス政府ノ此意ノ厚キヲ解セサルニ由リテ往々此害ヲ被ムレリ故ニ小官ノ仰ク所ハ左ニ記スルノ意ヲ増加アラレンコトヲ切ニ冀望ニ堪サルナリ 証書認所戸長役場側ニ設代書人ヲ置キ都テ諸証書ハ該所ニテ為相認メ度自筆及他ノ代書人ニ為認メ候分モ該所経由印ヲ押捺シ此区別ナキモノハ裁判功ナキモノト致シ度候 神奈川県民情ノ内 相模国足柄上下両郡ノ人民酒匂川堤防治水費ヲ官費ニ属セラレンコトヲ切望スルノ情況アリ蓋シ其大意ハ旧時ニアリテハ本川沿堤村ニハ流作地同様ノ余地ヲ沿岸ニ存シ貢租ヲ蠲除セラレタルヲ以テ村費ヲ以テ官費ヲ補助スルニ苦難ヲ覚エサリキ然ルニ地租改正ノ際挙テ有税地トナリシヨリ当時沿川村々ハ将来治水費支弁ノ苦難ナランコトヲ想像シ事由ヲ具シテ管轄庁ニ上願セルニ治水ノ事ニ至テハ追テ良法施行セラルヽ旨ヲ以テ竟ニ訴願徹底スルヲ得ス按スルニ地租改正ニ臨ミ沿堤ノ郡村ニ於テハ苦情殊ニ多カリシ其重ナルモノハ堤防ノ費用ナリ村費トシ引去リタル地租三分ノ一ハ沿堤ノ村ニ其他村々ノ別ナク一様ナル法故堤防付ノ各村ハ他ニ比スレハ独リ余分ノ村入費ヲ負担スルニ当リ且民力ノ及カタキヲ憂ヘ歎願ヲナセシ然ルニ地租改正法ハ堤防費用ハ算計セス治水ノ一段ハ別ニ土木費改正ノ時公平ノ良法ヲ設ケル訳ナリト諭サレタル由ナリ是レハ独リ相模川酒匂川而己ニアラス沿河村々一般如此ニ取扱タルナリ民間ニ於テ川普請苦情中第一ノ口実トスルモノ此ニアルト想ハル爾来地租改正済ニテ沿岸二十五ケ村合計新旧地租二千七拾七円ノ新租ヲ増加スルニ至ルト雖モ治水ノ事ハ今以テ別段ノ詮議アルヲ聞カス故ニ一面ニハ納租ヲ増シ一面ニハ大河ノ治水費ヲ負担セサルヲ得サルニ至ルヲ以テ実ニ民力其出費ニ堪ヘスト云フニアリ 外国人関係ノ件 本県々令ノ事務ハ外国交際ニ関スル事過半ニシテ頻リニ交際ヲ親密ニシ国権維持拡張ノ儀ニ熱心尽力シ内政ヲ修ムルノ間ナキカ如シ〓ニ居留外国人ニ交渉スル条件別冊ノ通リ取調電覧ニ供ス 外国人居留地々積及ヒ地価 居留地貸渡シ方法及ヒ地代 各外国居留人員男何人女何人 外国人ヨリ県庁ニ差出タル事件ノ数公事 何件私事 何件 十五年及ヒ本年五月マテ外国人犯罪ノ件数并種類表 外国人ヲ雇入タル人員及ヒ給料但雇入ニ関スル契約ノ写 県庁ト外国人トノ間ニ取結ヒタル現行契約ノ種類 第一『外国人居留地々積及地価』 一 三拾七万四千七拾七坪四合壱夕 居留地々積 拾三万八千百七拾弐坪九合壱夕 横浜居留地々積 内 弐拾三万五千九百四坪五合 山手居留地々積 地価ノ義ハ元来地券面ニ記載セサルヲ以テ其実価ヲ難取調候事 第二『居留地貸渡ノ方法及地代』 一 地所貸渡ノ方法ハ二アリ一ヲ糶貸ト云ヒ一ヲ特別貸ト云フ 一 糶貸 是ハ居留地々所ノ元代価ヲ定メ置キ外国人ヲシテ之ヲ糶上シメ元代価ヨリ高価ニシテ最上ノモノヘ地所ヲ貸渡シ地券ヲ付与ス爾後年々地代ヲ取立ルコト居留地普通ノ地所ハ皆此例ニ依ル 一 特別貸 是ハ糶貸ノ法ヲ用ヰスシテ地代ヲ取立候ノミニテ貸渡スノ法ナリ各国領事舘及病院学校墓地其佗ノ地所ハ皆此例ニ依リ貸渡定約書ヲ交付シ爾後年々約定ノ地代ヲ徴収スルコト 但病院墓地等ノ内地借料取立サル分モ有之候事 一 洋銀六万千五百二拾五弗五拾壱セント 一ケ年地代并免許料収入高 内 洋銀三万六千三百三拾九弗九拾六セント横浜居留地ヨリ収入ノ分 洋銀二万五千百八拾五弗五拾五セント 山手居留地ヨリ収入ノ分 第三『各外国居留人員男何人女何人』 一 三千五百拾弐人 居留外国人総数 内 第四『外国人ヨリ県庁ニ差出タル事件ノ数』 自明治十五年一月至同年十二月一ケ年間外国官民ト往復セシ事件総数 一 総数六百六拾件 公事〔外国官吏ト往復ノ分〕五百四十五件 私事〔外国人民ト往復ノ分〕百十五件 此書簡数往復ニテ 千二百十四通 同 百二十通 計 書簡千三百三十四通 内訳 自明治十六年一月至同五月間外国官民ト往復事件数 一 総数二百七十六件 公事〔外国官吏ト往復ノ分〕百五十七件 私事〔外国人民ト往復ノ分〕百十九件 此書簡数 四百五通 同 四千八通 計 書簡四百五十三通 内訳 第五『明治十五年中外国人犯罪件数并種類表』 件数 一七九 人員 二一二 『明治十六年一月ヨリ五月迄外国人犯罪件数并種類表』 件数 五三 人員 五四 第六『外国人ヲ傭入タル人員及給料』 明治十五年十二月并十六年五月官傭外国人現員及給料表 明治十五年十二月現員 人員 四名 給料 一ケ月銀貨八百弐拾五円 明治十六年五月現員 人員 四名 給料 一ケ月銀貨五百九拾五円 臨時傭(自明治十六年二月十五日至同 五月十四日三ケ月間) 人員 一名 給料 一ケ月銀貨六百五拾円 以上傭入ニ係ル契約書別冊ノ通 但前記現員ノ内二名ハ目下試傭中ニ付未タ契約書無之候 明治十五年十并十六年五月二月私傭外国人現員及給料表 明治十五年十二月現員 人員 二名 給料一ケ月金四拾円洋銀百弗 明治十六年五月現員 人員 一名 給料 一ケ月金四拾円 以上傭入ノ義ハ傭主ヨリ届出ニ止リ候ニ付契約書無之候 第七『県庁ト外国人トノ間ニ取結ヒタル現行契約ノ種類』 一 英国領事館地貸渡約定 一 露国同断 一 瑞西国同断 一 山手公園地貸渡約定 一 英国海軍物置所地貸渡約定 一 米国病院地同断 一 仏国人アマ社中ヘ地所貸渡約定 一 各国病院地貸渡約定 一 米国領事庁地貸渡約定 一 日耳曼領事館地同断 一 清国同済医院地貸渡約定 一 横浜弄鞠社ヘ公園内地所貸渡約定 一 競船会社ヘ地所貸渡約定 一 独逸人「ヘルム」ヘ牛乳搾取所地貸渡約定 一 英国人「ウインスタンリー」ヘ同断 一 英国人「キルビー」ヘ屠牛場地所貸渡約定 一 清国人墓地貸渡約定 一 米国人「キルドイル」ヘ堀川岸物揚許可ノ約定 一 英国領事庁家屋売渡約定 一 英国兵隊屯所地建物引渡約定 一 居留地九拾五番地独乙人ヘ貸渡約定 一 米国人ミルラル女学校用地貸渡約定 計二十二件 別冊五通 約定書 明治十四年十一月十七日神奈川県令沖守固ト横浜在留英国人「ペルシワル・オスボルン」ノ間ニ下文ノ条款ヲ互ニ固守スベキ旨ヲ約定ス 第一条 神奈川県庁ヨリ各国人往復文書翻訳并通弁ノ為メ「ペルシワル・オスボルン」ヲ県令ノ配下トシテ明治十四年十一月十七日ヨリ無期限ニテ傭入候事 第二条 県庁ノ都合ニ依リ解傭ヲ欲スル時ハ其旨ヲ「ペルシワル・オスボルン」ニ報知シタル日ヨリ起算シ六ケ月目ヲ以テ解傭期限トスベシ又「ペルシワル・オスボルン」ヨリ不得止事故相生シ暇ヲ願出ルトキモ亦六ケ月前ニ其旨ヲ県庁ニ報知スベキコト 第三条 給料トシテ一ケ月日本銀貨三百五拾円ニ当ル紙幣ヲ以テ其月末ニ相渡候事 第四条 居宅食料并私用ノ家具紙筆及ヒ召使等ハ一切自己ニテ可相供事 第五条 傭入中他方ニ傭ハレ或ハ商業ヲ為スベカラザル事 第六条 怠慢ノ所業アルカ或ハ長病五十日以上ニテ快期分ラス其疾ノ治セザルヲ云フ等ニテ其本務ニ妨ケアル時ハ直チニ解傭スルヲ得ヘシ此場合ニ於テ第二条ヲ適用スベカラザル事 第七条 日本祝日及ヒ日曜日ヲ除キ毎日午前第九時ヨリ午後第三時迄職務ニ従事可致事 第八条 解傭ノ期ニ際シ帰国旅費等ハ一切不遣候事 第九条 上文ニ記載シタル候款ノ外ト雖モ長官及次官ノ指図アル時ハ其事務ニ勉励可致事 右約定致シ候証拠トシテ神奈川県令沖守固英国人「ペルシワル・オスボルン」ト明治十四年十一月十七日神奈川県庁ニ於テ各此書ニ其名ヲ手記シ弐通ヲ作リ壱通ハ「オスボルン」之ヲ蔵シ一通ハ県庁ニ蔵スル者ナリ 神奈川県令沖守固印 明治十四年十一月十七日 英国人 〔Sgd〕Percival Osborn 約定書 我日本明治十五年〔西暦一千八百八十二年〕第六月廿六日神奈川県令沖守固ト和蘭人「テー・ドブルユー・ブッケマ」之間ニ下文ノ条款ヲ互ニ固守スヘキ旨ヲ約定ス 第一条 一 「テー・ドブルユー・ブッケマ」ハ我日本明治十五年〔西暦一千八百八十二年〕第七月一日ヨリ日本明治十六年〔西暦一千八百八十三年〕第六月三十日迄満一ケ年間雇ヒ入ルヽニ付右期限中此条約書中ニ記載シアル各務ニ従㕝勉励スヘシ 第二条 一 同氏ハ久良岐郡戸部町黴毒病院及ヒ横浜区野毛町十全医院エ日曜日其他公然タル休暇ヲ除クノ外毎日午前第九時三十分ヨリ第二時マテ四時三十分間宛出勤内外科ノ患者ヲ治療シ管下日本医員ノ質問ヲ受クルトキハ之ヲ説明スヘシ尤右時間内外ニ拘ハラス本県ニアル他ノ病院其他医業上ニ付巡視服役スルハ勿論変死死傷人又ハ流行病等有之出張診断ヲ命スルトキハ速ニ其命ニ応シテ従㕝スヘシ 但シ出張ノ節旅費ヲ要スヘキ時ハ県庁ノ見計ヲ以テ適宜支給スヘシ 第三条 一 同氏給料ハ明治十五年〔西暦千八百八十二年〕第七月一日ヨリ始メ雇期限中一ケ月日本通用銀貨三百五十円ト定メ毎日尽日ニ支給スヘシ 第四条 一 同氏ハ給料并第二条但書ニ掲クル旅費ヲ支給スルノミニシテ同氏随身ノ費用ハ悉皆同氏ノ自弁タルヘシ 第五条 一 同氏ハ病院ニ緊要ナル㕝アラハ其意見ヲ院長ニ告クヘシ 但取捨ハ院長ノ権ニアル事 第六条 一 雇期限中県庁ノ都合ニヨリ不得止此条約ヲ廃スルトキハ其時ヨリ向三ケ月分ノ給料ヲ支給スヘシ 但雇満期前三ケ月以内ナル時ハ其満期ノ月迄ノ給料ヲ支給スルニ止ム 第七条 一 満期又ハ期限内廃約解雇スルモ同氏帰国旅費ヲ給セサルヘシ 第八条 一 同氏雇中病気又ハ其他ノ㕝故ニテ闕勤スルトキハ日数三十日以内ハ其職務ニ堪ユヘキ代言人同氏自費ニテ相雇ヒ差出スヘシ 但他行スルトキハ前以テ日数ヲ定メ願出許可之上代人差出シタル後チ発程スヘシ 第九条 一 病気又ハ其他ノ㕝故ニテ闕勤三十日ニ過クルトキハ此条約ヲ廃シ給料ヲ支給セサルヘシ 第十条 一 以上ノ箇条ニ違反スルコトアラハ此条約ハ効ナキモノトス 右約定ノ証拠トシテ本書二通ヲ作リ神奈川県令沖守固ト和蘭国人「テー・ドブルユー・ブッケマ」ト明治十五年〔一千八百八十二年〕第六月二十六日横浜ニ於テ各其名ヲ手記一通ハ「ブッケマ」之ヲ蔵シ一通ハ県庁ニ蔵スル者也 神奈川県令 沖守固印 和蘭国人 Sgd. Beukema (欄外注記)明治十六年二月十五日解雇 外国人居留地邏卒隊 下名ナル「英国人ワルトル・ロックストン」神奈川県外国人居留地邏卒隊ニ雇ハルヽニ付左之約条ヲ固守スルヲ同意ス 第一 同人ハ外国人居留地邏卒隊ニ奉仕シ其職ヲ遂ク可シ 第二 同人ハ居留地取締長ニテ制シ千八百七十三年第一月一日付ナル神奈川県ノ規則ヲ守ルヘシ其写シ一通ハ同人ニ授与シタリ 第三 同人ハ昼夜共ニ邏卒之職ニ従事スヘシ 第四 雇中同人ハ職ヲ去リ或ハ休職スルコトヲ許可セラレザルベシ病気ノ為ニ止ムヲ得ス職務ヨリ離ルコトアラハ同人ハ医師ノ証書ヲ居留地取締長ヘ出スベシ 同人ハ都テノ薬并医師ノ手当ヲ払フベシ 第五 雇中同人ハ何様ノ家業或ハ商務ニ関係セザルベシ 第六 同人ハ只経験之為ニ雇バレ其雇期限ヲ定メナケレハ同人ハ何時ニテモ職務ヲ免サレ得ベシ 但シ免職ノ時別段ノ払方ヲ受ケ得ザルコト明亮ナリ 第七 同人ノ給料ハ職務ヲ勤ル間一ケ月四拾弗ニシテ千八百七十五年六月日ニ始マルベシ万一死スルコトアラバ同人ノ給料ハ其日ニ止ムベシ疾病ヲ得ハ初メノ三十日間ハ其給料ヲ受ケ此日数ノ後ハ再ヒ職務ニ復スル迄給与ナカルベシ 第八 毎年衣服弐揃ヲ渡スベシ 但シ上衣一ツ股引一対沓一足帽子一ツヲ言フナリ且又一ノ雨衣ヲ一年ニ一度給スベシ 第九 同人ハ横浜邏卒本営ニ於テ外国人邏卒ヘ備タル室内ニ住居スベシ此室内ニハ一ツノ瓦斯燈ヲ給スベシ 第十 此書面ニ神奈川県ヨリ給スルト記サヾル都テ他ノ物品ハ何種タリトモ右「ワルトル・ロックストル」ニテ自費ヲ以テ備フベシ 上文ニ同意セリ ワルトル・ロックストン 記名 横浜ニ於テ千八百七十五年 月 日 ワルトル・ロックストン之記名ヲ証ス 居留地取締長 イー・ヱス・ベンソン 記名 (欄外注記)〔英文ヲ以テ本書トス〕 本定約取締候後給料銀貨八十円ニ増額ス明治十五年十二月廿一日解雇 外国人居留地巡査隊 下名ノ瑞典人「トーマス・ゼームス」神奈川県外国人居留地巡査隊雇人相成ニ付テハ左ノ約定ヲ固守ス 第一条 本人ハ外国人居留地巡査隊ニ奉仕其職ヲ遂クベシ 第二条 本人ハ神奈川県庁ニテ制シタル明治六年一月一日付ナル神奈川県ノ規則ヲ守ルベシ其写壱通及雇外国人邏卒死傷ノ者吊祭扶助療治料規則書ヲ同人ヘ授与シタリ 第三条 本人ハ昼夜共ニ巡査ノ職ニ従事スベシ 第四条 雇入中本人ハ一時職ヲ去リ或ハ休職スルヲ許サレザルベシ若疾病ノ為メ止ムヲ得ザル時ハ医師ノ診断書ヲ神奈川県令ヘ差出スベシ 但本人不謹慎ヨリ醸シタル疾病アルトキハ薬剤并診断料ハ悉皆本人ヨリ相払フベシ然レトモ職務上ヨリ多少ノ疵傷ヲ受ケ或ハ他病ニ罹ルトキハ県庁雇医師ノ療治ヲ受クベシ尤モ自ラ医師ヲ招クトキハ診察薬価トモ本人ノ自弁タルベシ且又職務上疵傷ヲ受ケタル時ハ外国人邏卒死傷者吊祭扶助療治料規則ニ依リ手当金ヲ賜フベシ 第五条 雇入中本人ハ都テノ家業或ハ商務ニ関係セザルベシ 第六条 本人ハ只経験ノ為メ雇ワレ其雇期限ヲ定メザレハ何時ニテモ解雇タルベシ 但解雇ノ節別段金円等ヲ給セザルベシ 第七条 本人ノ給料ハ職務ヲ執ル間一ケ月銀貨四拾円ニシテ明治十五年三月二十二日ヨリ始ムベシ万一死スルトキハ本人ノ給料ハ其日ヨリ相渡サズ疾病ヲ得ハ初メノ三十日間ハ其給料ヲ受ケ該日数ノ後ハ再ヒ職務ニ復スル迄給与セザル可シ 第八条 毎年庇服ハ二組ヲ給与ス 但上衣一ツ股引一足靴一足帽子一個ナリ且一年一度雨衣一枚ヲ給スベシ 第九条 本人ハ横浜界町警察署内外国人巡査ヘ備ヘタル室内ニ住居スベシ該室内ニハ一ノ瓦斯燈ヲ給スベシ 第十条 此書面ニ神奈川県ヨリ給与スト明記セザル物品ハ何品タリトモ右「トーマス・ゼームス」自弁タルベシ 第十一条 本人巡査隊ヲ退キ或ハ解雇ノトキハ奉職中給セシ衣服ハ期限ノ長短ニヨリ神奈川県ニテ定ムル金高ヲ相納ムベシ 第十二条 職務規則ヲ違背シ或ハ怠惰過失アルトキハ其軽重ニ応ジテ給料ヲ速三ケ月以内三分一減少シ或ハ其職務ヲ速ニ免スベシ 凡ソ右等ノ事アルトキハ警部長其事実ヲ糺問シ県令ノ裁可ヲ経テ給料減少ノ高或ハ免職ヲ決定スベシ 横浜ニ於テ千八百八十二年三月二十二日 〔Sgd〕 Tomas James (欄外注記) 〔英文ヲ以テ本書トス〕明治十六年一月一日ヨリ給料銀 貨四十五円ニ増額ス 〔臨時傭ノ分〕 定約書 明治十六年二月十五日〔西暦一千八百八十三年二月十五日〕一方ニ於テハ日本政府ノ代理タル神奈川県令沖守固〔此後ハ単ニ前記ノ県令ト指称ス〕ト他ノ一方ニ於テハ当時東京府下ニ住スル英国陸軍工兵中佐「エッチ・エス・パルマル」ノ間ニ定約ヲ取結左ノ条々ヲ互ニ固守スベキコトヲ約ス即チ 第一条 前記ノ県令ハ是ニ依テ明治十六年二月十五日〔西暦一千八百八十三年二月十五日〕ヨリ始メ三ケ月ノ期限中前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ヲ雇入ルコトヲ約シ又前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ハ該期限中横浜港ノ為メニ開設スル水道ノ築造法ニ係ハリ已ニ取調タル或ハ此後取調ル所ノ方法書仕様書費用概算書等ニ就テ之ヲ考査シ而シテ報告ヲナシ該工事ヲ計画シ及ヒ之ヲ実施スルコトヲ補助シ并ニ顧問土木師タルモノニテ通常遂行スル如キ該工事ニ係ル其他ノ職務ヲ執行スル為メ神奈川県付顧問土木師トシテ前記ノ政府ヘ奉仕スルコトヲ約ス 第二条 前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ハ此定約ニ依リ奉仕中ハ前記ノ県令或ハ其代理者若クハ時々前記ノ県令ニテ為メニ指名セル他ノ官吏ノ命令ヲ遵守シ其職務ニ従事スヘシ且又右ノ余ニ其奉仕スルコトノ為メニ適当ト認ムルコトアル時ハ前記ノ県令或ハ其代理者又ハ為メニ指名セラレシ他ノ官吏ニ向ツテ建議若クハ忠告ヲ為スベシ 第三条 前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ハ此定約ノ期限中ハ独リ前記ノ政府ニ奉仕スルヲ以テ任トシ直接或ハ間接ノ論ナク渾テ商業或ハ職業ヲ営ミ又ハ之ニ干渉セザルベシ 第四条 若シ前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ニテ疾病ニ罹リ或ハ不慮ノ危害ニ遭遇シ而シテ神奈川県庁医官ノ見込ニ於テ職務ニ従事スル能ハサルカ若クハ職務ニ従事スルヲ得ルモ其執行上大ニ差支ベクト認ルトキハ前記ノ県令ハ即時此定約ヲ廃止スルノ権ヲ有スルモノトス而シテ前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ハ如此定約廃止ノ時日迄ノ給料ノ外他ニ給料或ハ報酬等一切要ムルノ権ナキモノトス 第五条 前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ノ給料ハ一ケ月ニ付日本通用銀貨六百五拾円トシ毎月々末之ヲ仕払フモノトス而シテ前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ハ前記ノ給料ノ中ヲ以テ其旅費日用費及ヒ渾テ其他ノ費用ヲ仕払フヲ約諾スルニヨリ本定約ノ期限中及ヒ之ヲ廃止スル後タリトモ前記給料ノ外俸金或ハ其他何等ノ金額タリ共之ヲ要求スルノ権ナキモノトス 第六条 若シ前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ニテ職務ヲ執行スルニ当リ怠慢ノ所行或ハ不行跡アルカ又ハ本定約書面ニ記載スル処ノ条款ニ違背シ若シクハ之ヲ執行スルコトヲ怠ル等ノ事アル時ハ前記県令ハ即時此定約ヲ廃止シ前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ヲ解雇スルノ権ヲ有スルモノトス而シテ前記ノ「エッチ・エス・パルマル」ハ如此解雇ノ時日迄ニ積ル処ノ給料ノ外ハ何等ノ給料若クハ報酬タリトモ之ヲ要求スルノ権ナキモノトス而シテ前記「エッチ・エス・パルマル」ハ此定約ハ勿論其他何等ノ約款ニ係リ前記ノ政府ニ対シ要求等一切為サヾルベシ 右証明ノ為双方〓ニ其名ヲ記シ其印ヲ捺ス 神奈川県令 沖守固印 英国陸軍工兵中佐 〔Sgd〕 H. S. Palmer Lieut. col. R. E. (二) 第八号 神奈川県特別書類 平宰相成輔卿之墳趾五輪ノ塔之訳上申 右当郡十字四丁目百二十九番地所浄土宗潮音寺境内ニ前書ノ塔存在セルヤ否ヤノ議御尋問ニ付左ニ 当町浄土宗報身寺住僧潮音寺兼務ニ付前条件及尋問候処本年住職換且書類オモ無之更ニ不相分依テ同町平民湯山半兵衛本月八十二年八月ナルモノ高年ニ付僧ト共ニ該宅ニ就キ尋問候所同人申聞候者五輪之塔ハ無之外ニ石ノ祠有之烏丸様ト云伝ヘ右ノ場所ニ踏込ム時ハ必瘧ヲ煩ヒ候迚立寄ル者無之其余ノ儀ハ居宅ヨリ少々引離居候ニ付不相分旨申立亦同所平民斎藤伊助七十九年八月ナル者該寺隣傍ニ付取糺候所半兵衛前同様之申口ニシテ已ニ京都ヨリ公家衆御参拝有之候事ヲ相覚ヘ居リ亦二十年程以前其当住朱書之場所ヨリ墨書ノ場所ヘ引付ケ其他ノ墓所ヲモ不残取片付余ハ不残開拓セシ由其切不日住僧狂乱之躰ニテ何国ヘカ逃走居所不分明相成リタル由其節ヨリ追々衰頽後住無之現今無住引続居候旨申聞候ニ付依テ実地立合取調候所別紙絵図面ノ通朱書ノ場所ヨリ墨書ノ場所ヘ引付有之紋所或ハ姓名ト彫刻ノ有無詳細取調候所不相見数年間経歴セシ故ト相見祠胴石髐然尤笠石ハ苔茂セルノミ右御尋ニ付申上候該祠判然セル上ハ旧位地ヘ御移祭相成候様仕度候尤一応御検査奉願度候也 明治十六年六月 右町戸町 吉田元延 足柄下郡長 関重麿殿 (注)別図省略。 永島段右衛門履歴之概略 中山信明 武州久良岐郡 泥亀新田十一世 永島亀代司祖父 永島 段右衛門 明治十六年六月七十四年九ケ月 翁俳諧ヲ好ミ亀巣ト号ス文化五辰年十月十五日之暁天ニ生ル維時祖先泥亀以来世々丹精ヲ重ネ泥亀新田〔祖先泥亀ハ徳川幕府ノ侍医典薬頭法眼道仙之長子名福字祐伯号泥亀江都神田ニ聖堂ヲ創設ノ際徴サレテ儒官トナリ藤堂酒井之数諸侯ニ師タリ寛文年間隠居シテ家ヲ弟道仙ニ譲リ武州金沢ノ地ニ移リ地ヲ撰ヒ字平潟ニ居ヲ占ム此ニ於テ老後何ノ功ナキヲ以テ聊カ公私ノ益ヲ謀リ新田開発ノ事業ヲ起シ字平潟走川之二ケ所ヲ開キ塩浜壱ケ歩余田圃高十五石余且三浦郡ニ於テ船越新田高三十石余ヲ得后六代段右衛門ノ世ニ至リ金沢入江ノ地ヲ開墾シ入江新田高弐百四石余ヲ得維新后併テ泥亀新田ト合称ス〕元禄十六年之地震ニ堤破壊潮押入荒蕪ノ地トナル爰ニ於テ一村相続始テ困難ヲ兆ス 爾来世々祖先ノ遺志ヲ継キ第六世段右衛門ノ代ニ至リ奮然力ヲ開墾ニ尽シ数年空シク亡所タリシ字平潟走川ノ二ケ所〔コレヲ古新田ト称ス〕ヲ起返シ併テ金沢入江新田弐百余石ヲ開発ス于時天明六年ナリ斯ク成功スルヤ否同年七月関東大洪水之災ヲ被リ数年ノ丹精一朝水泡ニ帰セリ然レ共段右衛門〔六世ヲ云フ〕剛毅ニシテ敢テ屈セス尚モ資財ヲ抛テ思ヲ凝シ再ヒ回復ヲ謀ルモ大荒ノ后事容易ニナラス荏苒同八年十一月ニ至リ官其功ノ成ス能ハサルヲ視此地ヲ官没セントス〓ニ於テ段右衛門必至困難久保田佐渡守役場ヘ駈ケ込哀訴僅カニ維持スルヲ得夫ヨリ一層財産ヲ傾ケ他借ヲナシ開墾ノ功稍成ントシテ再ヒ寛政三亥年八月九月両度ノ津波前代未聞ノ高波押入リ新田囲潮除堤等悉ク流失田圃ハ変シテ昔時ノ海トナリ今ハ如何トモ再挙ノ策ナク七世段右衛門ヨリ八世嘉十郎〔嘉十郎ハ亀巣ノ父ナリ〕ト世々粉骨砕身新田再興ヲ謀ルモ資力尽キ加之新田皆亡所ノ為メ粒米ノ得ルナキ幾ト四十余年段右衛門斯ル〔亀巣ヲ云フ〕艱難ノ中ニ成長年甫メテ十七名主見習トナリ剛毅ノ志ヲ起シ父ヲ補ケ新田開墾ノ事ニ寝食ヲ忘レ或時ハ単身船ヲ操リ東都ニ薪ヲ鬻キ鰯ヲ購ヒ油ヲ〆又ハ家敷構内ノ寸地モ余サス野菜ヲ殖ヘ批杷ノ類ヲ仕立之レヲ近隣ニ担売シ僅カニ一家ノ飢渇ヲ凌キ気衰ヘ力尽キントスルモノ数回ナルモ毫モ不幸杯ト歎声ヲ発セシ事ナク艱難ニ逼ル毎ニ却テ不撓ノ精神ヲ感奮シ益々新田回復ノ事ニ思ヲ焦シ自ラ土ヲ担ヒ堤ヲ築キ勤苦一日ノ如キモノ二十余年父既ニ老イ家計益々困難ナルニ荒所起返セスンハ官没セントノ厳命数度数代ノ労苦空シク消滅ニ帰セントスル事数回其時ニ讒カニ猶予ヲ請ヒ漸ク天保十四年ニ至リ金子少々才覚成シヲ以テ翌年領主川越家役場ニ古形開発ヲ出願セシ処豈図ン四隣村々ヨリ紅葉山領坂本村ヲ煽動〔紅葉山領ハ当時頗ル権威ヲ奮シト云〕故障ヲ起サシメ開墾ニ着手スルヲ得サルヲ以テ止ムヲ得ス是非ヲ江都之役所ニ訴ヘ争論幾ト二ケ年空シク旅寓ニ開墾ノ資ヲ費シ漸ク彼レノ不正ヲ破リ工業ニ着手セントセシニ再ヒ隣村三分村瀬戸明神々主千葉某ヨリ字姫子島ト称スル新田咽喉ノ地ニ係リ故障ヲ起サレ最早資力乏ク且時機ノ失フ可ラサルニ迫リ之ト是非ヲ争フノ遑ナク憤リヲ忍ヒ借地ノ証ヲ与ヘ之カ故障ヲ解キ愈荒地起返ニ着手爾来工業ニ従事自ラ人夫ニ先チ土ヲ担イ石ヲ運ヒ櫛風浴雨就中咽喉ノ要所ヘ門樋ヲ築造スル時ハ三伏ノ夏日炎々燬ルヲ如ク殆ト身ヲ容ルルニ処ナキモ厭ハス破堤野径ヲ奔走シ進潮退汐ノ間ヲ斗リ種々ニ工風ヲ凝シ石柱ヲ建ントスルモ水底深クシテ泥土ノ間ニ岩石凸凹スルアリ建トシテハ顚倒シ土俵ヲ以テ拒ントスレハ潮水激流ノ為メニ押流サレ如斯失敗スル事幾回ナルヲ知ラス近隣ノ者之ヲ望見皆其徒労ニ属スルヲ云イ嘲リ笑然レトモ少モ屈撓セス毎夜眠リヲ忘レ工風ヲ凝ラシ遂ニ門樋ヲ設ケ咽喉ノ地ヲ修シ黽勉従事開墾ノ功ヲ成シ続テ嘉永四亥年ニ至リ祖先ノ遺志ニ依リ字平潟ノ海浜ヲ区画シ新塩浜ヲ数町歩開キ大イニ製塩ニ力ヲ尽シ本年此地ノ製塩ヲ水産博覧会ニ出シ左ノ賞状ヲ得タリ 品位佳良ニシテ需用ニ適ス加之常ニ力ヲ改良ニ用ヒ価ヲ廉ニセン事ヲ謀ル其功労嘉賞スヘシ 又泥亀新田起返シ功成ルノ後四隣村々ノ潮除堤又ハ荒沼等自然ニ良田ト変スルニ至リ且新田塩浜等漸々成功為ニ世ニ失ヒシ船越新田等ノ地モ追々購ヒ戻シ祖先ノ業ヲ完フスルト雖モ敢テ利益ヲ私ニセス良ク小民ヲ憐ミ聊カノ徳米ニテ小作ニ預ケ或ハ貧民ニ米金ヲ恵与シ又ハ学校警察署新築等公益ノ事業ニ金ヲ出ス事ヲ惜マス既ニ銀盃ヲ賜ル両度ニ及ヘリ 又父ノ志ヲ継キ前陳ノ如キ艱難ノ中ニ僅カノ元金ヲ以テ年々利子ヲ積ミ洲崎村龍華寺ヲ再興シ本堂ヲ建テ鐘楼堂ヲ築キ金円ヲ寄付ス如斯事富裕ノ人ニ於テハ敢テ珍シカラストスルモ此翁ノ来歴ヨリ云ハ奇特ト賞スヘキ乎且此翁天資頴敏人ヲ使用スルノ能アルヲ以テ新田起返成功ノ頃ヨリ時ノ領主ニ用ヒラレ最初川越家領分ノ節ハ水主差配役被申付弐人扶持ヲ給与セラレ其後小役人ニ登リ五人扶持ニ加増シ続テ久良岐鎌倉三浦三郡ノ内五十ケ村ノ大取締トナリ大役人ニ昇進十人扶持ニ加増后百石ヲ賜フ夫ヨリ細川家ノ預リ所トナリ大取締元ノ如ク改メテ五人扶持ヲ給与セラル其後堀田家ノ預リトナリ格式等前々ノ通被申付候由右者此翁ト共ニ成育セシ現存ノ老人ヨリ平素承リ候事ト翁カ昔話ト種々ノ古書類ニ拠リ彼是参考取調候処概略ノ履歴如斯ニ御座候 且此翁今年齢七十有五ニシテ矍鑠歩行ニ杖ヲ用ヒス常ニ暁天ニ起テ鎮守ノ廟ヲ拝シ祖先ニ仕エ慇懃生者ニ仕フルカ如ク又常ニ幼孫ヲ撫育シ内ハ以テ家事ヲ摂シ外ハ戸長ノ事務ヲ担任シテ一村ノ公事ヲ理スル事斯ル重齢ニ似ス百折不撓ノ精神今尚少シモ衰ヘサルヲ覚ユ迂生故有テ此翁ト交ル〓ニ年アリ子孫翁ノ為又子々孫々ノ為翁カ苦辛以テ聊カ国家ノ公益ヲ起シ自家ノ幸福ヲ招キシ事業ヲ石ニ刻シ之レヲ座中ニ建テ子々孫々常ニ之ヲ見テ怠惰ノ心ヲ戒メ勤倹公義以テ世々良民タラン事ヲ希望仕候間何卒拙キ書取リ御判読右石碑ニ刻スヘキ御撰文奉願上候頓首百拝 明治十六年六月十二日 中山信明 再拝 巌谷 修様閣下 御参考 居屋敷庭中牡丹凡弐百株余アリ是ハ泥亀ノ長男重郎左衛門ナル者酒井雅楽頭領主ノ頃其近臣トナリシヲ以侯カ三浦郡上知ノ際平素愛セラレシ処ノ牡丹ヲ譲ラレシモノト云今尚繁殖致居候 但譲請后年暦凡二百余年 同松樹弐尺廻リヨリ七尺廻リニ至ル凡百本余祖先泥亀ノ此地ニ居ヲ占シ節植付シモノト云フ 但年暦凡弐百三十年 (静岡県立中央図書館蔵) (三) 庶第七百八十五号 本年四月本県乙第七十五号ヲ以テ元老院議官関口隆吉地方巡察被仰付候旨達相成居候処本月二日着県四日ヨリ久良岐郡ヲ始メ順次各郡巡視ノ筈ニ付諸事無差支様可取計旨達有之不日本郡ヘ到着相成沿路各戸長役場小学校ヘハ巡視相成候趣ニ付都テ不都合無之様可被致為念此段通牒及候他 明治十六年六月廿八日 西多摩郡役所 戸長役場中 庶第千〇〇四号 関口元老院議官地方巡察之義ニ付テハ本年本県乙第七十五号ヲ以テ御達ノ次第モ有之去六月二日着県四日ヨリ久良岐郡ヲ始メトシ巡回ノ旨庶第七百八十五号ヲ以テ通牒及候処右ハ同郡ヨリ海岸各郡巡視静岡県ヘ被相越候趣ノ処尚本月九日頃足柄下郡箱根駅ヘ着夫ヨリ山手寄各郡巡視スヘキ旨通報有之趣庶務課長ヨリ通知有之就テハ不日本郡ヘ巡回可相成候条都テ不都合無之様可被致此段通示及候也 明治十六年八月十一日 西多摩郡役所 戸長役場中 (「西多摩郡役所御達綴」(明治一六―一七年)神奈川県立図書館蔵) 一〇四 騒擾事件と行政取締報告書(一-八) (一) ○同年九月二日午後第弐時武蔵国橘樹郡末長村人民三拾余名処々ニ集合シ頗ル不穏ノ色アリ因テ同郡溝口警察分署ヨリ巡査数名該処ニ出張シ懇々説諭シ漸ク鎮静シ帰ス其原由ハ隣村久本村ニ於テ虎列刺病死人ヲ火葬セントスルヲ厭忌セシニ依ルト云フ (注)明治十五年。 (二) ○同月廿九日同国大住郡堀山下村人民数名将ニ暴挙ニ及ハントス因テ同処警察署〔詰〕岡田警部補該処ニ出張シ之ニ説諭ス其顚末ハ左ノ同官ノ上申書ノ如シ 明治十六年四月廿九日相模国大住郡堀山下村人民六拾壱名ノ総代トシテ同村平民南条繁次郎外五名ノモノ同志者数名ヲ随ヒ同村豪農山口太平ノ家宅ヘ襲来シ山林反別八反余ノ立木ヲ受取ラント強迫ニ及ヒ而シテ南条ハ自身ノ膝ヲ斫リ又同行者ハ山口ノ為メ負傷セシ様無根ノ難事ヲ申掛ケ既ニ暴挙ニ及ハントスルノ勢アリ依テ即時同処ニ出張シ種々懇諭ヲ加ヘ漸ク一時ハ鎮定ニ帰スルモ尚処々ニ集合シ再挙ノ色アルヲ以テ先ツ同村戸長并議員等ヲ召喚シ其原因ヲ取糾スニ先年山口太平ノ買請タル官林反別十六町三反余ハ固ト同村人民六拾壱名ノ買請ヘキ筈〔然ル〕ニ之ヲ山口壱人ニテ買請タルハ甚タ不当ノ処為ナリト終ニ該人民等相謀リ山口ヲ被告トシ之ヲ法廷ニ告訴シ又続テ県庁ニ請願シタルニ孰レモ採用セラレズ因テ客年一月中彼ノ六拾壱名ノモノ竹槍等ノ用意ヲナシ最早大事ニ至ラントスルノ模様ニ付其節警吏出張説諭之上山口太平ノ買請タル山林反別拾六丁三反余ノ内五丁五反ヲ該人民等ノ共有物トナシ無代価ニテ譲リ渡スコトニ決シ其后チ又同村会ニ於テ右共有物五丁五反ノ立木ヲ同人民ヘ金四百余円ニ売渡スコトニ是又決定シ而シテ人民等ハ之ヲ配分シテ各伐木地面ヲ測量シタルニ豈計右五丁五反ノ内殆ント八反有余ノ不足アルヲ発見セシヨリ右ノ代価ヲ請求セント終ニ今回六拾壱名ノモノ山口太平ニ強迫シタルモノナリト云フ因テ暴徒并関係人等ヲ召集シ懇切説諭ヲ加ヘ漸ク六拾壱名ニ対シ山口太平ヨリ金六拾壱円ノ償金ヲ出スヘキニ決シ事始メテ平和ニ帰スルニ至リタリ (注)明治十六年四月。本文中〔 〕内は『神奈川県史料』第五巻の校訂をそのまま採用した。 (三) ○同月廿六日同国南多摩郡木曽根岸両村人民又将ニ暴動ニ及ハントス因テ同処警察署長原田警部該処ニ出張シ懇篤説諭ヲ加ヘ事漸ク平穏ニ帰ス其顚末ハ則チ左ノ如シ 抑該原因ハ武蔵国南多摩郡木曽根岸淵ノ辺三ケ村ノ共有地ナル秣場七拾六町九反ノ内木曽根岸両村ニ跨ル四拾町歩ノ地ヲ去ル明治十二年地租改正ノトキ木曽村ノ豪農三沢忠兵衛ナルモノヽ之ヲ買取リテ其内拾町歩ヲ淵ノ辺村ヘ売却シ残ル三拾町歩ヲ自分開墾セシヨリ起リシコトニテ最初村民等ハ此地処ハ何人〔ノ〕処有ナルモ永代小作地トナル可シト思ヒシニ豈計忠兵衛ハ此地ヲ買入ルヽヤ否ヤ大勢ノ人夫ヲ傭入レ開墾ヲ初メシヨリ村民等ハ大ニ驚キ忠兵衛ノ家ニ詰掛ケ兎ニ角此地処ヲ小作地トセンコトヲ請求シタレトモ忠兵衛ハ一向聞入レス我地処ヲ我開クニ手作トセンモ又小作トセンモ勝手ナリ兄等カ彼レ此レ云フ可キ事ニ非スト云フ理ノ当然ニ村民モ詮方ナク一時ハ引取リシカ其ヨリ木曽根岸両村ノ者共ハ事ニ托シテハ処々ニ集会ヲナシ何トナク村内穏カナラス因テ警吏ノ説諭モ度々ニ及ヒタルトモ遂ニ事ノ纒マラスシテ昨十五年十一月中該両村人民ヨリ地主忠兵衛ヲ被告トシ横浜裁判所ヘ告訴セシニ何分忠兵衛ハ当然ノ手続キヲ経テ買請〔タ〕ル地処ヲ自分ノ力ニテ開墾セシコトナレハ同衙ニ於テモ不当ト認ムヘキ所ナシトテ遂ニ本年五月三日訴状ハ却下セラレタリ於是該両村人民ハ今ハ詮方ニ尽果タリ去迚此儘止ムヘキニ非ストテ其夜ヨリ昼夜ノ別ナク処々ニ集会〔シ〕遂ニ同月七日ノ集会ニテ該両村ノ人民共一致ナ〔シ〕弐百余名ノモノ県庁并裁判処等ヘ歎願セント同国橘樹郡芝生村ニ押出セリ然レトモ八王子警察署長原田警部ノ説諭ニヨリ幸ニ事ナク神奈川駅ヨリ引返シ而シテ該両村ヨリ総代ヲ撰ヒ地処取戻ノ詞訟ヲ起シタリ然ルニ彼ノ忠兵衛ハ此裁判ノ起リシニモ関セス東京ヨリ開墾器械ヲ取寄セ益々盛大ニ論地ヲ拓キ又追々該地ヘ人家ヲ建築シ今ハ殆ト一新田ノ状ヲナシタレハ村民等ハ見ルニ堪ヘス愈々処々ニ集会シ此上ハ総代ヲモ打棄テ裁判ノ落着ヲモ恃トセス腕力ニテ其鬱憤ヲ晴サント無法ニモ決心シテ遂ニ本月廿六日ノ未明木曽村ノ人民等忠兵衛カ開墾地ニ押寄セ新築ノ家屋ヲ打毀チ思フ儘ニ振舞テ退去シタリト此事忠兵衛カ訴ニ依リテ八王子警察署ヨリ警吏数名直ニ該処ニ出張シテ乱暴ノ証跡アル村民等ヲ取押ヘ又其後チ連累ノ自首スル者等アリテ一時ハ署中ヘ留置セシ者六拾名ノ多キニ及ヒシカ追々取糾ノ末右ノ内拾四名ヲ検事局ヘ廻シ余ハ皆ナ居村ヘ差返シタリ然レトモ騒動ハ益々甚シク事変ノアランモ測リ難キ体ナレハ警吏ニ於テモ猶百方説諭ニ尽力スト雖トモ中々鎮静ノ模様ナク因テ到底此ノ騒動ノ原因タル秣場ヨリ処分スルニ非サレハ良好ノ結果ヲ得ヘカラストテ原田警部自カラ同村ニ出張シ該両村ノ人民一同ト彼ノ三沢忠兵衛トヲ一場ニ招キ懇篤説諭大ニ尽力セシニヨリ漸ク互ニ和〔睦〕ヲ承服スルノ色ヲ表シタリ又此件ニ付仲裁ニ尽力セシ同郡長原豊穣并同郡鶴間村戸長細野正重同山崎村戸長高梨才助等ノ諸氏モ猶双方ニ奔走周旋シ平和ノ事ヲ取扱シニヨリ遂ニ双方悔悟ノ念ヲ生シ全ク心解ケ三沢忠兵衛ノ開墾地三拾町〔余〕ヲ目今ノ価格ニテ木曽根岸両村ノ人民ヘ売却スル事ニ決シ同月十五日其取引モ済テ数年来ノ葛藤爰ニ始メテ氷解セリト云フ (注)明治十六年十一月。 (四) ○五月中愛甲郡下伊知村岩崎久右衛門中依知村佐藤市兵衛外三四名ハ巨魁トナリ負債者ヲ煽動シ債主ヘ強迫スルノ聞ヘアリ厚木警察分署ニ於テ巨魁者ヲ召喚シ説諭ノ上連判状其他ノ書類ヲ取リ上ケタリ大住郡笠久保村添田団右衛門外九名同ク負債一件ニテ負債者百余名ヲ同郡善波峠又ハ弘法山ニ聚集シ頗ル穏カナラス直ニ巡査ヲ出張セシメ鎮撫解散セシメ且巨魁等ヲ曽屋分署ニ召集審案ノ上小田原警察署ニ送致セリ此際大住郡愛甲郡各村負債者沈静ナラス処々ニ集会スルノミナラス大住郡尾尻村共伸社々長梅原修平居宅ヘ左ノ張紙ヲナシタルモノアリ 願ノ筋聞届呉レ候ハスバ何程堅固防禦ヲナスト雖トモ屹度焼討候間其段承諾セヨ 津ヽかな起命ハきのふ共伸社あすハ露木の友となる身ぞ 此張紙アルヤ梅原修平ハ勿論家族雇人ニ至ルマテ狼狽一方ナラス加之近隣ニ於テハ専ラ彼ノ露木ノ評ヲナシ且ツ放火等ノ恐レアルヲ以テ人心恟々タリ巡査ヲ処々ニ派出シ説諭ヲナスト雖トモ恐怖甚シキヲ以テ容易ニ安心セス故ニ巡査ヲシテ毎戸説諭ヲ加ヘシメ漸ク保護ノ篤キヲ感シ安堵ヲ覚ヘタリ其他近村中密ニ暴行ヲ企ルモノアルノ風評甚シキヲ以テ厳重探知巨魁者岩崎久右衛門佐藤市兵衛外四名ヲ捕獲シ小田原警察署ニ送致セリ爾後共伸社其他ニ於テハ利子ヲ引下ケ或ハ年賦ヲ承諾改約ヲナシタルヲ以テ先ツ沈静ニ帰シタリ (注一)明治十七年。(注二)下依知村。 (五) ○六月十一日大住郡馬入村戸長ニ宛テ彼ノ江陽銀行社長杉山某ノ宅ニ放火スヘシトノ投書アリ為メニ同家ハ勿論近隣ノ村民恐怖一方ナラス平塚警察分署長巡査毛利七郎并同村戸長等出張夫々沈静方取計ヒ且負債一件双方示談方ヲ示シタリ然ルニ爾後尚又負債一件ニテ人民処々ニ集合不穏ノ景況アルヲ以テ藤沢警察署ヨリ警部補伏屋為徳出張荻岡村戸長等ト共ニ同所戸長役場ニ於テ債主負債主及ヒ仲裁人ヲ呼出シ篤ク説諭スルモ容易ニ決セス数時間ヲ費ヤシ漸ク和談ニ至リタリ其要領概略左ノ如シ 一 公証面ハ明治十七年六月ヨリ向三ケ年ニシテ壱割弐分ノ利ヲ付スル事 一 仲裁人債主負債主ノ和解約条証ハ証書面三ケ年ニ至リ更ニ三ケ年ノ延期ヲ許シ此金額ニ限リ八分ノ利ヲ付スル事 一 金額ハ大凡五千五百円内外ニシテ負債主人名ハ九十五名程 但シ実際調査ノ積リ 一 元利払込ハ壱ケ年二回ノ事 (注一)明治十七年。(注二)高座郡萩園村か。 (六) ○七月三十一日高座郡上鶴間村字八口神社内ニ村民大凡三百名計リ集合近隣頗ル騒擾神奈川警察署詰警部補代理巡査小田切忠良外巡査二名并ニ原町田警察分署長巡査佐藤甘令等出張説諭解散セシメタリ右ハ原町田町ノ武相銀行并ニ奈良村ノ盛運社ヨリ負債シタル者其ノ返済ニ苦ミ集合協議ノ為メナリ (注)明治十七年。 (七) ○八王子駅近村人民騒擾事件同所警察署長警部原田東馬ヨリ上申書如左 八王子警察署部内人民集合ノ景状 明治十七年四月以来相模国大住淘綾足柄ノ各郡ニ於テ人民嘯集ノ兆候ヲ顕シ六月以来高座郡各村ニ蔓延シ延テ津久井南多摩ノ両郡ニ波及シ北西両多摩郡ニ伝播シ八月初旬ヨリ八王子警察署部内ニ於テ各地人民集合ノ景状及ヒ其処分顚末如左 一 八月三日武相国境南多摩郡相原村字御殿峠ニ於テ南多摩郡高ケ坂村外数ケ村ノ人民等負債償却ノ方法ヲ議スル為メ百名内外集合スルノ報ヲ聞キ警察官出張セシ処彼等衆説区々ニシテ日没前各自ラ平穏ニ解散シタルヲ以テ集合ノ形跡モコレナシ 一 八月七日尚御殿峠ニ於テ近傍ノ人民集合セルヲ以テ八王子警察署長原田警部現場ニ出張セシ処集合ノ人民十六名ニシテ尚追々来集スルノ場合ニ付八王子警察署ヘ引致ノ上取調フル処全ク負債償却ノ方法ヲ議シテ債主ヘ示談ヲ遂ケントスルノ口実ナルヲ以テ充分説諭ヲ加ヘ後来ヲ戒メ帰村セシメタリ 其人員左ノ如シ 高座郡 小山村一人 南多摩郡 木曽村二人 同 相原村一人 同 下一分方村一人 同 根岸村一人 同 高ケ坂村一人 同 鶴間村一人 合計 十四ケ村 十六名 同郡 鶴間村一人 同 鑓水村一人 同 南大沢村一人 同 宇津貫村二人 同 小比企村一人 同 松木村一人 同 小川村一人 一 八月十日高座郡上下鶴間村外数ケ村人民及ヒ一度鎮定セシ南多摩郡相原村外数村人民再挙午後八時頃ヨリ亦候御殿峠ニ集合シ午後第十一時頃ハ凡ソ五六百人ノ多衆トナル警察署長原田警部即時現場ニ臨ミ集合ノ理由ヲ糾スニ負債償却ノ整ハサルヲ以テ総員ヲ以テ債主ニ請ヒ延期宥恕ヲ求ムルノ旨意ナル旨申唱フルヲ以テ其多衆ノ勢力ヲ以テ暴威ヲ示シ目的ヲ達セントスルノ不当ナルヲ充分説諭責誡ヲ加ヘ各其場解散ヲ命シ天明ノ頃該場ハ尽ク退散シ南多摩郡相原村ニ至ル処左ノ人員二百十四人ハ疲労空腹等ヲ口実トシテ駐足帰村致サヽルヲ以テ同日午後四時頃土師警部松野警部補巡査数名之レヲ八王子警察署ニ引致シ所轄人民ハ署長原田警部之レニ充分責誡説諭ヲ加ヘ帰村セシメ其ノ藤沢警察署所轄高座郡鶴間村外数村人民九十一人ハ同署ヘ引渡シ同署ニ於テ責誡帰村セシメタリ 其村数人員左ノ如シ 南多摩郡 根岸村五人 同 高ケ坂村十九人 同 木曽村十六人 同 相原村三人 同 金森村十二人 同郡 小比企村二人 同 宇津貫村九人 同 片倉村二人 同 西長沼村二人 同 打越村一人 同 小山村九人 同 南大沢村十九人 同 鶴間村十二人 都筑郡 恩田村七人 高座郡 上鶴間村六十七人 同 淵ノ辺村七人 同 下鶴間村五人 同 八王子村一人 同 松木村九人 同 鵜ノ森村八人 同 小山村七人 合計 二十二ケ村 引致セシ人員二百二十四人 一 八月十四日津久井郡寸沢嵐村外七ケ村人民凡三百余名各負債償却ノ事柄ニ付御殿峠ニ集ル各村ノ人民ト合併セントシテ武相国境七国峠及ヒ高尾山ニ出没シ御殿峠ノ集民既ニ全ク解散セシ状ヲ確知シテ方向ヲ転シ其内百名計リ同十五日同人民津久井郡役所ニ歎願アルト唱ヘ出頭郡吏及ヒ中野分署巡査三原経孝等之ヲ説諭セシ処一旦同郡中沢村普内寺ニ退キ同十六日ニ至リマタ転シテ南多摩郡小比企村ノ原野ニ於テ再ヒ三百余人集合セリ依テ八王子警察署ヨリ浜口警部補巡査数人ヲ率ヒ現場ヘ臨ミ集合ノ理由ヲ尋問スルニ前同断ナル負債償却ノ示談ナル旨答弁セリ依テ厳誡説諭ヲ加ヘ各解散帰村セシメタリ 其人員左ノ如シ 津久井郡 三井村三十一人 同 中沢村二十人 同 若柳村二十五人 同 三ケ木村六十五人 南多摩郡 鑓水村十二人 合計九ケ村 三百三十八人 同郡 牧野村八拾五人 同 寸沢嵐村七十人 同 青山村十五人 同 又野村十五人 一 八月十八日南多摩郡西中野村字鶯山ヘ同郡宇津木村外十七ケ村人民凡六十名負債償却示談ノ口実ヲ唱ヘ集合セリ即時警察署ヨリ吉沢警部補出張直ニ之ヲ解散セシム 一 八月廿日西多摩郡檜原村字千束住久保田清右衛門宅ヘ負債一件ニ付同村人民二十七人集合五日市分署長巡査山本一智出張説諭解散セシム 一 八月廿一日西多摩郡藤橋村広井喜一宅ヘ負債一件ニ付同村民十二名集合青梅分署長巡査野萱次郎出張説諭シテ解散セシメタリ 一 同日西多摩郡石畑村字六道ノ山中ヘ武蔵国入間郡高根村人民五十名集合函根ケ崎分署長巡査萩原益三出張説諭解散セシメタリ 一 八月廿三日西多摩郡平井村字谷入住山野丹二郎宅ヘ負債一件ニ付左ノ人員集合五日市分署長巡査山本一智出張解散セシメタリ 西多摩郡草花村 十九人 同郡菅生村三人 同 平井村二十四人 合計 三ケ村 五十六人 一 八月廿五日高座郡橋本村ヘ左ノ人員集合松野警部補出張尋問スルニ負債償却ノ件ナルヲ以テ一先引致シ取調フル処背法ノ廉ヲ見ス厳ニ後来ヲ戒メ解放帰村セシメタリ 其人員左ノ如シ 高座郡 上鶴間村一人 同 淵ノ辺村一人 南多摩郡 小比企村一人 同 打越村一人 同 片倉村一人 同 根岸村二人 同 金森村一人 同 高ケ坂村一人 同 鶴間村一人 都筑郡 恩田村一人 同郡 鵜ノ森村一人 同 小山村二人 同 宇津貫村一人 同 西長沼村一人 同 松木村二人 同 成瀬村一人 同 木曽村二人 同 南大沢村一人 鎌倉郡 瀬谷村一人 合計 十九ケ村 二十三人 一 八月二十六日津久井郡三井寺ニ於テ左ノ人員集合松野警部補出張理由ヲ問フニ負債償却ノ方法ヲ談スル為メ集合セル旨申立ルニ付解散ヲ命シタル処債主ヘ掛合方仲裁人アリテ周旋中ニ付其返答ノアルマテハ決シテ解散セスト抗弁シ警察官ノ命令ニ応セス依テ引致取調ノ上検事ヘ送付セリ 其人員左ノ如シ 津久井郡 根岸村一人 同 青山村二人 同 三鍵村二人 同 名倉村一人 同 三井村一人 同 青根村一人 合計 十ケ村 十三人 同郡 小淵村一人 同 中沢村一人 同 青野原村一人 同 牧野村一人 同 寸沢嵐村一人 以上各地ニ集散シ夫々解散ヲ執行シ又ハ引致取調ヲ遂ケ各地一旦鎮定ニ到リシ処九月一日ニ至リ南多摩郡下川口村塩野倉之助方ニ於テ又候近傍人民ヲ嘯集スル為メ事務所ヲ設置シ資金ヲ募集スルノ聞アルヲ以テ吉沢警部補巡査数名ヲ率ヒ同人家屋ニ臨検シタル処果シテ隠謀ノ盟約書其他嘯集ニ関スル書類ヲ発顕セリ依テ之ヲ押収シ連犯人町田克敬ヲ引致シ八王子警察署ヘ留置治罪ノ手続ヲ履行セリ 一 九月五日南多摩郡下川口村塩野倉之助ナル者自村外近傍三十二ケ村ノ人民二百余名ヲ嘯集シ各蓑笠ヲ着シ当八王子警察署ニ出頭シ曩キニ押収シタル帳簿并ニ町田克敬ノ差下ケヲ要求スルト唱ヘ署外ニ喧閙シ続々署内ニ鞋足ノ儘押入ルノ形跡アリ警察署長原田警部ハ之レニ対シ理由ヲ糾ス処何レモ負債弁償延期請求ノ為メナル旨異口同音ニ申唱フルヲ以テ官署ニ於テ聞入ルヘキコトニ非ル旨ヲ諭シ其凶暴ノ行為ヲ厳責シ速ニ解散スヘキ旨命令スルコト数回ニ及フト雖トモ其命令ニ応セサルノミナラス益々喧噪シテ署内ニ入リ来ルヲ以テ其二百十名ヲ逮捕シ巡査数名ヲシテ署内ニ留置ノ処分ヲナサシメタリ 其人員左ノ如シ 南多摩郡 上川口村十五人 同 宮下村五人 同 西中野村一人 同 宇津木村五人 同 上恩方村六人 同 一分方村三人 同郡 山入村二十三人 同 二分方村八人 同 小津村一人 同 石川村十四人 同 下恩方村二人 同 中丹木村二人 同 横山村四人 同 八日市村四人 同 下川口村一人 同 大楽寺村一人 同 北平村一人 北多摩郡 上連雀村七人 同 境村一人 西多摩郡 大久野村七人 同 菅生村二人 同 平井村四十二人 同 草花村十二人 同 戸吹村四人 同 北大谷村四人 同 粟ノ須村十一人 同 左入村一人 同 犬目村六人 同 拝島村一人 同 下連雀村四人 同 小川村三人 同 引田村五人 同 野辺村四人 合計 三十三ケ村 人員二百十人 爾後其者共ヲ取調フル処全ク塩野倉之助小池吉教等ノ教唆ニヨリ多衆嘯集シテ官署ヘ喧閙シタル事跡顕然セルヲ以テ治罪ノ手続結了ノ上起訴ノ処分ヲ決行セリ 一 九月六日南多摩郡西中野村小池吉教宅ニ於テ前日官署ニ喧閙ヲナセシ二百十名ノ余徒百余名前日ヨリ徹夜集合セルヲ以テ吉沢警部補巡査数名ヲ率ヒ出張セル処彼等警察官ノ出向ヲ遠見シ四方ニ散乱山中ニ逃走シタリ故ニ其村名人名共ニ明瞭セス 一 九月六日南多摩郡南方ノ各村及ヒ高座郡津久井郡各村ノ人民共前日北方下川口村人民数百人八王子ヘ押シ寄セ警察署ニテ喧閙シ尚ホ残徒中野村辺ニ屯集シテ追々八王子ニ押シ来ラントスルノ景状ヲ伝通シ同日午後八時ヨリ夜ヲ徹シ南多摩郡鑓水村鑓水峠ト御殿峠ノ中間ナル字檜窪官林ニ集マリ八王子ニ押寄セ来ル北方各村ノ人民ト相会セント謀リ午後九時頃追々御殿峠及ヒ檜窪ニ集合セリ其際檜窪ニ集マル者凡百名以上ニシテ御殿峠ニモ数十名来集セリ然ルニ翌七日天明ノ頃ニ至リ各々自ラ静穏ニ帰村セシヲ以テ七日早朝ヨリ警部巡査数名集合人民処分ノ為メ巡邏セシ処各村共前夜集合ノ末早朝帰村セシ景跡ヲ見ルノミ一モ集合ノ場所無之蓋シ前夜御殿峠及ヒ檜窪ヘ追々集合スルノ央午後一時横浜署ヨリ警部三名巡査三十五名監守十名数台ノ馬車ヲ以テ八王子ニ来着セルヲ集合人民ニ通シ憲兵数百人繰込ミタル旨申唱ヘ集民自ラ畏縮解散帰村セシ者ナリ 一 九月七日南多摩郡滝山村正林寺ニ近傍ノ人民集合スル旨百名余八王子警察署ヨリ巡査之レニ出張セルヲ遠見シ四方ニ散乱逃走セリ故ニ其村名人名共ニ明瞭致サヽルナリ 一 九月八日予テ債主ト負債者トノ間ニ立入リ仲裁ヲ行フ者ヨリ債主ノ模様ヲ負債者ヘ確答スルノ当日ナルヲ以テ負債者ハ村々ヨリ御殿峠ニ集合シテ其報ヲ待ツノ企アリ藤沢警察署ヨリハ警部巡査数名ヲ率ヒ橋本村ニ出張シ八王子警察署ヨリハ警部巡査ヲ相原村ニ出張シ藤沢出張員ト橋本村ニ会シ厳ニ視察ヲ行ヒタル処集合ノ景跡ヲ顕サス高座郡相模原ニ数名集合ノ上帰村セシ由相聞ヘタリ 一 九月十日南多摩郡南方各村ノ負債者数名高座郡各村ノ負債者等ト通牒シ高座郡清兵衛新田村ニ凡百余名集合セリ警察官未タ出張セサル内ニ各何レモ退散帰村セリ 以来各地共巡査ノ配置所ヲ増設シ臨時数名ノ連行巡回ヲ施行シ非常警戒ヲ厳ニシ各地集合ノ重立タル者ヲ就捕者二百十名ノ者ノ連犯ト認メ専ラ捜査ヲ厳密ナラシメ以来各地集合ノ事跡地ヲ払フタルモノヽ如シ然レトモ全ク自悔断念セル者ニアラス時機ニ投シ勢力ヲ示シ義務ヲ免レントスルノ目的ヲ達セスンバ止マサルノ思念アリ啻ニ警察ノ至厳ニ畏縮シ其ノ張弛ヲ窺ヒ密ニ計画ヲ企謀セリ 一 九月廿一日曩ニ官署ニ喧閙セル被告人二百十名内百七十一名ハ付和随行者ト認定シ在宅ヲ命シ一時釈放帰村セリ依テ其在村ノ景状ヲ視察スルニ何レモ数日ノ入檻ニ迷夢ヲ覚シ一身ヲ顧ミ家族ノ艱苦ヲ思ヒ漸ク自悔ノ念ヲ生シマタ警戒ノ至厳ヲ畏縮シ再挙ノ気焰全ク絶ヘタルノ景状ナリ 一 同廿三日相模国津久井郡寸沢嵐村字道志組ニ於テ該村人民大凡六十名余集合シ借金返済ノ延期ヲ議スル為メ蝟集スルノ報アルヨリ鎮撫トシテ吉野分署長巡査斎藤良幸ハ巡査弐名ヲ率ヒ該所ヘ出張ノ上何等ノ事ヨリ各大勢集合セシヤ尋問セシニ異口同音ニ借金延期ノコトヲ議セン為メ集合スル旨答ヘタリ依テ其不可ナルヲ厳諭セシ所承服ノ体ニテ悉ク解散シタリ 一 同日原町田分署部内南多摩郡高ケ坂村ヘ貧民蟻集スル旨探偵スルヨリ迅速原町田分署長巡査山本一智ハ巡査三名ヲ従ヒ該村ニ到リ内密探偵ヲ遂ケルニ果シテ同村十番地矢口甚左衛門居宅ニテ数名集合シ借金延期ノコトヲ議スルヲ名トシテ不穏ノ挙動アル旨探知シ直ニ該家ニ至リ見ルニ数名集合アルヨリ家主外十三名ヲ原町田分署ヘ引致シ取調ノ上党与ヲ集メ不穏ノ挙動ヲナス証拠不充分ナルヨリ責誡シ帰村セシメ尚各巡査ヲシテ厳粛警戒ヲ施行シタリ 一 九月廿四日津久井郡名倉村ニ於テ日連村外二ケ村ノ人民借金延期返済方ヲ議スル為メ凡八十名余又々集合スル様伝聞スルヨリ気脈線ヲシテ巡査斎藤良平ハ鎮撫ニ着手シ解散セシム 一 同三十日津久井郡ノ貧民再挙ヲ企ツ風聞頻リナルヨリ急速警部補代理巡査斎藤良平ハ巡査三名ヲ率ヒ進行牧野村ニ至リ見ルニ同村字篠原ト云フ山中ニ三十人余ノ困民等集合シ借金延期ノ歎願ヲセントスルヲ申唱フルヨリ説諭シ解散セシメタリ 一 同十月四日八日十日十五日廿一日ノ間津久井郡小淵村及寸沢嵐沢井千木良等ノ山中ニ出没スル風聞屢々アリ吉野分署長巡査斎藤良平ヲシテ探偵セシメタル所果シテ風聞ノ如ク千木良村ノ山中ニ集合スルアリ出張巡査ハ何等ノ為メ集合スルヤノ理合ヲ尋タルニ前同断ナル負債償却ノ示談整ハサルニ付宥恕セシムル為メ集合セル旨答ヘタリ依テ厳戒説諭ヲ加ヘ各解散帰村セシメタリ (注一)根岸村は南多摩郡。(注二)三鍵村は三ケ木村。 (八) ○右八王子騒擾ニ付内務其他ヘノ上申書如左 警甲第七八号 不穏ノ集会ヲ解散セシメタル義ニ付上申 本月十日県下武相二州ノ内南多摩高座都筑鎌倉四郡ニシテ十四ケ村人民無慮五百余名ノモノ南多摩郡相原村字御殿峠ヘ屯集シタル其所以ハ八王子駅武蔵野銀行貯蓄銀行八王子銀行ニ対シ各負債弁償方ニ付屢々債主ニ迫リ宥恕ヲ請求スルモ到底示談ノ行届カサルヨリ遂ニ多衆ノ勢力ヲ以テ其目的ヲ達セント欲スルニアリ尤モ此事ハ既ニ探知スルヲ以テ速ニ警察官吏ヲ派遣シ百方説諭鎮撫ニ尽力セシメタル処皆ナ其ノ不理ナルコトヲ覚リ大ニ悔悟ノ状ヲ呈シ翌十一日天明ニ至リ夫々解散人心静穏ニ帰シタルモ仍ホ将来ノ警戒ヲ厳ニシ且ツ首唱者ハ所轄警察署ヘ引致目下取調中ニ候得共本件ノ顚末不取敢上申候也 明治十七年八月十四日 長官名 内務卿宛 警甲第八〇号 不穏集会ヲ解散セシメタル義ニ付上申 曩キニ県下武相二州ノ人民負債弁償方ニ付不穏ノ集会ヲ解散セシメタル顚末及上申置候処尚又本月十六日相州津久井郡ノ内三井村外七ケ村及ヒ武州南多摩郡鑓水村人民三百四十一名ガ困民会ト称シ負債償却上ノ事ニ付南多摩郡小比企村字稲荷森ト唱フル原野ニ集会不穏ノ挙動有之ヲ以テ鎮静方ニ着手夫々解散セシメ候得共頃日追々各所ニ伝播シ諸方ニ集合ノ聞ヘ有之ニ付於今充分之レカ取締ヲ為サヽレバ遂ニ巨害ヲ為スニ至ルモ難計ト思考候条右集合ノ場所ハ一々警部ヲ監視セシメ治安妨害ノ廉ヲ以テ集会条例第十七条ニヨリ解散ヲ命シ若シ随ハサル時ハ第十三条ニヨリ処罰スヘキ見込且ツ人民ヲ教唆誘導シテ〓ニ至ラシムル巨魁ト見認ムルモノハ相当処分可致候得共此段不取敢上申候也 明治十七年八月廿一日 長官名 内務卿宛 警甲第八二号 凶徒聚衆之義ニ付上申 兼テ上申及置候県下負債人民集合之義ニ付夫々取締方手配罷在候処明治十七年九月五日午後第三時本県下南多摩郡下川口村塩野倉之助ナル者願之筋アリト唱ヘ八王子警察署ニ出頭セルヲ以テ警部補松野広之レニ対シ理由ヲ取糾候処其旨意タルヤ予テ凶暴ノ企アル集合事件ニ付去ル一日同村ヘ集合ノ際警察官ヲ臨検セシメ現場ニ於テ証拠書類ヲ押ヘ且ツ同村平民町田克慶ヲ引致同署ニ於テ取調中ノ処村内一同ニ於テハ差支云々ヲ以テ右書類ト共ニ下戻ヲ要求スル旨申出ルニヨリ其不当ヲ誡メ決シテ聞入ルヽヘキ事柄ニアラサルコトヲ相示シ候際門前ヘ凡ソ二百余名ノ人民各蓑笠ヲ着シ喧閙シテ署内ニ侵入シ凶暴喧噪スルヲ以テ之レヲ厳制シ仍ホ理由ヲ訊問スルニ先キニ進ミタル者共ノ申出ル処ヲ聞クニ何レモ負債償却ノ整ハサルヲ以テ総テノ借債十ケ年賦ニ致シ呉レ度ト申唱フルヲ以テ尚又群衆ニ対シ訊問スルニ何レモ借債十ケ年賦ノ事ナリト同音ニ答ヘタリ依テ如此事柄ハ警察署ニ於テ採用スヘキ筋ニアラサル旨ヲ示スモ毫モ之レニ応スルノ模様ナキヲ以テ数回解散ヲ命令スルニ愈聞入レサルノミナラス署外ニ駐足セル者モ追々署内ニ押入ルヲ認メ尚厳ニ解散ヲ命スルモ益々解散セサルノミナラス喧閙署内ニ進入スルノ行為正ク凶徒多衆ヲ嘯聚シテ官庁ニ喧閙セル現行ノ犯跡顕然タル者ニ付一同即チ二百十名ヲ逮捕シ目下取調中ノ処仍ホ之ヲ奪ハントスルノ企アル趣探偵上ニテ相聞ヘ候ニ付警部巡査等出張セシメ厳重取締ノ処分ニ及候条此段不取敢上申候也 明治十七年九月六日 長官名 内務卿宛 司法卿宛 ○十一月五日埼玉県下ノ暴徒猖獗当県下ニ侵入ノ景状アルヲ以テ田警部長巡査五十名ヲ引率出張青梅警察分署ヲ本拠トシ曽テ出張シタル警部巡査二十余名ト相合シ埼玉県下接近ノ郡村中要路ノ所ニ之ヲ派遣シ以テ侵入ノ防キヲナシ且ツ小田原藤沢ノ両警察署ヨリハ警部巡査ヲ郡村中ニ派出シ以テ郡村内ノ人心ヲ鎮撫シ居タルニ暴徒ハ埼玉県下秩父郡ヨリ山梨県下ニ横行スルヲ以テ尚ホ同県近接ノ地即チ本県氷川分署部内ノ要路ニ巡査ヲ派出シ侵入ノ防禦ヲナシタルニ幸ニ侵入ナク随テ郡村ノ人心モ静沈ニ帰シタリ (注)明治十七年。 (「騒擾事変」『神奈川県史料』五巻所収) 一〇五 騒擾取締に関する高座郡長の内達(一-二) (一) 『高庶第千四百壱号』 世上便利融通ノ為メ彼レノ剰余ヲ以是レノ欠乏ヲ補ヒ相互貸借流用スルコトハ自然普通ノ原則ナリ然ルニ目今ノ景状ヲ視ルニ或ヒハ奸黠ノ徒アリ愚民ヲ煽動シ己レ負債主ノ総代ト称シ恣ニ永年賦無利足等ノ方法ヲ設ケ彼我ノ約束ニ拘ハラス暴行強迫ノ手段ヲ以テ債主ヲ威服セシメントスル由相聞ヘ右ハ容易ナラサル義ニ有之若シ相対貸借ニ関シ他ヨリ謂ナキモノ立入強談等ナス者有之トキハ住所人名ヲ問ヒ速ニ最寄警察署又ハ分署ヘ通知処分受ケ可申様予テ部内ヘ示諭シ置クヘク此旨内達候也 明治十七年七月廿五日 高座郡長 今福元頴 河本崇蔵殿 (二) 埼玉県下秩父郡人民数百人嘯集暴挙ノ趣其筋ヨリ達有之候ニ付本郡内取締向ノ義篤ク注意可致旨本県ヨリ内達有之候条其所轄内人民ニ於テ軽遽ノ挙動無之様予テ注意可致此旨内達候事 明治十七年十一月四日 高座郡長 今福元頴 鵜ノ森村外四ケ村戸長 河本崇蔵殿 (「本県本郡役所達書照会状綴」(明治一七年)相模原市史資料室蔵) 一〇六 負債者対策に関する高座郡長宛南多摩郡長県書記官書簡(一-二) (一) 負債困民之義ニ付貴官及津久井郡長ト会同協議ノ上内申可致旨県令ヨリ御達相成右者何れも同様之御達と推考致候就而会同地并ニ日限等別ニ御示しも早々前着無之候ハヽ何地ヘ何日ニ会同と貴官ニ而ハ御取極メ至急御回報相成度津久井郡ヘ者是より通知方取斗可申委曲者譲拝晤草々不一 十二月十二日 原豊穣 今福君御坐下 (今福祥氏蔵) (注)明治十七年。 (二) 陳者過般御出港之節御相談申候負債者之件其後立木通善来リ県令ヨリ相談相成候処各郡長ニ於テ配意有之候上ハ最早仲裁ハ謝絶致候旨同人より申出候間此上ハ自然困民等貴官ヘ歎願等申出候義も可有之其場合ニ於テ者充分懇切御取扱穏便之結果ヲ得候様御尽力相成度尚其事情ニ依リテハ速ニ御申出相成度此段申上候也 十二月廿三日 書記官 今福高座郡長殿 (今福祥氏蔵) (注)明治十七年。 一〇七 負債者徒党取締に関する大住淘綾両郡長の内達 第五十四号 南多摩郡都筑郡負債徒等物価ノ激変ニ際シ図ラサルノ困弊ヲ極メタルヲ以テ行政官ニ哀願シ該官ノ哀憐ヲ受ケタシトノ主意ニテ総代人ヲ撰ミ各債主ヘ不当ノ償却方ヲ昨暮南多摩都筑橘樹高座ノ各郡長ヘ申出尚今般県庁ヘ罷出候ニ付長官ニ於テハ該郡長等ヲ招集シ御談議ノ上長官ヨリ総代人等ニ対シ懇篤御談ノ末物価ノ激変ニ際シ困弊ニ陥リタルハ実以テ憫然ノ義ニハ候ヘ共行政官ニ於テ如何ニ部民ニ哀憐ヲ加フルモ又尽力スルモ偏頗ノ処置ハ為シ難キヲ以テ今般総代人共ヨリ申出タル主意ニテハ負債者ニ取リ都合ヨケレトモ債主ニ於テハ到底承諾シ得ヘカラサル義ニテ詰リ債主ヲ斃スノ手段ニ外ナラス即本官ニ於テハ負債者モ部民ナリ債主モ亦部民ナリ斯ノ如キ一方ニ偏スルノ所置ニ尽力ハナシ難キニ付双方ニ於テ出来得ヘキ義ニ無之テハ如何ナル示談ヲ為スモ整ヒ難ク且尽力モ為シ難キコトナレハ自今集合談判又ハ総代人ヲ撰ミ候如キハ一切相止メ各自ニ正実ヲ以テ債主ヘ示談致スノ外ナシ然ル上ナレハ本官ニ於テモ夫々尽力致シ且郡長戸長ニ於テ同様尽力候様致シ遣スヘクトノ旨為申聞相成候処右〓代人共ニ於テハ直ニ皈村速ニ〓代人ヲ解キ各自ニ正実ヲ以テ債主ヘ示談候様可致旨承諾候ニ付別紙略記廉書ノ主意ニ依リ尽力シ尚各戸長ニ於テモ同様尽力スヘキ様懇示致シ置クヘキ旨今般諭示相成候条各員ニ於テモ前文ノ主意ニ依リ夫々注意尽力有之度此段及内達候也 明治十八年二月廿日 大住淘綾両郡長飯岡頼重 子易村外二ケ村 戸長 萩原徳次郎殿 〔別紙〕 一 各村負債者〓代人ヲ解ク事 一 各負債者ハ各自ニ銀行ヘ談判ノ事 一 各負債者集合談判ハ厳禁ノ事 一 各負債者銀行ヘ頼談ニ及ヒ過酷ノ取扱アル節ハ郡長戸長ニ於テ厚ク尽力ノ事 一 私立銀行金貸会社ノ貸借間ニ前項ノ場合アルトキ郡長戸長充分尽力致スヘク事 一 負債者ハ物価ノ激変ニ際遇セシコト故非常ノ取扱ヲ為シ成ルヘク懇切ニ処分致スヘキ事 (「本県内達」(明治一七年)伊勢原市役所蔵) 一〇八 負債党取捌人賞与に関する高座郡長宛県書記官南多摩郡長書簡(一-二) (一) 拝読負債党之件ニ付尽力之者慰労方御問合之趣拝承右者已ニ評議も致居候義ニ有之其目的ハ饗応ニ而も致シ相当之事トハ考候得共彼等幸ニ打揃出港致居候場合も無之又夫レカ為メ呼出サルヽ様ニテハ却而迷惑ヲ相懸ケ候筋ニ付寧ロ相当之品物ニ県令之書簡ヲ添遣ス方可然哉トモ存候就而ハ其辺之御意見も有之候ハヽ原氏トモ御打合之上小生迄御見込之処御申越被下度品物可然トノ御考ニ候ハヽ其種類并ニ価額之処モ大凡何程位ノ者可然哉委詳御意見御申越被下度右ハ貴答旁御問合申上度早々如斯御座候頓首 七月十四日 健 今福先生梧下 (注一)明治十八年か。(注二)神奈川県書記官 田沼健 (二) 負債党取扱人賞与之件ニ付屢々御来示候趣了承御返ニ而至極可然と存候別紙者曽而御協議ノ末具状書ニ添ヘタル各人姓名書ニ而朱書ハ御参考迄ニ書加ヘタルモノニ候書記官ヘ回答者貴官ヨリ相願度先ハ御回答旁此段申進候也 七月廿三日 原豊穣 今福郡長殿 追而御回報早速可差上候処具状書相見失ひ彼是捜索中存外延引致候条此段申副候也 (別紙) 困民調和取扱人姓名 高座郡中新田村 県会議員 山田嘉穀 南多摩郡大蔵村 同 中溝昌弘 同郡上小山田村 平民 薄井盛恭 右者最初ヨリ関係奔走殆ント四十日間般々懇切ニ取扱候ヨリ債主負債主共ニ信用シ為メニ好景ヲ得ルニ至レリ 高座郡下鶴間村 戸長 長谷川彦八 南多摩郡小川村 同 細野喜代四郎 (今福祥氏蔵) (欄外注記)『本年一月十三日付ヲ以テ内申セシ扣』 一〇九 社倉解散下付金維持方法に関する上願書および同許可書(一-二) (一) 社倉金解散御下付上維持方法書 一 御下付金若干更ニ凶災予備ノ名義ヲ付シ他ニ便用致サヽルモノトス 一 該金ヲ維持スルハ一村人民ノ投票ヲ以議員内ヨリ撰挙弐名ヲシテ担当スルモノトス 但シ担当年限ハ三ケ年ヲ限リトス 一 該金貸与ノ利子ハ年ニ何割ト定メ年々利倍積立ルモノトス 一 利倍年数ヲ重ネ其金数ヲシテ一村ノ地租額ニ比準スル時ハ更ニ積立ヲ止メ利子金等ニ割渡スモノトス 一 凶災年柄ニシテ予金ヲ便用スルハ租金上納ノ甘苦ヲ計リ無利足貸与スルモノトス 一 甘苦ノ分界貸与ノ金数ヲ定ルハ其節村会ノ決議ニ拠ルモノトス但シ返金ノ年数ヲ定ムルハ同決議ヲ以テス 右書面之通村民一同特ニ協議ヲ以御下付金維持方法相定候間社倉御解散御下ケ金被成下度上願御座候也 明治十六年十一月一日 高座郡下鶴間村 大谷惣兵衛(印) 大谷吉右衛門(印) 大谷泰吉(印) 大谷与兵衛(印) 大谷弥五兵衛(印) 大谷弥市(印) 大木惣左衛門(印) 石井三右衛門(印) 石井伊左衛門(印) 滝本清左衛門(印) 滝本八右衛門(印) 石井政右衛門(印) 石井代二郎(印) 石井伊八(印) 石井与兵衛(印) 木下松五郎(印) 佐藤重良兵衛(印) 佐藤惣助(印) 滝本儀左衛門(印) 佐藤平左衛門(印) 木下藤吉(印) 木下喜兵衛(印) 佐藤太与吉(印) 古木利左衛門(印) 滝本勘左衛門(印) 佐藤利助(印) 佐藤弥左衛門(印) 木下文蔵(印) 木下儀右衛門(印) 北島良助(印) 佐藤太郎右衛門(印) 佐藤源左衛門(印) 滝本宇吉(印) 古木森右衛門(印) 古木熊太良(印) 井上助右衛門(印) 井上嘉七(印) 井上台助(印) 滝本清太郎(印) 木下弥右衛門(印) 古木増右衛門(印) 古木伝八(印) 古木伝左衛門(印) 古木伝五兵衛(印) 木下重右衛門(印) 石井平右衛門(印) 佐藤源兵衛(印) 古木伊兵衛(印) 石井伊右衛門(印) 石井平兵衛(印) 木下円蔵(印) 大木岡右衛門(印) 滝本長左衛門(印) 滝本弥七(印) 滝本安右衛門(印) 石井泰助(印) 大木治兵衛(印) 大木仁左衛門(印) 滝本浅右衛門(印) 滝本治兵衛(印) 滝本嘉平(印) 石井重蔵(印) 石井豊吉(印) 石井藤右衛門(印) 滝本市右衛門(印) 大谷新兵衛(印) 大谷仲右衛門(印) 大木新助(印) 大谷文右衛門(印) 蜂須賀又次郎(印) 高下宇左衛門(印) 市川吉右衛門(印) 加藤忠三(印) 浜田平左衛門(印) 土屋善右衛門(印) 高下半平(印) 山本五兵衛(印) 大久保彦兵衛(印) 北嶋信造(印) 瀬沼伝右衛門(印) 金子亀治郎(印) 瀬沼嘉十郎(印) 北島熊吉(印) 高橋紋右衛門(印) 瀬沼千代吉(印) 瀬沼直吉(印) 瀬沼新助(印) 瀬沼源四郎(印) 目代岩蔵(印) 小倉嘉一(印) 長谷川彦八(印) 土屋藤吉(印) 浜田忠右衛門(印) 北嶋林蔵(印) 角野八左衛門(印) 柴田源七(印) 瀬沼吉左衛門(印) 伊沢藤八(印) 土屋伊平(印) 瀬沼義平(印) 金子巳之助(印) 金子常吉(印) 和田平治(印) 石井久右衛門(印) 和田直栄(印) 篠田源太左衛門(印) 和田儀左衛門(印) 市川茂兵衛(印) 篠田清左衛門(印) 柴田平左衛門(印) 遠藤善左衛門(印) 高橋佐平治(印) 小倉武右衛門(印) 瀬沼由右衛門(印) 浜田庄左衛門(印) 石井治右衛門(印) 中村紋左衛門(印) 臼井八兵衛(印) 臼井与左衛門(印) 小倉勘蔵(印) 和田文蔵(印) 小倉彦右衛門(印) 小倉茂左衛門(印) 石井政左衛門(印) 北嶋孫治郎(印) 小倉卯兵衛(印) 瀬沼勘助(印) 瀬沼七左衛門(印) 柴田新兵衛(印) 井上良助(印) 高橋織右衛門(印) 瀬沼文平(印) 浜田浅五郎(印) 加藤甚兵衛(印) 蜂須賀清兵衛(印) 臼井市兵衛(印) 小倉仲治郎(印) 小倉杉五郎(印) 伊沢宇八(印) 飯田市郎兵衛(印) 篠田清蔵(印) 加藤長右衛門(印) 石井岩治郎(印) 北島荒治郎(印) 北島彦四郎(印) 八木小左衛門(印) 高下倉右衛門(印) 高下兵五郎(印) 伊沢久治郎(印) 土屋仲蔵(印) 遠藤茂吉(印) 高橋栄蔵(印) 天野吉兵衛(印) 大久保万右衛門(印) 大久保金右衛門(印) 北嶋徳右衛門(印) 石渡音吉(印) 目代利兵衛(印) 目代源之丞(印) 篠田金平(印) 高橋治郎吉(印) 北嶋幸右衛門(印) 蜂須賀元右衛門(印) 浜田佐五左衛門(印) 篠田太左衛門(印) 篠田彦右衛門(印) 天野浅右衛門(印) 高橋市右衛門(印) 篠田九左衛門(印) 土屋惣兵衛(印) 高下玄随(印) 土屋七兵衛(印) 伊沢喜兵衛(印) 石渡安太郎(印) 遠藤稲蔵(印) 天野七蔵(印) 梁川八右衛門(印) 高下清吉(印) 高下金蔵(印) 明治十六年十月三十一日 戸長 瀬沼新助(印) 神奈川県令沖守固殿代理 神奈川県大書記官 田沼健殿 (二) 『庶第五千九百五拾七号 書面之趣聞届社倉金元利共別紙仕訳書之通下戻候条旧三井組預リ証并受取人一同連署右受領証十二月十五日迄ニ可差出事明治十六年十一月三十日 神奈川県令沖守固代理 神奈川県大書記官 田沼健(印)』 (「指令綴」(明治一四―一七年)大和市役所蔵) (注)別紙仕訳書欠。 一一〇 勤倹儲蓄同盟社則 人生不測ノ災害アルハ古今其例尠シトセス近時世運昌平気候ノ不順ナキト政府民ニ厚キトニ頼リ以テ我輩農圃ニ従事スルノ徒勉メテ耕耘ニ怠ラサレハ幸ニ一家ヲ供給シ営生ノ道ヲ失スルナキモ天若シ凶歉ヲ下シ蝗旱風霖ノ変アルニ遇ハヽ夫レ何ヲ以テカ之レヲ待ントスル耶苟モ良民タルモノ予メ之レカ災厄ニ虞備スル所ロナカルヘカラス然リ而シテ人生ノ災害ハ独リ天変ニ止ラス疾病アリ災厄アリ以テ社会ノ安寧ヲ害ス一旦斯ノ如キ不慮ノ難ニ逢遭スルアレハ仮令ヒ東馳西走衣食ニ汲々タルモ豈能ク飢渇ヲ治スルヲ得ンヤ是我輩ノ従来杞憂スル所ニシテ遂ニ今回儲畜法ヲ設クル以所ナリ今ヤ世運昌平ノ日ニ方リ各自勤倹節約ヲ旨トシ余ス処ノ金穀ヲ醵シ以テ将来不測ノ災害ニ備エハ亦小補ナシトセス故ニ同盟結約シ其法方ノ要例ヲ掲クル事左ノ如シ 社則 第一条 本社ノ社員タルモノハ盟約スル条款ヲ遵守スヘシ 第二条 本社ノ社員タルヲ得ルハ当所ニ本籍ヲ定メタル者ニテ品行方正ナル者ニ限ル 第三条 社員ノ内協議或ハ投票ヲ以正副幹事ヲ定メ本社ノ事務ヲ総理セシム 但正副トモ幹事ハ無給タルヘシ 第四条 社員ノ内止ヲ得サル事故ニ拠リ退社ヲ請フモノアルトキハ総員商議ノ上脱社スル事ヲ許ス然レトモ醵金ハ元金而己漸次返付スルモノトス 但無謂脱社ヲ乞フモノハ元金ト雖モ返付スル事ナシ 第五条 社員ノ内規則或ハ総体ニ付異見アルトキハ本社会議ノ節其旨趣ヲ陳述スヘシ 第六条 本社ノ集会ハ壱週年ニ二次トシ該年二月十二月上半ケ月ノ内ニ之レヲ開クヲ恒例トス 但臨時集会ヲ要スル事アルトキハ其趣ヲ幹事ヨリ通告シ集会スルコトアルヘシ 第七条 他ヨリ入社ヲ請フモノアルトキハ本人ノ履歴ヲ詳明ニシテ然ル後総員ノ協議ニ付シ各員ノ許諾ヲ得之ヲ許ス 儲畜方 第八条 儲畜スル所ノ金員ハ各社員ノ資力ニ任セテ定限ナシト雖モ其金額ハ最初ニ前定シ而テ醵金連名簿ニ明記調印スヘシ 第九条 醵金方ハ日掛ケ或ハ月懸ケ又ハ一週年一度ニ醵スルモ本人ノ都合ニ任カス 但当分月懸トス 第十条 醵金ハ毎月幹事ノ宅エ持参シ領収書ヲ得テ他日ノ証ニ供スヘキ事 第十一条 幹事ハ各社員ノ醵金ヲ得テ領収ノ証書ヲ渡シ而シテ壱週年ヲ取纒メ後会即チ十二月ニ至リ各社員エ惣額ヲ明示シ儲畜ノ法方ヲ協議スルモノトス 救助方 第十二条 本社儲畜金ハ不慮ノ災難ニ備フルヲ目酌トスルカ故ニ社員ト雖モ平常擅ニ貸与スル事ヲ得ス 第十三条 社員ノ内不測ノ災害ニ罹リタルトキハ総員商議ノ上該災害ノ軽重ヲ量リ普通手続ヲ以テ証書ヲ取リ一年八銖已下ノ利子ヲ以テ社中ノ儲金ヲ貸与シ被害者ノ営生ヲ保有シ家計ヲ維持継続セシム 但貯金畜積ノ都合ニ寄リ社外人エ貸与スルトキハ本文利子ノ限リニアラス 第十四条 前条ノ如ク貸与シタル金額消却法ハ其本人ノ職業及ヒ資産ノ多寡等ヲ推酌シ其可堪ニ随テ之ヲ定ム 第十五条 受救者ヨリ還納ノ金額ハ幹事之レヲ受取元利ヲ詳明ニシ開会ノ節総員ニ報告スヘシ 但収受ノ手続ハ第十条ノ通タルヘシ (山口匡一氏蔵) 一一一 高座郡下鶴間村他三か村節倹約定書 節倹約定書 高座郡 下鶴間村 下草柳村 上草柳村 深見村 抑我連合四ケ村ノ村落タル概シテ畑勝ニシテ最モ養蚕ヲ主トシ六七月ノ期ニ於テ全年生活ノ収穫ヲ得ル多額ナルヨリ不知不識驕奢心ヲ起シ人民一統目前富有之形ヲ呈シタルモ決テ不然却テ困窮ノ前晁タルヲ不知ノ弊害ニシテ浮雲ノ大風ヲ不恐ト同一般ナリ然リ而テ昨年以来物価日ヲ逐テ底落シ之ニ加ルニ昨年ノ旱魃ヨリ引続キ本年九月ノ大風ノ為メ田畑トモ非常ノ災害ヲ蒙リ民間ノ衰態実ニ名状スヘカラサルニ遭遇シ今ヤ何ソ他ノ呶々ヲ問ン此時ニ際シ是レヲ挽回スルノ術実ニ節倹ト勤労トヲ舎テ他ニ需ムルモノアランヤ因テ左ニ節倹ノ条項ヲ明示シ財源ヲ培養スルノ一助トセントス 第壱条 一 冠婚葬祭等ハ親類隣家ニ止メ他ノ交通ヲ謝絶シ最モ簡易ヲ旨ト致スヘキ事 第二条 一 前条ニ要スル衣類ハ模様白無垢一切禁止ノ事 第三条 一 新年ノ祝賀ハ例年ノ通リタルモ酒ノ饗応者可成相省キ質素倹約ヲ可相守事 第四条 一 家宅土蔵物置其他ノ普請ニ際シ親類并ニ隣家等ヨリノ手伝人エハ一切酒ヲ禁止シ且棟上ノ節餅投禁ノ事 但居宅土蔵等建設之節モ禁酒タルハ勿論ナレ共本人ノ願望ニヨリ壱斗ヨリ不多酒ヲ饗応スルハ此限ニアラス 第五条 一 諸職人日雇等相雇候節ハ酒一切禁止之事 第六条 一 神社祭典ハ拾弐坐神楽ニ止ムル事 但時期ニ臨ミ神官壱名ノ祈禱ニテ相済スコトヲ得ル 第七条 一 興行ハ勿論興行ケ間敷コト一切不相成事 第八条 一 火災之節者本人ハ勿論村中ニ於テ酒一切出スベカラサル事 但該隣家ヨリ壱升ヨリ不少三斗ヨリ不多酒ヲ出スコトヲ得ル第九条 一 前数条ニ掲載シタル他ニ心付キタル節倹者各自行フハ論ヲ俟サル事 第十条 一 前条ニ定ムル処ノ数件ヲ犯スモノハ該件ヲ差止メ更ニ金拾銭ヨリ不少壱円ヨリ不多違約金ヲ出サセシムル事 前条之件々村民一統協議決定仕候間御聞届相成度此段奉願候也 明治十七年第十二月十八日 神奈川県高座郡下鶴間村 加藤甚兵衛(印) 小嶋孫次郎(印) 小倉卯丘衛(印) 和田平治(印) 山本五兵衛(印) 北嶋熊吉(印) 遠藤茂吉(印) 目代源之丞(印) 天野吉兵衛(印) 天野浅右衛門(印) 大久保万右衛門(印) 石井久右衛門(印) 大久保金右衛門(印) 和田駒治良(印) 高下兵五良(印) 土屋藤吉(印) 北島幸右衛門(印) 天野七蔵(印) 小倉勘蔵(印) 瀬沼義平(印) 目代利兵衛(印) 高下半平(印) 金子常吉(印) 北島荒二郎(印) 八木小左衛門(印) 北島彦四郎(印) 浜田平左衛門(印) 小倉嘉一(印) 蜂須賀又二郎(印) 土屋惣衛(印) 高下半衛(印) 北島徳右衛門(印) 柴田平左衛門(印) 大久保彦兵衛(印) 高下玄随(印) 伊沢喜兵衛(印) 篠田源太左衛門(印) 瀬沼伝右衛門(印) 石渡音吉(印) 篠田九左衛門(印) 高橋歳蔵(印) 高下倉右衛門(印) 高座郡深見村 平本弥市(印) 真壁金四郎(印) 平本福四郎(印) 平本権蔵(印) 真壁万寿郎(印) 高下宇左衛門(印) 金子亀治郎(印) 和田儀左衛門(印) 篠田太右衛門(印) 瀬沼七左衛門(印) 柴田新兵衛(印) 瀬沼新助(印) 瀬沼源四郎(印) 浜田佐五左衛門(印) 北島キヌ(印) 土屋七兵衛(印) 長谷川彦八(印) 鶴林寺(印) 小林利左衛門(印) 碓井久右衛門(印) 岡本左五郎(印) 小林直吉(印) 沖津市左衛門(印) 小林辰五郎(印) 沖津仁兵衛(印) 青木寿美蔵(印) 青木常治郎(印) 青木七蔵(印) 青木伝兵衛(印) 青木時治郎(印) 青木慶蔵(印) 青木源兵衛(印) 小林政五郎(印) 荻屋万右衛門(印) 荻屋丑松(印) (「人民諸願届」(明治一七―二〇年)大和市役所蔵) (注)上下草柳両村の署名は欠。小室正朗氏所蔵資料に同様のものがある。 一一二 駅逓局への貯蓄奨励に関する県令沖守固の内達 郡区長 戸長 凡人老後ニ至レハ壮年ノ時ノ如ク強健ナラズ其壮年ナルモ疾病其他不時ノ変災ナキヲ必ス可ラサルヲ以テ強健無事ノ日ニ於テ宜シク其予備ヲ為サヽルヲ得ス然ルニ細民ニ至リテハ多クハ今日アリテ明日アルヲ知ラス従フテ得レバ従フテ散シ更ニ将来ノ慮ヲ為サズ老衰廃職若クハ疾病其他不時ノ変災ニ際会スルトキハ俄ニ凍餒困厄ニ陥リ竟ニ他人ノ累ヲ為スニ至ル実ニ憫然ノ至リト云フ可シ既ニ近二三年来民間金融壅塞細民生業ニ苦シミ加ルニ客歳暴風雨ノ災害アリ一層困窮ニ陥リ為メニ不良ノ挙動ヲ為シ法ニ触レ他人ノ累ヲ為スモノアリ之皆平素節倹ヲ守ラス更ニ余裕ナキニ由ル現ニ此経験アリ節倹貯蓄ノ忽諸ニ付ス可ラサルハ喋々ヲ俟タス故ニ各自ノ幸福ヲ全フセンニハ資財ヲ貯蓄セサルヲ得サル理由懇篤部民ヘ説諭ヲ加ヘ各自応分ノ貯蓄ヲ為シ候様注意可致且貯金ヲ為スニ方リ僅ノ利ニ迷ヒ寄托其所ヲ得サレバ狡獪ノ手ニ落チ或ハ之ヲ水泡ニ帰スルノ恐レアレハ駅逓局貯金預ケ所ニ寄托シ安然ニ蓄積候様勧誘可致此旨内達候事 明治十八年四月一日 神奈川県令 沖守固 (「本郡役所諸達」(明治十八年―)相模原市史資料室蔵) 一一三 高座郡橋本村他三か村貯蓄規約作成延期についての上申書 上申 高座郡橋本村外三ケ村 右村々貯蓄規約之儀去月廿六日月次会同之節御談ニヨリ本月十日ヲ限リ其法方上申可仕筈ニ付部内村々ニ出張致シ各人民ヘ厚キ御趣意懇説ノ処何レモ感徹致シ依テ本月七日ヲ期シ協議之上規約ヲ設ケ上伸可仕ト確定致居候得共云ヘクシテ其実ヲ行サル儀ニ付猶又一応懇諭致シ然ルニ来二十年一月廿日迄延期之旨申出候次第ニ付此段上申候也 高座郡橋本村外三ケ村戸長 矢嶋甚十郎 高座郡長 今福元頴殿 (「諸願届上伸書綴」(明治一九年)相模原市史資料室蔵) 一一四 特置巡査規則に関する件達および同配置願(一-二) (一) 甲第二百十九号 銀行諸会社若クハ町村協議或ハ一己ノ費用ヲ以テ特別ニ巡査ノ配置ヲ要求スルモノハ左之規則ニヨリ可願出此旨布達候事 但本文配置ノ巡査ハ一般ノ成規ニ従ヒ異同アルコトナシ 明治十四年十二月一日 神奈川県令沖守固代理 神奈川県少書記官 磯貝静蔵 特置巡査規則 第壱条 銀行諸会社若クハ町村協議或ハ一己ヨリ費用ヲ納メ特別ニ配置スル巡査ヲ特置巡査ト云フ 第二条前条ノ巡査配置ヲ要求スルモノハ其配置ヲ要スル場所及ヒ人員期限等ヲ詳記シ戸長ノ奥書ヲ以テ所管警察署ヲ経由シテ本庁ヘ願出ベシ 第三条 特置巡査ニ属スル費用ハ毎年度ノ警察費額ニ基キ三等巡査壱人ニカヽル費額ヲ算出シ之レヲ目安トシ配置ノ人員ニ応シ相当ノ費額ヲ取立二等巡査ヨリ四等巡査迄ノ内ヲ以テ特置使用スルモノトス尤モ二等以上ノ巡査ヲ常置センコトヲ願出ルモノハ其等級ニ応シ月給ノ額ヲ増加スルモノトス 但旅費ヲ給スル場合ニ於テハ其費額ヲ本文ノ外ニ取立ルモノトス 第四条 前条ノ費用ハ壱ケ月若クハ二ケ月分等願人ノ適宜ヲ以テ横浜区内ハ直ニ本庁会計課ヘ相納メ其他ハ所管警察署ヲ経由シテ同課ヘ相納ムベシ 第五条前条ノ費額ハ毎年度ノ初メニ於テ布達スベシト雖トモ其後臨時変更スルコトアルニ於テハ所管警察署又ハ分署ヨリ願人ヘ通達スベシ 第六条 昼夜絶ヘズ巡査壱名宛ノ配置ヲ要求スルニ於テハ四名分ノ費用ヲ取立ルモノトス夜中ノミ絶ヘス巡査壱名宛ノ配置ヲ要求スルニ於テハ三名分ノ費用ヲ取立毎日午後第五時ヨリ翌日午前第八時迄配置スルモノトス 交番所ヲ設置シ其他時間ヲ定メ派遣ヲ願フモノニシテ人員ニ差違ヲ生スルモノハ前項ノ限リニアラズ 第七条 前条ノ巡査派遣ノ為メ交番所ノ設置ヲ要求スルトキハ願人ニ於テ建築費(借家ナレハ家賃)ハ勿論右ニ関スル一切ノ費用ヲ弁理スルモノトス 第八条 前条ノ巡査ハ其所管警察署又ハ分署ノ管理タルヘシ (神奈川県布達) (二) 特置巡査配置願 一 特置巡査 壱名 一 明治十九年十二月廿日ヨリ同廿年一月尽日迄配置 一 毎日午后壱時ヨリ翌日午前一時迄十二時間巡行 一 成規ノ通リ費用上納可仕候 但需用費ハ現品小使ハ現人ヲ以弁理可仕候 右者神奈川県採氷組合事務所位置橘樹郡南綱島村九百九十三番地ヘ地区内採氷得失監督ノタメ巡視トシテ御配置被成下度組合一同協議ノ上此段願上候也 明治十九年十二月十八日 神奈川県採氷組合百九名惣代 橘樹郡北綱島村組長 飯田助太夫 同郡樽村取締鈴木忠兵衛 神奈川警察署警部 田中英一殿 前書採氷組合特置巡査配置之儀出願ニ付奥書捺印之上進達候也 橘樹郡大豆戸村外七ケ村 戸長 池谷義広 書面願之趣聞届候事 但費額ハ前納致ヘシ 明治十九年十二月十八日 神奈川県神奈川警察署印 納証 一金弐拾壱円廿六銭 神奈川県採氷組合納特置巡査求費 内 金拾壱円六拾銭 巡査弐名ニ係ル費額十九年十二月半ケ月分 金六円 同弐名分里程三里以上往復旅費 金三円 同巡回宿泊料拾度分予納 金六拾六銭 同十二月廿一日ヨリ同卅一日迄十一ケ日分弁当料一日金六銭宛弐名分 右相納候也 明治十九年十二月十九日 右組長代理 納人 飯田快三(印) 神奈川警察署御中 特置巡査配置継続願 一 特置巡査 壱名 一 明治廿年二月一日ヨリ同月十五日迄拾五日間配置 一 毎日午後一時ヨリ翌日午前一時迄拾弐時間巡行 一 成規ノ通費用上納可仕候 但需用費ハ現品小使ハ現人ヲ以弁理可仕候 右ハ神奈川県採氷組合事務所位置橘樹郡南綱島村九百九拾三番地ヘ地区内採氷得失監督ノタメ巡視トシテ御配置継続被成下度組合一同協議ノ上此段願上候也 明治廿年一月 神奈川県採氷組合百九名惣代 橘樹郡北綱島村組長 飯田助太夫 同郡樽村取締 鈴木忠兵衛 橘樹郡警察署警部 田中英一殿 前書採氷組合特置巡査配置継続之義出願ニ付奥書捺印之上進達候也 橘樹郡大豆戸村外七ケ村戸長 池谷義広 (「公私用書綴篭」(明治一九年)飯田助丸氏蔵) 第四節 民費地方税 一一五 明治十年度足柄上郡民費額内訳抜萃 明治十年七月ヨリ同十一年六月マテ足柄上郡民費額ノ内抜萃書 (「草稿綴」山口匡一氏蔵) (付箋一)師範生入費も此内ニ莟蓄セリ(「貢賦生徒学資」の欄) (付箋二)高拾万四千六百八拾七石二斗四升五合 此金壱万九百廿八円三拾銭壱厘 壱石ニ付而拾銭四厘三毛九糸 (付箋三)『此三分一ハ即チ前同金之高トナル』 一万九百廿八円三十銭二厘 『石高三万四千八百九十五石七斗五升内』 壱石ニ付金拾銭〇四厘三毛九糸 一一六 明治十一年自七月至九月第六大区区費精算書上 明治十一年七月ヨリ九月マテ区費精算書上 一金弐百七拾九円九拾弐銭弐厘弐毛七月ヨリ九月迄予算但予算表御下ケ渡無之ニ付内割 内 金百弐拾八円九拾四銭五厘六毛毎口銭人員壱万三千八百四拾八人但シ壱人ニ付金壱銭弐厘弐毛ツヽ 金百拾円九拾五銭六厘六毛区費金旧高壱石ニ付金七厘九毛ツヽ割 一金弐拾三円五拾四銭八厘六毛 六月ヨリ越高 合金三百三円四拾七銭八毛 此訳 金四拾壱円五拾五銭六厘 四月ヨリ六月マテ警察費 金百三拾八円 区長以下月給 金四拾八円 七月ヨリ九月迄貢賦生費 金八円三拾銭 区長以下出港旅費 金六円 区務所家賃 金壱円八拾七銭五厘 区長以下筆墨料 金九円六拾九銭三厘 用度品 金壱円五拾銭 新聞紙料 金拾五円 庁詰筆生手当一ケ月半分 金三円 本多勝三郎手当 金三円 雇物書日当 金八円拾四銭七厘五毛 脚夫賃 小以金弐百八拾四円七銭壱厘五毛 差引 残金拾九円三拾九銭九厘三毛 右者明治十一年七月よリ九月迄区費精算取調候処書面之通リ御座候也 明治十一年 月 第六大区副区長 平本義治 区長 角田寿孝 神奈川県令 野村 靖殿 (吉浜俊彦氏蔵) 一一七 地租改正見込の件上申書 地租改正ノ儀見込上申書 地租改正事業ニ付過般御下聞之次第ヲ愚按スルニ当明治十三年ニ於テ従前査定スル処ノ地位階級ヲ解キ更ニ之レヲ訂正スルモ恐ラクハ是多煩徒労ニ属スルニ庶幾カラン歟今年度ニ当リ政府ノ都合ニヨリ租額ニ増減ヲ生スルノ事由アリトスルモ現行ノ等級ニ拠リ之レニ租税ヲ負担セシムルニ何ノ妨ケカ之レアラン抑モ改正ノ事業タル専ラ中正公平ヲ主義トスルモ動モスレバ緩苛偏ヲ生シ易ク仮令幾回カ調査審定スルモ漠タル曠原田野山林ニ対シテ豈能ク多少ノ差違ヲ免カルヽヲ得ン加之従前査定シタル乃チ現行ノ地位等級ハ其日尚浅ク未ダ三四年ニ出ザルヲ以テ地質ノ変更ヨリ土壌趣ヲ換エ肥瘠相異リタル状景ヲ顕スルヲ見ザルニ何ヲ以テカ目下一般ノ等級ヲ改正セザルヲ得ストノ説アルカ未ダ改正スヘキ事故ハ下官カ一モ目撃セザル所也然リ而シテ我県下曩キニ調査セシ耕宅階級ノ如キハ比準上敢テ不公平ナシトセザルモ人民ノ囂々苦訴セザル所以ハ当時斯ノ民ノ質直ト卑屈ナル風習ニ安ンスルヲ以テ也故ニ始メ此事業ニ着手スルヤ民情或ハ疑懼ノ念ヲ抱クト雖トモ改正ノ事効ヲ奏スルニ至ツテハ太ダ大差謬ナシト信ズル也今也民間ノ景況九年十年度ニ比スレハ自ヅカラ情勢ノ相異ナル有ルヲ以今再ビ之レガ改正ニ着手セント欲セバ狭黠ノ徒巧ミニ法ヲ遁レ以テ官吏ヲ欺詐スルニ至ル恐ラクハ往日ノ比ニ非ザルコト必然ナラン仮令今回ノ改正ニ当リテヤ法規ヲ厳ニシ調査ヲ精竅ニナスモ其弊ノ生スル果シテ曽テ改正査定セシ処ニ比格スレハ全キヲ得ルノ難キ或ハ其上ニ出ルモ未タ以テ保チ難シトス是レ下官ガ本年地位ノ等級ヲ改訂スルハ却テ多煩徒爾ニ属スト為ス所以ナリ然レトモ既ニ不平ヲ唱エ苦愁ヲ訴フルモノアリ是レ改正セザル可ラズト説ク者或ハ之レアル可シト雖トモ大抵ハ一村一落ノ私情耳勝手耳敢テ顧リミルニ足ラズ今仮リニ顧リミルニ足ルモノトナスモ豈ニ夫レ一区一村ノ人民私情ヲ訴フルノ為メニ全般ノ改正ヲ要スルヲ得ンヤ若シ小部落ノ民情ニ関セス全般ノ改正ニ着手スルハ今日ノ公平法也トナスモ到底民情ノ苦断ツ可ラザル也且改租ノ事業タル一朝能ク処シ了スヘキニ非ス其費用タル官民ヲ問ハス多数巨額ヲ要スル者ナレバ今〓ニ些細ノ不完全ヲ改メントシテ巨多ノ費用ヲ消費スルハ是亦徒費ノミ啻ニ徒費ノミナラス却テ権衡不測ノ不公平ヲ生ズルニ至ルモ知ル可カラズ寧ロ小不公平ニ失スルヲ覚フルモ大権衡ノ差異ヲ生ゼザルヲ欲スル也然レトモ山河土地ニ於ケル亦タ必ラズ災害変状ナカランヤ其災害変状ノ日ニ方リ万不得止ノ時之ガ法策ヲナシ訂正ニ従事シ再タビ審査ヲ試ムルモ未タ遅カラズトナス况ンヤ今日上尚ホ従前ノ事務整頓セサルニ於テヲヤ利害得失ノ如何敢テ管見ヲ陳シ区々ノ鄙言ヲ不憚上聞ヲ煩ハス如此候也 頓首 (「草稿綴」山口匡一氏蔵) 一一八 河港道路等地方税支出に関する件達 甲第百十九号 地方税ヲ以テ支弁スヘキ河港道路堤防橋梁建築修繕費ノ儀県会ノ決議ニ因リ十三年度乃チ本月一日ヨリノ分ハ支給セサル儀ニ相定候条此旨布達候事 但明治十二年六月甲第九十八号布達ハ廃止ト心得ヘシ 明治十三年七月十日 神奈川県令 野村靖 (神奈川県布達) 一一九 地方経済郡区分離条例 甲第百四十二号 地方経済郡区分離条例県会之決議ヲ採リ左ノ通相定メ明治十三年度ヨリ施行候条此旨布達候事 明治十三年八月十八日 神奈川県令野村靖 地方経済郡区分離条例 第一条 郡区経済ヲ分離シ郡ノ経費ハ郡ヨリ徴収スル地方税ヲ以テ之ヲ支弁シ区ノ経費ハ区ヨリ徴収スル地方税ヲ以テ之ヲ□□□□モノトス 第二条 郡区分離経済便益ノ為メ営業税雑種税ノ税目制限□ヲ取捨斟酌シ及ヒ地ニ課シ戸ニ課スル税額ヲ定ムルハ郡□ヲ分別スルコトヲ得 第三条 経費ノ内郡区合一ニシテ支弁スヘキ費目及ヒ其郡区負担ノ割合ヲ定ムル左ノ如シ 一 警察費 郡区ノ人口其年一月一日ノ現員ヲ目安トシテ割合区ノ人口ハ郡ノ五倍ヲ支弁スルモノトス 一 県会諸費 一 衛生費 一 県立学校費及ヒ小学校補助費ヲ以テ充ヘキ小学生徒賞与金 一 救育費 一 浦役場及難破船諸費 一 管内限諸達書及掲示諸費 郡区ノ人口其一月一日ノ現員ヲ目安トシテ割合支弁スルモノトス 一 十全医院費 郡区ノ患者前三ケ年間ノ平均入院及ヒ外来患者ヲ目安トシテ割合支弁スルモノトス 一 勧業費 勧農ニ要スルモノハ郡勧商ニ要スルモノハ区ノ負担ニ帰シ勧工及博覧会等ニ要スルモノハ郡区ノ人口其年一月一日ノ現員ヲ目安トシテ割合支弁スルモノトス 第四条 将来郡区合一ニテ支弁スヘキ経費ヲ要スル時若シクハ此条例ノ改正補除ヲ要スルトキハ県会ノ決議ヲ経テ之ヲ施行スルモノトス (神奈川県布達) 一二〇 地方税戸数割徴収方則議案 『第五号議案』 地方税戸数割徴収方則 第一条 戸数割税ハ地方税則ニ依リ貧富ヲ斟酌シ之ガ等差ヲ定ムルモノトス 第二条 等差ハ動産不動産ノ所有高ニ依リ個額ヲ定メ其個数ヘ賦課スルモノトス 但其年度本村負担額ヲ個数惣計ニテ除シ一個率ヲ得テ毎戸ノ個数ニ乗ス 第三条 個数調査法ハ左ノ制限ニ依ル 一 地租納額五拾銭ヲ一個トス 但計算上端数ハ四捨五入トス 二 営業ニ係ル税(国税地方税共)納額一円ヲ一個トシ四捨五入ノ算当トシ但高十円ニ止メル事トス 三 本籍ニシテ土地家ヲ所有スル者ヲ十三個トス 四 本籍ニシテ土地ナク家屋アルモノヲ十個トス 五 同上ニシテ借家ノモノヲ六個トス 六 本籍隠居ニシテ土地家屋ヲ有スルモノヲ七個トス 七 同上ニシテ土地ナキモノヲ五個トス 八 寄留ニシテ借家ノモノヲ五個トス 第四条 新ニ居ヲ占メ或ハ転入スルモノハ納税額ハ其年度本村一戸負担額ニ依ルモノトス (「十三年度通常村会議案目録」関原徳三氏蔵) 一二一 備荒儲蓄法廃案議決にともなう伺と指令(一-三) (一) 十三年十二月廿八日 神奈川県々会備荒儲蓄法再議ノ末廃按ニ決スルニヨリ府県会規則第五条ニ拠リ処分セシム 内務大蔵両省伺 備荒儲蓄法再議案廃棄ノ義ニ付神奈川県令野村靖ヨリ別紙之通申出候処右ハ此程一応議按消滅ノ義申出候ニ付再議ニ可付旨指令及置候末廃按ニ決シ候次第ニ付本年度ニ限リ県会ノ可決ヲ要セス原按ノ通施行セシメ候外無之義ニ付右ノ旨趣ヲ以指令可致ト存候右ハ実施ニ際シ候義ニ付至急御允許有之度此段上申候也十三年十二月廿四日内務 伺ノ趣府県会規則第五条ニ依リ処分候義ト可相心得事十三年十二月二十八日 (二) 神奈川県伺内務大蔵両省宛 本県十三年度下半期備荒儲蓄方法議按消滅之義ニ付曩ニ上申候処再ヒ県会ノ議ニ付シ何分ノ儀可申出旨御裁定相成依テ右御指揮之通再議ニ付シ候処別紙第一号議案ノ惣体ハ一次会ニ於テ可決致シ二次会ニ至リ本則第一章ハ原案ニ決シ第二章以下第六章ニ至ル迄可否ノ論旨数派ニ分レ其決ヲ取ルノ際自然ニ消滅致シ而シテ一二ノ議員ハ再ヒ其議案ヲ提出スルノ発議ニ及ヒシト雖モ同意者過半数ニ満タス延テ三次会ニ至リ第二次会ニ於テ原案ニ可決シタル第一章ヲ廃棄シ到底全案廃滅ニ帰着致シ候依テ第二第三号議按モ第一号議按ノ存セサル以上ハ倶ニ廃棄セサル可カラサルトノ議論ニ決定シ議長ヨリ別紙之通リ申出候依テ議員ハ追テ何分ノ儀相達候迄一時滞在申付置候条至急何分之御裁定有之度此段上申候也 十三年十二月廿一日 (別紙) 上申 予テ御達之通第一号第二号第三号議按再議致候処遂ニ廃案ニ議決候間議場会議之模様概略併セテ左ニ上申候也 一 第一号議案之儀第二次会ニ於テ第一章ハ原按ニ可決致シ以下第二章ヨリ第六章ニ至ルマテ合議スヘキノ建議ニ可決シ之レヲ合セテ審議候処遂ニ其説数派〔修正説 廃案説 原案賛成〕ニ分レ可否決ノ際孰レモ少数ニテ消滅致候其後再ヒ議場ニ該章ヲ提出セントスルノ建議モ有之候ラヒシカトモ是亦議場ニ否決セラレ候依テ本按ノ第三次会ヲ開キ候処既ニ第二章已下消滅ニ帰シ候上ハ第一章ヲ存スルモ其益ナキヲ以テ之レヲ廃セントスルノ動議起立多数ヲ得テ可決致候事 一 第二号第三号議案ハ共ニ第一号議案ノ廃按ニ拠リ之レヲ存スルモ其益ナシトノ動議是又起立多数ヲ得テ可決致候事 明治十三年十二月廿一日 県会副議長 谷合弥七 神奈川県令 野村靖殿 (三) 内務部議按 会計部歴査 別紙内務大蔵両省連署伺神奈川県備荒儲蓄法再議按廃棄ノ儀ヲ按スルニ臨時県会ニ於テ議按消滅シ再議ニ付スルモ尚ホ原按廃棄ニ決シタルヲ以テ本年ニ限リ県会ノ可決ヲ経ス原案ノ通リ施行セント欲シ其裁可ヲ仰クモノニ候得共抑モ県令ニ於テ県会ノ議決ヲ認可ス可カラサルモノト思慮スル時ハ府県会規則第五条ニ依リ其事由ヲ内務卿ニ具状シテ指揮ヲ請フヘキモノニシテ内務卿ハ必ス政府ノ裁可ヲ受クルヲ要セス又タ県令ハ其意見ヲ陳ヘスシテ単ニ内部大蔵両卿ノ指揮ヲ請フヘキモノニモ無之ニ付左ノ通御指令相成可然哉仰高裁候也十三年十二月廿八日 (「太政類典」第四編第一七巻) 一二二 備荒儲蓄法廃棄に関する大住淘綾両郡の上申書 甲第三号布達施行ノ義ニ付上申 昨十三年六月第三十一号公布即チ備荒儲蓄法頒布セラレテヨリ已降我全国人民ハ此公布ニ対シ其是非ヲ討論弁駁シテ囂然抵止スル処ロヲ知ラサルカ如シ次テ本県於テモ客歳十二月臨時県会ヲ開カレ此方案ヲ議セシメラレタルニ議員中尚廃棄ヲ主唱スルモノアリテ議会再次ニ及フモ終ニ廃滅ニ帰シタリシ而シテ爾来鄙官等閣下ノ御処置如何ヲ相待候処今般甲第三号ヲ以内務大蔵両卿ノ指揮ニ拠リ原按ノ通リ施行相成旨ノ布達ヲ拝閲セリ鄙官倩々考フルニ此制タル現時ノ国民ニ対シ適切緊要ナルモノナリト雖モ之レヲ不適当トナシ論スルモノモ亦タ一々其理ナシトスヘカラス乃チ我県会ノ該法案ヲ廃棄シ去ルモ葢シ其所以アリテ存スルモノアレハナリ既ニ其理由アリテ民情ニ適セスト為シ之レヲ廃却スルモ唯々頑固無道理ノ俗ト為スヘカラス苟モ頑固無道理ノ俗ニ非サル以上ハ之レヲシテ道理ニ服従セシムル何ノ難キコトカ之レアランヤ仮令頑愚ノ俗ト雖モ其謂フ所其陳ル所ロ既ニ理ノ存スルアルヲ知レハ当局者タルモノ恬然〓ニ顧ミル処ロナクシテ可ナラン乎嗟呼制法令ヲ墨守シ民情ヲシテ暢達セシムルコトナク唯制之レニ圧服セシメントシ猶之レニ加フルニ勢威ノ術ヲ以スルハ往時未開ノ人民ヲ圧服スルノ政策ニ外ナラサレトモ現時我国民ハ文華ノ民ニ非サルモ其未開ノ民ニハ非サル可シ苟モ斯ノ民ヲ治セントスル勢威ノ政策ニ異ナラサルノ術ヲ以セハ人心ノ乖離果シテ期スヘキナリ民心一度乖離ス夫レ何ヲ以官民ノ間ヲ弥縫セントスルカ啻ニ弥縫シ能ハサル耳ナラス我公明正大ナル明治聖世ノ光輝タル盛徳モ寔言フ可カラサル場合ニ逢遭スルモ亦知ルヘカラス夫レ然リ如此故ニ今日ニ方リ当局者タルモノ恬然官民ノ調和ヲ講セス只制度法律ヲ遵守シ以テ国民ヲ処セントスル豈ニ其職ヲ尽シタルモノト云フ可ケンヤ俯冀クハ閣下彼ノ三十一号ノ公布ニ対シ親シク県民ノ情勢ヲ奏上セラレ斯ノ制ヲ施行スルコトヲ止メ更フルニ適当ナル法ヲ設ケ而シテ国民ニ被ラシメンコトヲ若シ制令一朝変更スル能ハストセハ該規則成立スル所以ノ真理ヲ明示シ民ヲシテ目従セシムルノ手段ヲ設ケラレンコトヲ是レ鄙官ノ偏ニ閣下ニ仰ク所ロナリ退テ考フルニ閣下ノ賢明此レ等ノ儀ハ嘗テ尊慮ニ存シ業々尽サヽル処ロナキモ恐クハ事ノ止ムヲ得サルニ出ツルナルベシ然リト雖モ今甲第三号布達ノ上ニ顕ハルヽハ只管普通ノ手続ニ止リ県民ノ満足ヲ欠クノ憾ナキ能ハサルヲ以之レヲ黙々ニ付スルハ却テ鄙官ノ尽サヽル罪ナランヲ恐レ決然配布ノ事ヲ止メ〓ニ腐言ヲ上陳シ更ニ御指揮ノアル所ロヲ待ツ敢テ願クハ採択アラレンコトヲ 誠恐誠惺頓首謹言 明治十四年一月十三日 大住淘綾 神奈川県令野村 (「草稿綴」山口匡一氏蔵) 一二三 地方税徴収期限諭示に関する件達 高租第弐百弐拾九号 戸長役場 租税徴収方之儀ハ素ヨリ忽視スヘキモノニ無之候処往々納税延滞ノ向モ有之右ハ畢竟納税者ノ怠慢ヨリ生スルノ結果ト視做サヽルヲ得スト雖トモ或ハ旧来ノ弊習ニ泥ミ又ハ戸長役場事務多端等ヨリシテ若シ納期ニ臨ミ人民ニ示スカ如キ遅延ノ所置有之トキハ人民納税上多少困難ヲ極メ竟ニ納期ヲ経過スルニ至リテハ不都合之事ニ有之候就中地方税ノ如キハ其収入ヲ以其年度ノ支出ニ充ルヲ以其収入ノ延滞ハ其支出ノ差支ヲ来タシ自ラ事業ノ淹滞ヲ醸成スルニ至ル故ニ戸長ノ最モ注意スヘキハ勿論人民ニ於テモ怠慢ノ儀無之様可致且本年二月第拾五号公布ヲ以テ十年十一月第七拾九号公布不納者処分法中納期後三十日間ノ猶予ノ件ヲ廃止セラルヽニ於テハ徴収期ヲ経過シ既ニ不納者タルモノハ直ニ其処分ヲナサヽルヲ得サルニ付戸長ハ必ス徴収期限ニ先タチ納額等ノ調査ヲ要シ之ヲ人民ニ達シ人民ハ必ス期限ヲ超過セサル様納税スヘキ旨篤ク村内江諭示スヘシ此旨相達候事 明治十四年三月十七日 高座郡長 稲垣道生 追テ納期経過シ納税セサル者ハ金額及ヒ人名等取調其時々可差出事 (高座郡相原村戸長役場「本郡諸達」(明治一四年)相模原市史資料室蔵) 一二四 地方税負担集会等学校使用制限に関する県会議員建白書 明治十五年五月本県々会議員建白 某等不肖ノ身ヲ以テ管下八十万余人ノ代議士トナル所以ノ者ハ只専ラ地方税ヲ減スルカ為ニ非ス又地方税ノ増加ヲ助長スルカ為ニ非ス必要ノ地方税ナラハ民力ヲ計リ之ヲ増加スルノ方法ヲ按出シ無必用ノ地方税ナラハ意ヲ用ヒテ之ヲ省キ地方税貢納者ヲシテ甘シテ其貢納ノ義務ヲ尽サシメンコトヲ欲スレハナリ若シ夫レ議定ノ地方税ニシテ貢納者ニ不満ヲ懐カシメン歟貢納者カ議会ニ対スルノ不満ハ延テ県令閣下ニ対スルノ不満トナリ閣下ニ対スルノ不満ハ延テ政府ニ対スルノ不満トナラン実ニ某等カ平生一議案ヲ議スルニモ容易ニ言ヲ発セサル所以ハ只ニ己レノ身ヲ重スルノミナラス兼テ閣下ノ施政ヲシテ管下ノ民心ニ背離セシムル勿ンコトヲ望メハナリ某等又苦慮多シト云フヘシ而ルニ近年政府ハ種々ノ障害ニ遇ヒ之レカ為メ国税減セスシテ地方税年々ニ増加シ明治十四年地方税ノ如キハ其額殆ント前年ニ一倍シ租税貢納者ノ苦情ハ地方税増加ト共ニ増長シ幾ント議員ヲシテ其苦ニ堪ヘサラシメントスルノ情アリ是閣下ノ昨年以来管下ニ実検セラルヽ所ニシテ某等議員ノ今ニ苦慮シ止マサル所ナリ此時ニ当リ管下ノ人民苦情ヲ増サスシテ而モ貢税ノ義務ヲ尽サシムルノ法唯一アリ即チ地方税ト共ニ地方人民地方税ニ対スル権利ヲ使用セシムルコト是ナリ凡ソ政事上ノ権利ヲ生スヘキモノ其類一ナラサレトモ其最モ著明ナルモノヲ租税トス若シ租税ヲシテ権利ト並行セシメサル者ナラシメハ天下如何ナル傭人愚夫ト雖モ甘ンシテ其義務ニ服スル者ナカラン况ヤ政事上論義ノ盛ナル我管下人民ニ於テヲヤ而ルニ某等今年一月ノ終閣下ノ発シタル乙第十二号達書ヲ見テ大ニ宿憂ヲ増セシモノアリ其達書ニ曰ク従来学校等ヲ仮用シテ諸般ノ集会ヲ挙行スル向モ有之候処其行為ノ遊興弄戯ニ属スルモノ并ニ言論ノ猥褻危激ニ渉ルモノ教育上妨害少カラサル義ニ付自今学校ヲ右ニ充用セシメサルハ勿論都テ不取締無之様云々ト某等初メ之ヲ読ミ心ニ自ラ思ラク是県令ノ一時ノ為メニスル処アツテ発セラレタル仮則ナラン夫学校ニハ協議費支弁ノモノアリ地方税支弁ノモノアリ此二ノ者ハ共ニ民費支弁ノ者ナリ民費支弁ノ者ナラハ県令カ殊更ニ斯ル達書ヲ発セサルモ其土地ノ人民自ラ之レカ施用ヲ制限セン県令カ此達書ヲ取消サルヽハ葢シ近日ノ内ニアラント此達書ノ取消シトナランコトヲ望ミシコト数旬日而ルニ閣下ハ此達書ヲ取消サヽル而己ナラス次テ去ル三月十日再ヒ乙第三十一号ノ達書ヲ発シテ曰ク学校ヲ集会ニ充用取締方之儀ニ付乙第十二号ヲ以テ相達シ候趣モ有之候就テハ自今止ヲ得サル事由アリテ学校ヲ集会等ニ充用セシメントスルトキハ其事由及ヒ趣旨ヲ具シ郡区長ノ認可ヲ受クベク云々ト 是ニ於テ某等ハ彼ノ乙第十二号達書ノ一時ノ仮則ニ非ルコトヲ信シ疑懼ノ念益々胸裏ニ充満スルニ至リタリ今地方協議費ヨリ成立タル小学校舎ハ姑ク措キ本年議案第八号師範学校ノ如キ全ク地方税支弁ニ属スル者ナリ此師範学校タル昨年ハ九千六百円余ヲ支弁タリシモ今年ノ議按ハ殆ント一万五千円トナリ其増額三分ノ一ニ居レリ九千六百円ノ費用少シトセサルニ一年ヲ経サル間ニ増加シテ一万五千円トナル其増額大ナリト云フヘシ而ルニ神奈川県民ハ九千余円ノ費用ヲ支弁セシ時ニハ之ヲ集会ニ充用スルノ自由アリテ一万五千円トナラントスル今日ニハ彼ノ達書ニ依リ之ヲ充用スルノ自由ナク之ヲ充用セントセハ逸ニ郡区長ノ認可ヲ受ケヨト云フ是租税ハ増加シテ権利ハ減縮シタル者ト云ハサルヘカラス我県民即チ地方税貢納者ハ皆云ハン租税ト権利ト相倍蓰スルハ世界ノ通則ナルニ神奈川県民独リ租税ヲ増加スルト同時ニ権利ヲ減縮スルノ不幸ヲ見ル是果シテ我大政府施政ノ本旨ナル歟決テ否ラサルナラン政府ハ先年地方税ヲ定ムルト同時ニ地方税収支予算ノ議権ヲ府県会ニ与ヘ一昨年第四十八号布告ヲ以テ府県庁舎建築修繕費監獄費監獄建築修繕費等ヲ地方税ニ負担セシムル同時ニ其費用ヲ議定スルノ権利ヲ人民ニ与ヘ其為ス所租税ト権利ト相倍蓰セシメサルナシ而ルニ神奈川県ノ学校ハ其負担増加シテ其権利ハ減縮ス是世界普遍ノ通則ニ背キ併セテ大政府ノ趣旨ニ適セサルカ如シ夫万金ノ費之ヲ徴収スル其道ヲ尽サハ納税者タルモノ甘ンシテ其令ニ服セン毫厘ノ費之ヲ徴収スル其道ヲ尽サヽレハ納税者タルモノ心ニ不満ヲ懐クハ必然ナリ今五千円ノ増額毫厘ノ比ニ非スシテ却テ之レカ充用ヲ制限ス某等未タ納税者カ甘ンシテ其徴収ニ応スルコトヲ知ラサルナリ第十二号ノ達書ニ云フ従来学校等ヲ仮用シテ諸般ノ集会ヲ挙行スル向モ有之候処其行為ノ遊戯ニ属スル者并ニ言論ノ猥褻危激ニ至ツテハ其言論ヲ聴渉ルモノ云々ト実ニ然リ某等ニ於テモ芝居遊興等ハ子弟ノ教育ト両立セサル者ト思考セリ故ニ之ヲ校舎ニ演スルハ閣下ノ令ヲ待ヅトモ某等之ヲ禁センコトヲ望ムモノナリ然レ共言論ノ猥褻詭激ニ至ツテハ其言論ヲ聴キシ後ニ至ラサレハ之レカ是非ヲ判決シ得ヘキモノニ非ス而ルニ此達書ノ意ニ従ハヽ未タ演説ヲ聴カスシテ之ヲ猥褻詭激ナリト判断シ之カ講談ヲ聴カスシテ予メ猥褻詭激ナリト宛断スルコトアラン是恰モ人ノ面ヲ見スシテ之カ醜美ヲ弁スルノ類ニアラスヤ 閣下モ了知セラルヽ如ク我政府ハ先キニ集会条例ヲ発シテ大ニ社会ノ言論ヲ制限シタリ此条例ニ依レハ言論ノ過激ニ渉リ社会ノ安寧ヲ害スト認ムルトキ之カ演説ヲ禁シ其聴衆ヲ解散セシムルノ法ナリ学校内ニ演スル講談論議ニシテ果シテ国安ヲ害スルモノナラン歟閣下カ制限ヲ置カサルモ其土地ノ警察官ハ集会条例ノ明文ニ従ヒ其集会ヲ解散セン我管下ノ人民ハ此集会ノ条例スラ大ニ言論ノ自由ヲ制限スルモノナリト論議シテ止マサル所ナルニ今亦之レカ集会所ヲ制限ス我管下ノ人民ハ皆云ハン中央政府ハ制法ノ権ヲ有スル者ナレハ集会条例ヲ設テ言論ニ制限ヲ置クコトヲ得サルコトトスルモ地方長官ニハ制限ノ権ナキモノナリ而ルヲ今神奈川県令ハ学校充用ニ制限ヲ置ク是県令ニシテ制法ノ権ヲ使用シタルニ異ナラスト葢シ閣下ノ事務ニ老練ナル斯ル非難ニ対スルモ之カ答弁ヲ為スハ容易ナルヘシトハ臆想スレトモ県会議員タル某等ハ之レカ答弁ヲ為スニ苦ムナリ 閣下モ知ラルヽ如ク横浜区内ニ於テ神奈川県民数百人相会同スルヲ得ルノ場合ハ町会所師範学校ヲ除テ他ニ其所ナシ而ルニ町会所タル其建築宏壮ナルモ之レカ所有者ハ本町外十三ケ町ナリ是ヲ以テ昨年県会中ニモ町会所所有者ハ一時之カ使用ヲ謝絶センコトアリ是閣下ノ心ニ歴々記臆セラルヽ所ナリ幸ヒニシテ今年ノ通常会ハ未タ斯ル不幸ニ遭遇セスト雖他日若シ斯ル事変ニ遇ハヽ神奈川県会ノ会場ハ師範学校ヲ除キ他ニ其所ナシ而ルニ此師範学校ヲ充用セントセハ堂々タル神奈川県会ハ此乙第十二号乙三十一号達書ノ旨ヲ奉シ其事由ト趣旨ヲ具シ区長ノ認可ヲ受ケサルヲ得ス一県内政治ノ関鎖ヲ握ル県会ニシテ其所有物ニテアリナカラ之ヲ使用セシムルトセシメサルハ区長ノ特権ニアリトセハ恐ラクハ管下八十万人民ハ師範学校費ヲ支弁スルヲ以テ貨財ヲ海底ニ投スルト感ヲ同フセン 某等不肖ノ身ヲ以テ管下八十万人民ノ代議士タル職ヲ奉スル所以ハ進テ閣下ニ政治ヲ施クノ便ヲ与ヘ退テ八十万人民ノ不便ヲ除キ我管下ノ治蹟ヲシテ全国治蹟ノ模範トモ成ラシメント欲スレハナリ而ルニ今ヤ閣下カ乙第十二号乙第三十一号ノ達書ヲ発セラレシカ為メニ管下ノ人民許多ノ苦情ト疑惑トヲ起シ幾ント某等ヲシテ第八号議案ヲ審議スルニ躊躇セシム某等謹テ請フ閣下速ニ彼乙第十二号乙第三十一号達書ヲ取消シ某等ヲシテ顧慮スル所ナク彼第八号議案ヲ議決セシメラレンコトヲ云々 審議ノ未該建議案呈セシニ県令ニ於テハ之ヲ容レサルコトニ議論アリタリ (添田茂樹氏蔵) (注)「一倍」は近世的用語、現在の二倍の意味。 一二五 西多摩郡下地方税備荒儲蓄金等滞納督促の件通達(一-一〇) (一) 租第三百七十七号 地方税備荒儲蓄金徴収方ノ儀追々御達之趣モ有之素ヨリ忽視ニ付スヘキ者ニ無之候処往々上納方延滞ノ向有之畢竟スルニ納税者ノ怠リヨリ生スルノ結果ナリト見做サヽルヲ得ズト雖トモ或ハ旧来ノ弊習ニナヅミ又ハ戸長役場ノ事務多端等ヨリシテ納期ニ臨ミ人民ニ示スカ如キハ無之儀ト信ジ候得共万一右等ノ所置有之トキハ人民納税者ノ多少困難ヲ極メ竟ニ納期ヲ経過スルニ至リテハ不都合之事ニ有之候就中公貯金ノ如キハ利付公債証書購入及利付預トナスモノニシテ最注意スヘキハ勿論ノ義ニ有之候間来ル十六年一月中収入スヘキ科目左ノ通ニ候条精々徴収ノ上必ス期限遅々セザル様上納方可被取計為念此旨申入置候也 明治十五年十二月廿一日 西多摩郡役所 戸長役場中 地租割税 戸数割税 営業税 儲蓄金 雑種年税川漁税車税共総テ十六年一月十五日限リ (二) 告第八号 十六年度地方税賦課法ニ付要用ノ義有之候条旅籠屋料理屋待合茶屋飲食店ノ義明治十五年一月ヨリ十二月迄営業収入売上高(料理屋ニシテ旅籠屋ヲ兼或ハ旅籠屋ニシテ飲食店ヲ兼タル如キハ各個ニ分記スヘシ)本月尽日限リ無遅滞可届出此旨相達候事 但半途創業ノ者ハ十二月三十一日迄ニ至ル現額月数ニ除シ十二ケ 月ニ乗シ年額ニ見傚ヘシ 明治十六年五月十日 西多摩郡長 細谷五郎右衛門 (三) 租第百六十九号 十五年度第二期地方税ノ内左之税金于今上納不相成而己ナラス事由上申モ無之不都合不尠趣ヲ以其筋ヨリ厳督有之候条即日上納可有之若上納差閊有之候ハヽ其事由速ニ上申有之度此段再三及督促候也 但本月ハ年度末ニ付決算上ニ関シ候間月税之分本月分モ同時ニ上納有之度候也 明治十六年六月一日 西多摩郡役所 南小曽木村戸長役場中 地租割税 月税 二三四五月分 (四) 租第二百〇七号 本県甲第三十七号ヲ以テ郡部地方税賦課規則布達相成候ニ付テハ従前営業者ハ第一書式ニ拠リ速ニ公認願可差出ハ勿論ニ候得共収税方調査ノ都合モ有之徴収期限ニ切迫候テハ不都合候条精々注意取纒メ来ル七月十日迄ニ無遅滞進達可有之此達及通牒候也 明治十六年六月廿七日 西多摩郡役所 戸長役場中 追テ公認願書ハ正副二通可差出筈ニ候為念申添候也 租第二百四十二号 十六年度諸営業者公認願書差出方ノ義昨ク十日迄ニ無遅滞進達可被致旨租第二百七号ヲ以テ御通牒及置候処于今差出不相成右ハ追々徴収期限ニ切迫シ甲乙切符配付上甚タ以テ差支候間速ニ御差出有之度此段猶及御照会候也 明治十六年七月十一日 西多摩郡役所 戸長役場中 (五) 租第二百五十二号 明治十六年度地方税徴収期限布達相成候間同税之内営業税雑種税ノ義ハ当役所ヨリ甲乙切符配布可致ノ処未タ公認願書不差出村々モ有之旁以テ成規之通甲乙切符配付ノ運ヒニ不至場合モ難計候得共該税徴収期限ヲ不誤様精々御注意期限無遅滞上納相成候様致度此段為念及御通牒候也 明治十六年七月十九日 西多摩郡役所 戸長役場中 (六) 租第二百九十三号 其村内売薬請売之者等ニテ去ル五六二ケ月中販売セル数量及同印紙遣払高調書上ノ義ハ曽テ及通知置候義モ有之候処于今差出無之甚不都合ニ付急速取調来ル廿五日迄必進達候様各営業人共ヘ御通達相成度此段申進候也 明治十六年八月廿二日 西多摩郡役所 南小曽木村戸長役場中 (七) 租二百六十六号 明治十六年度第二期地租割税納期ノ義ハ本年六月本県甲第三十九号達ノ通ニ付右日限無遅滞上納相成候様可被取計此段為念申入候也 但該税上納方ニ付テ中ニハ自然緩慢ニ流レ候村々モ有之右ハ成規ノ通切符配付ヲ怠候処ヨリ納税者不知々ニ不納者ト相成候様ノ義モ有之哉右様ノ義ハ曽テ無之筈ノ処右等ノ義有之候テハ不相成加ルニ目下非常ノ不融通旁以一層御注意有之度且右等ノ事情ヨリ納期ノ儀ニ付既ニ本県ヨリ派出官出張単ニ厳談ノ次第モ有之候間右ノ場合御了知ノ上納期ヲ不誤上納相成候様自今呉々モ御注意相成度此段申添候也 明治十六年十月廿五日 西多摩郡役所 地方税掛 南小曽木村戸長御中 (八) 乾第九号 戸長役場 地租其他納期アル諸税上納方ノ儀ニ付テハ追々達ノ次第モ有之候処 尚今般納期后完結ノ期日決定相成候ニ付其筋ヨリ厳達ノ趣モ有之右ハ素ヨリ納期迄上納スルハ当然ノ処近頃其期日ヲ経過スル村方モ有之不都合ニ付自今若不納者有之納期ヲ後ルヽ時ハ速ニ及処分候条期日后三日ノ内必不納者人名取調可申出此旨諭達候事 明治十六年十月十九日 西多摩郡長 細谷五郎右衛門 (九) 租三百八十二号 十六年度地方税ノ内月税納期ノ期其月五日限リニ有之候処或ハ翌月五日限リト誤認ノ村々モ有之哉前月上納スヘキ分ヲ翌月上納相成候義モ間々有之不都合ノ折柄本年十月乙第二百五十一号ヲ以テ本年九月乙第二百廿四号ヘ追加相成候ニ付テハ納期後三十日以内ニ夫々処分可致義ニ付今後其月分ハ期限ノ通リ必ス上納可相成様精々御注意相成度為念此段申入候也 明治十六年十一月九日 西多摩郡役所 地方税掛 南小曽木村戸長役場御中 (一〇) 租第四百十八号 地方税備荒儲蓄金徴収方ノ義追々御達ノ趣キモ有之許ヨリ緩慢ニ付スヘキ義ニ無之候処往々上納方延滞ノ向キ有之不都合ノ次第ニ付爾後収税方特ニ注意有之度就テハ来ル十七年一月中収入スヘキ科目左ノ通ニ候条精々徴収ノ上必ス期限遅滞不致様上納方可被取計為念此段申入置候也 明治十六年十二月廿五日 西多摩郡役所 戸長役場中 一月十五日限リ 備荒儲蓄金 一月廿五日限リ〔営業税 雑種税 私立銀行并銀行類似営業税 一月卅一日限リ〔車税 地租割税 戸数割税 (「西多摩郡役所御達綴」(明治一六―一七年)神奈川県立図書館蔵) 一二六 諸税納期厳守に関する大住淘綾両郡長の通達 『租第百廿三号』 総テ納期ニ従ヒ上納スヘキ租税其他期限アル者ハ当期限マテ完結可致ハ勿論ノ処従来ノ経験ニ徴スルトキハ毎納期全郡総額ニ対シ期限内ニ其半額モ上納ニ至ラサル事甞テ往々有之ニ由リ成規ニ抵触シ加フルニ甚シキニ至ツテハ之カ督促ヲ為スモ何等ノ回答ヲモ為サス其皆済ノ如何ヲ問ヘハ期限後一旬日余ニ及ンテ漸ク完結スルニ至ル斯クノ場合ニ於テハ素ヨリ之カ督促ヲ為サス断然公売処分可致筈然レトモ強テ之処分ヲ為スヲ好ムニアラサルカ故ニ隠然便宜方法ヲ以テ取扱来リ候ト雖トモ実ニ是皆成規ニ悖リ良善ノ策ニアラズ単ニ老婆心ニ止リ害多クシテ効少キノミナラス亦一方ヲ顧レハ却テ納税者ニ惑ヲ覚ヘシムルノ恐アリ依之〓ニ断然従来ノ悪弊ヲ一洗シ更ニ成規ニ基キ左ノ収納順序ヲ相設ケ候ニ付右要領ニ依リ取扱候儀ト御心得有之度此段及御通達候也 明治十八年二月廿四日 大住淘綾両郡長 飯岡頼重(印) 子易村 戸長 萩原徳次郎殿 収納順序要領 一 諸税其他徴収方ハ毎納期日数十日以前ヲ戸長役場ヘ徴収定日ト為シ而シテ同日マテ完納セサルモノ有之トキハ以後四日間ニ余念ナク精々督促シ而スルモ尚之ニ応セサル者ハ怠納者ト認メ其人名ヲ詳記シ五日目ニ及ンテ現在取纒メタル金額ヲ上納シ其際必ス右怠納者名簿ノ報告書ヲ差出スモノトス 一 前条怠納者ノ報告ヲ得ルトキハ迅速郡吏派出シ一応懇諭シ猶怠納ノ者ハ右ニ対スル財産ヲ予メ取調置キ然ル后尚経過シ上納セサレハ翌日ヨリ公売処分ノ旨広告ス 一 前条第壱項ノ如ク戸長ヨリ達スル期日内ニ於テ納税者役場ヘ徴税上ニ就キ出頭方相達スルモ召喚ニ応セサルモノハ其理由ヲ明記シ直チニ戸長ヨリ所轄警察分署ヘ引致方照会スルトキハ当分ノ内該分署ヨリ役場ヘ本人引渡方相成候筈ニ今般其筋ヘ協議済ニ付右様処分スヘシ (「本県内達」(明治一七年―)伊勢原市役所蔵) (注)相模原市史資料室所蔵資料に同様のものがある。 一二七 諸税怠納者取締に関する高座郡長の内達 諸税徴収之義者納期之末日ヨリ日数十日前ヲ戸長役場エ徴収三日ト定メ租金ヲ徴収シ若シ同日迄ニ完納セサル者アルトキハ以後四日間夫々督促シ尚之レニ応セサル者ハ怠納者ト認メ其人名ヲ登記シ五日目ニハ必ス之レヲ報告スヘキ旨過般相達候ニ付テハ右督促スルノ場合ニ際シ一応説諭ヲ加ヘント欲スルニ当ツテ再三出頭ヲ命スルモ無取応セサルトキハ十七年度徴税ノ件ニ限リ戸長ハ直チニ所管警察署又ハ分署エ依頼シ本人ヲシテ引致スルコトヲ得ル儀ト可心得右及内達候也 明治十八年三月十三日 高座郡長 今福元頴 橋本村外三ケ村 戸長 桐生増兵衛殿 (「本郡役所達」(明治一八年―)相模原市史資料室蔵) 第二編 明治中後期 第一章 郡制市制町村制 第一節 県政の方向 一二八 市制町村制施行に関する県知事沖守固の演達および諮問(一-三) (一) 明治二十一年六月六日郡区長会ニ於テ知事演達アリタルコト左ノ如シ 市町村制実施ノ期限ハ本官カ県下ノ情況ヲ斟酌シ内務大臣ニ具申スヘキモノナルヲ以テ本制発布以来県下ノ情況ニ就テ十分ノ思慮ヲ尽シタル末明治廿二年四月一日ヨリ実施スルノ可ナルヲ認メ〓ニ其意思ヲ定メタリ各位此旨ヲ領シ諸般準備ノ取調アランコトヲ望ム但シ未タ其筋ニ具申セサルモノナルヲ以テ之ヲ他ニ漏洩セサル様深ク注意アリタシ 町村長ハ総テ名誉職トナシ収入役ニハ身元保証金ヲ徴スルノ方針ヲ以取調アルヘシ而シテ保証金ハ必スシモ現金而己ヲ要スルニ非ス公債証書株券地券等ヲ以テシ現金ナラハ町村会決議ヲ経テ利子ヲ付スル等時宜ニ依リ訓令等ヲ発セラルヽコトアルヘシ 町村ノ区域ヲ定ムルハ本制実施中ノ最モ要件ニシテ最モ慎重ヲ加ヘサルヘカラス其筋ヨリ訓令ヲ発セルヽモ其町村ノ資力堪否等ニ至テハ偏ニ地方庁ノ見ル所ニ任セ其但書ニ三百戸以上五百戸位ト示サルヽヤノ趣ナリ今本庁ニ於テ反覆論究シタルニ法律ノ冀望ノ如ク有力ノ町村ヲ造成スルヲ勉ムルヲ以テ第一トス其以テ有力トナスヘキハ現今ノ連合町村則一戸長所轄区域内ヨリ小ナラサルヲ要ス而シテ其誘導説諭ノ力全クノ合併ヲ挙行シ得サルモノハ止ムコトヲ得ス現在ノ連合町村ニ依リ組合町村ノ法ニ依ラシメ其小合併小独立ハ法律ノ冀望ニ背キ其町村ノ不利ナルヲ以テ之ヲ避クルヲ要ス然ルニ現今ノ連合町村ハ其区域必スシモ完全トナスヲ得サルヲ以テ此際新法ニヨリ新タニ適当ノ町村区域ヲ画スルハ可ナリト雖モ已ニ十七年以来今日迄養成シタル所ノ区域ヲ抹殺シ為メニ意想外ノ苦情ヲ起シ且新ニ所画ノ区域ノ適否ヲ認定スルノ困難ヲ如何セン地勢人情ニ依リ幾分ノ修正ヲ為サヽルヲ得サルモノハ素ヨリ限外トス故ニ前述ノ如ク内決シタルナリ右ノ内決ハ未タ実際民力ノ如何ンヲ証明シテ之ヲ確ムルノ材料ニ乏シ故ニ尚各位ニ取調ヲ望ムモノアリ則左ノ二件トス此取調ハ七月五日迄差出サレンコトヲ望ム 町村ノ負担 是ハ町村吏ノ報酬実費給料等ヨリ其町村公益事業ニ要スル費目金高則此設備ヲ為シ得サルモノハ独立町村ト為スヘカラサルノ標準廉々詳細取調ヲ要ス 町村ノ力 現在ノ各町村ニ就キ国税地方税町村費ノ如キ已ニ明了セルモノヲ除キ協議費ヨリ祭典雨乞ノ費用ノ如キニ至ルマテ総テ一ケ年支出ノ金高及ヒ特有物産ニ就テノ収入並ニ各自生計ノ度ニ至ルマテ詳細ノ取調ヲ要ス 合併組合ノ標準ハ前ニ述ルカ如シト雖トモ各位右二件ノ取調ヲ了シタル後尚良案アラハ申立ラルヘシ敢テ之ヲ容レサルニ非ス 終リニ臨ンテ尚一言スヘキハ合併町村ヲ誘導シ止ムヲ得サルニ至テ組合法ニ依ル緩急取捨ノ間ニ在リ誘導緩ニ失スレハ目的ヲ達スルヲ得ス急ニ失スレハ民情ヲ害ス其時宜ヲ考ヘ其適度ニ投スルハ偏ニ各位ニ冀望スル所ナリ (二) 諮第二号 市町村制施行方ニ関スル諮問 第一 市町村制ハ明治廿二年四月一日以後施行セラルヽモノナレハ其期限ヲ予定スルノ必要アリ其期限ノ遅速如何 (欄外注記)『本項ハ知事ノ意見アリトシ議事ニ付サレズ後四月一日ヨリ施行スル見込ノ旨ヲ示サレタリ』 第二 従来ノ町村ハ其資力法律上ノ義務負担ニ堪エサルモノ多シ之ヲ合併スルト組合町村ノ法ニ依ルトノ見込如何 但八王子小田原ノ如キ宿駅及無民戸町村ハ勿論其他ト雖トモ敢テ民情ニ背戻セサルモノハ可成本制実施以前合併セハ如何(欄外注記)『本項ハ議論尽キス而シテ知事ヨリ方針ヲ示サレタリ知事演達書ニ詳カナリ』 第三 町村吏員ハ総テ名誉職トナスノ方向ヲ取ルト便宜有給吏員ヲ置クトノ見込如何 (欄外注記)『名誉職トナスノ方向ヲ取ルニ決ス 止ムヲ得サルヲ除キ』 第四 収入役ハ勉メテ別置ヲ要スルノ方向ヲ取ルト便宜町村長助役ノ兼摂ヲ為サシムルトノ見込如何 (欄外注記)『別置ノ方向ヲ取ルニ決ス』 第五 助役ハ勉メテ増員ヲ要セサル方向ヲ取ル如何 (欄外注記)『諮問原案ニ決』 第六 八王子小田原等ノ如キ大市街ニ於テハ二級撰挙ニテハ尚細民ノ多数ニ制セラルヽ弊ナキヤ否 (欄外注記)『八王子横須賀小田原等ノ如キハ三級撰挙トスルコトニ決ス』 第七 町村内ノ一部ニ所有財産アルモノハ従来之ヲ町村会ニ付スルヲ厭ヒ之ヲ隠蔽スルノ傾キアリ全ク多数ノ圧制ヲ恐ルヽニ出ツルナラン依テ是等ハ勉メテ之ヲ保護シ又ハ区総会ヲ設ケシムルノ方向ヲ取ル如何 (欄外注記)『原案』 第八 町村組合ハ町村長助役収入役各一名ヲ置キ一条例ヲ以テ支配セシムルモノトセハ如何 (欄外注記)『原案』 第九 町村吏員ノ実費報酬給料退隠料ヲ除クノ標準見込如何 (欄外注記)『本項ハ尚町村資別ニ調査ノコトニ決ス』 第十 本制施行期日内務大臣ノ指揮ヲ受ケタル場合ニ至レハ直ニ之ヲ発布スルト施行期日ニ迫リ之ヲ発布スルト其遅速ニ関スル利害如何 (欄外注記)『直ニ発布ニ決ス』 (三) 協第三十八号 第一部長提出 町村制施行ニ関スル協議 町村制ハ其条規中活用ノ区域ヲ広クシ各地ノ情況ニ依リ斟酌増減スルノ余地ヲ与ヘラレタルモノ多シ今ヤ本制施行ノ準備調査ニ際シ先ツ左ノ如ク其方向ヲ定メハ如何 一 名誉職ヲ拒絶スルモノハ公民権ヲ停止シ又ハ町村費ヲ増課スルノ制アリ然レトモ是等ハ最後ノ処分ニシテ為スヲ屑シトセサルモノナレハ成ルベク穏当ノ手段ヲ取リ此極ニ至ラシメサルヲ要ス〔第八条〕 (欄外注記)『原案ニ決ス』 一 町村会議員ハ其数多キニ過ルトキハ議事上煩雑ノ憂アルノミナラス従テ費用ヲ増スノ恐レアルヲ以テ本制ノ定員ヨリ増員セサルノ方向ヲ取ルヲ要ス〔第十一条〕 (欄外注記)『原案ニ決ス』 一 選挙期日選挙人ヲ召喚スルハ理由書中示セルカ如ク特ニ召集状ヲ送付スルモ妨ケナシト雖モ送付ノ際行違ヒ等ノ為メ却テ紛議ヲ生スルノ恐アルヲ以テ寧ロ明文ニ依リ公告ニ止ムルヲ可トス〔第十九条〕 (欄外注記)『原案ノ通リ従来ノ慣習ニヨリ注意スルハ妨ケナシ』 一 大町村ニ於テハ選挙分会ヲ設クルトキハ実際便宜ナルカ如シト雖モ或ハ一事務ノ分ル、為メ自然過誤ノ生シ易キコト無キヲ保セス故ニ先ツ分会ヲ設ケサルノ方針ヲ取ラントス〔第廿五条〕 (欄外注記)『原案ノ通リ』 一 小町村ニ於テハ総テ簡易ノ方法ヲ取リ町村会ヲ設ケス惣会ヲ開カシムルヲ要ス〔第三十一条〕 (欄外注記)『原案ノ通リ』 一 身元保証金ハ金銭出納ニ関スル吏員ニ要スルモノナレハ収入役ニ限リ之ヲ徴スルモノトシ其額ハ多キニ過レハ其人ヲ得難ク少キニ過レハ其効用ヲ失スルヲ以テ之ヲ斟酌シテ町村歳入高十分ノ一ヨリ二十分ノ一マテノ範囲ニ於テ目的ヲ定メントス〔第三十三条〕(欄外注記)『原案通リ現金ニ限ラス』 一 町村会書記ハ議員ノ多少等ニヨリ差違アルヘシト雖モ可成一名トシ已ムヲ得サル町村ニ限リ二名ヲ使用セシムルノ目的トナサントス〔第四十九条〕 (欄外注記)『原案』 一 町村会細則ニハ罰則ヲ設ケ得ルモノナリト雖トモ若シ之ヲ濫用スルトキハ徳義ヲ破フルノ嫌アルヲ以テ可成罰則ヲ設ケサルヲ要ス〔第五十条〕 (欄外注記)『原案』 一 大町村ハ数区ニ分割シ区長ヲ置クヲ得ルト雖モ其人ヲ得サルトキハ町村行政上ノ方針数岐ニ分カレ統一シカタキノ恐レアルヲ以テ先ツ区長ヲ置カサルノ方向ヲ取ラントス他日合併町村ノ行ハルヽニ至リ必用ヲ生シタルトキハ別段ナリトス〔第六十四条〕 (欄外注記)『原案』 一 委員ハ理由書ニ示セル如ク事務ニ習熟セシムルヲ要スルモノナレハ可成議員中ヨリ撰出スルヲ目的トス〔第六十五条〕 (欄外注記)『原案』 一 町村長ノ事務ハ極メテ繁劇ナルヲ以テ分任整頓ノ便ヲ図リ助役ヲシテ其一部ヲ分掌セシムルノ方向ヲ取ラントス(第六十九条第七十条) (欄外注記)『原案』 一 有給吏員ノ退隠料ハ左ノ割合ニ依ラントス〔第七十七条〕 町村長助役収入役 勤続満八年以上 俸給年額五分ノ一 同 十二年以上 同 三分ノ一 同 十六年以上 同 二分ノ一 書記 勤続満十五年以上 俸給年額四分ノ一 (欄外注記)『原案』 一 従来ノ町村有不動産及ヒ積立金穀ハ可成ハ都テ基本財産トナサシメントス〔第八十一条〕 (欄外注記)『原案』 一 町村税ハ付加税ノ外特別税ヲ課シ得ルモノナリト雖トモ俄カニ新税ヲ起スハ其害少ナカラサルヲ以テ先ツ現行ノ課目ニ依リ付加税ニ止ムルヲ要ス〔第九十条〕 (欄外注記)『原案』 一 使用料手数料若シ特別税等ヲ設クルトキハ其税目ニハ罰則ヲ設クルヲ要ス〔第九十一条〕 (欄外注記)『原案』 一 町村ノ収入ヲ定期内ニ納メサルモノアルトキハ手数料ヲ徴収スルハ尤モ必要ナルヘシ〔第百二条〕 (欄外注記)『原案』 (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一二九 町村制施行準備に関する県知事沖守固の演達要旨 明治二十一年九月四日郡区長会ニ於テ知事演達ノ要旨筆記 本年四月已来町村制施行準備トシテ小町村ハ便宜合併シ法律ノ義務ヲ負担セシムルノ目的ヲ以テ其調査ヲ各位ニ指示セリ爾後各郡日夜調査ヲ為シ已ニ数月時ヲ費シ庁下ニ集会討議スル数回財産ナリ区画ナリ苟モ事ノ難易利害ニ関スルモノ研究殆ントアマス所ナシ抑町村ノ廃置分合ハ本官職権上之ヲ処分シ得ヘシト雖トモ亦人民ノ意向ヲ斟酌セサルヘカラサルハ論ヲ俟タサル也只之ヲ諮詢スルニ其時機ヲ誤ルトキハ却テ人民ノ不利ヲ醸スノ恐レナキヲ保セス故ヲ以テ未タ其事ヲ公ニセサリキ然ルニ今ヤ各位ト共ニ時機全ク熟セリト認定スルヲ得タリ依テ是ヨリ戸長ハ勿論町村ノ財産家則重立タル人々ニ諮詢セントス然レトモ戸長又ハ重立タル者多数ノ人員之ヲ招集スルニ便ナラス又本官各地巡回シテ諮問セントスルモ時日ヲ費シ到底其普及ヲ望ムヘカラス依テ今挙ケテ之ヲ各位ニ委任ス各位本官ニ代リ町村自治ノ精神ヲ明ニシ有力ノ町村ヲ造成スルノ必要ヲ懇篤熟議シ戸長並ニ重立者ノ意見アルモノハ詳ニ之ヲ聞取リ其意見ニ依リ各位ノ調書ニ就テ改正ヲ為スヲ可トスルモノアラハ尚詳密ノ再調ヲ為スヘシ又町村名役場位置ノ如キハ可成其望ヲ達セシムルノ方向ヲ取リ更ニ具申セラルヘシ若シ又微力ノ町村ニシテ強テ独立ヲ望ミ又ハ合併ヲ避ケテ組合法ニ依ランコトヲ冀望シ各位ノ懇篤熟議セラルヽモ其主旨ヲ了解セサル等ノ者アラハ其意見ヲ詳ニシ別ニ具状セラルヘシ本官臨機審議スル所アラントス (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 第二節 郡制と町村長会関係 一三〇 郡制実施の状況調査に関する依命通達ならびに上申書(一-二) (一) 『庶第九五一号』 郡制実施ニ付テハ町村制施行後其整理ノ状況ヲ視察シ之カ緩急ヲ定ムヘキ旨別紙内務大臣訓令ノ趣モ有之然ルニ当県ニ於テハ町村制施行後漸次其事務モ整理致シ候ニ付今ニシテ郡治ノ改革ニ着手スルモ訓令中ニ云ヘル紊乱ノ端緒ヲ開ク如キハ万々無之ト認メラレ候従テ右状況ヲ調査スルコトモ必要ナラサルカ如シト雖トモ事重要ニシテ苟モ軽忽ノ措置アル可ラサルハ勿論ニテ右訓令ニ対シ上申可相成都合モ有之候条御郡内ニ於ル町村制実施後ノ状況詳細御取調御内申相成度命ニ依リ此段申進候也 明治二十三年七月十日 第一部長 田沼健(印) 足柄上郡長 松尾豊材殿 (別紙) 内務大臣訓令ノ一節 郡治ノ組織ハ町村ノ機関ヨリ出テ町村ノ監督ハ郡ノ機関ニ存スルモノナレハ町村ノ組織及其事務ノ整理如何ニ関セスシテ郡治ノ更革ニ着手スルトキハ却テ紊乱ノ端ヲ開クノ恐レナシトセス故ニ町村制実施後其整理ノ状況ヲ詳ニ視察シテ其緩急ヲ定ムルヲ要ス (二) 第八七三号明治廿三年七月廿三日仕出 郡書記 大島敬義 本郡町村制実施後ノ状況具申ノ件 町村実施后ノ状況具申 本郡町村制施行後熟々其状況ヲ視察スルニ自治区ノ度ヲ得本制ノ民意ニ適ヒタルヤ村役場ニ於テハ漸々事務整理シ人心安寧平穏聊紊乱ノ恐無之ニ付直ニ郡制実施セラルヽモ変動ノ憂ナカル可シト確信致候此段具申候也 明治廿三年七月廿三日 足柄上郡長 松尾豊材 神奈川県知事 浅田徳則殿 町村制実施后ノ状況取調方内申方庶第九五一号ヲ以テ御申越ニヨリ別紙具申書差進候也 明治廿三年七月廿三日 足柄上郡長 松尾豊材 第一部長 田沼健殿 (足柄上郡役所「町村制回議録」(明治二三年)神奈川県庁蔵) 一三一 郡制実施にともなう足柄上下両郡の郡界変更関係文書(一-六) (一) 務第八五四号 足柄上足柄下両郡境界変更并飛地組替之儀ニ付具申 郡制施行ニ関シ本月内訓第拾五号ヲ以テ御内訓ニヨリ取調候処足柄上足柄下両郡境界中別紙図面ノ箇所接続地ハ犬牙ノ如ク錯雑シ飛地ハ盤石ノ如ク散在碁布シ地方之者ト雖モ悉ク其地籍ヲ明知スル者無之地形ノ不良如斯従テ行政上ノ不便不尠則御内訓第一項第二項ニ該当シ変更及組替ヲ必要ト相認メ候間左記ノ各項ニヨリ御処理相成度此段具申候也 明治廿三年八月九日 足柄上郡長 松尾豊材(印) 足柄下郡長 中村舜次郎(印) 神奈川県知事 浅田徳則殿 一 足柄上郡曽我村上曽我第九百九十七番地ヨリ西南十二天川ニ沿ヒ鉄道線路ニ至リ是ヨリ鉄道線路ニ沿ヒガンダラ川ニ至ル是ヨリ又ガンダラ川ニ沿ヒ足柄下郡上府中村境ニ至ルヲ以テ足柄上下両郡ノ境界トス 但足柄上郡曽我村ヨリ足柄下郡下曽我村ヘ散在スル飛地ハ足柄下郡下曽我村ヘ属シ足柄下郡下曽我村ヨリ足柄上郡曽我村ヘ散在スル飛地ハ足柄上郡曽我村ヘ属スルモノトス 一 足柄上郡岡本村沼田地先第百九十六番地南隅ヨリ東方狩川ニ至ルノ間総テ分沢川ヲ以テ足柄上下両郡ノ境界トシ其分割地ハ各境界関係村ヘ分属スルモノトス 一 前両項ニ依リ両郡ノ組替地ハ別表ノ通リ (別表) 郡界釐正ニ付足柄下郡ヨリ足柄上郡ヘ組替ヲ要スル地所戸数等調備考 本表反別地価及戸数トモ鉄道線路敷及ヒ河川変換等ニ属セシモノ不少為メニ地図諸帳簿等甚タ明瞭ナラス候ニ付尚実地ニ付キ精確調査ヲ遂ケ対照可致見込ニテ目下再調査中ニ付其結果ニ依リ或ハ些少ノ増減ヲ生スルコトモ可有之候 郡界釐正ニ付組替可相成地所反別地価調表 (注一)図面略。 (注二)付箋に「各村ノ意見ヲ聞人民ノ欲スル所ニョリ上申スヘキ者ヲ以テ中村郡長出県ノ節返戻相成候ヲ以テ同郡長ヨリ回送ニナル」とある。 (二) 郡界変更ノ儀請願ニョリ上申 神奈川県足柄下郡下曽我村 神奈川県足柄上郡曽我村ノ内上曽我曽我大沢 今般郡制施行セラルヽニ付前記ノ村落合併致度旨請願候ニ付其利害得失詳細取調左ニ具申候也 明治廿三年十月十三日 足柄上郡長 松尾豊材(印) 神奈川県知事 浅田徳則殿 一 足柄上郡曽我村ノ内上曽我曽我大沢ノ二部ト足柄下郡下曽我村トハ地勢略類似ナレトモ民情ノ相容レサルアリ一ハ質朴ニシテ一ハ之ニ反セリ殊ニ曽我村ニ於テハ其三分ノ二ハ全村ノ経済教育等ニ大関係アルアレハ此二部ヲ分離セシムルコト難相成旨挙テ申居リ既ニ合併不服ノ儀願書差出有之候 一 曽我村字上曽我字曽我大沢トハ水路ノ関係ハ分離シ難ト雖工費ニ到リテハ酒匂川ハ水利区域ヲ設ケテ水利土功会アリ酒匂堰和田堰等ハ水利組合ヲ設ケテ組合会アリテ旧慣ニ由リ議決セルヲ以テ苟モ権衡ヲ失フ如キ弊ナカルヘシ又曽我村々費賦課ノ事モ廿三年度ニ於テハ戸数ヘ五分六厘余地価ヘ四分二厘余ナレハ他村ニ比スルモ真ニ衡平ヲ得聊苦情無之筈ニ候 一 曽我村ノ教育ハ下大井学校ト称スル小学校ヲ設ケ高等尋常ノ二科ヲ併置シ授クルヲ以テ小学校ノ教育ハ之ニ優レルナシ通路中酒匂川ノ支流及鉄道線路アルト雖モ支流ニハ堅牢ノ橋梁ヲ架スレハ流落スルコトナシ汽車ハ京浜間ノ如ク往復頻繁ナラサレハ聊学事ヲ妨クルノ虞ナシ 大字上曽我曽我大沢ノ大井校ヲ距ル遠キモ二十町已内近キハ六七町ニテ千代学校ニ至ルノ半ニ過サルヘシ (三) 『甲第一二二七号』 貴郡曽我村ノ内大字上曽我及曽我大沢ヲ本郡下曽我村ヘ合併ノ儀関係人民ヨリ請願ニ付御意見書御回送本県知事ヘ連署具申方務第一一二二号御照会之趣了承右御意見書ナルモノヽ第一項ハ単ニ曽我村人民三分ノ二ノ意向ヲ表述セラレタル迄ニテ第二項以下ハ曽我村ノ水利土功又ハ用水若クハ教育上ニ関シ目下ノ状況ニ於テ人民ノ苦情ヲ惹起スヘキ所以ナレハトノ事ヲ陳弁相成タルニ過キスシテ該分合ノ利害得失ヨリ其可否ニ付テハ何等御意見無之貴意了シ難ク候条分合ノ可否ニ関スル詳細ノ御意見書御回付相成候様致度書類一ト先ツ御返付此段及御答候也 明治二十三年十月廿七日 足柄下郡長 中村舜治郎(印) 足柄上郡長 松尾豊材殿 (四) 郡界変更之儀請願ニ依リ上申 神奈川県足柄下郡下曽我村 神奈川県足柄上郡曽我村ノ内上曽我曽我大沢 今般郡制施行セラルヽニ付前記ノ村落合併致度旨請願候ニ付其利害得失詳細取調候処左記ノ通ニ候条依然御据置相成候様致シ度此段具申候也 明治廿三年十一月一日 足柄上郡長 松尾豊材 神奈川県知事 浅田徳則殿 一 足柄下郡下曽我村ト足柄上郡曽我村ノ内上曽曽我曽我大沢トハ共ニ村名ヲ曽我ト唱ヘ鎮守モ一ナレハ素ヨリ関係ナキニ非スト雖モ斯ノ如ク両郡ニ分属スルハ抑亦其故ナキニ非ルヘシ篤ト地形ヲ按スルニ下曽我村ハ業ニ既ニ湾形ヲ為シテ足柄上郡ヘ侵入セリ之ニ加フルニ上曽我曽我大沢ノ両部落ヲ以テスレハ益深ク突入シ別紙図面ノ如ク郡界ニ大ナル変態ヲ生スヘシ是レ盖シ往古両郡ヲ置カルヽノ際権衡上自然両郡ニ分属セラレタル所以ナラン其風俗習慣モ足柄下郡ハ沿海且東海道ノ駅路中央ヲ貫通セルヲ以テ民情自ラ文飾ニ趨リ足柄上郡ハ之ニ反シ人畑多クハ山野ノ間ニ散在セルヲ以テ民情自ラ質朴ニシテ郡界ニ沿ヒ判然其状態ヲ異ニセルハ衆目ノ見ル所ニシテ敢テ誣ユヘカラサル儀ニ有之候歴史上ノ関係ニ至テハ中古以降数百年ノ由来ハ勿論維新后モ既ニ二十余年経過セル現在ノ活歴史ニ由ラスシテ邈然タル上古ノ歴史ヲ引用セントスルハ固ヨリ取ルヘキ所論ニ無之ト存候 一 治水及修路ノ関係ハ酒匂川ハ水利区域ヲ設ケ水利土功会アリ酒匂堰和田堰等モ水利組合ヲ設ケ旧慣ニ由リ支弁スル規定アリ是等疑団ナキ事項ヲ口実トシ合併町村ヲ変更セントスレハ町村制実施ノ全体ニ波及シ実ニ収拾スヘカラサル変動ヲ生セン而シテ修路ノ事ニ至リテハ従来各部落ニ通路ノアラサルハナシ故ニ譬ヘ一村ヲ通シテ修繕スルモ格別不権衡ハ無之存候 一 足柄上郡曽我村ハ上大井下大井西大井鬼柳上曽我曽我大沢ノ旧六ケ村ヲ合併シ鬼柳以上四部落ハ酒匂川ニ沿ヒ地価多キニ比シテ戸数少ク曽我二部落ハ曽我山ニ接シ地価少キニ較シテ戸数多キハ事実ナラン然レトモ村費ノ賦課上ニ於テ彼ハ地価ヲ標準トシ此ハ戸数ヲ目的トシ甲論乙駁其利ヲ争フカ如キ挙動ハ未タ曽テ無之今其賦課方法ヲ調査スルニ戸数割ノ等級ハ地価ヲ大体ノ目的トシ平常生計ノ景状ニ依リ貧富ヲ視察シ十七等ニ分チ村税ハ戸数ヘ五分地価ヘ五分折半ニ賦課セリ試ニ之ヲ鬼柳以上四部落ト曽我二部落トニ区分シ実際負担額ヲ一戸当ニ平均スレハ鬼柳以上ニ於テハ一戸平均拾壱銭弐厘七毛余ヲ負担シ曽我ハ平均九銭弐厘六毛余ヲ負担ス実ニ曽我二部落ハ弐割強ノ軽減ヲ請ケ居レリ是レ曽我二部落ハ戸数ノ等級ニ於テ下等ノ者多キニ由レリ之ヲ足柄上郡他村ニ比スルモ寧ロ戸数ニ寛ナル傾キアリ而シテ治水費ヲ関係ナキ曽我二部落ニ課出スルカ如キ弊ナキハ前項ニ於テ陳述セル通リニ有之候一 学事上ノ関係ハ足柄上郡曽我二部落ヨリ下大井校ヘ通路中ニ酒匂川ノ支流及鉄道線路アリト雖モ支流ニハ堅牢ノ橋梁ヲ架シアリテ流落スルコトナシ汽車ハ京浜間ノ如ク頻繁ナラサレハ聊カモ通学ヲ妨クルノ虞ナシ又彼ノ千代校ハ尋常高等ノ二科ヲ存シ下大井校ハ尋常一科トアルハ不実ニシテ下大井校モ尋常高等二科ヲ併置セリ曽我二部落ヨリ千代校ニ通学シ居ルモノ十中三四トアルモ亦不実ニシテ曽我二部落就学生徒百弐人之内千代校ヘ二名通学セルニ過キス而シテ千代校区域ヨリハ却テ下大井校ヘ八名通学セリ是等村落ハ皆道路平坦ナルヲ以テ専ラ里程ノ遠近ニ由レリ即チ上曽我曽我大沢ノ中央ヨリ千代校ヘハ凡ソ弐拾八町ニシテ下大井校ヘハ凡ソ十三町ニ過キス資本金ニ至リテハ千代校ハ五千八百六拾三円弐拾弐銭六厘ニシテ下大井校ハ千九百八拾弐円ナルヲ以テ多少ノ差アリト雖資本金ハ多クハ寄付者其儘預リ金トナシ利子ヲ徴収スルニ過キサレハ村費ノ賦課額ト細密ニ比較スルニアラサレハ容易ニ其軽重ヲ知ル能ハサルヘシ授業料ハ下大井校ハ実際高等四銭尋常弐銭ニシテ千代校ハ高等拾銭尋常五銭也 一 郡界ノ関係ハ犬牙錯雑シ飛地モ碁布散在セリ其由来ハ判明セスト雖盖孰往昔其地主ノ冀望ニ任セ其在籍地ノ地籍ニ編入セシモノナラン此事項ハ第一項ニ於テ陳述セルカ如キ理由ニ拠リ曽我村落ヲ両郡ニ分属セルモノナラン因テ之レヲ孰ニ合併スルモ郡ノ地形権衡ヲ損スルノ恐アルカ故ニ時宜ニ依リ単ニ飛地ヲ交換スル歟又ハ川ニ沿ヒ鉄道線路ニ拠リ判然区域ヲ釐正スルノ二途アルニ過キサルヘシ而シテ飛地ノ組換ニ依リ公民権ヲ失シ云々ノ如キハ町村制中ニ特免ノ条項アルアレハ敢テ不権衡ハ無之事ト存候 一 先年足柄上郡中ニ在リシ仙石宮城野ノ両村ヲ足柄下郡ヘ組替ラレタル事例ノ引用アリト雖右両村ハ大雄山ノ高峰外ニ懸隔セルヲ以テ道路崎嶇険悪ニシテ徒歩モ容易ニ通シ難ク故ニ官民共ニ足柄下郡小田原ニ迂回スルニ非レハ公私ノ用ヲ達スル能ハサル不便アルヲ以テ不得已組替ラレタル儀ニ有之曽我部落ノ如キハ如斯不便ナキ而己ナラス足柄上郡曽我村上大井下大井西大井鬼柳上曽我曽我大沢ノ旧六ケ村ハ学校及旧組合役場設置以来経済ヲ共ニシ百事此戸口ニ応スル計画アリ然ルニ今日俄然二部落ヲ分離スレハ村税金七百拾八円五銭之内曽我二部落ニ於テ負担セル地価割金九拾弐円七拾三銭弐厘戸数割金百弐拾弐円五拾弐銭弐厘合計金弐百拾五円弐拾五銭四厘資力ヲ減スルニ至ルヘシ而シテ役場費教育費ノ如キハ二部落分離ニ応シテ減省スル能ハサル勿論ニ付残ル四部落ノ経済上困難ヲ来ス而己ナラス併テ村名モ失スルニ至リ不都合不少ニ付過日村長及重立両名昇庁親シク事情上陳候次第ニ有之候 (注)図面略。 (五) 『庶第一二六三号』 足柄上郡曽我村ノ内曽我及曽我大沢ノ二部落ヲ足柄下郡下曽我村ヘ合併ノ義別紙ノ通両村人民惣代ヨリ出願候ニ付テハ其利害得失詳細御取調ノ上御意見上申相成度書類図面共相添此段及御照会候也 明治二十三年十月六日 第一部長 田沼健(印) 足柄上郡長 松尾豊材殿 足柄下郡長 中村舜次郎殿 追テ御意見上申之際別紙ハ御返戻相成度申添候也 添付書及御回付候間可然御取斗有之度候也 明治廿三年十月十三日 足柄上郡長 松尾豊材 足柄下郡長 中村舜次郎殿 (別紙) 郡界変更之義ニ付請願書 神奈川県足柄下郡下曽我村 神奈川県足柄上郡曽我村ノ内字上曽我字曽我大沢 村民一同 右村民一同謹テ奉請願候 足柄下郡下曽我村及足柄上郡曽我村ノ内字上曽我字曽我大沢之儀ハ元来一村部落ニシテ其地勢ヲ一ニシ其紀事ヲ共ニシ誠ニ以テ一村合併自治ノ区域ヲ為スヘキ者ニ有之候得共町村制施行ノ際ハ其上下両郡ニ跨ルノ故ヲ以テ之ヲ合併スルコト克ハス従テ双方ノ不便尠カラス一同嘆息罷在候処今般郡制御実施ノ挙日近キニ有之由ニ就テハ郡界ノ更正等夫々御治定ニ相成候事ト存候ニ付右村一同協議之上下曽我村及曽我村ノ内上曽我大沢ハ合併シテ一村ト為シ以テ従来之郡界変更有之様コヽニ及請願偏ニ恩命ノ垂ルヽヲ奉希望候 今其理由ヲ詳述スルコト左ノ如ク御座候 第一 地勢上ノ関係 下曽我村及曽我村ノ内字上曽我字曽我大沢ハ共ニ曽我山ノ麓ニ列接シ土地ノ高低渓丘ノ高深互ニ相均似シ従テ気候地味及其間ニ起ル風俗習慣等同一顕象ヲ呈シ之ヲ郡界変更即合併シテ一村トナスハ他ノ山家田屋ノ合併者換言スレハ地勢気候風俗等ノ異類者相聚合シタルモノニ勝ルコト数等ニシテ天然区画ノ宜キヲ得双方ノ利便亦少カラス所謂隣保団合ノ道ヲ尽スコトヲ得テ人民ノ幸福此上ナキコトト存候 第二 歴史上ノ関係 往古ヨリ曽我郷ト呼フモノハ実ニ下曽我村及曽我村ノ内字上曽我字大沢ノ合称ニシテ鎌倉政府之頃曽我太郎ノ所領タリシコトハ其事跡著シク降テ小田原藩領ノ時ニ至ルモ曽我組合ナルモノヲ設ケ当今下曽我村即曽我谷津曽我原曽我別所曽我岸ノ旧四ケ村及当今曽我村中ノ字上曽我字曽我大沢ノ旧二ケ村互ニ脈絡ヲ通シ各村名主ノ上ニ取締役ヲ置キ以テ村務ヲ統轄セシメキ又曽我郷ノ中央ニ位地ヲ占メタル曽我神社ハ旧各村所謂曽我郷ノ惣鎮守トシ人民悉ク之カ氏ニ属シ之カ敬祭禱祀ヲ共ニシ今ニ及ベリ如斯古来其紀事ヲ共ニシ来リタルモノ如何デ其人情ノ趣ク所風習ノ走ル所ヲ永ク滅異セシムルヲ得ン相類同セサランヲ欲スト雖得サルナリ近郷隣里異口同音ニ曽我六ケ村ト現唱シテ止マサルモノハ実ニ其依テ来ル深且遠ニアルモノタリ是其郡ヲ異ニシ相隔絶スルノ不可ナル一条ニ御座候 第三 治水及修路ノ関係 地勢既ニ此ノ如シ幾多ノ事情此間ニ密係ヲ存セシムルアルハ必然ノ理数ニシテ今先ツ村民ニ直接ノ一大利害ヲ与フル川流ニ就テ之ヲ見ルニ旧曽我各村ヲ貫流スル十二天川沙留田川岸太郎川山岸川酒匂堰和田堰等ハ各村其利害ヲ齊シク感受シ其浚渫及出水防禦等ヲ各村各自ニ行フヤ甲ノ利ハ乙ノ害トナルカ如ク為メニ旧小田原藩領ノ頃ハ堰米ト称シ若干ノ米ヲ給与シ取締役ナルモノ各村ヲ一括施行スルコトトハナレリ然ルニ今日ニ当リテハ下曽我村ニ属スル旧各村ニ於テ一定ノ治水ヲ行フコトヲ得ルアルモ上曽我曽我大沢ニ至リテハ其他村部内ニアルヲ以テ彼村ノ工事往々矛盾シ双方ノ不便一方ナラズ又夫ノ道路修築ノ如キ其土地錯雑ナルヲ以テ常ニ漸ク其義務ヲ分担シ来リシ程ニシテ合併ノ利分離ノ不可ヲ感ズル所ニ御座候 第四 上曽我曽我大沢ト曽我村内他所トノ関係 足柄上郡曽我村ハ字上大井字下大井字西大井字鬼柳字上曽我字曽我大沢ノ旧六ケ村ヲ合併シタルモノニシテ内上大井下大井西大井鬼柳ハ酒匂川ニ接スルガ故ニ地価ヲ有スルコト多キニ比シテ戸数少ナク上曽我曽我大沢ハ曽我山ニ接シ畑山林ノ多キカ故ニ地価少ナキニ較シテ戸数多ク之ヲ以テ一タヒ村費賦課ノ事起ルヤ甲ハ地価ヲ標準トセシコトヲ主張シ乙ハ之レヲ難スルノ傾アリ乙戸数割ヲ以テ之ニ充テンコトヲ唱言スレハ甲之ヲ非トスルノ向アリ時ニ較大河即酒匂川等ノ治水費ノ如キ全ク之ト関係ナキ上曽我曽我大沢ニシテ課出スル等ノ困弊生シ其苦情紛議絶テ止ムトキナシ是皆合併当ヲ得サルニ出テシモノニシテ郡界ノ嘗テ以来不当ナリシニ由来セサルハナキ也之ヲ下曽我村ヘ合属スルトキハ如斯苦情ヲ夢ニダモ見ルコト能ハサルベク互ニ均一地勢上ニ安眠夷息スルヲ得ヘキナリ且ツ此等ヲ割テ下曽我村ニ合併セシムルモ曽我村中ノ他所ハ猶地価十五万円余戸数二百五拾余ヲ有スルヲ以テスレバ之ニシテ独立ヲナスモ一ノ支障之ナカルヘク却テ彼此苦情ノ種子ヲ絶滅スルノ効有之儀ト存候 第五 学事上ノ関係 字上曽我字曽我大沢ハ曽我村ノ内下大井ニ設立セル小学校区内ニ属スト雖上曽我曽我大沢ヨリ下大井ニ至ル迄酒匂川ノ支流ヲ経過セサルヘカラサルヲ以テ常ニ危険ノ虞有之往々休校ノ不幸アルヲ免レズ為メニ教育普及ヲ旨トサルヽ今日ニ於テ学事不振ノ気風部内ニ浸漸スルノ止ムヲ得サルニ至ルモノアリ之ニ反シテ下曽我村ノ属スル千代校ハ通路平担河流ノ険ナク殊ニ尋常高等ノ二科ヲ存シテ下大井校ノ尋常一科ニ止マルモノトハ異ナルノミナラズ千代校資金ノ豊裕ナルハ学資ノ課出ヲ少ナフシ下大井校資金ノ乏少ナルハ学資ノ課出多キヲ要スル懸隔モ有之又全ク郡界変更一村合併ノ挙アルニ至ランニハ上曽我曽我大沢ノ少年輩ハ合併上利便ヨリ算出シ得ラルヘキ資力ヲ以テ安易ニ教育ヲ及ホスヲ得ヘク而シテ千代校ハ却テ其教育区域ノ広キニ亙ルヲ喜フモノナリ現ニ上曽我曽我大沢ノ少年輩ニシテ千代校ニ通学シ居ルモノ十中三四ニヲルガ如キハ実ニ其便不便ヲ存スル所以ノ明証ニシテ聖代文露ヲ答受セシ情ニ於テスラ互ニ忍ヒサル所ノ者ニ御座候 第六 郡界ノ関係 足柄上郡曽我村ノ内字上曽我字曽我大沢ヲ依然上郡中ニ所属シ置キ郡界ヲ設定スルトキハ下曽我村及曽我村ノ内上曽我ノ地所互ニ碁布散在前ナル者後ナル者北ニアル者南ニアル者彼此其所属ヲ一見判明シ難ク即別紙図面ノ如キ現状ヲ呈シ自然古来一村落ノ形勢ヲ備具スルヲ以テ到底完全ノ郡界ヲ画シ難キニ若上曽我曽我大沢ヲ下曽我村ト合併セシメ足柄下郡中ニ編入スルトキハ曽我大沢ト曽我村内上大井下大井トノ村界即菊川ヲ以テ郡界トナストキハ天然ノ区境タルヲ得完美ノ郡界タルヲ得ヘク之ヲ前キノ彼此錯雑分別シ難キ者ニ比スレバ其差尠ニ非ル事一般是認スル所ナリ客年四月町村制施行之際足柄上下両郡衙吏ニ於テ両郡境界ノ調査ヲ遂ケタリト言フモノヲ聞クニ区域ノ犬牙錯雑シ居ルハ措テ之レヲ問ハス苟クモ地先ノ接渉スル限リハ従前ノ形跡ニ習ヒ依然彼此地籍ヘ組入置独リ飛地ノミ彼此地籍内ニ組替ラレタリト又近頃両郡衙ニ於テ両郡ノ境界ヲ東ハ足柄下郡下曽我村砂留田川ヨリ鉄道線路ニ沿ヒ南ヲ足柄下郡トシ西ハ足柄上郡曽我村岸太郎川ヲ以テ境界ト仮定セラレタリト思フニ前者ノ境界調査ハ郡界釐正調査ニ非スシテ単ニ飛地組替調査ノミナルナキカ後者ハ之ヲ前者ニ比シテ大ニ勝ル所アリト雖猶曲折迂回突進退凹ノ者タルヲ免レズ又下曽我村字曽我岸ノ如キハ戸数十有余戸上曽我ニ編入セラレ亦上曽我ノ如キハ下曽我村ヘ地籍編入ノ為或ハ公民権ヲ失シ或ハ一級撰挙ヨリ二級選挙ニ退級シ既得ノ権利ヲ空シク棄却スルモノモアリ略言スレバ前後両ナカラ一時姑息ニ出デシモノト推察スルノ外之ナク彼我共ニ将来ノ施政上錯雑ヲ来スノ恐アル所ニ御座候 第七 分合ノ事例 往古ヨリ引続足柄上郡中ニ仙石宮城野ナル両村之アリシヲ明治十二三年頃右両村ヲ下郡中ニ編入シ去リタリ按スルニ此挙タル該下曽我村ト曽我村ノ内字上曽我トニ於ケル経界ノ如ク錯雑複合セル処アルニ非ス両郡中何レニ之ヲ付スモ錯雑ヲ致スノ患ナキモノナルニ猶且然ルコトアリタルモノニシテ彼ヲ以テ此ニ比スレハ一ハ其理由ヲ一見シテ知ルニ苦シミ一ハ直ニ之ヲ了去シ得ルモノヽ如クヨシ彼ニシテ当時別ニ深由確源ノ存スルアリテ能ク二村ヲ下郡中ニ編入シタルコトトナスモ此亦古来ノ関係密ニ亙リ分離シテ合他ヲ計ルモノハ合併上互ニ利便ヲ致シ而モ残リタルモノハ一ノ損害ヲ蒙ルコトナク却テ亦多少ノ苦難ヲ免ルヽ勢アルモノナリ近ク十年前ノ事例ハ斯ノ如キアリ且ハ古今稽照従便挙利多々益良ニ就クノ 聖治ニ際シ敢テ希望セル段先例ト併セテ理由ノ端末ニ付スル如此御座候也 何卒右件々御詮議之上願意御採用其筋ヘ御執達被成下度一同ノ志願貫徹仕候様御取斗被下度村民惣代連署請願書如此ニ御座候也 明治廿三年十月一日 右 足柄下郡下曽我村村民総代 長谷川勝五郎 穂坂銀太郎 足柄上郡曽我村ノ内字上曽我字曽我大沢村民惣代 徳田常吉 足柄下郡下曽我村長 長谷川豊吉 神奈川県知事 浅田徳則殿 (六) 『第一課庶第五三号』 足柄上郡曽我村ノ内上曽我曽我大沢ノ二部落ヲ同下郡下曽我村ヘ合併ノ儀ニ付双方人民ヨリ再三出願ノ趣有之候処郡制施行上ノ調査ニ於テハ郡内ノ小部分ヲ移動シ郡界ヲ変更スルカ如キハ此際一般ニ施行セサル旨其筋ヨリ通牒ノ次第モ有之就テハ右分合ノ義ハ本制施行ノ後郡ノ上其新機関組織ノ成ルノ時ニ譲リ候積リニ付一件書類ハ他日ノ参考トシテ留置相成候得共前陳ノ次第御差含ミ便宜該村ヘ御示諭相成度命ニ依リ此段及御通牒候也 明治二十三年十一月十二日 内務部長 田沼健(印) 足柄上郡長 松尾豊材殿 足柄下郡長 中村舜次郎殿 (足柄上郡役所「町村制回議録」(明治二三年)神奈川県庁蔵) 一三二 大住淘綾足柄上両郡の郡界変更に関する件通牒 『庶第弐二八五号』 御郡井ノ口村ヲ淘綾郡ニ編入ノ義同村人民ヨリ県庁ヘ出願候趣ニ候処右ニ付別紙写之通リ内務部長ヨリ通牒有之候条及御移牒候也 明治弐拾三年十一月十四日 大住淘綾郡長 増田知(印) 足柄上郡長 松尾豊材殿 (別紙) 『第一課庶第五弐号』 足柄上郡井ノ口村ヲ淘綾郡ヘ編入ノ義ニ付同村人民ヨリ再三出願ノ趣有之候処郡制施行上ノ調査ニ於テハ郡内ノ小部分ヲ移動シ郡界ヲ変更スルカ如キハ此際一般ニ施行セサル旨其筋ヨリ通牒ノ次第モ有之就テハ右分合ノ義ハ本制施行ノ後郡ノ上其新機関組織ノ成ルノ時ニ譲リ候積リニ付一件書類ハ他日ノ参考トシテ備置相成候得ドモ前陳ノ次第御差含ミ便宜該村ヘ御示諭相成度命ニ依リ此段及御通牒候也 明治廿三年十一月十二日 内務部長 田沼健 足柄上郡長 松尾豊材殿 大住淘綾郡長 増田知殿 (足柄上郡役所「町村制回議録」(明治二三年)神奈川県庁蔵) 一三三 橘樹郡町村長会同盟規約 橘樹郡町村長会同盟規約 第一条 本会ハ必要ナル行政上ノ事項ヲ交詢質議シ地方自治ノ発達ヲ目的トス 第二条 本会ハ町村長ヲ以テ之ヲ組織ス故ニ町村長ノ職ニアルモノハ必ス出席スルノ義務ヲ有ス其会同ハ毎月廿六日ヲ以テ定日トス若シ其日休日ニ該当スルトキハ翌日ニ繰下ケ会同ス 但町村長事故アリ出席シ難キトキハ助役ヲシテ代理出席セシムルモノトス 第三条 本会ハ管督官庁ノ諮詢ニ応シ其答申ヲ為スコト及行政上有利ト見認ル事項ハ町村ノ名ヲ以テ之ヲ管督官庁ニ建議スルコトアルベシ 第四条 本会ノ会長ハ郡長ヲ以テ之ニ充ツ 第五条 本会ノ会同ハ正午十二時ニ始メ午後三時ニ終ル其顚末事項ハ之ヲ記録ニ存スベシ 第六条 本会会員ハ質議交詢セントスル事項アルトキハ之カ摘要ヲ記シ会長ニ提出スベシ 第七条 本会ハ決議ヲ必要トスルトキハ可否ノ多数ニ依ルベシ (欄外注記)『△廿二年七月五日議決〔対照〕 ○町村長会規則 第一章 総則 第一条 本会ハ行政事務上ノ議疑諮詢及町村長交互若シクハ当衙各掛事務協議ノタメ郡役所内ニ開設ス 第二条 開会ハ毎月廿六日トス 但開会日大祭日等休暇ニアタルトキハ順次繰下ケトス第三条 会頭ハ郡長之レニ当ルト雖トモ若シ事故アルトキハ会員互撰ヲ以会頭ヲ定ムヘシ 第四条 町村長事故アリテ出頭スルヲ得サルトキハ代理者ヲ出席セシムルモノトス 第二章 会議 第五条 会議ハ正午十二時ニ始メ午後四時ニ終ル但時宜ニヨリ之ヲ変更伸縮スルコトアルヘシ 第六条 会議中ハ氏名ヲ称ヘスヘシ会頭又ハ何番ト呼フモノトス 第七条 会員ノ席次番号ハ□□□会ニ於テ籤ヲ以之レヲ定ム 第八条 決議ヲ必要トスルトキハ便宜多数ヲ採ルコトア ルヘシ』 (欄外注記)『明治廿五年十月卅一日決大綱十一月二日受(印)』 (飯田助丸氏蔵) 一三四 三浦郡会会議規則および同傍聴人取締規則 三浦郡会々議規則 付傍聴人取締規則 (欄外注記)議長用 第一次会ハ議案ニ就キ質問ナシ及其大略ヲ議シ可決スルトキハ第二次会ヲ開キ否決スルトキハ其議題ハ消滅スルモノトス 会議規則 第一章 通則 第一条 議事ハ午前十時ニ始メ午後四時ニ終ル但シ時宜ニ依リ議長之ヲ伸縮スルコトヲ得 第二条 議事ノ終始ハ撃柝又ハ号鈴ヲ以テ之ヲ報ス 第三条 議員ノ席次番号ハ改選期毎ニ抽籤ヲ以テ之ヲ定ム 第四条 議場ニ於テハ洋服又ハ羽織袴ヲ着用スベシ 第五条 疾病其ノ他ノ事故ニ由リ出席スルヲ得サル議員ハ開会時刻前其ノ由ヲ議長ニ届出スヘシ 第六条 開会時刻中事故アリテ退席セントスル議員ハ其ノ由ヲ告ケ議長ノ承認ヲ受クヘシ 第七条 遅参シタル議員ハ其由ヲ告ケ議長ノ承認ヲ得テ着席スヘシ第八条 議事中ハ私語喫煙其ノ他総テ議事ノ妨害トナルヘキ行為ヲ禁ス 第九条 議事中ハ総テ其人ノ姓名ヲ称ヘス議長ハ議長ト称呼シ議員ハ其ノ席次ノ番号ヲ称呼スヘシ 第十条 議題ノ外議事中ニ起リタル総テノ事件ハ議長之ヲ決シ又ハ会議ニ諮フテ之ヲ決スヘシ 第二章 議事 第十一条 議事ヲ始ムルトキハ議長ハ書記ヲシテ議案ヲ朗読セシムヘシ但シ二次会三次会ニ於テハ議長ノ意見又ハ議員二名以上ノ請求アルトキハ会議ニ諮ヒ朗読ヲ省略スルコトヲ得 第十二条 議事ハ一次会二次会三次会ヲ経テ確定トス但シ議長ノ意見又ハ議員二名以上ノ請求アルトキハ会議ニ諮ヒ此ノ順序ヲ省略スルコトヲ得 第十三条 一次会ハ議案配布後少クトモ二十分時間ヲ経テ之ヲ開クヘシ但シ緊急事件ハ此ノ限ニアラス 第十四条 一次会ニ於テハ議案ニ就キ質問ヲナシ及其ノ大体ニ就キ審議シ二次会ヲ開クヤ否ヤヲ決スヘシ二次会ヲ開クヘカラスト決シタルトキハ其議案ヲ廃棄シタルモノトス 第十五条 二次会ニ於テハ議案逐条若ハ毎節ニ審議シテ其可否ヲ決スヘシ 第十六条 議長ハ逐条審議ノ順序ヲ変更シ又ハ数条数節ヲ連ネ若ハ一条一節ヲ分割シテ審議セシムルコトヲ得但シ議員ニ於テ二名以上ノ異議アルトキハ会議ニ諮フテ之ヲ決スヘシ 第十七条 三次会ハ二次会経過後少クトモ十五分時間ヲ経テ之ヲ開クヘシ但シ緊急事件ハ此ノ限リニアラス 第十八条 三次会ニ於テハ二次会ノ議決ヲ以テ議案トシ議案全体ノ可否ヲ議決スヘシ 第三章 発言 第十九条 発言セントスルモノハ起立シテ議長ト呼ヒ自己ノ番号ヲ唱ヘ議長ノ承認ヲ得テ発言スヘシ 議長ニ於テ議員ノ番号ヲ呼ヒタルトキハ発言ノ承認ヲ与ヘタルモノトス 第二十条 発言ハ建議ノ外議題外ニ渉ルコトヲ得ス 第廿一条 討論及問答ハ総テ議長ニ向テ之ヲ為シ相互ニ応答スルコトヲ得ス 第廿二条 発言未タ尽キスト雖モ議員ハ討論終結ノ動議ヲ提出スルコトヲ得此ノ場合ニ於テ二名以上ノ賛成者アルトキハ議長ハ会議ニ諮ヒ討論ヲ用ヰスシテ之ヲ決スヘシ 第四章 建議及修正 第廿三条 建議及修正ノ動議ハ予メ其ノ文案ヲ草シ議長ニ提出スヘシ但シ簡単ナルモノ及緊急ヲ要スルモノハ議場ニ於テ口頭ヲ以テ陳述スルコトヲ得 第廿四条 建議及修正ノ動議ハ賛成者アルニ非サレバ議題ト為スコトヲ得ス 修正説ノ否決セル者ハ其同次会中ニ建議説ノ否決セル者ハ其会期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス 第廿五条 修正ノ動議ハ一次会ニ於テ提出スルコトヲ得ス 第五章 採決 第廿六条 可否ヲ決スル方法ハ起立記名投票匿名投票ノ三種トシ議長ニ於テ便宜其一ヲ用フヘシ但シ議員ニ於テ二名以上ノ異議アルトキハ会議ニ諮フテ之ヲ決スヘシ 第廿七条 可否ノ結果ハ議長之ヲ宣告ス 第廿八条 討論審議中ト雖モ議長ニ於テ論旨既ニ尽キタリト認ムルトキハ採決スルコトヲ得 第廿九条 修正ノ動議ハ原案ニ先チ採決スヘシ其採決ノ順序ハ原案ニ最モ異ナルモノヲ先ニス 第三十条 修正ノ動議総テ否決シタルトキハ原案ニ就キ採決スヘシ 第卅一条 議題ヲ分合シ又ハ条項ノ順序ニ拘ハラス採決セントスルトキハ議長ニ於テ之ヲ決シ又ハ会議ニ諮フテ之ヲ決スヘシ 第卅二条 採決ノ際着席ノ議員ハ可否ノ数ニ入ラサルコトヲ得ス 第六章 委員 第卅三条 委員ハ全会委員臨時委員ノ二種トス 第卅四条 凡テ委員長ハ委員ニ於テ互選スヘシ 第卅五条 全会委員ハ議案若ハ報告等ニ就キ詳細ノ質問或ハ内議ヲ要スルトキ議長ノ意見又ハ会議ノ議決ニ依リ之ヲ設クルモノトス第卅六条 臨時委員ハ議案ノ修正等審査ノ為メ議長ノ意見又ハ会議ノ議決ニ依リ之ヲ設クルモノトス 第卅七条 臨時委員ハ議員中ヨリ互選シ又ハ議長ニ於テ之ヲ指名ス其人員ハ奇数トス 第卅八条 臨時委員ハ付託セラレタル事件ノ外ニ渉ルコトヲ得ス 第卅九条 修正案ヲ臨時委員ニ付託シタルトキハ其提出者ハ委員会ニ列シ其ノ趣旨ヲ説明スルコトヲ得 第四十条 臨時委員会決議ハ委員長又ハ委員ヨリ会議ニ報告スヘシ第四十一条 委員会ハ半数以上出席スルニ非サレハ開会スルコトヲ得ス 第四十二条 委員会ノ議事ハ過半数ヲ以テ決ス可否同数ナルトキハ委員長ノ決スル所ニ依ル 第四十三条 委員会ハ傍聴ヲ禁ス 傍聴人取締規則 第一条 傍聴人ハ自己ノ住所氏名及其ノ由ヲ受付係ニ申立テ其ノ承認ヲ経タル後傍聴席ニ入ルヘシ 第二条 左ニ掲クルモノハ傍聴席ニ入ルコトヲ許サス 一 危険物品若クハ凶器ヲ携帯スルモノ 二 酩酊セルモノ 三 異装ヲナシ若クハ無用ノ物品ヲ携帯スルモノ 第三条 傍聴席ニ在テハ左ノ事項ヲ遵守スヘシ 一 帽子襟巻又ハ外套ノ類ヲ着用スヘカラス 一一 傘杖ノ類ヲ携帯スヘカラス 三 飲食スヘカラス 四 議事中ハ談話喫烟又ハ猥リニ傍聴席ヲ徘徊スヘカラス 五 議員ノ弁論ニ対シ可否ヲ表スヘカラス 六 喧騒ニ渉リ其ノ他議事ノ妨害トナルヘキ行為ヲ為スヘカラス 第四条 議長ニ於テ傍聴禁止ノ旨ヲ宣告シ又ハ退場ヲ命シタル時ハ傍聴人ハ速ニ退場スヘシ 第五条 傍聴席ノ都合ニヨリ傍聴人ノ人員ヲ制限スルコトアルヘシ (横須賀市立図書館蔵) 第三節 町村制施行の経過 一三五 町村制施行に関する郡区会記録 町村制ニ係ル件ニ付郡区会 一 七月九日 郡長会同委員長より各郡長ヘ合併組合実施方ノ手続尋問相成タル処或ハ合併或ハ組合等ニテ意見区々ニヨリ南北多摩郡長之ニ付テハ一定ノ処分ヲ望ムト云フニ対シ右両郡長ヘ一定ノ議案編製方ヲ委スルコトニ決ス 新町村並町村組合組織上ノ義各郡長陳述ノ概略アルモ知事ノ方針ヲ示サレルニテ総テ画餅属スルヲ以テ略シ写取ラス 一 同月十日 郡長会同ス南北多摩郡長議案提出ス 協議案 一 町村制実施処分上一定ノ方向ヲ要スル目左ノ如シ 一 組合町村ヲ設クルハ地形上合併ヲ為シ得サル場合ヲ主トシ次ニ古来ヨリ特別ノ慣習アリテ民情ノ調和ヲ護サル町村ニ限ルコト 二 合併町村ヲ組織スルニハ別ニ評決シタル資力支出ノ標準ニ拠ルコト 三 町村ノ資力標準ニ適セサルモノハ合併ヲナシ若シ合併ヲ為シ得サル町村(第一項)ハ組合ヲ設ケ小独立ハ為サシメサルコト 一 実施順序中要急スヘキモノ左ニ 一 合併及組合ノコトニ付戸長等ヘ諮詢スルノ方法順序 ○ 一 独立町村予算調修正ノコト 一 内務大臣ノ訓令解釈ノコト 右議案ニヨリ議論数回議決セス午後二時三十分知事出席各郡長ヘ合併組合等ノ理由ヲ明カニ記載差出ヘキ旨命セラル 知事ヨリ委員ニ於テモ理由調査シ郡長ニ於テ不明ノモノハ質問シ置クヘキ旨命セラル 高座郡長飛地等ノ質問アリ遽ニ委員ニ於テモ其根拠ヲ究ムルコトヲ取調フヘキ旨ヲ命セラル 知事曰是ヨリ前議ヲ継議スヘシト即修正説等アリ委員ヲ指定セラル足柄下郡長 津久井郡長 大住淘綾郡長 次項ニ移リ議ス而シテ第二三ハ皆一項ニ関係アルヲ以テ此儘通過シ第二条戸長等ヘ諮詢ノ事ハ知事ヨリ右ハ別段議スルニ及ハス諮詢スル方然ルヘキ旨ヲ命セラル然ルニ又諮詢スルハ不可ナリ(足柄下郡)ト述フルアリ知事曰不可スルモノハ諮詢セサルモ素ヨリ差支ナシ右ハ一々各郡長ノ見ル所ロニ任スト 次ニ独立町村予算調修正ノ項ニ至ル本項亦委員ヲ選ミ明日議スルコトトス知事ヨリ左ノ六名ヲ指定セラル 三浦郡長 南多摩郡長 久良岐郡長 高座郡長 金田収税属 岩波収税属 一 同月十一日 委員ヨリ独立町村予算調并組合町村ヲ設クルノ理由修正案別紙甲乙之通リ提出ス予算調ハ原案之通決ス組合町村設クル理由案頭書之通議決セリ (別紙) 独立町村予算調修正案 金 拾八円 町村長実費 〃 四十八円 同 報酬 〃 十八円 同 助役実費 〃 三十円 同 報酬 〃 弐十四円 委員実費 〃 弐十四円 同 報酬 〃 弐十四円 収入役給料 〃 七十二円 書記給料 〃 六十円 付属員給料 〃 四十八円 使丁給料 小計三百六十六円 〃 百弐十円 役場費 〃 三十円 国県郡政取扱費 小計百五十円 〃 四百円 学校費 〃 弐百円 里道其他土木費 内百五十円 夫役 〃 十円 救恤費 〃 十円 災害予防費 〃 弐十五円 衛生費 〃 十円 会議費 〃 弐十五円 勧業費 小計六百八十円 計金千百九十六円 内百五十円 夫役 差引 金千四十六円 組合町村ヲ設クル理由ハ左ノ通トス 一 山川ヲ隔テ交通不便甚シキモノ 一 争論上ノ関係排除スヘカラサルモノ 一 数年ヲ出テスシテ基本財産増殖シ充分独立自治ノ目的確乎タルモノ 一 民業ノ差異甚シキモノ (右四項の注記)『決議シタルモ知事ノ方針ヲ示サレタルニヨリ無効ニ属ス』 一 同月十三日 知事郡区会ヘ出席別紙第一号之旨意ヲ演達セラル(注)別紙欠。 (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一三六 栃窪村資力等調査をめぐる足柄上郡長の大住淘綾郡長宛申送状 第八七二号 明治廿一年七月十八日仕出同年同月完了 郡長代理(印) 庶務掛 書記 大島敬義(印) 栃窪村資力調大住淘綾郡役所ヘ回送方 町村制施行上町村分合之儀ニ付貴衙磯部書記ト本衙内藤書記ト共ニ栃窪村及渋沢村平沢村等実視ノ末御打合候通リ本郡栃窪村戸数資力等左表之通取調及御回付候条上申書御認メ候上ハ御差廻シ有之度此段申進候也 追テ貴郡ニ係ル他ノ調書至急御差廻シ相成度 明治廿一年七月十八日 足柄上郡長 白根大道 大住淘綾郡長 佐藤喜左衛門殿 (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一三七 足柄上郡の新村名選定をめぐる往復文書(一-二) (一) 第八七六号明治廿一年七月十九日仕出 郡長代理(印) 書記 大島敬義(印) 新村名ノ儀ニ付部長ヘ照会方 本月郡区長会ノ節知事御演達ノ趣ニヨリ予テ御示シ相成候書式ニ素キ土地ノ情況酌量合併町村ノ見込相立上申可致儀了承右ハ各村合併新ニ其名称ヲ選定シ其旧各村名称ハ唯大字トシテ微々存在スルニ止マル耳然ルニ去月内務大臣訓令第三五二号第六条ノ末ニ歴史上著名ノ名称ハ可成保存ノ注意ヲ為スヘシトアリ是等則愛国ノ一端ナルヘシ仮令ハ我足柄上郡ニ於テ上曽我村外数村合併曽我村関本村外数村合併関本村ト称シ度候得共全廃新称ノ方可然哉至急御意見伺度此段及御照会候也 明治廿一年七月廿日 足柄上郡長 白根大道 第一部長 田沼 健殿 必御親展 (二) 第十七号 合併町村ヘ名称付与方之義ニ付去二十日付ヲ以テ云々御照会之趣致領承候右曽我邨外数ケ村ヲ合併シテ曽我邨ト称シ関本邨外数ケ邨ヲ合併シテ関本邨ト称スルモ其合併中ノ町邨ニ於テ苦情等無之御見込ニ候得ハ之ヲ存置スル方可然ト被存候得共元来名称方之義ハ実地ノ状況ニョリ取捨参酌ヲ要スル義ニ付其辺篤ト御調査之上御取極メ相成度此段及回答候也 明治二十一年七月廿四日 第一部長 田沼健(印) (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一三八 足柄上郡苅野村の合併沿革に関する件上申書 『庶第七十弐号』 郡下苅野村ハ以前苅野一色苅野岩ノ両村ヲ合セ現村名ヲ付シタル右沿革詳細取調方務第九六四号ヲ以テ御照会ニ拠リ取調候処別紙指令写之通ニ付進達候也 雨坪村外拾ケ村 明治廿一年八月廿日 戸長役場(印) 足柄上郡役所御中 (別紙一) 合村願 御管下第一大区九小区 相模国足柄上郡 苅野岩村 一 反別七拾壱町三畝八歩 内大縄反別八町五反三畝歩 一 戸数五拾七戸 一 人員弐百九拾弐人 苅野一色村 一 反別弐拾壱町九反三畝拾弐歩 内大縄反別九段八畝廿歩 一 戸数弐拾七戸 一 人員百五拾壱人 右両村戸長副小前一同奉願候私共村方之儀者田畑山林及ヒ民家共数ケ所入交リ用水堰路堤防道路普請等恰モ如碁錯雑仕居空ク手数ヲ費スコト不少殊ニ目下地券改正取調等モ両村一致ニ取調不仕候而者落成致シ兼候廉モ有之且ツ両村共小村ニシテ村吏之数多ク事務取扱所等ノ数ヲ始メ其他冗費多分ニ付今般両村小前一同遂示談合村致新規村名苅野村ト改称仕度右合村仕候上者冗費ヲ省クノミナラズ御用向其他之便利大小之小前一同之洪福ヲ得ルコト眼前之儀ニ付何卒格別之御憐察ヲ以合併御聞届被成下度依之麁絵図相添此段一同連印ヲ以奉願候 明治八年二月十五日 苅野岩村 遠藤喜蔵印 外五拾壱名印 右村 小前惣代 飯田仲右衛門印 副戸長 遠藤久左衛門印 同 磯崎新右衛門印 同 磯崎太郎兵衛印 苅野一色村 島田庄兵衛印 外弐拾四名印 右村 小前惣代 磯崎新兵衛印 副戸長 柏木徳治郎印 戸長 武井重三郎印 足柄県令 柏木忠俊殿 前書之通相違無之依而奥印仕候也 第一大区九小区 副戸長 矢野七兵衛印 『書面願之趣聞届候事 八年五月廿九日印』 (欄外注記)『麁絵写ハ略ス』 (別紙二) 合村願ニ付書上 御管下第一大区九小区 相模国足柄上郡 苅野岩村 一 反別七拾壱町七反三畝八歩 内大縄反別九町弐反三畝歩 一 戸数五拾七戸 一 人員弐百九拾四人 苅野一色村 一 反別弐拾壱町九段三畝拾弐歩 内大縄反別九反八畝廿歩 一 戸数弐拾七戸 一 人員百五拾三人 合反別九拾三町六反六畝廿歩 内大縄反別拾町弐反壱畝廿歩 合戸数八拾四戸 合人員四百四拾七人 右之通取調奉書上候処相違無御座候以上 明治八年三月 苅野岩村 小前惣代 飯田仲右衛門 副戸長 遠藤久左衛門 同 磯崎新右衛門 同 磯崎太郎兵衛 苅野一色村 小前惣代 磯崎新兵衛 副戸長 柏木徳治郎 戸長 武井重三郎 足柄県令 柏木忠俊殿 前書取調奉書上候通相違無御座候依而奥印仕候也 右区 副区長 明治八年三月 武尾弥十郎 (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一三九 足柄上郡中川村他数か村の資力等調査ならびに新村名選定に関する往復文書 第一〇一三号 明治廿一年八月三十一日仕出 明治同年九月一日完了 書記 大島敬義(印) 別紙部長照会ニ関スル件 町村区域其外取調書及通達候処中河村寄村二ケ村及其他ノ件ニ付第三十四号ヲ以テ御照会ニヨリ取調候処右両村ノ外莨村峠下村上中村入河村等何レモ資力標準ニ及ハスト雖モ是等ハ皆山間辟邑他ニ分合ノ見込相立不申地勢上ノ止ムヲ得サルモノニ有之就中新収入金額ノ若少ナルハ入河村ナリ依テ此村ニ付キ支出ニ要スル経費ノ予算額詳細取調書別紙差進候条是ニテ御了解相成度尤其他ノ五ケ村ハ収入ノ多キニ従ヒ増加致度候将又村名之儀ニ付福田村ヲ桜岡峠下村ヲ坂口莨村ヲ菖蒲ト相改度云々御申越ニヨリ再考致候処福田村峠下村ハ御意見至極適当ト存候間御改正相成度候得共莨村ハ旧村各独立ノ勢アリ中ニ就キ最モ富有ニシテ勢力アルハ柳川村之ニ次クハ三廻部村ナリ菖蒲村ハ此次ナリ改ニ合村ノ新名菖蒲ヲ称フルトキハ民心ニ大関係ヲ引起ス哉モ難計蓋此旧四ケ村タル哉煙草ノ耕作ニ熱心年々歳々改良ヲ加ヘ上等品ヲ産出スルニ付莨ノ文字ヲ付称スルトキハ却テ民心ニ適合候ハント依テ選定候儀ニ付莨村ノ称号ヲ御採用相成候様致度御答傍此段申進候也 追テ別紙上申書中御付箋ノ廉取調候処違算ニ付取直シ及再進候也 明治廿一年九月一日 足柄上郡長 白根大道 第一部長 田沼健殿 親展 (別紙一) 入河村自治ニ要スル支出ノ経費予算額 金拾五円 町村長実費 金三拾六円 同 報酬 金拾弐円 町村助役実費 金弐拾四円 同 報酬 金拾八円 収入役給料 金弐拾四円 書記給料 金弐拾四円 使丁給料 小計百五拾三円 金四拾円 役場費 金拾円 国県郡政取扱費 小計五拾円 金拾円 道路費 是ハ木竹費ノミニシテ雇人夫ハ夫役ヲ以テスルニ付本行ノ通リ 金三円 救恤費 金三円 災害予防費 金八円 衛生費 金六円 会議費 金八円 勧業費 小計金三拾八円 合計金弐百四拾壱円 右ノ外小学校費ハ生徒授業料貸出金利子及雑収入ニテ不足ヲ生スルトキハ有志寄付金ヲ募リ以テ維持スル見込ニ候 (別紙二) 第三十四号 町村区域其外取調書御進達ニ付及調査候処新称中河村寄村ノ二ケ村ハ其資力標準ニ及ハサルコト遠シ右ハ地勢上止ムヲ得サルヨリ出タルモノニ可有之候得共自治ニ堪ヘ得ヘキ歟否ヲ見認兼候間尚御取調独立シ得ヘシト見認ラレタル事由及将来此村落ニ於テ支出ヲ要スル経費ノ予算額等詳細御報道有之度且村名御撰定ノ内福田村莨村峠下村ハ御再考相成度福田村ハ桜岡岡本郷桜井郷等ノ称ニ依ル莨村ハ菖蒲旧村中一ノ名ヲ用ユ峠下村ハ坂口等ノ称ヲ付シ候テハ如何或ハ民心ニモ関スヘキ事ニ付尚再応ノ御調査望マシキ事ニ有之候右及御照会候也 明治二十一年八月廿五日 第一部長 田沼健(印) 足柄上郡長 白根大道殿 追テ莨村峠下村上中村モ資力標準ニ対シ幾分ノ不足相見候此分モ将来自治ニ要スル支出予算御取調御回送可有之且別紙書類違算相見候間一応及御返却候御訂正之上至急御差出相成度候也 (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一四〇 町村分合をめぐる県知事沖守固の訓令および諮問事項 訓令甲地第十九号 町村制施行準備ノ為メ此際町村ノ分合ヲ要スルモノ下調書差出候ニ付テハ尚各戸長及重立ノ者ヘ諮問シ其顚末ヲ具申スヘシ 右及訓令候也 明治廿一年九月五日 神奈川県知事 沖守固(印) 足柄上郡長 白根大道殿 一 新町村ノ区画並ニ村名役場位置ノ適否ヲ戸長ニ諮問スルコト 一 区長等ニ対シ戸長ノ意見適当ト認ムルトキハ之ヲ修正スルヲ得ルコト 一 戸長ノ諮問ヲ終リタルトキハ郡内重立タルモノヲ適宜招集シ其意見ヲ諮問スルコト 但招集ノ場所日限ハ前以県庁ヘ通報スルコト 一 人民ノ意見町村制ノ本旨ニ適セスト認ムルモノハ十分其得失ヲ説明スルコト 一 村名並ニ役場位置等ハ可成人民ノ撰定ニ任スルコト 一 前各項ノ手続キ終リタルトキハ訓令第 号ニ依リ意見書ヲ添ヘ九月三十日限リ知事ヘ具状スル事 一 郡界ノ更正ニ係ルモノハ人民ノ情願ニ出ルモノヽ外一切変更セサルコト (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一四一 足柄上郡金子神縄両村の町村制施行に関する上申書(一-二) (一) 上申書 過日町村制ノ義ニ付拙者等ヘ御諮問相成候ニハ該制ハ一村ノ負担経費年額一千円以上ヲ支弁スルノ資力ナキモノハ独立スルヲ得ズ故ニ十七年度以来ノ実費支払高平均ヲ見ルニ一モ一千円ニ満タス因テ金子村モ現今ノ連合村ヲ合併シ法律ノ希望スル有力ノ村ヲ造成セントス〓ニ於テ各自一己ノ意見ヲ聞キタシト之ニ因テ拙者等ノ意見ハ固ヨリ金子村ハ独立ヲ希望スト雖モ如斯制規ニテアレハ到底独立ノ資力ナシト思考シ金手村神山村トヲ本村ニ合併スルトキハ一千円ニ近キ経費ヲ支弁スベキ資力ヲ有スル村ニ至ラン殊ニ連合五ケ村ヲ合併スルトキハ地形人情相異ナルニョリ山岳党トカ堤防党トカ平地党トカニ別レ自然共同一致ナラス随テ公益ヲ害スルニ至ラン既ニ連合村会賦課法ノ目ニ都度ノ議論囂々タルヲ以テ将来ヲトスベキモノナレバ右三ケ村合併ニテ差置レ度申上候 然ルニ帰宿後町村制ヲ繙読スルニ一村年額一千円以上ノ経費ヲ負担スルニ堪ヘズトモ独立スルヲ得ルヤニ解得セリ将シテ然ラハ前説ヲ改テ上申セザルベカラザルナリ 抑モ金子村ハ戸数弐百廿有戸人口千五百ニ及ハントシ地価金殆ント拾弐万円ヲ有セリ之レニ因テ見レハ資力法律上ノ義務ヲ負担スルニ堪ヘズトハ云フベカラサルモノナリサレバ他村ト合併シ財源ヲ濶ムルモ施政ニ不便ヲ来タスヨリハ寧ロ独立シテ其本分ヲ尽スニ如カサランヤト存候仍テ此段謹テ上申仕候也 明治廿一年九月廿三日 足柄上郡金子村 石井四郎兵衛(印) 小野金太郎(印) 足柄上郡長代理 足柄上郡書記 内藤誉三郎殿 (二) 町村制ニ付上申書 足柄上郡神縄村人民惣代山崎徳次郎外八人奉申上候今般町村制御実施ニ付従来之村方僅少ニ付御庁ニ於テ地勢風俗等御酌量被為在山市場村神縄村世附村中川村玄倉村及川西村乙部合セテ六ケ村合併入河村ト改称候様御諭達之趣難有拝承一同感服仕リ以後協心戮力信義ヲ守リ一村ノ隆盛ヲ計リ地方自治ノ制ヲ完カラシメ以テ国恩ノ万分ノ一モ奉報ト想像罷在候ヘ共右六ケ村ノ内御諭達ニ悖リ不服申立分離ニ相成候村方モ有之候上ハ不得止一村独立ト遣感ナガラ一同決心仕候間右両件ノ内一件御採用被成下置候様挙而奉懇願候也 明治廿一年十月 足柄上郡神縄村 一村総代 山崎徳次郎(印) 同 山崎久次郎(印) 同 山崎利三郎(印) 同 山崎七五郎(印) 同 山崎桑三郎(印) 同 山崎伊三郎(印) 同 大胡田安五郎(印) 同 石渡豊次郎(印) 同 大胡田喜三郎(印) 神奈川県足柄上郡長代理 内藤誉三郎殿 (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一四二 足柄上郡山田村他二か村の合併問題に関する意見書(一-三) (一) 御答書 一 今般町村制御施行ニ相成候ニ付テ者最寄村ニ合併致候方可然旨聊御申聞有之候得共本村之義者四圜山岳中之一村ニシテ戸数ハ八百弐拾余戸有之加之山村ト雖モ地価三万弐千何百余円余有之尤一村独立者自然ニ備リ居リ候村方ニ御座候得者他村ヘ合併等致候テハ不便者勿論本村之不利益ハ目前ニ候依テ已後独立之覚悟ニ御座候仍テ村民惣代連署ヲ以テ此段御答差上申候也 明治廿壱年九月卅日 右 足柄上郡山田村 村民惣代 渡辺歌次郎(印) 香川舎次朗(印) 内田桑次良(印) 瀬戸佐兵衛(印) 瀬戸次右衛門(印) 野村磯太郎(印) 古谷儀助(印) 足柄上郡長代理 足柄上郡書記 内藤誉三郎殿 (二) 御答書 足柄上郡神山村 去月廿八日町村制御施行区域之儀ニ付御招喚相成候依テ拙者共惣代トシテ出頭意見具申候処各村意見ヲ異ニシ一決セサルヨリ尚帰村之上人民ニ協議ヲ遂ケ確答可致旨御命令相成候間篤ト審議シ其結果左ニ開陳候 当神山村之如キハ独立シ法律上ノ義務ヲ尽クス能ハサルヲ以テ近傍有力ノ村ト合併セサルヲ得ス然レトモ人情ノ協ハサル経済ノ異ナル松田両村ト連合シ後来ノ損害紛議ヲ生スルヲ憂ヒ且又地勢ニ於テモ合併ノ不便ヲ唱ヘ居リ候依テ当村ハ金子村金手村ト合併シ一新村ヲ設立スルニ於テハ水利ノ便其他経済ノ点ニ至リテモ敢テ差違アルニアラス且又資力ノ如キモ充分法律上ノ義務ヲ尽クスヲ得ル義ニ有之人民一同ニ於テモ右合併ハ異存無之ノミナラス希望スル所ニ御座候間松田惣領松田庶子ヲ分離シ右三ケ村合併之義ニ相成候様一決仕候右御答申上候也 明治廿一年十月一日 右村 橋本為吉(印) 北村源之丞(印) 足柄上郡長代理 足柄上郡書記 内藤誉三郎殿 (三) 御答書 足柄上郡金手村 去月廿八日町村制御施行区域之義ニ付御招喚相成候依テ拙者共惣代トシテ出頭意見具申候処各村意見ヲ異ニシ一決セザルヨリ尚帰村之上人民ニ協議ヲ遂ケ確答可致旨御命令相成候間篤ト審議シ其結果左ニ開陳候 当金手村之如キハ独立シ法律上ノ義務ヲ尽クス能ハザルヲ以テ近傍有力ノ村ト合併セザルヲ得ス然レトモ人情ノ協ハザル経済ノ異ナル松田両村ト連合シ後来ノ損害紛議ヲ生スルヲ憂ヒ且又地勢ニ於テモ合併ノ不便ヲ唱ヘ居リ候依テ当村ハ金子村神山村ト合併シ一新村ヲ設立スルニ於テハ水利ノ便其他経済ノ点ニ至リテモ敢テ差違アルニアラズ且又資力ノ如キモ充分法律上ノ義務ヲ尽クスヲ得ル義ニ有之人民一同ニ於テモ右合併ハ異存無之ノミナラス希望スル所ニ御座候間松田惣領松田庶子ヲ分離シ右三ケ村合併之義ニ相成候様一決仕候右御答申上候也 明治廿一年十月一日 右 藤沢才三郎(印) 諸星五右衛門(印) 大津音次郎(印) 諸星惣五郎(印) 足柄上郡長代理 足柄上郡書記 内藤誉三郎殿 (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一四三 愛甲郡棚沢村他四か村の合併問題をめぐる副申書 町村制実施上ニ付意見副申書 右者這回地方制度実施上町村廃置分合方ニ付曩キニ夫々意見上陳仕置候所已ニ実地御施行ノ場合ニ差迫リ候趣ニ付テハ敢テ利害ノ係ル処ヲ陳述シ左ニ上申仕候 抑我々現組合五ケ村ノ地タル自ラ地勢人情ヲ異ニシ且ツ旧来ノ縁故アルニ非ズ加之明治十七年役場区画御発布以来ノ実践ニ因ルモ到底一団ノ自治体ヲ組織シ以テ永遠ノ運動ヲ共ニスル能ハザルモノト確信セリ然リ而テ之ガ新区域ヲ画セントセバ勢ヒ他ノ部落ニ及ハザルヲ得ズ因テ新村編成方及其理由左ニ上陳仕候 新村編成区画 一 下川入村棚沢村ト〔中津村八菅山村〕トヲ合ス 一 妻田村及川村三田村ト〔林村〕トヲ併ス 其理由 現在ノ三田村外四ケ村連合ヲ分離ス可キ理由左ノ如シ 一 夫現組合五ケ村ノ地タル其区域甚ダ広袤ニ過ギ南妻田村ハ厚木町境ニ起リ北棚沢村者八菅山村境ニ亘リ殆ド中津村ノ北端ニ相接ス其長キコト大慨弐里半程ニ及ブ特ニ及川村ハ妻田三田両村ノ西方ニ突出シ下川入村ハ棚沢村ト中津村ヲ狭ミ東ノ方ニ突出ス是ヲ以テ其交通ノ不便ナル及川村ノ如キハ隣村下萩野村ヲ通過スルニ非ザレバ中央三田村ト往復スル能ハズ下川入村モ亦迂回シテ才戸越エノ一路アルノミ斯ク地形相隔絶シ従テ各部民人散在離居セルヲ以テ自然風俗人情ヲ異ニシ到底一致団結スル能ハザルモノト確信ス 一 前項ノ如キ地形ナレバ小学校ニ至テモ其中央ニ校舎ヲ設立スルモ生徒ヲシテ如何ゾ通学セシムルヲ得ンヤ既ニ通学スルヲ得ズトセバ勢ヒ数個ノ学校ヲ設置セザルヲ得ズ而テ斯クスルトキハ自然資金ニ不足ヲ来シ到底完全ナル教育ヲ施ク能ハザルハ既往ノ実跡ニ徴シテ争フ可カラザルノ現象ナリトス 一 前陳ノ理由ナルヲ以テ明治十七年戸長役場区画御発布アルヤ我々村民タル者私カニ謂ク如何ナル理由アッテ斯ク風俗人情ノ異ナル地理不便極リナキ村々ヲ以テ敢テ連合セラレタルカ当時ハ只組合村ナルヲ以テ一時ノ御政略上止ムヲ得ザルコトノ在アリテ斯クセラレンモノニシテ決シテ永遠之レヲ維持スルニ非ザルコトト想像シ荏苒歳月ヲ経過スルニ従ヒ漸々其不便ヲ実践シ〓ニ自治区ヲ制定スルニ方リ到底分離セザルヲ得ザルモノニシテ決シテ倶ニ運動ス可ラザルコトト確信セリ 下川入村棚沢村両村ヲ中津組ニ編入セントスル理由左ノ如シ 下川入村棚沢村中津村及八菅山村ノ地タル元来一村ニシテ中津川ノ両岸ニ散在シ自カラ一群ヲ為シ地勢人情ヲ同フシ天然自然ノ自治区ヲ組成セルモノナリ而テ土地ノ如キモ三ケ村犬牙相接シ共有地其他連帯ス可キ事件数多ニシテ強テ之ヲ分離スルトキハ其不便焉ヨリ大ナルハナシ 一 下川入村棚沢村中津村三ケ村共有地秣山凡反別七十丁歩畑凡反別五町歩其他ノ土地数多ヲ有セリ故ニ一村ト為シ之ガ保護ヲ完フスルトキハ将来ニ於テ基本財産ヲ増殖スル最モ容易ノ事ナリトス一 三ケ村接続ノ田地ニ灌漑スル用水路アリテ是亦連帯シテ処理ス可キモノナレバ利害上避ク可カラザルノ関係ヲ有スルモノニシテ若シ一村ト為シ之レヲ管理セザルトキハ大ニ不便ナルモノナリトス 一 前項ノ外下川入村ノ灌漑ニ供スル用水堰アリテ地勢上少シク水路ニ変更ヲ来ストキハ直チニ中津村ニ影響シ若シ村落ヲ異ニスルトキハ従テ利害ヲ異ニシ或ハ争論ヲ惹起スル恐アリ 一 亦堤防ノ如キモ三ケ村ニ亘レル水害区域アリテ合シテ一村ト為シ以テ之レガ管理ヲ為サヾル可カラザルノ必要アリ 一 八菅山村ノ如キハ旧来前三ケ村ヨリ支分セル村落ニシテ直接ノ関係ヲ保ツモノナレバ勿論共同スヘキモノナリ且ツ現ニ三ケ村ノ氏神ノ鎮座セルノ地ニシテ殊更合併ノ必要ヲ感ズルモノナリ 一 三ケ村ニ点在セル飛地夥多アリテ若シ之ヲ別村トナストキハ該地組替ノ為メ大イナル不便ヲ生スルノ恐アリ前已ニ述ブルカ如ク下川入棚沢中津三ケ村ハ密接ノ関係ヲ有シ先年有名ノ訴訟件ヲ生シ為メニ貴重ノ歳月ト財産トヲ徒費スル鮮少ニアラズ畢意此ノ訴訟ヲ生セシハ生来ノ一村ヲ分離セシノ結果ニシテ之レガ后来ヲ予防スルハ亦村落ヲ合併シ利害ノ及ブ処ヲ倶ニスルニ若カザルナリ一 前数項ノ理由ヲ確メン為メ古来ニ成立シタル図面ノ騰写ナシ以テ冊尾ニ添付ス幸ニ御参観アランコトヲ希望ス 但書面中新戸村トアルハ現今ノ下川入村ニシテ熊坂村ハ中古別シテ熊坂半縄八菅ノ三村トナリ合シテ目今中津村ト為ス是ニ棚沢村ヲ加ヘ古来総称シテ川入即チ五ケ村ト云ヒシナリ 妻田村及川村三田村ヘ林村ヲ加フルノ理由左ノ如シ 三田妻田両村ノ如キハ耕地連綿相接シ地勢上自然相分離ス可カラザルモノナリ而テ林及川両村ノ地勢タル妻田村ト小鮎川ノ対岸相接続シ是亦倶ニ団結ス可キモノナリトス而テ此ノ四村ヲ合併セハ地形最モ宜キヲ得テ一個天然ノ好自治体ヲ組成セルモノナリト確信セリ 一 林村用水ハ及川村地内ヨリ堰入レ以テ水田ニ灌漑ス然シテ亦妻田村用水モ及川村ニ関係シ自然三ケ村交互関係ヲ有スル村落ニシテ是合併セサルヲ得サルモノナリトス 一 妻田村及川村林村三ケ村ハ共ニ小鮎川ノ沿岸ニ在リテ堤防ノ如キ勢ヒ共ニ為ザルヲ得ズ加之小鮎川ノ水路タル蜿々屈曲殊ニ甚シク為メニ年々水害ヲ生シ良田ヲ損スル鮮少ニアラズ故ニ村落ヲ合併シ共同一致水路ノ更生ヲ施サバ自然水害ヲ除去シ之レニ替フルニ幾多ノ耕地ヲ達成スルニ至ラバ豈一挙両得ノ策ナラズヤ 一 小学校ノ如キ従来妻田及川両村ノ設立ニ係ル校舎アリテ現今三田村ノ一部通学セリ而シテ其位置恰モ今回新設村落ノ中央ニ当リ部内児童ヲシテ一所ニ通学セシムルニ最モ便宜ニシテ而シテ一村ノ全力ヲ以テ此一校ヲ維持セバ経済上自カラ余裕ヲ生シ従テ完全ナル教育ヲ施スヲ得将来ニ於而学事ノ進歩スル我々ノ信ジテ疑ハザル処ナリ 一 及川村ノ一部ニハ曽テ林村ノ所属ナル土地民家アリシガ地租改正ノ際示談ヲ以テ及川村ニ組替ヘタリ此ノ如キ事情アルカ故目今ニ至ルモ両村密接ノ関係ヲ生ジ到底同一ノ村落ト為サヾルヲ得ザルモノナリ 一 妻田及川両村ノ精神タルヤ下川入棚沢両村ヲ中津村ヘ編入スル前已ニ陳ブル如キノ理由アリ加之地形上合併セザルヲ得ズ仮リニ下川入棚沢両村ニ於テ是迄ノ連合区域合併ヲ是ナリトスルモ妻田及川両村ニ於テハ地形上ノ不便ヲ以テ断ジテ之ヲ分離シ以テ妻田三田及川林四村ヲ合併セントス亦中津村ニ於テモ下川入棚沢両村ノ合併ヲ望マントスルモ妻田及川両村ニ於テハ下川入棚沢ノ合併ハ飽ク迄之ヲ拒絶セントス斯クノ如キトキハ何レヘ合併シテ可ナルヤ是レ最モ密接ノ関係アル村々ヲ以テ合併スベキハ当然ノ理由ナリト信認セリ 右之通意見副申仕候条事実御洞察願意御採用被成下度此段上申候也 明治二十一年十月 神奈川県愛甲郡棚沢村八拾壱番地平民 柏木徳太郎 同郡同村第八拾八番地平民 橘川富三郎 同郡同村九拾壱番地平民 山口五三郎 同郡同村六拾三番地平民 橘川重平 同郡同村(欠字) 原太郎 同郡同村九百六拾九番地平民 原紋次郎 同郡同村千七番地平民 原太伊七 同郡同村千六拾九番地平民 原定次郎 同郡同村千七拾三番地平民 原勇次郎 同郡同村千八拾壱番地平民 原十平 同郡同村千五拾四番地平民 林熊吉 同郡同村千五拾八番地平民 林惣右衛門 同郡同村五百七拾六番地平民 関原辰五郎 同郡同村五百六拾六番地平民 関原五郎吉 同郡同村五百六拾八番地平民 関原弥平治 同郡同村五百五拾八番地平民 関原孫平 同郡同村五百五拾七番地平民 関原富造 同郡同村五百廿五番地平民 関原次作 同郡同村五百六番地平民 関原市郎 同郡同村五百五拾四番地平民 関原繁造 同郡同村四百六拾壱番地平民 関原要八 同郡同村四百六拾番地平民 柏木郷次郎 同郡同村四百三拾弐番地平民 柏木幸吉 同郡同村五百拾七番地平民 柏木亀吉 同郡同村百四拾六番地平民 和田佐十郎 同郡同村百五拾弐番地平民 和田与五八 同郡同村百四拾壱番地平民 柏木新作 同郡同村百三拾七番地平民 柏木和十郎 同郡同村百弐番地平民 森田定吉 同郡同村百三番地平民 森田富士吉 同郡同村百廿五番地平民 柏木長太郎 同郡同村百壱番地平民 柏木藤七 同郡同村九拾九番地平民 柳田藤八 同郡同村九拾番地平民 柏木仁三郎 同郡同村八拾五番地平民 柏木弥之吉 同郡同村九拾七番地平民 山口杢八 同郡同村六拾弐番地平民 橘川加吉 同郡同村五拾九番地平民 柏木弥太郎 同郡同村弐拾八番地平民 井上茂作 同郡同村三拾九番地平民 柏木金次郎 同郡同村弐拾六番地平民 柏木作平 同郡同村弐拾四番地平民 柏木源八 同郡同村弐拾壱番地平民 柏木宇平治 同郡同村拾六番地平民 柏木長五郎 同郡同村拾弐番地平民 柏木浪五郎 同郡同村八番地平民 柏木平十郎 同郡同村七番地平民 柏木庄平 同郡同村五番地平民 柏木市十郎 同郡同村百廿六番地平民 柏木作太郎 同郡同村四番地平民 柏木源七 同郡同村百六拾弐番地平民 柏木四郎 同郡同村弐拾九番地平民 遠藤由五郎 同郡同村弐百八拾弐番地平民 橘川繁八 同郡同村弐百拾六番地平民 榎本常吉 同郡同村三百七番地平民 宮田四郎平 同郡同村三百拾八番地平民 遠藤元三郎 愛甲郡下川入村第壱番地平民 亀川浅次郎 同村三百弐番地平民 松野藤次郎 同村三百七番地平民 松野房五郎 同村五百三十七番地平民 小宮保次郎 同村三百四拾三番地平民 松野治郎 同村三百四拾八番地平民 小宮清吉 同村三百四拾九番地平民 亀川荘吉 同村五百八拾七番地平民 鈴木福太郎 同村六百五番地平民 鈴木長太郎 同村六百拾八番地平民 鈴木まん 同村六百拾九番地平民 鈴木万五郎 同村六百廿弐番地平民 鈴木高次郎 同村六百四拾番地平民 宮田善作 同村六百四拾四番地平民 宮田秀五郎 同村六百四拾五番地平民 宮田八五郎 同村六百四拾八番地平民 鈴木琴次郎 同村六百四拾九番地平民 鈴木清次郎 同村六百五拾番地平民 松野藤次郎 同村千五百三拾弐番地平民 松野荘太郎 同村千五百廿五番地平民 松野勇次郎 同村千五百廿六番地平民 松野浜太郎 同村千五百廿四番地平民 松野八郎 同村千五百廿三番地平民 松野鉄五郎 同村千五百拾六番地平民 松野房次郎 同村千五百拾七番地平民 松野文作 同村千五百拾九番地平民 松野金太郎 同村千四百六拾五番地平民 佐野貞次郎 同村千四百拾弐番地平民 佐野七郎 同村千四百八番地平民 笹生弥之助 同村千四百七番地平民 笹生藤八 同村千四百廿弐番地平民 鈴木豊次郎 同村千四百廿番地平民 鈴木伊八 同村千四百壱番地平民 笹生弥太郎 同村九百六拾八番地平民 亀川倉吉 同村千四百壱番地平民 笹生秋次郎 同村九百七拾五番地平民 大川市作 同村九百九拾三番地平民 大川芳五郎 同村九百九拾四番地平民 鈴木重郎平 同村九百九拾五番地平民 鈴木平造 同村九百九拾七番地平民 佐野伊之助 同村千弐百番地平民 小宮兵治 同村九百廿番地平民 佐野安太郎 同村九百拾番地平民 佐野平十郎 同村九百七番地平民 小宮惣平 同村八百九拾七番地平民 大川友七 同村八百九拾三番地平民 清水菊次郎 同村八百九拾弐番地平民 清水愛次郎 同村九百四拾五番地平民 鈴木喜代五郎 同村千百五番地平民 松野米吉 同村千百弐番地平民 亀川唯助 同村千百壱番地平民 笹生徳太郎 同村千拾番地平民 市川五右衛門 同村千百四拾四番地平民 和田卯之助 同村五百廿三番地平民 川崎鯛次郎 同村五百廿九番地平民 亀川伊三郎 同村五百三拾壱番地平民 笹生角太郎 同村五百三十三番地平民 小宮半五郎 同村四百四拾六番地平民 笹生織蔵 同村五百三十八番地平民 小宮新平 同村五百四拾壱番地平民 笹生与次右衛門 同村五百四拾五番地平民 小宮八重吉 同村五百四十六番地平民 笹生森三郎 同村五百五拾五番地平民 笹生為吉 同村四百三拾弐番地平民 渋谷照吉 同村四百四拾五番地平民 小宮惣次郎 同村四百四拾八番地平民 小宮由五郎 同村四百四拾七番地平民 渋谷助之丞 同村四百五拾四番地平民 小宮丹次郎 同村四百七拾八番地平民 小宮長吉 同村四百七拾七番地平民 小宮八十吉 同村四百七拾弐番地平民 笹生峯五郎 同村四百七拾弐番地平民 市川竜蔵 同村四百八拾五番地平民 小宮岡次郎 同村四百八拾六番地平民 小宮太郎兵衛 同村四百八拾七番地平民 笹生七五郎 同村四百九拾番地平民 小宮仙太郎 同村四百九拾八番地平民 小宮金次郎 同村四百九拾九番地平民 笹生満造 同村五百三番地平民 市川兼吉 同村五百四番地平民 市川八百蔵 同村五百弐番地平民 笹生勇吉 同村五百五番地平民 符生駒吉 同村五百九番地平民 笹生和三郎 同村五百拾弐番地平民 笹生重左衛門 同村千六百拾三番地平民 山辺茂兵衛 同村千六百拾八番地平民 山辺峰吉 同村千六百壱番地平民 原清十郎 愛甲郡妻田村弐拾三番地平民 川井瀞 同村千六百八拾五番地平民 川嶋勝次郎 同村千三拾五番地平民 石川藤吉 及川村九百四拾四番地平民 沼田初五郎 棚沢村六拾三番地平民 橘川文次郎 同村三百八番地平民 橘川周吉 下川入村千五拾八番地平民 笹生稲八 同村千五拾七番地平民 笹生繁太郎 及川村第九百九拾七番地平民 遠藤寅吉 同村五百五拾壱番地平民 遠藤貞三郎 同村五百九拾五番地平民 桐生善平 同村五百六拾弐番地平民 土屋倉吉 同村九百五拾弐番地平民 田所栄八 同村千百七拾壱番地平民 栗原重吉 同村九百三拾三番地平民 桐生浅次郎 同村五百八拾七番地平民 桐生平三 同村千弐百廿番地平民 栗原佐次平 同村六百三拾五番地平民 嶋崎石蔵 同村五百九拾三番地平民 和田長三郎 同村六百廿一番地平民 岩本治郎吉 同村六百壱番地平民 岩本佐太郎 同村六百弐番地平民 桐生長五郎 同村八拾六番地平民 瀬戸伊之吉 同村百五拾六番地平民 和田嘉重郎 同村弐百五拾三番地平民 佐藤彦太郎 同村百七拾六番地平民 佐藤重作 同村九百五拾五番地平民 田所定吉 同村九百六拾壱番地平民 遠藤忠八 同村九百五拾三番地平民 高橋平八 同村五百八拾四番地平民 尾上五郎平 同村百六拾三番地平民 和田広吉 同村九百八拾七番地平民 今井直吉 同村千弐百四拾六番地平民 加藤伝重郎 同村千七拾壱番地平民 渋谷嘉平 同村五百五番地平民 落合孫七 同村五百六拾五番地平民 浅葉馬次郎 同村九百六拾番地平民 箕口福太郎 同村九百三拾七番地平民 中村幸次郎 同村九百三拾九番地平民 田所新次郎 同村九百四拾弐番地平民 加藤秀五郎 同村九百三拾五番地平民 桐生元七 同村千四拾四番地平民 三角実五郎 同村九百四拾九番地平民 田所三吉 同村弐百三拾五番地平民 今井宅造 同村千百拾六番地士族 本間鉄三郎 同村千百拾四番地平民 桐生又八 同村五百拾五番地平民 細野浜吉 同村五百九拾弐番地平民 土屋伊三郎 同村弐百六拾九番地平民 田中増五郎 同村弐百五拾八番地平民 田中半次郎 同村五百拾六番地平民 細野杢平 同村 田所喜代造 同村百七拾四番地平民 加藤忠次郎 同村千八拾七番地平民 高崎吉平 同村五百拾七番地平民 三角重太郎 同村四百九拾九番地平民 落合兵吉 同村五百拾番地平民 細野松太郎 同村四百七拾九番地平民 広瀬辰五郎 同村千弐百五拾弐番地平民 安藤国造 同村千弐百五拾番地平民 安藤仲五郎 同村千弐百五拾三番地平民 栗原峰吉 同村千弐百三拾番地平民 長坂愛次郎 同村千弐百六番地平民 長坂喜次郎 同村千弐百四拾七番地平民 長坂丸吉 同村千弐百五番地平民 長坂林吉 同村千百六拾六番地平民 栗原熊次郎 同村千弐百廿三番地平民 栗原半六 同村千弐百廿七番地平民 栗原兼吉 同村千弐百拾弐番地平民 神戸善吉 同村千七拾弐番地平民 渋谷鈴吉 同村九百九拾番地平民 土屋六三郎 同村千弐百拾六番地平民 加藤与三郎 同村千八拾六番地平民 高崎弥五八 同村八拾四番地平民 渋谷亀吉 同村四百八拾壱番地平民 小島秀五郎 同村千百六拾六番地平民 浅葉周造 同村五百九拾四番地平民 桐生金次郎 愛甲郡妻田村五百廿三番地平民 吉村徳三郎 同郡同村五百廿弐番地平民 清田時造 同郡同村五百廿四番地平民 吉村栄次郎 同郡同村五百六番地平民 水島新八郎 同郡同村五百五番地平民 湯沢豊吉 同郡同村五百廿五番地平民 石田岩次郎 同郡同村五百参番地平民 湯沢谷造 同郡同村五百廿六番地平民 又村末吉 同郡同村六百四拾七番地平民 山口滝次郎 同郡同村四百八拾番地平民 湯沢初造 同村六百五拾番地平民 清田たか 同村六百四拾八番地平民 清田宗八 同村四百七拾九番地平民 吉村辰五郎 同村四百七拾五番地平民 吉村熊次郎 同村六百五拾壱番地平民 加藤徳太郎 同村四百七拾壱番地平民 山口友次郎 同村六百五拾四番地平民 山口栄次郎 同村四百六拾七番地平民 水島善吉 同村四百六拾弐番地平民 篠崎金太郎 同村四百六拾壱番地平民 篠崎万吉 同村四百五拾六番地平民 島村甚八 同村四百六拾五番地平民 鷹嘴喜八 同村四百九番地平民 小池儀八 同村四百五拾弐番地平民 丑村辰五郎 同村四百五拾番地平民 酒川福太郎 同村四百四拾五番地平民 八田今造 同村四百四拾四番地平民 八田網五郎 同村四百四拾三番地平民 加藤辰造 同村四百三拾六番地平民 小田川松五郎 同村四百三拾四番地平民 小田川重吉 同村四百三拾三番地平民 小池房次郎 同村四百三拾弐番地平民 小池広吉 同村四百三拾壱番地平民 又村円造 同村四百廿八番地平民 飯島長吉 同村四百廿七番地平民 安達竹造 同村四百廿六番地平民 長野亀吉 同村四百廿五番地平民 長野竹次郎 同村三百九番地平民 亀井彦次郎 同村三百七番地平民 畠山常次郎 同村三百四番地平民 亀井栄吉 同村三百六番地平民 篠崎倉太郎 同村三百八番地平民 足立茂平 同村三百壱番地平民 福山米造 同村三百壱番同号地平民 加藤紋吉 同村三百番地平民 長野庸 同村弐九百拾九番地平民 篠崎嘉吉 同村弐百九拾五番地平民 加藤弥平次 同村弐百九拾四番地平民 加藤惣次郎 同村弐百九拾弐番地平民 足立米吉 同村弐百八拾六番地平民 足立弥太郎 同村弐百九拾壱番地平民 小島吉造 同村弐百九十番地平民 柴田元次郎 同村千四百九番地平民 後藤喜十郎 同村千四百拾番地平民 中川時造 同村弐百七拾番地平民 小島徳太郎 同村弐百七拾三番地平民 小島平造 同村弐百七拾四番地平民 又村松五郎 同村弐百七拾六番地平民 中川浅次郎 同村弐百七拾八番地平民 中川勘太郎 同村弐百五拾三番地平民 永野格次郎 同村弐百五拾七番地平民 永野常次郎 同村弐百五拾八番地平民 福山平八 同村弐百六拾弐番地平民 小池高次郎 同村弐百六拾五番地平民 小池悦造 同村千九百九拾弐番地平民 三浦脩 同村千九百九拾四番地平民 紫村角次郎 同村千九百九拾五番地平民 島村近三郎 同村千九百九拾七番地平民 島村熊次郎 同村千九百九拾六番地平民 沼田栄次郎 同村三百九番地平民 亀井数太郎 同村弐百六拾四番地平民 北村伝吉 同村弐千弐番地平民 藤井武平 同村弐千壱番地平民 藤井定七 同村弐千七番地平民 柴田源造 同村千九百九拾九番地平民 柴田佐吉 同村弐千壱番地平民 藤井和重郎 同村弐千九番地平民 篠崎清五郎 同村弐百四拾六番地平民 柴田和吉 同村弐千七拾番地平民 小島伝吉 同村弐百四拾五番地平民 永野勘一郎 同村弐百四拾三番地平民 石井由五郎 同村二百四拾弐番地平民 石井常八 同村弐百廿六番地平民 森田佐平 同村百九拾六番地平民 福山孫七 同村百九拾五番地平民 福山富次郎 同村百九拾四番地平民 福山鎌三郎 同村弐千七拾六番地平民 永野彦太郎 同村百番地平民 川井則太郎 同村七拾九番地平民 川井新太郎 同村百壱番地平民 川井斧吉 同村百三番地平民 中野太郎吉 同村百五番地平民 川井弥八 同村九拾八番地平民 中野幸太郎 同村九拾番地平民 川井勝造 同村三拾九番地平民 中野千代吉 同村九拾二番地平民 川井徳三郎 同村九拾弐番地平民 川井彦八 同村四拾四番地平民 中野喜平 同村九拾四番地平民 中野留吉 同村八拾七番地平民 中野庄太郎 同村百拾六番地平民 新倉乙次郎 同村八拾四番地平民 金子弥市 同村八拾五番地平民 又村新七 同村三拾七番地平民 川井咲次郎 同村六拾七番地平民 藤井はつ 同村六十六番地平民 藤井勝五郎 同村六拾壱番地平民 新倉辰五郎 同村六拾弐番地平民 高沢磯吉 同村拾壱番地平民 藤井滝次郎 同村拾番地平民 藤井嘉十郎 同村拾弐番地平民 藤井源七 同村拾三番地平民 伊波伊三郎 同村六十番地平民 藤井金太郎 同村五拾五番地平民 藤井茂八 同村拾七番地平民 金子平次郎 同村五拾三番地平民 藤井久太郎 同村五拾弐番地平民 高沢松五郎 同村弐千弐百五拾番地平民 中野浅五郎 同村弐千三百五番地平民 川井周次郎 同村弐千三百五拾壱番地平民 川井為五郎 同村弐千三百五拾弐番地平民 又村重造 同村弐千三百八拾弐番地平民 川井為三郎 同村弐千三百八拾壱番地平民 中野佐太郎 同村四百三拾九番地平民 石川真次郎 同村千四拾弐番地平民 石川長次郎 同村千四拾六番地平民 石川福太郎 同村千四拾七番地平民 鈴木初造 同村千四拾八番地平民 鈴木房次郎 同村千五拾七番地平民 鈴木吉造 同村千六拾三番地平民 沼田万次郎 同村千九百九拾九番地平民 沼田浅吉 同村千六拾七番地平民 沼田佐吉 同村千百弐番地平民 落合海造 同村千七拾弐番地平民 落合ラク 同村千六拾八番地平民 落合馬次郎 鈴木嘉七 同村千七百弐番地平民 鈴木保太郎 同村千六百九拾四番地平民 福山貞次郎 同村千六百九拾弐番地平民 森吉五郎 同郡下川入村九百九拾弐番地平民 大川永次郎 同村四百九拾六番地平民 笹生和吉 同郡妻田村千七百番地平民 福山ゆき 同村弐百四拾七番地平民 永野茂 同村九百三番地平民 佐野市郎 同村千九拾六番地平民 神奈川県愛甲郡長 原豊穣殿 神奈川県愛甲町三田村外四ケ村戸長 村上安次郎 (注)図面略。 (柏木喜重郎氏蔵) 一四四 足柄上郡柳川村他二か村村民の組合村分離をめぐる上願書 御説諭願 今般町村制御発布ニヨリ当部内三廻部村ノ義ハ旧来ヨリノ当部内ヲ分離シテ寄村ヘ合併ヲ主張シ村民連署シテ御庁ニ出願セシ由然レトモ該村ノ義ハ往昔ヨリ山林原野ノ秣場ニ至ル迄四ケ村ノ入会タリ况ヤ学校ノ如キモ四ケ村ノ学区内タリ将明治十七年度改正ノ連合役場之際モ三廻部村ハ当部内タルヲ拒ミ寄村ニ連合セント欲シテ御庁ニ請願スルト雖モ御庁ノ御説諭ニヨリテ更ニ当部内タルコトヲ承諾セリ然ルヲ又這回ノ御制度ニ際シ当部内ヲ分離シテ寄村ヘ合併センコトヲ請願スル該村民ノ精神甚ダ了解シ難シ畢竟該村ノ如キハ一般ノ団結ノ意ヨリ出タル者ニ非ズ僅一二ノ分離説ヲ主張スル者アリテ其村民ヲ鼓舞スル者ト想像ス元来村民ノ動揺ト認ムルトキハ鎮圧シテ此政体ヲ補佐スルガ本意ナリ然ルヲ却テ其私情ヲ採リ村民ヲ仰圧セシハ其村民ニシテ分離主張者ノ意胆ニ触ルヽヲ恐レ其意ニ靡キテ調印セシモノト想像ス克ク之ヲ顧レバ住昔ヨリ連合ニ成立タル此部画ヲ脱スルト雖モ前三ケ村ノ秣場共有地等ノ不便ヲ来ス一元素ナリ〓ニ唱ル分離ハ将来ノ不便ヲ来タスコト必セリ前三ケ村ニ於テ此分離ハ大ニ困難アリ依テ三廻部村人民ニ対シ御庁ノ御意見ヲ以テ分離無之様篤ト御説諭被成降度人民惣代連署シテ以テ奉上願候也 明治二拾壱年 十壱月九日 足柄上郡柳川村 人民惣代 守屋森右衛門(印) 熊沢又造(印) 熊沢与二右衛門(印) 和田庄兵衛(印) 加藤太平(印) 同郡菖蒲村 人民惣代 秋山周吉(印) 須藤藤吉(印) 府川源左衛門(印) 飯塚春五郎(印) 同郡八沢村 人民惣代 吉岡市之丞(印) 牧石庄兵衛(印) 小宮仲蔵(印) 牧石七兵衛(印) 増田太兵衛(印) 神奈川県知事 沖守固殿 (足柄上郡役所「町村制回議」(明治二一年)神奈川県庁蔵) 一四五 都筑郡二俣川村他二か村の合併問題関係書類(一-六) (一) 『第二十一号』 明治二十二年一月八日奉進同日決行 主任小池貞一(印) 郡長(印) 書記 町村制施行請願ノ件ニ付副申書案 本郡二俣川村ニ於テハ町村制施行ニ付一村ヲ以テ独立致シ度旨過般来屢々申立候間小町村ノ不利ナル理由ヲ懇諭致シ置候処今回別紙請願書差出候ニ付篤ト事由取糺シ候処同村ハ従来之連合村ト人情ヲ異ニシ自治ノ資力ニ乏シカラス殊ニ大町村ヨリハ小町村ノ費用ヲ減スルニ便宜少ナカラントノ旨申立候然ルニ其隣村ト人情ノ異ナルノ点ヲ発見セザルノミナラス貧弱ノ村方ニシテ到底一村ヲ以テ独立自治ノ望ナキモノト見認メ候且大町村ヨリ小町村ノ費用寡少ナラントノ申立ハ想像ノ甚シキモノニシテ採ルニ足ラサルモノト存候得共強テ請願書進達方申立ニ付此段副申候也 明治二十二年一月八日 郡長 知事宛 (別紙) 請願書 都筑郡二俣川村 右奉請願要領ハ今般町村制度御発布相成其旨趣ニ因リ当郡長ヨリ町村制ノ区域ヲ当時連合スル当二俣川村外六ケ村ヲ以テ一区内ノ置位ヲ定度スルノ示命モ屢々有之シモ其村民共和シテ自治躰ノ法方ヲ維持スルモ既ニ連合内川嶋村外五ケ村ノ如キハ自己ノ自由ヲ全フスルカ将タ自治躰ノ本分定全ナルカ自カラ既往独立スルノ旨趣ヲ主張シ去明治二十一年十一月頃ナルヤ当郡長ヲ経テ当庁迄区域分離請願スル場合然ラハ則今般御発布相成候町村制度ノ大意ハ自分共不分明ナルモ要スルニ自治躰ヲ全フシ一区内ノ衆民ヲシテ自由独立ノ法律政ニ保護シ大ハ全国中ノ定全ナル自由ヲ維持ノ大意ナレハ当二俣川村ノ人民如キハ右連合ノ村々ヲ離散シ一村独立ヲ希望スル処ナレハ若区域ヲ連合村々ト合併スルトキハ却テ村乱ヲ生シ自治躰ノ本分ヲ失ヒ定全ナル自由ヲ維持スルコト不能ト私考ス尤モ本年四月御実施ノ期モ日ヲ経テ近キニ赴キ最早夫々町村制ノ廃置分合等御決定相成然ル処当二俣川村ノ如キハ〓ニ財産ノ資力ヲ掲グレハ地価金八万円余戸数三百戸以上面積ハ東西南北トモニ二里有余ニシテ随テ距離ノ遠隔ハ不及謂且旧来ノ慣習ニ依リ他ノ村々ト合併ハ何分調和セス因テ町村制第四条ニ基キ他村ト合併スルキハ事実其不便不利益ハ言ズ不語明カナリ依テ他ノ村々ト合併ノ協議ハ整サルモノニテ然ルトキハ事情不得止儀ナレハ町村制第三条及第百十六条第二項ニ基キ本村ハ一村独立ヲ以テ自治躰トナシ組合相設ケ其本分ヲ尽シ法律上ノ義務ヲ負担仕度各人民一同深ク懇願ニ付何卒請願ノ理由御庁許被成下度此段奉上願候也 但小高新田ノ人民ニシテ二俣川村ノ周囲内ニ住居スル人民ハ二俣川村ニ変更仕度旨一同請願ニ候〓ニ但シ書ヲ以テ陳述ス 明治二十二年一月七日 都筑郡二俣川村 人民惣代 鈴木伝左衛門(印) 同平民 飯田良八(印) 同 内田市太郎(印) 同 細谷吉右衛門(印) 戸長 矢部延秋(印) 神奈川県知事 沖守固殿 (注)「且大町村ヨリ……採ルニタラサルモノト存候」の部分は朱線で抹消されている。 (二) 『第五号』 本月八日第弐拾壱号ヲ以御部内二俣川村人民惣代ヨリ請願ノ趣旨書類相添ヘ御申出有之就而者左ノ件々至急御処弁之上御確報有之度候 一 二俣川村ノ請願ハ人民惣代トシテ申出ニハ候得共右ハ果シテ村民一般ノ企望ニ可有之乎否篤ト該村民ニ就キ事実御取調相成度候 一 二俣川村ヲ独立セシムルモ他ノ六ケ村ハ協和合併スルノ御見据可有之乎又ハ二俣川村ヲ分離スレハ他ノ六ケ村モ各自ニ独立シ結局現形ノ七ケ村ヲ以テ組合町村トスルノ外適当ノ手段無之御見込ニモ候哉 一 二俣川村区域ヲ分離若クハ組合トスルモ他ニ影響ヲ及ホスノ懸念無之候哉 右及照会候也 明治二十二年一月十日 第一部長 田沼健(印) 都筑郡長 白根鼎三殿 (三) 『第五拾五号』 明治二十二年一月十四日奉進同日 決行 主任 小池貞一(印) 郡長(印) 二俣川村区域村組織ノ儀ニ付回答案回儀 本郡二俣川村人民惣代ヨリ同村独立ノ儀請願書差出タルニヨリ去ル十日付第五号ヲ以テ御照会ノ趣領承左ニ申進候 一 二俣川村ノ請願ハ一村人民惣代ト申出候得共之ニ同意セサルモノ殆ト八名程内三名ハ村内重立ノ者□意セサル趣意従来ノ連合村々エ□ヲ遂ケ熟議ノ□ニハ分合何レニ決□□差支無之候廿一年此ヲ復□サルモノニ付隣村ニ対シ情義上□□難キ成趣ニ有之且右請願モ両三輩ノ意見ヨリ成立セルモノニ有之候 一 二俣川村ヲ独立セシムルトキハ他ノ六ケ村ハ協和合併ノ見据無之市野沢小高新田今井三反田ノ四ケ村ハ過般諮問ニ答ヘタル如ク飽マテ七ケ村ヲ以テ一村タランコトヲ主張シ就中小高新田ノ如キハ二俣川村地内ニ孕在セル土地夥多ナルカ故ニ二俣川村ノ独立ハ同村人民ノ望ム所ニ非ルハ勿論ナリ且川島村上星川村ノ如キハ先般橘樹郡仏向坂本ノ二村ト合併センコトヲ出願セシモ若シ此際同村ト合併スルニ至ラサレハ両村ハ暫ク合併一村トナリ二俣川村等ノ村々ト組合置キ時機ニ臨ミ更ニ仏向坂本両村ト合併セントノ意見ニ可有之ト見込候 一 二俣川村ノ申立ヲシテ其区域ヲ分離若シクハ組合トナスノ理由アルモノトナシ之ヲ採用スルトキハ無論吉田村及ヒ石川村ニモ影響ヲ及ホスノミナラス其他ニモ多少区域ノ変更ヲ申出ルモノ可有之ト見込候 右及御答候也 明治二十二年一月十四日 郡長 第一部長宛 (四) 上願書 町村制御施行ニ付一月廿三日私トモ県庁ヘ御呼出之上夫々御説諭ヲ蒙リ村費方法及学校等ノ不便アリ因テ二俣川村ヘ合併ノ旨承知仕帰村之上人民ヘ申聞セ候処人民ニ於テハ川島村ヘ合併致度旨申候ニ付一月二十八日私トモ外惣代ヲ以県庁ヘ出願候処私トモ二俣川村ヘ合併ノ旨承知仕リシヨリ二俣川村ヲ更改シ川島村ヘ合併之儀難相成旨仰渡サレ帰村之上人民ヘ申聞セ候処人民ニ於テハ当村之儀者川島村三周囲ニ界シタル村落ニ付永世ノ不便利ニ付村費ノ多少ニ係ハラス是非川島村ヘ合併ヲ致度旨人民申立テ殆ント蜂起ノ如ク私トモ如何様ニ申聞セ候得トモ聞入不申候ニ付此儘確定候得者如何ナル事ニ相成候哉モ難斗候ニ付一月廿九日私トモ県庁ヘ川島村ヘ合併ノ旨出願仕候処先般合併確定シタルト雖トモ人民ニ於テ不都合無之旨仰渡サレ帰村之上人民ニ申聞セ候処人民ニ於テハ二俣川村ヲ更改シ川島村ヘ合併ニ相成候様可致旨申候ニ付私トモ殆ント困難仕候ニ付民情御洞察之上川島村ヘ合併ノ御賛成被成下度比段連署ヲ以奉上願候也 明治廿二年二月一日 都筑郡三反田村 野口要吉(印) 井上滝蔵(印) 都筑郡長 白根鼎三殿 (五) 『第百七十二号』 明治二十二年二月十二日奉進同日決行 主任 小池貞一(印) 郡長(印) 町村分合上ノ件ニ付第一部長江報知案 本郡三反田村人民ヨリ出願ニ係ル同村合併上ノ件ニ付過日出庁ノ節御談ノ趣モ有之候ニ付同村人民ヲ会合セシメ二俣川村等ノ諸村江合併ノ儀懇諭致候処漸ク昨十一日ヲ以テ村内協和ノ上最前申立通リ二俣川村等ノ諸村ニ合併ノ儀ニ協議相整候間此段及御通報候也 明治二十二年二月十二日 郡長 第一部長宛 (欄外注記)『第一部長親展』 (六) 『第二三九号』 其郡二俣川西谷ノ二ケ村ニ於テ村費賦課上ノ件ニ関シ紛議ヲ生シ若シ協議調ハサルニ於テハ其筋ヘ処分方ヲ請願セントノ状況有之趣ニ聞及ヒ候果シテ事実無相違ニ於テハ已ニ説諭方等ニ御着手ノ事トハ存候ヘ共今日ノ場合右等ノ紛議ヲ生シ万一其筋ノ処分ヲ乞等ノ始末ニ立至リ候テハ不都合ノ義ニ付此上一層御注意調和ニ至ラシメ候様御取斗有之度依命此段小官ヨリ申進候也 明治廿二年四月廿三日 神奈川県庁 第一部長 田沼健(印) 都筑郡長 白根鼎三殿 (都筑郡役所「町村制施行ニ係ル回議録」(明治二二年)神奈川県庁蔵) 一四六 郡界問題に関する県書記官田沼健の高座郡長宛書簡 尚々本文之件御尽力之模様詳細御報告冀望候也 鎌倉郡大鋸町之者貴郡ヘ編入之情願有之此頃惣代之者県庁ヘ出頭ニ付小官面会数時間ヲ費シ郡界ニ関スル義モ此際更生不致ノ旨意懇々説示ニ及ヒ彼等ニ於テモ氷解之様子ニ有之候処此頃又貴郡大坂町戸長及惣代之者等大鋸町ニ赴キ誘導シ夫カ為メ又々苦情併発セシ趣ニ相聞右者貴官ニ於テモ曽テ御承知ノ如ク本県ニ於テハ郡界ニ関スルモノハ如何ナル事情アルモ此際ハ着手セサル主義ニ而南多摩ト都筑ノ如キ西多摩ト北多摩ノ如キ又大住ト淘綾ノ如キ実際不都合ノ向キモ都テ其儘ニ据置候次第ニ而独リ大鋸ニ対シ特別ノ処分ヲ為ス必要無之ノミナラス最早町村分合モ発令相成今日ハ町村制実施ノ日ト相成候上ハ今ニシテ如何トモスヘキ様ナキハ勿論最早今日ニ於テ果シテ人民ニ於テ不都合ト感スレハ新制度ニ依リ運動スルヨリ外無之然ルヲ無故内務省ヘ請願等ヲ為スモ採用不相成ハ明了之事ニ有之加之本県下ニテハ今日ニ至ル迄内務省ヘ請願シタルモノハ一人モ無之則本県庁ノ名誉且本県人民ノ名誉ニ有之然ルヲ鎌倉郡民貴郡民ノ誘導ニ起リ終ニ内務省ヘ請願等ニ及フトキハ実ニ本県民一般ノ名誉ヲ傷ケ不容易不都合ト存候間貴官ニ於テモ直接又ハ間接ニ非常之御尽力ヲ以テ大鋸ノ者断念候様御取計相成度又大坂町戸長カ勧誘セシ等果シテ事実ナラハ十分御叱責被下度右至急申達度如斯候也 四月七日 田沼健 今福郡長殿 尚々諸県よりハ続々分合ノ苦情ニ付内務省ヘ請願スルモノ有之候ヘ共一ツモ採用ニハ不相成趣况ンヤ今日新制実施相成タル上ハ無論受理ニハ相成間敷自治ヲ許サレ自ラ処分スルノ法律ヲ与ヘラレナガラ官ニ請願スル等ハ誠ニ無謂事ニテ県民ノ恥辱ト存候間其辺ヲモ御差含候大坂町ノ者ヲシテ大鋸町之者ニ断念セシムル様ノ策呉々御尽力被下度冀望之至ニ候也 (今福祥氏蔵) 一四七 都筑郡下村役場開設事務引継に関する照会案 『第八百弐拾壱号』 明治二十二年六月十日奉進同日決行 主任 小池貞一(印) 郡長(印) 書記(印) 事務受渡ノ件ニ付村長并元戸長ヘ照会案 事務受渡村役場開設ノ儀ニ付テハ既ニ申進置候次第モ有之候処未タ開設届御差出無之追々遷延事務上差支不尠候条事務ノ受渡結了スルト否トニ拘ラス来ル十三日ヲ限リ村長就職ノ上役場開設届差出サレ直便以テヲ度尤同甘直ニ引継ヲ終ラサルモノ有之ハ可成取急キ右結了ノ上ハ去ル三月本県訓令甲天第拾弐号末項ニヨリ届書差出シ相成度此段更ニ及照会候也 明治二十二年六月十日 都筑郡役所 村長元戸長両名宛 (都筑郡役所「町村制施行ニ係ル回議録」(明治二二年)神奈川県庁蔵) 第四節 町村合併分離の係争 一四八 橘樹郡保土ケ谷町他数か村の合併問題をめぐる紛議(一-一六) (一) 別紙之通一般人民ヨリ上申候得共程ケ谷町ヘ組合ニ限ラス芝生村ヘ組合或ハ合併相成候儀ハ不都合無御座候間此段添書上申仕候也 明治二十一年十月 日 下星川村外三ケ村 人民総代 飯岡周蔵 北村二郎 神奈川県知事 沖守固殿 (別紙) 上申 橘樹郡 下星川村 和田村 仏向村 坂本村 町村制ノ義ニ付右村々ヲ以テ程ケ谷町ヘ合併之趣御談示相成再三協議仕候処駅町ト在村トハ自カラ民情風俗ヲ異ニシ随テ経費ノ負担方等モ自然相違有之候義ニ付該四ケ村ヲ以テ一村トナシ程ケ谷町ヘ組合ニ致度候間村民一同連署ヲ以テ此段上申仕候也 明治二十一年十月一日 右仏向村 山本重右衛門 外六十一名 坂本村 杉本半蔵 外十一名 下星川村 飯岡清兵衛 外五十三名 和田村 青木甚右衛門 外十五名 委任状 下星川村飯岡周蔵 仏向村北村二郎 右之者下星川村外三ケ村人民総代トシテ左之権限之事ヲ委任候事町村制御施行ニ付駅町ト在村ト合併不都合ニ付其筋ヘ上申其他右ニ付百事委任候事 右代理委任状如件 明治二十一年十月一日 橘樹郡 仏向村 山本重右衛門 外六十名 坂本村 杉本半蔵 外十一名 下星川村 飯岡清兵衛 外五十名 和田村 青木甚左衛門 外十五名 (二) 村区域変換願 橘樹郡仏向村坂本村 都筑郡川島村上星川村菅田村新井新田三反田村 今般町村制御発布相成候ニ付テハ前記村々永遠之便益地形ノ情況ヲ量リ右七ケ村ヲ併合シ新村造成之儀各地立一同協議相整ヒ候間御採用相成度依テ其便宜其他之事項左ニ掲記致候 一 仏向村坂本村ハ程ケ谷駅ニ合併之外他ニ隣村無之然ルニ駅ト村ハ自然民情風俗及消防衛生費其他費用之収支相異リ且地勢相隔リ不便尠カラス候処然ルニ隣郡川島村上星川村トハ人家接続地所交入ス是ヲ以テ民情及費用性質等ニ至ル迄聊カ異ナル所無之殊ニ仏向村坂本村ノ人民ハ川島村上星川村ニ土地ヲ有シ来作スルモノ尠カラス随テ人民ノ交際ニ至テ祭典ノ如キ共々相招待シ其交情殆ント一村ノ如キ慣習ニ有之候 一 川島村上星川村三反田村ハ従来二俣川村組合村ニテ其里程東西ノ端ヨリ之ヲ計レハ二里拾八町余モ有之民情稍異ナリ兎角不便尠カラス諸上納物如キ先ツ納期ニ際シ其産物ヲ東方神奈川駅ニ売捌帰村之上更ニ西方壱里余出頭納済スル儀ニ有之然ルニ前記之村々ト併合スルニ於テハ外村共ニ斯之如キ不便無之加之万事好都合之儀ニ有之 一 上菅田村新井新田ハ中山村ヘ合併之儀上申仕置候ト雖モ退テ考フルニ同村ニハ鶴見川堤防費等ノ費用モ有之殊ニ山路一里余ヲ隔タリ候ヘ者従来ノ交際モ無之然ルニ前記ノ村々トハ一平地ノ中ニ接続致シ旧来ノ交際モ有之候ヘハ之レト併合スルハ地理上ヨリスルモ交際上及費用ヨリスルモ其便宜少々ニ無之候 一 其他右併合利便ナル要点ハ願意ニ難述候ニ付右総代ヨリ口舌ヲ以テ詳述仕度候 一 他町村境界ニ混合シタルケ所更ニ無之事 橘樹郡仏向村坂本村ノ二村都筑郡ニ編入ノ事 一 地価金八万千弐百七拾五円三十銭九厘 内壱万六千九百八十二円七拾四銭九厘 仏向村 内三千六百六十円九十銭四厘 坂本村 内弐万八千八百二十二円二十二銭六厘 川島村 内壱万三千二百三円十銭七厘 上星川村 内壱万千七百七十七円七十六銭 上菅田村 内弐千七百六十九円七拾弐銭 新井新田 内四千五十八円八十二銭三厘 三反田村 一 戸数三百七拾弐戸 内六十六戸 仏向村 内拾三戸 坂本村 内百廿六戸 川島村 内八十三戸 上星川村 内五十五戸 上菅田村 内拾四戸 新井新田 内拾八戸 三反田村 一 面積南北弐里余東西拾八町 一 新成村名 西谷村ト称ス 一 村事務所位置 川島村百七拾番地正観寺 一 二俣川村ハ独立シテ其ノ本分ヲ尽スヲ請願スルニョリ故ニ本願ニ対シ故障無之候事 一 前条ニ付二俣川村六ケ村及上菅田村新井新田橘樹郡仏向村坂本村拾壱ケ村地価合計之ヲ二分シ市野沢村小高新田ノ内ヲ当併合村ヘ御加入ノ儀其筋ノ御詮議ヲ仰キ度候 右合併之儀一同請願致御採用被成下度地主一同委任ヨリ私共総代連印ヲ以テ比段請願候也 明治二十一年十一月廿九日 都筑郡川島村関係人総代 三村久右衛門 綿貫亀太郎 中田林三郎 上星川村 中村新七 藤間庄之助 仏向村 北村二郎 板津芳太郎 坂本村 岩本音吉 大塚弥太郎 上菅田村 久保田半右衛門 鳥海半左衛門 三反田村 井上巳之助 井上菊五郎 (三) 請願書 本年四月町村制実施ノ為メ先キニ神奈川県庁ハ仏向坂本ノ両村ヲ以テ程ケ谷駅ニ編入スルコトトセラレタリ因テ其ノ利害ノ異ナル所ヲ挙ケテ程ケ谷駅ニ合併ノ不可ヲ唱ヘ其取消ヲ神奈川県庁ニ出願セシガ思フニ是レ神奈川県庁ガ容易ニ下シ得可キ断案ニアラザラン何トナレバ已ニ数十日ヲ経過シタル今日ニ至ルモ未ダ妥当ノ指令モナキヲ以テナリ然ルニ町村制ノ実施ハ日一日ト差迫リ苟モ今日ニ於テ放任シ置カバ両村ニ関スル将来ノ損害尠少ニアラザルノミナラズ其損害ハ到底両村ニ於テ永遠ニ担任シ能ハザルモノナリ斯ク其損害ノ将来ニ起ルベキヲ予知シナガラ強テ今日ニ合併ノ㕝ニ黙従センカ蓋シ両村ハ到底程ケ谷駅ト分離ノ争ヲ将来ニ於テ醸サヾルヲ得ザルニ至ランノミ即チ今日ニ於テ其合併ヲ取消サレンコトヲ希望スルモノハ㕝ノ止ムヲ得ザルニ出ヅルヲ知ルベシ豈ニ夫レ封建割拠ノ余習今日ニ延テ徒ニ合併ノ不利ヲ唱ヘ而シテ此ニ出ヅルモノナランヤ某等深ク見ル所アリ敢テ閣下ノ省察ヲ請ハント欲シ左ニ其理由ヲ記述ス 一 仏向坂本ノ両村ハ橘樹郡ニ属シテ其隣レルモノハ程ケ谷駅及ヒ都筑郡属ナル川島上星川ノ両村トス而シテ程ケ谷駅ハ東海道筋ニ当ツテ戸口連続往来頻繁タリ故ニ従テ商業モ繁栄ヲ致シ富ノ程度モ自カラ高マリ生計ノ度モ大ニ其趣ヲ異ニセリ之ニ反シ仏向坂本ノ両村ハ偏隅ノ小村落ニシテ戴星踏月ノ労ヲ取テ以テ纔ニ消日ナシツヽアルモノナリ加之人情風俗ノ如キハ全ク其岐ヲ異ニシ平生ノ出来事ニシテ未タ相関支柱セラレタルコトアラズ若シ夫レ管轄ノ上ヨリ云ハヾ同ジク橘樹郡属タリト雖ドモ山アリ川アリ林アリテ其境界ヲ形造リ交際ノ事自然ニ相疎隔シ平常其利害ノ関係ハ殆ンド絶無ト云フテ可ナリ然ルニ川島上星川ノ両村ハ其郡属ヲ異ニスト雖ドモ地相接シ家相連ナリ人情風俗生計富度皆ナ稍均一ナリ平生ノ交誼従テ親密ニシテ祭典ノ如キ末事ニ至ルマデ交談連結シ其状恰カモ同村ニ均シキ観ヲナスモノ是レ今日ノ現勢ナリ夫レ人類ハ感情ヲ同クシ利害ヲ共ニスルモノヲ求メテ集合スルモノタルコト実ニ明確ノ事柄ナリ仏向坂本ノ両村カ同郡属ナル程ケ谷駅ヲ避ケテ殊ニ郡属ヲ異ニスル川島上星川両村ト其交誼ヲ深クシ其利害ヲ相訴フル所以ノモノハ実ニ是レ感情利害ヲ同一視スルノ適証ニアラズヤ然ルニ感情ヲ異ニシ利害ヲ同フセサル人類ヲ同一ノ柵中ニ駆テ同一ノ管理法ヲ以テ支配セントスルハ事ノ破裂ヲ将来ニ招クノ因タラザルナキヲ得ンヤ斯ノ如キ道理アルガ故ニ仏向坂本ノ断乎トシテ程ケ谷駅合併ノ不利ヲ唱フル所以ナリ 一 若シ夫レ仏向坂本ノ両村ガ強テ今日ニ其人情風俗ヲ異ニスルコトヲ忍ンデ合併ヲ肯ズルモノトスルモ之レヨリ生ズル経費担任ノ重責ハ到底永遠ニ忍ブ能ハザルナリ然ラバ則チ其破裂ハ合併ノ事実行ノ当時ヨリ予メ覚悟シ置カザル可カラズ果シテ然ランニハ此ノ如キ危険ノ合併ハ寧ロ初メヨリ為サヾルノ優レルニ如カザルナリ実ニ生計富度ニ大差アル二箇ノ土地ヲ結付ケテ均一ノ納租ヲ為サシムルハ優者ノ幸劣者ノ不幸ト云ハザルヲ得ズ仏向坂本ノ両村カ程ケ谷駅ト合併スルトキハ均シク同一ノ納租ヲ辞ス能ハザルハ自然ノ道理ニシテ而シテ其富度生計ノ程谷ケ駅ガ仏向坂本ノ両村ニ優ルコト遠シトセバ其程ケ谷駅ト合併ノコトニ因リ納租ノ義務ノ幾分ヲ免レタルモノト云フベキモ優者ニ結付ケラレテ同一ノ負荷ヲ為シ苦痛ノ淵ニ沈ム仏向坂本両村ノ不幸果シテ幾千ゾヤ則チ其負荷ノ重キヲ致ス目前一二ノ例ヲ挙グレバ仏向坂本ノ両村ハ従来衛生消防ノ二費ヲ免カレ道路橋梁ニ関スル費用ノ如キモ絶テ之ヲ支出センコトナキニ今若シ合併ノ事行ハレナバ是等ノ費用ハ立ロニ来ツテ仏向坂本ノ両村ニ其供給ヲ促スヤ必然ノ事タリ啻ニ之レノミナラズ新課ノ租税ハ踵ヲ接シテ迫マリ来ラン是レ両村ガ憂慮ノ因トナリテ到底其賦課ニ耐ヘズ分裂ノ議ノ将来ニ起ランコト蓋シ首ヲ翹ゲテ待ツベキ耳 一 以上二箇ノ道理ニ依リテ合併ノ不利ナルコトヲ思フ矣然レドモ其合併ノ不利ナルコトハ則チ不利ナリト雖ドモ両村ガ合併ノコトヲ免ガレテ自立単行自治制ノ下ニ立タンコトヲ期スルモノニアラズヤ必ズヤ其独立スルコト能ハザルヲ信ズ然ラバ両村ガ将来ニ処スルノ道如何是レ両村民ガ深クモ思考ヲ及ボセシ所ニシテ只ダ一策アルノミ今之ヲ付記シ併セテ大ニ請願スル所アラン第一ノ理由中ニ書記セシ川島上星川及ビ上菅田新井新田三反田ノ五ケ村ハ都筑郡属ナレドモ其人情風俗ハ毫モ仏向坂本ノ両村ニ異ナル所ナク富度生計ノ如キモ殆ンド同一ナリ而シテ都筑郡属ナル五ケ村ハ現今二俣川村ノ組合内ナルガ故ニ納租ノ期至ルトキハ其地ニ於テ製産セル物品ヲバ横浜若クハ神奈川駅ニ齎ラシ而シテ居村ニ帰リ又更ニ両方一里余ノ外ニ在ル二俣川村ニ至リ以テ其義務ヲ果スコトノ如キ其他之レニ追従セルノ不便不利甚タ多シ然ルヲ万一仏向坂本ノ両村ト連結セバ主トシテ其不便ヲ除キ其感情利害ヲ共ニセル各村ガ同一ノ支配内ニ在ルコトナレバ万事千件其支配ヲ異ニセル当時ニ比シテ各村が禀受スル便益尠ナキニアラズ今仏向坂本両村ノ有スル地価及戸数ヲ挙ゲンニ地価金弐万六百四十三円六十七銭三厘〔仏向村ハ金壱万六千九百八十二円七十四銭九厘坂本村ハ金三千六百六十円九十二銭四厘〕戸数ハ七十九戸〔仏向村ハ六十六戸坂本村ハ十三戸〕ニシテ都築郡属ナル五ケ村ガ保有セル地価戸数ハ即チ地価金六万〇六百三十壱円六十三銭六厘〔川島八千八百弐十弐円弐十銭六厘上星川村壱万弐千弐百〇三円十銭七厘上菅田村壱万千七百七十七円七十六銭新井新田弐千七百六十九円七十弐銭三反田村四千〇五十八円八十二銭三厘〕戸数二百九十六戸〔川島村百廿六戸上星川村八十六戸上菅田村五十五戸新井新田十四戸三反田村十八戸〕ナリ此各村ハ其郡属ガ何レノ一方ニ変ズルモ毫モ異議ナキモノニシテ其地価戸数ヲ合算スレバ地価金八万壱千弐百七十五円三十銭九厘戸数三百七十五戸ナリ此各村ヲ連結シ得ラルヽモノトセバ実ニ各村ガ将来ニ受クルノ福利少ナキニアラザルナリ 一 然リト雖ドモ是レ只仏向坂本両村ガ蒙ルベキ困難ト利益トヲ対比列挙セシニ過ギズシテ都築郡属ノ各村ガ感情果シテ如何トノ疑問ノ起ルベキハ正ニ然ルベキ所ナリトス而シテ仏向坂本ノ両村ガ此問題ニ就テノ注意ハ此疑問ヲ氷解セシムルニ容易ナリ即チ深ク大ニ都築郡属ノ各村ニ謀議スル所アリテ其認諾ヲ得タルモノニシテ都築郡属ノ各村ガ感情ハ実ニ仏向坂本ノ両村ト異ナラザルナリ本願合併ノ㕝ノ行ハレタルヨリ起ルベキ将来ノ利益ハ又都築郡属ノ各村ニ於テモ禀受シ得ルモノナリトハ其各村ガ認識スル所ナリ啻ニ之ヲ認識スルノミナラズ又大ニ其本願合併ノ㕝ノ行ハレンコトヲ切望スルモノナリ然ラバ本願合併ノ㕝ハ其利害ノ及ブ所彼此相異ナラズシテ仏向坂本ノ両村ト其冀望ヲ同フスルモノタルコト明白ノ㕝実ニアラズヤ紙尾都筑郡属ノ各村民ガ署名捺印セルハ以テ益々其然ル所以テ明カニスルニ足ルモノアルナリ 右ハ唯ダ仏向坂本両村ガ程ケ谷駅ニ合併セラルヽノ不利及其都築郡属五ケ村ト相連結スルノ利益ノ一二ヲ挙ゲシモノニシテ要スルニ此七ケ村ハ何レカ一方其郡属ヲ脱シテ一方ニ結付ケラレンコトヲ請フモノニ外ナラザルナリ願クハ閣下ガ充分ノ観察ト憐愛トヲ以テ本願ノ素志ヲ遂ゲシメラレンコトヲ敢テ奉請願候也 (四) 組合町村分離願 橘樹郡 保土ヶ谷町 宮川村 矢崎村 協議原案 一 町村組合役場費 一 組合会議費 一 勧業費 以上ハ組合連帯支弁 一 衛生費 一 火災警備費 一 土木費 一 救助費 一 教育補助費 以上ハ各町村限リノ支弁 但用水路ニ関スル土木費ハ旧慣ニヨル 一 役場位置ハ元保土ケ谷町外四ケ町村戸長役場 一 組合会議員ハ拾名トシ 内 矢崎村 二人 宮川村 二人 保土ケ谷町 六人 右割合ハ公法人員ノ歩合ニヨレリ 一 組合費用分担 全額ノ七分七厘 保土ケ谷負担 全額ノ二分三厘 二ケ村負担 右割合ハ全額ヲ地価ニ七分五厘 戸数割ニ弐分五厘ノ歩合ニヨレリ 一 町村長 一名 一 町村助役 一名 一 収入役 一名 一 書記 三名 一 使丁 二名 内一名ハ二ケ村ヨリ之レヲ負担ス 一 勧業委員 一名 一 町村役場借家料一ケ月金弐円五拾銭 以上原案 宮川矢崎二ケ村 前記原案ヲ熟考スルニ組合費用ノ分担割合ヲ出金スルヨリ寧ロ二ケ村組合ヲシテ組合役場ヲ設クレバ却テ費用モ減少シ且人民便利ニ付保土ケ谷町ト分離スルヲ希望セリ 保土ケ谷町 保土ケ谷町ハ素ヨリ独立ヲ成シ得ラルヽ資力モアレハ二ケ村組合ヲシテ保土ケ谷町ト分離ヲ便利トスルニアレバ倶ニ分離独立ヲ希望セリ 右者町村制第百十七条第二項ニヨリ関係町村本月八日及十二日ノ両日協議開会候処前記二項ノ趣意ニ有之候間分離相成様致度関係町村総代人連署上願候也 明治二十二年四月十五日 橘樹郡保土ケ谷町 字保土ケ谷岩間神戸帷子 岡野新田 総代人 小野彦三郎 鈴木清三郎 荒波孫四郎 磯貝林蔵 岡野勘四郎 元保土ケ谷町外四ケ町村 戸長 金子泰吉 (五) 郡告示第三十七号 保土ケ谷町 宮川村 矢崎村 町村組合協議ノ調ハサルニ付則本制第百十七条第二項ニ由リ左ノ通リ之ヲ定ム 明治廿二年四月廿六日 神奈川県橘樹郡長 増田知 一 町村組合中ニ町村長及助役収入役各一人ヲ置ク 一 組合会議ノ議員ハ各町村会ノ議員ヲシテ互選セシム 保土ケ谷町 八名 宮川村 三名 矢崎村 三名 一 議決ノ制限ハ本制第四十三条(議員三分ノ二以上出席云々)ニ由ル 一 共通支弁スヘキ費目及其分担方法 組合町村役場費 組合会議費 勧業費 右分担ハ其町村ノ地価戸数ニ依リ全額ノ八分ヲ保土ケ谷町同弐分ヲ宮川村矢崎村二ケ村ノ分担トシ其賦課方ハ左之通リ 地価 六分 戸数 四分 一 組合ニ要スル経費ノ収入支出ハ之ヲ共通セシム 一 共通支弁セサル費目 衛生費 火災警備費 土木費 救助費 教育補助費 右ハ各町村限リノ支弁ニシテ用水路ニ関スル土木費ハ旧慣ニ由ル 一 町村長ハ保土ケ谷外二ケ村組合町村長ト称ス 一 町村役場位置ハ元保土ケ谷町外四ケ町村戸長役場神戸七百十一番地トス 一 町村役場ハ保土ケ谷町外二ケ村組合役場ト称ス (六) 組合町村分離願 橘樹郡 宮川村 矢崎村右ハ町村制第百十七条第二項ニヨリ関係町村本月八日及十二日ノ協議会致候節保土ケ谷町ヨリ差出セシ別紙原案ニ付之ヲ熟考スルニ組合費用ノ分担及議員ノ数其他ニ於テ同意致兼候ケ所不尠只費用ノ壱点ニ於テモ前記分担ヲ出金スルヨリモ(費用仕訳書ハ別紙ニ記ス)寧ロ弐ケ村組合ニシテ役場ヲ設クレバ却テ費用減少シ且人民便利ニ付程ケ谷町ト分離相成候様致度両村総代人連署ヲ以テ上願候也 明治二十二年四月 右宮川村総代 飯岡周蔵印 田口儀左衛門印 矢崎村総代 北村二郎印 岩本音吉印 元芝生村外四ケ村 戸長 三村庄右衛門印 神奈川県橘樹郡長 増田知殿 (七) 町村組合解組御許可願 橘樹郡 保土ヶ谷町 宮川村 矢崎村 右ハ町村制御施行ニ付客月一日告示第二六号ヲ以テ右町村組合ノ義御令達相成爾後整理順序ニ依リ各町村議員ヲシテ組合会議ノ議決ヲ互撰シ組合事務上会議ヲ開クモ素ヨリ生活上及人情風俗ニ至ルマテ異ナルアリ且人民遠隔ノ不便ヲ鳴ラシ将来調和ノ見据不相立ニ付各町村解組ノ方法ニ便利ニ付組合会議ニ於テ遂ニ組合ヲ解クノ議決ヲ為シ候間本制第百十八条ニ拠リ解組御許可被成下度関係者連署上願仕候也 明治二十二年五月六日 橘樹郡保土ケ谷町外二ケ村 組合会議員 矢崎村 北村二郎 板津芳太邦 大塚弥太郎 宮川村 飯岡周蔵 青木勘吉 安藤鉄二郎 保土ケ谷町 岡野勘四郎 荒波孫四郎 石田善右衛門 浅井惣吉 川本順蔵 足立伊三郎 深野利兵衛 磯貝林蔵 右二ケ村元戸長 三村庄右衛門 右町元戸長 金子泰吉 (八) 町村制施行ニ付橘樹郡長ノ措置不服ノ顚末 第壱 本年三月十五日郡衙ヨリ宮川矢崎ノ二ケ村ヲ以テ程谷町ト組合ヲ施行ス依テ予シメ組合会議ノ組織事務ノ管理并ニ其費用ノ支弁方法等ヲ議シ置クヘシ尤組合会議ノ議員ハ各町村三名宛ト達シタリ 第弐 同月廿三日郡衙ヨリ芝生戸長宛ノ書面ヲ発シ右ノ達示ハ都合ニョリ返却スヘキ旨ノ通暢アリ依テ戸長ハ其命ニ応シ早速之ヲ返戻セリ一旦公式ヲ踏ミ人民ノ周知シタル令達ヲシテ正当ノ手続ナク之ヲ取消シタルハ如何ナル者ニ候哉理由甚タ了解ニ苦シミ申候 但シ右達示ト取消迄トノ日数ハ九日間ヲ経過セリ 第三 四月一日郡衙ハ程谷町ト宮川矢崎ノ二ケ村ヲ以テ組合ト為ス旨ヲ達シタリ 第四 四月八日郡衙ノ命ニ徒ヒ旧町村各壱名宛総代ノ名義ヲ以テ会議ヲ開キ組合会議ノ組織及費用ノ支弁方法等ヲ打合セシニ議遂ニ協ハスシテ止ム 第五 四月十二日組合会議ニ付右ノ如ク兎角好結果コレナキニ付程谷芝生ノ両戸長郡衙ニ出頭シ一町二ケ村ノ組合ハ到底其折合不十分ニシテ且解組ノ方却テ二ケ村ニ取リテハ費用減少スル目算ナレハ宜シク許可アリタシトノ意ヲ開陳セシニ郡長ハ之ニ対ヘテ今直チニ解組ノ詮議ニ及ブハ町村制ノ順序方法ニ違フ所アルヲ以テ兎モ角一先ツ組合会議ニ於ケル双方異議ノ廉ヲ申立ツル様取計フヘシ郡衙ハ直チニ之ニ裁決ヲ与フヘシ併シ箇ハ是レ唯手続上ニ止マルノミニシテ追テ解組ヲ許可スル手続方法ニ過キサルナリト云ヘリ依テ両戸長ハ此意ヲ承ケテ夫々通暢シタリ 第六 四月廿四日右ノ次第ニ付宮川矢崎二ケ村ノ総代人ハ程谷町ヨリ提出セル原案ニ異議ノ廉々明記シ町村制第百拾六条第二項ニヨリ郡衙ヘ上申セリ 第七 四月廿六日右ニ対シ郡衙ハ之ニ裁決ヲ下セリ二ケ村ニ於テハ該裁決ニ不服ノ廉アルヲ以テ進ンテ県参事会ヘ訴願セント思考セシカ予テ郡長ハ該裁決ハ一時町村制ノ順序ヲ蹈ム迄ニシテ其実解組ノ詮議ニ及ブ手続方法ナリト云ヒシ言語アルヲ以テ二ケ村ニ於テハ暫時上訴ヲ見合セ郡長ノ処置如何ヲ見ント決シタリ第八 五月三日郡長ハ左ノ如ク達シタリ 写 昨日御申立ノ一条ハ組合互撰議員ニ於テ会議ヲ開キ(但シ此互撰議員ノ議長無之ニ付矢張高年者ヲ議長トス)該会ニ於テ組合組織ヲ解キ候事ニ議決候ハヽ即チ第百拾八条ニ依テ解組ノ義可申立事 矢崎宮川ハ前条ノ通議決候ハヽ此二ケ村ハ更ニ第百十六条ニ依リ組合ヲ設クルノ申請書可差出事右之通相運ヒ程谷外二ケ村組合解ケタル上ハ程谷ヘハ町長撰挙可致旨更ニ可相達候事外二ケ村ヘハ組合組織出来シタル上ハ村長撰挙可致旨更ニ可相達事 右御心得迄ニ申進候也 五月三日 増田知 金子泰吉殿 三村庄右衛門殿 矢崎宮川ノ二ケ村ハ今更合併ハ不都合ニ付組合ノ事ニ御取計可被成候 第九 五月六日右ノ達アリタルニヨリ取敢ヘス組合会議員連署ノ上解組ヲ出願セリ 第十 五月十八日郡衙ハ右解組ノ願意ハ聞届ケ難キ旨口頭ニテ達シタリ若シ郡衙ニシテ右写ノ如キ令達ヲ発セサリシナラハ二ケ村人民ハ法定ノ期限内ニ於テ夫々上訴ノ手続ヲ蹈ムヘキニ該令達アリタルガ為空シク其権利ヲ失却セシメタルハ郡長ノ措置甚不当ノ様相覚ヘ候 右之通相違無之候也 明治二十二年五月廿七日 橘樹郡矢崎村議員 板津芳太郎 山本直二郎 横溝四郎兵衛 山本幸太郎 北村徳二郎 大塚弥太郎 岩本市右衛門 北村二郎 同郡宮川村議員 矢部佐吉 飯岡清兵衛 飯岡文吉 本郷竹蔵 安藤鉄二郎 飯岡周蔵 青木勘吉 石井富蔵 (九) 町村制組合解組許可御願 橘樹郡 程谷町 宮川村 矢崎村 這般町村制実施ニ付右一町二ケ村ヲ以テ一組合ト為ス旨客月第二六号ヲ以テ其筋ヨリ令達アリタリ依テ各町村応分ノ議員ヲ出シ本制第百拾七条ノ命令ニ従ヒ組合会議ノ組織事務ノ管理方法及ヒ其費用ノ支弁方法等ヲ協議セシ末遂ニ別紙ノ如キ議決ヲ得テ之ヲ郡衙ニ出願セリ爾来待ツ事数日漸ク本月十八日ニ至リ郡衙ハ審理ノ末終ニ該願意聞届ケ難キ旨口頭ヲ以テ達示之レアルノ不幸ヲ見タリ我々竊カニ以為ラク該願書タルヤ其意ノ其筋ニ採用セラルヽト否ラサルトハ固ヨリ予知スヘキ限リニアラスト雖モ責メテハ之ニ向テ何等ノ指令書アルヘキハ事理ノ当然ニシテ一点ノ雲霧ダモ胸中ニ貯ヘサリシニ図ラサリキ唯簡単ニモ口頭ノ令達ニ止マリシハ返ス〱モ其意ヲ得サル事ナレドモ今ハ之ヲ言フモ更ニ詮ナケレバ此ニ其煩ヲ避ケ唯我々ガ飽迄其願意ヲ採納セラレン事ヲ望ムノ点ヲ列挙シテ閣下ノ賢慮ヲ仰グノミ豈敢テ殊更ニ弁ヲ好ミ事ヲ望ミ平地ニ波濤ヲ生セシメン事ヲ欲スルモノナランヤ蓋シ衷情万々已ムヲ得サルモノアレハナリ 町村制第百拾六条ニ「数町村ノ事務ヲ共同処分スル為メ其協議ニ依リ監督官庁ノ許可ヲ得テ其町村ノ組合ヲ設クルコトヲ得」ト之アリ謹テ本条ノ精神ヲ吟味スレハ従来ノ町村ハ可成其儘之ヲ据置クコト法律ノ最モ希望スル所ニシテ而モ正則ト見ルベキモノナリ何トナレハ若シ従来ノ町村ニシテ独立ヲ欲セズ他ノ町村ト組合ヲ望ムトキハ苟クモ管轄官庁ノ許可ヲ得サル可ケレハナリ依テ案スルニ宮川矢崎二ケ村ノ如キ未タ初メヨリ好ンテ他ト組合ヲ出願セシコトナキニモ拘ラズ程ケ谷町ト組合方法ヲ施行セシメントスルハ抑モ之ヲ法律上正当ノ手段ト見ルヲ得ヘキ乎我々ハ縦思横考シテ猶其理由ヲ発見スルニ苦マサルヲ得サルナリ尤同制第百拾六条第二項ニ「法律上ノ義務ヲ負担スルニ堪フヘキ資力ヲ有セサル町村ニシテ〔中略〕数町村ノ組合ヲ設ケシムルヲ得」トノ明文アリト雖我々ハ誓テ該二ケ村ガ法律上ノ義務ヲ負フ能ハサルトハ思考セサルナリ否断然負担シ能フノ力アリト確信スルナリ 尚進ンデ之ヲ云ヘバ収入役及書記小使等ノ員数ノ如キ彼レニ組マバ負担重クシテ分離ニ出ツレハ費用却テ尠少ナルヲヤ夫レ然リ然ルニ此等数ノ者ハ皆是レ金銭ヲ以テ量定シ得ヘキモノナリ若シ之レニ冥々ノ利益ヲ合算スレハ殆ント驚クヘキ差異アルヲ見ン 冥々ノ利益トハ何ゾヤ組合方法ニヨレハ役場ハ勢ヒ道路懸隔セル程谷町ニ置カサル可ラス果シテ然ランニハ之レニ往復スル二ケ村人民ハ少ナクトモ半日ノ家業ヲ欠キ時トシテハ終日耕耘ヲ廃スルノ不幸ニ遇ヒ加之之レガ為空シク昼飯等ニ失費ヲスルアルハ決シテ免カル可ラサル数ナリ之レヲシモ不幸不運ト云ハサレハ将タ何ヲカ不幸不運ト云フベキ 以上ノ事実ヲ外ニスルモ尚二ケ村組合ヲ希望シテ措カサルモノアリ何ソヤ人情風俗ヲ異ニスルノ点是レナリ夫レ程谷町ハ東海道筋ノ要路ヲ占メ往来ノ人多ノ通行ノ車馬夥シ街衢ハ整然人家ハ稠密従テ人皆商業ニ衣服シ反之宮川矢崎ノ二ケ村ハ其位置ヲ云ヘハ辺隅其人家ヲ云ヘハ点々四方山ナラサレハ野野ナラサレハ唯是レ田畑ノミ従テ住民悉ク農事ニ糊口スルモノニアラサルハナシ夫レ如斯其風俗人情ヲ異ニセル殆ンド別天地ノ如キ観アルモ亦宜ナラスヤ 抑モ人ハ己レト境遇ヲ同フスルモノト相馴レ相親ムハ古今東西其帰ヲ一ニスル所ナリ然ルニ今強テ風俗人情ヲ異ニセル一町二ケ村ヲ以テ同一支配ノ下ニ置カントス安ンゾ永遠無窮ニ幸福ヲ享受シ得ヘケンヤ是レ我々ガ二ケ村組合ヲ悃望シテ措カサル所以ナリ仰キ願ハクハ閣下ガ山獄ノ愛憫ト洋海ノ賢察トヲ以テ我々素志ヲ聴許セラレンコトヲ別紙相副此段奉悃願候也 追テ書其意ヲ尽ス能ハズ洩レタル廉ハ委曲口頭ニテ陳述可仕候 明治二十二年五月廿七日 橘樹郡矢崎村議員 板津芳太郎印 山本直二郎印 横溝四郎兵衛印 山本幸太郎印 北村徳二郎印 大塚弥太郎印 岩本市右衛門印 北村二郎印 同郡宮川村会議員 矢部佐吉印 飯岡清兵衛印 飯岡文吉印 本郷竹蔵印 安藤鉄二郎印 飯岡周蔵印 青木勘吉印 石井富蔵印 神奈川県知事 沖守固殿 神奈川県庁付箋用紙 第三〇号 出願人ヨリ下戻方申出ニ拠リ書面却下ス 明治二十二年五月廿九日 神奈川県庁 第一部 (一〇) 上申 別紙願書下戻方出願仕候事無之候ニ付受理難相成候得者内務大臣ヘ出願之都合モ有之候間何等之理由御明記被成下度此段上申仕候也 明治二十二年五月三十日 橘樹郡矢崎村 北村二郎印 同郡宮川村 飯岡周蔵印 神奈川県知事 沖守固殿 (一一) 町村組合事務取扱方希望書 宮川村 矢崎村 一 宮川村矢崎村ニ関スル一切ノ事務ハ凡テ分任相成度尤法律上町村長収入役ニ於テ必ズ処分ヲ要スル事件ハ之ヲ調整シタル上町村長収入役ニ移シ処弁スルコト 一 宮川村矢崎村ニ関スル一切ノ証書帳簿類ハ悉皆助役ニ於テ預リ置其目録書ヲ町村長ニ呈出シ候コト 一 分任事件ハ前月分ヲ翌月十五日マデニ町村長ニ報告スルコト 一 右両村ニ関スル凡テノ費用ハ該村ニ於テ悉皆負担シ組合費用トシテ年額金拾円ヲ組合役場ヘ上納可致コト 一 助役ハ該両村ヨリ各一名ツヽ撰出シ前条ノ事務ヲ分担処弁シ又ハ双方補助スル等便宜取扱フコト 一 助役ハ両村内便宜ノ場所ニ於テ事務取扱候コト 前条ノ通リ事務取扱被成候ハヽ村民ノ便益不尠候ニ付保土ヶ谷町ニ於テモ特ニ承諾致呉候様一同希望仕候也 明治廿二年六月一日 宮川村々議員 飯岡周蔵 飯岡清兵衛 青木勘吉 矢部佐吉 安藤鉄次郎 本郷竹蔵 飯岡文吉 石井富蔵 矢崎村々会議員 北村二郎 板津芳太郎 大塚弥太郎 山本幸太郎 前新条定決被成候ハヽ過日差出候願届等ノ書類御下戻シ被下度候 神奈川県属 金田吉郎殿 二ケ村負担費用 一金 三拾円 消耗品 但シ一ケ月金弐円五拾銭 一金 四拾八円 書記給料 但シ一ケ月金四円 一金 四拾八円 小使給料 但シ一ケ月金四円 一金 四拾八円 助役二名報酬 但シ一ケ月金四円 一金 六円  官報神奈川県公報代 但シ一ケ月六拾六銭七厘 一金 六円 借家料 但シ一ケ月金五拾銭 計金 百八拾八円 外 一金 拾弐円 町村役場実費 合計金 弐百円 右之通ニ候也 明治廿二年六月一日 宮川村 矢崎村 (一二) 請願書 昨年町村制実施ニ先チ橘樹郡属ナル仏向坂本〔現今矢崎村〕ノ両村ハ程ケ谷駅トノ連合ヲ離レテ都築郡属ナル二俣川村トノ連合ナル川島上星川〔現今西谷村〕ノ両村ニ合併シ何レカ其一方ノ郡属タランノ望ミヲ抱キ双方協議賛同ノ上共ニ神奈川県庁ニ出願シ大ニ其理由ヲ状陳セシガ不幸ニシテ認可ノ沙汰ニ及バザリキ是村民挙ツテ遺憾ニ堪ヱザル所ナリ去レバ不幸ヲ歎シツヽ依然トシテ程ケ谷駅ト連合シ居ランカ徒来ノ経歴ニヨルニ実ニ不便ニシテ且大ナル損害アルヲ奈何セン因テ止ムヲ得ズ偸安ノ計暫ク仏向坂本ノ両村相合シテ矢崎村トナリ〓ニ始メテ程ケ谷駅ト究竟分離ノ基礎ヲ作リ役場ヲ支分シテ村内ノ事務ヲ掌理セシモ素トヨリ一小寒村ノ之ヲ維持スルノ困難ナルノミナラズ况ヤ程ケ谷駅トノ連帯ノ費用ヲ免カレザルニ於テヲヤ是則チ一時ノ究計ニシテ固トヨリ永遠ノ望ミアルニアラザレバ郡制実施ニ先ツノ今日再ビ両村賛同シテ敢テ請願スル所以ナリ依テ更ニ左ニ其理由ヲ詳述シ以テ閣下ノ憐察ヲ仰カントス 一 矢崎村ハ橘樹郡属ニシテ其隣レル者ハ程ケ谷及ビ都筑郡属ナル西谷村トス而シテ程ケ谷駅ハ東海道筋ニ当テ家屋連続往来頻繁タリ故ニ従テ商業モ繁栄シ富ノ程度モ自ラ高マリ生計ノ度モ大ニ其趣キヲ異ニセリ之ニ反シ矢崎村ハ偏隅ノ小村落ニシテ戴星踏月ノ労ヲ取テ以テ纔ニ消日ナシツヽアル者ナリ加之ニ人情風俗ノ如キハ全ク其岐ヲ異ニシ平生ノ出来事ニシテ未ダ嘗テ相関支柱セラレタルコトアラズ若シ夫レ管轄ノ上ヨリ云ハバ同ジク橘樹郡属タリト雖モ山アリ川アリ林アリテ其境界ヲ形作リ交際ノ事自然ニ相疎隔シ平生其利害ノ関係ハ殆ド絶無ト云フテ可ナリ然ルニ西谷村ハ其郡属ヲ異ニスト雖モ地相接シ家相連リ人情風俗生計富度皆稍ヤ均一ナリ故ニ平生ノ交誼従テ親密ニシテ冠婚葬祭ノ如キ末事ニ至ルマデ互ニ往来祝弔シ其状恰モ同村ニ均シキ観ヲ為スモノ是今日ノ現勢ナリ夫レ人類ハ感情ヲ同フシ利害ヲ共ニスル者ヲ求テ集合スル者タルコト是実ニ自然ノ理勢ナリ矢崎村ガ同郡属ナル程ケ谷駅ヲ避ケテ殊ニ郡属ヲ異ニスル西谷村ト其交誼ヲ深フシ其利害ヲ訴フル所以ノ者ハ寔ニ是レ感情利害ヲ同一ニスルノ適証ナリトス然ルニ感情ヲ異ニシ利害ヲ同フセザル人類ヲ同一ノ柵中ニ駆テ同一ノ管理法ヲ以テ之ヲ支配セントスルハ蓋シ一村相和親シ以テ福祉ヲ後来ニ希図スルノ道ニアラザルナリ斯ノ如キ道理アルガ故ニ矢崎村ハ断乎トシテ程ケ谷駅ニ連合ノ不利ヲ唱フルニ至テ切ナリトス 一 若シ夫レ生計富度ニ大差アル二個ノ土地ヲ結付ケテ均一ノ納租ヲ為サシムルハ優者ノ幸劣者ノ不幸ト云ハザルヲ得ズ矢崎村ガ程ケ谷駅ト連合スルトキハ均シク同一ノ納租ヲ辞ス能ハザルハ自然ノ道理ニシテ而シテ其富度生計ノ程ケ谷駅ハ連合ノコトニヨリ納租ノ義務ノ幾分ヲ免カレタル者ト云フベキモ優者ニ結付ケラレテ同一ノ負荷ヲ為シ苦痛ノ淵ニ沈ム矢崎村ノ不幸果シテ幾千ゾヤ則チ其負荷ノ重キヲ致ス目前一二ノ例ヲ挙グレバ矢島村ハ従来衛生消防ノ二費ヲ要セズ道路橋梁ニ関スル費用ノ如キモ絶テ之レ有ラザルニ其連合シ居ルノ故ヲ以テ是等ノ費用モ亦従テ連帯支出セザルヲ得ズ是劣者ノ位置ニ立ツ矢崎村ノ到底重荷ニ堪ヱザル所ナリ一 以上二個ノ理由ニ依リテ矢崎村ガ程ケ谷駅ニ連合ノ不利ナルコト既ニ明カナリ矣以下西谷村ノ矢崎村ト併合スルノ便且利ナルノ理由ヲ述ベン抑西谷村ト矢崎村トハ共ニ坦然タル一帯ノ平地ニシテ家屋モ亦相連リ自然一村落ノ形ヲナセル者ニ似タリ故ニ其人情風俗ハ毫モ異ナル所ナク富度生計ノ如キモ殆ド同一ナリ而シテ西谷村ハ現今二俣川村ノ組合内ナルガ故納租ノ期至ルトキハ其地ニ於テ製産セル物品ヲバ横浜若シクハ神奈川程ケ谷等ニ齎ラシ而シテ居村ニ帰リ復更ニ西方壱里余ノ外ニアル二俣川村ニ至リ以テ其義務ヲ果ス等ノ如キ其他是ニ追従セルノ不便不利甚ダ多シ况ヤ二俣川村ト西谷村トノ間ニハ許多ノ坂路アリ林巒アリテ天然両村ノ境界ヲ為ス者ノ如シ是ヲ以テ納租其他ニテ村民ノ村長役場ニ往復スル者其困難少ナキニアラズ惟リ困難ナルノミナラズ之ニ要スル時間ノ徒費経済上云フ可カラザルノ損失アリ然ラバ全ク二俣川村ノ組合ヲ離レテ独立自治ノ方針ヲ取ランカ一小村ノ能ク費用ヲ支フル能ハザルコト恰モ矢崎村ノ程ケ谷駅ニ於ケルガ如キヲ奈何センヤ然ルヲ万一矢崎西谷ノ両村併合シ其中央ニ於テ村内ノ事務ヲ掌理スルトキハ最遠ノ地ヨリスルモ纔ニ半里ニ過ギザレド之ヲ従前ノ二俣川村ニ往復スルニ比スルニ主トシテ其不便不経済ヲ除キ且其感情利害ヲ共ニスル両村ガ同一ノ支配内ニ在ルコトナレバ百事千端其支配ヲ異ニセル当時ニ比シテ各村ガ禀受スル便益決シテ尠少ニアラザルナリ今矢崎村ノ有スル地価及ビ戸数ヲ挙ゲンニ地価金弐万六百四拾三円六拾七銭三厘戸数八拾四戸ニシテ都筑郡属ナル西谷村ガ保有セル地価戸数ハ即チ地価金五万壱千零弐拾五円三拾三銭三厘戸数弐百拾七戸ナリ即チ其地価全戸数ヲ合算スレバ地価金七万一千六百六拾九円零六厘戸数三百零壱戸ナリ且近来此西谷矢崎両村ノ間ニ跨リテ一ツノ屑繭紡績会社ノ設立アリ為ニ両村ノ間ニ日々戸数ノ増加スルノ勢アリ這ハ枝葉瑣末ノ事柄ナリト雖モ是亦両村ノ併合ヲ促スノ一因トシテ数フ可キモノトス故ニ付記シテ参考ニ供ス以上数多ノ理由アルヲ以テ此両村ヲ連結シ得ラルル者トセバ両村ガ将来ニ受クルノ福利実ニ大ナリト謂フ可シ 一 右ハ矢崎村ガ程ケ谷駅ニ連合セルノ不便不利ニシテ西谷村ト合併スルノ宏益アル理由ヲ挙述シ及ビ西谷村ノ矢崎村ト連結スルノ便且利ナル要略トヲ列載スル者ニシテ其郡属ノ如キハ何レニ属スルモ双方共ニ敢テ不可ヲ唱フル者ニアラズ依テ〓ニ両村人民総代署名捺印スル者ナリ誠ニ夫レ本願ノ許否何如ハ以テ我西谷矢崎両村人民享福ノ消長ニ至大ノ関係ヲ有スル者ニ付キ伏テ願クハ閣下ガ充分ノ観察ト憐愛トヲ以テ本願ノ素志ヲ遂ケシメラレンコトヲ敢テ奉請願候也 明治二十三年十一月 日 神奈川県都筑郡西谷村 総代 石井綱七印 同 苅部善次郎印 同 苅部広助印 同 中田林三郎印 同県橘樹郡矢崎村 総代 大塚弥太郎印 同 板津芳太郎印 同 北村二郎印 同 横溝四郎兵衛印 内務大臣 西郷従道殿 (一三) 拝啓陳者曩ニ口上ヲ以テ申上候二ケ村(宮川矢崎)事務所位置之義過日御返事承リ候ニ付本日更ニ法性寺ヱ集合致シ候所左之通リ希望候 一 二ケ村事務所位置之義者二ケ村尤モ遠隔ナル住家ヨリ里程ヲ計リ何村ニ係ラズ中央ノケ所ニ相定新築スベキコト 但里程ハ双方立会測量ノコト 二 右新築之義不可ニ候ハヾ両村ノ内一ケ年ヅヽ交番ニ借家シ事務所相定候事 但シ可相成両村ノ中央ヨリ遠隔セザル場所ヱ借家シ事務所トナスベシ 右者明治廿五年二月十五日弊村相談之上貴村諸君ノ賛成ヲ得度候間御相談ノ上右二ケ条ノ内何レ成共可否御返事承リ度候尤モ本日ヨリ 一週間位之内ニ御回答被下度候 頓首 明治卅五年二月十五日 宮川村会 矢崎村 議員御中 拝復矢崎村宮川村事務所移転之義御申越被成候処右ハ移転ノ必要ヲ認メ申サヾルニ付賛成難致候段及御回答候也 明治廿五年二月十七日 矢崎村会 宮川村 議員御中 (一四) 上申 橘樹郡訓令第二二号ヲ以テ組合規定更正之儀訓令相成候趣御通知相成依テ近日連合会開合可相成候思考仕候右ニ付テハ当村復セザル廉有之請願致シ候間暫ク開会之義御猶予相成候様願度此段上申仕候也明治廿七年十月廿八日 矢崎村議員 板津芳太郎印 山本金蔵印 山本幸太郎印 山本直次郎印 北村徳次郎印 横溝四郎兵衛印 岩本市右衛門印 北村二郎印 保土ケ谷町外二ケ村 組合長 金子泰吉殿 (一五) 請願書 橘樹郡 矢崎村 従来矢崎村ハ宮川村ト共ニ程ケ谷町ト組合タルノ体面ヲ維持スルモ其間ニ種々ノ事情ノ存スルモノ在テ組合ハ其名ノミニシテ実際ニ於テハ殆ンド独立ノ姿ニ似タリ然ルニ今般監督官庁ノ訓令ニ由テ之レガ組織ヲ変改セザルヲ得ザルニ至レリ然ラバ該訓令ニ基テ之ガ組織ヲ変改センカ此レニ由テ生出スル所ノ人民ノ損害尠少ナラザルヲ奈何センヤ依テ今矢崎宮川両村及ビ程ケ谷町カ町村制実施以来ニ於ケル経歴及ビ種々纒綿セル事情ニ係ル顚末ノ要略ヲ具状シ以テ閣下ノ参按ニ供セントス 抑曩キニ町村制実施ニ先ッテ矢崎村宮川村ヲ以テ程ケ谷町ニ合併ス可キ旨ノ令達アリタリ然レドモ山間僻隅タル矢崎宮川ノ一簇ヲ以テ小都邑トモ云フ可キ程ケ谷町ニ編入スルトセンカ其地形上ヨリスルモ富度生計ノ差ヨリスルモ又人情風俗ノ異ナル所ヨリスルモ殆ンド別天地ノ如キ観アル異質ノ二町村ヲ結合シテ一率ノ下ニ一切ノ事務ヲ共同処理セシムルガ如キハ必竟双方ノ間ニ於ケル安寧幸福ヲ永遠ニ希図スルノ道ニアラザルヲ以テ矢崎宮川ノ二村ハ程ケ谷町ニ合併ノ令達ニ服セズ既チ事情ヲ開陳シテ之レガ取消ヲ請願セリ官庁ノ高明ナル其事理ノアル所ヲ洞見セラレ直チニ合併ノ令達ヲ取リ消サレ更ニ該二村ヲ以テ程ケ谷町ト組合組織ニ改ムベキ達示アリタリ左レドモ合併ト組合トハ素ヨリ其名実共ニ異ナリト雖モ尚ホ利害得喪ヲ共ニセザル異質ノ町村ヲ結合スル以上ハ其不便不利タル猶均シク啻其苦痛ヲ感ズルノ点ニ於テ稍々小ナルノミ曷ゾ不便不利ノ大ニシテ且ツ早晩双方ノ間ニ破綻ヲ招クノ因トナル可キヲ知リツヽ黙従シテ以テ言ヲ将来ニ遺スニ忍ビンヤ是ニ由テ関係町村ノ議員一同熟議ノ上右一同ノ連署ヲ以テ解組ノ事ヲ訴願セリ是レ其程ケ谷町トノ組合組織ノ不便不利タル独リ矢崎宮川ノ両村ノミニ止マラズ程ケ谷町モ亦感ヲ同フスルヤ明カナリ何トナレバ之レガ解組ノ訴願ニ共ニ賛同シテ連署セシモノナレバナリ然レドモ当時監督官庁ハ如何ナル都合ニ依レルモノ歟遂ニ願意ヲ聴許セラレズ只管程ケ谷町ニ組合タランコトヲ勧誘懇諭セラレタリ当時其懇諭ノ言ニ曰ク是レ一ケ年間表面上(裏面ハ独立)唯町村制順序方法ニ依ルノミ是レ組合規定ヲ見ルモ明カナリ追テ解組ノ出願ヲナサバ直ニ之ヲ許可スベシト(当時監督官庁ト本村総代人トノ間ニ往復セルノ文書尚存スルモノアリ一閲ヲ賜ハヾ明カナルベシ若シ夫レ時宜ニヨラバ貴覧ニ供セン)然リト雖モ矢崎宮川ハ尚之レヲ適理ノ処置トセズ究竟一時矢崎宮川ニ限ル一切ノ事務取扱ノ為メ両村ノ間ニ一役場ヲ設ケ之レニ二名ノ助役ヲ置キ右二村ニ限ル事務ヲ掌理スルコトヲ得ルノ許可ヲ得タリ是レ蓋シ監督官庁ニ於テモ該二村ノ程ケ谷町ト組合フノ必竟不得策タルヲ認識セラレタルニ由ルモノナルコト論ヲ俟タズ其後再ビ素願ヲ達セントシ之レガ手続ヲナシタリシモ監督官庁ハ何故ニカ言ヲ左右ニシ前約ヲ履行セラレザリキ爾来涙ヲ呑ンデ遷延今日ニ至リタリ是レ誠ニ村民一同ノ遺憾ニ堪ヘザル所ニシテ又監督官庁ノ処置適理ナラザリシヲ憾ミザルヲ得ザル所トス然ルニ豈図ランヤ監督官庁ハ今ヤ突然トシテ橘樹郡訓令第二二号ヲ以テ左ノ如ク達セラリタリ (橘樹郡訓令第二二号) 保土ケ谷町 宮川町 矢崎村 組合 其町村組名規定ノ内左之事項ハ不適法ナルコトヲ認メ候ニ付更正スベシ 一 条例ニヨルニアラズシテ助役数名ヲ置クコトハ相成ラズ 二 助役ハ組合会ニ於テ選挙スベキモノトス 従テ各町村ニ置クコトヲ得ズ 三 組合費ノ予算ヲ置キ組合会ニ於テ議決セザルベカラズ 四 各村ニ役場ヲ設クベカラズ 五 町村一切ノ事務ハ分掌スベキ者ニアラズ 右訓令ス 明治二七年十月廿二日 神奈川県橘樹郡長 安達安民(印)右ノ訓令ニ接シテ吾等人民ハ啞然トシテ驚キ喟然トシテ歎ズルノ外ナシ否ナ驚キ且ツ歎ジテ止ム可キモノナランヤ抑々矢崎宮川ノ程ケ谷ニ組合ヒ二村ノ間ニ役場ヲ設ケ助役ヲ置キ事務ヲ分掌シ来リシガ如キハ固ヨリ本村人民等ノ素望ニハアラザリシナリ只夫レ解組ノ上独立ニ至ル迄ノ倫安姑息ノ策ノミ何ゾ永安ノ計ナランヤ其止ムヲ得ザルニ出デシ事ノ事実ハ前段ニ於テ既ニ詳カナリ豈復弁ヲ要センヤ以上陳述スル所之ヲ要スルニ矢崎村ノ程ケ谷ニ組合タルコトハ土地遠隔ノ不便ハ言ヲ待タズ主トシテ富度生計及ビ人情風俗ノ異ナルヨリ自然得失利害ヲ共ニセザル異質ノ町村ヲ強テ組合タラシムルハ将来調和ノ見据之レナキノミナラズ却テ双方ノ不利ヲ来シ害ヲ永遠ニ遺スノ恐レナキ能ハザルヲ以テ庶幾クバ閣下ノ明断速ニ解組ノ御許可アランコトヲ別紙旧請願書之写相副此段奉懇願候也 追テ以上具陳スル所ハ啻其概要ニ止マレバ委曲ハ口頭ヲ以テ陳述 可仕候 明治二十七年十一月十六日 橘樹郡矢崎村々民総代 板津芳太郎 山本直二郎 横溝四郎兵衛 山本幸太郎 北村徳二郎 山本金蔵 岩本市右衛門 北村二郎 神奈川県知事 中野健明殿 (一六) 明治二七年十一月十六日付組合解組願書ハ一村ノ議員トシテ願出ヘキ筋ニ無之何分詮議難相成旨ニテ別紙願書却下相成候ニ付及御返戻候也 明治二七年十一月二八日 保土ケ谷町外弐ケ村 組合長 金子泰吉(印) 矢崎村 北村二郎殿 岩本市右衛門殿 山本金蔵殿 山本幸太郎殿 山本直次郎殿 板津芳太郎殿 (「北村家文書」『保土ケ谷郷土史』下巻) 一四九 津久井郡中野村他四か村組合分離問題に関する行政裁判関係書類(一-六) (一) 明治廿九年八月廿八日 不当処分取消請求訴願ニ対シ神奈川県参事会裁決不当ノ訴状 原告訴訟代理人 利光鶴松 訴状 神奈川県津久井郡中野村外四ケ村組合会 議長同組合長 原告 八木国次郎 安政六年六月生 里程十五里 東京市麴町区内幸町一丁目三番地 弁護士 右訴訟代理人 利光鶴松 被告 宇高正郎 不当処分取消請求ノ訴願ニ対シ神奈川県参事会裁決不当ノ訴 一 定ノ申立 神奈川県津久井郡中野村外四ケ村組合ニ於テ組合分離ノ件ヲ議決シタルハ権限ヲ超ヘタル議決ニアラス依テ被告ノ与ヘタル裁決ハ取消スヘキモノナリ訴訟費用ハ被告ノ負担トスト判決相成度候也 事実 明治廿九年二月廿五日神奈川県津久井郡中野村外四ケ村組合会ハ区域濶大ニ過キ人情風俗ヲ異ニシ自治ノ実挙ラサル等ノ故ヲ以テ該五ケ村組合分離ノ議決ヲナシタルヲ以テ被告監督官庁ニ出願セシニ被告津久井郡長ハ本年四月九日付属書第一号ノ如ク訓令第廿五号ヲ以テ「組合分離ノ議決ハ組合町村ノ協議ニ出ツヘキモノニシテ組合会ニ於テ議決スヘキモノニ無之旨ヲ以テ該議決取消スヘキ旨」ヲ訓令シ来レリ依テ本年四月十八日更ニ組合会ヲ開キ被告ノ訓令ヲ示シテ再議セシメシモ組合会ハ固ク前義ノ正当ナルコトヲ主張シ決シテ権限ヲ越ヘタルモノニ非ズト議決シ前議ヲ更メサルニヨリ付属書第二号ノ如ク津久井郡参事会ノ裁決ヲ求メタルニ付属書第三号ノ如ク被告「組合分離ノ事ハ組合五ケ村ノ協議ニ出ツルカ又ハ五ケ村ノ村会ニ於テ議スルノ外組合会ニ於テハ議決スヘキモノニ非ラサルニ付組合会ニ於テ組合ノ分離ヲ議決シタルハ権限ヲ越ヘタル議決ニシテ郡長カ議決ノ取消ヲ訓令シタルハ不当ノ処置ニ非ラズ」トノ裁決ヲ下シタリ依テ付属書第四号ノ如ク本年五月二十八日更ニ神奈川県参事会ニ向ツテ前記郡参事会裁決ニ関シ訴願シタルニ本年八月七日付属書第五号ノ如ク「中野村外四ケ村組合会ニ於テ為シタル組合分離ノ議決ニ対シ津久井郡参事会ノ職務ヲ行フ津久井郡長宇高正郎ノ与ヘタル裁決ハ取消ヘキ限リニアラズ」トノ裁決ヲ下セリ於爰更ニ本訴ヲ提起スルノ止ムコト無キニ至レリ今其請求ノ理由ヲ左ニ開陳セン理由 抑本件中野村外四ケ村組合ハ町村制実施ノ当時各村独立ヲ主張シ五ケ村組合ハ容易ニ協議整ハサルヲ以テ津久井郡長ハ付属第六号ノ如ク五ケ村組合ヲ設ケタルヨリ漸ク関係五ケ村ハ協議シテ組合規約ヲ定メタリ而シテ本件ニ於テ裁決ヲ受クヘキ要旨ハ明治廿九年二月廿五日中野村外四ケ村組合会ニ於テ同組合分離ノ件ヲ議決シタルハ権限ヲ越ヘタルモノナルヤ否従ツテ津久井郡参事会ノ職務ヲ行フ被告津久井郡長宇高正郎ノ与ヘタル裁決ハ取消スヘキ理由アリヤ否ヤニアリトス 依テ案スルニ神奈川県参事会裁決ノ理由タルヤ「本来組合会ハ其組合協議規定ニ依リ与ヘタル権限内ノ事項ヲ議決スルノ外該規定ノ範囲外ニ渉リ若クハ之レニ矛盾スルカ如キ議決ヲ為スコトヲ得ス故ニ組合ヲ解除スルトキハ組合会ノ議決ニ依ル可シトノ特ニ規定ナキ以上ハ組合会ニ於テハ此等ノ権限ヲ有セルモノニアラス」云々ト云フニアレトモ是レ法理ヲ顚倒シタルモノニシテ且町村制ノ精神ヲ無視セルモノナリ元来本組合協議規定書第十項ニ「此規定ニナキモノハ総テ本制ニ依ルモノトス」トアルヲ以テ町村会ニ属スル権限ト本組合会ノ権限トニ一ノ相違スル点アルヲ見ス而シテ其組合会ニ於テ組合ヲ分離スルハ一ニ組合ニ属スル専権ニシテ従テ之レカ議決ヲナシタルハ相当ナリトス何ントナレバ苟クモ既ニ関係組合各村ニ於テ協議ノ上組合協議規定ニ依リ一ノ組合会成立シタル以上ハ即チ其代議機関存スルヲ以テ之ニ依テ其組合ノ意思ヲ発表ス可ク従テ其意思ノ存スル所ニ依テ組合会ノ存廃ヲモ決議シ得ヘキハ当然ナレハナリ况ンヤ町村制及組合協議規定ニ如斯決議権ナシトノ所謂禁止的規定又ハ之ニ抵触スヘキ条項アルニ非ラサルヲヤ然ラバ則チ組合ヲ解除スルトキハ組合会ノ議決ニ依ル可シトノ特ニ規定存スルニアラサレハ組合会ニ於テ此等ノ権限ヲ有スルモノニアラズト為スハ甚タ理由ナキナリ且夫レ県参事会説明スル理由ノ如ク組合ノ存廃ハ組合内各村ニ直接利害ノ関係ヲ有スルヲ以テ其各村ニ限リ組合ヲ解除スルノ権限アリトナサンと是其代議機関タル組合会ヲ無視シタルモノナリ町村制第百拾八条ニ協議云々ノ文字ヲ明記セサル所ヲ以テ見ルモ既ニ其関係各村ノ代議機関タル組合会具備セル以上ハ特ニ各村更ラニ協議スルノ必要ナキコトヲ認メタルモノニシテ畢竟右県参事会ノ説明ハ組合会ノ何物タルヲ弁識セサルモノナリ 飜ッテ被告カ本件議決ハ取消スベシトノ論旨ヲ観ルニ「当初組合ヲ組織シタル時ト均シク五ケ村宜シク協議ヲ遂クルカ又ハ五ケ村々会ニ於テ議決スルカ」二者其一ニ拠ル可キモノナリト云フニアレトモ抑五ケ村更ラニ協議ヲ遂クベシト為スハ全ク其代議機関タル組合会ヲ無視シタルモノニシテ即組合会ナキ場合ト同一ノ場合ヲ論スルモノト一般ニシテ甚タ無謂ノ論旨タリ又五ケ村々会ニ於テ議決スヘシトナスハ村会ノ何タルヲ解セサルモノニシテ且如斯議決ハ村会ニ於テスベシトノ町村制ノ規定ナシ又実際町村会カ之ヲ議決セントスルモ其各町村ハ利害相反シ又ハ絶対ニ利害ノ関係ナキ町村アルヲ以テ到底正当ノ議決ヲ為シ得サルヤ明ナリ然ラバ即チ最モ直接其利害関係ヲ有スル関係各村ノ代議機関タル組合会ニ於テ是等ノ議決ヲ為スハ尤モ適当ナリトス且町村制其他組合協議規定等ニ於テ之ヲ禁止スル如キ反対条項ナキモノナルコトハ前段既ニ詳説スル如クナレハ到底以上ノ論旨ハ失当タルヲ免レズ 立証 付属書第一号ヨリ第六号マテヲ以テ本件ノ立証トス 神奈川県参事会ヨリ裁決書ヲ交付シタル年月日 明治廿九年八月七日 以上 明治廿九年八月廿八日 原告訴訟代理人 利元鶴松印 行政裁判所長官 箕作麟祥殿 証拠物写 『付属書第壱号』 津久井郡訓令第二五号 中野村外四ケ村組合役場 明治廿九年二月二十八日四月二日報告中野村外四ケ村組合会ニ於テ該組合分離上申ヲナスノ議決ハ組合町村ノ協議ニ出ツヘキモノニシテ組合会ニ於議決スヘキモノニ無之候条該議決ハ取消サルヘシ 明治廿九年四月九日 神奈川県津久井郡長 宇高正郎 『付属書第弐号』 中野村外四ケ村組合会職務権限ノ義ニ付上申 明治廿九年二月廿五日中野村外四ケ村組合会ハ区域濶大ニ過キ人情風俗ヲ異ニシ自治之実挙ラサル等ノ故ヲ以テ組合分離之議決ヲナシ已ニ出願致シ候処然ルニ監督官庁ハ本月九日訓令第弐拾五号ヲ以テ組合分離ノ議決ハ組合町村ノ協議ニ出ツヘキモノニシテ組合会ニ於テ議決スヘキモノニ無之ニ付該議決ハ取消スヘキ旨ヲ達セラレタルニョリ本月十八日更ニ組合会ヲ開キ監督官庁ノ指揮ニョリ分離ノ議決ヲ取消スヘキ旨ヲ以テ再議セシムルト雖モ組合会ハ固ク前議決之正当ナルヲ主張シ決シテ権限ヲ越ヘサルモノト議決シタリ 因テ組合会ハ前議決ヲ更メサルニ付本制第六拾八条第二項第一ニ依リ具申仕候間相当ノ御裁決相成度此段及上申候也 明治廿九年四月廿二日 津久井郡中野村外四ケ村 組合長 八木国次郎 津久井郡参事会 津久井郡長 宇高正郎殿 『付属書第参号』 裁第壱号 裁決書 神奈川県津久井郡中野村外四ケ村組合長 請求者 八木国次郎 右請求者請求ノ要旨ハ中野村外四ケ村組合会ハ明治廿九年二月廿五日該組合分離ノ件ヲ議決セシニ津久井郡長ハ組合分離ハ組合町村ノ協議ニ出ツヘキモノニシテ組合会ニ於テ議決スヘカラサルモノトシ取消スヘキ旨ヲ訓令セリ依テ四月十八日更ニ組合会ヲ開キ組合分離議決取消ヲ再議セシムルト雖モ組合会ハ固ク前議ノ正当ナルヲ主張シ決シテ権限ヲ越ヘタルモノニ非スト議決シ前議決ヲ更メサルニ依リ津久井郡参事会ノ裁決ヲ請フト云フニ在リ依テ神奈川県津久井郡長ハ町村制第六拾八条同付則第百三拾条ニ依リ之ヲ受ケ審理説明スル左ノ如シ 請求者ハ組合ヲ組織スルニハ代議機関ナキニ依リ協議ヲ以テスルモ代議機関アル以上ハ町村組合ヲ分離スルニ組合会ニ於テ議決スルノ相当ナルハ町村制第百拾八条ニ協議スヘシトノ明文ナキヲ以テ特ニ協議スルノ必要ナキモノト思考スルト云フト雖モ抑モ中野村外四ケ村組合ハ明治廿二年町村制実施ノ際同制第百十六条ニ基キ五ケ村組合ヲ設ケシメ五ケ村協議ノ上組合協議規定定マリ組合規定定マッテ而後組合会議生シタルモノナリ故ニ五ケ村組合ヲ分離セント欲セハ当初組合ヲ組織シタル時ト均シク五ケ村宜シク協議ヲ遂クルカ又ハ五ケ村々会ニ於テ議決スルカ二者其一ニ拠ルヘキモノニシテ組合会ナル代議機関アル以上ハ之レカ議決ヲナスハ相当ナリトノ解釈ヲ以テ直ニ組合会ニ於テ議シタルハ当ヲ得サルモノトス其故何トナレハ元来組合ナルモノハ関係町村ノ協議ヲ以テ組合会議ノ組織事務管理ノ方法費用支弁ノ方法及分担等ヲ定メテ組織スルモノナルカ故ニ組合会ノ権限ハ組合協議規定ニ依リ与ヘラレタル範囲内ニ止リテ組合ヲ離解スルカ如キ組合協議規定以外ノ事項ヲ議スルノ権限ヲ有セサレハナリ要之組合分離ノ事ハ五ケ村ノ協議ニ出ルカ又ハ五ケ村々会ニ於テ議スルノ外組合会ニ於テハ議スベキモノニアラズト断定ス其他同制第百十六条第百十七条ヲ援キ同制第百十八条ニ協議ノ文字ナキヲ以テ協議ニ依ルノ必要ナシト論スルト雖モ上来説明スル如キ道理ナルヲ以テ斯ノ如キ引証ハ本案裁決ヲ請フノ材料ト為スニ足ラス右ノ理由ナルニ依リ裁決スルコト左ノ如シ 神奈川県津久井郡中野村外四ケ村組合会ニ於テ組合分離ノ件ヲ議決シタルハ町村制其他法律中依拠スヘキ適条ナク且組合協議規定中明文ナキヲ以テ権限ヲ越ヘタル議決トス依テ神奈川県津久井郡長カ議決取消ヲ訓令シタルハ不当ノ処置ニアラス 明治廿十年五月十八日 神奈川県津久井郡長 宇高正郎 『付属書第四号』 中野村外四ケ村組合会職務権限之儀ニ付訴願 当中野村外四ケ村組合会ハ明治廿九年二月廿五日組合分離ノ件ヲ議決シ直ニ出願シタルニ郡長ハ組合分離ハ組合町村ノ協議ニ出ツヘキモノニシテ組合会ニ於テ議決スヘカラザルモノトシ取消スヘキ旨ヲ訓令セラレタルニ依リ四月十八日更ニ組合会ヲ開キ郡長ヨリノ訓令ヲ示シテ再議セシメシモ組合会ハ固ク前議決ノ正当ナルヲ主張シ決シテ権限ヲ越ヘタルモノニアラズト議決シ前議ヲ更メサルニ依リ津久井郡参事会ノ裁決ヲ求メタルニ郡長ハ組合分離ノ事ハ組合五ケ村ノ協議ニ出ルカ又ハ五ケ村ノ村会ニ於テ議スルノ外組合会ニ於テハ議決スヘキモノニ非サルニ付組合会ニ於テ組合ノ分離ヲ議決シタハ権限ヲ越ヘタル議決ニシテ郡長カ議決ノ取消ヲ訓令シタルハ不当ノ処置ニアラストノ裁決ヲ下シタリ抑モ中野村外四ケ村組合ハ町村制実施ノ際ニ当リ各村独立ヲ主張シ五ケ村ノ組合ハ容易ニ協議整ハサル傾キアルヲ以テ郡長ハ本制第百十六条第二項ニ基キ五ケ村ノ組合ヲ設ケラレタルニ依リ関係五ケ村ハ協議シテ組合規定ヲ定メ其理由タルヤ組合共同事務ト各村特別ノ事務トヲ区分シ組合ニ通スル事務ハ総テ組合ニテ処弁シ之ニ要スル費用ハ組合費ヲ以テ支弁スルモノト規定シ別段組合会ノ職務権限ハ規定セサルモ其末項ニ「此規定ニナキモノハ総テ本制ニ依ルモノトス」トシタルハ組合会ノ職務権限及処務規定ノ如キハ本制第三拾弐条ヨリ同五十条ニ至ルノ規定ニ準拠スルハ論ヲ俟タス何ソ組合会ト町村会トノ職務権限ニ相違アルヲ見ス况ンヤ組合ヲ分離スルハ組合ニ属スル職権ニシテ組合会ニ於テ議決シタルハ相当ナルヲ郡長ハ反テ組合ニ関係ナキ各村々会ニテ議決スヘキモノトシタルハ不当ノ裁決ト言ハサルヲ得ス何ントナレハ組合ヲ分離スルハ組合全体ニ関スル事件ニシテ各村特別ノ事件ニハ之ナク故ニ各村々会ハ特別ノ事件ニ限リテ議決シ組合全体ニ関スル事件ハ総テ組合会ノ職権トナシタルハ組合協議規定書ニ明瞭ナリ又組合ヲ分離スルニハ五ケ村ノ協議ニ出ツヘシト言フト雖モ已ニ組合会ナル代議機関アル以上ハ組合分離ヲ組合会ニ於テ議決シタルハ相当ニシテ若シ協議ヲ必要トスレバ本制第百十八条ニ協議云々ノ文字ヲ明記スルモノニシテ本条ニ協議ノ文字ナキハ代議機関ノ設ケアルニ依リ特ニ協議スルノ必用ナケレハナリ「之レヲ要スルニ始メテ組合ヲ組織スルニハ代議機関ナキヲ以テ協議ニ依ルモ代議機関アル以上ハ組合全体ニ関スル事件則チ組合分離ヲ議決スルハ組合会ノ職権ニシテ町村制及組合協議規定ニ抵触シタル条項ナキヲ以テ組合会ノ議決ハ決シテ権限ヲ越ヘサルモノト確信ス」 因テ津久井郡長ノ裁決ハ不当ナルニ依リ之ヲ取消サレ当組合会ノ議決ハ権限ヲ越ヘサルモノトノ御裁決相成度此段訴願仕候也 津久井郡中野村外四ヶ村組合会議長同組合長 明治廿九年五月廿八日 八木国次郎 神奈県参事会 神奈川県知事 中野健明殿 『付属書第五号 明治廿九年八月六日第壱号』 裁決書 津久井郡中野村外四ヶ村組合会議長 訴願者 八木国次郎 右訴願ノ要領ハ明治廿九年二月廿五日中野村外四ケ村組合会ニ於テ同組合分離ノ件ヲ議決シタルハ権限ヲ越ヘタルモノニアラサルヲ以テ津久井郡参事会ノ職務ヲ行フ津久井郡長宇高正郎ノ与ヘタル裁決ノ取消ヲ請求スル為メ本県知事ニ提出シタルモノナリ 訴願者申立ノ理由トスル所ニ本組合協議定中ニ此規定ナキモノハ総テ本制ニ依ルモノトスト規定シタルヲ以テ町村会ニ属スル権限ト本組合会ノ権限ニ相違アルヲ見ス組合ヲ分離スルハ組合ニ属スル職権ニシテ組合会ニ於テ議決シタルハ相当ナリ若シ組合ヲ分離セントスルニ協議ヲ必要トスルモノナレハ町村制第百十八条ニ協議云々ノ文字ヲ明記スヘキ筈ニシテ本条ニ協議ノ文字ナキハ代議機関ノ設ケアルニ依リ特ニ協議ノ必要ナケレハナリ故ニ組合ノ分離ヲ議決スルハ組合会ノ職権ニシテ町村制及組合協議規定ニ抵触シタル条項ナキヲ以テ組合会ノ議決ハ決シテ権限ヲ越ヘスト云フニアリ 依テ本県知事ハ町村制第百二十条ニ依リ之レヲ受理シ審査スル左ノ如シ 訴願者ハ前述ノ如ク申立ルト雖モ本来組合会ハ其組合協議規定ニ依リ与ヘタル権限内ノ事項ヲ議決スルノ外該規定ノ範囲外ニ渉リ若クハ之ニ矛盾スルカ如キ議決ヲ為スコトヲ得ス故ニ組合ヲ解除スルトキハ組合会ノ議決ニ依ルヘシトノ特ニ規定ナキ以上ハ組合会ニ於テハ此等ノ権限ヲ有スルモノニアラズ然ルニ本組合協議規定中組合会ニ此権限ヲ付与シタルノ条項ナク又組合ノ存廃ハ組合内各村ニ直接利害ノ関係ヲ有スルヲ以テ特ニ其権限ヲ組合会ニ付与セサル限リハ組合ヲ解除スルノ権限ハ専ラ関係各村ニ属スルモノトス是レヲ以テ津久井郡参事会ノ職務ヲ行フ津久井郡長宇高正郎ガ本件中野村外四ケ村組合会ニ於テ為タル組合分離ニ関スル議決ニ対シ権限ヲ越ヘタルモノト裁決シタルハ相当ナリトス 右ノ理由ニ依リ裁決スル左ノ如シ 中野村外四ケ村組合会ニ於テ為シタル組合分離ノ議決ニ対シ津久井郡参事会ノ職務ヲ行フ津久井郡長宇高正郎ノ与ヘタル裁決ハ取消ヘキ限リニアラス 明治廿九年八月七日 神奈川県知事 中野健明 『付属書第六号』 中野村太井村又野村三ヶ木村根小屋村組合協議規定書 第壱 組合議員ノ定数ハ戸数ノ多寡ニ準シ左ノ割合ヲ以テ之レヲ定ム 一 戸数百戸未満 弐名 一 戸数百戸以上弐百戸未満参名 一 戸数弐百戸以上 四名 第弐 前項ノ議員ハ各村々会議員ニ於テ其村内被撰挙権ヲ有スルモノヨリ選挙ス 『但議員中欠員アルトキハ二ケ月以内ニ補欠議員ヲ選挙スルモノトス』 第三 組合ニハ村長及ヒ助役収入役各一名トシ委員書記其他必要ノ付属員若干名ヲ置クモノトス 第四 前項ノ村長及助役ハ各村々会議員ヲ合シ会議ヲ開キ選挙ス 但委員ハ組合会議ニ於テ選挙スルモノトス 第五 収入役及書記其他付属員ハ村長ノ推薦ニ依リ組合会議ニ於テ選任スルモノトス 第六 組合役場ノ位置ハ中野村トス 第七 組合共同ノ事務ヲ定ムルコト左ノ如シ 一 衛生ニ関スルコト 一 勧業ニ関スルコト 一 救助ニ関スルコト 一 教育ニ関スルコト 一 其他組合ニ通スル事務 前項ノ外各村特別ノ事務ハ各村ニ於テ取扱フモノトス 第八 共同支弁スヘキ費目及其負担割合ハ左ノ如シ 一 組合役場費 一 組合会議費 一 衛生費 一 勧業費 一 救助費 一 其他組合共同事務ノ費用 是レハ割合ヲ付セス一定ノ税率ヲ以テ各村ニ賦課スルモノトス 但シ歳入出総計予算ノ外ニ生スル追徴ハ直々各個人ニ賦課スルコトヲ得 一 教育費ノ内高等小学校費 是レハ十分ノ五ヲ中野村負担トシ十分ノ五ヲ太井村根子屋村三ケ木村又野村ノ総地価戸数ニ割合負担スルモノトス 前項ノ外各村特別ノ費用ハ各村ニ於テ負担スルモノトス 第九 組合共同ノ物件ハ村長ニ於テ管理シ各村ノ所有ニ属スル営造物件ハ各村ニ於テ管理セシメ村長之ヲ監督セルモノトス 第十 此規定ニナキモノハ総テ本制ニ依ルモノトス 右写之通相違無之候也 明治廿九年八月廿八日 原告訴訟代理人 利光鶴松 (二) 不当裁決取消請求訴訟被告参考書 神奈川県津久井郡長 明治廿五年八月廿二日中野村外四ケ村組合会議ニ於テ中野村外四ケ村組合協議規定書別紙ノ通リ議決相成候間此段及報告候也 明治廿五年十一月一日 中野村外四ケ村組合 村長 三樹十右衛門 津久井郡長 松尾豊材殿 (注)前掲、証拠物写参照。 中野村外四ケ村組合分離ノ件ニ付上申 曩ニ政府ハ市町村制ヲ発布シ以テ地方ニ分権自治ヲ与フルコト固ヨリ其宜シキヲ得タリト雖若シ一朝其区画措置ヲ誤ルトキハ其害ノ及ブ所大ニシテ容易ニ其回復ノ期ヲ見ルコト無キニ至ル故ニ明治十一年郡区村編成法ヲ発シ鋭意慎重以テ旧来ノ事跡ヲ探究シ之ニ依テ郡町村ノ区域名称ヲ定メタルモノ遂ニ延テ今日ノ行政区画ニ及フモノアリト雖就中我中野村外四ケ村組合ノ如キハ実施以来嘗テ組合体共同事務ニシテ円滑ニ処理セシコトナク徒ニ因循姑息ノミ是レ計リテ未タ以テ自治ノ実ヲ見ルコト能ハサルハ何ソヤ之レヲ要スルニ当初編成区域ノ措置ヲ誤ルニ基因セスンハアラサルナリ何トナレハモト市町村ナルモノハ自然ノ区域トモ謂フヘキモノニシテ府県郡ノ如キ施政上ノ便宜ヲ以テ其区域ヲ創成変更スヘキモノニアラス然ルニ我組合ノ如キハ猥リニ其区域ヲ広大ニシテ其間風俗人情ヲ異ニシ経済上自ラ差異アルヲ顧ミサリシヲ以テ世ノ推移スルニ随ヒ頗ル従来ノ慣習ヲ破リ自治ノ区画ヲ錯乱セシコト少シトセス故ニ施政上其実況ニ照ラストキハ常ニ齟齬ヲ見テ到底自活ノ精神ヲ貫クコト能ハサルヲ如何セン然ラハ則チ救済スルノ道如何此際須ラク相当ノ分離ヲナシ互ニ直接ノ利害ヲ謀リ精励自治我郷里ヲ愛スルノ心情ヲ発セシメ推シテ以テ国家経営ノ策ヲ講セシムルニ如カス若シ果シテ然ルトキハ将来経済上ハ勿論総テノ事業ニ於テ負担責任ヲ加重スルニ至ルハ固ヨリ予期スル所ナレトモ徒ラニ此等一旦ノ利害ヲ顧ミテ永遠ニ禍福ノ及フ処ヲ知ラサルカ如キハ断シテ社会ノ容レサル所ナリト信ス是ニ於テ乎我組合町村議員ハ大ニ趨勢ノ止ムヘカラサルヲ察シ分離ノ必要ヲ感シ熟議談合遂ニ此決議ヲ致セシ所以ナリ 以上ノ理由ナルヲ以テ情状ヲ酌量シ民意ヲ容レ分離ノ件御許可相成度此段及具申候也 明治二十九年二月廿八日 中野村外四ケ村 組合長 大塚巳之助 津久井郡長 宇高正郎殿 (欄外注記)写書宇高印 津 第三四一号 明治廿九年二月廿九日発議同月同日施行 主任 山下恒吉(印) 郡長(印) 書記(印) 別紙上申ニ対シ村長及議員呼出案 中野村外四ケ村組合分離ノ件ニ関シ書面差出相成候処右ニ付親シク面談及度義有之候条来ル三月二日午前第九時各村組合会議員総代トシテ一名ツヽ同行出頭セラルヘク此段申進候也 明治廿九年二月廿九日 津久井郡役所 中埜村外四ケ村 組合長 大塚巳之助殿 『反問廉書 面談ノ時 三月二日分 第一問 明治十一年郡区町村編成法ニ依リ五ケ村ノ区域ヲ変改シタル事実アリシヤ葢シ惟ウニ旧封建制度以来今日ニ到ルマデ五ケ村依然トシテ区域名称共変改シタルコトナカラン奈何 第二問 実施以来云々トハ何ヲ指称スルヤ郡区町村編成法実施以来ノ事ナルヤ組合共同ハ明治二十二年町村制実施以来ニアラズヤ 第三問 共同事務ノ円滑ニ処理セシコトナク徒ニ因循姑息ノミ是レ計リタルハ各村自身ノ自カラ招ク処ノ失体ニシテ当初編成区域ノ措置ヲ誤リタルニ原因シタル理アルヲ見ズ何トナレバ五ケ村ノ区域ハ前問言ウ如ク徳川政事ノ時代ヨリ変更シタルコトナケレバ也 第四問 五ケ村ハ自然ノ区域ニ異ル事ナシ将タ府県郡ト斉シク行政上ノ便宜ヲ図ルベキハ町村行政上極メテ必要ノ事タリ町村制ノ明文ニ拠ルモ明ケシ現今五ケ村ノ組合ハ同制実施ノ際五ケ村各自小独立ヲ望ミタルノ結果ニ外ナラズ随而民意ヲ容レ不得止組合ヲ設ケタルニ過キズ第五問 風俗人情ヲ異ニスル点何レニアルヤ其詳細ヲ挙示セヨ吉野ト川尻程トノ違ヒアルヤ解シ難シ 第六問 自治ノ区画ヲ錯乱シタル事実奈何是亦明答ヲ遅ツ 第七問 相当ノ分離トハ漠乎タリ奈何分離セシコトヲ要望スルヤ苟クモ五ケ村ヲ代表シテ上申スルニ分離ノ見込ヲモ記セズシテ上申スルトハ粗忽モ太甚ト云フベシ 第八問 現今ノ儘ナルモ五ケ村各自直接ノ利害ヲ謀リ自治郷里ヲ愛スル計画措置能ハザルノ理ナシ如何トナレバ名村各小独立ナレバ也組合ヲ以合併村ト誤認シタルノヽ如シ反思商量アレ 第九問 五ケ村各組合経費出入ノ予算ノ調査ヲ要ス一旦ノ利害即チ永遠ノ利害ナリ利害得失計較スルコソ当局者ノ要務ナラメ一時ノ客気ヲ以町村永久ノ利害ヲ省ミザルハ是肯スル能ハザル所也』 『第一課議第一二四号』 御部内中野村外四ケ村組合会ニ於テ該組合ヲ分離スル件議決シタル趣本月二日報第二六号ヲ以テ御報告相成候処右ハ組合内町村ノ協議ニ依ルヘキ筋ノモノニ付之レヲ組合会ニ於テ議決スルハ不穏当ノ義ニ候間右ニ依リ御取斗相成度此段及照会候也 明治二十九年三月六日 内務部長 荒川義太郎 津久井郡長 宇高正郎殿 追テ本件ニ関シテハ客年十二月十八日第一課庶第一一六二号ヲ以テ及通牒置候次第モ有之候ニ付御参照相成度此段申添候也 『津庶第四一五号』 客月廿八日付ヲ以テ中野村外四ケ村組合会議決報告セラレ候ニ付本県ヘ報告及候処該組合分離ノ件ハ組合内町村ノ協議ニ依ルヘキ筋ノモノニ付之レヲ組合会ニ於テ議決スルハ穏当ナラサル趣キ照会越候条右了承セラレ此際右議決ハ取消シセラルヘク此段及照会候也 明治廿九年三月九日 津久井郡役所 中野村外四ケ村組合長欠員ニ付 職務管掌郡書記 高城治寛殿 『津庶第四二二号』 中野村外四ケ村組合分離ノ件ニ関シ組合会ノ決議ヲ得上申書差出相成候処本件ノ如キハ組合内町村ノ協議ニ依ルヘキ筋ノモノニシテ其組合会ノ決議スヘキモノニアラサル趣キ本県内務部長ヨリ照会ノ次第有之候条右了承セラルベク依テ別紙上申書却下此段申進候也 明治廿九年三月十日 津久井郡役所 中野村外四ケ村組合長欠員ニ付 職務管掌郡書記 高城治寛殿 津 第八二五号 明治廿九年四月廿七日発議同月同日施行 主任 山口恒吉(印) 郡長(印) 書記(印) 中埜村外四ケ村組合長ニ示通案 中埜村外四ケ村組合会職務権限之件ニ関シ本月廿二日付ヲ以テ裁決之義上申相成候処審理上左ノ事項ニ対シ答弁ヲ要シ候条詳細取調回答セラルヘク此段及照会候也 明治廿九年四月廿七日 津久井郡役所 中埜村外四ケ村 組合長 八木国次郎殿 一 人情風俗ヲ異ニスル実蹟 一 自治ノ実挙ラサル実蹟 一 組合分離ヲ組合会ニ於テ議決スルヲ正当ト認ムル理由及ヒ法律ノ適条 『第一六四号』 答弁書 中野村外四ケ村組合会職務権限之件ニ関シ津庶第八二五号ヲ以テ御照会相成候ニ付左ニ答弁致候 一 人情風俗ヲ異ニスル実蹟 右ハ組合分離ノ許否ニハ必要ナルモ職務権限ノ裁決ニハ必要之レナキモノト被考候何トナレハ組合分離ノ裁決ヲ請フタルニハ非ラズシテ組合会ノ職務権限ニ対シ裁決ヲ請フタル義ニ有之候 一 自治之実挙ラザル実蹟 右同断 一 組合分離ヲ組合会ニ於テ議決スルヲ正当ト認ムル理由及法律ノ適条 右ハ組合ヲ組織スルニハ代議機関ナキニョリ協議ヲ以テスルモ代議機関アル以上ハ組合ヲ分離スルニ組合会ニ於テ議決スルヲ相当ト議決シタルモノニシテ監督官庁ハ組合ヲ分離スルニハ必ス協議ヲ以テスルモノト言フト雖モ本制第百拾八条ニハ協議云々ノ明文ナシ若シ協議ヲ必要トスレハ第百拾六条及第百拾七条ノ如ク必ス協議云々ノ文字ヲ明記スルモノニシテ本条ニ協議ノ文字ナキハ代議機関ノ設ケアルニヨリ特ニ協議スルノ必要ナキモノト被考候又本制第三拾三条町村会ノ議決スヘキ概目ニ組合分離云々ノ明文ナキニョリ議決スルノ権利ナシトスレハ町村会ニ於テ地方税戸数割賦課法ヲ議決シ村会議員ガ組合会議員ヲ選挙シタルモ亦明文ナキニョリ議決スルノ権利ナシト言ハザルヘカラズ本条ハ如斯狭義ノモノニハ之レナク只議決スヘキ標準ヲ示シタルモノニシテ正反対ノモノヲ議決スルハ不都合ナルモ之レニ抵触セザルモノハ仮令明文ナキモ議決スルノ権利ヲ付与セラレタルモノト被考候 右答弁致候也 津久井郡中野村外四ケ村 組合長 八木国次郎(印) 津久井郡参事会 津久井郡長 宇高正郎殿 津 第八四〇号 明治廿九年五月四日発議同月同日施行 主任 山下恒吉(印) 郡長(印) 内務部長ニ問合案 本年三月六日付第一課議第一二四号ヲ以テ本郡中野村外四ケ村組合会ニ於テ該組合ヲ分離スルノ件議決シタルハ穏当ナラズ全ク組合内町村ノ協議ニ依ルヘキ筋ノモノニ有之旨御注意之次第モ有之候ニ付其旨ヲ訓令シ議決ヲ取消サシメントシタルモ再議ノ上前議決ノ正当ナルヲ主張シ前議決ヲ更メサルヨシヲ以組合長ヨリ郡参事会ノ裁決ヲ請求シタルニ付不日裁決ヲ施スヘキ見込ニテ目下審理中ニ有之候得共聊カ疑惑ヲ生シ候ニ付左ノ事項御問合及候条御明示ヲ煩シ度至急何分之御回報相成度候也 一 市町村制理由書中町村制第六章町村組合ノ部末項ニ「組合町村ハ之ヲ解クノ議決ヲ為スヲ得ト雖トモ郡長ノ許可ヲ要ス」ト有之モ町村会ヨリ胚胎シタル組合会ニ於テ之ヲ議決スルヲ得ズシテ協議ニ依ルヘキ理由奈何 二 組合会ハ町村会ニ非スト云フ義乎 三 組合会ニ於テ議決スヘキモノニアラズシテ組合町村固有ノ町村会ニ非ザレハ組合ヲ解クノ議決ヲ為シ得サル乎 四 組合会ニ於テ議決シ得ルモ協議ニ依ラシムヘシトノ意ナルヤ果シテ然ラハ組合会ニ於テ議決スルハ不穏当ナリト云ハルヽハ奈何五 二十八年十二月十八日第一課庶第一一六二号ヲ以テ通牒ノ福島県照会ハ組合規約変更ノ場合ノ注意ニ過キズシテ組合分離議決ニハ関係ナキ様思考セラルヽガ奈何ノモノニ候哉 明治二十九年五月四日 津久井郡長 宇高正郎 内務部長 荒川義太郎殿 町村組合取扱心得 一 町村組合ヲシテ本制第百十七条第二項ノ協議規定ヲ為スベシ 但左ノ方向ヲ取リ其手続ヲ為スモノトス 一 町村組合中ニ町村長及助役収入役各一人ヲ置ク 一 書記付属員委員ノ数等ハ組合町村ノ多少ニ由リ適宜ニ任スルコト 一 組合会議ノ議員ハ各町村同数トシ其率ハ村数ノ多少ニ依リ各三名以内ト定メ其町村会ノ議員ヲシテ互選セシム 但シ特別ニ会議ヲ開カサル町村ハ更ニ選挙セシムルコト 一 議決ノ制限ハ本制第四十三条(議員三分ノ二以上出席云々)ニ由ルモノトス 一 共同処弁ノ事務ヲ定ムルコト 一 町村組合条例ヲ以テ規定ヲ要スル事件ヲ定ムルコト 一 費用ノ分担方法ヲ定ムルコト 一 組合中共有財産ノ外組合内各町村ノ所有ニ属スル財産ヲ共同管理スルヤ否ノコト若シ之レカ共同管理ヲ要スルモノハ其管理方法ヲ定ムルコト 一 組合共同財産及組合ニ於テ共同管理スル財産処分方ヲ定ムルコト 一 組合ニ要スル経費ノ収入支出ハ之レヲ共通スルコト 一 前項ノ協議ハ其組合中町村ヨリ各惣代人三名以内ヲ選出シ其手続ヲ為サシムルモノトス 一 組合協議ノ調ヒタルトキハ惣代人連署ノ上元戸長ヲ経テ郡長ニ具申セシムルモノトス 一 郡長ハ前項ノ具申ニ由リ直チニ戸長ニ命シテ組合会議々員選挙ノ手続キヲ為サシムルモノトス 一 組合協議ノ調ハサル場合ニ於テハ本制第百十七条第二項ニ由リ郡長ニ於テ之レヲ定ムルモノトス 一 町村長ハ何町村外何ケ町村組合町村長ト称スルモノトス 一 町村役場ハ何町村外何町村組合役場ト称スルモノトス 一 組合設置方ノ達シ及ヒ其他ノ公告等ハ別紙書式ニ拠ルモノトス 一 前各項ノ外ハ町村制施行順序ニ拠ルモノトス (注)別紙欠。 津 第九五二号 明治廿九年五月一八日 主任 大塚豊(印) 郡長(印) 書記(印) 裁決書送付案 其組合分離ニ関スル別紙裁決書及送付候条受領証差出相成度此段申進候也 明治廿九年五月十八日 津久井郡役所 中野村外四ケ村組合長 八木国次郎殿 (注)前掲、証拠物写参照。 津 第九八〇号 明治廿九年五月廿一日発議同月同日施行 主任 山下恒吉(印) 郡長(印) 書記(印) 本県ヘ報告案 津久井郡役所 郡下中野村外四ケ村組合長ヨリ中野村外四ケ村組合会ニ於テ去ル二月廿五日該組合分離ノ件ヲ議決セシニ依リ組合分離ハ組合町村ノ協議ニ出ツヘキモノニシテ組合会ニ於テ議決スヘカラサルモノトシ取消スヘキ旨ヲ訓令セリ依テ四月十八日組合分離議決取消ヲ再議セシムルト雖トモ組合会ハ固ク前議ノ正当ナルヲ主張シ決シテ権限ヲ越ヘタルモノニ非ズト議決シ更メサルニ依リ本郡参事会ノ裁決ヲ請求スルニ付審査之上左ノ如ク裁決ヲ与ヘタリ 中野村外四ケ村組合会ニ於テ組合分離ノ件ヲ議決シタルハ町村制其他法律中依拠スヘキ適条ナク且ツ組合協議規定中明文ナキヲ以テ権限ヲ越ヘタル議決トス依テ神奈川県津久井郡長カ議決取消ヲ訓令シタルハ不当ノ処置ニ非ス 津 第一〇七四号 明治廿九年五月廿九日発議同月同日施行 主任 山下恒吉(印) 郡長(印) 書記(印) 別紙訴願書本県ヘ進達案 郡下中野村外四ケ村組合会議長同組合長八木国次郎ヨリ中野村外四ケ村組合会職務権限ニ関スル訴願別紙之通リ差出シ来候ニ付及進達候也 明治二十九年五月二十九日 津久井郡長 宇高正郎 神奈川県知事 中野健明殿 (注)前掲、証拠物写参照。 『第一課議第三一二号』 御部内中野村外四ケ村組合会決議ニ係ル同組合分離ノ件ニ関シ本月四日津庶第八四〇号ヲ以テ縷々御照会之処右組合内各町村会ニ於テハ之ヲ解クノ議決ヲ為スヲ得ルト雖組合会ニ於テハ之ヲ議決スルヲ得サルハ元来組合ナルモノハ関係町村ニ於テ協議ノ上組合会議ノ組織事務管理ノ方法及費用支弁ノ方法等ヲ定メ始メテ組織スルモノナルヲ以テ組合会ノ権限ハ協議規定ニ依リ与ヘラレタル範囲内ニ止リ組合ヲ解クト云フ如キ協議規定以外ノ事項ヲ議スルノ権限ヲ有セサルモノニ有之候故ニ組合ヲ解カントスル場合ハ当初之ヲ組織シタル時ト均シク関係町村ノ協議ニ依ラサルヘカラサル義ニ有之候間右ニ御承知相成度此段及回答候也 明治二十九年五月十一日 内務部長 荒川義太郎(印) 津久井郡長 宇高正郎殿 追テ本件ニ就テハ客年五月廿五日官報第三五六九号掲載行政裁判所判決二十七年第五九号裁判宣告書御参照相成度為念申添候也 『第一課庶第四四七号』 御部内中野村外四ケ村組合長より提出之訴願書去月廿九日庶第一〇七四号ヲ以テ進達相成候処付属書類トシテ添付之協議規定書中左記之通リ去ル廿二年五月十六日津庶第四九八号ヲ以テ御報告相成候協議規定書ト符合不致候条御取調至急御回報相成度此段及照会候也 明治廿九年六月三日 内務部長 荒川義太郎(印) 津久井郡長 宇高正郎殿 一 今回提出ノ規定書第二項但書中ニ「二ケ月以内」トアルモ最前郡長ノ報告ニハ「直」トアリ 一 今回提出ノ規定書中「第十項此規定ニナキモノハ総テ本制ニ依ルモノトス」トアルモ最前郡長ノ報告ニハ此項ナシ 津 第一一四三号 明治廿九年六月四日発議同月同日施行 主任 山下恒吉(印) 郡長(印) 書記(印) 内務部長ニ回答案 第一課庶第四四七号ヲ以テ中埜村外四ケ村組合長ヨリ提出之訴願書付属書類トシテ添付之協議規定書ニ関シ取調之義云々御照会之趣了承即取調候処右ハ別紙写之通リ過ル廿五年中組合会ニ於テ議決報告相成候事ヲ此度ノ件ニ関シ古書類ノ内ヨリ発見末々取調フルニ其当時書類ヲ受理シタルモ御庁ヘノ報告ヲ為サヽリシノミナラズ旧協議規定書中ニ修正ノ書入ヲモ為シ置カサルヲ見レハ一旦受理シタルノミニテ荏苒今日ニ到リタルモノト思料セラレ甚不都合ノ次第ニ候得共右御了承相成度此段御回答及候也 明治二十九年六月四日 津久井郡長 宇高正郎 内務部長 荒川義太郎殿 『追而本文之次第ナルヲ以其当時当郡役所ニテ別ニ許可シタルモノ ニモ無之候且ツ別紙旧組合村長添付ノ報告書ニ依レバ其当時モ組合会ニテ協議規定ヲ修正追加シタルモノト存セラレ候此段モ申添候也』 『第三五八号』 八月二十日中野村外四ケ村組合会ニ於テ左記之通リ議決相成候ニ付議事録相添ヘ此段及報告候也 明治弐拾九年八月廿七日 津久井郡中野村外四ケ村 組合長 八木国次郎(印) 津久井郡長 宇高正郎殿 一 中野村外四ケ村組合会職務権限ニ関シ神奈川県知事ノ裁決ニ服従スル能ハザルニ依リ行政裁判所ヘ出訴スヘキモノト議決ス 一 行政裁判ニ係ル一切ノ費用ハ予備費ヲ以テ支弁スルコトニ議決ス 中野村外四ケ村組合会議事録 明治廿九年八月二十日中野村外四ケ村組合会職務権限ニ付神奈川県知事ノ裁決ニ関スル件議決ノ為メ当組合役場ニ於テ中野村外四ケ村組合会ヲ開ク出席議員左ノ如シ 壱番 小室五右衛門 弐番 大塚兼太郎 三番 石井房蔵 五番 山本九郎兵衛 六番 小野沢喜一郎 七番 島崎周作 八番 斉藤六兵衛 拾弐番 大塚藤吉 拾四番 大塚平右衛門 拾五番 梶野一郎 同日午后三時組合長八木国次郎議長トナリ出席議員一同着席開会ス議長曰ク本日ノ会議ハ当組合会職務権限ニ関シ本県知事ノ裁決ニ服従スル哉否ヤヲ決スル為メ諸君ヲ煩ハシタルモノニ付宜シク御審議之レアリタシ拾五番曰ク本県知事ノ裁決ハ組合規定ニ明文ナキヲ以テ権限外トノ裁決ニ服従スル能ハズ何トナレバ組合規定ニハ共同支弁スベキ費目及其負担割合ヲ定メタルノ外ハ組合会ノ議決スベキ事件ハ一モ定メタルコトナシ若シ知事ノ裁決ノ如ク明文ナキヲ以テ議決スルノ権利ナシトスレバ歳入出予算及決算報告認定ノ如キモ是レ又明文ナキヲ以テ権限外トセザルヲ得ス其他組合条例及会議細則名誉職員退職ニ関シ処分ノ件等一モ明文ナシト雖モ已ニ議決ノ上報告済ニョリ監督官庁ハ是レ等ニ対シテハ仮令明文ナキモ権限内ト認メ受理シタルモノニシテ独リ組合分離ニ限リ権限外トナシタルハ不当ノ裁決ト言ハザルヲ得ス又組合ノ存廃ハ組合内各村ノ利害ニ関スルヲ以テ特ニ権限ヲ付与セザル限リハ組合会ニ議権ナシト言フト雖モ是レ又解セザルノ説明ニシテ組合会ノ議決ハ悉ク組合各村ノ利害ニ関係セザルモノナシ仮令ハ組合条例ヲ設ケレハ該条例ニ依リテ利害ヲ受クルハ条例ヲ設ケタル結果ニシテ又歳入出予算ヲ減スレハ納税者ハ利益ヲ蒙リ増額スレバ害ヲ受クルハ本員ノ喋々ヲ俟タズ何ゾ組合分離ニ限リ利害ニ関スルトノ裁決ハ我々ノ服従スルコト能ハザルモノニ依リ行政裁判所ヘ出訴シ当組会ノ意見ヲ貫徹シタキモノト考ラレ候ニ付御賛成アリタシ七番曰ク本員ハ拾五番ノ説ニ賛成シ且ツ出訴スルニ費用ヲ要スルニヨリ行政裁判ニ関スル一切ノ費用ハ予備費ヲ以テ支出シ若シ不足ヲ生スルトキハ追徴シテ補充シタキ考ニ依リ御賛成アリタシ二番五番八番等ノ賛成アリ読会省略ニテ全会一致ヲ以テ拾五番并ニ七番ノ説ニ確定ス時ニ午后五時三十分閉会ス 右会議ノ顚末ヲ記録シ其正当ナルヲ証スル為メ爰ニ署名捺印ス 明治廿九年八月二十日 議長 八木国次郎印 議員 山本九郎兵衛印 同 大塚平右衛門印 同 島崎周作印 (三) 明治廿九年十月七日 不当裁決取消請求訴訟ノ答書 神奈川県津久井郡長 被告 宇高正郎 神奈川県津久井郡中野村外 四ケ村組合会議長同組合長 原告 八木国次郎 東京市麴町区内幸町 一丁目三番地弁護士 右訴訟代理人 利光鶴松 一定ノ申立 神奈川県津久井郡中野村外四ケ村組合会ニ於テ組合分離ノ議決ヲ為シタルハ権限ヲ越ヘタルノ議決ナルヲ以テ被告ノ与ヘタル裁決ハ取消スヘキモノニアラス訴訟費用ハ原告ノ負担トスト判決相成度候也事実 原告申立ノ通 理由 被告答弁ノ理由ハ明治廿九年五月十八日裁第一号裁決書〔原告提出付属書第二号〕及明治廿九年六月三日津庶第一一二九号ヲ以テ神奈川県知事中野健明ニ提出シタル原告ノ訴願ニ対スル弁明書〔被告提出付属書第一号〕ニ大体論シタルト雖トモ尚ホ原告訴訟ノ論旨ニ対シ二三弁駁スル所アラントス 第一 原告ハ本組合協議規定書第十項ニ「此規定ニナキモノハ本制ニ依ルモノトス」トアルヲ以テ町村会ニ属スル権限ハ本組合会ノ権限ト一ノ相違スル点アルヲ見ズト云フト雖トモ是レ事理ヲ顚倒スルノ甚シト云フベシ何ントナレハ協議規定第十項アルヲ以テ直ニ町村会ノ権限ト一モ相違スル処ナシトスルトキハ特ニ協議規定ニ議員ノ選挙村長助役ノ選挙付属員等ノ選任其他協議規定第一項ヨリ第十項ニ至ルノ数項ヲ規定明記スルノ必要ナク単ニ本組合規定ハ本制ニ依ルトノ数文字アレハ足レリトス然ルニ殊更ニ数項ノ規定書ヲ要スル所以ハ町村組合ハ町村制第百十六条乃至第百十八条ニ依ルノ外同制中他ニ則ルヘキ明文ナキヲ以テ斯ク規定シタルモノタルヤ明ナリ 第二 原告ハ既ニ関係組合各村ニ於テ協議ノ上協議規定ニ依リ一ノ組合会成立シタル以上ハ即チ其代議機関存スルヲ以テ之ニ依テ其組合ノ意思ヲ発表スヘク従テ其意思ノ存スル処ニ依テ組合会ノ存廃ヲモ決議シ得ヘキハ当然ナレハナリ况ンヤ町村制及組合協議規定ニ如斯決議権ナシトノ所謂禁止的規定又ハ之ニ抵触スヘキ条項アルニアラサルヲヤト云フト雖トモ是亦町村制ノ精神ヲ誤解シタルモノナリ何トナレハ組合会ナルモノハ関係町村ノ協議シタル協議規定ヲ以テ命シタルモノヽ外ハ何等ノ事ヲモ議決シ得ヘカラサルハ町村制第百十七条ニ依ルモ明ナリ加之原告ガ第一論旨ニ依レバ協議規定書第十項ニ「此規定ニナキモノハ本制ニ依ルモノトス」トノ結文ヲ以テ協議規定ニ定ムル事項以外ノ事ハ議シ得ヘカラサルコトヲ自認シ居ルカ故ニ敢テ喋々ノ弁ヲ須ヰス 第三 原告ハ組合ノ存廃ハ組合内各村ニ直接利害ノ関係ヲ有スルヲ以テ其各村ニ限リ組合ヲ解除スルノ権限アリトナサンカ是其代議機関タル組合会ヲ無視シタルモノナリ云々〔中略〕県参事会ノ説明ハ組合会ノ何物タルヲ弁識セサルモノナリト云フト雖モ是レ却テ原告ガ組合会ノ何物タルヲ弁識セサルモノナリ何トナレバ抑モ組合会ナルモノハ付属書第一号ニ弁明シタル如ク町村会ト同シク広大ナル権限ヲ有スルモノニアラス町村制第百十七条ニ町村組合ヲ設クルノ協議ヲ為ストキハ組合会議ノ組織事務管理ノ方法〔中略〕前条第二項ノ場合ニ於テハ〔中略〕組合費用ノ分担其他必要ノ事項ヲ規定スヘシトノ明文ニ依リ協議シテ其組織ノ方法ヲ規定スルモノナレハ規定ノ範囲外ニ出テヽハ其事ノ何タルヲ問ハス議決スルノ権能ナキハ上来既ニ論スル処ノ如シ 第四 原告ハ抑モ五ケ村更ニ協議ヲ遂クヘシト為スハ全ク其代議機関タル組合会ヲ無視シタルモノニシテ即チ組合会ナキ場合ト同一ノ場合ヲ論スルモノト一般ニシテ甚タ無謂ノ論旨タリト云フト雖トモ仮令ヒ組合会ハ成立シアルモ是ヲ議決スルノ権限ナキヲ如何セン故ニ組合分離ハ五ケ村ノ協議ニ出ツルカ五ケ村々会ニ於テ議決ノ上組合分離ノ希望ヲ監督官庁ニ上申スルニ止ルノ外術ナカルヘシ况ンヤ中野村外四ケ村組合ハ当初同制百十六条第二項ニ依リ郡達〔被告提出付属書第二号〕ヲ以テ組合ヲ設ケシメタルモノニシテ同条第一項ニ依リ五ケ村自身カ協議ノ上組合ヲ設ケタルモノニアラサルニ於テヲヤ 第五 原告ハ且如斯議決ハ村会ニ於テスヘシトノ町村制ノ規定ナシ又実際町村会カ之ヲ議セントスルモ其各町村ハ利害相反シ又ハ絶対ニ利害ノ関係ナキ町村アルヲ以テ到底正当ノ議決ヲ為シ得サルヤ明ナリト云フモ是レ自家撞着ノ論ナリ其故何トナレハ町村会ハ法律上町村ノ代議機関ニシテ即チ町村ノ意思ヲ発表シ又意思ノアル処ヲ議決シ得ヘキ広キ性質ヲ有スルモノニシテ組合会ノ如ク範囲ノ狭小ナルモノニアラサレバ町村会ノ成立シアル以上ハ其町村ノ利害得失ニ関スル事件ハ法理上当然町村会ニ於テ議決スヘキモノニシテ町村制ノ精神モ亦〓ニアルヤ疑ヲ容レズ况ンヤ原告自ラ云フ各町村ハ利害相反シ又利害ノ関係ナキ町村アルト云フカ如キ一大重要ナル組合分離ノ事件ナレバ尚更親切ニ関係五ケ村ニ議リ遺憾ナキヲ期スルコソ至当ナラメ決シテ組合会ニ於テ軽卒ニ議決スヘキモノニアラス仮リニ一歩ヲ譲リ協議規定ニ於テ組合会ニ議決セシムルコトヲ命シアルモノトスルモ尚ホ組合会議員ハ徳義上円滑ヲ図リ関係町村ニ協議セシムルヲ穏当ノ処置ナリトス然ルヲ况ンヤ組合会ニ是等ヲ議決スルノ権能ナキニ於テヲヤ 終ニ臨ンテ尚ホ一言セン協議規定ヲ閲スルニ委員ノ選挙其他書記付属員等ノ選任ヲ組合会又ハ村長ニ任セアルニモ拘ハラス村長助役ハ各村会議員ヲ合シ会議ヲ開キ選挙ストアリ是レ何カ故ゾ盖シ村長助役ノ選挙ハ組合全体ニ重大ナル関係ヲ有スルヲ以テ繁雑ヲモ厭ハズ特ニ鄭重ヲ加ヘタルモノナラン果シテ然ラハ村長助役ノ選任ト組合分離トハ孰レカ重キヤ是レ識者ヲ俟タスシテ明ナリ依之看之モ当初五ケ村カ協議規定ヲ定メシ時斯ル広大ナル権限ヲ組合会ニ与ヘサリシヤモ亦燎々乎トシテ火ヲ見ルカ如シ 立証 付属第一号書第二号書ノ外目下証拠物トシテ提出スヘキモノナシ 明治廿九年十月七日 被告 宇高正郎 行政裁判所長官 箕作麟祥殿 明治廿九年十月七日 証拠物写 被告 宇高正郎 『付属書第壱号』証拠物写 津庶第一一二九号 弁明書 本郡中野村外四ケ村組合会議長八木国次郎ヨリ提出シタル同組合会議決越権ノ裁決ニ関シタル訴願書ニ対シ左ニ一言ヲ弁セントス 訴願者訴弁スル処ノ文意ニ拠レハ関係五ケ村ハ協議ニテ組合規定ヲ定メ組合ニ通スル事務ハ総テ組合ニテ処弁シ之ニ要スル費用ハ組合費ヲ以テ支弁スルモノト規定シ別段組合会ノ職務権限ハ規定セサルモ其末項ニ「此規定ニナキモノハ総テ本制ニ依ルモノトス」トシタルハ組合会ノ職務権限及処務規定ノ如キハ本制第三十二条ヨリ同第五十条ニ至ルノ規定ニ準拠スルハ論ヲ俟タス何ンゾ組合会ト各村会トノ職務権限ニ相違アルヲ見スト云フヲ以テ訴願ノ主眼ト為スモノノ如シト雖トモ元来組合共同処弁ノ事務トハ組合村長助役等組合吏員ノ執ルヘキ行政事務〔協議規定第七項参看〕ニシテ組合会議員ノ敢テ関渉スヘキモノニ非ス組合会ハ只共同支弁スヘキ費目及其負担割合〔協議規定第八項参看〕ヲ議スル等協議規定定ムルノ外権限ヲ有セサルモノトス何トナレハ抑モ協議規定ナルモノハ五ケ村ノ協議ニ成立タルモノニシテ五ケ村々民ハ協議規定ニ明記スルノ外広ク議権ヲ与ヘタルモノニアラサレハナリ况ンヤ協議規定末項此規定ニナキモノハ総テ本制ニ依ルモノトストノ制裁アルニ於テヲヤ是レ畢竟各村会ト組合会ト職務権限ノ異ナル所以ナリ然ルニ訴願者論スルカ如ク協議規定末項ニ本制ニ依ルモノトストノ明文アル以上ハ此協議規定ニ明記ナキモ其事項ノ何タルヲ問ハス組合会ニ於テ議シ得ヘシトセバ何ンソ故サラニ協議規定ヲ定ムルノ必要アランヤ協議規定末項ニ此制裁ヲ置キタルハ当初五ケ村々民ハ組合会議権ノ濫用ヲ恐レ之カ予防ヲ為シタルモノニシテ即チ今回ノ如ク之レヲ五ケ村ニ議ラス組合会議員ノミニテ濫リニ組合ヲ分離スルコトヲ議決スルカ如キ弊ナカラシメンコトヲ慮リ以制裁ヲ加ヘタルヤモ亦想察スルニ余アリ訴願者ハ此末項ノ明文アルカ故ニ組合会ニ於テ議シ得ヘシト主張スルモ裁決者ハ之レアル以上ハ益々組合会ニ於テ議スヘキモノニアラスシテ五ケ村ノ協議ニ出ツルカ又ハ本制ニ依リ五ケ村々会ニ於テ議スヘキモノナルヲ確信ス要スルニ組合会ナルモノハ訴願者云フ如キ汎博ナル議権ヲ有スルモノニ非ス組合協議規定定ムル処ノ狭小ナル範囲内ニ於テ運動スヘキモノト思考ス他ハ裁決書中既ニ説明シ置キタルヲ以テ〓ニ之ヲ贅セス右訴願法第拾壱条ニ依リ弁明候也 明治廿九年六月三日 神奈川県 津久井郡長 宇高正郎 神奈川県知事 中野健明殿 『付属書第弐号』 達第弐号 根小屋村 太井村 中野村 又野村 三ケ木村 其村々町村制第百十六条第二項ニ依リ組合ヲ設ケシム 明治廿二年四月一日 津久井郡長 吉野十郎 右写之通相違無之候也 明治廿九年十月七日 被告 宇高正郎 理由追申書 原告訴弁スル所ノ主眼ハ組合協議規定第十項ニ「此規定ニナキモノハ本制ニ依ルモノトス」トアルヲ以テ規定以外ノ事項ハ総テ町村会ト同シク何等ノ事ヲモ議決シ得ラルヽモノナリトノ解釈ヲ以テ規定第十項ヲ第一ノ立証ト為スモノヽ如シト雖モ抑モ中野村外四ケ村組合ノ協議規定(被告提出付属書甲号参看)ハ明治廿二年四月町村制実施ノ際即チ組合ヲ設ケシメタル時五ケ村各総代人ヲ設ケ協議シテ定メタルモノナルヲ其後明治廿五年八月廿二日組合会議ノ議決ヲ以テ第八項但シ書及ヒ第十項ヲ追加改正シタルモノナルコトヲ発見セリ爰ヲ以テ該改正協議規定書(被告提出付属書乙号参看)ハ到底其効ナキモノナルヲ確信ス其故何トナレハ協議規定ハ町村制第百十六条及同第百十七条第二項「前条第二項ノ場合ニ於テハ其関係町村ノ協議ヲ以テ組合費用ノ分担法等其他必要ノ事項ヲ規定スヘシ云々」トアル法文ニ依リ協議規定スヘキモノナリ依之考之仮令組合会議成立ノ後ト雖モ苟モ組合五ケ村ニ直接利害ノ関係スル協議規定ヲ改正増補スルニ之ヲ五ケ村ニ議ラス最初ノ協議規定ニヨリ組織スル処ノ組合会議員ノミノ専断議決ヲ以テ規定ヲ改正シタルハ第一法律ニ違反スル無効ノ協議規定ナリト断定スルニ躊躇セサルナリ尤モ最初ノ協議規定中将来斯ノ規定ノ条文ヲ改正増補セントスルトキハ之ヲ組合会議ニ委任スルトノ明文アレハ格別ナリト雖モ最初ノ協議規定中是等ノ議権ヲ与ヘタル条文ナキヲ如何セン依テ中野村外四ケ村組合会カ明治廿五年八月組合協議規定ヲ改補シタルハ今回原告カ中野村外四ケ村組合分離ノ件ヲ議決シタルト同一ノ議決ニシテ五ケ村々民ヲ軽蔑シ法律ヲ無視シタル不法ノ議決ナルヲ確信ス斯ク論シ去レハ原告カ金城鉄壁ト頼ム処ノ改正協議規定第十項ハ何等ノ効力モナキ空文ニシテ随テ本案原告カ訴訟ハ根本的破壊ニ到ルヤモ期シテ視ルヘキナリ以上述フルカ如キ事実ヲ発見候間旁以テ被告ノ与ヘタル裁決ハ取消ヘキモノニ非スト判決相成度候也 明治廿九年十月廿三日 神奈川県津久井郡長 宇高正郎 行政裁判所長官 箕作麟祥殿 『此書面ハ十月二十三日行政裁判所訟廷ニ於テ弁論ノ際口述ヲ以陳弁シ当該書面一通ヲ提出セリ』(印) (四) 『明治二十九年第八十六号』 裁判宣告書 原告 神奈川県津久井郡中野村外 四ケ村組合会議長同組合長 八木国次郎 訴訟代理人 東京市麴町区内幸町一丁目三番地 弁護士 利光鶴松 同所 弁護士 斎藤二郎 被告 神奈川県津久井郡長 宇高正郎 右原告八木国次郎ヨリ被告神奈川県津久井郡長宇高正郎ニ対スル不当処分取消請求ノ訴原被双方ノ弁論ヲ聴キ審理ヲ遂ル処 原告請求ノ要旨ハ明治二十九年二月二十五日中野村外四ケ村組合会ハ区域広大ニシテ人情風俗ヲ異ニシ自治ノ実挙ラサル故ニ組合会分離ノ議決ヲ為シ之ヲ被告ニ報告シタルニ被告ハ本年四月九日付ヲ以テ組合会ハ分離ノ議決ヲ為シ得ヘキモノニアラス依テ之ヲ取消スヘシト訓令セラレタリ故ニ組合会ハ同年四日十八日更ニ会議ヲ開キ被告ノ訓令ニ拠リ再議ニ付シタルニ組合会ニ於テハ前議ヲ主張シ決シテ其権限ヲ越ヘタルモノニ非スト議決シ尚ホ津久井郡参事会ノ裁決ヲ求メタルニ同郡参事会ハ組合分離ハ組合五ケ村ノ協議ニ出ツルカ又ハ該五ケ村ノ村会ニ於テ議スヘキモノニシテ組合会自ラニ於テ議決スヘキモノニ非ス依テ組合ノ分離ヲ議決シタルハ不法ニシテ被告郡長ノ訓令ハ不当ニ非スト裁決セラレタルヲ以テ更ニ本年五月二十八日神奈川県参事会ニ訴願セシニ同県参事会ハ被告郡長ノ与ヘタル裁決ハ取消スヘキモノニ非スト裁決セラレタリ抑モ本件ノ争点ハ町村制第百十六条乃至第百十八条ノ規定ト組合規定書トノ関係ヨリ起ルモノナリ被告ハ組合会ハ該規定以外ノ事柄ニ付テハ一切議決スルノ権ナシト云フモ元来組合規定書第十項ノ此規定ニナキモノハ総テ本制ニ依ルモノトストアルハ組合ハ町村会ト同一ニシテ組合ヲ分離スル議決ヲ為スハ一ニ組合ニ属スル権限ニシテ敢テ越権ノ議決ニアラス已ニ組合会ナル五ケ村ノ代議機関ノ存設シアル以上ハ之カ分離ヲ組合会ニ於テ議決スルハ当然ナリ若シ特別ニ之カ禁令アルトキハ組合会ト雖トモ其分離ハ議決シ得ヘキモノニアラサルモ更ニ其禁令ナシ禁令ナキ以上ハ議決シ得ルモノト信ス又被告ハ分離ニ付テモ組合会設置ノ当時ト等シク各村協議スルカ又ハ各村会議決スルカ二者其一ニ拠ラサレハ分離スルヲ得スト主張スレトモ各村ハ利害相反シ又ハ利害ノ関係ナキモノモアレハ到底正当ノ議決ヲ為シ得ヘキモノニ非ス故ニ直接利害ノ関係アル各村ノ代表機関タル組合会ニ於テ其分離ヲ議決スルハ毫モ越権ニ非サルナリ依テ被告ノ与ヘタル裁決ヲ取消シ訴訟費用ハ被告ノ負担タルヘシトノ判決ヲ求ムト云フニ在リ被告答弁ノ要旨ハ本件ノ事実ハ原告ノ申立ニ異ナルコトナシ而シテ組合ハ町村制第百十六条乃至第百十八条ニ依リテ成立スルモノナレハ協議規定書ニ依テ運動スヘキモノニシテ其以外ノ事項ハ法律上為シ得ヘキモノニ非ス原告ノ云フ如ク利害ノ関係ニハ厚薄アリト雖トモ已ニ五ケ村カ協議規定ニ依テ委任シタル事項以外ニ亘リテ議決スルハ越権ナリ又原告ハ組合規定書第十項ヲ援用シテ此規定ニナキモノハ本制ニョルモノトストアル以上ハ組合会ハ町村会ト同様分離ノ議決ヲ為シ得ルト主張スレトモ其第十項ハ大ニ将来ヲ慮テ組合会ノ議決スヘキ事項ヲ限定シタルモノナリ若シ原告ノ云フカ如クセハ規定書ハ第十項ノミアレハ足ルモノニシテ組合ノ村長助役及付属員等ノ選挙方法モ規定書ニ定メ置クニ及ハス町村制第三十三条ニ依レハ足ルモノト云ハサルヘカラス畢竟規定書ハ今日ト為リテハ或ハ不充分ノ感アランモ法律ノ規定ニ依テ運動スヘキ組合会ニ在テハ其規定以外ノ事項ヲ議決スルハ越権ニシテ原告ノ禁令ナケレハ何事ヲモ議決シ得ルトノ主張ハ不当ナリ又原告ハ村会ニ於テ之ヲ議決スヘキ明文ハ町村制中之ナシト主張スレトモ各村会ハ之ヲ議決シ町村制第百十八条ニ依テ監督官庁ノ許可ヲ得レハ可ナリ又五ケ村協議スルトキハ各村ノ協議委員之ヲ協議シ其手続ヲ尽セハ足ルモノナリ組合会カ組合規定以外ノ事項ヲ議決シ得サルコトハ其事実ハ異ナルモ御庁明治二十七年第五十九号備荒儲蓄ノ訴訟ニ付判例アリ故ニ被告ノ処分ハ正当ニシテ取消スヘキモノニ非ス原告ノ請求ヲ排斥セラレタシト云フニ在リ 依テ各証拠ヲ審閲シ理由ヲ説明スルコト左ノ如シ 原告ハ町村組合ハ町村会ト同一ニシテ其組合ヲ分離スル議決ヲ為スハ一ニ組合ニ属スル権限ニシテ既ニ組合会ナル五ケ村ノ代議機関ノ存設シアル以上ハ之カ分離ヲ組合会ニ於テ議決スルハ当然ナリト云フト雖トモ組合会ハ其協議規定ニ於テ付与セラレタル権限内ノ事項ヲ議決スルニ止リ苟モ規定外ニ渉ル組合分離ノ決議ヲ為スカ如キ権能ヲ有セサルモノトス其他原被告ニ於テ論弁スル所アルモ本件裁判ニ必要ナキニ依リ説明ヲ与ヘス 右ノ理由ナルニ拠リ判決スルコト左ノ如シ 原告ノ請求相立タス 訴訟費用ハ原告ノ負担トス 明治二十九年十一月十一日行政裁判所公廷ニ於テ宣告ス 裁判長行政裁判所長官 箕作麟祥印 行政裁判所評定官 黒川誠一郎印 行政裁判所評定官 平山成信印 行政裁判所評定官 今井艮一印 行政裁判所評定官 松浦良春印 行政裁判所評定官 樋山資之印 行政裁判所評定官 中村舜次郎印 行政裁判所書記 有賀啓太郎印 明治二十九年十一月十一日行政裁判所ニ於テ原本ニ依リ謄写ス 行政裁判所書記 有賀啓太郎(印) (五) 神奈川県津久井郡中野村外四ケ村分離議決一件来歴 (六) 歳出一戸当負担額調 中野村 太井村 又野村 組合歳入 根小屋村歳入 三ケ木村歳入 中野村 太井村 又野村 組合歳出 根小屋村歳出 三ケ木村歳出 戸口調 (注)中野太井又野三か村の上に「組合」と注記又根小屋三ヶ木両村の上に「独立」と注記されている。 基本財産調 (津久井郡役所「行政裁判関係書類」(明治二九年)神奈川県庁蔵) 第二章 三多摩分離問題 第一節 三多摩地域移管の基本要綱 一五〇 神奈川県下西北南多摩三郡の東京府管轄替の要領 神奈川県下西北南多摩ノ三郡ヲ東京府管轄ニ更替スルノ要領此更替ヲ促ス原因一ニシテ足ラズト雖トモ主トシテ此議ノ起リタルハ多摩川上水々路ノ便益ニ関スルモノ是ナリ抑モ東京市街飲用供給ノ第一タル玉川上水ハ源流遠ク山梨県甲斐国北都留東山梨両郡并神奈川県下武蔵国西多摩郡ニ発シ同県北多摩郡ヲ貫通シテ東京ニ入ル其延長凡廿七里トス夫レ東京ノ地タル輦轂ノ下百貨ノ輳ル所百有余万市民ノ生息スル大都会ニシテ今ヤ世ノ進運ニ随ヒ生活上最モ必要ナル水道改良事業ニ着手シ日ヲ追テ其歩ヲ進ムルニ当リ深ク将来ヲ慮リ之カ経画ヲ要スルモノハ水源涵養如何ト水路取締如何ニ在リ其ノ次ハ人民関係上ノ便利ヲ得ルト往来交通物貨運輸上ノ捷路ヲ開クニ存セリ請フ是ヨリ其得失ノ在ル所ヲ略陳セン 水源涵養ノ事タル方今最モ急務中ノ急務ニ属セリ何トナレハ水量ノ需用日々ニ多キヲ加フルアルニ之カ水源ハ次第ニ涸渇シ水量ハ弥々減殺スルノ実アリ従来此ノ上水々量ハ羽村堰入口ノ平量毎秒時四百四十一立方尺ニシテ上水路ヲ経テ本市ニ達シ其残余ハ上水路左右十九ケ所ニ分水シ五郡五十余ケ村ニ供セリ今回水道改良ノ設計モ亦之ニ標準ス然ルニ近年減水甚シク独リ定量ヲ得難キノミナラズ明治二十一年二月ノ如キハ多摩川本流ニシテ僅々百八十立方尺即チ上水平量ノ半ハニモ及バサリシコトアリ又客年春季ノ如キモ定量二分ノ一マテ減少セシコトアリ水源改良大事業漸ク就リ不幸大減水ノコト有ラシメンカ百事為メニ廃セン是レ今日ニ於テ水源涵養ノ方法勉メテ之ヲ講究セサルヘカラサル所以ナリ 水源ヲ涵養シ水量ヲ増スハ東京市街飲用水料ノ為メノミナラス上水沿岸五郡五十余ケ村ノ休戚ニモ関セリ若非常ニ減水スルニ遭ハヽ止ヲ得ス市街灌用飲料ノ幾分ヲ減殺シ以テ一時市内ノ急需ニ応セサルヲ得ス此時ニ当リ水樋口ヲ閉鎖スル等ノコト有ラバ為メニ困難ヲ被ルモノ決シテ尠少ニアラサルヘシ是レ実ニ水源涵養ノ方法ヲ忽ニスヘカラサルモノタリ 水源涵養ノ事果シテ如何聞ク往時ニ在テハ一定ノ輪伐法アリ年々交互平均ニ伐採シ栽植ニ怠ラシメス慣習上自然ノ涵養林タリシト維新後古制止ミ新法未タ布カレサルニ方リ一朝林伐ノ価額ヲ得ハ樹齢ノ少長ヲ問ハス競フテ濫伐シ復タ種栽造林ニ意ナク儘マ荒廃ニ属シ延テ異常ノ減水ヲ見ルニ至ル個ハ連年水量実測表ニ於テ明カニ示ス所ナリ 民林ヲシテ涵養林タラシムルコト固ヨリ容易ニ行ハレ難シト雖トモ能ク其流域ヲ究メ雨量気候土壌地勢樹種等一々之ヲ調査シ水源止砂支石防雪等ノ為メ要用ナル個所ハ水道属林トシテ買収シ之ヲ保護スルカ或ハ国土保安林ニ組込ムカ其宜シキニ随テ適当ノ制ヲ設ケサルヘカラス 東京市ノ戸口月ニ日ニ増加シ加之工業製造ノ発達著シキモノ有リ此勢ヲ以テ推移セハ弥々多量ノ用水ヲ消費スルニ至ラン 幸ニ水源涵養宜シキヲ得ルモ個ハ将来ニ期スヘキノミ今時ノ如キ屢々減水ノ災厄ニ遭ハヽ為メニ名状スヘカラサル困難ヲ来サン是等ノ点ニ於テモ予防ノ方法ヲ講シ保護林ノ制ヲ立ルト同時ニ水源深林中ノ渓澗ヲ撰択シ数ケ所ノ貯水池ヲ設備シ冬季田圃ノ分水ヲ要セサル場合ニ於テ雨雪又ハ河水ヲ集貯シ以テ夏時非常ノ変ニ備フルノ計ヲ為サヽルヘカラス上水流域取締上ニ於テモ猶水源涵養ニ於ルカコトク暫クモ猶予為シ難キモノ多シ夫レ多摩川上水タル固ヨリ善良ナル水質ナリト雖モ二十有余里ノ長キヲ廻転注下シ其間ニ於テ或ハ汚瀆ノ混淆ナキヲ知ランヤ然ルニ此流域タル其管轄庁ヲ異ニスルヨリ未タ適当ナル方法ヲ得サルモノ多シ既ニ明治十九年虎列剌病流行ノ時ノ如キ神奈川県西多摩郡長淵村〔羽村上水引入口ニ対スル上手ノ村落〕ニ虎列剌患者ノ汚穢物ヲ放下シタルモノアリトノ急報ニ接シ本市ハ固ヨリ宮内省ノ如キモ御用水ニ万一ノ変アランコトヲ恐レ非常ノ奔走急遽ニ下流ヲ横断シ辛フシテ害毒ヲ侵入セシメサリシト雖モ是レ僥倖ニシテ免レタルモノ思フテ此ニ至レハ今ニ於テ寒心ス是レ平時ニ於テ取締法ノ行届カサルニ依ラスンハアラス 方今東京府ノ管スル所ハ羽村以下久我山ニ至ル五里内外ニ止マリ夫スラ上水敷地数歩ノ内ニ過キス上水敷地以外及引入口以上ハ挙テ神奈川県ノ管轄ニ委スルヲ以テ監督取締ノ効果決シテ十分ヲ望ムヘカラス若夫レ非常必要ニ際シ東京府令警察令等ヲ発シ禍害ヲ未萠ニ防カントスルモ如何セン他管人民ヲシテ之ヲ遵守セシムルノ困難ナル常ニ隔靴ノ憾ナキ能ハサルナリ 汚瀆防止ノ事ニ於ケル至難ノ業ニ属スト雖モ事固ヨリ放擲スヘカラス宜シク漸ヲ以テ之カ改正方策ヲ講習スヘシ試ニ其梗概ヲ挙クレハ人蓄ノ排泄物又ハ蓄積セル廃棄物ヨリ発生スヘキ多量ノ有機質ヲ混淆セシメサル事 下水ノ河流ニ排出スルヲ防止スル事 狭山池助水ヲ処分スル事 上水土揚敷兼用道路ヲ敷地外ニ移ス為メ土地ヲ買上クル事 水汲場ヲ改修スル事 水路ノ架橋ハ補助費ヲ給シ橋脚ヲ省カシムル事 水番人詰所数ケ所ヲ増設スル事 是等数件其着手ニ順序アルヘキモ予メ成功ヲ期スヘキモノナリ而シテ土地買上ノ如キ河流排出物防止ノ如キ其他多クハ是レ管轄一ニ帰シ制令岐分セサル時ニ非ラサレハ行ヒ易カラサルナリ 東京府警視庁ヨリ水道ニ関シ屢々令達アリテ其取締殊ニ厳密ナリ而シテ其事ノ上流水源ニ及ハサルハ啻ニ事ノ欠典ノミナラス或ハ本ヲ捨テ末ヲ収ムルニ似タルノ慨ナキ能ハサルナリ 以上水源涵養流域取締ノ方法ハ実ニ百世ノ長計ヲ立ルモノニシテ又一日モ後ルヘカラサルモノナリ 上水線路大率西北多摩二郡ニ連亘シ分水関係ノ町村甚タ多シ而シテ羽村堰通筏ノ如キ上水架設ノ橋梁修覆ノ如キ上水敷兼用道路修理ノ如キ悉ク東京府庁ニ出願スヘキモノニシテ故ラニ神奈川県庁ヲ経由シテ之カ許可ヲ求ムルハ実ニ無用ノ手数タリ之ヲ一管ニ帰スルトキハ其煩ヲ取ラスシテ可ナリ加フルニ彼我ノ情意通セサルヨリ用水取入口工事等ニ対シテモ時トシテハ苦情ヲ唱フルアリト其他種々ノ事情モ管轄ヲ同フスルトキハ自ラ融解セン殊ニ地形上ヨリスルモ物産販売上ニ於ケルモ其大概ハ便利ヲ得ルモノ多カラン 南多摩郡ハ上水流域ノ事ニ関セスト雖トモ西北多摩二郡ト多摩川ヲ融テヽ境界ヲナシ治水上ノ関係ニ於テ分離スヘカラサル地勢ニ在リテ居常其赴ク所ヲ同フセリ已ニ西北二郡ニシテ東京府ニ帰スルモノトスレハ固ヨリ南多摩郡ノミヲシテ独リ他ニ往カシムヘキモノニアラス盖シ民意ノアル所モ亦均シク他二郡ト進退ヲ共ニスルニアラン加之南多摩ノ各町村タル西北多摩二郡ト共ニ其物産ハ大抵東京府ニ輸入シ其産額少小ニアラサルナリ 上来水利処分上一管轄ノ下ニ帰スルノ便益アルヲ認メタリ而シテ此境域変更ノ為メ地方経済ニ於テハ如何ナル異同ヲ生セシメ如何ナル損害ヲ与フルヤノ恐レアランカ然ルニ此三郡ノ地タル東京府管轄ニ属スル東多摩郡ト合セ旧多摩一郡ノ地ニシテ形勢習俗倶ニ相似西北二郡ハ水路沿岸ニ在リ東京ニ接シ南多摩郡ノ地ハ甲州街道ニ沿ヒ物産ノ販路ヲ東京ニ取ルヲ以テ運輸極メテ頻繁ナリ寧ロ利便ナルモ決シテ不便ナケン 今地方経済ノ点ニ就テ両管下ノ地方税賦課額ニ於ケル孰レカ多クシテ孰レカ少ナキヤヲ按スルニ又大差ナシト云フテ可ナラン単ニ地方税ノ一戸当リヲ以テスルトキハ稍ヤ東京府ニ於テ多キヲ見ルモ是ハ東京府ニ於テハ其土木費ノ如キ町村費ヲ省キテ地方税ニ移シ神奈川県ニ於テハ全ク之ニ反セリ彼レニ少フシテ此レニ多キモノアリ此レニ少フシテ彼レニ多キモノアリ其詳細ニ至リテハ別ニ記スル所ノモノアルヲ以テ爰ニ之ヲ省ク 東京府神奈川県地方税町村費賦課額比較表 地方税ハ東京府ノ方ハ神奈川県ヨリ増ス然レトモ 町村費ハ神奈川県ノ方反テ東京府ヨリ増ス割合ナリ 右ノ通リナルヲ以テ本表ニ拠リ計算スルトキハ 東京府ハ地方税町村費 一人ニ付 五拾七銭四厘 神奈川県ハ同 同 五拾銭三厘三毛即チ東京府ヨリ神奈川県ノ減スルモノ七銭七毛ナリ然ルニ郡部ニ属スル警察費国庫下渡金ハ 東京府ハ一人ニ付 拾壱銭九里弐毛〔凡十分ノ九〕 神奈川県ハ一人ニ付 壱銭三厘三毛〔凡十分ノ一〕 右ノ如ク国庫補助費ハ東京府ニ於テ利益スルモノ一人ニ付拾銭五厘九毛ナレハ東京府ノ地方税町村費ノ負担増額壱人ニ付七銭七毛ヲ警察費国庫下渡金ヨリ控除スルモ尚ホ東京府ノ人民ハ神奈川県人民ノ負担額ヨリ一人ニ付三銭五厘二毛ノ軽税ナリトス 但東京府ハ数年ヲ期シテ監獄建築ヲ起スニ当リ一ケ年六万円ヲ地方税ヨリ支弁セシモ此工事ハ廿六年度ニ於テ全ク落成スルモノナルヲ以テ本表ニハ之ヲ省ク (「小柳家資料」立教大学蔵) (注)東京都公文書館所蔵資料に同様のものがある。 一五一 多摩三郡の管轄替に関する東京府知事富田鉄之助の上申 東京市街飲用供給ノ第一タル玉川上水ハ源流遠ク山梨県下甲斐国北都留郡神奈川県下武蔵国西多摩郡ニ発シ、同県北多摩郡ヲ貫通シ東京ニ入ル、其流域二十有余里ニシテ、内神奈川県内ニ属スルモノ十里ニ下ラズ。又其上水水量ハ羽村堰入口ノ平量毎秒時四百四十一立方尺ニシテ、上水路ヲ経テ本市ニ達セシムルモノトス。其残余ハ上水路左右十九ケ所ニ分水シ、五郡五十余ケ村合併前ノ数ニ供ス。是従来ノ割合ニシテ水道改良ノ設計亦之ニ同シ。然ルニ近年水源往々涸渇シテ定量ヲ得難キノミナラズ、明治二十一年二月ノ如キ多摩川本流僅ニ百八十立方尺即チ上水平量ノ半バニモ及バズ、今春ノ如キ亦定量ノ二分ノ一迄ニ減少セリ。是等ノ場合ニ会スレバ、或ハ市外灌田飲料両用水ノ幾分ヲ減殺シ、又ハ場合ニ依リ分水樋口ヲ閉鎖シテ僅ニ市民ノ需要ニ応セシムル等ノコトアリ。是畢竟已ムヲ得サルノ慣行手段ニ出テ、一時ノ急ヲ済フニ過ギズ。 抑々多摩水源ノ由テ来ル所、渓谷ヲ廻リ林野ヲ横切リ、幾多ノ細流数方里ニ亘リ、而シテ其地大半ハ民有ニ属セリ。従テ之カ民林栄枯繁凋ノ影響ヲ被ムル事頗ル大ナルヲ免レズ。况ンヤ流域監督上東京府ノ自ラ施行スル所ハ羽村以下久我山ニ至ル五里内外ニ止リ、夫スラ上水敷地数歩ノ内ニ過キズ、上水敷地以外及引入口以上ハ挙テ之ヲ神奈川県ノ管轄ニ委スルヲ以テ、監督取締ノ効決シテ十分ヲ望ム可カラズ。縦令東京府令警察令等ヲ発スルコトアルモ、他管人民ヲシテ遵守セシムルノ困難ナル、常ニ隔靴ノ憾アリ。令事例ヲ近キニ挙グレバ、去ル十九年虎列刺病流行ノ時ノ如キ、神奈川県下西多摩郡長淵村羽村引入口ノ上流ニ於テ患者ノ排泄物ヲ放下シタルモノアリトノ急報ニ接シ、東京府ハ固ヨリ宮内省ノ御用水ニ於テ万一ノ変アランコトヲ恐レ、非常ノ警察ヲ以テ下流ヲ横断シ、辛ジテ毒水ヲ府内ニ注入セシメサルヲ得タルモ、要スルニ稀有ノ僥倖ニ属シ、常ニ期シ得ヘカラサル事タリ。何トナレバ流域ノ同一ナルニ拘ハラス其上下管轄ヲ異ニスルノ結果ハ、一旦変ニ際会スルモ決シテ緩急其宜キニ応セシメ難シ。而シテ平日ノ監督ニ付テモ、羽村堰通筏ノ如キ上水架設ノ橋梁修覆ノ如キ、上水敷兼用道路修理ノ如キ、一トシテ神奈川県ヲ経由シテ更ニ東京府ニ出願スルノ煩ヲ取ラサルヲ得ズ。官民ノ不便亦少ナカラズト謂フベシ。是他ナシ神奈川県ニ在テハ、固ヨリ水源ノ為メニ特種ノ吏員ヲ置ノ必要ナク、従テ其取締ハ之ヲ東京府ノ自ラスルニ比シテ、精粗ノ差アルヲ免レサルハ已ムヲ得サルノ情勢ト云フベシ。其国土保安ニ関スル森林中往々荒残甚シクシテ早晩水源涸渇ノ虞アルヲ見ルモ亦深ク咎ムルヲ得ザルベシ。然レドモ多摩沿岸ノ森林中採伐ノ法其宜シキヲ失セシ〓アルモノ少カラサルニ至テハ、決シテ擱キ難キ儀ニ有之。故ニ大将水源ノ涵養及衛生上ノ利害ヲ考察シテ之ヲ東京府一監督ノ下ニ属セシメラレ、以テ水上水下諸般ノ取締ニ遺憾ナキヲ得セシメラレ度、蓋シ府県ノ境界ヲ変更スルハ地方ノ経済ヲ変動シ事体決シテ軽小ニアラズト雖モ、此ノ沿岸二郡ニ在テハ其形勢及習俗ヨリ観ルモ決シテ東京府ニ併セ難キニアラズ、尤南多摩郡ノ如キハ水道ニ関係ナキガ如クナルモ、元是同一郡ニシテ、後東西南北ノ四郡ニ分割セシモノナレバ、民情習俗ノ同一ナルハ固ヨリ、其地勢ノ如キモ甲州街道ニ沿ヒ百貨ノ運輸等総テ東京ト其利害ヲ倶ニセリ。 如之甲武鉄道等ノ延長ニ伴フテ東京府下ノ来往一層利便ヲ来タシ、之ヲ神奈川県下ニ比スレバ其便否霄壌ノ差アリ。今日ニ於テハ神奈川県ヨリ三郡ニ往来シ、三郡ヨリ神奈川県ニ往来スル、都テ路ヲ東京府下ニ取ルノ実況ニ有之候。惟フニ之ヲ上ニシテハ帝室ヲ始トシ奉リ、之ヲ下ニシテハ市民ノ生活上最モ必要ナル水道改良事業ハ日ヲ逐フテ其歩ヲ進ムルノ今日ニ於テ、将メ状来ノ利害ヲ研究シテ永ク水源涸渇ノ虞ヲ絶チ、併セテ衛生ノ安全ヲ図ルハ実ニ已ムヲ得ザルノ急務ト存候条、神奈川県下西多摩・北多摩・南多摩ノ三郡ヲシテ東京府ニ管轄替ノ儀、至急御允裁仰キ度、神奈川県知事ト事務上其他実際ノ便否等屢々熟議ヲ遂ゲ候上、警視総監ニモ内議ヲ尽シ、此段謹ミテ及上申候也。 明治二十五年九月廿日 東京府知事 富田鉄之助 内務大臣伯爵 井上馨殿 (「神奈川県会史」第二巻) 一五二 多摩三郡の管轄替に関する警視総監園田安賢の上申 頃日東京府知事ノ内議ニ依リ神奈川県下西北多摩両郡ヲ東京府ノ管轄ニ移更ノ儀、小官ヨリモ上申致置候。今又南多摩郡ヲモ併セ移スノ儀、同知事ヨリ内議有之、依テ審按スルニ夫ノ西北多摩ノ両郡ト雖モ、単ニ警察事務ノ上ヨリ推考スルトキハ将来幾多ノ不便ヲ来タス恐ナキニ非ザレドモ、元来其地盤タル玉川上水水源并ニ通水路ニシテ、府下利害ノ関係最モ重キ事由ニ属シ、之ヲ移更スルノ必要アリタルニ付、多少警察事務上ノ不便ノ如キハ之ヲ忍フコトト為シ、与ニ上申致シタル次第ナルニ、今此ノ南多摩ニ至リテハ是等重キ事由ノ存スルニ非スシテ、警察事務上ノ不便ハ固ヨリ治獄ノ点ニ於テモ亦幾多ノ困難ヲ来スベク、小官ニ於テハ敢テ其移更ヲ希フノ意、夫ノ西北多摩両郡ノ如ク切ナラズト雖モ、又之ヲ地理人情ノ相均シキ点ヨリシテ、再考スルトキハ、独リ南多摩郡ヲノミ神奈川県ニ依然タラシムルハ、行政区画ノ体面上或ハ穏当ナラサル嫌アリテ、而カモ人民ノ利便ハ移更ノ方ニ多カルヘクト考ヘラルルニ付、是亦東京府知事ノ意見ニ同シ小官ヨリモ御允可ノ儀及上申候也。 (「神奈川県会史」第二巻) 一五三 多摩三郡の管轄替に関する神奈川県知事内海忠勝の内申 東京府現在水道ノ義ハ其初承応年間ニ起リ、降テ今日ニ至リシモノナレドモ、元来旧政府ノ御用タリシヲ以テ、其間曽テ物論ヲ生シタルコトヲ聞カズ。維新後東京府之ヲ管理シ、其事業ヲ継続スルニ至ルモ、旧政府ノ余勢ト其因襲ノ久シキトニ依リ、敢テ甚シキ苦情ヲ唱フルニ至ラザリシガ、爾来世態ノ満ク変遷スルニ従ヒ、大ニ其状況ヲ異ニシ、水路関係ノ町村等漸次之ニ着目スルノ実況ヲ露ハスニ至レリ。殊ニ前日ニ在テハ府県ノ管理セルモノモ、今ハ一転下ヲ東京ノ市ノ有ニ帰シタルヲ以テ、今日ニシテ夫々将来ノ為メ慮バカラザルヲ得ザル場合ト相成候。抑多摩川上水ノ其線路大率神奈川県西多摩・北多摩ノ二郡ニ連亘スルヲ以テ、之レニ関係ノ町村亦尠ナカラズ、已ニ大字羽村ニ設置シアル用水取入口工事ニ対シテハ、前年来神奈川県民ノ苦情ヲ唱フル所ニシテ、之ヲ略言スレハ田養運搬ニ必要ノ水量ハ多ク上水堀ニ吸入セラレ、洪水ノ時ノミハ之ヲ放流シテ神奈川県下ノ害ヲ為スノ実況ヲ訴フルモノニシテ、随テ該近傍ニ上水ノ為メ必要ノ工事等アル毎ニ神奈川県民ハ之ニ対スル苦情ヲ引起シ、其ノ都度幾分ノ障害ヲ来シ、而シテ右等ノ苦情逐年多キヲ加フル傾向ニ付、漸次歩ヲ進メ、将来用水ニ架設セル数多ノ橋梁費又ハ本川ノ堤防費等ヲ東京費税ニ求メ、或ハ洪水旱魃等ノ場合種々ノ苦情故障ヲ唱ヘ行政上紛雑ヲ惹起シ、両庁ニ於テモ益困難多事ニ立至ルベキハ無疑事ト存候。是等ノ場合ニ於テ其水路ニ管轄ニ渉ルヲ以テ、彼是差縺レヲ生ジ、随テ其処分亦容易ナラザルベクト存候。依テ改メテ之ヲ一管轄ノ下ニ帰セシムトキハ、右等ノ困難モ幾分之ヲ予防スルヲ得ベク、又水源ニ関スル山林ノ処分ヨリ上水全水路ニ渉ル諸般ノ処務ニ至ルマデ、悉ク一轍ニ出ヅルヲ以テ、其地勢風俗人情ヲ審按スルニ、元来多摩郡ハ非常大郡ナリシモ、後ニ之ヲ四分シ、現今西南北三郡ハ神奈川県ニ属シ、東ノ一郡東京府ニ属セリ。而シテ上水線路西北東三郡ヲ連貫シ、南一郡ハ之ニ関セザルガ如シト雖モ、多摩川本流ハ南北多摩ノ境界ヲ為シ、治水ノ関係上離スベカラザルノ地勢ナルハ勿論、風俗人情等ヲ同フシ、且従来互ニ結托シ居ルノ実況ニ付、西北二郡ヲ東京府ニ属シ、南一郡ノミ管轄ヲ略ニスル如キハ、民意ニ適セザル義ニシテ、殊ニ三郡ヲ以テ一ノ衆議院議員選挙区ニ定メアルニョリ、是等事情ヨリシテ南多摩郡ノ義モ西北多摩郡ト併セテ同ク一管轄ノ下ニ帰セシムル方、至当ノ処分ト被存候ニ付、神奈川県・西多摩・北多摩及南多摩ノ三郡ヲ割ヒテ、東京府ハ目下僅ニ五郡ニ付、此ノ三郡ヲ加フルモ、其区域広濶ニ失スルノ憂毫モ無之義ト相考候。依テ将来両庁間行政上ノ利便ヲ謀リ、前件ノ御処分アランコトヲ冀望シ、両庁協議相整候義ニ付至急何分御詮議相成候様致度、関係書類相添此段及内申候也。 (「神奈川県会史」第二巻) 第二節 賛成派反対派の動静 一五四 多摩三郡有志者の境域変更法律案賛成陳述書 東京府神奈川県境域変更ニ関スル法律案ニ賛成スル理由左ニ陳述致シ候 今般政府ヨリ帝国議会ヘ提出セラレタル西多摩南多摩北多摩ノ三郡ヲ分轄シテ東京府管下ニ属セシムル法律案ハ至極適当ニシテ三郡人民ノ宿望スル所ナリ然ルニ聞ク所ヲ以テスレハ少シク之ニ反対ヲ試ムルモノアリト斯ル明著ナル大理由ノ存スル所大勢ノ帰スル所其事ノ行ハル可キ敢テ喋言ヲ要セサル可シ故ニ我々ハ之カ弁解ヲ須ヒスシテ単ニ我々郡民ノ夙ニ希望シテ已マサル要点ヲ略述シ以テ当路者及他大方ノ留意ヲ請ントス 此三郡ノ地タル現今ノ管轄境域ヲ以テスル時ハ其北部ニ位シ甲州街道ニ沿リ往来シ物産運輸モ陸路ヨリ東京ニ出タス是ヲ以テ他ノ郡市ト痛痒ヲ異ニシ管轄ヲ共ニスルハ啻ニ其不便ヲ感スルノミナラス無用ノ財ト無用ノ時間ヲ費ス恐レ有リ 之ヲ東京府管下ニ移サンカ其郡市ト直接ノ関係ヲ有スルモノ多ク便益得ル所実ニ莫大ナリトス 三郡ノ地ハ東京府管下東多摩郡ト元ト一郡ノ地ニシテ利害感情ヲ同フスル所其荏原郡ニ於ルモ多摩川一帯ニ沿ヒ流域ヲ共ニシ水利ノ便運輸ノ利倶ニ之ヲ同フセリ従前ニ於テ既ニ此ノ如シ是ヲ以テ郡民屢管轄替ヲ請願シテ已マサリシ矧シテ今日ニ於テハ諸物産大ニ開ケ其販路ハ悉ク之ヲ東京ニ取レリ特ニ甲武鉄道開通以還ハ大ニ形勢ヲ改メ彼我ノ間往来織ルカ如ク旦暮相接セリ 若現今ノ儘ニテ更替スルナキカ三郡人民ハ常ニ道ヲ東京ニ取リ更ニ神奈川県庁ニ至ルノ不便アリ横浜ノ地タル繁昌ナルモ元ト是レ互市場ナルヲ以テ直接ノ関係アル稀ニ見ル所ニシテ東京ノ密接ナル関係アルニ同シカラス 然ラハ三郡人民ハ単ニ管轄庁ノアルヲ以テ此迂遠ノ地ニ往カサルヲ得サルノ不便ヲ受ク其不便ハ暫ク忍フヘクモ無用ノ時間ト無用ノ費ヲ費スニ於テハ人民保護上国家経済上之ヲ更替スルノ必要アル固ヨリ論ナカルヘシ 郡民ノ便不便前述ノ如シ而シテ官吏郡村吏ニ至ル迄常ニ迂路ヲ取テ往来スルノ不便アリ 其他諸官衙裁判上学校教育上諸般ノ衛生上親族交際上ノ事皆悉ク東京府管轄ノ下ニ属スルヲ希望スルノ原因ヲ為スモノナリ而シテ地方経済ノ点ニ於テ地方税町村税ニ於テ却テ東京府ニ属スルノ軽減アルヲ見ルモノトスレハ断シテ今日ヲ以テ此更替ヲ為スノ大時機ナリト信セリ 願クハ公平至当ノ議ヲ以テ速ニ該法律案ノ通センコトヲ此ニ総代ノ名印ヲ記シ郡民希望ノ誠意ヲ表シ候敬白 明治廿六年二月二十三日 神奈川県西多摩北多摩南多摩 三郡有志総代 砂川源五右衛門 吉野泰三 指田茂十郎 内野杢左衛門 西山政重 中村半左衛門 岸宇左衛門 下田遊亀蔵 渡辺九一郎 内藤次左衛門 花形長之助 串田儀八 平林定兵衛 忍足常吉 渡辺武四郎 小柳九一郎 矢島次郎左衛門 清水浩平 糟谷良甫 田村半十郎 紅林徳五郎 外千五百七十九名 (「三多摩郡引継書」(明治二六年)東京都公文書館蔵) (注)立教大学所蔵資料に同様のものがある。 一五五 境域変更の賛成調印取消要求 調印取消 先般神奈川県西南北多摩郡ヲ東京府ヘ境域変更ノ法律案ニ賛成ノ調印ヲ致シ候処能々其利害得失ヲ勘考スルニ尤該法律案ハ不利益ナル者ニ付過般ノ調印ハ全ク誤リタルモノナレハ其調印ヲ取消候也 神奈川県北多摩郡中藤村四千二百五番地平民農 榎本利亮 同県同郡同村三千四百六十三番地平民農 川島秀之助 同県同郡岸村三百五十八番地平民農 諸江吉五郎 同県同郡三ツ木村七十七番地平民農 比留間栄太郎 同県同郡同村千二百九番地平民農 増尾健次郎 同県同郡同村六百四十六番地平民農 山崎七右衛門 同県同郡岸村三百九十番地平民農 荒田鉄太郎 同県同郡三ツ木村平民農 進藤周輔 本日発兌ノ貴社新聞ヲ閲スルニ有志総代ノ意見書ト題シ東京及神奈川県境域変更ニ関スル法律案ニ賛成スル理由書ト題スル書面ヲ掲ケ其末尾ニ小生ノ姓名ヲ記入有之候得共小生ハ決シテ如斯書面ニ署名シタルコトナク却テ該法律案ニハ反対ノ意見ヲ有スルモノニテ現ニ該法律案撤回ノ請願ニ署名シタル一人ニ候間此全文ヲ掲ケ御取消有之度候 明治二十六年二月廿四日 西多摩郡西多摩村 指田茂十郎 毎日新聞社御中 貴社新聞第六千六百七十九号ニ東京府及神奈川県境域変更ニ賛成スル理由ヲ登載為サレ其有志者総代之内ニ小生ノ名モ列記シ有之候得共小生ハ素ヨリ右賛成之理由ニ同意ナル者ニ無之候故総代トナリタル義更ニ無之候間宜敷御取消被下度候也 明治廿六年二月廿四日 神奈川県西多摩郡福生村第六百廿六番地 田村半十郎 毎日新聞社御中 (飯田助丸氏蔵) 一五六 神奈川県有志の境域変更賛成主意書 東京府及神奈川県境域変更ニ関スル法律案ヲ賛成スル主意書 今回政府ハ神奈川県北多摩郡西多摩郡南多摩郡ノ三郡ヲ割ヒテ東京府ニ合セシムルノ法律案ヲ衆議院ニ提出セラレタリ而シテ其境域変更ヲ要スル理由ハ政府ノ理由書ニ詳ナレハ今更喋々ヲ要セズ然ルニ右三郡中ノ一派并ニ各郡ニ反対運動ヲ為スモノアリ其理由トスル所左ノ如シ 第一 東京府ト神奈川県三郡トハ地勢人情風俗ヲ異ニスルコト 第二 東京府ト神奈川県トハ地方税ノ負担ニ差異アリテ三郡ヲ東京府ニ編入スルトキハ三郡人民ハ其負担ニ堪ヘサル事 第三 三郡ヲ東京府ニ編入スルトキハ神奈川県地方経済ニ異動ヲ生シ全躰ノ為メニ地方税ノ負担ヲ重カラシムルコト 第四 東京府水道改良事業ニ対シ境域ノ変更ハ必要ナリト云フモ数百年ノ今日ニ至ル迄著シキ害アリシヲ見ズト云フコト 第一 境ヲ出ヅレハ地勢人情ノ異ナルハ免レザルノ数ナリ三郡ノ東京府ニ対スル地勢人情ノ異ナル点ヲ謂ハヾ三郡ノ神奈川県各郡ニ対スル地勢人情モ亦異ナリト謂ハザルヲ得ズ神奈川県各郡ハ概略平地坦途従テ収利多シ三郡ハ之ニ反シ山嶽原野多ク沃土少シ而シテ其地形孰レモ甲州街道ニ沿ヒ互ニ利害ノ関係ヲ共通シ殊ニ甲武鉄道布設ニ従ヒ両地ノ来往一層ノ利便ヲ得現今神奈川県ニ往来スル者ト雖トモ先ヅ途ヲ東京ニ取ルノ実況ニシテ地勢自然ノ宜キヲ得ルモノナリ其人情風俗ノ如キ従テ東京府ニ近シト謂ハザルヲ得ズ况ンヤ三郡ハ固ト東京府ノ管轄ナリシニ於テオヤ 第二 三郡ヲ東京府ニ編入スルトキハ三郡人民ノ負担ヲ重クストノ理由ハ地方税ノ一面ヲ見テ他ノ方面ヲ見ザル人ノ言ニシテ町村税ニ至リテハ神奈川県ノ方遥カニ東京府ヨリモ多シ其ハ東京府ニ於テハ郡市町村ノ負担スベキ土木費ハ成ルベク町村税ヲ省キテ地方税支弁トスルノ慣例ニシテ神奈川県ノ慣例ハ全ク之ニ反シ却テ成ルベク地方税ヲ軽フセントスルニアリ故ニ之ヲ平均スルトキハ其大差ナカルベキヲ信ズ 第三 三郡ヲ東京府ニ編入スルモ一県ノ経済ニ大関係ヲ生ジ地方税ノ負担ヲ重カラシムルノ虞ナシ反対者ノ云フ如ク三郡ハ土地僻陬ニシテ収利少ナキヲ以テ地方税ノ負担モ亦多カラザルハ明ナル事実ナリ殊ニ多摩川治水費ハ県下三大川中其支出額第一ヲ占ムルモノナレハ他ノ各郡ハ三郡ノ為メニ却テ負担ヲ重クスルノ事実ナレハ三郡ヲ東京府ニ編入スルトキハ却テ一県ノ経済上負担ヲ軽クスルノ結果ニ至ルベキナリ 第四 東京府水道改良事業ニ対シ境域異ナリト雖モ著シキ害アルヲ見スト云モ現ニ政府ノ理由書中ニモアル如ク去ル明治十九年中コレラ患者ノ排泄物ヲ西多摩郡ノ某村ニ於テ上水中ニ放棄シタルカ如キハ今ヨリ追想スルニタニ思ハズ寒心ニ堪ヘザルモノアリ是其境域ノ異ナルヨリシテ自然衛生上ノ取締立タザルニヨル加之樹林濫伐ノ為メ水源ノ年々涸渇スルガ如キハ其境域ノ異ナルヨリ起ルノ弊害ナリトス 以上列記スル所ニヨレハ政府案ニ反対スルノ理由ナキヤ明カナリ生等ハ国家上ヨリスルモ地方上ヨリスルモ其不可ナル理由ヲ発見スルコト能ハズ是レ該法律案ノ議会通過ヲ希望スル所以ナリ 神奈川県有志者姓名は裏面ニ記ス (裏面) 神奈川県有志総代 高座郡菊地小兵衛 川井考策 高橋伊三郎 伊東祐吉 榊原善政 飯田弥亮 山宮藤吉 橘樹郡飯田彰重 鎌倉郡松本良太郎 三浦郡戸井嘉作 前田善太郎 久良岐郡平沼九兵衛 横浜市矢野祐義 高橋留吉 白井勝悟 愛甲郡石川淑 大矢武平 梅沢董一 高部源兵衛 (「小柳家資料」立教大学蔵) (注)飯田助丸氏所蔵資料、東京都公文書館所蔵資料に同様のものがある。 一五七 北多摩郡有志の境域変更賛成請願 境域変更之義ニ付請願 神奈川県北多摩郡左ノ者儀奉請願候今般西多摩郡北多摩郡南多摩郡ノ三郡ヲ東京府ヘ合セシムル法律案ヲ政府ヨリ提出セラレ右ハ農工商百般ノ業務大ニ利便ヲ得且衛生ニ治水警察悉東京府ノ所轄ニ無之テハ甚タ不都合ニ有之依テ私共従来ノ宿願ニ御座候間該案速ニ御院ニ於テ御通過相成候様謹テ奉請願候以上 明治廿六年二月廿五日 右之請願書本日左記ノ連名ヲ以テ衆議院ニ呈出セリ 北多摩郡東村山村 町田六右衛門 外廿六名 同郡田無村 下田太郎右衛門 外廿七名 同郡久留米村南町 藤宮兵蔵 外二百廿名 同郡武蔵野村 安藤大助 外七十二名 同郡神代村 富津松之助 外七十名 (「三多摩郡引継書」(明治二六年)東京都公文書館蔵) 一五八 東京市市会議員有志の区域変更推進運動に関する往復文書 区域変更運動ニ係ル往復書 今般東京府神奈川県境域変更法律案帝国議会ヘ提出相成候ニ付而ハ吾々市会議員ハ過日来奔走尽力致居候処議事日限切迫之今日ユヘ貴会諸君モ一層御助勢被下貴区内ニ寓居之衆議院諸君ハ勿論他区寄留之議員各位内ニ御知己有之候ハヽ是又併テ御面談之上大至急原案通過候様無限之御尽力相願度且賛否分リ次第市会議場ヘ宛御急報被下度此段得貴意候也 明治二十六年二月廿二日 今村清之助 今井兼輔 中嶋又五郎 佐久間貞一 青木金七 仁杉英 山中隣之助 芳野世経 橋本正隆 緊急事件ニ付特ニ御協議申上度件有之候間乍御苦労明午前八時迄ニ府庁議事堂ヘ御来車被成下度此段得貴意候也 今井兼輔 青木金七 須藤時一郎殿 松田秀雄殿 芳野世経殿 佐久間貞一殿 仁杉英殿 山中隣之助殿 今村清之助殿 東京府神奈川県境域変更法律案衆議院之特別委員会ハ是非今晩中決定可相成筈左候得ハ必然明廿六日歟又ハ明後廿七日之本議ニ可相上ニ付テハ弥時機切迫今夕ヲ除キ明一日限リ候間過刻不取敢電話ヲ以テ申上候通御区運動委員諸君ニハ尚一層御奮励総出ニテ御区内寄寓之衆議院議員ヲ御訪問之上是非目的貫徹候様御尽力ノ程深ク希望候旨至急御区内運動委員諸君ヘ御通知被下度候也 二月廿五日 今井兼輔 青木金七 区長殿 追テ已ニ賛成ノ向ニモ尚一層御確メノ上其姓名御報道被下度希望致候也 神奈川県境域変更事件ニ付テハ段々御尽力相成候処本日楠本議長ニモ出庁ニテ院内ノ模様等詳報有之愈々明日之議事ニ上リ候運ビニ相成候由此際ノ張弛ハ大勢ノ分ルヽ処ニ候得バ一層ノ御協力御尽力ヲ要スル儀ニ有之就テハ種々御協議申上度候間万障御差操明二十七日午前第八時迄府庁議事堂ヘ御来車被成下度此段特ニ得貴意候也 拝啓兼而御尽力相成居候境域変更事件特別委員会ニ於テ明廿七日午前九時開議決定直チニ議場ヘ報道ノ上日程変更議事ニ上リ候手続ニ相成居候由ニ付テハ此効果ヲ得ルト得サルトハ実ニ運動ノ張弛ニ由ル義ニテ此際ノ一弛ハ頗ル大勢ニ影響ヲ与ヘ候間申迄モ無之事ニハ候ヘ共尚ホ一層御尽力被成下度此段及御照会候也 明治廿六年二月廿六日 芳野世経 今井兼輔 山中隣之助 青木金七 佐久間貞一 仁杉英 今村清之助 稲田政吉 謹呈今般神奈川県境域変更法律案之義ニ付テハ段々之御尽力相成奉拝謝候明日ハ委員会ニ於テモ決定相成候事ト存候ヘハ院内運動上ノ義ニ付御意見等相伺夫々手配モ仕度為メニ可罷出筈ニ候得共本日ハ御休養ノ事ト存候間御遠慮申上候甚タ恐縮ナガラ明廿七日午前九時当議場ヘ拝駕ヲ仰度此段得貴意候拝具 二月廿六日 拝啓其御区内寓居之衆議院議員中議者別紙○印ノ通リニ有之候処開議ノ際不参ニテハ其詮モ無之ニ付明日ハ専ラ承議者ニ対シ出頭之義御迫リ相成度又不参者有之候ハヽ当方ヨリ其区役所電話ヲ以テ申上候間其節ハ即刻其寓所ニ就キ引出シ方御取計相成候様致度此段申上度候也 明治廿六年二月廿六日 今村清之助 今井兼輔 稲田政吉 佐久間貞一 青木金七 仁杉英 山中隣之助 芳野世経 各区長宛 各区会議長宛 実業同志会 事務所愛宕下町二丁目五番地 松田源五郎 原亮三郎 中沢彦吉 牛場卓蔵 小坂善之助 由雄与三平 北岡文兵衛 今井清志 仁滝清雄 佐藤里治 電報 昨夜一投渡木払ラハレタリ何者ノ仕業ナルヤ不明今水仕掛ケ中 二月廿七日 午前第八時三十分八王子発 (羽村八王子間ハ電話) 西多摩郡西多摩村羽村 東京府第二課出張所 技手 二木貢 東京府第二課 御中 二月廿七日 午前第七時四谷大木戸ニ於ケル 水量 歩板下 壱尺五寸減 但前日迄ハ平水量ナリシヲ一投渡木取払ノ為メ水ノ深サ一尺五寸ヲ減シタルナリ 前書ノ通唯今市参事会ヘ報告有之候ニ付不取敢供御参考候也 明治廿六年二月廿七日 東京市会議員有志者 拝啓御清康奉賀候陳者今回政府ヨリ議会ヘ提出相成候東京府神奈川県境域変更ニ関スル法律案衆議院可決之上ハ直チニ御院ヘ回送可相成筈然ルニ本日一日ニ迫リ居候得共是非御院可決議了相成候様仕度本案之必要ナル今更喋々要セサル儀ニ有之何分ニモ御尽力ニテ好結果ヲ得候様切望之至ニ御座候右得御意度匆々敬白 明治廿六年二月廿八日 東京市会有志者惣代 何誰 何誰 貴族院議員 何誰殿 拝啓御清康奉賀候陳者今般政府ヨリ議会ニ提出相成候東京府神奈川県境域変更ニ関スル法案ハ衆議院ニ於テ議定次第御院之議ニ上リ候筈然ルニ会期頗ル切迫致居リ候間是非共本日ヲ以テ御院ニ於テ可決議了相成候様仕度該案ノ府下人民ニ対シ必要ナルハ勿論宮内省御用ニモ相成居リ殊ニ上水沿岸数十ケ村用水等ノ関係モ有之是等ノ事ハ今更喋々ヲ要セサル儀ト存候格別之御尽力ヲ以テ速ニ決了好結果ヲ得候様切望之至ニ御座候右得御意候匆々頓首 二月廿八日 此分ハ華族殿ヘ差出候ナリ 東京府神奈川県境域変更法律案ニ対スル参考書調製候ニ付一本供電覧候匆々拝具 二月二十二日 衆議院議員添書(二百九十九通) (「三多摩郡引継書」(明治二六年)東京都公文書館蔵) 一五九 多摩三郡と東京府の関係についての北多摩郡有志者の口話 〔北多摩郡有志者口話〕 交通 三多摩郡ノ道路ハ悉ク東京ヘ通シ横浜ヘノ通路ハ別ニ之ナシ 水利 多摩川本流涸渇ニ際シテハ往々田養水ニモ困難ヲ告クルコトアリ此時ニ方リ三多摩郡ニシテ東京府ノ管轄ニ属シ居ラハ直チニ処分ヲ行ヒ得ヘキモ神奈川県ノ管轄ナルトキハ両庁ノ間ニ往復照会ヲナサヽルヘカラス又三多摩郡民ニ於テ多摩川ニ関スル府知事ヘノ出願等ハ尽ク神奈川県ヲ経由セサルヘカラサル等ノ不便アリ 衛生 上水ハ東京府民ノ飲用ニ供スルモノナルヲ以テ充分之カ取締ヲ為サヽルヘカラスト雖モ三多摩郡ニシテ神奈川県ノ管轄ニ属スル以上ハ府知事随時ニ令達ヲ発シテ取締ヲ為ス能ハス 警察 三多摩郡ニ変事アル場合ニ際シ神奈川県官ハ鉄道ヲ利用シ東京ヲ経テ三多摩郡ニ赴ク故警戒其他十分行届カサルノ不便アリ 商工業 米麦薪炭ヲ除クノ外ハ東京トノ取引頗ル多シ就中南西多摩ノ織物若クハ材木ノ如キハ尤モ東京ト取引多ク要之商工業ノ大部分ノ取引ハ東京ニアリ 右ノ理由ナルヲ以テ三多摩郡民十中ノ八九ハ東京府管轄ニ属センコトヲ望メリ 但前記理由ノ外尚ホ挙クヘキ事項数多アリト雖モ一々〓ニ掲ケス (「三多摩郡引継書」(明治二六年)東京都公文書館蔵) (注)立教大学所蔵資料に同様のものがある。 一六〇 神奈川県県会議員の境域変更反対理由書 東京府神奈川県境域変更ニ関スル法律案ニ反対スル理由書 今般政府ヨリ帝国議会ヘ提出セラレタル西多摩南多摩北多摩三郡ヲ分割シテ東京府管下ニ属セシムル法律案ハ事甚ダ唐突ニ出テ我県下人民ノ驚愕スル所ナルコトハ勿論三郡人民ニ在リテハ特ニ一大驚慌ヲ来セリ想フニ此案ノ如キ我賢明ナル帝国議会諸公ノ排斥セラルヽ所ナルコトヲ信スト雖トモ我県人民ニ於テハ深淵ニ臨ミ薄氷ヲ踏ムノ感アリ故ニ謹テ理由ヲ具シ高明ノ省察ヲ仰ク実ニ已ムヲ得サルナリ 抑三郡ノ地タル維新以降已ニ二十余年神奈川県ノ管轄ニ属シタルヲ以テ全県其人情風俗ヲ同フシ特ニ我県唯一ノ物産タル繭生糸ノ如キ南多摩郡八王子町ヲ以テ中心市場トナスヲ以テ県下多数人民ノ輻湊スル所トナリ其関係スル所実ニ軽カラス今一朝之レヲ分割シテ東京府ニ属センカ実ニ人情ニ戻ルノ甚シキト謂ハサルヲ得ス且ツ多摩三郡ハ実ニ神奈川県財源ノ府ナレハ若シ三郡ヲ分割セハ神奈川県ハ其財源ヲ失ヒ自治ノ基本ヲ欠キ而シテ三郡ハ東京府ニ属スルヲ以テ過重ノ負担ヲ受ケサル可ラス〔別表参看〕我県人民及ヒ三郡人民ノ驚愕措ク所ヲ知ラス之レ該法案ニ反対セサルヲ得サル所以ナリ 本法案ノ主張スル所ハ東京市水道ノ為メニスルニアリ夫レ水源ヲ涵養シ若クハ汚濁ノ流入ヲ防止スルカ如キ敢テ之ヲ其管轄ニ属セシメサルモ其途ナキニアラズ然ルニ単ニ此一事ヲ以テ県下九十万衆ノ幸福ヲ犠牲ニセントスルカ如キハ不条理モ亦甚シト謂ハサル可ラス 之ヲ要スルニ本法案ハ縦令幾分東京府ニ利スル所アル可シト雖トモ其神奈川県ニ害スルコト実ニ甚シキモノト謂ハサル可ラス 故ニ願クハ公平ノ議ヲ以テ速カニ該法案ヲ否決セラレンコト県民等希望ノ至リニ甚ヘス敬白 明治二十六年二月二十六日 神奈川県会議員 土方房五郎 小林儀兵衛 井上吉之助 武藤佐太郎 瀬沼伊兵衛 内山安兵衛 木崎雄蔵 天野藤三 岡部芳太郎 小島貞雄 小泉太一郎 飯田快三 添田知義 原文次郎 鈴木林蔵 河田周蔵 穴沢与十郎 平戸清八 森市左衛門 難波惣平 永野茂 長谷川彦八 志村大輔 金子小左衛門 森鑅三郎 佐藤政吉 大貫弥七 水島保太郎 曽根田重兵衛 吉田清太郎 長谷川豊吉 今井徳左衛門 小沢衡平 鈴木稲之輔 黒部与八 小泉穀右衛門 脇沢金次郎 長谷川亀楽 長崎俊信 渡辺庄次郎 大谷嘉兵衛 来栖壮兵衛 中山太郎左衛門 石川養造 増田増蔵 左右田金作 小沢勝蔵 会田八十八 露木要之助 石井八郎右衛門 (飯田助丸氏蔵) (注)別表欠。立教大学所蔵資料に同様のものがある。 一六一 多摩三郡町村長の境域変更反対陳情書 泣血百拝貴衆両院議員諸君ニ哀告ス 今回政府ハ神奈川県下西南北多摩三郡ヲ分割シテ東京府ニ属セシムルノ法案ヲ提出セリ而シテ該法案ノ利害ニ付テハ両地人民ニ於テ見ル所ヲ異ニシ各其便否ヲ囂々シテ止マザルコト諸君ノ熟知スル所ナラン抑モ一府県ノ管轄区域ニ付テハ冥々ノ間ニ至要ノ関係ヲ有シ利害便否ノ分容易ニ判定シ難キモノアリ某等親シク三郡ニ住居シ多年神奈川県下ニ立チシニ拘ラズ一朝風土人情ヲ異ニスル東京府ニ属スルニ至リテハ種々重大ナル困難ナキヲ得ズ熟ラ該法案ヲ閲スレバ其主要ノ理由ハ東京市水道ニ関スト抑モ水道ハ東京市全体ノ飲料ニ供スルモノニテ而シテ東京ハ実ニ帝国ノ首都宮城ノ在ル所之ヲ他府県ト同一視スベカラザルコト某等之レヲ知ラザルニアラズ豈ニ自己軽微ノ利害ニ拘泥シ以テ帝都ノ休戚ヲ顧ミザルモノナランヤ然リト雖モ今日ノ事実ニ言フニ忍ビザルモノアリ夫レ該法案ヤ固ヨリ東京市ニ若干ノ利便之レナキニアラザルベシ然レトモ是ガ為ニハ三郡人民ノ利害ハ毫モ之レヲ顧ミズシテ可ナル乎水道ニ関スル適当ノ処置ハ該法案ヲ措テ他ニ途ナキモノナル乎囂々泣訴スル郡民ノ困難ヲ顧ミズシテ一刀両断ノ処置ニ出ルコト或ハ止ムヲ得ザルモノアラン三郡人民ト雖モ亦涙ヲ呑ンデ之レヲ忍バザル可カラザル事アラン雖然如斯ハ周密ノ調査ヲ尽スモ他ニ適当ノ途ナキ時ニシテ始メテ然ルモノナラザルベカラズ然ルニ今ヤ杜撰粗漏ノ方法ヲ専決シ深ク三郡人民ノ利害ヲ考査セズ隠密ノ間ニ計画シ議院ノ閉期切迫シテ議事繁劇ナルヲ窺ヒ突然提出スル如キニ至リテハ陰険ニ非ラズンバ軽躁ノ極ト云ハザル可カラズ鳴呼公平ナル議員諸君幸ニ好在スルコトナクンバ三郡ノ人民ハ急遽狼狽殆ント為ス所ヲ知ラザラントス抑モ又危哉某等今日マデ各町村長ノ職ヲ勤メ管下行政ノ事ニ従ヒシモ郡民ガ該法案ニ激昂スルノ甚ダシキヲ目撃シ若シ不幸ニシテ該法案ノ通過スルコトアリテ将来郡下ニ起ルベキ悲惨紛擾ヲ想像スル時ハ到底坐シテ行政ノ務ヲ尽スコト能ハズ遂ニ各自其職ヲ辞退シ以テ府下ニ集リ諸君ニ泣告スルノ止ムヲ得ザルニ至レリ公明ナル議員諸君何卒某等人民ノ不幸ヲ愍察シ該法案否決ノ運ニ至ランコトヲ懇願ニ堪ヘズ 神奈川県南多摩郡 八王子町長 大平安三 小宮村長 立川周蔵 加住村長 青木鎮卿 川口村長 阪本登名蔵 元八王子村助役 青木松兵衛 浅川村長 小林儀兵衛 横山村長 林藤蔵 由井村助役 尾川太吉 堺村長 青木芳斎 忠生村長 加藤茂 同県北多摩郡 砧村長 飯島福太郎 三ツ木村長 比留間邦之助 谷保村長 佐伯幸四郎 同県西多摩郡 成木村長 木崎雄三 小曽木村長 宿谷磯吉 青梅町長 滝上悦蔵 増戸村長 清水孫一郎 町田町長 渋谷亀蔵 南村長 松村育太郎 鶴川村長 井上吉之助 柚木村長 大沢信重 多摩村長 富沢政賢 稲城村長 原田所左衛門 七生村長 土方篠三郎 桑田村長 斎藤文太郎 日野宿長 中島伝之助 恩方村長 井橋弁重 立川村長 井上善次郎 狛江村長 小川清平 五日市町長 馬場勘左衛門 西秋留村長 瀬沼安兵衛 東秋留村長 久保島源十郎 草花村長 鹽野正作 大久野村長 三沢三郎 霞村長 山崎孫七 箱根ケ崎村長 村山信太郎 福生村長 田村平左衛門 調布村長 三田左内 三田村長 板倉正養 吉野村長 川上郡三 古里村長 佐久間増太郎 氷川村長 木村文吉 小河内村長 杉田郡平 檜原村長 吉野郡次 小宮村長 栗原重郎次 三ツ里村長 佐藤蔵之助 西多摩村長 中村喜三郎 戸倉村長 岡本登久蔵 (飯田助丸氏蔵) (注)立教大学所蔵資料に同様のものがある。 一六二 飯田快三他の境域変更反対上申書 廿六年二月廿四日調印 飯田快三外十名 東京府及ヒ神奈川県境域変更ノ法律案ニ反対スル上申書 謹テ内務大臣閣下ニ上申ス今回政府ハ神奈川県西多摩郡南多摩郡北多摩郡ヲ分割シテ之ヲ東京府ノ管轄属セシムルノ法律案ヲ衆議院ニ提出セラレタリ抑右三郡ハ廃藩置県以来神奈川県ノ管轄ニ属シ人情風俗ヲ異ニスルノミナラズ行政諸制度ヲ異ニシ地方税ノ如キハ地租割ニ於テ二倍以上戸数割ニ於テハ五倍以上ノ軽重アリ且三多摩郡ヲ分割スルトキハ人口弐拾壱万六千九百四拾七人地租額拾五万七千七百余円ヲ減殺セラル是レ三多摩郡ハ勿論県下一般ニ於テ該案ニ不同意ヲ唱フルノ所以ナリ依テ忌憚ヲ顧ス上申仕候頓首 (飯田助丸氏蔵) (注)曽根田重和氏所蔵資料に同様のものがある。 一六三 境域変更反対請願書 請願書 謹テ衆議院ニ請願ス今回政府ハ神奈川県西多摩郡南多摩郡北多摩郡ヲ分割シテ之ヲ東京府管轄ニ属セシムルノ法律案ヲ衆議院ニ提出セラレタリ抑右三郡ハ廃藩置県以来神奈川県ノ管轄ニ属シ未ダ曽テ変動アリシコトナシ盖シ同県下他ノ郡区ト人情風俗ノ適合スル所アレハナリ然ルニ今俄カニ之レヲ東京府ノ管轄ニ移サルヽニ至ツテハ郡民ノ失意〓ニ名状ス可ラズ凡ソ行政ノ区画ヲ変改スルハ重大ノ理由ナカル可ラス而シテ今回ノ変改ハ主トシテ東京市水道起工ノ便否ニ由ルモノヽ如シ然ラハ則チ其管轄ヲ変更セサルモ他ニ之レカ便益ヲ達スルノ途ナカルヘカラス然ルニ水道起工便否ノ為メ従来ノ慣習ヲ破砕シ人民ノ失意ヲ省ミサルガ如キハ某等其理由ノ存スル所ヲ知ルニ苦マスンバアラズ〓ニ該法律案ノ採用セラレサランコトヲ請願ス誠惶頓首 (飯田助丸氏蔵) (注)曽根田重和氏所蔵資料に同様のものがある。 一六四 境域変更反対理由書 東京府及神奈川県境域変更ニ関スル法律案ニ対シ反対スル 理由書 第一 神奈川県ト東京府トハ元来民情風俗ヲ異ニスルノミナラズ東京府ノ郡部ハ府下ニ接近シ平地坦途随テ収利多シ多摩郡ノ如キハ山林多ク土地僻陬ニシテ府民ト利害ヲ共ニスヘキモノニ非ス地方経済ニ就テモ亦多額ノ差違アリ即チ第一別表ノ如ク戸数割ニ五倍〇一四七地租割ニ二倍二分七厘ノ増加ヲ来スニ因リ到底東京府地方税ノ負担ニ耐サルコト明ナリ是レ三多摩郡人民カ此変更ヲ不利トスル所以ナリ 第二 神奈川県ハ現在一市十五郡ナルモ郡部ハ地租七拾弐万弐千七百九十円九十六銭八厘〔山林ヲ除キ〕人口ハ八拾弐万三千六百弐拾七人ニシテ三多摩郡ハ地租人口共ニ第弐別表ノ如ク多数ヲ占メ居リ右三郡ヲ分割スルトキハ地租ニ於テ五分ノ一強人口ニ於テ四分ノ一弱ヲ減シ一県ノ経済ニ大関係ヲ生シ地方税負担ヲ重カラシムルコト瞭然タリ 第三 東京府水道改良事業ニ対シテハ監督上水源ノ涵養保護森林濫伐ノ取締リニ付境域ノ変更ハ必要ナリト云フモ数百年ノ今日ニ至ル迄著シキ害アリシヲ見ス若シ行政上不便アリトセハ是等ノ取締ハ行政庁互ニ合議ヲ遂ケ其権域ヲ定ムル等便益ヲ計図スルノ方法他ニ途ナキニアラズ然ラハ則チ右等ノ不便決シテ之レナキモノト思考セリ 前項ノ如キ不利ナル神奈川県人民ノ不幸ヲ顧ミサルハ有害無益ノ法律案ナリト云ハサルヲ得ズ之レ該法律案ノ廃棄ヲ希フ所以ナリ東京府郡部及神奈川県郡部戸数割税及地租割税比較表 第壱号表 第二号表 (飯田助丸氏蔵) 一六五 多摩三郡人民の境域変更反対意見 今回神奈川県東京府管轄境域変更法案ニ対シ神奈川県西南北多摩三郡ヲ東京府管轄ニ属スルトキハ同郡人民負担ノ軽重ニ付該案賛成者及ヒ反対者ニ於テ全ク正反対ノ比較表ヲ製シ各正否ヲ争ヒシガ今回政府ヨリ衆議院同法案特別審査委員ニ送付シタル内務省ノ取調ナルモノヲ閲スルニ多摩三郡ヲ東京府ヘ編入スルトキハ三郡人民ノ負担左ノ如シ 自廿一年度至廿三年度三ケ年間平均地方税負担額 総額 一人当り 東京府郡部 弐拾万五千五百拾円三拾六銭三厘 六拾壱銭八厘 神奈川県郡部 弐拾八万弐千七百五拾弐円五拾六銭六厘 三拾弐銭九厘 差引東京府ノ増加一人当リ弐拾八銭九厘 自廿二年度至廿四年度三ケ年平均町村税負担額 総額 一人当リ 東京府郡部 拾一万五千三百六拾九円四拾九銭 三拾八銭 神奈川県三多摩郡 拾一万六千三拾八円壱銭四厘 五十銭一厘 差引東京府ノ減額一人当リ拾壱銭五厘 右ノ如ク地方税ニ於テハ東京府ノ増加一人当リ弐拾八銭九厘町村税ニ於テハ東京府ノ減額拾一銭五厘ナレバ今町村税及ヒ地方税ヲ合算スルトキハ差引一人当リ拾七銭四厘東京府ノ方増加スル割合ナリ之レニヨリテ多摩三郡ガ仮リニ東京府ノ管轄ニ属セリトスルトキハ現在同郡惣人員二拾三万三千八百二拾七人ニ負担ノ重キヲ加フルコト四万六百八拾五円八拾九銭八厘ナリトス 今多摩三郡人民カ管轄変更ニ由リ一年間ニ右ノ増税ヲ負担スルトキハ同郡人民カ此法案ニ反対シテ止マザルコト故ナキニ非ズト云フ可シ 東京府民飲料水ノ欠乏ヲ防クハ難キニアラズ 今回政府カ東京府神奈川県境域変更法案ヲ提出シタル理由ノ主点中ニハ将来東京府水道ノ水量減少ヲ防クコト其ノ一ニ在ルコトナルガ今水道沿岸ノ人ニシテ此事柄ニ精シキ人ノ談話ヲ聞クニ該水道ノ水量減少シテ東京市民ガ需要ニ不足ヲ告グル如キコト現在ノ儘ニテ后後数百年以内ニハ必ズ遭遇スルコトナカルベシト其理由ハ現ニ政府提出ノ管轄境域変更法案ノ理由ヲ見ルモ多摩川本流ヨリ該水道ニ注ク可キ水量ハ最モ減少シタル時ニシテ尚ホ百八十立方尺ノ量アルヨシナルガ此水量ハ之レヲ横浜水道ニ比較スレバ殆ンド数億万ノ人口ニ供給シ得ベシ然レトモ現在ニ於テ時ニ東京市民カ水道ノ水量不足ヲ感ズルコトアルハ全ク上水水路ニ於テ十九ケ所余ノ分水口ヨリ多量ノ水分派スルニ由ル而シテ右分水口ヨリ流出ス水ニハ沿岸人民ニ必要ナルモノト然ラザルモノトアリ現ニ分水口ヨリ分水ヲ求ムルハ沿岸人民ノ灌田飲料ニ必要ナルトキ東京府庁ニ願ヒ出少量ノ価格ヲ以テ之レヲ購求スルモノナレトモ其価額余リニ少額ナルヲ以テ沿道人民ハ格別必要ナキニ多量ノ水分ヲ求メ居ルコト幾何ナルヲ知ラズ或者ハ一且分水口ヲ購求シ数百倍ノ高価ヲ以テ之ヲ他人ニ転売シ不当ノ巨利ヲ博スルモノアリ或者窃カニ分水口ヲ大ニシ多量ノ水ヲ盗取スルモノアリ如斯不取締ハ水道沿岸ニ於テ往々アルコトナレバ是等ノ取締ヲ厳重ニスルトキハ新宿大木戸水門ニ入ル可キ水量ハ殆ンド数倍スルヲ得ルガ故ナリト云フ (飯田助丸氏蔵) (注)砂川昌平氏所蔵資料に同様のものがある。 一六六 神奈川県東京府の地方税額等比較表と諸見解(一-三) (一) 〔此統計ハ東京府地方税ハ廿四年一月府庁告示第二号廿五年一月告示第六号廿六年一月告示第二号及ビ郡部地方税収入精算報告書ニヨリ又神奈川県地方税ニ関シテハ同県公報ヨリ抜萃ス〕 〔東京府町村費ハ東京府第一課吏員川上属ニ付取調ベタルモノニョリ地方税補助額ハ重復スルヲ以テ実際負担スル所ノ地価割戸別割営業割所得税付加ノ課目ニョリテ算出セリ神奈川県町村費ハ廿三年度ハ廿四年一月神奈川県公報第四百六号町村歳出入予算報告ヲ採リ又廿四年度ハ神奈川県第一課長矢野属ニ付キ調査セリ〕 説明 本表ニ依テ考査スルトキハ地方税ニ付テハ神奈川県ヨリモ東京府ノ増加スルコト人口一人ニ付十九銭一厘四毛ナリ 町村費ニ付テハ東京府ヨリモ神奈川県ノ増加スルコト人口一人ニ付一銭六厘五毛ナリ 依而今右地方税町村費ヲ合算スルトキハ神奈川県ヨリモ東京府ノ増加スルコト人口一人ニ付拾七銭四厘九毛ナリトス 右ノ割合ナルヲ以テ神奈川県多摩三郡ガ東京府ニ属スルトキハ現在三郡人口ニヨリテ計算スルモ実ニ一ケ年金三万七千九百四十弐円九十八銭壱厘ノ増税ヲ負担セザルヲ得ズ 因ニ言フ国庫下渡金ノ事ニ付テハ二三ノ比較表ヲ見ルニ之レヲ掲ゲタルモノアレトモ実際地方税収入ハ之レヲ除キテ計算スベキモノナルヲ以テ人民負担ノ軽重ニ関係ナケレバ本表ハ之レヲ顧ミザル事トセリ (注)立教大学所蔵資料に同様のものがある。 (二) 東京府神奈川県実地地方税比較表 (飯田助丸氏蔵) 右ハ明治廿六年四月一日東京府令ニヨリテ三郡ヲ比較ス三郡ノ減スル総計実ニ○三千八百八十三円廿三銭四厘トス ○三郡ノ地租ハ計十六万千七百四十六円四十五銭 ○三郡ノ戸数ハ計三万九千八十八戸 (砂川昌平氏蔵) (三) 昨日発兌ノ府下二三新聞ヲ見レバ神奈川県庁ノ取調ト称シ神奈川県下三多摩郡ト他郡トノ明治廿五年度経費予算ヲ掲ゲ其収支比較ヲ掲ゲタルガ其内西南北多摩三郡ハ地方税ヨリ支出ノ超過セルコト四千弐百拾壱円三拾五銭三厘ニシテ明治二十五年度ニ於テ此金額ダケ他十二郡ヨリ補足スルトノコトアリ此事ニ付テハ不審ヲ懐クモノ少カラズ仍テ間日間県会議員森鑅三郎岡部芳太郎平戸清八ノ三氏ハ直チニ神奈川県庁ヘ出頭シ各項目ヲ審査シタルニ果シテ右計算書ニハ土木補助費ノ項ニ於テ南多摩郡ノ分九千九百八十五円六十三銭ダケ誤リテ記入セルヲ発見シタリ依テ右金額ヲ控除スレバ却テ西南北多摩三郡ヨリ他ノ十二郡ヘ五千七百七十四円二十七銭七厘ヲ補足スルコトヽナルナリ而シテ廿五年度ハ西多摩郡ニ於テ二三ケ所北多摩郡ニ於テ壱ケ所ノ道路開鑿工事アリ又多摩川ハ数回出水ノ為メ臨時急破ノ治水費二回ノ追加ヲナシ三郡トモ平年ヨリ地方税ノ多数ヲ要シタル年度ナルニ関セズ尚ホ多摩三郡ヨリ他郡ヘ五千有余円ヲ補足スルヲ以テ見レハ平年ニ於テハ三郡ヨリ他郡ヘ支出スル金額ハ実ニ僅少ニ非ラザルヲ知ル可シ 明治廿六年二月廿六日 (飯田助丸氏蔵) (注)立教大学所蔵資料に同様のものがある。 一六七 境域変更反対議員に対する神奈川県県会議員町村長他有志の謝意 粛啓 境域変更問題に付て者弊県八十万人衆之休戚に繋り一同痛慮罷在候処貴下雪中をも無御厭御登院被成下公平なる御判断を以て本案否決に御賛成被下候段奉銘謝候成敗者数之免れさる処不得止義に御座候生等一同貴下の高義に感し聊〓に謝意を表し候 頓首 明治廿六年三月一日 神奈川県々会議員町村長外有志 小柳卯三郎殿 (「小柳家資料」立教大学蔵) 一六八 多摩三郡境域変更法案可決についての東京市市会委員の謝意 区域変更ニ係ル法律按可決ニ付謝状 三郡分割之義可決候ニ付テハ別紙謝状区会議員諸君ヘ呈シ度ニ付乍御手数速ニ御伝達相成度此段及御依頼候也 二月廿八日 東京市会議員 今井兼輔 仁杉英 山中隣之助 青木金七 稲田政吉 今村清之助 佐久間貞一 (別紙) 拝啓陳ハ東京府神奈川県境域変更ニ関スル法律案ノ衆議院ニ提出セラルルヤ無限ノ御配慮ヲ煩ハシ候処遂ニ大多数ヲ以テ可決セラルヽノ美果ヲ得ルニ至リ候段偏ニ御尽力ニ因リ候儀ト深ク奉感佩候聊謝辞申述度如此候也 明治廿六年二月廿八日 委員 今井兼輔 今村清之助 稲田政吉 仁杉英 芳野世経 楠本正隆 山中隣之助 青木金七 佐久間貞一 拝啓陳ハ東京府神奈川県境域変更ニ関スル法案本日両院ニ於テ可決セリ右ハ種々障害モ有之候処終始御尽力ニ頼リ此好結果ヲ得満足致候聊御謝辞申述度如此ニ候也 二月廿八日 東京市市会委員 今井兼輔 仁杉英 山中隣三郎 青木金七 稲田政吉 今村清之助 佐久間貞一 芳野世経 楠本正隆 郡部町村宛 拝啓陳ハ今般政府ヨリ東京府神奈川県境域変更ニ関スル法案議会ニ提出相成右ハ本市及上水沿岸各町村ニ対シ不容易関係ヲ有シ一同大ニ憂慮致シ候処幸ニ両院ヲ通過シ好結果ヲ収メ候右ニ付而ハ不一方御配慮ヲ煩シ事此ニ至リ候義ニテ感佩之至ニ不堪候依而右御礼辞申述度 草々敬具 明治廿六年二月廿八日 委員連名 衆議院書記官長 水野遵殿 (「三多摩郡引継書」(明治二六年)東京都公文書館蔵) 第三節 三多摩分離後の行政措置 一六九 三多摩分離後の神奈川県景況私見 三郡分割後ノ神奈川県状況如何 西多摩南多摩北多摩ノ三郡ヲ分割スルトキハ神奈川県管轄狭少ニ失シ一県維持ニ困スルカ如キ説アルモ敢テ然カラサラン 三郡分割後ノ神奈川県管轄ノ戸数ハ十四万〇百四十九ニシテ人口ハ七十五万八千二百二十トス 戸数人口ノ尚其以下ニ在ル各県ハ左ノ如シ但罕レニ戸口ノ少シク増スモノハ△印ヲ付ス 若分割ノ為メ神奈川県一県維持ニ困スト云ヘハ右ノ県ニモ亦維持スル能ハサルノ理ナリ 況シテヤ神奈川県各郡々別地方税収支比較上ニ於テハ三郡ノ為メニ年額三千余円ヲ補足スルノ実アリ依テ之ヲ分離セハ此補足ヲ免カルヽノ益アリ 神奈川県有志者 (「小柳家資料」立教大学蔵) 一七〇 憲兵多摩三郡へ派遣の件通達 明治廿六年四月十四日 第一課主任 三浦忠晃(印) 知事(印) 内務部長 第一課長 庶務掛首席 別紙憲兵司令官心得ヨリ三多摩郡ヘ憲兵派遣ノ旨内牒ニ付テハ郡長ヘ通達スルモノトス 内務部長 西南北多摩郡長殿 憲兵司令官心得ヨリ左ノ通申越候ニ付為念及通達候也 〔左案ハ別紙全文ヲ書ス〕 『憲往第一四号』 先般法律第十二号ヲ以テ神奈川県ヨリ東京府ヘ転轄相成候三多摩郡ヘ憲兵派遺スヘキ旨昨日陸軍大臣ヨリ被達候ニ付東京憲兵隊之内士官壱名ニ二伍ヲ付シ同日午後四時出発派遣為致候間此段及御内牒候也 明治二十六年四月十四日 憲兵司令官心得 春田景義(印) 東京府知事 富田鉄之助殿 (「指令録」(明治二六年)東京都公文書館蔵) 一七一 多摩三郡境域変更にともなう事務引継往復文書 明治廿六年四月一日 第一課主任松尾周三(印) 知事(印) 委員(印) 内務部長(印) 収税長(印) 参事官(印) 御県西多摩郡南多摩郡北多摩郡ヲ本府ノ境域ニ移サレタルニ付土地人民ヲ始メ行政事務悉皆御引継相成御演説ノ件々了承且簿書目録正ニ受領致候也 東京府知事 神奈川県知事殿 『往内第六六八号』 今般法律第十二号ヲ以而県下武蔵国西多摩郡南多摩郡北多摩郡ヲ本月一日ヨリ貴府ヘ管轄替相成候ニ付テハ別冊演説書并目録之通事務及御引継候也 追而閣省庁府県郡市之往復等之為メ処分未決了ニ係ル事件ハ別冊付録之通ニ有之候也 明治二十六年四月一日 神奈川県知事 中野健明(印) 東京府知事 富田鉄之助殿 (欄外注記)『知事 書記官 収税長 書記 官房主任』 (「三多摩郡引継書」(明治二六年)東京都公文書館蔵) (注)別冊省略。 一七二 多摩三郡の警察規則施行に関する往復文書 明治廿六年三月廿九日 第一課主任 松尾周三(印) 知事(印) 内務部長(印) 第一課長(印) 掛首席(印) 直間税署長 第二課長心得(印) 第三課長(印) 第四課長(印) 官房書記首席(印) 直税署課長(印) 間税署課長不在ニ付(印) 警視庁へ回答案 西南北多摩郡ニ係ル警察令発布ノ義ニ付警務第一四〇号ヲ以テ御協議ノ趣了承自然警察ニ関スル願伺届ヲ当庁ニ差出ス者アルトキハ御庁ヘ移牒可致此段及回答候也 東京府知事 警視総監殿 『警務第一四〇号』 西南北ノ三多摩郡ニ係ル警察規則施行上ニ付テハ詮議ノ次第有之当分ノ間神奈川県ニ於テ従来施行シタル規則ヲ総テ適用スル事ニ取極メ別紙ノ通警察令発布可致ト存候付テハ旧慣ニ泥ミ警察ニ関スル事項ニシテ貴庁ヘ願伺届書等差出ス者有之哉モ難計候条若シ右等ノ書面差出候者有之候ハヽ当庁ニ御移牒相成候様致度此段予テ及御協議候也 明治二十六年三月廿八日 警視総監 園田安賢(印) 東京府知事 富田鉄之助殿 警察令第 号 西多摩郡南多摩郡北多摩郡ノ三郡ニ係ル警察諸般ノ事項ハ当分ノ内神奈川県ニ於テ従前施行シタル総テノ令達ヲ適用ス 明治廿六年 月 日 警視総監署名 (「往復録」(明治二六年)東京都公文書館蔵) 一七三 多摩三郡神奈川県へ管轄復旧に関する建議ならびに請願書(一-二) (一) 三多摩郡管轄復旧の建議 神奈川県会が三多摩郡管轄復旧の建議を可決せし由は既に記せしが該建議書は愈昨十七日内務大臣ヘ差出せし由にて其の建議書は左の如し 明治二十六年三月法律第十二号を以て西南北の三多摩郡を割き東京府の管轄に属せられたり我が神奈川県の地方経済に影響を及ぼすこと尠からず其要旨は前年来本会が屢々建議する処の如し今之れを再説することを要せずと雖も然れども本会が其の復旧を希望する所以の意に至りては今日及りて前日に勝る者あり仰き願くは次期の帝国議会に管轄復旧の議案を提出せられ本会の宿志を貫徹せられんことを謹で建議す (「読売新聞」明治二七年一一月一八日) (二) 謹而 院議長閣下ニ請願仕候本年二月我政府ニ於テハ東京市街飲用水ヲ多摩川ヨリ引入レアルニ拠リ其管理上ニ便益アリト云フ目的ヲ以テ該水路之地則チ武蔵国多摩三郡ノ境域ヲ変更シ神奈川県ノ管轄ヲ移シテ東京府ノ管轄ニ為サントスルノ法律按ヲ帝国議会ニ提出セラルヽヤ生等挙テ其不便不利ナルヲ唱ヘ当時貴衆両院議長及ビ議員ニ否決セラレンコトヲ請願加之総代ヲ派シテ当路大臣閣下ニ伺候セシメ曲ニ其意衷ヲ陳ベ其情実ヲ訴ヘ縷々該按撤回ヲ歎願ニ及ヒシモ議容レラレズ終ニ両院ヲ通過シ法律トシテ公布施行セラヽルノ止ムヲ得サルニ至リ爾来拾有余月ヲ経ルモ更ニ其治績ノアルナク却テ人民悉ク其治ニ慣レズ其制ニ習ハザル而己ナラズ不便ヲ感ズル益々多ク費途負担ノ増々重キニ堪ヘズ其他都下ト鄙野ト風俗ノ異ナル人情ノ同ジカラサル且ツ政府ノ目的トスル水道管理ニ付テモ更ニ現著ナル便益ナシト聞ク之レ等ヲ以テ見レバ其境域ヲ変更シ人民ノ疾苦ヲ顧サルノ酷シキヨリ管理ノ法方ハ又タ他ニ在ラン故ニ生等ハ既ニ数十年来其治ニ慣レ其休戚ヲ倶ニシ其担フ所ノ費用モ又軽キ神奈川県ノ治下ニ復センコトヲ恋々トシテ止マズ伏シテ冀クハ閣下能ク其事実ヲ探糺シ生等ノ意衷ヲ憐察セラレ該法律ヲ改正シテ速ニ神奈川県ノ管轄ニ復シ人民ヲシテ其堵ヲ安セシムルコトヲ一同連署奉請願候 恐惶頓首 長谷川彦八(印) 和田直栄(印) 蜂須賀又次郎(印) 高下鷲蔵(印) 高下半平(印) 大久保彦兵衛(印) 土屋辰五郎(印) 金子亀次郎(印) 瀬沼嘉吉(印) 清水六右衛門(印) 高橋絞右衛門(印) 瀬沼直吉(印) 北島荒次郎(印) 目代岩蔵(印) 小倉嘉一(印) 瀬沼真蔵(印) 瀬沼千代吉(印) 北島熊吉(印) 伊沢喜兵衛(印) 榎本吉五郎(印) 山本忠三郎(印) 加藤忠三(印) 石渡保太郎(印) 北島彦四郎(印) 八木小左衛門(印) 高下貞吉(印) 高橋栄蔵(印) 天野亀吉(印) 北島次郎吉(印) 土屋仲蔵(印) 遠藤茂吉(印) 大久保銀八(印) 大久保良助(印) 北島徳右衛門(印) 石渡音吉(印) 目代利兵衛(印) 目代藤太郎(印) 篠田金平(印) 北島幸右衛門(印) 高橋次郎吉(印) 蜂須賀定吉(印) 篠田太右衛門(印) 浜田佐五郎(印) 篠田彦右衛門(印) 高下佐次郎(印) 天野浅右衛門(印) 高橋市右衛門(印) 篠田常吉(印) 高下金蔵(印) 土屋佐助(印) 高下周蔵(印) 高下清吉(印) 土屋藤吉(印) 大矢森蔵(印) 瀬沼吉左衛門(印) 伊沢藤八(印) 角野八左衛門(印) 北島林蔵(印) 柴田源蔵(印) 山本五兵衛(印) 土屋民蔵(印) 瀬沼義平(印) 浜田忠右衛門(印) 天野七蔵(印) 金子巳之助(印) 金子常吉(印) 和田助三郎(印) 石井文右衛門(印) 遠藤伊三郎(印) 和田義左衛門(印) 篠田源太左衛門(印) 市川文五郎(印) 篠田清蔵(印) 瀬沼仲次郎(印) 柴田平左衛門(印) 高橋佐平治(印) 小倉武右衛門(印) 浜田半次郎(印) 瀬沼由右衛門(印) 中村弥太郎(印) 石井治作(印) 臼井要助(印) 臼井与三郎(印) 和田浜次郎(印) 小倉勘蔵(印) 小倉茂三郎(印) 石井政右衛門(印) 北島房次郎(印) 小倉宇八(印) 瀬沼伊勢松(印) 柴田新右衛門(印) 井上良助(印) 遠藤稲蔵(印) 瀬沼金次郎(印) 北島吉五郎(印) 加藤甚兵衛(印) 蜂須賀清兵衛(印) 浜田仙太郎(印) 伊沢宇八(印) 小倉仲次郎(印) 臼井源蔵(印) 篠田兼吉(印) 加藤久蔵(印) 梁川弥市(印) 石井幸四郎(印) 瀬沼市之丞(印) 古木伝左衛門(印) 木下藤太(印) 石井政右衛門(印) 石井三右衛門(印) 古木伊兵衛(印) 古木森右衛門(印) 木下寅吉(印) 滝本清吉(印) 滝本宇吉(印) 滝本市右衛門(印) 大谷文右衛門(印) 古木伝五兵衛(印) 佐藤幸蔵(印) 滝本浅右衛門(印) 木下円蔵(印) 石井平兵衛(印) 石井平助(印) 滝本清左衛門(印) 滝本勘左衛門(印) 佐藤亢之助(印) 古木彦八(印) 石井平右衛門(印) 滝本嘉平(印) 北島良助(印) 滝本治兵衛(印) 古木熊太郎(印) 古木増右衛門(印) 滝本半治郎(印) 大谷惣兵衛(印) 滝本弥七(印) 大谷仲右衛門(印) 佐藤太与吉(印) 石井重蔵(印) 佐藤利助(印) 佐藤弥左衛門(印) 木下文蔵(印) 大谷弥五兵衛(印) 古木利左衛門(印) 大谷吉蔵(印) 大谷泰吉(印) 古木伝八(印) 滝本八右衛門(印) 木下喜兵衛(印) 大木治兵衛(印) 木下重右衛門(印) 大木松太郎(印) 石井藤右衛門(印) 石井順吉(印) 佐藤源兵衛(印) 木下染吉(印) 大木元治郎(印) 井上助右衛門(印) 大木岡右衛門(印) 大木源蔵(印) 大谷新兵衛(印) 滝本長左衛門(印) 大谷弥市(印) 石井正助(印) 木下松五郎(印) 佐藤太郎左衛門(印) (「郡役所往復書」(明治二七年)大和市役所蔵) 一七四 東京府神奈川県境域の飛地交換に関する法律(一-三) (一) 『内甲二〇七』 明治四十五年三月二十五日 内閣書記官長(花押)内閣書記官(印) 内閣総理大臣(花押) 法制局長官(印) 外務大臣(花押) 内務大臣(花押) 大蔵大臣(花押) 陸軍大臣 海軍大臣(花押) 司法大臣(花押) 文部大臣(花押) 農商務大臣(花押) 逓信大臣(花押) 別紙両院ノ議決ヲ経タル東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律案ヲ審査スルニ右ハ衆議院議長上奏ノ通裁可ヲ奏請セラレ可然ト認ム (別紙) 法律案 朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律ヲ裁可シ〓ニ之ヲ公布セシム 御名 御璽 明治四十五年三月二十七日 内閣総理大臣 内務大臣 法律第五号 上奏案ノ通 『内甲二〇七』 別紙奏上有之度候也 明治四十五年三月二十三日 衆議院議長 大岡育造(印) 内閣総理大臣 侯爵西園寺公望殿 衆議院書記官長 林田亀太郎(印) (別紙) 衆議院ハ両院ノ議ヲ経タル東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律案ノ裁可ヲ奏請ス 明治四十五年三月二十三日 衆議院議長 大岡育造 衆議院書記官長 林田亀太郎 (二) 『内務省秘第一九七号ノ内』 東京府神奈川県境界変更ニ関スル件 東京府及神奈川県ノ境界ハ大略多摩川流域ヲ以テ境界ト為セルモ間々交互ニ飛地ヲ有シ治水教育徴税其他諸般ノ行政上不便尠カラサルヲ以テ東京府ノ地籍ニシテ多摩川流域以南ニ在ルモノハ之ヲ神奈川県ニ編入シ神奈川県ノ地籍ニシテ同川ノ流域以北ニ在ルモノハ之ヲ東京府ニ編入シ同川流域ヲ以テ両府県ノ境界ト為サントス依テ別紙法律案ヲ提出ス 右閣議ヲ請フ 明治四十四年十二月廿七日 内務大臣 原敬(印) 内閣総理大臣 侯爵西園寺公望殿 (別紙) 東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律案 東京府及神奈川県ノ境界ヲ変更スルコト左ノ如シ 一 東京府北多摩郡調布町大字上布田ノ内大字下布田ノ内狛江村大字和泉ノ内多摩川以南ヲ神奈川県橘樹郡稲田村ニ編入ス 二 東京府北多摩郡砧村大字宇奈根ノ内大字大蔵ノ内大字鎌田ノ内荏原郡玉川村大字瀬田ノ内大字下野毛ノ内多摩川以南ヲ神奈川県橘樹郡高津村ニ編入ス 三 東京府荏原郡玉川村大字等々力ノ内多摩川以南ヲ神奈川県橘樹郡中原村ニ編入ス 四 東京府荏原郡調布村大字下沼部ノ内大字嶺ノ内矢口村大字矢口ノ内大字古市場ノ内大字原ノ内六郷村大字古川ノ内多摩川以南ヲ神奈川県橘樹郡御幸村ニ編入ス 五 東京府荏原郡六郷村大字八幡塚ノ内多摩川以南ヲ神奈川県橘樹郡川崎町ニ編入ス 六 東京府荏原郡羽田町大字羽田ノ内大字羽田猟師町ノ内大字鈴木新田ノ内多摩川以南ヲ神奈川県橘樹郡大師河原村ニ編入ス 七 神奈川県橘樹郡稲田村大字宿河原ノ内多摩川以北ヲ東京府北多摩郡狛江村ニ編入ス 八 神奈川県橘樹郡稲田村大字堰ノ内高津村大字久地ノ内大字諏訪河原字兵庫島ノ内多摩川以北ヲ東京府北多摩郡砧村ニ編入ス 九 神奈川県橘樹郡高津村大字諏訪河原字向河原ノ内大字北見方ノ内多摩川以北ヲ東京府荏原郡玉川村ニ編入ス 十 神奈川県橘樹郡中原村大字小杉ノ内多摩川以北ヲ東京府荏原郡調布村ニ編入ス 十一 神奈川県橘樹郡御幸村大字上平間ノ内大字中丸子ノ内多摩川以北ヲ東京府荏原郡矢口村ニ編入ス 十二 神奈川県橘樹郡御幸村大字小向ノ内多摩川以北ヲ東京府荏原郡六郷村ニ編入ス 本法施行ノ為町村ノ財産処分ヲ要スルトキハ町村制第三条第二項ノ規定ヲ準用ス 付則 本法ハ明治四十五年四月一日ヨリ之ヲ施行ス 東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律案理由書 東京府及神奈川県ノ境界ハ概ネ多摩川ノ本流ヲ以テ之ヲ分劃スト雖其ノ間往々ニシテ交互飛地アリ之カ為治水教育徴税其ノ他諸般行政上ノ不便尠カラサルニ依リ之カ組替ヲ為シ以テ東京府及神奈川県ノ境界ヲ劃定スルノ必要アリ是レ本案ヲ提出スル所以ナリ 東京府ヨリ神奈川県ヘ編入 戸数 八十五戸 人口 五百七十四人 直接国税千四百八十六円 府税 六百二十円 市町村税 七百一円 神奈川県ヨリ東京府ヘ編入 戸数 七戸 人口 五十五人 直接国税 二百八十四円 県税 百四十七円 市町村税 七十五円 (三) 内務大臣提出東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律案 右謹テ上奏シ恭シク 聖裁ヲ仰キ併セテ帝国議会ノ議ニ付セラレムコトヲ請フ 明治四十五年一月十二日 内閣総理大臣侯爵 西園寺公望(花押) 『内甲二〇七』 明治四十五年一月十日 内閣書記官長(花押) 内閣書記官(印) 内閣総理大臣(花押) 法制局長官(印) 外務大臣(花押) 内務大臣(花押) 大蔵大臣(花押) 陸軍大臣(花押) 海軍大臣(花押) 司法大臣(花押) 文部大臣(花押) 農商務大臣(花押) 逓信大臣(花押) 別紙内務大臣請議東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律案ヲ審査スルニ右ハ相当ノ儀ト思考ス依テ請議ノ通閣議決定帝国議会ヘ提出セラレ可然ト認ム 法律案 呈案付箋ノ通 東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律案 右 勅旨ヲ奉シ帝国議会ニ提出ス 明治四十五年一月十七日〔貴〕 内閣総理大臣 内務大臣 (「公文類聚第三十六編巻一下」(明治四五―大正一年)国立公文書館蔵) 第三章 地租軽減地価修正 第一節 地租軽減延納問題の系譜 一七五 租税問題に関する県収税長添田知通の具申書(一-九) (一) 伏テ租税ノ要領ヲ摭録スレハ賦課ノ厚薄ニ因準シテ治民ノ休慼ヲ表シ忽チ歓呼ト悲嗟トヲ岐分ス租税ヤ経国ノ基本ニシテ一租一賦一税一課スルモ亦軽挙ニ付ス可カラサルハ今〓ニ喋々賛言スルヲ待タサル也故ニ審按熟慮スルニ丁リ方法ノ緻密ニ過テ為ニ煩労ヲ来スモノナキ歟事体ノ簡略ニ流レテ以テ緊要ヲ欠クモノナキ歟或ハ立論美ト雖モ之ヲ実施スルニ難キモノアリ物理ノ真情一致同轍ナラス是ヲ以テ細大捨テス粗密漏サス能ク治民ノ意想ヲ洞察シ沃土磽地ニ止息生計スル者悉ク之ヲ酌シ之レヲ量シ然シテ応分ノ租税ヲ収納セシムルニ注意シ務メテ権衡ヲ失セサルヲ要ス明治十三年度以降収税上ノ事項ハ前年同轍敢テ異ナルナキヲ以テ今〓ニ上言セス知通菲才ヲ以テ本課に主宰トナリ一賦一課ノ租税ヲ収入追徴スルニ至リ民情ニ通暁セスシテ市街村巷ニ咨嗟ノ声ヲ発センコトヲ恐ル然リト雖モ我 県令閣下治民撫育ノ懇切ナルニ葵向シテ幸ニ其責ヲ免ル今明治十五年一月政始ノ佳日本課担当ノ事務ニ就テ其科目ヲ表制シテ貴覧ニ呈晋ス 恐徨謹言 租税課長 明治十五年一日四日 一等属 添田知通 (二) 伏テ惟フ国家ノ静謐ヲ保チ世ノ文明ヲ進メ一国ヲ富強ナラシムルハ皆租税ニ是レ由ラサルナシ而シテ我国古来租税ノ法タル概ネ農ノ一方ニ止リ他ノ工商等ニ至ッテハ斯ノ義務アレトモ措ヲ問ハス夫レ想フニ農ハ本ナリ工商ハ末ナリ然リ而シテ本ヲ抑ヘ末ヲ縦ツ豈其当ヲ得タルモノナランヤ然レトモ因襲ノ久シキ人之レヲ恠シムモノナシ実ニ賦税ノ原理ニ戻リ不公不平ナル之レヨリ大ナルハ莫シト云フヘシ我聖朝維新日尚ホ浅キモ鋭意先ニスルニ地租ノ公平ナラサルヲ釐正シ尋テ改良ヲ加ヘラレシモノ一ニシテ足ラス輓近酒税ノ増加売薬印紙税ノ創設等或ハ禁止税ノ質ナキニ非ルモ要スルニ保生擁護ノ鴻恩ニ報ユル義務ニ外ナラサル可シ夫レ之ヲ課シ之ヲ賦ス事固ヨリ成規例格ニ拠リ之レヲ調理スルモ徴税ノ易カラサル動モスレハ民心ヲ害フナキニ非サルヲ以テ苦慮百端一賦一税ノ間厘毛ノ微ト雖トモ苟モセス上ハ閣下至仁ノ施政ヲ翼賛シ下ハ民心ニ悖ル勿カランコトヲ夙夜憂慮シテ措カサリシナリ抑客年ノ已行ヲ顧ルニ納税者ニシテ其重キニ苦シミ其軽キニ楽シム者アルナク国税地方税数種ノ税目モ課中共同ノ勉励ニ因リ事渋滞ナク収納シ該帳簿ノ如キモ尽ク之レヲ整理セリ知通不肖閣下知隅ノ高恩ヲ荷ヒ本県租税ノ事務ニ主宰タルノ任ヲ辱フシ或ハ恐ル瀆職ノ失アランコトヲ然レトモ県令閣下慈祥ノ光映ニ頼リ幸ニ其失ヲ免ル今明治十六年一月政始ノ佳辰ニ方リ本課管掌ノ科目ヲ制表シ謹テ左右ニ呈晋ス 誠徨謹言 租税課長 明治十六年一月四日 一等属 添田知通 (三) 夫租税ハ国家人民ノ安危休戚ニ係ル所也是賦税其法ヲ得ルト得サルトニ在リテ之ヲ賦シ之ヲ課スコト固ヨリ成規例格ニ拠リ以テ調理ヲ遂クルモ若シ一厘毛ノ一賦一税タリトモ過誤ニ出ルトキハ大イニ民心ノ信義ニ関ス故ニ周到緻密力メテ正覈ノ審査ヲ為シ上ハ 閣下方正ノ施政ヲ翼賛シ下ハ民心ヲ悖ル勿カランコトヲ夙夜憂慮シテ措カス是本課ノ職掌トシテ最モ地方重大ノ責任ナレハナリ抑客年ノ已行ヲ顧ニ秋収以降米価非常ノ低落従テ金融閉塞世上一般ノ不景気ヲ現シ既ニ第三期田租ノ如キ困迫維谷此当時在テハ不得已ヲ預リ米等ノ甘ロキヲ得サシメ漸ニシテ之カ所分ヲ為スニ至ル実ニ案外ノ年柄ナリ熟ラ農夫ノ経済ヲ注目スルトキハ危急存亡ノ秋ト謂フ可キ歟而リト雖モ 閣下至仁ノ余光ヲ荷ヒ国税地方税共ニ数種ノ税目アルモ課中共同ノ勉励ニ因リ事渋滞ナク各収税ヲ納付シ以テ該帳簿ノ如キモ悉ク整理完全セリ其事由ニ於ケル左ノ項目ニ掲ケ以テ高覧ニ供ス不肖知通本県租税ノ事務ニ主宰タルノ任ヲ辱フシ或ハ畏ル瀆職ノ失アランコトヲ然レトモ 県令閣下慈祥ノ光映ニ頼リ幸ヒニ其欠ヲ免ル〓ニ明治十七年一月政始ノ良辰ニ方リ本課管掌ノ科目ヲ製表シ謹テ之ヲ左右ニ呈晋ス 誠惶頓首敬白 租税課長 明治十七年一月四日 一等属 添田知通 (四) 惟ミルニ国アレハ政アリ政ヲ行フヤ必国費ヲ要ス之ヲ衆民ニ賦課シ以テ其途ニ充ツ是租税ハ国家ノ基本タル所以ナリ然リ而其賦課ノ方法ニ於ル固ヨリ成規税則アリテ調徴其宜キヲ得ルニ非サレハ民之カ為ニ疾苦シ国体之カ為ニ富強ノ域ニ進ムコトヲ得ス鳴呼至重至大ノ報ト倶ニ高覧ニ供ス 誠惶頓首謹白 明治十九年一月四日 神奈川県収税長添田知通 神奈川県令 沖守固殿 (六) 具申書 夫租税者人民之要務而国家ヲ経理スルノ本源也故ニ治民賦課之方法ニ於ル施政ノ重且大典ニシテ豈軽々忽視ス可カラサラン乎抑明治十九年ノ已行ヲ顧フニ春陽和順ニシテ麦穀実ヲ厚フシ傍ラ養蚕及製茶ノ産業等無難採収ヲ得シニ仲夏以降稀成旱魃ニテ田方挿秧ニ際シ涵養ノ瀦水ヲ欠キ為メニ稲田亀裂シ其太タシキ乾涸之地ニ至テハ耕耡ノ術ナク空田ニ嘱ス又畑作毛ノ如キモ湿潤之性乏ク凋萎枯色ヲ観ルニ至ル此秋ヲシテ蒼生之惨状嘆息ヲ極メシニ偶々天福ヒヲ降シ利用厚生之恵雨ヲ漑キ順時暑威熾ニ克ク百穀稔リ秋収豊穣之歓呼ヲ唱フト雖モ又若干之被害地無キニシモ非ス倩ラ民家ノ財計上ヲ洞察スルトキハ輓近物価ノ低落ニ原因シ農商倶ニ連々衰頽之状況ナルカ中ニ国税ト云ヒ地方税ト云ヒ収納期節ニ際会シ敢テ異状ヲ呈セサルハ 閣下慈仁之施政能ク人民ノ胸裡ニ貫徹シテ納税ノ義務ヲ重ンシ力メテ守成遵奉ヲ表セント欲スルモノ歟然リ而シテ客年地方官制之改革ニ由リ並列課名ヲ被廃更ニ収税部ヲ置キ部中ニ各課ヲ設ケラレシハ葢シ税務拡充ノ際執務錯雑ヨリ流弊勿ラシメントノ良法ニ出テ規画其宜キニ適セリ将タ収税上ノ事務タル日ニ月ニ頻繁ヲ極メ就中誤謬地訂正ノ如キ非常最モ至難之事業ニシテ調査精密容易ナラサリシモ着手以来全管十中ノ六分ハ旧年尾ヲ期シ既ニ検了ヲ告ク知通菲才ヲ以テ収税部長ノ重任ヲ辱フシ賢明ナル 閣下之余光ヲ荷ヒ部下課員ヲ鼓舞シ孜々勉励以テ客年ノ事蹟ヲ整齊ス今ヤ明治廿年之政始ニ膺リ処理之事務表及十八年度年報ト併セテ高覧ニ供ス幸ヒニ賜閲アランコトヲ 誠惶頓首謹白 明治廿年一月四日 収税部長 添田知通 神奈川県知事 沖守固殿 (注)事務表、年報とも欠。 (七) 恭惟ニ収税ノ事タル実ニ財政ノ要部ニシテ国家安危ノ関ル所人民休戚ノ係ル所蓋シ焉ヨリ大ナルハ莫シ故ニ我政府ハ夙ニ欧米ノ良法美律ヲ取テ以テ我国古来ノ税法ニ折衷シ国用年ニ加ハリ民財未タ豊カナラスト雖モ下ニ苛税重歛ノ声ナク上国庫ヲシテ益々富実ナラシメンコトヲ欲ス此時ニ当テヤ苟モ職ニ税務ニ与カルモノ豈夫レ勉メサ原理ニシテ軽々忽視ス可カラサルモノ也不肖知通此重任ヲ帯ヒ克ク尽クスコト能ハサルヲ恐ルト雖モ黽勉以テ過チナキニ庶幾ランコトヲ欲ス将ニ方今事務上ノ奈何ヲ鑑ミルニ従前宿滞ノ調理ナキニ非スト雖モ本課衆員ヲ督励シ漸次竣功ヲ奏スルニ際ス〓ニ於テ尚収税長ノ大任ヲ辱フシ爾来之カ実施ノ方法等頗ル多端繁忙ニ向ヒシモ課員孜々奮発以テ稍齊整ヲ観ニ至ル又地方税ノ徴収ニ於ケル創始已降数年ノ経験ニ因テ逐次其宜キヲ得タルモノヽ如シ唯憾ラクハ爰両年間穀価非常ノ低落ニ原因シ四民共ニ財計不測ノ逼迫ヲ極メ必至衰頽ノ状況ヲ現ス加之暴風水災被害ニ罹リ農民ハ無上ノ困難ニ陥此秋ニ方倩ラ収税納付ノ完結ヲ鑑察スレハ夙夜痛慮ニ耐サリシカ我カ 県令閣下治民撫育ノ懇切ナルニ葵向シテ民心異状ノ声ナク収税ノ義務ヲ尽シ純全ナラシメント欲ス知通ノ幸何事歟之ニ如ンヤ今政始ノ嘉辰ニ膺リ別楮政表ヲ高覧ニ供シ併テ客歳ノ成蹟ヲ呈露シ長ナヱニ治民安寧ヲ祝ス 頓首謹白 明治十八年一月六日 神奈川県収税長 添田知通 (五) 政治上緒言 夫租税者国之大典而民之要務也国計依之以立民義由之以成官徴民納以国家ヲ経済スルノ基本也抑客年ノ已行ヲ顧フニ春時ヨリ気候異同ニシテ仲夏稼穡之秋ニ際シ霖雨強降非常之洪水押溢シ耕地恰モ如海ニ均シ為メニ分挿苗腐ハ言フモ更ナリ沿川ノ村落ハ地形変転シ荒蕪ニ属スルモ又僅少ナラス此当時ニ在テハ民家危急ノ声嗝々トシテ巷ニ満チ凶災違作ノ兆候已ニ現出セシカ如シ或ハ衰頽ヲ鳴ラシ或ハ飢饉ト呼世上一般誚トシテ憂患止マス此秋ニ方リ知通苟モ収税長ノ重任ヲ辱フシ民家之状況ヲ観察スルトキハ何ヲ以歟租税納付之義務ヲ奏セシム可クト夙夜痛慮ニ耐ヘサリシニ 聖代之光栄天地ト倶ニ蒼生ヲ補ケ将ニ天福ヒヲ降シ爾来暑威熾ニ恩露恵風順時ニ季候ヲ萃ム故ニ百穀稔ヲ厚フシ充分ノ豊登ヲ告ク鳴呼四民歓呼之声ハ前患ヲ掃ヒ怡々トシテ満足ニ出ツ然リト雖モ収税納付ノ完結ハ重大之挙行ニシテ国税ト云地方税ト云固ヨリ成規例格アリテ一賦一課厘毛之微ト雖モ軽々忽視ス可カラサル也方今収税之事務タルヤ日ニ月ニ拡充シ加フルニ醤油税菓子税之如キ新設創始ノ際一層整理ニ注要ス其他諸税検査ノ法則モ逐年緻密ニ従ヒ頗ル多端繁忙ヲ極メシモ本課衆員孜々奮発以稍竣事之結果ヲ奏スルニ至レリ知通上者 閣下方正之施政ヲ翼賛シ下ハ民心ニ悖ル勿ラン事ヲ焦慮シテ措カス或ハ畏ル瀆職之失アランコトヲ而ルニ 閣下慈祥之光映ニ頼リ幸ヒニ其欠ヲ免ル今ヤ明治十九年一月政始ノ良辰ニ膺リ本課管掌之科目ヲ製表シ併テ年ル可ケンヤ知通 閣下ノ顕用ニ逢ヒ其不才ヲ顧ミスシテ税務ニ従事スルコト有年于〓矣常ニ其任ノ重且大ニシテ 閣下ノ厚託ニ背カサランコトヲ是レ恐レ日夜孜々トシテ責務ノ挙ランコトヲ欲スト雖モ老耄何ソ為ス所アランヤ唯幸ニ 閣下指令ノ寛仁ナル属僚ノ勤勉ナル県民ノ温良ナル能ク之ヲ補ヒ之ヲ助ケ未タ大ニ税務ヲ失墜スルニ至ラサルハ実ニ知通ノ光栄ト云フヘシ今ヤ明治廿年間ノ実況ヲ追思シ其成蹟ヲ考フルニ寒暑時ニ随テ蚕桑ノ葉大ニ挙リ水旱風雪ノ害ナクシテ穀麦共ニ宜シキヲ得商勢漸ク挽回シテ金融稍々開ケ地租及諸税ノ収納モ随テ好果ヲ見ルノ萠芽ヲ発シ現ニ酒造見込高ハ前年度ヨリ増加スルコト壱万四千有余石醤油石数モ亦殆ント弐千石ニ垂ントス 又地押調査ハ他ノ府県ニ率先シ十八年四月以降漸次之ニ差手シタリシカ幸ニ本庁派遣ノ検査員ヨリ郡村ノ諸吏ニ至ルマテ不屈不撓ノ勢ヲ以テ勉励刻苦ノ功ヲ積ミ客年十二月中浣ヲ以テ遂ニ此大業ヲ竣成スルコトヲ得又煙草税ハ全国皆逋税ノ弊ニ苦ムモノニシテ本県ノ如キハ殊ニ秦野ノ名地アリ為メニ其害ヲ蒙ムルコト一層甚シトス故ニ此弊源ヲ絶タント欲スルコト良々久シ客年十月更ニ該営業者ニ説クニ同業規約ヲ設立シ互ニ逋税ノ奸策ヲ制シ上ハ納税ノ公平ヲ保チ下ハ犯則被刑ノ不幸ヲ避クルノ緊急要務ナルヲ以テセシニ該業者大ニ反省スル所アリテ直チニ其規約ヲ設ケ将来本税施行上ニ一改良ヲ来スノ基礎トナリ爾来営業者弐百余人印紙税三千円余ヲ増加スルノ好結果ヲ得タリ其他所得税法ノ施行ハ客年我税法中ノ一大美事ナリト雖モ若シ其始メヲ慎マスンハ将来之レカ弊害ヲ生スルモ亦極メテ大ナリト云フヘシ然ルニ 閣下疾ク郡区長ヲ召集シ再三慇懃ノ懇諭ヲ布キ能ク此法ノ趣旨ト施行ノ方法トヲ体シ苟モ上下相軋ルカ如キノ弊ナカラシム而シテ知通亦此事ノ空シカラサランコトヲ勉メタリ此ニ於テカ郡区皆秩然トシテ下調ヲ遂ケ期ニ従テ委員会ヲ開カサルモノナク之ヲ開テ毫モ紛糾ヲ生スルモノナク速ニ徴税ノ順序ヲ結了スルニ至リタルハ実ニ予想外ノ好結果ト云フヘキナリ又客年五月以降漸次ニ収税属ヲシテ各郡区ヘ在勤命セラレ未タ著シキ効果ヲ奏スル能ハスト雖モ日ヲ積ミ月ヲ累ネ事務ニ慣熟スルノ時機ニ投スレハ頗ル郡区ノ税務ヲ補整スルニ至ルヘシ以上掲クル所ノ者ハ僅カニ其大要ヲ概陳スルニ過キス若夫詳細ニ至テハ更ニ別紙事務表ニ於テ之ヲ縷述セリ 閣下併セテ電覧ヲ賜ハヽ幸ニ其実況ヲ詳悉セラルヽニ至ラン是レ知通カ特ニ 閣下ニ切望スル所ナリ 誠恐誠惶頓首頓首 明治廿一年一月四日 収税部長 添田知通 神奈川県知事 沖守固殿 (注)別紙欠。 (八) 具申書 夫租税者財政ノ要部国家ヲ経理スルノ本原ニシテ文明ヲ進メ国ノ富強ヲ図ルモ是ニ由ラサルハナシ故ニ我政府ハ夙ニ泰西ノ美法ヲ折衷シ賦課ノ税律ヲ制定シ以テ官徴民納ノ極ヲ立若シ其宜キニ適セサレハ人民ノ休戚ニ係ル蓋シ焉ヨリ大ナルハ莫シ豈軽挙ニ付ス可ケンヤ知通菲才ヲ以テ此重任ヲ帯ヒ日夜孜々トシテ責務ノ挙ランコトヲ欲シ僚属ノ勤勉ヲ得税務ノ失墜スルニ至ラサルハ幸ニ 閣下寛仁ノ指命ヲ荷ヒ知通ノ光栄ト云フヘシ顧ルニ廿一年間ノ事務ハ一二税則ノ改正等ニヨリ聊カ影響ヲ蒙リタルモノアリト雖モ其大体ニ至テハ曽テ変シ更マリタルモノアラス今試ミニ事務ノ最モ大ナルモノヲ挙クレハ地押調査ハ本年ニ至リ其調査ヲ遂ケ始メテ結果ヲ見ルニ至レリ其筆数ハ二十五万一千二百余ニシテ反別ヲ増スコト百三十八町歩余地価ヲ増スコト三十三万九百余円地租ヲ増スコト八千二百円余ナリ然ルニ全管地誌ノ整理上ニ於テ一斑ヲ欠クモノアリ乃チ高座大住足柄上津久井ノ四郡内ニ耕宅地ハ僅々ナルモ山林原野ニ至リテハ段別壱万弐千町程ノ論地アリ其原因タル明治五年地券発行已来各地境界又ハ旧秣場ノ入会各自所有権ヲ争ヒ屢々法廷ヲ煩ハシ中ニハ官民区別ノ成蹟等不判明モ有之当初改正ノ際争論中ナルヲ以テ改租未済トナシ之カ処理スルコト不能况ヤ多年ノ紛議一朝ノ和解ニ至ラス処分困難上ヨリ荏苒経過セシモ遂ニ百説万論漸ク其和局ヲ表シ今ヤ本県下一歩ノ論地ナキヲ得タリ将タ土地台帳名寄帳ハ亜テ整理ノ方法ヲ尽シ主任ヲ派シテハ其実況ヲ監ミ郡長ニ謀リテハ其速成ヲ促カシ漸クニシテ其大半ノ整頓ヲ見ルニ至レリ夫レ実地ノ事既ニ整ヒ帳簿亦将サニ成ラントス若シ夫レ図面ノ訂正ヲ終レハ地租ノ事復タ遺憾ナキ也又雑税ハ菓子醤油烟草三税則ノ改正ニ由リ一時多少ノ変動ヲ来タシタルモ其実施ノ方法順序ニ従ヒ或ハ主任ヲ派シテ実際ノ景況ヲ察シ或ハ検査員ノ意見ヲ問フテ営業上ノ便否ヲ詳ニシ其取扱書若クハ心得書等ニ拠リ叮寧親切ニ適用シ以テ之ヲ改定シタルニ皆ナ其実情意表ニ出テ商況益々隆盛ノ域ニ向ヘリ且ツ酒造ノ如キモ之ヲ前年ニ比スレハ四百余石ヲ減スト雖モ其自家用料ノ数ニ至テハ却テ七百余石ヲ増加セリ又徴収ノ景況ハ多ク前年ノ事務ヲ継承シ之ヲ納期内ニ於テ見ルニ其徴収歩合ノ如キ国税ニ在テハ九分八厘地方税ニ在テハ八分八厘余公儲金ニ在テハ九分壱厘余ニ達シ其他徴税費収支ノコトト云ヒ又統計ノコトト云ヒ漸ク秩然トシテ其緒ニ就キ之ヲ既往ニ比スレハ日ヲ同フシテ論ス可カラス〓ニ亦更ニ陳述ス可キモノアリ前年始メテ秦野地方ニ一ノ検査員分派所ヲ設ケ専ラ烟草税検査ニ従事セシメ利害ノ帰スル所以ヲ厚ク営業人ニ諭シ同業規約ヲ設ケテ互ニ逋税ト奸策トヲ制セシムル等勉メテ良民ヲ庇保スルノ術ヲ尽シタルニ皆ナ望外ノ好結果ヲ来タシ現ニ犯則者ノ数ニ於テハ著シク其数ヲ減シ印紙税ニ於テハ分外ノ増加ヲ見ルニ至レリ以上之ヲ通観スルニ皆ナ着々進歩ノ域ニ進ミ且ツ県民ノ感情モ自ラ温順ノ点ニ就キタルカ如シ葢シ 閣下施政ノ久シキ恩威内外ニ普及シ以テ此ニ至ル不肖知通此気運ニ遭遇スルハ実ニ欣喜ニ堪エサル所ナリ爾後愈ヨ進ムテ怠ラス内ハ収税ノ精神ヲ拡メ以テ国家万分ノ一端ヲ補ヒ外ハ商業ノ発育ヲ助ケ以テ県民生営ノ幾分ヲ進メハ知通ノ 閣下ニ報スル所以或ハ其レ庶幾カランカ今ヤ事務表ヲ製呈シ併セテ其大要ヲ概陳ス若シ夫事務ノ詳細ハ載セテ別冊ニ在リ 閣下瀏覧ヲ賜ハヽ幸甚々々知通 頓首再拝 明治二十二年一月三十日 神奈川県収税長 添田知通 神奈川県知事 沖守固殿 (九) 具申書 知通寡才浅識ノ身ヲ以テ重且大ナル租税事務ノ責任ヲ荷フ〓ニ年アリ凡ソ行政事務ノ繁多ナル中ニ就キ其難キコト葢シ財務ヨリ大ナルハ莫ケン抑モ租税ノ国家ト人民トニ於ケル其相互権義ノ関係スル所実ニ至大至緊ナルヲ以テ宜ク法規ノ運用ヲ実際ニ滑カニシ賦課ヲ確実ニシテ公平ヲ保チ納期ヲ厳正ニシテ逋税ノ弊ナカラシメ大ハ以テ国庫ノ経済ニ必シ小ハ以テ納税者ノ義務ヲ明カニシ一事一業渾テ人民ニ緊切ノ関係ヲ有セサルハナシ知通老耄何ノ為ス所ナキモ十数年ノ久シキ幸ヒニ大過ナキハ法規ノ能ク民度ニ適セルト上司ノ措置宜シキヲ得シト僚属ノ勤勉ナルトニ職由セリト謂フト雖トモ亦知通聊カ積年ノ実験ニ依テ民情形勢ノ在ル所ヲ鑑識シ調和円滑ノ方法ヲ以テシテ温良ナル県民ニ対シタルノ結果ナラント自信セリ然レトモ知通未タ曽テ此ニ偸安セス夙夜汲々トシテ其職務ノ挙ラサルヲ憂フ 閣下新タニ令尹ノ顕職ヲ帯ヒ本県ニ赴任セラル冀クハ将来寛仁ナル指命ヲ仰キ益鞠躬シテ以テ塵霧山海ヲ補ヒ螢燭日月ヲ増サンコトヲ私カニ予期ス 閣下其レ之ヲ諒セヨ焉然リ而シテ明治廿二年中ニ在テ整理セル事務ノ梗概ヲ約陳センニ四月ヲ以テ市制町村制施行セラルヽト同時ニ国税徴収法ヲ実施セラレ収納ノ手続一変シ横浜市ニ係ル国税ノ賦課徴収及所得税菓子税ノ税額調査事務ハ本部ノ直管スル所ト為リ而シテ七月以降収税部出張所十有五箇所ヲ各郡市ニ新設シテ国税ニ関スル事務ヲ管掌スルコトトナレリ尋テ特別地価修正ノ事ハ始メ大蔵大臣ヨリ内意ヲ示サレタルニ付頗ル秘密ニ其下調ヲ為シ数十日ヲ経テ之ヲ了シ其筋ヘ内申シタリ而シテ八月ニ至リ法律ヲ以テ其公布アルヤ直ニ該修正額ヲ各郡長ニ達シ町村毎地ノ配当額ハ収税部出張所ニ申出々張所ニ於テハ日夜之レカ検算ニ従事シ県下凡ソ七十七万余筆ノ完了殆ント十二月尽日ニ迨ヘリ又各町村字限切絵図ハ地租改正ノ際ニ成リタルモノニシテ今日ニ至テハ地目変易シ実地ニ適応セサルヲ以テ一月ヨリ着手シテ凡ソ三百余日ヲ費シ総数二万五千有余枚ノ地図ヲ悉ク訂正若クハ新製シテ其実用ヲ完フシタリキ次ニ土地台帳ハ本年度ヨリ向三ケ年度間ニ調理完成スルノ目的ヲ以テ既ニ各出張所ヲシテ其業ニ就カシメタリ其他印紙類ノ出納ヲ精密ニシ物品ノ会計ヲ厳格ニスル等諸事着々其秩序ヲ定メ整頓ヲ期セリ将タ徴収ノ景況ハ前年ニ対比シ徴税額壱万五千余円ノ減差ヲ現ハセリ要スルニ風災水害ノ為メ秋穫ノ過半ヲ失シ随テ米価騰貴金融必迫シ商勢頗ル振ハサリシニ外ナラサルナリ其既納歩合ハ平均九分九厘四毛ニシテ前年ヨリ一厘七毛ノ強キヲ見ルノミナラス不納公売処分ヲ執行セシモノ前年ニ比スレハ十五人ヲ減少セリ転シテ諸税則違犯者ノ数ハ八百六十三人ニシテ前年ニ比較シ千四十六人ヲ減セシハ盖シ検査方法其宜シキニ適ヒ逋税ヲ企図スル余地ナキノ結果ナランカ上来具述スル如ク一年間事務ノ変動ヲ致セシ実ニ鮮少ナラサリシト雖トモ令達ノ出ル毎ニ其執行上専ラ敏活ヲ主トシテ処弁セリ爰ニ明治廿二年事務表ヲ捧呈シ 閣下乙夜ノ覧ニ供ス幸ヒニ一瞥ヲ賜ハラハ夫レ或ハ諸般事務ノ実況ヲ詳悉セラルニ足ルヘシ知通誠惶頓首再拝 明治廿三年一月十七日 神奈川県収税長添田知通 神奈川県知事 浅田徳則殿 (「上申具申建白書綴」(明治四―二三年)添田茂樹氏蔵) (注)事務表欠。 一七六 地租延納上申書 地租延納之義ニ付上申書写 地租之義ニ付明治十四年第十四号布告ヲ以テ其徴収期限ヲ四期ニ納セラレ候ヨリ以来農民若干ノ不便ヲ蒙リ其レガ為メ生計ノ難渋ヲ招キ候ハ已ニ御洞察モ可有之候得共是迄穀作農熟ニシテ且相当ノ価位ヲ保チ来リ候ニヨリ租税等恙ナク上納致し来り候然ルニ本年ハ穀価非常之低落ヲ来リ加フルニ一般金融ノ閉塞甚シク農家困憊実ニ名状スヘカラザル有様ニ相成候本年之如キハ凶年饑歳ト云フニ無之候得共耕作ヲ以テ生活ヲ相営ミ候農民ニ取ツテハ拾モ凶歳ト同一ノ結果ニ有之何ントナレバ〓ニ地租金五円ヲ納ムルモノアラン昨年於テハ凡米六斗内外ヲ以之ニ充足致し候ヲ今年ニ至リテハ米壱石二三斗ヲ要セサルヲ得ス其他一家ニ金銭ヲ要スル件ニ於テハ何レモ皆同一之事情ニ有之是即チ昨米拾石ノ収穫アリタルモノ今年減シテ五石ノ収穫ヲ得タルト毫モ異ナルコト無之候加之本県ノ義ハ地方税地租割徴収期限第二期ヲ本年新ニ十一月十五日改定セラレ候ヲリ旁当惑至極ノ事ニ候経済ニ迂濶ナル農民何ヲ以テカ一家之維持ヲ全フセン其レ能ハサルヤ眼然タルコトニ候依之租税徴収ノ義モ頗ル困難ヲ極メ居候処猶漸々逼迫之域ニ陥リ候ハヽ此上如何ナル事柄ヲ相生シ可シ哉恐ラクハ地租ノ如キモ定期ニ於テ全備ノ収納ハ相成間敷ト被存候良シヤ暫ラク之ヲ弥縫シ得ルモ他□退転離散ノ徒陸続輩出スルコト見ニ至テハ是決シテ政府好マセラレザル義ニ有之ト恐察仕候夫レ官民ノ間ニ在ッテ彼是ノ情実ヲ通シ上下共和シテ憾ミナカラシムルハ其貴郡区長及長等ニアリト愚考仕候而シテ又我政府ハ納税者ノ為メニ便宜ノ時節方法ニヨッテ租税徴収セラルヽ御趣意ナルコトハ曩ニ御施行有之候凶歳地租延納規則并代米納規則等ニヨツテ下察致サレ候義ニ有之私共苟モ戸長其職ニ在ツテ地方今日之実況ヲ目撃シ何分黙止スル能ハサル場合ニ立至リ候 前述ノ次第ニ付本年地租之義第三期ヲ明年二月限リ四期同四月限リト延納被成下候ハヽ農家一般ノ幸福ハ勿論私共徴収者ニ於テ幾分ノ困難ヲ免カレ可申候間何卒出格之御処分相成候様致度此段連署ヲ以テ上申仕候也 明治十六年十月廿五日 八十壱人戸長調印 神奈川県令代理 書記官長宛 (大山町戸長役場「上申録」(明治一三―一五年)伊勢原市役所蔵) 一七七 租税軽減哀願書 以活版代謄写禁公布 伏シテ租税ノ軽減ヲ哀願ス 神奈川県相模国愛甲郡一町二拾六ケ村ノ納税者三百九十一人ノ者共誠惶誠恐頓首シテ白ス私等伏シテ惟ルニ王政一タビ新マリシヨリ内ハ祖宗ノ盛典ニ則リ外ハ泰西ノ文物ニ視テ制度風俗ヲ改良シ憲章法典粲然トシテ美ヲ今古ニ輝カス者固ヨリ一ニシテ足ラザルナリ中ニ就テモ税法ノ如キハ最モ著大ナル改革ヲ経テ全ク其面目ヲ改メ加フルニ明治十年更ニ至仁ノ大詔ヲ降シテ地租ノ納額ヲ減ゼラレタリ是ヲ以テ私等モ亦タ租税ヲ貢納シテ以テ国民タルノ本分ヲ尽スニ敢テ怠タルコトナキヲ得タルハ偏ヘニ聖明ノ恩沢ニ由ラズンバアラザリキ然ルニ今ヤ不幸ニシテ四海困窮ノ秋ニ方リ私等ハ将サニ応分ノ義務ヲ尽スコト能ハザラントスルノ形勢ニ切迫セシカバ已ムコトヲ得ズ今〓ニ地租ノ軽減アランコトヲ哀願スル所アラント欲ス蓋シ方今我国ノ財政ハ出入正サニ相適フテ其余裕アラザルベキハ私等ノ平生篤ク信ジテ疑ハザル所ナレバ今比請願ヲ上ルハ誠ニ恐懼惶悚ニ耐ザル次第ニハアレトモ亦退ヒテ考フルニ私等日本人民ハ未ダ直接ニ歳入ノ当否ヲ審査定断スルノ自由ヲ保有シ得ザル者ナルガ故ニ其窮迫困苦シテ自ラ救フコト能ハザルニ及ビテハ則チ是レヲ政府諸公ニ哀訴嘆願シテ以テ救助ヲ仰ギ奉ルノ他ニ又如何トモスベキノ道ナシ是レ比度ビ私等ガ減租ノ儀ヲ請願スル所以ナリ仍テ先ヅ其窮困ノ情状ヲ粗ボ左ニ開陳シテ以テ高明ノ憐察ヲ仰グベシ 抑我愛甲郡ハ一面ハ水田ヲ以テ他郡ニ連リ漸ク西ニシテ高地トナル其ノ間畑地多クシテ連山ノ間ニ断続シ米麦桑蚕ヲ産スルニ適ス是ヲ以テ我郡民ハ従来其米麦ノ一半ヲ以テ貢租ニ充テ他ノ一半ヲ食料トナシ而シテ日常必需ノ物品ヲ購買スルノ資ニ至リテハ全ク之ヲ桑蚕ノ所得ニ取リテ辛ジテ其生活ヲ営ミシ者ナリ然ルニ明治十三年ヨリ物価頻リニ騰貴シテ歳入頓ニ多キヲ加ヘ為メニ一時ハ撃壌鼓腹ノ歓ヲ受クルコトヲ得タルモ偶々当局財務官ニ更迭ノ事起リ一朝財政ヲ改メラルヽヤ従来失価ヲ極メタル紙幣ハ忽チ其価ヲ復シテ為メニ物品ノ呼価ヲ減ジ終ニ今日ハ地主ヲシテ宛モ歳入三分ノ二ヲ失ヒタルト一般ノ思ヒアラシメントスルニ至レリ加之此ノ数年間頻リニ税法ノ改正アリテ酒税若シクハ烟草税等ノ大ニ増加セラレタルアリ地方税ノ如キモ亦タ之レヲ制定ノ始メニ視レバ恰モ年一年ニ増加セラレタルノ実ナカラズ尤モ彼ノ汎濫タル紙幣ノ洪水ヲ救治シテ硬貨主義ノ政略ヲ断行セラレタルガ如キハ誠ニ国家ノ美事ニシテ我国財務ノ進歩ト云フベク又其酒税烟草税ノ如キ間税ヲ重クセラレタルコト及ビ漸次ニ地方税ヲ加ヘラレタルコト等ノ如キハ皆ナ是レ已ムヲ得ザルノ急需アルニ出デタルベシト承認セザルニハアラザレトモ其我々地主ニ於テ非常ノ艱難ヲ覚フルモノハ他ナシ其大ニ減少シタル歳入ヲ以テ其大ニ増加シタル各種ノ租税ヲ貢納セザルヲ得ザルノ一事即チ是レナリ且夫レ我々地主ノ歳入ハ所謂小作人ナル者ガ其借地ノ報酬トシテ納ムル所ノ小作年貢即チ其大半ヲ占ムルガ故ニ我々地主ガ政府ニ対シテ貢租ノ義務ヲ果スニ於テモ亦之レヲ小作年貢ニ求メザルヲ得ザルナリ然ルニ其小作人等ガ米価下落ノ影響ニ感ジ貧苦困窮ニ迫リシコトハ殆ド名状スベカラズシテ既ニ昨年ノ豊稔ヲ以テスルモ猶ホ今日ニ至ルマデ其年貢ヲ納レ得ザル者決シテ尠カラザルニ况ンヤ本年ノ如キハ不正ノ気候打続キタルガ上ニ又非常ナル暴風雨ノ痛ク農作ヲ害シタルアルヲヤ此ヲ以テ本年ハ到底我々地主ニ於テハ更ラニ彼ノ小作年貢ヲ領受シ得ベキ見込ミ之レナク去レバトテ又タ貢租ノ義務ハ独リ我々ノ頭上ニ懸リテ毫モ怠ルベキニ非ラズ即チ我々ハ一方ニ於テハ決シテ避クベカラザルノ支出ヲ負担スル傍ラ一方ニ於テハ之レニ充ツベキ収入ノ財源ヲ杜絶シテ実ニ進退狼狽ヲ為スナリ且ツ嚮キニ納租期限ノ改正アリシヨリ以来第三期〔即チ其年十二月〕ノ貢納ニ際シテ痛ク地主ノ困却ヲ加ヘ来リタルコトハ殆ト天下公衆ノ熟知スル所トスルナリ其故如何トナレバ即チ地主ノ以テ其貢租ニ充ツベキ所ノ小作年貢ハ翌年一月中旬以後ニ至ルニ非ラザルヨリハ決シテ之レヲ小作人ヨリ受領シ得ザルヲ以テナリ而シテ其昨年マデ辛フシテ此第三期ノ貢租ヲ怠ラザルヲ得タルハ是レ猶ホ世上金融ノ未ダ全ク壅塞スルニ至ラザリシノ故ヲ以テ一時貢租ヲ他借ニ弁ジ翌年一月小作年貢ノ入ルニ及ビテ便チ之レヲ償フコトヲ得タルニ由ルモ本年ノ如キハ乃チ然ラズ第一ニハ金融ノ全ク壅塞シ尽シタルト第二ニハ小作年貢ノ翌年一月ハ云フニ及バズ三月五月ニ至レバトテ終ニ全ク収マルベキノ望ミナキトニ因由シテ之レヲ彼ノ一時ノ他借ニ弁ズルノ便利モ亦タ将サニ全ク絶ヘテ之レナカラントス鳴呼我々農民ノ貧窮特ニ納税者ノ困艱ハ豈ニ誠ニ此ニ至リテ極マレリト云ワザルベケンヤ〔本郡ノ情状已ニ斯ノ如シ然ラバ則チ之ヲ推シテ他ノ地方ヲ測ルモ亦同一般ナルベキヲ信ズ何トナレバ今日ノ困難ハ其原因甚ダ広大ナルモノニシテ特ニ我一郡ニ止マルベキモノニ非ラザレバナリ私等謹テ明治十七年三月第七号公布ヲ拝読スルニ其第八条ニハ一般ニ地価ノ改正ヲ要スル時ハ前以テ其旨ヲ布告スベシトアリテ優渥仁慈ナル聖旨ハ其紙面ニ溢レタルヲ感泣ス而シテ今日ハ是レ最早一般ニ地価ノ改正ヲ仰ガザルヲ得ザルノ時ナリト愚考ス〕是レ則チ私等ガ已ムコトヲ得ズ此ノ哀願書ヲ奉呈スル所以ナリ伏シテ願クハ我賢明ナル政府諸公ノ幸ニ此ノ困窮ヲ憐憫シテ暫ク地租ノ幾分ヲ減ジ以テ我々衆民ノ蘇生ヲ得セシメラレンコトヲ是レ私等ガ誠ニ切ニ哀訴歎願スル所ナリ 誠徨誠恐頓首謹白 明治十七年十一月 愛甲郡下荻野村 総代難波惣平 木村角次郎 小林又平 毛利恒次郎 毛利源七 林佐次郎 渡辺市五郎 木村勘次郎 小林重三郎 難波久太郎 小林茂平 野口清太郎 野口四平 猪熊平治 林銕五郎 片野徳造 難波定八 内田長五郎 土屋忠治郎 難波清太郎 野口七郎 野口政八 難波重郎平 神戸兼吉 難波孫次郎 難波銀造 木村万次郎 小林正九郎 小林佐治平 難波忠平 難波半平 村松昇造 井上栄太郎 塩川善八 荻原伴吉 難波安太郎 北条存嶺 木村伝十郎 難波清吉 難波富五郎 難波惣十郎 中荻野村 総代天野政立 小野善吉 三浦政憲 小野久治 石井勇八 石井時太郎 和田台造 森与七 和田幸七 柳田富三 花上光五郎 花上千代松 難波富雄 花上孫四郎 石井広吉 三栖彦太郎 小野嘉七 石射清太郎 佐藤政五郎 森甚太郎 斎藤作次郎 花上美喜造 石井政吉 落合源太郎 花上庄平 伏見与五郎 上荻野村 三橋平左衛門 岸重郎平 天利権左衛門 田口左一郎 井上督治 高橋伊兵衛 森屋亀吉 佐藤利八 斎藤弁治 田口松平 岸利八 沼田一平 佐藤友三郎 大谷忠三 総代神崎正三 神崎国蔵 井上海蔵 棚沢村 柏木徳次郎 原太郎 柏木新作 山口五三郎 井上茂平 橘川文治郎 原紋次郎 柏木四郎 関原要八 橘川重平 橘川周吉 関原治作 柏木和十郎 柏木作太郎 橘川加平治 三田村 大塚丑太郎 小室与市 落合惣太郎 落合巳之吉 曽根千代次郎 川口郷治 森住半平 米山五郎平 森住新太郎 総代井上篤太郎 金子市太郎 佐藤彦治 小室五郎 小室喜八 三橋八郎 小島直次郎 森住惣七 森住兵太郎 大塚治郎作 落合藤八 曽根善吉 石井久米次郎 望木綱五郎 高井岡三 小沢善太郎 高井彦太郎 近藤三次郎 寺久保市平 柳川源四郎 鈴木年造 二見元次郎 二見彦平 石井七太郎 串田平吉 難波甚平 馬場豊次郎 村上安次郎 落合清五郎 大塚幸二郎 小室平十郎 石塚銕五郎 竹松儀三郎 柳川保次郎 落合六平 下川入村 佐野安太郎 鈴木万五郎 笹生満造 佐野七郎 笹生与次衛門 松野藤作 及川村 総代沼田初五郎 森久保増造 栗原佐治平 桐生金次郎 今井金平 渋谷儀八 田所栄八 浅葉馬吉 高橋平八 小島秀五郎 島崎石三 和田弥市 和田長三郎 高崎弥五八 栗原重吉 土屋倉吉 本馬〓三郎 遠藤忠八 細野杢平 土屋伊三郎 田所定吉 加藤治平 岩本治郎吉 土屋重五郎 桐生長五郎 桐生善平 妻田村 小島伝吉 中野庄太郎 福山鎌三郎 永野格次郎 川井安太郎 山口友二郎 中野喜平 吉村徳次郎 川島勝次郎 川井徳次郎 福山孫七 水島新八郎 川井悦三 飯山村 森豊吉 遠藤平七 井上巳之助 川田乙次郎 川田岸造 岩崎八郎左衛門 八木弥兵衛 渡辺伝左衛門 若林竜造 八木米吉 佐々木喜代松 遠藤鯛次郎 小島増五郎 霜島茂右衛門 榎本利伊造 山川菊次郎 臼井馬吉 佐々木喜太郎 八木与左衛門 山田丑松 小島啓次郎 佐々木辰五郎 遠藤仁輔 井上芳五郎 総代山川市郎 川田百蔵 山川五兵衛 臼井治郎左衛門 小島佐内 岩崎庄太郎 市野七郎兵衛 佐々木八次郎 古宮茂吉 上古沢村 永島彦太郎 外山倉次郎 永島秋次郎 守屋森三郎 石原重吉 守屋惣十郎 永島房次郎 温水村 井萱治左衛門 神崎忠造 内藤甚七郎 吉岡定八 吉岡杢右衛門 石井守次郎 山口忠太 伊藤只十郎 吉岡周吉 神崎直次郎 長田長次郎 平井亀三郎 神崎己八 船子村 古沢鷹太郎 森屋友次郎 小金九十郎 浅岡一十郎 森屋兵三郎 浅岡勇次郎 関野伊平 長谷村 石射喜十郎 武井政五郎 山口泰 厚木町 清田半兵衛 斎藤貞輔 岡津古久村 杉山七郎 愛甲村 内山八郎平 服部新作 服部久造 石井重郎平 山田惣七 石井団次郎 平本善吉 早川耕造 小泉平造 溝呂木千代吉 服部大吉 荘司要造 須藤清吉 相田勝次郎 原島鎌吉 山田弥五郎 牧田宮一郎 服部長吉 服部峰造 井上久米次郎 石井源造 石井佐市 石井金平 牧田小平 柳田久三郎 愛名村 杉山荘五郎 飯原七郎 青木弥八 杉山伊平 飯原仁平 山口時次郎 杉山安五郎 林村 成瀬才次郎 成瀬庄三郎 小島与平治 岸忠兵衛 平井茂平 葉山彦太郎 杉山伊之助 中野吉三 戸室村 霜島甚四郎 志村四郎 霜島九重 安藤善四郎 安藤利八 霜島常吉 安藤喜十郎 安藤弥三八 霜島藤八 恩名村 和田友右衛門 石井太郎吉 和田勘平 小島定八 新藤妻吉 城内惣十郎 和田伝左衛門 浜田友八 露木為造 露木七郎兵衛 鈴木彦次郎 三橋久四郎 和田利平治 和田順次郎 小宮浦吉 井上政吉 三橋荘太郎 七沢村 中村得治 遠藤佐左衛門 加藤好右衛門 中村多十郎 三橋貞次郎 中村助次郎 荻山健次郎 黄金井伝四郎 高橋増五郎 前場源兵衛 三橋弥右衛門 越名忠兵衛 能条丑松 久崎愛次郎 遠藤新之助 朝生八右衛門 三橋金兵衛 中村左五右衛門 三橋市之丞 八菅山村 相馬安 矢後豊久 松平信懿 足立原康 矢後矢毎 中津村 関戸竹次郎 熊坂善次 三増村 岡本与八 杉浦花吉郎 畑山弥市 小野沢増太郎 宮木幸助 小長井崎太郎 平本武兵衛 平本菊次郎 岡本浪次郎 八木竹助 小野沢守造 小野沢卯之助 平木豊吉 家城源右衛門 高木甚造 田代村 平本清造 伊従佐平 山口平右衛門 萩田弥治兵衛 奈良林右衛門 伊従惣右衛門 奈良伊兵衛 高島清造 半原村 志村多吉 井上茂吉 井上彦左衛門 甘利惣右衛門 八木茂助 小島清左衛門 佐藤嘉助 染矢三郎 小島儀平 佐藤十三郎 上依知村 大野幸造 吉田久七 古姓元吉 古姓善治 深田利三郎 斎藤治良八 矢後勝五郎 古姓清五郎 古姓治作 森栄五郎 大蔵卿 松方正義殿 前書之通相違無之候也 戸長 神崎正兵衛 同 中村繁三 同 梅沢義三郎 同 松野平作 同 高梨能有 同 鈴木清太郎 同 外山健次郎 同 大矢邑三郎 (和田傳氏蔵) (注)大磯町教育委員会所蔵資料に同様のものがある。 一七八 未納地租金納入先変更嘆願書 歎願書 小山村 久保田常次郎 久保田吉五郎 久保田久次郎 久保田才次郎 井上登一郎 久保田忠右衛門 常盤喜助 長谷川力蔵 松本伊助 井上吉五郎 大谷助之丞 右私共儀貧ニ逼リ第二期地租未納セシニョリ本郡役所ヨリ本月十七日出ノ御呼出状賜リ驚入速ニ出頭可仕之処前書申上候通リ逼塞之我々地租上納ニスラ実事困却ヲ来シ居候間今回ニ限リ特例ヲ以テ当役場ヘ地租金御領収アツテ本郡役所ヘ出頭セサル様御取成被下候上ハ已後地租勿論諸税金等ニ至リ迄必ス上納仕候間何卒右願之趣御許容被成度連署ヲ以テ此段懇願候也 右 明治十七年十一月廿五日 久保田常次郎(印) 久保田吉五郎(印) 久保田久次郎(印) 久保田才次郎(印) 井上登一郎(印) 久保田忠右衛門(印) 常盤喜助(印) 長谷川力蔵(印) 松本伊助(印) 井上吉五郎(印) 大谷助之丞(印) 橋本村外三ケ村 戸長 神藤利兵衛殿 (「諸願届開伸書綴」相模原市史資料室蔵) 一七九 地租未納者呼出状取纒還納に関する許可願 上申 客月三十一日付ヲ以テ十八年度地租第二期不納者呼出状御回送相成 候ニ付即チ本月二日役場使丁ヲ以テ呼出状配布およひ候処別紙呼出 状記入之者役場使丁ト行違当役場ヘ参リ地租上納致度旨申出候ニ付懇篤説喩之上右様之義無之様持来ヲ戒メ地租領収書ニ就テハ呼出状本人等ヨリ御還納可仕之処時節柄多忙且遠隔之コト故今這ニ限リ呼出状当御役場ヨリ御還納被成候様只管相歎キ候ニ付不得止呼出状取纒メ還納仕候段御許容相成度此段上申候也 高座郡橋本村外三ケ村 明治十八年十一月二日 戸長 桐生増兵衛 高座郡長 今福元頴殿 (「諸願届開伸書綴」相模原市史資料室蔵) (注)別紙欠。 一八〇 山林原野雑種地税未納分等年賦払に関する上申書(一-二) (一) 上申書 高座郡各町村 右者今般過ル明治十一年度ヨリ同十五年度ニ至ル山林原野雑種税不納之分及田畑租精算過不足預等明治十一十二両年分ハ本年十一月三十日限リ同十三年度ヨリ十五年度ニ跨ル分ハ来ル明治十八年四月限リ上納可致旨御達相成既ニ前期ノ割符御配賦相成候ニ付テハ如命納金可為致者勿論之処目下各村民之景況ヲ視察スルニ物価遂ニ下落シ金融閉塞シ加之昨明治十六年之旱魃ヨリ引続本年九月ノ暴風ニ係リ五穀悉皆凶作ナリ村民一般糊口ニ差閊殆ンド困窮之極ニ達シ定期之貢租スラ以テ未納処分ニモ可相成場合ニ付本年度第三四両期ノ貢租取立方ニモ実ニ難事タル景況然ルニ前願之不納金ヲ本年度ニ徴集候テハ人民之困難実ニ見ニ不忍場合ニ就而者去ル明治九十両年度分田畑山林雑地地租残納之義者既ニ明治十五年五月本県甲第九拾号ヲ以テ年賦上納之御達モ有之旁何卒今般之儀モ前願之場合格別之御仁恤ヲ以テ毎壱ケ年度ツヽ差別シ五ケ年賦ニ上納相成候様致度右者妄ニ前条寛大之御趣意ニ慣レ嘆願スル義ニ非スト雖モ事実憫然之場合難黙不止得嘆願仕候儀ニ付何卒御採用相成度比段連署ヲ以奉具申候也 明治十七年第十一月十三日 高座郡下鶴間村外三ケ村 戸長 長谷川彦八(印) 同郡下溝村外三ケ村 戸長 安藤庄左衛門(印) 同郡田名村 戸長 志村大輔(印) 同郡鵜野森村外四ケ村 戸長 河本崇蔵(印) 高座郡国分村外八ケ村 戸長 吉田逸作(印) 同郡上溝村 戸長 鈴木藤吉(印) 同郡橋本村外三ケ村戸長代理 筆生 矢島甚十郎(印) 同郡大島村外弐ケ村 戸長 安西茂重(印) 同郡羽鳥村外四ケ村 戸長 金子小左衛門(印) 同郡藤沢駅坂戸町外一ケ町 戸長 上野清兵衛(印) 同郡堤村外四ケ村 戸長 富田七郎右衛門(印) 同郡中野村外七ケ村 戸長 浜田克忠(印) 同郡長後村外四ケ村 戸長 関水隈蔵(印) 同郡円行村外五ケ村 神奈川県令 沖守固殿 戸長 杉山信尹(印) 同郡室田村外六ケ村 戸長 水越宇八郎(印) 同郡茅ケ崎村 戸長 内山吉五郎(印) 同郡一之宮村外十ケ村 戸長 小泉与左衛門(印) 同郡用田村外五ケ村 戸長亀井直喜代理 筆生 和田高蔵(印) 同郡今宿村外十ケ村 戸長 内田慶二郎(印) 同郡深谷村外七ケ村 戸長高嶋照方代理 筆生 田戸宗内(印) 同郡座間入谷村外四ケ村 戸長 大矢弥市(印) 『収第百八十五号 書面願之趣難聞届候事 明治十七年十一月廿二日 神奈川県令 沖守固(印)』 (「指令綴」(明治一四―一七年)大和市役所蔵) (二) 山林原野雑種地税未納分及田畑追徴金ノ義ニ付上申書 高座郡藤沢駅阪戸町外壱ケ町百九ケ村 右者各町村戸長等謹テ上申仕候物価頓ニ下落セショリ金融俄ニ閉塞シ不景気ハ世間一般ナリト雖モ顧フニ本郡各村ニ優ルモノ恐ラクハナカラン何トナラハ一昨明治十八年ハ非常ノ旱魃ニ罹リ尋テ明治十七年ハ近来未曽有ノ暴風ニ逢ヒ雑穀ノ損害ヲ蒙ル莫大ニシテ是カ為メ両年トモ其収穫ハ殆ト平年ノ十分ノ一ノミ此ノ僅々タル両年ノ収穫ヲ以テ漸ク昨十七年ハ凌キ来リシモ本年ニ至リテハ人民一般糊口ニ差支エントスルノミナラス将サニ飢餓ニ迫ルモノ比々有之鳴呼民間ノ困難ナル今日ノ如キ惨状ハ古来稀ナルモノト存シ候而リ然シテ〓ニ上申候願意ノ御採用ヲ仰カントスルハ明治十一年ヨリ同十五年ニ至ル山林原野雑種税及ヒ田畑精算不足額未納分徴収ニ相成候期限是ナリ明治十一及十二ノ両年度分ハ本年四月上納候処残ル明治十三十四ノ両年分モ遠カラス御徴収相成候由抑モ当山林原野雑種税及ヒ田畑不足額ハ謹テ命令ヲ奉シ上納可致スハ勿論ノ義ニ候得共前段ニ述ルカ如ク民間ノ惨状今日ヨリ甚ダシキハナシ定期ノ地租及地方税協議費学費等上納スル尚非常ノ困難ニテ遂ニ公売御処分ヲ受クルモノ比々之アル場合ナルニ右山林租等御徴収ニ相成候節ハ人民猶又一層ノ困難ヲ増シ朝憲ヲ乱ス不祥ノ結果ノ生スルヤモ難計何共愍然ノ至リニ御座候間何卒右山林租等ノ未納分ヲ彼ノ明治九十両年地租ノ年賦延納ニ傚ヒ五ケ年乃至七ケ年賦ノ方法ヲ以テ御徴収相成候得ハ一ツハ以テ民間ノ苦痛ヲ助ケ一ツハ以テ御徴収渋滞ナク却テ便益ナラント存候右ハ民間ノ惨状見ルニ忍ヒズ恐ヲモ顧ミス本郡各町村戸長一同連署ヲ以テ閣下ノ御仁恤ヲ以テ何分ノ御貴命相成度此段上申候也 高座郡羽鳥村外四ケ村 戸長 金子小左衛門印 同郡一ノ宮村外十ケ村 戸長 小泉与左衛門印 同郡堤村外四ケ村 戸長 冨田七郎右衛門印 同郡茅ケ崎村 戸長 内山吉五郎印 同郡今宿村外十ケ村 戸長 内田慶次郎印 同郡用田村外五ケ村 戸長 亀井直僖印 同郡坂戸町外壱ケ町 戸長 上野清兵衛印 同郡室田村外六ケ村 戸長 水越宇八郎印 同郡座間入谷村外四ケ村 戸長 大矢弥市印 同郡下溝村外三ケ村 戸長安藤庄左衛門代理 筆生 中村金三印 同郡中野村七ケ村 戸長 浜田克忠印 同郡国府村外八ケ村 戸長 吉田逸作印 同郡深谷村外七ケ村 戸長 杉並保治印 同郡上溝村 戸長 鈴木藤吉印 同郡田名村 戸長 志村大輔印 同郡下鶴間村外三ケ村 戸長 長谷川彦八印 同郡鵜ノ森村外四ケ村 戸長 河本崇咸印 同郡円行村外五ケ村 戸長 杉山信尹印 同郡長後村外四ケ村 戸長 関水隈蔵印 同郡橋本村外三ケ村 戸長 桐生増兵衛印 (「諸願届開伸書綴」相模原市史資料室蔵) 第二節 地価修正地租軽減運動 一八一 地租軽減請願書 地租軽減ノ儀ニ付請願書 謹テ貴族院議員貴下ニ請願仕リ候 我国現時ノ税率ハ地租ノミニ偏重シテ農民ハ其負担ニ苦シミ府県会開設以来府県会議員撰挙被撰挙権ヲ有スル公民ニシテ滞納ノ為ニ公売処分ヲ受ケタル者年々万ヲ以テ数フルノ多キニ及ブハ某等ノ言ヲ俟タスシテ明亮ナル事ト存シ候抑モ斯ノ如キ痛歎スベキ惨状ヲ生出シタル所以ノ者ハ時勢ノ変遷ニ因リ其方針ヲ誤リタル者モ之レアリト雖モ其最多数ハ地租ノ過重ニ堪ヘズ困難ニ困難ヲ重ネ遂ニ其極ニ至リタルコトハ某等ノ実地遭遇シ来リタル処ニシテ地租軽減ノ儀ハ実ニ天下ノ輿論ト謂フベク既ニ第一期ノ議会ニ於テ衆議院ハ地租五厘減ノ議ヲ可決シタルモ議会閉期迫リテ貴院ハ之ヲ議スルノ時日ヲ得サリシハ某等ノ実ニ遺憾ニ堪ヘザリシ事ニ有之候本年ハ衆議院ニ於テモ速ニ地租軽減ノ議ヲ可決シ貴院ニ於テモ之ヲ可決セラル事ト存ジ候得共某等利害ノ感特ニ痛切ナルヲ以テ〓ニ地租百分ノ二分五厘ヲ減シテ百分ノ二ニ軽減被成下度奉願上候頓首再拝 神奈川県淘綾郡大磯町大磯千三百五拾壱番地 平民農 三宅藤兵衛(印) 嘉永元年四月生 同県同郡同町同字千三百四拾八番地 平民商 原長蔵(印) 天保十一年九月生 同県同郡同町同字千二百六拾六番地 平民商 荻野誠一(印) 嘉永四年十一月生 同県同郡同町同字千二百六拾七番地 平民農 加藤整吉(印) 天保七年四月生 同県同郡同町同字千二百九拾七番地 平民農 杉岡半右衛門(印) 天保十一年三月生 同県同郡同町同字千三百七番地 平民農 三宅定七(印) 天保十一年三月生 同県同郡同町同字四百六拾八番地 平民農 鈴木安右衛門(印) 天保十年三月廿五日生 同県同郡同町同四百六拾壱番地 平民農 中川金太郎(印) 安政四年十一月十五日生 同県同郡同町同千八百五拾三番地 平民農 豊田嘉兵衛(印) 天保八年七月晦日生 同県同郡同町同千八百五拾八番地 平民農 渡辺経治郎(印) 嘉永三年四月八日生 同県同郡同町同千八百六拾壱番地 平民農 佐藤儀兵衛(印) 文政十二年五月十二日生 同県同郡同町同四百七拾四番地 平民農 島田忠三郎(印) 天保五年三月十八日生 同県同郡同町同字九百六十二番地 平民商 出口利三(印) 天保十二年八月生 同県同郡同町九百八十五番地 平民商 横田金太郎(印) 天保十二年四月生 同県同郡同町九百七十一番地 平民商 片野惣右衛門(印) 弘化二年四月生 同県同郡同町九百六十八番地 平民商 石内好一(印) 安政二年七月生 同県同郡同町九百六十六番地 平民工業 須藤善吉(印) 天保七年二月生 同県同郡同町九百六十七番地 平民工業 鈴木長吉(印) 天保七年正月生 同県同郡同町同字千八十三番地 平民農 石井源太左衛門(印) 弘化三年十二月生 同県同郡同町同字千百三拾三番地 平民農 尾上鋋吉(印) 安政五年八月生 同県同郡同町同字千百五番地 平民農 中川良知(印) 天保十二年二月生 同県同郡同町同字千百四番地 平民農 宮代謙吉(印) 弘化元年七月生 同県同郡同町同字千百廿壱番地 平民農 山本秀三(印) 天保八年十一月生 同県同郡同町同字千八十八番地 平民農 今村利兵衛(印) 弘化四年六月生 同県同郡同町同字千五拾壱番地 平民農 鈴木佐平(印) 天保七年正月廿五日生 同県同郡同町同字千三拾弐番地 平民農 小島壮三(印) 天保十年六月廿六日生 同県同郡同町同字千三拾番地 平民商 鈴木儀兵衛(印) 嘉永六年十二月十七日生 同県同郡同町同字千四拾九番地 平民農 川崎末吉(印) 弘化四年六月十日生 同県同郡同町同字千四拾三番地 平民農 奥山良助(印) 嘉永元年三月三日生 同県同郡同町同字千四拾七番地 平民商 鈴木謙真(印) 弘化二年六月十一日生 同県同郡同町同字第千五百九十七番地 平民農 船橋周蔵(印) 万延元年十一月生 同県同郡同町同字第千五百九十六番地 平民商 岩田源兵衛(印) 天保二年正月生 同県同郡同町同字第千五百七十三番地 平民農 三武弥左衛門(印) 文政二年二月生 同県同郡同町同字第千六百九拾番地 平民質商 西海惣兵衛(印) 嘉永二年十一月生 同県同郡同町同字第千五百八十九番地 平民農 川崎孫右衛門(印) 天保六年三月生 同県同郡同町同字第千六百九十二番地 平民農 宮代勘治郎(印) 弘化元年十一月生 同県同郡同町同字千百九拾六番地 平民農 石井市郎左衛門(印) 文政五年六月生 同県同郡同町同字千百九十八番地 平民農 二宮久蔵(印) 天保六年九月生 同県同郡同町同字千二百六番地 平民農 伊藤源右衛門(印) 弘化二年二月生 同県同郡同町同字千二百拾四番地 平民農 波多野信蔵(印) 天保十三年九月生 同県同郡同町同字千二百廿六番地 平民農 渡辺平兵衛(印) 天保元年十二月生 同県同郡同町同字百三拾九番地 平民農 長島半兵衛(印) 嘉永三年六月生 同県同郡同町同字千百番地 平民農 宮代新太郎(印) 安政元年五月生 同県同郡同町同字千五百二拾番地 平民農 佐藤恵洞(印) 天保十四年五月生 同県同郡同町同字千五百六十二番地 平民農 脇安五郎(印) 慶応元年十二月生 同県同郡同町同字千四百四番地 平民商 真間政吉(印) 安政六年十二月生 同県同郡同町同字千四百九十四番地 平民商 宮代伊右衛門(印) 嘉永六年十二月生 同県同郡同町同字千三百四十二番地 平民農 真間長五郎(印) 嘉永二年四月生 同県同郡同町西小磯百廿三番地 平民農 柳田五郎左衛門(印) 文政六年十一月生 同県同郡同町同字四拾壱番地 平民農 江藤四郎左衛門(印) 文政二年四月生 同県同郡同町同字百廿四番地 平民農 波多野庄左衛門(印) 文政六年八月生 同県同郡同町同字百四拾八番地 平民農 柳田幸七(印) 文政十二年四月生 同県同郡同町同字七拾番地 平民農 土屋市郎左衛門(印) 弘化三年十月生 同県同郡同町同字四拾番地 平民農 鈴木五右衛門(印) 文政七年七月生 同県同郡同町同字三百四十番地 平民農 西方伝兵衛(印) 文化十二年五月生 同県同郡同町同字三百四十七番地 平民農 仲川仙右衛門(印) 天保九年九月生 同県同郡同町同字二百廿六番地 平民農 小見忠兵衛(印) 天保八年十一月生 同県同郡同町同字六百拾二番地 平民農 仲手川半左衛門(印) 天保七年三月生 同県同郡同町同字五百四十八番地 平民農 二挺木長兵衛(印) 天保九年五月生 同県同郡同町同字二百廿七番地 平民農 渡辺平兵衛(印) 嘉永五年十月生 (「中川家文書」大磯町教育委員会蔵) (注)本資料は明治二十四年下半期のものと推定される。 一八二 久良岐橘樹都筑三郡地価修正請願同盟会規則 久良岐橘樹都筑三郡地価修正請願同盟会規則 第一条 本会ハ三郡地価修正請願同盟者ノ結合ニシテ政府及貴衆両院ヘ地価修正ヲ請願シ地租ノ軽減ヲ貫徹センコトヲ目的トス 第二条 本会ハ県下各郡ノ同盟会ト連合一致シ而シテ一府十九県ノ地価修正請願同盟ヘ加入シ地価修正請願ノ準備ヲ計画スルモノトス 第三条 本会ハ会場ヲ神奈川町ニ置ク 第四条 本会ノ会員ハ各郡ノ地主ヲ以テ組織ス 第五条 本会ハ時宜ニ依リ委員会ヲ開キ地価修正請願ノ手続ヲ協議シ其状況ヲ会員ニ報告スルモノトス 第六条 本会ニ委員三名町村ニ委員三名ヲ置ク 第七条 本会委員ハ町村委員ノ互選トシ町村委員ハ其町村会員中ヨリ選挙シ其任期ハ六ケ月トス 第八条 本会委員ハ地価修正ノ方法ヲ調査シ本会ノ諸務ヲ整理担任ス 第九条 本会委員ハ本県同盟会及一府十九県連合同盟会ヘ出席シ本会ヲ代表シテ意見ヲ述フルモノトス 第十条 町村委員ハ会費ヲ徴収シ町村会員ノ諸務ヲ整理担任ス 第十一条 本会ノ費用ハ適宜ノ方法ヲ以テ会員ニ於テ分担スルモノトス 第十二条 本会委員ハ会議及ヒ調査ノ件ニ付他ニ出張スルトキハ旅費手当ヲ支給ス其額ハ会議ノ決議ヲ以テ定ム 第十三条 本会ハ廿四年九月ヨリ設置シ来年二月ヲ限リ散会ス尤モ時宜ニ依リ衆議ニ付シテ伸縮スルコトアルベシ 第十四条 本会ニ要スル経費ハ予算ヲ定メ委員会ノ決議ヲ以テ確定ス 第十五条 本会ノ規約ハ委員会ニ於テ三分ノ一以上ノ動議ニアラサレハ加除更正スルコトヲ得ス (飯田助丸氏蔵) 一八三 地価修正請願書 地価修正請願書 我邦従来農ヲ以テ建国ノ基本トナス然レトモ当時未タ税法晰ナラス数理精カラス是ヲ以唯僅ニ検地竿入等散漫ナル手段ニ由リ面積税率ヲ規定シタル者ニシテ其不完全ナル洵ニ弁ヲ俟サル也加ルニ所在地頭領主ヲ異ニセンカ故ニ広狭均カラス軽重一ナラス甘苦其平ヲ得スシテ河ノ南北モ猶且恩怨ヲ異ニスルノ観アリシ也 明治大政維新侯伯其版図ヲ奉還シ全国再ヒ 皇沢ニ沐浴スルニ迨ンテハ奈何ソ之レヲ忽諸ニ付スヘケンヤ宜ク画一平等ノ方針ニヨリ広狭軽重ノ弊ヲ矯正シ恩ニ感シ怨々泣クノ民ナカラシメンコトヲ期セサルヘカラス我政府ガ明治六年発布シタル地租改正条例ノ主意葢シ〓ニアルカ然リ而シテ我政府ハ此条例ニ由リ米価ヲ以地価ノ本位トナシ土地測量ヲ行ヒ地租改正ヲ実行シタリ然レトモ当時運輸交通ノ便未タ充分ナラス是ヲ以テ全国ヲ串通スル米価ナカリシノミナラス所在著キ相異アルヲ見ル加之歳月ヲ費スノ長キ明治六年ヨリ十四年ニ度ル九年間各地各年ノ相場非常ナル懸隔ヲ示シ殊ニ財政ノ紀綱未タ其緒ニ就カサルノ初ニ際シ紙幣ノ増減常経ヲ外レ為ニ物価ノ動揺甚ク一上一下乱貴乱賤更ニ底止スル所ナシ是ヲ以本位米価ニ就テ到底精確ノ算定ヲナス能ハサリシ也 初メ政府ハ全国ヲシテ平等均一ノ比率ニ従ハシメンコトヲ期シタルニ相違ナカル可シ然レトモ上来ノ事情ハ実ニ有司ヲシテ能ク此一大艱難事業ヲ落シ得ルヤ否ヤニ就テ危疑ノ念ヲ抱カシメシ者アル信セスンハアラス故ニ有司ハ焦心苦慮ノ極先一策ヲ画シ二三地方ニ試行シ誘フニ低廉ノ地価ト寛広ノ面積ヲ以テシ之ニ因テ他ヲ勧誘シテ地租改正ニ着手セシメ漸ク正経ノ秩序ニ至ラシメンコトヲ期セリ既ニ着手スルノ後其功ヲ奏スルニ至ルマテ歳ヲ閲スル十年ノ久キニ度ル於是乎官吏悉ク疲憊シ人民漸ク倦怠争フテ事ノ終ルヲ望ミ又利害得失ヲ源究セサル者アルニ至レリ間々旧石高ノ収穫ヲ割当若ハ負担額ヲ計量シテ之レヲ郡村ニ割賦シ以テ方々此事ノ局ヲ結ヘル者少トセス故ニ最初ニ着手セル者ハ頗ル寛典ニ浴シ中ニ従事セル者稍正当ヲ得終リハ幾ント濫ニ失ス而シテ其稍正当ト称スルモノ又前段述ルカ如ク各地甚タ異ナルノミナラス高低常ナキノ米価ヲ以テ地価ノ本位トナセルモノ也况ヤ其他オヤ当時測定シタル地積未タ必スシモ完然ナラサリシハ某等ノ視聴ニ上ル者已ニ久シ加之当時算出シタル地価ト之ニ比例スル地租ノ如キ頗ル失当ノ者亦多ク未タ三年ヲ出テサルニ早ク已ニ幾多ノ米租怠納者ヲ出スニ至レリ是経済上恐惶ニ依ルトハ言ヘ地価ノ当ヲ得サリシモノ与テ更ニ大ナル原因タラサレハアラス 吾人ハ別ニ明細ナル修正意見表ヲ添付シタルヲ以テ是等地価本位ノ甚タ乱雑ナルハ一見了解セラルヘシト信ス今ヤ運輸交通ノ便大ニ開ケ当時僅ニ数十哩ニ過キサリシ鉄路ハ将ニ正ニ全国ニ普及セントスルニ至リ山間僻地モ都府市街モ甚シク米価ニ高低ヲ示サス加フルニ兌換ノ制確立スル既ニ久シク物価亦安定シ漸ク米価ノ真位ヲ知ルニ難カラサラントスルニ至レリ此ニ於テカ各県ニ於ケル制定的地価ト売買的地価ノ間著キ貴賤高低ノ差瞭然トシテ覆フ可カラス啻ニ覆フヘカラサルノミナラス従来山壑重畳ノ間ニ在テ米価ノ卑賤ナリシ地モ今ヤ鉄路ノ便ニ拠リ忽其価ヲ騰貴シ先キニハ他州ヨリ高貴ニ買入レタルモノモ今ヤ低廉ニ輸入スルニ至リ前者ハ大ニ其地価ヲ騰貴シ後者ハ却テ之ヲ低落セシメ此等相場ノ平均ニ依リ各地交々損益ヲ異ニシ到底当時算定ノ地価乃現行地価ノ甚シキ不平均ニ堪フヘカラサラシムルニ至レリ曩ニ政府ハ特別地価修正ノ挙ヲナセリト雖トモ是レ其尤トモ甚シキ者ニ就テ尤トモ僅カナル救済ヲ与ヘシニ過キスシテ頗ル不充分ナルヲ免レサルナリ若シ夫レ完全ヲ希望セハ此際再ヒ地租改正ヲ施行スルニ如クナシト雖トモ是固ヨリ百年ノ至難事業豈屢々スルヲ得ヘケンヤ且夫レ当時ノ事業今ニ於テ用ユヘカラサルモノ地価ノミ地価ノ本位ハ米価ナリ米価ヤ一時変動アリシモ要スルニ最近五年間ハ殆ント一定ノ進ミヲナセリ盖シ其然ル所以ノ者ハ運輸交通ノ便ニヨリ米ノ需用供給先ツ全国ニ平均スルニ依ラスンハアラス之レヲ以先ツ米価ヲ標準トスルモ甚シキ誤謬ナカルヘシ何トナレハ之ヨリ下ランカ全国共ニ下ラン之ヨリ上ラン全国共ニ上ラン騰貴スルモ低落スルモ同比例ヲ外ルヽコトナカルヘケレハナリ故ニ今日ニ於テハ地価ノ本位タル米価ヲ知ルハ容易ナリ 今日ノ急務ハ新ニ出テ来レル本位ニ従カヒ悉ク全国耕地ノ価格ヲ改算シ以全国均一ノ負担ヲナサシムルニ在リ故ニ吾人ハ恭シテ左ニ請願ス 一 各府県ニ於テ調査シタル最近五年間平均ノ米価ヲ標準トナシ現在各府県耕地ノ地価ヲ改算スル事 吾人カ敢テ此請願ヲ提出スル所以ノモノハ上来論述スルカ如ク正経至当ノ論理アルカ為ナリ謹ンテ精密ノ統計ヲ具シ修正ノ意見ヲ付シテ進達ス冀クハ神聖有力ナル我衆議院貴族院ノ決議ニ付セラレンコトヲ区々ノ微衷肯テ赤心ヲ吐ク 頓首 明治廿四年二月 神奈川県橘樹郡大綱村千弐百六十一番地平民 飯田快三(印) 嘉永五年八月十八日生 同県同郡同村弐百壱番地平民 椎橋宗輔(印) 天保九年十二月廿一日生 同県同郡同村九十四番地平民 吉田徳次郎(印) 万延元年四月一日生 同県同郡同村千九十番地平民 伊東伊輔(印) 文久元年三月十四日生 同県同郡同村四十三番地平民 吉田金作(印) 文久二年四月五日生 同県同郡同村千百十七番地平民 伊東政吉(印) 文久二年六月十五日生 同県同郡同村千百五十六番地平民 吉田喜助(印) 元治元年十月六日生 (飯田助丸氏蔵) (注)大磯町教育委員会所蔵資料に同様のものがある。 一八四 橘樹久良岐都筑三郡地価修正請願費予算決議書 三郡地価修正請願費予算決議書 一 金百参拾六円五拾九銭 支出予算 但橘樹久良岐都筑三郡地租金拾参万六千五百九拾壱円九拾銭ニ割地租金壱円ニ付壱厘宛ノ目的ヲ以テ出金スルモノトシ支出ノ細目左ノ如シ 一 委員手当ハ東京同盟事務所ヘ出頭スルトキハ一日金壱円トシ本会委員会及県下各郡ヘ出張スル手当一日金七拾銭トシ別ニ東京同盟事務所ヘ出張スル旅費ハ汽車料ノ下等ヲ付与ス管内出張旅費ハ一里金八銭ノ積リ 一 雇書記ハ一日金五拾銭小使ハ一日金三拾銭トス 一 借家料ハ一日金壱円五拾銭トス 一 郵電費及印刷料紙墨炭薪其他諸雑費ハ実際支用ヲ要スルモノニ限リ付与スルモノトス 右之通本日委員会ニ於テ決議候ニ付テハ重テ異議無之タメ〓ニ署名捺印スルモノナリ 明治廿四年九月十九日 添田知義印 平沼九兵衛印 佐藤貞幹印 岡重孝印 桜井光興印 井田文三印 田辺新六印 鈴木政右衛門印 (飯田助丸氏蔵) 一八五 地価修正請願運動関係書簡(一-一三) (一) 拝啓時下残暑甚敷候処益々健全奉大賀候 陳者曽テ新聞紙上ニテ御承知も可有之去五月ノ中旬大坂府外十九県連合ニテ大坂ニ於イテ大会ヲ開キ地価修正請願同盟会ヲ組織シ同会ノ決議ニテ去六月ヨリ東京ニ事務所ヲ設ケ各府県ヨリ委員ヲ上京セシメ目下専ラ修正請願ノ方法取調中ノ由ニテ別紙調査表送付有之且同会委員本県下遊説トシテ去日出張有之面会ノ上意見ヲ聞クニ至極請願ノ方針も相当ト存候間本県下ニ於ても各郡ニ加盟者有之就テハ此事タルヤ政党問題ニアラスシテ国民一般挙テ希望スル所ナレハ本郡ニ於テモ同盟いたし度候間不取敢本郡久良岐都築三郡同僚会ヲ開キ篤と御協議申度候ニ付炎暑中甚乍御足労万障御操合来ル廿三日正午十二時ヲ期シ神奈川台田中屋え御来会被下度御案内申上候此段得貴意度如斯ニ御座候 匆々敬具 八月十五日 添田知義 飯田幽谷大兄 別表弐葉御参考之為メ差上候也 (注)別紙別表とも欠。この書簡は明治二十四年八月十五日付のものである。 (二) 拝啓予而御承知も可有之地価修正請願之件大坂府外十九県ニおゐて地価修正請願同盟事務所を設け該所ニおゐて山口県を比例として調査したるに宮城県の如きは最下低にて既に本県の如きは弐倍三分余の増額となり島根岡山等に継き高点の第四に当たり実に驚痛之至にあらすや依之本県下同盟会を設け運動いたし候目途ニ付本県及久良岐都筑の三郡を以同盟会を設置し政府及貴衆両議院へ請願し地租の軽減を貫徹いたし度就而者さし向き加盟者之内町村委員若干名を定め互選ニて常設委員若干名を定め諸務の整理上担当いたさせ候積り該費用は地租金壱円ニ付金三厘以内を以完結の目的ニ付為御承引大字限り御相談被下地租を納むるものは加盟相成候様御尽力之様御依およひ候 匆々不一 二申乍御手数来九月二日まてに成否御回答被下度御依頼申上候 廿四年八月廿八日 飯田快三 金子久林 (三) 拝復時下残暑甚敷益御健勝奉賀候陳者去日ハ失敬ニ候却説御談合申置候地価修正請願同盟人員御報知相成御手数多謝ニ候尚同件ニ付来ル八日三郡設立委員ノ集会ヲ開キ経費ノ予算及ヒ加盟者ノ確定ナシ大会ノ準備等御相談申度ニ付同日午後一時本郡役所ヘ向ケ御来車被下度此段御通知ニ及候也 (注)この葉書は明治二十四年九月五日付飯田快三宛添田知義のものである。 (四) 拝啓陳者去八日集会ノ節貴翰拝誦仕候処目今眼病ニテ御困リ之由嘸々御難義ト奉存候乍併流行眼ナレハ近ク御善愈必然ノコトト存候扨当日ノ集議ニ予算相定目下印刷中ニ有之候三郡大会ハ来ル十七八日頃開会ノ手配ニ候別段異論者無之決定いたし候委細ハ両三日中ニ印刷物御送付ノトキ可申上候右当用如斯ニ候也 (注)この葉書は明治二十四年九月十日付飯田快三宛添田知義のものである。 (五) 拝啓陳ハ昨日出京請願書ハ今五日奉呈相済就テハ地価修正問題来ル八九両日頃ハ衆議院ノ討論ニ相成候由ニ付来ル八日御傍聴ヲ兼一方事務も有之ニ付一両日滞在候積リニテ御出京相成度如何れ郡長送迎会ニ委細可申尽候也 十二月五日 (注)この葉書は明治二十四年十二月五日付飯田快三宛添田知義のものである。 (六) 拝啓陳者兼テ御心配被下候地価修正問題之義去十八日以来廿五年度予算ノ議事ニ取掛リ跡廻シト相成甚不都合ニ付修正派ノ代議士ヨリ緊急動議ヲ提出致サセ漸ク問題トナリ昨廿一日第二読会ノ議事ヲ開クコトニ決定シ昨日午後一時ヨリ開儀セシニ天春又衛提出案ニ大多数ニテ第二読会ヲ可決シ尚引続第三読会則チ確定議ヲ請求セシニ之レモ大多数ニテ決定シ衆議院ハ修正ノ事ニ確定セリ之レ実ニ天下国民ノ希望昨日ニシテ貫徹シ輿論ノ勢力恐ルヘシ右ニ付不取敢今廿二日修正派各府県ノ委員打寄祝宴ヲ江東中村楼ニテ相開キ候筈ニ有之就テハ各府県ノ出京人ハ弐百名モ有之然ルニ我カ県ノ委員及ヒ出席人ハ僅々弐三名ニテ如何ニモ我県下ノ恥辱ニ有之殊ニ此祝宴ハ貴族院議員諸君ニ対シ示威運動ニテ修正派ノ勢力ヲ輝シ一ノ策略上ニ有之故ニ可成多数ノ出席ヲ望ミ且大祝宴ヲ開ク義ニ付歳末御多忙トハ存候得共是非御繰合午後二時まてニ御来会被成下度右等ノ手配之為メ拙者昨夜終列車ニテ帰宅シ夜中各所ニ急書ヲ発セシ次第ニ有之夫是御酌量御出席之程偏ニ奉願候右当用取急キ書外尚可申述候 匆々不一 十二月廿二日 知義 飯田快三殿 (注)この書簡は明治二十四年十二月二十二日付のものである。 (七) 拝啓陳者去廿五日ハ突然衆議院ノ解散ニテ実ニ意想外之大英断ニテ恐愕之至ニ御座候地価修正一件も漸々下院ノ議決ヲ経テ貴族院ノ通過ヲ望ミ居候所今回ノ解散ニテ尽力も水泡ニ属シ甚タ遺憾之事ニ候乍併国民輿論ノアル所ヲ示シタレハ第三期議会ニテモ必ス可決スルモノト存候扨今回之解散ニ就テハ後任代議士ノ選挙之レナリ実ニ此度ハ篤と御相談ノ上ニテ人選いたし度候夫是来一月五日新年宴会之節御協議いたし度候且地価修正一件継続之義も有之旁同日ハ万障御繰合午前十時まてに御出席被下度御依頼申上候此義他ノ諸氏ヱも御通知申置候右者当用まて書外来春拝眉方々可申尽候 草々不悉 十二月廿八日 知義 飯田賢兄貴下 (注)この書簡は明治二十四年十二月二十八日付のものである。 (八) 拝啓陳者地価修正問題ノ世論ニ上リシ以来吾同盟府県ノ有志ハ東奔西馳日モ亦足ラス遂ニ衆議院ニ於テ大多数ノ決議ヲ為スニ至リ候段素ヨリ地価修正其モノヽ正理公論タルニ職由スルハ論ヲ俟タス候得共抑モ亦偏ニ有志諸君カ敢為勇進万艱ヲ凌キ百難ヲ排シ辛苦経営シタルノ結果ナリト相信シ候今ヤ一朝衆議院解散ノ不幸ニ遭遇シ為メニ地価修正事業ノ大成ヲシテ遅緩ナラシメタルノ憾ナシトセサルモ是レ畢竟政海ノ常態亦深ク憂トスルニ足ラサル義ト存候吾同志ハ倍々進ンテ不撓不屈ノ精神ヲ鼓舞シ誓テ此目的ヲ貫徹スヘキハ敢テ不肖等ノ言ヲ俟タサル所ナリト被存候而シテ其目的ヲ貫徹スル更ニ次期代議士撰挙ノ結果奈何ニヨリ予テ他日ノ成否ヲトスルニ足ルヘク諸君カ国家ノ為メ多年ノ宿望ヲ達シ尽瘁竭力スヘキ緊要ノ時機ナリト存候其代議士撰挙ノ結果ニシテ依然前会ノ如ク吾修正派ノ議員多ク勝ヲ占メンカ実ニ慶賀ノ至ナリト雖モ若シ不幸ニシテ反対者ノ勝利ニ帰センカ吾修正派カ既往幾多ノ経営ト将来多望ノ目的トハ忽チ蹉躓ノ厄運ニ罹リ国家ノ為メ痛惜悲哀ノ境遇ニ沈淪セサル可カラサル義ト焦心苦慮ニ不堪候是レ諸君カ目下寸時モ軽忽ニ看過スベカラサル最要緊急ノ時機ニシテ素ヨリ夙ニ深慮画策相成候義タルハ申迄モ無之候得共此上一層御尽力ヲ賜リ度〓ニ同盟府県評議委員会決議書御配付ニ際シ聊カ一言ヲ添ヘ得貴意候草々敬具 明治二十五年一月 板東勘五郎 木村誓太郎 秋岡義一 飯田快三殿 (九) 拝啓陳者本月五日宴会之節御相談申候地価修正請願費第二回御出金之分来ル廿七日郡役所会同之節御持参被下度此段及御依頼申候也 一月廿四日 (注)この葉書は明治二十五年一月二十四日付飯田快三宛添田知義のものである。 (一〇) 拝啓陳者第三期帝国議会ヱ地価修正問題提出スルコトニ決定致右ニ付来五月一日午後一時ヲ期シ江東中村楼ニ於テ各府県同盟者ノ大会ヲ開キ輿論ノ大勢ヲ示シ貴衆両院之賛成ヲ得今回ハ是非実行ヲ得度就テハ可成多数ノ出席ヲ希望スル義ニ有之候間乍御多忙御繰合必ス同日御来会被下度奉仰候殊ニ山田等ニ対シテも本郡熱望ノ示威ヲ知ラシムルモ大ニ将来ノ策ト存候間夫是御出席被下度候此義椎橋其他ヱも御通知被下可成多数ノ御出頭奉関待候右得貴意度御通知旁如斯ニ御座候草々不一 四月廿五日 添田知義 飯田快三様 貴下 尚々子安中原両氏エも出席ヲ仰キ望候也 (注)この書簡は明治二十五年四月二十五日付のものである。 (一一) 拝啓地価修正同盟者大会之儀五月一月開会之処都合ニ依リ同月五日午後一時ヨリ東京市江東中村楼ニ相開キ候条御来会被成下度此段得貴意候也 四月二十八日 在東京 添田知義 (注)この葉書は明治二十五年四月二十八日付飯田快三宛のものである。 (一二) 拝啓陳者兼而御通知申置候地価修正一件目下単行並行ノ二論ニテ実ニ緊要ノ場合ニ付明後五日江東中村楼大会ニハ是非御繰合御来会被成下度重而御通知申入候也 五月三日 (注)この葉書は、明治二十五年五月三日付飯田快三宛添田知義のものである。 (一三) 拝啓陳者今十四日地価修正問題大多数ニテ衆議院確定ス此旨同盟諸氏ヱ御通知相成度不取敢御報告申入候也 五月十四日 后六時 (飯田助丸氏蔵) (注)この葉書は明治二十五年五月十四日付飯田快三宛添田知義のものである。 一八六 地価修正請願書 地価修正請願書 神奈川県 謹テ一書ヲ貴族院議長侯爵蜂須賀茂昭殿閣下ニ呈シ地価修正ノ義ヲ請願ス 抑我国現制地価ノ不権衡ニシテ地租負担ノ偏重甚タ失衡アリ之レヲ矯正シ公平均一ニ期セシメンコトヲ企図スルハ天下国民輿論ノ唱道スル所之レカ是非ヲ喋々セザルモ大勢ノ嚮フ所復タ動スヘカラザル定論ナリ故ニ第一期議会以来地価修正ノ必要ヲ請願スル府県二十有七ノ多キニ至ル已ニ其上願書ヲ呈スルコト四回ニ及フ殊ニ昨年第四期議会ノ開会ニ臨ミ該修正法案ノ提出ヲ政府ニ懇願セシニ現内閣ハ此問題ニ就キ国民輿論ノ大勢ト衆議院可決ノ経歴トヲ考ミ地租ノ偏重ニ失スル部分ニ限リ修正ノ必要ヲ認メラレ田畑特別修正法案ヲ提出セラレ之レト同時ニ内閣総理大臣ハ開会ニ臨ミ第一ニ施政ノ方針トシテ演説ニ曰ク国家経済ノ発達ヲ図ル政策ノ一著手トシテ此ニ農民ノ負荷スル田畑地価ノ偏重失衡ノ甚シキモノヲ低減セントス抑モ地価ノ均一ヲ欠ケルハ独リ民間ニ於テ物議アルノミナラス政府ニ於テモ亦夙ニ其偏重アルヲ憂ヒ常ニ其調査ニ怠ラザリシ而シテ今ヤ其結果トシテ将ニ之レヲ決行セントスト公示セラレタリ之レ現内閣カ国民ニ対シ意志ヲ発表シ改租以来十有八九年ノ久シキ最大困難ヲ感ズル偏重負担ノ疾苦ヲ免レシメ我国ノ地租ヲ公平均一ニ期シ恩ニ感ジ怨ニ泣クノ民ナカラシメントノ主意ヲ以テ該法案ヲ提出セラレタルヤ明ナリトス其当時我々農民等ハ始テ積年ノ宿望ヲ達スルノ時至レリト心竊ニ感喜仕貴衆両院ノ決議如何ンヲ待ツニ衆議院ハ前例ニ依リ忽チ大多数ニテ可決セラレタルニ豈計ラン貴院ニ於テハ之レニ反対セラレ其理由ヲ聞クニ目下社会殖産工業進歩発達ニ際シ鉄道ノ布設港湾ノ修築運輸交通ノ便治水ノ改修等其他専ラ起工経営ノ時ニ当リ現制地価ヲ修正スルモ今後数年ヲ出デズ運輸交通ノ変遷ニ依リ物価ノ高低ヲ来タシ再ヒ地価ノ異動ヲ生スルトノ懸念ヲ懐カレ特ニ国防軍備ノ不完全ナル今日国家経済ノ財源ヲ減縮シ地価ヲ修正低減スルカ如キハ大計ヲ誤リタル不政策ナリトノ見解ヲ下シ終ニ本案ハ否決ノ不幸ニ遭遇シ我々農民等ノ渇望ハ空シク消滅シ実ニ悲歎ニ堪ヱザル所ナリ然レトモ本問題タル第一期議会以来毎期請願書ヲ呈シ修正ノ必要ヲ詳細列記縷陳セシ如ク輿論ノ大勢必成ヲ期セザレバ飽マデ止マラザル決心アルハ昭明スル所ナリ又政府モ夙ニ地租ノ偏重アルヲ憂ヒ之レカ低減ヲ決行センコトヲ怠ラザリシト公言シ務メテ国民ノ疾苦ヲ免除センコトヲ望マルヽニ拘ラス独リ貴院ニ於テ反対セラレタル理由ハ甚タ了解ニ苦ム所ナリト雖モ是又国家前途ヲ思ヒ今後世態ノ変遷ト共ニ地価ノ異動ヲ生スヘク且国庫財源ニ乏シク新税ヲ起サヽレハ決行スルコト難シトノ判断ヲ付セラレ勢ヒ爰ニ至リシモノト推考セシモ如何ンセン積年国民ガ苦心ノ感害ヲ除カント欲シ挙テ必成ヲ熱望スルノミナラズ抑又一国租税法ニシテ同一物ニ偏重偏軽アルハ第一我国税法ノ根元ヲ誤リタル一大欠点ニシテ此不正不利ナル税法ヲ現存シ置クハ政事上甚シキ失体ニシテ之レカ改良矯正ヲ計ルハ何人ノ責任ソヤ之レ今日立憲政度ヲ執行スル権利アル議員諸君カ当然尽スヘキノ職務ナルヤ論ヲ俟タズ况ンヤ現在国庫多額ノ剰余金アリテ正ニ之レカ処分ノ方法考案中ナリト聞ク此時ニ当リ地価ノ低減ヲ成スハ最モ時機ヲ得タル所ニシテ若シ此機ヲ失シ他日之レヲ求ムルノ時アルヤ否決シテ之ナキノミナラズ目下緊急重大ノ問題ナレハ閑慢ニ付シ置カ如キハ憲法ノ御主意ニ悖リ立憲政ノ大ナル汚点ト言フモ敢テ過言ニアラス依之本年議会ニ於テ速ニ修正法案ヲ可決セラレ農民ノ疾苦ヲ除却シ始メテ立憲政ノ美挙ニ浴セシメラレンコトヲ希望ノ至リニ堪エス若シ然ラズ又モ第四期議会ノ如ク否決ノ不幸アリタルトキハ我々ニ於テモ決心スル所アリ第一期議会以来已ニ四箇年ノ星霜ヲ経テ請願五回ニ及ブ其間専ラ謹身着実ヲ旨トシ哀願ヲ成スモ其意徹底セザル以上ハ本年ノ議会ニ対シ覚悟ナカルベカラズ是皆ナ修正法案ニ重キヲ置クノ結果ニシテ或ハ行政ノ進路ニ就キ国家ノ治安ヲ害スルノ挙動アルヤモ難計此問題ニ対シ国民ノ輿論最早積極的ニ進ミ必成ヲ期シテ止マザレハ伏テ願クハ賢明ナル議員諸君能ク此民情ヲ視察セラレ本年ノ議会ニ於テ必ス修正法案ヲ可決セラレ畏クモ〔賦ニ厚薄ノ弊ナク民ニ労逸ノ偏ナカラシメトノ〕 上諭ニ背カス速ニ施行ニ至ランコトヲ某等懇願ノ至リニ堪ヱス誠惶頓首再拝 (添田茂樹氏蔵) (注)本資料は明治二十六年のものと推定される。 一八七 地租増徴案反対請願書 非地租増徴請願書 今ヤ第十三議会ニ際シ政府ハ三十二年度歳入予算ニ地租ヲ百分ノ四ト為ス増徴案ヲ発セリ熟ラ考フルニ帝国ノ財政ヲシテ今日ノ困備ヲ誘致セシハ第九議会ニ軍備拡張ヲ過大ニ失シタルニ基因ス実ニ世界ニ名誉ヲ顕彰スヘキ戦役ハ却テ国家ノ疲弊ヲ来タシ列強ノ侮辱ヲ速クノ非運ニ陥ル之レ当時ノ為政者ニ確乎不抜ノ見識無カリシト軍人跋扈僣越ノ行為有リシトニ帰ス要スルニ軍備ヲ国力ト民度トニ照応シテ宜ク之ヲ緊縮スルニ非ラサルヨリハ総テノ増税ハ終ニ焦石ニ水ヲ注クト一般財政ノ整理ハ言フヘクシテ其実ヲ収ムル能ハサルヘシ殊ニ兵員ヲ倍加シタルモ地租ヲ増徴スルモ共ニ比較上農民ノ負担ヲ加重ナラシムルコトハ輿衆ノ認ムル所ナリ然ルニ当局有司等天下ニ告白シ能ハサル私情ノ為メニ若シ誤テ此際地租増徴案ヲ通過スル如キアラハ只ニ農民ヲ疾苦ニ擠ルヽノミナラス終ニ帝国ノ体面ヲ汚損スル莫キヲ保スヘカラス是レ偏ニ地租増徴ヲ非トスル所以也冀クハ貴院ニ於テ速カニ地租増徴案ヲ否決セラレンコトヲ敢テ情ヲ陳シ謹テ請願候也 明治三十一年十二月 神奈川県武蔵国都筑郡 中里村大字下谷本 吉浜一作(印) 飯田七蔵(印) 飯田伊兵衛(印) 飯田金兵衛(印) 飯田隼次郎(印) 飯田国蔵(印) 飯田元右衛門(印) 飯田嘉平次(印) 飯田新次郎(印) 広田政五郎(印) 広田角右衛門(印) 広田駒吉(印) 広田仙蔵(印) 広田甚吉(印) 広田房吉(印) 安藤力蔵(印) 広田万太郎(印) 飯田由兵衛(印) 飯田佐兵衛(印) 飯田又市(印) 飯田清五郎(印) 飯田良治(印) 飯田廉之助(印) 飯田来蔵(印) 飯田藤三郎(印) 飯田万蔵(印) 飯田初五郎(印) 飯田伝蔵(印) 飯田槇蔵(印) 飯田政右衛門(印) 飯田喜太郎(印) 小島要蔵(印) 小島兼吉(印) 小島源助(印) 内野秀次郎(印) 内野岑吉(印) 内野熊蔵(印) 吉浜島吉(印) 鈴木乙八(印) 谷本与市(印) 中島□治郎(印) 中村仲治郎(印) 中島平治郎(印) 中嶋仙太郎(印) 中嶋米蔵(印) 中嶋鉄五郎(印) 加藤甚太郎(印) 徳江太市(印) 柳下三津五郎(印) 柳下半蔵(印) 小嶋四方蔵(印) 吉浜源次郎(印) 柳下力蔵(印) 吉浜平右衛門(印) 加藤今蔵(印) 徳江竹蔵(印) 徳江兵右衛門(印) 加藤新五郎(印) 吉浜太郎衛門(印) 鈴木徹蔵(印) 吉浜太郎吉(印) 吉浜玉次郎(印) 岡村初五郎(印) 吉浜増五郎(印) 吉浜恭三郎(印) 吉浜房吉(印) 吉浜文吉(印) 吉浜常吉(印) 吉浜亦次郎(印) 吉浜藤□□(印) 吉浜八左衛門(印) 岡村庄蔵(印) (吉浜俊彦氏蔵) (注)都筑郡中里村鉄金子利右衛門他六十二名から提出された十二月二十日付の同文の「請願書」がある。 一八八 田畑地価修正請願書 田畑地価修正ノ請願 我国田畑地価ノ制タルヤ明治八年政府カ地租条例ノ法律ヲ発布シ田畑土地ノ丈量地位ノ瘠肥収穫ノ多少ヲ調査シ米価ノ平均額ヲ以テ地価地租ヲ定同九年始テ我国地租ノ税法ヲ実行シタルモノニテ其調査方法ニ至リテハ同一ノ規定ニ出テタリト雖モ各府県自ラ偏重偏軽アリ税率ノ重キニ失スルモノ不少殊ニ関東西ノ府県ノ内甚シキ等差アルヲ発見シ明治弐拾三年十一月帝国議会ノ開クルヤ関西大坂三重徳島ノ府県有志主唱者トナリテ田畑地価修正ノ義ヲ唱ヘ全国ノ府県ニ檄ヲ伝ヘ之ヲ遊説シ我県ノ如キモ之レニ同意ヲ表シ地価修正期成同盟会ヲ起シ之レニ応スルモノ弐府弐拾三県ノ多キニ達シ〓ニ於テ貴衆両院ヘ請願書ヲ提出シ修正ノ貫徹センコトヲ望ミ我カ県モ之レニ賛成ヲ表シ余ハ此事ニ関シ自力県下各郡ニ遊説シ一同ノ賛成ヲ得テ各郡二三名ノ代表者ヲ横浜ニ招集シ大会ヲ開キテ決議実行ヲナサンカ為メ各郡ニ委員若干名ヲ選出セシメ請願ニ対スル事務ヲ担任セシメ議会開会中滞京ノ事務所ヲ設ケ之レニ合宿シ運動ニ要スル経費ハ各郡ノ地価ニ応シ支出セシメ自分ハ各郡ノ推選ニ依リ本県代表委員長トナリ毎議会ニ出京滞在ヲナシ政府及貴衆両院ニ迫リ請願書ヲ提出スルコト五回ノ多キニ至ル其他関東西各府県ノ本問題ニ対スル状況ノ巡視ヲナシ奔走尽力セシコト五ケ年ノ久シキニ渉リ終ニ願意貫徹シ政府モ之レニ同意ヲ表シ両院ノ決議ヲ経テ弐拾七年ニ於テ特別地価修正ノ法律ヲ発布セラレ本県ニ於テ地租額金四万有余円ノ減租トナリ此余沢ヲ蒙リシハ我県民ノ幸福ト言フヘシ之レヲ要スルニ本問題ニ就キテハ余カ多年屈セス耐マス勤励ヲ尽セシ効果預テ力アリト言フモ敢テ過言ニアラス (「添田知義履歴公共事業概略」添田茂樹氏蔵) 第四章 日清日露戦争と地方政情 第一節 日清戦争の協力組織 一八九 日清戦争下の橘樹郡の動向(一-一三) (一) 『○』朝鮮事件ニ付義勇兵ヲ組織スルコト 義勇兵募集委員ハ一郡ニ付廿名以下ヲ置クコト 募集ノ義勇兵ハ委員ヨリ藤沢丸山神奈川県青年会事務所ニ通知スルコト 義勇兵費ニ充ツル為メ有志者ノ義捐金ヲ募集スルコト 但シ義勇兵募集委員ニ委托スルコト 募集ノ期限ハ本月二十日限リトス 上京委員七名ヲ撰定シ直ニ各大臣ヲ訪問セシムルコト 右ノ如ク七日ノ大会ニ於テ議決致シ貴君ヲ募集委員ニ撰定仕候間国家ノ為メ奮テ御尽力被成下度御通知申上候敬白 七月四日 神奈川県青年会 飯田快三殿 (二) 橘庶第千六百三十五号 今般朝鮮事件ニ関シ各地方有志者ヨリ義勇団隊等ヲ組織シ一朝事アルニ際セハ従軍ノ上国民ノ義務相尽シ度旨ヲ以出願候モノ有之候処右ハ其意志ハ嘉スヘク儀ニ候ヘトモ既ニ政府ニ於テ夫々準備有之ニ依リ採用相成カタキ筋ニ有之候旨其筋ヨリ通牒有之候条右出願者有之候ハヽ此旨示諭可有之此段及移牒候也 明治廿七年七月十日 橘樹郡長 安達安民印 大綱村長 飯田快三殿 (三) 出師達第壱号 大綱村役場 廿四日午后五時発令第一師団〔三二〕ノ充員召集ノ令アリ 明治廿七年七月廿四日午后十一時四十分発ス 神奈川県橘樹郡長 安達安民 (四) 警報 廿四日午后五時発令第一師団要塞砲兵第一連隊充員召集相成候事 明治廿七年七月廿五日午前一時廿五分着報 大綱村役場 号外 去ル廿三日午前八時大鳥公使参内ノ途中韓兵我ニ発砲シタルニ因リ我之ニ応戦数分間ニシテ韓兵遁走シ公使無事参内兵器ヲ取上ケ且王城ヲ守備セル由其筋ヨリ内報有之候条一応及内報候也 明治廿七年七月廿五日 橘樹郡長 安達安民印 大綱村長 飯田快三殿 (六) 明治廿七年七月廿五日 ○宿直吏員心得書ヲ左ノ如ク記ス 充員召集ニ対シ左ニ 郡長ヨリ令達アリタルトキハ速ニ警報ニ所要ノ記入ヲナシ予定ノ場所ニ掲示スヘシ而シテ予定脚夫ヲ召喚スルノ暇ニ左ノ件々ヲ執行シ一面ニハ村長若クハ助役ノ出頭ヲ求ムヘシ ○召集令達ヲ名簿等ニ照較スルコト ○同令状符号ニ応シテ引出シ令状面ニ発令ノ年月日時ヲ記入スルコト ○旅費支給場日時告知書ノ召集旅費支給日時ノ区画ニ月日時ヲ記入スルコト 但令状配達後凡五時間ヲ経過セシ時刻ヲ記入スヘシ 一 近衛師団充員召集ニ付テハ令状裏面ニ記スヘキ集合地参著時間ハ発令ノ日ヨリ七日ノ午前九時トス 一 召集兵員ハ召集部隊及住所姓名ヲ予定ノ場所ニ掲示スヘシ 一 疾病犯罪其他ノ事故ニテ召集ニ応シカタキモノヽ届書ハ配達後三日以内ニ郡長ニ送付スヘシ 但本人ヨリノ届ハ令状受領後廿四時間以内ニ差出シ病気ハ医師ノ診断書ヲ添付スヘシ 一 郡長ヨリ令状着報ノ日時及脚夫出発ノ日時配達済帰著ノ目的ヲ詳細記シ置クコト (七) 出師達第二号 大綱村役場 廿六日発令横須賀鎮守府所管海軍予備役後備役等士卒召集ノ命アリ 明治廿七年七月廿六日午前六時 郡長 (八) 献納金申出書 一金拾円也 右ハ今般軍資金トシテ献納仕度候間御採用相成度候也 本籍神奈川県橘樹郡大綱村 北綱島千弐百六十一番地 現住同上 平民 明治廿七年七月 日 飯田快三印 陸軍恤兵監陸軍騎兵中佐大蔵平三殿 右当村内ニ現住スルコトヲ証明ス 橘樹郡大綱村長 飯田快三 (九) 『橘樹郡告示第弐拾八号』 要塞砲兵第一連隊充員下令ニ付徴募事務中止候旨第一師団長ヨリ通知有之候赴其筋ヨリ達アリタリ 明治廿七年七月三十日 神奈川県橘樹郡長 安達安民 (一〇) 出師達第三号 大綱村役場 三十日午前九時三十分発令第一師団第一充員召集ノ令アリ 明治廿七年八月三十日午後三時発 橘樹郡長 安達安民 (一一) 出師達第四号 大綱村役場 三十日午前第九時卅分発令第一師団後備軍召集ノ令アリ 明治廿七年八月三十日午後三時 郡 長 (一二) 第一充員召集及予後備軍 金子梅七郎 永島市蔵 加藤角次郎 金子鶴吉 磯部弁蔵 加藤助五郎 佐藤七蔵 横溝栄太郎 横溝喜八 杉山金蔵 前川繁蔵 横溝伊三郎 〆 十二 (一三) 証 一金五円 右ハ今回日清開戦ニ際シ貴息某氏従軍慰労金トシテ書面ノ金額贈与致シ候御領収相成候ハヽ本懐ノ至ニ候匆々不宣 明治廿七年九月 日 橘樹郡大綱村 恤兵会代表者 飯田快三印 某殿 『○現役及予後備役ノモノヘ金額ヲ遣ス例文』 (「忘備録」飯田助丸氏蔵) 一九〇 戦時軍人家族扶助規程 戦時軍人家族扶助規程 第一条 扶助金ヲ贈与スベキモノハ本会規則第三条第三号ノ家族ニシテ他ニ扶助スルモノナク自活シ能ハザルモノニ限ル 第二条 自活シ能ハザルモノト認ムベキモノ左ノ如シ 一 六十歳以上拾五歳以下ノモノ 二 拾五歳以上六拾歳以下ナルモ疾病其他ノ為メ専ラ他ノ扶助ヲ要スル事故アルモノ 第三条 扶助金ハ一人一日ニ付金五銭ツヽトス但疾病其他ノ事故ニテ医薬看護等ヲ要スル事情アルモノニハ金七銭マテ増与スルコトヲ得 第四条 二十歳以上五拾歳以下ノ健康男子アル家ハ該男子一人ニ付二人ヲ扶助シ得ルモノトシ此二人ニ対シテハ扶助金ヲ贈与セザルモノトス但前条ノ但書ニ該ルモノアルトキハ一人ニ付金四銭以内ヲ贈与スルコトヲ得 第五条 拾七歳以上四拾五歳以下健康女子アル家ハ該女子一人ニ付一人ヲ扶助シ得ルモノトシ此ノ一人ニ対シテハ扶助料ヲ贈与セザルモノトス但戸主ニシテ召集ニ応ジタルモノヽ妻ハ此ノ限リニアラズ 前条ノ但書ハ本条ニモ適用スルモノトス 第六条 土地〔宅地ヲ除ク〕ヲ所有スルモノハ該地価額ノ一割収益アルモノト見做シ之ヲ扶助金ノ内ヨリ扣除スルモノトス但シ負債アルトキハ該利子ニ相当スル金額ヲ差引スルモノトス 第七条 本規程ニ依リ算出スル所ノ扶助額ヲ実際各自貧富ノ程度ニ照シ不相当ト認ムルモノアルトキハ委員会ノ決議ニ依リ扶助額二分ノ一以内ノ金額ヲ増減スルコトヲ得 第八条 特別ノ事情アリテ本規程ニ依リ難キモノハ委員会ノ決議ヲ以テ別ニ之ヲ定ムルモノトス (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) 一九一 足柄下郡下軍人困窮家族救済に関する件通達(一-二) (一) 甲第六四三号 日清事件ニ関シ従軍者ノ家族ニシテ生計上難渋セル向救護ノ儀ニ就テハ客年来有志者ノ義挙ヲ以テ適宜ノ方法ヲ設ケ救護ヲ与フルノ実況ニテ実ニ好都合ト被存候然レトモ荒涼ノ村落等ニ於テハ有志者ノ義捐金等其額寡ナキカ為メ或ハ救護方行届兼為メニ飢餓ニ迫マル者有之ニ於テハ他ノ救護充分ナルモノニ比シ彼是厚薄ノ差アルノミナラス従軍者ヲシテ後顧ノ憂アラシムルカ如キ事有之候テハ折角ノ美挙モ其効ヲ全フシ得サル儀ニ付是等ハ十分注意視察セラレ有志者ヲシテ救済ノ方法ヲ設ケシムル様勧告シ専ラ救護方厚薄ノ差無之一般普及ヲ期シ候様致度就テハ前述ノ如ク主トシテ有志者ノ義挙ニ依ルヘシト雖トモ義捐金等ニシテ不足ヲ告ケ又ハ他ニ救済ノ途無之場合ニ際シテハ篤ト其実況ヲ査察シ詳細ノ事情申報相成度其筋ヨリ通牒ノ趣有之候間比段申入候也 明治二十八年三月十三日 足柄下郡役所(印) 仙石原村長 勝俣沢次郎殿 (二) 甲第二四三一号 日清事件従軍者未亡人慰籍等ニ関シ別紙ノ通土方亀子外四名ヨリ申出有之候処右ハ特別ノ儀ニ有之且女子教育上奨励ノ一助ニモ可相成趣ヲ以テ該当者ノ事績等取調方其筋ヨリ申越ノ次第有之候間可成詳細取調ノ上来ル九月八日迄ニ御取調相成度此段申入候也 明治廿八年八月廿七日 足柄下郡役所(印) 町村長御中 (別紙) 一翰拝呈仕候時下薄暑の砌に候得共愈御清適御奉務の段欣賀之至に御座候陳は今般私共申合せ瓜生会と申す会同を催し候処其主意たるや客年来清国御征討の挙は古今未曽有の御大業にして御国民一般貴賤男女の別なく各其分を尽し 皇恩の万分一に報せしこと今更喋々する迄も無之就中陸に海に一身を擲ち酷熱祁寒を冒し激浪怒潮を凌ぎ奮撃突戦以て大捷の効を奏したるは 天皇陛下の御稜威に頼るは申上る迄もこれなく候ヘ共亦能く軍人の本分を守り忠愛赤情の效す所と感銘の外他事無之将又右等軍人の妻にして良人出征後夙夜懈らす善く家政を齊へ更に内顧の憂なからしめしに不幸にも其良人敵の弾丸鋒刃に斃れ或は病魔厲鬼に犯され一朝不帰の客となりたるも尚能く婦道を守り貞操節義の行為あるものゝ如きは私共女性の常□悼の情に堪えさる義に候へは今回本会に於て其事績を輯め剞劂に付して冊子と為し之に紀念織〔此の品は恐れ多くも 皇后宮陛下を始め女官貴婦人方宮中に於て御調製相成りたる繃帯の屑布を土方亀子より御下付の義出願に及び特に御允可を蒙り是を原料となし織上けたるものにして此考案は岩代国出身の瓜生岩子と申す老媼にて数十年来孤独の教養又は廃物利用の講究に一身を委ね頗る奇特なる者の工夫に出て敢て美麗なるものには無之候得共他に講買す可らざる特種のものにて永く紀念にして子孫に遺さしめんとするものにて有之候〕を添へ右未亡人に贈与し聊か哀悼の情を慰め併て淑徳を江湖に彰表せしめんとするに在り然る時は後世婦女の亀鑑ともなり亦以て女子教育上奨励の一助にも相成申へくに付既に事績輯集に着手候ヘ共何分各地方に渉り弘く取調の事故本会の微力行届兼候事情も有之万一にも杜撰偏頗に流れ候様の事有之候ては本人の不幸は申迄もなく私共に於ても実に千載の遺憾に候得は御公務御繁忙ノ際何共恐入候へとも微意の在る所御洞察の上御治下市郡区在住軍人の未亡人中右ニ適する者有之候はゝ其事実御取集め御報道被成下候様願上度右御聴許御賛助被成下候はゝ海岳難有仕合に奉存候右懇願迄草々如斯に候敬具 明治廿八年八月九日 土方亀子 大山捨松 三島和歌子 樺山登茂子 西郷清子 追て本文の外家族中出征者の有無を問はす婦女子にして他の模範ともなるべき善行ある者は本文に準し取扱候筈に付同様御報知願上度尚亦原稿は東京下谷区上根岸町百十四番地瓜生会事務所宛御送付被成下度此段添て願上候也 (仙石原村役場「郡甲号達」(明治二八年)箱根町役場蔵) 一九二 愛甲郡下軍人家族救護に関する件通達 軍人家族救護ニ関スル件 軍人家族ノ救護ニ関シテハ各位ノ指導其宜シキヲ得郡内各町村殆ント救護団体ノ設立ヲ見ザルナキニ至リ到ル処出征者家族ヲシテ郷党相扶ノ情誼ニ浴セシメツヽアルハ洵ニ欣喜ニ堪ヘサル所ナリ盖シ陸海ノ連捷ハ是等ノ郷党ノ情誼ヲシテ出征軍人ニ後顧ノ患ナカラシムルモノ与ツテ力アリト云フヘシ然ルニ若シ戦役ノ弥久ニ倦ミ救護ヲ怠リ出征軍人ノ労苦ヲ忘ルヽカ如キコト之レアルニ於テハ独リ情誼ニ反スルノミナラズ事士気ノ興廃ニ関シ容易ナラサルヲ以テ各位ハ常ニ救護団体ノ施設ニ留意シ益々周密督励ヲ加ヘ以テ苟モ救護ニ遺漏ナキヲ期セラレンコトヲ切望ス又現金ノ給与ハ弊害ヲ生シ易ク且救護ニ多額ノ資金ヲ要シ到底持久ノ方法ニアラサレハ曩ニ屢々訓示スル所アリト雖トモ各町村ノ状況今尚現金給与ヲ主トシ生業扶助ノ如キハ偶々農村ニ於ケル耕耘助力ノ外之レアルヲ見ズ是畢竟其施設ヲ難ンシ単ニ現金給与ノ易キニ依ルモノナルヘキニ生業扶助ハ固ト業務ヲ授ケ以テ自栄ノ途ヲ得セシムルニ在リテ必シモ授産場等ノ特種ノ施設ヲナスニアラサレハ其救助ノ施行スルコト能ハザルモノニアラズ各地其状況ニ応シ其方法ヲ案ズルニ於テハ其施設ヲ見ル敢テ難キニアラサルベシ既ニ官報ニモ其ノ事例ノ登載少カラズ各位ニ於テハ固ヨリ深ク〓ニ留意セラルル所ナルベシト雖トモ戦局ノ終了未タ予メ期シ難ク殊ニ其救護ヲ要スル家族弥多キヲ加フルノ今日徒ラニ現金給与ヲ主トスルガ如キハ啻ニ救助本来ノ旨趣ニ副ハサルノミナラズ前途頗ル憂慮ニ堪ヘサルニ付此際一層奮励シ以テ生業扶助ノ実効ヲ挙ケシメンコトヲ努メラレンコトヲ望ム (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) 一九三 愛甲郡下軍人遺族特別賜金に関する件通達 軍人遺族特別賜金ニ関スル件 陸海軍人其他ノ遺族ニ対スル特別賜金ノ保管方法ニ関シテハ客年来屢々令達スル所アリタリ今ヤ時局ノ進行ト共ニ特別賜金ヲ受クル者頗ル多キヲ致シ全国ニ於テハ已ニ其交付手続ヲ了シタルモノ陸軍海軍併セテ一万五千余人其金額七百八十余万円ニ達シ而モ是レ下賜金ノ受クヘキ予定人員ノ半ニ達セスト云フ随テ本郡ノ如キモ将来其金額ノ益巨額ニ上ルヘキハ之ヲ推知スルニ難カラス惟フニ特別賜金ノ保護ハ一ニ遺族ヲシテ死没者ノ功労ニ対スル恩典ヲ長ヘニ保存セシムル所以且ツ之ヲ個人ニ取リテハ少額ニ止ルモ之ヲ聚ムレハ則チ巨額ニ達スルヲ以テ独リ遺族ヲシテ其恩沢ニ浴セシムルノミナラス受賜者モ亦之ヲ善用スル時ハ殖産興業ノ資トナリ其国家ニ貢献スル所ハ又極メテ尠カラサルモノアラン此故ニ一般経済ノ上ヨリ之ヲ考慮スルモ其濫費ヲ避ケシムルト同時ニ其ノ保護ヲ確実ナラシムルハ極メテ刻下ノ要務タルヲ信ス然ルニ頃日聞クトコロニ因レバ町村等ニ於ケル保管保護方法全ラサルモノアリテ拝受者中下付ノ端金ハ既ニ之ヲ消費シ公債証券ハ之ヲ売却シテ生計ノ費ニ供シ若シハ葬儀ニ充用シタル如キ者アリ実ニ憂慮ニ堪ヘザルモノアリト各位ニ於テハ固ヨリ深ク〓ニ留意セラルヽ所アリト雖トモ今後受賜者ノ増加ニ伴ヒ之カ保管保護ノ監督ハ益々其周到ヲ期セサルヘカラス依テ該方法ニ関シ曩ニ通牒ヲ発シタルニ付テハ各位ハ宜シク斟酌折衷ヲ加ヘ速ニ適当ノ方法ニ依リ苟モ恩賜ノ精神ニ反セサル様努メテ其実行ヲ期セラレンコトヲ望ム 一九四 愛甲郡下軍人家族救護に関する郡長演達要領 演達要領 軍人家族救護ニ関スル件 軍人家族ノ救護ハ各位ノ指導ニ依リ各町村殆ント其施設ヲ見サルナキニ至リ其国庫救助費ノ如キ客年末迄ノ支出額ハ全県ヲ通シテ僅ニ数百円ニ上ラス又本郡内ニ於テハ僅々四名ノ国庫救護ヲ受クルモノアルニ止マレリ然レトモ各町村ノ状況ヲ観ルニ尚ホ深ク各位ノ留意ヲ望マサルヲ得ザル所ナリトス抑モ救助ニ関シテハ応召者ノ日ニ多キヲ致ス今日ノ場合其周到遺漏ナキヲ期スルノ要益々緊切ナルヲ加フルト同時ニ濫給徒ラニ坐食スルノ弊風ヲ杜絶スルノ途ヲ講セサルベカラス救助令ニ於テモ生業扶助ヲ先ニシ其他従来ノ訓令通牒其要義ヲ敷衍セシコト再三ナルニ拘ハラス尚多クハ生業奨励ノ方法ヲ講スルノ工夫ヲ尽サスシテ金銭給与ノ方法ヲ襲用シ多額ノ救助費ヲ要スルカ為メ前途其財力ノ沽渇ヲ憂スルモノ往々之アルヤニ聞ケリ又救助令ニ依リ救助ヲ出願スルモノ多クハ生活費ノ救助ヲ受ケントシ其生業扶助ノ出願ヲ為スモノ殆ント絶無ナルハ甚タ遺憾トスル所ナリ固ヨリ被救助者ノ状態ニ依リテハ金銭給与ノ外他ニ方法ナキモノアルヘシト雖土地ノ状況ニ応シテ適切ノ事業ヲ企画シ多数ノ軍人家族ニ対シ其ノ自営ノ方途ヲ授ケ恒ノ業ト恒ノ産トヲ得セシメ長ヘニ保護ノ恩沢ヲ享ケシムルハ最モ必要ノ事ナルニ付各位ニ於テハ更ニ充分ノ工夫ヲ尽シ一般生産ノ奨励ト共ニ各地適応ノ方法ニ依リ生業扶助ノ実ヲ挙ケシメラレンコトヲ要ス惟フニ交戦ノ前途ハ尚遼遠ニシテ戦線ノ拡張ニ従ヒ応召者ハ益々其多キヲ致シ家族救護ノ要愈々繁ナラントス各位ハ其周到遺漏ナキヲ期スルト同時ニ之カ救助方法モ愈々適切ニシテ永続ニ堪ユルノ方法ヲ指導スルニ努メラレンコトヲ望ム 次ニ救助令ニ依ル出願手続ニ関シテハ県令ヲ以テ施行細則ヲ規定シ同則第二条ニ於テ町村長ニ於テ家族一人別調書並状況調書戸籍謄本ヲ添付シ尚郡長ヨリ事実査覈副申ヲ要スルノ規定ヲ設ケアリテ一々調査ヲ要セリ而シテ其実況ヲ調査スルニ往々尚自活能力アリト認ムルモノアリテ相互ノ意志全ク貫徹セサルモノアルノ感アリ今後ニ在テハ尚一層充分ノ調査ヲ遂ケ進達セラレンコトヲ望ム (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) 一九五 愛甲郡下義勇艦隊建設義金徴収に関する協議案付寄付金申込額人員調 『二月九日提出』 義勇艦隊建設義金徴収ニ関スル協議案 義勇艦隊建設義金ハ此際引続キ払込ミノ労ヲ採ラレタキ事 義金申込ノ全額若クハ年賦払込ハ一回分ノ払込ヲ了セザルトキハ徽章交付セザルニ付キ本月末日迄ニ払込ヲセシムル様一層御尽力セラレタキ事 義金壱円五拾銭以上五円位迄ハ年賦申込アルモ時機ニヨリテハ強制ヲ避ケ一時払込ヲ勧誘セラレタシ之レ他ナシ本部ニ於ケル艦隊購入資金ノ必要切迫セルニヨル 義勇艦隊建設義金申込額取調表 四万八千円中郡愛甲郡ヲ除 (欄外注記) (単位円) 五七六 厚木町 四三四 依 五二〇 中 四二七 高峰 五九〇 愛川 四八六 荻野 三六九 小鮎村 四〇〇 煤ケ谷組合 三〇四 玉川 四八六 南 三〇 郡役所 (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) 一九六 橘樹郡招魂碑建設に関する発起人総代郡長書簡 征清陣亡者招魂碑発企趣意並ニ着手順序 去歳征清ノ役起ルヤ当郡出身従軍者ノ過半出陣ノ際書ヲ当橘樹郡長ニ寄セ忠勇ノ気象ヲ示シ若シ戦死シタル時ハ一ノ招魂碑ヲ建設センコトヲ以テセリ署名ノ軍人已ニ戦死シタル者尠カラス義正ニ遺言ト均シク悼ムヘキ結果トハナリタリキ 〓ニ於テ当郡長ハ箇人ノ資格ヲ以テ兵事担任書記並ニ各町村長ニ謀議シ一団トナツテ右ノ委嘱タル招魂碑設立ノ事ヲ発企セリ是即チ発企団体成立ノ概略ナリ 抑征清ノ役我軍隊ノ忠勇絶倫ナルハ已ニ公論ノ許ス所ナリ而シテ我郡ノ陣亡者中誰一人トシテ一点ノ汚点ヲ加フヘキ者ナシ殊ニ此建碑ノ挙タル世ノ種々ノ目的ヲ以テ成ル者ト異ナリ全ク陣亡者ノ素志ヲ充タスヲ以テ唯一ノ企望トシ其誠洗フカ如シ有志ノ諸君宜敷此意ヲ了セラレ賛助アランコトヲ希フ 発企人ニ於テ取極メタル条項 一 建碑一切ノ予算ヲ一千五百九拾七円五拾銭ト仮定ス建碑ノ位置ハ大師河原村平間寺境外トス 一 幹事七名掛リ五名委員百拾九名ヲ置クコトトス即チ幹事掛リノ氏名左ノ通リ 幹事 安達安民 鈴木利貞 稲波惇太郎 青木豊十郎 横溝広泰 井田文三 石渡藤太郎 建築掛 金子泰吉 高橋録蔵 平川平五郎 出納掛 井上元義 枡村幸三 一 幹事ハ発企人ヲ代表シ委員会ニ於テ議決シタル事項ヲ執行スルモノトス 一 各掛ハ各其委托セラレタル事務ヲ分掌ス 一 金銭ノ支払ハ幹事二名ノ認印ヲ受クモノトス収支決算ハ委員会ノ認定ヲ経テ報告スルハ勿論ト雖モ委員ハ何時タリトモ其収支ノ帳簿ヲ調査スルコトヲ妨ケス其他ノ有志者ト雖モ帳簿ノ検閲ヲ望ム者アラハ其求ニ応スヘシ 一 向後建碑ニ係ル一切ノ事務ハ委員会ノ議決ヲ経テ執行スルモノトス 一 発起人ハ委員会ニ列席シテ其数ニ加ハルコトヲ得ルモノトス 一 委員会ヲ開クニ当リ差支アルトキハ他ノ委員ニ委托スルコトヲ得ルモノトス 一 委員会ハ都テ過半数ノ同意ニ依テ決スル者トス若シ同数ナルトキハ議長ノ同意ニヨル 一 委員会ノ議事ハ普通ノ法ニヨルモノトス 拝啓陳者当橘樹郡出兵軍人死亡者招魂碑建設ニ付各村大字壱名ツヽ委員取究之義ニ付御相談申度義有之候間乍御足労明二日午后壱時揃無不参当役場ヘ御出頭有之度候也 明治廿八年十月一日 大綱村役場(印) 飯田助太夫殿 今般当郡出身征清陣亡者招魂碑建設委員御嘱托致候ニ就テハ工事設計其他御評決ヲ願ハン為メ来ル十五日橘樹郡役所楼上ニ於テ委員会相開候間当日正午十二時御参集被下度候也 明治二十八年十月九日 征清陣亡軍人招魂碑建設発起人総代 安達安民 飯田助太夫殿 (飯田助丸氏蔵) 一九七 愛甲郡町村長会における兵事関係協議案 付愛甲郡南毛利村兵事奨励会規則 協議案〔兵事ニ関スル件〕 一 従来新兵入営ニ際シ支給セラルヽ入営旅費額ハ至テ少額ニ付協議ノ末各町村ヨリ課出ノ金額ヲ以テ第一師管内各部隊ヘ入営者ニハ金弐円第七師管各部隊入営者ニハ金五円ヲ補給シ来リ候処町村ヨリ申出ノ向キモアリ本年ヨリ之ヲ廃シ各町村ニ於テ適宜補給スルノ方法ヲ設ケラレ度コト 一 先年本郡兵事報労会ナルモノヽ設置アリシモ之ヲ解散スルニ当リ各町村ニ於テ兵事奨励ノ為メ適宜ノ方法ヲ設クルコトニ相成候処南毛利村ヲ除クノ外ハ未タ其設置ナキ趣ナリ依テ送迎ノ旗幟及飲食等ノ費用ヲ省キ専ラ実要ニ適スル方法ヲ設ケラレ度〓ニ南毛利村兵事奨励会規則写ヲ参考迄ニ別紙添付セリ (別紙) 南毛利村兵事奨励会規則 第一条 本会ハ会員ノ会費及有志者ノ寄付金ヲ以テ兵役ニ服スル者ヲ奨励ノ為メ設ケルモノトス 第二条 本村ニ一戸ヲ構ヘ居住スルモノハ会員ニ加入スル義務アルモノトス 第三条 本会ハ会場ヲ南毛利村役場内ニ置キ会務ヲ処弁ス 第四条 本会ニ名誉職役員ヲ置クコト左ノ如シ 会長一名 評議員十二名 幹事五名 委員廿一名 会長ハ本会一切ノ事務ヲ総理シ議事アルトキハ議長トナル 幹事ハ会長ヲ補佐シ本会ノ事務ヲ掌理シ会長事故アルトキハ幹事ノ内ニ於テ之レヲ代理スルコト 評議員ハ会長ヨリ諮問アルトキ決議ナスモノトス 委員ハ字内会員ニ関スル事務ヲ執行スルコト 第五条 本会ノ役員ハ会長ヲ村長ニ幹事ヲ役場吏員ニ評議員ヲ村会議員ニ委員ヲ常設委員ニ委嘱スルモノトス 第六条 本会ノ会員ヲ左ノ三種ニ別ツ 特別会員 普通会員 義務会員 特別会員ハ普通会費ノ外ニ出金スルモノヲ云フ 普通会員ハ会費ノ予算分担額ヲ出金スルモノヲ云フ 義務会員ハ徴兵合格者ニシテ現役ニ服セサルモノ及不合格者ノモノニシテ金参十銭一時限リ出金スルモノヲ云フ 但不具廃疾者ハ此限リニアラス 第七条 奨励ノ方法ヲ左ノ如ク定ム 一 三ケ年現役出兵者ニハ一名ニ旗一本ニ金五円ヲ贈呈シ入営ノ際ハ出兵者ノ小字ハ全体其他ハ役員ノミニテ本村役場ニ参集シ役場ヨリ厚木下宿迄送ルコト 但シ一戸内ニ於テ二人以上現役ニ服スル者又ハ遠方ノ師団ニ入営ナスモノニハ評議員ノ決議ニヨリ贈与金ニ応分ノ増金ヲナスモノトス 二 一年現役出兵者ニハ金弐円三ケ月教育召集者ニハ金壱円トシ其他ハ前項ニ依ルモノトス 三 除隊帰郷者アルトキハ其帰郷者ノ郷里ノ小字全体其他ハ役員ニ於テ厚木下宿ニ之ヲ迎ヘ本村役場迄同道シ役場ヨリ各自帰宅スルモノトス 但旗ハ本村ニ一本ヲ常ニ備置キ其都度用ユルモノトス 四 戦時若クハ公務ニ拠リ死殁負傷セシモノニハ評議員ノ決議ニヨリ金品ヲ贈与スルコト 但死亡者ハ其遺族ニ贈与ス遺族ナキモノハ墓碑又ハ紀念碑ニ充ツルモノトス 五 勲章ヲ得テ帰郷セシモノ前項ニ同シ 六 現役者ノ父母疾病ニ罹リ若クハ貧困ニシテ家計困難ナルモノ恤救規則ニ該当セス情実憫諒スヘキモノニハ評議員ノ決議ニヨリ相当ノ扶助ヲナスコト 七 徴兵検査及簡閲点呼出頭者ニハ一人金拾銭宛ノ弁当料ヲ給与スルコト 八 抽籤惣代人ニ当リシ者ニハ金弐十銭ノ旅費ヲ給与スルコト 九 送迎ノ際出兵者ノ家ニ於テ飲食等ハ決シテ為サルヽコト 第八条 会費ハ会長ニ於テ毎年予算ヲ定メ評議員会ノ決議ヲ経会員ヨリ徴集スルモノトス 第九条 本会ノ会計年度ハ毎年十一月ヨリ起リ翌年十月ニ至ルヲ以テ一期トシ収支精算ハ評議員会ヘ提出スルモノトス 第十条 本会ヘ会員物品ヲ寄贈スルモノアルトキハ会長之ヲ保管シ寄贈者ヘハ謝状ヲ贈ルモノトス 第十一条 本会ノ寄贈及諸給与等ノ挙ハ明治三十三年四月一日ヨリ実施スルモノトス 以上 (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) 第二節 日露戦争と行政指導 一九八 愛甲郡町村長会における郡長演達要項 町村財産蓄積ニ関スル件 町村財産ノ蓄積ニ付テハ已ニ屢々訓諭スル所アリシモ之レガ条例ヲ制定シ其ノ実行ノ緒ニ就キタルハ僅々三ケ村ニ過キズ顧フニ近来世運ノ進歩ニ伴ヒ町村経済ハ益々膨脹シ人民ノ負担ハ愈重キヲ加フルニ依リ財産ヲ蓄積シ町村ノ維持ヲ永遠ニ人民ノ負担ヲ軽減センコトヲ企図スルハ実ニ刻下ノ急務トス故ニ該条例ノ未ダ制定ニ至ラザル向ハ速ニ之ヲ設定セラレンコトヲ望ム而シテ財産ノ蓄積ハ創業ト守成ト相俟テ始メテ其ノ効果ヲ収ムベキモノナレバ蓄積ヲ励行スルト同時ニ亦其ノ管理方法ヲ確実ナラシメザルベカラズ従来町村ニ於ケル財産管理ノ方法確実ナラザル為メ苦心経営ニナリタル財産ヲシテ瞹眛疑似ノ裏ニ亡失シ去リ又ハ町村費ノ支出ニ当リ濫ニ之ヲ流用シタルガ如キ弊ナキニアラズ此ノ如キハ事態甚憂慮スベキコトタルノミナラズ為メニ民心ニ疑惧ヲ来シ遂ニ財産蓄積ヲ忌避スルノ念ヲ惹起セシメ財産増殖ヲ図ルノ前途ニ於テ甚シキ障害ヲ見ルニ至ルヘシ故ニ其管理ノ方法ヲ一層鞏固ニナシ且厳密ノ注意ヲ要ス 町村債ニ関スル件 町村債ニシテ長期ニ互ルモノハ利率ノ低廉ナルモノト雖トモ猶年々累ヲ其ノ経済ニ及スベク而シテ町村ニ於テハ世ノ進運ニ随ヒ将来ニ施設ヲ要スベキ事業続出スベキニ因リ勢其ノ財源ヲ起債ニ取ラザルヲ得ザルベキヲ以テ若シ旧債ノ償還未ダ了ヘザルニ更ニ新債ヲ起スガ如キコトアラバ財政紊乱ノ基ヲ啓クノ恐レアリ故ニ旧債ニシテ利息ノ高率ナルモノハ之ヲ低率ノモノト借換ヘ又ハ民間余裕アルノ時ヲ査察シテ可成償還期ヲ操上ゲ速ニ旧債ヲ還了シ以テ毎年度ノ償還費タル支出額ヲ転ジテ必要ナル事業費ニ充用シ又ハ後年天災時変等ニ依リ臨時支出ヲ要スカ如キ場合ニ際シテモ之ニ応スベキ財源ニ余地ヲ存スルノ途ヲ講スルハ目下ノ急務ナリト認ム本件ニ関シテハ曩ニ内訓シ置キタルヲ以テ夫々計画中ナルベシト雖トモ宜シク速ニ適当ナル方法ヲ講ゼラルベシ而シテ財源ノ都合ニ依リ今俄ニ之カ期間ヲ短縮シ得ザルニ於テハ償還方法中ニ経済ノ都合ニ依リ年度ヲ短縮シ得ルノ規定ヲ設クル等ヲ以テ其実ヲ挙グルコトヲ努メラルベシ 県税町村税滞納矯正ニ関スル件 県税及町村税ノ滞納者逐年其数ヲ増加スルノ傾向アルハ洵ニ憂慮ニ堪ヘサル所ナリ元来右滞納者ノ多数ナル所以ノモノハ義務者納税ヲ忽諸ニ付シ当局者亦之ヲ等閑ニ委シ去リ其ノ因襲ノ久シキ遂ニ此ノ弊ヲ助長シタルノ感ナキ能ハズ惟フニ町村役場ノ事務タル徴税ノコト其ノ大部ヲ占ムルヲ以テ町村ニ於ケル一般事務ノ整否ハ此ノ事務ノ整否ニ関スルコト大ナリ故ニ今ニ於テ厳ニ之ヲ矯正セサラン歟其ノ余弊ノ及ブ所竟ニ一般行政ノ渋滞ヲ来スニ至ルベシ而シテ此ノ矯弊ノ事タル専ラ当局者ノ用意周到ナルト否トニ俟タザルベカラザルハ勿論ニ付深ク〓ニ留意シ以テ前叙矯弊ノ実ヲ挙グルニ努メラルベシ 統計事務ニ関スル件 統計ハ国勢民度ヲ稽査スルノ基礎ニシテ又政務百般ニ応用スヘキモノナレバ其ノ事実ノ調査ハ極メテ正確ナラザルベカラズ殊ニ現時ノ統計ハ概ネ町村ノ調査ニ係ルモノヲ其ノ材料ト為スヲ以テ各町村ニ於ケル調査ハ最精密ニシテ誤謬ナキヲ要ス仮ニ各町村ノ調ニ些少ノ誤謬アリトセンカ積ミテ多大トナリ遂ニ国家ノ大計ニ影響ヲ及ボシ或ハ不測ノ害ヲ惹起スルコトナシトセズ故ニ町村ニ於テ之ガ事実ヲ蒐集採録スルニ当リテハ勗メテ誠実慎重以テ遺漏錯誤ナキヲ期セザルベカラズ国勢調査ノ如キモ早晩実施セラルヽニ至ルベキヲ以テ今ヨリ一層篤ク注意アランコトヲ望ム 地方財務等ニ関スル件 我経済界ハ久シク萎靡不振ヲ極メタリシカ今ヤ幸ニ漸ク回復ノ気運ニ向ヒ事業再ビ振興セントスルノ兆候アルハ洵ニ欣喜ニ堪ヘサル所ナリ故ニ地方モ亦此ノ機ニ乗ジ尚一層其ノ施設行動ヲ慎ミ克ク自然ノ趨勢ヲ助長シテ迅速ニ而モ平穏ニ復興ノ気運ニ達セシムルコトヲ期セザルベカラス本件ハ実ニ刻下ノ急務ナルヲ以テ宜シク深ク留意セラルベシ一般人民ニ勤倹貯蓄ノ美風ヲ涵養スルノ急務タルハ更ニ喋々ヲ要セス本件ニ関シテハ曽テ屢々訓示又ハ通牒シ置キタルヲ以テ夫々奨励誘導中ナルベシト雖トモ未ダ其効果ヲ収メタルモノアルヲ聞カザルハ深ク遺憾トスル所ナリ就テハ尚一層誘掖奨励以テ良好ナル効果ヲ収メシメラルベシ 町村財務ノ緊粛及起債ノ件ニ関シテハ曩ニ屢々訓示又ハ通牒シ置キタルモ三年以内債ヲ起スモノ近来漸ク多キヲ加フルノ傾向アルニ付宜シク此点ニ就キ一層ノ戒飾ヲ加ヘラルベシ 土地ニ関スル異動ニ注視シテ土地台帳ノ整理登記手続ノ履行ヲ敏捷精確ニスルハ地租其ノ他土地ニ対スル諸税公課ノ賦課ヲ適実ニシ人民ノ負担ヲ公平ナラシムルノ要件ナリトス然ルニ該台帳ノ整理充分ナラザル向アルニ付速カニ之レガ整理ヲ了セラルベシ 国税事務ニ関スル人民ノ申告類ハ事務ノ確実ヲ害セサル程度ニ於テ書面上ノ煩雑ナル手続ニ代ユルニ口頭又ハ電話ヲ以テスルコトヲ許ス等形式ニ拘泥セズシテ之ヲ受理スルコトヽセラレタルニ趣ニ付国税事務ニ就テハ町村モ亦此ノ旨趣ニ依ルヲ要ス又町村中或ハ法定ノ納期前ニ納税ヲ強ユルモノ或ハ徴収シタル税金ヲ金庫ニ納付スルコトヲ怠ルモノ等之レアル向ナキニアラズト聞ク此ノ如キハ国家並ニ人民ニ対シ忠実親切ヲ欠クモノト謂ハザルヲ得ズ依テ本件ニ関シテハ一層注意セラレンコトヲ望ム 社寺境内地取締ニ関スル件 社寺境内地ハ出願認可ノ上ニアラザレバ其ノ使用ヲ許サレザル成規ナルニ氏子又ハ信徒総代人等ニ於テ往々無認可ニテ之ヲ貸与シ又ハ建物ノ造築ヲ黙許スル等ノ如キコト有之為メニ官民有土地境界ノ紛擾ヲ醸シ行政訴訟ヲ提起シタル事例アリト云フ右ハ畢竟規定ヲ遵守セザルニ基因スルモノナルニ付宜シク規定ヲ励行シ平素其ノ区域ヲ明ニシ他日紛争ヲ惹起スル如キコト無之様注意アルベシ 町村立小学校教員恩給基金ニ関スル件 町村立小学校教員恩給基金町村納金往々違算有之甚シキハ数回ノ往復ヲ重ヌル等手数ヲ要スルノミナラズ整理上差支不尠依テ示今充分注意シ決シテ違算無之コトヲ期セラルベシ 郡費分賦額納付ニ関スル件 郡費ノ町村分賦額納付方ハ年一年ヨリ滞納ノ傾向アリ現ニ明治三十四年度分賦額ノ如キハ指定ノ期日迄ニ納付シタルハ僅々一二町村ニシテ其他ハ概シテ期日ヲ経過スルコト甚シ殊ニ或ル一二ケ村ノ如キハ該年度出納閉鎖期限迄ニ納付ノ運ニ至ラサリシ之カ為メ同年度ノ如キハ歳入予定ノ額ニ達セザルヲ以テ自然予定ノ歳出ヲ為ス能ハズシテ郡事業ヲ曠廃ニ帰セシメタルノ憾ナキニアラズ右ハ畢竟止ムヲ得ザル事情ノ存ズルアリテ然ラシムルニハ有之ベキモ亦以テ当時者タル者ノ職務懈怠ニ外ナラズ原来郡費ノ町村分賦額ハ一個人ニ徴税ヲ令達シタル場合ノ如ク強制的タル滞納処分ヲ執行スル能ハザルモ当事者ノ職務懈怠ヲ責ムルノ途アルサレバ決シテ之ヲ等閑ニ付セズシテ指定ノ期限内ニ納付センコトニ努力セラルベシ 町村歳入出決算ニ関スル件 町村歳入出ノ決算ハ翌年度六月末日限リ結了シ七月十日限リ報告スベキ筈ニシテ本件ニ関シテハ屢々訓示セル所アルニモ不拘之レヲ従来ノ実蹟ニ徴スレバ期限内ニ報告スルハ寥々晨星ノ如ク概シテ期限ヲ経過スルノ傾向アリ殊ニ甚シキハ督促度ヲ重ネ数ケ月ノ后漸クニシテ報告ニ至ル向ナキニアラズ右ハ法律ノ規定ニ違背シ事態不都合ナルノミナラズ当庁ニ於テモ其筋ヘ報告上差支ヲ来タシ事務進行上著シキ障碍アリ今ヤ該決算ノ期ニ切迫セリ町村長タルモノハ此際充分ニ収入役ヲ督励シテ着々整理ヲ遂ゲ法定期間内ニ完了ヲ告ゲシメ速ニ町村会ノ認定ヲ経テ期限前一日モ早ク報告センコトヲ期セラルベシ 総選挙ニ関スル件 衆議院議員選挙法改正ノ要旨ハ小選挙区制ヲ改メ大選挙区制トナシ連記投票法ヲ改メテ単記投票法トナシ記名投票法ヲ改メテ無記名投票法トナシ選挙長ニハ地方長官ヲ充テ立会人ノ選任ハ之ヲ上級庁ニ委シ選挙罰則ヲ改正増補シタル等ニシテ之ヲ要スルニ従来ノ諸弊ヲ一洗シ自由公正ノ選挙ニ依リ以テ適器ノ士ヲ挙ゲンコトヲ期スルニ外ナラズ然リト雖トモ法ノ効果ハ繋リテ其ノ運用如何ニ存ズルモノナレバ大ニ各位ノ留意ヲ望ム所ナリ今ヤ総選挙モ近キニ迫リタレバ或ハ従来ノ余弊ヲ襲ヒ金銭其他各種ノ賄賂ヲ授受シ或ハ暴行脅迫手段ヲ以テ秩序ヲ紊リ其不正ノ行為ニ依リ選挙ノ自由公平ヲ害セントスルモノアランモ計リ難ニ付是等ハ努メテ未萠ニ防遏セザルベカラザルハ勿論各位ニ於テモ其ノ地位ヲ利用シ漫リニ選挙ニ干与シ職務ヲ抛擲シ運動ニ奔走スルガ如キコトアラバ啻ニ選挙ノ公平ヲ害スルノミナラズ延テ其ノ影響ヲ町村行政ニ及ホスヤ必セリ故ニ宜シク厳正公平ノ態度ヲ執リ苟モ其ノ本分ヲ忘レ事体ヲ誤ルガ如キコトアルベカラズ本件ニ関シテハ曩ニ内訓ニ及ビタル次第モ之レ有レバ決シテ斯ル行動ニ出ヅルコトナカルベシトハ信ジテ疑ハザル所ナルモ時ニ或ハ外界ノ境遇ニ惑溺シ不知不識ノ間ニ其ノ本分ヲ誤ルガ如キコトナシトモ保シ難ケレバ特ニ一層ノ注意アランコトヲ望ム (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) (注)これは明治三五年下半期におこなわれたものである。 一九九 中郡町村長会における郡長演達要項 演達要領 地方財政緊縮ノ事 今ヤ露国ニ対シ戦ヲ宣セラレタルニ依リ政府ニ於テハ戦時中国庫ノ税源ヲ涵養センカ為メ追テ開カルヘキ帝国議会ノ協賛ヲ経テ府県税市町村税等ノ賦課制限法ヲ設ケ来三十七年度ヨリ実施セラルヘキ計画ニ付町村其他公共団体ニ於テハ其存立上必要欠クヘカラサル経費ヲ除ク外ハ総テ事業ヲ繰延若ハ中止セサルヘカラス各位ニ於テハ此際予メ左記事項ニ基キ適当ノ措置ヲ施シ他日賦課制限法発布ノ場合ニ於テ蹉跌ヲ生スルカ如キコト之ナキ様充分注意セラルヘシ 一 府県税制限 一 地租割 地租十分ノ五以内 一 戸数割営業税其他ノ諸税ハ現在ノ外増課ヲ許サズ 一 市町村其他公共団体税制限 一 地価割 地租十分ノ三以内 一 反別割 一反歩ニ付金四十銭以内 一 土地ニ対スル課税ハ各公共団体トモ一種ニ限リ従来ノ如ク併課〔地価割ト反別割若ハ坪割ノ如キ類ヲ許サス〕 一 戸別割営業割其他ノ諸税ハ現在課税ノ外増課ヲ許サス 一 左記ノ場合ハ前記各項ノ制限外ニ賦課スルコトヲ得 一 公債償還ノトキ 一 天災事変ニ原因シタル復旧工事費ヲ要スルトキ 一 県税ノ分賦ヲ受クル公共団体〔横浜市ノ如キ類〕 一 各公共団体トモ新ニ起債ヲ許サス 一 町村ニ於テ既ニ許可ヲ受ケタル地価割〔地租制限外課税〕特別税〔反別割坪割ノ如キ類〕ニシテ前記ノ方針ニ適合セサルモノハ此際廃止若ハ更正スルヲ要ス 一 各公共団体ノ歳出予算ハ可及丈ケ緊縮ヲ旨トシ新営増築改築補助費等ノ如キ臨時費ハ努メテ繰延若ハ中止スルヲ要ス 一 既ニ議決済ノ予算ニシテ前項ノ趣旨ニ適合セサルモノハ此際更正スルヲ要ス 基本財産処分ノ事 一 町村有現金ハ可成国庫債券ノ募集ニ応スルヲ要ス 軍人家族遺族扶助ノ事 一 軍人ノ家族及遺族ニシテ貧困者ニ対シテハ之レヲ扶助スル方法ヲ設クルヲ要ス 農業奨励ノ事 産業ハ国富涵養ノ淵源タルヲ以テ開戦ノ今日ニ在テハ特ニ至重ノ注意ヲ要ス 農事改良ニ付テハ先キニ訓示シタル如シ充分ニ之ヲ属行センコトヲ望ム〓ニ特ニ諸君之注意ヲ促スモノハ米麦ナリ凡ソ米麦ハ人類馬匹ニ欠クヘカラサル必須品ニシテ殊ニ戦時ニ在リテハ益々其需要ノ増加スルト共ニ供給ヲ裕ニセサルヘカラサルノ要アリ我邦米ノ収穫ハ平年四千万石トス然ルニ明治三十年ノ収穫ハ蟲害ノ為メ僅々三千三百万石ニ過キサリシヲ以テ翌年ニ渉リテ外国米ヲ購入スルコト実ニ六千九百七拾五万円ニ至レリ明治三十五年ハ天候順ヲ失ヒタルカ為メ平年ニ比シ三百万石ノ減収ヲ見タルノミナラス翌卅六年麦ノ減作平年ニ比シ五百八拾万石ナリシニ依リ両年ヲ通シテ復タ六千九百七拾万円ノ外国米ヲ購入セリ平常ニ在リテハ輸入米ノ価額千万円ヲ超ヘサルニ一年ノ凶作アレバ忽チ七千万円ノ正貨ヲ流出セサルヘカラサルニ至ル豈ニ恐レサルヘケンヤ昨三十六年ニ於テハ幸ニ四千六百万石ノ豊作ヲ告ケ以テ今日ノ状態ヲ保ツヲ得タルモ今年ニシテ若シ米作ノ凶歉ナランカ幾千万ノ正金ハ立ロニ海外ニ流出スルニ至ルヘキハ瞭々火ヲ睹ルヨリ明カナルヲ以テ此際農民ヲ鼓舞シ其豊収ヲ計ラサルヘカラス麦ハ平年千九百万石ナルニ不幸ニシテ昨三十六年ハ稀ナル凶作ニ依リ麦粉ノ輸入夥シク増加シ加フルニ現今馬糧不足ニシテ大麦ノ価格五割以上ノ騰貴ヲ見ルニ至レリ昨冬ハ幸ニ麦作ヲ害スヘキ天候ヲ見サリシヲ以テ今日ヨリ以后人力ヲ尽シ平年ニ超エルノ収穫ヲ得ンコトヲ望ム 農産物ノ増収ヲ計ラサルヘカラサルニ当リ本年ハ幾多障碍アルヲ見ル即チ 一 本年ハ豊年ノ翌年ニシテ田地ノ養分平常ヨリ欠乏セルコト 二 廉価ニシテ多効アル大豆粕肥料ノ供給一時中絶セントスルコト 三 北海道鯡粕肥料等ノ運搬分配上遷延ヲ来スノ恐レアルコト 四 壮丁ノ徴募ノ為メ労力ノ減殺ヲ来スコト 是ナリ故ニ内ニ在リテ生産ニ従事スル者ハ勤勉以テ之ニ当ルノ覚悟ナカルヘカラズ而シテ此際最モ注意ヲ要スル事項ハ 第一 害蟲ノ予防駆除ニシテ本年ハ貴重ノ穀物一粒タモ之ニ浸蝕セラレサルノ用意アルヘキコト 第二 肥料ニ付テハ田畑ノ麦間ニ大豆豌豆蚕豆ノ如キ荳科植物ヲ蒔キ之ヲ青刈シテ本年米田ノ緑肥ト為スノ法ヲ普及スルト共ニ今秋ニ至ラハ紫雲英及苜蓿ノ裁植ヲ普及シ堆肥ノ製造ヲ増加改良スル等益々肥料ノ供給ヲ豊富ナラシムヘキコト 第三 麦作収穫ノ時期ヲ誤ラス且ツ乾燥ヲ完良ナラシムヘキコト其他先般農商務大臣ノ農会ニ諭達セラレタル事項中米麦ニ関スルモノハ此際総ヘテ之カ励行ヲ期セラルヘシ 商業奨励ノ事 外国貿易中農産物ハ総輸出ノ四割三分総輸入ノ五割二分ヲ占メ而シテ其輸出ハ専ラ欧米ニ在ルヲ以テ開戦ノ為メニ受クル所ノ妨碍ハ蓋シ甚タ多大ナラサルヘシ故ニ農産物ニ対シテハ此際敢テ顧慮スル所ナク益々其生産ヲ奨メ将来大ニ其輸出ニ力メサルヘカラス 日露開戦ニ方リ至大ノ影響ヲ蒙ムルヘキハ主トシテ韓国并ニ北清地方ノ貿易ニシテ南清中清ニ至リテハ海運上些少ノ影響ヲ蒙ムルニ至ルヘシト雖トモ蓋シ韓国及北清地方ニ於ケルカ如キノ甚シキヲ見サルヘシ今其貿易貨物ヲ見ルニ殆ント日用必須ノモノニ非サルハナク設令戦乱ノ酣ナルニ至リテモ嗜好品奢侈品ノ如キ消費ヲ減退スルモノニ非スシテ其需要ハ必ラス之レヲ本邦若クハ他国ニ仰カサルヘカラス然ルニ清韓両国ハ各国絶ヘス之ニ注視シ寸隙アラハ直チニ之ニ乗セントスルノ地ナルヲ以テ此時ニ当リ我商賈タルモノ退嬰シテ徒ニ袖手傍観スルニ於テハ遂ニ他国ノ為メニ市場ヲ蚕食セラレ顧客ヲ失フニ至ルヘシ諸君ハ宜シク管下産業家ヲ督励シ非常ノ勇気ト果断トヲ以テ敢テ躊躇スル所ナク産業ノ発達顧客ノ維持商権ノ拡張ヲ図ラシムルニ努ムヘシ 漁業奨励ノ事 漁業ニ関シテハ当業者ヲ促シ平時ト同シク力ヲ之ニ尽サシムヘシ殊ニ大島ヲ始メ伊豆七島ノ遠洋漁業ハ益々之ヲ奨励シテ効果ヲ収メシメサルヘカラス 勤勉奨励ノ事 凡ソ戦時ニ在リテハ壮丁ノ召集セラルヽガ故ニ産業ノ孰レノ方面ニ於テモ労力ノ減少ヲ来タスヘキニ付キ事ニ軍旅ニ従ハサル者ハ之ヲ補充スルノ決心ヲ以テ平日ニ倍スルノ勤勉ヲ為シ各自ノ産業ニ従事セシムルヲ要ス (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) (注)これは明治三十七年におこなわれたものである。 二〇〇 中郡報国会事業施行方法細則 中郡報国会事業施行方法細則 第一条 中郡報国会事業施行方法第五項第一号及第六項第一号ニ関スル事項ハ本規定ニ依リ取扱フモノトス 但家族遺族ト称スルハ現ニ同戸籍内ニ在リテ同居セルモノヲ云フ 第二条 寄贈金額ハ左ノ区別ニ依リ扶助金ハ毎月弔慰金ハ一時之ヲ贈与ス 家族扶助金 甲種 一人ニ付 金四拾銭 乙種 同 金六拾銭 丙種 同 金八拾銭 遺族弔慰金 戦死者戦闘ニ因ル負傷ノ為メ死没者 金弐拾五円 戦地ノ病死者 金拾八円 其ノ他ノ地ニ於ケル病死者 金拾円 第三条 前条ノ寄贈金ヲ受クベクキモノアルトキハ幹事ニ於テ精査シ第一号又ハ第二号様式ニ依リ請求スルモノトス 第四条 家族遺族ヲ分チテ仮定生産者仮定消費者ノ二種トス其区分左ノ如シ 備考 年齢ノ端数ハ切上トス例セハ十五年一ケ月ノ者ハ十六年ト算スルガ如シ 第五条 生活ノ難易ハ前表ヲ基礎トシテ之レニ左ノ収入支出ヲ加算乗除シテ算定スルモノトス但収入ハ金壱円端数ハ切捨ヲ以テ生産力五ニ換算シ支出ハ金壱円端数ハ切捨ヲ以テ消費力五ニ換算ス 収入ノ部 一 諸公債社債株券貸金預金ノ利子及地所家作船舶漁具其他一切ノ貸賃小作料一ケ年ノ総額 支出ノ部 一 負債〔商業営業工業等ノ資本金ヲ除ク〕ノ利子一ケ年ノ総額第六条 生活困難ノ程度ハ之レヲ三級ニ分ツ其筭出方左如シ 家族〔本人ヲ除ク〕又ハ遺族ノ仮定生産力ヲ合筭シ其中ヨリ仮定消費力ノ総数ヲ加除シ残除ノ生産力ヲ家族又ハ遺族ノ数ニテ除シ家族又ハ遺族一人平均「二五」ニ満タサルモノヲ甲種トシ同ク「一五」ニ満タザルモノヲ乙種トシ同ク「七」ニ満タサルモノヲ丙種トス 第七条 家族遺族ノ職業官吏医師弁護士又ハ店舗ヲ構ヘタル商業等ニシテ更ニ労力ヲ要セサル向ハ主タル一人ノ仮定生産力ヲ倍数ニ見積リ計算スルモノトス 第八条 仮定生産者中不具廃疾篤疾等ニシテ事実職業ニ従事スル能ハサルモノハ年数ニ拘ハラス消費者トシテ査定ス 第九条 本細則ニ依リ査定セシモノト雖トモ幹事長ニ於テ不適当ト認ムルモノハ適宜斟酌スルモノトス但事ノ疑義ニ渉ルモノハ更ニ幹事会ニ付シ議決ヲ経テ執行スベシ 第十条 本細則ノ施行ハ日露戦役開始ノ時ヨリ其終局ニ至ル迄ノ間トス (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵)二〇一 神奈川県戦時軍人家族救護会規則 神奈川県戦時軍人家族救護会規則 第一条 本会ハ日露戦役中神奈川県下現役及応召軍人ノ家族ヲ慰問救済スルヲ以テ目的トス 第二条 本会ハ現役及応召軍人ノ隣保又ハ各郡市町村救護団体ノ力及ハサル場名ニ於テ前条ノ目的ヲ遂行スルモノトス 第三条 本会ニ於テ前条ノ規定ニ依リ目的ヲ遂行シ尚余力アリト認ムルトキハ他府県ニ於テ現役及応召軍人ノ家族ヲ救護スルコトヲ得 第四条 本会ニ会長一名副会長若干名並理事若干名ヲ置ク 会長ハ会務ヲ総理ス 副会長ハ会長ヲ佐ケ会長事故アルトキハ之ヲ代理ス 理事ハ会長ノ指揮ヲ受ケ事務ヲ掌理ス 第五条 各郡市ニ支部ヲ置ク 支部ニ支部長一名事務員若干名ヲ置ク 支部長ハ会長ノ指揮ヲ承ケ支部ニ属スル事務ヲ処理ス 第六条 会長ハ神奈川県知事ニ之ヲ依嘱ス 副会長並理事ハ会長之ヲ指名ス 支部長ハ郡市長ニ之ヲ依嘱ス 支部事務員ハ支部長之ヲ指名ス 第七条 本会ノ事務所ハ之ヲ神奈川県庁内ニ置ク 第八条 本会々員ハ毎月金一円以上ヲ出金シ又ハ毎年金十円以上ヲ前納スルモノトス 第九条 本会ハ有志ノ寄付金ヲ受ク 第十条 本会ノ事業並収支計算ハ半年毎ニ一回之ヲ公告ス 第十一条 本会ハ其目的トスル事業ノ必要止ミシ時ヲ以テ解散ス 解散ノ場合ニ於テ残留セル本会ノ財産ハ之ヲ軍人遺族ノ救護ヲ目的トスル団体ニ寄付スルモノトス (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) 二〇二 中郡下政費節減軍人家族扶助に関する件通達 中庶第一〇七八号 地方政費緊縮ノ義ニ関シテハ屢々通牒ノ次第モ有之候処目下軍隊ノ輸送ニ際シ沿道町村ノ有志其義心ニ依リ出征軍人ヲ送リ其行ヲ壮ニスルハ洵ニ美挙タルニ相違ナキモ公課ヲ以テ之レヲ支弁スルカ如キハ不相成義ニ有之又隣保相会シテ出征者ノ為メ祖道ノ宴ヲ設クルカ如キハ畢竟至誠ノ情義ニ出テ是亦美挙タルヲ疑ハスト雖深ク浮華ニ流ルヲ戒メ其費ヲ節略シ之ヲ出征応召軍人ノ家族ヲ保護シ其生業ヲ扶クル等ノ資ニ充テシムルハ寧ロ今日ニ処シテ適切ノ義ト被存候条右留意セラルベク此段及通達候也 明治三十七年三月十九日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代謙吉殿 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) 二〇三 戦時勤倹貯蓄組合標準 戦時勤倹貯蓄組合標準 第一条 戦時勤倹貯蓄ヲ実行スル為組合ヲ設ク 第二条 本組合ハ何〔市〕町村何々戦時勤倹貯蓄組合ト称ス 第三条 本組合ハ日露戦役中各自勤倹ヲ励行シ毎日一銭以上ヲ貯蓄スルモノトス 第四条 前条ノ目的ヲ達スル為組合員ハ平常労務時間外ニ毎日一時間以上相当ノ労務ニ従事シ其所得金若ハ通常以外ノ衣食費ヲ節約シ之ヲ貯蓄スルモノトス 第五条 本組合ニ組長副組長各一人ヲ置ク但名誉職トス 組長副組長ハ組合員ニ於テ互選シ市町村長ノ認可ヲ受クルモノトス 第六条 各自ノ貯蓄金ハ郵便貯金ト為スモノトス 第七条 組合長ハ毎週一回以上組合員ノ貯金及貯金通帳ヲ取纒メ預入ノ手続ヲ為スモノトス 第八条 組合長ハ毎翌月五日限リ其ノ組合ノ貯金額ヲ市町村長ニ報告スルモノトス 九条第 本組合ハ市町村長ノ指揮監督ヲ受クルモノトス (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) 二〇四 国債軍資献納金に関する件通牒(一-八) (一) 中庶第四〇六号 目下時局問題ノ切迫ニ際シ有志ノ輩ヨリ軍資献納ヲ出願スルモノ有之右ハ規程ノ有無ニ関セス不取敢其筋ヘ進達方取計申候素ヨリ献資ノ儀ハ報効ノ至誠ヨリ出テ其心情極メテ嘉ミスベキモノニ付敢テ制止スルニアラズト雖トモ時局ノ如何ニ依リテハ軍事債券募集ノ場合可有之候ニ付其場合ハ特別尽力ヲ煩ハサヽルベカラズ依テ此際ハ一般人心ヲシテ軍資献納ヨリモ寧ロ軍事債券応募ニ嚮ハシメ一旦政府ニ於テ該債券募集ノ発表アランカ速カニ其ノ資力ニ応シテ多数ノ応募ヲ得ル様深ク注意可有之此段及内牒候也 明治三十七年二月八日 中郡長白根鼎三(印) 大磯町長 宮代謙吉殿 (二) 中庶第五六四号 今般軍資献納金採納ノ事ニ決定相成候趣其筋ヨリ通牒有之候就テハ左記ノ事項承知置相成度此段及通達候也 明治三十七年二月十八日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代謙吉殿 一 個人ノ出願ニ係ル者ハ其願書ヘ住所族籍ハ勿論勲位等記入ヲ要ス 一 団体ノ出願ニ係ルモノハ其代表者記名調印ヲ要ス 一 出願者未成年ナルトキハ可成丈ケ親権ヲ行フ者若ハ後見人ノ連署ヲ要ス 一 献納金年限五ケ年賦以上ニ渉ルモノハ五ケ年以内ニ短縮スル様諭示シ之レニ応セサルトキハ採用相成ラサルモノトス 一 出願者ニ対シテハ許可書ト共ニ納入告知書当庁ヨリ交付可相成筈ニ付右両様ノ内熟レカ一方未着ノモノアルトキハ其旨速ニ通報ヲ要ス (三) 中庶第六〇六号 国庫債券応募者勧誘ノ件ニ付テハ町村長会同ノ席上ニ於テ懇々申談候ニ付充分御配慮可有之トハ存候ヘ共予メ応募額承知致度候条本月廿八日迄ニ左ノ様式ニ依リ見込額取調報告可有之此段申入候也 明治三十七年二月十九日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代謙吉殿 国庫債券応募者見込額 一金何千円 何某 一金何百円 何某 一金何千何百円 四百五十円ノモノ何人 一金何円 四百円ノモノ何人 一金何円 何円ノモノ何人 計金何程 備考 一 金五百以上ノモノハ氏名ヲ記シ五百円未満ノモノハ応募金額(四百五十円 四百円 三百五十円 三百円二百五十円 二百円 百五十円 百円 五十円)ヲ区別シ其人員ヲ記載セラルベシ (四) 中庶第六五六号 日露戦争ノ軍資金トシテ人民ヨリ献金願出ツル向ニ対テハ可成之ヲ公債応募ノ資ニ転セシムル様曩ニ演達シタル次第モ有之候処是非共献金致度志望者ニ在リテハ其志望ノ通リ採納可相成候尤モ演達ノ結果ニ依リ既ニ献金出願シタル者ニシテ中途之ヲ公債応募ニ転セントスルモノ有之候ハヽ現金収納以前ナレバ其出願ヲ取消シ以テ本人ノ意ニ副ハシメラルベク候条了知セラルベク此段及通牒候也 明治三十七年二月廿三日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代謙吉殿 (五) 中庶第七二三号 過般会同ノ節協議ノ結果トシテ当庁ニ於テ直接勧誘シタル国庫債応募者ノ氏名金額ハ左記之通リニ候条参考トシテ此段及通牒候也 明治三十七年二月廿六日 中郡役所(印) 町村役場御中 一金弐万円 梅原脩平 一金千円乃至金弐千円 上野豊三 一金千円 森鑅三郎 一金弐千円 田中藤七 一金四千円乃至一金参千円 佐藤政吉 一金千円 宮田寅治 一金千円 大貫弥七 一金千円 杉山善治 一金千円 清田伊八 一金弐千円 原田太兵衛 一金参千円 鈴木易三 一金参千円乃至一金五千円 福井準三 一金弐千円 山口左七郎 一金千円 石井勝治 一金千円 柳川金太郎 一金千円 飯塚慶蔵 一金弐千円 今井中治 一金千円 水島五郎右衛門 一金参千円 杉山泰助 一金弐千円 原田清七 一金六千円 原田勝右衛門 一金千五百円 長尾菊次郎 一金弐千円 足立留次郎 一金千円 西野祐次郎 一金千円 石井八兵衛 一金千円 花井浦次郎 一金千五百円 長谷川運太郎 一金弐千円 原小太郎 一金千円 中川隣之助 一金壱万円 小塩八郎右衛門 右之外猶数人未定ノモノ有之候 (六) 国庫債券募集ハ平時ト異リ軍国ノ急ニ応スルモノナレハ万一払込金延滞候義有之候テハ非常ノ手数ヲ要シ差支不尠候得共此際延滞等無之候様御役場ニ於テモ精々御注意相願候尚払込金取扱方ニ付テハ左ノ通リ御承知置可被下候 明治三十七年四月九日 日本銀行秦野派出所 町村役場御中 一 各応募者ヨリ保証金領収証書及払込金ヲ受取リ口数募入金額及払込金額ノ合計書ヲ付シ一括シテ御差出可被下候 一 価格以上差金ヲ払込ムモノアルトキハ保証金領収証書ニ申込価格及差金額ヲ記シタル符箋ヲナサシムルコト 一 第二回払込期間ハ本月十六日ヨリ廿五迄ニ候ヘ共期末ニ際シ払込輻湊スルトキハ整理上非常ノ困難ヲ極メ候条可相成ハ遅クモ来ル廿二日迄ニ御払込被下候様致度候 一 第二回払込ノ際記名仮債券交付致候 追テ第三回払込ノ期ニ至リ第四回以後ノ分ハ一時払込差支無之候条為念申添候 割払金ノ義御都合上来ル廿二日迄ハ大磯町藤沢銀行支店ニテ御取次可申上候 (七) 中庶第二五〇号 軍資ノ給需ハ戦局ノ進行ニ伴ヒ愈々其多キヲ加ヘ特ニ来年度ニ於テハ一層多額ヲ要スル義ニ可有之既往ノ事実ニ徴スルニ軍費支出額ノ大半ハ殆ント国民ノ収得ニ帰スルノ状況ニ有之随テ充分之ヲ善導シテ濫費ノ弊ニ流レシメズ其薀蓄ノ結果ヲ以テ産業ノ資ニ供セシメ或ハ更ニ国債ニ応セシムルハ啻ニ時局ヲ活用シテ金融ノ調和産業ノ振興ニ裨補スルノミナラス軍国ニ処シテ亦最モ無二ノ後援トナルヘキニ付指画宜シキヲ制スル様夫々督励ヲ加ヘ又軍需品ノ供給ニ付テモ成ルベク多数ノ生産者ヨリ購入セラルヽハ畢竟軍資ノ放散ヲシテ一局部ニ偏セシメサルト同時ニ地方産業ノ振興ニ資セシムル等一々地方ノ利便ヲ図ルノ趣旨ニ出タル義ニ有之候条此際一層配慮ノ上時局ニ応スルノ方法相講セラルベク此段及通達候也 明治三十八年一月二十五日 中郡長 白根鼎三(印) 町村長殿 (八) 中庶第一六一六号 客月十六日中庶第一〇四〇号及同廿五日中庶第一一四五号ヲ以テ公共団体国債応募ノ件ニ付及通牒候次第モ有之候処第四回募集ハ一般ノ応募非常ノ多額ニ達シ殊ニ価格以上ノ申込意外ノ盛況ニシテ為メニ日本銀行引受額ハ極メテ僅少トナリ公共団体ノ申込額ヲ充タスヘキ余地ナキニ至リ依テ今回ハ遺憾ナカラ全額ヲ募入スル能ハサルニ立至リタル旨其筋ヨリ通牒有之候条了知セラルベク尤モ不日同一条件ヲ以テ再次国庫債券募集ノ挙アルコトヽ存セラレ候ニ付残額ハ其際更ニ応募ノ手続セラルヽ様致度然レトモ今日ヨリノ状況ヲ案スレバ其際ニ於テモ今回ト同一ノ状況ナルベキヲ以テ価格以上ノ申込ニアラザレバ全部ノ募入ハ覚束ナカラルベク候ニ付右ノ趣旨ヲ以テ措置セラルベク此段及通牒候也 明治三十八年四月廿六日 中郡役所(印) 町村役場御中 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) 二〇五 召集軍人中下士兵卒家族救護等に関する件通達(一-四) (一) 中庶第六二四号 今回事変ニ際シ召集セラレタル下士兵卒ノ家族中糊口ノ資ニ窮スル者ニ対シ国民報効ノ一端トシテ隣佑相済ヒ共同相扶クルノ誼ニ依リ以テ相当救助ノ途ヲ立ツルコト最モ時宜ニ適スルノ措置ト被存候得共是等ノ費用ヲ町村費ヨリ支出スル義ハ不可然ト存ジ候ニ付承知可有之此段及通牒候也 明治三十七年二月廿二日 中郡役所(印) 町村役場御中 (二) 中庶第一三五二号 過般召集セラレタル現役及応召軍人ノ家族ニ対シ町村又ハ私設団体ニ於テ出征軍人及家族救護会規約若クハ救護方法等ヲ設ケ既ニ実施相成候其方法書其筋ヘ報告上必要有之候条現ニ設定相成候町村ニ於テハ直ニ之ヲ報告シ而シテ未ダ準備若クハ協議中ノモノハ別紙ヲ参酌シ至急救護方法ヲ設ケ実施ト共ニ報告可有之此段申入候也 明治三十七年四月六日 中郡役所(印) 町村役場御中 (別紙) 一 各町村ニ出征軍人家族救護会ヲ設ケ各部落ニ救護会委員ヲ置クコト 一 従来出征軍人ニヨリ生活セシ家族又ハ出征軍人ヲ要スルニアラサレハ生活スルコト能ハサル事由ヲ生シタル家族ニ対シテハ左ノ方法ニ依リ救護スルコト (一)其部落ノ壮丁ヲシテ各順番等ニヨリ出征者ニ代ルベキ労務ニ服セシムルコト但出征者ノ家ニ於テ飲食セサルコト (二)其部落ノ壮丁ヲシテ休日ヲ利用シ特ニ共同小作地〔家族壱人ニ対シ田ハ五畝歩以上畑ハ一反歩以上〕ヲ耕耘シ小作ヲ支払ヒタル残余ノ収穫物ヲ寄贈セシメ又ハ毎月〔若ハ数月〕ニ壱回漁業ニ従事セシメ其利潤ヲ寄贈セシムルコト (三)其町村救護会ハ毎月家族一人ニ対シ少モ一円以上ノ金員ヲ寄贈スルコト救護資金醵集ノ方法ハ例セハ仮リニ千五百人ノ人口ヲ有スル町村ニ於テ内千人カ一人一厘ツヽヲ日掛スルトキハ一日一円一ケ月三十円ヲ得此町村ニ於テ救助ヲ要スルモノ五家族アリトシ一戸五人ツヽトセバ一ケ月二十五円ヲ以テ足ル残余ノ五円ハ病災等ニ方リ救護ヲ加フルノ資トナスコトヲ得ベキカ如シ (四)救護会ハ前項ノ外時々衣服食料品等ノ寄付ヲ募リ之ヲ配付スルコト (五)疾病其他罹災ノ場合又ハ家族者老幼ノミナルトキハ救護会ニ於テ篤実ナル保護者ヲ雇入レ若ハ隣保ヲシテ用務ヲ弁セシムルコト (六)町村ニ於テハ家族中ノ就学児童ニ対シ一切ノ学用品ヲ給与シ及授業料ヲ免除スルコト (七)家族中ノ学齢児童ニシテ就学セサルモノアルトキハ之ヲ就学セシメ前者ヘ給与ノ外尚衣服等ノ給与ヲ要スルモノアルトキハ救護会ニ於テ之ヲ給与スルコト (八)其町村内ノ医師ヲシテ家族者ノ疾病ヲ無料ヲ以テ診断セシムルコト (九)家族者ニシテ職業ヲ求ムル場合ハ救護会ニ於テ斡旋ヲ為スコト 一 従来出征軍人ニ於テ生計ヲ助ケタル家族ニ対シテハ前項ノ方法ヲ参酌シ相当救護ヲ為スコト 一 生計裕ナル家族ニ対シテモ罹災其他必要アル場合ハ部落隣保等ヲシテ労務ヲ助ケシムルコト 一 町村長ハ毎月各家族ヲ慰問シ其状況ヲ視察ノ上部落及救護会ノ救護ヲ督励スルコト 一 町村救護会ノ資力不充分ナルトキハ郡救護会ヲシテ補助救護セシムルコト (三) 内訓第九号 軍人家族ノ救護方法ニ関シテ各地トモ相当督励ヲ加ヘ諸種ノ団体亦之カ計画実行中ニ在ルモノ尠シトセス抑軍人家族ノ救護タル隣保相扶ノ誼ニ依リ生業ノ扶助ヲ主トシテ相当自営ノ方法ヲ講セシムルコト救助本来ノ旨趣ニ副ヒ且最適切ノコトタリ而カモ今回ノ戦役タル未曽有ノ事件ニ属スルヲ以テ応召者ノ家族ヲ救護シ之ヲシテ後顧ノ憂ナカラシムルハ事軍国士気ノ振興ニ関スル尠ナカラサルニ依リ国家亦之ヲ保護スルノ必要アリ是曩ニ戦死者病死者ノ遺族並傷痍者等ニ対シテ扶助料其他恩給ノ典ヲ厚フセラレ今亦予備役後備役等応召下士兵卒ノ家族ニ対シテハ特ニ其救助ニ関スル命令ノ公布ヲ見ルニ至レル所以ナリ然レトモ軍費多端ノ今日国家ノ救助ハ素ヨリ救護ノ一部ヲ資クルニ過キサルヲ以テ一般隣保相扶ノ施設ハ自今益々之レヲ奨励セラルベク尚事局ノ如何ニ依リテハ其救護長期ニ渉ル亦図ルベカラサルヲ以テ救助ノ方法ニ関シテハ左記心得事項ニ依リ終始慎重ニ是カ措画ノ道ヲ尽サルベシ 右訓令ス 明治三十七年四月十五日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代謙吉殿 応召下士兵卒家族救助令施行ニ関スル心得事項 一 国家有事ノ秋ニ際シ応召軍人ノ家族タル者亦宜シク応召者ノ非常労苦ヲ察シ尚一層其生業ニ努ムベキハ勿論ニ付キ苟モ労力ニ堪ユルモノハ百方之ヲ激励シ徒ラニ他ニ倚頼スルノ弊ヲ生セサル様注意ヲ要ス 一 家族経理ノ任ニ在リタル下士兵卒応召ノ為メ其家族糊口ニ窮スル者アルトキハ親族知己先ツ其救護ニ勗メ尚ホ足ラサルニ於テハ隣保相扶ノ誼ニ依リ之ヲ救済スルノ義挙ニ出ツルハ最モ至当ノ順序タリ然ルニ親族隣佑ノ扶助若ハ救護ヲ目的トスル諸団体ノ幇助猶ホ及ハサルコトアルトキハ国家ハ〓ニ始メテ救助ヲ共ニスベキ義ニ付其旨趣ヲ誤ラサル様周到注意ヲ要ス 一 救護ノ方法ニ於テ徒ラニ施与的救助ヲ為ストキハ惰民助長ノ弊ヲ生スベキ虞アルヲ以テ独立自営ノ途ヲ採ラシムルカ為努メテ生業扶助ヲ主眼ト為スヲ要ス就テハ事宜ニ応シ其下付ヲ受ケタル資ヲ以テ授産就業ノ方法ヲ講究セシムル等最モ有効適切ニ之ヲ活用スルノ方法ヲ採ラシムルコトヲ要ス 一 受救者ニ於テ其給与ヲ受クルカ為メ此際ヲ機トシテ漫リニ家族ノ数ヲ増シ若ハ重複給与ヲ受クルカ如キ弊ナキヲ保セサルヲ以テ其辺篤ク注意ヲ要ス (四) 中庶第一六九五号 本月十五日内訓第九号ヲ以テ訓令ニ及候下士兵卒家族救護ノ義ニ関シテハ軍費多端ノ今日ニ付国家ノ救助ハ極メテ少額〔予算額ハ応召者ノ約一割ニ対シ一戸一ケ月約弐円以内ニ有之〕ニシテ被救助者一戸ニ対シ一ケ月約壱円五拾銭内外ニ過キサルベクト被存候ニ付テハ諸団体ノ幇助ハ最モ緊切ノ事ニ属シ候条右留意ノ上一層私設団体等ノ施設ヲ督励シ適当救護ノ方法ヲ講セシム様配意可有之此段及内牒候也 明治三十七年四月廿五日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代謙吉殿 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) 二〇六 愛甲郡奨兵義会規則(一-二) (一) 愛甲郡奨兵義会規則 第一条 本会ハ今回日露戦役ニ従事スル本郡出征ノ海陸軍人及ヒ其家族ヲ慰労奨励スルヲ以テ目的トス 第二条 本会ハ愛甲郡奨兵義会ト称シ事務所ヲ愛甲郡役所内ニ置ク第三条 本会ニ於テ施行スベキ事業ノ概目左ノ如シ 一 各自ノ忠愛至誠ノ義捐金ヲ募集スル事 二 出征軍人一般ニ対シ金員物品ヲ寄贈スル事 三 本郡在住ノ応召者並ニ現役兵及ヒ其家族ヲ慰藉シ生計ニ困難セルモノアルトキハ之ニ扶助金ヲ贈与スル事 四 本郡在籍軍人ニシテ日露戦役ニ関シ死傷シタルモノアルトキハ弔祭料若クハ慰問料ヲ寄贈スル事 第四条 前条第二号ノ寄贈金ハ其当時ニ於ケル義捐金募集額十分ノ一以内トス 前条第三其扶助金ハ一戸一ケ月金五円以内トス 第五条 何人ヲ問ハズ本会ノ設立ヲ賛助スル者ヲ以テ会員トス 第六条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク 会長 一名、副会長 一名、理事 若干名 委員 二十二名、専務委員 十一名 第七条 会長副会長ハ委員之ヲ推薦シ理事ハ会長之ヲ任免シ委員ハ一町村(組合村ハ一村ト見做ス)二名ツヽトシ其町村会員ノ協議ヲ以テ之ヲ挙ケ専務委員ハ町村長若クハ助役ニ嘱託スルモノトス 第八条 会長ハ会務ヲ総理シ議事ノ議長トナル副会長ハ会長ヲ補佐シ会長事故アルトキハ副会長之ヲ代理ス 理事ハ会長ノ指揮ヲ受ケ庶務ニ従事ス 委員ハ本会事業執行ニ関スル協議ニ参与スルモノトス 専務委員ハ事業執行ノ協議ニ参与スルハ勿論常ニ会務ヲ分担処理スルモノトス 第九条 本会ノ経費ハ篤志者中ヨリ別ニ之ヲ醵集シ義捐金中ヨリ支出セザルモノトス 第十条 委員会及専務委員会ハ予メ規定セス必要ニ応シ之ヲ開クモノトス 第十一条 会員惣会ハ委員三名以上ノ意見若ハ会員二十分ノ一以上ノ需ニ依リ之ヲ開クコトヲ得 第十二条 本会ノ事業並収支計算ハ半年毎ニ一回之ヲ公告ス 第十三条 本会ハ其ノ目的トスル事業ノ必要止ミタル時ヲ以テ解散ス (二) 愛甲郡奨兵義会規則 第一章 名称及目的 第一条 本会ハ愛甲郡奨兵義会ト称ス 第二条 本会ノ目的ハ平時ニ軍人ヲ優待奨励シ以テ郡民尚武ノ志気ヲ涵養シ一朝有事ノ日ニ方リテハ全郡挙テ力ヲ本郡出征軍人ノ家族慰問救済等ニ致シ以テ軍人ヲシテ其ノ本分ヲ尽サシムルニアリ 第二章 事務所 第三条 本会事務所ハ当分愛甲郡役所内ニ置ク 第三章 組織 第四条 本会ハ本郡住民ヲ以テ組織ス 第四章 事業 第五条 本会ハ第二条ノ目的ヲ達スル為メ左ノ事業ヲ施行ス 一 徴兵ノ為メ入営スル者ニ対シ応分ノ金円ヲ贈与スルコト 二 入営者ノ家族疾病ニ罹リ又ハ貧窮ニシテ生計困難ナルモノニ対シ相当ノ扶助ヲナスコト 三 本郡内ノ在郷軍人ニシテ戦事若クハ事変ノ為メ応召ノ者又ハ現役中ノ者ニシテ戦時若クハ事変ニ関スル任務ニ従事シタルモノニハ相当ノ金円ヲ寄贈シ且ツ慰問ヲナスコト 四 前項ノ家族ニ対シテハ戦事若クハ事変中業務ノ補助ヲナシ生計ニ困難ナルモノアルトキハ応分ノ扶助金ヲ贈与スル事 五 本郡出身ノ軍人ニシテ戦事若クハ事変ノ為メ死傷者アリタル時ハ弔祭料若クハ慰問料ヲ寄贈スルコト 六 徴兵検査及簡閲点呼ニ出頭シタルモノニハ一人ニ付金拾銭ツヽ弁当料ヲ給与スルコト 七 徴兵検査ノ際抽籤総代人ニ選バレタル者ニハ一人ニ付金参拾銭ツヽノ手当金ヲ給与スルコト 八 軍隊通行ノ節ハ送迎款待ヲナスコト 九 軍隊行軍演習ノ際ハ優待ノ実ヲ挙ゲ出来得ル限リ便宜ヲ与フルコト 十 前各項ノ外臨時ニ生シタルモノニシテ会長ニ於テ必要ト認メタル事件 第六条 前条第一号乃至第五号ノ給与金支給方法ハ別ニ之ヲ定ム 第五章 役員及職務権限 第七条 本会ニ左ノ役員ヲ置キ其ノ任期ハ各三ケ年トス 但シ俸給手当等ヲ支給セズ 会長一名 理事長一名 理事若干名 第八条 会長ニハ本郡長ヲ推薦シ理事長及理事ハ会長之ヲ嘱託ス 第九条 会長ハ本会一切ノ事務ヲ総理ス 理事長ハ会長ヲ補佐シ会長事故アルトキハ之ニ代ハル 理事ハ会長ノ指揮ヲ受ケ庶務ニ従事ス 第六章 支部 第十条 本会ハ各町村ニ支部ヲ置ク 第十一条 支部ニ支部長ヲ置キ其支部ニ関スル一切ノ事務ヲ掌理セシム 第十二条 支部長ハ各町村長ニ嘱託ス 第十三条 支部ニ関スル規則ハ其支部ニ於テ適宜之ヲ設定シ会長ノ承認ヲ受クベシ 第十四条 支部ノ経費ハ其支部限リ支弁スルモノトス 第七章 会議 第十五条 毎年一回常集会ヲ開キ其ノ年度ノ経費予算及必要ノ事件ヲ議決シ前年度ノ決算ヲ認定スルモノトス 第十六条 本会ハ必要ニ応ジ又ハ支部長三分ノ一以上ノ請求ニ依リ臨時会ヲ開会スルコトアルベシ 第十七条 会議ノ議長ハ会長ヲ以テ之ニ充テ議員ハ支部長ヲ以テ之ニ充ツルモノトス 第八章 会費 第十八条 会費ハ各町村一ケ年一戸ニ付平均金弐銭ツヽノ割合ヲ以テ醵出スルモノトス 第十九条 非常ノ場合ニ於テハ前条ノ外臨時ニ相当ノ金額ヲ醵出スルモノトス但シ此ノ場合ハ会議ノ議決ヲ経ルモノトス 第二十条 会長ハ毎年四月及臨時ニ徴収期ヲ定メ其町村支出金額ヲ支部ニ通知ス 第二十一条 支部長ハ前条ノ通知ヲ受ケタルトキハ直ニ其ノ金額ヲ取纒メ会長ヘ送付スルモノトス 第二十二条 会費其他ノ諸収入金ハ会長之ヲ管理シ確実ナル銀行ニ預ケ置クモノトス 第二十三条 会計年度ハ政府ノ会計年度ト同一トス 第九章 付則 第二十四条 本会規則ハ議員三分ノ二以上ノ同意アルニアラザレバ改正加除スルコトヲ得ズ (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) (注)これは明治三十七年六月六日付のものである。 二〇七 郡市別軍人家族救護の状況調査 明治三十七年八月卅一日応召軍人家族救護ノ状況調査 横浜連隊区 (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) 二〇八 無資力者の韓国渡航抑制の件通達 中庶第一七五一号 時局ノ発展ニ伴ヒ韓国渡航者ノ数著シク増加シタル趣ノ処右等ノ内ニハ無資力ニシテ一定ノ目的ナク唯何等カノ職業ニ従事シ得ラルベシトノ空漠タル思想ヲ懐ク者続々入迄ミ其結果直ニ生計上ニモ困難ヲ来タシ遂ニハ他人ノ救助ヲ仰キ又ハ警察ニ向テ保護ヲ願出ツル如キ悲境ニ陥リ居ル者不少ヲ以テ一定ノ目的ナキ無資力者ハ濫リニ同国ヘ渡航セサル様注意方其筋ヨリ通牒有之候条此際該国渡航者ニ対シテハ特ニ注意ヲ与ヱラルベク此段及通達候也 明治三十七年四月三十日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代謙吉殿 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) (注)大磯町役場所蔵資料に同様のものがある。 二〇九 イギリス公使夫人の義捐金皇后より下賜の趣旨徹底の件通牒 中庶第三一九四号 出征軍人家族中生計困難ノ者救護ノ目的ヲ以テ醵集シタル義捐金英国公使夫人ヨリ 皇后陛下ヘ献納相成リタル趣ヲ以テ今般御下賜相成候ニ付左記ノ通リ及送付候就テハ客月廿四日中庶第二九二六号ヲ以テ申入候本県戦時軍人家族救護会ヨリ慰問状及酒肴料ヲ受ケタル人名ヘ配与ノ上御思召ノ貫徹ヲ期スル様特ニ配意可有之此段及通牒候也 明治三十八年八月十七日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代新太郎殿 一金六円弐拾七銭参厘 但シ四十一人分一人ニ付金拾五銭参厘ツヽ 一金参拾四銭 但国庫救護者弐人分一人ニ付金拾七銭〇厘ツヽ 計六円六拾壱銭参厘 追テ受領証ハ別紙ヘ記名調印ノ上至急送付可有之段申添候也 領収書 一金六円六拾壱銭参厘 内金六円弐拾七銭参厘 但四拾壱人分一人ニ付金拾五銭参厘ツヽ金参拾四銭 但国庫救護者弐人分一人ニ付金拾七銭〇厘ツヽ 右出征軍人家族中生計困難ノ者ヘ 御下賜相成候ニ付正ニ受領候也明治三十八年八月廿一日 大磯町長 宮代新太郎 中郡長 白根鼎三殿 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) 二一〇 時局に関する新聞報道記事謬説注意の件通達 拝呈益々御清栄欣賀之至リニ候陳者刻下多事ノ際殊ニ時局ノ進捗ト共ニ最モ緊要ノ時機ニ際会致候折柄トシテ一般ノ言論漸ク滋カラントシ新聞紙上往々訛伝謬説ヲ流布シ徒ラニ人心ヲ疑感セシムルモノナキニアラス候処就中国民新聞ハ其所説確実ニシテ内外ノ報道モ比較的事実ノ真象ヲ得タルモノトノ事ニ候間此際殊ニ御留意ヲ煩ハシ度此段得貴意度候 草々 明治三十八年八月十八日 白根中郡長 宮代大磯町長殿 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) 第三節 日露戦争後地方経営方針 二一一 郡長会における県知事周布公平の演達要項(一-二) (一) 過般招集ノ郡長会ニ於ケル知事演達事項中諸君ニ移達スベキ必要ノ事項ハ別紙ニ之ヲ掲クルヲ以テ諸君ハ其意ヲ諒トシ須ラク服膺セラレンコトヲ望ム (別紙) 演達要領 事局ノ経過其他治務ニ関スル件 今日諸君ヲ招集シタルハ政府ヨリ示サレタル事局ノ経過及将来ノ心得方等ニ関シ諸君ニ訓示スルノ必要アルヲ以テナリ諸君モ知ラルヽカ如ク政府ハ曩ニ米国大統領ノ忠言ニ基キ全権委員ヲ簡派セラレ我委員ハ数次露国委員ト会商スル所アリ政府ハ将来ニ於ケル我国ノ発展ニ鑑ミ継戦ノ利害ヲ較量セラレタル結果去ル五日ヲ以テ平和条約ノ調印ヲ了ルニ至リタリ平和確立ヲ見ルノ日盖シ遠キニアラサルベキヲ信ス抑モ今回ノ交戦二十ケ月ニ渉リタルニ拘ハラス外征ノ師ハ連戦連捷ノ功ヲ奏シ国民ハ鋭意其常業ヲ勉メ国体ノ培養ニ戦費ノ供給ニ毫モ倦怠ノ跡ナク挙国一致 聖旨ヲ奉シテ交戦ノ事ニ従ヒタリ是実ニ 陛下ノ御稜威ト国民ノ忠誠トニ因ルト雖トモ諸君カ能ク上司ノ旨ヲ体シ励精職ニ当リ直接扶掖誘導ノ任ヲ尽セルモノ亦与テ力アルヲ疑ハズ而シテ平和確立ノ日将ニ近キニアラントスルノ今日ニ於テ将来ノ計ヲ為スル実ニ当面ノ急務ナルベシ夫挙国一致ハ戦時ニ於テ已ニ右ノ如キ好果ヲ生シタリ戦後ノ施治モ亦之ヲ以テ基礎トナサヾルベカラズ国力ノ発展ハ今後挙国一致益々全力ヲ注カサルヘカラサル所ニシテ又盖シ穏健ノ思想ト進取ノ気象ニ富メル我国民ノ須臾モ忽カセニセサル所ナリ然レトモ其之ヲ善導シ扶掖スルノ任ニ至リテハ実ニ諸君ニ待ツ所ノモノ尠シトセス東洋ニ於ケル我帝国ノ地位ヲ確立セル名誉アル交戦ノ結果ハ更ニ光輝アル国運ノ発達ヲシテ之ニ伴ハシメサル可カラス諸君ハヨク此主旨ヲ服膺シテ其職責ヲ全フセラレンコトヲ望ム 曩ニ東京市ニ紛騒ノ起ルアリ次テ県下横浜市ニ意外ノ騒擾ヲ見タルハ実ニ遺憾ニ堪エサル所ナリ而シテ横浜市ニ於ケル騒擾ハ迅速ニ之ヲ鎮撫センカ為メ出兵ヲ乞フノ止ムナキニ至リ幸ニ事忽チ静穏ニ的シタリト雖トモ諸君カ職ヲ任所ニ執ラルヽニ当リ指導宜シキヲ得治下ノ人民ヲシテ平静其業ニ安ンセシメ右等軽躁無謀ノ挙ナカラシムルニ努メラレンコトハ本官ノ切ニ希望スル所ナリ 来年度郡市町村ニ於ケル事業ノ計画ニ関シテハ宜シク事ノ緩急ヲ計リ戦后経済ノ伸縮ニ注意シ将来国力ノ発展ニ資スルニ於テ遺憾ナキヲ期シ益々奮励努力セラレンコトヲ望ム 先日新聞取締ニ関スル緊急勅令発布セラレタリ是レ素ヨリ現状ニ鑑ミ秩序ノ維持ニ重キヲ置カレタルカ故ニシテ毫モ正当ナル言論ヲ抑圧セラレントスルノ主旨ニアラサル固ヨリ言ヲ待タス諸君ニ於テモ亦其意ヲ領シ居ラルヽハ本官ノ信シテ疑ハサル所ナリ 町村歳計決算ノ義ニ関スル件 町村歳計決算ハ制第百十二条ニ依リ町村会ノ認定ヲ経町村長ハ之ヲ郡長ニ報告シ郡長ハ知事ニ報告スヘキ例ナリ然ルニ往々報告期限〔七月十五日〕ヲ経過スルモ報告書ノ到達セラル向アリ右ハ町村財務ノ不整理ナルト収入役ノ執務怠慢ナルトニヨリ町村会ノ認定遅延スルニ原因スルモノナラント信ス依テ平素ニ在テ財務ノ整理ニ専ラ力ヲ致シ右等過怠之レ無キ様留意セラレンコトヲ望ム 又無資力者ノ納税延期ヲ許スニ当リ年度ヲ越ユル場合ハ町村会ノ議決〔制第百二条〕ニ付スヘキ規定アルニ拘ハラズ決算結了期ニ至リ之ヲ議決シ甚シキハ決算結了期ヲ経過シ議決スルモノアリ斯クノ如キハ執法ヲ緩漫ニ付スルノ結果形式ニ陥リ法ノ精神ヲ没却スルモノニ付将来充分注意セラレンコトヲ希望ス (二) 実業教育ニ関シ別紙ノ通知事ヨリ訓示ノ処本郡ニ於テハ殆ント各町村共実業補習学校設置ノ予備トシ青年夜学会ノ開催ヲ見ルニ至ルヲ以テ近キ将来ニ於テ該学校ノ教興スルヤ明カナリ故ニ今〓ニ之ヲ喋々スルノ要ナシト雖トモ此際諸君ニ於テモ奮然蹶起以テ実業補習学校設置ノ一日モ速カナラシメラレンコトヲ望ム (別紙) 実業補習学校設置ニ関スル件 時勢ノ趨向ヲ察シ我邦ノ将来ヲ慮ルニ実業ノ発達ヲ期シ富力ノ増進ヲ図ルハ最モ刻下ノ急務ナルヲ信ス而シテ実業ノ基礎ハ教育ニ在リ殊ニ将来農工商等実業ニ従事シ自ラ労務ヲ執ラントスル小学卒業ノ児童ニ対シ之ニ要スル智識技能ヲ普及スルハ甚須要ニシテ其効果頗ル大ナルモノアラン乃チ県内普ク是等ノ児童ヲシテ就テ学ハシムヘキ簡易ナル実業教育機関ノ経営ヲ為スノ要アリ 又一方ニ於テ県下小学児童卒業ノ後其家ニ在リテ実業ニ従フ者ヲ観ルニ概ネ復学ヲ修メス年長スルニ従ヒ嘗テ学ヒ得タルモノモ漸ク忘却シ無学ノ輩ト敢テ択フナキニ至ル者多ク且児童小学ヲ卒テ成年ニ達セサルノ間ハ性情未タ定マラサルカ故ニ動モスレハ社会ノ誘惑ニ遇ヒテ邪路ニ陥ル者亦尠カラス蓋シ小学教育ノ効果ヲ永遠ニ全カラシメントセハ其卒業後ニ在リテモ尚記憶ヲ確実ニシ学力ヲ進ムルノ機会ヲ与ヘ勤学ノ慣習ヲ失ハサラシムル為メニ補習教育ヲ施スノ必要アリ况ンヤ現時義務教育ノ程度高カラサルヲ以テ之カ補習増進ノ途ヲ講スルノ洵ニ已ムヲ得サルモノアルニ於テヲヤ 実業補習学校設置ノ普及ハ前述ノ要求ヲ充スニ適スルモノト云フヘシ実業補習学校ハ各種ノ実業ニ従事シ若ハ従事セントスル者ニ簡易ナル方法ニ依リ其職業ニ要スル智識技能ヲ授ケ併テ小学校教育ノ補習ヲナスヲ目的トスル特種ノ機関ニシテ其経営ノ簡便ナル其費用ノ僅少ニシテ足ルモノ斯校ニ如クハナシ故ニ之カ設置ノ普及ヲ奨励シ一ハ以テ実業ノ発達ニ資シ一ハ以テ小学教育ノ効果ヲ永遠ナラシメ兼テ其足ラサルヲ補ヒ以テ今日ノ急務ニ応セントス 諸君宜シク実業学校令及実業補習学校規程ノ精神ニ基キ簡易ヲ主トシ適切ヲ旨トシ其設置ヲ普及セシムルニ努メラレンコトヲ望ム (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) (注)郡長会は明治三十八年九月下旬に開催されたものと思われる。 二一二 平和条約調印の件通牒 中庶第三七六八号 政府ハ曩ニ米国大統領ノ忠言ニ基キ全権委員ヲ簡派セラレ我委員ハ数次露国委員ト会商スル所アリ政府ハ将来ニ於ケル我国ノ発展ニ鑑ミ継戦ノ利害ヲ較量セラレタル結果客月五日ヲ以テ平和条約ノ調印ヲ了ルニ至レリ平和確立ヲ見ルノ日盖シ遠キニアラサルベキヲ信ス抑モ今回ノ交戦二十ケ月ニ渉リタルニ拘ハラス外征ノ師ハ連戦連捷ノ功ヲ奏シ国民ハ鋭意其常業ヲ勉メ国本ノ培養ニ戦費ノ供給ニ毫モ倦怠ノ跡ナク挙国一致 聖旨ヲ奉シテ交戦ノ事ニ従ヒタリ是レ実ニ陛下ノ御威稜ト国民ノ忠誠トニ因ルト雖トモ町村長タルモノ能ク聖旨ヲ体シ励精職ニ当リ直接扶掖誘導ノ任ヲ尽セルモノ亦与リテ力アルヲ疑ハス而シテ平和確立ノ日将サニ近キニアラントスルノ今日ニ於テ将来ノ計ヲ為スハ実ニ当面ノ急務ナルベシ夫レ挙国一致ハ戦時ニ於テ已ニ右ノ如キ好果ヲ生シタリ戦後ノ施治モ亦之レヲ以テ基礎トナサヽルベカラス国力ノ発展ハ今後挙国一致益々全力ヲ注カサルベカラサル所ニシテ又盖シ穏健ノ思想ト進取ノ気象ニ富メル我国民ノ須臾モ忽セニセサル所ナリ然レトモ其ノ之レヲ善導シ扶掖スルノ任ニ至テハ実ニ町村長ニ待ツ所ノモノ尠シトセス東洋ニ於ケル我帝国ノ地位ヲ確立セル名誉アル交戦ノ結果ハ更ラニ光輝アル国運ノ発達ヲシテ之レニ伴ハシメサルベカラス故ニ克ク此主旨ヲ服膺シテ其職責ヲ全フセラレンコトハ本官ノ希望スル所ニ有之候此段及通牒候也 明治三十八年十月三日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代新太郎殿 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) (注)この通牒の内容は、郡長会における知事の演達要領にすでに現われている。 二一三 工業所有権保護協会設立の件通牒 中庶第三七七八号 近来我国運隆興シ世界強国ノ列ニ加フルニ至レリ然ルニ今日列強ト相対シ優勝ノ地位ヲ占メンニハ挙国一致平和ノ備ヲ鞏固ニシ国力ノ充実ニ尽瘁セサルベカラス従テ我国民ハ極力産業ノ発展ニ従事シ平和ノ競走ニ打勝ツノ実力ヲ養成スルコトニ勉ムルハ勿論ノ義ニシテ其発展ニ関シテハ之レカ基礎タル発明意匠商標等ノ保護奨励ハ最モ緊要ノ事項ニ属スルヲ以テ発明者考案者商工業者ノ為ニ其保護奨励ノ方法ヲ講シ産業ノ発展国力ノ充実ヲ期スル為メ今般同志相謀リ工業所有権保護協会会ヲ設立シタル趣ヲ以テ同会会長清浦男爵ヨリ産業者ニ入会勧誘方申越候条夫々勧誘方取斗相成候様致度尤モ該設立趣旨書ハ当庁ニ就キ閲覧候様取斗ハルベク此段及通牒候也 明治三十八年十月四日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) 二一四 内債募集にさいし留意すべき措置の件通達 中庶第九八八号 拝啓陳者内債募集ノ件ニ関シ過般会同ヲ煩ハシ御協議致候次第モ有之目下夫々御尽力中トハ存候ヘ共 帝室及日本銀行其他主要ナル銀行ノ応募内定額ハ総計一億二千七百四拾六万円尚第四回及第五回国庫債券ノ海外ニ流出セルモノ約一億三千万円ノ趣ニテ其所有者ハ新内債ニ乗替ヘントスル向モ不尠見込トノ情報我政府ニ達シ候由又今般政府ハ鉄道国有法案ヲ帝国議会ニ提出セラレ候処一時ニ巨額ノ公債発行セラレ其価格ニ影響ヲ及ホスベシトノ説ヲ為スモノアルモ法案ニ明記セラルヽ如ク買上ハ今後五ケ年間ニ漸次之ヲ実行シ代償トシテ発行スル公債ハ買収ノ日ヨリ二ケ年以内ニ時宜ニ応シ株券ト引代ニ発行交付セラルヽ趣ニ候ヘハ一般経済ニ不良ノ結果ヲ来スカ如キコトハ有之間敷尚我政府ニ於テハ諸公債ハ鉄道収益ヲ以テ約四十ケ年内ニ整理償還セルノ経画モ相立居候由ニ付右償還後ハ毎年五千五百万円ノ歳入ヲ増スノ計算ニシテ財政上有利ナルノミナラス鉄道国有ノ実行ニ依リ内地経済上ノ発達ヲ促スコト多大ナルベシト存候ヘバ此辺御含ミノ上今回ノ募債上一般ノ誤解ナキ様機宜ノ措置ヲ取リ此上共一層御尽力ヲ煩ハシ度此段得貴意候 匆々 明治三十九年三月十五日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長 宮代新太郎殿 (「日露事変書類」(明治三七―三九年)大磯町役場蔵) 二一五 愛甲郡町村長会における郡長演達要項(一-二) (一) 演達要領 地方行政ニ関スル件 日露戦役ノ後ハ我国民ノ発揮シタル技能ト精神トニ由リ欧米列強ト国情ノ疎通ヲ得以テ益帝国ノ地位ヲ高ムルニ至リタルハ各位ト共ニ慶賀ニ堪ヘサル所ナリ然レトモ之ト共ニ我帝国ノ責任モ重且大ヲ加ヘ利権ノ伸張及条約等ニ基ク帝国ノ負担ヲ遂行センニハ此際更ニ大ニ国力ノ発展ヲ計ラサルヘカラス今日ハ所謂戦後経営ヲ計画スヘキ時機ニシテ国力培養ニ関スル地方事業ノ施設若ハ各般ノ奨励ハ各位ノ技能ト勉励トニ俟ツモノ甚タ多シ各位ハ宜シク其職責ヲ尽シ并ニ国民ノ指導啓発ニ遺算ナキヲ期セラレンコトヲ望ム 近時帝国ノ国状欧米諸国ニ紹介セラルヽ結果外人トノ関係益多キヲ加フルニ付テハ此際吾国民ノ是等人士ニ対スル態度ハ極メテ誠実鄭重ニシテ且苟モ相互間ニ誤解ナキヲ務メサルヘカラス深ク各位ノ留意ヲ望ム 戦後事務ノ劇増ニ伴ヒ益地方事務刷新ノ必要ヲ認ム依テ各位ハ法律命令ノ許ス限リ責任ヲ以テ充分ニ地方行政ノ改良進歩ヲ図リ繁文縟礼ノ如キ一日モ之ヲ除クコトヲ忘ルヘカラサルノミナラス下僚ヲ督励シテ行政上諸種ノ弊害ヲ除キ熱誠以テ刷新ノ実ヲ挙クルニ努メラレンコトヲ望ム 今秋ニ於ケル県郡会議員選挙又明年ニ於ケル衆議院議員選挙ニ対シテハ従来ノ方針ニ依リ最モ公平ニ最モ厳正ニ法律規則ヲ執行シ苟モ之ニ干渉スルカ如キ行動アルヲ許サス追テ其時期ニ際シ重テ訓示スル所アルヘシト雖予メ此意ヲ体セラレンコトヲ望ム 町村税滞納防止ニ関スル件 町村税滞納防止ノ方法設定方ニ関シテハ従来屢々訓示又ハ通牒スル所アリト雖トモ滞納額ハ年ヲ逐フニ従ヒ累積ヲ免レサルヲ以テ現在ニ於ケル滞納ノ額ハ実際莫大ノ巨額ニ達スルモノアリ抑町村税ノ滞納ニシテ其弊ヲ矯正スル能ハス又之レカ整理ヲ遂クルコトヲ得サランカ町村ノ財政ハ之レカ為ニ紊乱シ諸般ノ施設ハ之レカ為ニ障碍セラレ延テ種々ノ紛擾ヲ惹起シ遂ニ自治ノ発展ヲ阻害スルニ至ルハ既往ノ事例ニ徴シ明ナリ依テ各位ハ此際納税組合若クハ徴税区及常設委員ヲ設置スル等其町村ノ状況ニ応シ毎町村各別ニ適当ノ方法ヲ設ケ滞納ノ弊習ヲ矯正シ従来ノ滞納モ亦適当ノ方法ニ依リ以テ之レカ整理ヲ遂ケ速ニ町村財務ノ面目ヲ一新シ各町村一齊ニ整善ノ実ヲ挙クルニ努力セラレンコトヲ望ム 殖産ニ関スル件 殖産興業ニ対スル針路ハ更ニ変更スル所ナシ各種ノ法令ニ遵ヒ尚益改良発達ヲ促進スルノ方策ヲ講スヘシ就中特ニ留意スヘキ事項ニ関シ告ケントスルモノ左ノ如シ 一 耕地整理ハ施行以来已ニ五六ノ星霜ヲ経本事業ハ非常ニ国益ヲ増進スル所以ニシテ且其施設及費用ニ対シテハ補助ヲ与フルノ途備ハレルニ拘ハラス一般農民ハ旧慣古習ヲ墨守シ又ハ水利ノ関係上苟息ヲ事トシ躊躇逡巡ノ傾向ヲ脱セスシテ常ニ遅々ノ状態ニ在リ未タ著シキ進捗ヲ見ルニ至ラサルハ太タ遺憾ニ堪サル所ナリ今后大ニ力ヲ整理発起ノ誘導奨励ニ注カサルヘカラス 一 生糸ハ我農産物中重要ナルモノニシテ之レカ輸出額ハ一億一千六百万円ニ上リ近来春蚕ハ勿論夏秋蚕ノ飼育大ニ流行シ随テ桑葉欠乏シテ斯業ヲ阻害セントスルノ恐アリ政府ハ已ニ桑園奨励ニ付キ新タニ方策ヲ講シ本県ニ於テモ其旨意ヲ体シ近日奨励補助ノ方法ヲ設定セラレントス善ク当業者ヲ利導シ飼料経済ノ調和ヲ謀ルハ当面ノ急務タリ 一 畜産良種ノ蕃殖ニ関シテモ本年度ニ於テハ新ニ奨励ノ途ヲ開キ県農事試験場ニ於テ相当ノ設備ヲ施シツヽアリ之ヨリ大ニ其普及ヲ図ラサルヘカラス 一 工業品中重要ノ地位ヲ占ムル羽二重ノ如キ生糸ノ如キ海外貿易品ノ取引ハ個々ノ力ヲ以テシテハ到底大成ノ望ナキハ更ニ弁明ヲ待タス宜シク当時者カ鞏固ナル団結ヲ以テ之ニ当ラサルヘカラス組合組織ノ奨励他ノ農業ニ対スルヨリ商工業ニ於テハ更ニ一段ノ必要ヲ感スル所以ナリ奨励ヲ要ス 一 今回森林法ノ改正ハ従来最モ荒廃ニ陥リ易キ公有林特ニ町村林ニ対シテハ施業案ヲ立ツルカ如キ厳密ナル規定ヲ設ケタル等順次改良ヲ謀リ山林ノ面目ヲ一新シ将来大ニ利益ヲ収メントスルコト立法趣旨ノ主要ナルモノナレハ此辺予メ十分ノ考慮ヲ注クヘシ其他林道運搬路ノ制森林組合ノ規定等是皆林政振作ノ目的ニ伴フモノナルニ依リ各位宜シク之レヲ詳細ニ研究シ以テ其ノ運用ヲ完カラシメンコトヲ期セラルヘシ 一 来四十五年東京ニ於テ開設ノ博覧会ハ内国勧業博覧会ト万国博覧会トヲ折衷シ時勢ニ適応シタル比較的大規模ノモノニシテ之レカ出品ハ戦勝国民ノ面目トシテ飽迄モ慎重ノ注意ヲ加ヘサルヘカラス今ヨリ徐々準備手段ヲ講スルヲ要ス 教育ニ関スル件 義務教育年限延長ノコトハ既ニ関係法令ニテ承知セラルヽ所ナリ此事タル教育制度上最モ重大ノ施設ニシテ本邦教育ノ沿革ヨリ見ルトキハ一新紀元ヲ為スモノト言フヲ得ベシ 蓋シ明治政府創業ノ当時ヨリ国民教育ノ年限ハ外国ノ例ニ顧ミ八ケ年ヲ以テ常ニ理想トシタルモノヽ如シ這ハ三十余年間ノ教育制度ノ変遷ヲ見ルトキハ其事蹟歴然タルモノアリ 然ルニ今日マテ義務年限ハ依然四ケ年ニテ推シ移リ来リタルハ民力其負担ニ堪ヘズ教員不足シ且ツ四ケ年ニテモ尚就学ノ歩合未ダ多カラズ学齢児童就学督促ノ余地少ナカラサリシタメ俄ニ制度ノ変更ニ着手シテ年限ノ延長ヲ断行シ得ザリシ等ノ事情アリシニ依ラレタルモノト信ス 今般ノ改正令ハ已ニ各位ノ熟知セラルヽ所ナレハ〓ニ細目ニ渉ルノ要ヲ見ズト雖モ一二注意ヲ要スヘキモノアリ 改正令ハ明治四十一年四月一日ヨリ実施スルコトヽアルモ児童ニ延長制度ノ実施セラルベキハ其ノ翌年即チ四十二年四月一日ヨリ始マルハ法文当然ノ結果ナレハ当今ヨリ尚ホ二ケ年ノ準備時期アルヲ以テ地方ハ急激ノ変更ヲ受クルコトナク総テ秩序的ニ経営スルコトヲ得ベシ 義務教育ノ延長ヲ実行スルニ当リ地方ノ事情ニ顧ミ不得止場合ニハ一定ノ期限内従前ノ規定ニ依ルコトヲ許サレタリ然ルニ此除外例アルガ為メ油断ヲナシ遅緩ノ態度ヲ以テ之カ実施ニ当ルコトアラバ此法令ノ精神ヲ没却スルモノナリ如此除外例ヲ設ケラレタルハ真実余義ナキ場合ヲ考ヘ遺憾ナガラ緩急ノ加減ヲ加ヘラレタルモノニシテ各位ハ可成実地ノ事情ヲ調査シ此ノ除外例アルガタメ当然ノ義務ヲ怠ラザル様予メ配慮セラルベシ中学校、高等女学校、実業学校〔夜間等ニ開ク実業補習学校ヲ除ク〕ハ小学校ノ施設ニ妨ゲナキ場合ニ於テ設置ヲ許スベキモノナレバ改正小学校令ノ実施シ難キ町村ニ於テハ是等学校ノ設置ヲ許サルベキニアラズ 又改正令ノ規定ニ依リ尋常小学ハ六ケ年ニテ修了スルコトヽナリ乃チ従来ノ高等小学二ケ年ヲ終ユルト粗ボ同一ノ程度年限トナルガ為メ改正実施ノ暁ニハ六ケ年ノ義務教育ハ直ニ中学校ノ予備教育タル傾向ヲ生ズル虞ナシト云フベカラズ 従来高等小学二年ヨリ中学校ヘ入学スル連絡アリテ小数ノ中学生ヲ供給スルガ為メ動モスレバ小学校ハ中学校ノ予備タル任務アルノ感ヲ起サシメ教員モ小学校ハ各階級中ノ初歩ノ教育ヲ授クルモノト心得其大多数ニハ最終ノ教育タルヲ忘却シ生徒父兄モ亦流行ニ駆ラレ漫ニ中学校ニ進ミ上級学校ニテ大成スルノ希望ヲ懐クモノ少カラザルハ従来ノ弊ナリ去レハ今後ハ尋常小学ノ卒業ハ直ニ中学校ヘノ連絡ヲ意味スルヲ以テ此ノ風潮ヲ一層盛ナラシムルノ虞アリ若シ果シテ杞憂ニ過ギズシテ止マバ実ニ賀ス可キノ至リナルモ是迄ノ経験ニ徴スルトキハ直ニ懸念ニ堪ヘザルヲ以テ各位ハ深ク〓ニ留意シテ尋常小学ハ飽クマデ国民教育タル独立ノ教育ニシテ殆ント上級ノ教育ニハ関係ナキモノトシテ経営セラレンコト此際殊ニ考慮ヲ煩ハス所ナリ 教育ノ成蹟ヲ挙ゲントセバ教員ノ待遇ヲ厚ウシ以テ教育界ニ優秀ナル人物ヲ得ンコトヲ努メザルヘカラズ小学校教員ノ待遇ニツキテハ各位モ事情ノ許ス限リ有形ニ無形ニ待遇ヲ厚ウスルノ途ヲ講ゼラルベシ 学校基本財産ノ設置及ビ其ノ増殖ニ就キテハ従来奨励シ来レル所ニシテ近年漸次良好ノ成蹟ヲ顕ハスニ至リタレドモ尚大ニ奨励実行ヲ努メ学林ノ如キ成ルベク長期ニ渉リタル継続ノ計画ヲ立テ他年教育費ノ大部分ハ之ヨリ生ズベキ利子及利益ヲ以テ支弁スルガ如キ遠大ノ目的ノ下ニ設置セラレンコトヲ望ム又学校ノ積立金ノ蓄積モ之ニ準シテ平素奨励実行ニ努メテ他日ノ準備ヲ為シ学校ノ改築増築等ヲ容易ナラシムルコトヲ努メラレンコトヲ望ム学校教育ノ普及発達ト共ニ公衆ノ智徳ヲ増進セシムルハ社会教育上最モ緊要ノコトヽナス公衆ノ智徳ヲ増進セシムルノ方法種々之レアルベシト雖モ図書館ヲ設置シ公衆ノ縦覧ニ供シ以テ其ノ読書ノ趣味ヲ促進スルハ最モ適当ナル方法ノ一タルヲ疑ハズ而シテ之カ設置ニ就キテハ少数ノ大図書館ヨリモ寧ロ多数ノ小図書館ヲ設クルヲ以テ利アリトス故ニ小学校ノ如キニアリテモ成ルベク小図書館ヲ付設シ職員生徒ノ利便ヲ図ルト共ニ公衆ノ利便ニ供センコトヲ望ム 是迄屢地方青年団体ノ組織事業等ニ関シ各位ノ調査報告ヲ徴シタリシガ之ヲ利導スルニ於テハ教育上并ニ風俗上有効ト為ルベキモノ少カラス宜シク小学校長等ヲシテ之ガ利導ノ法ヲ講ゼシメ又ハ地方有志者ヲ勧誘スル等青年団体ノ改善ヲ図ランコトヲ期セラルベシ 教育上ノ事実ヲ明瞭ニシ其統計ヲ正確ニスルハ教育施設ノ基礎ナリ之ヲ以テ毎年学事ノ統計報告ヲ徴シ以テ施政ノ参考ニ供ス各位モ亦之ニ依リテ施設セラルヽコトヽ信ズ然ルニ折角ノ統計モ往々正確ヲ失スルノ嫌ナキ能ハザルモノアリ今其ノ一例ヲ挙ゲレハ先般町村ニ就キ学事関係諸帳簿ヲ対照シ之ヲ調査セシメタルニ諸帳簿ノ加除訂正不正確ノ為メ其ノ実際ノ就学歩合ハ統計報告ヨリ著シク減少スルモノアリ斯クテハ統計ノ効果乏キヲ以テ宜シク諸帳簿ノ加除訂正ヲ精密ニシ統計ノ材料及調製等ニ関シテモ一層注意ヲ加ヘ以テ事実ノ表明ヲ正確ニセラレンコトヲ期スベシ 実業補習学校ハ奨励ノ結果其数多キヲ加ヘタリト而シテ将来義務教育ノ延長ニ伴ヒ補習学校入学者ノ普通学ノ素養程度高クナルベキニ付主トシテ力ヲ実業ノ教科ニ注ギ実業ノ智識ヲ与ヘ兼テ普通教育ノ補習ヲ為シ以テ実業補習学校本来ノ目的ヲ達スルハ最モ必要ナルヲ信ズ郡立補習学校ノ如キ勉メテ此方針ニ依リ効果ヲ挙ゲントス各位之ヲ了セラレタシ 兵事ニ関スル件 一 戦役軍備ノ充実ニ関シ急施ヲ要スルモノハ本年度ヨリ著手スルニ至レリ之ニ関連シテ各位ノ助力ヲ要スルモノ今后益多カルヘク殊ニ歩兵三ケ年ノ在営ヲ二ケ年ニ短縮スルノ結果ハ徴集人員及在郷軍人ノ増加ヲ来シ徴兵召集服役等ニ関シ町村役場ノ事務ヲ倍蓰スルニ至ルヘキカ故ニ之カ整理ヲ期スルニハ特ニ各位ノ熱心ナル尽力ニ待タサルヲ得ス戦役中ハ当局吏員ノ奮励ニ依リ幸ニ良好ナル効果ヲ収メタリト雖トモ戦役後事務益多端ヲ加フルニ当リ或ハ之カ弛緩ヲ来スナキヲ保シ難シ諸君ハ深ク此点ニ留意シ敏速確実ニ此等事務ヲ処理スルコトニ努力セラレンコトヲ望ム 一 充員召集ニ関スル諸準備ノ整否ハ動員実施ニ至大ノ関係ヲ有スルコト言ヲ俟タサルトコロナリ今回ノ戦役中町村役場ハ此事務ニツキ多大ノ経験ヲ得タルニ不拘近来該準備不整頓ノモノ少ナカラサルハ甚遺憾トスル所ナリ之レ或ハ大戦ノ後ヲ受ケ其整理未タ完了セサルニ依ルヘシト雖トモ亦其係員中既往ノ経験ニ頼ミ自然平素ノ準備ヲ忽ニスルノ傾向ナキニアラサルヲ以テ能ク其整頓ヲ図リ有事ニ際シ支障ナカラシメンコトヲ望ム 一 徴兵処分未済ニシテ所在不明ナル者ノ捜索ニツキテハ従来屢々訓示スル所アリタリト雖トモ其効果充分ナラス兵役義務ノ均等上遺憾少ナカラス今回陸軍省訓令第一号ヲ以テ調査手段ヲ挙示セラレタルニ依リ本県庁ヨリ不日該調査手続ノ訓令アルヘシ然レトモ此ノ事タル当局者ニ於テ進テ捜査処分ヲ実行スルト共ニ全国各地ヲ通シ常ニ連絡ヲ保持シ相互ノ通報ヲ敏速ニスルニアラサレハ到底実効ヲ望ミ難キ所ナルカ故ニ各位ニ於テハ訓令発布ノ上更ニ適当ノ実施方法ヲ定メ各地共同シテ之レカ実行ニ任セラレンコトヲ望ム 一 陸地測量部ニ於テ建設シタル測量標ハ明治二十九年三月神奈川県訓令第十三号ニ依リ町村長ニ於テ監守ノ責ニ任スヘキモノニシテ従来之レカ注意ヲ促シタルコト数次ニ止マラス然ルニ其異状依然増加スルノミナレハ頗ル遺憾トスル所ナリ元来測量標ハ測量業務ニ必要ナルノミナラス地方官民ニ於テ土地測量ノ基準点トシテ使用シ得ルモノナルヲ以テ確実ニ之ヲ監守セサルヘカラス各位宜シク測量標ノ効用重要ナル所以ヲ一般ニ告知シ其監守ノ確実ヲ期スルト同時ニ陸地測量部ト連繋ヲ待チ地方民ヲシテ之ヲ利用セシメラレンコトヲ望ム 町村廃合ニ関スル知事訓示ノ要領 町村ノ区画ハ成ルベク従来ノ成立ヲ保存シ濫リニ之ヲ変更セザルコト素ヨリ自治制度ノ本旨タリ然レトモ町村ハ自治ノ要枢国家機体ノ基礎ニシテ其ノ治務ノ興廃ハ実ニ百政ノ弛張ニ関ス是ヲ以テ其区域挾小資力貧弱ニシテ独立シテ其ノ自営ノ目的ヲ達スルコト能ハサルモノニシテ尚旧来ノ区域ヲ固守スルハ是レ唯リ其ノ町村自己ノ不利タルノミナラズ亦国家ノ公益ニ非ラザルナリ此ノ如キ小区域ノ町村ニアリテハ宜シク夙ニ自ラ進ンデ相合併シ以テ基礎ノ鞏固ヲ計ルベキノミナラズ監督官庁モ亦機ニ臨ミ指導奨励以テ之ガ啓発ニ勉ムヘキハ自治制度制定ノ要旨トスル所ナリ自治制度実施以来本県町村自治ノ発達ニ就テ見ルベキモノ太ダ尠ナキハ洵ニ所因アリト謂フベシ夫レ現時ニ於テ県下各町村ノ負担ハ既ニ軽シトナサス然ルニ今後社会ノ進運ト国運ノ振張ニ伴ヒ町村ノ負担愈益増進スベキハ自然ノ理勢ニシテ現ニ明治三十年度日清戦役ノ後ニ於テ県下ノ町村税総額三十三万二千余円ニ過ギサリシモノ十年後ノ明治三十九年度ニ於テハ其ノ二倍即チ六十二万八千余円ヲ算スルニ至ル今後教育ニ土木ニ衛生ニ勧業ニ其他時勢ノ発展ト戦后ノ経営ニ随伴スル諸般ノ治務ヲ改善セント欲スルハ町村費ノ負担今日ニ倍加スルノ日アルハ蓋シ遠キニアラザルベシ現時ノ区域ヲ以テスレバ既ニ殆ント負担ノ高処ニ達スル町村ノ資力ヲ以テ限リナキ今后ノ須要ニ応セントス亦タ難カラスヤ然ラハ即チ町村ヲ合併シ其ノ独立ヲ鞏固ニスルハ今后県下ニ於ケル民力ノ増進ト自治ノ発達ヲ計ルノ上ニ於テ最モ必要ノ時勢ニ属スト信ス本来合併ノ目的ハ自治体ノ基礎ヲ鞏固ニシ以テ健全ナル発達ヲ遂ゲシムルニアルカ故ニ謂レナキ不服ヲ唱導シ或ハ党派若クハ一二個人私利ノ関係上団体永遠ノ利益ヲ無視シ町村合併ノ断行ニ支障ヲ来スカ如キコトナキヲ期セラルベシ要スルニ町村合併ハ邦家百年ノ計ヲ為スノ上ニ於テ実ニ止ヲ得サルニ出ツ各位克ク奮励之ニ従事セラレン事ヲ望ム (二) 演達要領 衆議院議員総選挙ニ関スル件 来ル五月施行スベキ衆議院議員ノ総選挙ニ関シテハ先年ノ会議ニ於テ予メ各位ニ一応ノ訓示ヲ為シ且ツ各位ハ昨年既ニ県会議員ノ選挙ニ際シテ厳正公平ニ其選挙ヲ終ハリタルハ深ク満足スル所ナリ今年ノ衆議院議員選挙ニ関シテモ従来訓示ノ趣旨ヲ体シ政党政派ノ何タルヲ問ハズ最モ公平ニ最モ厳正ニ法律規則ヲ励行スベシ殊ニ近年各地方種々ノ弊害ヲ生シ金銭ニ依リテ当選ヲ図ルガ如キ陋劣ナル手段行ハレ為メニ良民ニ不測ノ災禍ヲ蒙ラシメタルノ例少ナカラズ依テ各位ハ深ク此点ニ留意シ予メ部内人民ヲ戒飾スル等犯罪ヲ未発ニ防止スルノ方法ヲ講セラルベシ又従来他地方ニ於テハ専心職務ニ従事スベキ市町村吏員ニシテ或ハ其公務ヲ放擲シ其地位ヲ利用シ奔走運動以テ選挙ノ自由公正ヲ妨害スルノ行為ノ為セルモノアルヤニ聞ク苟モ之レ等職務ヲ曠廃シ若ハ職権ヲ濫用スルモノヽ如キハ断シテ之レヲ寛仮スベキニアラザルニ依リ各位ハ宜シク其意ヲイシ部下ノ監督ヲ厳密ニシ以テ之ガ防遏ノ方法ヲ尽サルベシ斯クノ如ニシテ出来得ル限リ選挙場裡ヲ清浄ナラシメ依テ以テ国民ヲシテ選挙ノ自由ヲ充分ニ保持セシムルニ努メラレンコトヲ望ム 地方財務及地方経営ニ関スル件 明治三十九年度以前ニ属スル市町村税滞納整理ニ関シテハ客年五月本県訓令第三十二号ヲ発布セラレ爾来市町村ニ於テハ着々トシテ之ガ整理ニ力メ予定ノ期間内ニ終了ヲ告ケタルハ葢シ各位ノ督励其宜キヲ得又部下吏員ノ鋭意之ニ従事シタルノ結果ニ外ナラズ今ヤ滞納整理ノ完了ト共ニ或ハ之ヲ以テ負債ノ償還ヲ講ジ又ハ基本財産ノ増殖ニ充テ以テ民力ノ余裕ヲ図リ民心ヲ一新シテ広ク勤労進取ノ気風ヲ奨メ共同一致ノ精神ヲ作興シ相率ヒテ公共ノ事ニ尽力セシムルハ葢シ市町村ノ発達ヲ期スル上ニ於テ極メテ緊要ノ事ナリト云ハサルヘカラズ近来他府県ニ於テハ矯風奨差ニ関スル各種ノ団体其他地方経営ニ関スル各種ノ講習会協議会等熾ンニ相興リテ自治ノ経営ニ貢献スルコト甚ダ大ナルヲ見ル故ニ各位ハ深ク時運ノ進転ニ鑑ミ財務ノ整理事業ノ施設ニ就テハ懇切指導シ其完整ヲ期セラレンコトヲ要ス 猶明治四十年度ノ市町村税ニ就テハ県下一般此ノ機ヲ逸スルコトナク直チニ之ガ滞納整理ニ着手シ来ル六月三十日ヲ期シ之ガ完了ヲ計ルト共ニ今後ハ必ズ其徴収期毎ニ整理ヲ了シ以テ一般滞納ノ弊風ヲ一掃スルノ訓示ヲ受ケタリコレ納税ノ義務ノ重ズベキコトヲ覚知セシメ益々地方自治ノ発展ヲ期セントスルニアリ各位宜シク努力セラレンコトヲ望ム 地方税賦課制限ニ関スル件 今ヤ戦後国力ノ膨脹ニ伴ヒ地方各般ノ施設亦大ニ発展ヲ要スルノ機運ニ向ヘリ乃チ今回法律第三十七号ヲ以テ非常特別税法ニ於ケル地方課税ノ制限ニ多少ノ改正ヲ加ヘラレ以テ此ノ必要ニ応ゼシメントセシ所以ナリ然レ共近時国費ノ増加ハ一般国民ノ負担ニ及ボス処決シテ軽少ナリトセズ故ニ此改正ニ際シ濫リニ不急ノ事業ヲ企図シ以テ民力ノ涵養ト負担ノ軽重トヲ顧ミル事ナクンバ寔ニ国家財政ノ基礎ヲ危フスル所以ニシテ亦実ニ制度改正ノ本旨トスル処ニアラス故ニ各位ハ此点ニ関シ深ク其趣旨ノ存スル処ヲ稽ヘ一層留意セラレンコトヲ望ム 協議費及水利組合ニ関スル件 凡ソ市町村ニ於ケル土木、教育、勧業、衛生諸費ノ如キハ之ヲ財政ノ上ヨリスルモ亦事業其ノモノヽ性質ヨリスルモ当然公費ヲ以テ之ヲ支弁スヘク斯ノ如クニシテ初メテ事業ノ統一ト収支ノ正確トヲ期スルコトヲ得ベシ然ルニ従来地方ニヨリテハ協議費ナル名義ノ下ニ是等ノ事業ヲ経営セルモノ其事例ニ乏シカラスト斯ノ如キハ地方財政ノ紊乱ヲ醸スノミナラズ事業ノ施行上亦種々ノ情弊ヲ伴フコト少シトセス故ニ此ノ如キ当然公費ヲ以テ支出スベキモノハ此際速カニ其旧慣ヲ改メ之ヲ公共団体ノ経営ニ移サシメラレンコトヲ望ム殊ニ水利組合ニ関シテハ今回水利組合法発布セラレ選挙人ノ資格、委員ノ設置、組合費ノ賦課其他重要ナル事項ニ関シ従来ノ水利組合条例ニ比シ改正ヲ加ヘラレタル処尠ナカラス是レ組合ノ基礎ヲ鞏固ニスルト共ニ事業ノ振興ヲ図リ以テ地方公共団体ノ実ヲ全フセントスル所以ニ外ナラズ故ニ従来協議費ヲ以テ是等ノ事業ヲ経営セルモノニツキ特別ノ事業ニヨリ之ヲ市町村ノ事業ニ移スコト能ハサルモノハ新タニ水利組合ヲ設置シ以テ事業ノ進渉ト確実トヲ期セシメラレンコトヲ要ス猶水利組合法ノ発布ニ伴ヒ組合規約ヲ以テ定ムヘキ事項少ナカラス是等ハ従来ノ水利組合規約準則ニ改正ヲ加ヘ不日発布セラルヘキニツキ各位ハ其意ヲ了シ相当指導セラレンコトヲ望ム 感化法ニ関スル件 不良少年ヲ感化教養シ以テ独立自営ノ途ヲ得セシムルハ社会ノ害毒ヲ未前ニ防遏スル所以ニシテ其効果ノ著大ナル今更ラ〓ニ喋々ヲ須ヰザル処ナリ感化法ニ依リ設置シタル本県薫育院ハ従来院生二十五名ヲ収容スルニ過ギザリシモ本年度ヨリ其規模ヲ拡張シ五十名ヲ収容スルコトヽシ今ヤ既ニ其家屋、建築其他一切ノ設備ヲ了シタリ而シテ改正刑法ハ近キ将来ニ施行セラレ十四歳未満ノモノハ其罪ヲ問ハザル事トナリ又感化法ハ頃日改正ノ結果十八歳未満ニシテ地方長官ニ於テ其必要アリト認ムルモノ及親権者又ハ後見人ヨリ入院ヲ出願スルモノハ是ヲ収容スルコトヲ得ルコトトナリタルヲ以テ各位ハ此際不良行為ヲナシ又ハ之ヲ為スノ虞アル少年ヲ精査シ速ニ入院セシムルノ手続ヲ執行セラレンコトヲ望ム 教育ニ関スル件 義務教育年限延長ノコトハ今ヤ施行ノ期ニ入リ県下各市町村尽ク之ヲ実施スルヲ得タルハ教育ノ為メ大ニ慶賀スル所ナリ抑モ義務教育年限ノ延長ハ之レニ伴フ諸般ノ設備及教育俸給ノ費用ハ勿論其他個人及市町村直接間接ノ負担甚タ少カラサルニ不拘以上ノ好成績ヲ呈シタルハ市町村当事者ノ教育ニ熱心ナルニ因ラスンハアラス然モ其ノ根源ニ遡レハ人民一般嚮学心ノ旺盛ナルヨリ此ノ結果ヲ来シタルハ亦疑ヲ容レサルナリ而シテ其効果ヲ堅実ナラシメンニハ多ク良教員ヲ得テ忠実ニ其職務ニ従事セシムルヲ要ス然ルニ本科正教員ノ欠員今猶多数ニシテ之レヲ充実スルヲ得サルノミナラズ改正令実施ノ為益々其不足ヲ来サントス此ノ如クニテハ学校ノ修業年限延長セラルヽモ教育ノ進歩ハ之レニ伴ハス父兄及市町村ノ負担増加スルモ之レニ報ユルノ効果ヲ得サルカ如キ事アランヲ恐ル今ヤ内外ノ情勢急激ナル発展ヲ来シ緊急ノ費途多端ニシテ国民教育上必要ナル経費モ充分ニ之レヲ供給スル能ハサルノ事情アルカ故ニ小学校ニ於テ必ス各学級ニ本科正教員ヲ置クコトハ俄ニ之レヲ期スルヲ得スト雖市町村ノ資力猶本科正教員ヲ増置シ得ヘキ限リハ之レヲ供給スルノ計ヲ為サヽルヘカラズ本県男女両師範学校ノ生徒定員ヲ本年度ヨリ増加シ其規模ヲ拡張セラレタリ而シテ此増加カ本科正教員供給上ニ効果ヲ及ホスハ数年ノ后ヲ待タサヽルヘカラス故ニ尚同校ニ於ケル教員講習科生徒ノ定員ヲモ増加シ尋常小学校本科正教員ノ学力補習ヲ終ルヲ待テ教員速成ノ講習ヲ開始セラルヽ計画アリ 小学教員補充ノコトハ独其養成ニ力ヲ致スノミニテハ十分ノ効果ヲ観ルヘカラス最近ノ統計ニ徴スルニ県下小学校本科正教員ノ一ケ年間ニ於ケル退職者百六十有余人ニ及ヘリ蓋シ其原因一ニシテ足ラサルヘシト雖モ近年物価騰貴ノ趨勢カ教員ノ生活ヲシテ益々困難ナラシメ安シテ永ク其職ニ従事スルヲ得ザルニ至ラシメタルコト多キモノヽ如キハ畢竟小学校教員ノ俸給甚タ菲薄ニシテ其職務ノ重要ナルニ相応セザルニ由ル政府ハ客年市町村立小学校教員俸給ニ関スル規定ヲ改正シ市町村ノ義務額ヲ高メ以テ教員待遇ノ改良ヲ図ラレタリ故ニ各位ニ於テハ此ノ改正令ノ趣旨ニ従ヒ小学校教員ノ俸給ヲ高ムルコトニ関シ調査施行セラルヽ所アルヘシ惟フニ国勢ノ発展ニ伴ヒ各地施設経営スヘキ事業夥多ニシテ人民ノ負担軽カラサルカ故ニ教員俸給ノ増加ヲ行フコト決シテ容易ナラサルヘキヲ知ルト雖今ノ時ニ当リ国民教員進歩ノ為メ其教員ノ待遇ヲ厚クシ永ク其職ニアラシメ其充実ヲ図ルコトハ最モ緊要ナルヲ認ムルカ故ニ本件ニ関シ特ニ各位ノ切実ナル注意ヲ望マサルヲ得サルナリ 尋常小学校ノ修業年限延長ニ伴ヒ従来存在セル高等小学校ヲ廃止スルモノナキヲ期シ難シ尤モ廃止ト称スルモノヽ中独立ノ高等小学校ヲ廃シ尋常小学校ニ之ヲ併置シ実際ハ廃止セサルト等シキモノハ格別若シ将来経済上ノ関係等ヨリ已ムヲ得ス全ク已設ノ高等小学校ヲ廃止スルモノアルニ於テハ教育上ノ得策ニアラス高等小学ノ必要ハ義務教育年限延長ノ為メニ毫モ減スルモノニアラサルノミナラズ先進国ノ趨勢ハ益々其期限ヲ延長シ義務教育ノ分量ヲ増加シ国民教育ノ程度ヲ進メ以テ列国間平和ノ競争上ニ勝利ヲ占メントスルハ看過スベカラサル状態ナリ而シテ我国ノ義務教育年限モ将来更ニ延長セラルヽノ時機アルヘキヲ以テ一時経済上多少ノ困難ヲ忍ヒテモ従来存在セルモノ可成之レヲ存続セシムルヲ可トス従来ノ経験ニ徴スルニ高等小学ノ二年ヨリ其身分境遇ヲ顧ミス濫リニ中学ニ進マントスルモノ少ナカラズ為ニ中途ヨリ退学スルモノ其跡ヲ絶タサル所ナルカ此種ノ生徒ハ高等小学ノ三年マテ修学スルトキハ年齢十六、七ニ達シ学業ノ程度一層進ムヘキヲ以テ多クノ場合ニハ中学ニ進ムノ必要ナク家庭ニ適切ナル教育ヲ受クルコトヲ得ヘシ是レ将来三ケ年ノ高等小学ニ大ニ嘱望シ其設立ヲ奨励スル所以ナリ 以上ノ如クニシテ二年高等小学卒業者ハ未ダ以テ完全ナル教育ヲ満タシタルモノト云フヲ得スト雖モ今日ノ状況今俄カニ三年高等小学ヲ経営スルノ容易ナラサルヲ認メ郡立実業補習学校ヲ配置シ以テ国民教育修了者以上ノモノヲ収容シ更ニ家庭ニ密接シタル実業教育ヲ施シ併テ普通教育ノ補習ヲ為シツヽアリ故ニ義務教育ノ修了者ニシテ高等小学ニ入ラサルモノ又ハ二年高等小学卒業者ハ力メテ入学ヲ奨励セラレ其習慣ヲ養成シ他日ノ基礎タラシメンコトヲ望ム 兵事ニ関スル件 一 兵役義務ニ就テ 其筋ノ調査ニ依レバ一般ニ兵役義務ヲ尊重スルノ念慮不十分ニシテ徴兵忌避ノ者漸次増加ノ兆候アリ或ハ法律上ノ罪人ト為ラサルモ其内心徴兵忌避ノ念ヲ有シ巧ニ法綱ヲ脱セントスルモノアリ特ニ教育アル学生中ニ於テ多ク此等ノ者ヲ見ルハ実ニ遺憾ニ堪ヘサル所ナリ深ク各位ノ注意ヲ望ム 一 在郷軍人ノ願届ニ就テ 在郷軍人ノ服役ニ関スル願届ハ勉メテ簡略ニ取扱フノ手段ヲ執ルヘキ旨既ニ主務省ニ於テハ関係陸軍官衙ヘ訓示セラレタル趣ニ付市町村長ニ於テモ此ノ旨ニ従ヒ該願届中仮令多少不備ノ点アルモ差支ナキ限リハ之ヲ受理シ其違式ニシテ是非改正ヲ要スルモノハ丁寧ニ之ヲ教示スルヲ要ス〔予メ願届用紙ヲ準備シ置ヲ便トス〕是レ願届其他ノ規定ヲ知ラサルカ為意外ノ不利ヲ招クノ場合アルヘキヲ以テ在郷軍人ヲシテ大要此等ニ通暁セシムル方法ヲ講スルコト極メテ必要ナリ 一 召集諸費繰替支弁ニ就テ 今般召集諸費ノ繰替支弁ニ係ル法律及之ニ関スル勅令公布セラル市町村ニ於ケル召集事務簡易トナリタリ本法令ハ一般応召者ヲシテ施費受領ノ為メ徒ニ時日ヲ遷延セシムル如キ従来ノ弊ヲ除キ貧困ナル応召者ニハ最簡易ニ旅費前渡ヲ受ケシムル精神ナルヲ以テ普ク此ノ旨ヲ体シ勉メテ応召者ノ便ヲ計リ応召ノ時機ヲ失セサラシムル様取扱ハレンコトヲ望ム 大博覧会ニ関スル件 日本大博覧会ハ国光ノ発揚ト産業ノ進歩トニ付キ一新紀元ヲ劃スルノ効果ヲ収メン事ヲ期スルモノナルカ故ニ其出品ハ我人文及ヒ産業ノ発達ヲ現示スルニ足ル優秀ナルモノニシテ且内外多額ノ需要ニ応シ得ヘキモノヲ選ブヲ要ス夫ノ博覧会ヲ目的トシテ特ニ精製工夫シタルモノヲ出陳スルカ如キハ深ク戒メサル可カラズ要ハ個人的若クハ地方的観念ヲ去リ一致協力其事ニ当リ以テ充分ノ偉功ヲ奏スル様深ク留意セラレンコトヲ望ム 伝染病ニ関スル件 昨年春夏ノ交横浜市及其付近町村ニペスト続発シ漸ク其終熄ヲ告クルヤ更ニ虎列刺病ノ襲撃アリ次テ天然痘ノ流行ヲ見其間亦各種伝染病断ヘス発生シテ防疫上最モ繁雑ヲ極メタルニ拘ハラス防制其宜キヲ得甚シキ惨状ヲ呈スルニ至ラサリシハ実ニ当該吏員鋭意尽力ノ結果ニ外ナラス殊ニ赤痢病ノ如キハ十数年来年々平均千人以上ノ患者ヲ発生シ県内ノ一大災厄タリシカ一昨年ハ五百人ニ降リ昨年ハ更ニ減シテ二百五十人ニ止マリシハ著シキ好成蹟ナリト云ハサルヘカラス然レトモ猶今後ノ発生予知スヘカラサルノミナラズペストノ如キハ時々船舶ニヨリ病毒ヲ輸入セラレ本年已ニ有菌鼠二十八頭ヲ出シ虎列刺病モ亦横浜市及小田原町ニ其発生ヲ見且昨年ノ余毒所在潜伏ノ虞レハ天然痘ハ今猶ホ時々発生スルニヨリ秋冬ノ候ニ及テ或ハ再ヒ猖獗ヲ逞フスル虞ナシトセス依テ各位ハ一層奮励シテ或ハ清潔法ヲ周到持続シ或ハ種痘ヲ励行シ其他或ハ随所ニ講話ヲ開ク等益々防疫ノ実ヲ挙ケラレンコトヲ望ム 恩給及遺族扶助料ニ関スル件 恩給証書ノ交付並ニ軍人遺族扶助料ノ請求ニツキ従来往々遷延ニ流レタメニ困難ヲ感スルモノ尠ナカラサルハ実ニ同情ニ堪ヘサル処ナリ然ルニ其遷延ノ原因ハ最初調査ノ不確実ニシテ文書不備ノ点多クタメニ往復数回ニ渉ルヲ多シトス本件ニ関シテハ其筋ハ勿論本庁ニ於テモ勉メテ処理ノ快速ヲ希望スルヲ以テ各位モ亦各関係者ヲ督励シ周到懇切ニ注意ヲ加ヘ迅速ニ処理セシメラレンコトヲ望ム 実業補習学校ニ関スル件 郡立第二、第三、第四実業補習学校ハ所在地方ノ状況稍々趣ヲ異ニスルヲ以テ来ル明治四十二年度ヨリ之ヲ町村又ハ組合立ニ移シ町村ノ経営トシ郡ハ当分之レニ補助金ヲ付与シ其経営ヲ助力セントシ而シテ其第一実業補習ハ別ニ画スルトコロアラントス抑モ補習学校ハ所在地方又ハ其付近ノ実業ト最モ密接ノ関係ヲ有スル学芸ヲ授ケ併セテ普通教育ノ補習ヲナシ国民教育ヲ全カラシムルニアルヲ以テ之ガ普及発達ヲ図ランニハ其地方任意適切ノ施設ヲ要スルコト極メテ必要ナリトス今ヤ我国戦後経営ノ時ニ際シ実業ノ発展ヲ待ツコト倍々急シテ時勢ハ須臾モ之ヲ忽セニスルヲ許サズト雖民智ハ之レ相伴ハザルモノアルノミナラズ尚之ヲ等閑視スルノ感アルハ誠ニ慨嘆ニ堪ヘサルナリ諸君ハ町村ノ統治者タリ宜ク世ノ大勢ニ鑑ミ啓蒙ノ任ニ当リ其学校所在地ノ町村ト否トヲ論ゼズ子弟ノ就学ヲ勧誘シテ其利益ヲ享有セシメラレン事ヲ望ム 町村税滞納ニ関スル件 町村税滞納整理ニ付テハ従来屢々訓示或ハ通牒スル処アリ又各位モ職責上既ニ其必要ヲ感シ日夜事ニ当リ去ル四十年度迄ノ滞納ハ遂ニ整理完結ヲ告クルニ至レリ是レ畢竟各位カ部下ヲ牽ヒテ鋭意村治ノ改善ニ従事セラレタル結果ニ外ナラズ尚引続キ四十一年度ニ於ケル滞納ニ付テハ絶ヘズ之ガ改善整理ニ努力セラレツヽアルコトハ確認シテ疑ザル処ナリト雖モ抑モ町村税ノ滞納ニシテ其ノ弊ヲ矯正スル不能又之ガ整理ヲ遂クルコトヲ得サランカ町村ノ財政ハ之ガ為メニ紊乱シ諸般ノ施設ハ之ガ為メニ障害セラレ其ノ結果町村自治ノ発展ヲ阻害スル等既往ノ事例ニ徴シ明ナリ依テ此際各位ハ尚一層懇到厳密ニ部下吏員ヲ指導督励セラレ滞納ノ弊習ヲ他動的ニ俟タズ此ノ際進デ之ガ矯正ノ策ヲ講究シ完全ノ整理ヲ遂行セラレ町村財務ノ面目ヲ一新シ各町村一斉ニ整理ノ実ヲ挙ゲラレ職責上違算ナキヲ期セラレンコトヲ望ム (「町村長会共議案綴」(明治二八―四一年)清川村役場蔵) (注)(一)は明治四十年、(二)は同四十一年のものである。 第三編 大正昭和初期 第一章 地方改良計画 第一節 神奈川県地方改良会 二一六 神奈川県地方改良会規則 神奈川県地方改良会規則 第一条 本会ハ神奈川県地方改良会トシ事務所ヲ神奈川県庁内ニ置ク 第二条 本会ハ各郡市ニ支部ヲ設ケ其事務所ヲ各郡市役所ニ置ク 第三条 本会ハ教育ニ関スル勅語及戊申詔書ノ聖旨ヲ奉体シ地方ノ改良ヲ図ルヲ以テ目的トス 第四条 県内住民ハ何人ト雖本会会員タルコトヲ得 第五条 本会会員ハ地方改良ノ指導者トナリ他ノ模範ヲ以テ任スヘキモノトス 第六条 本会ハ毎年一回総会ヲ開キ各支部ハ毎年春秋二回支部総会ヲ開ク 第七条 本会総会及支部総会ニ於テハ本会ノ目的ヲ達スル為メ講演ヲ催シ又ハ協議会ヲ開クモノトス 第八条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク 会長一名 副会長一名 支部長十三名 幹事若干名 第九条 本会ハ会長ニ知事副会長ニ内務部長支部長ニ各郡市長ヲ推薦シ幹事ハ会長之ヲ嘱托ス 第十条 会長ハ会務ヲ総理ス 副会長ハ会長ヲ輔佐シ会長事故アルトキハ之ヲ代理ス 支部長ハ支部ノ会務ヲ管理ス 幹事ハ会務ヲ掌理ス 第十一条 本則ニ定ムルモノヽ外必要ナル事項ハ会長之ヲ定ム 決議按 一 各市町村ニ耆老会、戸主会、青年会、婦人会等ノ設置ヲ奨励シ矯風奨善ノ実ヲ挙クルコト (「地方改良会書類」(明治四三―大正九年)大磯町役場蔵) 二一七 神奈川県地方改良会中郡支部関係書類(一-一四) (一) 中庶第二〇〇七号 照会 明治四十三年五月卅一日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 地方改良会ニ関スル件 去ル廿一日町村長会同ノ際本県地方改良会員募集方ニ関シ郡長ヨリ演達相成候処右ハ公職ニ在ルモノ神官僧侶其他篤志者重立タル者等夫々勧誘ノ上別紙様式ニ傚ヒ会員申込書ニ記名調印セシメ来ル六月廿日迄ニ無相違回送方取斗可有之候 〔様式〕 申込書 私共義貴会ノ主旨ニ賛同シ入会仕リ度候間此段申込候也 明治四十三年 月 日 住所 氏名印 氏名印 氏名印 氏名印 神奈川県地方改良会 中郡支部長 白根鼎三殿 (二) 中庶第三三七六号 照会 明治四十三年九月六日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 地方改良会員ニ関スル件 本県地方改良会員申込ニ関シ予テ屢々照会置候処ヲ今該申込書回送無之整理上甚タ差支居リ候条来ル十日限リ無相違該申込書ヲ徴シ回送可有之候 追テ本文申込ニハ予テ照会セシ如ク町村吏員職員学校職員神官僧侶其他地方改良ノ指導者トナルベキモノヲ勧誘セラルベキ筈ニ付遺漏ナキセラルベク為念申添候也 (三) 第七二七号 答申 明治四十三年九月十六日 大磯町役場 中郡役所御中 地方改良会会員申込方ノ義ニ付数次御照会相成候処不在者若シクハ本会ノ主旨ヲ誤解スルモノ有之シガ為メ遅延ニ相成候ニ付会員四十六名ノ賛同ヲ得候間別紙申込書及御送付候也 申込書 私共義貴会ノ主旨ニ賛同シ入会仕リ度候間此段申込候也 明治四拾参年九月拾六日 中郡大磯町大磯 中川隣之輔(印) 同同高麗 曽根田重兵衛(印) 同同大磯 郷土久蔵(印) 同同同 片野類蔵(印) 同同同 鈴木儀兵衛(印) 同同同 青木金五郎(印) 同同同 宮代新太郎(印) 同同同 荻野誠一(印) 同同同 長島漸作(印) 同同高麗 片野佐吉(印) 中郡大磯町大磯 加藤倉吉(印) 同同同 奥山良助(印) 同同同 平井左一郎(印) 同同同 宮代謙吉(印) 同同同 三宅藤兵衛(印) 同同同 長島伊之助(印) 同同西小磯 波多野庄左衛門(印) 中郡大磯町西小磯 小見忠滋(印) 同同高麗 高麗邦元(印) 同同大磯 山梨角蔵(印) 同同同 曽根田長三(印) 同同同 善福寺伊藤尚孝(印) 同同大磯 吉川服太郎(印) 同同同 渡辺竹次郎(印) 同同 田中信次郎(印) 同同 同同西小磯 添田喜代松(印) 同同大磯 朝倉敬之(印) 同同大磯 大運寺島田良彦(印) 同同高麗 慶賢院土屋慈霔(印) 同同同 今井佐太郎(印) 同同大磯 小巻孫太郎(印) 同同同 土屋啓蔵(印) 同同 東光院小山恵洞(印) 同同 西山正太郎(印) 同同 地福寺 福井雄正(印) 同同 杉岡半右衛門(印) 同西小磯 柳田勇次郎(印) 同同 金竜寺 向井晃弁(印) 同大磯 柳川喜太郎(印) 同同 妙輪寺 伊沢海寿(印) 延台寺 平田要応(印) 同同 妙昌寺 守屋宣智(印) 同西小磯 添田伝蔵(印) 同大磯 二宮長松(印) 大磯町大磯 藤林幸次郎(印) 同同 妙大寺 飯久保義学(印) (四) 中庶第四〇九九号 照会 明治四十三年十月二十二日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 地方改良会等ニ関スル件 来ル廿八日午前十一時大磯小学校ニ於テ本県地方改良会本郡支部発会式挙行引続キ同日午後一時ヨリ同所又翌廿九日午後一時ヨリ伊勢原小学校ニ於テ左記ノ講演有之候間其町村内改良会員ヘ無漏通知方取計可有之候 追テ支部発会式ヘ出席スベキ会員数別紙支部長ヨリ直接案内セシモノヽ出席人数ト併セテ取調ヘ来ル廿五日限リ無遅滞申報可有之候 一 講演会講師 内務省嘱託 生江孝之 (欄外注記)第八五八号 十月二十五日出席人員三十九名トナリ報告ス (注)この資料に関する大磯町役場から地方改良会員宛の通知(十月二十四日付)は省略。 (五) 中庶第四一〇〇号 照会 明治四十三年十月廿四日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 地方改良会等ニ関スル件 来ル廿八日午前十一時其町小学校内ニ於テ本県地方改良会本郡支部発会式挙行引続キ同日午後一時ヨリ地方改良ニ関スル講演会開催致度ニ付テハ当日同小学校ニ於ケル授業方便宜繰合セ相当準備方可然取斗ラハレ候様致度此段及照会候也 (欄外注記)即時学校ヘ本文之趣通知ス (六) 中庶第四二五六号 通 牒 明治四十三年十一月四日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 地方改良会幹部会等ニ関スル件 来ル十一月八日及九日両日本県庁内県会議場ニ於テ大体別紙ノ順序ニ依リ郡市長会及地方改良会幹部会開会相成候ニ就テハ両日共町村長ノ来会ヲ希望ノ旨地方改良会長ヨリ申出ノ次第モ有之候趣其筋ヨリ通牒有之候条町村長出席セラルベク若亦差支ノ場合ハ助役ヲシテ必ズ出席セシメラルベク候 順序 ○十一月八日 地方改良会幹部会 〔下記ノ参会者出席〕 一 午前十時一同着席 一 会長 教育勅語戊申詔書捧読 一同起立 一 講演 井上内務省参事官文部次官及視学官下岡農務局長及古東農事試験場長下村郵便貯金局長 〔以上目下臨場方申請中〕 一 幻灯 〔夜間〕 一 参会者 郡市長 市参事会員 町村長 県会議員 郡会議長 横浜市会議員 県立学校長 宮司 寺院管長 ○十一月九日 郡市長会 一 午前九時ヨリ十時迄 地方改良会幹部会協議〔郡市町村長出席〕 一 協議 一 講演 以上右両日共弁当ノ準備アリ (七) 第一一八八号 地方改良会参列方ノ件 来ル十月二十六日午前十時横浜市岡野町県立高等女学校ニ於テ教育勅語 戊申 詔書捧読式及地方事業功労者表彰式挙行引続神奈川県地方改良会開会可相成尚当日式後講話会ヲ催サレ且場合ニ依リテハ町村長ノ県外優良町村視察談モ有之筈ノ趣ニテ地方改良会員ハ全部参列候様其筋ヨリ申越候条可成御参列相成度及通知候也 追テ準備ノ都合有之候趣ニ付参列者ハ来ル廿一日迄ニ当役場ニ御申出相成度申添候 大正元年十月十九日 大磯町役場 地方改良会員 殿 (八) 中発第一号 大正二年一月廿三日 神奈川県地方改良会 中郡支部長 宗真彦(印) 神奈川県地方改良会中郡支部 大磯町幹事 長島漸作殿 会員増募ニ関スル件 本年度内ニ神奈川県地方改良会中郡支部総会開催可致候ニ就テハ此際会員ノ増募ヲ謀リ度候間夫々勧誘ノ上来ル二月十五日迄ニ申込書取纒メ御回送有之度候 追テ申込書用紙十枚相添候申込ハ連名ニテ宜敷候若用紙不足ニ候ハヾ便宜作成御取計相成度候 尚神職僧侶ハ特ニ入会ヲ希望候処往々ニシテ未ダ会員タラサル向有之候ニ付此際一人タリトモ遺漏ナク御勧誘相成度候尚勧誘ノ際ハ聊モ会費等ヲ要セサル義ニ付此趣旨貫徹候様御申含メ相成度候 (九) 中改第四号ノ一 大正二年二月廿五日 神奈川県地方改良会 中部支部長 宗真彦(印) 幹事長 島漸作殿 大磯町副幹事 朝倉敬之殿 支部総会開会ノ件 来ル三月廿七日午前十一時ヨリ本郡尋常高等大磯小学校内ニ於テ本県地方改良会中郡支部総会開会左記ノ事項挙行候ニ就テハ御部内会員ヘ無洩通知ノ上可成多数出席候様御取計ヒ該出席人数ハ遅クモ来ル二十日迄ニ書面到着候様御回報相成度候 追テ当日ノ出席者ヘハ弁当ヲ呈シ候間是亦無洩御通知相成度候 左記 一 午前 表彰 決議 一 午后 講演 講師内務省嘱託 追テ地方改良会ハ会其モノヽ性質上時間ハ寸分モ繰延致シ難クニ付会員ハ十時迄ニハ必ス参着相成候様堅ク御申通ジ相成度候 (注)この資料に関する大磯町役場から地方改良会員への通知(三月四日付)は省略する。 (一〇) 神奈川県地方改良会中郡支部総会順序 三月二十七日午前十一時 第一振鈴 会員着席 第二振鈴 来賓着席 第三振鈴 知事閣下臨場 一 支部長開会ノ辞 二 国歌二唱 三 支部長詔書捧読 四 表彰 イ 表彰者事績朗読 ロ 表彰文朗読 ハ 表彰状授与 ニ 賞品授与 五 支部長郡長式辞 六 知事閣下告諭 七 来賓祝詞 八 受賞者総代答辞 九 決議 第四振鈴 休憩 午後一時 振鈴着席 十 講演 十一 支郡長閉会ノ辞 以上 決議案 一 各種納税ハ納期内必ス完納ヲ努ムルコト 二 各種ノ集会ニハ時間ヲ励行スルコト 三 地方改良会其他公益ノ集会ニハ奮ツテ出席スルコト 四 奮ツテ青年会ノ改善発達ヲ計ルコト 大正二年三月二十七日提出 神奈川県地方改良会 中郡支部長 宗真彦 (一一) 中改発第五号ノ一 大正四年三月十五日 神奈川県地方改良会 中郡支部長(印) 大磯町幹事副幹事殿 支部総会開会ノ件 来ル三月三十日午前十一時ヨリ本郡尋常高等大磯小学校内ニ於テ本県地方改良会中郡支部総会開会左記事項挙行候ニ就テハ当日御出席ハ勿論御部内会員ヘ無洩通知ノ上可成多数出席候様御取計ヒノ上其出席人数ヲ来ル二十五日迄ニ無相違御回報相成度候 追テ当日ノ出席者ヘハ弁当ヲ呈シ候間其旨周知方御取計ヒ相成度猶地方改良会ハ会其モノヽ性質上時間ハ寸分モ繰延致シ難クニ付会員ハ午前十時半迄ニハ必ス参着相成候様堅ク御申達相成度候 記 一 午前 表彰 決議 一 午後 講演 以上 (一二) 中地発第参号 神奈川県地方改良会 大正五年三月十六日 中郡支部長 武田厳作(印) 大磯町幹事 白根鼎三殿 支部総会開会ノ件 来ル三月三十日午前十一時ヨリ本郡尋常高等大磯小学校内ニ於テ本県地方改良会中郡支部総会開会左記事項挙行候ニ就テハ当日御出席ハ勿論御部内会員ヘ無洩通知ノ上可成多数出席候様御取斗ヒノ上出席人数ハ幹事副幹事申合ハセノ上来ル二十四日迄ニ無相違御回報相成度候 追テ当日ハ出席者ヘハ弁当ヲ呈シ候間其旨周知方御取斗相成度猶地方改良会ハ会其モノヽ性質上時間ハ寸分モ繰延致シ難ク候ニ付会員ハ午前十時迄ニハ必ス参着候様堅ク御通知相成度候 左記 一 午前 表彰 決議 一 午後 講演 (一三) 中地発第三号 大正六年三月二十日 神奈川県地方改良会 中郡支部長(印) 大磯町幹事副幹事殿 支部総会開会ノ件 来ル三月三十日午前十一時本郡尋常高等大磯小学校内ニ於テ本県地方改良会中郡支部総会開会左記事項挙行候ニ付テハ当日御出席ハ勿論御部内会員ヘ無洩通知ノ上可成多数出席候様御取計相成度尚準備ノ都合有之候間出席人員ハ幹事副幹事御申合セノ上本月二十五日迄ニ無相違御回報相成度候 追テ当日ノ出席者ヘハ弁当ヲ呈シ候間其旨御通知相成度候 一 午前 表彰 一 午後 講演 (欄外注記)『副幹事ニ通知済』 (一四) 中地発第一号 大正八年三月二十日 神奈川県地方改良会 中郡支部長(印) 大磯町幹事副幹事殿 支部総会開会ノ件 来ル三月三十日午前十一時ヨリ本郡尋常高等大磯小学校内ニ於テ本県地方改良会中郡支部総会開会左記事項挙行候ニ付テハ当日出席ハ勿論御部内会員ヘ無洩通知ノ上可成多数出席候様御取計相成度尚準備ノ都合有之候間出席人員ハ幹事副幹事御申合ノ上本月二十七日迄ハ無相違御回報相成度候 追テ当日ノ出席者ヘハ弁当ノ用意有之候間申添候 記 一 午前 表彰 一 午後講演 (「地方改良会書類」(明治四三―大正九年)大磯町役場蔵) 二一八 橘樹郡大綱村地方改良会等設置関係書類 来ル七月二十八日午后二時ヨリ高等大綱小学校ニ於テ左記ノ件追々国運発展ニ伴ヒ至急取極メ方其筋ヨリ通達有之候ニ付百事多端ノ季節ニ候ヘ共前記時間ニ後レザル様御出席相成度此段御通知申上候也明治四十三年七月廿五日 大綱村長 磯部幸四郎 飯田助大夫殿 一 地方改良会ニ関スル件 一 戸主会設置ノ件 一 青年会設置ノ件 地方改良会ニ関スル件 今般本県ニ地方改良会ナルモノ組織セラレ之ニ関スル趣意書及規則書等ハ別紙如シ顧フニ社会百般ノ事物ニ於ケル改良進歩ハ時々刻々駸々トシテ停止スル所ナシ然リ而シテ独リ地方改良ノコトニ至リテハ或ハ之レト伴随セサルヤノ観ナキ能ハサルハ実ニ遺憾トスル所ナリ〓ニ神奈川県地方改良会ヲ興サレタルハ蓋シ世運ノ趨勢ニ鑑ミタル所以ニ外ナラサルナリ然リト雖モ之レカ実績ノ見ルヘキモノナクンハ徒ラニ美名ヲ衒フニ過キスシテ遂ニ世人ノ嘲笑ヲ招クニ至ルヘシ局ニ当ルモノヽ大ニ戒心ヲ要スヘキコトニ属ス今ヤ同会ノ成立ニ際シ振否興廃一ニ各位ノ手腕ニ俟タサルヘカラス希クハ奮励努力以テ偏ニ本会ノ発展ヲ期シ先以テ左ノ事項ニ付着々進行セラレンコトヲ望ム 一 公職ニ在ルモノ神官僧侶其他篤志者重立者等他ノ模範ヲ以テ任スヘキモノハ率先シテ会員タラシムルコト 一 郡ニ於テハ同会規則第六条ニ拠リ年内支部総会ヲ開クコト支部総会ニ於テ決定セル諸会ノ普及其他地方改良ノ事項ニ関シ協議ヲ開クコト 又同会発会当日決議ニ係ル耆老会戸主会青年会婦人会等ノ規約標準ハ別紙ニ在リ 神奈川県地方改良会規則 (略) (別紙) 何郡何村青年会規約標準 第一条 本会ハ教育会ニ関スル勅語并戊申詔書ノ聖旨ヲ奉体シ青年ノ親睦智徳ノ涵養体育ノ奨励風紀ノ振粛公共ノ振作公共心産業ノ発達ヲ企図シ忠君愛国ノ精神ト敬神念祖ノ観念トヲ養成シ以テ勤倹力行ノ公民タルヲ期スルヲ目的トス 第二条 本会ハ本町村内ニ居住スル年齢十五歳以上三十五歳ノ男子ヲ以テ組織シ何町村青年会ト称ス 本会事務所ヲ何小学校内ニ置ク 第三条 本会ニ支部ヲ置クコトヲ得 第四条 本会ハ第一条ノ目的ヲ達セムカ為左ノ事項ヲ実行スルモノトス 一 適当ノ方法ヲ以テ土地ニ適切ナル補習教育ヲ行フコト 二 図書縦覧所ヲ設クルコト 三 通俗講談会講習会品評会等ヲ開催スルコト 四 体育ノ為メ運動会撃剣柔術角力其他ノ競技ヲナスコト 五 本町内ニ於ケル耆老ヲ慰敬シ篤行者ヲ頌表スルコト 六 風紀ノ改善勤倹貯蓄ノ奨励其他本町村ノ発達ニ資スル施設ヲナスコト 七 本町村事業ノ振興ニ協力シ殊ニ労力ヲ要スルモノハ進テ其施設ニ任スルコト 八 共同シテ試作苗代養蚕開墾植林等ヲ行フコト 九 会員ニシテ操行善良其ノ他感称スベキ行為アル者ハ表彰スルコト 十 以上ノ外本会ニ於テ必要ト認ムル事項 第五条 会員ハ本会ノ費用ヲ分担スルノ義務アルモノトス 第六条 会員ニシテ本会ノ目的ニ反シ又ハ本会ノ体面ヲ汚スノ行為アルトキハ戒告ヲ加ヘ其反省ヲ促シ又ハ除名スルコトアルベシ 第七条 本会ハ学識名望アル者本会ニ対シ功績アル者ヲ名誉会員若クハ特別会員ニ推薦ス 第八条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク 一 総裁 一名 一 会長 一名 一 副会長 一名 一 評議員 若干名 一 幹事 若干名 一 支部長 各支部一名 一 支部副長 同 一 支部幹事 同 第九条 総裁ニハ町村長ヲ会長ニハ小学校長ヲ副会長ニハ小学校長若クハ上席教員ヲ推薦ス 評議員ハ会員ノ互選トス 幹事ハ会長之ヲ命ス 支部長支部副長ノ推薦ハ支部会則ノ定ムル所ニ依ル 支部幹事ハ其ノ支部長之ヲ命ス 第十条 総裁ハ本会ヲ総理ス 会長ハ総裁ノ旨ヲ受ケ会務ヲ提理シ本会ヲ代表ス 副会長ハ会長ヲ補ケ会長事故アルトキハ其職務ヲ代理ス 支部長ハ会長ノ指揮ヲ受ケ支部一切ノ事務ヲ管掌ス 幹事ハ会長ノ指揮ヲ受ケ本会ノ庶務ニ従事ス 第十一条 役員ハ正当事由ナクシテ辞任スルヲ得ス 第十二条 評議員会ハ会長之ヲ招集ス評議会ニ於テハ本会重要ナル事項ヲ議決ス 第十三条 本会ノ事業年度ハ四月一日ニ始メ翌年三月三十一日ニ終ル 第十四条 本会ノ経費ハ会員ノ負担金寄付金其他ノ収入ヲ以テ之ヲ支弁ス 第十五条 本会ノ財産ハ会長之ヲ管理ス 第十六条 本規約ノ追加改正ハ総集会ニ於テ会員半数以上出席シ其過半数ヲ以テ決ス 戸主会規約標準 第一条 本会ハ何村戸主会ト称ス 第二条 本会ハ法令ノ周知産業ノ発達及公共心ノ振作ヲ図リ其他町村自治ノ改良進歩ヲ促スヲ以テ目的トス 第三条 本町村住民ニシテ戸主タルモノハ総テ会員タルヘキモノトス 第四条 本会ハ毎年一月及臨時必要アルトキ総会ヲ開キ協議又ハ講話講演等ヲ催スモノトス 第五条 本会ハ総会開会ノトキ耆老ヲ招待スルモノトス 第六条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク 一 会長 一名 一 副会長 一名 一 幹事 若干名 会長ニハ町村長副会長ニハ助役ヲ推薦シ幹事ハ会長之ヲ嘱托ス 第七条 会長ハ会務ヲ掌理ス 副会長ハ会長ヲ補佐シ会長事故アルトキハ之ヲ代理ス幹事ハ会務ヲ掌理ス 第八条 本会ノ経費ハ寄付金及其他収入ヲ以テ之ニ充ツ 第九条 本規約ノ改正追加ヲ要スルトキハ総会ニ於テ決定ス 納税組合規標準 第一条 本組合何々納税組合ト称ス 第二条 本組合ハ納税ノ便ヲ図リ其義務ヲ全ウスルヲ以テ目的トス 第三条 本組合ハ組合区域内ニ居住スル納税義務者ヲ以テ之ヲ組織ス 第四条 本組合ヲ左ノ何組ニ分ツ 第一組 何々 第二組 何々 第五条 本組合ニ組合長一名各組ニ組長一名ヲ置ク 第六条 組合長ハ組長組長ハ組員ニ於テ之ヲ選挙ス 第七条 組合長組長ノ任期ハ一ケ年トス但シ再選ヲ妨ケス 第八条 組合長町村長ヨリ納税告知書ノ送付ヲ受ケタルトキハ之ヲ組長ニ交付シ組長ハ之ヲ組員ニ配付スヘシ 第九条 組員組長ヨリ納税告知書ノ配付ヲ受ケタルトキハ速ニ納税準備ヲ為シ遅クモ納期三日前迄ニ其納金ヲ組長ニ提出スベシ 第十条 組長ハ組員全部ノ納金ヲ取纒メ納期二日前迄ニ之ヲ組合長ニ送付スヘシ 第十一条 組長前条ノ期日迄ニ納金ヲ送付セサルトキハ組合長ハ二回以上之ヲ督促シ納金前日ニ至ルモ仍送付セサルトキハ町村長ニ報告シ併セテ之ヲ組合内ニ公示ス 第十二条 組合長ニ於テ各組長ヨリ受領シタル納金ハ期日当日迄ニ町村役場ニ送致スヘシ 第十三条 組員中滞納者アリタル為メ納期前日迄ニ納金ヲ組合長ニ送付スル能ハサリシトキハ組長ハ取纒メタル納金ヲ納期当日直接町村役場ヘ送致スヘシ 第十四条 本規約ハ町村長ノ承認ヲ経施行スルモノトス爾後改正ノ場合亦同シ (「神奈川県橘樹郡農会書類」(明治四三年)飯田助丸氏蔵) (注)前掲。 第二節 地方改良関係運動の実情 二一九 中郡大磯町における地方改良運動の動向(一-一四) (一) 中庶第四二一五号 通知 明治四十三年十一月一日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 寺院住職会合ニ関スル件 地方改良ニ関スル事項ヲ協議セシムル為メ来ル十三日午前第十一時大磯小学校ニ郡内各寺院住職ヲ会合セシメ候条同日同刻出頭候様其町〔村〕内各寺院ヘ通知可有之候 追テ弁当等準備ノ都合有之候ニ付来ル九日迄ニ出席者ノ姓名取調当庁ヘ報告可有之候 『中庶第四二一八号』 通知 明治四十三年十一月一日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 大磯小学校使用ニ関スルノ件 地方改良ニ関スル事項ヲ協議セシムル為メ来ル十三日郡内各寺院住職ノ会合開催候ニ付テハ同日其町大磯小学校ヲ使用致度候間此旨承知可有之候 中庶第四三五壱号 照会 明治四十三年十一月九日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 寺院住職会合ニ関スル件 本月一日中庶第四二一五号ヲ以テ来ル十三日大磯小学校ニ開催スル郡内各寺院住職会合ニ出席者ノ姓名取調ベ本日迄ニ報告方及照会置候処今以テ何等報告無之準備上差支不尠候条直ニ取調報告可有之候(欄外注記)第九〇八号 各宗寺院住職十名出席ノ筈回答ス (二) 中庶第四四一二号 通牒 明治四十三年十一月十五日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 講話会ノ件 本月四日中庶第四三〇六号ヲ以テ及通牒候広村助役岩西健造氏講話開会時刻午後一時トアルヲ午前十時ニ変更候条了知可有之候 追テ当日ハ弁当ノ準備有之候間是非承知可有之候 尚小学校長并ニ各寺院ヘモ本文ノ趣通知可有之候 中庶第四五九一号 照会 明治四十三年十一月卅日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 講演集ニ関スル件 曩ニ内務省地方局編纂ニ係ル第一回地方改良講演集是迄壱部〔上下二冊〕実費金壱円(逓送料共)ヲ以テ配付相成居候処今回整算ノ結果壱部ニ付金拾五銭ツヽノ剰余ヲ生シ候ニ付テハ左記ノ通リ返戻方該局取扱主任ヨリ申越サレ候条該領収証調理ノ上全員受領方当庁ヘ申出可有之候 一 金拾五銭 壱部ノ代残 (三) 中庶第四六〇二号 通知 明治四十三年十一月卅日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 報徳学講習会ニ関スル件 本郡内ノ各報徳社連合シテ本社ノ副社長兼訓導山田猪太郎氏ヲ聘シ来ル十二月六日ヨリ三日間岡崎村岡崎小学校内ニ於テ報徳学講習ヲ開催候ニ付テハ有志者ヲシテ可成聴講セシメ候様取斗可有之候 追テ講習時間ハ午前第九時ヨリ午後四時迄ナリトス 拝啓愈御清穆奉賀候陳者東京市神田区一ツ橋通二十一番地報徳会発行雑誌「斯民」ハ民風ノ作興ニ資スル目的ヲ以テ発行スルモノニシテ地方改良上稗益スルトコロ不尠義ト存候就テハ町村役場学校青年団体等ニ於テハ地方改良ニ関スル奨励費若クハ其他ノ経費ヲ以テ可成一般購読相成候様致度尚郡町村会議員神官僧侶其他重立者等購読者取纒メ該会ヘ申込致度希望ニ有之候間精々御勧誘ノ上其購読者来ル四十四年一月十日迄ニ御申越相成候様致度見本一部相添ヘ此段得貴意候 敬具 明治四十三年十二月廿八日 白根中郡長 中川大磯町長殿 追テ見本ハ別便ヲ以テ御送付候也 (欄外注記)一月十三日斯民雑誌一部講読ノ旨ヲ回答ス (四) 中庶第四九四六号 照会 明治四十三年十二月廿八日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 各種公益団体ノ件 本年十二月末日現在ニ依リ地方改良ヲ目的トスル各種公益団体ノ名称所在地及其特徴等別表ハ夫々記入方其筋ヨリ照会有之候条取調記入ノ上来ル四十四年一月十五日迄ニ無相違回送可有之候 (欄外注記)第九二号二月二日別表之通報告済 (別表) 地方改良会ニ関スル団体調 (五) 夜学校開始ニ付御届 今般大磯町有志ノ組織ニ係ル道交会員主催トナリ大磯町漁業者ノ子弟ニシテ義務教育ノ年齢ヲ経過セル者ニ簡易ナル読書算術習字其ノ他漁業ニ関スル知識ヲ授クル目的ヲ以テ夜学校ヲ開始候間左ノ方法ヲ記シ此段及御届候也 追テ御参考マテニ道交会規約書相添申候也 一 教場 中郡大磯町大磯千四百五十三番地東助右衛門方二階 一 時間 毎日曜日ヲ除キ毎日午後六時ヨリ九時マテ 一 月謝 徴収セス且ツ筆墨紙書籍器具ヲ支給ス 一 教授 道交会員各自分担 一 経費 経費ハ道交会員ノ醵金ヲ以テ支弁ス 已上 明治四十参年拾弐月七日 主催 道交会員 代表者大運寺住職 島田良彦(印) 大磯町長 中川隣之輔殿 大磯道交会規約 第一条 本会ハ大磯道交会ト称シ大磯町各宗寺院住職者並ニ有志者ヲ以テ組織ス 第二条 本会ノ事務所ハ大磯町北本町大運寺内ニ置ク 第三条 本会ハ会員相ヒ互ニ融和シ向上的思想ヲ養ヒ宗派ノ教義ヲ妨ケサル限リニ於テ合同布教ヲ為シ又地方改善ヲ籌ルヲ目的トス第四条 本会ハ左ノ事業ヲ行フ 一 毎年四月合同シテ釈尊降誕会ヲ挙行スルコト 一 会員ノ協議ニ依リ夏期講習会又ハ講演会ヲ開催スル事 一 毎月一回通常会ヲ開キ交情ヲ温メ兼テハ地方改善ノ策ヲ講スル事 第五条 本会ハ会務ヲ処理スル為メ会員中ヨリ幹事一名ヲ選定ス 但シ幹事ノ任期ハ満一ケ年トス 第六条 本会ノ会員ハ会費トシテ毎月金拾銭ヲ収ムル事 但シ第四条ノ第一項第二項ノ事業費ハ其都度一般有志者ノ喜捨金ヲ以テ支弁スルモノトス 付則 第七条 本規約ノ増補更正ハ会員多数ノ協議ニ依リ改廃スルモノトス 已上 (六) 中庶第二〇八号 配付 明治四十四年一月廿三日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 参考書類配付ノ件 客年十月本県地方改良会本郡支部発会式ヲ大磯小学校ニ於テ挙行ノ際式場ニ掲示セシ町村財務及教育等ニ関スル参考書配布方町村ヨリ 申出ノ向モ有之シニ依リ印刷ノ上左記ノ通リ及配布候条一覧ノ上ハ 其役場及学校内衆人ノ看易キ場所ニ掲示方取斗ハルベク候 一 明治四十三年度町村歳入出予算一覧表 役場分歳入歳出各一 一 同年度町村税賦課々率一覧表 同一葉 一 同年度町村税及町村費負担一覧表 同一葉 一 最近十年町村税比較表 同一葉 一 最近十年戸数及人口比較表 同一葉 一 地方改良ニ関スル団体 同一葉 一 県税営業者町村別税額比較表 同一葉 一 町村及学校基本財産中現金並有価証券 役場分一学校分一 一 小学校児童ノ出席歩合 同一葉同一葉 一 教員俸給平均町村比較 同一葉同一葉 一 各町村教育費ノ比較 同一葉同一葉 一 教育状況一覧 同一葉同一葉 計 十八葉 (欄外注記)学校ノ分二月二日送付ス (七) 中庶第四四六号 照会 明治四十四年二月十八日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 雑誌「斯民」配布ノ件 東京市神田一ツ橋通リ二十一番地報徳社発行雑誌「斯民」ハ民風ノ作興ニ資スル目的ヲ以テ発行スルモノニシテ地方改良上稗益スルトコロ不尠義ト存シ候就テハ本日発行ノ分ヨリ毎月一部宛其〔町〕村青年会ヘ配布候条会員ニ輪読方取斗ワルベク候 (八) 中郡護国団概則 第一条 本団ハ中郡護国団ト称シ中郡各宗寺院住職及篤志者ヲ以テ組織ス 但シ寺院住職タルモノハ団員タルコトヲ辞スルヲ得ス 第二条 本団ハ本部ヲ当分大磯町地福寺内ニ置ク 第三条 本団ハ教育ニ関スル 勅語及戊申 詔書ノ聖旨ヲ奉体シ衆庶ノ健全ナル精神ヲ養成シ公徳ヲ進メ地方事業ノ改良ニ資スルヲ目的トス 第四条 本団ハ前条ノ目的ニ達センカ為メ左ノ事項ヲ実行スルモノトス 一 毎月一回若クハ臨時ニ講談ヲ開催スル事 二 地方改良及感化事業ニ従事スル事 第五条 本団ノ団員ヲ左ノ三種トス 一 特別団員ハ本団ニ於テ推薦シ本人ノ承諾ヲ得タルモノ 二 名誉団員ハ本団ノ維持資金ヲ寄付シタル者 三 通常団員毎月会費トシテ金五銭ヲ納ムル者又ハ一ケ年金五拾銭ヲ前納シタル者 第六条 団員タラントスル者ハ其旨地方幹事又ハ評議員ニ申告スベシ退団セントスル時モ亦同シ 第七条 本団ニ左ノ役員ヲ置ク 一 団長 一名 二 幹事 七名 三 評議員 廿七名 第八条 団長ハ郡長トシ幹事ハ総会ノ時団員中ヨリ選挙シ評議員ハ各一箇町村団員中ヨリ一名ヅヽ選出スルモノナリ 但シ幹事ニシテ評議員ヲ兼ヌルコトヲ得 第九条 団長ハ団務ヲ統監シ幹事ハ団長ヲ補佐シ団務一切ヲ掌理ス評議員ハ重要ナル事項ノ協議ニ参与シ尚各自町村ノ団務ヲ担任ス但シ会計員ハ当分幹事ノ内ニテ兼任ス 第十条 本団ノ役員ハ其任期ヲ一ケ年トシ総テ無報酬トス 第十一条 本団ノ経費ハ会費及寄付金ヲ以テ之レヲ支弁ス 第十二条 本団ハ毎年四月総会ヲ開キ前年度経費ノ決算及団務ノ報告ヲ為シ役員ノ改選ヲ為スモノトス但シ再選ハ妨ナキモノトス 第十三条 本則ニ定ムルモノヽ外必要ナル事項ハ評議員会ニ於テ之レヲ改正増補スルコトヲ得 已上 (九) 中庶第八五二号 通牒 明治四十四年三月廿五日 中郡役所(印) 大磯町役場小学校御中 改善感化等ニ関スル講演会ノ件 中郡護国団ハ日宗弘導会ト連合シ独逸協会及日宗大学講師高島平三郎氏ヲ聘シ左記日時場所ニ於テ改善感化ニ関スル講演会開催ノ趣ニ付成ルベク繰合ハセ参聴方取斗ハルベク候 記 三月廿六日正午ヨリ 曽屋小学校 同 同 午后七時ヨリ 平塚小学校 同 廿七日正午ヨリ 厚木小学校 (欄外注記)一度通知ス (一〇) 中庶第弐七六八号 通牒 明治四十四年八月四日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長中川隣之輔殿 町村相互視察ノ件 客月十日中庶第二三八二号ヲ以テ町村相互視察ニ係ル視察員ニ選定候趣及通牒置候処右視察月日町村等左記ノ通リ決定相成候条承知可有之候 追テ視察員ハ各自便宜ノ方法ニ依リ指定日午前九時迄ニ視察スベキ町村役場ニ到着シ全員ノ集合ヲ待チテ視察ヲ開始セラルヽ筈ニ可有之候 八月七日 足柄上郡 共和村 大磯町長 同 八日 南足柄村 大磯町長 視察スベキ事項 一 町村内ノ状況 二 事務整理ノ状況 三 徴税ノ方法及状況 四 財産増殖及保管ノ状況 五 町村事業振興ノ状況 六 民業ノ奨励及発達ノ状況 七 民風作興及改善ニ関スル各般ノ施設及其状況 (一一) 中庶第二八九一号 通牒 明治四十四年八月十八日 中郡長 白根鼎三(印) 大磯町長殿 講演会ニ関スル件 本郡主催五郡連合報徳主義ノ講演会ヲ左記要項ニ依リ開催候ニ付テハ部内報徳社員并地方改良会員其他篤志者可成多数出席候様勧誘ノ上該出席人員来ル廿三日限リ無相違回報可有之候 追テ開会当日ハ昼食トシテ握飯ノ設備有之候条承知可有之候 左記 一 開期及開会時刻 八月廿五日同廿六日ノ二日間午前九時開会 一 会場 尋常高等平塚小学校 一 講師 報徳社駿遠両派ヨリ各一名ツヽ其他官辺ニ縁故アルモノ若干 (一二) 中庶第二九四二号 照 会 明治四十五年六月廿四日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 地方改良講習会之件 来ル七月八日ヨリ十七日迄十日間本県立高等女学校〔横浜市岡野町〕内ニ於テ左記方法ニ依リ地方改良講習会開会相成候ニ就テハ出席者精々勧誘ノ上其職氏名来ル六月三十日迄回報可有之候 追テ本件ノ講習会ハ最モ有益ノモノト認メ候ニ依リ一町村少クトモ一名以上出席候様取計ハルベク且本文日限迄ニ何等回報無之向ハ出席者ナキモノト看做スベク候 記 一 講習科目 市制町村制 自治ノ経営訓練 財務整理 統計 教育 公有林野整理 産業奨励 衛生 一 講習ハ凡ソ毎日午前八時ヨリ午后二時迄ノ間ニ於テ五時間トス 一 講師ハ内閣及本省其他本県事務官技師又ハ属ニ嘱託ス 一 時間ノ都合ニ依リ時々各自ノ経営談ヲ為スコトアルベシ 一 出席者ハ郡市書記市町村吏員其他篤志者トス 一 左記旅館ニ対シテハ一泊五十銭位ニテ宿泊方交渉済ニ付希望者ハ予メ申出シメラレ度 平沼町四丁目 駒本館 花咲町〔紅葉坂下〕紅葉館 (一三) 中発第一四五〇号 大正元年八月廿四日 中郡長 宗真彦(印) 大磯町長 長島漸作殿 地方改良ニ関スル施設報告ノ件 当役所楼上ヲ区画シ地方改良室ヲ設ケ各町村ニ区別シ其設備目下着手中ニ付之ニ排列シ置クノ必要有之候条其町村ニ於テ設備セル改良事項ハ細大洩サズ報告有之度又今後モ其時々報告相成度候但一部ハ県庁ニモ進達ノ必要有之候間成ルベク二部以上送付有之度候 追テ右ニ関連スル写真モ同様送付相成度候 第二〇二号 大正二年二月廿七日発議 大正二年二月廿七日発送 主任(印) 報告 年 月 日 大磯町役場 中郡役所御中 地方改良施設団体調査ノ件 本月廿四日中発第二三二二号ヲ以テ御照会相成候地方改良事蹟資料ニ関スル団体等取調候処左記ノ通リニ有之候条比段報告候也 大磯婦人会〔基督教信徒ノ組織ニシテ慈善事業ヲ目的トス〕会員十一名 大磯道交会〔大磯町各宗寺院住職並ニ有志者ヲ以テ組織セルモノニシテ布教並ニ地方改良ヲ籌ルヲ目的トス〕会員十七名 中第九八六号 大正四年三月八月発議 大正四年三月八日発送 町長(印) 助役(印) 主任(印) 回報 年 月 日 大磯町役場 中郡役所御中 地方改良事蹟取調ノ件 本月三日付中発第二三〇六号ヲ以テ御照会相成候首題ニ係ル事項取調左記ノ通リ及回報候也 記 一 統一青年会 壱 会員八百五十九人 二 支部青年会 拾四 三 学齢児童保護会 壱 四 納税組合 ナシ 五 勤倹貯蓄組合 弐 北下町ニ自彊組合組合員三十二人 神明町ニ明治記念神明町貯金組合組合員三十人 六 仏教護国団 壱 七 処女会 ナシ 八 婦人会 壱 会員四百十二人 九 戸主会 ナシ 十 敬老会 常置ノモノナシ毎年一回町有志青年団婦人会ト共同シテ開ク 十一 矯風会 ナシ (一四) 大正四年五月改定 綱領及会則 大磯山王町 同志会 宣言 抑モ我ガ山王町同志会ハ明治四十年設立以来協同一致能ク幾多ノ難苦ニ堪ヘ青年ノ風紀ヲ改善シ公共ノ為メニ労ヲ尽シ今ヤ其基礎累々定マリ父老ノ信益々厚ク聊カ社会ニ認メラルヽニ至リシハ同志一同ノ陰カニ会心スル所然リト雖モ将来国家ノ中堅タルベキ我等青年同志ハ一日モ小康ニ安ンズルヲ許サズ益々鞭韃努力シ日本帝国ノ世界的地位ニ鑑ミ元気ヲ鼓舞シ大国民タルノ気力ヲ旺盛ニシ同時ニ世運ノ進歩ニ伴フテ各自人格ノ修養ニ力メザル可カラズ依テ我ガ山王町同志会ハ今秋畏クモ挙行セラルベキ振古ノ御大典タル御即位式ヲ紀念トシテ〓ニ一大改正ヲ断行シ誠心誠意以テ同心協力シ初志ヲ貫徹センコトヲ期ス 大正四年五月二十五日 山王町 同志会 綱領及規約 本会ハ教育勅語並ニ戊申詔書ノ聖旨ヲ奉戴シ忠君愛国ノ精神ト敬神念祖ノ観念ヲ養成シ規律節制ヲ格守シ服従協同ノ徳義ヲ重ンジ勤倹力行智徳涵養社会風紀ノ改善公共心振作町内親睦産業ノ発達ヲ企図シ苟モ怯懦退嬰ノ気風ハ専心排除センコトヲ力ム 第一 時間ノ約束ヲ厳守スベキコト 第二 常ニ会ノ一員タルヲ忘レズ個人及ビ会ノ名誉ヲ重ンジ我意放縦ノ行為ニ流レザルコト 第三 各自ノ職務ヲ忠実ニシ勤倹尚武ノ風ヲ貴ビ向上進取ノ意気ヲ振作スルコト 第四 日常ノ使用品及ビ衣食住ハ凡テ質素ヲ主トシ苟モ浮華淫靡ニ流ルヽノ行為ハ避クベキコト 第五 実践躬行廉耻ヲ重ンジ長上ヲ敬ヒ朋友ニ信ナルベキコト 第六 人ニ対シテハ温良親切ナルベク進ンデ人ノ難ニ趣キ好ンデ公共ノ事ニ尽スベキコト 第七 衛生ヲ重ンジ各自ノ健康ヲ図リ相互戒慎シテ操行ヲ正シフスベキコト 以上 会則 第一章 組職及ビ名称 第一条 本会ハ大磯山王町ニ在住スル十五歳以上四十歳以下ノ男子ヲ以テ組織ス 第二条 本会ハ大磯山王町同志会ト称ス 第二章 手段 第三条 本会ハ主義規約ヲ貫徹センガ為メ左ノ諸項ヲ厳行ス 第一 町内青年ハ勿論一般ノ風紀改良ヲ図リ勤倹貯蓄ヲ奨励シ衛生思想ノ普及ニ力ムルコト 第二 町内ノ発達振興ニ資スル事業ニハ進ンデ協力補助シ以テ其ノ目的ヲ達セシムルコト 第三 町内ニ於ケル耆老ヲ時々招待シテ之レヲ慰敬シ幼年者ニ対シテハ常ニ其行為ヲ監督教導シ善行者アラバ頌表スルコト 第四 本会会員中疾病或ハ天災ノ為メ困苦者アラバ適当ノ処置ヲ採リテ之レガ慰安救助ノ途ヲ講ズベキコト 第五 本会々員中結婚又ハ死者アル時ハ鄭重ナル祝詞吊詞ヲ送リ会長或ハ代理者ヲシテ参列セシムベキコト 第六 本会々員中入営或ハ除隊ノ士アルトキハ全会員ハ必ズ出席シ厳粛ナル送迎ノ式ヲ行フベキコト 第七 本会々員ハ図書縦覧所ニ就キ相共ニ研磨修養ヲ怠ラザルベキコト 第八 本会々員ハ無益ノ勧化寄進ハ断ジテ謝絶スベシ 但シ公共慈善ノ事業ト認ムル時ハ団体トシテ応分ノ寄進助力ヲ為スベキコト 第九 本会々員ハ時々集会シテ智徳ニ関スル通俗講話会ヲ開キ或ハ先輩ノ士ヲ招キ有益ノ講演ヲ求ムベキコト 第三章 会員 第四条 本会員ハ左ノ通リ区別ス 一、正会員 二、名誉会員 第五条 正会員ハ十五歳以上四十歳以下トシ之レヲ左ノ三部ニ分ツ一 壮年部〔三十六歳以上四十歳以下〕 二 青年部〔二十一歳以上三十五歳以下〕 三 少年部〔十五歳以上二十歳以下〕 第六条 名誉会員ハ正会員ニシテ満期退会シタルモノ及ビ特ニ本会ニ対シテ特別助力セラレ本会長ノ推薦ニ依ル氏ヲ以テス 第七条 山王町在住者ニシテ正会員ノ資格アルモノハ故無ク入会ヲ拒ミ又ハ退会スルコトヲ得ズ 但シ役員会決議ノ上至当ト認メタル以上ハ此ノ限リニアラズ 第四章 役員 第八条 本会ハ左ノ役員ヲ設ク 一、会長一名 二、副会長一名 三、幹事二名 四、会計一名 五、部長三名 六、組長若干名 第九条 会長ハ当町在住者ヲ以テ推選ス 第十条 副会長幹事及会計ハ青年部ニ於テ相互選挙セシメ組長ハ各組ニ於テ選挙スルモノトス 第十一条 部長ハ各部ニ於テ選挙ス場合ニ依リ正副二名ヲ設クルコトアルベシ 第十二条 役員ハ総テ名誉職ニシテ当選者ハ正当ノ事由ナク辞任スルコトヲ得ズ 第十三条 役員ノ年限ハ会長ヲ除ク外各一年ニシテ再選スルコトヲ得 第十四条 会長ハ本会ノ代表者ニシテ本会ニ関スル一切ノ責任及権能ヲ有スルモノトシ副会長ハ会長ヲ補佐シ会長代理ノ資格アルモノトス 第十五条 幹事及ビ会計ハ会長ノ命ヲ受ケ全会ノ会計及ビ庶務ヲ担任処理シ各々其責ヲ負フモノトス 第十六条 部長ハ各部一切ノ責任ヲ負フモノニシテ組長ハ各組員ノ進退ヲ管督シ一切ノ責任ヲ帯ブルモノトス 第十七条 本会役員ハ総テ議決権ヲ有スルモノトス 第五章 集会 第十八条 本会ハ毎年一月定期総会ヲ開キ庶務会計ノ報告ヲ行ヒ併セテ入会退会ノ式ヲ行フ 但シ会長ニ於テ必要ヲ認ムルカ或ハ役員会ノ決議又ハ会員三十名以上ノ請求アルトキハ臨時総会ヲ開クコトヲ得 第十九条 各部員ハ毎月必ラズ一定ノ日集会シ談話会或ハ協議会ヲ開催スルモノトス 但シ会長ニ於テ必要ヲ認ムル時ハ臨時会ヲ開クコトアルベシ 第二十条 本会役員ハ毎月一回役員会ヲ開クモノトス 但シ会長ニ於テ必要ヲ認ムルカ或ハ役員三名以上ノ請求アル時ハ臨時会ヲ開クコトアルベシ 第六章 会計 第二十一条 本会々員ハ各自ノ不用品ヲ持参シ売却シ以テ通常経費ニ充ツルモノトス 但シ場合ニ依リ特ニ金円ヲ徴収スルコトアルベシ 第二十二条 通常経費ノ剰余或ハ本会ニ於テ経営スル事業ノ益金ハ総テ予備金ニ加入スルモノトス 第二十三条 本会ニ対シ金員或ハ物品ノ寄贈アル時ハ受理シ記録ニ載シテ永ク芳名ヲ紀念ス 但シ本会ハ之レヲ強フルガ如キ行為ハ断ジテ有ルベカラズ 第二十四条 本会一切ノ財産ハ総テ会長之レガ管理ノ責ニ任ズ 第七章 賞罸 第二十五条 本会員ニシテ会ノ為メニ尽力シ或ハ模範タル可キ行為アル時ハ感謝状或ハ金品ヲ賞与シ常ニ特別ノ待遇ヲ付与シ一般会員ハ尊敬ヲ表スルモノトス 第二十六条 本会々員ニシテ規約及会則ヲ無視シ風紀ヲ乱シ或ハ破廉耻ノ行為アルカ又ハ国法ニ触レタル者ハ退会ヲ命ジ同時ニ一切ノ社交ヲ断ツモノトス 但シ悔悛ノ情顕著ナル時ハ再ビ入会ヲ許スモノトス 第八章 付則 第二十七条 本会則ニ対シ改正ノ必要アル時ハ総員ノ半数以上出席シ尚出席員数ノ五分ノ四以上ノ賛成者アルニ非ラザレバ変更スル事ヲ得ズ 第二十八条 細則ハ随時規定スルモノトス 役員及会員氏名〔大正四年現在〕 会長 卯木雷太郎 副会長 中川良猷 会計 加藤彌一 幹事 小出留吉 同 古部秀吉 壮年部長 高橋幸右衛門 青年部長 山口善吉 青年組長 清田吉蔵 青年組長 小沢善吉 同 川崎文治 同 小出兼吉 同 石井春吉 同 大内保三郎 少年部長 高橋邦之助 同副部長武藤政吉 壮年会員 武藤作蔵 大久保源次郎 山本床吉 石井初五郎 鈴木寅吉 石井佐吉 北村春吉 金子熊五郎 今村文蔵 海老沢政一郎 青年会員 石井七蔵 鳥海万吉 豊原由蔵 露木伴蔵 竹内国吉 坂田豊吉 亀井吉之助 小川伴之助 鈴木初五郎 関本藤吉 西山光太郎 石井常吉 小川柳吉 有藤専太郎 鈴木伝吉 鈴木栄太郎 小川源次郎 宮代与吉 石井一英 金子丑五郎 飯田菊次郎 古部金太郎 小巻広吉 中沢浦吉 小島万吉 有藤与喜蔵 鈴木福蔵 川本利八 大久保長吉 中沢専助 奥野文蔵 佐藤鉄太郎 西ケ谷竹松 加藤慎三郎 中沢政吉 坂田友次郎 遠藤常吉 大内国吉 林梅吉 中沢鉄蔵 相原米吉 小巻甚太郎 後藤喜三郎 小島三吉 尾上昇 川崎八五郎 浅井七蔵 林熊吉 少年会員 鈴木米吉 柴田庄吉 山口貞治 石井春吉 小島嘉三郎 小島六蔵 川村清太郎 平井伊三郎 竹内梅太郎 東出国吉 大木浦吉 村留吉 斎藤米吉 (「地方改良会書類」(明治四三―大正九年)大磯町役場蔵) 二二〇 足柄上郡共和村南足柄村視察事項大要 今般本県下ニ於テ相互町村視察ヲ実行セラレ当職其視察員ニ選定致サレ去ル六日出発県庁指定ノ足柄上郡共和村及南足柄村ノ両村役場ニ出張視察ヲ為シタル処吏員及ヒ名誉職諸氏ノ共同一致能ク其任ニ当リ村長助役ヲ補佐シ共ニ自治ヲ講究シツヽアルハ実ニ感服ノ外ナク役場事務ノ一斑ヲ取調ヘタル処事務整理ハ行届キ視察上大ニ参考トシテ利スル処有之候間取調事項御参考ニ供候ニ付御覧相成度此段申進候也 明治四拾四年八月拾弐日 大磯町長 中川隣之輔 町会議員 殿 足柄上郡南足柄村視察事項概要 一 位置 一 沿革 一 広袤 一 区画 一 役場吏員 一 人情風俗 一 議員選挙 一 土地 一 産業概況 一 納税 一 事務整理ノ状況 一 村有財産増殖及保管 一 村事業振興ノ状況 一 衛生 一 教育 一 民業奨励及発達ノ状況 一 民風ノ作興改善ニ関スル各般ノ施設及状況 一 本村ニ於ケル条例及ヒ規程 一 位置 本村ハ足柄上郡ノ西南端ニ位シ東南ハ岡本村ニ接シ東北ハ福沢村西北ハ北足柄村ニ隣リ西南ハ明神岳ヲ〓シテ足柄下郡仙石原宮城野ノ両村ニ接ス 一 沿革 本村ハ古ヨリ苅野庄ト称シ足柄上郡ニ属シタリシガ天明明応ノ傾相模国ヲ三分シ西中東ノ三郡トスルニ当リ西郡ニ属セシモ後元和寛永年旧ニ復ス其後延享四年ヨリ明治元年迄小田原藩主大久保氏ノ所領ナリシカ〔延享四年以前ハ大森北条大久保阿部稲葉諸氏ノ所轄ニ属ス〕明治元年四月小田原知事ノ管スル所トナリシカ同四年七月小田原県ニ同年十一月足柄県ニ移リ同九年四月ヨリ神奈川県ノ所属トナリ 一 広袤 本村ハ東西弐里半南北壱里半ニシテ地勢三方高ク山岳丘陵ヲ以テ繞ラシ東南ノ一面一帯ニ低下シテ田圃遠ク展開ス 一 区画 本村ハ分ケテ九区トス関本区中沼区狩野区飯沢区猿山区雨坪区福泉区弘西寺区苅野区之レナリ 一 役場吏員 村長助役収入役書記四人常設委員五人村医壱人ニシテ現村長実方徳三郎氏ハ明治卅九年四月就職以来外交ヲ主トシ助役ハ総テ役場事務ヲ鞅掌シ議員常設委員等挙ゲテ村長助役ヲ補佐セシヲ以テ村治頗ル円満ニ進行シ居レリ 一 人情風俗 醇朴ニシテ公共心ニ富ミ共同一致ノ美風アリ新事業ノ発表アルヤ熱心ニ調査講究シテ実行ヲ遂ケ就中青年会員ノ如キ昨年大洪水ノ際ハ協力防禦ノ事ニ当リ又同窓会員ハ学校事業ニ熱心シテ現今学校基本金五千円ヲ蓄積スルニ至リシハ全ク同会員ノ努力ニ基クモノナリ 一 議員選挙 選挙人ノ数ハ衆議院議員百九拾七人郡会議員参百廿六人村会議員四百参拾五人也 元来足柄上郡ハ選挙ノ度毎ニ激烈ナル競争運動起リシカ一昨年衆議院議員選挙ノ際大検挙アリシ以来一般ニ其非ヲ悟リタル為メ一致ノ行動ニ傾キタリト云フ 一 土地 土地々目別反別地価左ノ如シ 田弐百廿九町八反八畝九歩 地価金九万七千四百拾四円八拾五銭 畑百七拾八町一反九歩 同 壱万七千五百八拾八円四銭 宅地拾壱万八百弐拾七坪 同 参万五千参円六拾八銭 雑地千七百廿四町九反弐畝廿歩 同 四千七百拾九円弐拾銭 原野千五拾八町九反拾歩 同 参百六拾弐円五拾六銭 墓地五町六畝七歩 一 産業概況 主タル農産物ハ穀類ニシテ副産物トシテハ煙草次ハ養蚕ナリ其ノ種別産額ヲ挙クレハ左ノ如シ 粳米 作付反別弐百六町九反歩 此収穫高四千百参拾八石 糯米 作付反別弐拾弐町九反歩 此収穫高参百参拾六石四斗 陸米 作付反別壱町歩 此収穫高拾石 大麦田作付反別参拾五町五反歩 此収穫高参百九拾石五斗 大麦畑作付反別拾町歩 此収穫高六拾石 裸麦田作付反別七拾参町八反歩 此収穫高六百六拾四石弐斗 小麦田作付反別拾八歩 此収穫高百六拾弐石 小麦畑作付反別百弐拾参町歩 此収穫高弐百七拾壱石四斗 春蚕飼養ノ戸数ハ参百八拾戸掃立枚数ハ参百四拾枚ニシテ収穫量参百八拾壱石価格金壱万参千九百弐拾円ニ達ス夏秋蚕ノ飼養戸数ハ参百八拾弐戸掃立枚数ハ弐百拾枚収穫高ハ八拾弐石六斗此価格弐千六百弐拾円ニ達ス又煙草耕作反別ハ拾六町六反九畝廿八歩ニシテ収穫量八千拾六貫九百目此価格金九千百弐円五銭柑橘反別弐町歩収穫量六百俵此価格六百六拾円也 一 納税 本村ニ於ケル地租納税人員ハ六百九拾参人地租額六千六百弐拾九円四拾弐銭所得税人員ハ七拾六人税額六百八拾四円六拾銭醤油税納税人拾四人税額七百五拾六円三拾八銭売薬税納税人員四人税額弐拾壱円県税納税人員七百拾参人税額四千九百弐拾壱円卅三銭五厘村税納税人員六百九拾参人税額六千九百七拾壱円壱銭九厘ナリ本村ハ一般ニ富祐ト云フ程ニアラズ大字関本ヲ除クノ外ハ皆農本位ニテ関本ハ農商相等シ旧矢倉沢往還ナルヲ以テ交通頻繁ナリ而シテ付近村落ノ需給ハ関本ヲ中心トス商業機関トシテハ共給株式会社〔資本金五万円〕大雄銀行〔資本金拾万円〕ノ二行アリ 本村経済ハ年々歳々膨脹シツヽアルモ平素村長初メ議員諸氏ハ青年会員其他ノ団体ニ気脈ヲ通シ万般ノ件ヲ討議講究スルヲ以テ随テ村長ノ信任厚ク誰壱人トシテ異議ヲ唱フルモナク諸税ノ如キモ円満ニ納税ス 一 事務整理ノ状況 役場員ハ前記ノ如ク村長以下助役収入役各壱名ト書記四人アリ村長実方徳三郎氏ハ一切ノ事務ヲ執ラズ専ラ外交ニ任シ助役以下ハ事務ヲ分掌シ書記一同能ク助役ノ命ニ従ヒ整理一般ニ行届キ居レリ 一 村有財産ノ増殖及保管ノ状況 本村ハ以前村財産ト学校基本財産トシテ積立ヲ為シ居リタルモ中途村財産ヲ積立ツルノ必要ナシトノ議起リ其財産ヲ学校基本財産ニ繰リ入レ現今学校基本財産トシテ金四千九百弐円四銭ナル多額ノ積立テアリ明治四十一年度ヨリ基本財産増殖ノ一法トシテ秋穫ノ際村内一致共同シテ毎年玄米五拾俵内外ノ寄付ヲ成スコトニ決シ以後毎年実行シツヽアリ其寄付方法ノ内容ヲ聞クニ最高玄米参斗四升最低壱升弐合ニシテ其徴集方法ハ南足柄村小学校同窓会員カ期日ヲ定メテ取集メ校長ノ手許ニテ公売法ニ依リ処分スト云フ其売上金ハ共給株式会社ト契約シ年七分ノ利率ヲ以テ定期預金トシ村長之ヲ保管ス 一 村及小学校基本財産植林 村基本財産林 六拾七町四反七畝九歩 天然雑木 小学校樹栽林 壱町四畝廿六歩 松四千四百本 杉参千百本 明治卅八年着手 四拾弐年結了 △村有基本財産 村有山林経常基本金地方改良基金 金壱千円 山林 六拾七町四反七畝九歩 保護義会寄付 金参百円 校舎建築準備金 金七百円 青年会基金 金壱百円 同分会基金 金壱百円 神社基金 金五百円 △村有小学校基本財産 山林 壱町四畝廿六歩 基本金 金参千六百円 蓄積米積立金 金八百四拾壱円八拾七銭 生徒報恩金 金百拾円拾銭 寄付金其他 金参百五拾円拾七銭 一 村事業振興ノ状況 現今村事業振興策トシテ特記スヘキモノナシト雖モ徐々ニ村有山林ニ植林ヲ成スニ決定シ居レリ 一 衛生 衛生状態ハ特ニ記スベキ徳ナキモ第一隔離病舎ハ関本ニ第二隔離病舎ハ苅野ニ設ケアリ 一 教育 教育上ノ設備トシテハ尋常高等小学校ノ外ニ実業補習学校五校アリ本校ヲ小学校内第一分校ヲ狩野区第二分校ヲ猿山第三分校ヲ福沢第四分校ヲ福泉第五分校ヲ苅野ニ設置ス生徒数ハ尋常高等小学校生徒尋常科男三百十一人女二百八十一人高等科男六十弐人女二十人合計六百七十四人ニシテ昨年度ハ就学歩合一ニ不良ナリシヲ以テ郡長自身出張督励シ義務教育ノ完了ヲ告ゲシムル為メ学童保護義会ナルモノヲ設ケ保護救助セシヲ以テ本年度ハ就学歩合百人ニ付女九十八人〇四分男九十九人〇八分ノ成績ヲ得タリ 補習学校ノ如キハ各分校トモ殆ンド欠席ナク好成績ヲ挙ゲ居ルハ偏ニ村長校長等ノ熱心指導セルニ基クモノナリ 一 民業奨励及発達ノ状況 本村水田ノ灌漑ハ全部用水ナリ田地ハ孰レモ二毛作ナレバ足柄上郡内ノ一弐等地ニ位ス目下耕地整理ノ議起リツヽアレバ近キ将来ニハ其ノ実行ヲ見ルベシ 又柑橘類ノ植付奨励サレ居ルガ桃ハ廿年以前ハ他町村ニ供給サレツシモ今ハ水蜜桃ニ圧倒セラレテ売行少シ 一 民風作興改善ニ関スル各般ノ施設及状況 青年会創立以来葬祭ニハ一切酒ヲ用ヰザルニ決シ若シ犯スモノハ青年会ヨリ相当ノ違約金ヲ徴セラル又青年会員ハ毎夜一同合宿シ酒色ニ耽ル者ニ対シテハ会員互ニ警メ過ナキニ努ム 尚其他ノ施設方法等ハ青年会員ニ於テ講究シツヽアリ 南足柄小学校基本財産蓄積主意書 明治卅七八年日露ノ戦役ハ実ニ我国空前ノ盛事ニシテ帝国陸海軍ノ威風ト実力トハ是ニ因リテ発揮セラレ東洋ニ於ケル帝国ノ地歩ハ益々強固ヲ加ヘ欧米先進ノ列強モ親シク其光輝ヲ仰キテ帝国ノ精神ヲ典型タラシムルニ至レリ我国既ニ武ヲ以テ声名ヲ宇内ニ轟カス以後益錬武ノ必要ト共ニ国家富強ノ基礎タル教育ト実業トノ振起興張ニ力ヲ致サザルベカラス是ヲ以テ本村ハ嚮ニハ日露戦役紀念トシテ有志者ノ寄付ニ依リテ山林壱町四畝六歩ヲ購買シテ南足柄小学校基本財産トシテ生徒ヲシテ樹栽及培養ノ任ニ当ラシメ採伐期限ヲ五十年トシテ植樹ノ方法ヲ定メタリ 尚明治参拾八年度ヨリ同一ノ趣旨ト県会ノ指定トニ準拠シ尋常科並ニ高等科卒業生徒ノ報恩金ヲ徴シ又篤志者ヨリ寄付セラレタル金員ヲ合セテ確実ナル銀行ニ預ケ入レ元利蓄積シ五拾ケ年間利殖セシムル事ニ決セリ更ニ四十一年度ヨリ小学校基本財産蓄積規程ニ定メ向拾ケ年間村内有志者ヨリ秋穫際基本財産増殖ノ一法トシテ村内一致共同ノ上毎年玄米五拾俵内外ノ寄付ヲナス事ニ決シ第一回ハ既ニ結了ス本村小学校ハ村内一般ノ賛同ヲ得テ此計画ヲ実施セリ将来愈其歩ヲ進メハ偉大ナル成功ヲ他日ニ委スヤ必セリ依テ寄付台帳弐冊ヲ製シ壱冊ハ当村役場ニ壱冊ハ当村小学校ニ保存シ篤志者ノ寄付ニ依ル金額氏名ヲ登録シテ其芳名ヲ伝ヘ役場ニ於テハ村長学校ニ於テハ学校長永久レヲ保存スルモノトス 右条項因リ実行候様〓ニ署名捺印候者也 明治四十弐年壱月吉辰 南足柄小学校基本財産蓄積規程 第一条 本村ハ本条例ノ規程ニヨリ明治四拾壱年度ヨリ明治五拾年度ニ至ル拾ケ年間小学校基本財産ヲ蓄積ス 第弐条 町村制第八拾壱条第弐項ニ掲クルモノヽ他左ノ収入ハ基本財産トシテ蓄積スルモノトス 一 基本財産ヨリ生スル収入 但四十一年度ヨリ蓄積金ノ利子 二 不要品払代 三 本村住民中特志ヲ以テ金円米穀等任意寄付スルモノ 第三条 前条第弐項第三項ノ収入金額ノ参百円ニ満タサルトキハ村費ヨリ繰入レ参百円ヨリ下ラサル金額トナスベシ 第四条 公債ヲ起ス場合ニ於テハ村民ノ議決ヲ以テ其償還ヲ了スル迄ノ間第弐条及第三条ノ蓄積ヲ停止スルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ其停止年数ニ応シ第一条ノ蓄積年数ヲ延長ス 第五条 本基本財産ハ第一条ノ期間修了ノ翌年度ヨリ其利子ヲ教育費ニ充ツルコトヲ得 第六条 基本財産ハ村会ノ議決ニヨリ一ケ年ヲ越ヘサル期間ヲ以テ確実ナル銀行ニ利子預ケトシ村長ハ預ケ金額相当ノ担保ヲ徴シ其担保品有価証券ナルトキハ他ノ確実ナル銀行ヘ保護預ケトナスベシ 第七条 基本財産蓄積ノ収支精算ハ毎年度ニ於テ村内ニ公告スベシ 第八条 基本財産トシテ蓄積スベキモノハ総テ予算ニ編入スベシ 但米穀ハ相当価格ヲ以テ売却シ現金ヲ予算ニ編入ス 南足柄村立小学校樹栽地趣意書 明治三拾七年八月六日文部省訓令第七号及同月廿参日神奈川県令第百拾七号ヲ以テ町村立小学校樹栽地ノ実施ヲ督励セラル本村ハ此趣意ヲ体シ且ツ時恰モ日露戦役中ニ属セシヲ以テ之ヲ紀念セン為メ明治三拾七年十二月樹栽地設定ノ協議ヲナセリ然レトモ本村各区ニ於テハ多少ノ区有不動産アリト雖モ町村制施行ノ際ノ連合村ニ係ルヲ以テ村有トシテ存スルモノナキヤ故ニ是カ地所ノ取得上大ニ困難ヲ来セリ幸ニ本村有志ハ此挙ヲ賛シ特志ヲ以テ別記ノ通リ寄付ヲ了セリ依テ村内多額山林所有地ニ就キ有償提供ヲ求メ山林壱町四反弐畝拾六歩ヲ代金四百弐拾円ヲ以テ買収契約ヲナシ明治四十年十月卅日売買登記ヲ完了セリ是ヨリ先交渉既ニ成レルヲ以テ明治三拾八年卅九年四拾年ノ春期ニ於テ松苗千八百三拾本杉参千七拾本計四千九百本ヲ南足柄小学校同窓会員ノ特志ニヨリテ樹栽シ〔明治四拾参年度ニ於テハ七千本ニ達スル予定〕小学校児童ハ職員指導ノ下ニ保護手入ヲナシ傍ラ愛林及勤勉ノ思想ヲ涵養シ樹栽ノ成蹟亦良ニシテ前途大ニ見ル可キモノアリ将来益保護ヲ加ヘテ其実績ヲ奏セシメ尚機ニ臨ミテ一層ノ拡張ヲ遂ケ小学校基本財産ノ大成ヲ期スベキナリ 合段別山林壱町四畝廿六歩 内訳 南足柄村雨坪字柳平七百十一番段別壱反九畝廿弐歩 同福泉字大久保四百三十八番同七段五畝歩 同所四百三十九番 同壱反〇四歩 右基金成立ノ趣意ヲ体シ確ク実行ヲ期ス尚後ノ当局者此ノ意ヲ継承ス可キモノナリ依テ署名捺印候也 明治四拾三年参月 南足柄村学童保護義金設立趣意 国運ノ振張ト宇内ノ大勢トハ教育ニ勧業ニ兵事ニ衛生ニ益々改良上進ヲ要求スルコト切ナリ就中普通教育ノ普及改進ノ必要ハ日露戦役後義務教育延長ノ勅令ニ依リテ表明セラレ爾来就学督責ニ出席ノ奨励ニ維ト日モ足ラズト雖モ家計困難ニシテ其愛スベキ児童ノ教育ヲ忽諸ニ付スルニ忍ザルモ家業補助ニ実業見習或ハ自家子守ニ他家奉公ニ遂ニ半途退学ノ止ムナキニ至ルモノナキニアラス生計補助ノ為メニハ所謂背ニ腹ハ代ヘラレズ可憐ノ児童ヲシテ義務教育ノ完了ヲ告ケシムルヲ得ザルニ至ルモノアリ 是ヲ以テ本村ハ明治四十三年度ヨリ本義会ヲ設立シ別紙規則ニ拠リ毎年度定ムル所ノ予算ニ拠リテ救助シ更ニ明治四十三年度計剰余金中弐百円村会ノ議決ヲ経テ本基金ニ編入セリ今後特志者ノ寄付又ハ歳計剰余ヲ加ヘ漸次基金ノ増殖ヲ計リ以テ本義会ノ経費ハ基金ノ利子ヲ以テ支弁スルニ足ルノ日ニ達センコトヲ期ス 本義会趣意及規則ノ実行徹底ノ証トシテ関係役員一同左ニ署名捺印スルモノ也 明治四十四年六月三十日 南足柄村戦役紀念小学校基本財産蓄積及管理規程 第一条 本村ハ戦役紀念トシテ明治三十九年ヨリ五十年間小学校基本財産ヲ蓄積ス 第二条 本規程ニ依リ蓄積スル財産ハ之ヲ日露戦役紀念小学校基本財産ト称ス 第三条 基本財産トシテ蓄積スルモノ左ノ如シ 一 小学校卒業者ノ特志ニ因ル報恩寄付金 尋常科卒業者 一人 二十銭 高等科卒業者 一人 五十銭 二 蓄積財産ノ利子 第四条 基本財産ノ蓄積ハ第一条ノ期間内之ヲ停止又ハ廃止スルコトヲ得ズ 第五条 基本財産ハ第一条ノ期間終了翌年度ヨリ其利子ヲ教育費ニ充ツルコトヲ得 第六条 基本財産ハ村会ノ議決ニ依リ一ケ年ヲ超ヱザル期間ヲ以テ確実ナル銀行ニ利子預ケト為シ又ハ郵便為替貯金管理所ヘ預ケ入レ若シクハ確実ナル有価証券ヲ購入スルモノトス銀行ニ預ケ入ノ場合ニ於テ村長ハ預ケ金額相当ノ担保ヲ徴シ其担保品有価証券ナルトキハ他ノ確実ナル銀行ニ保護預ケト為スベシ 第七条 基本財産ノ収支ハ預ケ入レノ場合ヲ除ク外総テ歳入出予算ニ編入スルモノトス 足柄上郡共和村視察事項概要 一 位置 足柄上郡ノ西端ニアリテ東南ハ川村北ハ三保村ニ接シ西ハ酒匂川ヲ隔テ北足柄村ニ接シ西北ハ川西村ニ接続ス 一 沿革 本村ハ町村制施行前ハ皆瀬川村都夫良野村二ケ村ニシテ明治廿参年自治制施行ト同時ニ共和村トナル其当時村長ハ井上七三氏ニシテ明治参拾壱年現村長瀬戸駒吉氏就職引続キ勤続セリ 一 広袤 南北参拾丁 東西弐拾五丁 一 地勢ハ四方皆山嶽ニシテ平坦ノ地トシテハ至リテ少ナク道路ハ総テ坂路ニシテ山腹ニ点在セル茅舎ハ一部落ヲナシ全村合シテ十部落アリ 一 戸口 戸数ハ全戸百参拾五戸人口八百五拾四人此内訳男四百五拾参人女四百〇壱人ナリ本籍計九百四人此内訳男四百八拾参人女四百弐拾壱人其内職業ヲ区別セハ農百人工廿四人商弐人ナリトス一 役場吏員 現村長瀬戸駒吉氏ト助役岩本房吉氏ノ両人収入役ハ村長兼任ニシテ書記壱人モナシ助役岩本氏ハ名義丈ニテ出勤セズ臨時出来事ノ生シタル際又ハ村長他出ノ場合ニ出勤スル位ニシテ総テ村長壱人ニテ執務セリ元来本村少数ヨリ成立シタル村ナレバ村民能ク相和合シ一村恰モ一家ノ如ク吉凶禍福ヲ共ニシ人情風俗ハ至ツテ醇朴ニシテ協同力ニ富ミ道路ノ修繕其他ノ事業ニ於テハ其部落自身ニテ為スノ習慣ニテ村役場ニ於テ指図ヲナスコトナシト云フ 一 議員選挙党派ノ関係ナク従ツテ選挙ニ於テ一致シ分離スルコトナク予選ノ候補者ハ必ラズ当選スト云フ 一 土地 地目別反別地価左ノ如シ 田 九町九段八畝廿九歩 畑 六拾七町一段廿五歩 山林原野 百拾五町参段参畝廿八歩 宅地 五町五段弐畝廿歩 一 産業概況 主要産物ハ薪炭類ニシテ副産物トシテハ養蚕ナリ其種別産額ヲ挙クレハ左ノ如シ 一 薪炭 価格金六千五百円 一 ミツマタ 金五百六拾円 一 竹 金四百弐拾円 一 養蚕 金弐千百六拾円 一 米 産額百六拾石 一 大麦 同 弐百四拾石 一 納税 本村ニ於ケル地租納税人員ハ弐百五拾参人所得税ハ拾人営業税ハ弐人ナリ 一 村ノ資力経済 本村ハ寒村僻地ナレハ来往スルモノ至リテ少ナク土地ハ豊富ニアラザルモ著敷貧富ノ差少ナク本村経済モ年々壱割以上ノ増加ナルモ唯壱人ノ苦情ナク円満ニ納税ス 一 明治四十四年度歳入歳出予算〔大要〕 歳入 金壱千四百八拾七円五拾四銭 歳出 金壱千四百八拾七円五拾四銭 歳入 金九拾八円参拾五銭 財産ヨリ生スル収入 金五円 使用料及手数料 金拾円 雑収入 金五円 前年度繰越金 金壱円九拾壱銭 県補助金 金四円五拾銭 寄付金 金弐円 国庫交付金 金拾円 県交付金 金壱千参百五拾円七拾八銭 村税 計金壱千四百八拾七円五拾四銭 歳出 金四百七拾参円 役場費 金弐拾七円六拾銭 会議費 金七百弐拾参円参拾弐銭 教育費 金九円八拾銭 衛生費 金三拾六円参拾銭 諸税及負担 金百九拾円 財産及管理費 金五円 雑支出 金弐拾弐円五拾壱銭七厘 予備費 計金壱千四百八拾七円五拾四銭 一 事務整理ノ状況 役場吏員ハ前記ノ如ク村長壱人ニテ自カラ各事務ヲ取扱ヒ全戸数百参拾六戸ノ少数ナルヲ以テ事務モ至リテ閑散ニテ諸帳簿ノ如キ戸籍簿弐冊ヲ有スル丈ニテ他ノ諸帳簿ハ皆壱冊ニテ足レリ仮令少数ナル諸帳ナルモ村長壱人ニテ万端ノ事項ヲ取扱フハ容易ナラサルモ三拾壱年以来勤続ノ村長ナレハ事務ニハ精通シ且ツ勤勉家ナルヲ以テナリ斯ク整理行届キアルニ名誉職名簿ノ調製ナキハ遺憾ナリ 一 本村ニ於ケル条例規程中重ナルモノヲ挙クレハ左ノ如シ 一 反別割 二 基本財産蓄積条例 三 督促手数料条例 一 徴収ノ方法及状況 税金徴収ニ付テハ明治廿六年頃迄ハ其部落内ノ納税者ノ人名ヲ連記シ部落組長ニ告知セシガ廿七年ヨリ正式ノ納税告知書ヲ発シタルモ切符ハ一纒メニ其部落組長ニ配付シ組長ハ部落内ニ納税額ヲ告ケ組長ハ取纒メ期日前ニ完納セリ村長職以来県税ニ於テ金拾五銭ノ滞納者ヲ出タシタル丈ニテ〔納税本人期日前ニ逃亡セリ〕他ニ壱人モナシト云フ 一 財産増殖及保管ノ状況 基本財産トシテハ明治弐拾七年以前ハ更ニ積立テナク廿七八年日清戦役ノ際紀念トシテ公債募集ニ応シ基本財産トシテ積立テタルヲ始メトシ廿九年度ヨリ歳入歳出精算ノ残額ヲ基本財産ニ編入スルノ決議ヲ為シ卅六年九月十九日基本財産蓄積条例ヲ設ケタリ 一 村基本財産 現金千弐百三拾九円三拾五銭 二 同 公債 六百五拾円 三 村基本金 山林五町弐反三セ拾五歩 四 学校基本金財産 現金拾七円六拾六銭 〔現金ハ川村銀行ニ定期預金公債ハ村長之ヲ保管ス〕 五 学校敷地 八畝歩 六 病舎 弐反三畝廿九歩 皆瀬川共有林弐百参拾壱町弐反参畝拾四歩原野四拾八町一反七畝歩此内山林五町弐反三畝拾歩ハ村有財産ノ内ヘ無償譲与ヲ受ケ本年四町歩余殖林ヲ有セリ都夫良野共有山林九反弐畝七歩原野五反弐畝七歩ハ皆瀬川ノ例ニ倣ヒ本年度ニ於テ無償譲与ヲナスト云フ一 土木衛生教育勧業抔ハ特筆スキ事項ナシ本村視察中最モ感シタルハ戸籍事務ノ内出生又ハ戸籍上ニ異動ヲ生シタル際ニ左記ノ通リ伝票ノ如キモノニ記入ヲナシ其伝票ヲ年度別ニシ又月毎ニ仕訳ケ男女ノ区別ヲ為ス該伝票ハ戸籍ノ統計表ヲ作成各徴兵壮丁者ヲ取調フル最モ便方ナリト云フ 共和村条例 第一条 本村内壱郡ノ特有ニ係ル財産及営造物ニ関スル事務ノ為メ左ノ弐区ニ区会ヲ設ク 一 皆瀬川 二 都夫良野 第弐条 区会議員ノ定員ハ各区八人トス 第三条 区内ニ住居スル村公民ハ総テ選挙権ヲ有ス但シ其公民権ヲ停止セラルヽモノ及町村制第九条第三項ノ場合ニ当ル者ハ此限リニアラズ内国人ニシテ公民権ヲ有シ其区ニ於テ直接村税ヲ納ムルモノ其額区内ニ住スル公民ノ其区ニ於テ最多ク納税スル三名ノ中ノ壱人ヨリモ多キトキハ区内ニ住スル公民ニ在ラズト雖モ選挙権ヲ有ス但シ公民権ヲ停止セラルヽモノ及ヒ町村制第九条第三項ノ場合ニ当ルモノハ此限ニ在ラズ法律ニ従テ設立シタル会社其他法人ニシテ前記ノ場合ニ当ルトキモ亦同シ 第四条 選挙人ハ等級ヲ分タサルモノトス 第五条 区会議員タルコトヲ得ヘキモノハ村会議員ノ被選権ヲ有シ其区ニ住居スルモノニ限ル 第六条 区会議員ハ名誉職トス 第七条 第弐条乃至第六条ノ外町村会ノ組織及ヒ選挙並職務権限及処務規程ニシテ区会ニ適用シ得ヘキモノハ総テ町村制ノ例ヲ適用ス 共和村基本財産蓄積条例 第一条 本村ハ本条例ノ規定ニ依リ基本財産ヲ蓄積ス蓄積スヘキ金額ハ其基本財産ヨリ生スル一ケ年度ノ収入ヲ以テ本村一ケ年度ノ経常歳出ヲ支ヘ得ル額ニ達スルヲ以テ限度トス 第弐条 基本財産ヨリ生スル収入ハ総テ基本財産トシテ蓄積スルモノトス 第三条 前条ノ外毎年度金弐拾円以上ヲ基本財産トシテ蓄積スルモノトス 第四条 公債ヲ起ス場合ニ於テハ村会ノ議決ヲ以テ其公債償還ヲ了スルマテ年度間蓄積ヲ停止ス 第五条 基本財産トシテ蓄積スベキモノハ総テ予算ニ編入スベシ 第六条 基本財産ノ収支精算ハ毎翌年度ニ於テ之ヲ本村会ニ報告スルモノトス (「地方改良会書類」(明治四三―大正九年)大磯町役場蔵) 二二一 中郡大山町戊申詔書奉読式挙行等関係書類(一-三) (一) 第四五四号 通牒 明治四十二年十月廿五日 大山町役場 什長殿 本県訓令第十一号戊申詔書奉読規定第二条ニ基キ来十一月三日ノ天長節ヲ期シ午前十時ヨリ大山小学校ニ於テ左記御詔書奉読式施行致シ候条可成一戸一名ツヽハ参列相成候様無洩一般ヘ通知方御取斗相成度候也 但町会議員各教導職什長等ハ参列相成候様致度候 一 戊申詔書奉読式 右御詔書対揚ニ関スル講話等モ可有之候 付記 抑モ戊申詔書御発布ノ聖旨ハ申ス迄モナク戦勝国ノ民衆ニアリテハ其余栄ニ駆ラレ動モスレバ或ハ浮華ニ陥リ或ハ奢侈ニ流レ安キヲ以テ深ク大御心ヲ傷マサセ賜ヒ国力増進ノ基ハ国民自強ノ精神ト其実行ニ存シ而モ民資充実ニ由テ之レヲ大成スルコトヲ得ベシトノ義ニ外ナラズト確信ス 夫此際ニ於テ互ニ荒怠相戒メ以テ進取経営ノ気性ヲ養ヒ民力ノ伸暢ト風気ノ作興トヲ図リ信義醇厚ノ俗ヲ養ヒ以テ各自ノ品位ヲ進メ地方産業ノ発展ヲ謀リ倚ヲ以テ国家ノ進運ヲ扶翼スルハ聖詔ノ御趣意ノ万一ヲ対揚スル所以ノ途ナラン歟願クバ各自長ヘニ其効果ヲ挙ゲラレンコトヲ (二) 第四八二号 通牒 明治四十二年十一月十八日 大山町役場 什長殿 本月十三日ノ夜報国会開会ノ節御協議致シ置キ候次第モ有之候処次テ十五日付ヲ以テ其筋ヨリ左記ノ通リ達セラレ候条各自実行致サレ候様無洩一般ヘ須知方可然御取斗相成度候也 左記 満期兵退営及新兵入営ノ際華奢虚飾ノ送迎ヲ廃止スルノ件ニ付テハ先年来屢々通牒ニ及ビ尚本年ヨリノ送迎ハ旗幟ヲ樹ツル事ヲ必廃止スル旨先般会同ノ節演達ニ及ビ置キ候次第モアリタルニ付一般虚飾ノ弊風ヲ除去シ得ベキコトヽ相信シ候ヘ共若シ一部ノ送迎ニシテ旗幟ヲ樹ツルコトアランカ其弊ヤ引テ他ノ町村ニ波及可致候間其旨一般人民ニ周知ノ上右旨趣実行方特ニ留意可有之候 追テ在郷軍人ノ団体旗ハ本文ノ限リニ無之候ニ付此段申添ヘ候也(三) 第二六号 町政上最モ重ク且ツ須要ナルハ納税事務ノ整理確実ナルト其方法ノ宜キヲ得タルニ如クハナシ若シ夫レ一朝之ヲ紛乱センカ町民ノ自治政何ニ頼テカ其全キヲ保ツヲ得ンヤ爰ニ戊申御詔書ノ御趣意ヲ奉戴シ先ツ其端緒トシテ納税貯金組合ヲ設ケ以テ本月ヨリ実行セントス諸君此意ヲ諒セラレ凡ソ左ノ規約ニ基キ各自御実行アランコトヲ乞フ 納税予納貯金組合規約標準 第一条 本規約ハ納税予納組合規約ト称シ当大山町役場部内ニ居住スル者ヲシテ月掛又ハ日掛方法ニ頼リ其応分ニ貯金セシムルモノトス 第二条 本規約ハ旧来ノ組合部落ヲ以テ一区域トシ毎月若クハ毎日順次隔番方法ニ依リ集金シ銀行又ハ郵便局ヘ預ケ入ルヽモノトス但組合部落ノ情況ニ依リ便宜ノ方法ニ倚ルハ妨ケナシ 第三条 本規約ハ組合部落ノ情況ニ依リ或ル一定ノ時期ニ於テ集金シ貯金スルコトヲ得ルモノトス此場合ニ於テ集収シタル金額ハ直ニ第二条ノ手続キヲ履行スルモノトス 第四条 本規約ハ其組合部落ノ情況ニ依リ春夏両大祭ノ時期ニ於テ適当ノ出金ヲ為シ平素ノ積立金ニ加ヘ各自一ケ年ノ負担納額ニ充ツベキ金額ヲ貯金スルモノトス 第五条 本規約ハ互ニ私情ヲ捨テ能ク協同一致シテ其積立ヲ励行スルモノトス 但一戸ノ積金月掛ハ毎月五銭以上トシ日掛ハ各自ノ適宜トス 以上 明治四十三年一月 日 大山町役場 (「回議綴」(明治四〇年―)伊勢原市役所蔵) 二二二 戊申大詔紀念高座郡相原村勤倹貯蓄組合等規約(一-六) (一) 戊申大詔紀念相原村勤倹貯蓄組合規約 第一条 本組合ハ戊申ノ 聖詔ヲ奉ジ勤勉ノ利潤ト節倹ノ余財トヲ貯蓄シ独立自営ノ基礎ヲ鞏固ニシ一家一郷ノ繁栄ヲ計ルヲ以テ目的トス 第二条 本村内ニ一戸ヲ構フルモノハ最寄組合ニ加入スルノ義務アルモノトス 第三条 本組合ハ戊申大詔紀念相原村勤倹貯蓄組合ト称シ左ノ六区ニ分ツ 第一区相原上第二区相原下第三区橋本第四区小山上第五区小山下第六区清兵衛新田 第四条 組合員ハ第一条ノ目的ヲ達スル為メ左ノ各項ヲ遵守スル義務アルモノトス 一 老幼男女ノ別ナク時間ヲ徒費セザルコト 二 早起夜業ハ必ズ励行スルコト 三 職業ニ精励シ副業増進ヲ計ルコト 四 吉凶相慶弔シ艱難相済ヒ交誼ヲ厚クシ親睦ヲ主トスベシ 五 町村自治ノ円満発達ヲ図ルベキコト 六 分度ヲ守リ虚飾ヲ戒ムベキコト 七 公私ノ集会ニハ時間ヲ厳守スルコト 八 租税公課ノ納期ヲ経過セシメザルコトニ心掛クベキコト 九 衛生ヲ重ジ健康ヲ増進スベキコト 十 祝賀式ノ外可成酒ヲ用ヒザルコト 十一 送迎慰労会ニハ虚飾ヲ避クベキコト 十二 村社ノ祭典以外ニ村内ノ興行ハ村会議員及重立者ノ承認ヲ得タル上挙行スルコト 第五条 組合員ハ左ノ種類ノ収入ハ必ズ貯蓄スベキモノトス 一 相当ノ時機ニ於テ一定ノ時間夜業ヲナシテ得タルモノ 二 春秋両季屑繭代ノ内若干 三 米麦其他ノ収穫時ニ於テ収穫品ノ内若干 四 紙屑空壜等ノ代金 五 塩水撰ニ依リ節約シ得ベキ麦籾ノ量 六 誕生髪置、袴着、裳着、婚嫁ノ祝賀ヲ紀念セル為メ費用ノ内若干 第六条 組合ノ事務ヲ取扱フ為メ組合長一名ヲ置キ又各区組合員ノ互選ヲ以テ区長一名ヲ置ク組合長ハ区長ノ選挙トス右役員ハ名誉職トシ其任期ハ四ケ年トシ満期ノ前日改選シ補欠ハ直ニ選挙スベシ 第七条 積立金ハ毎月一回通帳ヲ添ヘ区長ニ差出スベシ臨時ノ収入ニ属スル分ハ其都度差出シ又都合ニ依リ自ラ預ケ入レタル場合ハ其金高ヲ区長ニ届出ヅベシ 第八条 区長ハ組合員積立金台帳ヲ作リ各口座ニ記入シ毎月末預入高ヲ組合長ニ報告スベシ 第九条 組合長ハ貯金台帳ヲ備置キ送付ヲ受ケタル都度之ニ記入シ毎年二回一覧表ヲ作リ村長ニ報告スベシ 第十条 組合員ハ区長ヲ補佐シ区長ハ組合長ヲ補佐シ常ニ一致協力スベシ 第十一条 積立金ハ郵便貯管理所ニ預入レ通帳ハ各自之ヲ保管スルモノトス 第十二条 積立金ハ左ノ場合ノ外払戻ヲナスコトヲ得ズ 一 組合外ニ転居シタルトキ 二 不慮ノ災害ヲ被リタルトキ 三 土地ヲ購入スルトキ 四 其他組合長ニ於テ止ムヲ得ズト認メタルトキ 第十三条 積立金多額ニ上リタルトキハ決議ノ上産業資金融通ノ途ヲ購スルコトヲ得 第十四条 組合員ニシテ分度ヲ踰ヘ驕者ヲ事トシ業務ヲ曠庶スルモノハ組合長之ヲ戒飾シ努メテ善導シ反省ノ見込ナキトキハ組合員ノ決議ニ依リ一切ノ交際ヲ絶ツコトアルベシ 第十五条 各組合ハ区長組合長ニ対シ協議上実費又ハ報酬ヲ付スルコトヲ得 付則 第十六条 本規約ノ前ヨリ貯蓄シ居ルモノハ此規約ヲ適用スルモノトス 第十七条 本規約ハ明治四十三年一月一日ヨリ施行ス (二) 相原村納税組合規約准則 第一条 本組合ハ納税ノ義務ヲ全シ併テ納税者各自ノ時間ト手数ヲ省クヲ以テ目的トス 第二条 本組合ハ何々納税組合ト称シ何大字〔小字〕又ハ戸数凡ソ十戸内外ヲ以テ区域トス 第三条 本組合区域内ニ於テ新ニ納税義務ノ生ジタルモノアルトキハ組合長本組合ノ旨趣ヲ説明シ加入セシムベシ 第四条 本組合ニ組合長一人ヲ置キ組合員中ヨリ之ヲ選挙スルモノトス 第五条 組合長ノ任期ハ二ケ年トシ名誉職トス但シ組合員ノ協議ニ依リ事務ニ相当スル報酬又ハ実費ノ弁償ヲナスコトヲ得 第六条 組合ハ組合ヲ組織シ組合長ノ選任ヲ了リタルトキハ該規約及組長氏名ヲ村長ニ報告スベシ但シ更替ノ時モ亦同ジ 第七条 組合長ニ於テ納税ニ関スル令書ヲ受ケタルトキハ直之ヲ組合員ニ配布シ且ツ納税ノ期日ヲ誤ラザル様注意スベシ 組合員前項ノ配布ヲ受ケタルトキハ速ニ納税ノ準備ヲナシ毎納期前日迄ニ必ズ組合長ヘ送金スベシ 組合長ハ前項ノ送金ヲ取纒メ之ヲ村役場ヘ納付シ其領収証書ハ各組合員ニ送付スベシ但シ取纒メタル税金ハ都合ニ依リ組合員ヲシテ輪番ニ納付セシムルコトヲ得 第八条 組合員中前項ノ送金ヲ怠ルモノアルトキ組合長ハ懇篤示諭シ猶送金セザルトキハ之ヲ村長ニ報告スルモノトス 第九条 組合長ハ毎年一月組合総会ヲ開キ前年中ニ於ケル納税ノ成蹟ヲ報告シ又必要アルトキハ臨時開会スルコトヲ得但シ総会ハ組合員三分ノ一以上出席スルニアラザレバ開会スルコトヲ得ズ 第十条 本組合ハ村長ノ監督ヲ受クルモノトス 第十一条 本組合ニ於テ年度内毎期完納シタルトキハ組合長ハ本組合ニ相当ノ表彰方ヲ村長ニ申請スルモノトス 第十二条 本組合ハ時機ヲ計リ納税準備ノ為メ貯金ノ方法ヲ設クルモノトス 付則 第十三条 本規約ハ村長ノ承認ヲ経タル上明治四十三年度ヨリ施行ス 第十四条 本組合ハ組合総会ニ於テ組合員三分ノ二以上ノ同意ヲ得且ツ村長ノ承認ヲ経ルニアラザレバ更正スルコトヲ得ズ 第十五条 本規約ノ旨趣ヲ実行スルタメ組合長左ノ署名捺印ス (三) 明治三拾五年一月爰ニ共進組ハ生レタリ是即同志ノ集合体ニシテ実ニ隣保猶親厚ナルコトヲ表セリ云ベシ乍去当組各自十分ノ生計ヲ立ツルノ外別ニ共益ヲ計ル目的ナレバ始終創設ノ時ヲ各自ニ於テ忘却セサルコトヲ期スベシ然レバ互ニ反目争論等ノ事ナク長日月中欣喜親蜜ノ中ニ其利益ヲ受タルヲ得ン是規約ノ前文ニ掲ケ一同連署以テ紀念ト為ス所以也 明治三拾五年一月拾五日 高座郡相原村橋本共進組 共進組規約書 第一条 当組ヲ橋本共進組ト称ス 第二条 当組合ハ畑地ヲ借受ケ桑園ト為シ共同力ヲ以テ之ヲ成育セシメ毎年之ヲ組合内又ハ組合外ヘ売却シ此収益ヲ以テ組合ニ報酬ヲ受クルヲ目的トス 第三条 当組合ハ橋本横町組ニ置キ組頭ノ当選者ニ於テ其事務ヲ扱フモノトス 第四条 当組合ノ存去期間ハ設立ノ月ヨリ十ケ年間トス但シ組合員協議ニヨリ之ヲ延長スルコトヲ得 第五条 当組合ハ同志者ヲ以テ会員トシ途中ヨリ入ルモノ又ハ退会セントスルモノアルトキハ組合一同ノ協議ヲ以テ決スルコト 但シ代替リハ相続人ニ引継コト 第六条 当組合ニ左ノ役員ヲ置ク 組頭一名世話役三名 第七条 組頭及世話役選挙ハ組合員投票ヲ以テ之ヲ選挙ス其任期ハ各弐ケ年トス 第八条 組頭及世話役ハ桑園設計及耕作培養等ニ注意シ臨機組合員ヨリ均一ニ出業セシメ及組合ニ係ル諸収支ヲ処理スル事 第九条 組頭報酬トシテ組合ヨリ一ケ分金壱円ヲ世話役ハ各五拾銭ツヽ贈ルコト 但シ毎年総会ノトキ加減スル事ヲ得 第拾条 当組合ハ毎年九月一回組合員総会ヲ開クモノトス 但シ其日時場所ハ組頭ヨリ一同ヘ通知ヲナスコト 第拾壱条 総会ニ於テ組頭ハ其年内ニ係ル出勤簿及諸収入諸支出ノ帳簿ヲ示シ理由ヲ説明シ収支精算報告ヲナス事 第十二条 当組合ノ利益金ハ左ノ割合ヲ以テ分配ス但シ組合員半数以上ノ議決ニヨル 一 配当金 何円 一 積立金 何円 第十三条 明治三拾五年一月拾五日当組合規約第十二条利益分配ノ方法ヲ尚利殖スルヲ目的トシ明治四拾弐年九月廿日総会ニ於テ自今組頭ノ名儀ヲ以テ左ノ如ク処理スルコトヲ得ルモノトス 一 郵便貯金ヲナス事 一 勧業債券ヲ買入ル事 一 公債証書ヲ買入ル事 (四) 福生会規約 今般有志者協議之上福生会ヲ設立シ各家経済基礎ヲ慮リ貯蓄金ヲナシ将来ノ幸福ヲ目的トシ其法方ヲ設クルコト左ニ 第一条 福生会江世話役六名ヲ置キ内壱名ヲ専務トス 第二条 福生会年限ハ明治四拾四年九月弐拾九日ヲ満会トス 第三条 会日ハ毎月弐拾八日トス尤二、五、六、十二ノ四ケ月ヲ除キ毎年八会トス但シ初会ハ大門組合共同食器置場新築費トシテ掛捨トシ落札金ハ後会渡シトス 第四条 鬮数ハ七拾六本トシ掛金ハ実掛ケ壱本ニ付弐拾銭売掛ケハ金弐拾三銭トス 第五条 掛金ハ会日各自当番ヘ持参スルコト 第六条 当鬮者ハ抽籤ヲ以テ弐本当トス但シ当籤ハ残リ鬮番ノ前後ヲ以テ当籤トス 第七条 壱本ノ当リ金額ハ金七円六拾銭トス其後ハ其会数ニ金三銭ツヽヲ増 第八条 会場ハ当鬮者ノ宅ヲ当番トス 第九条 会場ハ各自番俟ヲ旨トシ世話役ハ当リ鬮ヲ確認シ及帳簿整理ヲナシ即時解散スルモノトス 但シ時宜ニヨリ智識交換ノ談ヲナスモ妨ナシ 第拾条 当鬮者ハ本会ノ満期迄其金額ヲ世話役ニ委托スルモノトス第拾一条 世話役ハ掛金ヲ取扱及ヒ委托セラレタル金額ハ規約貯金トナシ毎会ノ翌日橋本郵便局江預入ルヽモノトス 第十二条 規約貯金通帳ハ各自保管シ必他人江預ケ又ハ貸渡ス事ヲ不得 第十三条 開会当日ハ必通帳ヲ其席江持参シ前条ニ違背セサリシコトヲ世話役及各会員ニ示スベシ 第十四条 福生会満会之節ハ会員一同協議ノ上貯金ヲ継続スルカ又ハ或ル事業ニ活用スルモノトス 但シ不止得時機ニ至リタルトキハ悉皆貯金ヲ引出シ更ニ解散スルコトヲ得 付則 第十五条 会員ニシテ会期中不止得事故出来掛金ヲ中止ノ申込アリタルトキハ是迄掛来リタル金額ハ満会ノ節計算相渡スモノトス但シ掛金中止ノ申込ニ対シテハ会員過半数事実不止得ト認タル后ニアラザレバ是ニ応ズルコトヲ得ズ 第十六条 会期中持鬮ヲ他ニ売渡サントスル者ハ必会員中江相談ヲナシ若買受人ナキトキハ会員外ヘ売渡スモ妨ナシ 明治参拾九年拾壱月起会 世話役 井上常吉 〃 安室健太郎 〃 阿部仙治郎 〃 小林勘助 〃 安室繁太郎 規約貯金代表者 専務〃 吉川唯治郎 (五) 勤倹労働貯金組合規約 第一条 本組合ハ組合員ノ資力ヲ増シ其福祉ヲ増進スル為メ平素業務ニ精励シ倹素ヲ旨トシ金品ノ貯蓄ヲ実行シ兼テ堅実ナル民風ヲ養成スルヲ以テ目的トス 第二条 本組合ハ第一条ノ旨趣ヲ実行スル為メ相原村字何々ノ内組合員二十名内外ヲ以テ桑園増殖貯金組合ヲ組織シ桑園一町歩以内ヲ造成シ之ガ純益ヲ積立ツルモノトス 第三条 本組合ハ相原村何々桑園増殖貯金組合ト称シ事務所ハ組合長ノ自宅ニ置ク 第四条 組合ノ造成スル桑園ニハ相原村何々組合桑園ト記シタル〔地上長六尺以上四寸角〕標杭ヲ建設スベシ 第五条 本組合ハ相原村長ノ監督ヲ受ケ毎年末組合ノ収支会計及状況ヲ報告シ同時組合員ニ明示スベシ 第六条 本組合相原村本籍人ニ限ル 第七条 組合員死亡シタルトキハ其相続人ハ当然組合員トナリ被相続人ノ有スル権利義務ヲ承継ス 第八条 組合員自ラ他町村ニ転住シ又ハ不止得事由ニ依リ脱退セントルトキハ組合長ニ届出テ認可ヲ受クベシ 第九条 組合員ニシテ何レノ場合ト雖モ脱退スルモノハ組合員ノ権利ヲ放棄シタルモノトシ本人ノ積立タル元金ノミヲ返却シ利子ハ払戻サヾルモノトス 第十条 本組合ハ組長ノ指揮ニ従ヒ桑園養成ノ業務ニ従事シ必ズ違背セザルコト 第十一条 本組合ノ造成シタル桑葉ハ組合員総会ノ決議ニ依リ入札ヲ以テ売却スルモノトス 第十二条 本組合ノ積立金ハ郵便貯金管理所ニ預ケ入レ利殖スルモノトス 第十三条 本組合ノ積立ベキ純益金ト称スルハ桑園ニ要スル小作賃金苗代肥料代及事務所ノ諸費ヲ控除シタル残金ヲ云フ 第十四条 本組合ノ桑園ハ着手ノ年ヨリ満十五ケ年トシ満期ノ時積立金元利ヲ組合員平等ニ分配ス 第十五条 本組合満期ノ際ハ更ニ継続実行スルコト但シ組合会ガ非認スベキ事情アル場合ハ之ヲ廃止シ其事実ヲ村長ニ届出ベシ 第十六条 本組合ニ左ノ役員ヲ置ク 一、組長一人 一、副組合長一人 一、幹事若干人便宜ノ所ニ配布スベシ 組合長副組合長并ニ幹事ハ総会ニ於テ之ヲ選挙ス 役員ノ任期ハ二年トシ欠員ヲ生ジタルトキハ直ニ補欠選挙ヲ行フベシ 役員ハ総テ名誉職トス但シ組合総会ノ決議ニ因リ相当ノ報酬ヲナスコトヲ得 第十七条 組合長ハ組合ヲ代表シ組合ノ事務ヲ総理シ役員ヲ指揮シ猶左ノ事務ヲ整理ス 一 組合員名簿ヲ備ヘ常ニ異動ヲ整理スルコト 二 組合員ノ出勤簿ヲ備ヘ常ニ出勤事務ヲ明記シ其成績ヲ監査スルコト 三 貯金台帳ヲ備ヘ預入ヲ記録シ亦貯金通帳ヲ保管スルコト 四 毎年収支日計簿ヲ備ヘ日々ノ収支ヲ明記スルコト 五 総会ノ際ハ関係書類ヲ示シ凡テ協和ヲ旨トシ事ニ処スベシ 以上ノ帳簿及諸記録ハ組合長交代ノ際旧組長ハ新組長ニ対シ一切ノ文書ヲ遅滞ナク引継ヲナスベシ 第十八条 副組合長ハ組合長ヲ補佐シ幹事ハ組合長ノ命ニ従ヒ組合ノ事務ニ従事スベシ 第十九条 本組合ハ必要ニ応ジ臨時組合総会ヲ開キ施肥及売桑其他会議ヲナスベシ但シ組合員ノ半数以上ノ同意ヲ得タル上之ヲ実行スベシ 第二十条 組合ハ監督上村長ニ於テ必要ト認ムルトキハ帳簿及関係文書ヲ提出検査ヲ受クベシ 第二十一条 組合長ハ組合有ノ貯金ヲ私消シ又ハ関係帳簿ヲ失ヒタルトキハ総会ノ需ムル損害要償ヲ負担シ異議ヲ申立ツルコトヲ得ザルモノトス 第二十二条 本組合ハ組合員ニ対シテ組合員一致ノ行動ナク組合維持ヲ故障スルモノハ組合員ヲ除名シ其積立金ノ元利ヲ組合ニ没収ス 第二十三条本組合ハ本組合ヲ確実ニ維持セン為メ組合員一同署名捺印ス (六) 申報 大正八年二月一日 相原村長(印) 高座郡長殿 既設貯蓄組合ノ件 本月十三日御指示ニヨル貯蓄組合ノ件夫々督励中ニ候ヘ共先以テ既設組合ヲ調査シ左ニ申報致候 左記 貯蓄組合ニ関スル調 大正八年一月十五日現在 〓蕩貯蓄組合ノ要領 右組合ハ既往十数年間五年或ハ三年ヲ一期トシ経営シ来リタルモ七年十二月満期ニ付更ニ本年一月十五日開設セルモノニテ現在金ハ前回ノ精算中ヨリ基金トシテ積立今回ハ三ケ年期トシ百五十口ニ分チ一人ニテ一回一口四十銭ツヽ数口ヲ加入シ毎年十回ニ出資スルコト而シテ一回ノ集金六十円ハ之ヲ其都度郵便貯金ト為シ又組合員ニテ肥料共同購入ノ時ハ之ヲ流用シ使用者ヨリ一割二分ノ利子ヲ徴シ其返済ヲ受タル元利ヲ又貯金ニ預ケ入利殖ス故ニ三ケ年満期ノ際ハ総計二千余円ニ達スヘク基金ハ各出資ニ応シ分配ヲ為シ又次回ノ基金ヲ相当保留スル計画ナリ本組合ハ従来大字相原小川茂作氏ノ統轄ニテ引続キ実行中ナリ 川根貯蓄組合ノ要領 右組合モ前者ト殆ト同一方法ニ依リ経営ス目下大字相原吉川勝三郎氏専ラ其事務ヲ扱居レリ 橋本共進組合ノ要領 本組合ハ労働貯金ノ方法ニシテ明治三十五年一月相沢菊太郎主唱ノ下ニ創設ス事務ハ毎年当番ヲ選定シ之ヲ扱フ其施設ハ畑四反八畝歩ヲ借入レ桑園ト為シ之ヲ組合ニ売渡シ地代肥料代ヲ支払ヒタル残金ヲ郵便貯金ト為ス然レトモ毎年桑葉相場ノ変動ニヨリ予期ノ収益ヲ見サルコトアリ為ニ過去十七年ノ事業ニ対シ貯金甚少キ感アレトモ事実ハ只毎年僅々耕作ニ従事セル労働ノ産ミタル結果トス (「戊申大詔紀念書類」相模原市史資料室蔵) 二二三 橘樹郡大綱村青年会第三支部規約草案帝国在郷軍人分会関係書類(一-三) (一) 大綱村青年会第三支部規則『草案』 第一条 本支部ハ教育勅語並戊申詔書ノ聖旨ヲ奉体シ、青年ノ親睦、知徳ノ涵養、体育ノ奨励、風紀ノ振粛、公共ノ振作、産業ノ発達等ヲ企図シ敬神愛国ノ観念ヲ養成シ以テ勤倹力行ノ公民タルヲ期スルヲ以テ目的トス 第二条 本支部ハ大綱村青年会第三支部ト称シ南北綱島ニ居住スル大綱村青年会員ヲ以テ組織ス 第三条 本支部ハ事務所ヲ尋常第三大綱小学校内ニ置ク 第四条 本支部ハ第一条ノ目的ヲ達センガ為左ノ事項ヲ実行スルモノトス 一 毎年二月、八月ニ於テ総集会ヲ開ク、但必要アルトキハ臨時総集会ヲ開ク 二 土地適当ノ方法ニ依リ補習教育ヲ行フコト 三 図書縦覧所ヲ設クルコト 四 通俗講話会、講習会、品評会ヲ開催スルコト 五 体育ノ為運動会、剣柔術其他ノ競技ヲナスコト 六 風紀ノ改善、勤倹貯蓄ノ奨励其他支部内ノ発達ニ資スル施設ヲナスコト 七 支部内ノ事業振興ニ協力シ、特ニ労力ヲ要スルコトハ進ンデ其施設ニ任スルコト 八 農産業及副産業ノ試作研究等ヲ行フコト 九 会員中他ノ模範トナルベキ行為アル者ヲ表彰スルコト 一〇 以上ノ外本支部必要ノ事項 第五条 本支部会員ニシテ此規則ニ反シ又ハ本支部ノ体面ヲ汚スノ行為アル者ハ之ヲ戒告シ又ハ除名スルコトアルベシ 第六条 本支部ハ篤実耆老者ヲ慰敬シ学識名望アル者又ハ本支部ニ対シ功績アル者ヲ名誉会員ニ推薦ス 第七条 本支部ニ左ノ役員ヲ置キ会員ノ互選ヲ以テ其任期ヲ二箇年トシ満期再選ヲ妨ケズ 但役員ハ正当ノ事由ナク辞スルコトヲ得ズ 一、支部長 一名 一、支部副長 一名 一、評議員 十九名 一、幹事 六名 一、会計主任 一名 第八条 支部長ハ支部ヲ管理シ、支部副長ハ支部長ヲ輔ケ支部長事故アル時ハ代理シ、評議員ハ本支部重要ノ事項ヲ決議シ、幹事ハ支部長ノ指揮ニ従ヒ庶務ニ従事シ会計主任ハ財産ヲ管理ス 第九条 本支部ノ事業年度ハ四月一日ニ始マリ翌年三月卅一日ニ終ル 第十条本支部ノ経費ハ会員ニ於テ便宜耕地ヲ借入試作ヲ兼ネ相互ノ労力ヲ以テ得ル所ノ収益並寄付金其他ノ収入ヲ以テ支弁ス 第十一条本支部施行ノ事業創廃等ニ付テハ専門ノ長者及名誉会員ノ意見ヲ諮フモノトス 第十二条本支部規則更正加除ニ対シテハ総集会出席会員ノ多数ニヨリテ之ヲ決シ本会総理ノ承認ヲ経ルモノトス 支部会員数百三十五人 役員候補者評議員一九人 幹事六人 支部長 吉原義介 支部副長 佐々木転 評議員 飯田助夫 〃 竹生源蔵 〃 城田新太郎 〃 同八百吉 〃 同瑳一 〃 池谷鏡之助 〃 池谷英介 〃 同豊八 評議員 吉原富三 〃 鈴木秀治 〃 加藤太郎吉 〃 小泉七衛 〃 松岡文蔵 〃 小泉三郎 〃 岡本定次郎 〃 吉原遠之助 〃 小島武一 〃 吉原園吉 評議員 小泉武雄 幹事 池谷一朗 〃 吉原宇平 〃 小泉宜平 幹事 石黒市三 〃 佐藤曽一 〃 程木徳山 会計主任 小泉五市 十一月二十七日確定議 (注)明治四十三年。 相模原市史資料室所蔵資料、開成町金井島区所蔵資料、開成町役場所蔵資料に同様のものがある。 (二) 拝啓高堂益々御清福ノ段奉賀候偖テ在郷軍人団創立以来非常ナル御尽力ト御同情トニ依リ日増ニ隆盛ニ相成候段御同感ニ堪ヘス候今回其筋ノ制定ニ従ヒ帝国在郷軍人会大綱村分会ト改称仕リ且其規約ニ依リ軍人ノミヲ以テ組織ナス事ニ相成候右ハ申迄モ無ク決シテ各位ヲ疎外スル次第ニテハ無之只唯軍人ヲ本位トシ諸規約ヲ厳格ニ行ハントスル真意ニ外ナラス候ヘバ今後ト雖モ不相変倍旧ノ御尽力願度就テハ来ル三月二十二日正午大綱高等小学校ニ於テ右発会式旁告別式執行仕リ候間万障御繰合セ御臨席被下度此段及御案内候敬具 明治四十四年三月十五日 帝国在郷軍人会大綱村分会(印) 飯田助太夫様 (三) 帝国在郷軍人会大綱村分会規約 第一款 総則 第一条 本規約ハ帝国在郷軍人会規約及麻布支部規約ニ基キ当分会ニ必要ナル事項ヲ規定スルモノトス 第二条 本会ハ帝国在郷軍人会大綱村分会ト称シ当分事務所ヲ大綱村菊名五百六拾番地〔大綱村役場〕ニ置ク 第三条 本規約ハ評議会ノ決議ヲ経テ変更スルコトヲ得 但シ其ノ都度支部長ニ報告スルモノトス 第二款 目的及事業 第四条 本会ハ軍人ニ賜リタル 勅諭ノ精神ヲ奉体シ在郷軍人ノ品位ヲ進メ親睦ヲ醇フシ相互扶助シ軍人精神ヲ振作シ体軀ヲ錬リ軍事知識ヲ増進スルヲ以テ目的トス 第五条 前条ノ目的ヲ達スル為メ左ノ事業ヲ行フ但シ時宜ニ依リ第二号以下ノ一若シクハ数号ノ実施ヲ延期セントスルトキハ支部長ノ承認ヲ経ルモノトス 一 本部ニ於テ発行スル雑誌ヲ購読スルコト 二 毎年三大節ニ於テ遥拝式及勅諭奉読式ヲ行フコト 三 陸軍紀念日〔三月十日〕ニハ祝典ヲ行フコト 四 毎年一回戦役死亡者ノ祭典ヲ行フコト 五 廃兵及戦死者ノ遺族ヲ優遇スルコト 六 軍事ニ関スル懇話会ヲ開キ撃剣会射撃会等ヲ開クコト 七 有勲者ノ名誉ヲ保持セシメ之レヲ優遇スルコト 八 軍隊ノ通過又ハ宿営等ニ際シ所要ノ便宜ヲ図ルコト 九 未入営現役兵ノ為メ所要ノ予備訓育ヲ行フコト 十 入退営軍人ノ送迎及在営兵ノ慰籍奨励 十一 戦死者ノ墳墓及記念碑等ノ永久保存ニ注意スルコト 十二 会員ニシテ傷痍若シクハ疾病ニ罹リ自活シ能ハザル者又ハ災厄ニ罹リタルモノアルトキハ之ヲ救助スルコト 十三 会員ニシテ死亡シタルトキハ会葬シ時宜ニ依リ其遺族ニ吊慰金ヲ送リ又ハ其ノ葬祭ヲ行フコト 十四 在営兵卒ノ家族ニシテ救護ノ必要アルモノヲ救助スル 十五 会員タリシモノノ寡婦孤児ニシテ救護ノ必要アルモノヲ救助スルコト 十六 天災地変ノ救護及公共ノ利益ヲ計ルコト 十七 其他必要ト認ムル事項 第三款会員 第六条 本分会々員ハ大綱村居住者ニシテ左ノ三種トス 一 正会員 待命休職予備役后備役退役将校同相当官准士官及在郷下士兵卒 但既教育補充兵及第一国民兵役者ヲ含ム 二 特別会員 在郷軍人ニ非スシテ特ニ本会ニ功労アリ分会ノ推薦ニ係ルモノ 三 名誉会員 現役陸軍将校同相当官ニシテ分会ノ推薦ニ係ルモノ 第七条 将校同相当官及特別会員ハ第五条ノ救助及吊慰金ヲ受ケザルヲ本則トス又特別会員ハ分会ノ役員トナルコトナシ 第八条 正会員ハ左ノ階級ニ依リ会費トシテ年三回〔二、六、十月〕ニ納付スルモノトス 一 将校同相当官准士官年額金九拾銭 一 下士兵卒補充兵第一国民兵役者年額金四拾五銭 第四款 資産 第九条 会計年度ハ毎年四月一日ニ始リ翌年三月卅一日ニ終ル 第十条 分会ノ資産ハ会員ノ醵金及分会ノ事業又ハ財産ヨリ生ズル収入其他有志ノ寄付金トス 第十一条 資金ハ評議会ノ承認シタル銀行亦ハ郵便局ニ預金スルモノトス 但シ五円以内ハ主任理事ニ於テ保管スルコトヲ得 第十二条 資金ノ出納ハ主任理事ノ外分会長ノ選定セル一名ノ加印者ノ連帯責任ヲ以テ行フ預金通帳亦ハ現金ニ換ル可キモノハ主任理事ニ於テ保管ス 第十三条 資金ノ出納ハ分会長ノ命ニ依リ其ノ収出書類ニ検印ヲ受クルモノトス 第十四条 経理係理事ハ収出書類ヲ完備シ常ニ収出計算ヲ確実明瞭ナラシム可シ 第十五条 会長ハ必要ニ応ジ監事ハ年三回現金及憑拠書類ヲ検査シ監事ハ其ノ景況ヲ分会長ニ報告ス 第十六条 収出決算報告ハ毎年度経過後三ケ月以内ニ主任理事之レヲ調製シ監事ノ監査ヲ受ケ評議会ノ承認ヲ経ルモノトス 第十七条 毎年度ノ予算ハ理事ニ於テ之レヲ調製シ分会長ノ承認ヲ経年度開始前評議会ニ提出シ其ノ協賛ヲ経ルヲ要ス 第十八条 収出決算ニ関スル経理当事者ノ責任ハ前条評議会ノ承認(ラ脱) ニ依リ自カラ解除セルヽモノトス 第五款 機関 第十九条 分会ニ左ノ役員ヲ置ク 分会長 一名 分会副長 一名 監事 二名 理事 八名 評議員 十六名 第二十条 分会長ハ会務ヲ総理シ評議会ノ議長トナル分会副長ハ会長ノ補佐代理ヲナスモノトス 理事ハ分会長ノ命ヲ承ケ会務ヲ掌理ス 監事ハ分会長ノ命ヲ承ケ経理ノ整否ヲ監査ス 評議員ハ分会ニ関スル重要事件ヲ決議ス 第廿一条 評議員ハ総会ニ於テ選挙シ分会長、分会副長、理事、監事ハ評議員之レヲ互選ス 役員ハ総テ名誉職トシ其ノ任期ハ二ケ年トス但シ再選スルコトヲ得又補欠員ノ任期ハ前任者ノ任期ニ依ル理事監事及評議員ハ毎年四月其ノ半数ヲ改選ス 第廿二条 評議会ハ分会長ニ於テ必要ト認メタルトキ分会長之ヲ召集ス 第廿三条 評議会ハ議長ノ外定員ノ三分ノ一以上出席スルニ非レバ決議ヲナスコトヲ得ズ 第廿四条 評議会ノ議事ハ過半数ヲ以テ決シ可否同数ナルトキハ議長之ヲ決ス 第六款 戦時ノ特例 第廿五条 戦事ニアリテハ支部ノ指示ニ依リ第五条事業ノ一部ヲ停止シ又ハ第十九条ノ規定ニ関シテ必要ノ特例ヲ設クルコトアル可シ 雑則 第廿六条 毎年四月十日迄ニ分会ノ景況ヲ支部ニ報告スルモノトス第廿七条 備付帳簿左ノ如シ 但シ左ニ掲グルモノノ外事務上必要ナル補助簿ハ適宜各掛ノ許ニ備置クモノトス 一 会員名簿 二 会議決議録 三 議案録 四 分会歴史 五 分会及会長ノ印 経理係 一 金銭物品出納簿 二 寄贈簿 三 郵便切手受払簿 明治四十四年三月廿二日発会 (表紙裏注記) 明治四十四年三月廿一日発会 分会長 伊東秀輔 〃副長 城田新太郎 同年四月八日 於妙蓮寺廿七八卅七八年戦役 戦病者追弔会執行 (「地方改良青年会関係書類」飯田助丸氏蔵) 二二四 足柄上郡南足柄村関本区第三組組合規約書助誠講主意書(一-二) (一) 南足柄村関本区第参組々合規約書 第一条 本組合ハ南足柄村関本区第参組々合ト称シ当組内戸主ヲ以テ組織シ会場及ビ事務所ヲ当組合伍長ノ居住地ニ置ク 第二条 本組合ハ組合員ノ道徳ヲ振起シ当組ノ繁栄ヲ図リ自治ノ基礎ヲ強固ナラシメンカ為メ左ノ参項ヲ実行スルヲ以テ目的トス 一 南足柄村関本戸主会々則ヲ遵守シ実践躬行シ相互ニ助誠講ヲ設立スルモノトス 二 組合員互ニ親睦共和ヲ主トシ報徳ノ主旨ニ拠リ勤倹力行家産ヲ治メ醇風ノ俗ヲ養成スルヲ旨トスルコト 三 当組ニ於テ明治四拾弐年拾弐月ヨリ向六拾ケ年間毎月各自金拾銭宛ノ共有積立ヲ完成セシムルコト 第参条 各自共有積立金ハ各自共有権ヲ有スルト雖モ払戻スコトヲ得ザルモノトシ永遠ニ組合ニテ保存ノ管理ヲナスモノトス該共有金ヨリ生ズル利得金ハ組合ノ基本金ノ内ヘ編入スルモノトス 但シ寄留人ニシテ他ヘ転住セントスルトキハ其積立元金ヲ返戻スルコトヲ得ル 第四条 本組合ノ基本金ハ本組合員平等ノ権利トス 但シ組合ヲ解退又ハ除名セラレタルモノハ同時ニ権利ハ消滅スルモノトス 第五条 本組合ニ加入セントスル者ハ基本金ノ内ヘ加入金トシテ金五拾銭以上提供スルモノトス 第六条 本組合ニ左ノ役員ヲ置キ無報酬トス 組合正副伍長各壱名 衛生委員壱名 相談役若干名 正副伍長ハ選挙又ハ談合ヲ以テ定メ相談役ハ本組合員ニシテ関本区選出ノ村会議員正副区長相談役及当組合ノ正副伍長相談役ト関本区長ト協議ノ上推薦スルモノトス 第七条 伍長ハ本組合ヲ代表シ関本区長ノ指揮ニ因リ一切ノ事務ヲ統轄シ副伍長ハ専ラ出納ノ事務ヲ掌リ伍長事故アルトキハ之レニ代ル衛生委員ハ副伍長ノ兼務スルモノトス 相談役ハ関本区長ト協義ノ上組合会ニ提出スベキ議案ノ起草及審査并ニ実施スベキ事業ノ調査其他重要ナル議事ニ参与シ伍長ト共ニ組合ノ枢機ヲ司ル 第八条 各役員ノ任期ハ弐ケ年トス 但シ非常ノ事故アルトキハ此ノ限リニアラズ 第九条 本組合ハ毎年弐回総会ヲ開キ左ノ事項ヲ行フモノトス 一 役員ノ改選 諸般ノ報告 二 本組合一般ニ関スル事務ノ討究審議 三 敬神博愛親睦ノ念ヲ養成センガ為メ助誠講ノ会日ヲ以テ講事ヲ行フモノトス 第拾条 講事ハ左ノ規定ニ従フモノトス 一 組合員各互ニ順次当番ヲナシ次番一人其手伝ヲナスベシ 二 講事ハ組合員各自ニ白米五合金弐銭宛ヲ支出スベシ 次番之レヲ取纒メ当番ニ引渡シ当番ハ粗飯ノ膳部ヲ調理シ招待スベシ 三 講事ニ使用スル器具ハ組合什器ヲ用ユベシ 祝義不祝義ニモ組合什器ヲ使用スベシ 第拾壱条 本組合ハ必要ニ拠リ役員会ヲ開クコトアルベシ 第拾弐条 本組合ノ会計年度ハ一月ヨリ十二月迄トシ経費ハ毎年十二月ニ於テ計算シ組合員ヨリ徴集スルモノトス 第拾参条 本組合員又ハ同家族中品行方正其心術行為組合員ノ模範タルモノアルトキハ総会ニ於テ之レヲ表彰シ之レニ反シ規約ニ違背シ組合ノ体面ヲ汚ス行為アリタルモノハ訓誡ヲ加ヘ尚悛メザルモノアルトキハ総会ノ決議ノ上関本戸主会役員ト協義ノ上承認ヲ経テ除名スルコトアルベシ 第拾四条 本組合ノ基本金及ビ共有積立金ハ逓信省又ハ確実ノ銀行ヘ預ケ入レ置キ有価証券又不動産ヲ買入ル事ヲ得ル 但シ組合員中災害ニ罹リタル者及精勤者ニハ総会ノ決議ノ上報徳年賦金貸付ノ趣旨ニ傚ヒ貸付ヲナスコト得ル 但シ基本金ヨリ生ズル利得金ハ什器ヲ購入シ然ル上関本戸主会々則第拾参条ニ因リ支出スルコトヲ得ル 第拾五条 本規約第弐条ニ因リ助誠講ヲ設立スル場合ハ組合員ハ金額ノ多少ヲ問ハズ必ス加入スル者トス但シ特別ノ事情アル者ニ限リ総会ノ決議ノ上一時金トシテ基本金ノ内ヘ寄付ヲナスコトヲ得ル助誠講ニハ惣代弐名ヲ選出シ他ノ役員ト共ニ諸般ノ事務ヲ掌ラシム 第拾六条 本組合ニ左ノ帳簿ヲ正副弐通宛備フルモノトス 組合記事 組合戸籍簿〔各壱通宛〕 組合台帳 共有台帳 帳簿引次キ帳 其他必要ナル帳簿書類〔以上各正副弐通宛〕 帳簿書類ハ伍長之レヲ管理スルモノトシ正副弐通ノ帳簿ニ限リ副帳簿書類ハ副伍長管理スルモノトス 第拾七条 本規約ノ外総テ関本戸主会々則ニ準拠スベシ 第拾八条 本規約ハ時勢ノ進運ニ伴ヒ総会ノ決議ヲ経テ関本区長ノ承認ヲ得テ変更スルコトアルベシ 本規約ハ決定ノ日ヨリ実行シ違背ナカラン為メ署名捺印スル者也 明治四拾四年弐月弐拾五日 足柄上郡南足柄村関本第参組 伍長 千〇〇参番地 下田元三郎(印) 副伍長 千〇〇五番地 呉地常五郎(印) 相談役 千〇〇弐番地 下田政造(印) 千〇〇七番地 浮田喜三郎 九百四拾参番地 本多銀次郎 九百参拾七番地 古谷吉五郎 九百参拾弐番地 向山貞次郎 九百参拾参番地 向山惣次郎 九百四拾壱番地 大熊イせ 九百四拾弐番地 梶重三 同番地寄留 渡辺安太郎 百五拾八番地 五島文作 (二) 助誠講主意書 一 当組合規約ニ拠リ組合ノ基礎ヲ強固ニシ平和ト親睦トヲ図リ基本金ヲ作製シ其余徳ヲ以テ組合什器ヲ購入シ組合員子弟ノ義務教育ノ完成ヲ謀リ又ハ災害ニ罹リタル者等ニ応分ノ補助ヲ成スヲ以テ主意トナス也 此方法左ノ如シ 一 金七拾円也 一 一口毎月金壱円掛七口トス 一 講主ハ第一回会立ノ際金七拾円ヲ貰ヒ受クルモノトス 一 設立ノ月ヨリ拾ケ月毎ニ立会ヲナシ八拾ケ月ヲ以テ完了スルモノトス但シ第二回目ヨリ抽籤ヲ以テ落札者ヲ定ム 一 会日ハ毎月弐拾参日ト定ム 一 掛金ハ毎月七日ニ確ク組合員順番ニ集金シ惣代ニ引渡シ惣代ハ確実ノ銀行ニ預ケ入ルヽモノトス 一 利掛金ハ落札金受領ノ翌月ヨリ毎月掛金壱円ニ対シ利掛金参拾銭ヲ添ヘ満会迄掛送ルモノトス 一 落札金ヲ受領スルニハ相当ノ担保又ハ弐名以上指名シタル保証人連署ノ証書ヲ差入レタル上渡金ヲナスモノトス但シ証書不備ノ場合ニハ惣代ニテ廻金トナシ掛金ヲ掛送ルモノトシ若不足ヲ生シタルトキハ落札人ヨリ徴集シ掛送ルベキコト 明治四拾四年弐月弐拾五日 関東第参組助誠講 発起人惣代 下田政造(印) 惣代 本多銀次郎(印) 伍長 下田元三郎(印) 副伍長 呉地常五郎(印) 助誠講加入者 一金弐円掛 下田政造 一金五拾銭掛 本多銀次郎 一金弐拾五銭掛 同長男徳三 一金壱円掛 向山貞次郎 一金壱円掛 五島文作 一金五拾銭掛 下田元三郎 一金五拾銭掛 浮田喜三郎 一金五拾銭掛 向山惣次郎 一金参拾銭掛 古谷吉五郎 一金参拾銭掛 渡辺安太郎 一金拾銭掛 大熊イせ 一金五銭掛 梶重三 一金一時金寄付 呉地常五郎 以上 (「組合規約書」(明治四四年)南足柄市関本自治会蔵) 二二五 高座郡下青年団体善導の件通達 高収第五三七二号 通達 大正二年十一月十日 高座郡長(印) 大和村長殿 青年団体ニ関スル件 近年各地トモ青年団体ノ発達漸ク著シキヲ加ヘ知徳ノ修養風紀ノ改善共同思想ノ涵養其他農事ノ改良副業ノ興振ヨリ夜警等各般ノ事ニ渉リテ活動ノ状頗ル見ルヘキモノアルヲ致シタルハ誠ニ喜フヘキ現象ニ有之是レ畢竟青年各自ノ自覚ト町村当路者ノ指導督励ノ結果ニ依ル所ナリト雖多数団体ノ内ニハ動モスレハ其勢力ヲ恃ミテ政治運動ニ干与シ或ハ之ニ利用セラル若クハ濫リニ町村政ニ容喙スル等時ニ常軌ヲ逸スルノ行動ニ出ツルモノ他ニ之レアルヲ聞ク是等ノ点ニ向テハ常ニ深ク留意セラレツヽアルヘキモ今後尚一層之カ善導ニ努メ以テ団体本来ノ目的ヲ遂行セシメラルヘク尤モ青年ヲシテ公事ニ関シ健実ナル知識ヲ修得セシムルハ固ヨリ緊要ノコトニ候モ其本分ヲ忘レテ漫ニ政治運動等ニ熱中スルカ如キハ可然カラサル義ニ付常時最モ之カ指導ニ意ヲ致シ講演講話ノ如キ直接人心ノ帰響スルモノニ在テハ深ク講師其人ノ撰択ヲ慎マシムヘキハ勿論団体経営ニ係ル図書館巡回文庫ノ如キ青年閲読ノ文書等ニ就テモ之カ撰択ヲ慎マシムル様十分注意指導セラルヘク候 (「郡役所令達書」(大正一年―)大和市役所蔵) 二二六 足柄下郡現役兵入隊景況調査表 大正五年十二月一日現役兵入隊累説調査表 足柄下郡 備考 一 本表中旗ハ自宅ノ姓名ヲ記シタルモノ餞別ノ金額中ニハ物品ヲ代価ニ換算シタル者ヲ含ム 一 本表中衣服ヲ新調シタル者ハ金額ヲ以テ示ス (「湯本村役場町村長会書類」(大正一―八年)箱根町役場蔵) 二二七 足柄下郡町村長会における郡長演達(一-三) (一) 演達 大正四年三月二日 今ヤ極東ノ戦局ハ青島ノ陥落ニ依リテ一段落ヲ告ケタルカ如キ観アルモ尚ホ艦隊ノ出征セルアリテ独墺国トノ国交ハ未タ旧ニ復セス加之欧洲ノ戦乱ハ其ノ終局果シテ何ノ日ニ在ルヤヲ期シ難シ此ノ秋ニ際シ深ク思ヲ列強ノ状勢ト帝国ノ将来トニ致サハ須ク挙国一致力ヲ戮セテ国運ノ発展ニ一段ノ努力ヲ竭サヽルヘカラス然ルニ斯ク国家多事ノ時偶々衆議院ノ解散ヲ見ルニ至リタルハ洵ニ遺憾トスル所ナリ 将サニ近日ヲ以テ行ハレントスル衆議院議員総選挙ニ於テ政府ハ鋭意選挙ニ伴フ各種ノ悪弊ヲ刷新シ憲政ノ本旨ヲ発揮セントシ最モ之カ取締ヲ厳正ニシ自由ノ意思ニ基ク公正ナル選挙ノ実績ヲ収メンコトヲ期シ法令ヲ励行シ毫モ仮借スル所ナカラントス蓋シ近時我国ニ於ケル選挙界ノ弊竇ハ毎回其甚シキヲ加ヘ金銭其他ノ利益ヲ対価トシテ投票ヲ売買シ或ハ候補者運動者等ニ於テ地方諸般ノ利益ヲ好餌トシテ有権者ヲ誘惑シ選挙人ヲシテ専ラ利害情実等ニ基キテ議員ヲ選挙セシメ又ハ所謂運動ヲ職業ノ如ク為ス者往々候補者ト選挙人ノ間ニ介在シテ不正行為ヲ敢テシ運動費ノ多寡ハ延テ当選ト否トニ至大ノ関係ヲ有スルカ如キ悪風ヲ馴致セントス斯ノ如キハ立憲政治ノ本義ニ悖ルコト甚シク其民心ヲ破壊シ道念ヲ麻痺スルノ害毒実ニ痛嘆ニ禁ヘサルモノアリ淳厚篤実其ノ風ヲ成セルノ国民ニシテ往々ニシテ其ノ此ノ事アル畢竟国家立憲ノ本旨ヲ明カニセス議員選挙本来ノ精神ヲ会得セサルニ基クモノト謂ハサルヲ得ス故ニ選挙ノ弊風ヲ杜絶セントスルニハ一面ニ於テハ選挙ノ取締ヲ厳行スルト同時ニ議員選挙ノ立憲政治ニ於テ最モ貴重ナル人民ノ権義ナル所以ヲ諒解セシメサルヘカラストシ政府ハ曩ニ選挙ニ関スル罰則ノ要旨ヲ掲記シ洽ク之ヲ有権者ニ配付シ尚ホ郡町村掲示場ニ便宜掲示セシメタリ公職ニ在ル者選挙ニ際シ其ノ有スル所ノ権利ヲ行フハ固ヨリ其ノ処ナリト雖モ苟モ職権ヲ濫用シテ他ノ選挙権行使ニ干与スヘカラサルハ言ヲ竢サル所ニシテ其ノ競争ノ劇甚ナルニ及ンテハ民心奮昂輙モスレハ些少ノ事故ニモ激動セラルヽヲ免レサルカ故ニ公職ニ在ル者ハ常ニ周到ナル注意ヲ用ヒテ苟モ物議ヲ紛起セシムルカ如キノ挙動ナカランコトヲ期セサルヘカラス而シテ又予メ法令ヲ研鑽シ一切ノ疑義ヲ釈明シ事ニ当リテ支牾ナク時ニ臨テ渋滞ナク精緻ナル用意ニ依リテ敏速ナル処理ヲ為シ併モ政党政派ニ対シテハ全ク厳正中立ノ態度ヲ採リ苟モ公務ヲ抛擲シテ選挙ニ狂奔シ或ハ選挙人ノ自由ナル投票ヲ妨害スルカ如キ行動ナク又町村役場ヲ挙ケテ選挙事務所タルノ観ヲ呈スルカ如キ不都合ナキヲ期スヘシ 御即位ノ大典ハ愈々本年秋冬ノ交ヲ以テ行ハセラルヽヤニ拝承ス之カ奉祝ニ就テハ挙国敬虔ノ誠意ヲ效シ慶賀ノ至情ヲ発スヘキハ固ヨリ其ノ所ニシテ地方ニ於テ紀念事業ヲ企ツルカ如キ最モ適当ノ施設ナリト雖モ此ノ場合ニ当リテハ町村民力ノ如何ニ鑑ミ専ラ質実穏健ヲ旨トシ紀念造林公園設置等其ノ施設一ニシテ足ラサルモ本郡町村ハ其ノ未タ蓄積条例ノ設定ナキモノハ之ヲ設定シ已ニ設定シアルモ余リ蓄積方法ノ効力確実ナラサルモノハ之ヲ改善シ又此際国県税ハ勿論町村税ノ滞納ヲ一掃シ自今納税組合部落納税ノ成績ヲ褒賞シ或ハ青年会員ヲシテ部落毎ニ徴税補助ヲ為サシメ之カ奨励金ヲ交付スル等適宜ノ方法ヲ設ケ怠納ノ弊風ヲ根絶シ以テ町村自治ノ基礎ヲ確立シ千載一遇ノ慶典ヲ奉祝スルヲ奉祝ノ第一義ナリト思料ス町村当局者ハ須ク最善ノ思慮ヲ費シ適切ノ方法ヲ講セラレンコトヲ期スヘシ 時局ノ郡下産業界ニ及ホセル影響ノ甚大ナルコトハ今更言ヲ竢ス就中箱根細工蚕繭刺繡バテンリング等ノ如キハ最モ甚シキ打撃ヲ蒙リ其他各種ノ農産物ハ価格暴落ノ為生産者ハ非常ナル苦痛ヲ受ケタリシモ今ヤ産業各方面ニ於テ稍々回春ノ曙光ヲ認ムヘキモノアルハ最モ慶喜スヘキ現象ナリ然レトモ時局ノ将来ハ固ヨリ予測スヘカラス経済界ノ常態ニ復スル未タ遽カニ逆睹スヘカラサルモノアリ今後一層当業者ヲ鼓舞奨励シ専ラ新智識ノ適用ニ依リテ生産方法ノ改善ヲ企テ生産組織ニ関スル不便不利ヲ除キ金融機関ノ円滑調和ニ注意シ努メテ経済的事業経営ノ道ヲ講シ其ノ海外輸出ニ供スルモノニ在リテハ特ニ粗製濫造ノ弊ニ陥ルヲ避ケ欧州戦乱ノ為メ新ニ開拓シ得ラルヘキ各市場ニ向テ販路ノ拡張ヲ企図スルニ至ラハ多年貿易ノ逆潮ノ為蒙リタル損失ヲ回復スル必スシモ至難ノ事ニアラス而シテ欧州ノ大乱ハ偶々我産業ノ発達ニ資スルノ一進転機タラスンハアラス要ハ当業者ノ奮励如何ニ在リ其ノ之カ指導誘掖ニ任スル者当業者ヲシテ此ノ好機ヲ利用シ能ク国家ノ必要ニ対応シテ生産ノ増進ニ努メシメンコトヲ要ス 近時米麦其他農産物価格ノ低落ニ依リ農村ノ困憊甚シキモノアリ為ニ肥料資金欠乏シ生産額ニ影響スルカ如キコトアランカ農家経済上悲惨ノ結果ヲ生スルノミナラス産業上頗ル遺憾ニ堪ヘサル所ナルヲ以テ此際克ク当業者ヲ指導農家金融上相当ノ方法ヲ講シ肥料購入ニ便ニシ其ノ已ムヲ得スシテ肥料ノ欠乏ヲ免ル能ハサル者ニ在リテハ堆積肥料配合肥料ノ方法ニ依リ最善ノ注意ヲ払ヒ之カ欠陥ヲ補フノ手段ヲ採ル等機宜ノ処置ヲ怠ラス苟モ生産ノ減退ヲ見ルカ如キコトナカラシメンコトヲ望ム 災害復旧工事ハ今ヤ著々進行中ニアリ本年出水前ニハ成ルヘク其ノ竣功ヲ見ンコトヲ期スル意図ナリト聞ク曩ニ本県ニ於テハ地元請負工事ニ関シテハ工事監査規程ヲ設ケ又特ニ通牒ヲ発シテ之カ施行方法ヲ指示セラレタリ蓋シ地元請負ナル者ハ地元人民ハ其工事ノ良否ハ直接自家ノ利害ニ繋ルヲ以テ其ノ経営ヲ苟且ニセサルヘキヲ思ヒ且ツ災余窮苦ノ人民ノ為メ一時ノ生業ヲ与ヘントスルノ趣旨ニ出ツ然ルニ当該町村中単ニ請負者ヲ指定スルヲ以テ足レリトシテ其工事ニ対シテハ何等責任ノ観念ナク其甚シキニ至リテハ他ノ営業者ヲシテ全然工事ヲ担任セシメントスルコトヲ謀リタル者アリト云フ如此ハ地元請負ヲ許スノ精神ニアラサルハ謂フヲ待ス従テ工事ノ堅牢ヲ望ム所以ノ道ニアラサルヘシ近年頻至ノ災害ニ対シテハ県民ハ非常ノ負担ニ苦マントスルノ時ニ当リ之カ復旧工事ノ施行ニ関シテハ一毫ノ疎漫アルヲ容サル方針ナリト聞ク従来土木工事ノ執行上往々ニシテ監督ノ周到ナラサルモノアリタルノ観アルハ深ク遺憾トスル所自今一切ノ工事ニ付テハ厳密ナル督励ヲ為シ苟モ粗鹵ニ失スルカ如キ過誤ナカランコトヲ期セラレントス又災害復旧補助工事ニ対シテモ国県費多端ノ折柄ナルニ拘ハラス多大ノ補助金ヲ交付スルハ蓋シ地方民ヲシテ堵ニ安シ業ヲ営ミ災後ノ窮苦ヲ軽減セントスルノ意ニ外ナラス然ルニ往々聞ク処ニ依レハ此ノ工事ニ依リ利益ヲ占メントシ又ハ補助金ノミニ依リ工事ヲ終了センコトヲ図リ自家頭上ニ蒙ムルヘキ爾後ノ災害ヲ念トセサル者アリト云フ是実ニ思ハサルノ甚シキモノナリ今ヤ町村補助工事モ着々進行中ニ属ス町村当局者ニ於テハ幸ヒニ叙上ノ如キ弊害ニ陥ラサル様厳密ナル監督ヲ為サンコトヲ望ム (二) 町村長会 大正五年十月二十三日 演達 昨秋陛下御一代ノ御大礼ヲ行ハセラレタル盛儀ヲ敬祝スルノ記念トシテ郡下町村ニ於テ計測実施シタル事業一ニシテ足ラスト雖基本財産蓄積基本財産林造成記念公園等ハ特ニ各位ニ於テ注意セラレ克ク其ノ事業ノ目的ヲ貫徹シテ真ニ記念事業タルノ名ニ背カラサル様実行上遺算ナキヲ期スヘシ 今ヤ欧州ニハ未曽有ノ大戦乱アリ隣邦支那ニハ革命乱勃発シ大総統袁世凱薨去後政局未タ安定セス我国ノ上下ハ此時局ニ対応シテ国運ノ伸張ヲ企図スルノ覚悟ト之ヲ遂行スルノ努力トヲ必要トスルノ秋ナリ公職ニ在ル者ハ此趣旨ヲ体シ自己ノ労苦ヲ厭ヒテ事ナキヲ希ヒ日常当面ノ事務ノミニ〓踖セス深ク思ヲ利用厚生ノ道ニ致シ自治ノ振興ヲ策シ職務ノ実蹟ヲ挙ケ以テ国家ニ貢献センコトヲ期スヘシ 教育ノ普及並ニ改善ニ関シテハ各位ノ常ニ尽力セラルヽ所ニシテ漸次良好ノ成績ヲ挙ケツヽアルハ寔ニ慶賀ニ堪ヘサルナリ 昨秋 陛下御大典ヲ訖ヘサセラレ宮城御還幸ノ後文部大臣ヲ宮中ニ召サセラレ教育ニ関スル御沙汰ヲ賜ヒタルハ諸君ノ既ニ了知セラルル所ナリ 聖旨宏遠寔ニ感激ニ堪ヘス各位ト共ニ自今益々奮励以テ教育ノ振興ニ力ヲ致サンコトヲ期ス而シテ特ニ諸君ノ注意ヲ求メント欲スルコトハ小学校ヲ卒ヘ上級ノ学校ニ進入セサル者ヲシテ国民教育ノ効果ヲ持続シ且ツ向上セシムルニ付一段ノ工夫ヲ費サンコト是ナリ或ハ補習ノ制度ニ依リ或ハ青年夜学ヲ開カシメ其ノ効果ヲ挙ルコトヲ期シ得ヘシ此点ニ関シテハ篤ト其ノ地方ノ実況ニ照シ適切ナル方法ヲ講スル様注意セラレンコトヲ望ム 青年団体ニ関シテハ昨年九月十五日内務文部両大臣ヨリ訓令セラレタルハ各位ノ熟知スル所ナリ是ヲ以テ漸次其ノ組織内容ヲ改善シ真ニ青年修養ノ機関タラシメンカ為メ本年三月十五日本郡令第六号ヲ以テ之レカ規準ヲ挙ケ訓令スル処アリ尋テ同月十九日郡青年会ノ総会ニ於テ青年会ノ改良刷新ヲ決議シタリ各位ハ須ク町村青年会ヲ指導啓発シ修養本位トナス様努力セラレンコトヲ望ム 以上ノ外各位ノ注意ヲ求メントスル事項ハ別紙ニ之ヲ指示シタリ諸君ハ宜ク従前屢次演達又ハ指示セラレタル事項ト共ニ之カ実行ニ付充分努力セラレンコトヲ望ム (注)別紙略。 (三) 演達 大正六年三月十日町村長会 先般郡市長会議ニ於テ知事閣下ヨリ政府カ曩ニ衆議院ヲ解散セラレタル所以ト来ルヘキ総選挙ニ対スル取締方針トノ訓示ヲ受ケタルヲ以テ本日〓ニ各位ノ会同ヲ求メ之ヲ各位ニ伝達セントス 寺内首相並ニ後藤内相ヨリ地方長官ニ訓示セラレタル要綱ハ各位ノ知了スル所ナルヘキモ尚ホ其ノ愆リナカラムコトヲ期スルカ為メ特ニ其ノ訓示筆録ヲ配付スルニ付各位ハ之ヲ精読シ政府カ衆議院解散ノ理由ト総選挙取締ノ方針ヲ諒シ之カ趣旨普及徹底ニ努メラルヘシ本官ハ知事閣下ノ訓示ニ依リ政府カ衆議院ヲ解散シタル理由及総選挙ニ対スル取締方針ヲ伝達ス是実ニ当然ノ職務ナリ然ルニ両相ノ訓示ニ就キ種々ノ批判ヲ下シ之ヲ以テ来ルヘキ総選挙ニ対シ地方官憲ノ干渉ヲ慫慂スルモノナリト為ス者アレトモ如此ハ之ヲ解スル者ノ意見ノミ両相ノ真意豈夫レ如此モノナラムヤ要ハ総選挙ニ対シ世人ノ誤解ヲ招キ累ヲ中央政府ニ及ホスカ如キコトカラムコトヲ努ムルニ在ルノミ 地方自治体ノ任ニ膺ル者ノ常ニ念トスヘキハ地方自治体ヲシテ穏健著実ナル発達ヲ遂ケシムルニ在リ然ルニ従来往々ニシテ選挙ノ結果地方ノ紛争ヲ惹起シ之カ為メニ積年養成シタル共同一致ノ美風ヲ破壊シ其ノ進歩ヲ阻害シタル実例ニ乏シカラス万一如此コトアラムカ寔ニ遺憾ニ堪ヱサル所ナリ今回ノ選挙ニ付テハ自治体当局者ハ深ク念ヲ〓ニ致シ其ノ公職ヲ利用シテ一党一派ニ偏私スルカ如キ行為ハ勿論其ノ誤解ヲモ招カサル様注意スヘク殊ニ選挙ニ関係アル官吏吏員ノ犯行ハ其ノ状最モ重キモノトシテ厳重ニ之ヲ取締ラルヘキ方針ナルヲ以テ之カ為メ刑辟ニ触ルヽカ如キ者ヲ出ササル様自ラ警ムルト共ニ部下吏員ヲ戒飭シ又選挙民ヲシテ充分選挙ノ意義ヲ解シ真ニ公正且ツ自由ニ其ノ権利ヲ行使セシメ以テ自治体ノ将来ニ累ヲ貽スカ如キコトナキ様注意アラムコトヲ望ム 知事閣下ハ今日県下ノ状勢ニ鑑ミ青年団体ノ活動ヲ奨励スルノ急務ナルヲ認メ曩ニ庁内ニ青年団指導委員ヲ設クルト共ニ県下青年団ニ訓令シテ其方針ヲ示サレ本郡亦本年二月郡令第一号ヲ以テ青年団指導委員規程ヲ定メ郡訓令第四号ヲ以テ青年団ニ訓示スル所アリ遠カラスシテ小田原中学校ニ於テ本県主催ノ青年団指導ノ講習会ヲ開カムトス各位ハ此ノ機会ニ於テ益々青年団体ノ指導誘掖ニ充分ナル注意ヲ加ヱラレムコトヲ望ム (湯本村役場「町村長会関係書類」(大正一―八年)箱根町役場蔵) 二二八 神奈川県町村長会貯蓄奨励に関する指示事項 指示事項 貯蓄奨励ニ関スル件 戊申聖詔煥発当時即チ明治四十二年勤倹貯蓄ヲ奨励シテ堅実ナル民風ヲ作興シ進テ産業ノ発展ニ資セントシ之カ奨励ヲ各位ニ望ミ各位亦熱心ナル努力ノ結果各町村共学校ニ在テハ児童貯金一般村民ハ規約貯金等ヲ設ケ各組合共順調ニ進展シツツアリシモ近時各組合ノ情況ヲ観ルニ解散ノ情態ニアルモノ尠シトセス又解散ニ至ラサルモ其成績更ニ挙ラサルモノ多キハ洵ニ遺憾トスル所ナリ如斯事業ハ之ヲ振興スルト共ニ之レカ持続ニ努メサレハ其ノ実効ヲ期シ難シ若シ当時ノ施設時世ノ進運ト地方ノ情況ニ適合セサル処アレハ左記事項ヲ参酌シ此際之レヲ改正持続シ之レヲ再興拡張スル等ノ計画ヲ樹テ完成セシメラレンコトヲ望ム 記 一 貯蓄ノ奨励ニ関シテハ須ク上下協力スルニ非サレハ其効果ヲ完ウスル能ハサルヲ以テ部内一般ニ貯蓄ノ美風ヲ普及徹底セシメ所在郵便官署其ノ他公私団体ト連絡ヲ通シ各其ノ情況ニ応シ適当ノ方法ヲ講スルコト 二 公私ノ集会等ヲ利用シ倹素質実ノ美風ヲ皷吹シ尚地方有志ハ率先其ノ範ヲ示スノ心懸アラシムルコト 三 貯蓄心ノ養成ニ関シテハ副業ノ奨励夜間又ハ雨日ノ作業其他適切ナル方法ヲ講シ常ニ之カ普及発達ニ努ムルコト 四 貯蓄預金ノ方法ハ各地ノ情況ニ依リ郵便貯金ニ依ラシムルモ銀行又ハ産業組合ノ預金ニ依ラシムルモ将又其ノ他ノ方法ニ依ラシムルモ差支ナシ要ハ確実安固ノ方法ヲ期セシムルコト 五 貯蓄奨励ハ広ク一般部民ニ対シ之ヲ為スヘキハ勿論ナルモ時局ノ為メ労働者ノ所得著シク増加セルニ付多数労働者ヲ使用セル会社工場等ニ対シテハ特ニ規約貯金等ヲ勧奨スルコト 六 政府ハ一般公衆ノ利便ヲ図リ郵便貯金制度ニ関シテハ従来幾多ノ改善ヲ加ヘ各種利便ノ方法ヲ施設セラルヽモ中ニハ未タ一般ニ周知セラルモノ尠ナシトセス此ノ際郵便官署ニ在リテハ郵便貯金案内等ノ冊子ヲ印刷シ広ク一般ニ配布ノ計画ナル由ニ付必要ニ応シ最寄郵便官署ニ就キ之カ交付ヲ受ケ有効ニ配布セラレタキコト (湯本村役場「町村長会関係書類」(大正一―八年)箱根町役場蔵) 第二章 米騒動民力涵養計画 第一節 米騒動と米廉売施米対策 二二九 「米騒動と横浜」等県知事有吉忠一の県政回想 ○頻繁なりし対外交渉 神奈川県へ赴任した時は、恰度欧州大戦の初期に当り、日本が日英同盟の誼により、連合国側に加担して、戦争に参加した際であったので、防諜関係を初め、敵国人の取締り、敵国財産の管理等で対外交渉が頗る頻繁であった、其の対外交渉の際使った通訳が竹山安太郎という人であったが、此の人は自分が千葉県に在任中、千葉警察で通訳をして居た人で、当時英語をしっかり勉強する様にと勧めたりしたこともあったが、それが奇縁と云はうか、自分が神奈川に赴任すると、此の人も亦偶然神奈川県に来て居たのである、自分が神奈川を去ると此の人は間もなく警視庁の通訳となったが、西比利亜出兵の際陸軍の通訳となって西比利亜に行き、チェコスロバキアのマサリック博士を庇護して大いに尽す所があったので、其の後マサリック博士は竹山を徳とし、礼状を贈ったり、勲章を授与したりして、竹山の尽力を表彰した、後日竹山は「建国秘録」と題する書物を書いてチェコスロバキア建国の内幕話を発表したが、其の書の序文に、神奈川県で苦心した経歴を書いて居る、それを見れば大体神奈川に於ける対外交渉のあらましが分かる。 一番うるさかった事は、白系露人が続々逃亡して来る、そしてゴロ〱滞在する、其の処置であった、第一之を救助する手当に困った、結局亜米利加へ送ることゝなり、政府に旅費の補助を受けて、何んでも数十人送ったと記憶する、其の他対外交渉はいろ〱実にうるさかったが、併し後には大変しよくなった。 ○京浜道路の改修付横浜、横須賀間 神奈川在任中の仕事で今尚ほ記憶に残って居る著るしい仕事は道路の建設である、県下一般の道路は比較的能く維持され管理されて居るが、京浜間と横須賀横浜間は非常に悪く、旧街道しかなかったのである、其の旧街道たるや、道幅は狭く、屈曲が甚だしい上に、人家が軒を連ね、交通が頻繁なので、交通上不便少なからずであった、殊に横須賀横浜間は、一度逗子を迂回せねば横須賀から横浜へ来られぬといふ状態であった、然るに横浜は帝都の玄関である、此の玄関を通じて人も物も帝都にはいるのであるに係らず、此の帝都の玄関からは単に汽車があるのみで、陸上斯る状態では、時代の進運に副はぬ、是非とも改良の必要があると痛感した、而かも此の道跡の改修は、単に横浜市や、神奈川県として必要な計りでなく、国家全体の上から見ても、帝都の玄関を繋ぐのであるから、国家としても最も必要な事である。 従って此の道路改修には、宜しく国費の補助があって然るべきものと思考した、然るに当時政府の方針は、軍用道路の為には補助を与へるが、一般産業上の為には補助せぬといふ方針であった、当時は寺内内閣の時で、内相が後藤新平氏で、次官が水野練太郎氏、土木局長が小橋一太氏で東京府知事が井上友一氏であった、そこで自分は先づ井上氏に相談した所、井上氏は一議に及ばす賛成したので、井上氏と二人で小橋局長に話すと、小橋氏も同感を表したので、其所で水野次官に話し、次官から後藤内相に話をされた所が流石後藤氏の事とて問題は迅速に解決され、京浜間の道路改修費に対しては国庫より補助を与へると云ふ事が決ったのである。 其時小橋氏の話では、青森、下ノ関間の改修が、国防上からも産業上からも、最も緊急を要するので、此の両地間に於ては、改修する地方から順次に補助を与へるといふのが其の時に決った政府の方針であったのであるから、此の京浜間の国庫補助獲得は、後日神戸、大阪間の改修の時の伏線となった訳である。 当時民間実業界に於ても、京浜間道路の現状に嘆息し、一日も早く之が改修をなす事は、経済的見地から最も必要であるとなし、京浜間実業家の協議団体「一日会」が東京府知事と神奈川県知事即ち自分を招待して尽力を求めたので、恰度今自分等が計画して居る次第を述べ、政府の態度を打ち明けて話した所一同は大いに歓喜した事を覚えて居る。 そこで京浜間国道の中神奈川県内の改修費として先づ四百万円を県会に提案した処、満場一致を以て協賛を得、愈々工事に着手することになった、所が此の予算には鋪装費が計上してなかったから、自分が兵庫県に転任後土木課長の高田景氏が、時の知事を説き鋪装費を追加したから、更に二百万円を増加した様に聞いて居る、斯くして現在の京浜国道が出来たのである。 一方横浜、横須賀間の改修は、横須賀が軍港である以上国防上、東京、横浜の交通を最も円滑にして置く必要がある事は、言はずして明らかである。で、これも県会に提案したが、この方は大分県会で揉めたあげく、結局通過した、自分は通過後測量中に兵庫県へ転任したから、直接工事を見るには至らなかった。 工事はまづ京浜間を先きにし、それから横須賀に手を着けた、当時逗子に御別邸を有せられた東伏見宮殿下には、常に往復の不便を御漏らしになって居たので、改修の旨を申上げて置いたが、竣工までには、民家を取り払ったり、田畑を徴収したり、種々の関係で相当の時日を要した、多摩川の方は東京府と共同で、橋の中央を境ひに各分担して工を急いだが、東京側が二年程遅れた、東伏見宮殿下には六郷の橋はまだ出来ぬか、いつ出来るかと仰せられて、大変御待遠うしく思召されて居たのは畏き次第であった、後日芽出度く開通を見た時は、悲しくも宮殿下には既に此の世におはしまさず、おゝ六郷が開通したかと、御満足の御言葉を拝するを得なかった事は、洵に遺憾の極みである、その開通は既に自分が横浜市長になってから後の事であったが、或る日それとなく東伏見宮御殿に伺候し、妃殿下の御機嫌を奉伺して、事務官に会ひ、それとなく六郷橋開通の旨を申上げて置いたが、其の後妃殿下に拝謁して直接申上げたところ殿下にも非常に御満足遊ハされて居ッたことを記憶して居る。 ○多摩川堤防問題 前任石原知事が多摩川の堤防修築に就て、内務省に認可申請をしたが、内務大臣からは相成らんといふ指令を受けた、元来堤防の修築は普通知事の権限に属するのであるが、河川法を施行されて居る河川の堤防の修築は、内務大臣の認可を要するのである、多摩川は其の河川法が施行されたので前知事が申請をしたのであるが遂に不認可となった、然るに対岸の東京側の堤防は立派に出来て居るので毎年雨期には神奈川側が汎濫して県民の被害は実に甚しいのである。 然れは自分は其の当時の土木局長であった小橋氏に、此の大臣の指令は何共其の趣旨の了解に苦しむ、東京府の民の水害は免れる様に許してやったが、神奈川県の民の水害を免れる様にすることは許さぬと云ふのは、ドウしても承服が出来ぬ、其の理由を説明して貰ひ度と迫った所が、小橋氏の返答は、多摩川は東京、神奈川両府県の間を流れ相互の対岸の間に紛議が多い、仍て政府に於ては孰れ大々的に改修をする積りであるから、夫れ迄は現状の儘を維持して、手をつけさせぬ方針であるといふのである、然し乍ら其の当時に於ては多摩川改修の設計も出来て居らず、予算も成立して居らぬからいつ出来る事やら時期も不明である、此の期間県民の災害を被るのを坐視するに忍びぬ、自分は其の当時自分が苟くも地方長官として 陛下の御宝をあづかって居る以上、管下の公利公安に関する事を徒らに便々として放任し置く訳には行かず、一日も早く公害除去の方法を講ずる事が、知事の責任上当然の任務であると考へ、上級官庁に於て認可が得られなければ止むを得ず、知事の権限内で出来る範囲に於て知事の責任を以て所信を断行するの外ないと云ひ、小橋氏は夫れは君の御随意にといふ事であった、そこで河川法の施行区域外に里道を設くることを多摩川沿ひの御幸村に許可し県費の補助を与へて工事に着手した、高い道路とするのは言ふ迄もなく自然に堤防となる用意である、村民は大喜びで労働に従事した、所が其れを見て対岸の東京側が騒ぎ出した、神奈川の方に左様の築造をやられては、自分等の側が害を蒙るといふのである、そのため毎日百人位の監視を繰り出して工事を妨害する一方、代議士高木正年、漆昌巌など云ふ連中が内務省に運動して中止させ様とした、恰度一木内相が台湾へ出張中で、前東京府知事の久保田政周氏が次官で留守を預って居た、土木局長が小橋一太氏であったが、久保田氏は其の前東京府知事であった関係上東京側に同情がある、つひ目と鼻の間にある神奈川県の事なれは一応自分を召喚して能く其の事情を糺すことも出来るのに、それすら行はず突然工事の中止を命じて来た、こちらは反問した、何故に中止の命令かと、すると二週間程経て河川法によって命ずるといふ回答であった、自分は河川法の施行区域外であるから河川法の適用を受くべきものでないと云ふ解釈であったが、法の解釈に就ては上級官庁の解釈が下級官庁の解釈を覊束するといふのが行政法の原則だから、これに服従するの外ない、止むなく工事を中止した、所が其の出来上った工事を悉く撤去せよ、撤去しなければ承知せぬと、高木代議士等が意気まいて、また内務省へもちこみ、撤去命令を出してくれと願ひ出た、其の際は一木内相がもう台湾から帰京して居られたが、結局道路としては認めす、堤防として認めるといふ事になった。 大正五年大隈内閣総辞職の最後の閣議の時、其の最後の閣議の最後の議題に、神奈川県知事処分問題といふのが上議された、言ふ迄もなく此の多摩川治水工事に対する自分の取った態度が宜しくないと云ふのた、閣議の結果自分は遂に譴責処分をうけたのである、当時一木内相は、君の名誉を思ふて官報には載せぬ様にしたと云はれた、なる程官報には出なかったから世間は誰も知らない、一木内相の心づかひは素より感謝するが、併し自分はたとひ官報に載せられても決して不名誉とは思はぬ、自分は名誉の譴責と心得て居る、自分の地方長官としての心構へは、常に県民本位であり、県民のために公害を除き、県民のために公利を計り、管下の進歩繁栄と陛下の御民の安寧福祉を造次顚沛も忘れた事はない、万般の施設みなこの気持で一貫して居るつもりである。 ○米騒動と横浜 大正七年の米騒動は、富山県から端を発し忽ちにして燎原の火を焼くが如く全国に波及し、東京を初め地方の大都市中、大小の差こそあれ騒動の起らなかった所は殆んど無い位であったが、独り横浜のみは無事平穏であった、しかし其の無事平穏は自然に平穏であったのではなく、予め警戒を厳にしたからである、当時不穏の徒が暗躍して、夜中密かに不穏のポスターを市中諸所に張って居たのを、非常に早く発見したので応急手配して厳重の警戒を加へたゝめ、あの伝染力猛烈であった米騒動も、横浜だけは幸ひ事なきを得たのである、ところが此の警戒が意外の事から起って居るのである。 或日の早朝であった、自分はまだ寝床の中に居ると、突然警察部長から電話がかゝって、昨夜小田原の閑院宮御別邸に泥棒が這入ったといふ報らせである、それは大変と飛び起き嗽ひ洗面もそこ〱に衣を更め、警察部長〔当時の部長は大塚惟精氏〕を呼び、帯同して小田原御別邸に御見舞と御詫びの為めに伺候した、折柄殿下には御平服で姫宮殿下を御連れになって、庭内を朝の御散歩中であったので、御庭内で拝謁し恐懼御見舞申上げた、すると殿下には、知事にさう云って詫びられると自分の方にも落度があったと仰せられて、女中が臥所に入る前雨戸を一枚しめることを忘れ、賊はそこから侵入した旨、尚妃殿下が大変心配して居られるとの仰せを拝したので、更に妃殿下に拝謁して不慮の御盗難を御詑び申上げた、そこヘ宮殿下も散歩から御帰りになって、いろ〱難有い御言葉を拝し、恐懼して御別邸を辞去したが、御盗難の妃殿下の御召物を捜索するため、早速県下全体に亘り総密行をやらせた、其の総密行の手配のおかげで、前に述べた不穏のポスターを発見することが出来たので、まだ世人の目に触れぬ前に悉く剝ぎ取って仕舞ひ、これはどうも怪しいぞと警戒を加へたのである、そのため一般の人心を惑乱して物情騒然とならぬ内、未発に防止するを得たのである、神奈川県に米騒動がなかったのは、全く殿下の御余徳の然らしむる所であると申すべきである、警戒については県庁に青年団を集め、町内町内は若い者が守るやうにと各自に初めて自警をやらせたが、之が非常に効果があった、後年関東大震災の時から自警団の組織が盛んに行はれる様になったが、この時の自警団が最初のものでないかと思ふ、また米穀商組合を県庁に集め、一般に不安なき旨を説き聞かせ、若し運送に故障があれば其の旨上申せよ、然るべく応急措置を講ずべしと告げる等、騒動防止に就ては、万手落なく警戒したのでかた〲以て平穏無事なるを得たのは誠に仕合はせであった。 ○治水と植樹 戸塚、大船間を流るゝ柏尾川は、小いさな川であるが水流が極めて緩漫なため、割合に氾濫の多い川なので、堤防改修の必要があり、既に改修費の承認を得て改修しつゝあった、其の改修が落成した所で、植樹を出願して来た、然るに技師の意見では堤防に樹木を植えると堤防がいたむといふ、まるで熊沢蕃山の治水とは正反対の説で、蕃山は植樹で堤防の強化を図ったのだが、植樹が堤防に害があるといふのは、当時内務技師連中の定説であった、技師の曰く、樹に鼹鼠が巣ったり、風に揺れて倒れたりして弱点が生ずる、強化どころか、脆弱性を来たし、切角改修しても恒久性を欠くと云ふのである、併し自分は此の説を鵜呑みに出来ぬ、別に見る所があって、知事の権限で願を許可し、川の両岸に桜の若木を植えさせた、改修の結果堤防の保強は非常によく、桜樹も年々成長して、今や花期には桜雲靉靆として、啻に里人を喜ばしめて居るのみならず、時々刻々沿道を往来する列車の窓から旅客の目を楽しましめて居り、堤防には毫も害を及ぼして居らぬ。 其の後多摩川に愛桜会といふものが出来て、自分に其の会長を委托された、会の目的は多摩川の両岸に桜を植えて、名所を作るといふ趣旨である、近来東京方面には桜の名所が少なくなって、却って米国にお株を奪はれ、華府のポトマック河畔の桜など盛名を恣まゝにして居る、日本には只新潟県の加治川の桜が有名で、其の外滋賀県の彦根、安土間□□川の堤防位のものだ、是等何れも堤防に害をなして居らぬ、多摩川の両岸に桜を植えれば、其の美観は素晴らしいものであらうが、内務省が許可せぬので僅に堤防の内側に植えたが、これでは堤防の風致とはならぬ、元来多摩川は水量が少なく、洪水の時でも洪水敷に水が乗るか乗らぬか位だが、水源に植樹が行き届けば自然洪水氾濫の虞れもなく、堤防を美化して、市民の遊覧地域として屈指の所となる、水があり土地が有るのだから、能く之を利用して、東京市民の為めは勿論、広く日本の桜の名所としての設備を完ふする様、内務当局の善処を望むのである。 鶴見川はちいさな川であるが、其の割に水害の多い川で是非改修の必要がある、下流に鉄橋があるので改修費四十万円を要するので、鉄道省に交渉して補助を要求したが、鉄道省では改修の必要なのは鉄道自身の必要からでなく地方利害のため必要なのであるから鉄道が補助することは出来ぬと云ふて遂に承引せず、爾来久しく其儘になって居ったが、関係官民の熱心なる運動により遂に政府の同意を得、昨年の帝国議会に於て予算の成立したのは誠に悦ばしき事である。 ○多摩川治水案 以上述べたのは多摩川治水の一部分の一時的応急施設であって、其の全般的治水案は、翌年の県会に提案した、勿論政府の補助を期待しての案であるが、県会があと三日を剰す時即ち十二月十七日、かねてより病気の父が死亡したので、喪中三日間の県会を欠席した、其の間に県会は議案を握りつぶしてしまった、其の原因は元来多摩川の改修費は郡部経済負担であるのを市部連帯の負担として提案したから市部の議員が平らかならず、色々苦情を持ち出した為めであった、然し其の翌年の県会に再び之を提案し遂に其の同意を得たが、政府は之を国庫支弁に移し、政府に於て直轄工事として施行さるゝこととなり、今日では既に立派に成功して居るが、其の当時を回顧する時は感慨無量である。 ○相模川の治水 相模川の治水工事も其の費用は市と郡部の連帯負担といふ事にして県会に提案した、所がこれも市の連中が反対したので、極力説諭して飜意に努めた、元来横浜は相模川の上流、道志川から水道の水を取って居るのだが、横浜は将来まだ大いに発展するから、道志川の水だけでは足らぬ様になって来る、後日水道拡張の場合、今日一文も費用を負担して居らぬと、其の時文句が云へぬではないか、其の後日の事を思って案に賛成せよと説諭し、結局県会を通過した、所が市部の議員は通過はせしめたものゝ斯く知事が郡部負担の経費を連帯に移すのは怪しからん、何んとかして知事の鼻をあかしてやりたいと機会をねらって居た連中があって、市部の経済で消防特設隊の設立予算案を県会に提出した所、其れを握り潰してしまった、然も其の理由には何等の根拠がないので自分は直に原案執行の申請をした、これが三月頃許可になったが、其の後間もなく自分は兵庫県に転任を命ぜられ、暫らく東京に滞在して居ったが、其の間に長者町に大火があって、消防隊の必要は益々痛感せらるゝに至ったが為めに、横浜貿易新聞は有吉知事の赤い舌と云ふ見出しで市部県会議員が謂はれなき反対をした事を皮肉ったことがあったことを記臆して居る、其の後此消防隊は成績頗る顕著で、之れが出来てから大火と云ふものは殆んどなくなったと云ふも過言ではない、そして之れが先駆となって今ては各府県之れが設置のない所は無い様になった。 (「有吉忠一一口述 同夫人筆記」有吉義弥氏蔵) 二三〇 中郡大磯町の米廉売施米実施状況(一-二五) (一) 中収第一二二六一号 大正七年八月十二日 中郡長(印) 大磯町長殿 農商務省調査ノ結果ニヨレバ内地在米ハ相当ノ分量アルコト明瞭トナリ之レガ配給方法ニ付鋭意尽力中ニ係リ又外米分配方法ニ付キテモ同省ニ於テ尚ホ一層適切ナラシムル様講究中ニシテ本県ニ於テモ亦考慮中ニ付此ノ際一般ニ危惧ノ念ヲ懐カシメズ民心ノ動揺ナカラシムル様適切ノ方法ヲ取ラレ度此段及通牒候也 追テ米価問題ニ関セル民心ノ傾向等大要承知致シ度至急報告可有之候 (注)この通牒は、八月十三日付で大磯町長白根鼎三名により各区長に通知されている。 (二) 中発第一二二七一号 大正七年八月十三日 中郡役所(印) 大磯町役場御中 外米分配方申込ニ関スル件 今般本県ニ於テ外米分配相成ベク候条共同購入希望ノ向ハ其数量取纒メ明十四日夕刻迄〔此時刻迄ニ申出ナキ向ハ一時希望者之レナキモノト認ム〕ニ当庁ヘ申込マルベク候 追テ価格並ニ代金取引等ハ曩ニ通牒候指定商ノ取引ト大差無之見込ニ候 (三) 大正七年八月十六日 大磯町長 白根鼎三 区長 殿 今般外米五拾袋先以テ配給相成候ニ付テハ左記ノ方法ニ依リ廉売候間区内細民一般ニ通知相成度候也 追テ左記事項ハ一般ニ洩レナク徹底候様通知相成度候 一 壱石ノ原価拾九円弐拾五銭ノ処御下賜金并県内有志ノ寄付金ヲ以テ壱石ニ付金四円弐拾五銭補給セラレ候ニ付壱石拾五円ニテ販売ス 一 廉売所ハ山王町〔山王神社内〕南下町〔かづさ屋前〕台町〔妙昌寺内〕ノ三ケ所トス ○山王町販売所ニテ購入スベキ区ハ高麗、化粧町、長者町、山王町トス ○南下町販売所ニテ購入スベキ区ハ神明町、北本町、北下町、南本町、南下町トス ○台町販売所ニテ購入スベキ区ハ茶屋町、裡通リ、台町、西小磯トス 一 廉売ハ今拾六日午後四時ヨリ開始ス 一 数量ハ一戸参升ヲ限度トス 一 生活困難ノモノニ限リ売渡スモノトス 一 代金ハ区長ニ於テ取纒メ役場ヘ納付スルコト (四) 大正七年八月十九日 大磯町役場 大磯各区長宛 白米廉売所設置ノ件 内地白米廉売ニ関シ予テ協議置ノ処今般更ニ町ニ於テ別記ノ通リ区分ヲ定メ廉売所ヲ設ケ今十九日ヨリ廿二日ニ至ル四日間毎日記載ノ時間内ニ於テ販売可致候ニ付テハ其関係区ハ可成区長ハ定刻前ヨリ出頭廉売ニ係ル諸般ノ幹旋相成度候也 (五) 中収第一二三六六号ノ三 大正七年八月廿二日 中郡長(印) 大磯町長殿 御下賜金ニ依ル救済施設ノ件 本月十九日中収第一二、三六六号ノ二ヲ以テ及通牒置候 御下賜金ニ関スル件追記第二項ノイ号ニ於テ主トシテ米ノ廉売ヲナス様申シ置キ候ヘ共地方ノ状況ニ依リテハ麦、粟、稗、芋等ヲ代用スルモ差支無之同項八号ニ於ケル実際困窮セル者トアル内ニハ俸給生活者ニシテ生計困難ト認メラルヽ者ヲ加フルモ亦差支無之候条此段重テ及通牒候也 (六) 大第二八六五号 大正七年八月廿五日 大磯町長 白根鼎三 大磯税務署、中郡役所、大磯警察署、大磯小学校、大磯駅、小田原裁判所大磯出張所、御料局出張所、電気変圧所、両銀行 御中 白米廉売ノ件 来ル八月二十七日ヨリ左記ノ通リ当町ニ於テ白米廉売開始候間及通知候也 記 一 廉売白米ノ種類ハ外国米、台湾米トス 一 価格ハ外米一升ニ付金拾五銭台湾米ハ一升ニ付金弐拾七銭トス 一 一人一日ノ購入数量ハ七歳以上ヲ五合、七歳以下ハ弐合五夕トス 一 当町ニ現住スル下給官公吏雇員及会社員共同購入ヲナスコトヲ得 一 共同購買者ハ当町役場ヘ申出アリタシ 一 共同購買申出ノ節ハ人名家族数(七歳以上七歳以下)ヲ記載申込マレタシ (七) 大発第二八六六号大正七年八月廿五日発議大正同年同月同 日決議大正同年同月同日発送 町長(印) 合議(印) 年 月 日 大磯町役場 中郡役所御中 台湾米申込依頼ノ件 一 台湾米〔白米〕参百石 但シ大磯駅渡シニテ壱石ニ付参拾弐円五拾銭ノモノ 右購買方御依頼申度此段申込候也 一石三十三円二十銭ト変更 (八) 大第号大正七年八月廿五日発議大正同年同月同日決議大正同年同月同日発送 町長(印) 合議(印) 年 月 日 大磯町役場 各区長宛 白米廉売ノ件 左記ノ方法ニ依リ白米廉売候間承知可有之此段及通知候也 左記 一 別紙購買切符ハ各該当者ニ至急交付セラレタシ 一 廉売ハ大正七年八月廿七日ヨリ山王町山王社内北下町妙端寺内南下町東光院内台町妙昌寺内高麗青年団集合所内西小磯八坂神社内ノ六ケ所トス 一 廉売ハ毎日午后四時ヨリ八時迄トス 一 切符ノ表面記載ノ事項ハ一般該当者ニ趣旨徹底候様一層ノ注意アリタシ 一 廉売所ニハ区長、区長代理又ハ相当ナルモノヲ毎日一名ツヽ出場斡旋セラレタシ 一 廉売区域ハ別紙ノ通リ (注)別紙略。 (九) 中収第一二、五三〇号 大正七年八月廿七日 中郡長(印) 大磯町長殿 廉米共同購入方等ノ件 官公吏学校教員其他俸給生活者ニ米ノ廉売ヲ為ス場合ニ於テ一般ノ者ト同一ニ取扱フコトハ購入者ニ於テ自然困難ヲ感ズル事情モ有之候ニ付成ルベク各官衙公署学校会社等ニ於テ取纒メ共同購入其ノ他適当ノ方法ニ依ルコトヽシ且代金ハ俸給支給日ニ於テ支払ハシムル等特別ノ取扱ヲ為スコトハ必要ノコトヽ存候 右ニ付テハ夫々考慮ノ義トハ存候ヘトモ相当措置相成度県ヨリ申越ノ次第モ有之此段及通牒候 (一〇) 大正七年九月七日 大磯町長 助役(印) 合議(印) 官公署会社宛 官公署、会社ヨリ共同購入者ニ限リ内地白米壱升参拾五銭ニテ廉売候間必要ノ数量至急申出可有之及通知候也 但購入者月給参拾円以下ノモノニ限ル 代金ハ俸給ノ支給ヲ受ケル当日払込ムベキコト (一一) 大第号大正七年九月十日発議大正同年同月同日決議大正同年同月同日発送 助役(印) 合議(印) 主任(印) 年月日 大磯町役場 各官公衙会社御中 予テ申込ミニ係ル内地白米ハ配給数量少額ニシテ申込ミ通リ配当致兼候間左記之数量送付ニ及ヒ候ニ付申込者ニ対シ可然配給相成度候追テ台湾米及西貢米ハ一人一日五合ツヽノ廉売可致候間何時ナリ共申込相成度候代金ハ俸給支給当日取纒メ払込ミ相成度候 内地白米 斗 升 合 夕送付ス代金ハ一升ニ付金参拾五銭ツヽ (一二) 大第 号 大正七年九月廿一日発議 町長(印) 助役(印) 主任(印) 年月 日 大磯町長 各議員各区長御中 恩賜米頒施ニ関スル件 来ル二四日恩賜米頒施候条左記ノ件承知相成度此段及通知候也 一 九月廿四日午前十時ヨリ午后四時迄役場内并ニ西小磯、高麗ノ三ケ所ニ於テ頒施ス 頒施券ハ別紙ノ通リ 一 頒施券ハ各区長ニ於テ配付相成度候 一 頒施白米ハ台湾白米トス 一 左記ノ件ハ特ニ区長ヨリ伝達相成度候 化粧、長者、山王、神明、北本、南本、茶や、裡通、台町ハ午前十時ヨリ午后一時迄ニ北下、南下町ハ午后二時ヨリ四時迄ニ頒施米交付所ニ出頭スルコト 一 西小磯、高麗ハ午前十時ヨリ午后四時迄ニ各其交付所ニ出頭スベキコト 一 当日ニ限リ白米ノ廉売ヲナサズ (注)別紙欠。 (一三) 売渡石数 九月六日ヨリ十月十四日迄 一 参百弐拾四石六斗七升壱合(ママ) 売上代金七千七百九拾壱円拾九銭五厘 不足金九拾銭九厘 内訳 一 弐百八拾壱石六斗九升弐合五夕役場内廉売所ニテ売渡石数売上代金六千七百五拾九円七拾銭 不足金九十二銭 一 拾石五斗三升五合 高麗廉売所ニテ売渡石数 売上代金弐百五拾弐円八十四銭 一 参拾弐石四斗四升三合五夕 西小磯廉売所ニテ売渡石数 売上代金七百七十八円六十五銭五厘 金壱銭壱厘過上 各官公署共同分 一 弐拾壱石四斗八升九合五夕 売上代金五百拾八円〇八銭五厘 恩賜米ニ使用ノ分 一 拾参石八斗一升二合 役場内及高麗西小磯ニ於テ交付ノ分 此代金三百九十四円也 (一四) 大正七年拾月十五日発議大正同年同月同日決議 大正同年同月同日発送 自大正七年八月廿七日至同 年拾月十四日拾日間役場ノ吏員ニテ廉売ノ分 外国白米計算表 一 購入高百六拾五袋 壱袋平均廿六〆三百匁 壱袋平均六斗五升七合五夕 購入代金壱千七百九拾八円六拾銭 運賃金七拾壱円九拾五銭 合計金壱千八百七拾円五拾五銭也 一 廉売高百六拾五袋 壱袋平均十一円卅三銭六厘余 壱石平均十七円廿四銭二厘余 此石数百拾弐石弐斗七升七合 壱袋平均六斗八升五夕七 廉売代金壱千五百参円五拾銭 壱升平均拾参銭三厘九毛余 補給金額参百六拾七円五銭 壱升平均参銭弐厘六毛七 但補給額ハ壱升ニ付三銭八厘五ニ此ノ金額四三二、三九〇ニナルベキ処一升十七銭二四二ノ増石一石七斗八升九合五夕此ノ代金六五、三三八五ヲ扣控記載シタルモノナリ 合計金壱千八百七拾円五拾五銭也 差引 増石数参石七斗八升九合五夕 一袋平均二升二合九夕六 一石平均三升四合九夕ナリ 此廉売内訳表ハ別紙之通リ 備考 購入石数ハ八月廿九日ニ弐拾袋九月七日ニ拾袋ヲ貫量并ニ石数ヲ実物ニ就キ査定計算シタル平均数ナリ 廉売石数ハ事実廉売シタル数ヲ計上シタルモノナリ金額又同ジ (欄外注記)商人補給総計 八八七、六二〇 二口補給総計 四、四五五、〇四八 合計 五、三四二、六六八 (注)別紙欠。 (一五) 大正七年拾月十五日発議 大正同年同月同日 決議 大正同年同月同日発送 町長(印) 助役(印) 合議(印) 主任(印) 自大正七年八月廿八日 至同年十月十四日 四拾日間 役場吏員ニテ廉売ノ分台湾白米計算表 一 購入高七百八袋参斗五升 壱袋平均廿二〆四拾匁 壱袋平均五斗八升 此石数四百拾石九斗九升 購入代金壱万参千九百九拾九円六拾九銭九厘 運賃金参拾八円也 合計金壱万四千参拾七円六拾九銭九厘 壱袋平均十九円七十九銭八厘 壱石平均卅四円十五銭五厘余 一 廉売高七百八袋参斗五升 此石数四百六石壱斗参升四合五夕 壱袋平均五斗七升参合弐夕 廉売代金九千九百四拾八円九拾壱銭 壱升平均廿四銭四厘九毛余 補給金額四千八拾八円七拾八銭九厘 壱升平均拾銭六毛九 合計金壱万四千参拾七円六拾九銭九厘 差引 減石数四石八斗五升五合五夕 平均壱袋六合九夕壱石平均一升一合八夕余ノ欠損 此廉売内訳表ハ別紙ノ通リ 備考 購入石数ハ八月卅日ニ拾袋九月九日ニ拾袋ノ貫量并ニ石数ヲ事実ニ依リ査定計算シタル平均数ナリ 廉売石数ハ事実廉売シタル数ヲ計上シタルモノナリ金額又同ジ (注)別紙欠。資料中「補給金額……平均拾銭六毛九厘」の上に左記の付箋がある。 「補給額参千九百弐拾弐円九拾四銭九厘廉売石数ニ対スル一升金九銭六厘六毛五ノ補給金百六拾五円八拾四銭 四石八斗五升五合夕減石数ニ対スル一升金三十四銭一厘五五ノ欠損金」 (一六) 大正七年十月十五日発議大正同年同月同日決議大正同年同月同日発送 町長(印) 助役(印) 合議(印) 主任(印) 自大正七年九月廿六日至同 年十月二日五日間 内地白米計算表 一 購入高 拾弐俵四升 此石数四石八斗四升 壱袋平均四斗 購入代金百六拾九円四拾銭 合計金百六拾九円四拾銭 壱袋平均四円也 壱石平均三十五円也 一 廉売高 拾弐俵四升 此石数四石五斗六升五合 壱石平均三十五円也 廉売代金百五拾九円七拾七銭五厘 差引 減石数弐斗七升五合 欠損 此金額九円六拾弐銭五厘 補給ノ分 合計百六拾九円四拾銭也 備考 大磯町米穀商組合ニ於テ廉売シタル残米ヲ購入シ各官公署ノ月俸金参拾円以下ヲ受ケツヽアルモノニ廉売シタルモノナリ (一七) 大正七年十月卅一日発議大正同年同月同日決議大正同年同月同日 助役(印) 主任(印) 年 月 日 大磯町役場 各区長宛 廉売券配付ニ関スル件 外国白米廉売券別紙之通リ送付候間夫々配付方取計相成度候尚左記ノ件特ニ各受給者ニ示達可有之候 左記 一 別紙廉売券ニ依リ十一月一日ヨリ十日迄拾日間ノ内ニ大磯町各米穀商店ニ於テ購入スルコト 一 一日一人ノ数量ハ七歳以上ハ三合、七歳以下ハ一合五夕トス 一 外国白米ノ廉売価格ハ一升金拾弐銭トス 一 廉売券紛失ノ場合ハ絶対ニ再下付ヲナスコトヲ得サルニ付注意ヲ要ス 一 白米数量ノ都合ニ依リテハ廉売数量ヲ限定シ且ツ中止スルコトアルベシ 一 廉売券ニ記載以外ノ物品ヲ購入スルコトヲ得ス 一 廉売券ヲ他人ニ譲与又ハ購入シタル白米ヲ他人ニ転売シタルモノハ厳罰ニ処セラル (注)別紙廉売券欠。 (一八) 大正七年拾壱月壱日発議 大正同年同月同日 決議 町長代理(印) 合議(印) 自大正七年十一月一日至同 十一月十日拾日間 米穀商組合ニテ売第壱回分 外国白米計算表 一 購入高百五拾袋 米穀商組合ニテ購入分 此石数九拾八石六斗弐升五合 壱袋平均廿六〆三百匁 同 六斗五升七合五夕 購入代金弐千七円九拾銭 運賃金六拾参円弐拾参銭 合計金弐千七拾壱円拾参銭 一 廉売高百四拾七袋 九拾六石六斗五升弐合五夕 切符廉売ノ分 一 同 参袋 壱石九斗七升弐合五夕 中郡役所、大磯町役場吏員共同廉売分 此廉売高金壱千百八拾参円五拾銭 壱升金拾弐銭ツヽニテ廉売ノ分 此補給額金八百八拾七円六拾弐銭五厘 壱升金九銭ツヽノ補給ノ分 合計金弐千七拾壱円拾弐銭五厘 五厘算出ノ減 (一九) 大発第四二四五号大正七年十一月九日発議大正同年同月同日決議大正同年同月同日発送 町長(印) 助役(印) 合議(印) 主任(印) 大正七年十一月九日 大磯町役場 各区長米商組合長宛 白米廉売ニ関スル件 外国米ノ廉売ニ関シテハ各米穀商ニ委托本月拾五日迄継続廉売スベキ予定ノ処外国米供給上不足ヲ生ジ候為メ該白米到着スル迄本月九日限リ一時廉売ヲ中止候間夫々関係者ヘ示達相成度此段及通知候也 (二〇) 大正七年十二月十二日 大磯町役場 各区長殿 白米廉売ニ関スル件 去ル十一月一日ヨリ十日迄拾日間白米廉売券発行候処外米不足ノ為メ全部ノモノニ廉売不能ニ有之候就テハ漸ヤク外米到着候間拾日分購入セサルモノハ所持ノ廉売券携帯大磯町米穀商ニテ来ル十四日ヨリ購入スベキ様区内一般ヘ示達相成度此段及通知候也 追テ十四日ヨリ十六日迄ニ全部購入スベキ様示達セラレタシ 廉売券紛失者又ハ破棄シタルモノハ再ビ交付セザルニ付念ノ為メ示達相成度申添候也 (二一) 中収第一六、五八六号 大正七年十二月十二日 中郡長(印) 大磯町長殿 外米購入ノ件 神戸市栄町三丁目内外貿易株式会社ニ於テ外米〔西貢米二等神戸渡シ〕百斤十二円〔神戸ヨリ大磯迄運賃約一袋五十銭位ノ見込〕ニテ売約可致旨申来リ候処右ハ千袋以下ノ小口ハ取扱ハサル由ニ付便宜当庁ニ於テ希望数量取纒メ千袋以上ニナラバ仲介可致候ニ付希望ノ向ハ至急申出ラルヘク候 追テ百斤十二円ノ価格ハ時々変動可致候ニ付売約協定ノ節ハ当庁ヨリ一応希望町村ニ協議決定可致候ニ付念為メ申添ヘ候 (二二) 大正七年十二月十四日発議 自大正七年十二月十四日至大正七年十二月廿五日参日間米穀商組合ニテ第弐回廉売分 外国白米計算表 一 購入高五拾袋 米穀商組合ニテ購入分 此石数参弐石八斗七升五合 壱袋平均廿六〆三百匁 同 六斗五升七合五夕 購入代金六百六拾八円五拾壱銭五厘 運賃金弐拾壱円八拾六銭 合計金六百九拾円参拾七銭五厘 一 廉売高四拾六袋ト四斗五升八合五夕参〇石七斗参合五夕 切符廉売ノ分 一 同参袋ト一斗九升九合弐石壱斗七升壱合五夕中郡役所警察分署共同ノ分 此廉売金額参百九拾四円五拾銭 壱升拾弐銭ツヽニテ廉売ノ分 此補給額弐百九拾五円八拾七銭五厘 壱升九銭ツヽニテ補給ノ分 合計金六百九拾円参拾七銭五厘 (二三) 大正七年十二月廿日 大磯町役場 各区長殿 外米廉売券交付方ノ件 別紙ノ通リ外米二日分ノ廉売券送付候間夫々本人ヘ交付ノ上左記ノ件示達相成度候 一 外米廉売券二日分交付候ニ付十二月廿二日ヨリ大磯町米穀商店ニテ購入スルコト 一 廉売ハ本券交付ト同時ニ打切リ以後白米ノ廉売ヲナサヽルニ付注意可有之候 一 十一月一日ヨリ十日迄交付シタル廉売券并ニ十二月廿二日ヨリ廿三日迄交付シタル廉売券モ全部此際共通シテ効力ヲ有スルモノニ付廉売券所持ノモノハ此際購入スベキ様示達相成度申添候也 (注)別紙欠。 (二四) 大正七年十二月廿四日発議大正同年同月同日決議大正同年同月同日発送 合議(印) 主任(印) 廉売白米計算報告書 大正七年八月廿七日ヨリ同年十二月廿三日迄ノ間ニ於テ内地米、台湾米、外国米ヲ廉売シタル日数六拾八日間ニシテ其ノ購入石数及廉売石数廉売金額并ニ補給金額ノ総計表左ノ如シ (注) 但内訳表ハ別紙明細表ノ通リ 一 購入総石数六百五拾五石八斗壱升七合五夕 購入総価格壱万八千八百参拾九円拾五銭四厘 一 廉売総石数六百五拾四石四斗七升六合五夕 廉売総価格壱万参千百九拾円十八銭五厘 補給総額 五千六百四拾八円九十六銭四厘 合計金壱万八千八百参拾九円拾四銭九厘 備考 一 廉売ヲ受ケタル総戸数平均八百戸ニシテ一戸当リ八斗壱升八合九夕ツヽトナル 一 補給金額ハ平均一戸当リ七円六銭弐毛ツヽナリ 一 購入金額壱万八千八百卅九円十四銭九厘ノ内壱万八千七百六十弐円七十四銭ハ寄付金ヨリ支出七拾六円四十銭九厘ハ米穀商組合長ヨリ一時支出シタルモノナリ 一 購入石数ト廉売石数ト総計シタル結果壱石三斗一合減石トナル 一 本表ハ廉売ニ関スル物資ノミノ計算表ナリ (注)別紙明細書欠。 (二五) 白米廉売ニ関スル不用品払下計算表 一 白米空袋 七百九拾八袋 内訳 一 七百八拾参袋 払下ノ数参拾銭ノモノ弐参参個 弐拾五銭ノモノ五五〇個 此金弐百七円四拾銭 一 拾五袋 払下ヲナスコト能ハザル破損品 一 桝 七組 内訳 一 六組 払下ノ数壱円ノモノ五組 七拾銭ノモノ壱組 此金五円七拾銭 一 壱組 払下ヲナスコト能ハザル破損品ニ付役場ニ備ヘ付 アリ 一 箕 五枚 一 五枚 払下ノ数廿五銭ノモノ三枚 十五銭ノモノ二枚 此金壱円五銭 一 ザル 五個 一 五個 払下ノ数 壱個四銭ツヽ 此金弐拾銭 一 莚 拾弐枚 一 拾弐枚 払下ノ数拾銭ツヽノモノ拾枚 八銭ツヽノモノ弐枚 此金壱円拾六銭 一 小舞貫外参拾八点 木材 払下 此金参円拾壱銭 合計金弐百拾八円六拾弐銭也 (「救済関係書類及白米廉売関係書類綴」大磯町役場蔵) 第二節 節米勤倹貯蓄奨励 二三一 節米奨励に関する神奈川県告諭および通牒 神奈川県告諭第一号 欧州戦乱ハ既ニ終熄シ平和ノ曙光ヲ観ルニ至レリト雖経済界ニ於ケル諸物価ノ昂騰毫モ底止スル所ナク殊ニ我ガ国民ノ主食物タル米価ノ騰貴今日ノ如キハ国民生活ノ安定ヲ脅威スルコト誠ニ深甚ナリトス是レ朝野ノ均シク憂惧ニ堪エザル所ナリ今ヤ政府ハ根本救済策トシテ耕地ノ拡張栽培法ノ改良等ニ因リ米穀増殖ノ方策ヲ樹テ或ハ海陸運輸ノ便ヲ図リ其ノ他機宜ノ処置ヲ講ジテ米麦食糧品ノ集散ヲ調節シ且外米輸入ノ増加ヲ図ル等遺策ナキヲ期スト雖由来我ガ国人口ノ増殖年々七十有余万ノ多キヲ数ヘ一人当リ消費量亦逐年増加ノ勢ヒヲ示シ従テ国内ノ生産ヲ以テ到底消費ノ全部ヲ充タスコト能ハス倍々外米ノ供給ニ俟ツコト多カラントスルノ状勢ナリ抑々国民日常ノ主食物ヲ国外ノ供給ニ依頼スルノ危険ト不利トハ殷鑑遠カラス這回ノ戦乱ニ於テ各国民ノ痛ク経験セル所ナリ况ヤ米ノ如キ生産消費共ニ一定ノ地域ニ極限セラレ世界的商品タル能ハサルモノニ於テヲヤ仍ホ一朝有事ノ秋ニ当リテ只ダ之ガ供給ノ途ヲ失フノミナラス平時ニ於テ已ニ其ノ供給ノ数量価格等ハ国外事情ノ如何ニ制セラレ国民生活ノ安危繋リテ大ナルモノアリ故ニ国民ハ政府ノ方策ト努力トノミニ倚頼セス進ンテ各自ノ責任ヲ自覚シ深ク国家ノ利害休戚ヲ鑑ミ以テ食糧独立ノ国策ヲ達成セシムルノ覚悟アルヲ要ス此際国民ハ挙ツテ主食物ノ範囲ヲ拡張シ内地米ノ消費ヲ節用スルトキハ一ハ以テ米ノ過不足ヨリ生スル一般生活ノ不安ヲ根柢ヨリ芟除シ一ハ以テ人口ノ急速ナル増加ニ伴フ需給ノ不均衡ヲ未然ニ抑止スルヲ得ベシ是レ実ニ刻下ノ急務ナリトス県民亦克ク此ノ趣旨ヲ諒シ協力一致以テ之ガ実効ヲ挙グルコトニ勗ムベシ 大正八年六月二十五日 神奈川県知事 井上孝哉 代用食奨励ニ関スル依命通牒 今般内地米節約ノ目的ニテ代用食奨励ノ義ニ付本県告諭第一号ヲ以テ管下一般ニ対シ諭告相成候処右ハ本邦人口並ニ消費量ノ逐年激増スル結果内地産米ノミヲ以テシテハ到底其ノ需要ヲ充タス能ハズシテ累年多量ノ外米ヲ輸入シ其ノ不足ヲ補塡シツヽアル状態ニ有之最近三ケ年平均輸入量三百四十二万余石〔台鮮ヲ含ム〕価格四千三百二十八万余円大正七年ニ於テハ外米ノミニテ四百八十七万余石ニ達シ国帑ノ流出正ニ八千九百七十五万余円ニ超エントスルノ状況ナルガ如斯ハ啻ニ国家経済上多大ノ損失ナルノミナラズ米食ノ単用ハ個人経済及衛生上ニ於テモ不利ナルモノ少ナカラザルガ故ニ此ノ際普ク県民ノ自制心ニ訴ヘテ代用食ヲ奨励シ米殊ニ内地米ノ消費ヲ節約シ以テ我国食糧問題解決ノ一端タラシメントスル趣旨ニ候処本問題ハ国民生活ノ根柢ニ関連スル極メテ重大ナル社会問題ニシテ一日ヲ緩ウスベカラザルモノ有之候条左記御含ミノ上地方ノ事情ニ応ジ適切ナル事項ヲ撰定シテ普ク部内ニ実行セシメ以テ目的ヲ達成致度依命此段及通牒候也 実行要項 一 職業ノ種類ニ依リ可成朝、昼、晩中ノ一食ニハ麵麭、饂飩、素麵、蕎麦等ヲ用ヰルコト 二 米ニ麦、粟、黍、稗、大豆、小豆、豌豆、菜豆、南瓜、大根、里芋等ヲ混用スルコト 三 馬鈴薯、甘薯等ヲ単用シ或ハ飯ニ混ジテ用ヰルコト 四 米ノ精白程度ヲ低クシテ食スルコト 実行方法 一 部内ニ於ケル官公吏、地方改良会、農会、在郷軍人会、青年団、婦人会其他ノ団体並ニ多人数ヲ使用スル会社、工場等ニ対シテハ可成多数連合シテ団体的ニ該趣旨ノ実行ニ努メシムルコト 二 学校長ハ其ノ児童生徒ニ対シ特ニ該趣旨ヲ徹底セシメ少年時代ヨリ善良ノ習慣ヲ得シムル様努ムルコト 三 便宜上横浜市ニ於ケル主食改良会ノ如キモノヲ設ケ実行ノ中心機関トスルモ一案タルベシ 大正八年六月二十五日 内務部長 各郡市長宛 (「民力涵養運動ノ概況」(大正一四年)神奈川県庁蔵) 二三二 勤倹貯蓄奨励等に関する橘樹郡訓令 橘樹郡訓令第壱号 町村役場 勤倹ノ風ヲ奨メ質実ノ俗ヲ興シ冗費ヲ節シ以テ其ノ余資ヲ積マシムルハ国民生活ノ基礎ヲ安定ナラシメ進テ将来ニ活用スヘキ生産資金ノ充実ヲ期スル所以ニシテ平時夙ニ力ヲ致ササルヘカラス而シテ国歩重要ノ時局ニ処シテ之カ必要更ニ一層ノ切ナルヲ感セスムハアラス是レ曩ニ勤倹貯蓄ノ奨励ニ関シ訓示セル所以ニシテ爾来之カ実績ニ徴スルニ銀行預金ニ郵便貯金ニ将又簡易生命保険ニ喜フヘキノ傾向ヲ示セリ然レトモ一般国民殊ニ各種労働者ノ生活状態ニ察スルニ所得ノ著シク増加セルニ拘ラス其ノ余資ハ将来生活上ノ安定ニ供スヘキ蓄積ニ充テラルルコト少ク却テ享楽ニ徒費セラルルノ風ナキニアラス如此ハ戦後ノ将来ニ処シテ健全ナル国家ノ伸暢ヲ期スル所以ニアラス今ヤ世界ノ大戦乱モ漸ク休戦ノ時期ニ入リテ平和ノ克復ヲ見ル亦方ニ近キニアルヘク列国カ緊張セル気分ヲ移シテ今後更ニ全幅ノ力ヲ国力ノ恢復ニ傾倒シ輸贏ヲ平和ノ経済場裡ニ争ハムトスルハ正ニ必然ノ事タルヘク我国民ハ自重自制今ニ於テ之ニ処スルノ覚悟ナカルヘカラス乃チ此際一般国民ニ対シテ更ニ一層自覚的消費節約ヲ促シ余財ヲ蓄積シテ生産資金ノ増殖ヲ図リ以テ戦後ノ経営ニ資スルト共ニ一面生活ノ安定ヲ期スルハ極メテ必要ノコトタリトス地方行政ノ任ニ当ル者宜シク此ノ趣旨ヲ体シ其ノ実果ヲ収ムルニ最善ノ努力ヲ致シ地方ノ開発国運ノ伸暢ヲ図ルニ於テ違算ナキヲ期スヘシ特ニ注意ヲ要スル事項ニ就テハ既ニ屢々指示シタル処ナルモ就中重要ナルモノヲ左ニ列挙ス各地方ノ状況ニ応シ適切ノ方法ヲ選ミ虚ヲ捨テ実ニ就クノ途ヲ講スヘシ 大正八年一月八日 橘樹郡長 隈元清世 記 一 倹素質実ノ美風ヲ養成スルコト 公私各種ノ集会ヲ利用シ講演其ノ他適当ノ方法ニ依リ普ク勤倹貯蓄ノ美風ヲ鼓吹スルハ最モ必要ノコトタルヘシ然レトモ地方有志身ヲ以テ之ヲ率ユルニ非ラスンハ充分ノ効果ヲ収ムルコト能ハス彼ノ冠婚葬祭ノ如キ人生ノ大礼元ヨリ忽ニスヘカラスト雖華美虚飾ニ流ルルハ最モ慎マサルヘカラス然モ地方ノ慣習ニ制セラレ近隣ノ誹謗ヲ恐ルルノ余意ヲ枉ケテ冗濫ノ失費ヲ余儀ナクスル者亦甚尠カラス宜シク各地有識ノ士卒先倹素質実ノ美風ヲ醸成スルニ努ムヘシ 二 副業ノ奨励ヲ図ルコト 地方ニヨリテハ婦女子ニシテ耕耘ニ従事スルヲ嫌厭スル者アルハ誡ムヘキ悪習ナルハ勿論進ンテ余暇ヲ利用シ男女各適当ノ副業ヲ選ミ孜々トシテ倦ムナキノ良風ヲ涵養スルコトハ独リ収入ノ増加ヲ来スノミニ止マラス又以テ遊惰ノ気風ヲ矯正スルノ効果アルヘシ宜シク有ユル機会ヲ利用シテ悪習ヲ矯メ副業ノ普及発達ニ努ムヘシ 三 労働者ノ為メニ共同貯金ノ途ヲ講スルコト 事業勃興ニ伴ヒ収入頓ニ増加セルニ拘ラス労働者ノ多クハ空シク之ヲ濫費シテ顧ミス他日各種事業ノ変動ヲ見ルニ到ラハ其困厄甚シキモノアルヘシ此ノ際多数労働者ヲ使役スル会社工場等ニ対シテハ特ニ規約貯金等ヲ奨励シ以テ之レカ救済ノ途ヲ講セシムルニ努ムヘシ 四 近時青年補習教育ノ必要ヲ認メラレ之ニ関スル諸般ノ施設見ルヘキモノアルニ至レルハ喜ブヘキ現象ナリトス 教育ノ徹底ハ不断ノ努力ヲ可成永続セシムルニアルコト論ヲ俟タサル所ナリ本郡青年補習教育ノ現状ヲ視ルニ此ノ点ニ於テ遺憾少カラサルヲ認ム可成其ノ修業年限及期間ノ延長ヲ計リテ一層有効ナラシメラレムコトヲ望ム 各町村ニテ開催セラルヽ地方改良ニ関スル会合〔青年団、在郷軍人分会、校友会、戸主会、地主会、敬老会、納税組合会、産業組合会等〕ノ状況諸会ノ規程申合其他改良ニ関スル参考トナルベキ事項ハ詳細報告セシメラレンコトヲ望ム (「関村会勧業教育書類」(大正八年)飯田助丸氏蔵) 二三三 橘樹郡大綱村菊名勤倹質実申合規約書 勤倹質実申合規約書 世界ノ大戦乱ハ漸ク平和ヲ見ルニ至リタルモ諸物価ノ暴騰及労働賃金ノ向上等ハ依然トシテ下ラズ農家ノ生産物モ亦随テ高価ニ売却セラルヽモ生活上必要ナル日用品等ノ購買費ハ既往ニ幾倍スルノ状況ニアリ且ツ近来質実ノ風ヲ欠キテヤヽモスレハ華美虚飾ニ流ルヽノ傾向アリ今ニ於テ相互ニ慎マザレハ遂ニ農家ノ収入ハ支出ヲ償フニ足ラザルノ惨状ヲ呈スルニ至ラン依ツテ我々ハ生活ノ安定ヲ期セムガ為メ勤倹質実ノ規約ヲ為スコト左ノ如シ 一 婚礼ノ事 一 聟及嫁ノ披露目ノ節大字一般即チ戸主并ニ若衆ニ対シテハ中産以上酒壱斗中産以下酒五升何レモ肴ハ有合ニテヨロシキ事 二 従来聟及嫁ハ顔見世ト称シテ大字内各戸ヲ廻ハリタルモ爾来ハ聟ハ披露目ノ節会合ノ場所ヘ出頭シテ挨拶ヲナシ嫁ハ別段其場所ニ出ズシテ酒樽ニ名前ヲ書キタル札ヲ貼リテ出ス事 三 婚礼当日及親戚間ノ継目等ハ任意トスル事 二 葬祭ノ事 一 従来葬式当日ニハ大字内ノ半数ハ早朝ヨリ出頭シテ世話ヲナシ出棺ノ際全部ノ送リヲナシタルモ爾来ハ半数内ノ講中ニ於テ世話役ニ就クコトヽシ出棺時刻ニ間ニ合フヤウ残リ半数ハ待合セテ見送リヲナス事 二 葬式当日ハ一般酒ヲ廃シ膳部ヲ廃シ海巻すしヲ出スコト 七日法要等親戚間ニ於テ馳走ヲナスコトハ妨ケナキモ葬式当日ニハ絶対ニ酒ヲ廃スレトモ墓地穴堀ノ者ニハ酒壱升ヲ限リ出ス事 三 香奠返シ等ヲ為サヾル事 四 仏事法要ハ可成軽便ニ行ヒ得ラルヽヤウ心掛中産以下ハ月並題目又ハ念仏等ノ節之ヲ為スコト頼ミ題目念仏等ノ如キハ任意トスル事 正月〔休業〕ノ事 一 田打正月ハ従来七日ノ所ヲ五日トシ八月野上リ正月モ亦五日トスル事 二 其他可成従来ノ正月ヲ減少ナス事 講日待ノ事 一 従来ノ日待ヲ廃シ稲荷講地神講ハ春ニ於テハ両講ヲ合併シ秋ノ地神講ハ何レモ従来白米壱升金二十銭ヲ持チ寄リ夕朝昼ト両日ニ股ガリ三食ヲ供シタルモ爾来ハ白米五合金五銭トシ昼一食トナス事 時間励行ノ事 一 従来ノ時間ニハ何事ニヨラズ遅レ勝ニアリシモ時ハ即チ金ナリト云フ格言ヲ守リテ互ノ迷惑ニナラサルヤウ所謂カケ値ナク正刻迄ニハ何レモ集合スルヤウ心掛クル事 右申合規約ヲ遵守スル為メ〓ニ署名捺印候也 大正八年三月 大綱村菊名 (注)署名捺印欠。 (「関教育書類」(大正八年)飯田助丸氏蔵) 二三四 節米に関する件通牒 米ノ節約ニ関スル件 昨年下半期ヨリ現今ニ亘リ米価ハ実ニ空前ノ騰貴ニシテ一般生活上困難ヲ来セルハ上下ノ公認セル事実ナリ而シテ之カ原因ハ種々アルヘシト雖モ米ノ供給不足ヲ来セルハ主因ト目スヘキモノニシテ此際一般米ノ節約ヲ行ヒ職業ニ依リテハ一日一回粥若ハ小麦粉ヲ用ヒ其ノ他ニ在リテモ麦、馬鈴薯、甘藷等ヲ併用シ生産者ニ在リテハ努メテ剰余ヲ生セシメ之ヲ売却シ以テ消費ノ節約ヲ図ラレンコトヲ望ム此ノ意味ニ於テ目下郡農会ヲシテ右節約ニ関シ馬鈴薯ノ米代用法ヲ印刷セシメ不日郡内一般ニ頒布セシメントス各位ハ之カ趣旨徹底ニ努メ且ツ馬鈴薯ノ増殖ニ関シテハ差当リ種球ヲ要スヘキヲ以テ所要ノ数量ハ速ニ申出アランコトヲ望ム (「町村長会書類」(大正一―八年)箱根町役場蔵) 第三節 民力涵養運動 二三五 神奈川県民力涵養大会における県知事井上孝哉の講演 諸君、私は御会同の諸君中多くの御方には本日初めて御目に懸るのでありませうと思ひます、私は本県知事井上孝哉であります、本日は県下に於ける有力なる諸君の御会同を煩はしまして、一木法学博士の御講演を請ひ、並びに内務大臣代理の御訓示を願ふことになりましたが斯く多数諸君の御来駕を受けることを得まして、洵に本大会の為め、従って国家の為めに本懐に存ずる次第であります、而して此機会に於きまして私は自治の振興、並びに民力の涵養に関する問題に就きまして聊か国を憂ふるの衷情を諸君の前に披瀝することを得るのを最も光栄に存ずる次第であります。 諸君、我国が今日非常なる国運の発展を遂げまして、宇内各国の羨望の標的となって居ることは別に詳はしい説明を試みる迄も無く恐らく諸君に於きましても御同感のことゝ存じます、明治大帝御維新以来、〓に五十年、外には日清日露の大役を経まして今次の世界大戦に及び、或は領土の拡張に、或は商権の伸張に、素晴らしい勢いで国威が発揚されつゝあります、又内には産業の振興、教育の発達、運輸交通の整備など凡ゆる民力が育成されつゝあるの状態であります、併し乍ら我国の国威民力が斯くの如く発揚進展しましたのは、抑々何に基因するのでありませうか、之れを地域から見まして我国の一区域、一地方が発達したのみで斯くの如くなる事を得ませぬのは素より明らかであります、又之れを人の範囲から考へまして我国の国民の一階級が如何に発達致しましても斯くの如く国威を発揚することは出来ないものと存じまする、シテ見ますれば帝国の隅々迄、悉く非常なる発達を致しまして初めて斯くの如くに国威を発揚せしむる事が出来ましたものと存じます〔拍手〕、左様致しますると帝国の隅々まで斯くの如く進歩しましたと云ふのは抑々も何に帰着しなければならぬものでありますか、其の原因は何くに在るかと申したならば、私は実に我市町村制の実施三十年の不断の努力に因るものと深く信じまする〔拍手〕、素より数へましたならば他にも原因はありませうが、自治制の発達―自治制度の確立及運用が着々として其の緒に着いて参りましたのが全く我国をして今日あらしめたる所以であると申しましても敢て過言ではあるまいと確信を致して居ります、唯今局長閣下も訓示されました如く、此の自治なるものは実に非常なる力を持って居るものであります、即ち自己の運命を自分の責任で定める、と云ふのが此の自治の真髄であります、骨子であります、左しやうと思へば左する、右せむとすれば右する、水に飛込まうと、火を摑まうと悉く自分の意思の欲する儘である、人から指図されましたならば頗る不満でありませうが、自分の意思の欲する儘に自分が行動するのでありまするから之れ位愉快なことは無い筈である、時に水に投じて死ぬ人も往々非常なる愉快を以て死ぬるのでありませう、兎に角、自分の意思の儘になって他に之れを制するものがない、従ひまして自治即ち自己が自己を支配すると云ふことは偉大なる力を持って居るものでありまして同時に世の中の進歩発達と云ふ事も此の力を除いて他に期待することは出来ないのであります、最も近き例を採りまして、私、自身の実験に就いて申しますると、私は嘗て友人並びに医者の勧告に従ひまして酒と煙草とを廃めやうと努めた時代がありました、が、中々行はれませぬ、之は私が改めて申迄も御座いますまい、諸君の中にも定めて御実験を持って居らるゝお方があらうかと思ひます、ところが或る一寸した機会に於て自ら進んで酒と煙草とは是非廃めなければならぬと云ふ自覚が起ったことがあります、此の場合に於て所信を断行することは洵に平々坦々たるもので、其の間には又自分で自分の慾を制するといふ事が実に云ふ可からざる愉快を感ぜしめるのであります、今まで我慢をして居ったが稍やもすると「飲み度いな」と思ふ、其の思ふ時に「イヤまだ飲んではならぬ」と自分で自分を制する、其の制することに依って自分の心が如何に強いかと云ふことを自覚致しますと、飲むよりも吸ふよりも遥かに多くの愉快と感動とを自分に与ふるのであります(拍手)、都市などに於きましては斯くの如き場合はありませぬが、私共の実験に依りますと、北国の寒い国に於きましては雪滑り又は氷滑りと云ふことをする、スキー若くはスケート、さう云ふ種類の慰みがある、朔風凛冽として肌を劈くやうな厳冬の日、雪の日、氷の上に立つ、一時間も立って居るのを他から見たならば頗る気の毒に思はるゝでありませうが、併し乍ら己れから進んで、己れが好むでスキーをやり、スケートをやると、半日は愚か一日でも頗る愉快に其の寒さに打勝って、我が力は何程あるか、我意思はどの位働くかと云ふことに就て実に言ふべからざる愉快を感ずるのであります、自治の力あることは正に斯くの如き卑近の例に依っても明らかにすることが出来るであらうと考へます、而して我国が今日の如くに進歩発達致しましたのは右申しまする如く実に自治に基因すると致しまして、扨て、此の自治制の確立及運用に就いて直接に参画せられましたる所の人達卻ち村長、議員並に吏員諸氏が我国の発達に対して如何に多くの貢献をなされたかと云ふことを思ひますると我々は、声色を励まして之を表彰しても猶且つ足りないやうな感じを覚へるのであります、斯くの如き諸君が三十年の永い歳月を倦まず一つの絶間もなく継続致しまして、そして今日に至られた其の努力、其の貢献が我が自治制に対して如何に大なる力を致されたるかと云ふことを我々は確認しなければなりませぬ、又確認せざるを得ぬのであります、乃で之が為めに今日斯くの如き盛会に於て此の栄誉ある諸君の表彰が行はれました所以を明かにする事が出来ると思ふのであります、併し乍ら此の表彰は只だ表彰したと云ふばかりで夫れで畢はるものでありませうが、今日表彰をして仕舞へば万事が済んで、あとは最早此等の人達に対して何も剰すところがないとして夫れで宜しいものでありませうか、今日〓に行はれましたところの表彰は、国家の発達社会の進歩と云ふ人類至高の目的の一部分を負担せられましたる人達の功績を社会的に確認すると云ふ重大なる意味を含むで居るのであります、従ひまして此の表彰は今日一日の表彰ではありませぬ、今日を期して永く表彰すると云ふのであります、亦単純なる御世辞ではありませぬから権威がなければなりませぬ、夫れで私は社会は此等の諸君に対して大なる敬意を払はなければ相成らぬものと考へます、社会は我国家社会の為めに大なる貢献をしたる自治制の功労者に対して充分なる尊敬の念慮を払ふのが当然であらうと考へるのであります。 私は人と苦を倶にする、人と楽みを頒つと云ふことに就いて私自ら甚だ疚しい所があるやうに思ふ、人が非常なる栄誉を得る、私は其を大に喜んでやるのが当然でありますのに、疚しいかな、何となく甚だ多くの快感を起さないことがあり得る、人の喜びを倶に大に喜んでやりたいと云ふ心を起さない場合があることを感ずる、或は又人が非常な困難に陥る、之に対して大なる同情をして其苦みを偕にするのが人たるものゝ最も尊い理想であると考へて居りまするのに人と苦みを偕にすることに対して大なる同情をすることを躊躇するやうなことを自ら疚しく感ずることが往々にしてあります、独り私のみならず、或は失礼かも知れぬが、率直に、砕けて申しますれば、日本人は往々にして人と苦楽を倶にすると云ふことが幾部か欠けて居りはすまいかと疑ふことが多いのであります、人を責むることは容易い、そして亦中々能く人を責めます、町村長、助役等の人は今少し努力しなければならぬ、今少し町村の為めに事業を起さなければならぬ、経済を甘くやらなければならぬ、と云って責むることは誠に至れり尽せりであります、併し乍ら其の人の功労を賞讃する場合に於て果して多くの人が口を揃へて、同様の熱心を以て其人を賞讃するのでありませうか、と思ひますると甚だ疑ひ無き能はざるところがあります、〓に軍人を見ませう、戦争に往く、身命を賭して国家の為めに大に奮戦をして呉れる、卑怯のことがあっては相成らぬ、未練の振舞は断じて相成らぬ、と云って国民は非常に責めます、非常に多くを期待致します、其の軍人が死んで仕舞ったとなると同情を致します、気の毒である、国の為め我々の為めに身命を捨てゝ護って呉れた、実に気の毒だと云ふ同情は致しますが、其の同情は凡そ何年位続きまするでありませうか、其の同情が亦其の遺族に対して如何に厚く報いられるでありませうか、此の点に就きましては私は遺憾ながら甚だ完からざる処があるかに感ずるのであります〔拍手〕、新聞紙を御覧なさい、人を攻撃する、人を非難することは実に沢山に、而も多くの行数を惜まずして掲げられるものであるが、人を賞讃する方の記事と云ふものは頗る微々たるものが多いやうに考へる、私は単り新聞紙を責めるのではありませぬ、社会の読者が、人を責める、人を攻撃する、非難することに就いては、多くの楽みを以て之れを通読するが人の善行を賞讃する記事は余り熱心に迎へない、斯様にイヤな傾向があればこそ新聞紙をして攻撃することには大なる活字を用ゐ、賞讃することに小さな活字を用ゐしめると云ふ風に仕向けて居る傾きがありはせぬかと云ふことを深く遺憾に存ずるのであります〔拍手〕、是は少くも私自身に於て斯くの如き欠点があると云ふことを自ら疚しく感ずるのでありますから、社会に於ても斯くの如き欠陥がありはせぬかと憂ふるのであります、今日表彰を受けられた諸君の如き栄誉ある人達は町村に於きまして何かの場合に最も栄誉ある席に据ゑるが宜しい、如何なる人も之に対して最も多く尊敬の標的にすることが、私は社会の進歩すべき根拠を造るものであらうと考へます、先づ隗より始めよと云ふことがありますが、或人の功労を表彰するのに吝かならず其の人を尊敬するに充分の誠意を以てしたならば、更により以上の人々が益々自治制の為めに町村の仕事に向って大に発奮努力するに相違ない、と、斯く私は結論したいのであります。 私は近く横浜へ参りまして深く感じたことがあります、と申しまするのは、亜米利加と日本との間に、御承知の如く船鉄交換、即ち日本で船を造るべき約束が出来ました、其の造船所は横浜船渠でありますとか、浅野造船所、内田造船所、浦賀船渠など色々船渠がありますが、其処で夥しい所の大いなる船が建造されたのであります、そして之を監督する為めに亜米利加ではマツクレゴウと云ふ人を派遣して居るのであります、私も折々各造船所に於て其人に遇ひました、此のマツクレゴウと云ふ人は米国第一流の立派な紳士であります、ところが此人は、諸君、驚くべし、年俸一弗、日本の金に致しまして二円の年俸であります、実に一時間の報酬かと思ふ位僅かなものでありまするが、夫れが此の米国第一流の紳士の一年三百六十五日の報酬の全額になって居るのであります、而も此のマツクレゴウなる紳士は我横浜に駐在致しまして驚くべき程の熱心を以て日々事務に鞅掌致して居ります、其の勤勉努力は非常なものであります、社会上一流の地位を占むべき人が僅か二円の年俸を以て斯くの如く大いなる努力をすると云ふのは、抑々も何に基因するのでありませうか、是は米国の一般社会が名誉ある地位の人を如何に尊敬するか、言葉を換へて申しますれば社会が其人に対して払ふ尊敬の分量が充分に多いが為めに、其の人が社会に対して大いなる努力を重ねて顧みないと云ふ事に帰着するのであります、亦斯くあって初めて其人の仕事が名誉ある職で、其の人が名誉ある地位に置かれると云ふことが出来ませう、我々が折々耳にして甚だ不快に感じまするのは、或処に於て或人を目して、あの人は余り役場に出ないぢゃないか、夫れは其の筈だ、名誉職だもの、無理はない、と斯う云ってる人がある、役場へ出る時間?そんなものはない俺は名誉職だ、俺は名誉職で村長だ議員だ、そんな拘束は知らぬ、と云ふやうなことを平気で甲も云ひ乙も答へて毫も疑はないやうなことが往々にしてあります、勿論夫れは斯くすべしと強制される訳のものではありますまいが、併し乍ら飜って考へて見ますると名誉職なるものは名誉職であるが為めに其の時間を怠っても又其職務を余り熱心にやらないでも宜いと云ふやうな理窟が何処を押せば出て来るのか、夫れならば名誉職は結局不名誉職となるのではあるまいかと私は考へる、兎に角、名誉職なるものに対しては社会は充分に尊敬の意を払はなければならぬ、又之れを奉ずる人も大に努力しなければならない大切なる地位である、従って社会の第一流の人々が名誉職として続々其の仕事を希望する、村長になる、又は助役になる、争って夫れを希望する事になる、社会が名誉を与へると云ふことのみで以て実に立派な人が非常な努力をされる事になって、乃で初めて国民が大いなる発展の基礎を得ることが出来るものであらうと堅く信ずるのであります〔拍手〕。 我国家の繁栄は実に盛なるものでありまして、今更歴史を繙くまでもなく、開闢以来未だ曽て斯くの如き盛時を見た事がないのであります、併し乍ら諸君、三十年の間、粒々辛苦して溜めましたる所の富も必ずしも十年を待たないで失って仕舞ふ事がありませう、否な、一年掛らぬでも財産を蕩尽して仕舞ふことは往々あり得るのであります、一つの建物を建造するに致しましても、立派なる建築を致しまするには一年二年の歳月を要するのは通常のことでありますが、之を打毀はす為めには僅かに十日や十五日の時間で足りる、之れは総ての事がさうである、事物を了解する、記憶すると云ふことには大なる努力を要するが忘れることには何等の働きを必要とせぬ、直ちに忘れて仕舞ふのでありまする、でありまするから自治制施行以来三十年間に築き上げました箇様な立派な我が国家でも、今日以後怠慢で、そして今迄の辛苦を忘れて仕舞ふやうなことがありましたならば、必ずしも三十年を待たない、二十年をも待たないで大いなる変化が来ませう、そして既往三十年の努力の賜物であるところの富も平和も、一場の夢になって仕舞って果ては如何なる境遇、如何なる状態に陥らんとするか分ったものではない、今日は世界各国が実に非常なる焦熱の火中に陥って居る、是は今更事々敷申上ける必要はありませぬが、何れの国家も苦心惨憺致して居ります、臥薪嘗胆の時期と申すのは正に斯くの如き時を云ふものであらうと考へます、英吉利の如き、仏蘭西の如き、戦勝の栄誉を齎ち得て、そして大いに自負して居りまするが、此等戦勝国に於きましては如何云ふ困難な、そして面倒な問題の為めに頭を悩めつヽありますが、我国では物価が高い、高くて困る、之れでは生活が出来ぬと申しますが、どんなに高くっても我国では物があります、英仏の如き立派な国ですら高いどころの騒ぎではない、高くっても物が無いのである、俗に無い袖は振られぬと云ふ悲惨な今日の状態であります、又亜米利加の如き、毫も故障のなかるべき筈の国でさへ今日では一滴の酒も飲んではならぬと云ふ緊縮した境遇になって、乃で非常な覚悟で非常な馬力を掛けて以て国運を支へやうとして居る、一躍して国際的競争場裏に活歩するやうな位置に達しました我国民が此の紛糾した世界的不安の舞台に於いて優勝の地位を持続しやうと致しまするのには挙国一致即ち国土の一畝を遺さず国民の一員を剰さず大に発奮努力しなければならぬのは素よりであります、然も其の発奮は通常の程度では何にもならぬ、相手が世界と云ふ大きな恐ろしい者でありまする丈けに、国としては国力の全部を傾倒し、国民としては隅々まで一寸の隙間もない程に緊張しなければならぬと思ふのであります、然るに顧みまして我国の現状は如何でありませうか、表面に現はれたところから実質を推しますと実に今日を以て明日を測られないやうな甚だしい動揺を来たして居ります、勿論外国も大なる惑乱を来たして居りまするが、外国は惑乱すべき事情の下に必然惑乱を致して居るものと私は存じます、と申しまするのは、此の大なる戦争に於て生命も財産も凡て国を挙げ、存亡を賭して戦争を致したのであります、然るところ、戦争には勝った、捷には捷ったが其の結果、大なる幸福を得たのは資本家である、富の有る人ばかりが大なる結果を得たのであると云ふ点に就きまして、或は生命を失ひ或は身体財産を損傷した者の家族遺族の連中が大に奮ひ起って我々は国の為めに身を捨て、産を破り、非常なる努力をしたが、其の結果は僅かの人が其の戦功を収めた事になって仕舞った、是では我々は満足することは出来ないと云ふ訳で、そこで種々の問題が〓に激発致したのであります、即ち国の為めには人より以上に働いたのに、其れに与ふるところの報酬はどうであるかと云ふ問題に就いて激発して居る状態であります、然るに我国は之れと大に趣を異にして居る、何時も順風に帆を揚げるが如き状態に於て此の大戦争を経過致しまして、実に国運が旭日のやうに昇ったのであります、之れが為めに国民の如何なる階級と雖も又如何なる地方と雖も不満のある筈は断じてないのであります、外国の状態は正に不満があるべき筈であるが我国は其れと違って斯くの如く洋々たる状態に於て国運が進んだのである、之れに対して不満を云ふべき筈はない、皆満足しなければならぬ筈である、ところが亦一概にさうばかりも申されませぬ、と申しまするのは、我国も世界の種々の事情、様々な出来事の為めに影響を受けまして、物価は益々暴騰をしました、夫れが奢嗜品でも日用品でも何でもお構ひなしに騰りました、乃で生活難に追はれる者が多くなって来る、是は今回の世界戦争に依って持来された所の争ふべからざる事実であります、此の事実は争はれない、シテ見ますれば労働問題が必然に起って来る、亦社会は此の問題を充分に考慮しなければならぬことになる、物価が暴騰して一般に生活難の叫びが起って然かも此の場合に於ても尚儲かる者は資本家である、富裕の人である、中には一指を動さず袖手傍観して居って夫れでどん〱儲かる者がある、ところが中層若くは下層の者に於ては左様でない、同じ様に苦労を重ね、同じ様に努力を致しても其の得るところは依然として旧の如く何等変りはない、之れでは到底生活を維持することは出来ぬ、つまり、出来る丈け働いても生きて行くことが出来ぬと云ふことになる、シテ見れば懐手をして居っても富を累ねて行くところの資本家、工場主に対して我々が或要求をしまするのは必ずしも無理ではない、即ち富の分配に就きまして適当なる又は必要相当なる要求をすると云ふことは此の社会の変遷に応ずるに就きまして強ち労働者が無理なことを云って居るのではない、と云ふところ迄は私は同意を致したいと思ひます、併し乍ら其の要求をする場合に於きまして往々ストライキを起すことがある、資本主に向って労働者がストライキを起すのは善いか悪いかと申しまするに、私はストライキも必ずしも悪くはないと云ふところまでは稍々同意を致します、夫れは資本家に向って労働者が如何に要求をしても其要求が容れられなければ何にもならぬ、已むを得ぬから夫れでは我々は仕事を罷めますと云ふのは、是はどうも已むを得ざる所の順序であらうと思ひます、併し乍ら其の要求又はストライキなるものが夫れ丈けで止まらずして往々にして今日の人心が意外の辺まで剌戟せられまして、そして平和が突破されることになるのは頗る憂ふべきこと、断じて許すべからざることゝして私は全然反対をするのであります〔拍手〕、往々にして暴行を企つる、或は不穏の言動をして憚からない、斯くの如き状態になりまするのは、今日屢々見聞するところの真相でありまして同時に亦我々の痛心措く能はざる点であります、私は折々人から聞きますが〔私は斯くの如き場合を実験した事はありませぬが私の友達が時々実験をする〕東京で電車に乗りますと労働者が沢山居る、非常に混雑をする、乃で労働者が私の友達に向って「全体お前達は此の電車に乗る筈のものぢゃない、お前達は遠慮するが当然であらう、我々は乗るべき権利がある」、斯う云ふことが折々起るさうであります、何たる暴状であるか、此の話を聞きますと私は実に憤慨に堪へないのであります、社会は自由とか平等とか云ふことにしなければならぬ、又すべきものであると真赤になって主張するところの労働者が斯う云ふことを云ふは正に自分の主張を裏切るのではありませぬか、労働者は乗って宜しい、有力の人、金持は乗っては悪い、自由だの平等だのと平常口癖のやうに叫んで居って何処から斯くの如き論断が起ることが出来ませうか、道路であれ、交通機関であれ、貧富貴賤の別無く国民一般が自由に平等に之を利用するのが即ち交通機関たるものゝ本来の目的である、然るにも拘らず労働者が独りで交通機関を専らにすると云ふが如きは甚だしく暴慢なる言動と云はなければならぬ、労働者其者は誤って居るとは思っては居らぬのでありませうが、之れは何処から見ても大なる誤りである、併し乍ら夫れは誤りだけでは済まぬ、斯くの如く明白なる条理を誤り、守るべき常軌を逸するのは少なからず社会の公けの秩序を害するものであります、今申しましたのはホンの卑近な一例に過ぎませぬが、諸君は尚ほ種々の事例を御持ちになって居ることゝ存じます、元々公けの秩序なるものは単り我々官吏が之れに対して保障する位置に在るばかりのものではない、公けの秩序は官吏の為めの秩序ではない、又諸君の為めの秩序でもない、実に我国民全体に対し皆が一致して守らなければならぬところの極めて尊い規律であります〔拍手〕、此の国家の規律なる秩序に対して斯くの如き暴行、斯様な言動を敢てするのは諸君も国民も倶に全然容すべからざる立場に居らねばならぬものと存するのであります。 〓に於て大に考へねばならぬ問題があります、夫れは労働者自身の反省であります、自覚であります、前にも申しまする如く労働者が、正当なる要求、適切なる希望を貫徹しまするが為めに一致して行動する、遂にはストライキを起すと云ふ処まで行っても其の方法が正しくあり立派でありましたならば強ち咎むべきものでない、賞むべき事ではないかも知れぬが背に腹は代へられぬ、仕方がない、已むを得ない、と斯う云ふ風に社会が認める、社会から認められると云ふ事は社会が同情をすると云ふ事に外ならぬ、此の社会の同情は労働者の唯一の後盾であります、労働者の正当なる要求又は希望を貫徹するが為めには欠くべからざる力であります、そして又社会の同情が翕然として集まるところで始めて労働者の要求が容れられるのであります、社会の同情を失って仕舞っては何物も成功しませぬ、又成功せしめてはなりませぬ、労働者諸君が考ふべきところは此処であります、労働者が自己の向上を図り生活の安固を求めて之れを得やうとするには社会の援助、後盾を失はぬやうにしなければならぬ、ところが交通機関を専らにしやうとしたり、ストライキをするとて暴動を起したり穏かならぬ言動を敢てする、そして社会の公けの秩序を破ることになると社会の同情は無くなって仕舞ふ、夫ればかりではありませぬ、最近三十年間に於て漸く発達して来たところの我国の産業界に於きまして或は労働者が賃銀を無法に高くしたり或は怠業をしたり、ストライキを起したり年々さう云ふことが繰返されることになると只だ生産の能率が減るばかりではなくして生産品が悪くなったり、値段が高くなったり、色々な結果が出てくる、そして外国の生産品と我国の生産品と競争をして負けるやうなことになる、さうなりますと我国の産業が衰へる、産業に従事する者が廃業をしたり或は転業したり或は工場を閉ぢたりしなければならぬやうになりましたならば、労働者を以て我国の産業の一部分を分担して居りまするところの人達即ち労働者は如何になりまするか、昔は武士は食はねど高楊子、などゝ云った時代もあったさうですが今の労働者が如何に強健な身体を持って居りましても目前食はずに議論を主張する訳には行きますまい、シテ見ますれば労働者と雖資本家工場主と共に我国の産業を保護すべき義務を有って居るものと云ふべきでありませう、でありますから労働者の要求は適当なる程度でなければなりませぬ、苟も国家の産業を破壊するやうな過当なる事を望んではなりませぬ、又其の要求をする場合には公明正大な態度でなければなりませぬ、仮りにも社会の公けの秩序を害するやうな事があってはなりませぬ、殊に今日は世界的に非常なる場合でありまするから、労働者も亦非常なる覚悟がなければなりませぬ、労働者の自覚、言葉を換へて申しますれば、国家の産業を顧みまして国際的競争に負けぬやうにするが為めに労働者は自分の範囲を守り其の正当なる甸域を脱しないで充分なる節制と規律とを保たなければならぬのであります。 次ぎに見なければならぬのは資本家であります、元々私は労働者でもなく又資本家でもない、従って資本家の敵でもなければ味方でもない又労働者の味方でもなければ敵でもありませぬ、私は役人としても個人としても凡ての問題を冷静に公平に判断しまして諸君と倶に之れを批評し得る位置に在ると思ひます、私は労働者に就きまして憚らないところを申し上げましたが、今日は労働者ばかりに自覚を求むる訳に行きませぬ、資本家諸君も大に反省して貰はなければならぬ必要に迫られて居ると思ひます、資本家が今日往々にして社会から様々な批評を受けて居りまするのは強ち無理からぬ現状が在りはせぬかと思ひます、富が有ればこそ自動車にも乗って飛んで歩ける、飛んで歩く人は結構なものです、併し乍ら金持が非常なる塵埃を立て飛び廻って居る一方では後から目を掩ふて通行しなければならぬ者が沢山あるが之は余り結構ではない迷惑千万である、殊に雨天になりますると中に乗って居る人は安心で御座いますが、泥水を掛けられると云ふので狼狽て余所の見世先きに逃げ込まなければならぬとか或は折々目撃致しまするやうに傘を以て自動車の方を掩ふて其の泥水の掛るのを防いで居るとか云ふやうな現象がありまするが、其の対照したところの図形と云ふものは如何にも見るに忍びないものが御座います、私共も時々自動車に乗るべき場合がありますが斯くの如き場合になりますと非常な苦痛を感じます、即ち外出を躊躇する程傷く頭を刺戟することが少なからずあります、世の中を見ますと或は大なる富を得て居るお陰で大なる邸宅を構へて居る、普通の人ならば何軒又は何十軒にも相当する程の邸宅を一人で占有して居る者がある、然るに一方では生活難と共に住宅難が喧しく叫ばれて居る、勿論此等の人の富は自分の力に依って作ったのもありませうが、夫れは極めて稀れで、往々にして祖先の遺した財産に依って斯くの如き幸福を得て居る、祖先から得ましても或は自分が作りましても何れにしましてもそれは論じませぬ、兎に角資本家又は富裕なる人が此の我々の住んで居る社会を離れて斯様な富を致したと云ふことは断じてない、社会の趨勢又は時世の変移に依って社会から大なる幇けを得て資本家が富なるものを為したのであります、自分が作ったと云ふより社会が与へたと云ってもいゝ位と思ひます〔拍手〕、一等の汽車は人込も少なく設備もよくて乗心地がいゝが、同時に三等の汽車は随分窮屈なものである、私は世の中の富める人達が我々の目前に現はれて居るところの此の社会の図面を見たならば租税を吝むことは出来ない筈と思ふ、営業所得を隠したりすることは非常な罪悪だと思ふ〔拍手〕、又資本家が其の富を吝んで公益の為めに寄付を迫まらるゝが如きも人として恥かしいものではあるまいかと思ひます、又寄付を迫られて憚るやうなこともありたくないものと思ひます〔拍手〕、之れも若し資本家が労働者の一面を顧みられたならば、脱税の如き若くは寄付をするに対して吝かなるが如き観念は起らざる筈である、出来ますることなら租税を多く収むることを名誉とするやうにあり度い、亦寄付を迫まらるゝ事がないやうにあり度い、寧ろ左様云ふ社会的良心の乏しい人は此の社会に居ないと云ふ確信を一般社会が持ちたいものと思ひます、又斯くあって始めて社会は此の変態に対して調和を図ることが出来るものであらうと深く信ずるのであります。 当地に於きましては、幸に有力なる諸君の非常なる奮発に依りまして、現に、救済協会の寄付金が僅か二ケ月ならずして百万円に上るが如き状況になって居ります、而して之を以て社会的施設を企てることになりまして或は社会問題に堪能なる博士、或は建築に対して才能ある技術者等に依嘱しまして、我救済協会は今将に大なる仕事に着手されんとしつゝあります、私は此有力者諸君が社会の為めに貢献されることは、今の、此の世の中に対して最も然るべき、最も時宜に適したることゝして批評をするのに吝かならぬものであります、又近くは阿部幸兵衛氏が百万円と云ふ沢山な金を寄付されまして公益事業の為めに捧げられて居ります、或は増田氏が公設浴場を造られたとか、或は小野氏が商業学校の為めに寄付をせられると云ふやうなことが続々ありまするのは今日此の社会の急変に処するに就きまして資本家が最も良い考案を現に頭に起されつゝあることを証するものとして深く喜ぶところの一人であります。 要するに資本家も、労働者も、各々自分の利益の為めに働くのは是は当然のこと、又自分の利益を図りながら世の中の為めに尽すところに社会の進歩があります、夫れ故に資本家、労働者が自分の利益を顧みて奮闘されるのは宜しいが、併しながら更に一歩之れを超越致しまして、国家の利益を擁護するの義務を自覚して各々其の覚悟があって然るべきものと云ふことを深く顧みて貰ひ度いものと思ひます〔大喝采〕。 十二時過ぎまして甚だお気の毒でありますが、暫らく御猶予を願ひまして、今少し御話がして見度いと思ひます、資本家と労働者とに付きましては既に申述べましたが、更に政治を行ふ者、政治を行はるゝ者、町村の吏員であれ、或は町村民であれ、何れも皆世の中に於て相対立して居るものである、相対立して始めて平和が得られる、対立即ちバランスが保たれませぬやうになったならば顚覆を致します、世の中が余り急激に変化を致しますと往々にしてバランスが取れぬやうになりまして社会が顚覆することがあります、露西亜の如きは実に其の活きた実例の一つであります、露西亜と雖総ての事が間違って居るのでは御座いますまい、相当なる理論、相当なる根拠の下に進行致したのでありませうが、併し乍ら其は非常なる急激の変化でありましたので社会のバランスが取れないで遂にひっくりかへって仕舞ったのであります、我国に於きましても今日は色々な外来思想が非常な勢ひを以て接近致しつゝあります、而して此の外来思潮が我国に如何なる影響を与へまするか、若しも夫れが為めに非常なる変化―激変を我国に与へまするならば我々は如何にして安全に其のバランスを維持することが出来やうかと云ふことを恐るゝのであります、勿論、先刻添田局長閣下の御訓示の中にもありましたが、或は仏教の渡来であるとか、或は耶蘇教の伝来であるとか、其の時代々々に依って外国から色々な思想が這入って来ます、藤原時代、足利時代に或は唐の法制を模倣せしが如く、即ち外来思想が非常なる勢いを以て這入って来たのであります、斯くの如き場合に於きまして、国内は矢張り今日の如く混乱惑乱を重ねたのに相違ありませぬ、夫れは歴史家が書いて居ります、併し乍ら国民の力に依って程宜き程度に咀嚼をし、そして我国の国風に同化せしめまして以て今日の安全を来たして居るのであります、今回襲ひ来りましたところの外来思想も同じく一概に拒絶は出来ませぬ、人の身体には外間からして食事を摂り、滋養物を取って発育しつゝある如く、我々の思想、精神界も丁度同様であります、外間から或思想を吸収して、而して我々の信念、又は理想と云ふものも開発されまして進歩するものに相違はない、でありまするから一概に外来思想を排除するのは国利ではないと思ひますが、併し乍ら我々は此の外間から襲って来ますところの気候に甚だしい変化がありますと風邪を引いたり或は身体のどこかを傷めます、非常なる変化は斯くの如く甚だ厭ふべく又忌むべきものであります、此の場合に於きましてお互は或は衣類を以てするとか或は温まりを以てするとか何等かの方法で之を調和致しまして、気候の順調になるのを待つのであります、而して今日は諸君と我々が正に或は衣類なり或は温まりを以て此の急変を調和する責任と必要とがある場合と思ひます、外国の歴史を見ますれば、外国では長年掛って非常なる変化―思想の変化を受けまして今日在るを致して居るのであります、我国が外国の百年や二百年掛ったものを急転直下の勢いで一足飛びに纔か三年や五年の間に同じ変化を受けやうとすることは到底我々の身体が背負ひ切れないのであります、斯様な大きい激変を来たしましたならば到底バランスを保つことは出来ないかと思ひます、我国では政治に付きましても経済に就きましても順序ある進行を為して居る、専制政治、立憲政治、官僚政治、政党政治と云ふやうに追次に適当なる進行を成して今日在るを致して居るのであります、我国は却って秩序ある節制ある進歩をなして居るのでありまして此の点は我々が深く肝に銘じなければならぬところであります、然るにも拘らず外国を真似たり外国の思想を鵜呑みにしたり前後の弁へもなく直ちに我国に非常なる大激変を起さしめやうと云ふことは諸君と倶に我々が全力を以て之を支へなければならぬ、之れに当らなければならぬ、どうでもして適当に之れを防止しなければならぬものであると思ふのであります〔拍手〕、即ち寒さを調節する為めの衣服となって、諸君と共に最も慎重に最も多くの努力を要するものと思ふのであります、軽々に看過することは出来ない大切の場合だと思ひます、ところが我国にはどうも緊張を欠いで居る点が多いではありますまいかと思ひます、前申しましたる諸問題に付きましても其の感じを深く致しまするが、食糧問題に付いては更に一層其の感慨なきを得ざるものがあります、食物の値段が非常に暴騰をする、食物の在高が頗る欠乏を来すと云ふことは、我々にとっては何にも換へられないところの最も大切なる問題であります、之れ以上に苦痛を感ずる大問題は社会にないのは当然であらうと思ひます、生ある人間、生ある物が其の食物欠乏のために憂ふるのは当然のことであります、そこで昨年は不幸にして国内致る処に大いなる恐慌を来しまして、国民は之が為めに甚だしい痛手を受けたのであります、社会の秩序は之が為めに破れたのであります、又斯の如き問題に就きまして紊れざるを得ないのは事実であります、昨年は先づ仕方がないと致しまして、今年も再び又食糧問題に就きまして我々が大なる脅威を受けたと云ふことは頗る痛歎すべきことであると存じます、一度ならず二度目だ、二度ならず更にウッカリすると復た来年も斯くの如き脅威を受ける不幸を見なければならぬ、下らない心配をしなければならぬ、と云ふことは此の忙はしい世の中に実に堪え難い忍びにくいことであります、然るに兎角国民の緊張―民心の緊張が足りない、従って自分に奉ずることが余りに厚きに失する、まア人は一つ我慢をして麦飯を食べて貰ひ度い、馬鈴薯飯を食べて貰ひ度い、が併し自分だけは今迄慣れて居るから日本米を食べやうと云ふ、自分を奉ずることには斯くの如く厚くして人に求むることが斯の如く酷なり、誠に以て民心の緊張せざる大いなる例証が此の食糧問題であると思ひます、私は先頃―今から三月許前に小田原に山県公を御訪ね申しました、公爵が「お前は此頃食糧問題に就いて心配して居るさうである、自分も食糧問題に対しては頗る痛心して居る者の一人である、仍で自分等も麦飯にしやうと云ふた所が、家内の者の言ふのには家の女中は東京の者で平生麦飯を食べることに慣れて居らぬのであるから、麦飯にしたならば女中が去ぬでありませうと云ふ、其時自分は云ふた、成程さうであるかも知れぬ、女中が居らぬなら居らぬで宜いから麦飯にしやう、女中なしでやらう、国の大問題である食糧問題の為めに心を用ゆることには代へられぬ、と云ふて、自分は麦飯を食はうとしたが医者の方で身体の都合で止める、止められたからとて廃める訳には行かぬ、今は麵麭を食べて居る、米は止めて麵麭を食べる即ち小麦を食べて居る」と云ふことを熱心に御話しになった、之を聴いて私は実に涙を催ふす程喜びました、憂国の士は当に斯くあるべきもの、斯くあり度きものと思ひます、我国家の長老であって何不自由なき元帥が猶且斯くの如く、自ら進んで国の為めに小なりと雖も其の一家を挙げ率先して食糧問題の為めに尽されると云ふことは誠に得易からざる徳と思ひます、私は自分自ら若くは内務部長、其他を以て食糧問題の為めに県下に求むることの実に痛切なるものがあります、諸君も定めて煩さく話を聴かせられたことであらうと思ひます、此の問題は余程親切に余程思ひ切って諸君も我々も是非共大なる覚悟を以て当らぬければ年々歳々此の問題の為めに国を挙げて頭を使ふので誠に残念に思ふのであります、外国の米―外米を以て我食糧の足らぬところを補充すると云ふのは甚だしい拙策であります、我々の大切なる生命を繋ぐところの食糧を外国の者に自由に握られて仕舞ふ、腹を満たさうと飢ゑさうと勝手に向ふに鍵を握られるやうな左様なことは我々が忍ぶことが出来ない、而して此の問題は少なくとも極易々たる問題でありはしませぬか、即ち麦を食べる、馬鈴薯を食べる、少しも六ケ敷い問題ではない、ちっとも苦しい問題ではない、我々に取って極めて重大なる問題を斯くの如く軽易に解決するに依って我国を泰山の安きに置くことが出来るならば其の対照が洵に著しく明瞭となって参ります、私は先頃も思ふたことがあります、此頃米領布哇辺りでは白米一石が百何十円であります、又現に西貢米や東京米などは一石百円近くの値段で動きつゝあることを度々耳にして居りますが、立派な我国の米の如きは確かに百円以上の価値がありませうが、我々が少し倹約をしたならば百万石や二百万石の節約をするのは実に朝飯前の仕事である、百万石二百万石の節約をして之れを外国に出しましたならば一億円二億円と云ふ金が直ちに流入して来る、若しも一千万石の米を我々が食ひ延ばすことが出来ましたならば、夫れが我国に如何なる富を齎らしませうか、実に非常なものであります、必ずしも外国から大いなる富を取るにも及びませぬが少くとも我国が食糧に欠之をして年々歳々苦しみを重ぬるが如きことのあるのは遺憾千万でありまする、我々お互が出来るだけ他の食物を食べて米を聊かづゝでも倹約しましたならば、何も憂ふることはない、実に安楽なる社会を維持することが出来るのでありまするから食糧問題に就きましては呉々も諸君の御注意を望んで止まぬ次第であります。 どうも我国民はまだ油断がある、安心し過ぎて居る、食糧問題に就いても然うでありますが、総ての事が悠長であります、と申しますと兎角私は日本のことを悪く云ふやうな傾きがあって恐縮でありますが、決して外国が好きではない、決して無意味に外国人を尊敬したくはないが、兎角我国民は悠長で従って油断があると思はれてなりませぬ、事例を申しますと、お互の家の女中が一日暇を貰って里へ帰り度いと云ふから暇を遣る、一日と云ふと二日になる、甚だしきは三日にもなる、殆んどお話にならないのでありますが、外国人の召使を見ますと全く左様でない〔余り外国崇拝のやうな言葉でありますが〕、外国人の女中は、今日一日暮れ方八時まで遊ばして遣る、斯う云って出しますると其女は一定の時に帰って時計を見るまだ七時である、さうすると家へは這入らないで、家の前をブラブラ彼方此方歩ゐて居って、八時がチーンと打つと家へ帰ります、誠にどうも心持が善い、斯くあってこそ世の中は総て正確に秩序が立って往く又私共が夏休みとなります〔夏休みは私共に半日の休みを賜はるのであります〕、半日は休めるのであるがダラ〱と一日仕事をして矢張り日を暮らして仕舞ふ、家へ帰る、帰るとお客さんが居る、どうかと云ふと其のお客さんが矢張り役所の仕事の用である、殆んど身体に休みがない、我々はそんなに朝から晩まで暇無しに働いて居ります、それであって猶為すべき仕事が思ひ通りに出来ぬ、外国人は暑中でも一定の時間までは中々働く、それで四時になると根岸の方へ行ってゴルフなどで盛んに遊んで居る、実に羨ましい夫れでは仕事が少ないのかと思ふと、どうして仕事は夥しい程ある、仕事は夥しいが、すべき時はドン〱仕事をする、又訪ねて行っても悠長に椅子に腰を掛けないで、左様然らば、と云って帰る、用があるとドシ〱三つも四つも片付ける、互の感情が非常に緊張して居る、少しも油断をして居らぬ、でありまするが、我国は、と申しますと、残念でありまするが兎角私自身も頗る油断がある、悠長である、甚だ恥づべきであると思ひます、信長が光秀の為めに攻め殺された、信長のやうな英雄が光秀の如き微力なる者の為めに討たれたのは油断であります、油断大敵、実に油断ほど恐ろしいものはない、我国民は我国運の余りに隆盛なるのに油断をして居るのではあるまいか、人には運があり国にも国運と云ふものがありますが、成程我国は何時も先づ仕合せで又廻り合せが善いと思ひます、之れに就きましては、先づ我国は神の保護を受けて居るかとも云はれませうが、併し乍ら人力を以て測ることの出来ない運命と云ふものに深く依頼をすると大いなる誤りがある、人事を尽して天命を俟つ、努むべきは先づ力めなければならぬ、山河を跋渉するに方りましては健脚に待たなければならぬ、空中を飛翔するに当りましては腕に恃む所がなくてはならない、我国が今日列国の間に馳駆致しまして其の覇権を争ふのには何か恃むところがなければならぬ、即ち我国には尊き国体がある、三千年来養はれましたる所の、各国に比類なき貴き国体を擁護致しまして山河を跋渉する健脚、空中を飛翔する健腕に代へなければなりませぬ、斯くの如き確乎たる信念、牢乎たる拠り所、即ち此の尊き国体を依り所として列強の間に馳駆して覇権を争はなければならないことは申迄もありませぬ、兵力も大事、金力も大切な力でありませう、併し乍ら兵力も金力も致底及ばざるところのものは実に此の国体擁護と云ふ確信であると思ひます、けれども如何に我国体の精華がありましても、如何に尊き国体を頼りに致しましても、玉磨かざれば光なし、国民の努力研鑚がなくては、如何なる国体と雖も頼りにすることは出来ぬ、夫れのみを以て立つ事は出来ませぬ、最も大切なるものはお互の努力であり、研鑚である、神は自ら助くる者を助く、と云ふて居ります、自分が怠って居っては神は助けぬ、自分が努力をして然る後に神に助けられ、又自分が努力して後始めて好き運命に導かれる、努力して以て我国体を擁護し、而して始めて我国が之に依って尊きを成す所以であります。 今の世の中には非常なる風波が起って居る、逆風怒濤が致る処に奔騰して居る、私が早朝、伊勢山の大神宮様に参拝を致しまする、もう、六時前頃にはドシ〱参拝をする人がある、が、心から祈願をして居られる、我国の最も大切に頼るべき大いなる―頗る大いなる根拠であるところの神明に対して非常なる誠心を以て祈願をして居られるのを見ます、一面斯の如き状態を目撃しまするかと思ふと半面に於ては如何でありませうか、我国を代表して将さに世界各国と樽爼折衡の任に当るべき代表員を送るのに、話すも恥かしい、或は葬式の真似をして送ったり、或は穏かならぬ言動をしたりする、世の中は種々様々である、斯くの如き様々な怖るべき風波の裡にお互は立って居るのであります、逆風は頗る強く吹いて居りまするが、帆の張り様に依って船は風に向っても進行することが出来ます、今日我国には様々の風が吹いて居る、逆風も頗る強く荒んで居ります、けれども諸君の帆の張り様に依っては之を善導することが出来る、逆風と雖却って社会の進歩の為めに之れを利用し之を善導しまして、さうして完全なる社会を造り立てると云ふことは諸君の考案、諸君の努力、換言しますれば、諸君の帆の張様一つに帰着するのであります、之に就て私に句があります「夏小袖帆にして進む向ひ風」之は先日の事でありましたが、商船学校の練習船大正丸といふ帆前船に乗りまして卒業生の練習を見たのであります、向ひ風に帆を操りて横浜を出帆し房総に向て進行するの快感に禁へませんので、此句を読んで同乗の野田逓相に見せましたら「宜しひ政治の要諦も其処だよ」と教へられたことであります、斯くの如く逆風は逆風で帆の張り様に依って之を善導して行くのは諸君一人〱の非常なる力であると云ふことを深く自覚して貰ひ度いと思ふのであります、私共役所で一人の属官が熱心に或考案を立てる、或考案意見を立て、夫れが総べての課長を通り、総べての県の協議を経まして立派に成功致します、一人の属官の考へでも、夫れが熱心に、誠実に意見を主張したならば、庁議全体を動かす事が出来る、人の力と云ふものは斯の如きものであります、必ずしも属官を待たない、誰でも宜い、雇でも宜い、一人の力が凝り、一人の精神が凝って仕舞ふと非常な力を持つものであります、况んや郷党に於きまして多年の経歴と人格とを持って居られる諸君が、此の社会に対して痛切に感ぜらるゝ点に就いて努力を吝まれなかったならば、諸君の力は非常なる力となって郷党を動かすことが出来るやうになるのであります、夫れ故に私は深き信頼と希望とを以て諸君に期待するのであります、又総て事を為すには常に人心を新たにしなければなりませぬ、人心を新たにすると云ふことは人心をして倦まざらしむる、即ち油断なからしむると云ふ事に帰着します、年の暮の大晦日は如何でありませう、一日の日であります、元日、之れ亦一日の日であります、何れも三百六十五日の一日に過ぎない、併し乍ら大晦日であると云ふ為めに人の頭に如何なる感じが起りまするか、元日であると云ふが為めに我々はどう云ふ心持がしますか、僅か一瞬間の間を離れては一は師も走ると云ふ大晦日であり、一は洋々たる元日である、一は大晦日と云って借金取りが押掛けて来る、然るに夜の十二時がチンと打ちますと、もう、天下は大平、借金取りも鶯の声などゝ云って却って此方から先方に貸しでもあるやうな心持ちで居る、同じ一日でありますが、斯様に非常なる差異があります、是は誰が作りましたか、兎に角人心を新たにするが為めに斯くの如き境界を作ったのであります、而して今日は如何でありませうか、我国民の未だ曽て見た事のない又経験した事のない国際連盟―即ち世界万国を団結すると云ふ其国際連盟も将に御批准にならうとしつゝある時機であります、元日や大晦日どころの騒ぎではありませぬ、夫れで今日まで我国の発達しました原因に鑑み特に此の重大なる機会に於きまして、内務大臣は民力の涵養、自治の振興と云ふ事に日夕を弁せず苦心をして居られるのであります、単り内務大臣のみではありませぬ、我国民挙って民力の涵養自治の振興といふことを期せねばならぬ覚悟を有って居る今日であります、斯の如き世の中に、斯の如き機会に於て、而も我国に最も切要なる問題を攻究すべき必要に迫まられて居る今日に於て、此の全県下の有力なる諸君が斯の如く一堂に集まられ、我国の民政上の権威者、第一人者として尊敬せらるゝ一木博士が今将さに講演を試みらるべき機会、斯くの如き機会と云ふものは余り多くはありませぬ、正月は毎年来る、大晦日は毎年来ます、が、斯くの如く国際連盟の将に御批准にならんとする時機、我国民が大に覚醒せねばならぬ時機、斯の如く有力なる多数の諸君が集まられたる非常なる機会に於きまして私は特に諸君に対して大なる期待無からざるを得ないのであります、私は諸君が郷党の中心となって郷党を率ゐられ此非常なる国家的変調に対して、自発的に、啓発的に、諸君の意思に依って我郷党の自覚、地方の進歩、延いては国家の進運に貢献せられんことを深く期待するのであります、自発、之れが私の講演の眼目であります、期待するところは唯自発の二字に帰着すると云ふことを特に御諒承願ひ度いのであります。 誠に長い時間に渉りまして諸君の御清聴を煩はしましたのを深謝する次第であります〔拍手〕。 (「民力涵養要綱」飯田助丸氏蔵) 二三六 民力涵養大会協議会 協議会〔午後二時開会〕 ○内務部長〔大島直道君〕 是カラ民力涵養ノ趣旨ヲ徹底セシメタイト云フ希望ノ下ニアナタ方ノ御手許ヘ実行要目ト云フモノヲ差上ゲテゴザイマスガ、此実行要目ハ各般成ルベク汎キ範囲ニ亘ッテ各種ノ事項ヲ網羅シテアル積リデアリマス、ソンデ土地〱ノ情況ニ応ジテ取捨撰択ヲサレル余地ヲ存シテアル積リデアリマス、ソレデ是カラ其実行要目ヲ此処デ協議スル為ニ協議会ヲ開キタイト思フノデアリマス、就キマシテハ協議ノコトデアリマスカラ、アナタ方ノ中カラ座長ヲ一人御選ビニナッテ、其座長ノ下ニ協議会ヲ遂行シテ往キタイト思フノデアリマス、御希望ノ方ガアリマスレバドウゾ御申出ヲ願ヒタイ、 〔「知事閣下ニ御願ヒシタイモノデス」ト呼ブ者アリ〕 ○奥宮衛 君チョット甚ダ失礼デアリマスガ、私ハ横須賀ノ奥宮ト申ス者デアリマス、所謂拙速ヲ尊ブト云フノデ、此上デ一ツ唯今内務部長ノ御意向ノ座長ヲ推薦シテ見タイト思ヒマス、宜シウゴザイマスカ〔満場拍手〕 ソレナラバ横浜市長久保田政周君ヲ座長ニシタイト思ヒマス 〔満場拍手〕 ○内務部長〔大島直道君〕 大体御異議ナイモノト認メマス、久保田市長ヲ座長ニシテ此要項ノ御協議ヲ願ヒマスカラ、ドウゾ左様御承知ヲ願ヒマス ○座長〔久保田政周君〕 御推薦ニ依リマシテ甚ダ不行届デアリマスガ座長ノ席ヲ瀆スコトニ致シマス、宜シク御願ヒヲ致シマス 〔「本日此御配付ヲ受ケマシタ内務大臣訓令第一、御訓令ノ次第ニ付テ少シク質問ヲ致シタイト思ヒマスガ、出来マスカ」〕 ○座長〔久保田政周君〕 宜シウゴザイマス 〔「チョット先刻カラ之ヲ拝見ヲシマスルト、第一要綱ノ所ニ「立国ノ大義ヲ闡明シ国体ノ精華ヲ発揚シテ」ト云フコトハ最モ此日本国民ニ取ッテ非常ニ大切ナル事項、其下ノ「実行要目」ト云フ所デ拝見シマスルト、「敬神崇祖ノ実ヲ挙グルコト」是ハ最モ大切ナコトデアルコトハ申スマデモアリマセンガ、此敬神崇祖ト云フコトニ付キマシテモ細カニ別ケテアル所ヲ拝見シマスルト、第一ハ神社ヲ敬フト云フコト、ソレカラ崇祖ト云フコトニ至リマシテ、崇祖ト云フコトハ即チ祖先ヲ尊ブト云フコト、詰リ祖先ノ祀リナドハ非常ニ大切ニシナケレバナラヌト云フコトニナリマスガ、抑々此日本国ノ国祖、即チ国ノ御先祖、遠クハ天照皇大神宮、神武天皇様アタリノ国祖ヲ敬ヒ尊ブト云フ方法ニ付テ、何等ノ此処ニ箇条書カ何カガアリマセヌガ、唯敬神崇祖ト云フコトハ、神社ヲ尊ビ、国民各自ノ祖先ヲ尊ブト云フコトニ止マルト云フ御趣意デアルダラウカ、即チ国体ノ精華ヲ発揚スルト云フコトノ問題ナラバ、ドウシテモ日本ノ国祖ヲ尊敬シ敬フト云フ所ノコトヲ、最モ深刻ニ国民ニ教ヘテ頂キタイト云フ我々ノ希望デアリマス、其点ニ於テ何等ノコトモアリマセヌガ、チョット大体ノ御趣意ヲ承ハリタイ」〕 ○佐々井社会課長 チョット御答ヘ旁々申上ゲテ置キマスガ、是ハ一番最初ノ表紙ノ裏ニ書イテアリマスヤウニ、一般的施置ノ要目ヲ皆サンニ差上ゲマシタノデ、「一般的施設要目ヲ蒐集シ各地方ニ於ケル調査資料ノ参考ニ供センガタメ」編纂シタモノデアリマス、ソレで厳密ニ之ヲ欠点ノナイモノデアルト云フコトハ申上ゲナイノデアリマス、ソレデ唯今ノヤウナ御考ヲ一々悉クソレヲ入レルカドウカト云フコトニ付イテ可ナリ考ヘテモ見タノデアリマスケレドモ、或ハ落チテ居ルモノ、又ハ不当ノ文字等ガアルト云フコトハ御詑ヲ致シテ置ク次第デアリマス、就キマシテ唯今ノ御話ハ最モ肝要ナル事柄デアリマスガ此中ニハ書イテ置キマセヌガ、神宮ヲ崇敬スルト云フコトハ、我々国民ガ要目ニ之ヲ入レルベキモノデナイト云フ考ノ下ニ、要目ト云フモノデナクッテ、国民ガ既ニ実行シテ居ルベキ筈ノモノデアルト云フ意味デ、其コトヲ此処ニ書カナカッタノデアリマス、ケレドモ、其一ツト致シマシテ、此八頁ノ所ヲ御覧下サイ「大麻ノ普及ヲ図ルコト」ト云フコトガアリマスノデ、是デ以テ唯今ノ事柄ハ各家庭ニ徹底サスコトガ出来ルコトヽ考ヘテ居リマス、左様御承知ヲ願ヒマス 〔「了解シマシタ、サウ云フコトデ御書キニナッタト云フコトナラバ、ソレハ間違ヒナイデアリマセウガ、此神宮崇拝ト云フコトニ付キマシテ、今ノ御説ノヤウニ大変ドウモ尊ブベキ遺風デアルカラト云フ御話デアリマスガ、此項目ノ中デ見マスト〔無用々々ト呼ブ者アリ〕チョットマア短ク申上ゲマス、「神宮参リ等古来因襲ノ神事ハ社会ノ秩序及風俗ヲ害セザル限リ成ルベク之レガ保存ヲ図ルコト」ト云フヨリハ大イニ奨励シテ頂キタイ、日本国民トシテ天照皇大神宮、神武天皇、歴代ノ天皇、日本建国ノ御理想ト云フコトニ付キマシテハ、皆サン歴史ナドデ御承知デアッテ、其建国ノ御理想ノ下ニ生レタ日本国民ハ、今日マデ段々其遺訓ヲ守ッテ、即チ祖先ノ遺訓ニ依テ往クト云フコトハ、教育勅語ニ明カニ示シテアル、ソレダカラ其国祖伊勢ノ神宮ニ参詣スル如キコトハ、日本国民ニ取ッテ最モ尊ブベキ遺風デアッテ、又国民トシテ最モ奨励スベキ美風デアル、ソレヲ此処ニハ古来神宮参リ等因襲ノ神事ハ社会ノ秩序及風俗ヲ害セザル限リ云々ト云フト、甚ダ美風ヲ軽ク視ル如キ感ガアル、此処ハ内務大臣ノ御趣旨ハ其辺リノ御考ヘガ甚ダドウモ御説明ノヤウデナイヤウニ考ヘラレル、私ハ国民トシテ是ハ内務大臣ハ宜シク十分ニ此神宮ニ参拝スル慣例美風ハ最モ鼓吹シテ頂キタイ……〕 ○座長〔久保田政周君〕 チョット申上ゲマス、御質問ヲ御許シシマシタノデ、御意見ナラバ後程段々伺ヒマス 〔「ヒヤ〱」ト呼ブ者アリ〕 ○大綱村長 此実行要目ヲ此場合討議致シマスト云フコトハ、中々重大問題デアリマシテ、慎重審議ノ下ニソレヲ決メナケレバナラヌノデ、所謂準備ナクシテ其事ニ臨ムト云フコトハ頗ル危険ナコトデ、之ガ適切ノ成案ハ得ラレマイト考ヘル、就キマシテハ勿論此満場ノ中ヨリ委員ナルモノヲ選ブト云フノモ一ノ方法デアリマスガ、自分ノ意見ト致シマシテハ、市町村ヲ単位ト致シマシテ、是等ノ市町村ガ其実行等ニ付キマシテ、〓ニ其調査資料ガアリマス、此調査資料ノ中ニモ各町村ノ事情等ヲ異ニシテ居ル場合モアリマスガ、悉ク之ヲ実行スルト云フコトニハ参リマスマイデアラウト思フノデアリマス、仍テ各市町村ガ此意見ヲ纒メマシテ、之ヲ各市郡ニ提出シテ、サウシテ之ヲ市郡カラ司会者ノ方ヘ発表サレルヤウニ煩ハシタイノデアリマス ○座長〔久保田政周君〕 最初ニ御意見ヲ承ハリタイノハ、唯今御述ベニナリマシタヤウニ、如何ニシテ此協議会ヲ纒メルカト云フコトデアリマス、内容ニ立入ル前ニ其点ヲ成ルベク御協議ヲ願ヒタイト思ヒマス ○橘樹郡長 一応申上ゲマス、此実行要目普及ト云フコトハ僅カノ時間デ出来マスレバ結構デゴザイマスガ、事柄ガ多岐ニ渉ッテ居リマス、又斯ク県下ノ御集リノ各地方ノ情況ニ当嵌メマスコトハ、所謂農村ニシテモ自カラ農村ト致シマシテ天然ノ地勢、古来ノ慣習、職業ノ異同、諸種ノ点ニ於キマシテ一律ニ之ヲ律スルト云フコトハ少シク無理ノ点ガアリハセヌカト気遣フノデアリマス、夫故ニ此示サレテゴザイマスル調査資料ノ中ノ適切ノ事項ヲ、各町村ノ実行要目ニ取捨シテ、又町村ニ銘々適切ノ事項ヲ尚ホ加味シテ、町村限リデ実行要目ヲ決メルト云フコトニ致シタイト云フ私ハ希望デアリマス、〔ヒヤ〱〕何故町村限リト云フヤウナコトヲ申スカト云フト、縦令善イ事デモ町村限リデナイト実行ノ出来ナイ場合ガ多々アル、勤倹産ヲ治ムルト申シマシテモ、多少ノ歳月ヲ要スルト云フ風ニ、衆人ノ目標トナル場合ガアルノデアリマス、町村ニ致シマシテモ勤倹ノ途中ニ在ル時分ハ、余程堅忍持久ノ人デナケレバ蹉躓スル場合ガアルノデアリマス、多少古来ノ弊風ト見ラレルヤウナコトモアリマセウ、到底町村協力シテヤルニアラザレバ、常ニ強制致シマシテモ画餅ニ属シマス、夫故ニ此事項ハ〓ニ調査資料ニアリマスル中デ、適切ナモノヲ各町村ニ於テ皆研究ノ結果決メマスト共ニ、又町村ニ於テ必要ナル事項ハ之ニ加味スルモノトシテ、市町村ニ於テ実行要目ヲ決メテ、サウシテ私ハ〓ニ各町村ガ自由ニ―自治体ガ自由ニ此実行要目ヲ決メテ、此本日ノ会ハ決シテ之ニ干渉スルコトハアルマイト思フ、殊ニ今日カラ之ヲ統一致シテ、早速諸種ノ点ニ付テ実行要目ヲ各市町村限リデ決メルト云フコトニシテ、其細目ハ自治体ノ自由ニ御任セヲ願フ、細目ノ点ニ至ッテハ此処デ一々弁難議論ヲスルコトハ止シテ、自治体ノ自由ニ任セル、〓ニ細カク書イテアルコト、唯参考ノ為メニ主ナルコトガ示シテアル、必シモ之ヲ無理ニ嵌込マウトスル趣旨デ内務大臣ハ言ハレルモノデナイ〔ヒヤヒヤ〕此文句ニ少シモ斟酌ナシニ、無理ニ其通リナケレバナラヌト云フコトニハ見ラレナイノデアリマスカラ、各町村自治体ノ自由研究ニ任セテ適切ナル要目ヲ決メル、八年十月十五日ヲ起点トシテ各町村デ実行要目ヲ決メテ掛ルト云フ申合セヲ願ヒタイト私ハ思フ 〔拍手起ル〕 ○座長〔久保田政周君〕 別段他ニ御意見ガゴザイマセヌケレバ、唯今御両名ヨリ御述ベニナリマシタ御意見ハ略々同一ト存ジマス、即チ県庁ヨリ示サレマシタ此案ヲ参考トシテ、尚ホ自由ニ之ヲ取捨致シマシテ、各市町村ニ於テ適宜要項ヲ決メルト云フコトノ御意見ノヤウデアリマシタ、之ニ付キマシテ別段御異議ハゴザイマセヌデセウカ、如何デゴザイマセウ 〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕 ○座長〔久保田政周君〕 尚ホ承ハリマスガ、決メルト云フコトハ詰リ申合セデアリマスガ、何時マデニ決メルトカ何トカ云フ多少―サウ云フ制限ハ全クナイモノト了解致シテ宜シウゴザイマスカ ○橘樹郡長 今月一パイ…… ○座長〔久保田政周君〕 時ヲ決メルト云フコトハムヅカシイカモ知レマセヌ、兎ニ角ソレデハ力メテ早ク各町村ニ於テ設定スルト云フコトニ了解シテ宜シウゴザイマスカ……御異議ハゴザイマセヌデスカ 〔「異議ナシ」ト呼ブ者多シ〕 ○座長〔久保田政周君〕 ソレデハ唯今申上ゲマシタヤウニ、御異議ナイヤウデアリマスカラ、其趣旨ニ致シマシテ、此協議会ハ満場一致デ決定致シマシタコトヽ致シマシテ御了承ヲ願ヒマス、是デ御免蒙ムリマス 〔満場拍手〕 午後二時二十分協議会畢 (「民力涵養要綱」飯田助丸氏蔵) 二三七 民力涵養実行要目 訓令第一要綱 立国ノ大義ヲ闡明シ国体ノ精華ヲ発揚シテ健全ナル国家観念ヲ養成スルコト ○敬神崇祖ノ実ヲ挙クルコト 一 初等中等各学校ニ於テ、神社祭祀ニ関スル観念ヲ一層明確ニ養フコトヲ努メ、予テ神社制度ノ一般、祭典ノ意義、神社ノ縁起等ニ関シ研究ヲ遂クルコト 一 教育者ハ生徒ヲシテ敬神崇祖ノ念ヲ喚起セシメ、延テ家庭及一般ニ普及セシメ、祭式ノ大要ヲモ自得セシムルコト 一 地方神社ノ祭式ニハ生徒、在郷軍人会員、青年団員、消防組員、婦人会員其ノ他一般ノ参拝ヲ奨励スルコト 一 学校職員ハ、祭日ニ於テ、神社ノ祭神ト国家トノ関係等ニ就キ、生徒並ニ一般参拝者ニ講話スルコト 一 学校生徒ノ神社参拝日ハ成ルヘク一定スルコト 一 町村ノ元旦祝賀式ハ神前ニテ挙行シ郷民一般ニ参列セシムルコト 一 神前ニ於テ入学、入団、入営等ノ諸式並ニ学校生徒卒業報告、市町村事務報告祭等ヲ挙行スルコト 一 新嘗祭ニハ成ルベク神前ニ於テ農産物品評会等ヲ開キ、神社ト農業トノ関係ヲ深カラシムルコト 一 神社経済ヲ確立シ、設備ノ完整ヲ期スルコト 一 神社ノ基本財産造成ニ努ムルコト 一 神社境内ノ樹木ヲ保護シ或ハ植樹ヲ奨励シ、神苑ノ風致ヲ森厳ナラシムルニ努ムルコト 一 祭式ハ厳粛ニ施行シ、畏敬ノ念ヲ起サシムルコト 一 社前通行ノ際ハ叩頭敬意ヲ表スルコト 一 社殿境内等ノ掃除ハ特ニ担当者ノナキ限リ成ルヘク学校生徒、青年団員ヲシテナサシムルコト 一 義務教育終了者、青年団員及一般人民ヲシテ伊勢大神宮、御陵墓及社寺等ノ参拝団ヲ組織セシムルコト 一 神宮参リ等古来因襲ノ神事ハ社会ノ秩序及風俗ヲ害セサル限リ成ルヘク之レカ保存ヲ図ルコト 一 神社ノ合祀ニ就テハ充分攻究ノ上適切ニ行フコト 一 大麻ノ普及ヲ図ルコト 一 地方先覚者又ハ功労者ノ祭祀ヲ行フコト 一 神職ノ教養ニ努メ、優遇ノ途ヲ講シ、人材ヲ羅致スル様努ムルコト 一 各学校ニ於テハ我家族制度ノ真義ヲ徹底セシメ、家庭ノ歴史記録ニ留意シ、崇祖ノ実ヲ挙クル様努ムルコト 一 講話会ヲ開キ青年団員、婦人会員、処女会員ニ我家族制度ヲ了得セシメ崇祖ノ実ヲ挙ケシムルコト 一 報恩感謝ノ念ヲ養成スルコト 一 父祖ノ忌日ヲ重ンスベキ理由及之ニ関スル心得ヲ知ラシメ、以テ展墓参拝ノ美風ヲ助長スルコト 一 霊祭、孟蘭盆ノ行事ヲ改善シ鄭重ニ行ハシムルコト ○国民的精神ヲ自覚セシメ確乎タル信念ヲ養成スルコト 一 世界ニ於ケル日本ノ地位ヲ自覚シ、国民的信念ヲ体得セシムルニ努ムルコト 一 普ク我国体ノ精華ヲ知ラシメ、国史教育ヲ奨励スルコト 一 修身、歴史、国語等ノ教科ニ於テハ特ニ国体及皇室ニ関スル教材ノ取扱ニ留意スルコト 一 村歌、校歌、青年団歌ヲ作リ国民精神ヲ鼓吹スルコト 一 国史、郷土誌及国民道徳ニ関スル平易ナル読物ヲ調査編纂シテ之ヲ家庭ニ普及セシメ、且ツ小学校図書館、巡回文庫等ニモ備ヘ付ケシムルコト 一 忠君愛国ノ志気ヲ鼓舞スルニ足ル資料ヲ有スル演劇、義太夫、活動写真、幻灯、浪花節、琵琶、講談等ヲモ利用スルコト一 祝祭日、宮中御式其ノ他ノ記念日等ノ由来ヲ理解セシムルコト 一 学校ニ於ケル三大節祝賀式挙行ノ際ハ地方有志者、在郷軍人会員、青年団員、処女会員等ヲモ参列セシメ、尚ホ一般人民ニモ祝意ヲ表セシムル等ノ風ヲ徹底セシムルコト 一 在郷軍人会員ハ忠良ナル臣民ノ実ヲ発揮シ、地方青年ヲ指導誘掖スルコト 一 史蹟史料顕彰保存ノ途ヲ講シ、特ニ国家的歴史ニ関係アル旧跡遺物ニ対シテハ適当ノ標識ヲ建設スルコト 一 国家的歴史ニ関係アル古文書遺物ノ展覧会ヲ開クコト 一 地方ニ於ケル忠良賢哲ノ事蹟ヲ調査シ、以テ教化ニ資スルコト 一 学校及役場ニハ特別ノ記録ヲ備ヘ、皇室ニ関スル重要事項ヲ記載シ置キ、周知ノ資トナスコト 一 国民的記念事業トシテ着手セル事項ハ必ス其ノ遂行ヲ期スル様努力セシムルコト 一 軍服ノ寄贈、家庭労役ノ補助、慰問等ニ依リ入営兵士優遇ノ方法ヲ講スルコト 訓令第二要綱 立憲ノ思想ヲ明鬯ニシ自治ノ観念ヲ陶冶シテ公共心ヲ涵養シ犠牲ノ精神ヲ旺盛ナラシムルコト ○憲政自治ノ要義ヲ了得セシメ其ノ実績ヲ挙ケシムルコト 一 郡市又ハ数ケ町村連合シテ市町村事務講習会ヲ開キ、吏員ノ養成並ニ自治体中心人物養成ノ法ヲ講スルコト 一 自治講習会ニハ市町村吏員ノ外、学校職員、宗教家、篤志家等ヲモ出席セシムルコト 一 自治体ノ会合ヲ利用シ、憲法発布ノ際ニ於ケル勅語、市町村制発布ノ際ニ於ケル上諭、五ケ条ノ御誓文等ヲ奉読シ、御趣旨ノ徹底ヲ期スルコト 一 我カ国体ノ精神ヲ了得セシメ愛村〔市町〕心ヲ養成スルコト一 郡市町村是ヲ制定シ実行ヲ期スルコト 一 郡市町村是ニ基キ年中行事ヲ作製スルコト 一 印刷物ノ配布、掲示板ノ利用、市町村報ノ発行、市町村事務報告会等ニヨリ、当該市町村自治ノ実状ヲ一般ニ知悉セシムル方法ヲ講スルコト 一 市町村ノ予算決算ノ梗概ヲ周知セシムル方法ヲ講スルコト 一 印刷物ノ配布、講演、講話其ノ他ノ方法ニ依リ法令ヲ周知セシムルコト 一 市町村吏員、議員、教育家、宗教家、其ノ他ノ有力者等申合ハセ、年数回自治ニ関スル懇談会ヲ開催シ、尚ホ広ク他ノ優良自治団体ヲ視察シ改善ニ努ムルコト 一 自治協会又ハ戸主会ヲ設立シテ自発的ニ地方ノ開発ヲ図ルコト 一 市町村ニ於ケル教育、勧業、土木、衛生等ニ付キ住民ノ自主的協力ヲ奨ムルコト 一 自治展覧会ヲ開催シ各種ノ資料ヲ蒐集シ、自治ノ模範的施設ヲ奨励スルコト 一 部落的感情ヲ打破シ党派心ノ弊害ヲ排除スルニ努ムルコト 一 選挙権ヲ尊重シ選挙ノ公正自由ナルコトヲ会得セシムルコト 一 市町村基本財産ノ蓄積ヲ図ルコト 一 学校基本財産ノ蓄積ヲ奨励スルコト 一 部落有財産ノ整理統一ヲ図ルコト 一 町村有林野ノ整理及造林ヲ励行スルコト 一 公務、公職ヲ尊重スルノ念ヲ一層深カラシムルコト 一 役場建物ヲ改善シ町村民ノ利便ヲ図ルコト 一 市町村自治ノ功労者及地方篤志者ヲ表彰シ、又ハ優遇尊重スルコト 一 市町村吏員優遇ノタメ報酬、給料、退隠料、給与金、年功加俸等ニ関スル条例ヲ設定スルコト ○公民教育ヲ勧奨スルコト 一 中等学校ニ於ケル紀元節祝賀式ニハ憲法発布ノ際ニ於ケル勅語ヲ奉読スルコト 一 中等学校、小学校ノ上級、補習学校及青年団等ニ於テハ、我憲法ノ大意並ニ五ケ条ノ御誓文ノ御趣旨ヲ体得セシムルコト 一 小学校及補習学校ニ於テハ、公民的教材ノ教授ニ一層ノ努力ヲナシ、又一般ニ公民教育普及ノ為メ講習会、講演会等ヲ開催スルコト 一 平易ナル読物ヲ以テ、我憲法ノ特質並ニ五ケ条ノ御誓文ノ御趣旨ヲ了得セシムルニ努ムルコト 一 適当ナル施設ヲナシ、青年団幹部養成ノ方法ヲ講スルコト 一 補習教育ノ普及ヲ図リ特ニ左記各項ノ施設ヲナスコト 1 男子及女子ノ補習機関ヲ整備スルコト 2 自治訓練ニ関スル科目ノ選択ニ注意スルコト 3 成ルヘク実科担任ノ専任職員ヲ置クコト 4 内容及設備ノ完整ヲ期スルコト 5 教授、管理、訓練ノ改善ヲ期スルコト ○責任ノ観念ヲ明瞭ナラシムルコト 一 国家又ハ自治団体ニ対スル関係ヲ自覚セシメ、公務遂行ノ観念ヲ強烈ニシ、兵役、納税、選挙等ニ於ケル従来ノ弊風ヲ根絶スルコト 一 租税ハ国家又ハ自治団体ノ公費ニ充ツル目的ヲ以テ徴収スル統治権ノ作用タルコトヲ自覚セシムルコト 一 納税貯金及納税組合ヲ奨励シ、又納税袋、納税日限表、納税旗等ヲ作製シテ納税及納期ヲ誤ラサラシムルコト 一 言責ヲ重ンシ実践躬行ノ美風ヲ涵養スルコト 一 在郷軍人分会、青年団等ヲシテ各種ノ公共的共同作業ヲナサシメ、以テ自治団体ニ対スル責任観念ヲ養成スルコト 一 各学校及各種団体ニ於テハ責任観念ニ関スル地方的欠点ヲ研究指摘シ、之ガ改善ニ努ムルコト 一 公徳心、公共心ヲ養成シ公衆ニ対スル責任ヲ重セシメ特ニ左ノ如キ事項ニ注意セシムルコト 1 公会ニ於ケル礼儀作法、汽車ノ乗降、道路ノ通行、公衆衛生等ニ関シ公徳ヲ重セシムルコト 2 各種ノ取引ニ於テ常ニ商業道徳ヲ遵守セシムルコト 3 河川、堤防、道路等ノ公共的設備ヲ愛護スルコト 4 公共的建造物ノ愛護ニ努メ、火災、水難等ノ注意ヲナスコト 5 道路ノ障害ヲ除去シ小破ヲ修繕シ道標ノ建設ヲナスコト 訓令第三要綱 世界ノ大勢ニ順応シテ鋭意日新ノ修養ヲ積マシムルコト ○新思想ニ対シ自主的選択ノ態度ヲ執リ世界人文ノ進歩ニ調節セシムルコト 一 各学校ニ於テハ教科ノ内容ニ一層ノ改善ヲ加ヘ、国民精神ヲ了得セシメ世界文化ノ咀嚼同化ニ努メ、以テ健全ナル国民的自覚ヲ得シムルコト 一 宗教家、学校職員、官公吏等ハ世界的事象ノ変還ヲ研究シ日新ノ修養ヲ重ネ文化ノ指導者ヲ以テ任スルコト 一 郡市等ニ於テハ成ルベク社会教育ノ担当者ヲ聘用スルコト 一 健全ナル読物ヲ蒐集シ郡市役所、役場、学校、青年団ニ簡易図書館、巡回文庫等ヲ設置セシムルコト 一 図書、雑誌ノ紹介指導ヲナシ広ク日新ノ智識ヲ普及セシムルコト 一 適当ナル場所ヲ選定シ、公衆ヲシテ新聞閲覧ヲ為サシムル施設ヲナスコト 一 我国民ノ海外ニ於ケル発展ノ状況ヲ調査シ学校教育ノ資料トナシ、海外雄飛ノ気運ヲ促進セシムルコト 一 世界地図及列国ノ国勢ニ関スル一覧表等ヲ多衆ノ集合スル場所ニ掲示スルコト 一 努メテ外国人ト接触シ、又外国ノ新聞雑誌等ヲ購読セシメ、以テ外国語ノ練達ニ資セシムルコト ○科学ノ研究心ヲ促進シ創造ノ才ヲ助長スルコト 一 各学校ニ於ケル理科ニ関スル設備ヲ完整スルコト 一 理科教授ニ於テハ、応用的事項ニ重キヲ置キ、生徒ノ実験ヲ励行セシムルコト 一 家事衛生等ニ関シ講習会ヲ開キ、科学的ニ研究セシムルコト 一 各学校ニ於テ日常生活ニ必要ナル理科ニツキ調査研究ヲナスコト 一 理科ニ関スル器械、標本、製作品等ノ展覧会ヲ開催スルコト 一 適当ナル講師ヲ聘シ通俗理科講習会ヲ開催スルコト 一 簡易図書館、巡回文庫、通俗展覧会等ニ於テ理科ニ関スル図書及発明家ノ伝記ヲ蒐集スルニ努ムルコト 一 各種工業ノ基礎タル理化学思想ノ養成ニ関シ、職工徒弟ノ補習教育ヲ普及セシムルコト 一 一般ニ各自ノ周囲環境ヲ理解セシメ、実験観察ヲ奨励シ、科学ニ関シ常識ヲ高メ、以テ独創的機能ノ躍動ヲ促成スルコト 一 実業学校ト当業者トノ関係ヲ一層密接ナラシメ、斯業ニ関スル新智識ヲ了得応用スルニ努メシムルコト 一 科学工芸ニ関スル智能ヲ啓発シ、発明創作ヲ奨励スル為メ美術工芸品、発明品、貿易品等ノ陳列館、博物館等ヲ設置スルコト 一 化学製品ノ試験、工業原料ノ鑑定分析等ニ関スル施設ヲ利用スルノ風ヲ助長セシムルコト 一 青年及ヒ一般人ヲシテ屢々試験場、陳列館等ヲ視察セシメ、又其ノ研究成績ヲ利用セシムルコト 一 会社工場ト交渉シテ郡市町村主催ノ見学団ヲ組織スルコト 一 意匠図案等ノ新考案ニ対シ相当保護奨励ノ方法ヲ講シ、又発明者ヲ表彰スルコト 訓令第四要綱 相互諧和シテ彼此共済ノ実ヲ挙ケ軽進妄作ノ憾ナカラシムルコト ○社会的事業ノ発達ニ努ムルコト 一 小住宅共同長屋ノ改善施設、合宿所、簡易食堂、職業紹介所、公設市場、公設浴場、公設質屋、失業者保護ノ施設、無料宿泊所、無料診療所、乳児哺育所、幼児委託所、貧困学童ノ保護会、細民地区改良、住宅案内所、感化院、養育院、養老院等ノ施設ヲナスコト 一 軍事救護法、済生会、愛国婦人会、水難救済会等ノ如キ慈善救済制度ヲ一般ニ周知セシムルコト 一 資本家ヲシテ感化、救済等ノ社会的事業ニ努メシムルコト 一 育英ノ方途ヲ講シ人材ノ養成ニ努ムルコト 一 救済資金ノ積立及生計調査委員ノ設置ヲナスコト 一 建築組合ノ設立ヲ促シ、住宅設営ノ途ヲ開カシムルコト 一 工業組合ヲ設ケ会員ヲシテ共済組合、日用品ノ廉売、消費組合、職工住宅ノ設置、模範職工ノ表彰、職工ノ慰安、紛議ノ調停ノ設置等ヲナサシムルコト 一 社会的事業ニ貢献セシ者ヲ表彰スルコト ○隣保相助ノ方法ヲ講スルコト 一 修養会、講話会等ノ方法ニ依リ隣保相助ノ美風ヲ助長セシムルコト 一 教育家、宗教家、警察官等ハ殊ニ地方有志ト連繋シ、部落改善ノ実ヲ挙クルニ努ムルコト 一 五人組ノ如キ旧慣ニヨル相助的組合ヲ尊重シ、共助ノ美風ヲ維持促進スルコト 一 在郷軍人分会、青年団等ヲシテ入営者、貧困者等ノ生業ヲ助勢セシムルコト 一 天災地変其ノ他冠婚葬祭等ノ場合ニ於ケル隣保相助ノ旧慣ヲ維持セシムルコト 一 疾病、鰥寡孤独其ノ他貧困ノ為メ生計至難ナル者ノ救済ニ努メシムルコト 一 条例、規約等ノ周知ヲ要スルモノハ隣保互ニ知照セシムルコト ○資本主ト労働者、地主ト小作人トノ関係ニ留意シ相互ノ自覚ヲ促シ共済諧和ノ実ヲ挙ケシムルコト 一 資本主ト労働者、地主ト小作人トヲシテ各自ノ社会的及経済的地位ヲ自覚シ相互ノ本務ヲ明ニシテ相諧和シ共済ノ美風ヲ発揮セシムルコト 一 工場主、雇主ハ其ノ職工徒弟ニ対シ教養上、衛生上、生活上、各種ノ幸福増進ノ施設ヲナスコト 一 細民ノ職業教育ノ普及ヲ図ルコト 一 凶作又ハ不慮ノ災難ニ遭遇シタル場合ノ救護法ヲ攻究シテ之ガ実行ヲ期スルコト 一 各種農業団体及商工業団体ヲシテ社会的事業ヲ実施セシムル様勧奨スルコト 一 地主ヲシテ小作人ニ対シ産業資金ノ融通、家畜ノ貸与等ヲナサシムルコト 一 地主会ノ設置ヲ促カシ小作人保護及奨励ノ途ヲ講セシムルコト 一 無利息貸金又ハ低利年賦貸金ノ機関ヲ設置スルコト 一 市町村ハ部落民ノ土地ヲ有セサル者ニ公有土地ヲ低料ニ貸付クル途ヲ講スルコト 一 土地ヲ所有セサル農業者ニ対シ小作人保護基金ヲ蓄積シ又ハ産業組合其ノ他ノ団体ニ於テ資金融通等ノ方法ニ依リ土地所有ノ機会ヲ得シムルコト 一 市町村、産業組合等ハ常ニ其ノ町村内耕地所有権移動ノ状況ヲ調査シ、時々市町村民ニ之ヲ知ラシムルコト 一 工場懇話会ヲ開催スルコト 一 模範職工、模範小作人ノ表彰ヲナスコト 一 共同娯楽場ノ設置、慰安会、慰安日其ノ他ノ施設ニヨリテ労働者慰安ノ途ヲ講スルコト 一 保険ヲ奨励シ左ノ事項ニ努力スルコト 1 講演、講話、印刷物ノ配布等ニ依リ保険思想ノ普及ヲ図ルコト 2 簡易保険ノ加入ヲ奨励スルコト 3 職工ニ対シテハ工場主ニ於テ成ルベク全部加入ノ方法ヲ講スルコト 一 各種団体ヲシテ基本財産ヲ積立テ之カ増殖ニ努メシムルコト 一 中流階級者ノ互助会、消費組合等ノ施設ヲ勧奨スルコト 一 諸官公署、会社等ノ同僚間ニ於テ各自醵出金ヲ基本トセル共済互助会ヲ設クルコト 訓令第五要綱 勤倹力行ノ美風ヲ作興シ生産ノ資金ヲ増殖シテ生活ノ安定ヲ期セシムルコト ○勤倹ノ美風ヲ昌ニシ産業ノ振興ヲ図リ富力ノ増進ヲ期スルコト 一 一般ニ戊申詔書ノ御趣旨ヲ徹底セシムル様一層ノ工夫努力ヲナスコト 一 各種実業学校及実業補習学校ニ於テ地方ニ適切ナル産業ノ研究ヲナサシムルコト 一 講演会、講話会、印刷物ノ配布其ノ他ノ方法ニヨリ、普ク勤倹力行ヲ激励スルコト 一 産業組合ノ改善普及ヲ図ランガ為メ左ノ方法ヲ講スルコト 1 特別ノ事情ナキ限リ各町村ニ亘リ産業組合ノ設置ヲ促スコト 2 産業組合ノ設置範囲ハ一町村一組合ヲ理想トスルコト 3 規約貯金等ノ方法ニヨリ産業組合資金ノ増殖ヲ図ラシムル コト 4 地主ト小作人トヨリ成ル産業組合ヲ設ケシムルコト 5 商工業ニ於テハ同業組合ニ産業組合ヲ併置シ、資金ノ充実販路ノ拡張ニ努ムルコト 一 小資本金融機関ノ改善発達ヲ図ルコト 一 一般ニ同業組合ノ普及発達ヲ図ルコト 一 商工業ニ於テハ同業組合ヲシテ試験研究所ノ設立及特殊技術養成ノ方法ヲ講セシムルコト 一 同種ノ小工業ハ成ルベク合同ヲ図リ其ノ基礎ヲ鞏固ニスルコト 一 県奨励ノ準則ニ依ル農事実行組合ヲ設置セシムルコト 一 農業倉庫ノ普及ヲ図ルコト 一 農産物及副業品ノ売買交換ヲ円滑ナラシメンカ為メ左ノ如キ施設ヲ奨励スルコト 1 販路調査並ニ仲介ヲ為スコト 2 主要産物ノ時価ヲ周知セシムル方法ヲ講スルコト 3 各種市場ノ設置及改善ヲ図ルコト 一 耕地整理、開墾、干拓等ニ依リ地積ノ拡大ヲ図リ尚ホ宅地空地ノ利用ヲモ図ラシムルコト 一 目前ノ利益ノミニ着眼シテ農業ヨリ職工ニ転業スル弊風ヲ矯ムルコト 一 当局奨励ノ主旨ヲ体シ、米、麦其ノ他主要農作物ノ収量ノ増加品質ノ改善ヲ図ラシムルコト 一 蚕業奨励ノ主旨ニ基キ桑園ノ改良ヲ図ルコト 一 一般ニ各町村ヲシテ産業技術員ヲ置カシムルコト 一 農家ニ於テハ金肥ノ節約、自給肥料ノ増加ヲ計リ害虫駆除ノ実行ヲ期スルコト 一 林業思想ノ普及ヲ図リ森林ノ経営及林産物ノ改良増加ニ努力セシムルコト 一 共有林野ノ整理統一ヲ図ルコト 一 森林保護組合ノ設置ヲ奨励スルコト 一 漁撈ノ方法、漁獲物ノ処理並ニ水産製造品ノ改善ヲ図ルコト一 漁業組合ノ改善普及ヲ図リ共同販売、共同購入、共同貯金等ヲ奨励スルコト 一 商業ニ於テハ特ニ支那、南洋、満蒙方面等ノ販路ノ拡張ヲ計リ之カ試売ヲ兼ネ視察ヲ行フコト 一 工業品粗製濫造ノ弊ヲ矯メ、販路ノ拡張ヲ図ルコト 一 副業ニ関スル講習会、講話会等ヲ開催シ、之カ普及奨励ヲナスコト 一 資本家又ハ地主ニ限ラス小農、小作農、小商工業者等総テノ実業精励者ヲ適当ニ表彰スルコト 一 報徳会ノ活動ヲ促スコト 一 講演会、講話会、活動写真等ニヨリテ勤倹貯蓄ノ激励ヲナスコト 一 各学校ニ在リテハ家庭ト連絡シ勤倹力行ノ訓練ニ努ムルコト一 青年団、学校職員生徒、官公吏、銀行会社、在郷軍人分会、婦人会、処女会、各種組合等ニ於テハ勤倹貯蓄ニ関シ共同的ニ申合ハセ左ノ実行ヲ期スルコト 1 学校貯金〔職員貯金、学童貯金又ハ生徒貯金〕 2 官公吏貯金 3 銀行会社員貯金 4 同業組合員貯金 5 在郷軍人分会員貯金 6 青年団員貯金 7 婦人会員貯金 8 職工店員及一般労働者貯金 9 公益貯金 一 左ノ如キ方法ニ依リ貯蓄ヲ奨励スルコト 1 勤倹貯蓄ニ関スル各種規約標準並ニ奨励事項ヲ印刷配布スルコト 2 郡、市町村ニ於テハ組織的ニ共同貯蓄奨励案ヲ設定シ之カ遂行ニ努ムルコト 3 適当ノ区域ヲ画シ勤倹貯蓄組合又ハ規約組合ヲ設置セシムルコト 4 信用組合ノ設立振興ニ努メ貯蓄機関ニ利用スルコト 5 規約貯金ノ一方法トシテ収穫貯金、初穂貯金ヲ奨励スルコト 6 漁民貯金細民ノ日掛貯金ヲ奨励スルコト 7 銀行、会社、工場、雇主等ニ於テハ適切ナル貯蓄奨励法ヲ設定スルコト 8 店員、傭人等ヲ常用スル店主、傭主ハ給料、賞与金等ノ幾分ヲ貯蓄セシムル様督励スルコト 9 職工ニ対シテハ工場主ニ於テ全部ニ貯蓄ヲナス様勧奨スルコト 10 生産品ノ共同販売ヲ奨励シ其ノ一部ヲ貯蓄セシムルコト 11 勤倹貯蓄日ヲ設ケ当日一齊ニ郷民ヲシテ之レカ実行ヲナサシムルコト 12 冠婚葬祭ノ経費ノ幾分ヲ貯蓄セシムルコト 13 貯蓄セル金品ヲ妄リニ引出スノ弊ヲ防クコト 14 毎年一回以上貯蓄ノ成績ヲ発表シテ一般ノ参考ニ資スルコト 15 貯蓄金利用効果ノ事例ヲ示スコト 16 多衆集合セル工場等ニハ郵便、銀行等ノ出張ヲ求メ貯蓄ヲ便利ニスルコト 17 信用組合ニ預ケシムル様勧奨スルコト 18 無尽講ノ改善ヲ図ルコト ○総テノ活動ニ於テ能率ノ増進ヲ図ルコト 一 業務ニ関スル智識技能ノ修養練磨ヲ努メシムルコト 一 学校ニ於ケル体育ノ効果ヲ発揮シ、心身ノ鍛練ヲ期スルコト 一 規律生活ノ習慣ヲ養成スルコト 一 地方ニ於ケル旧来慣行ノ休日ヲ整理スルコト 一 時間ノ観念ヲ確実ニシ其ノ励行ヲ厳守セシムルコト 一 寺院ノ鐘ヲ利用シ又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ、確実ナル時刻ヲ報知スル方法ヲ講スルコト 一 教育家、宗教家、官公吏、青年団員等ハ常ニ率先シテ時間尊重ノ範ヲ示スコト 一 一般ニ繁文縟礼ノ弊ヲ一掃スルコト 一 左記方法ヲ以テ衛生思想ノ普及ヲ図リ体位ノ向上ヲ期スルコト 1 衛生組合ヲ設置シ其ノ活動ヲ促スコト 2 防疫及保健衛生ノ向上ヲ図ル為メ展覧会、講演会等ヲ開クコト 3 小学校ノ運動器械ノ設備ヲ改善シ、運動場ヲ開放シ、運動ヲ奨励スルコト 4 演武場、角力場等ヲ設置シ殊ニ青年ニ運動ヲ勧奨スルコト 5 適当ナル位置ニ水泳場ヲ設ケ、公園地、遊覧地ニハ運動場ヲ設置シ、運動器械、体量器等ノ設備ヲナスコト 6 一般ニ心身ノ鍛練ニ適切ナル共同遊戯ヲ奨励シ、又冬期運動ノ方法ヲ研究シテ之カ実行ヲ促シ、快活ノ気象ヲ育成スルコト 7 補習学校、青年団等ニ於テハ殊ニ壮丁検査ノ結果ヲ利用シ、青年風紀衛生ノ改善ニ努ムルコト 一 一般ニ早起ヲ奨励シ、勤労ヲ尚ブノ気風ヲ振作シ作業ヲ敏活ナラシムルコト 一 経済的能率増進ヲ計ランカ為メ工場器械ノ改善ニ努メシムルコト 一 成績優良ナル工場及能率優秀ナル職工ヲ表彰スルコト ○風紀ノ改善ヲ図リ質実雄健ノ気風ヲ養フコト 一 各種ノ団躰ニ於テ適切ナル矯風規約ヲ設ケ、風俗習慣ヲ詮議シ、其ノ弊ヲ矯メ美ヲ奨ムルコト 一 冠婚葬祭、送迎、贈答等ニ関シテハ共同ノ申合規約ヲ設ケ之カ改善ヲ期スルコト 一 社交上ノ宴会ハ簡約ヲ旨トシ、杯ノ献酬ハ之ヲ廃スルコト 一 葬儀仏事ニハ酒ヲ廃シ、尚ホ一般ニ節酒ヲ励行スルコト 一 公園、倶楽部等ノ経営ニ注意シ公衆娯楽ニ関スル施設ヲナスコト 一 諸種ノ演芸ヲ利用シテ風紀ノ改善ニ資スルコト 一 相撲、撃剣、柔道、登山、水泳、遠足等ヲ奨励シ尚武ノ気風ヲ養成スルコト ○各人ノ生活ヲシテ合理的ナラシムルニ努ムルコト 一 各自ヲシテ自己ノ分限ヲ自覚シ生活ノ基調ヲ定メシムルコト 一 社会生活ニ於ケル道徳ノ基準ヲ定メ、之ヲ厳守スルコト 一 主婦ヲシテ家事経済、食糧経済ノ改善ニ努メシムルコト 一 女子教育、社会教育ニ於テ私家経済ノ智識ヲ普及スルコト 一 安価食料調理法、簡易染色、洗濯等ノ方法ヲ普及シ簡易生活ヲ奨励スルコト 一 我国ノ食糧問題ノ実相ヲ了解シ、節米ヲ励行スルコト 一 冠婚葬祭其ノ他社交上ノ費用ハ儀式礼節ノ本意ヲ失ハサル限リ冗費節約ノ途ヲ講スルコト 一 凡テ無用ナルコト及愚ニモツカザル事ヲ廃スルコト 一 廃物利用ノ方法ヲ研究奨励スルコト 一 隠居生活ノ弊風ヲ避ケ無為徒食ヲナサシメサルコト 一 家族制度ノ美風ヲ発揚シ一家団欒ノ生活ヲ為サシムルコト (「民力涵養要綱」飯田助丸氏蔵) 二三八 橘樹郡大綱村民力涵養実行要目 大網村民力涵養実行要目 訓令第一要綱 立国ノ大義ヲ闡明シ国体ノ精華ヲ発揚シテ健全ナル国家観念ヲ養成スルコト 実行要目 一 毎朝祖先ノ霊位ヲ参拝スルコト 一 村社ノ祭式及村主催ノ追悼会ニハ小学校児童、在郷軍人会員、青年団員参拝スルコト 一 社寺ノ構外ヲ通行ノ際ハ叩頭シテ敬意ヲ表スルコト 一 三大節及ビ其ノ他ノ祝祭日ニハ各戸国旗ヲ掲揚スルコト 訓令第二要綱 立憲ノ思想ヲ明鬯ニシテ自治ノ観念ヲ陶冶シテ公共心ヲ涵養シ犠牲ノ精神ヲ旺盛ナラシムルコト 実行要目 一 部落的感情ヲ去リ公共ノ福利ヲ図ルコト 一 納税義務ヲ怠リ又ハ納期ヲ誤ラザルコト 一 言責ヲ重ンジ実践躬行ノ美風ヲ涵養スルコト 訓令第三要綱 世界ノ大勢ニ順応シテ鋭意日新ノ修養ヲ積マシムルコト 実行要目 一 優良ナル書籍雑誌ヲ購読シテ日新ノ智識ヲ修ムルコト 一 補習教育ヲ奨励スルコト 訓令第四要綱 相互諧和シテ彼此共済ノ実ヲ挙ケ軽進妄作ノ憾ナカラシムルコト 実行要目 一 隣保相助ケ組内ノ改善発達ヲ図ルコト 訓令第五要綱 勤倹力行ノ美風ヲ作興シ生産ノ資金ヲ増殖シテ生活ノ安定ヲ期セシムルコト 実行要目 一 農産増収ヲ図ルコト 一 時間ヲ励行スルコト 一 冠婚葬祭ニ際シ冗費ヲ節シ地方改良費ニ寄付スルコト 一 奢侈ヲ戒メ質実ヲ旨トスルコト 一 混食米ヲ奨励スルコト 一 貯金ノ励行ヲ期スルコト 一 道路ヲ愛護スルコト 民力涵養実行要目追加 訓令第一要綱 実行要目中左記追加ス 一 高貴ノ御肖像ニ対シテハ之レカ取扱ヲ鄭重ニスルコト 近来新聞雑誌其ノ他ノ出版物ニ御啓又ハ大祭祝日等ニ際シテ御肖像ヲ掲載セラルヽコト尠カラス之等新聞紙等ヲ以テ包装用ニ供シ又ハ之レカ出版物ヲ露店等ニ於テ頒布発売シ其ノ他不敬ニ渉ルベキ場所等ニ陳列スル等ノ事ナキヤウ注意スルコト 大正九年三月 大綱村長 飯田助夫 (「地方改良民力涵養関係書類」(大正九年)飯田助丸氏蔵) 二三九 神奈川県地方改良民力涵養講習会 協議題 民力涵養実行要目励行方案 説明 実行要目ハ其事項各方面ニ亘リ加フルニ各地方其状況ヲ異ニスルガ故ニ一様ナル方案ニヨリテ之レカ励行ヲ期スルコト能ハザルベキモ大体ニ共通スベキ方案ヲ得ントスルニアリ 案 実行要目ハ其事項諸方面ニ亘リ加フルニ各地方其状況ヲ異ニスルガ故ニ一様ナル方案ニヨリテ之レガ励行ヲ期スルコト能ハズト雖モ各郡市役所町村役場ニ主任者ヲ置キ学事、勧業等ニ直接関係アル要目ニ対シテハ郡市町村ニ於ケル是等事務担当者ト協力シテ適当ニ指導督励スルヲ良策ナリトスベキモ大様左ノ方案ニ依リテ励行ヲ期スルヲ可ナリト認ム 一 各地方ニ適当ナル実行機関ヲ設クルコト 二 実行機関トシテハ戸主会、実行組合会等ヲ特設シ或ハ各地方既設ノ戸主会、地方改良会、在郷軍人分会、青年団、婦人会等ノ諸団体ヲ利用スルコト 三 前項各種団体ノ代表者ヲ以テ組合長トナシ郡市町村ニ於テ組合長会ヲ開クコト 四 実行機関ニ於テハ実行規約申合規約等ヲ定ムルコト 五 小学校補習学校生徒、処女会員等ニ対シテモ講話其他ノ方法ニヨリテ趣旨ノ徹底ヲ計リ励行ヲ期セシムルコト 六 成ルベク各地方ニ於テ実行指導員ヲ置クコト 七 実行機関ニアリテハ台帳ヲ備付ケ其実施事項、実施成績其他必要ナル事項ヲ記入整理スルコト (「地方改良民力涵養関係書類」(大正九年)飯田助丸氏蔵) 二四〇 神奈川県下郡市町村等主催民力涵養講演会成績 (一)一九一九年四月から二四年三月までの五か年間の数字をまとめて再構成した。 (二)表中()内の数字は活動写真会の開催数とその参加人員を示している。 (三)原典資料の数字において若干の誤謬があるがこれは推計によって修正した。 (神奈川県社会課「民力涵養運動ノ概況」神奈川県庁蔵) 第四節 第一次大戦と地方行政 二四一 郡市長会における県知事井上孝哉の訓示 〔大正九年十月十八十九日於郡市長会〕 本日〓ニ諸君ノ会同ヲ煩シタルハ地方官会議ニ於テ中央政府ノ主旨ノ存スル所ヲ伝ヘラレタルニ依リ夫等事項ノ中直接諸君ノ管掌ニ属スルモノ又ハ直接其ノ管掌ニ属セスト雖諸君ノ協力ニ俟タサレハ其ノ主旨ヲ貫徹スルコト能ハサルモノ等ニ付之ヲ諸君ニ伝達スルト共ニ県下ノ現況ニ照シ特ニ余ノ意ノアルトコロヲ陳ヘテ諸君ノ協力ヲ求メムカ為ナリ 目下内外ノ情勢ハ諸君ノ知ラルル如ク実ニ容易ナラサルモノアリ列国ノ間ニハ国際上ノ軋轢、経済上ノ競争激甚ナルモノアリ我カ国ハ五大国ノ一トシテ此ノ間ニ立チ往時ハ問題ノ多クハ東洋ニ局限セラレタルニ今ヤ問題ハ世界ノ各方面ニ亘リテ直接之ニ干与スルカ少クトモ間接之カ影響ヲ受ケサルモノ殆ト之ナク随ツテ我カ国ノ責任益々重ク国費ヲ要スルコト亦益々多シ是レ国民ノ等シク了解シ一大決心ヲ以テ之カ対策ニ力ヲ用ヰサルヘカラサル所ナリ此ノ度中央政府ヨリ示サレタル主旨モ其ノ項目多種アリト雖要スルニ官民一致シテ此ノ重大ナル機局ニ処シ国家百年ノ計ヲ愆ラサラムコトヲ期セムトスルニ外ナラス今左ニ諸君ノ協力ニ俟ツヘキ事項ノ梗概ヲ舒ヘムニ一 敬神 神祇崇敬ノ淳俗ヲ振作シ国民道徳ノ基本ヲ涵養スルハ思想ノ善導上頗ル重大ノ関係ヲ有ス政府カ神社ノ崇厳ヲ維持シ祭祀ノ典ヲ鄭重ニセムカ為神宮並官幣社供進金、国幣社例祭幣帛料及府県社以下神社ノ神饌幣帛料ヲ増額シ其ノ経費ヲ裕ニシ神職ノ向上ヲ期セムカ為官国幣社宮司ヲ勅任官ノ待遇ニ府県社以下神社ノ神職ヲ奏任官ノ待遇ニ進ムルノ途ヲ開キ且其ノ給与ヲ厚ウスル所アリ又神宮鎮座ノ洪基ヲ樹テ給ヒタル倭姫命ヲ神宮ノ別宮トシテ奉祀スルノ計画ヲ樹テ近ク之カ工事ヲ実施セムトスルカ如キ何レモ国家カ神祗ヲ崇敬スルノ意志ヲ表現シタルモノト謂ハサルヘカラス本県ニ於テハ夙ニ由緒アル神社ニシテ維持困難ナルモノニ対シ神社経費ヲ補助シテ神社ノ崇厳ヲ維持シ崇敬心ノ向上ヲ計リ或ハ神職会経費ヲ補助シテ神職ノ講習ヲ奨励シ或ハ県社以下社司社掌俸給及旅費規程ヲ設ケテ神職ノ待遇改善ニ努メツツアル等諸君ノ諒知セラルルトコロナリ 神職カ神明ニ奉仕スルト共ニ進ンデ神威神徳ヲ宣揚シ国体ノ精華、立国ノ本義ヲ闡明シ以テ国民道徳ノ維持国民思想ノ善導ニ勉ムルハ亦応ニ其ノ力ヲ致スヘキ重要ノ責務タルヘシ近時此ノ方面ニ向ツテ活動ヲ為ス者漸ク多キヲ加ヘムトスルハ寔ニ欣フヘキ傾向ナルヲ以テ益々此ノ機運ヲ促進スルニ努メラレムコトヲ望ム 一 立憲思想ノ涵養ト自治ノ精神 各種議員ノ選挙ニ際シテ多額ノ運動費ヲ要シ棄権者犯罪者尚其ノ数尠カラサルヲ見ルハ憲政ノ為深ク之ヲ遺憾トス近ク本年五月ヲ以テ行ハレタル衆議院議員ノ総選挙ニ観ルモ尚此ノ感ヲ免レサルカ如キ蓋シ立憲思想ノ未タ洽ク国民ノ間ニ徹底セサルニ由ラスムハアラス念フニ憲政有終ノ美ヲ済スニ於テ法制ノ整備ト其ノ運用宜シキヲ得ルトハ固ヨリ必要ノコトタリト雖而モ之カ基ヲ為スモノハ実ニ立憲思想ノ普及発達ニ在リ選挙界ノ弊竇ヲ匡救スル先ツ以テ此ノ根本ニ向ツテ力ヲ致スヲ要ス政府ハ時運ノ趨勢ニ鑑ミ自治制ニ対シ近ク選挙権ノ拡張其ノ他必要ナル改正ヲ為サムトシ目下著々之カ調査ヲ進メラルル趣ナルモ真ニ自治ノ完璧ヲ期スルニハ亦実ニ自治精神ノ発達ニ待タサルヘカラス之カ対策ニ至リテハ固ヨリ多種多様ナルヘシト雖左記事項ノ如キ蓋シ一方法タルヘキヲ信ス各位能ク地方ノ実情ニ応シテ適切ノ手段ヲ竭シ以テ立憲思想自治精神ノ普及発達ニ努メラレムコトヲ望ム (一) 公民教育ヲ盛ニシ憲政並自治ニ対スル趣味ヲ涵養シ責任観念ノ養成ニ努ムルコト (二) 自治講習会等ノ施設ニ依リ地方中心人物ノ養成ヲ図ルコト (三) 自治展覧会ヲ開設スルコト (四) 青年団体ノ自主自立ヲ促シ役員ノ選挙及事務事業ノ遂行ヲ自治的ナラシムルコト (五) 戸主会、自治会等ノ会合其ノ他人民集会ノ機会アル毎ニ選挙或ハ自治政ニ関スル事項ヲ説明シ立憲思想ニ関スル自覚ヲ得シムルコト (六) 自治ノ進歩発達ニ関係アル公私団躰ノ活動ヲ盛ナラシムルコト (七) 都市ニ在リテハ都市行政研究会ヲ組織シ之ヲ活動セシムルコト 一 社会政策ノ実行 近時社会ノ状態ハ其ノ対策益々急施ヲ要スルモノアリ各行政庁ニ於テ夫々社会的施設ノ整備ニ努メツツアリ本県ニ於テハ夙ニ此ノ点ニ留意シ昨年八月新ニ社会課ヲ置キ社会的施設ニ関スル行政ノ衝ニ当ラシメ爾来各般ノ社会問題ニ亘リ既設事業ノ徹底ニ努力スルハ勿論失業保護、救貧施設、生活改善、民力涵養、部落改善、児童保護其ノ他農村漁村工場等ニ於ケル社会問題解決ニ関スル計画ヲ進メツツアリ各位ハ宜シク日新ノ時勢ニ鑑ミ各地ノ事情ニ適応スルトコロノ社会政策ノ実行ニ努力セラレムコトヲ望ム 一 道路ノ完成 文化ノ進展ニ伴フ交通機関ノ整備ハ治水ノ施設ト相俟ツテ本県施設ノ一大項目タリ故ニ這般道路法ノ施行ニ臨ミ県ハ道路網ノ積極的編成ト之カ路政ノ革新興張ニ努メ更ニ進ンテ道路ノ実質ヲ改善シ其ノ効用ヲ増進スルノ急務ナルヲ認メ先以テ第一号国道及第三十一号国道ノ改良計画ヲ決定シ猶進ンテ他ノ路線ノ改良計画ヲ樹立セムトス然リト雖之カ実行ニ臨ミテハ直接間接ニ地方ノ助力援成ニ俟ツ所大ナルノミナラス之ヲ連絡スヘキ郡道以下ノ支線道路ノ実質ヲ改善シ相倚リ相待ツテ其ノ効用ヲ増進スルノ甚緊切ナルヲ以テ各位ニ於テモ財政ノ許ス限リ相当改良計画ヲ樹立スルコトニ努メ猶之カ維持修繕ニ就テハ深甚ノ注意ヲ払ハレムコトヲ望ム 一 国民体位ノ改善 我カ国民ノ体位及一般衛生状態ヲ観ルニ学校生徒ノ身長及体重ハ幾分向上ノ傾向ナキニ非サレトモ徴兵検査ノ成績等ニ徴スルニ尚決シテ楽観ヲ許ササルノミナラス一般死亡率ノ如キ特ニ減退ノ傾向ナク幼児及青年ノ死亡率ニ至リテハ却テ著シク増加ヲ示セリ伝染病ノ予防ニ就テハ近時漸ク其ノ成績見ルヘキモノアリト雖尚改善ヲ要スヘキ点尠カラス結核、花柳病其ノ他ノ慢性伝染病及寄生虫病等ノ如キ亦国民ノ健康ヲ毒シ延イテ其ノ活動ヲ阻害スルコト蓋シ甚大ナルモノアリ如上ノ実勢ニ鑑ミ政府ハ曩ニ結核予防法、精神病院法及「トラホーム」予防法等ヲ制定シ医師法ヲ改正セラレ今回亦新ニ栄養研究所ヲ設ケテ国民栄養ノ改善ヲ期シ又内務省自ラ児童衛生展覧会ヲ開催シ児童衛生ニ関スル思想ノ普及ヲ図ラムトスル等国民体位ノ改善ニ努力シツツアリ念フニ国力ノ充実ハ国民ノ旺盛ナル気魄ニ待タサルヘカラス即チ国民体位ノ改善ハ刻下最モ力ヲ用ウヘキ要綱タラスムハアラス各位ハ特ニ此ノ点ニ関シ留意セラレムコトヲ望ム 一 教員ノ修養ト待遇ノ向上 教員ノ待遇ニ関シテハ数年来特ニ各位ヲ煩ハシ時局ノ変移ニ伴ヒ漸次改善ノ実ヲ挙ケ以テ他府県ニ比シ敢テ遜色ヲ見サルノ域ニ達シ尚先般ノ俸給令改正ニ依リ其ノ地位ヲ確保セラルルニ至リシハ洵ニ喜ニ堪エサルトコロナリ 教員ノ人格ト実力トハ教育作用ノ根本ニシテ其ノ如何ハ次代ノ国民ニ至大ノ影響ヲ及ホシ延イテ民族将来ノ隆替ニモ関スルトコロ大ナリ近時県下教育界ノ面目漸ク改マリ大ニ活気ヲ呈スルニ至レリト雖尚冀ハ一層教員ヲシテ其ノ修養研究ニ意ヲ用ヰシメ各其ノ長所ヲ発揚シテ以テ鞏固ナル信念ノ下ニ此ノ精神的事業ノ遂行ヲ期セシムル様一層留意アラムコトヲ望ム 一 産業部ノ設置 本年九月勅令第三百八十九号ヲ以テ地方官官制ニ改正ヲ加ヘラレ東京府外二府四県ニ新ニ産業部ヲ置キ従来内務部ニ属シタル農工商、森林水産及度量衡ニ関スル事項ハ之ヲ同部ノ所管トセラレ本県亦其ノ中ニ入レリ惟フニ産業ノ事タル国運進展上重要ナルハ勿論ナリト雖本県ノ産業ハ国策上特ニ一般ノ振興開発ヲ要スルモノアリ県ハ官制改正ノ趣旨ニ則リ爾今一層之カ改善発達ヲ期セムトス各位ニ於テモ能ク此ノ意ヲ体シ所管各般ノ産業ニ対シ力ヲ致サレムコトヲ望ム一 国勢調査 多年ノ懸案タリシ国勢調査モ各位ノ多大ナル努力ト町村長並国勢調査員諸君ノ奮励トニ依リ会々調査時期ニ際シ暴風雨ノ被害アリシニ拘ハラス国勢調査申告書ノ蒐集ヲ完了シ得タルハ邦家ノ為誠ニ欣喜ニ堪エサルナリ然レトモ其ノ蒐集シタル申告書ニシテ誤謬又ハ不備不明等ノモノアラムカ其ノ結果ハ延イテ調査全般ノ成績ヲ傷ツケ多大ノ努力モ水泡ニ化スルノ虞アルヘキヲ以テ申告書ノ検査整理ニ関シテハ諸事遺漏ナキ様特ニ注意ヲ加ヘ此ノ調査ヲシテ有終ノ美ヲ収メシメラレムコトヲ望ム 一 事務処理 事務処理ニ就テハ官庁ノ便宜ヲ偏重シテ民衆ノ便宜ヲ軽視スルノ弊アルヲ遺憾トシ曩ニ各位ノ注意ヲ求メタルコトアルモ今後尚一層此ノ点ニ考慮ヲ致シ簡捷ヲ旨トシ繁文褥礼ノ弊ヲ矯ムルコトニ留意セラレタク又町村役場ニ於ケル財務其ノ他ノ事務処理ニ関スル規程ノ改正ニ就テハ各位ノ意見ヲ参酌シ近ク改正規程ノ発布ヲ見ルヘキニ依リ能ク其ノ精神ヲ体得シテ実施当初ニ於テ特ニ懇切ナル注意指導ヲ加ヘ事務ノ敏活整善ヲ期セラレムコトヲ望ム 一 徴税ノ整善 徴税成績ノ良否ハ諸般ノ施設経営上至大ノ関係ヲ有シ是カ整善ヲ図ルハ重要ナル事務ニ属ス滞納矯弊ニ関シテハ従来屢々演達スル所アリ其ノ改善ニ就テハ常ニ留意セラレ其ノ成績漸次良好ノ傾向ヲ示スト雖未タ滞納ノ弊風ヲ一掃スルコトヲ得サルハ洵ニ遺憾トスル所ナリ物価騰貴及諸般ノ施設経営ノ発展ニ伴ヒ近年著シク負担ノ増加ヲ来シ徴税上一層ノ留意ヲ要スヘキニ依リ宜シク納税組合ノ活動、戸主会、青年会其ノ他ノ公私団体ニ於ケル講話会等ヲ利用シ納税ニ関スル必要事項ヲ講演スル等各地適応ノ方法ニ依リ納税観念ヲ鼓吹シ滞納矯弊ノ実ヲ挙ケラレムコトヲ望ム 一 国民思想ノ善導 人心ノ動揺不安ハ大戦後ニ於ケル欧米各国共通ノ最モ顕著ナル事象ニシテ今ヤ世界ヲ挙ケテ疑惑ト煩悶トノ裡ニ呻吟シツツアリ我カ国ハ戦争ノ影響ニ於テ欧州諸国ト大ニ其ノ事情ヲ異ニスルノミナラス立国ノ根基、国民ノ性情亦甚シク其ノ趣ヲ異ニスルヲ以テ我カ国民一般ノ間ニ於テ未タ我カ国民思想ノ根柢ニ動揺ヲ感スルコトナシト雖尚此ノ世界的傾向ハ我カ国ニ反響シ近時思想問題ニ関スル論議ハ頗ル旺盛ヲ極メ雑然トシ其ノ帰結スルトコロヲ知ラサルカ如シ 念フニ古キモノ必スシモ背理ニ非ス新シキモノ亦必スシモ真理ニ非ス近来諸種ノ新説ヲ唱フル者ノ中時勢ノ趨向ヲ論シ社会ノ弊害ヲ指摘スルニ於テ傾聴ニ足ルモノナシトセサルモ而モ古来ノ我カ国民道徳ノ如キハ外相形式ニ於テ時代ニ順応変化セルモ其ノ真髄ニ至リテハ百千年ノ洗錬ヲ経テ万古不易ノ真理ヲ蔵スルモノタルヘシ 近代文明ノ弊ハ物質主義ニ偏倚シテ精神方面ヲ閑却シ人々其ノ操守スル所ヲ失ヘルニ在リ夫レ人ニ確乎タル操守アレハ事ニ臨ミテ惑ハス取捨其ノ宜シキヲ制スルコトヲ得ルモ操守ナクムハ薫蕕ヲ別ツニ由ナク昏迷惑乱シテ空シク不安ノ裡ニ終ラムノミ故ニ新思想ノ研究理解ニ努ムルト同時ニ内自ラ常ニ確乎タル操守ヲ養ハサルヘカラス物質文明ニ苦メル現代ノ不安ハ乃チ精神的救済ニ依リテ始メテ真ノ解決ヲ得ヘキモノニシテ権力ヲ以テ之ヲ阻止シ得ヘキモノニ在ラス或ハ一時急激ナル秩序ノ紊乱ヲ防ク為相当ノ手段ヲ執ルノ止ムナキ場合アリト雖是レ実ニ已ムヲ得サルノ変則ニシテ素、思想ニ対シテハ思想ヲ以テ対セシメ切瑳琢磨之ヲシテ克ク我カ国体ノ精華ニ醇化セシムルヲ以テ常道トスヘシ庶幾ハ各位卑見ノ存スル所ニ省察ヲ加ヘ健全ナル輿論ヲ作興シ世界不安ノ裡ニ処シテ其ノ嚮フヘキ針路ヲ誤ラス我カ国家社会ヲシテ堅実ニシテ幸福ナル発達ヲ遂ケシムルコトニ十分ノ努力ヲ致サレムコトヲ望ム 以上ノ外尚諸君ノ注意ヲ請ヒタキ事項ニ付テハ別ニ指示スルトコロアルヘキヲ以テ諸君ハ自治当局者ト力ヲ協セ邦家ノ為此ノ戦後重大ノ機局ニ適応スルノ途ヲ講セラレムコトヲ切望ス (「処務方針」(大正九年)飯田助丸氏蔵) 二四二 足柄下郡町村長会における郡長演達(一-二) (一) 大正七年十一月一日町村長会議演達 本官乏シキヲ本部長ニ承ケテ以来已ニ七年ノ星霜ヲ閲シ常ニ町村当局者各位ノ努力ヲ煩ハスコト多キニ拘ハラス未タ郡町村ノ治績ヲ発揚スルコト能ハサルハ本官ノ不徳未タ尽サヽルノ致ス所ニシテ深ク慚愧ニ堪エサル所ナリ 今夫レ郡治ニ関シテハ自ラ警メ自ラ勉メ最善ノ努力ヲ尽サムコトヲ期ス進テ町村自治ノ成績ニ徴スルニ町村長若クハ助役ニシテ恪勤励精熱心事務ヲ視部下吏員ヲ監督指導セラルヽ町村ニ在リテハ其ノ成績観ルヘキモノ尠カラス之ニ反スル町村ニ在リテハ部下吏員亦職務ニ忠実ヲ欠キ事務ニ勉励ナラサルノ傾向アリ洵ニ遺憾トスル所ナリ於是テ本官ハ町村当局者各位ニ希望スル所ヲ列挙シ相倚リ相扶ケ以テ町村自治ノ成績発揚ヲ期セムトス 町村長助役各位ハ他ニ一定ノ職業ヲ有シ又複雑ナル世事ヲ控ユル向多ク其ノ繁忙蓋シ同情ニ堪エサルモノアルモ尚ホ町村ノ公事ヲ負担スル以上ハ町村長助役気脈相通シ連繋相保チ毎日必ス役場ニ出勤シ事務ヲ指揮シ吏員ヲ指導シ役場内ヲ監督シ延テ身ヲ以テ部下吏員ニ範ヲ示サレムコトヲ望ム 町村事務ノ挙否ハ吏員ノ執務上必須ノ諸法令例規等ニ通暁スルニ在リ故ニ一町村役場限リ若クハ数町村役場吏員連合シテ法令例規等ノ研究ヲ為サシメムカ為メ一定ノ日時ヲ定メ研究会又ハ講習会ヲ開クノ挙ハ最モ町村役場事務整理上事宜ニ適シタル施設ナルヲ信ス幸ニ留意企画セラレムコトヲ望ム 普及徹底ハ行政上最モ必要ノ要諦ナルヲ信ス町村ハ中央政府ノ発スル法令又ハ県郡ヲ経テ承クル所ノ中央政府ノ方針ヲ体シ県郡ト意思相通シ首尾相応シ各其ノ権域ニ依リ町村内ノ事宜ニ鑑ミ情勢ニ拠リ整理改善ノ実ヲ挙ケ其ノ成績ヲ発揚セムコトヲ期スルヲ要ス然ルニ町村ノ実状ヲ視察スルニ多クハ町村住民ニ法令並ニ中央政府ノ方針普及徹底セサルノミナラス町村当局者吏員ヲシテ尚且此等ノ法令方針ヲ熟読翫味セサル向アリ畢竟町村自治ノ成績ノ振ハサルハ此普及徹底ヲ欠クノ結果ニ職由セスムハアラス本年一月二十六日町村長会ノ際演達セシ諸法令通牒等徹底方ニ関スル事項ヲ参照シ一段ノ徹底方ニ留意セラレムコトヲ望ム 町村当局者ハ講演講習会其他ノ施設ニ依リ町村住民ヲシテ健全ナル国民ト善良ナル公民タルノ素質ヲ得セシメムコトヲ努メラルヘシ現時欧州戦乱参加ノ各国民カ発揮セル行動ニ鑑ミ我国民ハ須ク我国建国以来ノ国体ヲ体得シ義勇奉公ノ念ヲ厚クシ又町村住民トシテ共同ト公共心ヲ涵養スルノ必要更ニ切ナルモノアルヲ感ス深ク留意セラレムコトヲ望ム 定期報告臨時回答ノ類遅延スルコト今尚従前ノ如キモノ多シ畢竟町村長助役ニ於テ恪勤其ノ事務ヲ視サルノ結果ナラムノミ之レカ為メ郡ハ県ニ対シ県ハ中央各省ニ対シ事務渋滞ノ誹リヲ免ルヽ能ハサルニ至ル洵ニ遺憾ノ極トス須ク事務ヲ監督シ以テ如此弊害ノ根絶セラレムコトヲ望ム 時局ノ関係ヨリ諸物価騰貴シ国民中生活ニ困難ヲ感スル向少シトセス殊ニ俸給ニ衣食住ノ資ヲ求ムル者一層窮迫ノ極ニ達セリ是ヲ以テ別紙摘要ノ通リ国費県費ニ属スル官吏吏員ニハ一定ノ臨時手当ヲ支給セラレ本郡亦郡費所属ノ吏員ニ一定ノ臨時手当ヲ支給セルハ各位ノ諒知セラルヽ所ナリ須ク町村当局者ハ経済ヲ塩梅シテ町村吏員学校職員其ノ他ニ必要ノ増俸若クハ手当ヲ支給シ各自ヲシテ安シテ其ノ職務ニ尽瘁スル様措置セラレムコトヲ望ム 各大臣及本県知事訓示事項ハ別冊印刷物ニ就キ熟読深思シ之カ実績ヲ挙ケラレムコトヲ望ム (注)別紙、別冊とも欠。 (二) 演達事項 内務大臣訓令並知事訓示ニ関スル件 一 内務大臣ハ本年三月一日ヲ以テ戦後民力涵養ノ方面ヨリ著眼シテ五大要綱ヲ挙ケ以テ其ノ庶幾スル所ヲ府県知事ニ訓令セラレ不肖亦本県知事ノ訓令ニ依リ本年四月十一日ヲ以テ町村長諸君ニ訓令セリ今又客月廿七日郡市長会ニ於テ本県知事ハ五大要綱ニ関シ又ハ自治振興ノ方面等ヨリ諸種ノ訓示ヲ与ヱラレタリ其ノ訓令訓示ハ不肖ノ説明敷衍ヲ須ヰス諸君ニ於テ熟読玩味セラルヽトキハ正ニ是刻下緊急ノ要諦タルヲ感スヘシ本件ハ如此重要ナル関係ヲ有スルヲ以テ大正七年一月廿六日町村長会ノ際不肖□シ要領ニ依リ特ニ神職僧侶学校職員ト相倚リ相輔ケ以テ部内一般ニ普及徹底ニ努メラレムコトヲ望ム 一 今夫レ試ニ内務大臣訓令要綱ニ関スル実行要目ヲ列記セハ蓋シ左記事項ノ中ニ就キ撰択実行スルヲ可トセムカ 第一項ニ関スル件 1 町村内ノ部落或ハ区限リニ於テ雨中若ハ夜間其ノ他ノ休日ヲ利用シ講演又ハ講習会ヲ開キ部内住民ニ立国ノ大本国体ノ精華ヲ理解体得セシムルコト 2 前項ノ理解体得ヨリ来ル国民的精神ヲ助長養成スルコト 3 欧米各国ニ行ハルヽ新思想ニ対シ自主的撰択ノ見地ニ立チ我国民思想ニ消化融合セシムルコト 第二項ニ関スル件 1 町村住民殊ニ在郷軍人分会員青年会員ニ公民教育ノ方法ヲ設ケ立憲政治自治政治ノ要義ヲ会得セシメ以テ町村自治ノ振興ニ資スルコト 第三項ニ関スル件 1 小学教育上町村ニ不就学ノ徒ナカラシムルニ努ムルハ勿論青年子女ノ補習教育夜学等ヲ新設シ又ハ拡張シ各其ノ身分職業ニ応シ日新ノ新智識ヲ修養シ世界ノ大勢ニ□ムルコト 2 前項□民ニ於テ殊ニ科学ノ研究心ヲ促進□造ノ才ヲ養成スルコト 第四項ニ関スル件 1 資本主ト労働者、地主ト小作人トノ関係ニ留意シ諧和共済ノ実ヲ挙クルニ努ムルコト 2 自重自制ノ精神ヲ養成スルコト 3 隣保相助ノ習慣ヲ維持助長スルコト 第五項ニ関スル件 1 風儀ノ改善ヲ策シ勤倹ノ美風ヲ旺ニスルニ努ムルコト 2 部落又ハ区若ハ組合ヲ設ケ町村役場之ヲ監督シ特志者之カ司宰者トナリ規約又ハ共同若ハ据置ニテ郵便局又ハ銀行ニ預ケ入レシメ又ハ産業組合ヲ組織セシメ貯金ニ共同販売ニ共同購買ノ法ニ依リ一家一町村ノ生活ノ利便ヲ興シ生産ノ資金ヲ増殖スルニ努メ小産ハ中産ニ中産ハ大産ニ累進ノ方法ヲ講スルコト 3 前項ノ方法ニ依リ進テ一家一町村ノ産業ヲ振興シ町村富力ヲ増進セシムルニ努ムルコト 内務大臣訓令実行要目トシテハ固ヨリ此ニ止マラサル□□ヲ信スルモ最モ其ノ覩易キモノ最モ其ノ行ヒ□□□ノミヲ例示セシニ過キサレハ諸君ハ之ヲ工夫塩梅セラルヘク要ハ町村住民ヲシテ戦後ノ大勢ヲ自覚シ愈々益々憤起努力スルノ気運ヲ促□在ルノミ 代用食奨励ニ関スル件 一 今般内地米節約ノ目的ヲ以テ代用食奨励ノ儀ニ付客月廿五日付県告諭第一号ヲ以テ県下一般ニ諭告セラル右ハ本邦人口並消費量ノ逐年激増ノ結果内地米ノミヲ以テシテハ到底其ノ需用ヲ充ス能ハスシテ累年多量ノ外米ヲ輸入シ其ノ不足ヲ補塡シツヽアル状態ナリ最近三ケ年平均輸入量三百四十二万余石〔台、鮮ヲ含ム〕価格四千三百二十八万余円大正七年ニ於テハ外米ノミニテ四百八十七万余石ニ達シ国帑ノ流出正ニ八千九百七十五万余円ヲ超ヱムトスルノ状況ナリ如此ハ啻ニ国家経済上多大ノ損失ナルノミナラス米食ノ単用ハ個人経済及衛生上ニ於テモ不利ナルモノ少ナカラサルカ故ニ此際普ク郡民ノ自制心ニ訴ヘ代用食ヲ奨励シ米殊ニ内地米ノ消費ヲ節約シ以テ我国食糧問題解決ノ一端タラシメムトセラルヽ趣旨ニ有之ニ付テハ左記事項斟酌ノ上部内ノ事情ニ応シ適切ナル事項ヲ撰定シ普及徹底セシメラレムコトヲ望ム 実行要項 1 職業ノ種類ニ依リ可成朝昼晩ノ一食ニ麵麭、饂飩、素麵、蕎麦等ヲ用ユルコト 2米ニ麦、粟、黍、稗、大豆、小豆、蜿豆、菜豆、南瓜、大根、里芋等ヲ混用スルコト 3 馬鈴薯、甘薯等ヲ単用シ或ハ飯ニ混シテ用ヰルコト 4 米□度ヲ低クシテ食スルコト 実行□□ 1 町村役場吏員学校職員在郷軍人分会員青年会員婦人会其ノ他ノ団体並多人数ヲ使用スル会社工場等ニ対シ該趣旨ノ実行ニ努メシムルコト 2 学校長ハ其ノ児童生徒ニ対シ特ニ該趣旨ヲ徹底セシメ善良ノ習慣ヲ得セシムルコト 3 便宜上横浜市ニ於ケル主食改良会ノ如キモノヲ設ケ実行ノ中心機関トスルモ一案ナルヘシ (「町村長会関係書類」(大正一―八年)箱根町役場蔵) 二四三 橘樹郡町村長会における郡長演達指示事項(一-二) (一) 〔大正八年七月十二日於町村長会〕 郡長演達要項 諸君本日諸君ノ会合ヲ求メタルハ去月末知事ヨリ郡市長ニ対シ演達指示セラレタル事項ヲ伝達シ併セテ所見ヲ披瀝センカ為メナリ 民力ノ涵養 世界ノ大戦乱モ愈去月廿八日調印セラレタル平和条約ニ依リテ全ク終熄シ同慶ノ至リナリト雖多年死生ノ間ニ堅忍奪闘シテ鍛錬セラレタル欧米人ハ其多大ナル損害ヲ快復スル為メ今後ハ一層商工戦ニ活動スルコトナラン然ルニ我国ハ欧州戦場ノ惨事ハ新聞紙ニテ承知シタルノミニシテ経済上却ッテ好影響ヲ受ケ一般生産物ノ好況ヲ来タシテ浮華ニ流レ知足守分ノ風ヲ忘レ殊ニ外来思想ノ波動ヲ受ケテ民心ノ安定ヲ失スルノ虞アルハ寒心ニ耐ヘサル次第ナリ今日ハ部内住民ヲ覚醒セシメ戊申詔書ノ御趣旨ヲ徹底的ニ服膺実行セシムルノ必要アルヘシ内務大臣ハ之レカ為メ特ニ訓令ヲ発セラレ国民ノ覚醒自彊ノ綱領ヲ示サレ知事ハ其趣旨励行ニ関シ指示セラレタリ諸君ハ其趣旨ヲ諒セラレ管内ノ篤志者教育家宗教家在郷軍人分会青年団等ヲ活動セシメ協力シテ健実ナル民風ヲ作興スルニ努メラレンコトヲ望ム 自治体ノ発展及其基礎ノ確立 自治体ハ其本来ノ意義部内一般ノ盛衰喜憂ヲ共ニスルニアルヲ以テ協心戮力シテ其発展ヲ計ラサルヘカラス故ニ町村財政ノ実況産業ノ大勢ハ勿論政府ノ施政方針法令ノ趣旨町村条例ノ要項ニ至ルマテ可成部内住民ニ周知セシメ相協力シテ時勢ノ進運ニ順応スルコトヲ期セサルヘカラス従ッテ公告式ノ掲示場モ可成其数ヲ多クシテ前記ノ要項等ハ一般部民ニ周知セシムル様之ヲ善用スルハ自治体ノ本義トシテ相当ノ事ナルヘシ部内ニ於ケル各種統計ノ資料モ可成軍人分会青年団員等ヲ指導シテ協力セシムルハ善良ナル公民ノ養成ニ資スルノミナラス確実ナル統計資料ヲ得事務ノ進捗ヲ助クル一方法ナラン自治体ノ基本財産蓄積条例ハ郡内各町村皆設定セラレタルモ多クハ一定ノ制限アリテ時勢ニ適応セサルノ感アリ蓄積額ニ制限ヲ置クトスレハ少クトモ五万又ハ十万位ヲ期待セサルヘカラス蓄積ノ規定ノ如キハ確実ニ励行スル様留意セラレンコトヲ望ム 自治体ノ議員ハ本来ノ性質上理事者ト和衷協力シテ自治体ノ発展ヲ計ルヘキモノナルヲ以テ自然議員ヲシテ其財政ノ実況ヲ詳知セシムルノ必要アリ之レ町村制第百二十一条ニ年二回ハ必ス出納検査ヲ為スヘシトノ規定アル所以ナリ故ニ出納検査ハ年二回ハ必ス之ヲ実行シ形式的ニ失スルコトナク実質的検査ヲ為ス様留意セラレンコトヲ望ム 教育機関ノ設備 現今社会ノ状勢ハ物質的精神的ノ両方面ヨリ見ルモ世界的維新ノ時機ト云フヘク之ニ順応セントスルニハ民衆ノ智徳ヲ涵養スルコト最モ緊要ナルハ贅言ヲ要セス故ニ町村ニ於ケル学校ノ設備ヲ完成シ教育ノ効果ヲ相当ニ発揚セサルヘカラス殊ニ義務教育ノ機関タル小学校ノ設備ヲ完成スルハ町村ノ義務行為ナルヲ以テ法令ノ定ムル所ニ従ヒ教授上必要ナル内部ノ設備ノ如キハ必ス之ヲ実行セサルヘカラス教授上必要ナル設備ヲ不問ニ付ストキハ教育ノ効果ヲ不問ニ付スル結果ニ陥ヰルヘシ義務教育年限延長時代〔明治四十一年〕ノ遺物タル変則ノ独立尋常小学校ノ今日尚ホ郡内ニ存在スルハ京浜間ニ介在スル本郡ノ体面上甚タ遺憾トスルトコロナリ此ノ遺憾ハ可成速ニ解除シテ教育機関ノ設備ヲ完成シ其効果発揚ニ留意アランコトヲ望ム 吏員教員ノ優遇 現時諸物価ノ騰貴ハ数年前ニ数倍シ一定ノ収入アルモノハ其窮状甚大ナルヲ以テ政府ハ官吏ノ俸給旅費ニ五割ノ増加支給ヲ実行シ公共団体ノ吏員教員ヲシテ之ニ準拠セシムル為メ制限外賦課ノ程度ヲ拡張セラレタリ自治体ノ発展ハ一般事務ノ整善ニ立脚スルモノナルヲ以テ事務ノ整善ヲ計ルニハ吏員ヲ励精セシムル為メ相当優遇ノ途ヲ確立スルノ必要アルヘシ又教員ノ如キ全然一定ノ収入ニ衣食スル者ハ延ヒテ其志操ノ動揺ヲ来タセル傾向アルノミナラス教員ノ欠乏ヲ来シテ其補充困難ナルハ現時一般ノ趨勢ナルヲ以テ教員ヲシテ安定シテ教職ニ励精シ得ル様政府ノ方針ヲ体シテ優遇ノ途ヲ定メラレンコトヲ望ム 町村事務ノ整善ト吏員ノ増補 時勢ノ進運ニ伴町村事務ノ繁忙ヲ来タスハ自然ノ趨勢ナルノミナラス緊急敏速ヲ要スル事件偶発少ナカラス事務ノ整否報告ノ遅速ハ相互当事者ノ体面ニ関スルノミナラス自治体タル郡町村ノ面目ニ関スルモノト思フ今日町村ノ事務ハ甚タ繁雑ナルヲ以テ二三ノ吏員ニテ其面目ヲ相当ニ維持スルハ困難ナルヲ以テ可成適方ヲ挙用シテ之ヲ優偶スルノミナラス相当ニ吏員ノ増補ヲ決行シ事務ノ整善報告ノ敏活ヲ期セラレンコトヲ望ム 指示事項 町村吏員ノ優遇ニ関スル件 町村長ニシテ多年勤続シ功労著明ナル者ニ対シ町村制実施三十年ニ相当スル今年紀元節ノ佳辰ニ於テ特ニ叙勲ノ恩典アリタルハ誠ニ慶賀ニ堪ヘサルナリ町村吏員ノ優遇ニ関シテハ予テ指示セル所アルノミナラス客年十月県訓令第四十八号ヲ以テ町村有給吏員俸給額及其ノ支給規程準則ヲ定メ名誉職町村長助役ノ報酬及費用弁償額並ニ其ノ支給方法モ之ニ準拠セシムル等以テ其ノ待遇ノ向上ヲ図ル為メ特ニ通牒アリタルニヨリ爾後各位ノ努力ニヨリ該規程ヲ設定シ相当優遇ノ途ヲ講シタル向アリト雖尚未タ遺憾ノ点尠ラス此ノ際一層其意ヲ体シテ増給ヲ計ラシムルハ勿論臨時手当ノ如キモ他ノ官公吏等ニ準シ相当給与セシメ以テ吏員ノ社会的地位ヲ向上シテ今後益々自治ノ振興ニ努力セシメラレムコトヲ望ム 部落改善ニ関スル件 部落改善ノ方法ニ至リテハ固ヨリ種々アルヘシト雖モ教育宗教等ノ力ニ依テ精神的向上ヲ図リ部落間ヲ融和シテ共同ノ美風ヲ作成シ一面産業ヲ振興シテ其ノ富力ヲ増進シ衛生其ノ他ノ文明ノ施設ヲ促シテ其ノ生活状態ヲ改善スルカ如キハ尤モ緊要ナリト信ス各位ハ能ク部落ノ状勢ヲ洞察シテ機宜適応ノ施設ヲ為シ以テ其ノ実績ヲ挙クルニ努メラレムコトヲ望ム 道路法ノ施行並道路改良ニ関スル件 多年ノ懸案タリシ道路法ノ制定セラレ近ク其ノ施行ヲ見ルニ至ルヘキヲ以テ之カ実施ニ当リテハ宜シク地方ノ実情ニ顧ミ同法制定ノ趣旨ニ副フニ努メラレ且又現在ニ於ケル町村里道ノ施設状況ヲ見ルニ動モスレハ其ノ普及ニ偏シ実質ノ改良ヲ閑却スルノ傾向アルノミナラス道路ノ管理全カラス往々ニシテ其ノ維持修繕ヲ怠リ為ニ交通上危険ヲ感スル現状ヲ呈スルモノアルハ洵ニ遺憾トスル処ナルヲ以テ道路法ノ施行ト相俟テ漸次之カ改善ニ就キ一層ノ努力アランコトヲ望ム 町村農業技術員ニ関スル件 町村技術員ハ相当ノ年数ヲ勤続スルニアラサレハ其ノ技倆ヲ発揮スルヲ得ス然ルニ近時其更迭頻繁ニシテ前年度ノ如キハ就職一年ニ満サルモノ頗ル多シ各位ハ其原因ヲ質シ可成勤続セシムル様相当ノ方法ヲ講セラレムコトヲ望ム 町村土木補助工事督励ノ件 県費補助ニ係ル町村主管ノ道路橋梁及治水工事ニシテ往々施行緩漫ニ流ルヽノ傾向アルハ甚タ遺憾トスル処ナリ惟フニ輓近ニ於ケル物価ノ騰貴ハ著シク工事ノ施行至難ニ陥リ自然其ノ実質ヲ軽視シ当初ノ目的ニ副ハサルカ如キ工事ヲ施行シ其ノ効果ヲ減殺セシムルモノ尠ラス仍テ此ノ際一層ノ督励ヲ加ヘ苟モ竣功検査ニ当リ手直ヲ命セラルヽカ如キコトナキ様猶補助工事執行手続ニ依ル各事項ノ励行ニ就テモ此ノ際充分ノ注意ヲ喚起セラレムコトヲ望ム 神社行政ニ関スル件 神社ノ崇敬ニ関シテハ特ニ方今ノ時勢ニ鑑ミ其主旨ヲ透徹普及セシムルノ緊要ナルヲ見ル故ニ政府ニ於テハ今回公共団体ヨリ神社ノ経費ニ補助スルノ範囲ヲ拡張セラレ本県ニ於テモ亦曩ニ神職優遇ノ実ヲ挙クル為県社以下神社社司社掌俸給及旅費規程ヲ設定セラレタリ各位能ク此点ニ留意シ益々神社崇敬ノ実ヲ挙ケ神職待遇ノ改善ヲ勉メラレムコトヲ望ム 神職養成ニ関スル件 従来皇典講究所ニ依託ノ神職養成部神職教習科ノ事業ヲ拡張セラレ更ニ神宮皇学館専科ノ修業年限ヲ延長シテ普通神職ノ素質向上ヲ図ラレツヽアリ各位志願者ヲ推薦セラレムトスルトキハ特ニ人物ノ選択ニ注意セラレンコトヲ望ム 神事旧慣ノ保持ニ関スル件 古来各地ニ伝ヘ来レル神事ニ関スル習俗ニ就テハ公安ヲ害シ風俗ヲ紊ルノ虞アルモノノ外成ルヘク之ヲ保持シ以テ我国民性ノ涵養ニ資セラレムコトヲ望ム 史蹟名勝天然記念物保存法ニ関スル件 今回史蹟名勝天然記念物保存法〔大正八年四月法律第四十四号〕公布セラレ本月一日ヨリ施行セラル之カ効果ヲ挙クルニハ町村団体ノ協力ニ俟ツヘキモノ多シ切ニ各位ノ注意ヲ望ム 在郷軍人ノ指導ニ関スル件 在郷軍人ハ戦時陸軍ノ主要部ヲ占ムルヲ以テ之カ指導教養ヲ周到ナラシムルハ軍事上極メテ緊要ニシテ在郷軍人会成立ノ理由モ亦〓ニ存スルハ各位ノ知悉セラルヽ所ナリ而シテ同会ノ事業ハ各位ノ援助ニ依リ漸次穏健ニ発達シツヽアリト雖未タ十分ナル成績ヲ挙クルニ至ラサルヲ以テ一層之ヲ助成シ一面青年団体トノ連絡ニ意ヲ注キ進テ公共事業ニ参与セシメ良兵タルト共ニ良民タルノ実ヲ挙ケ以テ公益ヲ増進スルノ一助タラシメラレムコトヲ望ム 召集及簡閲点呼ニ関スル件 召集徴発事務ニ関スル町村吏員ノ研究ハ尚遺憾ノ点尠カラサルモノアリ各位ハ将来一層当事者ヲ指導督励セラレムコトヲ望ム 簡閲点呼ノ成績ハ漸次向上シツヽアリト雖関係吏員中往々参列ヲ忽ニスル者アルハ遺憾トスル所ナリ抑点呼ノ本旨ハ在郷軍人ノ状況ヲ査閲シテ教訓ヲ与ヘ其本文ヲ完ウセシムルニアリ而シテ之カ執行ニ関シテハ固ヨリ点呼執行官ノ専ラ力ヲ尽スヘキコトナリト雖町村吏員モ亦此ノ機ヲ利用シ参会者ニ希望ヲ開示或ハ指示ヲ与ヘ以テ模範ノ良民タルヘク指導セラルヽハ極メテ有益ナルコトナリト信ス 家族手当ノ支給及兵卒給料ノ増額ノ件 下士以下召集ノ間其ノ家族ニシテ生計困難ナル者ニ就テハ曩ニ軍事救護法ノ制定アリシト雖モ尚一般応召ノ為メ受クル打撃鮮少ナラサルヲ以テ今回家族手当支給ノ制(大正八年四月同年同月勅令第百六十六号陸軍省令第十三号)ヲ定メラレタリ又下士以下ノ給料ハ更ニ増額〔別紙参照〕セラレタルヲ以テ概ネ其ノ需用ヲ充タシ得ヘキヲ信ス而シテ父兄カ在営下士卒ニ対シ妄リニ送金ヲ為スハ却テ彼等ノ悪風ヲ増進セシムルノ因ヲ為スヲ以テ各位ハ深ク此ノ点ニ留意セラレムコトヲ望ム 飛行機ノ事故ニ関スル件 従来陸軍飛行機カ飛行場外ニ着陸若ハ事故ニ遭フニ際シ地方民ノ熱誠ナル処置ニ対シテハ政府大ニ之ヲ多トセリ唯此等遭難ノ状態ハ将来ノ研究資料トシテ最モ貴重ナル価値ヲ有スルモノナルヲ以テ飛行機体ノ現況ハ止ムヲ得サルモノノ外関係職員ノ来着ニ先チ変更セサルコトニ留意セラレムコトヲ望ム 農繁期ニ於ケル下士卒休暇ニ関スル件 曩ニ下士卒在隊ノ為ニ生スル産業上ノ打撃ヲ軽減緩和スルノ主旨ニ基キ農事其ノ他ノ産業繁忙ノ時期ニ際シ家庭ノ状況上帰省助力ヲ要スヘキ者ニ対シテハ単ニ家族ノ口頭又ハ書信ニ依ル申出ニ依リ請願休暇ヲ付与シ尚各部隊ヨリ関係公吏ニ照会シテ予メ繁忙ノ季節及帰省ヲ要スヘキ者ヲ調査シ以テ休暇許否ノ資料トスルコトトナレリ而シテ其実行ヲ円滑有効ナラシメムニハ帰省者ニ対スル懇篤ナル指導監督ニ俟ツヤ大ナリ各位ハ在営ノ期短クシテ教育愈繁多ナルニ方リ特ニ本制度ヲ創定セラレタル主旨ニ顧ミ其ノ効果ヲ挙クルコトニ配慮セラレムコトヲ望ム 社寺境内取締ニ関スル件 社寺境内ハ祭典法要執行風致維持ニ必要ナルノミナラス苟モ境内タル以上ハ之ニヨリ社寺ノ尊厳ヲ保チ神聖ヲ計ラサルヘカラス元来社寺境内ハ明治三十六年十一月内務省令第十二号第一条大正二年四月内務省令第六号第二十七条ニヨルノ外使用シ得サルニモ不拘近来往々猥ニ境内ヲ使用スルモノアルヲ聞クハ甚不都合ナリトス又近来一般官有地ノ例ニ依リ大正三年県令第三十七号ニヨリ出願スルモノ多シ是等ハ全ク境内タルノ観念ニ乏シキノ致ス所ナルヘシ将来右等誤解ナキ様周密ノ注意ヲ与ヘ毫モ境内ノ目的ヲ損スルカ如キコトナキ様厳重取締ラレムコトヲ望ム 蚕業ニ関スル件 本郡ノ蚕業ハ多年ノ奨励其ノ効ヲ奏シ近時大ニ面目ヲ改メ進歩ノ迹顕著ナルモノアリ殊ニ本年ハ糸価未曽有ノ昂騰ヲナシ蚕糸業ニ一段ノ活気ヲ呈セルヲ以テ此ノ機ヲ利用シ各位ハ左記各項ニ注意シ益々斯業ノ進歩ニ努力セラレムコトヲ望ム (一) 桑園ノ改良ハ一般蚕糸業ノ進歩ニ伴ハザルノ観アリ為ニ育蚕期ニ於テ桑葉ノ暴騰ヲ来シ不慮ノ失敗ヲ招クモノアリ依テ之カ増収ノ途ヲ講シ蚕糸業ヲシテ円満ナル利益ヲ収メシムルコト (二) 本年ハ糸価ノ好況ニ眩惑シ当業者一般過度ノ夏秋蚕飼育ヲ行フ傾向アリ如斯ハ桑葉ノ乱獲ヲ為シ延テ桑園ノ荒廃ヲ来タスヲ以テ桑葉ノ収量ト蚕児ノ掃立量トノ権衡ヲ失セサル様注意セラレタキコト (三) 養蚕組合ハ各位ノ奨励ニ依リ其ノ数ヲ増加セリト雖未タ其ノ内容ノ充実セサルモノアリ今後猥リニ其ノ数ノ増加ニ勉メス既設組合ヲ一層健実ナラシムルト共ニ糸価好況ノ結果当業者ハ予想外ノ利益ヲ収得セルヲ以テ其ノ一部ヲ割キテ基本財産ヲ貯蓄シ他日ノ変ニ備フル様指導セラレタキコト 副業奨励ニ関スル件 農業漁業其他一般ニ主要業務ニ従事スル余力ヲ以テ適当ナル副業ヲナサシムルハ地方産業ノ開発上須要ノ事項ナルヲ以テ県ニ於テハ之カ奨励ニ関スル機関ヲ設置セラレタリ各位ハ宜シク県ノ施設ト相俟ツテ斯業ノ発達ニ竭サレムコトヲ望ム 産業組合ニ関スル件 郡内産業組合ノ実況ニ就テハ各位ノ熟知セラルヽカ如ク近時其ノ数ヲ増シ形式内容相俟テ漸次発達ノ機運ニ向ヘルハ深ク悦ブ所ナリト雖モ生産物ノ共同販売生計用品ノ共同購入及貯金ノ奨励等ハ現時尤モ緊要トスル所ナルヲ以テ是等ノ機関タル産業組合ノ活動ニ対シテハ将来一層指導ニ注意セラレムコトヲ望ム 機業奨励補助ニ関スル件 従来力織機ノ奨励補助ニ関シテハ綿織物又ハ輸出絹物製織用力織機十台以上新設又ハ増設ノ場合ニ限リシモ今後内地向絹織物ノ改善発達ヲ促スノ必要ヲ認メタルト小機業者保護ノ必要ヲ認メタルトニヨリ本年四月県令第二十七号ヲ以テ力織機奨励補助規則ヲ左ノ通改正セラレタリ各位ニ於テモ此ノ趣旨ヲ当業者ニ周知セシメ地方ノ状況ニ応シ之カ指導奨励ニ努セラレンコトヲ望ム 一 力織機台数十台以上トアルヲ五台以上ト改ム 二 輸出絹織物トアルヲ絹織物ト改ム 農商務省工芸展覧会ノ件 輸出工芸品ノ改良ヲ図ル為メ大正二年以来其筋ニ於テ図按及応用展覧会ヲ開催シ来リタルカ本年度ニ於テハ新ニ経費ヲ増加シ従来ノ計画ヲ拡張シテ単ニ工芸品ノ図按改善ニ止メス汎ク本邦工芸品ノ全部ニ渉リ技術並図按応用ノ練磨熟達ヲ促進スル目的ヲ以テ本年十月ヲ期シ工芸展覧会ヲ開催セラルヽ筈ニ付各位ニ於テモ此趣旨ヲ体シ出品勧誘上特ニ留意セラレムコトヲ望ム 産業統計ニ関スル件 産業政策ノ基礎ハ正確ナルハ産業統計上ニ立タサルヘカラサルハ言ヲ俟タス然ルニ産業ニ関スル統計ハ性質上其ノ正確ヲ期スル上ニ於テ最モ困難ナルカ為メ動モスレハ軽視セラレントスル傾向アリ農商務省ハ新ニ統計課ヲ設置シ職員ヲ増シ統計ノ根本的改善ヲ計ラレントス乍併産業統計ノ大半ハ多忙ナル町村吏員ノ蒐集ニ成ルヲ以テ之ガ正確ヲ期スルハ容易ノ事ニアラス此種ノ事柄ニ付テハ根本的施設トシテ種々計画スヘキコトアリト雖モ差当リ統計ニ従事スル専任職員ヲ置キ或ハ町村統計調査委員ノ普及ヲ計ル等幾何タリトモ漸次正確ノ域ニ近カラムコトヲ望ム 畜産奨励ニ関スル件 近時家畜家禽其他畜産物ノ需要激増シ供給大ニ不足ノミナラス畜力ノ利用肥料ノ自給等ハ農業経営上最モ必要ニシテ畜産ノ発達ヲ要求スルコト弥々切ナリ依テ此際一層之カ奨励ニ努メラルヘク殊ニ左記事項ニ就テ留意ヲ望ム (一) 養豚組合設置奨励 (二) 貸付種牛豚ノ飼養管理監督 (三) 肉役用種牛ノ移入奨励 (四) 牛豚飼料ノ自給奨励 (五) 農家余乳ノ利用奨励 徴兵旅費繰替支弁ニ関スル件 徴兵旅費繰替金ノ支出払戻請求及戻入金整理ニ関シテハ曩年注意スル所アリ漸次整善ノ域ニ進ミツヽアリト雖モ調査ノ実況ニ徴スレバ未タ不整理ノモノ不尠元来旅費繰替ニ際シテハ其行程ヲ精査シ徴兵旅費規則ノ定ムル所ニ依リ算定支給スヘキハ勿論ナルニ其ノ払戻請求書ヲ調査スルニ往々其ノ支給方錯誤アリ為ニ給額ノ過剰或ハ不足ヲ生ジ是レカ訂正ニ要スル手数不尠ノミナラス其ノ追給又ハ戻入ニ幾多ノ繁ヲ重ヌル結果処理未了ノモノアリ又町村ニ於ケル実際整理ノ状況ヲ視察セルニ繰替金ノ取扱ハ市町村財務規程ニ拠リ夫々整理スヘキ筈ナルニ今尚成規ニ反スル取扱ヲナス町村アリテ未タ整理ノ実績挙ラサルハ畢竟取扱者ニ於テ規定ノ条項ヲ誤解シ処理ニ当リ周到ノ注意ヲ欠クノ結果其ノ計算ヲ愆ルニ至ルモノニシテ洵ニ遺憾トスル処ナリ近時世ノ移趨ニ伴ヒ徴兵旅費支給方ニ関シテモ亦屢々割増ノ通牒ヲ発セリ随テ是レカ取扱ニ付テハ一層ノ留意ヲ要スルニ付今後之レカ処理ニ対シテハ相当努力アラムコトヲ望ム 衛生ニ関スル法律ノ制定及改正ノ件 衛生ニ関スル施設改善ヲ期セム為政府ハ本年精神病院法結核予防法及「トラホーム」予防法ヲ制定シ又医師法及阿片法ヲ改正セラレ近ク本法ニ対スル施行規則ノ発布ト共ニ県モ又之カ細則等ヲ設ケ衛生施設ノ改善ヲ計リ以テ国民保健ノ実績ヲ挙ケントス各位克ク此ノ意ヲ体シ最善ノ努力ヲ竭シ苟モ遺憾ナキヲ期セラレンコトヲ望ム 教員手当支給ノ件 小学校教員ハ前年ニ於ケル義務教育費国庫負担法ノ実施以来漸次其ノ待遇改善セラレ更ニ本年三月ニ於テハ夫レ〱増俸及手当支給等行ハレタルモ物価ハ尚漸々騰貴ノ趨勢ヲ示シ俸給ニ衣食スル者益々窮迫ノ状アリ政府ハ此事情ニ鑑ミ国費支弁ノ官吏等ニ対シテハ平均五割ノ臨時手当ヲ支給スルコトヽナリ同時ニ地方ニ対シテハ地方税付加税制限ヲ拡張セラレ県費支弁吏員職員等ニ対シテモ国費支弁ノモノト同額ノ臨時手当ヲ支給スルコトヽナリタレハ各位ニ於テハ此ノ趣意ヲ諒セラレ町村財政ノ状態ヲ考ヘ国県費支弁ノ官吏吏員職員ト均衡ヲ失ハサル程度ニ於テ小学校教員ニ手当支給ノ計画ヲ立ラレ度 青年団ニ関スル件 青年団ノ振興ニ関シテハ各位ノ指導ト青年団ノ覚醒トニヨリテ其ノ実績ノ見ルヘキモノアリト雖我ガ国現時ノ大勢ニヨリ考フレバ更ニ一層ノ改善ヲ要スルハ言ヲ俟タス故ニ一ニハ幹部指導講習ニヨリテ益々国民的精神ノ自覚ヲ鞏固ニシ以テ中堅人物タルノ実ヲ具セシメ之ニヨリテ一般ノ青年ヲシテ愈々健全ナル国民タルノ錬成ヲ期シ一ニハ在郷軍人分会トノ連絡ヲ図リ以テ教育産業等民力涵養ノ普及徹底ニ尽力セシメ地方ノ開発ニ裨補セシメラレムコトヲ望ム 肥料取締ニ関スル件 販売肥料ノ需要増進ニ伴ヒ諸種粗悪肥料ノ現出ヲ見ルヲ通例トス就中近年農産物ノ価格騰貴シ農家ノ肥料購買力著シク増進セルト一面昨今ノ如ク肥価暴騰セル場合ニ於テハ一層此ノ傾向アリテ本春ニ於ケル肥料取締法規違反者ノ例年ニ比シ多カリシハ以テ証トスヘシ故ニ県ニ於テハ鋭意之レカ取締ヲ厳ニシ其ノ品質ノ改善ヲ図リツヽアリト雖尚農業者ノ自衛ニ俟タサルヘカラス即チ製造者ヲ選択シ成分量ニ注意シ可及的共同購入法ニ拠ラシムル等適当ノ措置ヲ講セラルヘシ 道路堤防並木敷其ノ他官有土地水面継続使用ニ関スル件 道路堤防並木敷其ノ他官有土地水面ノ継続使用ヲ要スル場合ハ期限満了前継続使用願書ヲ提出スヘキ規定ナルニ拘ハラス其ノ実際ニ於テハ之カ満了後提出ニ係ルモノ尠カラス其ノ甚シキモノニアリテハ数ケ月乃至一ケ年余ヲ経過シテ漸ク手続ヲ運フモノ稀ナリトセス之等規定ニ背反セル使用者ニ対シテハ相当書面ヲ徴シテ遅延ノ理由ヲ明カニセシメ且期限満了前予メ使用者ヘ注意シ可成之等ノ不都合ナカラシメムコトヲ望ム 土木ニ関スル願届ノ件 土木事務ニ関スル願届書中願届書及図面ノ形式不備ナルカ為書類ノ往復ヲ重ネ延テ処分ノ敏活ヲ欠クコト尠カラサルヲ以テ取扱上一層注意セラレムコトヲ望ム 軍事救護ニ関スル件 軍事救護法実施上ニ関シテハ従来屢々注意ヲ促カシタルトコロナリト雖同法実施后一ケ年余ノ実況ニ徴スルニ尚往々救護ノ要アル者ニシテ救護ノ恩典ニ洩ルヽ者又ハ既ニ救護セル者ニシテ被救護資格消滅シタル場合若クハ其ノ他救護ノ廃停異動ニ関スル事実ヲ生シタル場合ニ於テ之カ報告ヲ怠ル者アルヲ認ム之レ畢竟スルニ法令ノ趣旨未ダ一般ニ十分了解セラレサルニ因ルモノト認メラルヽニ依リ各位ハ一層法令ノ趣旨ヲ貫徹セシムルコトニ努メ実施上遺憾ナキヲ期セラレンコトヲ望ム 道水路新設変更ニ関スル件 町村管理ノ道水路ニシテ其ノ新設変更ノ許可ヲ受ケタル後潰地上地ノ申請及不用官有地譲与ノ手続遅延スルモノ尠カラス又潰地上地ノ許可ヲ得タル後登記嘱託上必要ナル登記済権利証又ハ保証書〔保証書弐通〕提出無之カ為事件未了ニアルモノ尠カラス之等調査ヲ遂ケ速ニ整理ノ方法ヲ講セラレムコトヲ望ム 流行性寒冒予防ニ関スル件 昨秋来全世界ヲ風靡セル流行性寒冒ハ本県ニ於テモ亦初発以来本年四月迄ニ患者弐拾八万八千九百八十八人死者五千百三十一人〔一、七八%〕ヲ算シ之ガ予防方法トシテ県下一般ニ対シ本県創製ノ感作「ワクチン」ヲ配布シ予防撲滅ニ努メ幸ニ終熄ヲ告ケタリト雖モ今秋又此カ再襲アルヤモ計リ難キニ付各位ニ於テハ予メ此ノ点ニ留意シ努メテ衛生思想ノ普及発達ヲ謀リ之カ予防上遺憾ナキヲ期セラレンコトヲ望ム 県税徴収事務ニ関スル件 県税ノ徴収事務整理ニ関シテハ各位ニ於テ之レガ改善ニ努メラレタル結果其ノ成績漸次良好ノ域ニ進ミ大正六年度ニ於テハ令書発付額ニ対スル五分七厘六毛ニアリタルモ大正七年度ニ於テハ六分九厘五毛ニ達シ大正三年度ニ於テハ令書発付額金拾七万九千五百五拾参円ニ対シ翌年度ヘ繰越整理シタルモノ金弐千四百四拾七円ノ多額ニアリ大正五年度ニ於テハ令書発付額金拾九万弐千六百拾八円ニ対シ金百五拾八円ヲ繰越タリ大正六年度ニ於テハ極力之レガ整理ニ意ヲ注キタルモ吏員更迭等ノ為メ遂ニ令書発付額金弐拾五万八千参百九拾円ニシテ滞納者三千八百余人ニ対スル金参拾弐円ノ少額ヲ繰越シタリ然シテ大正七年度ニ至リテハ事務非常ニ激増シ令書発付額モ亦従テ膨大シ金参拾万四千五百四拾五円ニ対シ滞納者又七千九百五十名ノ多数アリタルモ全部之レガ整理ヲ了シ繰越額ヲ出サズシテ完了スルヲ得タルハ本郡税務史上ニ於ケル特筆大書スベキ効績ニ有之候モ之レ当庁ニ於テ賦課徴収事務ニ極力意ヲ盡シタル結果モ有之候モ亦畢竟各位カ賦課徴収ノ事務ニ関シ監督ノ当ヲ得タルト其ノ督励機宜ニ適シタル所以ノ偉大ナル効果トシテ誠ニ本郡ノ為メニ慶賀スベキ現象ニ有之候然レトモ尚未タ滞納ノ弊竇ヲ根絶スルニ至ラズ前述ノ如キ多数ヲ示シツヽアルハ甚タ遺憾トスル処ナリ依テ各位カ施設ト相俟テ納税組合及旧五人組等ヲ督励シ或ハ講習講話会等ヲ利用シ納税義務観念ヲ鼓吹シ漸次一般ニ普及スル等又ハ納税ノ準備期間ヲ与フル為メ伝令書ヲ早カラシメ遠隔ノ部落ニ対シテハ出張徴収ノ便宜ヲ能ヘラレ其ノ実績ヲ挙ケラレンコトニ一層努力セラレ尚一面本年度前半期分徴収未済額ノ存スル向ハ此際特ニ鋭意之レカ督促ヲ励行シ必ズ本月内ニ整理完了ヲ期セラレンコトヲ望ム (「橘樹郡大綱村大正八年会計書類」飯田助丸氏蔵) (注)別紙欠。 (二) 大綱村長 飯田助夫(印) 指示事項〔大正九年十一月十六日於町村長会議〕 郡長口演 要領 一 敬神 一 立憲思想ノ涵養ト自治ノ精神 ⑴ 公民教育ヲ盛ニシ憲政並自治ニ対スル趣味ヲ涵養シ責任観念ノ養成ニ努ムルコト ⑵ 自治講習会等ノ施設ニ依リ地方中心人物ノ養成ヲ図ルコト ⑶ 自治展覧会ヲ開設スルコト ⑷ 青年団体ノ自主自立ヲ促シ役員ノ選挙及事務事業ノ遂行ヲ自治的ナラシムルコト ⑸ 戸主会、自治会等ノ会合其ノ他人民集会ノ機会アル毎ニ選挙或ハ自治政ニ関スル事項ヲ説明シ立憲思想ニ関スル自覚ヲ得シムルコト ⑹ 自治ノ進歩発達ニ関係アル公私団躰ノ活動ヲ盛ナラシムルコト ⑺ 都市ニ在リテハ都市行政研究会ヲ組織シ之ヲ活動セシムルコト 一 社会政策ノ実行 一 道路ノ完成 一 国民体位ノ改善 一 教員ノ修養ト待遇ノ向上 一 産業部ノ設置 一 国勢調査 一 事務処理 一 徴税ノ整善 一 国民思想ノ善導 (「処務指針」(大正九年)飯田助丸氏蔵) 二四四 神奈川県町村長会における協議事項 協議事項〔大正十年五月八日〕 三浦郡初声村長提出 一 『衆議院議員及』県会議員選挙人名簿ハ必要ノ都度調製スルコトニ改正方ノ件 『修正可決』 都筑郡都田村長提出 二 県費支弁ヲ以テ町村ニ一人宛ノ農事指導員配置方ノ件 『宿題』 三 出生児祝、婚儀〔貰受方〕寿式等ニハ招待員ノ内ニ町村ナル法人ヲ加ヘ之カ一人分ノ招待費ヲ金額ニ換算シ挙儀当日其ノ町村ヘ基本財産トシテ寄付スルコトニ県内一斉ニ実行スルノ件 『宿題』 橘樹郡大綱村長提出 四 県外移出ニ非サル穀物ハ生産検査済ヲ以テ直ニ横浜方面ニ搬入ヲ為スコトヲ得ル様県当局ニ上申スルノ件 『宿題』 橘樹郡川崎町長提出 五 徴兵旅費繰替金並行旅病人同死亡人費繰替金戻入支払命令通知書発行ノ際ハ其ノ内訳書ヲ添付セラルル様県当局ニ上申スルノ件『可決』 六 行旅病人同死亡人取扱手続第一条ニ於ケル救護並取扱ニ要スヘキ費用ノ種目及限度相当改正方県当局ニ上申スルノ件 『可決』 七 大正九年十月十五日神奈川県訓令第六十八号町村役場処務規程ハ之ヲ廃止シ準則ト為ス様県当局ニ上申スルノ件 『撤回〔提出者ヨリ〕』 橘樹郡御幸村長提出 八 明治四十四年九月勅令第二百四十一号第一条ニ左ノ三項ヲ追加方ノ件 1 本税額一箇年以上ニ亘リテ決定セサルトキハ市町村長ハ其ノ前年度ノ同一税ノ本税額及其ノ歩合ヲ以テ市町村税ヲ賦課スルコトヲ得 2 本税額ノ歩合一箇年以上ニ亘リ協議調ハサル時ハ市町村税ヲ賦課スルコトヲ得 3 前二項ノ場合ニ於テ本税額及其ノ歩合決定若ハ協議調ヒタルトキハ過納ハ返付シ不足ハ追納セシムヘシ 『宿題』 九 河川改良ニ関スル工事ニ因リテ必要ヲ生シタル工事ニシテ其ノ管理者タル行政庁ニ於テ河川法第三十二条第二項ニ依リ国庫ノ補助ヲ得テ施行スルモノニ対シ其ノ総工費ヨリ国庫補助金ヲ控除シタル残額ノ全部ヲ特種土木費補助規程ヲ設定シ県費ノ支弁ニ移スノ件 『可決』 一〇 町村吏員ヲ養成スル為小学校教員ヲ養成スルト同様ノ特殊学校ヲ開設スルカ又ハ吏員教習所ヲ開設シテ町村吏員ニ一定ノ期間吏務ヲ講習セラルヽ様其ノ筋ニ建議ノ件 『可 決』 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) (注)大和市役所蔵資料に同様のものがある。 二四五 神奈川県町村長会における町村財政救済決議協議事項 決議 多年全国町村ノ切望セル義務教育費国庫負担金増額問題ハ天下ノ輿論ニシテ殆ト白熱ノ状態ニ在リ而モ猶之レカ実現ヲ見サルハ頗ル遺憾トスルトコロナリ今ヤ世論滔々軍備縮少ニ依リ其ノ余財ヲ以テ教育ノ振興ト町村財政ノ救済トヲ絶叫セサル者ナシ之レ豈為政家ノ一日モ忽緒ニ付スヘキ秋ナラムヤ会々華府会議ノ結果ニ因ル予算変更ノ必要上不日臨時議会ヲ召集セラルヽニ至ルヘシ本会ハ此ノ機会ニ於テ必ス之カ問題ノ徹底的解決ヲ期ス (各郡提出の協議事項) 一 県税徴収交付金ノ中地租付加税ニ対スル分ヲ其ノ他ノ県税徴収交付金ト等シク徴収額ノ百分ノ四ト為シ尚徴税伝令書一枚ニ付金弐銭ツヽヲ交付セラレムコトヲ其ノ筋ニ上申ノ件 〔金沢村長提出〕 二 町村財務取扱細則準則第八条ノ歳入簿様式ノ中町村税及授業料以外ノ歳入ニ付テハ収入調定額及欠損額ノ欄ヲ設クルモ実際ニ於テ効果ナシト認ムルニ依リ之ヲ削除スルコトヲ得ル様訓令ノ改正ヲ県当局ニ上申ノ件 〔戸塚町長提出〕 三 町村制第四十七条第三項但書中召集再回ノ場合ヲモ加ヘラレムコトヲ其ノ筋ニ意見上申ノ件 〔三浦郡町村長会提出〕 四 自家用醤油税ヲ一期ニ徴収スルコトヽシ且暦年内ニ徴収スル様税法ノ改正ヲ其ノ筋ニ上申ノ件 〔茅ケ崎町長提出〕 五 郵便局ニ於テ取扱フ証券ノ保管ハ公共団体ノモノニ限リ国債証券、拓殖証券、勧業債券以外ノ有価証券〔農工債券地方債券等〕ヲモ取扱フ様制度ノ改正ヲ其ノ筋ニ上申ノ件 〔茅ケ崎町長提出〕 六 選挙法違反ニ依ル選挙権停止者カ恩赦ニ依リ復権シタル場合既決犯罪事項ト同様市町村役場ニ其ノ旨通知セラルヽ様法令ノ改正ヲ其ノ筋ニ上申ノ件 〔茅ケ崎町長提出〕 以上六件原案可決 七 市町村衛生費ノ補助率及「費用標準」ノ増加セラレムコトヲ県当局ニ上申ノ件 〔茅ケ崎町長提出〕 右は「 」を加ふる事に修正の上可決 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) (注)この決議協議事項は大正十一年四月のもの。なおこの資料は「大正十一年会務報告」の抜萃。 二四六 橘樹郡大師河原村事務報告 大師河原村大正十年事務報告 本年中処理シタル事務ニ於テ村会議員改選土木常設委員選挙其他共用墓地新設吏員更迭大演習事務等ニシテ殊ニ本年七月中役場新庁舎ノ工事ヲ開始シ全部完成ニ至ラサルモ之等ノ為メ事務ニ繁劇ヲ加フル多大ナリトス尚本年ハ東宮殿御渡欧アラセラレ国民ノ紀念スヘキ年ニシテ御帰朝ニ際シ殿下ノ御宏漠ヲ普ク村民ニ徹底周知セシメタリ而シテ本年中取扱タル文書ノ数ハ収受三千四百四十三件発送千九百五件外ニ経由千百三十六件ナリ左ニ事務ノ種類ニ付状況ヲ掲記ス一 村会 開会セシコト十三回ニシテ議決シタル事件ハ一月廿八日大正九年度村税課率更正ノ件外一件二月廿七日基本財産蓄積停止ノ件外十件三月十九日大正十年度県税戸数割賦課方法ノ件外三件四月十一日遊興税付加税徴収規程ノ件外二件五月三日大正十年度村税課率更正及不均一課税ノ件外十件六月九日京浜運河開鑿並ニ公有水面埋立設計変更ニ関スル諮問ノ件外一件六月二十三日渡銭ヲ徴収スル渡船場設置ノ件外四件七月七日役場建築費ノ内雑支出ニ関スル件外五件七月十五日国有下戻地々種組替ニ関スル諮問答申ノ件外参件九月三十日大正十年度歳入出追加予算ノ件外一件十月三日県税戸数割追加ニ対シテハ付加税ヲ賦課セサルノ件外一件十月廿九日急施事件トシテ有給助役選定ノ件十一月十一日本村名誉職助役推薦ニ関スル件外二件等ナリ而シテ本項ニ関シ取扱ヒタル文書ノ数ハ収受二十五件発送三十六件ナリ 二 選挙 選挙ハ総テ七回ニシテ内四月一日二級二日一級村会議員改選二回五月三日土木常設委員ノ選挙一回同日学務委員ノ選挙一回同日勧業常設委員ノ選挙一回同日川崎町外五ケ村組合会議員ノ選挙一回同日臨時委員ノ選挙一回同日臨時出納検査立会人ノ選挙一回而シテ本項ニ関スル文書ハ収受三十二件発送二十八件ナリ 三 吏員更迭 十月三日有給助役杉山助病気退職ニ付十月廿九日後任者鈴木寛ヲ選定シ十一月一日就職ス又事務繁忙ノ為メ十一月十一日名誉職助役石渡幸蔵ヲ推薦シ十一月廿二日就職ス大正十年四月八日書記大隅新六病気退職ス大正十年五月廿四日書記荒金末吉病気退職十二月三日書記馬場駒次現役兵トシテ入営ニ付退職十二月十一日付ヲ以テ寺尾喜助ヲ書記ニ採用セリ本項ニ関シ取扱ヒタル文書ハ収受七件発送十二件ナリ 四 庶務 衆議院議員選挙人名簿調製一件県会議員選挙人名簿一件共用墓地新設ノ義禀請本村ハ従来共用墓地ノ設ナク村内ニ行旅死亡人等アリタル場合ハ寺院所有ノ墓地ヲ借リ受ケ埋葬セシモ近来会社工場ノ設立セラルヽニ伴ヒ人口ノ増加シ寺院墓地狭隘ノ為メ寺院ヨリハ之等ノ埋葬ヲ拒絶セラレ其不便不尠依テ大正九年十月廿七日共用墓地新設ノ義禀請セシニ一月十四日付本県知事ヨリ許可アリタリ大正十年二月廿八日大師河原村財務取扱細則ヲ設定シタリ三月廿四日本村役場使丁村木茂平勤続十有九年ニ付功労者トシテ表彰シタリ民力涵養ニ関スル件町村税納税成績向上ニ関スル施設事項及実行方法ノ件区長会議ニ関スル件六月九日区長及代理者改選ニ付六月廿七日大師渉成園ニ召集シ村長助役出席村治上ノ打合セヲ為シタリ八月八日社界教化講習会ヲ川崎小学校ニ於テ開催ニ付本村ヨリハ助役杉山助小学校長小泉太一郎郡会議員内田誠三出席シタリ東宮殿下奉迎ノ件東宮殿下欧州御巡啓ヲ了セラレ御帰朝ニ付奉迎ノ為メ郡会議員村会議員在郷軍人分会青年団員消防組村吏員ハ御幸村明治製糖会社倉庫西側ヘ出張奉迎シタリ公園私園調査ニ関スル件其他雑件百二十件本項ニ関シ取扱ヒタル文書ハ収受百参拾壱件ニシテ発送七十二件ナリ 五 戸籍 戸籍受付件数九百八十四件ニシテ内出生二百五十七件死亡二百十五件婚姻百三十四件離婚十七件家督相続四十六件転籍四十四件分家三十三件養子縁組三十三件養子離縁七件隠居九件其他七十三件非本籍人出生六十二件死亡五十一件婚姻二件廃家一件戸籍寄留謄本抄本交付数五百三十件戸数文書収受六十四件発送五百三十二件ナリ寄留交付件数五百六十一件寄留文書収受十二件発送四百四十八件ナリ 六 兵事 六月廿七日川崎町宮前小学校ニ於テ海軍簡閲点呼執行参会ヲ令セラレタルモノ十人全部参会シタリ 七月廿日橘樹郡役所ニ於テ徴兵検査執行受験者六十六名ノ内現役兵ニ当籤セルモノ二十人補充兵十八人アリタリ 八月十七日大師河原小学校ニ於テ陸軍簡閲点呼執行参会ヲ令セラレタルモノ三百二十八名アリタリ 十一月十七日ヨリ廿日迄本県下ニ於テ陸軍特別大演習挙行セラレ其ノ筋ノ通牒ニ基キ大演習事務委員ノ設置各字毎ニ宿舎要図ノ調製其他大演習ニ関スル準備ヲ為シヌ 東宮殿下御通過ノ御道筋御警衛村内警備等ニ就テハ在郷軍人分会青年団消防組等ト協力シ万遺憾ナキヲ得タリ 本項ニ関シ取扱ヒタル文書ハ収受百七十一件発送七十二件ナリ 七 教育 本年就学告知書ヲ発シタルハ二百廿八名ニシテ就学シタル児童数ハ二百十八名外ニ免除ヲ受ケタル者男一名女二名行先不明ノモノ十名ナリ 本年卒業シタル者尋常科百九十二名男一〇〇名女九二名高等科三十九名男二〇名女一九名ナリ高等科入学者九十七名男六八名女二九名補習学校入学者七名 転入学者四十八名男十七名女三十一名転出者七十五名男四八名女二七名職員ノ更迭ヲ挙クレバ新任三名退職一名死亡一名 本項ニ関シ取扱ヒタル文書ハ収受百十六件発送百弐十八件ナリ 八 衛生 定期第一期二九三人第二期二三四人善感第一期二八四人第二期二〇二人不善感第一期二人第二期三二人学校児童トラホーム検診ハ野本校医之ヲ施行シ検診人員男六六七人女五六五人中症男一三女一七人軽症男二九女三〇人 壮丁トラホーム検診ハ県医之ヲ施行シ検診ノ人員九十人重症三人軽症十三人計十六人ナリ 一般トラホーム特殊業者ニ対シテハ県医之ヲ施行シ検診人員三百四十六人軽症男四女一二計十六人ナリ 伝染病〔腸窒扶斯〕患者六十五人男三十二人女三十三人ナリ 内死亡者男五人女五人計十人 埋火葬認許証交付数二百六十二内土葬二二一人火葬四一人 本項ニ関シ取扱ヒタル文書ハ収受百七十六件発送百六十八件ナリ 九 勧業 野鼠駆除ニ関スル件川島富右衛門外二人ヨリ野鼠駆除申出ニ付三月十五日郡清水農業技師本村役場ヘ出張駆除剤ヲ調製シ当日申出人ニ配付シタリ施行反別三十町歩ニシテ其効果良好ニシテ大ニ被害ヲ免レタリ種牝豚購入補助ニ関スル件二月十日付小林本吉ヨリ補助出願セルニ対シ三月三十一日付神奈川県知事ヨリ金拾円交付アリタリ空俵予備検査施行ノ件生産麦用空俵予備検査施行ニ付五月六日各区長ヘ注意方通知シタリ米増収競作品評会ニ関スル件五月三十日各区長ヘ実行方通知シタリ生産検査員更替ノ件五月六日検査員佐々木真太郎退職堤半蔵就職シタリ移出検査員臨時立寄所ニ関スル件六月十八日本村役場内ヘ移出検査員臨時立寄所ヲ設置シタリ大正九年度農会決算ノ件六月二十八日大師河原村農会ヨリ提出ニ付同日郡役所ヘ送付シタリ螟虫駆除成績ノ件六月十一日十六日ノ二日間教員監督シ村勧業常設委員村害虫予防委員同道小学校児童ヲシテ採卵捕蛾ヲ行ハシメタリ採卵数一万二千七百四十三捕蛾数一万四千九百八十一従事シタル児童九百人苗代ケ数三百八ナリ 桃炭疽病ニ関スル件気候ノ関係上各町村ニ渉リ炭疽病発生ニ付六月廿二日各戸長ニ宛予防方通知シタリ漁業組合講習会ノ件漁業組合ヨリ理事弐名魚介養殖会社ヨリ事務員参名出席シタリ水産会設立ニ関スル件水産会設立ニ関スル協議会ヲ本郡役所ニ開会ニ付魚介養殖会社、筒井信蔵小島源蔵石川慶蔵中山朝吉田辺幸吉宮坂甚五郎ヘ通知シタリ 天覧品供進ニ関スル件本県ニ於テ大演習挙行ニ付本村漁業組合ヨリ乾海苔参拾帖魚介養殖株式会社ヨリ蛤五桝ヲ供進シタリ十月廿六日空俵購入仲介ヲ各区長ニ通知シタリ申込数三、五三三俵ニ対シ六百四十俵十一月十九日申込数三、七五〇俵ニ対シ六百五十俵ヲ仲介シタリ其他雑件百九十八件ナリ右ハ重ナル文書ニシテ取扱ヒタル数収受二百十一件発送百四十五件ナリ 一〇 土木 道路占用料徴収ノ義ニ付認可申請ノ件 三月八日付道路法第二十八条第四項ニ依ル本村道路占用料徴収ニ付標準額認可申請セシニ三月十一日付郡長ノ認可ヲ得タリ道路敷地占用継続許可願ノ件〔大正九年九月二十九日付〕京浜電気鉄道株式会社ヨリ既設電柱道路敷使用継続占用出願ニ付大正十年三月廿四日許可シタリ 多摩川河川台帳縦覧ニ関スル件四月二十二日第百四十一号ヲ以テ本県ヨリ告示アリタルニ付四月廿五日各区長ヘ通知シタリ一月十五日水路廃止并ニ無償譲与ノ義許可申請字川中島耕地千七百三十八番ノ六地先水路長二十八間字北東耕地二千六百四十七番ノ二号地先ヨリ二千六百四十八番ノ一地先水路長三十三間ノ廃止許可ヲ申請シタルニ三月四日許可アリタリ同日廃道路敷無償譲与ノ義許可申請字川中島耕地千七百四十四番ノ七地先ヨリ千七百四十五番ノ一地先ニ至ル廃道路敷長三十五間ノ廃止許可ヲ申請シタルニ三月四日許可アリタリ一月十五日廃通路敷無償譲与許可申請字川中島耕地千七百三十八番ノ六地先廃道路敷長二十六間ノ廃止許可ヲ申請シタルニ六月十日許可アリタリ〔以上新築役場敷地〕四月十二日字江川町耕地区内石橋修繕工事五ケ所ノ修繕工事ヲ区長松本文次郎ニ請負ハセ六月二十九日竣功シタリ六月一日本村〔大師裏門〕字川中島用水石橋外五ケ所修繕工事ヲ松本喜久蔵ニ請負ハセ六月七日竣功シタリ七月十一日本村小学校構内池周囲修繕工事ヲ池上鶴吉ニ請負ハセ七月十二日竣功シタリ本件ニ於テ取扱ヒタル文書収受七十件発送六十二件ナリ 一一 社事 指定村社八幡神社ノ祈年祭例祭新嘗祭ニハ神饌帑帛料供進使並随員参向シ其ノ他ノ村社祭典ニハ村長或ハ主任書記参拝シタリ 三月二日東宮殿下御渡欧ニ付海陸御安全ノ祈願祭ヲ村社八幡神社ニ於テ執行 九月三日東宮殿下御帰朝奉告祭ヲ村社八幡神社ニ於テ執行 十二月十八日東宮殿下摂政御就任奉告祭ヲ村社八幡神社ニ於テ執行右祈願祭ノ際ニハ名誉職員役場吏員軍人分会員青年団員等参列シタリ 本項ニ関シ取扱ヒタル文書収受十五件発送二件ナリ 一二 土地 地目変換二十五件分筆三十七件 合筆四件免租地成一件有租地成三件荒地免租継年期願七件土地異動通知書三十七通〔二百三十五葉〕土地登記済通知書十四通〔二八七葉〕其他雑件三十四件収受百七十二件ニシテ発送八十七件ナリ 一三 収税 諸税負担額ノ膨脹ニ伴ヒ滞納者ノ増加スルハ免レ難キ現象ナリト雖モ一ハ納税観念ノ乏シキニ基因スルハ言ヲ俟タス甚遺憾トスル所ナリ 大正十年中納額告知書発シタルモノ〔国税〕五千六百九十三件徴税伝令書発付シタルモノ〔県税〕五千六百六十四件徴税令書発付シタルモノ〔村税〕五千七百五十二件督促令状ヲ発シタルモノ百九十五件滞納処分ヲナシタルモノ一五二件ナリ此外県税営業者ヨリ国税ニ編入シタルモノ十八人県税創業数二百五件同廃業数九十八件ニシテ本項ニ関シ取扱ヒタル文書ノ収受八百件発送二百五十件ナリトス (「大正十一年他町村予算其他参考書」飯田助丸氏蔵) 二四七 橘樹郡大綱村事務報告 大正十一年自一月至十二月橘樹郡大綱村事務報告 本年中処理シタル事務ノ内庶務ニ於テハ畏クモ不世出ノ英資ヲ以テ最モ能ク崇高偉大ナル建国ノ宏謨ヲ恢暢セラレタル 明治大帝ノ拾年祭ヲ挙行シ奉リ県税戸数割ハ各府県ニ於テ当該法規実施ニ対スル可否喧囂ノ際ニモ不拘村会議員及区長諸君ノ後援ヲ得テ極メテ円満ニ賦課徴収ヲ了セリ郡制廃止ヲ控ヘテ郡会議員ノ補欠選挙モ挙村一致ノ形式ヲ以テ無事結了シ小学校舎建築ハ本村多年ノ懸案タリシモ拒障ナク工事ヲ進メツヽアリ伝染病ハ不幸ニシテ腸チフス蔓延ノ徴アリシヲ以テ警察側ト協力シテ之ガ予防撲滅ニ力ヲ致セリ数年ノ宿題トシテ会社ト交渉ヲ重ネツヽアリシ電燈供給問題ハ幾多ノ迂余曲折ヲ経テ遂ニ戸数六百燈数一千二百燦トシテ文化ノ輝キヲ見ルニ至レリ学制発布五十年記念ヲ祝賀スル為メ各団体連合ノ大運動会ヲ開キタリ其ノ他一般事業モ亦世運ノ進歩ニ伴ヒ時務ノ分量ヲ増加シ執務上繁劇ヲ加ヘタルニ吏員一同協力シテ互ニ分掌事務以外補助シツヽ勤勉以テ之ヲ処理シタリ而シテ本年中取扱ヒタル文書類数ハ戸籍並ニ兵事ヲ別トシテ収受二千六百七十八件発送ニ於テ七十件ヲ増シ経由ニ於テ三十二件ヲ減ス但シ文書内容ノ整理ニ依リ件数ヲ減シタル往復文書等其分量ヲ増加セリ左ニ事務ノ種類ニ就キ其状況ヲ記ス 一 村会 開会セシコト四回ニシテ大正十年度本村歳入出追加予算ノ件及大正十一年度本村歳入出予算并ニ之ニ関係セル諸件ニ付一回大正十一年度本村歳入出追加予算及之ニ関係セル諸件並ニ官有地譲与申請ノ件ニ付一回大正十一年度本村歳入出追加予算ノ件並ニ之レニ関係セル諸件及消防組設置区域追加及人員変更ノ件及大正十一年度前半期県税戸数割大綱村賦課方法ノ件ニ付一回大正十一年度后半期県税戸数割大綱村賦課方法ノ件及大正十年本村歳入出決算認定ノ件及学務委員補欠選挙ノ件及本村税賦課規程中改正ノ件及本村財務調査会規程〔急施案〕ノ件ニ付一回而シテ追加予算ノ主ナルモノハ小学校舎新築費ニ充当スル費用ナリトス 二 選挙 十月十日村会ニ於テ学務委員補欠選挙ヲ執行シタルニ竹生源蔵氏当選セリ十一月十五日郡会議員補欠選挙ニ付当選挙区ニ於テ選挙ノ結果竹生源蔵氏当選セリ 三 吏員更迭 本村吏員中更迭シタルモノナク専ラ各員分掌事務ニ依リ精励セシヲ以テ県税戸数割賦課方法等非常ノ手数ト研究等ヲ要スル問題アリシニ不拘別段ノ渋滞ヲ見スシテ終レリ吏員ノ勤務状況左表ノ如シ 大正十一年役場吏員勤務表 四 庶務 郡会議員補欠選挙ニ付九月十五日現在選挙人名簿ニ登録セラレタルモノ二百二十二名ニシテ十一月十五日選挙会ヲ開キ投票ヲナシタルモノ四十四名満点ヲ以テ竹生源蔵氏当選ス県会議員選挙人名簿九月十五日現在登録セラレタルモノ三百二十三名大正十一年法律第五十五号府県制中改正法律ニ依ル分四百七十九名衆議院議員選挙人名簿十月一日現在登録セラレタルモノ四百十四名本村戸数ハ十二月末日現在七百六十五戸ナリ 予算編成其ノ他打合ノ為メ一月二十日日吉村役場ニ於テ中部村長会ヲ開キ飯田村長出席ス同月二十一日大綱城郷両村組合会ヲ開キ管理者選挙ノ所飯田本村長当選セリ四月一日電燈配給ノ件ニ付東京電燈株式会社横浜支店ヨリ森田技師本村役場ヘ出頭アリ本村内ヘ電燈配給ノ曙光ヲ見ルコトヲ得爾来引続キ会社側ト交渉ヲ重ネ十一月二十日最後ノ協定ヲナシ直ニ外線及内部取付ニ着手シ十二月十六日電燈点火ノ祝賀会ヲ開キ村内一般ニ文化ノ輝キヲ見ルニ至レリ四月十九日村会議員及役場吏員合同県下優良町村事務視察ノ為メ一泊二日出張セリ五月十六日飯田村長ハ本県ノ嘱託ニ依リ富山滋賀兵庫ノ三県下ノ優良町村其ノ他事務視察トシテ出発二十五日帰村セリ六月二日本村役場ニ於テ中部町村税務主任打合会ヲナシ新戸数割規則ノ研究及打合ヲナス同月五日各区長会議ヲ開キ戸数割所得申告ノ件ニ付打合ヲナス八月二十二日大綱消防組第四部新設小頭任命ニ対シ辞令伝達ス九月十三日本村統計調査委員協議会ヲ開キ諸般ノ打合ヲナス九月十四日ヨリ農政視察ノ為メ本郡農会ノ嘱託ニ依リ宮城福島地方ヘ出発十八日帰村セリ十一月三日寒川村長外村会議員六名ハ本村役場事務視察トシテ来場セラレタリ 五 戸籍 加籍件除籍四件異動二五件入寄留三三件出寄留一二五件就籍○件ニシテ本件ニ関シ収受七三件発送三二七件本村人口ハ大正十一年末五、四三一人ニシテ内男二、七九〇人女二、六四一人本年出生一九一人ノ内男九四人女九七人死亡一二〇人ノ内男六四人女五六人死産一九人ノ内男一二人女七人前年ニ比シ出生ニ於テ五件ヲ減ス死亡ニ於テハ同数結婚九三件離婚七件前年ニ比シ結婚ニ於テ三件ヲ増ス離婚ニ於テ一件ヲ増ス在監人員男一人トス 六 兵事 本年度壮丁者四十二名現役志願者一名前年延期ノ者一名ニシテ徴兵検査ヲ受クベキモノ四十四名七月二十日検査施行甲種合格十二名乙種合格十一名丙種十三名丁種二名甲種徴免四名外ニ盲者一名現役志願者ハ不合格ナリ同月二十五日抽籤ノ結果現役兵ニ徴集セラルベキモノ陸軍ニ八名海軍ニ一名補充兵役ニ編入セラレタルモノ十二人ナリ点呼召集ニアリテハ海軍簡閲点呼五月二十七日川崎町宮前小学校ニ於テ施行本村ヨリノ参会者二名点呼執行官ハ海軍中佐松山為磨氏ナリ陸軍ニアリテハ八月十四日本村小学校ニ於テ施行アルヘキ予定ナリシモ七月八日付取止通牒アリ本年ニ限リ召集セラレザルコトヽナル勤務演習ノ為召集セラレタルモノ十五名ニシテ七月二十日以后ハ点呼召集同様取止ノ通牒ニ接ス 本年四月ヨリ馬籍法実施ニツキ馬籍作製ノ必要上六月三日篠原八幡社境内ニ於テ県農務課技手竹内喜作氏出張ノ下□村馬匹ノ検査ヲ施行セリ同日出場馬匹二十七頭ヲ算ス更□七月二十九日第一師団地方馬検査施行手続ニ基キ保土ケ谷町□郷村及本村ニ於ケル馬匹検査ヲ前記八幡社境内ニ施行セリ当□検査執行官第一師団地方馬検査官小岩井直氏ニシテ出□馬匹本村ノ分二十九頭中輓馬合格十二頭他ハ不合格ナリ 軍隊慰問四月廿四日廿五日ノ両日郡内各町村現役軍人慰問ノ為メ三組ニ分レテ往訪スルコトヽナル本村ヨリハ座間書記第一組ニ加ハリ歩兵第一連隊近衛野砲第一連隊野砲第一連隊輜重兵第一大隊近衛輜重兵大隊工兵第一大隊ノ各隊ヲ訪問セリ軍人分会長豊島石蔵氏ハ第二組ニ加ハリ近衛歩兵隊重砲一連隊横須賀海兵団等ノ慰問ヲ了ス 軍隊宿営ニ関シテハ五月二十二日陸軍士官学校輜重兵隊百八名馬匹八十二頭ハ教官山下竧氏指揮ノ下ニ南北綱島ノ大部分ニ投宿セリ 六月二十七日中野電信隊兵百十八名馬匹二十二頭ハ中隊長大尉結城朝久氏指揮ノ下ニ作業実習ノ為来村大字菊名ノ大部分及大字大豆戸ノ一部ニ宿泊セリ 十月二十四日近衛歩兵第一連隊第一大隊及同第二連隊第二大隊ノ一部総員六百〇五名馬匹十頭ハ総指揮官陸軍歩兵少佐河村勘市氏引率ノ下ニ一泊行軍トシテ大字南北綱島全部ニ分宿セリ 九月十四日鶴見町総持寺ニ於テ大正十二年度ニカヽル本村壮丁四拾四名ニ対シ花柳病及トラホームノ検診ヲ施行ストラホームニ於テ軽症患者四名擬似患者二名アリ何レモ治療券ヲ交付シ直ニ治療スベキ旨ノ注意ヲナス 十二月八日大師河原村役場ニ於テ陸軍動員事務ニ関スル師団司令部ノ検閲ヲ受ク本年中退営帰郷セルモノ陸軍ニ於テ十四名海軍ニ於テ三名ニシテ前年以前ヨリ現役ニシテ引続キ在隊者陸軍十二名海軍六名十二月末日調在郷軍人総数三百五十七名ニシテ内現役三十二人〔帰休兵ヲ含ム〕予備役四十一人後備役百〇五人補充兵役百七十九人第一国民兵二十八名其ノ外海軍予備役ニアルモノ六人ナリ此等陸海軍人願届其ノ他ニ於テ取扱ヒタル文書類収受ニ於テ二百二十件発送三十三件トス 七 教育 本年就学ノ告知ヲナシタル児童ノ数男五九人女五一人計一一〇人ニシテ不就学者ナシ本年中卒業シタルモノ尋常科ニアリテハ男四五人女四九人計九四人高等科ニアリテハ男三〇人女八人計三八人ナリトス 村立実業補習学校ハ青年団幹部ト気脈ヲ通シ就学ノ督励ニ努メ前年来ヨリ引続キ優良ノ成績ヲ挙ケツヽアリ現在生徒数ハ第一実業補習学校ニ於テ九十五名第二実業補習学校ニ於テ五十□名ニシテ一月二十一日川島本郡長ハ補習学校視察ノ為メ出張セラレ一場ノ訓話ヲ生徒ニ与ヘラレタリ十月五日学制発布五十年紀念祝賀ノ為メ本村年中行事ノ一タル大運動会ハ学校側ト各種団体ノ連合運動会ヲ開催シ従来ニ稀ナル盛況且ツ活気ヲ呈セリ 小学校舎建築ニ関シテハ一月十日学務委員会ヲ開催シ設計其ノ他ニ対スル大体ノ方針ヲ立テ爾来幾回トナク委員会ヲ開キ打合ヲナシ遂ニ十一月一日学務委員及関係者立会ノ上公入札ヲナシ其結果入札者十二名落札者ハ横浜市神奈川町酒川鶴吉氏ト決シ金弐万三千五百円ヲ以テ契約ヲ締結シ直ニ工事ニ着手シ十二月二十三日上棟式ヲ挙クル迄ノ運ビニ至レリ 教育文庫、学制発布五十年記念トシテ各小学校ヘ文庫ヲ設置シ本村ノ外一般有志者ヨリ金品ヲ募集シ之レニ充テ目下其ノ整理中ニ嘱セリ 児童成績展覧会ハ十二月九十両日間尋常大綱小学校内ニ開設シ尋常高等大綱小学校ニ於テハ二月十一、十二ノ両日間成績品展覧ヲナス連年其進歩ヲ見ルノ喜ビアリ 教員ノ異動尋常高等大綱小学校ニアリテハ代用教員磯部義臣ハ本県師範学校第二部ニ入学ノ為三月三十一日退職セリ四月代用教員トシテ福島健赴任シ八月退職ス代用教員下川文三ハ五月赴任ス九月訓導飯田トミ就職ス尋常大綱小学校ニ在リテハ三月三十一日付訓導武尾帰一ハ他ニ転校シ訓導程木謙造其後任トシテ赴任シ七月二十一日付代用教員萩原文一ハ退職シ欠員ノ儘本年ヲ終レリ 八 衛生 春秋二期ノ清潔法ハ各衛生組合長ヲ督励シテ最モ精察ニ各部ニ分チテ査察ス 伝染病患者トシテハ腸チブス患者男三人女二人ノ内死亡者男一人女一人トス而シテチブス発生ノ都度発生地付近住民ニ対シ警察官ト協力シテ綿密ナル清潔法ヲ施行シ併セテ予防注射ヲ施行ス其注射ヲ施行シタル員数男九十二人女九十六人ナリチブス患者付近ニハ戸毎ニ健康診断ヲナシ警察医ノ派遺ヲ乞ヒ警察側ト協力シテ予防撲滅ニ従事ス 本年四月種痘法ヲ椎橋伊東両医師ヲ嘱託施行シ第一期ニテ男八十六名女七十六名計百六十二名第二期ニテ男六十五名女六十九名計百三十四名ニ施行セリトラホーム予防検診ニ関シテハ定期施行ニヨリ小学校生徒男六十四人女八十人特殊業体者ニ於テ男一人女一人工場ニ於テ男三人女十八人壮丁男三人合計百四十九人ノ患者ヲ発見シ治療ノ結果大体奏効セルヲ認ム 九 勧業 主要穀物即チ主産物タル米ニ於テハ其品種純正ヲ期シ且ツ乾燥調製等ヲ良好ナラシムル目的ヲ以テ本郡ニ於テハ俵米品評会ヲ大正十一年十二月十二日ヨリ同十六日迄ノ五日間本郡中原村安藤工場ニ於テ開催シタルモ本村ノ出品点数五点ニシテ受賞者左ノ如シ 一等賞田中又四郎〔篠原〕 二等賞加藤久蔵〔大豆戸〕 三等賞加藤定吉、小泉喜一、加藤富吉〔大豆戸〕 本年十一月十七日ヨリ三日間南綱島ニ於テ犁耕伝習会ヲ開催ス本郡ヨリ伝習技術員ヲ派出セラレ伝習者十六名ヲ伝タリ 本年麦酒麦共同販売ニ関シテハ昨年来ヨリ一般麦相場ノ下落ニ鑒ミ生産者ノ作付減少シ麦酒麦ノ如キモ生産者僅ニ四名ニシテ麒麟麦酒株式会社ニ渡シタル数量七石五斗此代金七拾七円七拾銭 本年播キ残葱頭種売払方ヲ申込ムモノアリ各地方農会ヘ斡旋シタルニ左記農会ヨリ希望申出タルニ付一升ノ価七円ニテ鎌倉郡中郡高座郡埼玉県地方ヘ売渡シタル数量一斗八合此代金七拾五円六十銭ナリ稲螟虫駆除ニ就テハ苗代期ニ於テ病虫害予防委員ハ小学校職員及農会役員ト協力シテ生徒及一般農家ヲシテ卵蛾ヲ採捕セシメタルニ採卵四万二千〇〇二塊捕蛾一万六千三百四十九個ニシテ昨年ニ比シ卵ニ於テ一万九千九百五十五塊ヲ増シ蛾ニ於テ八百九十二個ヲ増ス 大正十年三月末日菜園基本調査ニ於テハ全菜園反別二十五町九反九歩ナリシモ其后廃止セルモノ六町一反アリ大正十一年十月末ニ於テ現在菜園十九町八反九歩トナレリ 一〇 土木 尋常高等大綱小学校舎建築ニ伴フ諸般ノ設置ヲナス 一一 社寺 社寺境内枯損木伐採ニ関シ四件神社財産登録抹消申請一件寺院土地無償交換一件村社氏子総代改選ノ件一、住職届一、兼務住職届一、檀家総代改選届一件ナリトス 一二 土地 土地ニ関シテハ売買ニ於テ八百十四筆道路成百四拾二筆田一反四畝弐拾六歩畑一畝十九歩開墾成功二十五筆畑弐町七反三畝十九歩山ヨリ畑ニ入ルモノナリ分筆五十三筆合筆三十四筆地目変換十四筆二千三百三十五坪九合弐夕畑ヨリ宅地成ノモノ四百九十二坪二合五夕田ヨリ宅地成ノモノ同地目変換十五筆三反六畝二十九歩田ヨリ畑ニ成ル九畝二十九歩宅地ヨリ畑ニ成ル四十四坪五合九夕山林原野ヨリ宅地ト成ルモノ地類変換十一筆弐反七畝十四歩畑ヨリ山ニ成ルモノ壱町五反六畝廿四歩田ヨリ原野ニ成ルモノ等ニシテ合計千百六件トス一三 収税 国税十年完納ノ件一月十日郡役所ニ於ケル町村長会ノ席上神奈川税務署長ヨリ本村ガ既往拾ケ年間国税完納ノ成績ニ対シ税務監督局ヨリノ表彰状ヲ交付セラレタリ 諸税共前年ニ比シ物価動揺財界変動ノ影響ヲ受ケ県村税ニ対シ延納スルモノ漸次増加スルモ主任者ヲシテ二十数回出張徴収ヲ行ヒタル結果漸次減少ノ状況ナルモ国税ニ於テ一年ヲ通シテ滞納報告ヲナシタルモノ四人アルモ之等ハ皆他町村住民ナリ 県税ニ於テ前期后期ヲ通シテ滞納報告ヲナシタルモノ五十二人村税ニ於テ滞納処分執行ヲ嘱託シタルモノ三件何レモ他町村住民ナリ本村住民ニシテ吏員派遣督促ヲナシタルモノ百六十五人徴税伝令書ヲ発シタル数国税ニ於テ六千九十四件県税八千百九件村税八千百九件諸収入ニ於テ四百四十五件本項ニ関シ取扱ヒタル文書ノ数収受ニ於テ六百五十三件前年ニ比シ四百十三件増発送百四十一件前年ニ比シ二十件増ナリ 一四 会計 一 国税収入高金壱万三千十七円八十銭 納付金額 一 県税収入高金弐万四千百七十六円八十銭 納付金額 一 村税収入高金四万六千二百九円三十四銭 一 交付金三百六十七円七十二銭 〔四月以降交付金十一年度収入トス〕 一 教員恩給基金七十六円八十七銭 一 支払高金三万六千四百六十三円九十一銭 一五 財産 大正十年度基本財産トシテ編入ヲナシタル金高千七十七円五十銭ニシテ合計金三千七百八十九円三十七銭其ノ内小学校建築ノ為メニ郡長ノ許可ヲ得テ繰入ヲナシタルモノ金二千七百円十二月末現在金一千〇八十七円三十七銭ナリ 右町村制第百十三条ニ依リ及報告候也 大正十二年二月二十七日提出 橘樹郡大綱村長 飯田助夫 大正十一年末物件現在表 大綱村役場 十一年度中ニ自転車百二十一輛増貨物運搬用自転車六小牛車二十一オトバイ一増加ス (「関議会書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 二四八 橘樹郡町村長会における町村行政事務関係指示事項 指示事項〔大正十二年四月十三日町村長会〕 町村役場事務整理ニ関スル件 町村役場事務ハ日ニ月ニ其ノ件数ヲ増加シ益複雑トナルハ時勢ノ進展ト共ニ止ムヲ得サルモノトス而テ此ノ複雑繁多ナル事務ヲ正確敏速ニ処理スルハ各位ノ努力ニ依ルハ勿論良ク吏員ヲシテ常ニ担当事務ノ研究ヲナシ且ツ其ノ機会ヲ与ヘ専心町村ノ為執務方督励セラレ且優遇ノ途ヲ講セラルヽ等常ニ留意セラレンコトヲ望ム 県ハ本年七、八月ノ時期ニ於テ本郡各町村役場事務ノ集合検閲ヲ施行セラレントス各位ハ此際各担任者ノ事務ヲ精査シ苟モ不適法ノ措置ナカラシムル様整理ヲ望ム 町村予算決算ニ関スル件 大正十年度決算並大正十二年度予算ハ目下調査集計中ニ属スルモ逐年経費ノ膨脹ヲ来シ其ノ負担漸次増加シツヽアリ各位ハ町村ノ発展ト公益事業ノ計画ニ積極的ノ増進ヲ計ルト共ニ消費ノ節約ニ事業ノ整理ニ経費ノ軽減ヲ計リ町村民ノ負担軽減ニ留意セラルベク猶大正十一年度決算ニ付テハ出納閉鎖切迫ノ時ニ当リ適法ナル収支ヲ完了セシムル様留意ヲ望ム 公営造物維持保存ニ関スル件 学校舎役場其ノ他町村営造物器具器械等維持保存ニ関シテハ常ニ深甚ノ注意ヲ払ハレツヽアリト雖小破ヲ等閑ニ付シ為ニ意外ノ損失ヲ来シタル類例他ニ少ナカラス各位ハ常ニ細微ノ破損ニ留意シ維持保存ノ完備ニ努メラルヘシ 報告書類等期限励行ニ関スル件 定期報告其ノ他期限アル回答類ハ期限ヲ愆ラサル様処理セラレンコトヲ望ム 徴税事務ニ関スル件 県税及町村税成績ノ良否ハ県、町、村万般ノ施設経営上ニ至大ノ関係ヲ有スルヲ以テ納期内完納滞納整理ニ関シテハ常ニ苦慮セラルヽ処ナルモ未タ充分ノ実績ヲ挙クルニ至ラサルハ誠ニ遺憾トスル所ナリ畢竟滞納ノ原因ハ逐年納税義務者ノ負担増加セルト財界不況トハ其一因タルヘキモ概シテ納税義務者カ其ノ義務ヲ忽緒ニ付スルニ職由セスンハアラス是レカ矯弊ニ関シテハ納税組合或ハ伍人組合等ヲ組織シ又ハ青年会、在郷軍人会等ニ於ケル講習、講話ノ機ヲ善用シ納税観念ヲ鼓吹スル等主トシテ当局者ノ懇切ナル指導其ノ宜シキヲ得テ納税ノ重ンスヘキコトヲ自覚シ以テ納期内完納ノ好成績ヲ挙ケ得ヘキモノト信ス格段ノ奮励努力アランコトヲ望ム 地租額及倉庫坪数報告ニ関スル件 郡部県税取扱手続第六条及第七条ノ二ニヨリ毎期賦課期日現在ノ地租額及倉庫坪数ヲ賦課期日後三日以内ニ報告セラルヘキ規程ナルニ依リ其ノ期限励行方ニ関シテハ毎税務主任会議ノ節主任者ニ対シ直接注意スル所ナルニ不拘今ニ四月一日現在ノ報告ナキ向アリ調定上洵ニ差支フルヲ以テ爾今期日内ニ報告方留意セラルヽト同時ニ未報告ノ町村ハ直チニ報告セラルヘシ 私法人建物税其ノ他課税標準額届ノ件 客年三月三十一日県令第二十九号ヲ以テ県税取締規則ノ一部ヲ改正セラレ県税私法人建物税及営業税法第二十一条第二項該当者ノ県税課税標準額届書ハ本月二十日迄ニ届出ヘキコトヽナリタルモ今ニ其届出僅少ニシテ注意方徹底セサル感アリ又届出ヲナスモ資本金額欄内ニ資本金ト払込済資本金額ノ区別ナキモノ及何等理由ナクシテ前年度ヨリ賃貸価格ノ著シク減少シタルモノ等ニテ符箋返却ヲナスモノ多キニヨリ之等ニ対シテハ客年四月二十八日付戌橘税収第六二七号通牒ノ様式ニ依リ期日迄ニ届出方納税義務者ニ篤ト注意ヲ望ム 協議案 一 町村役場事務研究会創設ニ関スル件 (「指示事項並視察書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 二四九 神奈川県町村長会における地租委譲農村振興宣言および協議事項 第四回通常総会 大正十二年四月七日高座郡藤沢町県立湘南中学校ニ於テ第四回通常総会ヲ開ク (中略) 午後一時議事ニ先立チ左ノ宣言ヲ可決シ続イテ中央報徳会講師村田宇一郎氏ノ地方自治ノ向上ニ関スル有益ナル講演アリ午後三時半散会 宣言 政府ハ農村ノ現状ニ鑑ミ此ノ際速ニ応急的救済ノ方策ヲ講スルト共ニ大正十三年度ニ於テ地租委譲問題ヲ決行シ根本的農村振興ノ実ヲ挙クヘシ 大正十二年四月七日 神奈川県町村長会 四月八日午前十時前日ニ引続キ開会出席者九十八名会員ヨリ提出ノ議案ニ付審議シ左ノ五件ヲ可決シタリ 一 人口二万以上ノ町村ニ対シテハ市制ニ準シ町村会ニ議長副議長ヲ特置スルコトヲ得ル様其ノ筋ニ上申スル件〔橘樹郡川崎町長提出〕 二 穀物移出検査手数料徴収事務取扱ニ対シ町村ニ相当交付金ヲ与ヘラレムコトヲ県当局ニ申請ノ件〔橘樹郡大綱村長提出〕 三 汚物掃除監視吏員ノ俸給額ハ之ヲ数階級ニ区分シ県下一般ニ通スルモノト為ス様令規改正方ヲ県当局ニ申請スル件〔三浦郡町村長会提出〕 四 田租第一期ノ納期限「其ノ年十二月十六日ヨリ翌年一月十五日限」トアルヲ「翌年一月一日ヨリ同一月末日限」ト改正スル様其ノ筋ニ意見上申ノ件〔高座郡大沢村長提出〕 五 恩賜財団済生会救療費ノ制限額〔規程第六条〕ヲ拡張シ貧民患者ノ医療救護ヲ徹底セシムル様改正方ヲ県ニ意見上申ノ件〔高座郡町村長会提出〕 外ニ高座郡茅ケ崎町長新田信氏提案ノ町村長吏員ヲ優遇シ且ツ相互救済ノ実ヲ挙ケ以テ自治行政ノ進歩発達ヲ期スル為県ノ区域ヲ単位トスル町村吏員共済会ヲ設置スル事ハ慎重調査攻究ヲ要スルモノトシ十一名ノ各郡常任幹事ニ付託シ調査ノ結査報告ヲ待ツテ可否ヲ決スル事ト為リ 午後三時閉会 当日松原内務部長臨席一場ノ講演アリタリ 大正十二年五月中通常総会ノ決議事項ノ貫徹ヲ期スル為神奈川県知事ニ対シ上申書ヲ提出セリ 同年七月十六日本会宣言ノ趣旨ニ基キ政府ノ反省考慮ヲ促カス為地租及営業税地方委譲ノ件ニ付左ノ委員ヲ選ヒ内務大蔵両省及各政党本部ヲ歴訪シテ陳情スルトコロアリタリ 金子賢次郎 早川義雄 菅沼保之輔 後藤宗七 小林五助 安西福太郎 遠藤好右衛門 田野倉彦太郎 遠藤稲作 金子角之助 長谷川弥三郎 然ルニ其ノ後加藤内閣ノ総辞職ニ因リ後継内閣組織中ニ当リ九月一日ノ大震災ニ逢ヒ翌九月二日山本内閣ノ成立ヲ見ルニ至リタルト雖震災善後ノ措置ニ忙殺セラレ他ヲ省ミルノ遑ナク又本会トシテモ罹災町村及罹災民救済ノ為ニ新ナル活動ヲ要スルコトヽナリタルヲ以テ一先同問題ニ対スル運動ヲ中止スルノ止ムナキニ至リタリ (注)神奈川県町村長会「大正十二年度会務報告」の抜萃。 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 第三章 関東大震災 第一節 被害状況の報告 二五〇 神奈川県下の被害状況一覧表 二五一 神奈川県下震災状況に関する県知事安河内麻吉の報告(一-四) (一) 大正十二年九月三日午後七時報告 神奈川県知事 安河内麻吉 内務大臣子爵 後藤新平殿 震災ニ関スル報告〔第一報〕 横浜市ニ於ケル本月一日ノ震災ハ全市火ノ海ト化シ市民ノ若干カ身ヲ以テ難ヲ免レ其惨禍タルヤ到底夢想タモ為シ能ハサル底ノ悲惨事(「神奈川県震災誌」神奈川県庁蔵) ニシテ一瞬ニシテ天空冥蒙骨肉相分レ死生ヲ異ニスルカ如キ状態ナリ然モ全市ノ震災ハ時恰モ陰暦二百十日ノ厄日ニ際会シ烈風火ヲ吹キ火焰ハ瞬間ニシテ全市ニ拡大シ避難民ハ殆ト行ク処ヲ知ラサラムトス仍テ身ヲ以テ難ヲ免レタル当庁員ヲ以テ臨時救護所ヲ横浜公園ニ移シ警察部長ハ警察部ノ巡査ヲシテ各署長ニ非番巡査ノ非常召集ヲ命シタルモ公園集合地ニ集合スルニ先タチ已ニ諸所ニ発生シタル震火ハ交通ヲ杜絶シ集合自由ナラス然モ余震ハ絶エス継続シ揮発物爆発物ハ巨弾ヲ放ツカ如キ音響ヲ続発シ空中爆発管飛散シ殆ト戦争状態ト何等異ナルコトナク為ニ市民ハ人心恟々トシテ殆ト死生ヲ知ラサルカ如キ不安ノ間ニ夜ヲ徹シ警察官モ亦タ殆ト不意ノ天災ニテ如何トモ手ヲ施スベキ手段ナク辛フシテ警察官ヲ以テ避難民ヲ保護警戒セシムルト共ニ負傷者ニ応急手当ヲ施シタルモ材料及医師乏シク遺憾ノ間ニ天明ヲ待ツ当夜ノ市民ハ付近公園広場又ハ高台等ヲ選ヒ万一ノ僥倖ヲ冀フテ避難シタルモ逃迷ヒタルモノ不尠而シテ当夜ノ避難民ハ市公園ニ約五万掃部山伊勢山ニ約一万本牧三渓園付近磯子方面久保山等ニ約一万宛アリ其ノ他互ニ先ヲ争フテ適所々ニ難ヲ避ケタル者尠カラサリシモ震火ノ拡大急速ナリシ為メ各々其ノ適所ヲ得ルニ苦ミ右往左往シツヽ黒煙ニ巻カレ若クハ焼灼ニ堪ヘスシテ河中ニ身ヲ投シ溺死シタル者実ニ尠ナカラズ其ノ惨状タルヤ実ニ筆紙ニ尽シ難シ被害程度ハ其ノ惨禍甚大ニシテ調査スル能ハサルモ戸数八万五千中殆ト九分焼失又ハ倒潰シ死者約十万傷者無数ナルベシト思料セラル而シテ官公署ノ如キ殆ト一トシテ存立スルモノナシ横浜地方裁判所長及検事正代理福鎌検事其他判検事税関郵便局ノ高等官中ニモ多数ノ死者アルベキモ未タ判明セサル者多シ震災一度到リ余震尚去ラス海嘯来襲ノ謡言盛ニ行ハレ又不逞鮮人暴行略奪凌辱等ノ風説行ハレ人心安定セス然モ其ノ間生死不明ノ家族カ互ニ之ヲ捜索スルモノヽ状態ハ殆ト現在ニ於テ再ヒ見ル能ハス随時随所ニ起レル哀話悲語ハ流涕聴クニ堪エサルコト而己ナリ然モ他面県下郡市ノ状勢ハ交通通信ノ杜絶ニ依リ之ヲ知ル能ハサルモ県下到ル処其ノ惨禍ノ激甚ナルハ想像ニ難カラス差当リ人心ノ安定食料ノ給与ハ最モ急ヲ要スルモ当市中ヨリ需ル能ハス水道ハ断水シテ市中殆ト水ヲ得ル能ハズ濁水ヲ飲ンテ僅カニ飢餓ヲ医スルニ過キス止ムナク横浜船渠会社ノ貯蔵米ヲ解放シテ之ヲ罹災民ニ供与シタルモ何分飢餓ニ頻セル罹災民ハ平穏適切ナル分配ヲ受クル能ハサルモ罹災民ノ共同生活的感念ニ依リ幾分ツヽハ之カ配給ヲ受ケタルカ如シト雖モ食料問題ハ時々刻々ニ其ノ必要ニ迫ラレツヽアリ依テ庁中ヨリ職員ヲ簡抜シテ陸軍大臣第一師団長ニ出兵ノ要求ヲ為シ兼テ貴官ニ口頭ヲ以テ報告セシメタル通リナルカ震災ノ翌二日ハ人心ノ安定ヲ除去スル能ハス各所ニ掲示シテ流言蜚語ノ打消シ罹災民ノ救助傷者ノ応急処置ニ努メ一面物資ノ来着ヲ待ツヨリハ寧ロ物資ノ需給上可能性ヲ有スル郡部ニ避難スルノ得策ナルヲ力説シテ漸次避難セシメツヽアルモ何シロ交通杜絶市民ハ疲労困憊シタルヲ以テ意ノ如クナラス止ナク船舶ヲ徴発シテ静岡及阪神地方ニ輸送ヲ開始セムト欲シ努力中ナルト共ニ当港碇泊船これや丸ノ無電ヲ利用シ大阪兵庫両府県知事ニ糧食ノ配給ヲ依頼シツヽアリ 右及申報候也 (二) 大正十二年九月三日 神奈川県知事 安河内麻吉 内務大臣子爵 後藤新平殿 震災状況報告〔続報〕第二報 爾来人心恟々トシテ不安ノ状態ニ在ル横浜市ハ本三日午前十一時駆逐艦ニテ赤坂第一連隊中隊長正本雪儀少佐ノ率ユル兵員百十名〔外ニ鳩班二名鳩二十羽〕上陸次テ午後二時四十分習志野騎兵第十五連隊長九野尾順太郎大佐ハ騎兵二百五十名ヲ引率シテ到着午後三時軍艦山城ヨリ陸戦隊二小隊上陸直ニ別紙個所ニ配備シタル為メ市民ハ稍々安堵ノ色アリト雖モ市ノ外囲部落ニハ朝鮮人ノ来襲説盛ニシテ未タ全ク安定セス軍隊ノ来援尚一層必要ナルヲ認メツヽアリ 右及申報候也 (別紙) 軍隊配置個所 (一) 食糧飲料水配給場所 一 高島倉庫 一 新山下町 一 八幡谷戸 (二) 食糧品倉庫所在地 一 横浜ドツク 一 神奈川横浜船渠 一 横浜税関〔三菱倉庫及付近ニ物資ヲ積メル船舶モ含ム〕 (三) 現在家屋所在地 一 藤棚付近浅間町程ケ谷方面〔火薬製造会社モ含ム〕 一 磯子方面〔爆発物貯庫ヲ含ム刑務所付近共〕 一 本牧方面〔根岸〕 一 神奈川三ツ沢方面 一 弘明寺蒔田方面 (四) 罹災者集団ノ主ナルモノ 一、横浜競馬場 一、横浜公園 一、一本松ヨリ掃部山ニ至ル地点 一、山手公園 (三) 大正十二年九月五日 神奈川県知事安河内麻吉 内務大臣子爵後藤新平殿 震災ニ関スル概況報告続報〔第六報〕 横浜市ノ概況ニ就テハ曩ニ報告ニ及置候処尚横須賀市外各郡ノ概況左記ノ通ニ有之候 一 横須賀市 同市ハ全戸数約一万一千八百戸ノ処之カ被害ヲ受ケサルモノハ約百五十戸ニ過キスシテ而モ之等ハ孰レモ倒潰又ハ半潰ナリ而シテ夫以外ノ戸数約四千戸ハ震災ト同時ニ四個所ヨリ発生シタル火災ノ為焼失シ本四日迄ニ発見シタル焼死体ハ約四百五十個尚続々発見シツヽアリテ其ノ惨状筆紙ニ尽シ難キ状況ニシテ真ニ阿鼻叫喚其ノ極ニ達ス又焼失家屋ノ重ナルモノハ海軍病院海軍機関学校海兵団及横須賀郵便局等ニシテ全ク同市軍港ノ全滅ト謂フベキ状況ニ有之候 二 都筑郡 同郡ハ郡部タル関係上稍々其ノ被害ハ軽微ナリト雖モ尚且死者一五名重軽傷一三名全潰家屋一八六半潰一三二ニシテ幸ニ火災ノ起ラサルハ不幸中ノ幸ニシテ唯郡民ハ余震続発ト共ニ海嘯ノ襲来ニ人心不安ノ念ニ駆ラルヽ際不逞鮮人ノ襲撃説ハ一層民心ヲ脅威セシメ為メニ在郷軍人及青年団員ハ挙テ之カ警戒ニ任スル等人心極度ニ昂奮シ大ニ注意ヲ要スベキ状況ニアリ 三 久良岐郡 同郡ハ横浜市ノ南部ニ接シ其ノ被害モ相当強烈ニシテ今日迄ノ調査ニ依レハ死者一百名重軽傷七二五名住家全潰一、二一二戸半潰二、九九九戸ニシテ殆ト三分ノ二以上ノ倒潰家屋ヲ見ルノ状況ニシテ其ノ内重ナル建造物ハ大岡川村役場同村小学校金沢村小学校及日下村役場等ニシテ其ノ他道路ノ崩壊及橋梁ノ破損等数ケ所ニシテ其ノ惨害ノ甚大ナルモノ名状スベカラズ又本郡ニ於テモ不逞鮮人カ此ノ非常事変ヲ好機ニ物資ノ掠奪強姦放火ヲ為スノ説熾ニ伝ハリ民心愈々不安ノ状況ニアリ各消防組在郷軍人団等ハ自衛的ニ之カ警防ノ任ニ当リツヽアリシ処二日午後三時頃ヨリ追浜飛行場ノ付近ナル屛風浦、金沢其他隣接村落ニ横須賀海兵団駆遂艦及横須賀航空隊ヨリ海軍兵武装上陸シ之カ警戒ニ当リタル為人心稍安堵ノ傾向ヲ呈シ来リツヽアリ 四 鎌倉郡 同郡ノ被害又甚大ニシテ未タ之カ調査ヲ為ス能ハサルカ鎌倉、戸塚及腰越津ノ各町村ノ如キハ殆ト全滅ノ状況ニアリ殊ニ鎌倉町及腰越津村ノ如キハ数ケ所ニ火災発生シ其ノ死傷無数ニ達スベキ状況ナルト共ニ其ノ実数ヲ知ル能ハス戸塚町ノ如キハ死者二十七名倒潰家屋三百十戸半潰家屋ハ約九分五厘ニ達シ倒潰家屋ノ重ナルモノハ戸塚小学校役場警察署及郵便局等ニシテ其ノ他鎌倉郡役所及鎌倉警察署ノ半潰等アリテ尚引続キ調査中ナリト雖其ノ被害ノ重大ナルコト予想外ニアリ 五 足柄上郡 同郡ハ被害比較的僅少ニシテ目下詳細取調中ナルモ今日迄概略調査シタル処ニ依レハ死傷三九名倒潰〔半潰〕家屋約七割ノ見込ミニシテ特ニ顕著ナル建物ノ被害ナキモ同郡ハ医師ノ欠乏セル為メ之カ救護ニ関シ幾分困難ヲ感シツヽアル模様ナルモ他市郡ニ比シ軽微ナルヲ以テ人心稍安定セル状況ナリ 六 高座郡 同郡ハ他ノ各郡ニ比シ範囲広汎ナル為メ全部ニ亘ル調査極メテ困難ナルカ現在調査シタル処ニ依レハ死傷二九三名倒潰家屋三、二〇九戸半潰一、一四五戸ニシテ其ノ被害ハ決シテ僅少ニアラサルモ幸ヒ火災ノ発生セサリシハ最モ幸トスル処ニシテ目下引継キ調査中 七 三浦郡 同郡ハ被害又甚大ニシテ目下調査中ナルモ死者五六百名重軽傷者四五千名全潰家屋二百五十戸半潰三百五十戸ニシテ重ナル建物トシテハ浦賀船渠会社工場、三崎警察分署ノ半潰三崎病院及三崎小学校ノ全潰等殊ニ船渠会社ノ被害等ハ最モ大ナルモノトス其ノ他浦賀町ニ於ケル断崖ノ崩壊等ハ数ケ所ニ及ヒ殆ト同町全滅ノ状態ニアリテ尚引続キ調査中 八 中郡 同郡ノ被害ニ就テハ尚引続キ調査中ナルカ概要調査シタル処ニ依レハ死傷者ハ平塚町約二百三十八名其ノ他ノ各町村ハ約二十名内外ノ模様ナルト共ニ又倒潰家屋モ全戸数ノ二分ノ一乃至六分ノ状況ニシテ現ニ判明セルハ死者四百二十五名重軽傷者数百名焼失家屋十数戸全潰家屋二千八百六十戸半潰二千四百六十六戸ニシテ又震災ト同時ニ各所ニ火災ヲ発生シ其ノ惨状殆ト筆紙ニ尽シ難ク其レト同時ニ上リ急行列車ハ大磯町高麗山下ニ於テ顚覆シ死者重軽傷者三十数名ヲ出シ又平塚火薬廠ハ爆発ト共ニ火災ヲ発シ其ノ死傷者最モ多数ノ見込ニシテ未タ調査不能ノ状況ニアリ 其ノ他尚被害ノ重ナルモノハ大磯平塚二ノ宮ノ各駅ノ倒潰並相模紡績会社工場ノ倒潰ニ因ル数百名内外ノ死傷之ニ次クニ杏雲堂病院ノ倒潰ニ基ク死亡者二十名内外等ハ最モ顕著ナルモノニシテ尚詳細ハ調査中 九 橘樹郡 同郡ハ川崎町ヲ中心トセル工場地帯ナル為メ其ノ被害モ最モ重大ナルモノヽ如クシテ今尚調査中ナルカ今日迄ニ判明セル処ニ依レハ富士瓦斯紡績工場ノ死者約百名重軽傷者二百名ヲ筆頭ニ明治製糖東京電気其ノ他各工場ノ被害莫大ニシテ之カ調査ハ尚今後数日ヲ要スルニアラザレハ之カ調査ヲスル不能其ノ他各町村ノ倒潰家屋ハ約七割以上ニ達シ実ニ惨憺タル光景ヲ呈セルモ鶴見町ハ被害極メテ少ナリ 一〇 愛甲郡 同郡ノ被害又甚大ニシテ震災ト同時ニ各所ニ火災ヲ発シ死者〔傷死者共〕五十七名重軽傷者百数十名焼失家屋二百四十三戸全潰家屋一、〇一八戸半潰二百七十戸其ノ内重ナル建物ハ厚木実科高等女学校税務署郵便局役場等ニシテ引続キ調査中 一一 足柄下郡 同郡ハ被害最モ甚大ニシテ各町村ニ亘リ目下調査中ナルカ殊ニ小田原町ノ如キハ其ノ最モ莫大ナルモノニシテ殆ト同町全滅ノ状態ナルヲ以テ死傷算ナク引続キ取調中 以上ノ如キ状況ニシテ之カ被害ハ到底一朝一夕ニ調査スル能ハス殊ニ被害民ニ対スル救済問題ハ焦眉ノ急ナルモ市部ノ救済急ニシテ郡部ニ及ホス能ハス郡部ハ郡長署長町村長適宜協商救済中 尚又前記死傷者中皇族其他知名人士ノ被害者別記ノ通ニ有之候 (注)別記略。 (四) 大正十二年九月七日現在 九月十日報告 神奈川県郡部〔横須賀市ヲ含ム〕震災状況 臨時震災救護事務局神奈川支部警備部 一 皇族名士ノ死傷 A 皇族 山階宮御別邸ニ御滞在中ナリシ 山階宮妃殿下 薨去 藤沢町鵠沼吉村別荘ニ御避暑中ナリシ 東久邇宮師正王殿下 薨去 小田原町小峰御別邸ニ御滞在中ナリシ 閑院宮寛子女王殿下 薨去 閑院宮妃殿下 御負傷 山階宮御別邸ニ御滞在中ナリシ 賀陽宮大妃殿下 御負傷 藤沢町鵠沼吉村別荘ニ御避暑中ナリシ 東久邇宮第三王子殿下 御負傷 B 知名ノ士 鎌倉町長谷侯爵池田仲持夫人 池田亨子 死亡 同町材木座男爵野崎完義母堂 野崎テイ 死亡 鎌倉町材木座男爵高橋新次祖母 高橋鈴子 死亡 同町同 伯爵芳川寛次養母 芳川貞子 死亡 同町同 公爵 松方正義 負傷 貴族院議員 男爵 松岡康毅 死亡 男爵 片岡恒太郎 死亡 同 夫人 死亡 男爵 園田孝吉 死亡 相模紡績会社長 日比谷長太郎 死亡 安田善兵衛夫人 死亡 陸軍大将 大島義昌夫人 死亡 代議士 槇山千之助父 死亡 前代議士 長谷川豊吉 死亡 同 夫人 死亡 子爵 榎本武憲 令嬢 死亡 同子爵 夫人 負傷 一 御用邸御別荘損害ノ有無及其程度 一 鎌倉御用邸 全潰 一 鎌倉山階宮御別邸 全潰 一 鎌倉伏見宮御別荘 全潰 一 箱根離宮 外廊破損セルノミ 一 小田原御用邸 建物及石垣崩壊ス 一 宮ノ下御用邸 周囲ノ堀及建物半潰ス 一 小田原町小峰閑院宮御別邸 全部倒潰炊事場ヲ焼燬ス 一 大磯梨本宮御別邸 半潰ス 一 大磯李王世子殿御別邸 半潰ス 一 葉山御用邸 御車寄玄関約三百坪陥没周囲ノ石垣大半崩壊 所属建物八棟全潰三十三棟半潰ス 付属邸 周囲ノ塀破損シ建具類ノ大部分破損セリ 尚右ノ外鎌倉柳原二位局御別荘半潰セリ 一 海嘯及特別崖崩レノ有無及其ノ惨状 ⑴ 横須賀方面 横須賀市ハ山間ヲ切開キテ市街ト成セルモノナルカ故強震ニ依ル崖地ノ崩潰判ルトコロニ生ジ道路人家ヲ埋没シ人畜ノ死傷甚シク就中市内港町通リニ於テハ長サ四丁高サ十丈余ノ断崖ハ中央部十数間ノ厚サニ崩潰シ道路并ニ海軍需品庫ノ一部ヲ埋メ通行中ノ人車多数ヲ埋没セシモノヽ如ク重ナル崩壊個所次ノ如シ (一) 市内港町見晴山 長サ四丁高サ十丈余ノ断崖ハ中央部十数間ノ厚サ迄崩潰シテ道路并ニ海軍需品庫ノ一部ヲ埋メ通行中ノ人車多数ヲ埋没セシモノト認ム (二) 市内諏訪公園下道路 公園ノ断崖長サ二十間高サ五丈崩潰通行人多少ノ埋没アルモノヽ如シ (三) 山王市役所前崖地 人家ノ裏手高サ六丈余ノ断崖崩潰人家二戸ヲ埋没シ死者三名アリ (四) 山王町稲荷神社前崖地 高サ十丈長サ三十間ノ断崖崩壊家屋五戸ヲ埋没シ死者十二三名アリ (五) 横須賀線裏手崖地 高サ六丈長サ十□間ノ断崖崩潰五戸ヲ埋メ死者六名アリ (六) 逸見巡査派出所前崖地 高サ五丈巾十三間ノ崖地崩壊五戸ヲ埋メ死者七名アリ (七) 其他到ル処ノ山崖崩壊死傷アリ調査中又田浦町衣笠村ニ崖地崩壊ナシ ⑵ 浦賀方面 崖崩レ道路ノ欠陥及埋没シタルモノ多大ナルモ被害ノ大ナルモノヲ挙クレバ浦賀町ノ四十ケ所久里浜村ノ二十ケ所北下浦村ノ二二ケ所等ナリ ⑶ 三崎方面 ナシ ⑷ 葉山方面 三浦郡西浦村ニ大ナル崖崩アリ其付近県道及海岸ノ一部埋没セル外下山口ノ山上約三千坪崩壊シテ小児二名圧死セリ ⑸ 鎌倉方面 強震ト同時ニ鎌倉町内材木座由比ケ浜長谷坂ノ下及腰越片瀬江ノ島方面ハ高サ約三丈ノ海嘯襲来シ為メニ由比ケ浜海水浴場ニ来集セル者約百名及江ノ島桟橋通行中ナリシ者約五十名ハ何レモ行衛不明トナレリ尚又鎌倉町小袋坂極楽寺ノ切通及稲村ケ崎一面ニ亘リ崩壊甚シ ⑹ 藤沢方面該当事項ナシ ⑺ 大磯方面ナシ ⑻ 小田原方面 強震後直チニ足柄下郡真鶴村岩村一帯ニ海嘯襲来シ真鶴村ノ海浜及岩村ノ一部ヲ洗ヒ去リ家屋及住民ノ被害頗ル多シ箱根外輪山鞍掛山ノ支脈崩壊シ片浦村根府川岩村ハ殆ント全部埋没シタリ塔ノ沢宮ノ下間崖地崩壊国道ヲ埋没シ交通不能当分恢復ノ見込立タズ⑼ 松田方面 海嘯ナキモ付近各町村ニ亙リ崖崩レ夥シク住民ニシテ埋没セルモノ多数ニシテ之レカ発掘ニ努メ救出シタルモノ尠カラサレド未ダ発見シ得ザル者約二十名アリ ⑽ 厚木方面 同地方ハ海嘯ナカリシモ愛甲郡玉川村煤ケ谷村及宮瀬村等ニ於テハ其地方山林ニ無数ノ崖崩レアリシカ人畜ニ死傷ナシ只同郡愛川村半原字馬渡ニ於テハ数十丈ノ崖崩レアリ埋没家屋五戸十七名ノ生埋者ヲ出シ二名丈救助セルガ他ハ何レモ悲惨ノ最後ヲ遂ケタルヲ以テ目下発掘中 ⑾ 伊勢原方面 伊勢原町内崖崩レ二ケ所アルモ人畜ニ死傷ナシ尚大山町ニモ大害アルモノヽ如クナレド目下危険ノ為メ調査不能 ⑿ 秦野町方面 海嘯ナシ崖崩レアルモ調査中ニ属ス ⒀ 戸塚方面 同方面ハ七分通リ山間ニアリ崖崩甚シク田畑山ノ如ク凸起シタル個所モアリタルモ崖崩レノミニテ五六ケ所アリ ⒁ 鶴見方面 海嘯ナキモ崖崩レ七ケ所アリ之ニ依テ家屋ノ倒潰セラレタルモノ一ケ所一戸ニ過キスシテ惨状ト認ムヘキ程度ノモノニアラス ⒂ 川崎方面該当事項ナシ ⒃ 高津中野津田方面 各村ニ於テ山崩レノ為メ戸数八戸倒レ死者十七名ヲ出セリ ⒄ 日下方面 久良岐郡日下村字日野崎断崖約二百坪崩壊シ小児二名死亡シ又金沢村字八沢ニモ約三百坪ノ崩壊アリ十名圧死セリ 一 糧食ノ現在状況 ⑴ 鎌倉方面 糧食ハ村落ニ於テハ差当リ欠乏スルカ如キコトナキモ鎌倉町ハ在米僅カニ数日ヲ支フルニ過ギザルノ状況ニ在リ目下横須賀鎮守府衣糧課ヨリ白米ノ補給ヲ受ケ居ルモ将来ハ鎮守府ニ於テ関西及朝鮮方面ヨリ米穀其他食糧品ヲ移入シ之カ補給ヲ受クル計画ニテ目下三菱商事部ニ於テモ鎌倉町ニ対シ不取敢九日頃玄米参百俵外味噌醤油等ヲ多量ニ関西ヨリ商船ニテ輸送シ来ル筈ニテ爾後モ引続キ同部ヨリ輸送ヲ受クル計画ナリ ⑵ 横須賀方面 非常徴収ニ依ル現在食糧約十五日間ヲ支持スヘク尚ホ将来軍艦ニテ関西方面ヨリ搬入配給ノ計画ナリ ⑶ 浦賀方面 糧食ノ現在高ハ今後尚ホ一週間支持スベク将来船艦ニテ関西方面ヨリ搬入ノ計画ナリ ⑷ 三崎方面 当地方ハ火災ナキ為メ各戸ノ在米比較的多ク今後数日ヲ支持シ得ベキモ今後配給ヲ受クヘキ計画ニ就テハ戒厳指揮官ノ到着ヲ俟ツテ決定スル筈ナリ ⑸ 大磯方面 糧食ハ全ク欠乏ノ状態ニテ現在、地方ノ富豪有力者等ノ寄付ニ依リ配給シ一面米穀ノ廉売等ヲ為サシメツヽアルモ将来配給ヲ受クヘキ計画等無シ ⑹ 小田原方面 現在静岡県地方ヨリ輸入セル糧食ハ今後約十五日ヲ支持スヘキモ未ダ将来ニ属スル配給ノ計画ナシ ⑺ 松田方面 当地方ハ被害モ軽微ニシテ食糧ハ自足ノ見込アリ ⑻ 戸塚方面 在米約二十日ヲ支持スルニ足ルモ将来ニ属スル配給計画ナシ ⑼ 藤沢方面 糧食充分ニシテ地方ノ糧食所有者ハ何レモ安価提供ノ状態ニ在リ将来ノ配給ニ困難ヲ感ゼサルベシ ⑽ 葉山方面 現在地方在住ノ有力者相諮ツテ救済所ヲ設ケ糧食ノ補給ニ尽メツヽアリ将来ニ於テハ各町村ニ於テ横須賀鎮守府ニ糧食ノ供給ヲ請求シ配給ヲ受クヘキ計画ナリ ⑾ 日下方面 糧食ハ相当ノ在庫米其他副食物等アリ差当リ困難ヲ来サズ従ツテ将来ニ於テモ配給ノ計画ナキモ横須賀地方ヨリ避難民逐々増加ノ傾向アルヲ以テ相当考慮中ナリ ⑿ 川崎方面 各町村ニ於テ糧食ヲ配給シツヽアルモ将来配給ヲ受クヘキ計画ナシ ⒀ 鶴見方面 当地方ノ罹災者ノミニ止マラス東京及横浜方面ヨリ避難民逐々増加ノ状況ナルヲ以テ今後約二週間ヲ支持スルニ足ラズ将来配給ヲ受クヘキ計画ナシ ⒁ 都田方面 被害軽微ニシテ糧食憂ナシ ⒂ 高津方面 同上 ⒃ 溝方面 同上 ⒄ 厚木方面 現在郡農会ヨリ罹災民ニ対シ糧食ヲ配給シツヽアルモ将来不足ヲ感スル虞アルヲ以テ目下其ノ計画ニ付考慮中ナリ ⒅ 中野方面 糧食ノ憂ヒナシ ⒆ 秦野方面 在米僅カニ二日ヲ支フルニ過キズ将来ノ配給方法ニ就テハ町村会ヲ召集シ協議中ナリ ⒇ 伊勢原方面 糧食ノ憂ヒナシ (「震災状況報告」西坂勝人氏蔵) (注)収録部分中の数表、目次等略 二五二 三浦郡下被害概況 号外 大正十二年九月三日 三浦郡長 各町村長殿 震災被害状況ノ件 今回ノ震災被害概況別記ノ通リニ有之候 記 一 被災区域 東京神奈川千葉静岡山梨等関東地方一帯ナルモノヽ由ナリ 一 横浜市ハ本牧ヲ除ク外大部分火災ノ災害ヲ受ケタリト云フ 一 東京市モ本所深川日本橋京橋芝神田等ニ渉リ大部分火災ノ災害ヲ受ケタリト云フ 一 横須賀市ハ若松大滝小川旭町元町山王諏訪中里深田観念寺〔以上火災ノ被害ヲ受ク〕汐入汐留公郷等被害激甚公郷ノ内曹源寺佐野不入斗□方面ハ稍々軽シ死亡者数百名アル見込ナリ 長井村ノ被害ノ概要 一、死者九名 負傷者四名 一、家屋全潰一四〇戸 一、半潰六〇〇戸 一、浸水 床上一〇戸 床下三〇戸 合計七八〇戸 被害激甚 一、火災ナシ 一、学校校舎全潰 武山村ノ被害概要 一、死者八名 一、負傷者十四名 一、畜不明 一、家屋全潰七、八十戸 一、半潰約百五十戸 一、火災ノ有無 無シ 一、学校ハ旧校舎全潰職員間異状 一、浸水家屋ナシ 西浦村 一 死者 約五名 一 傷者 不詳 一 家屋ノ倒潰 全潰数十戸 半潰其ノ他不詳就中秋谷部落殊ニ激甚 学校全潰 一 道路ノ破損 亀裂ヲ生セシ箇所多ク通行ニ差支ナキモ大崩ハ通行甚タ困難危険 葉山村 一 死者 約三十有余人 一 傷者 不詳 一 家屋ノ倒潰 全潰約二百戸 半潰七百余戸 学校大破ナク一色及堀内ノ一部分破害激甚御用邸其他各宮家ノ被害甚タシカラス 一 火災全焼四戸 一 道路ノ破損殊ニ甚タシク殊ニ□ 逗子町 一 死者約五十名 一 傷者 不詳 一 家屋ノ倒潰 不詳ナルモ葉山村ヨリ被害甚タシク殊ニ逗子激甚ナリ学校役場全潰学校教員一名死 一 火災 二戸 田浦町 一 死者約五十名〔陸兵部ハ別ニシテ無数〕 一 傷者 不詳 一 家屋ノ倒潰 殆ント全部ニ渉リ倒潰甚タシク殊ニ船越ノ全部田浦ノ一部分等激甚逗子町ヨリモ被害甚タシ各学校全部半潰役場全潰 衣笠村 一 死者 ナシ 一 傷者 不詳 一 火災 ナシ 一 家屋倒潰 二十七戸 一 道路破損 通行困難ナル個所ナシ 一 学校役場共 差シタル被害ナシ 一 浦賀町ノ被害概要 一、死者約百五十名 一、重傷者約百名 一、軽傷者無数 一 家屋 全潰約五割 半潰其ノ他殆ト全部 東西両岸特ニ甚ダシ 一 火災 荒巻及大ケ谷両町ヨリ出火約三十戸並ニ船渠会社工場ノ一部焼失ス 一 救護法 浦賀町役場共楽館東林寺法憧寺常福寺ノ五ケ所ニ避難所ヲ設ケ炊出シ救護シツヽアリ 二 久里浜村 一 死亡者約二十名 重軽傷者不明 一 家屋全潰二百五十戸半潰其ノ他一般 一 役場全潰事務所ハ役場前商店ニ執務ノ予定 一 学校 大部分破損シ当分休校ノ予定 一 被害者ハ村民相互ニ食糧等融通シツヽアリ 三 北下浦村 一 死者十名 他行シ不帰ノ者四名 重傷者三四十名 一 家屋 全潰百五十戸 半潰百四十五戸 一 倉庫 全潰十五戸 半潰二十一戸 一 付属家 全潰八十七戸 半潰四十四戸 一 社寺寺院 全潰五ケ寺半潰三ケ寺 四 南下浦村被害概要 一 死者十一名 重軽傷者不明 一 家屋全潰百戸 倉庫三十戸 一 付属家及居宅半潰等ハ甚ダ多ク数不明 一 罹災者ハ部落相互ニ救護シツヽアリ 一 学校 松輪小学校上宮田分教場ハ全潰シ尋常高等小学校又一部破損ノ為十日間位休校ノ予定 五 三崎町被害概要 一 死者約五十名重傷者百名以上ニ上ル 一 家屋ハ殆ド全潰又ハ半潰ノ状ナルモ戸数等未ダ不明就中西野及花暮殊ニ甚ダシ 一 役場及学校ハ半潰ノ状ニシテ学校ハ当分休校ノ予定ナリ 一 救護所 三崎小学校内及同町台ノ二ケ所ニ避難所ヲ設ケ医師全部出所役場員ト協力罹災者ノ救護ヲ為シツヽアリ 六 初声村被害概要 一 死者九名重傷二名軽傷無数 一 家屋全潰約百戸半潰一般付属家約二百戸全潰 一 寺院二ケ寺、神社一社全焼 一 下宮田湾ノ堤防大破シ海水増サバ〔目下二日共干潮ノ状〕水田五十余町歩全滅スベク憂慮セリ 一 県道ノ破損甚シク里道ハ高円坊部落ニ於テ大破セリ 一 役場ハ大ナル破損ナク事務執行ニ差支ナシ 一 校舎全潰シ当分休校ノ予定ナリ 一 罹災者ハ近隣者相互ニ救護シ合ヘリ (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二五三 鎌倉郡下震災調査報告 知事 郡長 震災ニ関スル報告 一 被害詳況 本郡ノ震災ハ他郡市ニ比シ激烈ナルモノアリ東海道ヲ劃シテ南方海岸ニ近クニ従ヒ一層甚ダシキモノアルヲ見ル就中鎌倉町及腰越津村ニ於テハ数箇所ニ火災ヲ起シ商業地区焼失セラレ鎌倉及片瀬ニ在リテハ丈余ノ海嘯襲来シ水火并ヒ臻リタル為メ一家族全滅シタルモノ尠カラス惨状見ルニ忍ビザルモノアリ海嘯ノ為メ電信柱ノシモク浮上シタル一女ノ言ニヨレバ海嘯襲来ノ際由比ケ浜ニ徘徊シ居リタル百名内外ノ人ハ海嘯ニ浚ハレタルモノヽ如シト又片瀬江ノ島間架橋ハ海嘯ニヨリ墜落シタル為メ偶々橋上ヲ通行シ居リタル数十名モ溺死シタリト謂フ郡内家屋人口ノ被害左ノ如シ (欄外注記)別紙報告按一部為御参考及送付候也 町村 藤沢警備隊 葉山司令官 鎌倉分隊 警察署 中隊長松方公 震災ニ関スル調査表(一) 鎌倉警察署 備考 外ニ由比ケ浜ニ於テ行方不明者約一〇〇名及江ノ島桟橋ニ於テ約五〇名又海嘯ノ為メ鎌倉町ニ於テ流失セル戸数七十七戸 〔九月十三日調査スルモノトス〕 震災ニ関スル調査表(二) 戸塚警察署 (注)表(二)の「合計」欄は(一)と(二)の合計 著名ノ被害者ハ既報ノ如ク山階宮妃殿下ノ御即死賀陽宮大妃殿下ノ御負傷及松方公ノ負傷ナリ戸塚町役場倒壊シ且ツ山崩ノ為メ町長収入役建築技手小使ノ四名埋没死亡シ鎌倉町役場ニ於テハ震後吏員一名ピストル誤発ノ為メ死亡シタル外ハ村長以下数名ノ吏員軽傷ヲ負ヒタルノミニシテ郡町村吏員無事ナルヲ得タリ 被害家屋ノ主ナルモノハ郡庁舎、建長寺円覚寺鎌倉八幡宮楼門拝殿〔両寺ハ山門其他付属建物ノ一部ヲ存スルニ過キス国宝ハ大破損ナシ〕戸塚小学校鎌倉小学校及女学校町役場倒壊ス鎌倉宮ハ小破ニ止ル 二 警備 震災直後京浜地方ヨリノ避難者ニヨリ流言蜚語相伝ハリ人心恟々タリシヲ以テ警察署長ト協議シ自衛団ヲ組織シ民心ノ安定ニ努メ一面出兵ヲ要求シタルニ間モナク警備隊ノ守備スルトコロトナリタル為メ人心漸ク安堵シ今ヤ全ク平静ニ帰セリ中ニハ軍隊引揚後失獄者失職者等ニヨル強窃盗ノ徘徊ヲ杞憂スルモノアルモ現状頗ル平穏ナリ 三 傷病者ノ救護 藤沢地方警備隊司令官指揮ノ下ニ戸塚鎌倉町片瀬ニ軍医ヨリ成ル救護班ヲ置キ地方医師団ト共ニ傷病者ノ施療ニ努メツヽアル外片瀬ニ於テハ千葉医専外科ノ大家三輪博士等偶々同地滞在中ナリシヲ奇貨トシ是又施療所ヲ開始シ相俟テ診療ニ従事シツヽアル為傷病者ノ救護上遺憾ナク一般ニ之ヲ徳トシ居レリ近日中赤十字社神奈川県支部ニ於テモ鎌倉方面ニ活動ヲ開始スルニ至ルベキヲ以テ軍隊引揚後ト雖モ施療治療上間然スルトコロナカルヘシ 四 食料品ノ配給 火災ノ為メ鎌倉腰越等ノ商業地区ニ於ケル物資ハ焼失シ藤沢横浜方面ヨリノ配給杜絶スルニ至リタル為メ該地方及戸塚町ニ於ケル住民ハ糧食欠乏シ物情騒然タルモノアリシガ付近農村及大船ニ停車セル貨車中ヨリ徴発シタル糧米ト横須賀海軍鎮守府ヨリ融通ヲ受ケタル米麦ニヨリテ小康ヲ得次デ徴発ノ余裕ナキニ至リタル折柄本月横浜ヨリ糧米約千五百石ヲ汽車輸送シ配給シツヽアルヲ以テ是等ノ地方ニ於テハ食糧難ノ杞憂ヲ一掃シ民情安定スルニ至リタリ本郡ハ京浜地方ニ接近シ居ル為メ避難者陸続襲来シ総人員二万六千余人ニ及ベリ之カ為メ農村民ハ余剰ナキ糧米ヲ侵食セラレ恐慌ヲ来スニ至リタルヲ以テ郡吏員ヲ派シ町村民ト共ニ村内貯米者ヨリ徴発シ之等避難民及貧困者ノ救護ニ充タリ之レガ為本月十五日迄ノ徴発米ハ□□石ニ及ベリ現下食料品ノ配給ハ漸ク円滑ニ向ヒツヽアルヲ以テ米ノ徴発ハ本月十六日以降ハ郡ニ於テ統一シ容易ニ令状ヲ発行セザルコトニセリ 配給ノ方法ハ区長又ハ農区総代其他部落民ノ代表者ヲ介シテ避難民及貧窮ニシテ購買資力ナキモノニ限リ施米スルト共ニ資力アルモノニ対シテハ後日相当価額ヲ徴スヘキ旨ヲ告ゲ供給スルト共ニ払下先数量等ハ施米ノ分ト共ニ記帳整理シツヽアリ 鎌倉町ニハ三菱商事会社ノ斡旋ニテ曩ニ江尻ヨリ白米三百俵移入セラレ今亦阪神地方ヨリ一千三百俵余ト味噌醤油其他ノ雑貨到着シタルヲ以テ当分糧米欠乏スル虞ナシ 五 交通 道路橋梁ノ破損セラレタルモノ尠カラス一時ハ国道県道共交通杜絶ノ状態ナリシカ工兵隊ノ努力ニヨリ青年団協力ノ下ニ国道一号線県道藤沢鎌倉線修理セラレ藤沢停車場江之島線大船戸塚線ハ仮修理ヲ了へ自働車開通スルニ至リ横浜鎌倉線戸塚厚木線亦二十日迄ニ竣成シ戸塚町田線モ本月中ニハ開通ノ見込ナリ 六 衛生状態 鎌倉町ニハチフス赤痢患者合シテ十一名発生シ内四名死亡セリ之ヲ例年ニ比スレバ患者数稍々多キカ如キモ震災ニ関連シ患者ヲ隠匿スル途ナキ為患者ノ全部発見セラレタルニ過キズシテ格別ニ蔓延ノ兆ナシ其他ノ町村ニ在テハ衛生状態良好ナルモ識者中ニハ将来ヲ怖ルヽモノ多シ鎌倉町ニ於テハ伝染病ニ備フル為メ衛生班ヲ新設シバラツク式避病舎ヲ仮設スル等防圧上遺憾ナキヲ期シツヽアリ 七 建築材料及復興事業 避難所トシテ各人自営ノ仮小屋ヲ建設シツヽアル外鎌倉町ニ於テハ一軒百坪ノ共同避難所ヲ三ケ所ニ設営スルノ計ヲ樹テ内一ケ所ハ工兵隊ノ手ニ依リ完成ニ近シ塗炭其他ノ建築材料ハ三菱商事会社ノ尽力ニ依リ阪神方面ヨリ搬入セラレツヽアリ尚同町ニ於テハ震災復興委員会ヲ組織シ町会議員町公民中ノ主ナル者ヲ委員トシ町ノ復活ヲ劃策シ居レリ 八 地方民ノ美事 瀬谷村ニ於テハ村内ノ主ナル者胥謀リ約一千円ヲ醵出シ本郷村ニ於テハ村内有志ヨリ玄米二三俵乃至十四五俵ヲ寄付シ貧困ナル被害者ニ分配シ鎌倉町川口村ニ於テハ町村内ノ有力者ヨリ町村宛又ハ各区宛金員ヲ寄贈スルモノ多ク鎌倉ノミニテモ現金ノ総額十万円ニ近キカ如シ 以上 調査要項 状況調査書 調査要項 二五四 震災後の社会経済状態に関する県知事安河内麻吉の報告(一-二) (一) 高秘発第八号 大正十二年九月廿日 神奈川県知事 安河内麻吉 内務大臣子爵 後藤新平殿 震災後ノ民心及経済財政ニ及ホシタル影響ニ関スル件 標記ノ件ニ関シ調査方電報照会ノ件大略左記ノ通ニ有之候条此段及 報告候也 一 一般民心ノ傾向 県下ノ震災ニ依ル一般民心ノ傾向ハ其ノ災害程度余リニ甚大ナリシ結果一時ハ殆ント呆然自失ノ状態ヲ呈シ市民ノ半数ハ或ハ帰郷シ或ハ縁故ヲ辿リ避難退出セルモ月ヲ経ルニ従ヒ漸次個人又ハ市トシテ復興セサルヘカラサルヲ感得シ各個人及町内ノ者寄合協議シ焼跡ノ共同片付ケ及復興会等ノ組織ヲ計画シ又貿易商ハ横浜港ノ生命タル蚕糸ノ輸出ニ着手セムトシツヽアルヲ以テ人心安定ニ近ツクト共ニ之カ復興ニ努力スルモノヽ如シト雖モ一部市民ハ資(鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 産ノ焼燼営業ノ不能震災ノ恐怖ニ依リ都市生活ヨリ遠カラムトスル者モ亦相当ナキニアラス然リト雖モ一面他ヨリ来住シテ新ニ横浜市ニ居ヲ構へ大ニ活躍セムトスル者アルヲ以テ相当回復ノ途アリト思料セラル尚一般人民ハ今回ノ震災ニ依リ華美ノ弊風ヲ痛切ニ感得シ実生活上大ニ改善ヲ要スルモノナルコトヲ自認シタルモノト思料セラル 一 経済上ニ及シタル影響 震災ニ依ル惨禍ノ甚大ナルハ横浜市ニシテ郡部ニ於テハ横須賀市鎌倉町浦賀町小田原町秦野町厚木町之ニ亜キ叙上ノ市町村ハ震災ニ加フルニ火災ノ惨ヲ以テシ殆ント全町烏有ニ帰シ仮ニ残存スルモノアリト雖モ何レモ倒潰シテ住ムニ家ナク又事業ヲ継続スルニ由ナキ状態ニシテ然モ資産又ハ営業品ノ全部ハ之ヲ焼燼シテ辛クモ身ヲ以テ難ヲ免レタルニ過キス従テ中産以下ノ者ハ殆ント無一物ト化シ粒々辛苦数十年ノ努力モ一朝ニシテ灰燼ニ帰スルノ運命ニ遭遇シ経済上一大致命傷ヲ受ケタルノミナラス市町村トシテ又大ナル経済上ノ損失ヲ蒙リ横浜市及郡部各町村今日ノ処数字ヲ以テ損害及経済上ノ影響ヲ表示シ能ハサルヲ遺憾トス殊ニ横浜市ノ全滅的災害ハ各種ノ工場ヲ焼燼又ハ破壊シ急速復興ノ困難ニシテ生産業ニ及ホス影響ノ甚大ナルハ今更多言ヲ要セス之ニ伴フ各種労働者モ漸次失業ノ難ニ陥ルヘク諸銀行モ亦悉ク焼失シ仮令開業ノ運ヒニ至ルト雖モ金融機関トシテノ全能力ヲ発揮スルハ必スシテ近シト云フヲ得ス金融硬塞シテ実業ノ資ヲ得ルニ由ナク只僅ニ郵便貯金ノ払出ヲ為スト雖モ殆ント零砕ノ金額ニシテ僅ニ一時ノ生活費又ハ帰郷ノ資ヲ得ルニ過キサルノ状態ニシテ県下ノ経済界ハ将ニ大破壊ヲ受ケタリト称スルモ過言ニアラスト思料セラル又横浜市内銀行ハ二三小銀行ヲ除キ本月廿五日ヨリ開始ノ予定ナルモ之又払出額ニ相当ノ制限〔一口百円以下ニ止メントスルノ内意アリ〕ヲ付スルヲ以テ商工業ノ資金ニ充当シ能ハス然ルニ横浜正金銀行ニ於テハ当市商工業復興資金トシテ有力ナル会社及貿易業者ニ二億万円ノ貸出シヲ為スヘク声明シ着々之カ貸出ヲ為サムト欲シツヽアルヲ以テ貿易業者及震災前ノ確実ナル実業家ハ何レモ一縷ノ光明ヲ得テ将ニ活躍セムトスルノ気運ヲ有スト雖モ当市ノ救済復興ハ到底如斯小額ニテハ復興前途尚遼遠ナリト云ハサルヘカラス将来政府当局ノ救済施設ヲ煩ハスノ必要アリト認ム 一 地方財政ニ及ホシタル影響 本県下ノ震災状況ハ叙説ノ通ニシテ焼失倒潰甚大ナルノ市町村ハ何レモ自治団体ノ所有財産ヲ烏有ニ帰シタルノミナラス課税物件ノ消滅ニ依リ国県税ハ勿論、市町村税ノ財源ヲ失フニ至リタルヲ以テ地方ノ財政ハ全ク破壊セラレタリト云フヘク従テ其ノ影響程度ハ未タ調査不能ナルノミナラス容易ニ其ノ概数スラ表示スルニ困難ナルモ其ノ概要ヲ表示セハ左ノ如シ 記 一 県ノ損失 (一) 県ノ歳計 壱千万円中三百五十万円徴収残六百五十万円中徴収不能約三割五分ト見積リ ○二百二十七万五千円 (二) 道路橋梁ノ被害 ○五千万円 (三) 県有建造物 県庁郡役所、警察署、県立学校其他ノ建物 ○六百万円 (四) 其他ノ損失 ○二百万円 計 ○六千二十七万五千円 二 横浜市ノ損失 (一) 一般歳計 一千五十万円中徴収額百万円残九百五十万円爾余ノ歳入見込立タス 損失 ○九百五十万円 (二) 特別歳計 電気瓦斯水道九百万円中収入既済額 二百五十万円 損失 ○六百五十万円 (三) 道路ノ破損○百二十万円 (四) 橋梁〔白二十橋破損焼失〕 ○三百六十万円 (五) 河川損害○一千四百万円 (六) 電車軌道損失○二百五十万円 (七) 瓦斯ノ損失○三百五十万円 (八) 水道ノ損失○五百万円 (九) 市役所紀念会館、図書館、学校其ノ他市ノ営造物其ノ他ノ建造物焼失又ハ倒潰ニ依ル損失 ○五百万円 (一〇) 其ノ他現金有価証券 ○十万円 計○五千九十万円 三 横須賀市及郡部ノ損失 (一) 歳計七百五十万円中三百七十五万円徴収残三百七十五万円中約三割三分ノ徴収減ト見做シ 損失○百二十三万七千五百円 (二) 其他建造物等ノ焼失倒潰損失等未詳 市町村ノ財政ハ以上ノ通ニシテ将来目算立タス将来ノ県市町村財政ハ政府ノ補給ヲ待ツニアラサレハ如何トモ経理スル能ハサルノ状態ナリトス其ノ財政関係ニ就テハ調査中 (二) 神高発第三九号 大正十二年十月廿日 神奈川県知事 安河内麻吉 内務大臣 後藤新平殿 社会局長官 池田宏殿 震災後ノ概況ニ関スル件〔続報〕 震災後ノ状況已報ノ処其ノ後ノ概況別紙ノ通リニ有之候条此段及報告候也 (別紙) 一 人心ノ安定状況 県下ニ於ケル民心ノ安定状態ヲ調査スルニ震災後既ニ約五十日ニ垂トシ震災地ニ於ケル避難民ハ帰郷スヘキ者ハ既ニ帰郷シ又一時近郷若ハ安全地帯ニ避難シタル者モ夫々適所ニ帰還シ各々生業ヲ求ムルモノ多ク然モ郡部ニ於テハ焼失地ト雖モ震災地ノ居所ヲ放擲シテ地方ニ避難スルカ如キ者ハ極テ少数ニシテ罹災民ノ十分ノ一ニ満タス農村ノ如キハ早クモ収穫用意ニ専念ニシテ人心著シク安定ノ状態ヲ呈スルニ至レリ只横浜市ハ全市焦土ト化シ各人復興ノ意思アルモ多年幾多ノ辛酸ヲ経テ漸ク基礎ヲ作リ商工業ニ従事シタル者モ一朝ニシテ全財産ヲ焼燼シ地主及家作ヲ以テ生活ノ基礎ト為シタル者モ忽然トシテ家作ヲ失ヒ土地亦俄ニ価値ヲ滅少シ仮ニ土地ヲ担保トスルモ金策意ノ如クナラス工業労働者ハ工場ノ潰滅ニ依リ失職ノ難ニ陥リ其ノ境遇転タ同情ニ堪ヘサルモノアリ震災当時ニ於テハ人心異常ノ動揺ト変化トヲ来シタリシモ今日ニ於テハ殆ト人心安定シ漸次復興気分横溢スルニ至リ近時戒厳軍ノ集中主義ヨリ撤退状態ニ移リツヽアルモ敢テ甚敷キ不安アルヲ聞カス今後ハ警察官ノ増員配置及憲兵隊ノ新設ト共ニ警察電話ノ完成仮庁舎ノ落成ニ依リ警察機能ノ発揮十分ナルニ至ルヘキヲ以テ漸次民意ヲ満足セシメ得ルニ至ルヘシト思料セラル (「震災状況報告」西坂勝人氏蔵) 二五五 津久井郡下被害状況事後処理等報告(一-三) (一) 大正十二年九月六日 津久井郡長 県知事殿 震災事変報告 這般震災事変ニ関スル其ノ経過左記ノ如クニ有之候 一 罹災概要ハ二日付ヲ以テ及御報告其ノ後調査中ニシテ何分通信交通全ク杜絶シテ具体的ニ詳報ヲ蒐集スルコト不能ナルモ建設物道路山林耕地ノ崩壊等ハ実ニ著大ニシテ全ク稀有ノ変事ナリ 一 罹災者ノ救済 町村団体ヲ指導シ専ラ隣保相祐ケ各種団体協力シテ尽瘁シ万端遺憾ナク施行セラルヽコトハ不幸中良風ナリト思惟セラル 一 生活物資欠乏ハ殊ニ甚シク本郡ノ地勢耕地少クシテ食糧ノ多クハ他ノ移入ヲ俟ツノ現況ニシテ近年交通便利ノ為メニ平素買置キ貯蔵少キ結果非常ノ欠乏ヲ告ケ住民ノ憂慮ト不安トヲ惹起スル虞アルニ拠リ最始ヨリ左ノ方針ヲ以テ之カ救済ニ努力セリ (イ) 義勇的ニ沿道住民協力シテ幹線ノ交通開始応急工事ヲ為シ中野ヨリ八王子市線并ニ愛甲郡北部ヘノ連絡及甲州街道筋ヘノ連絡一部ハ既ニ車馬ノ通行可能トナレリ其他漸次開通ノ予定ナリ(ロ) 通信交通ハ昨今郵便〔迂回多ク勿論遅延ヲ免カレス〕及中野ノ施設電話丈ハ漸ク開始トナレリ (ハ) 電力電信ハ全然停電シ回復ノ予定見込ナシ (ニ) 食糧ハ米穀類ノ実地調査ヲ為シ各自治団体ヲシテ配給ノ周到ヲ為サシメ雑穀其他ノ食料ヲ混用シ当分自足自給ノ方法ヲ尽シ居レリ 大体ノ予定本月内ハ叙上ノ策ヲ以テ辛クモ之ヲ支へ其ノ中他地方ヘノ交通開始ヲ俟テ各団体ノ力ニ拠リ米糧購入補給ノ予定ナリ (ホ) 其ノ他ノ日用必須品モ之ニ準シテ方策ヲ採リ実地ニ適応シテ進行中ナリ 一 一般人心ノ趨向 震災次テ米食糧不足又ハ種々流言浮説アリテ一時人心不安ナリシモ叙上ノ実現次テ戒厳令実施以来漸次安静ナラントス 一 戒厳令実施 御令達直チニ一般ニ周知ノ方法ヲ採リ関係官公吏ト協力シテ之カ徹底ニ努メタリ 一般ニ同令ノ為メ人心大ニ安セルモノヽ如ク観察セラレタリ 一 衛生ニ関スル件 震災后身心疲方ニ当リ飲料水〔簡易水道倶〕大破損ニ付保健上之カ応急工事ヲ督促シ衛生上ノ警告ヲ為セリ 一 郡役所庁舎 大破損中構内幸派出所内ニ於テ執務中ノ処近ク庁舎ノ応急的方法ヲ為シテ本庁内ニ執務ノ見込ナリ 右及報告候也 (二) 大正十二年九月十五日施行 郡長(印) 知事宛 震災事変事後状況報告 震災事変ノ事後ノ措置ニ関シテハ既知ノ如ク干係官憲公共団体其他各町村民ノ協力ヲ以テ諸般応急ノ措置中ナルモ被害著大ノ為メ乍遺憾未タ意ノ如キ進捗ヲ見ル能ハザルモ着々努力中ニ有之其ノ後ノ概況左ノ如クニ候 一 戒厳令実施後ノ状況 最初ハ甲州街道方面并ニ横浜水道水源地等ニ少数ノ兵員派遣シアリタル丈ナリシモ去ル十二日夕刻静岡歩兵第三十四連隊第七中隊〔兵員約八十名〕当郡中野村ニ派遣駐屯郡内各方面ノ警戒ニ該レリ 一般ノ民心ハ漸次平静ニ趣キ被害ノ回復事業其他ニ従事セルモ未タ平素ノ業勢ニ復セルモノ尠シ 一 交通々信 交通々信ノ途ハ未タ一局部ノ開ケタルニ過キス且ツ既知ノ如ク郡内幹線丈ハ応急交通ノ方法ヲ採リタルモ時々豪雨ノ為メニ地震ニ拠リ地盤軟弱ノ地点ハ往々崩壊故障続出シテ随テ交通十分ナラス町村道路ノ如キハ場所ニ拠リ応急処理ノ方法ヲ施スモ何分急速ニ交通不可能ノ地点多シ 中央線鉄道ハ与瀬駅付近ノ徒歩連絡ヲ以テ一時開通セルモ十三日以来豪雨ニテ山梨県下笹子付近ニ故障ヲ生シ其後不通トナリタリ一 食糧 当郡ハ既知ノ如ク食料ヲ他ニ仰キ居リ之カ供給地ハ他府県ナリシ所交通杜絶送付ノ便ヲ欠キ又一般日用品ヲモ京浜等ノ市場ヲ経由シ居リタル処震災ニテ其ノ途ヲ失シ殊ニ欠乏甚シキヲ以テ極力之カ自給〔雑穀混用〕ニ努メ一面近傍ノ地ヨリ零細ノ食糧ヲ購入シ補給シ居レルヲ以テ大体交通ノ開クルマテ何ントカ現状ヲ以テ過ス予想ナリ 一 罹災民救助 既知ノ如ク官公署并ニ公衆協力シテ諸般ノ措置ヲ為シテ違算ナキヲ期シ居リ候 一 厳戒令トノ連絡 (三) 第三十四連隊司令部ハ小田原ニ設置セラレ去ル十三日同司令部ヨリ地方官憲ニ毎日午后三時ヨリ会議ヲ開クニ付列席方ノ通牒アリ郡長故障ノ為メニ直チニ代理トシテ主席八木郡書記ヲ同地へ派遣セリ 右及御報告候也 津久井郡被害及物資景況 九月十九日調 二五六 橘樹郡大綱村被害報告(一-二) (一) 九月十一日調査 一 大綱村ノ被害程度 家屋ノ全潰百五十九戸住家九十戸 人員四百八十名 同 半潰二百六十二戸住家百二十戸 人員七百八十名 死亡数 本村ニテ三名 横浜ニテ三名 負傷者 十名 行衛不明者 弐名 右ノ内救恤ヲ要スルモノ戸数五十戸 人員三百名 二 他市町村ヨリ避難セル世帯数五十戸 人員弐千名 右ノ内救恤ヲ要スル世帯数人員 三 欠乏セル物資ノ主ナルモノ塩米蠟燭マツチ釘 四 恤救品ノ要求額米六十石塩四十叭〉拾日分一日三合二千人 五 配給セル糧食ハ拾四日昼迄維持出来ル見込ナルモ夫レ以后ノ分本村内ニテ都合出来サル見込ナリ ◎伝染病表 九月十二日現在数 北綱島五 南綱島二 太尾二四 (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 篠原七 大曽根一一 樽三 大豆戸八 隔離病舎四 篠原三 備考 チブス予疑太尾四、篠原六、 井上技師談ニ依レハ城郷村現在五十六人 ◎軍隊宿営 八王子鉄道線復旧ノ為メ千葉鉄道連隊兵八十名大綱村へ出張 菊名青木近蔵方本部 一個中隊分道具アリ 救恤用トシテ十三日午前九時迄ニ 一 砂糖拾袋一袋廿六貫目正味百六十五斤 右御幸村明治製糖株式会社川崎工場 二 蠟燭七箱一箱ハ四十斥 右保土ケ谷町日本油脂合同株式会社保土ケ谷工場 ◎チブス益々猖獗 大綱村七十名城郷村五十六人 右収容方法ニ付当局者心痛ノ処明十三日郡役所へ両村長出頭県ニ於テ材料提供薬品提供此際万遺憾ナキヤウニトノ注意郡ヨリ加藤書記受付 (二) 第二節 戒厳令関係 二五七 関東戒厳司令官告諭 関東戒厳司令官告諭 震災被害調査表(大正十二年九月一日未曽有ノ大地震) (欄外注記)少シク樽トノ行違アリ (「未曽有大地震関係書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 今般勅令第四〇一号戒厳令ヲ以テ本職ニ関東地方ノ治安ヲ維持スルノ権ヲ委セラレタリ 本職隷下ノ軍隊及諸機関〔在京部隊ノ外地方ヨリ招致セラレタルモノ〕ノ全力ヲ尽シテ警備救護救恤ニ従事シツツアルモ此際地方ノ諸団隊及一般人士モ亦極力自衛協同ノ実ヲ発揮シテ災害ノ防止ニ努メラレムコトヲ望ム 現在ノ状況ニ鑑ミ特ニ左ノ諸件ニ注意スルヲ要ス 一 不逞団体蜂起ノ事実ヲ誇大流言シ却ツテ紛乱ヲ増加スルノ不利ヲ招カサルコト 帝都ノ警備ハ軍隊及各自衛団ニ依リ既ニ安泰ニ近ツキツツアリ 二 糧食欠乏ノ為メ不穏破廉恥ノ行動ニ出テ若クハ其ノ分配等ニ方リ秩序ヲ紊乱スル等ノコトナカルベキコト 右告諭ス 大正十二年九月三日 関東戒厳司令官 陸軍大将福田雅太郎 (「未曽有大地震関係書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 二五八 戒厳令施行にさいし橘樹郡大綱村の告示 今回の震災に関し東京府及神奈川県に戒厳令の執行と共に関東戒厳司令官は福田陸軍大将に勅命セられ近衛及第一師団(甲府佐倉を含む)はもとより千葉教導連隊宇都宮歩兵二個連隊高崎高田歩兵二個連隊其他仙台弘前金沢豊橋名古屋広島の工兵諸隊を併せ指揮に隷セられた而シテ東京市外の諸隊ハ今朝来現に陸続到着しつゝある 此戒厳とは戦時又ハ事変に際し兵力を以て一地方を警戒する事であつて地方の行政司方事務をも戒厳司令官の管掌に委するものなる事勿論であるが今回のは特に市町村民の惨害を軍隊の実力を以て救護救恤せしめらるゝ趣旨に出てたのである故に市町村民諸君ハ軍隊の行動に力を協せて同胞の救護と秩序の維持に努められんことを切望するのである 尚不逞鮮人に就ては三々伍々放火の事実はあるも既に軍隊の配備が完成に近つきつゝあれバ最早決して恐るゝ所ハない数百数千の鮮人が襲撃するなどゝ無稽の宣伝に迷ハされさることが肝要である 九月四日 大綱村役場 (「未曽有大地震関係書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 二五九 三崎戒厳地区管下状況概要申告覚書 三崎戒厳管下状況概要申告覚書 本月六日横須賀戒厳司令官ヨリ命ヲ承ケ急速準備ヲ整ヘテ当地ニ参リ翌七日当光念寺ニ指揮官部ヲ設ケマシタ以来今日ニナリマシタ今其当時並ニ其後ニ於ケル軍隊並ニ戒厳ノ状況ニ就テ申上ゲマス 一 一般状況 当方面ハ震源地ニ近接シテ居リマスノデ震動力ハ相当大デアリマシタガ地盤ガ堅固ニ出来テ居リマスノト火災ノ厄ヲ免レマシタノデ比較的ニ震災ハ甚大ナラズト申ス事ガ出来マス但震動当時ハ地盤ガ著シク隆起シ平常二尋モアル城ケ島トノ水道モ跣足ニテ渉リ得ル光景ヲ呈シ今日ニ至ルモ尚水面ガ数尺低イノデ海嘯ノ来襲ニ対スル恐怖ト鮮人ニ対スル流言蜚語トハ一時相当人心ノ不安動揺ヲ来シタノデアリマスガ之等ニ対スル懸念ハ戒厳令施行ト共ニ漸次去リ人心ハ安静ニ帰シ尚最近糧食ノ配送施米ノ実施ニヨリ食糧問題モ自ラ解決ノ曙光ヲ認ムルニ至リ人民ハ各各ソノ堵ニ安ジ今ヤ官民一致シテ鋭意震災ノ復旧ニ努力致シテ居リマス 二 軍隊ノ状況 当部ハ指揮官以下二十六名デ臨時編成デアリマスガ皆能クコノ未曽有ノ災害ニ対スル心持ヲ自覚シ管区ノ安寧秩序ヲ維持シ若クハ災害ノ復旧ニ対シテハ軍人的精神ヲ以テ之ニ臨ミ奮励努力シテ居ル次第デアリマシテ現下ノ困苦欠乏ニ耐へ犠牲的精神ヲ発揮シ得ルハ寧ロ得難キ活教訓ヲ得ツツアルモノト信ジテ居ルノデアリマス幸ニシテ軍紀風紀厳粛ニ衛生状況モ亦良好デ今日迄何等ノ事故ナキヲ申上グルハ小官ノ欣幸トスル所デアリマス 三 警戒ノ配備 一般ノ人心平静ニ帰スルト共ニ在郷軍人団青年団消防組合等各種自治団ノ自発的警戒配備ハ漸次之ヲ撤回シソノ努力ヲ震災ノ回復ト産業ノ復興ニ傾注致シテ居リマス然レドモ管下各部ニ対シテハ尚毎日巡邏ヲ派シ船舶ノ出入ニ際シテハ之ヲ臨検スル等警察官憲ト協力シテ安寧治安ノ維持ニ全力ヲ尽シテ居リマス 四 交通通信 (イ) 道路 震災ニヨリ管区内ニ於ケル主要道路ハ橋梁ノ破壊山崖ノ崩壊ソノ他ニ依リ殆ンド交通ヲ杜絶スルニ至ツタノデアリマスガ各自治団体ノ努力ニヨリ大略之ヲ復旧シ主要道路ハ最早自働車ノ通行ニ差支無イノデアリマス (ロ) 電話 電話モ震災ト同時ニ全部切断セラレタノデアリマスガ去ル十七日迄ニ管区内ハ全部之ヲ修理シ目下交話自由ノ状態ニナツテ居リマス (ハ) 海上交通 震災当時ハ石炭ノ欠乏ニヨリ船舶ノ運航不可能ノ状態ニアリマシタノデ不取敢横須賀ヨリ石炭十五屯ヲ取寄セ海上ノ交通ヲ開キ之ニヨリ糧食補給ノ道ヲ講ゼシニ爾来海上ノ交通運輸漸次円滑トナリ今日ニテハ隔日東京方面ニ汽船ノ便ヲ得テ居リマス 五 糧食配給 当方面ノ住民ハ漁民ガ其多数ヲ占メテ居リマスノデ日常食糧ノ貯蔵ニ乏シク震災ノ初頭ニ於テハ不安ヲ感ゼラレマシタノデ先ツ最モ困窮シツツアリト認メラレタル一万三千人ニ対シ海軍ヨリ糧食ヲ給シ次イデ前後二回ノ外米ヲ分配シマシタガ最近商人ニ依リ他ヨリ穀類ヲ輸入スル途ノ開ケタルノミナラズ近郊ニ於ケル豊富ナル野菜ト漁獲トハ相俟ツテ糧食ノ欠乏ハ相当緩和サレツツアル次第デアリマス 六 漁業 復旧作業ノ進捗ニツレ出漁ノ気運ニ向ヒツツアリマスモ石油、糧食ノ欠乏ト本夏以来ノ一般的不漁トニヨリ震災前ノ漁獲ヲ得ルニ至リマセヌガ今後大イニ之ヲ奨励スルト共ニ売揃先ヲ求メ当方面ニ於ケル産業中ノ最タル本業ヲ一日モ早ク回復セシムル計画デアリマス 七 救護並ニ一般ノ衛生状況 三崎町ニ於テハ重傷者約五十名ヲ小学校ノ一校舎ニ収容シテ医療ヲ実施シテ居リマシタガ現今ニテハ受診患者約三十名中重傷者十一名アリ海軍ニテハ医薬材料ヲ給シ町医ト協力シテ之ガ救護ニ努メテ居リマス 当方面ノ健康状況ハ極メテ良好ニシテ伝染病ノ発生ヲ認メマセス尚警察当局ト協力シテ之ガ防遏ニ努力致シテ居リマス 八 社会的施設 復旧作業ニ伴フテ起ル可キ労銀ノ暴騰ヲ防止スル為震災前ノ標準ニ一定シ又一般ノ保健上湯銭理髪料金ヲ低下シ暴利商人ニ対シテハ相当威力アル制裁ヲ加フル等ノ方法ヲ講シマシタガ事局柄トハ申シナガラ之等日常ニ於キマシテ困難ナル事柄カ比較的安易ニ実現シマシタノデ此点ニ関シマシテモ一般民衆ハ戒厳ノ力ニ感謝致シテ居ル次第デアリマス 尚終ニ臨ミ申上ゲマス今回ノ震災ニ於キマシテ今日迄調査致シマシタ所デハ奇特ノ行為アリタリト特ニ申上グル者ハ無イノデアリマスガ当管区ニ於キマシテハ町村長警察当局ヲ初メ在郷軍人団青年団消防組合等ノ自治団ハ一致協力シテ震災ノ復旧ニ熱誠努力致シテ居リマスノデ其ノ重ナル者ニ対シテハ追テ他ノ方法ニヨリ表彰致ス考デアリマス 〔終〕 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二六〇 「朝鮮人暴動」説虚報の件通達(一-二) (一) 当地方ニ於ケル朝鮮人ニ関スル噂ハ概ネ虚報ナリ彼等ト雖皆悪人 ニ非ラス妄リニ虐待スルナ 朝鮮人収容所ヲ不入斗練兵場ニ設ケアリ朝鮮人ハ同所ニ行ケ安全ニ 保護シテヤル 九月三日 横須賀鎮守府 横須賀市役所 衛戍司令部 (二) 情報第二報九月四日正午 横須賀鎮守府司令部 一 軍艦春日本朝大湊ヨリ白米四千貫搭載入港直ニ各地方ニ配給セリ 二 明日東京及横浜行一般便乗者ノタメ軍艦一隻駆逐艦一隻又清水港ニ駆逐艦一隻ヲ派遣セラル委細ハ市役所其ノ他必要各部ニ通知スミ 三 本朝東京ヨリノ電報ニヨレハ民心漸次平穏ニ復シツツアリ 四 先日来不逞鮮人襲来ノ噂ガ喧シカッタガ何レモ虚言デアル実例二、三挙クレバ (イ) 長井村ニ怪シキ船来リ鮮人ガ上陸シタトノ通知ガ頻リニアッタガ陸軍デ偵察ノ結果其船ハ安房方面ノ船デ薪ヲ他地方ニ送ル途中水ヲ貰ヒニ来タノヲ鮮人ト誤ッタノデアル (ロ) 佐野方面ニモ不逞鮮人六十名ガ入ッタトノ噂デアッタガ是レ又陸軍ノ偵察ノ結果虚言デアッタ (ハ) 野島ノ方カラ鮮人百名ガ襲来トノ□ガ海軍デ偵察ノ結果コレモ全部噓言 五 新内閣 成立〔二日夕〕 総理兼外務 山本権兵衛 内務 後藤新平 大蔵 井上準之助 陸軍 田中義一 海軍 財部彪 農商務兼司法 田健二郎 逓信兼文部 犬養毅 鉄道 山之内一次 〔終〕 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二六一 軍隊出動要請防衛朝鮮人保護に関する注意の件通知 号外 大正十二年九月四日 鎌倉郡長 小学校長区長殿 町村長軍隊出動並ニ惨害概況通知 今次ノ震災本郡ノ概況ハ別紙之通リニ有之候尚不逞鮮人ノ侵入防衛ニ付テハ横浜及鎌倉両軍隊派遣部隊長ニ向テ戸塚町ヲ中心トシテ防衛ノ為メ軍隊派遣申請中ニ付近ク出動ヲ見ルコトヲ得ル儀ト思惟候条不安ノ念ニ狩ラレ居ル一般ノ人民ニ安定ヲ与ヘラレ候様周知スルト共ニ軍人分会及青年団ハ冷静ナル態度ヲ以テ軍隊ノ出動ヲ見ルマデハ従前ト異ナル処ナク防衛ニ努ムル様致度尚貴町村在住ノ鮮人ニ対シテハ暴行ヲ為サル様特ニ注意相成度此段及通知候也 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二六二 戒厳令施行に関する件告示 号外 大正拾二年九月五日起案 郡長(印)担任(印) 鎌倉郡長 各町村長殿 戒厳令施行ニ関スル告示 一 今回東京府及神奈川県ニ戒厳令施行セラルルト共ニ近衛及第一師団其他各地所在陸軍部隊一昨三日以降陸続到着シツヽアリ 二 不逞鮮人三々伍々放火ノ事実ハアリタル趣ナルモ既ニ軍隊ノ配備完成ニ近キツヽアレハ最早恐ルヽニ足ラス数百名ノ鮮人カ襲撃スルナド無稽ノ宣伝ニ迷ハサレサルヲ要ス (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二六三 戒厳令施行にともなう命令事項 『横戒令第一号』 命令 大正十二年九月六日 於横須賀鎮守府 一 勅令第四〇一号ニ依ル戒厳地境ヲ左ノ地区ニ区分ス イ 横須賀戒厳地区〔横須賀市衣笠村武山村西浦村〕 ロ 逗子戒厳地区〔逗子町田浦町葉山村〕 ハ 浦賀戒厳地区〔浦賀町久里浜村北下浦村〕 ニ 三崎戒厳地区〔初声村長井村三崎村南下浦村〕 二 各戒厳地区指揮官左ノ如シ 横須賀戒厳地区 本職直接之ヲ指揮ス 逗子戒厳地区 海軍少将 大谷幸四郎 浦賀戒厳地区 同 樺山可也 三崎戒厳地区 海軍大佐 森初次 三 各戒厳地区指揮官ハ本職ノ意ヲ承ケ其ノ地区内ニ於ケル治安維持ヲ担任シ地方官憲ト協力シテ罹災民ノ救恤保護ニ努ムヘシ 右任務遂行ニ関シ必要ニ応シ実施スヘキ事項概ネ左ノ如シ イ 食糧ノ徴収並分配 ロ 建築物及其ノ材料ノ徴収並分配 ハ 衛生材料ノ徴収並分配 ニ 被服ノ徴収並分配 ホ 燃料ノ徴収並分配 へ 運搬具其ノ他ノ物件ノ徴集並分配 ト 労務ノ徴収並分配 チ 其ノ他必要ト認ムル事項 四 司令部並各地区指揮官部ノ編制ハ別ニ之ヲ定ム 五 戒厳地司令部ヲ横須賀鎮守府ニ置ク 戒厳地司令官野間口兼雄 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二六四 戒厳地司令官告諭等掲示徹底の件通達 大正十二年九月七日 三浦郡長 各町村長殿 告諭等掲出方ノ件 戒厳地司令官告諭及其他ノ情報等時々及送付居候ニ付テハ各町村ニ於テハ到達ノ時々之ヲ大書シ町村内適当ノ個所ニ掲示シ普ク周知方御取計相成度 追テ之等ノ事務ニ就テハ町村吏員ノミニテハ此際手不足ナルベクニ付小学校教員等適当ナルモノヲシテ援助セシメ可成速取計相成度 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二六五 軍隊派遣方の件申請 永発第一九六号 大正十二年九月八日 永野村長(印) 鎌倉郡長殿 軍隊出動ニ関スル件 本村ハ横浜市ニ近接セル関係上不逞団体又ハ盗賊等ノ侵入ノ報間断ナク村民昼夜警戒ノタメ疲労甚シク一方戒厳令ヲ布カレタルモ未ダ一回モ軍隊ノ来村ナク管内戦々恐々トシテ日夜安キ心地モ無之状態ニ有之候依テ軍隊派遣方大至急御取計煩度此段申請候也 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二六六 戒厳地司令部の災害処理関係情報 情報第三 九月八日午前十時現在 戒厳地司令部 一 食糧ノ補充作業モ皆サン御覧ノ通リ段々進捗シ一両日中ニハ食「パン」等モ市中ニ現ハルヽ筈 二 会社ノ応急点灯作業モ目下著々ソノ歩ヲ進メ今ノ処十日前後ニハ市内ノ一部ニ点灯ヲ見ルニ至ルテアロウ 三 汽車ハ目下陸海軍ノ応援中テソノ開通ヲ見ルモ遠クハアルマイ鎮守府ニ左ノ報カ這ツタ 東京鎌倉間ハ十日頃 四 海軍ノ救護所モ追々出来マシタカ今後悪疫等流行スル時ハ震災以上ノ大惨害ヲ来シマスカラ生水ヲ飲マヌ様御互ニ警メ合ヒマセウ 五 走水水道ノ復旧工事モ漸次進捗シ昨日ヨリ小量ナカラ小川町迄水船ヲ曳航シ市民ニ配給ヲ始メマシタ 〔終〕 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二六七 戒厳地司令部の伝染病防遏命令 横戒令第五号 大正十二年九月十一日 戒厳地指令官海軍大将 野間口兼雄 命令 一 市町村ハ伝染病流行ヲ未然ニ防遏スルニ努メ其ノ手段ニ就テハ横須賀戒厳地区ニアリテハ鎮守府軍医長ニ其ノ他ニアリテハ各戒厳地区指揮官ニ協議シ遺憾ナキヲ期スヘシ 一 市町村ハ速ニ伝染病院ノ復旧ニ努メ患者ノ収容ニ支障ナキヲ期スヘシ 一 市町村ハ其ノ地在住ノ医師ニシテ伝染病ノ疑アル患者ヲ診察シタル時ハ此際特ニ急速警察署ニ届出テ患者ヲ隔離スル様漏レナク厳達スヘシ 〔終〕 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二六八 戒厳地区司令官の米配給に関する件告達 告達 現下ノ状況ニ鑑ミ横須賀戒厳地区ニ於テハ米ノ配給ハ自今左ノ通実施セシム 一 米穀商ヲシテ来ル十三日以後米ヲ売渡サシム 其ノ価格左ノ如シ 白米 一升 四十一銭 玄米 一升 三十六銭 米国玄米 一升 三十三銭 外米 一升 二十四銭 二 来ル十七日以後施米ヲ廃ス 但シ窮困者ニ対シテハ市役所ノ証明ニ依リ米穀商ヲシテ配布ノ任ニ当ラシム 三 横須賀戒厳地区以外ニ於テハ各其情況ニ応シ各戒厳地区指揮官ヲシテ処理セシム 大正十二年九月十一日 戒厳地区司令官海軍大将 野間口兼雄 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二六九 横須賀鎮守府災害処理関係情報 横須賀鎮守府公報 第二〇四号付録 大正十二年九月十一日〔火曜日〕 震災関係情報其ノ四〔九月十一日午前十時現在〕 ●清水陸上無線電信所 清水ニ特派セル斉藤少佐一行ノ設備隊八日夕刻同地著陸上ニ事務所ヲ設ケ小型無線装置ヲ仮設ス ●鎌倉警備隊撤退 水雷学校ヨリ派遣シタル警備隊ハ九日撤退目下同地ハ石黒歩兵少佐ノ指揮スル陸軍歩兵第四十九連隊〔甲府〕ノ一中隊ヲ以テ警備ス ●電話開通 防備隊吾妻山信号所〔共ニ鎮守府交換〕本日ヨリ開通セリ ●横須賀田浦間汽車開通工事 横須賀田浦間ノ鉄道隧道出入口四ケ所崩壊シ本日八日ヨリ兵員職工及人夫ヲ以テ之カ復旧作業ニ従事二十一日迄ニハ作業終了ノ予定 ●艦船便 練習艦隊便 一 十二日 磐手 十三日 八雲 二 午後四時 品川発 午後七時 清水発 往復共横須賀ヲ経由ス(午後六時頃横須賀第三区ニ漂泊スル筈) 三 清水ニ於テ便乗者ヲ陸揚シタル後同地方面ニ於ケル便乗者ヲ搭乗品川沖ニ帰港ス ●練習艦隊司令部 一時清水陸上ニ移ス ●鎮守府交換電話番号改正〔十日実施〕 一 幕僚付 二 幕僚付 三 幕僚 四 砲術学校〔病院〕 五 工廠 六 港務部 七 軍需部 八 軍需部 九 旧官庁前 十 水雷学校 十一 十二 経理部建築部 十三 経理部、建築部 十四 人事部 十五 横須賀警察署 十六 軍港西門 十七 鎮守府主計長 十八 機関学校 十九 吾妻山信号所 二十 海兵団 二十一 鎮守府〔一般報告用〕 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) (注)鎮守府交換電話番号改正の中「十一」は空欄 二七〇 横須賀鎮守府震災対策日報 横鎮災日報第二二号 横須賀鎮守府 九月二十三日〔日曜〕 一 左記ノ通部下各所轄長ニ訓示ス 今次ノ大震災以来部下海軍各部隊ハ克ク困苦欠乏ニ堪へ日夜寝食ヲ忘レテ警備救護ノ重任ニ尽瘁シツツアルハ本職ノ大ニ多トスル所ナリ今ヤ応急ノ施設漸ク其ノ緒ニ就キシト雖モ尚戒厳中ニシテ上下共ニ軍隊ニ頼ルノ秋各自相戒メ謙譲自ラ持シ懇切人ニ接シ益々規律ヲ重ンシ節制ヲ守リ以テ其ノ信頼ニ背カサランコトヲ努ムヘシ若シ夫レ上陸外出ノ際偶々言行其ノ規ヲ逸スルカ如キ者アランカ延ヒテ我海軍ノ威信ニ影響スル処甚大ナルヲ以テ諸官ハ現下ノ状勢ニ鑑ミ厳ニ部下ヲ戒飭シ万遺憾ナキヲ期スヘシ 二 特務艦尻矢ハ二十六日午後五時一般避難民〔百名以内〕ヲ搭載大阪ニ回航シ在泊二日間ノ予定ヲ以テ当軍港揚ケ物件及清水ヲ出来得ル丈ケ多ク搭載ノ上横須賀ニ帰港ノ予定 三 第三駆逐艦ハ本日午前九時三十分出港横浜ニ回航〔鮮人掛主任工廠渥美海軍少佐便乗〕シ在横浜防波堤内華山丸ヨリ横須賀重砲兵連隊ニ収容スヘキ鮮人二百二十五人(内婦人七名子供二名)搭載シ午後五時帰港セリ 四 横須賀品川間定期通信艦ハ二十五日ヨリ専ラ第一掃海隊ヨリ出ス予定尚通信艦ハ横須賀田浦間汽車開通ノ暁ハ取止ノ筈ナリ 五 本日風波高キ為摂津便乗者ノ便船ヲ取止ム 六 特務艦高崎荷役ノ都合ニ依リ二十五日午後一時出港ニ変更ス 七 特務艦富士通信連絡ノ為品川沖ニ派遣中ノ処二十二日任務終了帰港セリ 八 軍艦常磐本日入港搭載物件軍需部行揮発油約千箱工廠行白米二千五百俵木炭千俵薪千把味噌醤油砂糖煙草及揮発油石油若干 九 特務艦武蔵及松江ハ約四ケ月ノ予定ヲ以テ震災地方海面ノ測量ニ従事セシム 一〇 戒厳司令官ヨリ横須賀市長職務管掌ニ対シテ左ノ通指令ス 目下応急修理中ノ走水湿ケ谷間水道鉄管完成通水ノ暁ハ本水道水市内配給ニ関シテハ左ノ通心得ヘシ 一 市ニ分与スヘキ水量ハ一日四百噸以内トス但シ必要ニ応シ本水量ヲ制限スルコトアルヘシ 二 配給方法ハ共用栓〔メーター付トス〕ニノミ拠ルモノトス但シ特ニ専用栓〔メーター付トス〕ノ設置ヲ必要ト認ムルモノアルトキハ本職ノ承認ヲ経ルヲ要ス 三 前項使用ノ共用栓ハ所在ヲ明記シタル図面ヲ作成シ速ニ本職ノ承認ヲ得ヘシ 四 共用栓ノ使用ハ当分ノ内時間制限給水法ニ拠ルヘク詳細ハ案ヲ具シ本職ノ承認ヲ経ヘシ 五 消費水量検定ハ毎日一定時特ニ本職ノ命シタルモノト立会ノ上之ヲ行フモノトス 一一 糧食品配給概況左ノ如シ 一二 建築材料蒐集状況左ノ如シ 横須賀揚陸済 木材 九、二〇〇石 丸太 四、〇〇〇本 亜鉛鈑 二二、〇〇〇板 釘 一〇、〇四八貫 其他電器材料 一三 本二十三日限小川町及不入斗救護所〔共ニ新潟県救護班〕ヲ撤去シ白浜海軍救護所ヲ海軍病院〔機関学校焼跡〕ニ併合ス 一四 救護所患者表左ノ如シ 九月十八日 九月十九日 九月二十日 九月二十一日 九月二十二日 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) (注)逗子の欄に「報告未着」の書込がある。 二七一 三崎戒厳地区司令部の「レイニン」号入港の件通告 横浜水上警察署ヨリノ報告ニヨレバ十二日午後一時露船「レイニン」横浜ニ入港夜陰上陸ノ疑アリ注意ヲ要ス 大正十二年九月十三日 三崎戒厳地区司令部 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二七二 管下町村長警察官に対する三崎戒厳地区指揮官の告諭 管下町村長警察官憲ニ告諭 本職曩ニ戒厳司令官ノ命ヲ奉シテ着任初頭諸官ヲ会シテ治安ノ維持糧食ノ配給災害ノ復旧等ニ関シ説示スル所アリシガ爾来各官憲ノ協力ト奮励トニ依リ着々其功ヲ収メ今ヤ諸事面目ヲ新ニスルニ至リシハ諸官ト共ニ慶賀スル所ニシテ深ク連日ノ労ヲ多トス 窃ニ惟フニ災害以来陛下ノ御宸襟ヲ悩マサレツツアルハ恐懼措ク能ハサル所ニシテ頃日大詔ヲ煥発セラレ事局ニ処スルノ大綱ヲ指示シ賜ヒテ更ニ不日侍従武官ヲ当地ニ差遣セラレ具ニ状況ヲ視察セシメ賜フ叡慮ノ程感激ニ堪ヘサルナリ 諸官ハコノ際一層奮励善後ノ策ニ努力シ万遺憾ナキヲ期セラル可シ若シ夫レ現下最モ顧慮ヲ要スベキ伝染病ノ予防ニ関シテハ已ニ戒厳司令官ヨリ指示サレシ処コノ際事前ニ於ケル十二分ノ警戒ヲ望ム 大正十二年九月十七日 三崎戒厳地区指揮官 森初次 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二七三 鎌倉郡下警備隊配置状況等に関する件報告 号外 大正十二年九月十七日 川口村長(印) 鎌倉郡役所御中 警察隊配備ニ関スル件 本月十四日付ヲ以テ首題ノ件御照会ニ相成調査候処本村内ニハ警備隊人員左記ノ通リニ候条此段及回報候也 記 種別人員 将校 一 下士 志願兵 兵卒 計 一 二 二一 弐五 亥深収第七四六号 大正十二年九月十七日 深沢村長(印) 鎌倉郡長殿 号外大正十二年九月十四日付警備隊配備ニ関スル件 一 本村ニハ警備隊ノ駐屯 ナシ 一 同上 必要ナシト認ム 豊収第九五一号 回答 大正十二年九月十七日 豊田村長(印) 鎌倉郡長殿 警備隊配備ニ関スル件 本月十四日付号外ヲ以テ御照会ノ首題ノ件ニ対シ取リ調候処目下兵員ノ駐屯ヲ煩ハスノ様無之ニ付此段及御回答候也 大正十二年九月十七日 川上村長代理助役(印) 鎌倉郡長殿 警備隊配備ニ関スル件 目下本村ニ駐屯スル兵員ハ五名ニ之アリ候へ共全然五名ニテハ到底全村警備候ハ非常ニ困難ノコトニ有之候因テ此外枢要ノ個所ニ一個所配備相成リ度向後兵員五名御派遣相成度右之通リ廻報候也 小発号外 大正十二年九月十六日 小坂村玉縄村組合長代理 小林駒治郎(印) 鎌倉郡長 茂義孫殿 大正十二年九月十四日号外ヲ以テ御照会ニ相成候警備隊配備ニ関スル件目下大船駅ニ本部兵員五拾名小坂村台ノ分遣所ニ八名小坂玉縄村ノ要所々々ハ右兵員ヲ以テ巡回警備ス依テ右兵員ニテ両村ノ警備ハ先以テ足レリト思意ス 右報告候也 大発号外 大正十二年九月十四日 大正村長(印) 鎌倉郡長殿 軍隊駐屯ニ関スル件 本月十三日第一師団歩兵第四十九連隊数野特務曹長以下二十四名本村警備ノタメ来着駐屯候条此段及報告候也 大正十二年九月十七日 戸塚町役場(印) 鎌倉郡役所御中 九月十四付照会ニ係ル警備配備ニ関スル件左記ノ通リ及回答候也 記 一 兵員数 歩兵一ケ分隊 一 現在兵員増員ノ必要ナシ 号外 大正十二年九月十六日 鎌倉町長 早川義雄(印) 鎌倉郡長 茂義孫殿 警備隊配備ニ関スル件 九月十四日付号外ヲ以テ御照会ニ係ル当町警備ニ関スル件左記ノ通リ及回答候也 記 一 現在駐屯兵員 歩兵第四十九連隊ノ内大隊本部ト二ケ中隊〔一ケ小隊ヲ欠ク〕 兵員百六十名 二 駐屯兵増加希望兵員数 歩兵壱ケ小隊 理由 現在ノ駐屯兵員ニテハ配備僅ニ横浜金沢横須賀藤沢ニ通スル主要道路及物資集積所ヲ警備スルニ止マリ大隊長ノ予備隊皆無ニシテ急ヲ要スル場合策ノ施シ様無ク町民ハ陸軍ノ威力ヲ信スルモ兵員ノ不足ヲ痛切ニ感ス且ツ地勢海岸広ク多数ノ谷地ヲ有スルヲ以テ夜間ノ安寧ヲ確保セントセバ巡察隊ヲ必要トス 如上ノ理由ニ依リ一ケ小隊ノ増員ヲ請求ス 号外 大正十二年九月十五日 本郷村長(印) 鎌倉郡長殿 警備隊配備ニ関スル件 首題ノ件左ノ通リ及回答候也 左記 本村ニ駐屯セラルヽ兵員下士以下七名 目下ニ適所ニ駐屯セラルニ付キ他ニ必要ヲ認メズ 以上 号外 大正十二年九月十七日 中川村長 中丸鶴吉(印) 鎌倉郡長殿 警備隊配備ニ関スル件 本月十四日付号外ヲ以テ御照会相成候首題ノ件左記ノ通リニ付此段及回報候也 左記 一 駐屯兵員 特務曹長一名 下士一名 兵卒十五名 計十七名 二 駐屯ノ必要ノ理由 村民安定上必要ニ付尚ホ引続キ前記ノ通リ駐屯セシメラレ度 (「鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二七四 小田原方面警備隊司令部会報 大正十二年九月十三日 小田原方面警備隊司令部 会報ノ件達 一 地方民ニシテ軍人ノ服装ヲナシタルモノヲ取締ノ件 二 伝染病就中赤痢「チブス」ノ如キ飲食品ノ媒介ニ依ル伝染病予防ニ特ニ注意スルコト 三 足柄上郡及各郡内ノ町村字現在人及物資数量ノ概数ヲ調査シ十二日迄報告ノコト 四 食糧品其他諸品ノ配給ノ数量ヲ調査計画シテ報告スヘシ 五 道路ニ倒レタル家屋露店ノ交通ヲ妨クルノヲ速ニ除去セラレタリ 六 電線ノ切断ニ就テハ前回ニモ述ヘタルモ其ノ跡ヲ絶タス 罹災民其他ノモノニシテ破壊ノ行為ヲ認メタル場合ニ於テハ軍部ニ通達セラレンコトヲ乞フ 七 会報ニ付上中愛甲等ノ郡吏ハ遠距離ニシテ同情ノ至リナルモ一般ノ事情ヲ顧慮シ出席相成度又自動車ノ御使用願度 八 小田原在郷軍人ハ救助ニ従事セラレタシ 九 郵便局ノ郵便物取扱ハ「罹災郵便」ト表記スヘシ 但シ東京横浜横須賀ノ火災ニ罹リタル所不明ナルハ取扱ハス 十 小田原ニ左ノ如ク救護所ヲ開設ス Ⅰ小田原北部 Ⅱ小田原 Ⅲ小田原西部 Ⅳ祥福寺 (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二七五 小田原方面警備隊司令部会報指示事項 小田原方面警備隊司令部ニ於ケル会報事項 九月十三日小田原方面警備隊司令部ニ於テ行フ会報ニ出席方通牒ニ依リ同十四日指示事項左ノ如シ 九月十四日午後三時会報 一 震災被害程度左ニ区分シテ回報ノコト 人畜死傷 家屋ノ倒潰 焼失 浸水ノ数量 各町村別ニ調査ノコト 右ハ出席ノ際調査持参セルヲ以テ即時提出ス 二 最近人口及主用食糧調提出ノコト 出席ノ際調査セルヲ以テ即時提出 三 交通 自働車ハ小田原ヨリ湯本迄開通 汽車 十八日頃平塚ヨリ松田マテ開通ノ筈 御殿場方面ハ今月一杯ヲ要スル見込 自働車 小田原ヨリ平塚ヲ経テ中郡相川村戸田丈上マデ開通 馬入ノ仮橋出水ノ為メ危険ニ付軍隊ニ於テ保護シツヽアリ徒歩及空手車ノ外通行止メ 四 人力車馬車賃暴利亘ルヲ以テ既往三年間賃金ヲ調テ之ニ依リ賃金表ヲ定ムルニ付右調査提出ノコト 津久井郡ニ於テハ該当事項ナシ 右ハ小田原近在ノ由ニ付調査セズ 五 伝染病ノ種類病名何町村何人アルヤ調査回報ノコト 若林警察署長津久井郡ニハ該当事項ナキ旨ヲ即時回答ス 六 夜中通行禁止ノ件 本日ヨリ午後九時ヨリ翌日朝午前四時マテ町中通行セザルコト本郡ハ派遣ノ警備隊長ト打合ノ上定メルコト 七 軍用電線ノ被害大シ之ガ保護方注意セラレタキコト即チ切タリハヅシタリシナキ様注意 本郡ニハ該当事項ナシ 八 行政事務ハ平素ノ通リ郡長ニ於テ取扱ハレ度軍備ニ関シテ警備隊司令部ヨリ申達スルコトモアルヲ以テ可然配慮ノコト 九 津久井ニ於ケル食糧ノ欠乏ニ付テハ警備隊司令部ヨリ中央へ報告シテ八王子方面ヨリ廻スコトニセラルルニ依リ計画ヲ立テ郡長ヨリモ県へ申報スルコト 右計画ハ会報又ハ直ニ逓伝哨ニ依リ報告ノコト 九月十五日午後三時会報 一 交通 湯本マテ自働車昨日迄開通セルモ本日雨ニテ交通困難ナリ町ニ於テ改修スル様尽力セラレ度 根府川真鶴迄ハ駄馬ノ通行丈ニナリタリ 出水ノ為メ馬入橋流失シタリ サカワ川仮橋流失交通杜絶鉄道橋ニ歩行丈ニセリ 九月十五日午後三時会報 十九日以前ノ事項 一 倒潰家屋其ノ他汽車電車等ニテ死亡埋没シタルモノヲ手ヲ付ケサルモノアルトキハ場所ト人員報告ノコト 鳥屋村ニ於テ山林崩潰十七名埋没四名発其ノ他ハ排水工事ヲ急クヲ以テ之ニ当ルヲ以テ未ダ手ヲ付ケザル旨回答セリ 二 各自ノ物資影況 食糧品ニ付現在アル数量ヲ主食副食ニ区分調査回報ノコト 九月廿一日調査回報セリ 三 軍隊慰問ノ為侍従武官ヲ二十日二十一日頃御差遣ノ由付テハ管区内ニ於テ在郷軍人青年団其ノ他ノ団体ニ於テ特ニ奇篤ノ行為アル者ニシテ他ノ模範トナルベキ者アラバ本日報告ノコト 調査ノイトマナキヲ以テ該当事項ナキ旨ヲ回答セリ 四 サカワ川渡船本日ヨリ開始 五 流材隠匿スルモノアル哉ノ趣ニ付注意セラルヽコト 九月二十日中野警察署へ移牒 六 小田原ヨリ静岡へ避難民輸送ヲ開始ス 汽車上リ〔東京行〕ハ資金ヲ取ルコトヽナレリ 七 軍隊引揚モ近キニアルヲ以テ平常ニ復スルコトニ意ヲ用ヒラレ度 八 救護ノ状況報告ノコト 医師数開業ノ数薬品其ノ他ノ材料補給ハ如何ニセラレ居ルヤ 震災重傷患者現存数ヲ調査スルコト 九月二十一日調査回報セリ 九月十九日会報ノ分 一 配給ノ細部ハ町村ニ移リ居ルモノト認ム之ガ配給付テ注意ヲナスコト今後ハ保健衛生ニ意ヲ用ヒラルヽコト 二 侍従武官桑田少将ヲ御慰問ノ為御差遣日割 二十日朝大船鎌倉ヲ見テ自働車ニテ藤沢ヲ午後二時五十分発小田原へ午後五時二十分着ノ予定聖旨御伝達ノ上小田原ニ宿泊 二十一日小田原午前八時三十分発二宮九時三十分着連隊本部ニ寄 聖旨伝達町内巡視 秦野町十時半着小学校付近ノ警備隊ヲ巡視秦野町午前十一時発正午大磯着 午後一時大磯発午後二時茅ヶ崎着 茅ヶ崎午後二時三十分発ニテ東京ニ帰着 九月二十一日午後三時会 一 小田原駅前ノ浴場ハ従来軍隊用ノモノナリシモ本日ヨリ一般民衆ニ開放セリ 一 将来ノ会報ハ午後二時トスルノ件 一 地方官公吏会報日ハ今後奇数日トスルコト 一 軍用電話撤去ハ交通部ト協定スルコト 一 救助米慰問品ノ配給ニ非難ノ声アリ 本件ハ責任者ノ充分ナル考慮ヲ要ス 一 本月二十日福田大将ニ代リテ山梨大将司令官トナル 一 鳥屋村死体発掘ニ軍隊ノ助力ヲ仰グニハ尚細ク調査ヲナシ所要 人員ヲ計出シ再ビ願出ズルヲ要ス (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) (注)「報ノ分」欠落。 二七六 小田原方面警備隊司令部の災害復旧経過の件照会と回答 震害復旧ノ推移ニ関スル件照会 大正十二年十月三日 小田原方面警備隊司令部 津久井郡役所御中 首題ノ件御調査ノ上至急御通知煩ハシ度及照会候也 左記 一 小学校ノ開校ノ状況(月日、生徒出席ノ状況、教育方法及教科書等ノ概況) 二 商店等ノ営業開始ノ概況(月日、戸数、物資ノ状況特ニ従来所持又ハ新ニ仕入ノ状況) 三 電燈点火ノ状況(月日、範囲、内灯外灯ノ点火ノ概況) 四 倒壊、焼失家屋復旧ノ状況(修理ヲ開始セル月日及復旧現在戸数仮小屋施設ノ月日及現在戸数) 五 井戸水道其他飲用水ノ破損並復旧ノ状況(震災前後ノ数、復旧又ハ新鑿ノ数等) 六 建築材料ノ状況(購入シタル月日、数量将来ノ方針並ニ実行手段) 七 其他復旧ノ推移ニ関スル参考事項 但シ右ハ左記町村ニ就キ調査相成度 鳥屋村及破損多キ町村 追テ貴郡震害調査表至急提出方相煩度申添候〔特ニ震災前ノ戸数人口並ニ倒潰家屋(全潰半潰)死者傷者等明記セラレ度シ〕 中野村 一 小学校ノ開校ノ状況 校舎破損アリタルモ応急修理ヲナシ大正十二年九月十四日授業ヲ開始セリ 児童出席ノ状況平常通 教育方法及教科書ノ概況焼失流失等ナカリシニ依リ教科書ニ不足ナシ教育方法ニ於テモ平常ト差違ナシ 一 商店開始ノ概況 震災当時ハ殆ド停止ノ状態ナリシモ九月十五日ノ頃ヨリ漸次開業セリ商家戸数大小百三十戸 物資ノ状況日用品ハ多少所持セシモ米穀ハ殆ド無ク加フル交通杜絶トナリシ為メ米穀ノ欠乏ヲ来シ人心不安トナレリ消防、青年団、軍人分会等ニ依リ道路ノ応急修理ヲナシ辛フジテ八王子方面ヨリ仕入販売セルノ状況ナリ然レドモ未ダ潤沢ト云ニ非ズ 一 電燈点火ノ状況 応急トシテ幹線ヲ修理シ幹線ノ通ズル区域ハ九月二十六日一家一燈点火外燈ハ従前ノ通ニ点火ナリシモ現今ニ在リテハ幹線区域外ヘモ点火スルニ至タレリ 一 倒壊焼失家屋復旧ノ状況 修理ヲ開始セル月日九月五日倒壊住家七十六戸不完全ナガラ全部復旧セリ 仮小屋施設ノ月日及現在戸数ナシ 一 井戸水道其飲用水ノ破損並ニ復旧ノ状況 震災前 井戸ナシ 水道(竹樋ヲ以テ引用セルモノヲ含ム)二〇樋 震災後モ数ニ変リナシ竹樋ヲ以テ引用セルモノ十九ハ修理ヲナシタルモ完全ナラズ簡易水道ハ目下復旧工事中ナリ通水ノ予定近キニアルモノト認ム 一 建築材料ノ状況 他郡市ヨリ購入セルモノ無ク近村ノ材木店ヨリ購入マニアワセタリ他へ目下搬出ノ状況ナリ 金物材ハ八王子方面ヨリ購入セルモ品薄ノ為メ価格騰貴ノ状況ナリ 一 其ノ他復旧ノ推移ニ関スル参考事項ナシ 鳥屋村 一 小学校開校ノ状況 校舎破損アリタルニ依リ応急修理ヲ加へ左ノ通授業ヲ開始セリ 九月十七日 尋常五六年并高等科 九月二十五日 尋常三年以上 十月一日 全校生徒 児童出席ノ状況平常ト大差ナシ 教育方法及教科書ノ概況教育方法平常ノ通リ教科書不足ナシ 二 商店等ノ営業開始ノ概況 震災当時ハ殆ド停止ノ状態ナリシモ九月十六日頃ヨリ漸次在品ノ販売ヲ開始セリ然レドモ馬石部落ノ山崩レノ為交通杜絶シ入荷皆無トナリシヲ以テ需要者ハ串川村関方面ヨリ辛フシテ購求ノ窮況ナリキ村役場ニ於テ食糧〔米穀〕八王子方面ヨリ購入配給セリ 三 電燈点火ノ状況全村未ダ点火セズ 四 倒壊焼失家屋復旧ノ状況 修理ヲ開始セルハ九月四五日頃ニシテ倒壊住家五十五戸〔全潰半潰ヲ含ム〕不完全ナガラ復旧ノモノ四十八戸 仮小屋施設ナシ 被害者ハ近隣知己ニ寄寓セリ 五 井戸水道其ノ他飲料水ノ破損并ニ復旧ノ状況 震災前後ノ数復旧又ハ新鑿ノ数等 井戸 震災前七〇 後二〇 復旧三〇 新鑿ナシ 水道ナシ 其ノ他ノ飲料水 震災前七〇 後一〇 復旧五〇 六 建築材料ノ状況 材料自給無キ者ニ付テハ村有林ヲ伐採使用セシメタリ 七 其ノ他復旧推移ニ関スル参考事項 1 河川ノ改修道路、橋梁ノ改修并修繕ハ村民挙ゲテ復旧工事ニ従事セリ 2 倒潰家屋ノ修築ハ近隣相扶ケテ復旧ニ努メツヽアリ 3 職業的方面ニ於テハ奥山ニ至ル道路ノ崩潰甚ダシク殆ド修理見込立タズ故ニ従来ノ炭焼業者ハ半減シ竹細工挽物指物等ニ改革スルノ必要ニ接セリ 4 馬石部落ニ於ケル道路ノ開鑿并ニ河川改修ニ当リ串川消防組七〇〇人青野原消防組二二五人宮ケ瀬消防組七〇人工事ヲ援助セラレタリ (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二七七 臨時藤沢憲兵隊事務開始の件通牒 臨藤憲庶第二号 事務開始ノ件通牒 大正十二年十月十日 臨時藤沢憲兵隊本部 鎌倉郡役所御中 大正十二年十月九日ヨリ左記ノ所ニ臨時憲兵隊本部、分隊、分遣所ヲ開設同時ニ事務開始致候間及通牒候也 左記 隊号 位置 臨時藤沢憲兵隊本部 神奈川県高座郡藤沢町 臨時藤沢憲兵分隊 右 同 臨時茅ケ崎憲兵分遣所 同 県同郡茅ケ崎町 臨時下鶴間憲兵分遣所 同 県同郡大和村字下鶴間 臨時鎌倉憲兵分隊 同 県鎌倉郡鎌倉町 臨時戸塚憲兵分遣所 同 県同郡戸塚町 臨時逗子憲兵分遣所 同 県三浦郡逗子町 臨時横須賀憲兵分隊 同 県横須賀市若松町 臨時田浦憲兵分遣所 同 県三浦郡田浦町 臨時浦賀憲兵分遣所 同 県同郡浦賀町 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二七八 横須賀戒厳司令部の震災関係情報 大正十二年十月二十七日〔土曜日〕 震災関係情報其ノ四十五 横須賀戒厳司令部情報部 ●震災当時ノ鎮守府 其ノ二 鎮守府モ何時迄モ野天テ執務ハ出来ナイ早速樹間ニ応急ノ天幕ヲ張リ司令部ヲ其ノ中ニ移シタ其ノ内長官モ帰ラレ港内重油ノ燃エツツアル状況工廠内破損ノ有様等聞クヲ得タ然シ通信機関ノ破損ハ東京ハ更ナリ横浜ノ情況モ一向判ラス差シ当ッテ先ツ当市民ノ餓ヲ凌クタケノ方法ヲ講シナクテハナラヌノテ軍需部ヨリ為シ得ルタケノ乾麵並罐詰ヲ供給スル事ニシタ此外命令ヤラ報告テ幕僚ハ目カ回ル程忙シクテ震災ノ第一日ハ暮レタ然シ市街ノ火ハ未タ消エス焰ノ光リカ天ニ映シテ物凄イ長官始メ職員一同ハ纔カニ正子過キ野天ニ椅子等ヲ並ヘテ疲レタ体ヲ横ヘル事カ出来タ翌二日ハ漸次各方面ノ事情カ判リ出シタ午後ニ至リ横浜ヨリ巡査カ一人二三人ノ男ヲ連レテ万難ヲ排シテ当府ニ来リ委サニ横浜ノ状況ヲ具シテ艦船ノ派遣ヲ願ヒ出タ其ノ他此頃ヨリ例ノ鮮人ノ噂カ頻々トシテ来ツタコレ等ニ対スル判断モ当時ノ情況トシテ却々考慮ヲ要シタノテアル交通途絶ノ為東京行駆逐艦ニ便乗ヲ願フモノマタ天幕張リ司令部ニ殺到スル或貧困者ノ如キハ不幸ノ情況ヲ涙ナカラニ述へ大地ニ手ヲツイテ掛リノモノヲ伏シ拝ンタ或者ハ知名ノ士ノ照会テ是非便乗ノ許可ヲ懇願シタ其ノ当人当人ノ事情ニ立チ至レハ誠ニ悲惨ノ極テアルカ大局ヨリコレヲ見レハ許可スル事ハ出来ヌ即チ一律ニコレヲ断ルヨリ仕方カナカッタ二日ノ晩長井村ヨリ青年団員カ二名引キ続イテマタ二名怪船長井村ニ入港鮮人上陸襲来ヲ報シテ来タ此時ニハ已ニ鮮人ノ噂ノ総テ虚報ナルヲ知ッテ居タノテ陸軍ノ手テ偵察シテ貰ッタ其ノ結果コレハ房州ノ船テ薪炭ヲ搭載シテ他地方ニ向フ途中清水ニ不足ヲ来シタノテコレヲ貰イニ入ッタノテアッタカ其ノ交渉ニ当ッタ人カ房州ノ方言ヲ使ッタノテ鮮人ト間違ヘラレタトノ事カ判明シタノテ後テ大笑テアツタ ●艦船 一 出港艦船 尻矢 準備出来次第出港大阪ニ回港同地在清水組ヨリ建築部宛材木約六百噸ヲ搭載帰港□予定 一 日進 本月末日ヲ以テ品川方面ニ於ケル任務ヲ打切リ横須賀帰港ノ予定 五十鈴及第五駆逐隊 従来ノ通リ横浜ヲ常泊地トシ日進品川引揚ケ後ハ品川方面ノ警備ヲ兼ヌル筈 ●港町土砂搬出 海上運搬二十日 二八八坪 二十一日 一六八坪 二十二日 二四七坪五 二十三日 二三四坪五 二十四日 〇 累計 四、七九〇坪 陸上運搬 二十日 五九坪 二十一日 四四坪九 二十二日 五五坪五 二十三日 四五坪五 二十四日 二四坪 累計 七九一坪 尚土砂排除ノ進捗状況ハ付録ノ通リニシテ十一月中ニハ道路開通ノ見込ナリ 本日迄発掘シタル死体ハ十三ニシテ外ニ足三本アリ ●汽車開通並列車時刻改正 明二十八日ヨリ東海道汽車全通ノ予定従テ横須賀発著ノ列車時刻左ノ通変更ノ筈 横須賀発 接続 東京行午前五、四〇〔大船待合四七分〕神戸 同同六、四〇〔同四五分〕小田原 同同八、〇二〔同二九分〕米原・富山 同同九、一二〔同一一分〕小田原 同同一〇、三五〔同五分〕神戸 同同一一、五五〔同七分〕明石 同午後一、二〇〔同四〇分〕豊橋 同同二、四〇〔同三六分〕浜松 同同三、五五〔同五分〕小田原 同同五、一五〔同九分〕三等急行神戸 同同六、三五〔同七五分〕三等急行下関 同同八、〇〇〔同一五分〕一、二等急行下関 大船行同九、五五〔同一三分〕 下関 横須賀著 大船ヨリ午前六、三一 東京ヨリ同七、三〇 同同八、五三 同同一〇、二五 同同一一、四五 同午後一、〇〇 同同二、二五 同同三、三〇 同同五、〇五 同同六、二五 同同七、二九 同同八、五三 同同一〇、三〇 ●横須賀戒厳管下震災関係奇特者調 〔横須賀海軍人事部調〕其ノ六 横須賀海軍刑務所看守長長野祐介看守須藤栄治同浜田亮之ハ震災当時懲役囚ヲ教誨室ニ集メ看守長ハ中学修身書ヲ講シ両看守ハ戒護ニ任シ居タリシカ第一震ト共ニ外囲十二尺ノ煉瓦高塀突然教誨室ノ側面ニ倒レ懸リタル為之ニ圧セラレテ同室ハ大傾斜半倒壊トナリタリ本人等ハ此ノ際ニ処シテ沈毅冷静且ツ敏捷ニ良ク機宜ノ処置ヲ誤ラス総囚ヲ混乱ヨリ救ヒ為メニ催ニ一名ノ負傷者ヲ出シタルニ止マリ他ハ悉ク安全ニ内庭ニ避難セシメ得タリ 日進乗組海軍一等水兵金子盛男ハ九月一日允許上陸シ下宿ニ赴カントスル途中軍港座前ニテ石塀崩壊シ三四人下敷トナルヲ見テ直チニ土方風ノ男ト共ニ協力之カ救力ヲナシ下宿ニ至レハ既ニ猛火ノ為ニ襲ハレツツアルヲ以テ奮然家財諸道具ノ搬出ニ従事セリ尚ホ近隣三四軒ノ家人只恐レ戦キテ何事モナサス猛火来襲ノ危キヲ慮リ前記土方風ノ男及軍艦榛名乗組三等機関兵〔氏名不詳〕ト共ニ又モヤ家財道具ノ搬出□□協同尽力シ草津温泉下付近ニテ陸軍兵ト共ニ消防並家屋倒壊等ニ極力努力シタルモ人数尠キ為□果サスシテ帰艦セリ 阿蘇乗組海軍二等水兵□池久間二ハ九月一日午後允許上陸シ当市中里所在ノ自□□宿整理後午後三時半海軍病院下深田通ニ至リ折柄同所火災ノ鎮火ニ従事中ナル榛名防火隊指揮官田村大尉ノ指揮下ニ入リ危険ヲ顧ミス風下ノ家屋倒シ方及畳ヲ水ニ浸シテ延焼ヲ防ク等極力防火ニ従事シ午後六時過キ遂ニ鎮火スルヲ得タリ 海軍砲術学校勤務海軍一等機関兵曹山口義雄ハ大正十二年九月一日震災当時分隊先任下士官ノ配置ニアリシカ市内自己居住ノ安否其ノ他一切私事ヲ顧ミス連日連夜一意専心校内復興作業ニ従事シ良ク部下ヲ督励シテ迅速ニ点燈作業ヲ完了シ又防火其ノ他応急諸作業ニ鞅掌シ其ノ処置機敏ニシテ機宜ニ適シ能ク校務ノ遂行ヲ援ケタリ 神奈川県三浦郡長井村大木根千百拾九番地花屋柴崎仁助ハ大正十二年九月一日震災ニ際シ自宅ノ全壊セルニモ拘ラス震災後直チニ自家用ノ大工道具ヲ以テ倒壊家屋ノ下敷トナリ居タル同村原田栄吉ノ妻ハナ外一名中川銀蔵妻ヨシ外三名ヲ救助シタル所置ハ最モ機宜ニ適シタルモノナリ 横須賀海軍航海隊勤務海軍二等機関兵石川増幸ハ九月一日大震災当時士官室ニ在リ激震ノ際一旦屋外ニ避ケタルカ御真影ノ安否ヲ気遣ヒテ直チニ司令室ニ到リ副直将校荒井特務少尉ヲ援ケ連続余震ノ裡ニ御真影奉遷ノ事ニ当レリ 海軍砲術学校勤務海軍二等水兵平山栄作ハ大正十二年九月一日震災当時公用使トシテ横須賀市山王町三十番地街路ヲ通行中激震ト同時ニ同番地履物商高橋賢吉カ石ノ下敷トナリ且隣家ヨリ出火シ危急ニ瀕シツツアルヲ認ムルヤ挺身危険ヲ冒シテ之ヲ救出シ重傷ヲ負ヘル同人ヲ介護シテ海軍機関学校々庭ニ避難セシメ克ク其ノ生命ヲ完ウスルヲ得セシメタリ 阿蘇乗組海軍二等機関兵渡辺義一同秋山直伊同鈴木一郎同池田国三郎ハ九月一日震災当日若松町二十二番地永守勉方ニ於テ同番地付近迄猛火ノ来襲ニ際シ人心狼狽為シナキノ秋ニ方リ極力家具ノ全部ヲ安全地帯平坂上ニ搬出シ且ツ深更迄之ヲ保護セシ為何等損害ナキヲ得タリ (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二七九 鎌倉横須賀憲兵分隊管内に分駐所開設の件通牒 藤憲庶第六六号 憲兵分駐所開設ノ件通牒 大正十二年十月二十八日 藤沢憲兵隊本部(印) 当隊下鎌倉憲兵分隊及横須賀憲兵分隊管内ニ憲兵分駐所ヲ設置シ十月二十六日ヨリ左記ニ於テ事務ヲ開始致シ候間及通牒候也 左記 分駐所名 大船分駐所 三崎分駐所 所長官氏名 憲兵軍曹 林兵一郎 同□□□ 分駐所仮位置 神奈川県鎌倉郡玉縄村大船二 一一富岡周蔵方 神奈川県三浦郡三崎町入船九 九高木大蔵方 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 第三節 災害対策 二八〇 臨時震災救護事務局神奈川県支部設置の件通知 通報 九月二日勅令第三九七号官制第七条ニ依リ本日ヨリ臨時震災救護事務局神奈川県支部ヲ神奈川県庁〔桜木町〕内ニ設置候ニ付救護ニ関スル事項ハ同支部情報部宛御通報相成度候也 大正十二年九月五日 臨時震災事務局神奈川県支部 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二八一 臨時震災救護事務局の組織と施設 二 臨時震災救護事務局ノ組織及施設ノ概要 (一) 救護事務局ノ組織及施設 臨時震災救護事務局ハ之ヲ総務部、食糧部、収容設備部、諸材料部、交通部、飲料水部、衛生医療部、警備部、情報部、義捐金部、会計経理部ノ十一部トナシ夫々部署ヲ分チテ各々分担ノ事務ニ全力ヲ尽スコトヽシ先ヅ其活動ノ第一歩トシテ左ノ方針ヲ定メタリ 一 治安ノ維持ハ陸海軍警察協力シテ之ニ当ルコト 二 罹災民ノ直接救護炊出米飲料水ノ供給小屋掛等ハ府県市ノ罹災救助基金ヲ以テ之ニ充テ其不足ハ凡テ国費ヲ以テ支出シ府県市ヲシテ其実行ヲナサシムルコト 三 食糧品小屋掛材料其他ノ必要物資ハ時ヲ移サズ地方長官之ヲ徴発シ市ヨリ罹災民ニ配給スルコト 四 自動車、荷馬車、荷車、ガソリン等ハ手返ナルモノヲ出来得ル限リ多ク徴発シテ物資ノ輸送ニ当ラシムルコト 五 罹災民ノ地方ニ移動スルモノニハ鉄道省ニ於テ無賃輸送ヲナスコト 六 食糧其他生活物資ノ暴利ヲ取締ルコト 七 薪炭、木材、食糧等、大蔵省、農商務省、宮内省ニ於テ払下ノ手段ヲ講スルコト 八 政府ニテ新聞ヲ発行シ事実ノ真相ヲ伝ヘテ人心ノ動揺ヲ防グコト 九 赤十字社、済生会等ヲ督励シテ速ニ救済ヲ開始セシムルト共ニ避難中、医師ヲ利用シテ小学校等ニ仮病院ヲ開カシムルコト右ノ方針ニ依リ大臣、次官以下ノ係員ハ全部事務局ニ集合シ連日衣帯ヲ解カスシテ或ハ露天ニ会議ヲ開キ或ハ椅子ニ凭リテ一時ノ仮睡ニ疫労ヲ医シ全員挙ツテ渾身ノ精力ヲ此ノ非常ノ大災ニ瀝下シタリ、殊ニ其居宅ヲ焼亡シタリシモ救護事務局ノ為ニハ家ヲ顧ルニ遑ナキモノモ尠シトナサズ〔事務局活動ノ項参照〕 斯クテ応急百般ノ施設其緒ニ就キ着々トシテ事功ヲ奏スルニ従ヒ部課ヲ廃合スルノ必要ヲ認メ乃チ九月二十四日食料部、諸材料部ヲ併合シテ物資部トナシ情報部ヲ総務部ニ併セ又飲料水部ヲ衛生医療部ニ併合シ同時ニ職員ヲ整理シテ漸次常務ニ復セシムルト共ニ各部ノ事業施設ニ関シテハ慎重ニ協議ヲ遂ゲ以テ臨機ノ措置ヲ誤マラザランコトヲ期セリ 三 救護事務局ノ活動 ⑴ 東京本部ノ状況(略) ⑵ 横浜支部ノ状況 帝都ト共ニ被害最モ激甚ナリシ横浜市ハ激震ト同時ニ全市ノ民家大建築物ノ大部分倒壊シ引続キ大火随所ニ起リ折柄ノ烈風ニ煽ラレ火勢猛烈ヲ極メ全市ヲ忽チ火ノ海ト化セリ燃焼物体ノ黒煙ト共ニ七里ノ海上ヲ飛ンテ之ヲ千葉地方ニ降ラシメタル事実ニ徴スルモ如何ニ当時ノ烈風猛火ノ絶大ナリシカヲ想像スルニ足ルヘシ海岸ニ於テ桟橋ハ激震ト共ニ海中ニ陥没シ水煙ヲ騰ケテ咫尺ヲ弁セス市街ノ大道路ハ到ルトコロ決裂シ水道ノ鉄管ハ破壊シ爆発八方ニ起ル裡ニ主震以来頻々トシテ強烈ノ余震到レリ此大震災ニ脅威セラレタル市民ハ極度ノ恐怖ニ殆ント施スヘキ策ヲ知ラス唯身ヲ以テ避難ノ途ヲ求ムルノミ加フルニ流言蜚語盛ンニ行ハレ一層人心ノ不安ヲ増加シ稍モスレハ秩序紊乱ノ恐レアリシヲ以テ当局ハ時ヲ移サス警戒警備ニ関スル必要ナル措置ヲ取リタルト共ニ極力各方面ヨリ殺到シ来レル避難者ノ救護ニ努メタリ東京府ノ一部ニ施行セラレタル戒厳令ヲ九月三日東京府、神奈川県ノ全部ニ拡張スルヤ便宜ノ各府県ニ来援ヲ命シタル警察官吏千二百余人ノ内三百三十人ヲ神奈川県ニ配シ所属職員ト共ニ警備救援ノ事務ニ当ラシメタリ人心漸ク安定スルニ従ヒ臨時的ノ急援ノミニ頼ル能ハサルヲ以テ必要ナル警察官吏ノ増員ヲ行ヒ以テ其ノ後ノ警備ヲ全カラシメンコトヲ期シタリ其間ニ処シテ諸官公吏ノ殆ント総テハ皆自己ノ罹災者タルヲ顧慮スル事ナク意気消沈セルモノニハ鞭撻督励シテ元気ト勇気トヲ与へ以テ事務能率ノ進捗ヲ図リ其ノ奉仕的活動ニ尽瘁シタルハ洵ニ目覚シカリキ森岡県警察部長ノ如キハ万難ノ裡ニこれや丸ニ身ヲ投シ無線電信ヲ以テ急ヲ大阪府ニ報シ神鞭横浜税関長ハ岸壁調査ノ緊急ナルヲ唱ヘテ技倆優秀ナル監督技手ノ出働ヲ促シ潜水夫ヲ急遽召集シテ迅速ニ調査ヲ行ヒ其ノ結果先ツ太洋丸ヲ桟橋ニ横付セシメ船舶ノ発着ニ故障ナキヲ詳ニシテ意気沮喪セル横浜市民ニ復活ノ曙光ヲ認メシメタルナト機宜ニ応シテ奮励努力一意救護ノ為ニ尽力シタリ 九月二日臨時震災救護事務局ノ東京ニ設置セラルヽヤ四日横浜市ニモ神奈川支部ヲ設置シ本部ノ組織ニ做ヒテ総務部以下十一部ヲ設ケ本局ヨリ三矢委員及事務官其ノ他ノ職員来援シ横浜ニ於ケル委員及事務官其ノ他ノ職員ト協力シテ神奈川方面ノ救護及各般施設ニ尽力シタリ当時横浜市ニハ宿泊スル屋舎ナク加フルニ交通頗ル不便ナリシニモカヽハラス三矢委員以下全ク私事ヲ抛擲シテ国家ノ急ニ奔リ万難ヲ排シテ一意救護ノ為ニ尽瘁シタリ 二日非常徴発令ノ発布以前海外渡航者検査所ノ如キ倒壊火災ヲ免レタル個所ニ於テハ既ニ二日早朝ヨリ傷病者ヲ収容シテ救護ヲ開始シタリ当時二日ニ至ルモ猛火ハ尚鎮マルヘクモアラスシテ幾万ノ火傷外傷疾病者ノ阿鼻叫喚スル者アリタルヲ収容シテ之カ救護ニ努力シタリト雖モ死者二万三千傷者四万ヲ算シタル程ナリシヲ以テ此等傷病者ヲ救護スルニ県営造物ノ残留スルモノ他ニ一アルナク之カ設備救療ニ多大ノ困難ヲ感シタリ依ツテ取リ敢ヘス枢要場所ニ救護所ヲ急設シ罹災医師ヲ誘フテ之ヲ臨時救護員ニ命シ以テ傷病者ヲシテ稍完全ナル施療ヲ受クルヲ得セシメタリ然レトモ其ノ各救護班救護所救療病院等ニ対シ衛生材料ノ配給ヲ潤沢ニシ各救護所ノ活動能力ヲ充分ニ発揮セシムルコトハ盖シ容易ナラサリシナリ従来各種衛生材料ノ供給ヲ主トシテ東京及市内本町ニ仰キヰタル関係上本町ノ全滅ト共ニ供給ノ途全ク杜絶シ其ノ欠乏極ニ達シ之カ補充物ノ蒐集困難云フヘカラス殊ニ震災後ノ数日間ハ人員未タ整ハス動モスレハ傷病者ヲシテ手後レトナラシムル惧レアリ救護団ノ憂慮喩フヘカラス道路破壊シ交通機関不備ノ間ヲ各自東奔西走僅ニ類焼ヲ免レタル市外僻陬ノ地ニ散在セル薬舗病院等ノ倒壊シタルモノヲ尋ネ其ノ薬局ヲ発掘シテ用ニ足ルヘキ限リヲ徴発シ以テ応急救護ノ用ニ供シ辛ウシテ任務ヲ果スコトヲ得タリ斯ク努力シツヽアル間ニ本局ヨリ送付ノ衛生材料到着シ以テ愛知愛媛其他各府県ヨリ続々到着シタルヲ以テ漸ク其ノ材料ハ豊富トナリ円滑ニ配給スルコトヲ得タリ当時罹災民救護ニ従事セル職員中ニハ徒歩過度飲食物不給ノ為メ栄養不良ニ陥リタル者尠カラス殊ニ警察官ノ中ニハ多クノ疲労困憊者ヲ出シタルモ殆ント休養ノ寸暇スラ得サリシ状況ナリキ 救護事務ニ従事以来休日祭日等一切之ヲ廃シ長時ノ活動ヲ続ケタルモノ独リ警備部衛生医療部ニ止マラス食糧並諸材料部ニ於テモ亦然リ九月二日早朝府市夫々救護方針ヲ樹立シ混乱ノ際命令ノ動モスレハ徹底セサルナキニモ拘ラス一意専心罹災者救護ニ努力スルノ精神ヲ以テ諸員ハ先ツ食糧飲料水配給ノ迅速ナランコトヲ期シ多大ノ困苦ニ耐へ克ク其ノ任務ニ努メタリ即チ九月四日徴発令ニヨル食糧品徴発ヲ協議シ食糧品飲料水衣類土木建築材料自動車荷車石油蠟燭其ノ他生活必需品及労力ノ徴発ニ従事シ即時主ナル被徴発者ト折衝事務ヲ進捗セシメタリ元来徴発ニ関シテハ先ツ物件ノ品目数量ヲ明カニシテ後所有者占有者ニ臨ムヲ常トスルモ斯クテハ往々目的ヲ逸スル恐レアルヲ以テ機宜ノ措置ヲ取ルノ止ムヲ得サルモノアリ従ツテ倉庫格納品ノ調査事務鞅掌ノ困難云フヘカラス当時横浜ノ在庫米ハ内地米四万俵外米四万俵ニシテ現在量トシテ比較的多量ナリシモ取敢ヘス三万俵ヲ徴発シタルヲ以テ米ノ配給ニハ全ク不足ナカリシノミナラス四日以後ニハ続々米穀塩等ノ到着セルヲ以テ海軍艦船ハ主トシテ副食物ノ輸送配給ニ当リ湘南一帯ノ糧食ノ輸送配給モ全部海軍ニ於テ担当シ之カ為軍艦駆逐艦数隻ヲ四方面ニ派遣活動シタリシヲ以テ其ノ配給頗ル円滑ナルヲ得タリ九月十日以降食糧配給事務ハ横浜陸軍配給部ノ連絡シテ配給計画ヲ拡張シ最モ必要ナル陸軍保管倉庫ノ配給ヲ公平ニシテ民庶ヲ安堵セシムルニ力メタリ九月二十九日以降支部廃止マテハ現業団所属ノ税関、船渠、共立、横浜各倉庫ヲ指揮監督シ事務局配給部ノ連絡ヲ図レリ次ニ水道復旧ハ其ノ工事俄ニ進捗スルヲ得サルノ状況ニアリタルヲ以テ応急浄水配給ノ必要ヲ認メ之カ給水ノ事務ニ熱中シ水源ヲ横浜港碇泊ノ船舶若クハ入港ノ水船ニ求メ又現存井湧水ノ検査ヲ行ヒ飲料適水八十煮沸適水三十八ヲ得、後ニハ市内元町一丁目所在ノ水倉〔災前ヨリ船舶ニ給水ヲ目的トシテ設備セラレタルモノ〕ノ破損セルモノニ修繕ヲ行ヒ降ツテ十月十四ヨリ水道ノ幹線市内都橋ノ消化栓マテ通水シタルヲ以テ之ヲ水源トシテ配給船車ニ給水セリ因ニ震災直後ハ車輛不足ノ為メ給水頗ル困難ヲ極メタリシカ九日ニ至リ漸ク稍ニ準備整ヒ又陸軍ノ応援ヲ得テ船舶隊ヲ組織シ給水ヲ完全ナラシムルコトヲ得タリ其間全国津々浦々ヨリ寄贈サル救護品慰問品ノ到着スルモノ引キモキラス倉庫ニ山積セラルヽモノアリ此全国的同情ノ結晶物ヲシテ遺憾ナク随所ニ公平ニ配給シ以テ寄贈者ノ志ヲ無ニセサランコトニ努ムルノ苦心ハ実ニ名状スヘカラサルモノアリキ 交通及通信機関ニ於テハ横浜駅桜木町駅トモニ全滅シ高架線ハ波濤ノ如クニ起伏シ架空線ハ縦横麻ノ如クニ乱レ篠原高島駅長カ圧死セル妻子ヲ顧ミルニ暇ナク公務ニ尽瘁セル如キ惨タル哀話ハ各所ニ伝承セラルヽトコロタリ横浜電話局横浜郵便局等モ激震ト共ニ倒壊シテ何レモ死傷者ヲ出セル状態ナレハ全機関ハ全ク杜絶シ内外ノ情報ヲ知ルコト能ハス従ツテ救護事務上ノ能率ヲ削減スルコト尠カラサルニヨリ極力之カ復旧ヲ図リ交通恢復ノ施設障害物ノ除去ニ努メ殊ニ損壊墜落セル国道中市内築地橋ニ対シテハ国道改修事務所員ヲ督励シ日夜其ノ工ヲ急キ僅ニ一日ニシテ之ヲ完成セシメ更ニ市内道路橋梁ノ修繕ニ尽瘁シ一面水路ノ掃除ニ関シテハ適切ナル方法ノ下ニ活動ヲ持続シ九月中之カ実行ヲ完了セリ貨物陸揚ニ要スル岸壁ノ修繕、横浜港桟橋ノ応急修理工事ヲ急カシメ陸軍工兵隊海軍桟橋司令部等ノ応援ニヨリ協力シテ着々実績ヲ挙ケ焦眉多忙ノ時ニ処シテ海陸連絡応急施設及掃海作業ノ計画ヲナシ交通運輸通信連絡ニ関スル事項ノ大体ニ渉リテ復旧ノ整理ヲ完フスルコトヲ得タリ就中電話ノ復旧ハ警備上最モ必要ナルヲ以テ電線其ノ他ノ諸材料ヲ急速ニ徴発シ主要警察間ニ急設電話ヲ架設スルト共ニ万難ヲ排シテ神奈川警察部トノ間ニ直通電話ヲ架設シ以テ警備上ノ連絡交渉ヲ図レリ警備上特ニ必要ナルハ各種情報ノ偵察ト連絡保持トニアルヲ以テ断ヘス東京市各方面ノ情況ヲ明カニスルト共ニ神奈川県ニ於ケル情報偵察及連絡保持ニ努メタリ 又横浜港内水上方面ハ当時碇泊中ノぱりー丸、あんどれーるぼん号、えんぷれす・おぶ・おーすとらりや号、丹後丸、三島丸、りま丸、岩手丸、これあ丸、ろんどん丸等カ震災ト同時ニ辛ウシテ岸壁ヲ離レ災厄ヲ免レシニヨリ百方避難者ノ救助ニ力メタルモ其間すたんだーど及ヒらいぢんぐさんノ石油たんくハ巨砲ノ炸裂スルカ如ク爆発シ濛々タル毒煙ハ天空ニ沖シ流出セル石油ハ河川ヲ伝フテ燃エナカラ海面ニ氾濫シ大小らんち荷船等ノ延焼スルモノ尠カラス危険言語ニ絶シタリ幸ニ税関新港監視部ノ如キ倒壊ヲ免レ部員モ安全ナルヲ得タルニヨリ新港内ニ在ツテ岸壁ニ繋留船舶出港ノ補助ヲナシ又多クノ市内避難民ヲシテ岸壁繋留ノ船舶ニ搭乗セシメタリ各官公吏員等ノ繋留船舶ニ避難スルヤ船長ト共ニ人命救助ニ尽瘁シ食料飲料水ノ配給ニ努力シ港内ノ整理、出入船舶ノ錨地及繋留場所ノ指定所属曳船及ヒ小蒸汽船並ニ徴発汽船等ノ使途ノ統一炭水及ヒ消耗品ノ補給乗組員及ヒ避難民輸送船舶並ニ救護品搭載船舶等ノ吸収ト其ノ積卸ノ便宜トヲ計ルコトニ努力シタリ (「大正十二年地方長官会議書類」神奈川県庁蔵) 二八二 情報活動 九 情報ノ発行 九月一日大震火災ノ襲来ニ因リ京浜ノ日刊新聞一時殆ト全滅シ報道機関其ノ跡ヲ絶ツヤ流言浮説各所ニ行ハレ人心恟々トシテ安ンスル所ヲ知ラス治安ノ維持罹災民ノ救済等ニ対スル政府ノ措置モ亦之ヲ市民ニ伝フルノ途ナカリシヲ以テ情報部ハ震災ニ関スル精確ナル報道ヲ迅速ニ行フノ必要ヲ感シ直ニ印刷機械及動力機械ノ非常徴発ヲ行ヒ九月二日午後七時「震災彙報」第一号ヲ発行シ陸軍伝令及警察伝令ニ托シテ之ヲ市内各所ニ配布セリ爾来十月二十五日マテニ号ヲ重ネルコト六十七ニ及ヒ一日二回或ハ三回殊ニ九月十三日頃ニハ五回発行ヲ為シタリ記事乾燥ニ流レタルハ公報ノ性質ヨリシテ記事ノ精確ヲ期スル為メ文辞ニ誇張修飾ヲ避ケタルニヨレリ又紙面ノ体裁ノ整ハサリシハ探訪編輯ニ何等経験ナキ者カ火急其ノ局ニ当リタルニ因ルモノニシテ此際已ムナキコトタリ是等ノ点ニ就テハ偏ヘニ江湖ノ宥怒ヲ請ハサルヘカラス 震災後数日ヲ経テ各新聞社カ漸次其ノ発行能力ヲ回復スルヤ情報部ハ各種ノ精確ナル新聞材料ヲ蒐集シテ一日七回ツヽ之ヲ新聞社及通信社ニ供給セリ 横浜地方ニ於ケル報道機関ノ欠乏ハ東京ニ譲ラサルノ情報ニ接スルヤ九月十一日ヨリ別ニ「震災彙報神奈川版」ヲ発行シ主トシテ同地方ニ配布シ号ヲ重ヌルコト十六ニ及ヘリ 尚ホ情報部ハ海外ニ対シ震災ノ真相ト之ニ処シツヽアル日本人ノ態度ヲ明カニスル必要ヲ感シタルヲ以テ外務省情報局ヲ通シテ震災ノ実情政府ノ措置日本人ノ態度等ニ関スル情報ヲ海外ノ新聞紙ニ発表シタリ 爾来幸ニシテ罹災地ノ人心ハ次第ニ安定シ新聞紙ノ発行状態モ略々平常ニ復シタルノミナラス部員各自本来ノ常務亦次第ニ繁劇ヲ加へ来リ到底従前ノ如ク編輯発行ヲ継続スルノ余力ナキニ至リシヲ以テ九月二十日ヨリ発行回数ヲ減シテ一日略々一回トナシ九月二十二日神奈川版ヲ廃刊シ二十四日情報部ヲ総務部ニ合併シテ事務ヲ同部情報係ニ引継キ震災彙報ノ発行ヲ継続シ新聞通信社ニ対シテ震災ノ前後ニ関スル精確ナル情報ヲ供給シツヽアリシカ十月二十五日一先ツ之ヲ廃刊シタリ (「大正十二年地方長官会議書類」神奈川県庁蔵) (注)二八一、二八二の資料は臨時震災救護事務局総務の報告書からの抜粋である。 二八三 朝鮮人の動静に関する県知事安河内麻吉の報告 〔秘〕 一 不逞鮮人ノ動静及民心ノ反動 ⑴ 鎌倉方面 当地方ニハ不逞鮮人ノ出没スルコト絶ヘテ無カリシモ本月二日以後東京横浜地方ヨリノ避難民中同地ニ於テハ鮮人ガ大挙シテ暴動ヲ起シ已ニ続々当地近ク来襲セリトノ蜚語スルモノアリ為メニ一昨人心恟々タルモノアリシヲ以テ警察官署ハ青年団在郷軍人等ノ助力ヲ得テ之ガ警戒ニ備フルト共ニ其真相ヲ調査シタルニ事実無根又ハ誇大ニ報道セラレタルモノナルコト判明セルヲ以テ之ヲ速カニ一般ニ発表シ宣伝セル結果民心漸次鎮静ニ赴ケリ ⑵ 松田方面 震災後本月二三日以来朝鮮人来襲ノ報頻々トシテ宣伝セラレタルヲ以テ警察官ハ各部落ノ青年団在郷軍人等ヲ指導シテ日夜之カ警戒ニ腐心シタルモ遂ニ其事ナク単ニ鮮人ノ取調ノミニ止マリ青年団等ニシテ彼等ニ対シ暴行ヲ加ヘタルガ如キモノナク遂ニ之カ虚報ナルコト判明シ且ツ軍隊ノ駐屯ニ依リ漸次恟々タル人心ヲ鎮静セシムルニ至レリ ⑶ 小田原方面 当地方ニ於ケル鮮人ハ主トシテ熱海線工事ニ従事スル関係上足柄下郡土肥村及吉浜村箱根方面ニ居住スルモノ多ク比較的平穏ナリシカ震災後東京横浜方面ノ避難民ニシテ鮮人ガ大挙シテ押寄セ来ルヘシトノ虚報ヲ流布スルモノアリタルヨリ民心頓ニ悪化シ各竹槍刀剣等ヲ携へ警戒ニ任シ殺気横溢ノ状勢ヲ示セリ警察官署ニ於テハ急遽調査ノ結果事実無根ナルヲ発表スルト共ニ凶器ノ携帯ヲ禁止シ極力人心ノ安定ニ奔命シタル結果一旦漸ク鎮静ニ帰シタリ然ルニ土肥村ニ於テ土工輩ノ喧嘩ヨリ終ニ鮮人ガ日本婦人ヲ水田中ニ突飛バシタル事件突発シタル為メ之ヲ瞥見シタル民衆ハ同婦人ヲ殺害シタルモノト誤認シ直ニ警鐘ヲ乱打シテ消防組ヲ召集シ該鮮人ヲ追跡中偶々他ノ台湾人二名ニ遭遇シ之ヲ鮮人ト誤マリ殺害シタル外真鶴村ニ於テ鮮人二名ニ対シ重傷ヲ負ハシメタル事件アリ 同地方ニハ静岡県熱海地方ノモノヲ合シテ鮮人凡ソ七百名アリ人心益々不安ニ陥リシカ軍隊ノ派遣ニ依リ漸次其不安ヲ一掃セラルヽニ至リ居住鮮人モ亦何等不穏ノ行動ニ出ツルモノナシ ⑷ 厚木方面 当地方ニハ不逞鮮人ノ入込ミタル形跡ナキモ京浜地方ノ避難民ニシテ同地ニ於ケル鮮人ノ暴動ノ流言蜚語スルモノアリタルヨリ部民ハ之ニ対シ異常ノ恐怖ニ襲ハレ遂ニ鮮人ニ対スル反抗心ト化シ不安険悪ノ気勢漲リタリシモ警察官署ニ於テ極力之カ鎮静ニ努メ且ツ何等争闘ヲ醸成スルコトナクシテ止ミタリ ⑸ 伊勢原方面 不逞鮮人ノ京浜地方ニ於ケル暴動ヲ伝フルモノアリタルモ終ニ入リ込ミタル形跡ナク民心ノ反動等ナシ ⑹ 秦野方面 同上 ⑺ 三崎方面 同上 ⑻ 浦賀方面 同上 ⑼ 横須賀方面 当地方ニハ現在鮮人二百五十名アルモ極メテ平穏ニシテ一般民衆中京浜地方ヨリ来集セルモノヽ流言蜚語ニ依リ竹槍刀剣等ヲ携帯シ徘徊スルモノアル為メ彼等ハ危害ヲ加ヘラレンコトヲ恐ルヽ状況ナルヨリ警察官署ニ於テハ横須賀市不入斗練兵場ニ鮮人救護所ヲ設ケ散在者ヲ救護収容シ且ツ民衆ニ対シテハ其浮説ナルヲ表明シ不安ヲ鎮静セシメ凶器ノ所持ヲ禁シタリ ⑽ 大磯方面 当地方ニハ不逞鮮人ノ立入リ横行暴虐ヲ敢行シタル事実絶無ナルモ一般部民ハ鮮人ガ東京横浜方面ニ於テ大挙暴動ヲ為シタリトノ風評ヲ聞知シ戦々恟々トシテ不安ノ念ニ襲ハレ鮮人発見ノ際ハ殺害ヲ加ヘンコトヲ企図シ極度ノ反感ヲ持セリ 而シテ同地居住ノ鮮人十数名ハ性行善良ニシテ目下相模紡績会社ノ死者発掘ニ従事シ外出セスシテ労務ニ服シツヽアリ而シテ警察官署ニ於テ取調ヘヲ為シタルモノ二十三名ニ達シタルモ何レモ他ヨリ入込ミタルモノニシテ之等ハ保護ノ為メ関西方面ニ向ケ逓送シ民心ノ鎮静ニ尽シタル結果全ク其不安ヲ一掃スルニ至レリ ⑾ 戸塚方面 不逞鮮人六七名横浜方面ヨリ遁走シ来リシモ当地ニ於テハ更ニ不穏行為ニ出テズ而カモ民衆ハ横浜方面ヨリノ流言ニヨリ極度ニ激昂シ不安ノ気漲リ地方青年団等ハ日夜之カ警戒ニ努メ不逞鮮人ノ発見ニ腐心シ居ル際二日午後四時頃川上村国道筋ニ於テ通行人ハ遂ニ鮮人三名ヲ殺害スルニ至レリ ⑿ 藤沢方面 不逞鮮人ノ入込ミタル形跡ナシ而カモ横浜方面ニ於テ鮮人暴挙ノ報ヲ伝聞シ一般部民ハ鮮人ニ対スル憎悪反感ノ念ヲ強メ鮮人ト見レバ無抵抗平穏ノ者ト雖モ悉ク之ヲ殺害セントスル状勢ヲ馴致シ遂ニ茅ケ崎町ニ於テ鮮人五名日本人一名〔鮮人ト誤信ス〕計六名ヲ殺害スルニ至レリ而シテ警察官署ノ鎮護ト本月五日軍隊ノ来着トニ依リ民心漸次安定ヲ致セリ ⒀ 日下方面 不逞鮮人ノ立廻リタル形跡ナキモ部民ハ横浜地方ヨリノ蜚語ニ依リ不安ノ念ニ駆ラルヽト共ニ鮮人ニ対スル反感憎悪甚シク青年団在郷軍人会ハ日夜警戒ニ努メ人心恟々タルモノアリシモ何等争闘ヲ演スルコトナクシテ止ミ漸次民心ノ鎮静ヲ見ルニ至レリ ⒁ 葉山方面 同上 ⒂ 川崎方面 当地方ニハ約二百名ノ鮮人居住スルモ平穏ニシテ不逞行為ヲ敢行スルモノナカリシモ部民ハ京浜両地方ヨリノ頻々タル飛報ニ依リ極度ノ不安ト恐怖ニ襲ハレ鮮人ニ対スル憎悪反感ノ念甚敷一時殺気横溢ノ状態ヲ現出セシヲ以テ警察官署ニ於テ居住鮮人三百名ヲ安全ノ個所ニ保護シ且ツ其無根ノ事実ナルヲ表明シ鎮撫ニ尽シタルモ極度ニ昂奮セル民心ハ益々其ノ勢ヲ増シ警鐘ヲ乱打シ法螺貝ヲ鳴ラシ竹槍刀剣等ヲ携帯シテ随所ニ争闘ヲ演シ遂ニ死者四人〔内 内地人一 鮮人三〕負傷者五人〔内 内地人二 鮮人三〕ヲ出スニ至リタリ而カモ鮮人ニ対スル之等ノ反感ハ漸次緩和鎮静セラレ不安ノ気ヲ一掃スルニ至レリ ⒃ 鶴見方面 当地方ニ居住セル鮮人ハ汐田鶴見ヲ通シ約三百名ニ達シ同所土工部屋并国道事務所所属土工部屋ニ寄寓シ比較的善良ノ分子ニシテ敢テ不逞ノ所為ナカリシモ東京、横浜方面ニ於ケル鮮人ノ放火強盗強姦等犯行ノ風評頻々トシテ喧伝セラレタルヨリ一般部民ハ不安ト恐怖ニ襲ハレ鮮人ヲ憎悪敵視スルニ至リ各自警団ハ凶器ヲ持シ警戒ノ任ニ当リ険悪ノ気漲リタルヲ以テ保護ノ為メ鮮人三百八名ヲ安全ノ個所ニ収容シ極力其流言浮説ナルヲ説示シ民心ノ鎮静ニ尽シタルモ遂ニ随所ニ争闘ヲ演シ殺傷者ヲ出スニ至リタリ而シテ軍隊ノ来着駐屯ニヨリ人心漸次安定ヲ見ルニ至レリ ⒄ 高津方面 不逞鮮人ノ入込ミタル形跡ナキモ京浜地方ヨリ流言浮説ニ惑ハサレ部民ハ極度ノ不安ニ襲ハレ青年団消防組等ハ日夜警戒ノ任ニ当リツヽアリシモ何等争闘ヲ見ルニ至ラス終ニ其無根ノ蜚語ナルコトヲ知リ民心漸次鎮静スルニ至レリ ⒅ 都田方面 同上 ⒆ 中野方面 同上 ⒇ 秦野方面 同上 〔了〕 (「震災状況報告」西坂勝人氏蔵) (注)「不逞」の二字が削除されている。 二八四 「不逞鮮人」に対する自衛勧告の件通達 号外 大正十二年九月三日 三浦郡長 各町村長殿 不逞鮮人ニ関スル注意ノ件 今回ノ災害ヲ期トシ不逞鮮人往行シ被害民ニ対シ暴行ヲナスノミナラス井水等ニ毒薬ヲ投スル事実有之候条特ニ御注意相成度 追テ本件ニ就テハ伍人組等ヲ活動セシメ自衛ノ途ヲ講セシメラレ度 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二八五 鎌倉郡戸塚町の自衛団組織 自衛団組織 一 本団ハ火災盗難ノ予防匪徒ノ警戒ヲナスヲ目的トス 二 本団ハ戸塚町在住青年団、在郷軍人、其ノ他区長ノ選抜シタル有志ヲ以テ組織ス 三 団員ハ棍棒其ノ他護身用具ヲ携帯スルコト 四 本団ニ団長一名副団長二名ヲ置キ警察署ノ指揮ヲ受クルモノトス 五 本団ヲ三部ニ分ツ 一部 元町 矢部 谷矢部 二部 吉田 一二三町目矢沢 旭町 三部 四五六町目 宮ケ谷 松田 坂下 下郷 六 各部ニ部長副部長ヲ置キ団員ヲ指揮セシム 七 団員ノ勤務ハ午後六時ヨリ午前五時迄トシ二時間更迭ニ一部ツヽ勤務ニ服シ他ハ停車場前広場ニ休憩スルモノトス (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二八六 鎌倉郡下緊急町村長会協議事項(一-二) (一) 緊急町村長会開会ノ件 今般東京府神奈川県ニ戒厳令実施セラルヽト共ニ非常徴発令発布相成警備救護救恤事務ニ関シ緊急協議ヲ要スル事項有之候条明六日午前八時迄ニ当庁ニ御参集相成度候也 追テ今回ノ協議事項ハ事重要ナルヲ以テ出来得丈町村長自ラ御出頭相成度申添候也 大正十二年九月五日 鎌倉郡長 各町村長殿 (二) 九月六日町村長会議協議事項 一 米ノ現在高ハ九日其他生活材料ノ調査ハ十五日迄ニ報告ノコト二 徴発ハ直チニ実施スルコト 三 他町村ニ融通スル徴発物ハ融通ヲ受クル町村主トシテ運搬スルコト 四 配給米ハ一日平均五歳以上ハ二合四歳以上ハ一合 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二八七 三浦郡町村長会における災害地復興等に関する協議希望事項 大正十二年九月十三日 三浦郡町村長会ニ於テ提案 提出者西浦村長 協議事項 (一) 震災地方ニ限リ大正十二年度〔九月以后〕小学校教員俸給ノ全額ヲ国庫負担トナスコトヲ政府ニ建議スルコト (二) 右ハ三浦郡町村長会ノ決議ヲ以テ神奈川県町村長会ニ提議シ更ニ被害府県町村長会ヲシテ速ニ其連合運動ヲ起サシムルコト (三) 被害壊倒家屋ノ雨露ヲ凌クヘキ屋根材料亜鉛板ノ郡共同購入ヲ行ヒ関西地方ヨリ移入ノ道ヲ講スルコト (四) 東北若クハ西部ヨリ船匠数十名ヲ招聘シ速ニ各町村ノ破損船ヲ修理シ目下休業ノ状態ニアル漁業ノ復活ヲ図ルコト〔三浦水産会ト協渉スルコト〕 (五) 横須賀市ノ焼失ニヨル農業肥料ノ大欠乏ヲ補足スル為化学肥料供給ノ準備ヲナシ置クコト〔三浦郡農会ト協渉スルコト〕 希望事項 (六) 食糧其他日用品ノ配供ヲ一層潤沢ニシ生活ノ安定ヲ期セラレタキコト (七) 全般的罹災ノ惨状ハ此際町村税ノ徴収ヲ不能ナラシメタルニヨリ給料ノ支払其他ノ支出ニ充ツル為可成速ニ現金ノ国庫繰替ヲ実現セラレタキコト (八) 仮令災害ノ裡ニアリテモ国民教育ハ閑却スベカラザルモノナルニヨリ近ク青年会場及寺院等ヲ利用シテ授業ヲ開始シタキニヨリ設備ノ不完全学級ノ編制教授時間ノ縮少教科目ノ省略等多少令規ニ抵触スルコトアルモ例外ヲ認ムルト共ニ此際郡視学ヲ活動セシメテ各町村ヲ巡視シ指導監督ニ努メラレタキコト (九) 建築材料トシテ御料林及国有林ノ樹木ヲ伐採シテ払下ケヲシタキコト (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二八八 津久井郡災害善後処置実施方針報告書 地震災害善後方針九月二日以降実施方針 第一 交通開始 専ラ幹線ヲ先キニシテ車馬ノ交通ヲ開キ食糧補給ノ途ヲ付クルコト 第二 食糧調達ト之カ補給ヲ図ルコト 第三 飲料水破壊 之カ応急施工ヲ為シ生活安定ヲ図ルコト併テ伝染病ノ予防ヲ尽スコト 第四 震災被害者救済ハ其ノ部落若ハ其ノ町村ニ於テ応急措置ヲ為サシムルコト 以上ハ応急策トス 号外 大正十二年九月二日 津久井郡長 神奈川県知事殿 九月一日正午頃当郡内ニ突発ノ強震アリ被害ノ状況ハ電信電話及道路交通杜絶ノ為メ詳細調査不能ナルモ種々ノ方法ニテ判明セルモノ左記ノ如クニ有之候其他ノ災害ハ甚大ナルモノト認メラル目下調査中ニ付詳細ハ追テ報告可致モ概況及報告候也 記 人畜被害 一 鳥屋村山林数町歩崩潰シ家屋七戸全滅十六名埋没内四名発見 二 崩潰ノ為メ河川遮断浸水戸数アル見込 三 千木良村山林崩潰圧死六名 四 中野村圧死一名 五 各村共家屋倒潰及半潰ノモノ多々アルモノヽ如シ (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二八九 鎌倉郡下町村の震災対策状況報告 九月十七日調 鎌倉郡永野村 一 米ノ配給組織 自給自足ノ途ヲ講シツヽアルモ避難増加ノ傾向アルヲ以テ今日ノ有様ヨリ推ストキハ自然他ヨリ配給ヲ受クル事ト被認ラル本日村会ヲ開キ此レカ救済方法ヲ建ツル由ナルモ恐ラクハ県ヨリ多少ノ救米ヲ受クコトトナルモノト信ス 二 交通ノ状況 県道杉田戸塚線ハ大破セリ尤モ此レカ修理ニハ戸主会員総出ニテ通行シ得ル程度ニ極力従事シツヽアリ 三 傷病者ノ手当如何 傷者一人アレトモ自宅ニ於テ療養ス 四 自衛団ノ組織アルヤ 青年団、軍人分会自警組合共同一丸トナリ村内ノ安寧秩序ヲ保チツヽアリ 五 伝染病予防ニ関スル特別ノ施設 別ニナシ ◎注意トシテ生水ヲ飲マサル事煮沸シテ使用スル事玄米ヲ食スルトキハ先ツ其重湯ヲ子供ニ与へ大人ハ可成飯粒ヲトル等ノ方法ヲ講セシムル様役場ニ注意シ一般ニ布告セシメラレタキ旨ヲ申置キタリ 六 民心安定セルヤ否 民心一般ニ安定ノ状況ナリ 七 軍隊警備ノ状況如何 歩兵第四十九連隊下士五名永野村役場ヲ本部トシ此レニ村内ノ青年団及軍人分会二名宛案内者トナリ村内ヲ巡察セリ 以上 右及復命候也 九月十七日 鎌倉郡書記 三橋三蔵 鎌倉郡長茂義孫殿 九月十七日調 鎌倉郡川上村状況 一 米ノ配給組織 本村ハ自給自足ノ途ヲ専心講シツヽアリ 労働者約三百五十名余入込ミアルヲ以テ従ツテ米ノ不足ヲ感スルモノカラ此等労働者ハ会社ニ供給方ヲ懇願セル結果多少ノ融化ヲ見ル見込ナリ 二 交通ノ状況 町村道路ハ甚敷破損セルモ此等ハ不日部落民ノ手ニ依リ復旧ノ見込ナリ 本村ハ国道筋ナレハ工兵隊ノ努力ト青年団ノ力ト相俟テ専心修理シツヽアリ交通差支ナシ 県道杉田戸塚線ハ大破セルヲ以テ当分修理ノ見込ナシ然レトモ青年団員等ノ手ニテ漸次修理ノ見込ナリ 三 傷病者ノ手当如何 地方医ニ一、二回手当ヲ受ケタルモ当陸軍救護班ヨリ二等軍医出張シ〔出張所ハ川上小学校内〕治療ニ従事シツヽアリ 四 自衛団ノ組織アルヤ 各字ノ青年ヲ以テ組織シ充分警戒ニ従事セリ従ツテ民心ノ動揺モ薄ギタリ 五 伝染病予防ニ干スル特別ノ施設アルヤ否 特別ノ施設ナシ幸ヒ目下村内ニ患者〔伝染性〕ヲ見ス 六 民心安定セルヤ否 軍隊其他ノ尽力ニ依リ人民其堵ニ安スルモノト認ム 七 軍隊警備ノ状況如何 歩兵第四十九連隊ノ下士五名派遣セラレタルヲ以テ青年団員ト協力昼夜兼行警備ノ任ニ当リヒタスラ民心ノ安定ニ努力ス 以上 右状況及復命候也 九月十七日 鎌倉郡書記 三橋三蔵 鎌倉郡長茂義孫殿 九月十七日 戸塚町 米ノ配給組織 当町十七部落ニ於ケル各区長ニテ各戸ノ状態ヲ精査セシメ其ノ報告ニ基キ調査ノ上一人一日二合ヲ標準トシテ各区長ニ其ノ部落ノ合計数量ヲ渡シ各区長ハ各戸ニ配給セリ 交通ノ状況如何 国道県道共ニ亀裂陥落崩潰ノ箇所非常ニ多ク殊ニ国道ハ全町ニ亘リ逓信省地下線埋設工事施行中ノ為メ路面ハ僅カ片側交通ニシテ加之工事施行中ノ地下線路ハ掘鑿ノ儘放任シ在リ所々マンホールヲ設置ノ箇所ノ如キハ殊ニ深ク交通危害予防ノ設備全ク皆無トナリ最大危険ヲ感シタリ是レ或ハ震災破壊力ヲ増大セシメタル一因タリシヤモ計リ難シ且ツ沿道ノ民家ハ道路ニ崩潰シ交通全ク杜絶シタルモ青年団及在郷軍人分会ハ各部落民ト協力シテ崩潰家屋ノ交通上危険ノ箇所ヲ整理シ路面ノ整理ニ付テハ最モ危険ノ地下線工事掘鑿ノ箇所ハ警察署ト協議シ臨機ノ処理トシテ人夫ヲ督励シテ埋立テ其ノ安全ヲ謀リ京浜方面ヨリ及ビ小田原方面ヨリノ往来ニ背磨抵□其ノ数幾万ナリヤ算シ難ク昼夜西奔東走セル避難民ニ便シツイデ工兵隊ノ到着ニヨリ橋梁ノ修繕ニ着手シ材料ヲ供給シテ応急工事ヲ了シ目下県道隧道崩潰土ノ取除キ工事ヲ為スコトヽナレリ県道モ亦国道ニ譲ラザルガ当町ニ於テハ路線短キ為メ被害ノ劇甚ナリシ割合ニ応急工事ハ比較的急速ニ施行シ得タリ里道ニ於ケル路面及橋梁ノ応急工事ハ各部落青年団其他ト協力シテ応急処理ヲ講シタリ 傷病者ノ手当如何 当町ノ傷者三五四人アリシモ其ノ内医師ノ手当ヲ受クルモノ比較的少カリシモ薬品ノ供給殆ンド絶ヘタルヲ以テ警察署ニ於テ薬品ノ供給ヲ県ヨリ受ケ当町医師ノ必要ナル向へ配付シ遺洩ナキヲ期シタリ 自衛団ノ組織アルヤ 自衛団ノ組織アルモ各部落共其ノ部落内ヲ一或ハ二ニ分割シ其ノ部落民ヲ以テ組織セシモノナルヲ以テ各部落ノ活動ハ即チ自衛団ノ活動トナリタルナリ 伝染病予防ニ関スル特別施設アリシヤ 隔離病舎収容患者少カリシヲ以テ災害後直チニ応旧仮小屋ヲ設置シ目下仮小屋中ニ収容シアリ他ニ井水飲料水ノ注意下水ノ浚渫及□通ニ付キ殊ニ被害ノ甚シキ箇所ハ直ニ人夫ヲ督励シテ浚渫セリ人民安定セリヤ 歩兵一ケ小隊ヲ以テ警備シ他ニ鉄道連隊工兵混成隊ノ駐在シアルヲ以テ頗ル意ヲ強シ尚防火其ノ他ノ必要ノ為メ各戸一名ヅヽ交代ニ出動シ夜警団ヲ各部落ニ組織シ目下警戒シツヽアルヲ以テ殆ンド平静ニ近ケリ 軍隊警備ノ状況如何 本月七日騎兵第十六連隊一ケ小隊八日歩兵第四十九連隊ノ内六十名九日同六十名到達シ警備ニ任シ其ノ後騎兵及歩兵ハ駐屯数ヲ減シ目下四十九連隊六十五名ニテ警備シ居レリ 調査事項 一 震災ニ付寄付者ナキヤ否 右該当者ナシ 一 米ノ配給組織 罹災中ノ最モ困窮ニシテ食糧及金銭ヲ有セザル者及避難者等ヲ調査シ役場監督ノ素ニ農区総代ヲシテ右受給者ヨリ領収印ヲ徴シ配給セリ 一 交通ノ状況 目下道路及橋梁ノ破損甚敷ク交通杜絶セシ有様ナルヲ以テ本月十八日本村在郷軍人分会総動員ヲ以テ修繕セシムル筈尚車馬ノ交通ヲ便ナラシムル為メ工兵ノ派出ヲ申請中 一 傷病者ノ手当 右ニ関シテハ派遣軍隊大隊本部〔高座郡渋谷村桜株〕ニ於テ軍医ノ派遣ヲ乞ヒ療養ヲ受ケツヽアリ尚川上村駐屯セル救護班ニ療養ヲ受クル筈 一 自衛団ノ組織如何 各部落毎ニ震災以前ヨリ組織シ有リタルヲ以テ震災後ニ於テハ之ヲシテ昼夜ヲ問ハズ警備ニ一層努力シツアリ 一 伝染病予防ニ関シ特別ノ施設アリヤ否 伝染病予防ニ関シテハ別段ノ施設ナシサレド伝染病ノ発生ヲ防ガンガ為メ一般村民ニ渉リ特ニ衛生ニ注意ヲ促シツヽアリ 一 民心安定セルヤ否 糧食ノ配給及自衛団ノ警備熱心ナルト共ニ駐屯兵ノ派出アリタル為メ大ニ民心安セリ 一 軍隊警備ノ状況如何 本村中川村小学校ニ警備隊駐屯シ岡津橋ニ歩哨ヲ設置シ夜間本村一円ニ渉リ巡察シツヽアリ 右報告候也 大正十二年九月十七日 中川村長 中丸鶴吉(印) 鎌倉郡長茂義孫殿 調査事項 瀬谷村 一 震災ニ付寄付金 寄付者七拾人金額八百六拾六円也 此レヲ震災被害者ノ貧困者ニ〔壱戸ニ付七円乃至拾五円宛〕配与シタリ 一 米ノ配給組織 右ハ役場員監督ノ下ニ各区長及在郷軍人ヲシテ罹災者中食料ニ困難セルモノヲ調査シ之ニ配給セリ(但シ各受給者ヨリ領収印ヲ徴ス) 一 交通ノ状況 道路及橋梁ノ破損甚タシク交通上支障尠スニ付青年会在郷軍人ヲシテ応急修理ヲ為サシメ徒歩ニ就テハ支障ナカシム尚目下車馬ノ通ニ便ナラシムル為努力シツヽアリ 一 傷病者ノ手当如何 右ニ付テハ村医ヲシテ療養ニ尽サシム 一 自衛団ノ組織如何 自衛自警組合及青年会在郷軍人ニ於テ各部落毎ニ夜警其他ニ関シ努力シツヽアリ 一 伝染病予防ニ関シ特別ノ施設アリヤ否ヤ 右ニ就而ハ特殊ノ施設ヲ為サヾルモ衛生上ニ関シ最善ノ注意ヲ為シツヽアリ 一 民心安定セルヤ否ヤ 食料ノ配給ヲ行ヒ自衛自警組合ノ活動及軍隊ノ夜間巡察等ニ依リ大ニ安定セルモノヽ如シ 一 軍隊警備ノ状況如何 渋谷村桜株ニ於ケル大隊本部夜間巡察隊ヲ派遣相成リ村内一般ヲ巡察セラル 右及報告候也 大正十二年九月十七日 瀬谷村長 横山善次郎(印) 鎌倉郡長 茂義孫殿 調査事項 中和田村 一 震災ニ付寄付者ナキヤ否 右ハ該当者ナシ 一 米ノ配給組織 右ニ関シテハ役場監督ノ元ニ各区長ヲシテ罹災者中ノ最モ困窮者及避難者等ヲ調査シ之レニ配給セリ(各受給者ヨリ領収印ヲ徴シアリ) 一 交通ノ状況 到ル処道路及橋梁ノ破損甚シ徒歩ニ付テハ差支ナキモ車馬ノ通行不可不日派遣軍隊ヨリ工兵ヲ派シ道路ヲ修理シ交通ニ便ナラシムル筈 一 傷病者ノ手当如何 右ニ付テハ派遣軍隊大隊本部〔高座郡渋谷村桜株〕ニ於テ療養セシメツヽアリ 一 自衛団ノ組織如何 各部落毎震災前ヨリ組織シ震災後ニ於テハ夜警其他一般ニ関シ一層努力シツヽアリ 一 伝染病予防ニ関シ特別ノ施設アリヤ否 右ニ付テハ伝染病予防ニ関シ未タ施設ナキモ一般衛生上ニ関シ相当ノ注意ヲナシツヽアリ 一 民心安定セルヤ否 食料配給ヲ行ヒ夜間派遣軍隊ノ巡察等ニ依リ殆ント安定セルモノヽ如シ 一 軍隊警備ノ状況如何 大隊本部ヨリ本村一円ニ対シ夜間巡察隊ノ派遣アリ尚十八日ヨリ大隊本部ヲ本村ニ移転スルノ命アリタル由 右及報告候也 大正十二年九月十七日 中和田村長 石井源蔵(印) 鎌倉郡長茂義孫殿 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二九〇 鎌倉郡救護事業状況報告 亥鎌震発第一一号 鎌倉郡救護事業状況報告案 一 食料品其他ノ配給 本郡ハ震災ト共ニ衣食ヲ失ヒタル窮民及京浜地方ヨリ西下スル避難民殺到シ中ニハ一両日ニ亘リ一食ヲモ口ニセサルモノアリタルヨリ各町村ニ於テハ炊出ヲ為シ之等罹災民ノ救助ヲナシ居リタル際非常徴発令発布セラレ救護ノ途開ケタルヲ以テ小職ハ九月六日町村長ヲ召集シ法令ノ趣旨ヲ諭シ郡書記ト協議シ徴発ニ依リテ各町村内ノ窮民及避難民ニ糧米ヲ配給スヘキ旨ヲ命シタリ然ルニ鎌倉町、戸塚町、腰越津村、川口村〔片瀬〕ハ由来消費地ニシテ而カモ鎌倉腰越ハ火災、海嘯ノ為メ供給者タル商家烏有ニ帰シ物資ハ悉ク焼失シタル為メ震後間モ無ク食料難ニ陥リタルヨリ小職ハ専ラ右四ケ町村ノ救護ニ任シ鎌倉町ニ対シテハ町内商店若クハ隣村ノ貯米家又ハ大船駅停滞貨車中ヨリ白玄米六百八俵、押麦、小麦粉、其他蠟燭、醤油、味噌、塩、乾魚、罐詰、佃煮、鰹節、梨等ヲ徴発供給シタリ又町長ニ於テモ横須賀水雷学校ヨリ押麦百袋ノ融通ヲ受ケ彼是相俟テ一般ニ対シ一日一人米二合乃至三合宛ヲ配給シ九月十日迄ヲ支持セリ 先是本職ハ隣村ノ在米少キ為メ徴発米ニヨリテ鎌倉其他郡内消費地ノ需用ヲ充ス能ハザルヲ認メ九月六日県庁ニ出頭シ白玄米千四百九十石(内地玄米千百俵外白米千五百俵)ノ無償配給ヲ受ケタリト雖道路船舶破損シ水陸共ニ輸送ノ便ナク九月九日ニ至リ漸ク汽車ノ開通ヲ見ルニ至リタリト雖モ各駅ニ於テハ軍隊避難民ヲ輸送スルニ止リ貨物ノ運送ヲ拒絶シタル為翌十日東京鉄道局ニ至リ交渉ノ結果同局ニ於テ海神奈川駅ニ至ル鉄道ノ一部ヲ改修セシメ貨車二十二輛ヲ引入レ同月十二日ニハ前記配給米ヲ横浜倉庫ヨリ積込ミ右四ケ町村ニ対シ配給シ得ルニ至レリ〓ニ於テ従来毎日二三合宛ノ配給ヲ受ケ糧米ノ前途ニ不安ヲ抱キ居リタル鎌倉其他ノ町村民ハ食糧難ノ杞憂ヲ一掃シ愁眉ヲ開クニ至レリ官憲ノ此ノ活動ト相俟テ民間ノ有志又食料自給自足ノ途ヲ講シ鎌倉町ニ於テハ三菱商事株式会社取締役加藤政夫等町長及町会議員等ノ要望ニ応シ静岡県江尻及阪神地方ヨリ三菱会社ノ手ニヨリ食糧及雑貨類建築材料等ヲ輸入セリ之ヲ以テ同町ハ食料品稍潤沢ヲ見ルニ至リタルヲ以テ九月十八日以降各区ニ廉売所ヲ設ケ区長等ノ手ニヨリ販売ヲ開始シ貧困者ニ対シテノミ町村役場ヨリ指定数量ノ糧米ヲ無償配給シツヽアリ副食物トシテハ前記大船停滞貨車中ヨリ徴発シタル全部ヲ鎌倉町ニ供給シタルノミナラス其後味噌大樽百十挺〔内無償十挺〕醤油百三十樽〔内無償三十樽〕罐詰百三十箱〔内無償三十箱〕ヲ配給シタル外蠟燭、毛布其他慰問品ノ如キモ殆ント全部ハ同町ニ配給セリ 今試ニ鎌倉ニ於ケル食料品ノ輸入状況ヲ調査スルニ人口一万八千二百余人ニ対シ玄白米二千六百十七石八斗(内無償千九百九十四石有償六百二十三石八斗)一人平均無償米一斗九合有償米三升四合計一斗四升三合ヲ算ス其ノ品目数量左ノ如シ 鎌倉町食料品其他配給調〔十月一日現在〕 二 傷病者診療ノ状況 震災ニ関シ負傷者最モ多キハ鎌倉町ノ千七百三十七人戸塚町ノ三百五十四人腰越津村ノ百十六人トス鎌倉町ニ於ケル傷病者ハ最初土地ノ開業医ニ趨リテ診療ヲ受ケタリト雖モ開業医ノ大部分ハ或ハ家ヲ焼キ又ハ薬品ヲ毀損シ衛生材料無キモノ多カリシヲ以テ同地医師会長大林二郎同幹事平井雅尾ハ率先シ医師会員三十余名ヲ慫慂シテ臨時救護班ヲ組織シ長谷諸戸邸、由比カ浜六地蔵、雪ノ下翠公園、材木座公会堂ノ四ケ所ニ傷病者収容所ヲ設ケ衛生材料ヲ町内薬種商ヨリ徴発シ一面横須賀鎮守府ヨリ救護班ノ派遣アリタルト相俟ツテ診療ニ従事セリ此間栃木県赤十字社支部ノ来援アリ鎌倉駅内ニ診療所ヲ設ケタルモ二三日ニシテ退去シ同九日ニ至リ第七師団衛戍病院ヨリ衛生部員五十名出動シ前記諸戸邸ニ本部ヲ置キ爾余ノ収容場ヲ出張所トシテ医師会員ノ幇助ヲ受ケ大々的ニ診療ヲ開始スルニ至レリ先是重症者ハ悉ク本部ニ入院セシメ軽症者ハ通院シツヽアリタルモ漸次快復スルモノ多ク診療ヲ受クルモノヽ数減少スルニ従ヒ出張所ハ撤廃シテ本部ノミニ縮少セリ偶々第七師団衛生隊ハ九月二十七日引揚クルコトヽ決定シ居リタルヲ以テ之ニ代ルベク予メ本県赤十字社支部ニ診療班ノ派遣ヲ要求シ置キタルヲ以テ同月十九日広島県赤十字社支部来着シ七師団衛生隊ト協力診療ニ従事セシカ同隊引揚後ハ広島赤十字社支部其ノ後ヲ承ケ前記本部ニ於テ専ラ診療ニ従事シツヽアリ目下入院患者十六名通院患者百名内外ニシテ軽傷者中既ニ全治セルモノ尠カラス 其他腰越片瀬ニ於テハ土地ノ開業医内田赫造吉村廉中村春次郎等協力シテ自発的ニ診療ニ従事シ一面医学博士三輪徳寛偶々避暑ノ為鵠沼別荘ニ滞在中ヲ奇貨トシ同地看護婦会ト協力シテ電車内ニ診療所ヲ設ケ施療ニ従事シ後軍隊衛生隊ノ出動アリタル等ニ依リ診療上間然スルトコロナキヲ得タリ 三 衛生及防疫状況 鎌倉町ニ於テハ水道ノ設備ナク震災ニヨリ井水混濁セル為メ煮沸使用スル等ノ不便アリシガ漸ク清澄シタルヲ以テ一般家庭ノ使用ニ差支ナキモノヽ如シ塵芥及汚物ハ震災後掃除人夫ヲ増置シ警察署及町役場監督ノ下ニ之ガ取去ヲ励行シツヽアリ 同町ニハチブス患者発生シ流行ノ兆アリタルヲ以テ警察署及町役場ハ直チニ避病舎ヲ開キ之ヲ隔離セリ現在チブス患者十二名赤痢患者一名ニ過キスト雖モ在来避病舎ノ一部ハ倒潰シ狭隘ナルヲ以テ更ニバラツクヲ増設シ患者ノ収容ニ便セリ 鎌倉警察署ニ於テハ官民共同シテ衛生班ヲ組織シ検病的戸々調査ヲナシ伝染病患者ノ早期発見塵芥汚物等ノ掃除ヲ励行シツヽアル為メ一時蔓延ノ兆アリタルチブスモ昨今終熄ニ傾キ目下憂フヘキ現象ヲ認メズ 四 避難所 鎌倉町ニ於テハ罹災ニ依リ住ムニ家ナキ窮民ヲ収容スル為メ鎌倉小学校庭内一部ノ空地及鎌倉八幡宮境内、材木座光明寺境内、長谷大仏側ノ四ケ所ニ弐間ニ拾六間ノバラツク二棟宛ヲ建設シ之ヲ二間宛ニ区画シテ八畳敷一戸トナシ罹災者ヲ収容シツヽアリ 今回臨時震災救護事務局神奈川支部長ヨリ本郡ニ配当セラレタルバラツク四百戸ハ鎌倉既設ノバラツク六十四戸ヲ之ニ振当テ残余ハ鎌倉、腰越、戸塚、小坂村字山ノ内等焼失及倒潰家屋多キ細民ノ部落ニ建設ノ予定ナルカ之等ノ地方ニ於テハ頗ル之ヲ徳トシ政府ノ救護ニ感謝シツヽアリ 鎌倉ニ於ケル既設バラツクノ材料ハ三菱商事株式会社ノ手ニヨリ阪神地方ヨリ輸入シタル木材五百〇一石亜鉛平板三百八十八束生子板五百三十八束ヲ以テシ尚残余ヲ以テ町役場、警察署、郵便局ノ改築及葺替ニ供シツヽアルモ一般民家ノ復旧ニ要スル建設材料ハ数回配給方ヲ申請セルモ未タ供給ナキ為メ向寒ノ折柄郡民ノ多クハ頗ル窮状ニ在リ 大正十二年十月一日 鎌倉郡長 茂義孫 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二九一 鎌倉郡鎌倉町の災害復興のための政府援助申請書副申 大正十二年九月二十日起案 担任(印) 郡長(印) 副申 別紙ノ通鎌倉町長ヨリ震災復興ニ関スル申請書提出ノ処右ハ事一国ノ大政ニ関シ町会及町長ノ意見トシテハ越権ノ嫌ナキニアラサルモ此際ノ事ニモ有之且ツ中ニハ同町関係ノ間題ヲ以テ必要ト被認候ニ付及進達候条可然御取計相成候様致シ度此段副申候也 大正十二年九月二十日 郡長名 知事宛 (別紙) 申請書 今回ノ震火災ニヨル損害ハ別紙各項ニ依リ可及的速ニ復興致度候処到底本町独力ノ及フ所ニアラサルニヨリ政府ノ御援助ヲ得度候間可然御取計ヒ相成度町会ノ決議ニヨリ此段申請候也 大正十二年九月十六日 鎌倉町長 早川義雄印 神奈川県知事安河内麻吉殿 申請書別紙 可及的速ニ復興ヲ要スル事項 一 震災ノ為倒壊又ハ焼失セル役場小学校及民家ノ建築ニ対シ政府 ハ特ニ低利資金貸付ノ便法ヲ計リ直ニ之ヲ実施スルコト 一 政府ハ銀行預金支払保証ノ声明ヲナシ人心ヲ安定スルコト 一 政府ハ火災保険ノ支払保証又ハ補助ヲ為スコト 一 暴利取締令ヲ励行スルコト 一 神奈川県師範学校ハ絶対ニ他ニ移転セサルコト 一 神社仏閣名所古蹟ヲ旧態ニ復スルコト 以上 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二九二 三浦郡三崎町の施設概況報告 震災ニ際シ施設セシ概況報告 一 大正十二年九月一日 一 緊急施設トシテ左ノ数項ヲ行ヒタリ 一 火災防止宣伝 震災ト同時ニ分署長ト協力シ火災防禦ノ目的ヲ以テ一般町民ニ対シ防火ノ注意ヲ為シタルト同時ニ各所ニ注意書ヲ貼付セリ偶々日ノ出外数ケ所ヨリ将ニ出火セントスルモノアルヲ発見セルモ幸ニシテ事ナキヲ得タリ 一 救護班設置 午后一時町長助役ハ分署長ト協力シ三崎小学校々庭ニ救護所ヲ設置シ負傷者ヲ収容応急手当ヲ為ス従事スル医師左ノ如シ 町医 新井民一郎 医師 森本道三 同 神田虎治 同 塩崎義太郎 同 中山勝 歯科医 植松文鏡 同 在路弁吉 看護婦 吉水長 偶々避暑中ノ川北、児玉ノ両医学博士モ治療ニ従事セラレタリ此日治療セシ患者約百五十名ハ校庭内ニ天幕張ヲ為シ収容シ三日ニ至リ校舎二教室内ニ収容設備ヲ為シ救護セリ其数ハ重傷者二十六名ナリ六日迄ハ町内患者ノ全部ヲ終日治療ニ従事セリ 一 警戒設置 各消防組員ヲ警官付添要所ニ配置シ殊ニ鮮人侵入ノ噂高マリタル為メ阻止スルニ努力セシメタル結果刑務所解放ノ囚人三名ヲ発見シタル外不良ノ徒又ハ鮮人ノ侵入更ニ無ク事無ヲ得タリ 一 人心安定策 三日不逞鮮人暴行ノ噂高マリ人心恟々タルヲ以テ其安定ヲ図ランガ為メ 両陛下并摂政宮殿下御安泰及当地鮮人暴行ノ虚報ナル旨ヲ要所々ニ警察署長町長連署ヲ以テ印刷物ヲ貼付一般ニ周知セシメタル結果翌四日ニ至リテハ殆ント避クル事ヲ得タリ一 食糧配給 一日夕食ヨリ小学校々庭ニ於テ緊急炊出ヲナシ罹災者一般ニ配給セシモ町在米不足ノ為メ町吏員ヲ初声村西浦村等ニ派遣シ玄米三十俵ヲ漸ヤク購入シ白米玄米麦ノ混合飯ヲ引続キ四日夕食迄続行セリ 一 糧食節約宣伝 災害后当然来ルベキ糧食不足ヲ顧慮シ町民一般ニ食糧節約ヲ実行スベキ広告ヲ要所ニ貼付シ注意ス 一 衛生保健宣伝 露天生活其他震災后一般不衛生状態ニ陥ルベキヲ以テ保健衛生殊ニ伝染病ニ関スル注意書ヲ各所ニ貼付宣伝ス 一 以上緊急施設ノ外左記要項ヲ行ヒタリ 一 食糧配給 戒厳令発布ト共ニ六日夕ヨリ戒厳指揮官森大佐以下来着ニ付直チニ同指揮官ニ町内販売食料ニ拠ル生活者壱万人ニ対シ相当期間食料配給尽力アリタキ旨申出同指揮官ヨリ横須賀戒厳司令官ニ申請セラレタル結果七日ニ至リ壱万人ニ対スル堅パン三日分及副食物トシテ相当量ノ罐詰ノ配給ヲ受ケ無代配付ノ手続ヲナセリ 一 臨時震災事務局神奈川県支部配給ノ外米百袋ヲ郡役所ヨリ受領直チニ一般罹災者ニ無償配給セリ十七日同郡ヨリ尚外米二百二十二袋ノ配給ヲ受ケタルニ依リ人心安定ノ方法トシテ一升二十四銭ヲ以テ廉売セリ是レヨリ先キ吏員ヲ派シ郡当局ニ向ツテ糧食配給ノ途ヲ購セラレン事ヲ申出一方町内米穀商ニ向ツテ商業復活ノ方策ヲ進ムル為メ指揮官ノ証明ヲ以テ各方面ニ向ヒ米穀購入ノ為メ派遣セリ 一 警戒設備 警察分署ニ於テハ引続キ消防各部ヨリ五名乃至七名ヲ出シ各部内ノ警戒ニ任ゼシメ今日ニ及ベリ 一 復旧設備 警察役場ト協議ノ上各字毎ニ協力シ家屋取片付道路ノ修理ヲ命シ稍復旧スルニ至リ尚其道路修理ニ就テハ指揮官ト打合セノ上応急修理ヲ為シ今日ニテハ辛フジテ車馬ノ往来ニ支障ナキ程度ニ復旧セリ 一 衛生材料準備 罹災民ノ健康状態ヨリ将来消化器疾患伝染病ノ発生等ヲ顧慮シ内務省衛生局ニ向ヒ右ニ必要ナル薬剤配給方ヲ要求シ相当ノ配給ヲ受ケラルヽ様手続完了シ居レリ 一 奇特行為 三崎警察分署長 松本永吉 氏ハ当町日ノ出住宅倒壊一女圧死セルモ一切家事ヲ顧ミズ終日小学校々庭ニ於テ町当局ト連絡ヲ図リ患者ノ救護防火等罹災事務ニ就キ其署員並消防組合員等ノ指揮ニ努力セラレタル其行為ハ関係各員ノ発奮努力ノ動機トナリ一糸乱レズ諸般ノ事務ヲ遂行シ得タルハ実ニ警察官タルノ本分ヲ完フシ諸人ノ亀鑑トスルニ足ルモノナリ 三崎町消防組頭 長谷川嘉兵衛 氏ハ六十余歳ノ高齢ナルモ震災アルト同時ニ単身町内ヲ巡邏シ大声疾呼シテ防火ノ注意ヲ叫ビ日ノ出十一番地松浦久三郎方ニ於テ将ニ発火セントスルヲ認ムルヤ直チニ消火ニ努メ全町焦土ト化セントスルヲ免カレシメタリ其他夜警ニ付テモ部下ヲ指揮督励シ其事無キヲ得タルハ能ク其ノ本分ヲ全フシタルモノト謂フベシ 町医 新井民一郎 氏ハ震災ト同時ニ救護所ニ来リ他ノ医師看護婦等ヲ指揮シ百五十名余ノ重軽傷者ノ治療ヲ遺憾ナク実行シ能ク救護ノ実ヲ挙ゲ得タルハ一ニ氏ノ熱心ナル行為ニ待ツモノト謂フベシ 金品寄贈者左ノ如シ 一 金弐拾円 当町上橋大野虎六 一 金拾円 東京浅草池田悦造 一 金五拾円 当町二町谷佐藤鉄太郎 一 牛肉罐詰壱箱 当町東岡平本兼太郎 一 生貝壱樽 同向崎石渡庄三郎 一 牛乳七升 同原山田兵太郎 一 梅干壱樽 同東岡小川ハル 一 沢庵同 同諸磯青木勝次郎 一 牛乳一罐 同同三堀喜千次郎 一 炭酸水一箱 同諏訪 宮森藤次郎 一 大根千六百本 同東岡 下里竹松 一 沢庵一樽 同宮川 山本直造 一 牛乳一升 同向崎 宇田川八十八 一 清水貝弐籠 同田中 下里初造 一 鶏卵二十二ケ 同海外 岡田豊吉 一 梅干壱瓶 同日ノ出 小津久三郎 一 沢庵一樽 同諏訪 猿橋シゲ 一 牛乳三升 同向崎 宇田川七蔵 一 中貫十入五十束蝦夷四分板二坪半入三十束 同諏訪 石井太郎吉 一 野菜三十籠二俵 全郡小田和組合長 鈴木敬次郎 右及報告候也 三崎町長 大正十二年九月二十日 (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二九三 三浦郡下食糧節約に関する件通達 号外 大正十二年九月三日 三浦郡長 各町村長殿 食糧節約ニ関スル件 今回ノ震災ニ依リ到ル処被害激甚ニ有之在荷ノ米麦等モ至極少量ナル向有之ニ付左記ノ通リ御承知相成度 記 一 在荷ノ米麦、粟等可成節約シ町村内ノ調節ヲ図リ自給自足ノ方針ヲ極力講スルコト 一 甘藷、馬鈴薯ヲ代用食トシテ利用スルコト 一 共同販売ノ小麦ハ此際一時出荷見合セ不得止トキハ之ヲ利用スルコト 一 本件食糧ノ調節等ニ付テハ青年団員等ノ活動ヲ以テ円滑ヲ期スルコト 一 必要ト認ムル向ハ在庫ノ米麦ヲ調査シ町村ニ統一シ配給ハ町村ニ於テ掌ルコトニ処置スルコト 一 目下海軍ト協力シ米ノ配給ヲ極力講シツヽアルモ被害ノ区域モ相当拡大シ居リ需給関係等不明ナルニ付其ノ数量ハ予知スルヲ得サルモ事実不得止町村需要数量ヲ郡役所ニ急報スルコト (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二九四 三浦郡下町村の食糧需給統轄の件訓令 郡訓令号外 各町村役場 此ノ際各町村ニ於テハ町村制第百六条ニ依リ町村毎ニ左記方法ニ依リ食糧ノ需給ヲ町村ニ統轄シ自給自足ノコトニ極力努力スルコトニ決定セルニ付速時右ニ取計ハルヘシ 大正十二年九月四日 三浦郡長 服部纘 記 一 本件執行ノ為メ警察官吏町村吏員町村会議員区長等ヲ委員トシ斡旋セシムルコト 一 自家用トシテ二十日間分ヲ除キ其ノ他ノ在米ハ此ノ際商家農家等ノ区別ナク全部ヲ徴発的ニ町村ニ統一スルコト 一 町村ニ統一シタル在米ハ町村ニ於テ其ノ配給ヲ掌リ住民一般ノ需給ニ不平均ナカラシムルニ努ムルコト 一 代用食ヲ極力励行スル等節約ヲ大ニ努メシムルコト而シテ一人一日米三合ヲ標準〔自家用、配給トモ〕トシ施行スルコト 一 此ノ際可成在荷食糧品ヲ以テ持続ヲ図ルニ努ムルコト 一 食糧自給終期ノ見込ヲ確メ可成速ニ報告スルコト (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 二九五 食糧徴発命令書交付方申請書 小発第二五五号 大正十二年九月五日 鎌倉郡小坂村玉縄村組合代理助役小林駒次郎(印) 神奈川県知事安河内麻吉殿 申請書 今回大地震被害之件ニ関シ去ル三日夕刻内務省監察官ノ御来臨有之震災ニ関スル勅令御発布相成候趣キ拝聞仕リ尚監察官ニ於テモ本村被害深刻ナル有様ヲ御視察モ有之本村被害者ハ現実即刻ノ食糧ニ困難在罷候ニ付食糧徴発御命令書御交付相成度此段特ニ至急ヲ要スル場合ニ候ヘバ即刻御交付ノ程申請候也 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二九六 鎌倉郡における非常徴発令の件告示 非常徴発令ニ関スル告示 一 今般勅令第三九六号ヲ以テ非常徴発令及内務省令号外発布セラレ震災被害者救護ノ為必要ナル左ノ物件ハ徴発シ得ルコトトナレリ 一、食料品 二、飲料 三、薪炭油其他ノ燃料 四、家屋 五、建築材料 六、薬品其他衛生材料 二 非常徴発ヲ拒ミ又ハ徴発物件ヲ隠匿シタルモノハ三年以下ノ禁錮又ハ三千円以下ノ罰金ニ処セラレ且ツ被徴発者ハ直チニ其物件ヲ徴用セラル物件ノ占有者又ハ所有者当該官吏吏員ニ対シ申告ヲ拒ミ又ハ虚偽ノ申告ヲ為シタルトキ又同様ノ制裁アリ 三 徴発物件ニ対スル賠償ハ其地市場ニ於ケル前三年ノ平均価格ニ依ル其平均価格ニ依リ難キモノハ評価員ノ評定スル処ニ依ル 四 被徴者ハ徴発ヲ受ケタル日ヨリ起算シ三ケ月以内ニ管轄市町村役場ニ賠償請求書ヲ提出スベシ賠償請求書ニハ徴発物件ニ対スル受領証ヲ添付スベシ 五 徴発ニ関スル命令中徴発ヲ行ハントスルトキ徴発書ヲ発行シ又ハ徴発施行ノ官吏吏員ヲシテ徴発物件ニ対スル受領証ヲ交付セシメ若シクハ評価委員任命ニ関スル地方長官ノ職務権限ハ郡市長ニ委任セラル 大正十二年九月五日 鎌倉郡役所 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二九七 鎌倉郡下震災激甚町村に対する米供給の件申請 号外 大正十二年九月六日 郡長(印) 震災激甚町村ニ米配給ノ件 本郡川口村腰越津村鎌倉町戸塚町ニ於テハ郡内他町村ノ剰余米ヲ配給スルモ到底不足ノ見込ニ付横浜ニ移入米ヲ至急配給相成度此段申請候也 鎌倉郡長 知事殿 追テ給与スヘキ人員左ノ如ニ有之候 川口村 三千人六石 腰越村 四千人八石 鎌倉町 五千人 戸塚町 二千人 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二九八 津久井郡下衛生施設に関する件通牒 庶号外 大正十二年九月六日 津久井郡長 各町村長殿 震災後ニ於ケル衛生施設ノ件 這般ノ震災ニ当リテハ長キ日時ニ渉リテ一般公衆身心倶ニ疲労シ加之生活状態劇変シ時候残暑尚甚シクシテ保健上最モ留意ヲ要シ候処震災ニ拠リ飲料水ノ施設破壊多ク汚水ヲ使用スルカ如キアリテハ最モ危険ニ付至急之カ修理完成ヲ図リ且ツ公衆ノ保健上御警戒可然御措置相成度及通牒候也 (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 二九九 橘樹郡大綱村の罹災者救助の経過(一-九) (一) 綱発第一四〇号 大正十二年九月九日 大綱村役場 第区長殿 罹災者救助ニ関シ物品配給ノ件 未曽有ノ震災ニ就テハ各位ノ御尽力御察シ致シマス付キマシテハ今回郡ヨリ本村内ニ避難セル罹災者又ハ本村住民ノ災害者ニ対シめりけん粉五百袋配給ヲ受ケマシタカラ左記事項御承知ノ上夫々御引取ヲ願ヒマス右至急通知ヲ致シマス 記 一 貴大字配給数袋但シ一袋五貫九百匁 二 受渡ノ場所ハ川崎町久根崎味の素工場 三 引受時間ハ九月十日午前九時迄トス 四 引取人ハ配給ヲ受クヘキ大字ニ於テ出役ヲナスコト 五 受給粉ハ倉庫ヨリ車ニ載セル迄引取人之ヲナス 注意 受給后大字ノ分配ハ避難者ノ数及災害者ノ数等ヲ斟酌シテ各区長ヨリ領票ヤウノモノヲ渡シテ之ヲ引替ニサレタ方ガ便宜ト存シマス其ノ他ハ大字内ノ協議ニ任ス 参考南北綱島協議 人口二分 震災者三分 全三中二小破一 資産五分 逆転一二三 震災救助小麦粉配給表 大綱村 (二) 綱発第一四〇号第二通信至急 大正十二年九月九日 大綱村役場 第区長殿 罹災者救助ニ関シ物品配給ノ件 第二回物品配給ニ付只今郡ヨリ通牒ニ接シマシタ付テハ配給ノ方法ハ前回ニ記入シテ置キマシタガ村内ノ現住者ハ勿論他町村ヨリノ避難者及外国人タルトヲ問ハス恤救ヲ要スルモノハ公平ニ無洩一人当リ又ハ家族ノ大小ニ依リ配給セラレ度今回郡ヨリノ配給ハ外米五十袋食塩四十俵ナリ右至急通知シマス左記事項ハ注意セラレタシ 記 一 貴大字引取数外米 袋食塩 二 受渡ノ場所ハ横浜倉庫〔東神奈川新町停留所交番左へ入ル〕 三 引取時間九月十日午前九時迄トス 四 引取人ハ配給ヲ受クベキ大字ニ於テ出役ヲナスコト但食糧品ハ殆ト分捕ノ如キ状況ノ由強力ノモノ及補助ヲ要スルコト即チ倉庫ヨリ運搬スル時我勝ニ落入易キコトナリ 注意 めりけん粉ト今回ノ分ト同時ニ付相当手配可然候 (三) 綱発第一四〇号 大正十二年九月十二日 大綱村役場 第区長殿 救恤品配給ノ件 第三回救恤品配給相成候ニ付左記御承知ノ上御引取方可然候 一 砂糖拾袋 但一袋正味百六十五斤 右ハ御幸村明治製糖株式会社川崎工場渡 二 蠟燭七箱 但一箱ハ四十斤 右ハ保土ケ谷町日本油脂合同株式会社保土ケ谷工場渡 三 引取方法 (イ) 蠟燭引取 車一台 人夫二人 付添一人 右座間書記出張 但シ菊名ニ於テ引取 (ロ) 砂糖引取 車五台 人夫十六人 付添八人 但太尾、大曽根、樽、南綱島、北綱島ノ五大字ニ於テハ車持参人夫二人宛白幡、篠原、大豆戸ニ於テハ人夫二人宛、以上ノ外各大字ニテ付添一人宛出役右加藤書記出張 以上何レモ九月十三日午前九時迄ニ現場ニ集合ノコト (注一)「十日変更食塩二十六袋」の書込がある。 (注二)食塩の「事実食塩ハ二十六袋受配」の書込がある。 備考 今後配給方法ハ比較的以上ノ割合ニテ公平トナラン併シ大字割ニ半額十分ノ五戸数ニ十分ノ弐現住人口ニ十分ノ三 (四) 綱発第一四〇号 大正十二年九月十三日 大綱村役場 第区長殿 第二回外米并食塩配給ノ件 救恤用トシテ外米并ニ食塩〔外米五拾袋食塩参拾俵〕配給相成候ニ就テハ現住者即チ他町村ヨリ避難セル者タルト外国人タルト又ハ会社工場内ニ在ル者タルトヲ問ハス恤救ヲ要スル者ニ対シテハ無洩配給相成度候也 一 引取ハ九月十四日午前九時迄ニ横浜倉庫へ各大字ヨリ強力ノモノ出役ノコト 二 貴大字ハ外米袋 食塩 俵 (「未曽有大地震関係書類」飯田助丸氏蔵) (五) 綱収第一四三二号 大正十二年九月十九日 大綱村役場 各区長殿 鑵詰配給ノ件 左記ノ通リ配給ニ相成候ニ付明二十日迄ニ本村役場ヨリ現品御受取相成度此段及通牒候也 左記 (欄外注記)現住人口大曽根駐在所管八百人菊名同上千人合計千八百人 砂糖及蠟燭配給表 (六) 綱発第一四四号 大正十二年九月廿二日 大綱村長代理助役 黒川新太郎 各区長殿 公衆衛生ニ関スル注意事項 一 震災後伝染病益々猖獗ヲ極メ此際防疫ニ消毒ニ極力努メツヽアルハ各位ノ周知セラルヽ義ニ有之尚ホ防疫上遺憾ナキヲ期スルガ為メ左記事項ニ留意シ一般公衆ノ為無洩御通知方及依頼候也 記 イ 川及堀端ニテ洗濯ヲセザルコト ロ 汚物ヲ川又ハ堀ニ棄テザルコト ハ 野菜及ヒ器物ヲ川堀等ニテ洗ハザルコト ニ 河水及堀水ニ病毒落チ込ムトキハ流域ニ及ボス害毒甚大ナルハ云フマデモナク此際一層相互ノ注意ヲ払ヒ河水堀水ヲ使用セザルコト (七) 綱収第一四九二号 大正十二年九月二十五日 大綱村役場 第区長殿 救恤外米配給ノ件 明二十六日救恤外米配給相成候ニ付左記御承知ノ上御引取方及依頼候也 一 今回ノ配給米ハ本月十九日報告ノ要恤救者調書ニ依リ自町村住民中恤救ヲ要スル戸数人口及他市町村ヨリ避難中恤救ヲ要スル世帯数及人員ニ別紙ノ通リ配給スルモノナルコト 一 配給外米五拾袋 右ハ二十六日午前九時東神奈川横浜倉庫ニ於テ引渡サルヽモノナリ (注)別紙欠。 (八) 綱収第一四九二号 大正十二年九月二十五日 大綱村役場 第区長殿 救恤品配給ノ件 来ル二十七日救恤品配給相成候ニ付左記御承知ノ上御引取方及依頼候也 一 今回ノ配給品ハ本月十九日ノ要恤救者調ニヨリ配給スルモノナルコト即チ別表ノ通リ配給セラレタシ 一 配給小麦粉八十袋 右ハ二十七日午前九時川崎町味ノ素工場ニ於テ引渡ヲ受クルコト一 罐詰 参箱 右ハ二十七日午前九時川崎町橘樹郡役所ニ於テ引渡ヲ受クルコト荷車 人夫 付添一人 恤救小麦粉其他配当表 配給外米明細表 (九) 号外 大正十二月二十六日 大綱村長(印) 各区長殿 恤給品追加配給ノ件 明二十七日午後一時標記恤給品配当致シ度ニ付受領方ニ御出頭ヲ煩ハシ度此段及通知候也 注意今回ノ分ハ前回配当ノ追加ニ付前回ニ於テ毛布受領ノ者ヘハ他ノ品ニ寝具受領ノ者ヘハ他ノ品ニ其辺貴職ニ於テ宜シク御取計ヒ下サレ適当ニ配給御処分相願度候 配給品目左ノ通 毛布、寝具、綿ネル、晒布、針、ローソク、シャモジ等 (「未曽有大地震関係書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 三〇〇 鎌倉郡下義務教育等に関する件通牒 通牒 大正十二年九月七日 鎌倉郡長 各小学校長殿 今回ノ震災ニ就テハ各位ハ私事ヲ放擲シテ公共的義俠的精神ヲ以テ各方面ニ亘リ活動セラレツヽアルハ誠ニ感謝ニ堪ヘサル所ニ候今ヤ地方ハ追々安静ニ復シツヽアリト雖モ尚諸君ニ俟ツヘキモノ多々可有之候各位ハ部下職員ト共ニ努力精励地方ノ情勢ニ随テ此際各方面ニ一段ノ御尽瘁アラムコトヲ左ノ三四ノ事項ヲ揚ケ御願申上候 小学校ハ此所当分開校ノ必要(開校出来得校舎及場所アルモ)無之被存候時機ヲ得テ露天林間又ハ二部教授等ヲナスニ危険ナキ場所ノ細密ナル調査ヲナシ地方ノ情況ヲ斟酌シテ後日開校ニ至ラム準備ヲナシオクコトニ御考慮アラムコト申送リ候 記 一 御真影勅語謄本ノ御守護ニ関スルコト 二 児童身体ノ保護衛生上ニ関スルコト 三 一般罹災民ノ救護救恤ニ関スルコト 四 校舎校庭ノ整理保存監督等ニ関スルコト 五 町村役場事務等ニ助力スルコト 報告事項 (報告ハ至急ヲ要セサルニ付充分厳密ナル調査ヲ要シタル上ノコト) 一 職員児童使丁身上ニ〔学校内ト其以外ノ場所トヲ区別スルコト〕関スルコト 一 校舎ノ損害状況〔全潰少シノ手入ニヨリ使用シ得ル教室数等〕 一 校地ノ崩壊埋没状況 一 其他ノ事項 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三〇一 津久井郡日連村他一か村組合役場の罹災民救護等事業従事者に関する調査報告 日収第九七九号 大正十二年九月十九日 日連村外一ケ村組合役場(印) 津久井郡長殿 震災ニ依ル義務的従業者調ノ件 九月一日ノ震災ニ因ル罹災民救護其他ニ付義務的行為ヲ以テ従事シタルモノ左記ノ通リ調査及回報候也 一 避難民交通ニ関スル援護並麦湯接待 避難民ハ乗車乗船等ニ際シ互ニ先ヲ争ヒ甚タ危険ニ付之カ援護ニ従事セラレタリ 日連消防団第三部〔勝瀬〕人員六十五人ニテ十一日 一 同上与瀬停車場及仮停車場勤務 日連消防団第一第二第三部三十人 一日代表者森久保憲 一 圧死者発掘 九月一日強震ノ為メ家屋倒壊〔正午十二時頃〕ニ依ル圧死者発掘名倉村人一般人員百三十人二日〔九月一日ヨリ二日迄〕 一 不逞鮮人暴働ノ報ニ依リ警戒 各村消防団員ハ全部出働シタリ 日連ニアリテハ夜警セシコト十三夜 名倉ニアリテ夜警五夜 (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三〇二 労働力需給調節に関する県内務部長の通牒 神第六一号 大正十二年九月二十三日 内務部長 鎌倉郡長殿 大震災後ニ於ケル労務需給調節ニ関スル件 今回ノ東京横浜及其付近ニ於ケル大震災後ノ労務需給調節ニ関シ地方職業紹介事務局長会議ニ於テ別紙ノ通協定相成候趣ヲ以テ中央職業紹介事務局長ヨリ通牒有之候ニ付テハ右実施方ニ関シ相当御援助相成度 中央及地方職業紹介事務局協定事項 一 罹災銀行商店会社工場等ニ於ケル従業員ノ失職者ハ罹災地域外ニ支店分工場等ヲ有スル場合ハ成ルヘク之ニ転勤セシメ比際解雇ヲ見合セシムルコト 二 各地方職業紹介事務局ハ此際管内ニ於ケル職業紹介所ニ指導督励ヲ加へ力ヲ求人ノ開拓ニ致シ失職者ノ紹介ニ努力スルコト 三 職業紹介所ニシテ災害ニ罹リタルモノハ応急施設トシテ適当ナル場所ニ仮事務所ヲ設ケ速ニ紹介事務ヲ開始セシムルコト 四 前項ノ外必要ニ応シ臨時職業紹介所ヲ増設セシメ失職者ニ対スル職業紹介ハ勿論宿泊食事等ノ保護施設ヲ講シ遺憾ナキヲ期セシムルコト 五 中央及東京大阪両地方職業紹介事務局ハ全国各方面ニ渉リ求人調査労働移動ヲ行ヒ労務需給調節ノ実績ヲ挙クルニ努ムルコト 六 前各項ノ実施ニ関シテハ臨時震災救護事務局及各地方庁ノ援助ヲ求ムルコト (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三〇三 地方労働者上京見合せ方説得に関する県内務部長の通牒 神第六二号 大正十二年九月二十三日 内務部長 各郡長殿 地方労働者上京阻止方ニ関スル件 今回ノ震災及火災ニ付東京市内ニ於ケル職業紹介所ニ地方労働者ノ求職ノ為出頭スル尠カラス右ハ災害後ニ於ケル跡仕末及復旧事業ニ多数ノ労務者ヲ要スヘシトノ誤信又ハ誤伝ノ結果ニ因ルモノト被存候得共目下罹災者中ニモ労務ニ服シ得ヘキ者多ク需要ニ対スル供給夥多ノ実況ニ有之候間此旨貴管下一般ニ周知セシメ上京ヲ見合セシムル様中央職業紹介事務局ヨリ通牒有之候条右御了知ノ上相当御配慮相成度 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三〇四 津久井郡下町村別災害復旧従事者調 震災、義務的行為者調〔道路橋梁修繕従事者〕 (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三〇五 災害地建築のための労働者利用方法に関する橘樹郡長の通牒 橘庶収第四一二六号 大正十二年十二月廿五日 橘樹郡長 各町村長殿 災害地建築ニ必要ナル労務者供給ニ関スル件 北海道外三十三府県ヨリ災害地復興ノ為必要ナル労務者〔大工、左官、瓦葺職、錻力職、石工畳職、木挽、鳶職手伝及土工ペンキ職煉瓦工〕六万六千余人ヲ供給ノ見込ニ有之之等労務者ヲ需要セラルヽ場合ハ東京市麴町区社会局中央職業紹介事務局東京地方職業紹介事務局又ハ公設各職業紹介所へ申込相成候ハヾ紹介方取計フ旨其筋ヨリ通牒有之候条利用方取計相成度候 追テ各種別ノ供給人員時期希望賃金其他ノ大略ハ当庁ニモ備付有之候条申添候 (「復興関係書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 三〇六 遷都論流言取締に関する県内務部長警察部長の通牒 高秘収第一〇号 大正十二年九月二十二日 神奈川県内務部長 神奈川県警察部長 各郡市長殿 各警察官署長殿 震災後人心ノ不安ニ乗シ世間往々遷都論ヲ流布シテ人心ヲ惑乱セムトスル者有之候得共当局ニ於テハ断シテ此種ノ意見無之趣ヲ以テ其ノ筋ヨリ通牒ノ次第モ有之候条之カ為メ徒ニ人心ヲ惑乱セシムルカ如キコト無之様厳重御取締相成度候也 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三〇七 罹災者被服給与調査に関する県内務部長の通牒 神第二六八号 大正十二年九月二十二日 内務部長 鎌倉郡長殿 罹災民被服給与ニ関スル件 罹災民ニシテ被服ニ困難セル者ニ対シ一人ニ付木綿縞、木綿裏地、晒木綿、メンネル、小袖綿、縫糸、縫針等約五円ノ範囲ニ於テ被服ヲ配給セラルルコトト決定相成予定ノ趣ヲ以テ救護事務局諸材料部ヨリ照会有之候ニ付テハ貴管内ニ於テ右給与ヲ要スル人員概数見込調査ノ上至急御回相成度 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三〇八 罹災者救助に関する県内務部長の通牒 大正十二年九月廿四日 内務部長 各郡市長殿 罹災者救助ノ件ニ付依命通牒 要救助資格等ニ関シテハ本月十九日付依命通牒致置候ニ付テハ右趣旨ニ依リ万遺憾ナキヲ期セラレ居ルコトハ被存候得共時日ノ経過ト共ニ秩序モ漸次回復シタルヲ以テ此際一層被救助者ノ選択統一ヲ図リ可成罹災者ヲシテ自ラ生計ヲ樹テシムルノ方法ヲ講シ以テ漸次被救助者ノ員数ヲ減少スル様特ニ御考慮相成様致度尚罐詰類ノ給与ニ関シ之カ給与ヲ受ケサル罹災者中種々不平ヲ称フル者有之哉ノ聞モ有之候ニ付自今罐詰類ハ原則トシテ給与ヲ廃止シ販売物資ニ振向クル様取計方救護事務局ヨリ通牒有之候条御了承相成度依命通牒候也 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三〇九 津久井郡下震災避難者保護に関する注意の件通牒 津庶収第三四号 大正十二年九月廿八日 津久井郡長 町村長殿 震災避難者ニ関スル件 震災地ヨリ地方へ避難セル者ニ対シテハ御尽力ニ依リ夫々保護ノ途ヲ講セラレ居候処地方ニ依リテハ是等ノ避難者ニ対シ高価ナル食糧品等ヲ給与セラル向モ有之哉ニ及聞候是レ素ヨリ避難者ニ対スル地方民ノ同情心ノ発路トハ存候得共斯ル給与ハ却テ弊害ヲ生スル虞モ有之候ニ付避難者ニ対スル給与ハ相当ノ限度ヲ超エサル様御留意相煩度其ノ筋ヨリ通牒有之候条及通牒候也 (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三一〇 新潟医科大学診療班鎌倉郡下で無料治療の件通牒 亥鎌震発第一三号 大正十二年十月五日 鎌倉郡長 各町村長殿〔鎌倉、川口、腰越津、村岡、深沢ヲ除ク〕 傷病者診療ニ関スル件 今回ノ震災ニ依ル傷病者ヲ診療セシムル為文部省ヨリ新潟医科大学教授上野医学博士一行ノ診療班派遣相成候ニ就テハ戸塚町小学校前井上政吉〔魚政〕宅ニ診療所ヲ設ケ明六日ヨリ当分ノ内午前八時ヨリ午後四時マデ無料診療ニ従事セラレ候条広告其他ノ方法ニ依リ宣伝セラレ貴町村内一般ニ周知セシメ罹災者ヲシテ此ノ恩恵ニ浴セシムル様至急御取計相成度此段通牒候也 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三一一 罹災者救助および就業奨励に関する県内務部長の通牒(一-二) (一) 神第九八九号 大正十二年十月十日 内務部長 鎌倉郡長殿 罹災者求助方法整理ニ関スル件 罹災者ノ救助ニ関シテハ今後限リアル費用ヲ以テ無制限ニ救助ヲ継続スルハ到底不可能ナルノミナラス或ハ反ツテ罹災者ノ自奮努力ノ精神ヲ傷フ結果ト可相成被存候ニ就テハ此際罹災者中自活ノ力アル者ト否ラサル者トヲ厳ニ区別シ前者ニ対スル救助ハ速ニ之ヲ打切ルト共ニ真ニ自活ノ途ナキ罹災者ニ対シテハ尚引継キ当分救助ヲ継続スルコト最モ適当ト認メ候就テハ至急左記ニ依リ罹災者中自活ノ途ナキ者ヲ調査シテ救助ノ要否ヲ決シ其ノ必要アル者ニ対シテノミ当分救助ヲ継続スル様御取計相成度此段及通牒候也 記 一 罹災者ニシテ自活ノ途ナク救助ヲ要スルト認メラルル者〔自力又ハ他ノ扶助ニ依リ其ノ生計ヲ維持スル能ハサル者ニ限ル〕ニ付テハナルヘク調査カードニ依リ其ノ現居所震災当時ノ住所世帯ノ収入及資産世帯主及世帯員ノ体惟年令職業労働ノ能否等生活状態ヲ知ルヘキ事項ヲ調査スルコト 一 右調査ニ基キ市区町村会議員町村総代市町村吏員小学校教員警察官吏方面委員在郷軍人青年団員等ヨリ適当ノ者ヲ選ヒテ審査委員ヲ設ケ区域ヲ限リテ救助ノ要否ヲ審査セシメ其ノ結果ニ依リカード式要救助者名簿ヲ作成スルコト 一 前項審査ニ依リ要救助者ト決定シタル者ニ対シテハ当分救助ヲ継続スルコト 一 本調査ハ時々之ヲ行ヒ要救助者ノ整理ヲ怠ラサルコト (二) 神第二六二五号 大正十二年十月廿五日 内務部長 郡市長殿 罹災者救助ニ関スル件 罹災救助ニ関シテハ本月十日神第九八九号ヲ以テ及通牒候次第モ有之十分御留意相成居候事トハ存候得共災害後時日モ経過シ秩序モ恢復シタル現今ニ於テハ厳ニ要救助者ノ調査ヲ行ヒ救助ノ必要不得已範囲ニ止メ罹災者就業ノ途ヲ講セシムルハ最モ緊要ノ事ト存候ニ付テハ大体左記事項御含ノ上一層御配意相成度 記 一 要救助者ハ老、幼、不具、廃疾、傷病者其ノ他ニシテ今回ノ震火災罹災者中自力又ハ他ノ扶助ニ依リ其ノ生計ヲ維持スルコト能ハサル者ニ限ルコト 二 要救助人員ノ精査ニ付テハ罹災者ヨリ申告セシメ実地調査ノ上必要不得止モノニ限リ要救助者名簿ニ登載シ之ニ依リ救助ヲナシ時々其ノ生活ノ状態ヲ調査シ可成就業ノ方法ヲ講セシメ収入ノ途ヲ与へ漸次救助人員ノ減少ヲ図ル等郡市町村間ノ連絡ヲトリ不権衡ヲ生スカ如キコトナキ様注意サレタキコト 三 適当ノ区域ヲ定メ実地状況ヲ調査スル機関ヲ設ケ相互連絡ヲ図リ郡、市、町村吏員ヲ派シテ実地調査セシムル等救助ノ精確並統一ヲ期セラレタキコト 四 本件整理ノ結果ハ十一月五日迄ニ報告アリタキコト爾後ハ毎月十日、二十日、月末現在ノ救助人員「町村別〔郡ニアリテハ郡計ヲ付スルコト〕」ヲ其ノ時々報告セラレタキコト 五 其ノ他ハ本月十日神第九八九号二十四日第一一〇号通牒ノ趣旨ニ依ルコト (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三一二 罹災者ブラジル移住計画の件通牒 十二保発第五一号 大正十二年十月十六日 神奈川県内務部長 神奈川県警察部長 県下各郡市長殿各警察官署長殿 罹災民南米ブラジルニ輸送計画ノ件 標記ノ件ニ関シ震災地状況視察ノ要アル趣ヲ以テ政府補助ニ係ル海外興業株式会社ヨリ参事玉置佐一ヲ貴部内ニ派遣相成候条相当ノ便宜供与方可然御取計相成度此段及通牒候也 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三一三 罹災者救助に関する鎌倉郡長の報告 鎌収第九九号 大正十二年十一月七日起案 大正十二年十一月七日 郡長 内務部長宛 罹災者救助ニ関スル件 客月十日神第一〇九五号御照会ニ係ル首題ノ件左記ノ通リニ有之候条此段及回報候也 記 一 救助開始当時ニ於ケル救助人員 四万三千七百七拾五人〔 町村住民 二万四百九十五人 避難者 二万三千二百八十人 二 救助実施以来要救助者ノ整理ニ付取リタル措置並ニ救助者整理減少ノ趨勢 救助実施当時ハ戸塚、鎌倉、腰越津、川口〔片瀬、江ノ島〕ノ各町村ハ何レモ米産地ニアラスシテ純然タル消費地タルノミナラス鎌倉腰越津ハ火災ノ為メ在米ノ多クハ焼失シ飯米ノ欠乏ヲ来シ其ノ他ノ農村ハ避難民ノ襲来ニ依リ是亦糧米ノ窮乏ヲ見ルニ至リタルヨリ第一次ノ配給米ハ前記四ケ町村ニ第二次ノ配給米ハ爾余ノ農村ニ配給シ一部資産家ヲ除ク外各町村内ノ貧民及避難者ノミナラス窮民ノ大部分ハ配給米ニ依リ又ハ配給米ノ補給ニ依リ饑餓ヲ免ルヽヲ得タリト雖其後日ノ経過ト秩序ノ恢復トニ伴ヒ無償配給ハ延ヒテ惰民ヲ養成スルノミナラス当該商人ヲシテ職業ヲ失ハシメ経済復活ヲ阻止スル虞アリト認メ鎌倉、腰越津、川口ノ三ケ町村ヲシテ九月十八日以降販売組織ヲ樹シメ一部貧民ノ外給米ヲ中止セシメタリ 然ルニ郡内各町村ヲ通シ被救助者ノ選択必スシモ統一セス彼是権衡ヲ得サル嫌アルヲ認メ九月廿一日要救助者調査ヲ為シ越ヘテ十月五日避難者及避難者中ノ要救助者ヲ調査シ町村ノ要救助者数ノ要求数多キモノニ対シテハ一定ノ標準ニ依リ査定ヲ加フ別紙ニ表ヲ作製シテ救助ノ基礎トセリ之カ為メ避難民ハ別表第一号表ノ通リ最初ノ二万二千三百八十人ヨリ二千十五人ニ激減シ当初避難者総数ノ九%ニ町村内要救助者ハ別表第二号表ノ通リ最初ノ二万四百九十五人ヨリ千七百三十人ニ減シ是又最初救助人員ノ八%ニ過キサルニ至レリ 今ヤ災害後時日モ経過シ秩序モ恢復シタルノミナラス民間ニ於テハ主要作物ノ収穫アリ一面避難者モ漸次減少シタル今日従来ノ如ク救助ヲ続行スルニ於テハ却テ被救助者ノ依頼心ヲ増長セシメ自立ノ精神ヲ毀損スル虞アルヲ以テ救助米ノ配給ハ十一月七日限リ打切リ当分ノ内事情止ヲ得サルモノニ限リ郡ニ於テ直接救助米配給事務ヲ取扱フコトヽシ其旨町村長ニ通牒シタルカ今後ハ郡ニ救助ヲ申出ツルモノナキ見込ナリ 三 九月二十八日現在救助人員 三千七百四十五人〔町村住民千七百三十人 避難者二千〇十五人 以上 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三一四 海軍工廠解雇労働者対策に関する県内務部長の通牒 神社号外 大正十二年十一月八日 内務部長 鎌倉郡長殿 海軍工廠職工解雇ニ関スル件 過般ノ大震火災ニ因リ県下全般ニ亘リ多数ノ失業者ヲ生シタル為メ県ニ於テ鋭意之レカ緩和ニ努メツヽアリシ処今回又横須賀海軍工廠ニ於テ既定計画ニ依ル軍備整理ノ為本月十日頃職工約千九百名ヲ解雇スル旨通知有之本県ニ於ケル失業問題ニ重大ナル影響ヲ及ボス虞アルモ幸之等職工ハ勤務年数ニ応シ比較的多額ノ手当金ヲ受領スル趣ナルヲ以テ此ノ際各職業紹介所ト提携シ就職若クハ帰農ヲ勧メ又ハ移住ヲ奨励セバ其成績見ルヘキモノアルヘク尚一面ニ於テ浪費ヲ戒メ冗費ヲ節シ他日ニ備ヘシムルハ極メテ緊要ト思料候条之レカ指導誘掖ニ関シ御配慮相成度依命此段及通牒候 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三一五 三浦郡漁業組合長会議の漁村救済に関する協議決定事項通知 三水第三一四号 大正十二年十月廿二日 三浦郡水産会副会長(印) 各町村長殿 漁村救済ニ関シ漁業組合長会同ノ件 漁村救済ニ関シ本月十五日本会ニ於テ漁業組合長会ヲ開催候処別紙ノ通リ協議決定候間何分共御助成相願度此段得貴意候也 (別紙) 漁村救済ニ関スル決定協議案 一 漁業者ノ出漁奨励 本会ニ於テ本郡関係ノ鮮魚市場ヲ調査セルニ其ノ需要関係良好ニシテ魚価モ今後大ナル暴落ヲ来タスコト無カル可ク予想サルヽヲ以テ管内当業者ニ出漁ヲ奨励スルコトヽナリ次案ノ解決ヲ待ツテ之ガ完全ヲ期スルコトニ決定セリ 二 漁獲物ノ共同運搬奨励 三崎東京間鮮魚運搬用ノ汽船ハ夜間航行ヲ禁止サレ陸上ハ道路ノ破壊ト自動車、馬車等ノ欠乏ノ為鮮魚ハ市場ニ輸送充分ナラズ現在発動機船ヲ所セザル魚商人ハ購入シ得ザル状況ニアルヲ以テ右運搬船ニ対スル交渉斡旋等ハ総テ本会ニテ之ヲ行ヒ十名ノ委員ニテ協議決定スルコトヽナリ会長指命ヲ以テ秋谷、佐島、金田松輪毘沙門菊名、三崎町向ケ崎、小網代、久里浜久比里川間、諸磯、長井、各漁業組合長及副会長ヲ委員トシ明十六日三崎町魚市場楼上ニテ会同ノコトニ決定セリ 三 低利資金ノ供給 政府ニ於テハ本県ニ限リ今回ノ災害各府県ニ対シ毎年漁業組合共同施設事業助成ノ為供給ノ低利資金ヲ融通スル意向ナルヲ以テ漁村復旧ノ資金ヲ必要トスル組合ニ於テハ漁民救済ノ為右資金ノ利用ヲ申込ムニ於テハ本会ニ於テ出来得ル限リ斡旋ノコトニ決定セリ 四 漁業用品並ニ生活必需品ノ共同購入斡旋 軽油、石油、揮発油、「マシン」「モビル」「カーバイト」餌料〔烏賊、しらす、塩鰮〕、木炭、其他等ノ漁業用品並ニ生活必需品欠乏シ其ノ共同購入ノ緊急ノコトニ属スルヲ以テ之ガ斡旋ヲ行ヒ完全ニ配給ヲナスコトニ決定セリ 五 船匠ノ斡旋 漁船ノ修理又ハ新造ノ為ニ船匠ノ不足ヲ告グル向ニ対シテハ之ガ斡旋ヲ行フコトヽナリ必要ノ向ハ申込ミヲナスコトニ決定セリ 六 副業ノ奨励 各地ノ状況ニ応ジ漁業者ニ適切ナル副業ヲ奨励スルコトニ決定セリ 七 漁業組合共同施設事業ノ奨励 漁業組合ノ共同施設事業ハ組合員ノ生活ヲ安定ナラシメ其ノ福利ヲ増進シ組合百年ノ長計ニシテ異常ノ災害ニ際シ益々其ノ必要ヲ感ズルモノナルヲ以テ此ノ機会ニ現在施設ノ組合ハ一層之ガ発展ヲ図ルト共ニ施設未済ノ組合ニ於テハ可成之ガ計画ヲ為スコトニ決定セリ 八 会費ノ徴収 本会ヨリ各組合及其組合員ニ賦課ノ経費ハ本会活動ノ根源ナルヲ以テ適当時期ニ於テ各組合ニテ徴収ノ上納入方斡旋ヲ乞フコトニ決定セリ 九 其他 諸磯漁業組合ヨリ此ノ災害ニ対シ組合基金利用支出及被害状況並ニ蕃殖保護調査ノ為メ水産試験場所属ノ調査船利用ニ関シ希望アリタリ (三崎町役場「震災関係書類」(大正一二年)三浦市役所蔵) 三一六 橘樹郡下災害農村救済に関する協議会開催の件通牒 橘勧収第一三七五号 大正十二年十二月二十一日 橘樹郡長 各町村長殿 震災農村救済ニ関スル件 過般ノ震災ニ因ル農家生産物ノ貯蔵並作業上ニ於ケル障害ヲ救済スル為左記要領ニ依リ共同倉庫補助金十五万千二百円共同作業場及其ノ農用器具機械補助金十四万四千円並稚蚕共同飼育所補助金十七万五千八百七拾五円ヲ本県へ交付可相成趣其ノ筋ヨリ通牒ノ次第有之従テ本郡ヘモ相当ノ補助金ヲ交付セラルヽコトヽ相成候条予メ御含置相成度此段及通牒候也 追テ右補助金ノ運用ハ最モ急施ヲ要スルモノニ有之候処恰モ来十二月廿五日〔火曜日〕午前十時ヨリ川崎実科高等女学校ニ於テ京浜運河期成促進会ノ為御会合ヲ相煩スコトニ相成居候ニ付其ノ席上ニ於テ本件ニ関シテモ亦御協議致度申添候 記 第一 本補助金ハ当該農村所産ノ農産物ニ付共同貯蔵共同作業ヲ為シ又ハ稚蚕共同飼育ヲ行フニ必要ナル建物ノ建築修繕買入及右共同作業所ニ備フヘキ農用器具機械ノ買入取付等ニ要スル費用ノ半額以内ノ割合ニ於テ交付スルコト但シ共同倉庫ハ一ケ所千五拾円、共同作業場ハ一ケ所五百円、器具機械ハ一ケ所分五百円、稚蚕共同飼育所ハ一ケ所弐千六百弐拾五円ヲ超エサルコト 第二 本補助金ハ半潰以上ノ被害戸数五割以上ノ罹災激甚ナル農村ノ中ニ就テ上記ノ共同施設ヲ特ニ緊要トスル町村ニ於テ町村農会産業組合、同業組合、既設ノ養蚕組合又ハ府県令ニ依リ認メラレタル農業改良発達ヲ目的トスル組合カ其ノ施設ヲ為ス場合ニ之ヲ交付スルコト 第三 本補助金ヲ受クル施設ハ罹災農村ニ於ケル多数農民共同ノ利便ヲ本旨トスルカ故ニ実行上小数者ニ利便ヲ独占セラルヽ等ノコトナキヲ期シ其ノ効果ヲ挙クル様監督スヘキコト 以上 (「復興関係書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 三一七 米国軍服給与のための調査依頼の件通牒 橘庶収第四一四七号 大正十二年十二月二十五日 橘樹郡長 各町村長殿 軍服給与ニ関スル件 左記ニ該当スル罹災者ニ対シ米国軍服給与相成候趣其筋ヨリ通牒有之候ニ付至急取調ノ上各項別ノ人員御回答相成度候 記 配給ノ順位并配給サルヘキ者ノ資格 一 内閣各省、其ノ他ノ各官庁及其所属学校工場等ニ在職スル守衛小使給仕〔職工ヲ除ク〕等ノ庸人ニシテ震災当時在職シ其住宅全焼又ハ全潰シタル者但シ制服ヲ官給シ若クハ制服ノ着用ヲ必要トスル者及女子ハ之ヲ除ク 二 府県〔郡〕市町村ニ於ケル前同断ノ者 三 小学校男教員ニシテ前同断ノ者 四 一ニ該当スル傭人中ノ職工 五 二ニ該当スル傭人中ノ職工 六 中学程度以上ノ官公私立〔私立学校ハ文部大臣ノ認可ヲ受ケタルモノ〕学校ノ男生徒学生ニシテ其学資支給者ノ住宅カ震災ニ依リ全焼又ハ全潰セル者但シ制服ヲ官給シ又ハ制服ノ代用ヲ認メラレサル者ハ之ヲ除ク 以上 (「復興関係書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 三一八 災害の経済財政人心への影響に関する津久井郡長の報告 津庶収第一一一〇号 大正十二年九月二十一日 郡長 知事宛 震災ニ依リ経済、財政、一般民ニ及ホシタル影響ニ 関スル報告 本月一日震災ニ依リ経済、財政上並一般民ニ及ホシタル影響ニ就テ警察署へ調査方通牒相成居候処事項ハ多ク当役所事務ニ関係アルヲ以テ協議ノ上取調ヲ遂ケタル処別紙ノ通有之候間此段報告候也 一 震災ニ依リ経済上ニ及ホシタル影響 本郡内銀行トシテ株式会社神奈川県農工銀行出張所アルノミニシテ之ガ災害ハ少キモ横浜市ニ於ケル本店ノ災害ニ依リ閉鎖ノ止ムナキニ至ル又本郡取引関係ノ最モ多キ八王子市及上野原町ニ於ケル銀行及同支店等モ閉鎖スルニ至レル関係上会社商業等取引ハ殆ント休業状態トナレリ金融関係ハ前記各銀行ノ閉鎖ト郵便貯金ノ支払中絶ニ依リ金融ノ途殆ント絶ヘタリ今后前記銀行ノ開業ト郵便貯金払出円滑トナラバ漸次商業取引ノ快復ヲ見ルニ至ルヘシ 二 財政ニ及シタル影響 今回ノ震災ノ為メ中央及地方財政ニ影響スルト思料セラルヽモノハ山林田畑ノ崩潰約五百町歩其ノ他家屋倉庫ノ倒潰并酒醤油ノ醸造諸味ノ流失等之ニ依ル諸税ノ減収アルモノヽ如シ 秋繭収穫時季ニ当リ地震ノ為メ減収アリ其他震災以来一般産業ハ殆ト休止状態トナレハ収入劇減シ支出ハ却テ増加スルヲ以テ一般ノ経済ニ及シタル損害ノ結果トシテ財政上ニモ窮迫ヲ及スコト尠カラス併シ現況トシテ具体的ニ計上スルコト不可能ナリ 三 一般民ニ及ホシタル影響及民心ノ傾向 本郡民ハ普通農事ヨリハ寧ロ養蚕業ヲ主業トシ之レニ伴フ絹織物撚糸等ノ工業地ニシテ又山間部ハ炭焼ヲ業ト為スモノ多シ故ニ今回ノ震災ノ為メ晩秋蚕ハ収穫皆無加フルニ絹織物絹撚糸ハ全然事業休止又炭焼業ハ山崩レノ為メ山路ノ快復将来見込タヽサル状態ニ付キ郡ノ生産業ハ殆ント中止ノ状態ナリ 而シテ戒厳令施行ト共ニ一般民心ハ一時的ニ落着キタルモ生産物ノ販路生産業ノ快復ヲ杞憂シ又山崩レノ甚シキ為メ山路快復亦困難ニシテ今後二三ケ月ヲ経過セサレハ炭焼業等モ快復ノ見込ナキ状態ナリ (津久井郡役所「震災庶務」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三一九 小作問題農民運動等の動静に関する件照会と回答(一-二) (一) 秘号外 大正十二年十月十一日 中野警察署長(印) 津久井郡長殿 照会 今ヤ耕作物ノ収穫ノ秋ナルヲ機トシ這般ノ震災ニ当リ或地方ニ於テハ一部資本家其他ガ救済ノ措置当ヲ得ザルニ不平不満ヲ抱ク輩、耕作物ノ被害甚大ナルヲ理由トシテ小作民其他ヲ煽動シ小作問題其他農民運動ヲ起サシムル者アリト聞ヘアリ郷内ニ於テハ如斯形勢アラザルモノト存ゼラレ候得共其筋ノ通牒ニ接シ候条左記事項参考迄ニ御通知願度此段及照会候也 左記 一 震災当時ニ於ケル救済ニ関シ郡町村当局ノ取リタル措置ノ大様及一般人、罹災者ノ之ニ対スル感想批評 二 震災当時ニ於ケル救済ニ関スル地方有力者地主富豪ノ取リタル寄付金、施米、其他ノ措置ノ大様、及郡町村当局、一般人、罹災者ノ之ニ対スル感想批評 三 当局、地主富豪等ノ態度ニ対シ不平不満ヲ抱ク者ノ地位身分思想其他参考事項 四 小作問題其他農民運動発生ノ虞アリヤ又已ニ発生シタルモノアリヤ、発生ノ原因、要求ノ大様、地主ノ態度、小作人ノ態度伝播ノ虞アリヤ震災ニ関スル地主其他ノモノヽ措置当ヲ得ザルニ関係アリヤ 以上 (二) 津庶収第九〇号 大正十二年十月十六日 郡長 中野警察署長殿 震災ヨリ生シタル思想ニ関スル件 本月十一日秘号外ヲ以テ御照会相成候標記ノ件別紙ノ通ニ有之候也記 一 震災当時ニ於ケル救済ニ関シ郡町村当局ノ取リタル措置ノ大様及一般人、罹災者之ニ対スル感想批評 地震災害救済策トシテ当時杜絶セル郡内幹線道路ヲ応急修理シ交通ヲ開キ欠乏セル食糧補給ノ途ヲ計ルコト衛生上飲料水用ノ井及埋樋ノ修理ヲナスコト被害者救護ハ町村及部落ニ於テ応急ノ措置ヲ執ラシムルコトヲ主眼トシ先ツ食糧欠乏救済トシテ警察ト協力シ町村消防組、青年団、軍人分会等ノ諸団体ニ食糧ノ実地調査及道路応急修理等ニ義務的活動ヲ促シ郡ニ於テハ道路稍々開通セルト同時ニ八王子市、愛甲郡方面ヨリ白米玄米ヲ購入シ最モ欠乏困難セル罹災町村ニ送リテ配給ス、町村ハ食糧ノ購入持米自給自足ノ方策ヲ立テ救済ニ努ム一方飲料水ノ復旧罹災者及避難罹災民ニ対シテハ借家又ハ知己ニ寄寓ノ便宜ヲ計ル等諸団体協力救済ニ努メタリ 感想批評一般人及罹災者ノ之カ措置ニ対シ何等批評スルモノナク好感ヲ与ヘタルモノヽ如シ 二 震災当時ニ於ケル救済ニ関スル地方有力者、地主富豪ノ取リタル寄付金施米其ノ他措置ノ大様及郡町村当局一般人罹災者ノ之ニ対スル感想批評 地方有力者中名誉職ニアルモノハ当局者ヲ援助活動セルモ地主、富豪ノ寄付金、施米等ナシタコトナシ 感想批評地主富豪等ハ持米ナク現金ハ銀行為替貯金局ニ預入セルモ両者共支払休止シタルニ依リ意ノ如クナラサリシモノヽ如シ三 当局地主富豪等ノ態度ニ対シ不平不満ヲ抱ク者ノ地位身分思想其ノ他参考事項 ナシ 四 小作問題其他農民運動発生ノ虞アリヤ又ハ已ニ発生シタルモノアリヤ発生ノ原因要求ノ大様地主ノ態度小作人ノ態度伝播ノ虞アリヤ震災ニ関スル地主其ノ他ノモノヽ措置当ヲ得ザル関係アリヤ該当事項ナシ (津久井郡役所「震災庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 第四節 復興更生運動 三二〇 神奈川県復興促進会規約 神奈川県復興促進会規約 第一条 本会ハ神奈川県復興促進会ト称ス 第二条 本会ハ事務所ヲ□ニ置ク 第三条 本会ハ神奈川県震災復興ニ関スル事項ノ促進ヲ期スルヲ以テ目的トス 第四条 本会ハ其ノ目的ヲ達成スル為左ノ事項ヲ行フ 一 政府其ノ他ノ機関及政党ヲ動カシ県下ノ震災復旧復興ニ関スル左ノ政策ヲ実現セシムベク努力スルコト 一 当分ノ内県下小学校費ノ国費支弁ヲ仰クコト 二 道路河川耕地其ノ他ノ復旧土木費国庫支弁及低資融通ヲ計ルコト 三 諸税及負担ノ減免ヲ期スルコト 四 焼失及破壊ノ官衙学校ノ再築費国庫補助ヲ仰クコト 五 郡部町村ニ於ケル家屋ノ復興並ニ農工商ノ低利資金融通ヲ計ルコト 二 県民一致本会ノ目的達成ニ勉ムヘク各種ノ宣伝ヲ為スコト 第五条 本会ハ神奈川県民ノ何人ヲ問ハス入会スルコトヲ得 第六条 本会ノ統一ヲ期スル為メ幹事若干名ヲ選挙ス 幹事ノ互選ニ依リ常務幹事ヲ置ク 第七条 本会ノ会議ハ総会及幹事会トス 第八条 本会ノ経費ハ会費其ノ他ノ寄付ニ依ル 第九条 本会ノ事業施行ニ関シテハ其ノ大綱ハ総会ニ於テ之ヲ決シ常務ハ幹事会ノ決議ニ依ルモノトス (「神奈川県全国町村長会書類」(大正一二年)大磯町役場蔵) 三二一 復興会の組織と活動状況に関する県知事安河内麻吉の報告(一-三) (一) 神高発第三九号 大正十二年十月廿日 神奈川県知事 安河内麻吉 内務大臣後藤新平殿 社会局長官池田宏殿 震災後ノ状況ニ関スル件〔続報〕 震災後ノ状況已報ノ処其ノ後ノ概況別紙ノ通リニ有之候条此段及報告候也 (中略) 一 震災ト復興会ノ組織 震災ノ惨禍余リニ甚大ナリシ結果県市町村会議員其他地方有力者等ハ何レモ一時呆然自失ノ状態ニ在リ寧ロ自家ノ復興ノミニ没頭シ公事ヲ顧ミルノ暇ナキノ感アリシモ日ヲ経ルニ従ヒ漸次自町内ノ復興ノ必要ヲ痛感シ曩ニ横浜復興会ノ設立アリ当地実業家原富太郎之カ会長トナリ顧問ニ貴衆両院議員市内官庁及実業家ノ重立者ヲ推シ委員ニハ商業会議所会頭又ハ県市会議員其ノ他市内ノ重立者ヲ挙ケ総務、計画ノ二部ヲ置キ計画部ハ更ニ(一)市財政部 (二)市事業部 (三)港湾部 (四)都市計画部 (五)運輸交通々信部 (六)生業部 (七)貿易部 (八)工業部 (九)金融部ノ九部ニ分チ各部ニ部長及計画部ノ各分課ニハ委員長副委員長ヲ置キ毎週会同協議ヲ為シツヽアルカ各部ノ事業ハ大要左ノ如シ (一) 生業部 (イ) 建築材料ノ供給ヲ潤沢ナラシムヘク目下農商務省及鶴見町木工会社外一二ノ者ニ交渉中 (ロ) 漬物小麦粉其他食糧品ノ販売ニ関シ実業連合組合ニ交渉中(二) 都市計画部 本件ニ関シテハ目下専門技術者ノ意見ヲ聴取シ居ルノミニシテ具体的計画ナシ (三) 金融部 倉庫ノ準備及銀行営業資金ノ調達等ニ関シ考究中 (四) 港湾部 横浜港ヲ自由港ト為スノ可否及自由港ト為シタル後ノ港湾、経費ノ維持等ニ関シ考究中 (五) 工業部 電力料ノ低滅及工業地帯ノ架橋ト舟艀ノ航行関係等ニ付調査中 (六) 貿易部 生糸絹物組合ノ輸出貿易ニ関シテハ徴弱ナカラ之ヲ行ヒツヽアルモ、海産物、麻真田、綿布、石炭、薬品、雑貨、陶磁器、漆器、加工染色業者ノ貿易ハ殆ント目途立タス依テ近日此等組合長ヲ召集シ具体的ノ協議ヲ為サムント計画中 (七) 運輸交通、通信部 同部ニ於テハ港内ノ掃海、海陸連絡艀船ノ現状調査道路ノ新設及電車ノ敷設京浜間高速度電車敷設等ニ関シ調査研究中 (八) 市財政部 震災前ニ於ケル市税ノ状態及災害後ノ財政ノ欠損補充問題等ニ関シ調査中 (九) 市事業部 同部ニ於テハ小学校ノ建設、学用品ノ充実、未修理橋梁ノ調査山下町ノ地面整理等ニ関シ考究中 以上ノ外横浜貿易復興会ニ於テハ震災後ノ横浜市ノ恢復ヲ図ルニハ一日モ早ク外国商人ヲ此ノ地ニ招致シ貿易ノ復興ヲ為スニアリトシ神戸ニ避難中ノ横浜外国商人ニ打電シテ帰浜ヲ促シタルニ早クモ帰浜シテ復興会内ニ事務所ヲ開始スル者アルニ至リ爾来引続キ外国貿易商人ノ帰浜スル者二十有余ニ達シタルカ其ノ多クハ未タ帰浜スルニ至ラサルヲ以テ或ハ外人貿易商ハ阪神地方ニ移動スルニアラサルヤヲ危惧スル者ナキニアラサルモ、横浜ハ多年彼等ノ根拠地トシテ多大ノ努力ヲ払ヒ縁故ヲ有スルヲ以テ遠カラス帰浜スルハ疑フヘカラサル所ナリト推定セラルヽヲ以テ敢テ悲観スルニ足ラスト称スル者アリ尚各郡市ノ復興会ノ事業ハ土地ニ依リ各其ノ目的及事項ヲ異ニスルモ何レモ震災ニ依リ蒙リタル地方ノ復興ヲ為サムトスルニ在リ今日迄已ニ正式ニ復興会ヲ組織シタルモノ別紙ノ通ナルカ其ノ他ノ地方ニ於テモ会名ヲ付セサルモ町村長及町村会議員等ヲ以テ此ノ種ノ事業ノ調査研究ニ尽力シツヽアリ震災復興上助成ヲ要スルモノト認メラルヽヲ以テ夫々注意中ナリトス 尚県下ニ於ケル復興会ノ設立シタルモノ別表ノ如シ 復興会ノ設立 (二) 神高秘発第五五号 大正十二年十一月七日 神奈川県知事 安河内麻吉 内務大臣 後藤新平殿 臨時震災救護事務局総裁 山本権兵衛殿 社会局長官 池田宏殿 震災後ノ状況報告(続報) 震災後ノ状況ニ関シテハ従来数字御報告ノ処其ノ後ノ概況別紙ノ通ニ有之候条此段及報告候也 (中略) 一 復興会 県下ニ於ケル震災後ノ復興会設立状況ハ已報セルカ其ノ後ノ状況左ノ如シ (一) 横浜市復興会 イ 同会ノ各部委員例会ハ下記日割ニ依リ開会ス 毎週月曜日 午後二時 生業部 同日 午後三時 市ノ事業部 火曜日 午後一時 都市計画部 同日 午後三時 金融部 水曜日 午前十時 港湾部 同日 午後二時 生業部 同日 午後三時 工業部 木曜日 午後一時 貿易部 同日 午後三時 計画正副委員長会 金曜日 午後二時 生業部 同日 午後三時 金融部 土曜日 午後一時 市ノ財政部 同日 午後二時 運輸交通通信部 同日 午後三時 工業部 ロ 横浜復興会ノ会合及決議 同会ニ於テハ前記日割ニ依リ会合シ横浜市ノ復興ニ関シ決議又ハ計画シタル事項左ノ如シ ○十月十七日午前十時常務委員会ヲ開催シ左記事項ヲ建議スルコトニ決ス〔十月十九日神高秘発第三七号ヲ以テ詳報スミ〕 一 横浜高等工業学校拡張ニ付文部大臣ニ建議ノ件 二 県立工業学校及商工実習学校拡張ノ件 三 税関上屋ニ貯蔵セラルヽ救護品引取方ニ付当市長ニ建議ノ件四 横浜港内通船設置ノ義ニ付当市長ニ建議ノ件 五 上海丸、長崎丸ノ神戸、横浜両港間航行継続ニ付逓信大臣ニ上申ノ件 六 同上ニ就キ日本郵船会社長ニ依頼ノ件 七 生糸検査所ノ拡張及倉庫建設ノ義ニ付大正十五年度ヨリ三ケ年間ノ継続事業ヲ一ケ年ニ完成スベキ様農相、蔵相へ上申ノ件八 復興資金ノ融通ヲ豊富且ツ簡易ニスル様金融業者ニ要望スルコト 九 手形交換及内地為替業務ヲ速ニ開始スル様金融業者ニ要望ノ件 一〇 港内ノ掃海ヲ敏速ニスル様関係当局へ建議ノ件 ○十月二十日運輸交通通信部会〔十月二十一日神高収第七三四号申報済〕 一 長崎丸、上海丸ハ二十日迄ノ期間ナルモ更ニ同日ヨリ向二週間延期スルコトヲ逓信大臣ニ陳情スルコト 二 汐留駅ヨリ品川ヲ経テ相武鉄道ニ連絡スルコトノ意見書ヲ鉄道大臣ニ提出スルコト 三 電信、電話増設ニ関シ其ノ筋ニ建議スルコト ○十月二十三日事業部会〔十月二十四日神高収第八五五号申報〕 一 万治病院其他ニ目下収容シアル患者ヲ安全ナル場所ニ収容スヘク一日モ早ク之カ建物ヲ建築スルコト 二 下水排水等ノ土木工事ヲ完全ナラシムベキ様市理事者ニ建言スルコト 三 吉田町、磯子、滝頭方面ノ水道共用栓ヲ百間位ノ間ニ設置スルコト 四 運輸交通ヲ便ナラシムル為メ主務省ト交渉スルコト並ニ瓦斯ノ復旧ヲ急クコト 五 当市計画ヲ決定スル様当局ニ建言スルコト ○十月二十四日午前十時半委員長小野哲郎以下加藤、中垣、山田外数名出席港湾部会ヲ開催シ自由港問題ノ経過報告及港内掃海ノ件ニ関スル経過報告ノ後左ノ建議書ヲ内務大臣へ提出スルコトニ決ス 記 今回ノ震災ニ亜クニ這次二回ノ暴風雨ニ依リ横浜港ノ内外焼残物散乱シ之カ集取容易ナラズ為メニ港内ノ航行危険此ノ上ナク加之港内繋留浮標カ或ハ位置ノ移動ヲ生シ或ハ一部ノ破損箇所等ナキヤ私ニ憂慮罷在リ此ノ時ニ際シ万一入港船舶カ因テ事故ヲ惹起スルコトアランカ船舶其ノモノニ一大損害ヲ与フルノミナラス当港ハ国ノ内外ニ対シテ信望ヲ失ヒ当港ノ復興上至大ノ支障ヲ来スベク候今ヤ内外船舶ハ何レモ災前ノ配船復帰セントスルニ当リ港内ニ斯ク危険状態ヲ放擲スルハ一日モ堪へ能ハサル処ニ有之候ニ付至急掃海ノ方法ヲ講究ノ上一刻モ速ク掃海実行ノ儀可然御詮議ヲ得度本会ノ決議ヲ以テ此段及上申候也 横浜市復興会長 原富太郎 内務大臣宛 ○十月二十五日午後二時半ヨリ開会原会長、渡辺部長、井坂計画部長外十二名出席左記議案ヲ付議可決シテ午後四時散会セリ、而シテ鉄道及電話ニ関シテハ若尾幾太郎外五名ヲ委員ニ挙ケ政府当局ニ陳情スルコトヽセリ 一 汐止駅ヨリ本所深川工場地帯ヲ経テ総武鉄道ニ連絡スル鉄道線路新設ヲ鉄道、内務各大臣復興院総裁、県知事等ニ上申スルコト 二 瓦斯供給ノ復活ヲ計ルコトヲ横浜市長ニ申請シ専門家ノ復活工事ニ関スル意見ヲ聴取スルコト 三 消防設備ノ完全ヲ計ルコトヲ知事、市長ニ上申スルコト 四 電話至急架設ノ件ヲ逓信大臣ニ上申スルコト ○十月二十五日午後二時ヨリ貿易部会左ノ事項ヲ決議シ午後三時散会セリ 記 一 震災ニ依リ殊ニ地面低下セル山下町方面ニ焼石瓦ヲ以テ地搗ヲ為スコト 二 県庁跡へ外人ホテル建設ヲ生業部へ移牒スルコト 三 保険金ノ支払ヲ促進スル様交渉スルコト ○十月二十七日午後一時ヨリ運輸交通通信部会ヲ開会シ委員長若尾幾太郎、委員大河原、牧内、湯浅外数名出席省線電車ハ東京、蒲田間ハ十分乃至七分毎ニ発車シ居ルニ拘ラス横浜ハ二十四分置ニ発車シ居ルハ交通頻繁ナル両都市連絡上遺憾ノ点多キヲ以テ東京、蒲田間ト同様ニ発車時刻ヲ短縮スルコトヲ鉄道省ニ建議スルコト並ニ市内道路ノ破損甚シキニ付焼土其他ヲ以テ之カ修繕方ヲ市長ニ上申スルコトヲ決議シテ散会セリ ○十月二十六日午前十一時ヨリ常務委員会ヲ開キ原会長、芳賀生糸検査所長、渡辺文七外数名出席シ前日来懸案タリシ生糸検査所及生糸倉庫ノ敷地並ニ鉄道引込線等ニ関スル協議ヲ為シ緊急施設トシテ之カ設置ヲ政府ニ陳情スルコトニ決シ十月二十七日原会長、芳賀所長外数名ノ陳情委員ハ上京セル筈 ○十月二十七日午後二時ヨリ市ノ財政部会開会戸井委員長以下四名出席シ市ノ財政部ニ於ケル現在ノ資金ハ極メテ小額ニシテ最近ニ於ケル予算概要ヨリ見ルトキハ一千九百万円ノ欠陥ヲ生シ水道等ノ収入二百万円アリテ之ヲ補充スルモ尚ホ一千七百万円ノ欠陥アリ如何ニシテ之ヲ補塡スルヤニ関シ協議シ市当局ヨリ諸種ノ調査事項ノ提出ヲ求メテ善後策ヲ講スルコトニ決セルカ市財政ノ欠損状態左ノ如シ 応急施設費 横浜市ノ震災ニ伴フ応急諸設備ニ要スル予算概算左ノ如シ 役所費 一六〇、〇七一(単位円) 道路費 三六三、九三二 橋梁費 二六九、六五〇 治水堤防費 五九、〇〇〇 教育諸費 一一、二五八 小学バラック建設費 二、五四〇、六一四 商業学校同上 八〇、三二〇 衛生諸費 九七二、六〇九 庁舎バラック建設費 五五六、九五〇 社会事業費 四六〇、一五五 震災救護費 一、一一四、〇〇〇 其他 三九四、九八九 水道事業費 一、三二四、三七七 電気事業費 一、一五二、三一五 十全病院 二五四、五八五 都市計画事業費 一〇、〇〇〇 公設質舗費 一八、〇〇〇 墓地火葬場費 四〇、二六三 計九百八拾万四千八十三円ヲ要シ更ニ歳入欠損 市税収入計 三、一一九、五八五 其他収入 八、九四七、四〇五 ノ欠陥ヲ生シ其ノ欠陥歩合ハ五割七分ニ達スルカ之等ノ応急施設及不足財源ノ補充方法トシテ 事業打切及繰延 一、九六六、四三一 一般ノ整理緊縮 二二八、一八〇 歳入予算超過収入 一一五、七九六 市基本財産及積立金繰越 三、六一四、六七一 国庫補助申請願 九五、五九〇 起債 一三九、一四四 計六百十五万九千八百十二円ヲ漸ク捻出シタルモ三分ノ一ノ補充ヲモ為ス能ハス結局差引不足額一千五百七十万一千二百六十一円ニ達スト云フ (二) 県教育会復興決議 県教育会ニ於テハ震災後ニ於ケル本県教育復興問題ニ関シ十月十六日ヨリ四日間ニ亘リ総会ヲ開キ審議セル結果先ツ教育上最モ緊急ト認ムベキ左記事項ヲ決議シ之カ実現ヲ期スベク努力スルコトニ決ス 記 一 政府ニ対シ公私立学校復旧ノ為メニ国庫補助又ハ低利資金交付ノ実現ヲ期ス 二 学校並ニ教育団体ニ対スル補助金ヲ増額支給セラレムコトヲ要求スルコト 三 直チニ応急施設ヲ為シ教育上ノ欠陥ヲ救済スルコト 四 姑息ノ施設ニ甘ンセス復旧、復興ヲ促進スベキコト 五 公私立学校建築材料供給ニ就テ適切迅速ナル方法ヲ講スルコト 六 教育者ノ地位ヲ安定シ更ニ優良教員ノ招致ニ努メ以テ教育ノ能率ヲ増進スルコト 七 教員住宅ノ建設実行ヲ速進スルコト 八 一層実業教育ノ振興ヲ期スルコト 九 復興事業ノ協議会ハ教育者ヲ参加セシムルカ又ハ意見ヲ徴スルコト 一〇 郡市教育会ハ速ニ教育復興ニ関シ調査決議ヲ為シ其ノ筋ノ参考ニ供スルコト 一一 教育者ハ緊忍持久教育ノ復興ニ努力スルコト (三) 箱根復興会 同地復興会ニ於テハ其ノ後温泉村、宮ノ下富士屋ホテルニ四ケ村ノ有志会合ヲ開キ代議士森恪ヲ会長ニ推薦シ国道改修ニ要スル費用金五万円ハ低利資金ノ融通ヲ受クルコトヽシ十月十九日湯本村長菅井誠美外三名上京森代議士ノ斡旋ヲ受クルコトヽセリ (四) 湯本村土地復興資金借入運動 足柄下郡管内各町村ニ於テハ何レモ其ノ地ノ復興ヲ急キツヽアリト雖復興ノ資金之ニ伴ハサル結果具体的方針ヲ決定スルニ躊躇シ何レモ低利資金ノ借入ニ関シ苦心中ナリ (五) 鎌倉復興委員会 鎌倉復興会ニ於テハ十月二十八日午後一時ヨリ同町扇ケ谷別荘ニ各委員会合シ鎌倉地内道路三十六路線ノ拡張案ニ就キ協議シ更ニ施設事項ノ調査ニ関シテハ教育部、交通衛生部、財政経済部、保勝部ノ四部ヲ設ケ毎日曜日午後一時ヨリ開会審議スルコトニ決セリ (六) 有力外国人ノ復興計画 元横浜共同信託株式会社々長英国人ロジヤスハ震災前信託事業ヲ経営スルノ傍ラ山下町及山手町管内ニ数百ノ貸事務室及貸家ヲ所有スル等相当ノ資産勢力ヲ有シタリシモ震災ト共ニ一時神戸ニ避難シ居リタルモ十月十七日当市ニ帰来セルカ山手町ニ居宅ヲ山下町ニ貸家、貸事務室ヲ多数建設スベキ計画ヲ樹テ仍テ以テ外人実業家ノ進展ヲ図ルベク建築材料ヲ米国ニ注文シタル由ナリ (七) 復興会ノ設立 已報後設立シタル復興会左ノ如シ 記 (三) 神高秘発第九六号 大正十二年十二月二十八日 神奈川県知事 安河内麻吉 内務大臣子爵 後藤新平殿 臨時震災救護局総裁伯爵 山本権兵衛殿 社会局長官 池田宏殿 震災後ノ状況報告(続報) 震災後ノ状況ニ関シテハ屢報ノ処其後ノ状況別記ノ通リニ有之候条此段及報告候也 一 震災地ノ復旧又ハ復興状況 (一) 復興会ノ設立及其ノ事業並ニ活動状況 管下ニ於ケル罹災民ガ天災ノ戦慄ヨリ醒メテ一度廃墟ト化シタル郷土ノ復活ヲ実感シタル罹災地復興ノ気分ハ市部ヲ魁トシテ郡部之ニ随ヒ是等ノ復興事業ヲ目的トスル施設ハ復興会又ハ震災善後委員会等ノ名称ノ許ニ漸次設立セラレ十一月末日現在ニ於ケル管下ノ復興団体ハ次表ニ示ス如ク市部十四、郡部二十七団体ニ達シ市部ニ於ケル此種団体ノ事業ハ概ネ罹災市街地家屋ノ建築商工業ノ復活ヲ主眼トシ上水、下水道、電燈ノ復旧前居住民ノ復帰勧誘労働周旋等ニ向テ旧居住有力者主脳トナリ横浜市当局ト連絡ヲ採リテ夫々活動中ニアリ 郡部ニ於ケル此種団体ノ事業ハ罹災建築物ノ復興ヲ目的ノ主眼トスル点ニ於テ市部団体ト一致シ町村理事者ニ復興対策ヲ進言シ或ハ道路ノ復旧教育施設ノ復活衛生設備ノ復起窮民ノ救済電燈、電話、水道、水利ノ復活及各種産業等ノ復活並ニ建築材料ノ廉売等ニ各々不断ノ努力ヲ以テ町村当局及名誉職並ニ有力者ガ事務掌理ノ任ニ当リ市郡ヲ通シ概シテ良好ナルカ如シト雖モ未タ成績ノ見ルヘキモノナシ今之ヲ市郡別ニ概観スレハ次ノ如シ 市部復興会及事業状況表 郡部ニ於ケル復興会及事業状況表 (イ) 市部ニ於ケル復興会活動及復旧ノ状況 市部ニ於ケル重要ナル復興会ハ横浜復興会ナルカ其委員ハ市長以下県市会議員及在浜有力者実業家等二百二十六名ニシテ原富太郎主宰ノ下ニ都市計画ハ勿論商業ノ復活港湾ノ復旧、教育衛生上水、下水道電燈電話交通等震災前ニ於ケル都市ノ諸機関諸設備ノ復興ニ向テ鋭意活動ヲ続ケツヽアルモ都市計画確定セサルト復興資金ノ融通意ノ如クナラサルト他官公署ノ施設ニ俟サルヘカラサル関係上各種ノ問題又ハ事業ハ遅々トシテ進捗セス殊ニ道路下水ノ如キハ震災後殆ト復旧ニ手ヲ染ス通信機関モ公衆電話二百余口及市内自働電話若干ノ開如ヲ見タルノミニテ前途遼遠ナルカ如シ市内ノ交通機関ハ工兵隊ノ援助ト市当局トノ努力ニヨリ十一月一日ヨリ神奈川馬車道間ノ電車ノ開通ヲ為シ超テ同月二十六日全線ノ復旧ヲ見ルニ至リ市内交通上ニ多大ノ便益ヲ与ヘタリト雖モ車輛不足ニ加フルニ故障頻出シ遺憾ノ点ナキニアラス横浜市内ニ於ケル復興会ハ震火災ノ余燼未タ熄マサル九月十三日横浜市ノ中心地タル本町一丁目ニ横浜蚕糸貿易復興会ノ設立アリ次テ横浜絹業同業組合及横浜復興会ノ設立セラルヽアリ之カ為メ横浜ニ於ケル輸出貿易ニ一道ノ光明ヲ得タル市民ハ前途ニ望ミヲ抱キ輸出関係業者等先駆トナリ続々トシテ震前ノ居住地ニ復帰スルニ至レリ県市当局ハ復旧建設ヲ助成スル為メ建築材料ノ販売ヲ為シ市中ノ材木業者モ亦競テ建築用材ノ販売ニ努メタル結果罹災民ハ漸次掘立小屋又ハ収容バラックヨリ移リテ小店舗ヲ建設シ一度ハ横浜ノ廃滅ヲ懸念シ他ニ転住ヲ企図シタル罹災民モ再ヒ帰来シテ商舗ヲ開設シ又ハ旧職業ニ従事シテ生活ノ途ヲ求ムルニ至リタル結果市街道路ノ両側ニ沿ヘタル処ニハ全市各町共小店舗ノ櫛比ヲ見ルニ至レリト雖モ其建築家屋ハ詢ニ倭少ナルモノナリ而シテ十一月末日ニ於ケル同市建築物ハ次表ニ示ス如ク家屋及バラックノミニテ一万五千四百六十六棟ノ多数ニ達セリト雖モ沿道以外ノ地域ハ未タ灰燼ノ跡片ヲモ完了スルニ至ラス然リト雖殷賑ノ状ハ之等一時的ノ倭少家屋ト相対照シ恰モ殖民地ニ於ケル新開市街地ノ如キ観アルモ復興ノ気運ハ随所ニ漲ルモノアルヲ認ム以上ハ横浜市内ニ於ケル復活ノ状態ナルカ更ニ港湾復興ノ状態ヲ観ルニ大破セル西波止場ハ仮修理ヲ施シテ十一月二十二日ヨリ車馬ノ往来繋船ノ自由ヲ得テ水陸交通ノ連鎖ヲ復活シ最モ大崩壊ヲ為シ再ヒ使用ニ堪ヘサルモノト目サレタル新港岸壁ハ応急修理ニヨリテ大型汽船繋留場タル四号岸壁ヲ復活シテ繋船ニ便ニシタルモ災前二千八百五十九隻ヲ数ヘタル大小艀船カ震火災ニ依リテ約九百八十四隻ヲ失ヒタル結果運航ニ障害ヲ来シ震災直後ヨリ救恤及復興諸物資ノ入津輻輳シ船舶不足ナルニ鑑ミ当業者ハ政府ヨリ低利資金ヲ借受応急艀船ノ建造ヲナサント目下寄々協議ヲ重ネツヽアルモ之レカ実現ハ容易ナラサルモノアリテ失ヒタル艀船ノ復旧ハ実ニ困難ナルモノアルカ如ク十一月末日迄ニ新造シタル艀船ハ二隻ニ過ス而シテ船舶運航ニ最モ重大ナル関係ヲ有スル沖人夫ハ災前約四千名アリタルモノカ震災ト同時ニ其大多数ハ神戸又ハ芝浦ニ移リ残留スルモノ僅ニ一千四五百人ニ過キス当業者ハ之カ復活ニ資スル為メ目下自由労働者タリシ者約四五百人ヲ沖人夫ニ養成中ナルモ震災前ノ状態ニ復活スルニハ前途尚遼遠ナルモノアリ加之船舶荷役ニ使用スル諸器具ハ悉ク震火災ニヨリテ失ヒ之等ノ器具ニシテ内地ニ於テ調製可能ナルモノハ殆ト復旧シタルモ海外ニ需給ヲ仰ク器具ニ至リテハ資金梗塞ノ今日直チニ復活困難ナル事情アリ然レ共既ニ仮設税関倉庫二、三棟新築セラルヽアリ繋船場ノ修覆作業等アリテ之等官営事業モ亦復活ノ気運ニ向ヒツヽアリ市部ニ於ケル復興会ノ活動及復旧状況ハ如上ノ通リナルモ山下町ノ如キ被害最モ激甚ナルノ地ニ在リテハ崩壊シタル瓦石ハ今尚ホ街頭ニ散乱シ凄惨タル気分去ラサルモノアリトス (ロ) 郡部ニ於ケル復興会ノ活動及復旧ノ状況 郡部ニ於ケル復興団体ノ活動ハ主トシテ町村公営物ノ復旧ニ次テ住宅ノ建築及修覆並ニ罹災ニ依リ荒廃セムトスル農業ノ保護等ニアリト雖モ復旧資金ノ融通意ノ如クナラサルノ結果概シテ成績ノ見ルヘキモノナシ今之ヲ地方別トシテ観察スルニ左ノ如シ 横須賀三浦半島及鎌倉方面 横須賀市復興会ノ活動及復旧状況ハ他地方ト異ナリ其ノ成績着々トシテ見ルヘキモノアリ殊ニ横須賀市ニ於ケル復興会ノ努力ニ加フルニ横須賀海軍鎮守府又ハ工廠カ多大ノ援助ヲ与ヘタル為漸次市街地店舗住宅建築ノ如キ前表ニ示ス如ク十一月末日現在ニ於テ永久的家屋二百六十七棟バラツク一千八十六棟ニ達セルモ震火ニヨル被害甚大ナルノ結果未タ旧態ニ復スル能ハス同市ニ於テハ市債ノ認可ヲ得テ不動銀行ヨリ三百万円ノ借入ヲ為シ住宅店舗建設ノ貸付ヲ為サムトシツヽアリ若シ夫レ該資金ノ市債認可ヲ得テ之カ貸付ヲ為サハ復興案外速カナルヘキモノアリト認メラル 浦賀町ノ復興ハ町理事者ト地方有志トノ政治的紛争ニ禍セラレ多少遷延セルノ感ナキニアラサルモ同町ノ浦賀船渠株式会社浦賀工場ハ着々復活セムトスルノ曙光アルヲ以テ該工場ノ復活ハ同町ノ復興ニ資スル処大ナルモノアリ現在ニ於テハ各個人カ自己ノ資金ニ依リ倒潰又ハ半潰セル家屋ノ建築ニ営々タルノミナルモ同町ハ震火災ノ被害甚大ニ付復旧容易ナラサルモノト認メラル 三崎町ハ相当ノ被害ヲ蒙リタルモ火災ナカリシト被害ノ程度モ横須賀、浦賀ノ如ク甚タシカラザル為メ大部分復旧シ殆ト震前ト大差ナキニ至レリ 鎌倉町ニ於テハ復興会員主トシテ道路ノ拡張ヲ為シ鎌倉将来ノ発展ニ資セムトシツヽアリ其ノ活動モ亦見ルヘキモノナキニアラサルモ同町ノ財政敢テ富裕ナラサルヲ以テ之又其ノ目的ヲ達成スル能ハス、鎌倉町ニ於ケル家屋ノ建築状態ヲ見ルニ十一月末ノ戸数一千四百九十棟バラツク千二百九十五棟ニシテ漸次復興ノ道程ニ在リ、又一面同町復興調査委員ハ付近部落ト連絡ヲ保チ同地方名所、古刹ノ保勝ハ活動ヲ為シツヽアルモ此種ノ復旧ハ容易ナラザルモノアリト認メラル 小田原地方ニ於ケル復興会活動ノ第一歩トシテ採リタル方針ハ小店舗住宅ノ復興ニ資スル建築諸材料ノ供給斡旋ニアリシカ之レカ為メ同町建築物ノ復旧ハ他町村ニ比シ著シク進捗セルヲ認メラル永久的建築店舗及住宅並ニバラック式店舗住宅等ノ復旧案外速カナルノ状アリテ漸次災前ノ殷賑気分ニ帰ラムトシツヽアリ同町ヲ囲繞スル各村落モ倒潰シタルモノハ修覆改築ヲ施シテ復旧シ焼失シタルモノハ低利資金ヲ借受ケ住宅店舗ノ復旧ヲ計画スルモノ等アリト雖モ函根一帯ハ潰滅ト都人士モ震火災ニ依ル打撃ノ為メ殆ト来遊スルモノナク同地方一帯ハ震前ニ此シ実ニ寂莫タルヲ免レス而シテ十一月末日現在ニ於テハ小田原警察署管内ノ永久的建築家屋総計六百四十七棟ノ建設ヲ見ルニ過キス 東海道沿線及厚木、伊勢原地方ノ復興状況ヲ見ルニ復興会ハ名実相伴ハス資金モ亦欠乏シテ復旧遅々タルノ状況ニアリ僅カニ倒潰家屋ノ修覆、焼失店舗住宅ノ復旧ニ専ラ努力シタル結果漸ク前表ニ示ス如ク厚木、秦野、両警察署管下ニ於テ家屋二百五十四棟バラック三百六十一棟ノ建設ヲ了シタルノミ大磯町ノ如キハ震前公衆電話百三十八アリタルヲ百十個復旧シタルヲ最トシ罹災家屋ノ建築等ニ至リテハ僅カニ修覆ヲ以テ一時ヲ凌クカ如キ状況ニアリテ新築等ハ極メテ稀ナル状況ニアリ平塚町、茅ケ崎町、藤沢町、戸塚町等何レモ之ト大同小異ノ復旧程度ニアリテ一般ニ復活遅ク殊ニ厚木町方面ニ至リテハ復興会及罹災民ノ何レモカ主要農産品ノ販路カ震災ト同時ニ杜絶或ハ焼失シタル為メ之レカ善後策ニ多クノ日子ヲ費シ店舗住宅ノ復旧ヲ等閑ニ付シタル傾アリテ一般ニ復旧遅ク付近農村モ又之ト同一状況ヲ呈セリ 以上ハ罹災最モ激甚ナル地方ニ於ケル復興会ノ活動並ニ復活ノ状況ノ一端ナルカ是等ノ地方ニ比較シテ被害ノ軽微ナル鶴見、川崎町方面ニ至リテハ被害建築物ノ復活ハ殆ト成リ京浜罹災民ノ新転入者等アリ住宅ノ払底ヲ告ケ新築家屋ノ増加ヲ見ルニ至リ商業ノ如キ災前ヨリ活況ヲ呈シ各工場ノ如キハ別項記載ノ如ク復旧状況ヲ呈シ管下ヲ通シテ復活ノ気分最モ旺盛ナルヲ認ム而シテ市郡ヲ通シテ復活ノ状況ハ家屋ノ復旧最モ進捗シ市町村公営物、道路通信機関等之ニ次キ之等何レモ管下ヲ通シテ震災前ノ約三、四割程度ノ復活ヲ示シタルモ今後ノ復旧尚未タ容易ナラサルモノアリ (「震災状況報告」西坂勝人氏蔵) (注一・二・三)本文イの末尾にある「焼失後復旧建物調査表」は、省略。(注四)別項略。 三二二 津久井郡下災害自力復旧要請の件通牒 津勧発第八九九号 大正十二年九月二十一日 津久井郡長 各町村長殿 今回ノ震災ノ為メ生産業ニ及ホセル影響亦甚大ナルハ今更喋々ヲ要セサレドモ御承知ノ通リ震災地域ハ東京府外三県ニシテ東京横浜等ノ復興ニ関シテハ夫々政府ニ於テ配慮中ニ有之其ノ恢復モ亦速カナルハ言ヲ俟タス候又本郡重要生産業タル養蚕業ハ輸出品ニシテ織物モ亦其ノ販路全国的タル関係上其ノ影響ハ一時的ニシテ通信交通電動力ノ完備ト共ニ恢復モ速カナラント思惟候又林業畜産等ト雖モ目下罹災民ノ家屋建設並副食物ノ供給等相当需用多キモノト相認メ候ニ付販売価格等モ罹災前ヨリ低下スルカ如キコトナカルベシト被認候条速カニ民心ノ動揺ヲ静メ産業ニ従事セシメ災害ノ恢復ニ努力セラルヽ様特ニ御配意相成度此段及通牒候也 (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三二三 津久井郡下震災後の産業組合活動に関する件通牒 津勧発第九〇〇号 大正十二年九月二十一日 津久井郡長 各産業組合長殿 今回ノ震災ニ際シ各組合ハ夫々組合員ノ救済事業ノ為メ夫々活動相成居候事ト存候モ尚左記ニ拠リ今後ノ活動ヲ為シ組合員ヲシテ安心シテ産業ニ従事セシムヘク一層御配意相成度此段及通牒候也 記 一 信用兼営組合ハ罹災民ニ金融ノ便ヲ与へ家屋等ノ破損其他産業用品ノ購入等ノ資金融通ニ努メ尚余裕金ハ日用品ノ購入救済資金ノ融通ヲモ計ラレ度キコト 二 購買組合ハ食料品ノ配給ニ此際特ニ留意スルト共ニ産業用品タル肥料飼料等ノ配給ヲ潤沢ナラシムルコト (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三二四 津久井郡下災害復旧調査回答 調査要目 十月十日現在 一 個人的生活ノ復旧 復旧セリ 二 衛生機関復旧 医師、医院、産婆ハ復旧セリ 隔離病舎等ハ未ダ復旧ニ至ラズ 三 交通電信復旧 自動車、馬車、荷積車等ノ交通ハ道路応急修理ノ結果通シ居ルモ未ダ復旧セルモノニ非ズ 電信電話ハ近距離丈ケ通ズルモ遠距離ハ通ゼズ 〔八王子東京上野原〕 〔警察電話不通ナリ〕 四 教育ノ復旧 復旧セリ 五 金融機関ノ復旧 本郡ノ金融機関トシテハ神奈川県農工銀行出張所一ケ所アリ復旧セリ 六 警察力ノ復旧 七 軍隊ト地方官民トノ関係 円滑ナリ 八 各地方ノ労働者ハ何様ナ仕事ヲナシ居ルヤ 尚一日ノ賃金何程ヲ得ルヤ 道路、家屋、復旧修理及建築材料ノ伐出運搬ニ従事シツヽアリ 賃金ハ一 普通人夫金一円七十銭 一 大工金二円五十銭 一 左官金二円五十銭 一 石積工金二円八十銭 現況実査ノ上当分ノ労銀ハ右記ノ標準ヲ超過セサルコトヽセリ運賃ハ震災前ノ通リ 九 各商店ノ販売物品ニテ贅沢品ヲ売出シ居ルヤ否ヤ 贅沢品ト認ムベキモノ販売セル模様ナシ (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) (注)「以上ノ通リ警察署ニ於テ標準ヲ協定セリ」が削除され「現況実査云々」以下に改められている。 三二五 震災による公民権喪失者救済に関する往復文書(一-二) (一) 号外 大正十二年九月十八日 内務部長 各郡市長殿 市町村税ノ免除ニ関スル件 今回ノ震災ニ因リ免税ヲ為ス市町村ニ於テ之カ為公民権ノ喪失ニ伴ヒ町村長、助役、府県会議員、市町村会議員等ノ失職スル者多数アルニ於テハ免税ノ為ニ失格セシメサル規定ヲ設クル必要可有之趣ヲ以テ其ノ筋ヨリ申越候条貴郡内ニ於テ該当ノモノ有之候ハヽ町村別ニ公民権ヲ失フ者ノ該数及之カ為失職スル者ノ該数御調査ノ上折返御回報相成度 (二) 津庶収第一、一〇二号 大正十二年九月廿一日 郡長 内務部長 市町村税ノ免除ニ関スル件 九月十八日号外ヲ以テ御照会相成候町村税ヲ免税ノ為メ公民権ノ喪失ニ伴ヒ失職スル町村長助役府県会議員等調査候処別紙ノ通ニ有之候也 (別紙) 記 (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三二六 津久井郡下県税等徴収期限に関する件通知伺(一-二) (一) 津財収第三二七号 大正十二年九月二十六日 津久井郡長 町村長殿 県税徴収期限ノ件 本年度後半年度分郡部県税地租割、戸数割、家屋税、営業税及雑種税徴収期限ヲ震災被害ノ状況ニ依リ十三年一月末日迄ノ間ニ於テ郡長之ヲ定ムル事ニ不日公布可相成趣ニ候処右ハ今回ノ非常災害ノ為納税者ノ負担及市町村当務者ノ事務繁劇ヲ考察シ特ニ徴収期限ヲ延期相成義ニ付追テ実情ニ鑑ミ適当ノ時期ヲ決定可致右ニ御了知相成度 (二) 内発第三三九号 大正十二年九月廿七日 内郷村長(印) 津久井郡長殿 村税戸数割付加税及後半年度分県税徴収ニ関スル伺 来十月ハ本年度後半年度分県税徴収期ニ有之候ニ就テハ戸数割賦課方法等村会ノ決議及其他夫々徴収上ノ準備ヲ要シ候ニ付為念左記ノ事項承知致度候間何分ノ義御回示相煩度此段相伺候也 一 本年度後半年度分県税ハ今回ノ震災ノ為メ徴収延期等ノコトハ可無之哉否哉右ハ規定ノ通徴収セラルヽモノト心得可然哉 二 万一徴収延期ニ相成候場合ニ在リテハ当村村税戸数割付加税ノ賦課徴収期限ハ左記ノ通村会決議ニ有之候得共右ハ本税タル後半年度分戸数割ガ未ダ徴収セラレザルニ依リ止ムヲ得ズ前半年度分戸数割ニ賦課スベキ義ナルヤ 当村村税賦課徴収期限抜抄 四 戸数割付加税ハ本年度課率ニ依リ県税戸数割前半年度分ニ対スル六倍四分ヲ六月末日限リ、県税戸数割後半年度分ニ対スル三倍ヲ十月末日限リ、同三倍ヲ十一月末日限リ之ヲ賦課徴収ス (津久井郡役所「庶務回議」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三二七 町村財源補充方法に関する鎌倉郡長の意見上申書 内務省町村課津谷属ニ提出ノモノ 不足財源ノ補充方法ニ関スル意見 郡内各町村ヲ通シ戸数一万弐千三百四十二戸ノ内八千六百九十四戸ハ倒壊一千十九戸ハ焼失ノ厄ニ遭ヒ一般町村民ノ困憊其ノ極ニ達シ震災後既ニ五旬ニ垂ントスルノ今日尚未タ雨露ヲ凌クヘキバラツクサへ建ツルコト能ハサル窮民不尠状態ニシテ町村費歳入総額ノ七割以上ヲ占ムル町村税ハ前半年度分ヲ賦課徴収セシモ今回ノ震災ノ為町村民心ハ非常ニ荒ミ後半年度ハ一部ヲ除キ大部分徴収ノ見込立タス一般町村経済ニ極度ノ緊縮、事業ノ打切、基本財産ノ繰入充用ヲ行ヒ歳入出ノ均衡ヲ図ラムトスルモ各町村ヲ通シ尚二十九万二千七十五円ハ他ニ収入ノ途ヲ講セサルヘカラサルノ有様ニシテ今日ノ場合国家ノ御援助ヲ仰キ長期無利子ヲ以テ之カ歳入ノ欠陥ヲ塡補セサレハ町村自治行政ハ一時停止セサルヘカラサルノ境遇ニ陥ルヤモ不計実ニ憂慮ニ堪ヘサル次第ニ有之候前陳ノ事情御諒察相成度意見上申候也 大正十二年十月十九日 鎌倉郡長茂義孫 (鎌倉郡役所「震災庶務書類」(大正一二年)神奈川県庁蔵) 三二八 橘樹郡町村長会における郡長演述要旨 郡長演述要旨 (大正十二年十月十六日町村長会ニ於テ) 大震災後〓ニ各位ノ会同ヲ煩ハシ所見ヲ披瀝シ並ニ各位ノ意ノアルトコロヲ聞キ相共ニ町村財政其ノ他復興ニ付各般ニ渉リ適応ノ策ヲ講セントス 客月一日ノ激震ハ其震動極メテ峻烈ニシテ家屋ノ倒潰算ナク其惨害区域一府四県ニ渉リ殊ニ東京、横浜、横須賀、小田原、厚木、鎌倉、浦賀、秦野等ノ如キ同時ニ火災起リ殆ント全市町ヲ焦土ト化セシメ死傷亦夥ク倍々其惨害ヲ大ナラシメタリ本郡町村ノ被害亦頗ル甚大ニシテ家屋ノ全潰六千二百六十三戸、半潰九千八百十一戸半焼四戸死者一千七十七人傷者一千六百七十九人行方不明者四十一人ヲ数へ小学校舎ノ倒潰四十八棟半潰二十九棟ヲ算シ又難ヲ避ケテ郡内各町村ニ居ヲ移シタル者一時ハ八万余人ニ達シ漸次退減現在二万三千五人ニ及ブ洵ニ稀有ノ惨状ヲ極メタリ火災ハ一ニ工場ニ起リタル外夫々之レカ防止ニ努メ大事ニ至ラスシテ其被害ノ増大ヲ来サザリシハ洵ニ不幸中ノ幸ナリキ通信交通機関一時不通トナリ又流言蜚語盛ニ伝ハリ加フルニ糧食欠之シ人心恟々トシテ不安ノ念絶ヘサリシニ九月二日東京府ニ三日神奈川県ニ戒厳令ヲ施行セラレ郡マタ上司ノ命ヲ受ケテ非常徴発令ニ基キ徴発ヲ執行シ又本県ヨリ交付ヲ受ケテ焚出或ハ糧食ノ配給其他救恤ニ関シ各位ト共ニ臨機ノ方法ニ依リ焦眉ノ急ニ処シタリ九月十二日大詔煥発セラレテヨリ漸次人心ノ安定ヲ見ルニ至レルハ国家ノタメ各位ト共ニ深ク慶賀スルトコロトスコノ非常災害ニアタリ各位ハ激震後直ニ吏員ヲ督励シ区長区長代理者、或ハ町村会議員、小学校職員或ハ大字総代或ハ青年団、在郷軍人分会、町村内篤志者等協力ノ下ニ罹災者ノ救護、焚出、糧食ノ配給、死傷者医療手当、被害調査等ニ尽瘁セラレ殊ニ東京、横浜両市ノ罹災者ハ一時難ヲ避クル為メ昼夜ノ別ナク国道ハ云フニ及ハス鉄道線路、京浜電気鉄道線路等ヲ往来スルモノ算ナク何レモ徒歩ニシテ且飲食スルニ由ナク疲労困憊スル者頗ル多シ此際ニアタリ沿道ノ町ニ於テハ焚出又ハ湯茶ヲ給シ或ハ休泊セシムル等応急ノ措置ヲ為シ或ハ小学校舎倒潰ノ処理、水道、道路堤防ノ応急修理又ハ日用必需ノ諸物資並ニ建築材料ノ買付等ニ至ル迄指導監督東奔西走不眠不休不断ノ努力ヲ以テコノ難局ニ処シ其職責ヲ全フセラレタルハ実ニ感謝ニタエサルナリ コノ非常ノ秋ニアタリ共ニ郡、町、村、行政ノ職ニアリ心身緊張発奮努力一同幸ニ健在ナルハ洵ニ同慶トスルトコロナリ コノ非常変災ニ基ク公私ノ損害莫大ニシテコレカ復興ニ関シテハ各位ノ夙ニ遂行シ或ハ実施中ノモノ又ハ研究考慮中ニ属スルモノ尠ラス其ノ苦心誠ニ察スルニ余リアリ殊ニ町村ノ財政ニ至リテハ歳入ニ著シキ減額ヲ来シ之ニ亜クニ焦眉ノ急ヲ要スル費用亦極メテ多シ之レカ経理ニ関シテハ整理緊縮ノ方法ヲ講シ能ク事業施設ノ緩急要否ヲ稽査シ中止或ハ繰延得ヘキモノハ努メテ之ヲ断行シ町村税負担能力ノ如何起債ノ適否等ヲ考慮シ自力不能ノ程度ヲ精覈シ之レカ対策ヲ講スル等一段ノ努力ヲ致サレムコトヲ望ム 此ノ非常変災後ニ処スルノ道固ヨリ一ナラスト雖モ大ニ人心ノ帰趨ヲ新ニシ自奮自励自力ニ信頼スルノ精神ヲ発揮シ恪勤力行盛ニ活力ヲ積ミ鋭意力ヲ恢興ニ致シ一層節約ト勤労ノ美風ヲ勧奨シ以テ民力涵養ノ実ヲ挙クルニ努メラレンコトヲ望ム 本郡ノ地勢東京横浜二大都市ノ近距離間ニ介在ス両都市ノ復興計画如何ハ其影響決シテ尠少ナラスト信ス各位ハ思ヲ〓ニ潜メ此ノ国家非常ノ秋ニアタリ慎重ナル考慮ノ下ニ最善ノ方策ヲ講シ町村自治発展上遣憾ナカラシムルタメ格段ノ努力ヲ望ム 以上震災後ニ於ケル措置ニ対シ所見ノ一端ヲ述ヘタリ其ノ他ノ事項ニ付テハ別ニ項ヲ別チ協議スルトコロアルベキヲ以テ刻下ノ環境ニ順応シタル措置ニ出ラレンコトヲ望ム (「震災関係書類」(大正一二年―)飯田助丸氏蔵) 三二九 全国町村長会宣言 宣言 這般ノ大震災ハ有史以来未曽有ノ大惨事ニ属シ実ニ人生ノ不幸ヲ極メタリ其ノ罹災者ノ直接ニ受ケタル災害ノ甚大ナルハ勿論延ヒテ国家社会ニ及ホセルノ影響亦鮮少ナリトセス今ヤ帝国ハ此ノ国難ニ遭遇シ是カ善処ノ途ニ対シテ挙国焦心維レ日モ足ラサルノ状ニ在リ国家基礎団体ノ職ニ任スル吾人ハ深ク相戒シメ鋭意発奮克ク禍ヲ転シテ福ト為スノ計ヲ策シ此ノ機会ヲ善用シテ百般ノ人事宜シク更革ヲ加へ以テ克ク復興ノ大業ヲ成就シ益々国運ノ発展ヲ促進セシムル所ナカルヘカラス殊ニ国家治政上ニ於テハ最モ深ク意ヲ〓ニ致シ敢然庶政ノ釐革ヲ断行シ民心ヲ一洗シ治国ノ要道ニ一新紀元ヲ画スルノ途ニ出ツヘキナリ 顧フニ明治新政ノ方針確定シ明法治国ノ要義ニ基キ立法ノ業漸ク整フト共ニ地方制度ヲ施行セルハ国家ノ振興上固ヨリ如斯アラサルヘカラサルニ因レルナリ然ルニ爾来数十年国政ハ却テ中央集権ニ傾キ地方自治政治ニ分任セラルル所寧ロ縮少セルノ感アリ地方振興ノ実ヲ挙ケ得サルノミナラス国民ハ其ノ滋繁迂遠ノ政治ニ厭キ国運ノ進歩亦是カ為メニ阻害セラルヽヲ見ルハ甚遺憾トスル所ナリ 根本的行政整理ヲ断行シ税制ヲ整理スルノ急要ナルハ本会年来ノ主張ニシテ災後ノ今日ハ愈々其ノ急要ヲ感ス地方自治権ヲ尊重シ政務分任ノ範囲ヲ拡張シテ行政ノ簡捷ヲ図リ特ニ都市ノ施設ノミニ偏傾シテ地方振興ノ施設ヲ閑却セルハ此際ニ処シ最モ革正セサルヘカラス地方自治行政ノ範囲ヲ拡張スルト共ニ曩ニ主張セル地租営業税委譲ノ如キ或ハ今日ノ場合国庫ノ急迫ニ処センカ為メ急速之ヲ施行スルコト能ハサルヘシト雖近キ将来ニ於テ必ス之ヲ実現スルノ計ヲ定ムルノ要アリ都市復興ノ急ナル何人モ異議ヲ挾ム所ニアラスト雖モ地方ノ資力ヲ都市ニノミ集中シ之カ為メ地方ノ財源ヲ涸渇セシメ生産力ヲ阻害シ地方経済ヲ乱スカ如キ挙ニ出ツルハ決シテ国家ノ基礎ヲ安泰ナラシムル所以ニアラス宜シク都鄙相俟ツテ国富ノ充実ヲ期スヘキナリ若シ夫レ復興費ノ財源ニ対シ内国債募集ノ如キ地方民力ノ困憊セル今日ニ於テ地方行政ノ振興ヲ顧慮セスシテ之ヲ行ハント欲スルモ事容易ノ業ニアラサルヲ憂フ 更ニ吾人ハ震災ノ跡ニ徴シ又是ニ伴フテ現レタル事実ニ鑑ミ戦慄ヲ禁スル能ハサルモノアリ此際国民思想ヲ善導シ其ノ軽躁ヲ誡メ以テ思慮ノ重ンスヘキヲ教訓スルハ最モ急務ナルヲ感ス彼ノ英国ニ在リテハ大戦酣ナルノ時ニ於テ義務教育年限ヲ延長シ補習教育ヲ義務制トナセリ国家危急ノ場合ニ処シ尚且ツ教育ノ振興ヲ急務トスル大国民ノ襟度ハ当ニ如斯ナラサルヘカラス 如今宜シク国民教育ノ向上発展ヲ策シ青年教育ノ普及ヲ講シ以テ国礎ノ鞏固ヲ図リ社会ノ安寧ヲ維持スルコトニ力ヲ効スヘキナリ 経済生活ノ改善ヲ要スルハ一ニ旧来馴致シ来レル陋習ヲ打破スルニアリ災前ニ於ケル我国民生活ノ状態ヲ回顧スルニ奢侈淫蕩漸ク風ヲ為シ寒心ニ堪ヘサルモノアリ之ヲ日常ノ生活ニ見ルニ其ノ贅費ノ多キ其ノ行動ノ規律アラサルコト恐クハ文明諸国中多ク其ノ比ヲ見サラン国民ノ驕逸荒怠ヲ誡メ其ノ反省ヲ促シ真摯質実ノ美風ヲ助長スルハ此ノ時局ニ処スル為政上ノ喫緊要務タルヘキヲ信ス 本会ハ災後ニ善処センカ為メ特ニ臨時総会ヲ開キ〓ニ其ノ所信ヲ天下ニ宣明シ挙国一致之カ貫徹ヲ期セントス 右宣言ス 大正十二年十一月八日 全国町村長会 (「神奈川県全国町村長会書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三三〇 神奈川県町村長会決議(一-二) (一) 決議 一 大正十二年九月一日以後ニ付課セラルベキ大正十二年度及大正十三年度国県税ノ全部ヲ免除セラレタキコト 二 大正十二年九月一日以後付課スベキ大正十二年度及大正十三年度国県税付加税全部徴収不能ニ基ク町村税ノ欠陥ヲ国庫ニ於テ負担セラレタキコト 三 小学校費土木費等公共団体ノ経営ニ属スル施設ノ復旧費ハ国庫ヨリ交付セラレタキコト 四 政府ハ速ニ低利資金ヲ以テ罹災地ノ住宅建設及産業商工業ノ復旧ニ要スル資金ノ融通ヲ計ラレタキコト 五 労働賃金ノ標準ヲ一般ニ周知セシメ之レカ徹底的取締ヲセラレタキコト 六 今回ノ震災救護方法ハ中央ニ重キヲ置キ地方ヲ閑却セラレタル憾アリ相当考慮セラレン事ヲ望ム 七 農産物及肥料ノ運輸ノ途ヲ速ニ開カレンコトヲ望ム (注)西坂勝人「震災状況報告書」によるとこの決議は十月九日、藤沢町役場で町村長会幹事会によっておこなわれた。 (二) 決議 一 中央集権ノ弊ヲ矯正シ地方自治権ヲ拡張シ以テ国家ノ堅実ナル発達ヲ期スルコト 二 根本的ニ行政及ヒ軍制整理ヲ断行シテ経費ヲ節減スルコト 三 税制ヲ整理シ国民負担ノ均衡ト軽減ヲ図リ地租及ヒ営業税ハ必ス之ヲ地方ニ委譲スルコト 四 災害地復旧ニ意ヲ用フルト共ニ地方振興ニ対シテハ一層ノ力ヲ尽スコト 五 大正十二年勅令第四一七号中穀類並乳製品ノ輸入税免除ヲ速ニ撤廃スルコト 六 郵便貯金簡易生命保険資金等ハ力メテ之ヲ地方ニ融通スルコト七 市町村吏員ハ其ノ関係区域内ニ於テモ国道府県会議員ノ被選挙権ヲ有セシムルコト 八 衆議院議員ノ配当ハ郡市均等ノ人口ヲ以テ標準ト為スコト 九 震災ニ伴ヒ現レタル事実ニ鑑ミ国民思想ノ善導ヲ図ルハ最モ急務ナルヲ感ス宜シク国民教育ノ向上発展ヲ図リ特ニ青年教育ノ為メニ力ヲ効スヘキコト 以上 (「神奈川県全国町村長会書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三三一 橘樹郡町村長会決議 大正十二年十月十六日橘樹郡町村長会決議 一 大正十二年九月一日以后ニ賦課セラルヘキ大正十二年度及大正十三年度国県税ノ全部ヲ免除セラレタキコト 二 大正十二年九月一日以后賦課スヘキ大正十二年度及大正十三年度国県税付加税全部徴収不能ニ基ク町村税ノ欠陥ヲ国庫ニ於テ負担セラレタキコト 三 小学校費、土木費等公共団体ノ経営ニ属スル施設ノ復旧費ハ国庫ヨリ交付セラレタキコト 四 政府ハ速ニ低利資金ヲ以テ罹災地ノ住宅建設及産業商工業ノ復旧ニ要スル資金ノ融通ヲ計ラレタキコト 五 労働賃金ノ標準ヲ一般ニ周知セシメ之カ徹底的取締ヲセラレタキコト 六 今回ノ震災救護方法ハ中央ニ重キヲ置キ地方ヲ閑却セラレタル憾アリ相当考慮セラレムコトヲ望ム 七 農産物及肥料ノ運輸ノ途ヲ速ニ開カレンコトヲ望ム (飯田助丸氏蔵) (注)この決議は神奈川県村長会決議と同文である。 三三二 神奈川県町村長会決議にたいする政友会森恪の返書 全国町村長会長金子角之助殿 衆議院議員 森恪 大正十二年十一月卅日 拝啓 去ル二十二日神奈川県政友会支部ニ御来訪被下全国町村長会神奈川県町村会幹部トシテ御決議ヲ御示シ相成小生ノ賛同ヲ御求メ相成候ニ就テハ御決議ノ次第並ニ御希望ノ内容ヲ帯シ小生ニ於テ左ノ如キ行動ヲ起シ申候 即チ御希望ノ目的ヲ達成スルニハ議会ニ於テ予算及法令ノ改廃決議ニ依ルベキモノト信ジ候ニ付キ先ヅ衆議院ノ絶対多数党タル政友会ノ議ヲ決スルガ第一要議ニ有之政友会ハ対議会ノ方針ヲ樹ツル為メ政務調査会ニ特別委員ヲ設ケ小生モ其委員ニ選定サレ候ニ就テ昨廿九日ノ同委員会ニ貴会ノ御決議ノ精神ヲ帯シ充分主張力説シ政府ガ災害ノ善後策ニツキ都会地ニ厚クシテ兎角地方ニ薄キヲ以テ左ノ如ク調査綱目ヲ立テ之レガ矯弊ヲ為サントスルコトニ決議相成申候 政友会財政経済特別委員会決定調査項目 第一震災地域復興施設ニ関スル件 一 産業復興ニ関スル施設 一 農産物其他ノ地方生産品及ビ肥料其他生産ニ必要ナル物資ノ運輸配給ニ関スル件 〔註〕右ハ町村長会ノ決議第七ニ該当スルモノニ候 一 国家ノ施設ニ係ル営造物復旧ニ関スル件 一 公共団体ノ施設ニ係ル営造物復旧助成ニ関スル件 〔註〕右二項ハ町村長会ノ決議第三ニ該当スルモノニ候 一 公共団体ノ負担補助ニ関スル件 一 道路、橋梁、河川、堤防ノ復旧ニ関スル件 〔註〕右二項ハ町村長会議ノ第二ニ該当スルモノニ候 一 耕地山林ノ復旧ニ関スル件 一 工場、住宅、店舗等ノ建設助成ニ関スル件 〔註〕右ハ町村長会ノ決議第四ニ該当スルモノニ候 一 震災地国県税減免ニ関スル件 〔註〕右ハ町村長会ノ決義第一ニ該当スルモノニ候 一 火災保険ニ関スル件 一 東京横浜復興計画是レニ伴フ予算及ビ財源 一 復興院予算 右ノ通リニ有之政友会ハ之レヨリ進ンデ党議ヲ確定シ議会ニ於テ自然貴会ノ御決議ニヨル御希望ノ達成ニ進ムコトノ相成可申小生ハ又タ充分御尽力可致覚悟ニ御座候左様御了承被下猶貴下ヨリ各町村長ニ御伝へ被下度右過日ノ御会見ニ対スル御答旁々申上候 敬具 (「神奈川県全国町村長会書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三三三 神奈川県町村長会の決議請願運動に関する会長の状況報告 拝啓寒威益々相加候処各位益々御健勝自治躰の為慶賀の至りに御座候陳者本会臨時大会の決議実現を期せん為去る二十六日金子〔久良岐〕、小林、遠藤〔都筑〕、川辺、金谷、安西、長谷川、後藤、田野倉、遠藤〔上郡〕等諸幹事と共に県会議員控室に集合同議事堂に於て郡部県会議員諸君に会見し決議実行に対して助力を懇請し猶安河内長官にも面会其助力を願ひ申候翌日は前記諸幹事と共に上京致し内務大蔵両省総理大臣官邸等を訪問し災後善処の方法として決議七項を陳情仕り更に革新倶楽部憲政会政友会を訪問各幹部に応援助力を懇請仕候其後新聞紙の報導によれは小泉代議士は憲政会政務調査会に本会大会の決議事項を報告せられ努力せらるゝとの事に御座候又森代議士より熱誠なる書状に接し申候要するに今後吾人の奔走努力は勿論必要に候得共天下の大政党たる政友会と憲政会の応援同情を得ば其実現を期することを確く相信し申候政府当路者に於ても過般本会役員両度上京中大蔵大臣主税局長内務省地方局長町村課長農商務次官農務局長等に面陳頗る同情ある御語を得しは誠に本会の多とする所又本県会郡部議員諸氏が本会と其見を同ふし建議案を可決し其筋に禀請せられたるは一層の力添へられたる事と感謝の次第に御座候今後尚一段の御協力御尽瘁を得度爰に森恪氏来信の写を添へ御報告旁々得貴意候 十二月四日 神奈川県町村長会長 金子角之助 町長殿 村長殿 (「神奈川県全国町村長会書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) (注)前掲三三二。 三三四 罹災地町村への国庫融資促進方心得に関する神奈川県町村長会長の通知 大正十二年十二月二十六日 神奈川県町村長会長 各町村長殿 上級庁ヨリノ照会事項ニ対スル心得ノ件 本月廿二日幹事会ノ決議ニ基キ震火災ニ因ル町村歳入欠陥国庫補給ノ件ニ付上京菅沼、川辺、遠藤、長谷川ノ四委員ト共ニ政府当局ニ陳情請願仕リ候処国庫補給ニ関シテハ未タ成案ナキモ内務省ニ於テハ本年度町村歳入欠陥補塡ニ充当スル為罹災地町村ニ対スル融通資金参千八百万円ノ支出ヲ大蔵省ニ要求相成候処大蔵省ノ査定ニ依リ結局千五百万円以内ヲ年度内償還ノ条件ヲ以テ預金部ヨリ融通スル事ニ決定致居候へ共之カ分配ニ付テハ罹災各府県ニ照会セル調査資料纒マラサル為未タ罹災各府県ニ対スル分配額ニ付テハ確定ニ至ラサル旨内示有之候之畢竟スルニ上級庁ヨリ照会セラレタル調査事項ニ対スル回答順次遅延シ又ハ調査杜撰ニシテ徒ニ照復ニ時日ヲ要スルカ如キ向尠カラサルニ基因スルモノ多キ結果ト存セラレ候 最近県郡ヲ経テ照会セラレタル市町村財政ニ関スル件及震災復旧費調ノ如キ前記融資額分配ニ関スル資料ニシテ正確且迅速ヲ要スルモノナルニ拘ハラス今尚再調ノ為中央ニ進達スルニ至ラサル趣ニテ年度内今ヤ数月ヲ余スニ過キス町村ノ不利不尠ハ甚遺憾ノ義ト存候就テハ今回ノ調査事項ハ勿論将来斯カル事項ニ対スル調査ハ御同様最正確且迅速ニ調査ヲ遂ケ再調ヲ命セラルヽカ如キ事無之様致度今回陳情ノ結果特ニ其ノ必要ヲ痛感致候ニ付御心得ノ為此段申進候也 (「復興関係書類」飯田助丸氏蔵) 三三五 震災応急資金国庫補助に関する中郡町村長会の陳情 震災応急資金国庫補給方ノ義ニ付陳情 震災応急資金国庫補給方ノ義ニ付テハ曩ニ関係各府県町村長会ヨリ各被害地ノ実情ニ基キ陳情ノ次第モ有之候処今猶御許容ヲ得サルノミナラス其ノ償還方ニ関シ再応指示相受候段小職等ノ意外トスル所ニ有之候現下ニ於ケル経済界殊ニ震災地一帯ニ渉ル商工業ノ不振農家ノ疲弊困憊ハ全ク其極ニ達シ更ニ逐日深刻化シツヽアルノ実情ニ稽へ町村ニ於テハ極度ニ財政ヲ整理緊縮シ以テ諸税負担ノ軽減ヲ図ランコトニ鞠躬致居候へ共半面町村ノ現状タルヤ教育衛生将タ土木事業等緊急差措ク可ラサルノ施設事業年ト共ニ滋キヲ加ヘサナキダニ悲境ヲ辿ル震災地町村ノ財政ハ窮乏益々甚シク容易ニ是ガ経理ノ方途立チ難ク全ク困惑詮方ナク此ノ際ニ於テ到底該借入金償還ノ法ヲ講スル余地無キノ実情ニ有之候殊ニ該借入金ハ震災直後当局ニ於テ其ノ惨況ニ深ク同情ヲ寄セラレ善後処分トシテ応急施設費又ハ歳入欠陥補塡費トシテ交付セラレタル特別ノ取扱ニ係ルモノニシテ其ノ態様ニ於テハ借入金ナルモ其ノ実質タルヤ応急救済費ニ外ナラザレバ将来冥々ノ裡無償処理セラルヽモノト信セシメタル当時ノ実情ニモ有之候条其ノ間ノ事情御洞察ノ上該借入金ハ全部是ヲ国庫補給相成候様特別ノ御高慮相仰キ度本郡町村長会ノ決議ヲ以テ及陳情候也 昭和五年七月日 神奈川県中郡町村長連署 (「神奈川県全国町村長会書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三三六 足柄下郡小田原町の震災借入金国庫補給期成同盟会脱会通知 拝啓 酷暑ノ折柄益々御清祥ノ段奉賀候陳者今回神奈川県震災借入金免除並国庫補給期成同盟会組織相成候処当町ハ都合ニ依リ脱会致候間御諒承被成下度此段御通知候也 昭和五年八月十三日 神奈川県足柄下郡小田原町長 中田寿一郎(印) (「神奈川県全国町村長会書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三三七 橘樹郡大綱村の復興関係書類(一-七) (一) 綱発第一四九号 大正十二年十月四日 大綱村長代理 助役 黒川新太郎(印) 議員 飯田助夫殿 本村復興協議ニ関スル件 来ル十月六日午后一時当役場ニ於テ左記ノ件協議致度候条万障御繰合御出席相成度此段及通知候也 記 一 本村小学校舎営繕ニ関スル件 其他村治ニ関スル件 (二) 村会議員及区長協議会 一 開会ノ時 大正十二年拾月六日午后二時 二 会場 大綱村役場 三 出席員左ノ如シ (イ) 村会議員 拾名 峯岸新助、岩岡昌司、椎橋仁助、礎部桑五郎、鈴木寅蔵、横溝董次郎、松阪彦八、富川喜代八、竹生源蔵、飯田助夫 (ロ) 区長 六名 増田八十吉、金子半次郎、小泉金作、松坂彦八、座間宗助、小泉辰雄 四 協議事項左ノ如シ 震災ニ依ル各小学校復興ノ件左ノ如シ (イ) 此ノ際村経済ヲ重シテ一村一校トシテ二部教授ヲ施行スルコト但シ尋常校区域ニ於テハ特ニ従来通学ノ関係アリ部落ノ協議ヲ纒メテ拾日迄ニ村当局者ニ申出ツルコト (ロ) 各校トモ教授ヲ開始スルトセハ尋常校ハ篠原東亜ベルベツトヲ借受テ〔四間ニ弐拾間ノ工場アリ〕教授開始ノコト (ハ) 倒潰シタル教室ハ早速青年団員ノ手ニ依リ整理ヲシタキコト団長ニ相談ノ筈、但シ鳶人夫ヲ使用スルモノトス (ニ) 修理費ハ公債ニ依ルトシテ低利資金ヲ所用金額丈ケ融通セラルヽヤウ其筋ニ申請スルコト 右之通 (三) 大綱尋常校部内意見 椎橋氏口述 震災ニ罹リ全潰シタル尋常校部内ニ於テハ昨九日篠原八幡社境内ニテ協議会ヲ開キ其ノ結果此ノ場合村経済ヲ重シテ一ケ所ニテ教授ヲ取ル方針トシ、白幡坊ケ谷方面ノ児童ノ為メニ一二学年ノ分教場ヲ設クルコト其ノ場所ハ通学区域ノ便宜ノ位置ニ置クコト兎ニ角不取敢一時児童ヲ収容スル場所ノ選定ヲナスコト 右大正十二年十月十日午前中本村役場へ出頭セラレタル椎橋仁助氏及堀江校長ノ口述 飯田助夫 (四) 拝啓未曽有の大震災に対しては謹んで御見舞申上候就ては今回の震災に依り本郡内に於ける小学校舎の倒潰せしもの拾数校に及ひ御同様関係町村として之れか応急策に付て焦心苦慮罷在候へ共此際各個人の損失も多大にあり所謂資力欠乏の折柄之れか復興は仲々の難事業にあり且つ関係町村の大部分は学校建設の為に公債を起して未た償還中にあり旁以て今後に処する善後策としては低利資金の融通若しくは罹災地として特別補助等の途を辿り度随て関係町村は協議の上一致の歩調を以て其筋に陳情致し度右御同意被下候ハヽ左記事項御承知を煩はし度此段得貴意候 敬具 記 一 小学校舎倒潰営繕費の見込額を集会当日迄ニ調査シ置ク事 二 集会の日時及会場は川崎町長より追て通知を乞ふ事 以上 大正十二年十月七日 大綱村役場ニ於て 飯田助夫 各町村長殿 (欄外注記)川崎、保土ケ谷、大綱、田島、潮田、大師、御幸、高津、橘、住吉、外ニ郡視学 (五) 綱発第一七五号 大正十二年十一月十二日 大綱村長 飯田助夫(印) 村会議員飯田助夫殿 来ル本月十六日午後一時ヨリ本村役場ニ於テ左記ノ件議定ノ為メ村会ヲ招集候条定刻迄ニ参着セラレ度此段及告知候也 記 一 議案村第二〇号 大正十二年度後半年度県税戸数割大綱村賦課方法ノ件 一 其他協議事項 大綱村会々議録 一 開会ノ時 大正十二年十一月十六日午后二時 二 閉会ノ時 同年同月同日同五時 三 会場 大綱村役場 四 議案左ノ如シ 第二十号 大正十二年度後半年度県税戸数割賦課方法 第二十一号 本村収入役代理推薦ノ件 五 出席議員九名左ノ如シ 第一番 荻原幸太郎 第三番 鈴木寅蔵 第六番 富川喜代八 第九番 磯部桑五郎 第十番 吉田三郎兵衛 第十二番 飯田助夫 第十三番 松阪彦八 第十六番 岩岡昌司 第十七番 臼井義久 六会議 午后二時一同着席大綱村長飯田助夫開会ヲ宣シ且ツ曰ク前会ニ於テ不肖本村長ニ再選十月十日就職セリ爾今一層ノ御同情ヲ希フ就テハ有史以来ノ大震災ニ就テハ本村ハ郡下町村中災害ノ程度ニ於テ南部町村ニ亜クノ惨状ヲ呈ス当時村治上諸般ノ事務ニ就テハ各位ノ御後援ト役場吏員一同ノ協力奔命ノ結果何等ノ支障ヲ来タサヾリシコトヲ深ク感謝スル所ナリ殊ニ本村未曽有ノ伝染病蔓延ヲ告ケタルハ頗ル遺憾トス今ヤ本村ハ之等ノ善後策ニ就キ特別ノ考慮ヲ要スルノ秋ナリ宜敷各位ノ御援助ヲ仰ク次第ナリト述へ直チニ議長席ニ着キ之ヨリ第二十号議案ヲ付議スル旨ヲ告ケ第一次会ヲ開キ書記ヲシテ議案ヲ朗読セシム第十番議員ヨリ徴収ノ点ニツキ質問アリ議長ハ本県税ノ執行ニ付テハ来ル臨時県会ニ付議セラレ全潰者ノ減免税等ハ追テ決定セラルヽ筈ナル旨ヲ答へ尚ホ同議員ヨリ付加税タル村税ニ対シ本税ノ減免ニ伴フ処理ハ他町村ノ状況ヲ参酌シテ村長ニ於テ適当ト認メラルヽ所ニ於テ決定セラレムコトヲ希望スル旨ヲ述へ議長ハ斯ク取リ計ヒ差支ナキヤヲ議場ニ諮リ満場一致之レニ同意アリ議長採決ノ結果総起立ニ依リ原案ノ通リ次ニ第二次会ヲ開キ議長ヨリ第三次会ヲ省略シテ差支ナキヤヲ議場ニ諮リ満場ノ同意ヲ得採決ノ結果総起立ニ依リ原案ノ通リ可決決定セリ 次ニ第二十一号議案本村収入役代理推薦ノ件ヲ付議シ議長ヨリ町村制第八十条第二項ニ基キ収入役故障アルトキ之ヲ代理スベキ吏員トシテ適任ニ付キ推薦セル旨ヲ述へ第一次会ヲ開キ議長採決ノ結果数次会ヲ省略シテ総起立ニ依リ原案ノ通リ可決ス〓ニ於テ議長ハ前例ニ依リ会議録署名人トシテ第六番、第九番、第拾番各議員ヲ指名シ決議事項トシテ前収入役故吉原愛之助ニ対スル吊慰文及吊慰金額ハ村長ノ適当ト認ムル所ニ於テ処理スルトシ閉会ヲ宣ス 右会議ノ正確ヲ証スル為メ〓ニ署名ス 大正十二年十一月十六日 議長大綱村長 会議録署名人 (六) 一 恩賜金伝達式挨拶 今回ノ大震災ハ一府四県ニ渉リ物質上ノ損害及精神上其ノ文化ニ及ホス打撃ノ非常ナルモノアリ東京ノ如キハ安政ノ地震ト明暦ノ大火トカ一時ニ起リタル如シト云ヒ得ルモ横浜方面ハ五十年前ノ横浜村以下ナリ殊ニ本県下ガ震源地テアル丈ニ最モ惨害ヲ逞フスルモノアリ本郡ハ其ノ被害北部ニ軽ク南部ニ重キ感アリ全郡ヲ通シテ家屋ノ全潰六千二百六十三戸半潰九千八百十一戸全焼一、半焼四戸死者一千七十七人傷者一千六百七十七人行衛不明者四十一人ヲ数へ小学校舎ノ倒潰四十八棟半潰二十九棟ヲ算シ当時本郡へ難ヲ避ケタルモノ一時ハ八万余人ニ達ス本村ニ於テハ全潰八十六戸半潰百十六戸死亡四人傷者五人最モ被害ノ大ナルハ大綱尋常小学校及大綱尋常高等小学校ノ倒潰トス本村ハ被害ノ程度ニ於テ八、九位ニアリ当時我皇室ニ於カセラレテハ非常ニ御憂慮遊サレ御内帑金一千万円ヲ御下賜ニナリマシテ罹災民ヲ賑恤セラレタノデアリマス 其ノ内本郡内ニハ拾万一千六百八十四円ヲ本村ヘハ一千二百三十六円ヲ分配下賜セラレタノデアリマス各大別トスレハ全潰樽、南綱島、篠原トシ半潰篠原、白幡、太尾トシ死亡南綱島トス御下賜金ノ内容ハ全潰八円、半潰四円、死亡十六円、負傷四円トス之レガ使途ニ就テハ詔書ノ御趣意ニ依リ精神修養ニ資スルナリ御下賜金ガ能キ記念トナルベキヤウ私ヨリ御使用ヲ願ヒ度ノデアリマス拝復 恩賜金之一条事実詳具セラレ正式御申請被下候ハ相当手続相運ヒ可申候御返事まて 早々敬具 大正十二年十二月二十一日 伊東郡長(印) 飯田大綱村長殿 (欄外注記) 本郡 御下賜金十万一千六百八十四円 全潰五、二四五半潰 九、二九五 全焼一 死亡七、〇六〇 負傷一、二六一 行方不明三三 (七) 綱発第二二四号 大正十二年十二月二十六日 大綱村長(印) 第区長殿 村税戸数割還付ニ関スル件 今回住宅全潰罹災者ニ対シ県税戸数割半減ニ相成候ニツキ付加税タル村税戸数割モ同様半減致スベク候ニ付別紙氏名欄ノ下へ調印ノ上御還付相成度及依頼候也 追テ未ダ納入無之者ニハ此際至急納付致スベキ様御取計被下度 (「財務調査大綱村分関係書類」(大正一二年)飯田助丸氏蔵) 三三八 神奈川県震災誌編纂に関する調査の件依頼 参考 大正十四年一月八日 地方課長(印) 各郡市長殿 神奈川県震災誌編纂資料ノ件 標記資料蒐集ニ付テハ過般本県嘱託員巡回之際御依頼致置候筈ノ処当課主管ニ属スル左記調査事項大至急御調ノ上御回送相煩度願上候追而右ハ特急必要ニ付調査済ノ分ヨリ逐次御回送相成本月二十日頃迄ニハ是非共全部ノ御送付ヲ願度候ニ付右御含ノ上宜敷御取計相成様特ニ申添候也 記 一 市町村ノ財政ニ如何ナル影響ヲ及ホシタリヤ及財政整理ニ就イテノ措置等 二 震災ニ際シテ郡市役所トシテノ活動状況 三 市町村トシテノ活動状況 四 復興計画ノ概要 (三浦郡役所「庶務書類」(大正一四年)神奈川県庁蔵) 三三九 神奈川県震災誌編纂資料三浦郡関係分の報告 (一) 三収甲第一一二号宛名地方課長署名郡長 大正十四年三月九日起案大正十四年三月九日施行 郡長代理(印) 合議(印) 主任(印) 神奈川県震災誌編纂資料ノ件 一月八日付ヲ以テ標記資料提出方御照会ノ趣了承別記ノ通及御送付候 追テ別記以外ノ事項ハ尚調査中ニ付近日御送付可致候条御了知相成度申添候 (別記) 一 市町村ノ財政ニ如何ナル影響ヲ及ボシタリヤ及財政整理ニ就イテノ措置等 大正十二年ノ大震災ハ九月一日ナリシヲ以テ漸ク年度半ニ達セシ時ナリ故ニ各町村共其ノ財政状態ハ将ニ第二期町村税ノ徴収ヲ以テ後半年度ノ経理ヲ処理セントスルノ秋ニ当リ而モ所得税付加税ノ如キ本月ヲ以テ何レモ徴収期トナセルモノ賦課令書スラ発セズ且ツ第一期賦課町村税ノ徴収整理モ未ダ充分ナラサルモノアリ為ニ何レモ在庫金極メテ手薄ニシテ経常支出ニ係ル俸給給料ノ支払ニモ大ナル支障ヲ生シタルモノアリ尚震災直後ニ当ル第二期町村税ノ多クハ十月徴収期ナリシモ災後ノ関係上之ヲ徴収スルコト能ハサリシヲ以テ十、十一、十二月ノ交ニ及ンデ町村財政ノ窮迫一層ノ極ニ達シ之ヲ一時借入金ニ依リ処置セントスルモ銀行等モ平時ノ営業状態ヲ持続セルニアラズ僅ニ国庫ヨリ一般経費ニ対スル一時ノ貸付金ニ依リ辛フシテ支弁セルモノアル等全ク異状ノ窮境ニ陥リタルモノ蓋シ空前ノ事ナルベシ 而シテ当時ノ財政上ニ受ケタル影響ヲ概括セバ三浦郡十三ケ町村ノ歳入総額金八十三万九千八百五十三円ノ内最初ノ歳入欠陥見積額ハ実ニ拾弐万余円ニシテ之等ハ極力経費ノ節約事業ノ打切中止等ヲ為シ一面借入金ヲ以テ支弁スルコトニ努メ来リ大正十三年一月ニ入リ町村税ノ第二期ヲ徴収シ得ルニ及ンデ歳入欠陥ハ当初ノ見積程ニアラサリシ結果幾分緩和ヲ見タルモ尚逼迫ノ状態ハ尋常ニアラズ又小学校々舎役場庁舎ノ被害ニ対スル応急措置ニ要スル経費ノ少カラサルモノアリ大正十二年度ニ於テ左記ノ通国庫貸付金ヲ県ヨリ転貸ヲ受ケ一面町村ノ基本財産現金及積立金ヲ為シ得ル限リ運用シ以テ一時ノ急ヲ補ヒタリ 一般経費支弁ノ為ニスル一時借入金 八ケ町村 金参万二千円 小学校応急施設費資金トシテ十一ケ町村 金弐拾四万五千円 小学校以外ノ応急施設費資金トシテ 九ケ町村 金六万二千九百円 小学校以外ノ応急施設費及復旧費ノ一部並歳入欠陥補顚資金トシテ 九ケ町村 金五万円 大正十三年度ハ各町村共財政ノ整理緊縮方針ヲ採リ一般経費ヲ節約シ以テ住民災後負担力ノ均衝ヲ顧慮シ一面適当ノ資金ヲ求メテ復旧ヲ図ルノ計画ヲ進ムルニ努メタルモ被害極メテ甚大ニシテ其ノ結果左ノ通町村基本財産及積立金ノ現金ヲ運用シ経費ノ節約ヲ図リテ資金ヲ捻出スルモ爾余ノ不足額ハ到底町村自力ヲ以テ適当ナル資金ヲ得ルハ困難ナル事情アリ之ニ対シ更ニ国庫貸付金ノ転貸ヲ受クルコトニ決定シ夫々計画ヲ定メ着々復旧施設実施ニ当リツヽアリ 学校復旧施設ニ要スル経費金七十三万八千百十五円 右ニ対シ国庫貸付金ノ転貸ヲ受クル額 金五十五万六千七百円 学校以外ノ復旧施設ニ要スル経費 金三十三万四十二円 右ニ対シ国庫貸付金ノ転貸ヲ受クル額 金拾弐万壱千円 而シテ本件災害ニ依ル道路橋梁ノ復旧等土木工事ニ対シ其ノ工費ノ大部分ヲ国庫ヨリ補助金トシテ交付セラルヽハ町村財政窮迫ノ折柄復旧施設上誠ニ大ナル幸福ト謂フヲ得ベシ 二 震災ニ際シテ郡役所トシテノ活動状況 1 震災直後ニ於ケル活動状況 一 震災当日庁員一同庁舎外ニ避難シ庁舎ハ幸ニ倒潰ヲ免レタルヲ以テ一名ノ死傷者モ生セサリシハ幸福ナリキ 一 庁舎所在地横須賀市内ニハ倒潰家屋頗ル多ク大震後直チニ庁舎付近ヨリモ出火シタルニ付庁員一同防火ト書類ノ搬出トニ努メタルモ風向宜敷カリシヲ以テ幸ヒ類焼ノ厄ヲ免レ午後五時頃鎮火セリ当日市内数ケ所ニ火災起リ混乱其ノ極ニ達セリ 一 田浦町ヨリ救護医員派遣方ニ付吏員来庁セルモ通信杜絶且ツ大混乱ノ際ニシテ如何トモスルコトヲ得ズ辛フジテ陸軍衛戌病院ノ看護長以下二名ノ出張ヲ斡旋セリ 一 九月二日郡長以下一同登庁先ヅ以テ郡内ノ被害状況ヲ調査スルコトヽシ左ノ方面ニ吏員ヲ派遣シタリ 浦賀町、久里浜村、北下浦村、南下浦村、三崎町、初声村ニ吏員二名 衣笠村、武山村、長井村ニ 同一名 西浦村、葉山村、逗子町、田浦町ニ 同二名 同日郡長ハ浦賀町ノ被害状況視察ノタメ出張シ其ノ他各町村ノ状況ヲ綜合シ被害頗ル甚大ニシテ将ニ食糧ノ飢饑ニ瀕セルヲ認メ浦賀町ヨリ帰来直ニ横須賀鎮守府ニ至リ海軍在庫米等食糧供給ノコトニ付協商ヲ遂ケタリ 一 九月三日一般通信施設杜絶ニ付当分ノ内各町村ヘノ通信ヲ左記方法ニ依ルコトヽ定メ其ノ旨各町村ニ通達シ災後第一回ノ通信ヲ発シタリ且ツ通信発送ニ際シテハ震災被害ノ概況其ノ他ノ情報ヲ知リ得ル限リ町村ニ通報シタリ 郡役所ヨリ各町村ヘノ通信ハ左ノ通区分差立ツルコト 1 浦賀町、久里浜村、北下浦村、南下浦村、三崎町ヲ一区トシ浦賀町ニ差立 2 衣笠村、武山村、長井村、初声村ヲ一区トシ衣笠村ニ差立 3 葉山村、西浦村、逗子町、田浦町ヲ一区トシ葉山村ニ差立 最初到達ノ役場ヨリ順次同区間先方ノ町村分ヲ一括シ逓次急速送達スルモノトス但シ葉山村ニ於テハ西浦村、逗子町、両方面へ逓送ノコト而シテ本送達ニ要スル人夫ヲ得ル能ハサルヲ以郡役所ヨリノ送達ハ吏員之ニ当リ町村ニ於テハ青年会員等ノ之ニ従事セルモノアリ 同日米麦粟等食糧節約甘藷馬鈴薯ノ代用食奨励ヲ為シ食糧自給自足ノ永続ニ努メ場合ニヨリテハ町村内ノ米麦在庫高ヲ調査シ町村ニ統一方町村長ニ通達ス又同日庁内ニ左ノ係ヲ設ケ全吏員ヲシテ夫々担任従事セシムルコトヽセリ 庶務係、外部交渉係、救護係、学校ニ関スル係、食糧需給関係係、通信係 一 九月四日各町村ヨリ吏員続々来庁町村内食糧欠乏ヲ訴へ供給配慮方申出ニ付在米調査ノ為メ浦賀町方面ニ吏員ヲ出張セシメ且ツ各町村ニ対シ町村制第百六条ニ依リ左ノ方法ヲ以テ食糧ノ需給ヲ町村ニ於テ統轄シ極力自給自足ニ努メシムルコトニ訓令ヲ発シタリ (イ) 警察官吏、町村吏員、議員区長等ヲ委員トシテ自家用二十日分ヲ除キテ其ノ他ノ在米ハ商家、農家ノ区別無ク全部ヲ町村ニ収用スルコト (ロ) 町村ニ統一シタル米ハ町村ニ於テ配給ヲ掌リ住民ノ需給関係ヲ円滑平衡ナラシムルコト (ハ) 極力代用食ヲ奨励スルコト 而シテ一人一日ノ消費量標準ヲ米三合ト定メ食糧自給終期ノ見込ヲ定メ報告スルコトヽセリ 同日汽船ヲ艤シ静岡県下ニ吏員ヲ出張セシメ米ノ買入ヲ為サントセシモ汽船用石炭ヲ得ルニ由ナク中止スルノ止ムナキニ至レリ 一 九月五日迄海陸ノ交通杜絶シ居リシモ本日始メテ駆逐艦ニ便乗横浜市ニ至ルノ便ヲ得タルヲ以テ郡長ハ之ニ便乗県庁ニ出張郡内罹災ノ状況ヲ報告シ且ツ救護事務執行ニ関シ指示及戒厳令発布ノ通達ヲ受ケ即日帰庁シタリ 又九月三日横須賀市及三浦郡ニ戒厳令適用司令官ノ職務ハ横須賀鎮守府司令長官之ヲ行フ旨発布セラレタル件当該鎮守府ヨリ通達ヲ受ケ之ヲ郡内各町村ニ通牒シタリ 一 九月六日横須賀戒厳地区ニ関スル事務分担及戒厳地区ヲ左ノ通同司令部ニ於テ定メラレ各地区ニ指揮官ヲ出張セシメラルニ付之ニ応シ庁員ノ事務分掌ヲ左ノ各係ニ変更シ夫々活動セシムルコトヽセリ 庶務、食糧、建築、衛生、被服、燃料、運輸交通労務、其他八係 戒厳地区左ノ如クニシテ之ニ吏員一名若クハ二名ヲ出張セシメタリ 横須賀戒厳地区〔横須賀市、衣笠村、武山村、西浦村〕 事務所 横須賀鎮守府内 逗子同 〔逗子町、田浦町、葉山村〕〃逗子町 浦賀同 〔浦賀町、久里浜村、北下浦村〕〃浦賀町 三崎同 〔初声村、長井村、三崎町、南下浦村〕〃三崎町 摂政殿下御内帑金壱千万円御下賜ノ旨及内閣総理大臣ヨリ告諭ヲ発セラレタ件本日各町村ニ通達シタリ 本日一般食糧用トシテ外米壱千袋ヲ本県ヨリ配給ヲ受ケタルヲ以テ浦賀港ヨリ汽船ヲ仕立テ吏員二名乗船人夫二十名引率引船ヲ為シ出張ノ上即日積込ヲ了シ浦賀港ニ帰着セリ一面本件外米ヲ最モ食糧ニ欠乏セル町村ニ配給方ノ手配セリ 一 九月七日前日輸送シタル外米ヲ浦賀港ニ於テ各必要ノ町村ニ配給ヲ開始シタリ 非常徴発令及関係法令公布ノ件ヲ本日各町村ニ通達シ同八日曩ニ訓令セル食糧収用ニ関スル件ハ非常徴発令ノ公布ニ依リ施行シタルモノトスルノ件及爾来必要ナル徴発施行ニ関スル意見申出方併セテ通達ヲ為シタリ 一 九月九日暴利取締令治安維持令支払延期令公布ノ件町村ニ通達セリ 本日更ニ吏員ヲ県庁ニ出張セシメ米及食塩配給方ニ付打合ヲ遂ケシメ外米二千袋食塩千弐百俵ノ配給決定ヲ受ケ帰庁シ直チニ引取方法及配給手配等前例ニ依リ処理セリ 一 九月十日学校教育ノ応急措置ニ付遺漏ナキヲ期スヘキ旨各学校長ニ通達シタリ 一 九月十一日県配給ノ外米輸送ニ関シ汽船ノ配備意ノ如クナ ラズ依テ戒厳司令官ニ交渉シ駆逐艦ヲ以テ輸送ヲ乞フコトニ協定同艦四隻ヲ派遣セラレ之ニ吏員便乗引取ヲ了シ各町村ニ配給ノ手配セリ 同日戒厳司令部ニ於テ各地寄贈品ノ郡市配分割合ヲ左通協定セリ 米麦 郡市折半配分ノコト 其他ノ物品 郡三分市七分ニ配分ノコト 一 九月十二日台湾官民ノ寄贈ニ係ル台湾米三百七十五俵ノ配付ヲ戒厳司令部ヨリ受ケ浦賀町逗子町ニハ駆逐艦ヲ以テ輸送ヲ委託シ田浦町ハ町ヨリ出張現品ヲ引取ラシメタリ同時ニ戒厳司令部ニ交渉シ海軍貯蔵ノ獣肉ヲ副食物トシテ共ニ配給ヲ受ケ必要町村ニ送付シタリ本日頃ヨリ町村トノ往復漸次頻繁ヲ加へ書面ノ往復又増加スルニ至リタリ又京都府其ノ他ノ寄贈品台湾官民ノ寄贈品等漸次入荷シ之カ配分ヲ受ケ各町村ノ罹災程度ヲ斟酌シ夫々配給高ヲ定メ町村ヲシテ引取リノ上可成速ニ罹災者ニ交付スルノ方法ヲ講セシムルコトニ定メ之ガ引取リ配給等ニ漸次繁劇ヲ加フルニ至レリ 一 九月十三日震災後第一回ノ町村長会ヲ開会シ食糧配給ニ関スル件施米ニ関スル件、罹災救助ニ関スル件ヲ指示シ罹災者ノ救助ニ関スル協議打合ヲ遂ケタリ而シテ本日ヨリ資力アルモノニハ食糧施与ヲ廃シ可成購売セシムルコトノ方針ヲ以テスルコトヽセラレタルヲ以テ右ニ依リ施行方協定セリ 自後食糧其他ノ日用品配給及寄贈品受領等ノ用務漸次増加シ其ノ都度吏員ヲ県庁ニ出張セシメ或ハ戒厳司令部ヨリ配分ノ寄贈品運搬ノ為メ益々繁劇ヲ加へ加之横浜市ヨリハ陸上輸送到底不可能ナルヲ以テ何時ト雖モ海路船便ニ依ルコトヽシタリ当時海上風浪高ク舟運非常ニ困難ナル場合多々アリシモ吏員ハ刻苦励精毎時能ク其ノ任務ニ服シタリ 2 九月中旬以後ニ於ケル活動状況 一 漸次配給品及寄贈品ノ配分ヲ受クルニ及ヒ之ガ受渡ニハ何時ト雖モ吏員出張現品ヲ受領シ輸送ニ従ヒ一旦横須賀ニ陸揚ノ上配給決定方法ニ依リ夫々町村ニ配分ヲ掌リタリ之ガ為メ吏員ヲ出張セシメタルコト数フヘカラス而モ其ノ積込輸送陸揚等ニハ非常ナル苦心ノ存スルモノアリシモ孜々トシテ励精倦ムコトナク又其ノ配分ハ公平ヲ旨トシ適当ナリシヲ以テ町村及一般罹災民ヨリ些ノ怨嗟ノ声ヲ聞カサリシハ吏員精励ノ結果ト謂フヲ得ヘシ 一 寄贈品ハ前記県及戒厳司令部配分以外関西府県連合寄贈ニ係ル遼東丸積載慰問品ノ直接寄贈ヲ受ケ吏員ヲ碇泊地東京芝浦ニ出張セシメ之ヲ横須賀軍港ニ回航シ横須賀市ト配分受領ノ上各町村ニ配給セリ 一 災後日ヲ経ルニ従ヒ罹災者ハ仮建築ニ着手スル者漸ク多キモ之ニ使用スヘキ亜鉛板釘等ノ材料欠乏且ツ町村ノ営造物応急修築ニモ困難ヲ来シ之等材料ノ斡旋方申出ツル向頻ニシテ且ツ其ノ急務ナルヲ認メ戒厳司令部ニ交渉シ亜鉛板壱万枚及釘百樽ノ有償配給ヲ受ケ尚県ニ請求シテ鉄板ノ配給ヲ受ケ之ヲ町村ニ配分シタルモ需要ノ少部分ヲ充タスニ過キズ依テ十月上旬吏員二名ヲ大阪市ニ出張セシメ同地ニ於テ亜鉛板五万四千枚及釘百六十五樽ヲ買付ケ戒厳司令部ニ交渉許可ヲ受ケ軍艦阿蘇同地回航ノ際積込輸送方ヲ依託シ同月十五日横須賀軍港ニ到着セルヲ以テ之ヲ各町村ノ必要ニ応シ配分シ以テ需要ノ大部分ヲ充足スルヲ得タリ 其後大阪市、当業者ニ交渉ノ上横須賀市ニ出張販売ヲ開始セシメ主トシテ郡役所斡旋ノ下ニ販売ヲ為シ需給者共ニ遺憾ナキヲ得タリ 一 建築材料トシテハ亜鉛板及鉄板塗料トシテハ「コールタール」ノ供給ヲ必要ト認メ東京電燈株式会社横須賀出張所ニ交渉シ同所ヨリ取纒メ廉価供給ヲ受ケ一般ニ有償配給スルコトヽシ石油空罐ノ蒐集ヨリ詰込発送ニ至ル迄郡役所之ヲ斡旋シ総計六百四十罐ヲ頗ル有利ニ供給ヲ為シタリ 其ノ外「セメント」ノ必要ニ迫ラレタルヲ以テ当時神奈川県三崎築港事務所ニ貯蔵セラレアリシ分千三百三十袋ノ一時貸与ヲ受ケ之ヲ需要者ニ供給シ後現品移入シ得ラルヽニ至リ現物ヲ以テ返却シタリ之ニ関スル一切ノ斡旋ハ主トシテ郡役所ノ掌リシ処ナリ 一 食糧ノ供給ハ最初徴発ニ依リタルモノ及県ヨリ配給ヲ受ケタルモノヲ以テシタルモ当時恰モ端境期ニ属シ殊ニ三浦郡産米ハ消費量ノ約三割ニ過キサルヲ以テ在庫米極メテ少ナク依テ海軍ノ貯蔵米及政府貯蔵米ノ払下ヲ受クルコトヽシ農商務省食糧局ハ横須賀市ニ出張所ヲ設置セラレ郡市長ヲ払受人トシテ受渡ヲ為シ以テ食糧需給ノ円滑ヲ期シタリ 以上ノ外大正十二年十二月末日迄ハ徴発事務慰問寄贈等ノ配給品受渡事務、罹災状況ノ調査、学校被害調査及応急措置町村ノ財政調査及応急処置恩賜金ノ配分ニ関スル事務、耕地ノ被害調査及善後措置、漁業上ニ受ケタル被害調査並ニ善後措置、震災地人口調査事務ノ為メ頗ル繁忙ヲ極メ吏員一同早出晩退日曜休日ヲ廃シ或ハ徹宵事務ニ従ヒタル事例等不尠而モ十一月末迄ハ屋外天幕張ニ於テ執務シ雨露ニ侵サレ其ノ困難名状スベカラザルモノアリシモ一同頗ル励精救護及応急措置ヲシテ遺憾ナカラシメタリ大正十三年ニ入リテモ引続キ前記事務ノ継続施行並ニ町村応急施設ニ関スル資金ノ起債等直接震災ノ措置ニ関スル事務不尠モノアリタルモ終始一貫寝食ヲ忘レ犠牲的精神ヲ以テ勤務セリ (二) 三収甲第一一二号 宛名 地方課長 署名郡長 郡長(印) 合議(印) 主任(印) 大正十四年四月二十日起案 大正十四年四月二日施行 神奈川県震災誌編纂資料ノ件 一月八日付御照会標記之件曩ニ一部及送付置候ニ付テハ尚別記ノ通取調候条及御送付候 追テ各町村別活動状況ハ近日御送付可致候条御了承相成度申添候(別記) 三 町村トシテノ活動状況 当時町村トシテノ活動ハ大体郡役所ノ例ニ準シ先ツ以テ住民ノ救護殊ニ傷病者ノ救療死体ノ発掘倒潰家屋ノ取片付及引起シ仮小屋建築等ノ為メ消防組、在郷軍人分会及青年団員ヲ指導シテ一致団結活動セシメ或ハ避難所ヲ設ケ或ハ救療所ヲ設置シ遺憾ナキニ努メタリ特ニ大震直後一般交通機関破壊セラレ道路ハ崩壊或ハ崖崩ノ為埋没シ徒歩頗ル困難ヲ極メ行手ノ不安図リ知ルヲ得ザルモノアリ且ツ余震頻々トシテ至リ横須賀市内ハ火災各所ニ起リ郡役所付近ニ於テモ列風ニ炎々タル火焰ノ盛ニ上リツヽアリ人心恟々タルノ時ニ於テ負傷者ノ救療ニ関スル用務ヲ以テ急遽郡役所へ吏員ヲ特派シ打合ヲ遂ケシメタル等住民救護ノ為メ真ニ犠牲的精神ヲ以テ活動シタルモノアル等特筆スヘキモノアリ 大震災当日ハ各町村共吏員全部ヲ挙ケ救護処置ニ関スル協議ヲ遂ゲ深更或ハ徹宵ニ及ビタル向アリ各町村共食糧供給ノコトガ撃テ大問題ナルニ期セズシテ一致シ翌日ヨリ吏員ヲ部内ニ分派シ米麦等食糧ノ在庫高調査ヲ行ヒ之レガ供給ノ円滑ヲ図ルベク調査計画ヲ進メタリ又一面各部落ニ就キ被害状況ヲ調査シ之レガ善後措置ニ関スル対策ヲ構ズルコトヽセリ 此ノ時ニ当リ郡長ノ米穀収用ニ関スル訓令ニ接シ直チニ収用ヲ開始シ其ノ供給ヲ町村ニ統一シ災後移入ノ期ノ図リ知ルベカラザルヲ以テ一定ノ給与量ヲ最少限度ニ定メテ供給ヲ為シ努メテ持久ノ策ヲ採ルコトヽシタリ爾来引続キ郡長ノ徴発事務ヲ補助シ徴発ニ依ル食糧及副食物ノ配給ヲ受ケ順次海軍官庁及県ヨリノ配給食糧等ヲ受ケ之ヲ一般住民ニ適当ニ給与シ以テ食糧ノ欠乏ニ処シ遺憾ナカラシメタリ 食糧配給ノ外電燈消滅ニ依リ燈火用トシテ蠟燭石油マツチ等ノ配給ヲ併セ行ヒ臨機応急ノ処置ヲ講シタルハ勿論日ヲ経ルニ随ヒ震災救護事務局ヨリノ配給救護品及ビ各地寄贈ノ慰問品等ノ配分ヲ郡役所ヨリ受ケ之ヲ自町村ニ運搬ノ上一般罹災者並ニ避難者ニ普ク公平ニ配給ヲ行ヒタリ之等配給品ノ運搬ニ関シテハ道路橋梁ノ破壊甚ダシク或ハ陸路交通杜絶セル個所アルヲ以テ海路運搬等ヲ行ヒタル等非常ナル困難ノ伴ヘルモノアルモ吏員一同能ク艱難ヲ排シテ殆ント人夫ト撰フナキ行動ニ従ヒ敏速処置シタリ 町村吏員ハ以上配給事務ニ従事スルノ外被害ノ精査其他救護事務ニ忙殺セラレ全半潰家屋ノ応急措置ニ関シテハ到底之ニ手ヲ下スノ余裕ナキヲ以テ亜鉛板、釘、「コールタール」、「セメント」等ノ建築材料ハ必要数量ヲ取纒メ郡役所斡旋ノ下ニ供給ヲ受ケ之ヲ需用者ニ配布シ消防組員、在郷軍人分会員、青年団員等ヲシテ倒潰家屋ノ応急処置ニ援助ヲ与ヘシメ且ツ隣保相互扶助ノ方法ヲ採ラシメ復旧ヲ図ラシメタリ而シテ漸次人心ノ安定ヲ見ルニ至リ各自業務ヲ励スベク指導ヲ加へ救護事務等モ除々ニ整理スルノ方針ヲ採リ又一面ニハ恩賜金ノ伝達、震災地人口調査、教育上ノ応急施設、道路橋梁ノ応急修理等直接震災ニ基ク諸般ノ調査及処置ニ従ヒ何レモ日夜寝食ヲ忘レテ努力シタリ以下各町村別ニ其ノ活動ノ概況ヲ掲クヘシ各町村活動状況別紙ヲ以テ別ニ提出可致 四 復興計画ノ概要 震災ニ依リ被害ヲ受ケタルモノヽ内最モ復旧ヲ急トシタルモノヲ小学校ノ設備充実トシタリコハ大正十二年度ニ於テ政府ノ低利資金ノ貸付ヲ受ケ応急措置ヲ施シ大正十三年度以降更ニ復旧資金ノ貸付ヲ受ケ復旧工事ヲ執行シツヽアリテ其ノ建築等ハ努メテ質実堅牢ヲ旨トシ華ヲ避ケツヽアリ教育施設ニ亜テハ道路橋梁ノ復旧ヲ取急キ其ノ個所ニ随ヒ国庫又ハ県ノ補助ヲ受ケ或ハ町村独力ヲ以テ工事ヲ起シ目下着々施工中ナリ道路ニ就テハ此ノ機ヲ利用シ幅員拡張ヲ行ハントスルモノアリ之等ハ県ト協商ヲ遂ゲ計画ヲ確立シ順次施工セント定メツヽアリ一般住宅ノ復旧ニ関シテハ低利資金融通ノ途ヲ斡旋シ又ハ町村自ラ住宅建築ヲ行ハント計画中ノモノアリ或ハ住宅組合設立ヲ奨励シツヽアルモノアリ商工業復興ニ就テハ信用組合ヲ興シ低利資金融通ノ途ヲ開キ斡旋大ニ努メツヽアリ 以上ノ外町村ノ公営物等ノ復旧ニ関シテハ華美虚飾ヲ避ケ質実ナル施設ヲ施シ以テ旧態ニ復スルト共ニ一般民衆ニ対シ範ヲ垂ルヽコトヽシツヽアリ (注)一、二は省略。 (三) 三収第一六七号 宛名地方課長 署名郡長 郡長(印) 合議(印) 主任(印) 大正十四年五月廿八日起案大正十四年五月廿八日施行 神奈川県震災誌編纂資料ノ件 本年三月九日付及四月二十日付三収甲第一一二号ヲ以テ標記資料及御送付置候処尚各町村別活動状況別紙ノ通ニ有之候条及御送付候 追テ右ニテ全部ノ資料送付済ニ有之候条申添候 (別紙) 三浦郡田浦町震災誌編纂資料 大正十二年九月一日ノ震災ハ関東一帯ニ亘リ前古未曽有ト称セラレタル被害大ナルモノニシテ本町ノ被害亦著シク家屋ノ被害全倒潰三百五十四戸半倒潰六百四十三戸ナリ 災害ニ面シ住民一般ノ注意周倒ナリシ為メ火災ノ厄ヲ免レタルハ不幸中ノ幸ナリトス 震災勃発直後死傷者ノ多数ナルヲ認メ先以テ本町ノ中枢地タル船越区景徳寺内ニ救護所ヲ設ケ医師吉田武諒氏専ラ之レガ任ニ当リ一方町内開業医ニ対シ吏員ヲ派シ傷病者ノ応急ノ診療ニ従事スベキ旨ヲ托ス 右救護所及一般開業医ニ於テ取扱ヒタル死傷病者数左ノ如シ 一 死亡者 九十二名 一 負傷者 三百三十八名 一 病者 八十六名 一方吏員ヲ町内各区ニ派シ被害ノ状況ヲ調査セシムルト同時ニ各区長ニ臨機応急ノ処置ヲ以テ住民ノ救護方ヲ命ジ尚前記船越区景徳寺内ニ食料供給所ヲ設ケ炊出シヲ開始セリ 消防組員ハ非常召集ノ上埋没死傷者ノ発掘ニ従事シ同時ニ町内ノ安寧維持ノ為メ消防組員、在郷軍人会員、青年団員ハ昼夜警護ニ従事スルコト数ケ月ノ久シキニ亘レリ為メニ一般ノ安全ヲ期シ得タリ 翌朝ニ至リ被害ノ状況ヲ郡長ニ報告スルト共ニ左ノ如ク救護方法ヲ定ム 一 死傷病者ノ応急処置 一 食料ノ需供 一 非常警戒 一 交通応急整理 一 民心ノ安静 傷病者ノ救護ハ前記救護所ニ於テ引続キ従事セシメ一方海軍ノ援助ヲ得水雷学校、横須賀防備隊各医室ヲ一般ニ開放シ応急診療ニ従事シタリ 食料ノ需供ハ交通機関ノ途絶ト共ニ民心ノ尤モ脅威ヲ来シタル処ニシテ本町ハ先以テ前記炊出シヲナスト共ニ之レガ供給ノ途ヲ講ゼサルベカラザルヲ以テ町内ノ在庫米ヲ調査セシニ町人口ヲ以テスルトキハ僅々一両日ヲ維持スルニ足ラザル数量ナルヲ以テ〓ニ於テ食料欠乏ヲ告グル結果トシテ之レニ依ル民心ノ動揺、犯罪ノ譲成ヲ恐レ極力食料節約ヲ宣伝スルト共ニ急拠区長ヲ召集シ協議ノ上米麦ノ均等配分ヲ開始セリ 役場庁舎及各小学校々舎ノ大部分ハ何レモ倒潰セルヲ以テ役場ハ海軍共済組合第二号館ヲ借受ケ之レニ於テ事務ヲ開始シ小学校ハ臨時不定期休業スルノ止ムナキニ至レリ 安寧秩序ヲ保持スル上ニ於テ三日戒厳令ヲ布カル 食料ハ刻々ニ不足ヲ告グルニ至レルヲ以テ在庫米穀ノ買占メ隠匿ヲ防止スルト共ニ均等配分ニ依リ需用時間ノ延長ヲ計ル為メ戒厳司令官ノ命ノ下ニ在庫米穀ノ全部ヲ徴発シ之レヲ戸口ヲ標準トスル均等分配ヲナセリ 之レヨリ先海軍ノ援助ヲ受ケ米穀其他食料品ノ配給ヲ受ケ尚県、郡、ヲ通ジ救護品ノ引続キ到達ヲ見ルニ及ビ食料ニ関スル安定ヲ得為之人心ノ動揺集合的攪乱等ヲ惹起スル如キコトナキヲ得タリ 小学校ハ倒潰校舎ヲ急拠取片付クルト同時ニ授業開始ニ全力ヲ注ギ各校共九月二十四日乃至二十七日ノ間ニ至リ授業ヲ開始セリ 倒潰校舎跡へ直チニ仮校舎建設〔原校舎建坪ト同一ノモノ〕シ授業ヲナスニ至ル 校舎ノ倒潰ニ依リ職員及児童中ニ一名ノ死傷者ヲ見ザリシハ幸トスル処ナリ 爾後住民ハ倒潰家屋ノ取片付ケ及仮小屋ノ建設ヲ計リ若クハ親戚、知遇ニヨリ雨露ヲ凌グコトヲ計リ何レモ住居ノ安定ハ数日後ニ於テ之レヲ見タリ 震災后ニ於ケル衛生状態ハ一般ニ良好ナリシモ本町ハ元来飲料水ニ乏シク就中船越区ニ於テハ辛ジテ海軍水道ノ共用栓三基ヲ以テ数百戸ノ需用ヲ充タシアリシモ震災ニ依リ水道破壊セラレ料水ノ途絶ハ俄然悪疫発生ヲ見ルニ至リ同年十二月ヨリ翌年六月ニ至ル間ニ於テ船越区ニ腸チブス患者百余名ノ発生ヲ見ルニ至レルハ甚ダ遺憾トスル処ナリ 此間防疫ニ関シテハ全力ヲ尽シ本県亦防疫関係吏員ヲ派遣セラレタルヲ以テ協力之レガ防止ニ努メ即チ前記六月ニ至リ全ク終熄セリ 交通ニ関シテハ鉄道ハ数日後東京迄ノ開通ヲ見タリシモ東海道線大船以西ハ鉄道橋梁ノ破損ニ依リ開通スルニ至ラズ従ツテ数旬ノ間ハ鉄道ニ依ル物資ノ到達ヲ見ル不能陸路ハ本町ノ地勢山ヲ廻ラシ如カモ山崩レニ依リ途絶セル要路数ケ所アリ之レガ応急取片付ケハ一朝ノ事ニアラズ如カモ交通ノ要ハ此非常時ニ際シ尤モ緊要ノ事ナルヲ以テ海軍ノ応援ヲ得日々数百名〔延人員約一万五十人〕ノ海軍職工ト及土工人夫ヲシテ昼夜兼行ヲ以テ交通ニ支障ナキ程度ニ応急工事ヲナシタリ 爾後救護品ノ配給応急物資ノ移入、食料品ノ緩和、小学校々舎ノ応急工事、流言蜚語ノ防圧、人心ノ安定、各自復旧ノ促進ヲ計リ以上ニ関スル事務ノ整理等日ヲ追フテ繁雑ヲ来セリ就中罹災者及其遺族ニ対シ莫大ナル恩賜金ヲ拝受セルコトハ恐懼ニ堪エザル所ナリトス同年十一月十五日現在ニ於テ震災調査ヲ施行其調査ニ依ル結果左ノ如シ 記 死亡 八十五名 行方不明 十一名〔内七名ハ死亡判明〕 重傷者 二十七名 軽傷者 六十七名 失職者 七十九名 家屋全潰 三百五十四戸 半潰 六百四十三戸 破損 千二百五十七戸 「町村トシテノ活動状況」 浦賀町 大正十二年九月一日ノ震災ハ帝都ヲ始メ関東地方一帯ヲ震憾シタル大震災ナリシト共ニ本町ノ被害又甚大ニシテ全潰千百七戸半潰千四百八十戸死者二百数十人ヲ算シタルカ如キ状態ナリシモ幸ヒニ役場庁舎ハ全潰ノ厄ヲ免レ吏員又一名ノ死傷者ナカリシハ不幸中ノ大ナル幸ニシテ町ハ如斯大災害ノ後然モ人類生活上欠クヘカラサル総テノ機関ヲ破壊シ去ラレタル後更ニ来ルヘキモノハ火災ト饑ト悪疫ノ流行スルハ歴史ノ示ス処ニシテ町理事者ハ直チニ之レカ救済ノ方法ヲ講セントシタルニ未タ人心安定セス自然ノ力ニ驚怖シ居ルノ時俄然役場ヲ距ル数町ノ荒巻三百七十番地付近ヨリ火災起リ折柄ノ南風ニ猛威ヲ加エ谷戸一番地ヨリ船渠会社工場ノ一部ヲ焼払ヒ猛火ハ正ニ警察分署役場庁舎ヲ襲ハントシツヽアルノ際又々浦賀船渠会社工場ヨリ出火シ続テ築地新町ニ延焼其ノ惨状言語ニ絶スルモノアリ理事者ハ吏員ヲ派シテ付近住民警察官、陸海軍等ト協力シ防火ニ努メシムル一方吏員ヲ督シ重要書類ヲ安全地帯ニ搬出セシメ一方又直チニ来ルヘキ罹災者ノ飢ヲ救フヘク吏員ヲ全町ニ派シテ区長ヲシテ炊出ヲ命シ一時的救済ヲナサシメタリ 斯ノ如キ災害ノ結果ハ輸送機関ノ回復セサル限リ他ヨリ食糧品ノ供給ヲ受クルハ到底望ムヘカラサル事ナルト共ニ最モ恐ルヘク憂慮スヘキハ町在品ノ移出及隠蔽ニシテ町ハ之レカ防遏ヲナシ併セテ食糧品ノ需給ヲ円満ナラシムヘク吏員及区長ヲシテ各罹災者ノ所有米ノ調査ヲ行ヒ一方役場付近ノ商家在米ノ収用ヲ行ヒ九月二日ニ至リ町一般商人及農家ノ在米ヲ収用シタルモ交通機関回復シ他ヨリノ供給ヲ受クル何日頃ナルヤ到底見込立タズ町在米ヲ以テ此ノ間持チ耐エサルヘカラス以テ町ハ九月二日ヨリ食糧品ノ節約ヲ為サシムヘク一人一日一合五勺ヲ限度トシ出来得ル限リ永ク持チ耐エルヘク一般罹災者ニ示達シ罹災者中在米アルモノハ自己ノ持米ヲ以テ充テ在米無キモノニ対シテハ町ヨリ之ヲ無償配給シタリ 然シテ町ハ限リアル米ヲ以テ限リ無キ日数之レカ救済ヲ為スハ到底望ムヘカラサル事ナルヲ以テ他ヨリ米ノ輸入ヲ図ルヘク熱田港ニ向ケ帆船ヲ派シテ米穀壱千俵ノ買入契約ヲナシタリ 九月三日ニ至リ町会議員区長全部ヲ招集シ町トシテノ救済方法ヲ確立スヘク協議会ヲ開キ左ノ事項ヲ決定シタリ 一 救護本部ヲ役場ニ置ク 一 支部ヲ各区ニ置キ区長又ハ区長代理ヲ以テ区内救護事務ヲ掌ラシム 一 本部ハ食糧品其他救護資料ヲ支部ニ配給ス 一 支部ハ救護人員ヲ調査シ本部ニ申出救護資料ノ配給ヲ受ケ罹災者ニ配給ス 一 米ハ一日小人一合大人二合トス 一 救護人員ハ其ノ区内ニ避難スルモノ全部ヲ含ム 但持米アルモ掘出等ノ日数ヲ要スルモノハソノ間ノミ給与ス 一 救護事務ハ公平ニ取扱フ事 一 区長ハ左ノ事項ノ調査及実行ヲナス事 一 死体ノ発掘ニ関スル件 一 死亡者及傷者ノ調査報告 一 道路整理ノ為メ区長ニ於テ区内青年ヲ指揮シ可及的早ク整理セシムル事 一 悪疫ノ流行ヲ防クヘク衛生組合長医師等ト協力之レカ予防ヲナス事 一 罹災者ノ避難所トシテ区長ニ於テ区内被害少キ家屋又ハ適当ノ箇所ニ設クル事 一 倒潰家屋調査報告ノ件 一 震災救護ノタメ特別委員ハ町会議員中ヨリ六名ヲ選定ス特別委員ハ毎日救護本部ニ出場町吏員ト共ニ救護事務ニ従事スル事 九月三日戒厳令発布セラレ九月五日本町ニ海軍少将樺山可也指揮官トシテ着任セラル 爾来町ハ一般吏員及区長委員等ト協力罹災者ノ救護ニ全力ヲ尽シ漸次海軍及他府県其他ノ寄贈米ニ依リ食糧品ニ対スル杞憂ハ除去セラレタルヲ以テ九月十六日ヲ以テ食糧品ノ無償配給ヲ廃止シ戒厳指揮官ノ指示シタル価格ヲ以テ廉売〔但シ自活シ能ハサル罹災者ハ無償配給〕ヲナシ尚此ノ間罹災者ノ住宅復旧資料トシテ県海軍等ノ援助ニ依リ亜鉛板鉄板等一万六千余枚ヲ購入希望者ニ有料配給シタリ又他府県ヨリノ寄贈品ハ火災ニ困ル罹災者ヲ先ニシ漸次一般罹災者ニ配給シタリ 漸次秩序回復スルニ及ヒタルモ未タ経済界ハ円満ナル資金ノ運用ヲ見ル不能不止得町ニ於テ海軍又ハ農商務省ヨリ米ヲ購入シ米以外ノ生活必需品ハ一般罹災者ニ公平ニ供給スヘク町商人其他ヨリ購入廉売ヲ行フ等町ハ町ノ決定シタル救護方法ニ拠リ九月一日ヨリ末日ニ至ル約壱ケ月間理事者ヲ始メ一般吏員ハ全ク自己ノ家庭ヲ忘レ役場内ニ起臥シ専心町罹災者ノ救護ニ当リ震災救護特別委員又此ノ間毎日役場ニ出場事務ヲ援助シタルト区長ノ活躍海軍及官憲ノ援助斡旋ニ依リ何等ノ蹉跌ナク救護事務ヲ遂行シ十一月十五日戒厳令廃止セラルヽニ及ヒ一般ノ救護事務ヲ打切レリ 尚教育施設ニ付テハ応急「バラック」ノ建設又ハ寺院其他適当ノ箇所ヲ選定シ九月二十五日浦賀小学校ヲ九月十二日大津鴨居走水ノ三校ヲ開始シタリ 大正十二年震災活動状況 久里浜村 大正十二年ノ大震災ニ対シ本村ハ先ヅ罹災者救助ニ最大ナル努力ヲ以テ之ガ救済ニ当リ先ヅ全吏員ヲ督励シ極力罹災者ニ対シ之ガ救済事業ニ従事シ昼夜兼行不眠不休ノ状況ニシテ殆ンド普通事務ヲ顧ルノ暇ナク且ツ救護品等ノ輸送ニ関シテハ県道不通ノ為メ海上ヲ以テシ陸上ハ辛ジテ之ヲ運搬シ罹災者ニ配分スルニ至レリ罹災ニ対シ救護品配分及救済ニ対シテハ各字ニ配給委員ヲ設置シ其ノ委員ノ活動ニ依リ全罹災者ニ対シ寸分ノ遺漏ナク内地ハ勿論諸外国ヨリノ厚キ恵沢ニ浴セシムルヲ得タリ 一 震災被害ノ状況 衣笠村 大正十二年九月ニ於ケル当村ノ受ケタル震災害ハ物質的ニモ精神的ニモ其程度ノ甚大ナリシハ云フ迄モナキコトナカラ三浦半島中比較的軽微ナリシハ誠ニ天祐トスル処今被害ノ大要ヲ掲クレバ左ノ如シ 死者六人 負傷者七人 但シ何レモ村外ニ於テ圧死ヲ遂ケ又ハ負傷ス 全潰家屋十一戸 半潰家屋二十一戸 但学校役場社寺工場等ハ倒潰ヲ免レタリ 半潰ニ到ラサルモ建物傾斜シ石垣土塀等ノ破壊シタルモノ多数道路ノ亀裂 主ナルモノ五ケ処 山崩 主ナルモノ二ケ処 一 罹災者救護事業 (イ) 住家ノ全潰スハ倒潰ニ到ラサルモ住居シ能ハサルモノヽ救済罹災者数少数ニシテ概ネ親戚故旧ニ於テ収容スルコトヲ得タリ被害家屋ノ復旧ニ付テハ各部落ノ団体有志等ニ依リ漸次原状ニ復活スルヲ得タリ (ロ) 死亡者ノ処置 死亡者ノ大部ハ横須賀海軍工廠ニ於テ横死シタル者ニシテ同工廠ノ手厚キ処置ト当村部落ニ於ケル相互救済機関等ノ尽力ニ依リ夫々叮鄭ナル埋火葬ノ手続ヲ了シタリ (ハ) 負傷者ノ救護事項 横須賀市ハ勿論当村医師ノ無料施療ト熱心ナル看護ニ依リ適切ナル手当ヲ施シ得タルヲ以テ数日ヲ出スシテ恢復治癒シタリ 三 糧食ノ補給事業 震災救護事業中糧食補給ニ関スル事業程其範囲ノ広汎ニシテ且徴発運搬配給等手数ノ複雑ヲ極メタルモノアラサリシガ上司ノ適切ナル措置ト周到ナル指導ニ依リ村内各種団体即チ消防組員、在郷軍人会員、青年団員其他有志ノ熱誠ナル援助ト一般村民ノ穏健ニシテ諒解アル行動トニ依リ此ノ事業ヲ円満ニ遂行シ得タルヲ欣幸トス而シテ徴発贈買運搬等ニ付テハ役場吏員中夫々担任ヲ定メテ之ニ当リ之カ配給ニ当リ各部落代表者タル常設委員村会議員等ト協議ヲ遂ケ各種団体員協力ノ下ニ他地方ヨリ避難シ来リタル者ハ勿論死者遺族傷者住家倒壊者等其被害ノ情態家族数等ヲ顧慮シ物品ノ配合数量ヲ定メ猶各部落貧富ノ度戸数ノ多少ヲ斟酌シテ配給シタリ 四 警備事項 非常ノ天殃ニ依リ大ナル災厄ニ遭ヒタルモノ失望悲観厭世ノ念ヲ起シ或ハ殺気ヲ帯フル等人心動揺シテ安定ヲ欠クニ到ルハ止ムヲ得サル処殊ニ不逞鮮人ノ襲撃、主義者無頼漢ノ横行説ヲ流布セラルヽ時之カ安定策ヲ講スルハ又至難ナリキ幸ヒ村当局ハ陸海官憲ノ警備ト各種団体員ノ協力ト相俟ツテ夜警巡視等ノ自警ニ勤メ事ナキヲ得タリ 五 其他 罹災者ニ対スル恩賜金ノ伝達ヲ行ヒ又村当局ハ宗教団ト協力ノ下ニ震災殃死者追弔法会ヲ営ミテ亡霊ヲ慰メ之等遺族ニ対シテハ配給品ノ特別支給ヲ行ヒ猶各部落ニ於ケル相互救済機関ニ依リ慰藉ヲ与へ家計ヲ助ケタルヲ以テ時々ノ経過ト共ニ夫々生計ノ途ヲ講スルニ到レリ 以上 町村トシテノ活動状況 葉山町 直後死者負傷者ヲ吊問シ食糧品ノ調達ニ意ヲ注キ一週日ノ后人ヲ関西方面ニ派遣シ米其ノ他食糧品及建築材料ヲ購入シ静岡、大阪等ヨリ多大ノ寄贈品ヲ受ケ官憲ノ援助ニヨリ速カニ罹災民ニ交付シ更ニ不自由ヲ感セシメザリシヲ以テ不安ノ念ヲ去リ一般住民モ月余ニ於テ夫々職業ニ従事スル事ヲ得タリ尚各方面ヨリノ同情ニヨル寄贈品ハ其筋ノ指揮ニヨリ遺憾ナク整理ヲナセリ 「町村トシテノ活動状況」調査書 逗子町 大正十二年九月一日午前十一時五十五分ノ震災ニ依リ俄然庁舎ハ全潰ノ厄ニ遭ヒ吏員ハ僅ニ身ヲ以テ免ルヽノ状態ニアリ併シナカラ一人ノ死傷ヲモ出サヽリシハ最モ僥倖トスル所ナリ当夜ハ一同庭前ニ露営シ救護事務ニ関スル打合ヲナセリ 今回ノ震災ニ依リ第一ニ憂慮スヘキハ食糧問題ニアルコトヲ思惟セリ如何トナレハ輸送機関ハ破壊セラレ交通ハ杜絶シ到底短時日ニ米ノ輸入ヲ仰クコト不可能ナレバ或ハ需要ト供給トノ権衡ヲ失スルヤヲ疑ヒ兎ニ角部内在米ノ輸出ヲ防遏セント図リ吏員ヲ派シ九月二日ヨリ部内ニアル所ノ米ヲ町村制第百六条ニ依リテ収用シ三日ヨリ白米一升三十五銭玄米一升三十銭ヲ以テ廉売ヲ開始セリ然レトモ当分輸入ノ見込ナク限リアル米ナレバ実際ニ米ノ持合セナキモノヽミニ対シ隔日ニ三合宛即チ一人一日一合五勺ノ割合ヲ以テ販売セリ夫ヨリ海軍ヨリノ配給米県ヨリノ配給米他府県ヨリノ寄贈米ニ依リテ本町ニ於テハ幸ニ食糧ニ付テハ何等ノ蹉跌ナク配給ヲ遂行シ又罹災者ニシテ自活シ能ハサルモノニ対シテハ施米ヲナシ十二月末日ヲ以テ打切リタリ震災ノ為メ電柱ハ倒壊シ其ノ他ノ設備ハ破壊ニ付電燈ハ点火セサル状況トナリ自然蠟燭ノ必要ヲ感シタルニ依リ九月三日部内商人ノ手ニ在ル燐寸及蠟燭ヲ収用セリ是ハ暴利予防ト節約トヲ兼ネシムル目的ニテ蠟燭ノ持合セナキモノニ対シ一戸一夜二本宛無償配給セリ後県ノ配給ヲ受ケタルニ依リ共ニ之ヲ配給シテ継続セリ九月廿八日ニ至リ電燈ヲ点火セシニ依リ爾来其ノ数ヲ減シタリ十一月十四日ヲ以テ打切リタリ 亜鉛板ハ郡ヨリ平板一千枚生子板一万枚ノ配給ヲ受ケ一般罹災者ノ希望ノ者へ有償配給シ又学校其他公共用建物材料ニ充用セリ 寄贈品ノ主ナルモノハ米衣類金物漬物醤油罐詰其他副食物慰問袋木炭毛布等ニシテ是ハ罹災戸数ニ分配シテ各区長ニ対シ配給方ヲ依頼シ一般罹災者ニ配給セシメタリ 又九月五日臨時救護委員トシテ町会議員区長其他町内重立者ヲ選ヒテ嘱託シ毎朝午前八時役場仮事務所ニ集合シ罹災者救護其ノ他一般震災ニ関スル善後策ヲ協議シ居リシカ十一月一日ヨリ臨時必要ニ応シ開会スルコトヽシ十二月末日ヲ以テ打切リタリ 震災ニ付村トシテノ活動状況 北下浦村 一 震災ノ程度 本村被害ノ程度ハ激甚ニシテ総戸数六百五十八戸ノ内住家全潰百二十六戸半潰百四十七戸物置倉庫及堆肥舎等ノ全潰二百三十七棟半潰六十六棟其他学校全潰寺院全潰五戸半潰三戸道路破損十一個所延長百四十間田畑山林ノ破損埋没等二反歩宅地ニ亀裂ヲ生ズル等其亀裂長二十間巾十間ノモノアリ斯ル状態ナルモ火災ヲ蒙ラサリシ不幸中ノ幸ト謂フベシ 二 当村トシテノ活動 震災直后直チニ吏員全部ヲ村内各所ニ派シテ被害状況ヲ調査セシメテ概況ヲ知リ先ツ村内長沢山田伊勢松ヨリ玄米十五俵ヲ買入レ之レヲ半搗トナシ最貧困ト認ムル者二十四戸ニ供給シテ生活ノ安定ヲ得セシメタリ 当時ノ現状ニ鑑ミ自給自足ノ外途ナキヲ顧慮シ村会議員役場吏員学校教員全部ニテ各部署ヲ定メ村内各戸ニ就キ食糧ノ調査ヲ行ヒシニ玄米〔四斗入〕二千百俵アルコトヲ確メ直チニ之レヲ村ニ統一シテ夫々配給シ自給自足ヲ完全ニ実行シ村民一同ニ稍々生活ノ安定ヲ与ヘタリ 三 日用品タル醤油、食塩、石油、蠟燭、砂糖等ノ欠乏ヲ告クルヲ以テ之レガ購入及浦賀町横須賀市等ニ於テ蔬菜類ノ不足ノタメ之レガ販売ノ仲介ヲナシ相互需用供給ヲ円滑ナラシメタリ 四 被害戸数夥多ニシテ村トシテ之レヲ顧ルノ暇ナキヲ以テ全潰建物ノ取片付及破損家屋ノ修理等ハ全部之レヲ隣保相互ノ友情援助ニ任セ応急施設用トシテ亜鉛板釘等ノ材料ハ之レガ購入ノ仲介ヲナシタリ 五 学校全潰ニツキ村内全部〔六五八人〕無償ニテ之レヲ取崩シ尚続テ在郷軍人会青年団員全部一日宛応急施設工事ニ労力寄付ヲナシ工事ノ進捗ヲ図ル 六 道路応急修理ハ村内消防組員ニテ行ヒ交通ノ便ヲ図ル又当時鮮人襲来ノ誤報何処ヨリカ流布セラレ人心一入不安ノ念ニ駆ラレタルニ依リ消防組員ハ昼夜警戒ニ努メ間モナク戒厳令ヲ施行セラレ人心稍々安静ニ帰シタルニヨリ数日ニシテ警戒ヲ中止セリ 記 南下浦村 永遠ニ忘ルベカラサル大正十二年九月一日此日コソ我国民ニ大自然ガ強要シタ更始一新ノ第一日デアル 天柱砕ケ地軸折レンバカリノ関東地方ニ於ケル大震災ハ前代未聞ノ大変災デアツタ 響動ト震憾トノ為メニ脅威ノ戦慄尚止マズ東京横浜ノ市民ハ之ニ続テ起ツタ猛火ノ為ニ生キ乍ノ焦熱地獄ニ追ヒ堕サレ三浦半島ノ海岸地帯ハ津浪ノ為ニ幾多ノ可惜生霊ヲ亡スルニ至リ建築通信交通機関ヲ破壊シ実ニ其ノ惨状ハ言語ニ絶シタ本村ノ如キハ震源地ニ近ク其ノ震動激甚タルト津浪ノ襲フアリテ其ノ被害ハ甚ダシク左ニ本村被害状況及活動状況ヲ記セバ 本村被害状況調 役場 全潰 学校 尋常小学校二教室ヲ残シ全部全潰 尋常高等小学校分教場全潰本校半潰 村内一般 全潰家屋一一二戸 半潰ハ二三七戸 流失ハ三戸 死亡者七人負傷者一二人 本村ニ於テハ直ニ村内全部ノ被害調査ヲ行ヒ以テ左ノ四大方策ヲ立テ焦眉ノ措置ヲ取ルコトヽセリ 一 罹災民ノ救助方策 二 食糧ノ自給並ニ補充方策 三 村民ノ秩序保護安定ニ関スル方策 四 村民保護伝染病予防方策 五 慰問品並ニ配給品ノ配布ニ関スル件 右方策ニ先立チ役場ヲ本村伝染病隔離病舎ニ移転シ事務ヲ執ルコトヽシ其ノ応急措置ヲ取リタル概況ヲ列記セバ左ノ如シ ⑴ 罹災民救助方策 村内罹災者調査ノ結果家屋ノ全潰シタルモノ並ニ貧困者等ハ此際五人組合ヲ以テ隣保互助ノ方法ヲ講ゼシメ即チ一時雨露ヲ凌クバラツク建設ニ努力セシメタリ 本村出身〔奉公〕〔親戚〕等ノ在東京横浜横須賀方面ノ罹災者救助トシテ直ニ村民所有ノ発動機船ヲシテ各方面ノ罹災者探査救助トシテ出航セシメ避難セシムルコトニ努力セリ其ノ結果避難シ来レル者三千数百人ノ多キニ至レリ ⑵ 食糧ノ自給並ニ補充方策 震災後最モ急ヲ要シタルハ食糧ノ自給補充問題ナリキ元来本村住民ハ半農半漁ニシテ日常糧食ノ貯蔵ニ乏シク震災ノ初頭ニ於テ其ノ不安ヲ感ジ直ニ各役員ヲシテ村内食糧ノ現在高ヲ調査シ一日ノ村民所要数量トノ関係ヲ考慮シ直チニ食糧ノ給助ヲ其ノ筋ニ申請シ村民ニ対シテハ其ノ筋ノ訓令ニ基キ食糧ノ自給自足ノ旨ヲ促シ代用食励行等ヲ宣伝シタリ ⑶ 村民ノ秩序保護安定ニ関スル方策 大震後ハ余震頻リニシテ安堵ノ余地ナク人心恐々自然人心ノ秩序ヲ失スルノ傾向アリタレバ各部落ノ青年団、在郷軍人分会、消防組ノ団体ヲシテ自警的ノ団体ヲ組織セシメ其ノ部落ノ安寧秩序ヲ保タシムルコトニ努力ス 特ニ鮮人ノ跳梁セルトノ流言蜚語トハ一時相当人心ノ不安動揺ヲ来シ之ニ対スル懸念ハ戒厳令ノ施行ト右自警団ノ為ニ村民ハ秩序ヲ乱サズ事故ナキヲ得タリ ⑷ 村民ノ保健伝染病予防方策 警察官吏村医並ニ村設定ノ衛生組合ヲ督励シ村民ノ保健衛生等ニツキ特ニ伝染病予防ニ努力シタリ其ノ結果一人ノ伝染病患者ナキニ至レリ ⑸ 慰問品並ニ配給品ノ配布ニ関スル件 右ニ関シテハ村吏員学校職員、各名誉職員各役員協力シテ避難者及罹災民ニ夫レ夫レ配給ニ遺憾ナキ様努力シタリ 其ノ他払下米ノ配給建築材料ノ共同購入避難者ノ救助慰問且破壊セル道路及橋梁等ノ応急修繕ニ努力セシメタリ 震災誌編纂資料 三浦郡三崎町 大正十二年九月一日ノ大震災ハ史上未曽有ノ大惨事ニシテ当町ニ於ケル全潰半潰戸数五百有余戸惨死者四十有余負傷者三百有余名ヲ算ス 余震ノ動揺ハ海嘯襲来ノ声ト共ニ人心極度ニ動揺シ各自老幼ノ保護ニ努メツヽ陸続避難ヲ開始ス 町長及警察分署長ハ率先部下ヲ督励シ且三崎消防組並ニ三崎在郷軍人分会員ト一致協力之ヲ数隊ニ分チ一隊ハ火災ノ防止ニ全力ヲ尽シ絶体火災ノ防止ヲ全フシ別隊ハ死体ノ発掘或ハ負傷者ヲシテ救護所ニ収容セシムヘク之カ運搬ニ従事シ且即刻ヨリ炊出シヲ開始シ避難民ノ救助ニ努ム続イテ鮮人ノ暴動ノ噂ヲ聴クニ及ヒ日夜警戒ノ任ニ当リ尚道路ノ整理、破潰家屋ノ取片付等ニ活動セリ 戒厳司令部ノ設置セラルヽニ至リテハ相呼応シテ専ラ夜警其ノ他警戒ノ任ニ従事セリ 本町ハ即刻当小学校ニ救護所ヲ開設シ当町在住医師全部ノ出勤ヲ乞ヒ陸続トシテ収容シ来レル負傷者ノ診療ヲ開始シ最モ敏活ナル応急救護ノ実ヲ挙ケ続イテ連日連夜収容患者並外来患者ノ治療ニ従事ス此間実ニ三十有余日ノ永キニ及ヒタリ 尚本町ニ対スル寄贈品、慰問品其ノ他諸材料ノ配給ニ関シテハ職員一致協力連日連夜精励或ハ貨物自動車ニ搭乗シ或ハ発動機船ニ便乗シテ諸材料引取ニ付人夫ヲ指揮シ自ラモ諸物品ノ取扱ニ従事シ其ノ配給分給ニ付テハ昼夜ノ区別ナク事ニ勤メ良ク罹災者救護ノ実ヲ挙ケ得タリ 以上 活動状況 初声村 未曽有ノ震災ニ会ヒ一般人民ハ一大驚愕ノ念ト住家及食糧問題并ニ不逞鮮人騒キ等ニテ一時頗ル不安ノ念ニ駆ラレタルモ其後戒厳令ノ発布ヲ見而シテ官憲ノ懇切丁寧ナル救援ニ依リ先以テ食糧等配給ノ円滑ヲ図レリ漁業者ハ海面ノ平常ナラズ農業者ハ貯蔵肥料ノ溢亡等大ニ憂慮シ為メニ袖手座食セルヲ以テ益々生活不安ニ陥レリ斯カル処戒厳指揮官并ニ各方面ノ官憲ヨリ総テノ事由ヲ詳細指示ヲ受ケ此ニ於テ始メテ安定ヲ了解シ逐次各生業ニ就クヲ得タリ他市村町ヨリ本村内避難者ヲ調査シ十七世帯人員四十四人ニ対シテハ村民ト等シク慰問品寄贈品ノ配給ヲナセリ食糧品被服其他慰問品等ノ配給ニ関シテハ各区長ヲ召集シ村吏員ト協力シ白米外米ノ配給ハ一人一日三合ノ標準ヲ以テ無償配給シ其他総テノ慰問品寄贈品等ハ全村ニ漏レナク配給セリ小学校ハ殆ンド倒潰セシヲ以テ応急策トシテ四教室ヲ辛シテ修繕シ二部教授ヲ実施セシメ其他ハ神社寺院等ヲ借用シ以テ不完全ナカラ二部教授ヲ施行セシメタリ 一般民家ハ全潰家屋百五戸非住家ノ全潰二百五十四棟住家ノ半潰百五十五戸非住家ノ半潰二百三十七棟其他大破損ノモノ多数ナリシヲ以テ此レ等ノ救護ニ関シテハ在郷軍人分会員青年団消防組員等協力シ倒潰家屋其他ノ取片付ニ努メタリ其他道路ノ応急修理又ハ電燈消滅シタルニ依リ在郷軍人会青年団員消防組員ト協力シ夜警又ハ警備ノ任ニ当ラシメタリ 活動状況 長井村 未曽有ノ震災ニ会ヒ一般人民ハ一大驚愕ノ念ト住家及食糧問題並ニ不逞鮮人騒キ等ニテ一時頗ル不安ノ念ニ駆ラレタルモ其後戒厳令ノ発布ヲ見而シテ官憲ノ懇切丁寧ナル救援ニ依リ先以テ食糧等配給ノ円滑ヲ図レリ 漁業者ハ海面ノ平常ナラサリシヲ大ニ憂慮シ為メニ袖手座食セルヲ以テ極メテ生活不安ニ陥レリ斯カル処戒厳指揮官並各方面ノ官憲ヨリ海面ノ平常ニ復セサリシ事由ヲ詳細指示ヲ受ケシヲ以テ此ニ於テ始メテ出漁ノ安定ヲ了解シ逐次生業ニ就クヲ得タリ他市町村ヨリ本村ヘノ避難者ヲ調査シ廿二世帯此人員八十一名ニ対シテハ村民ト等シク慰問品寄贈品ノ配給ヲナセリ食糧品被服其他慰問品等ノ配給ニ関シテハ各区長ヲ其時召集シ村吏員ト協力シ白米外米ノ配給ニ関シテハ一人一日三合ノ標準ヲ以テ無償配給セリ其他食糧品被服等ノ配給ハ其時々区長ト協力シ全村ニ漏ナク配給セリ 小学校ハ全部倒潰セシヲ以テ応急策トシテ三教室ヲ辛ウシテ修繕シ二部教授ヲ実施セシメ其他ハ青年会堂神社活動小屋等ヲ借用シ以テ不完全乍ラ二部教授ヲ施行セシメタリ 一般民家ハ全潰家屋七十五戸半潰家屋七十二戸非住家ノ倒潰七十七棟其他大破損ノモノ非常ニ多カリシヲ以テ此等ノ救護ニ関シテハ村青年団在郷軍人団ト協力シ倒潰家屋其他ノ取片付ニ努メタリ又電燈消滅シ其他鮮人騒キノタメ青年団在郷軍人会ト協力シ夜警其他ノ警備ノ任ニ当ラシタリ 武山村 一 大正十二年九月一日ノ大震ノ時午后二時頃武山々麓ノ一軒家ニ住居スル吉田与三郎宅ノ埋没セル旨ノ報ニ依リ同村字武、下武青年団員並消防組員等ヲ召集シ同家々族五人悉ク埋没セルニ付急遽救助ニ取リカヽリ先ヅ外部ニ露出シ其腰部以下ヲ圧迫セラレ悲鳴ヲアゲ居ル妻「リヨ」ヨリセントシタルモ何分ニモ巨石ノ堆積セル事故其ノ業容易ニ非ズ漸クニシテ日没時妻「リヨ」ヲ救出シ安全地帯ニ連レ行キ一方医師ヲ招キ介抱ヲ加へ尚他四人ノ掘出ニ努メ深夜悉ク掘出セシモ四人全部惨死ヲ遂ゲ居タリ此時妻「リヨ」 モ介抱ノ効ナク遂ニ絶命セリ右同時ノ一ナリ 二 当村ハ被害ノ最モ極ナリシ林部落ノ倒潰家屋ノ為メ食糧品及其他物品ノ取片付方ヲ字林青年団員及消防組員並ニ在郷軍人会員ト協力シ食糧品ノ需求等ヲ満タス尚同羅災者ノ「バラツク」急造ニモ尽瘁奔走セリ 三 村ニ於テハ其時食糧品ノ問題ヲ介心シ非常徴発令ノ布カルヽト共ニ村内食糧品ノ有無ヲ調査シ徴発ノ手続ヲ了シ百六十五俵ノ玄米ヲ徴発シ一時之ヲ配付シ其后引続キ本県他府県等ヨリ諸給与ヲ受ケ其運搬配給等ニ良ク吏員ノ活動ヲ見タリ 四 村内里道ノ亀裂箇所多ク就中交通頻繁ナル葉山上宮田線県道ノ交通遮断セルヲ応急修繕ニ青年団員及消防組員等協力シ交通ヲ全カラシメタリ 大震火災ニ於ケル本村ノ活動状況 西浦村 大正十二年九月一日突如相模湾ニ発セル大地震ハ史上未曽有ノ大事変ニシテ其ノ惨禍ノ大ナル他ニ類ヲ見ズ関東一帯ニ甚大ナル災害ヲ与へ其ノ影響ノ及ブ所実ニ測リ知レザルモノアリ殊ニ震源地ヲ去ル甚ダ遠カラザル我ガ三浦半島一帯ノ地ハ其ノ惨禍ハ更ニ一層甚大ナルモノアリキ、其ノ通信交通ノ途全ク絶へ燈火ノ資亦乏シク昼ハ間断ナキ余震ニ脅カサレ夜ハ不安ナル暗黒ニ襲ハレ大地震直後ノ大海嘯ハ漁民ガ生業ノ資ヲ奪ヒ山林ハ崩壊シ用水ハ其水路ヲ変ジ農民ノ努力ノ結晶タル水稲ハ大震災ノ為メ其ノ根ヲ絶タレ雨露ヲ凌グベキ家屋ハ倒潰ノ厄ニ遭ヒ実ニ凄絶惨絶ヲ極メタリ此ノ悲惨事ニ恐レ戦ケル村民ハ偶不逞鮮人襲来ノ飛報ニ接シ競々トシテ為ス所ヲ知ラズ民心ノ不安実ニ其ノ極ニ達セリ 交通要路ノ杜絶ハ平素他ニ米塩ヲ求ムル本村トシテ食糧封鎖ノ戦禍ニ等シク在来ノ米ハ刻々ニ失ハレ村民ノ大半ハ餓ト恐怖トニ泣ク児女ヲ擁シテ徒ニ天ヲ恨ミ地ニ哭スルノミナリキ 此時ニ当リ一村ノ命脈ヲ維持シ民心ノ安定ヲ得シムル一大責任ヲ有スル村当局ハ殉職ノ覚悟ヲ以テ公務ニ鞅掌シ粉骨砕心以テ時局ノ解決ニ努メタリ 震災直後幾多ノ諸問題中善処セルモノヽ内食糧問題ニ対シテハ震災直後時ヲ移サズ村内ニ防穀令ヲ布キ食糧ノ独立ヲ計リ在庫米ノ徴発ヲ断行シテ有無共通ノ食糧均霑策ヲ講ジ一方横須賀鎮守府ニ状ヲ具シテ食糧品ノ救護ヲ仰ギ又郡役所ヲ通シテ県当局ヨリ米塩雑品ノ配給ヲ受クルコトヲ得タリ、爾来交通稍恢復スルニ及ビ全国各地ヨリ震災地慰問トシテ寄贈セラルヽ物資漸ク多ク震災救護事務局ヨリ日ヲ踵イデ其レガ配給ヲ受ケ之レガ公平ナル分配ヲ期シテ前後拾六回ニ亘リ施米又ハ慰問品ノ分配日用品ノ廉売等ヲナシ其ノ間亜鉛釘塗料ノ供給ニ肝胆ヲ砕キ村民ガ衣食住ニ対スル一時的救急ノ実ヲ挙グルコトヲ得タリ是レ蓋シ全国民ガ陛下ノ赤子トシテ罹災地ノ者ニ対シ美シキ同胞愛ヲ以テ臨ミ救護作業ニ協力一致セル結果ナリト信ズ西浦青年団員及消防組員ハ震災直後大崩方面ノ道路ノ大破壊ノ為メ交通杜絶セルヲ応急修理ヲナスベク活動シ全員総掛ニテ該工事ニ着手シ非常ノ黽勉ト努力トニヨリサシモノ難工事モ数日ニシテ人馬車、自動車ヲ通ズルコトヲ得シメタリ 更ニ同団員及消防組員ハ倒潰セル西浦小学校々舎ノ跡片付ニ着手シ数十名宛交代シテ毎日交互ニ出動シ夫々ノ事業ニ着手シ連日ノ奮闘ニヨリテ漸ク整理ヲ了ヘタリ 次ニ西浦村役場倉庫ノ倒潰セルモノ跡片付及仮修理ノ工事ニ着手シ熱心ニ働キテ間モナク之ガ竣工ヲ告ゲタリ但シ此ノ工事ハ青年団員ノミナリ 其他本村トシテ取扱ヒタル事務ノ大要ヲアクレバ避難者ノ調査並ニ救護被害程度ノ調査震災地ノ人口調査各種低利資金ノ借入土木水利ノ応急策小学校ノ復興漁業ノ復興等ハ其ノ主ナルモノナリ 以上ノ事務ハ大略完了セルモノナリト雖モ中ニハ未ダ其ノ緒ニ就キタルニ過ギザルモノアリ其未完了ノ事務ニツキテハ今後ノ努力ニ依テ解決ヲ得ベキモノナリ (三浦郡役所「庶務書類」(大正一四年)神奈川県庁蔵) 第四章 郡制廃止税制改正と地方行政 第一節 郡役所廃止前後の行財政問題 三四〇 橘樹郡町村長会における郡長演達 大正十三年一月十四日 於町村長会議 郡長演述 大震災後客年十月十六日ノ会同ニ所見ヲ披瀝シ並ニ町村財政其他復興ニ付各般ニ渉リ相共ニ適応ノ策ヲ講セリ本日亦〓ニ各位ノ会同ヲ煩ハシ救護事務ノ整理並ニ震災善後ノ処置ニ関シ協議ヲ遂クル事ヲ得タルハ誠ニ欣幸トスル所ナリ 震災被害ノ熾烈悽惨ヲ極メタルコト誠ニ痛嘆ニ堪ヘサルナリ殊ニ本県下御滞留中ノ宮殿下御四方ノ御遭難遊ハサルヽニ至リタルハ恐懼措ク能ハサルトコロナリ此ノ時ニ際シ畏クモ 聖上陛下ニ於カセラレテハ深ク御軫念アラセラレ優渥ナル御沙汰ヲ賜ハリ内帑ノ資金壱千万円ヲ下シ賜ヒ内本県ニ二百五十一万余円其内十一万九百八円ヲ本郡ニ頒賜セラレタリ 皇后陛下 摂政宮殿下ニハ畏レ多クモ特ニ本県下横浜或ハ横須賀ニ行啓アラセラレ親シク罹災地及罹災者救護ノ状況ヲ御視察遊ハサレ傷病者ヲ御慰問アラセラルヽ等赤子愛撫ノ仁慈ヲ垂レサセ給フ大御心ノ厚キ洵ニ恐懼感激ニ堪ヘサル所ナリ 新年ノ初頭ニ当リ〓ニ各位ト共ニ衷心歓喜ニ堪ヘサルハ震災ノ為御延期アラセラレタル 皇太子殿下ノ御婚儀カ愈々来ル二十六日御挙行アラセラルヽコトナリ 殿下ノ御婚儀ニ対シテハ国民ノ斉シク奉祝ノ誠意ヲ捧クヘク地方公共団体等ニ於テ行ハルヽ記念事業ノ如キモ永遠不朽ノ性質ヲ有スルモノニシテ且質実ヲ旨ト為スヘキコト予テ指示セル所ノ如ク其ノ趣旨ヲ躰シテ施設宜シキヲ制セラレムコトヲ望ム 震災直後政府ニ於テハ夙ニ公安ノ維持、秩序ノ恢復物資ノ供給等ニ付臨機ノ処置ヲ講セラレ小官マタ上司ノ指揮ノ下ニ各位ト共ニ鋭意罹災者ノ救護及災害当面ノ措置ニ関シ最善ノ努力ヲ致シ此間各方面ノ援助ト俟テ幸ニ大過ナキヲ得漸次復興ノ緒ニ着ケルハ同慶ノ至リナリ然レトモ災害善後ノ対策ニ至リテハ被害甚大ナルト種々ノ事情ノ為往々予期ニ反スル事アリ成績ノ期待ニ伴ハサル憾アルハ誠ニ遺憾トスルトコロナリ今後一層各位ノ協力ニ依リ之カ善後策ニ付遺憾ナカラムコトヲ期ス 近時社会ノ人心漸ク緊張ヲ闕キ風紀弛緩シ節制ヲ失ヒ安逸ヲ求メムトスルノ風アルハ有識者ノ齊シク痛感スル所ニシテ震災後特ニ民心ノ荒怠ヲ来シ思想上亦幾多ノ悪因ヲ醸生スル感アルハ寒心ニ堪ヘサルナリ客年十一月十日民風作興ニ関スル 詔書ヲ拝スルニ至リ洵ニ感激恐懼措ク能ハサル所ナリ 詔書ノ御趣旨ヲ奉行スル事ニ付テハ既ニ内閣告諭ヲ以テ一般ニ望マルヽ所アリ此ノ未曽有ノ災禍ニ際会シテ罹災者ハ素ヨリ一般民自ラ深ク反省スルトコロアリタリト認ムルニ依リ此ノ期ヲ一転機トシ頽風ヲ一掃シ綱紀ノ粛正ニ努メ人心ヲ作興シテ浮華放縦ヲ斥ケ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ公徳ヲ重ンシ秩序ヲ愛シ責任ヲ重ンシ節約ヲ尚ヒ義勇奉公ノ精神ヲ明ニシ以テ民風ヲ作興シ国運ノ振張ヲ期セサルヘカラス之カ為官公職ニ在ル者ハ中央地方ノ別ナク特ニ規律節制アル態度ヲ執リ身ヲ持スル端厳且廉潔ニシテ部下吏員ノ監督ヲ厳ニシ其ノ賞罰ヲ明ニシ以テ相共ニ官公紀ヲ振粛シテ風紀ノ一新ヲ期セサルヘカラス 尚之ト同時ニ国本培養ノ根柢タル教育ノ振興ヲ図ルハ今日ノ場合特ニ緊切ノ事項ニ属スルヲ以テ速カニ復興計画ヲ進メ智徳ノ並進ト人格ノ養成トニ効シ国民精神ノ振作ニ勉メサルヘカラス教授訓育ノ方面ニ付テハ不日小学校長ヲ会シ之レカ方策ヲ講セントス各位ハ校舎校具ノ設備ニ深甚ノ注意ヲ払ヒ内容ノ充実ヲ期シ少費多効ノ実ヲ挙ケラレムコトヲ望ム 本郡ノ産業ハ各位ノ不断ノ努力ト当業者ノ拮据経営ニ依リ逐年進展シ将ニ一段ノ進運ヲ観ムトスルニ当リ突如大震火災ニ逢会シ多年努力経営ノ成果ハ一朝ニシテ殆ト根底ヨリ破壊セラルヽニ至リタルハ痛恨措ク能ハサル所ナリ之カ復旧ニ付テハ固ヨリ当業者ノ奮起ニ俟タサルヘカラスト雖之ヲ指導激励シテ捲土重来ノ勇気ヲ鼓舞シ助勢ヲ与フルハ此ノ際特ニ緊要トスルトコロナリ各位ハ〓ニ深慮ヲ回ラシ各種ノ施設ヲ講シ此ノ災厄ヲ善用シ単ニ産業ノ旧態ヲ恢復スルヲ以テ足レリトセス進テ産業界ニ於ケル積年ノ弊風ヲ打破シ所謂更始一新以テ其ノ組織ヲ改善シ経営ノ基礎ヲ確立セシムル等格段ノ努力ヲ致シ速ニ部内産業ノ復興ヲ図リ転禍為福ノ実績ヲ挙ケラレムコトヲ望ム 地方財政ノ整理緊縮ニ関シテハ常ニ各位ノ尽力セラレツヽアル所ナルニ拘ラス年々膨脹ノ趨勢ヲ示セリ之畢竟時代ノ進運ニ伴フ施設ノ必要差シ措キ難キモノアルニ因ルナラムモ現下ノ財政状態ハ整理節約ヲ断行セサルヘカラサルノ時ニ当リ偶々過般ノ大震災ニ逢ヒ町村ノ歳入ニ著シキ欠陥ヲ生スルニ至リタルト共ニ一面震災応急並復旧ノ事業ニ要スル経費ハ頗ル巨額ヲ要スル見込ニシテ之カ欠陥財源ノ補塡ニ関シテハ一々国庫ノ融資ニ俟ツノ外ナキヲ以テ来ル大正十三年度予算編成ニ当リテハ大ニ整理緊縮ヲ断行シ計数上ニ於テモ明ニ整理節約ノ実ヲ挙クル様格段ノ留意アラムコトヲ望ム 復旧復興ノ事業ニ要スル経費ハ公私ヲ通シテ其ノ額莫大ナレハ町村ノ臨時費ハ一時ニ多大ノ膨脹ヲ免レス従テ其ノ経理ニ付厳正周到ナル注意ヲ要スルコト固ヨリ言ヲ俟タス之ヲ先蹤ニ徴スルニ災害復旧等ニ関シ会計ノ紊乱不正事件ノ発生等幾多失体ヲ暴露シタルコト他ノ地方ニ其事例尠シトセス各位ハ能ク這裡ノ消息ニ留意シ常ニ適切周到ナル注意ト監視ヲ加ヘ遺策ナキヲ期セラレムコトヲ望ム 以上ハ唯現下ノ事情ニ鑑ミ主要ト認ムル事項二三ニ付開陳シタル其ノ他ノ細目ニ至リテハ別ニ項ヲ分チテ指示スル所アルヘキニ依リ時局ノ重大ニ鑑ミ此ノ難局ニ善処スルノ方策ヲ愆ラサラムコトヲ望ム (「大綱村会郡指示其ノ他ノ件書類」(大正一三年)飯田助丸氏蔵) 三四一 橘樹郡大綱村の行政指導(一-九) (一) 農業動力利用奨励ニ関スル件 改良農具ノ利用奨励ニ関シテハ各位ノ尽力ニ依リ漸次利用普及ノ気運ニ向ヒツ、アルハ欣フヘキ現象トス而シテ目下同農具運転ノ動力トシテ使用セラレツ、アルハ殆ト石油発動機ニ限ラルヽカ如キ状態ナルモ本県ノ地勢水利ノ状況等ニ鑑ミ農村所在ノ小水力ニ依ル動力特ニ其ノ電気動力ノ利用ヲ図リ又地方ニ依リ動力用耕耘機ヲ利用スルハ農業労力ノ節約農産物生産費ノ軽減ハ勿論小作問題ノ緩和上特ニ緊要ナルコトヽ認ムルヲ以テ此ノ方面ノ施設奨励ニ関シテモ今後十分留意セラレタシ (二) 市場ノ整理統一ニ関スル件 中央卸売市場法ノ制定ニ徴スルモ各種ノ市場ハ情勢ノ進歩ト共ニ爾後益社会必須ノ重要機関タルニ至ルハ明ナル所ナリトス唯之カ局ニ当ルモノ各種市場ノ旧来ノ関係ト時代ノ要求トヲ両々考慮シテ之ニ臨ムニ非サレハ或ハ紛擾ニ或ハ無用ノ競争ヲ惹起シ延テハ物価ノ高騰ヲ促スニ至ルヘシ各位ハ宜シク〓ニ留意シ益之カ改善整理統一ヲ期シ市場ヲシテ充分其ノ機能ヲ発揮セシムルニ努メラレタシ (三) 物価ノ調査報告ニ関スル件 物価ノ騰貴ヲ最モ自然ニ又最モ合理的ニ抑制スルコトハ極メテ重要ナルコトナルト共ニ之カ研究調査ハ生活必需品ノ需給ノ状態乃至国際貿易事情等ニモ直接影響スル所大ナルモノアルハ夙ニ各位ノ熟知セラルヽ処ナリ而モ各部区ニ於ケル調査報告ハ動モスレハ或ハ遅延シ或ハ未了ニ終ルヲ免レサルモノアリテ為ニ累ヲ全般ニ及ホスヲ常トス仍テ毎月之カ調査報告ヲ励行セラレタシ (四) 度量衡第一種取締ニ関スル件 度量衡器並計量第一種取締ニ於テ告示セラレタル日時ニ器物ノ提出ヲ怠ル者多数アリ右ハ違反行為ナルノミナラス取締事務ノ円滑ヲ阻害スルヲ以テ特ニ器物使用者ニ注意セラルヘシ (五) 伝染病予防ニ関スル件 伝染病予防ノ方法トシテハ衛生知識ノ涵養患者ノ早期発見隔離消毒予防注射等種々アルヘシト雖就中患者ノ隔離ハ最モ必要ニシテ現下各町村病院中破損甚タシキモノ又ハ町村ニ之カ設備ヲ欠キ自宅治療ノ止ムナキモノアルハ甚遺憾ニ付相当施設方考慮セラレタシ (六) 『秘』青年団体学校等ニ於ケル出版物ニ関スル件 近来地方青年団体及小学校ニ於テ各種出版物ヲ発行スル者増加ノ傾向アリ右発行ニ際シテ活版ニ依ルト謄写版ニ依ルトヲ問ハス総テ其ノ内容如何ニ依リ或ハ出版法ニ或ハ新聞紙法ノ適用ヲ受ケ届出納本ヲ要スルモノナルニ付其ノ趣旨ヲ一般ニ達シ之カ手続ヲ怠ラサル様努メラレタシ (七) 『秘』官庁以外ヨリ地方状況問合ニ関スル件 官庁以外ヨリ地方状況其ノ他ノ照会アリタル場合ニ於テ其ノ目的社会主義運動其ノ他ノ利用ニ在リト認メラルヽトキハ問合文ヲ添付シ速ニ報告セラレタシ (八) 協議事項 勤倹貯蓄奨励ニ関スル件 一 産業組合法ニ依リ信用組合設立ヲ奨励スルコト 二 郵便規約貯金ヲ奨励スルコト 三 勤倹貯蓄組合ノ設立ヲ奨励スルコト 四 町村ニ勤倹貯蓄奨励規程ヲ設クルコト 五 戸口異動夥キ町村ニ於テハ業体ニ依ル貯蓄組合ノ設立ヲ奨励スルコト 何町〔村〕勤倹貯蓄奨励規程案 第一条 勤倹貯蓄ヲ奨励スル為本規程ニ依リ毎年度予算ノ範囲内ニ於テ奨励金ヲ交付ス 第二条 奨励金ハ左ニ掲クル者ニ本規程ニ定ムル方法ニ依リ之ヲ交付ス 一 毎月五十銭以上又ハ一ケ年三回以上ニ六円以上貯金スル者一ケ年トハ一月ヨリ十二月迄トス 一 前号貯金ハ信用組合、郵便規約貯金、勤倹貯蓄組合ノ貯金者トス 第三条 奨励金ハ一等五円二等四円三等三円四等二円五等一円ノ五種トシ抽籤法ニ依リ之ヲ交付ス 第四条 奨励金ノ交付ヲ受ケントスル者ハ毎年一月三十一日迄ニ貯金通帳ヲ本町〔村〕役場ノ検閲ヲ受ケ抽籤番号券ヲ受クルモノトス 第五条 抽籤番号券ハ毎年第二条第一号ノ貯金者ニ一個宛ヲ交付ス但払戻ヲナシタル年ニハ之ヲ交付セス 第六条 役場ニハ毎年抽籤番号券簿ヲ備ヘ氏名貯金額番号ヲ記入シ番号券ト割印シ之ヲ交付スルモノトス 第七条 奨励金交付ノ抽籤ハ毎年二月之ヲ行フ其日時及奨励金各等ノ数ハ抽籤執行十日前ニ之ヲ告示ス 第八条 前条抽籤ノ際ハ町村制第六十九条ニ依リ臨時委員何名ヲ設ケ貯金者立会ノ上町村長之ヲ行フ 勤倹貯蓄組合規約標準 第一条 本組合ハ組合員ノ資力ヲ増シ其ノ福利ヲ進ムル為平素業務ニ精励シ倹素ヲ旨トシ貯蓄ヲ実行シ兼テ堅実ナル民風ヲ養成スルヲ以テ目的トス 第二条 本組合ハ何町〔村〕ヲ以テ其ノ区域トシ何町〔村〕勤倹貯蓄組合ト称シ其ノ事務所ヲ何所ニ置ク 第三条 本組合員ハ何町〔村〕ニ居住スルモノニ限ル 第四条 組合員死亡シタルトキハ相続人ハ当然組合員トナリ被相続人ノ有スル権利義務ヲ承継ス 第五条 組合員他ノ町〔村〕ニ転住シ又ハ不得已事由等ニ依リ脱退セムトスルトキハ組合長ニ届ケ出ツヘキモノトス 第六条 組合員ハ毎月金何銭以上ヲ貯金スルノ義務アルモノトス 第七条 組合員ハ左ニ掲クル事由ニ依リ貯金ノ払戻ヲ必要トスル場合ハ組合長ノ承認ヲ経テ之カ払戻ヲ請求スルコトヲ得 一 本人又ハ同居親族ノ災害若ハ疾病 二 同居親族ノ死亡 三 其ノ他評議員会ニ於テ相当ノ理由アリト認メタルトキ 第八条 組合員ノ貯金ハ郵便貯金規則ニ依ル規約貯金ト為シ其払戻及組合脱退ニ関シ郵便官署ノ公認ヲ受クルモノトス 但シ組合員ハ其ノ貯金ヲ郵便貯金規則ニ依ル据置貯金ト為スコトヲ得 郵便貯金ヲ不便トスルトキハ信用組合ノ貯蓄預金ト為スコトヲ得第九条 組合員ハ何時ニテモ自己ノ貯金通帳ノ閲覧ヲ求ムルコトヲ得 第十条 組合員ハ左ノ各号ヲ遵守スヘキモノトス 一 各自其ノ業務ニ精励シ遊惰ヲ相戒ムルコト 二 余暇ヲ利用シ各種ノ副業ヲ営ムコト 三 驕奢ヲ避ケ倹素ヲ旨トシ冗費ヲ省クコト 第十一条 本組合ニ左ノ役員ヲ置ク 一 組合長 一人 一 副組合長 一人 一 理事 若干人 一 幹事 受持区ヲ定メ毎区ニ一人ヲ置ク 組合長副組合長ハ総会ニ於テ選挙ス 理事及幹事ハ評議員会ニ於テ選挙ス但シ最初ノ選挙ハ総会ニ於テ之ヲ行フ 役員ノ任期ハ二年トシ闕員ヲ生シタルトキハ直ニ補闕選挙ヲ行フ役員ハ名誉職トス 第十二条 本組合ハ第一条ノ目的ヲ助成スル為貯金奨励規程ヲ別ニ設ク 第十三条 評議員会ノ決議ニ依リ組合員又ハ組合員ニ非ラサル者ニ貯金奨励委員ヲ嘱託スルコトヲ得 貯金奨励委員ニハ評議員ノ決議ニ依リ相当ノ報酬ヲ為スコトヲ得第十四条 組合長ハ組合ヲ代表シ其ノ事務ヲ総理シ役員ヲ指揮スルノ外左ノ職務ヲ掌ル 一 組合員ニ対シ本規約ノ実行ヲ督励スルコト 二 評議員会、総会ヲ招集開閉シ及其ノ会ノ議長トナリ議事ノ整理決議録ノ調整ヲ為スコト 三 組合事務ノ状況及組合ノ収支決算ヲ毎年一回総会ニ報告スルコト 四 組合員名簿ヲ保管スルコト 五 貯金台帳ヲ備ヘ預ケ入及払戻ニ関スル事項ヲ記載スルコト 六 幹事ノ保管ニ係ル貯金通帳ヲ検閲スルコト 第十五条 副組合長ハ組合長ヲ補佐シ組合長事故アルトキハ其ノ職務ヲ代理ス 第十六条 理事ハ組合長ヲ補佐シテ規約実行ノ督励ヲ為シ及組合ノ庶務ニ従事ス 第十七条 幹事ハ其ノ受持区内ニ於テ左ノ職務ヲ行フ 一 組合員ヲシテ規約ノ条項ヲ実行セシメ其ノ成績ヲ毎月組合長ニ報告スルコト 二 組合員ノ貯金ヲ取纒メ及其預ケ入ヲ為シ通帳ヲ保管スルコト三 組合員ノ貯金通帳ヲ毎年一回郵便官署ニ差出シ利子記入及検閲ヲ受クルコト 第十八条 幹事ニ於テ取纒タル貯金ハ各組合員ノ名ヲ以テ三日以内ニ之ヲ郵便局又ハ信用組合ヘ預ケ入ルヘシ 但シ郵便局長ト協議ノ上郵便吏員ノ派出又ハ集配人取集ノ方法ニ依リ預ケ入ヲナスコトヲ得 前項預ケ入ノ金額及貯金者ノ氏名ハ其ノ都度遅滞ナク組合長ニ報告スルモノトス 第十九条 組合長又ハ副組合長ハ貯金ノ払戻ヲ承認シタルトキ其ノ払戻ニ関シ郵便官署ニ差出スヘキ受領証又ハ請求書ニ証印ヲ為スモノトス 組合長又ハ副組合長ニ於テ組合脱退ヲ証明スルトキハ其ノ証明書ヲ脱退者ニ交付シ之ヲ郵便官署ニ差出サシムルモノトス 前二項ノ書類ニ押捺スヘキ組合長副組合長ノ印章ハ予メ郵便官署ニ届置クコトヲ要ス 第二十条 組合ノ会議ハ評議員会及総会ノ二トス 評議員会ハ役員及貯金奨励員ヲ以テ組織シ組合長ニ於テ必要ナリト認ムルトキ及評議員三人以上ノ請求アリタルトキ之ヲ開ク 総会ハ毎年一回之ヲ開ク 但シ総組合員三分ノ一以上ノ請求アルトキ又ハ組合長若クハ評議員会ニ於テ必要アリト認ムルトキハ臨時ニ之ヲ開ク 組合ト或ル組合トノ関係ニ付議決ヲ為ス場合ニ於テハ組合員ハ表決権ヲ有セス 第二十一条 評議員会ハ左ノ事項ヲ議決ス 一 組合規約実行ノ方法ニ関スルコト 二 組合規約ニ定メアル場合ノ外組合員ノ脱退承認ニ関スルコト三 違約ノ処分ニ関スルコト 四 組合長ノ特ニ諮問シタル事項 五 天災事変等ノ為総会ヲ開クコト能ハサルトキ総会ニ代テ議決ヲ為スコト 第二十二条 総会ハ左ノ事項ヲ議決ス 一 幹事受持区ノ設定変更 二 組合規約ノ変更 三 組合収支決算ノ承認 四 組合解散ノ場合ニ於ケル財産ノ処分方法総会ハ特ニ検査委員ヲ選任シ組合事務ノ調査報告ヲ為サシムルコトヲ得 第二十三条 総会ハ総組合員ノ半数以上出席シ其ノ過半数ヲ以テ之ヲ決ス評議員会ノ議決モ亦之ニ準ス 第二十四条 総会ノ議長代理者共ニ故障アルトキハ臨時ニ組合員中ヨリ仮議長ヲ選挙ス評議員会ノ議長代理者故障アル場合モ亦之ニ準ス 第二十五条 組合ノ経費ハ寄付補助其ノ他ノ収入ヲ以テ之ニ充ツル外組合員各自ノ負担トス 第二十六条 幹事ハ貯金又貯金通帳ノ保管ニ関シテ不可抗力ニ依ルノ外其ノ賠償ノ責ヲ免ルヽコトヲ得ス 第二十七条 組合員ニシテ本規約ヲ遵守セサルトキハ違約金ヲ徴シ又ハ除名スルコトアルヘシ 第二十八条 本組合ノ存続期間ハ大正何年何月何日ヨリ何年トス 但シ総会ノ決議ニ依リ組合ヲ継続スルコトヲ得 第二十九条 本組合ニ加入シタルトキハ組合員名簿ニ加入ノ年月日及其ノ住所氏名ヲ記載スルモノトス 〔大字又ハ部落ノ貯金規約ハ之ニ傚フコト〕 貯金奨励規程 第一条 勤倹貯蓄組合員ハ其ノ成績ニ依リ左ノ通リ奨励ス 一 一ケ年以上規約ノ貯金ヲ毎月間断ナク預入タルモノハ其氏名ヲ町〔村〕内ニ掲示ス 二 二ケ年以上規約ノ貯金ヲ毎月間断ナク預入タルモノハ左ノ方法ニ依リ奨励金ヲ交付ス 奨励金ヲ受クル者百人ニ対シ何円何人何円何人何円何人ノ割合ヲ以テ抽籤ニ依リ之ヲ決定ス 三 五ケ年以上規約ノ貯金ヲ毎月間断ナク預入タルモノハ左ノ方法ニ依リ奨励金ヲ交付ス 奨励金ヲ受クル者百人ニ対シ何円何人何円何人何円何人ノ割合ヲ以テ抽籤ニ依リ之ヲ決定ス 四 十ケ年以上〔以下同シ〕 前項ニ依ル奨励金ハ本人ノ預金通帳ニ記入ノ上交付ス預入ノ回数一ケ年ヲ通シ十ケ月以上ニ亘リ規約ノ貯金額〔十二ケ月分〕ヲ預入タルモノハ特ニ本抽籤ニ加フルコトヲ得 第二条 前条ノ抽籤ハ該当者ノ氏名ヲ抽籤箱ニ入レ良ク混同シ十歳以下ノ児童ヲシテ抽籤セシメ最初ノ抽籤ヨリ順次等級ヲ決定ス 第三条 前条抽籤ノ際ハ評議員町〔村〕長警察官及以上ニ関係ナキ抽籤権利者五人以上ノ立会ヲ求メ執行スルモノトス (九) 『秘』徴発区ヨリ差出場ニ至ル輸送費ニ関スル件 徴発令第三十条ニ依リ徴発区ニテ負担スヘキ輸送費ハ郡制廃止ト共ニ各町村ニ適宜賦課徴収スルコトトナリタルニ依リ左記ノ方法ニ依リ徴収セントス 左記 一 総額ヲ二分シ其ノ半額ヲ各町村ニ平等ニ賦課シ他ノ半額ヲ馬匹及物件数ニ応シ徴収ス 備考 川崎市ヨリ代々木練兵場差出場迄ノ里程ハ五里二十五丁ナリ (「大綱村会議関係書類」(大正一三年)飯田助丸氏蔵) 三四二 神奈川県町村長会大正十四年度会務報告 大正十四年度会務報告 神奈川県町村長会 神奈川県町村長会々務報告〔大正十四正総会以後〕 県奨励金下付 大正十四年四月廿三日本県知事ニ対シ大正十四年度奨励金下付ノ申請ヲ為シ同年五月二日付神奈川県指令第一、五八二号ヲ以テ金八百円ヲ交付セラルヘキ旨許可セラレ同月九日現金ヲ受領シタリ 第六回通常総会 大正十四年五月三日三浦郡逗子町逗子尋常高等小学校講堂ニ於テ第六回通常総会ヲ開ク出席者総数八十三名其ノ内訳左ノ如シ 久良岐郡 二名 都筑郡 三名 鎌倉郡 十三名 中郡 七名 足柄下郡 六名 津久井郡 七名 橘樹郡 七名 三浦郡 十一名 高座郡 十四名 足柄上郡 六名 愛甲郡 七名 来賓ノ主ナル者神奈川県内務部長市村慶三安藤神奈川県地方課長全国町村長会参事上野他七郎同主事福井清通県会議員新倉豊吉中野甲子太郎小山定吉加藤幾兵衛遠藤三浦伊藤鎌倉遊佐久良岐各郡長福田葉山警察署長等ニシテ午前十一時十分金子会長開会ヲ宣シ 詔書捧読終リテ知事ノ訓示〔内務部長代読〕遠藤三浦郡長ノ祝詞並迎歓演説アリ大正十三年度本会々務報告〔印刷物配付〕ヲ為シ続イテ議事ニ入ルヘキ旨ヲ告ク 此ノ時三浦郡町村長会長金谷運吉氏ヨリ緊急動議アリト呼ヒテ 一 来ル五月十日 銀婚式挙行アラセラルヽニ付本会ヨリ賀表ヲ捧呈スルノ件 ヲ提示シ且ツ賀表ノ起草並捧呈ノ方法ニ付テハ総テ会長ニ一任シタキ旨ヲ付説シ満場ノ賛成ヲ求メ全員総起立ニヨリテ本件ヲ可決シ正午休憩 午後一時再開別項ノ宣言及郡町村長会等提出事項五件ヲ可決シ次ニ安藤地方課長ヨリ町村併合ニ関スル注意震災復旧事業促進並起債及町村会計事務ノ整理ニ関スル希望開陳アリ午後一時五十分議事ヲ終ル 宣言 行政及財政ヲ整理シ事務ノ簡捷並冗費ノ節約ヲ図ルハ勿論更ニ進ンテ税制ノ整理ヲ断行シ国民負担ノ均衡ヲ保持シ且町村ニ対スル確実恒久的ノ財源ヲ与ヘ中央集権ノ弊ヲ矯メテ地方分権ノ実ヲ示スハ現下ノ国状ニ照シ我カ国政上速ニ改善ヲ要スヘキ事項ナリト認メ曩ニ本会並各府県町村長会及全国町村長会ニ於テ屢々之ヲ声明シ政府ニ建言シタル所ニシテ就中義務教育費国庫負担金ノ増額、町村自治監督制度ノ改正、地租及営業税ノ地方移譲等ノ如キ最急速ニ之ヲ実現セラルヘキモノナルニ拘ラス今尚之カ解決ヲ見ルニ至ラサルハ甚タ遺憾ニ堪ヘサル所ナリ依テ本会ハ更ニ町村財政ノ基礎ヲ確立シ国民教育ノ徹底ヲ図リ町村及町村長ノ権限ヲ拡張シテ一層自治ノ機能ヲ発揮セシメ国運ノ振興ニ資セムカ為爰ニ重ネテ其ノ主張ヲ表明シ左記三項ノ実現ニ付テハ一意目的ノ貫徹ニ向ツテ邁進セムコトヲ期ス大正十四年五月三日 神奈川県町村長会 記 一 大正十五年度ヨリ必ス義務教育費国庫負担金弐千万円以上ヲ更ニ増額スル事 二 大正十五年度ヨリ郡役所ヲ廃止シ町村長ノ権限ヲ拡張スル事 三 速ニ税制ノ整理ヲ断行シ地租及営業税ハ総テ之ヲ地方ノ財源ニ移譲スル事 決議事項 一 全国各町村長ノ管理スル役場学校伝染病院隔離病舎等ノ営造物ニ対スル相互保険ノ業務ヲ施行シ得ル様全国町村長会ニ於テ攻究方ノ件 鎌倉郡 大正村長提出 理由 口頭説明 二 農村救済振興策トシテ政府ニ於テ左記二項ノ実現ヲ図ラレタキ旨意見書提出ノ件 高座郡 大沢村長提出 一 主要ナル肥料ヲ政府ノ専売トセラレタキ事 二 米麦及生糸ノ価格カ該生産費ヨリ低落スル場合ハ政府ハ相当ノ方法ヲ講シ買上其他調節ヲ計ラレタキ事 理由 口頭説明 三 郡役所廃止後ニ於テハ町村ノ併合ヲ全国的ニ促進方ノ件 都筑郡 町村長会提出 理由 口頭説明 四 県庁町村役場間ニ直通電話ヲ架設セラレタキ件 都筑愛甲三浦郡町村長会提出 理由 輓近町村役場事務ノ劇増ハ益々其ノ処理ヲシテ敏活ナラシムルノ要アルノミナラス郡役所廃止ノ実現ヲ見ルニ於テハ県庁町村役場直接ノ用務等頗ル増加スヘキヲ以テ各町村役場ニ特ニ電話ノ架設アラムコトヲ望ム 五 明治三十四年二月神奈川県令第七号小学校令友小学校令施行規則ニ関スル規程中改正方ノ件 理由 明治三十四年二月神奈川県令第七号小学校令及小学校令施行規則ニ関スル規程中〔第六十三条乃至第六十九条〕町村立小学校教員ノ任免更迭増減俸ノ場合ニハ町村長又ハ町村学校組合管理者ノ意見ヲ聞キタル上処理セラルヽ様法規ノ改正ヲ望ム 午後二時ヨリ役員ノ改選ヲ行フ会長副会長ノ選挙ニ付テハ詮衡ノ為各郡一名宛ノ委員ヲ挙ケテ詮衡スルコトヽ為リ別室ニ於テ審議ヲ遂ク委員ハ久良岐郡大須賀屛風浦村長愛甲郡桐生三田村五ケ村組合長ノ外全部各幹事トシ詮衡ノ結果左記ノ者ヲ推薦シタル旨詮衡委員ヨリ報告シ満場ノ同意ヲ得決定シ正副会長ヨリ各就任ノ挨拶アリタリ 会長 高座郡藤沢町長 金子角之助〔再選〕 副会長 愛甲郡厚木町長 後藤宗七〔新選〕 同 中郡城島村長 菅沼保之輔〔同〕 尚各郡会員ノ互選ニ依ル評議員三十二名ハ左ノ通選出セラレタリ 久良岐郡 金沢村 長金子賢次郎 橘樹郡 大綱村 長飯田助夫 同 宮前村長 都倉義知 同 高津村長 大貫寅吉 同 鶴見町長 中西重造 都筑郡 新治村長 遠藤稲作 同 中川村長 岩崎良造 三浦郡 田浦町長 金谷運吉 同 逗子町長 小林章司 同 西浦村長 新倉豊吉 鎌倉郡 豊田村長 実方金五郎 同 大正村長 川辺勝三郎 同 村岡村長 石井政治郎 高郡座 大沢村長 安西福太郎 同 海老名村長 井上門太郎 同 茅ケ崎町長 新田信 同 新磯村長 平片万五郎 中郡 城島村長 菅沼保之輔 同 伊勢原町長 長塚浪蔵 同 平塚町長 加藤銀蔵 同 秦野町長 佐野義職 足柄上郡 松田町長 鍵和田脩平 同 酒田村長 遠藤好右衛門 同 川村長 高橋熊太郎 足柄下郡 国府津町長 長谷川弥三郎 同 上府中村長 神野作十郎 同 足柄村長 石川彦兵衛 同 早川村長 国見惣三郎 愛甲郡 厚木町長 後藤宗七 同 三田村外五ケ村組合長 桐生織次郎 津久井郡 湘南村長 田野倉彦太郎 同 日連村外一ケ村組合長 杉本銀次郎 講師上杉慎吉博士来逗ノ時間遅レタル為其ノ間逗子実科高等女学校長荒井友三郎氏ニ請ヒ「三浦郡ニ於ケル史蹟」ト題シ鎌倉幕府以来ノ逗子町ヲ中心トセル史蹟談アリ午後三時ヨリ上杉博士ノ「町村自治政振興ノ要諦ト普通選挙ニ対スル準備」ニ就テ一時間半余ニ亘ル有益ノ講演アリ会員及一般聴講者ニ深キ感動ヲ与ヘラレタリ終テ午後四時半閉会セリ 付 閉会後同町養神亭ニ於ケル町村長有志ノ懇親会アリ講師及来賓各位ノ臨席ヲ請ヒタリ 会員ノ出席七十二名外町有志来賓合セテ百余名ニ達シ盛会ナリキ 銀婚式賀表捧呈 大正十四年五月十日宮中ニ於テ 天皇 皇后両陛下 御結婚満二十五年ノ御慶典ヲ挙ケサセラルヽニ付同日午前十時本会副会長後藤宗七及書記山田清次郎ノ両名左ノ賀表ヲ捧持シ宮内省式部職ニ出頭滞リナク奉呈ヲ終リ参賀名簿ニ記名退出シタリ 賀表 神奈川県町村長会長 臣 金子角之助 誠歓誠抃恭シク 天皇 皇后 両陛下 御結婚満二十五年ノ御慶典ヲ奉賀シ併セテ御寿ノ無彊ヲ祈リ奉ル臣角之助誠歓誠喜頓首頓首謹ミテ言ウス 大正十四年五月十日 神奈川県町村長会長 臣 金子角之助謹上 総会決議事項上申 大正十四年五月二十七日予テ通常総会ノ議決ヲ経タル決議事項中二、三、四、五ノ四件実現ニ付御尽力アリタキ旨本県知事ニ上申書ヲ提出シタリ 幹事会開会 大正十四年七月一日午後一時十五分神奈川県庁内県参事会室ニ於テ幹事会ヲ開ク出席者金子会長外八名其ノ議決決定セル事項左ノ如シ(一) 七月下旬北海道ニ開催ノ全国町村長会臨時大会出席代表者ノ件 各郡交替ニ出席ノ前例ニ依リ未タ総会又ハ大会ニ出席シタルコトナキ愛甲足柄上津久井ノ三郡ヨリ選出スルコトニ決シ左記三名ヲ選定シタリ 愛甲郡厚木町長 後藤宗七 足柄上郡酒田村長 遠藤好右衛門 津久井郡湘南村長 田野倉彦太郎 尚本会役員中ノ有志者金谷田浦町長金子金沢村長遠藤新治村長都倉宮前村長菅沼城島村長ヨリ個人トシテ同臨時大会ニ参会ノ希望ヲ申出タルニ依リ此ノ機会ニ於テ本会事業ノ一タル管外優良町村視察ヲ実行スルハ相互ノ利益ナリト認メタルニ依リ右五名ニ対シ各視察手当金五拾円ヲ打切支給シ北海道及東北地方優良町村視察ヲ嘱託スルコトト為シタリ〔後ニ至リ右五名ハ県ヨリモ同様視察ヲ嘱託セラル 、事トナリタリ〕 (二) 臨時大会提出事項ノ件 今回北海道ニ臨時大会ヲ開催スルニ至リシハ全ク内地町村長ニ北海道ヲ紹介シ移民政策ノ根本的解決ニ資セムトスルモノニシテ特ニ緊急事項以外ハ議決事項ノ提出ヲ差控ユル方針ナリト謂フ依テ本会ハ審議ノ結果左ノ一件ニ止ムル事ニ決定シタリ ○道府県庁町村役場間ニ直通電話ヲ架設セラルヽ様其ノ筋ニ建議スルコト 理由 輓近町村役場事務ノ劇増ニ伴ヒ愈々其ノ処理ヲ敏活ナラシムルノ要アルノミナラス郡役所廃止ノ実現ヲ見ルニ於テハ道府県庁ト町村役場間直接ノ用務ノ益々増加スヘキヲ以テ国費又ハ道府県費ヲ以テ各町村役場洩ナク特設電話ヲ架設スルノ緊急必要ナル事項ト認ムルニ由ル 県外視察員派出 大正十四年七月山口県岩国町ニ於テ開催ノ中央報徳会主催地方改良講習会ニ出席セル本会幹事鎌倉郡大正村長川辺勝三郎氏ニ対シ九州及山陰地方優良町村視察ヲ嘱託シタリ 新田茅ケ崎町長帰朝 大正十四年九月三日予テ全国町村長会ヨリ自治視察員トシテ選定海外ニ派遣セラレタル吾カ高座郡茅ケ崎町長等ノ一行午前十一時横浜入港ノサイベリヤ丸ニテ帰朝セラレタルヲ以テ本会顧問事務員評議員ノ有志等何レモ埠頭ニ之ヲ出迎ヘタリ 海外派遣員視察報告大会 大正十四年十月岐阜市ニ於テ銀婚式記念国産奨励共進会ヲ開催セラルヽヲ機トシ同県町村長会首唱ノ下ニ関西府県連合町村長大会ヲ開催シ同時ニ全国町村長会ニ於テ海外派遣自治視察員報告会ヲ開催セラルヽ事ト為リ本県ニ対シテモ成ルヘク多数会員ノ出席方ヲ勧誘シ来レルヲ以テ本県ハ曩ニ海外視察員ノ一人タル新田茅ケ崎町長ヲ選出セラレタル関係モアリ旁々本県町村長会長ニシテ全国町村長会長タル金子角之助氏病気引籠中ニテ出席不可能ノ見込ナリシヲ以テ県町村長会ヨリ代表者トシテ特ニ左ノ二名ヲ派遺スル事ニ決シ 足柄下郡国府津町長 長谷川弥三郎 高座郡新磯村長 平片万五郎 且此ノ機会ニ於テ本会ノ事業タル近県優良町村事務視察ヲ右両名ニ嘱託シタリ 評議員会開会 大正十四年十二月二十六日午後一時半神奈川県庁内県会議場ニ於テ過般帰朝セル新田茅ケ崎町長ノ外遊談ヲ聴取シ且ツ大正十五年一月二十五、六両日東京ニ開催セラルヽ全国町村長会定期総会ニ出席セシムヘキ本会代表者三名選定ノ件ニ付評議員会ヲ開キ左ノ通代表者ノ選定ヲ終リ新田町長ノ英独伊仏瑞典丁抹各国ニ於ケル町村自治政ノ概要ニ付約二時間ニ互リ有益ナル講演アリ 午後四時半ヨリ横浜市神奈川町田中家ニ於テ新田氏ノ歓迎慰労ヲ兼ネ懇親会ヲ開ク出席者評議員顧問事務員合セテ三十八名ニ達シ之カ経費ハ特ニ神奈川県農工銀行ノ指定寄付金参百円ヲ以テ支弁シタリ〓ニ記シテ同行ニ対スル謝意ヲ表ス 一 大正十五年全国町村長会定期総会出席代表者ノ件 従来各地ニ於テ開催セラレタル全国町村長会定期総会又ハ臨時大会出席ノ代表者ハ各郡一ト通巡回出席シタルニ依リ此ノ機会ニ於テ今後開催ノ総会又ハ大会ニ出席スル代表者選定ノ郡順ヲ定メ置クヘシトノ動議出テ満場ノ同意ヲ以テ抽籤ノ結果左ノ通決定シタリ 第一 足柄上郡 第二 久良岐郡 第三 三浦郡 第五 愛甲郡 第六 中郡 第七 鎌倉郡 第八 津久井郡 第九 足柄下郡 第一〇 橘樹郡 第四 高座郡 第一一 都筑郡 右ニ依リ一、二、三、ノ順位ニ依リ左記三名ヲ選定出席セシムルコトト為レリ 足柄上郡川村長 高橋熊太郎 久良岐郡金沢町長 金子賢次郎 三浦郡逗子町長 小林章司 幹事会開会 大正十五年三月十三日午後一時三十分神奈川県庁内県参事会室ニ於テ大正十五年度経費予算ノ編成及事業計画ニ関スル件及大正十五年通常総会開会時期及場所等ニ関スル件ニ付幹事会ヲ開ク出席者金子会長以下七名其ノ決定事項左ノ如シ 一 大正十五年度経費予算編成並事業計画等ノ件 1 事業ハ前年度ノ事業ヲ踏襲シ講話会費ヲ幾分増額シテ新地方税制及普選法関係法規町村制改正ノ趣旨等ニ関スル講演会ヲ開催シ中央ヨリ講師ヲ聘シ実施ノ計画ヲ樹ツルコト 2 前年度繰越金少ナキ為事業踏襲ニ付不足スル財源ハ一ケ町村最下等級弐円以内ノ会費ヲ増徴シ各等級之ニ応シテ相当増徴ヲ為スコトトシ収支ノ調節ヲ計ルコト 3 各郡町村長会ノ経費ヲ以テ郡ヲ単位トスル第一項ノ講演会講習会等ヲ計画セシメ郡役所廃止後ニ善処スルノ方途ヲ講スル事二 大正十五年通常総会開催ニ関スル件 1 開会月日 大正十五年四月二十四日〔土曜日〕午前九時 2 総会場 高座郡藤沢町県立湘南中学校講堂 3 講演会講師 栃木県農工銀行頭取 久保市三郎氏 尚総会後同町稲毛屋ニ於テ懇親会開催ノ件ニ付協議シ前例ニ依リ各郡幹事発企人ト為リ会員ノ賛同ヲ求ムルコト及町村ニ密接ナル関係アル銀行会社ニ付指定寄付ヲ求ムル為後藤副会長金谷川辺両幹事ヲ委員ニ挙ケ交渉ノ任ニ当ラシムルコトヽ為リタリ 自治講習会助成 大正十四年度ニ於テ郡役所又ハ郡町村長会主催ト為リ左記講習会ヲ開催シタルニ依リ主催団体ニ対シ各金弐拾五円宛ヲ奨励金トシテ本会ヨリ之ヲ交付シタリ 一 都筑郡町村長会主催 町村自治講習会 大正十四年六月十五日ヨリ三日間 出席者約三十五名 一 鎌倉郡町村長会主催 町村吏員自治講習会 大正十四年八月十日ヨリ五日間 出席者約四十名 一 橘樹郡町村長会主催 町村吏員事務講習会 大正十四年九月一日ヨリ五日間 出席者約五十名 一 愛甲郡町村長会主催 自治講習会 大正十四年九月十二日ヨリ五日間 出席者約四十五名 一 足柄上郡町村長会主催 自治講習会 大正十五年一月末日ヨリ三日間 出席者約四十名 大正十五年度会費分賦徴収方法 (イ) 分賦方法 大正十四年十月一日施行第二回国勢調査ニ依ル現住人口ヲ標準トシ左ノ区分ニ依リ分賦ス 一 人口五千未満ノモノ 一町村役場ニ付 金拾壱円 二 同 五千以上一万未満ノモノ 同 金拾五円 三 同 一万以上二万未満ノモノ 同 金拾八円 四 同 二万以上三万未満ノモノ 同 金弐拾四円 五 同 三万以上ノモノ 同 金参拾六円 (ロ) 徴収方法 大正十四年五月中一時ニ之ヲ徴収スルモノトス 参 照 (一) 人口三万以上ノ町村 鶴見町 計一 (二) 人口三万未満ノ町村 保土ケ谷町 田島町 鎌倉町 藤沢町 茅ケ崎町 平塚町 小田原町 計七 (三) 人口二万未満ノ町村 田浦町 浦賀町 逗子町 三崎町 須馬村 秦野町 足柄村 計七 (四) 人口一万未満ノ町村 金沢町 城郷村 大綱村 中原町 高津村 稲田村 都田村 二俣川村西谷村組合 衣笠村 葉山町 西浦村 南下浦村 小坂村玉縄村組合 戸塚町 中和田村 寒川村 海老名村 座間村 大野村〔高座〕 綾瀬村 渋谷村 大磯町 吾妻村 大野村〔中〕 中井村 川村 酒匂村 真鶴村外二ケ村組合 厚木町 計二九 (五) 人口五千未満ノ町村 以上(一) (二) (三) (四)以外ノ町村 計一二四 神奈川県町村長会々則 第一条 本会ハ神奈川県町村長会ト称シ県下各町村長ヲ以テ之ヲ組織ス 第二条 本会ハ事務所ヲ神奈川県庁内ニ置ク 第三条 本会ハ地方自治ノ開発振興ヲ図リ且会員相互ノ親睦ヲ結フヲ目的トス 第四条 本会ハ前条ノ目的ヲ達スル為総会ヲ開キ且講話其ノ他必要ト認ムル事業ヲ行フ 第五条 本会ノ会議ハ総会及評議員会幹事会ノ三種トシ総会ハ毎年一回評議員会及幹事会ハ必要ニ応シ随時開会ス但シ会長ニ於テ必要ト認ムルトキハ臨時総会ヲ開クコトアルヘシ 第六条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク 会長 一名 副会長 二名 幹事 十一名 評議員 三十二名 第七条 会長、副会長ハ会員ノ互選トス 評議員ハ会員ノ互選ヲ以テ各郡ヨリ左ノ人員ヲ選挙ス 久良岐郡 一名 橘樹郡 四名 都筑郡 二名 三浦郡 三名 鎌倉郡 三名 中郡 四名 足柄下郡 四名 津久井郡 二名 高座郡 四名 足柄上郡 三名 愛甲郡 二名 幹事ハ評議員ノ互選トス但シ郡町村長会ノ設アル郡ニ在リテハ会長ヲ以テ之ニ充ツ 第八条 会長副会長評議員ノ任期ハ二ケ年トス 但シ満期再選ヲ妨ケス 補闕ニ依リ就職シタル役員ハ前任者ノ任期ヲ継承ス役員ハ任期満了後ト雖後任者ノ就職スル迄仍其ノ職務ヲ行フモノトス 第九条 会長ハ会務一切ヲ鞅掌シ会議ノ議長トナル会長事故アルトキハ副会長之ヲ代理ス 幹事ハ会長ノ委託事項ヲ処理シ評議員ハ各郡ヲ代表シ本会ノ収支予算其ノ他ノ議決権ヲ行フモノトス 第十条 本会ハ全国町村長大会開催ノ場合ハ評議員会ニ於テ出席者ヲ選定ス 第十一条 本会ハ地方自治ニ特別ノ関係アル者又ハ学識経験アル者ヲ顧問若ハ相談役ニ推薦スルコトアルヘシ 第十二条 会長ハ会務ノ都合ニ依リ事務員ヲ嘱託スルコトヲ得 第十三条 本会ノ経費ハ会費寄付金其ノ他ノ収入ヲ以テ之ヲ支弁ス第十四条 会員ハ会費トシテ毎年予算ヲ以テ定ムル金額ヲ納付スヘシ 臨時総会ノ為必要ナル経費ハ評議員会ノ議決ヲ以テ増徴スルコトアルヘシ 第十四条ノ二 郡町村長会ハ本会ト連絡ヲ計リ且本会ノ委嘱ニ依リ其ノ部内ニ関スル事務ヲ幇助スルモノトス 第十五条 本会則ハ総会ノ議決ヲ以テ之ヲ変更スルコトヲ得 神奈川県町村長会旅費規定 〔大正十年四月九日議決、大正十一年四月八日改正議決〕 第一条 役員事務員嘱託員会務ノ為旅行スルトキハ本規程ニ依リ旅費ヲ支給ス 第二条 旅費ハ鉄道賃(通行税ヲ含ム)船賃(通行税艀船賃桟橋賃ヲ含ム)車馬賃日当宿泊料ノ五種トス 鉄道賃船賃ハ二等ノ料金ヲ車馬賃日当宿泊料ハ別表ニ掲クル定額ヲ支給ス 第三条 旅費支給方法ニ関シテハ明治四十三年六月勅令第二七四号内国旅費規則第二条第三項第三条乃至第五条第七条第八条第十三条第十四条ヲ準用ス 付則 本規程ハ発布ノ日ヨリ施行ス 別表 本会役員氏名 会長 高座郡藤沢町長 金子角之助 副会長 愛甲郡厚木町長 後藤宗七 幹事 久良岐郡金沢町長 金子賢次郎 都筑郡新治村長 遠藤稲作 鎌倉郡大正村長 川辺勝三郎 中郡城島村長 菅沼保之輔 足柄下郡国府津町長 長谷川弥三郎 津久井郡湘南村長 田野倉彦太郎 中郡城島村長 菅沼保之輔 橘樹郡宮前村長 都倉義知 三浦郡田浦町長 金谷運吉 高座郡藤沢町長 金子角之助 足柄上郡酒田村長 遠藤好右衛門 愛甲郡厚木町長 後藤宗七 評議員 久良岐郡金沢町長 金子賢次郎 橘樹郡大綱村長 飯田助夫 一名欠員 都筑郡新治村長 遠藤稲作 三浦郡田浦町長 金谷運吉 逗子町長 小林章司 鎌倉郡豊田村長 実方金五郎 村岡村長 石井政治郎 高座郡相原村長 神藤芳太郎 茅ケ崎町長 新田信 中郡城島村長 菅沼保之輔 一名欠員 足柄上郡松田町長 鍵和田脩平 川村長 高橋熊太郎 足柄下郡国府津町長 長谷川弥三郎 足柄村長 石川彦兵衛 愛甲郡厚木町長 後藤宗七 津久井郡湘南村長 田野倉彦太郎 顧門 地方事務官地方課長 安藤喜八 宮前村長 都倉義知 新田村長 荏原政武 西浦村長 新倉豊吉 大正村長 川辺勝三郎 海老名村長 井上門太郎 一名欠員 伊勢原町長 長塚浪蔵 一名欠員 酒田村長 遠藤好右衛門 上府中村長 神野作十郎 早川村長 国見惣三郎 三田村外五ケ村組合長 桐生織次郎 日連村外一ケ村組合長 杉本銀次郎 相談役 久良岐郡長 遊佐吉則 都筑郡長 服部纘 鎌倉郡長 伊東義尚 中郡長 森茂樹 足柄下郡長 伊藤竜雄 津久井郡長 鈴木章太郎 橘樹郡長 福本柳一 三浦郡長 遠藤至道 高座郡長 佐藤房吉 足柄上郡長 田中鉐雄 愛甲郡長 古沢森之助 (「神奈川県全国中郡町村長会書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) (注)報告書のなかの全国町村長会関係記事神奈川県町村長会歳入歳出決算書は省略した。 三四三 郡役所廃止に関する中郡町村長会の諮問答申書 諮問 一 郡役所廃止後ニ於ケル町村吏員ノ指導訓練ニ関スル方策如何 二 郡役所廃止後ニ於ケル県税ノ賦課徴収ニ付適切ナル方法如何 大正十五年四月二十四日 神奈川県知事 堀切善次郎 (欄外注記)来ル二十日迄意見ヲ発スルコト 評議員会迄意見ナキハ□□ 答申書 一 郡役所廃止ニ於ケル町村吏員ノ指導訓練ニ関スル方策 (イ) 郡内各区ニ区域ヲ定メ毎月一回会場ハ各町村輪番ニ巡回事務研究会ヲ開催シ春秋二回ニ連合会開催ノコト (ロ) 各郡ニ県費ヲ以テ指導訓練ニ最モ適切ナル講習会ヲ開催シ吏員全般ニ受ケシムルコト 二 郡役所廃止後ニ於ケル県税ノ賦課徴収ニ付適切ナル方法 (イ) 県税ノ賦課率決定シタルトキハ其課率ヲ直ニ各町村役場ニ通知スルコト (ロ) 県税ノ賦課ヲ了シタルトキハ直ニ町村ヨリ賦課実額ノ報告書ヲ県ヘ提出スルコト (ハ) 県税滞納者ニ対シテハ直接県庁ニテ処分セラレタキコト (「中郡町村長会議書類」(大正一五―昭和二年)大磯町役場蔵) 三四四 郡役所廃止にさいしての神奈川県町村長会の宣言決議 宣言 第五十一議会ノ協賛ヲ経タル地方制度改正並郡役所廃止ハ自治政ノ一大革新ニシテ町村長ノ職責使命愈々重キヲ加ヘタリ吾人ハ自今益々奮励シテ研鑚事ニ当リ以テ自治体ノ円満ナル向上発展ヲ期ス 大正十五年四月二十四日 神奈川県町村長会 決議 本県町村長ハ郡役所廃止後ニ処スル為一致協力シテ左記五大要綱ノ実施ニ努ムルモノトス 一 各府県、郡町村長会ノ有機的活動ヲ促カス事 二 町村ノ合併ヲ促進シテ自治能力ノ充実ヲ図ル事 三 自治権ノ拡張ニ伴ヒ其ノ行使ニ関シ細心ノ注意ヲ払ヒ遺憾ナキヲ期スル事 四 町村吏員ノ訓練並優遇ノ途ヲ講シ事務能率ノ増進ヲ図ル事 五 一般自治精神涵養ノ為適当ナル教育施設ヲ講スル事 右決議ス 大正十五年四月二十四日 神奈川県町村長会 各郡提出事項 一 在郷軍人名簿ノ照校ハ連隊区司令部ヨリ係官ヲ派出シ県庁又ハ県内数ケ所ニ於テ施行セラルヽ様其ノ筋ニ建議スル事 中郡町村長会提出 理由 口頭説明 二 第六回通常総会ノ議決ニ係ル県庁、町村役場間直通電話ノ架設ヲ大正十五年度中ニ実現方其ノ筋ニ建議スル事 三浦郡町村長会提出 理由 口頭説明 (「神奈川県全国中郡町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三四五 町村吏員互助法制定の件通知 会収第一八号 昭和二年九月十六日 足柄下郡町村長会長(印) 町村長殿 町村吏員互助法制定ノ件 標記ノ件ニ関シ本県町村長会ヨリ別紙写ノ通リ申越ノ次第モ有之候処至極適当ノ措置ト存シ候ニ付陳情書〔両大臣宛〕作成小田原町ヨリ順次御廻シ可致ニ付御賛同ノ上吏員全員ノ連署調印次町村ニ可成至急御廻付相成度予メ右及御通知候也 追テ廻付順序ハ小田原足柄豊川……慣習順序ニテ御手数ナカラ御廻シ願度申添候 写 年 月 日 神奈川県町村長会長(印) 郡町村長会長殿 町村吏員互助組合法制定ノ件 過般開催ノ各道府県町村長会ニ於テ全国町村長会ノ主張事項中標記町村吏員互助組合制度制定ノ件ニ関シ参会者一同政府当局ヲ訪問ノ上夫々陳情ノ次第モ有之候処本件ニ関シテハ是非共来年度ニ於テ実現達成ノ事ニ致度此際全国的輿論ヲ喚起スルコトハ目的達成上最モ緊要ナルコトヽ存セラレ候間各郡ヲ単位トシ各町村役場吏員全員自記連署調印ノ上「目下全国町村長会ニ於テ主張要望中ニ係ル町村吏員互助組合法ノ制定ハ町村吏員ノ現在状態ニ鑑ミ是非共至急其成立ヲ見候様御高慮相煩シ度云々」ノ主旨ニ依リ内務大蔵両大臣宛直接 請願又ハ陳情相成様致度此段御依頼候也 (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵) 三四六 足柄下郡町村長会協議事項 町村長会協議事項〔湯ケ原町建議ニ係ルモノ〕 一 町村会議員選挙事務研究会ヲ開催シ県主任吏員ノ出張指導ヲ請フモノトス 〔別紙評議員会審議報告中ノ「四」ニ加ヘ実施セムトス〕 二 町村名誉職員、有給吏員ノ優遇ニ関シ各町村一致シテ相当ノ施設考慮ヲナスモノトス 〔昭和二年全国町村長会ニ於テ優遇方法決議運動中ナリ〕 三、町村役場処務規程改良ニ付委員ヲ選定シ準則ヲ編製スルモノトス 〔保留〕 四 町村駐在警察官吏タル勤務員ニ対スル戸数割賦課ニ関スル講究ヲ為サムトス 〔仙石原相互視察ノ際協議会ニ於テ賦課セサルコトニ決定〕 五 初年兵入営及満期兵退営時旗幟又ハ土産物ヲ贈答スルコトヲ廃止スルコトノ申合ハセヲ励行スルモノトス 〔可決〕 参考 括弧内ハ評議員会ノ意見トシテ決定セルモノナリ (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵)(注)別紙欠。この資料の年代は昭和二、三年のものと推定される。 三四七 足柄下郡湯河原町における町行事等参考事項 昭和四年(神武天皇即位紀元二千五百八十九年)重要行事其ノ他参考事項 昭和三年十二月 湯河原町役場 一 町会議員総選挙執行 四月一日〔議員定数十二人〕 一 一月一日小学校ニ於テ午前十時拝賀式後町民ノ年始会ヲ開催ス但シ会費一円トシ区長ニ於テ会員予約ヲナスコト 一 四大節儀式ハ小学校ニ於テ行フニ付一般町民ハ参列セラレタキコト 一月一日〔新年〕 二月十一日〔紀元節〕 四月二十九日〔天長節〕十一月三日〔明治節〕 一 祝祭日〔旗日〕ニハ毎戸国旗ヲ立テテ祝祭意ヲ表セラレタキコト 一月一日〔四方拝〕 一月三日〔元始祭〕 一月五日〔新年宴会〕 二月十一日〔紀元節〕 三月二十一日〔春季皇霊祭〕 四月三日〔神武天皇祭〕 四月二十九日〔天長節〕 九月二十三日〔秋季皇霊祭〕 十月十七日〔神嘗祭〕 十一月三日〔明治節〕 十一月二十三日〔新嘗祭〕 十二月二十五日〔大正天皇三年弐年祭〕 一 神社大祭執行ニ付氏子毎戸国旗ヲ立テテ祝意ヲ表シ参拝スルコト (一) 宮下五所神社〔供進使参向〕 例祭八月三十日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 (二) 門川八幡神社〔供進使参向〕 例祭八月十四日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 (三) 城堀産土八幡神社 例祭九月十五日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 一 大祓式執行 我ガ国古来ノ行事トシテ執行スベク十二月末五所神社ニ於テ行フ ニ付町民一般必ズ参列スルコト 一 兵事事務 (一) 徴兵 (イ) 徴兵検査ハ毎年四月十六日ヨリ七月末日迄ノ間ニ行ハル (ロ) 抽籤ハ一箇所トシ八月中本県庁ニ於テ行ハル (ハ) 徴兵検査ハ本籍地ニ於テ執行スルヲ原則トス (ニ) 寄留地ニ於テ受検セントスルモノハ一月三十一日迄ニ県兵事官宛寄留地受検通常願ヲ町長ニ差出スコト尚徴兵検査期日迄出願シ得ルモ許可セラレザルコトアルベシ (ホ) 徴兵適齢者ハ明治四十一年十二月二日生ヨリ明治四十二年十二月一日生迄ノ者トス徴兵適齢届ヲ一月中ニ戸主ヨリ町長宛差出スコト (二) 演習 点呼〔在郷軍人〕 陸軍一 寄留地ニ於テ演習召集ヲ受ケントスルモノハ十一月三十日迄ニ寄留地ノ連隊区司令官ニ出願スルコト 一 寄留地ニ於テ簡閲点呼ヲ受ケントスルモノハ三月三十一日迄ニ寄留地ノ連隊区司令官ニ出願スルコト 海軍寄留地ニ於テ簡閲点呼ニ参会セントスルモノハ三月三十一日迄ニ海軍人事部長ニ届出ノコト 一 青年訓練所入所者ハ明治四十四年十二月二日生ヨリ大正二年四月一日生迄ノ者 一 四月一日小学校入学式挙行 小学校ニ新入学スル学齢児童ハ大正十一年四月二日ヨリ大正十二年四月一日生迄ノ者 一 定期種痘ハ四月中執行 第一期 昭和三年中出生ノ者 〔出生後九十日未満ノ者及疾病者ハ猶予アルベシ〕 第二期 大正九年生ノ者〔算ヘ年十歳ノ者〕 一 春秋二季ニ毎戸清潔法ヲ行ヒ駐在所、役場ニ於テ検査ヲ行フ 一 九月一日神奈川県震災記念日 山神祭執行 一 議員選挙人名簿ノ縦覧〔町役場〕 (一) 衆議院議員 自十一月五日 至十一月十九日〔十五日間〕 (二) 町会議員〔県会議員〕 同上 (三) 陪審員候補者 自十月一日 至十月八日〔七日間〕 一 諸税ノ申告、申請 (一) 所得税所得申告控除家族申請三月十五日迄税務署ニ (二) 営業収益税純益申告 同上 (三) 県税営業税申告 一月二十日迄町役場ニ (四) 町税戸数割所得申告 四月三十日迄 同上 (五) 特別地税申請 六月三十日迄税務署ニ 一 町役場執務時間〔一般官庁ト同ジ〕 自四月一日至七月二十日自午前八時至午後四時自七月二十一日至八月三十一日自午前八時至正午十二時 自九月一日至十月三十一日自午前八時至午後四時自十一月一日至翌年三月三十一日自午前九時至午後四時但シ土曜日ハ正午十二時迄 十二月二十八日御用納 一月四日御用始 休日ハ祝祭日 日曜日 十二月二十九日ヨリ一月三日迄六日間 一 毎月一日小児駆虫デー 農村ニ於ケル児童ノ蛔虫保有率ハ一般ニ高シ児童保健ノ為メ毎家駆虫〔セメンエン マクニン 其ノ他適当薬ヲ用ヰ〕励行ノコト一 「トマト」〔蕃茄〕ノ栽培励行 胃腸ヲ健全ナラシメ保健上有効ナルヲ認ム毎家ニ於テ盛ニ栽培スルコト 一 季節其ノ他 日蝕〔一分五厘〕五月九日午後四時九分〔東京ノ時刻〕小寒一月六日 大寒一月二十日 立春二月四日 春分三月二十一日 立夏五月六日 夏至六月二十二日 小暑七月八日 大暑七月二十三日 立秋八月八日 秋分九月二十三日 立冬十一月八日 冬至十二月二十二日 節分二月三日 八十八夜五月二日 入梅六月十一日 半夏生七月二日 二百十日九月一日 土用(一月十七日七月二十日)彼岸(三月十八日九月二十日)社日(三月二十四日九月二十日) 一 メートル法ノ宣伝 昭和三年七月一日ヨリ県下一齊ニ実施セラレタル際毎戸ニ配付シタルメートル法ト旧法トノ比較表ニ依リ励行スルコト (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵) 三四八 町村吏員の県公報批判神札頒布所見 「更正した県公報に就て町村吏員としての叫び」湯河原藤沢生と題し投稿したのに対し昭和三年八月卅一日県公報第一七一号九頁に公報係よりの極めて不遜なる弁駁的お答が掲載されて居った事は立場を同ふする諸君が定めしは記憶に新たなことと信じますが其の叫びは実に左の通りであったのであります 我が県公報を従来の官僚式とも謂ふべき伝統的形式を破って全く開放的に民衆化して真に県民の修養機関雑誌たるべく更生せしめられた事は誠に時勢に順応した結構なることであって双手を挙げて賛意を表するものである 併しながら既刊に係る編輯振りの実際に徴する時は啻に民衆化せんことにのみ之れ汲々としたる結果として実務的方面に就ては閑却され公報の主たる使命目的に遠かる様な憾がありはしまいか 惟ふに公報の主たる使命目的としては第一に県の指揮監督下に属する警察署、町村役場其の他官公署、学校などに各般の事務其の他の取扱振りや嚮ふ所を訓示し指示し又は通牒、照会などの往復公文を便じさせる唯一の文書機関であるから一般県民の遵行すべく命令、指示、諭示する県令、告諭なども勿論の事総て従来の形式且つ大きさのものが手頃で其の保存上よりするも将又取扱上よりするも最も適当なるものと思惟するものである殊に郡廃後は往復文書を概ね此の公報に依って代用せらるることとなってから文書の保存整理上非常なる不便を来たしたるは蓋し蔽ふべからざる事実であって照会通牒の如きは其の起源は公報に其の回答、報告書類は綴込みにと首尾処を異にし存在する為め後に至り之を捜出するの必要あるに際し非常なる不便煩労を感ずる次第である かるが故に尠くとも此等往復文書に代はるべきものは総て一事件一葉に改められたき様之れまで屢々町村長会等に於ても切望したのであるが経費の関係上不可能事なりとして遂に容るる処とならざりしに今や民衆化したりとして俄かに其の紙版を著しく拡大し紙質も改良せられたるは誠に結構なる事としても其の意義那辺にあるか聊か了解に苦しむ次第である加ふるに宛も権威のない様な気分を与ふる一種の雑誌に一変してから〔過言かはしれませんけれどもどうしてもそう見られます〕其の内容の如きも種々雑多の編輯振りとなり仮令は上段に県令があると思へば下段に妙な報告様の一欄があり又どの欄よりどの欄に接続するのやら雑然として一寸見当が付き兼ぬるものが屢々あります之れでは寧ろ改善と云ふよりも却って改悪ではありませんでせうか夫れよりかは県令欄、訓令欄、告示欄と以上諸法令の配列は官報の如き体裁とし次に通牒欄、照会欄、彙報欄と各紙葉を改め其の各欄の次に直接民衆の参考となるべき諸般の事項を配列する様に区画を整然と明かに立てた方が総てに於て見能くなりはしまいか殊に毎日公報を首引きに執務する我々少数吏員より成る町村役場側から見て編輯の整否如何は直に能率増進上に至大なる影響のあるのは明かなる事実であるばかりでなく斯く普通あり来の雑誌的に流れては大に遺憾であるから我々責任ある実務吏員側の立場にも大なる同情と注意とを払はれ名実相伴ふ如く益々公報の真価を発揮して完壁を期する上に於て特に格別の考慮を相煩はしたい重且つ大なる点である さて又二十年許り以前には官報に対する法令全書の如く公報の外に公報摘要なる冊子が半年毎に刊行されて県令、訓令、告示などの全文を逐号に集録せられ其の欲するが儘に検出自在にして執務上頗る利便あるものであったが廃刊されたのは誠に遺憾と思ふた位であった今では帝国地方行政学会の発行になる県令規全集に依って執務も至便になった訳であるが之れも何とかして早く追録を出す様になったならば一時的と云へば云へる公報記事の不備を補ひ得る次第であるから此の事も併せて一層の配意を願ひたく衷心希望して止まぬ次第であります。 「神札頒布の取締等に就きて」湯河原藤沢生と題し昭和三年十二月二一日発行本県公報第二〇五号に少しく述べましたが尚其事実の補遺として左に町村当局の参考に供します 近来神社寺院乃至は神道仏道に属する教会所などの派出員と称し種々の名目の下に寄付とか神札授与などの為め地方に於て兎角跳梁跋扈し迷惑を感じてある状況にあることは蔽ふべからざる事実である最近に於て屢々耳にするのは高野山弘法大師堂建設の為め大山灯台建設の為め又道了尊堂宇再建の為めと称する寄付であって地方各所に入り込める様に思はれる由来此等のものの内には地方人を初めから田舎者と見くびってかかり若し断りでもすれば忽ち分からぬ奴だなどと暴言を吐き散し婦女子でもあれば威どし兼ねまじい様子実に驚き入りたる不遜且つ不穏の態度で強要する輩が横行しつつあることは誠に遺憾千万に考ふるものである 而して毎年初春頃一つの年中行事の如く出雲大社の神札授布員と称し地方に入り込むの例であるが其の手段順序としては先づ町村役場に来り授布員たることを証拠立てる為め極めて怪しげなる管長とか教会所長とかの辞令書様のものを出し予ねて県の方より通牒ある筈なりと称し町村長の添書とか一般民衆に周知する様にとか申し出づるを例とするのであるが本年三月湯河原町役場に袴羽織を着用したるもの来り同様の手段にて何分宜しく御便宜を願ひたしと申し出でたが先づ此第は穏当な方で又偽物ではなかった様であった其後七月下旬某と称する老婆来り島根県出雲国八雲立出雲八重垣教会本院を名とする八雲立出雲八重垣大神御神徳大意と題せる趣意書に辞令様のものを添へて出し之れ又同一手段に出で既に何処の役場では添書を貰ひ案内者を付けて頗る便宜と保護とを与へて呉れたから是非同様に願ひたいと申出でたのであるが当役場では予ねて町一般の申し合はせもあるし内規として斯様なことは一切取扱ひ兼ぬるから随意にせよと断然突き離し彼等の慣用手段に乗らなかった迄はよかったが両三日を経て或る区長〔部落惣代〕の宅に行き役場に行き一切御願ひしたからと虚言し常使〔区の使丁〕を付して毎戸を案内する様に求めた為め止むなく常使をして案内させた処彼の老婆は威儀を作り常使を供として恭しく神札を載せたる盆を鄭重に捧持させて毎戸を訪問し或る家は十銭又或る家は二十銭と家の状況を見て貧富程度の見定めをなし家並に押売的に授与しつつありしことを発見したなら直に役場に同行を求め其の不都合なる行為を詰責した処が言を左右に托して極力回避せんと試みたばかりでなく老婆だてらに形相頗る凄まじく数々の理窟を列べ果ては暴言がましきことを弄する様になったから聊か酷とは考えたが直に容赦なく駐在の警官に引渡し遂に本署に於て拘留にした上更に授与した家毎に就き神札料金を返還せしむるの厳罰に処せられた様な実に呆れ果てた実例があったのであるが斯かる事例は地方の町村に於ては所在に行はるる処であって我々同様頗る迷惑を感ずる次第ではないかと信ずるから以下少しく取調べた処を一般の参考として甚だ老婆心ながら書いて見たいと思ふ 按ずるに帝国憲法第二章臣民権利義務第二十八条に拠って我が日本臣民は安寧秩序を妨けず及臣民たるの義務に背かざる限に於て信教の自由を有することの権利を付与されて居るのであるが其の信教として指称すべきものは先づ現今では神社、寺院、神道、仏道及神仏道以外の各宗教々派の範囲に属するものを目すべきであらう而して其の信教の現状を繹ぬるに独り宗教以外に超然たる神社は一種の法人と認められ所謂国家の宗祀として神社諸制度の拘束を受くべく申すも畏きことながら伊勢神宮ばかりは我が国神社の総本家たる氏神として我等全国民は氏子であることは勿論であって其他の官国弊社、府県社、郷社、村社、無格神社等の社格階級による各神社は概ね氏神対氏子の関係として氏子区域が古来一定せられ之れに他の神社の氏子たる信仰者を崇敬者と称して加入し氏子を有せざる神社は他の神社の氏子たる信仰者が崇敬者として付属するの例であって明治十五年五月四日本県布達甲第九十四号達に拠れば「各町村鎮座氏神ノ儀ハ其ノ土地ニ就キ従来一定ノ区域有之儀ニ付各自ノ信否ニ任カセ猥ニ去就スヘキモノニ無之」とあるに見て明かである 寺院も之れ又一種の法人と認められ寺院〔仏堂を含む〕諸法令の拘束を受け檀家若くは檀信徒と称し概ね祖先以来墳墓地の管理と祭祀などを托する者対寺院即ち日蓮、真宗、真言、黄檗、曹洞、天台、浄土、臨済、時宗等其の信仰する何れかの諸宗派に属するものである 其の他の諸宗教に属するものは神道に在っては神社直属の講社其の外の団体並に出雲、扶桑、実行、神習、御嶽、金光、天理等の諸教会を含み仏道に在りては天台、真言、曹洞、日蓮、時宗等を包含するのであるが尚他に基督教、回々教、等に属するものあることも忘れてはならぬ而かも其の神道たると仏道たると将た基督教たるとを問はず又何れの宗教何れの教派たるとに論なく自由信教の権利を有する次第ではあるけれども神仏道教会又は神仏道以外の教派に関する諸法令の拘束を受けねばならぬ事は素より神社寺院と同様である以上の関係であるが故に神社の氏子、崇敬者、寺院〔仏堂〕の檀徒、教信徒、信徒、神道仏道及其の以外の教宗派の教信徒たるものに対する寄付行為に就ても各自が属する又属せんとする神社、寺院、諸教宗派に対しては任意のものは敢て問ふ処にあらざれども広く一般より募集するは勿論仮令其の属する氏子檀徒等より募集せんとするときと雖ども各其の法令の拘束を受け当該官庁の許可を得なければ寄付募集行為は出来得ないのは無論である そして神符守札等の授布をなし又社務所、寺院等に於て参拝希望者に頒与するものの如きは敢て差支なきも広く他方面に頒布員を派遣し氏子、檀信徒以外のものに授与せんとするものは法令の拘束を受くべきものである由来此等の取締に就ては夫々相当の規定があるのであるが往々不逞の徒輩が出没して美名を借りて素朴なる地方民衆を欺瞞するが如きことあるは洵に遺憾に堪へざる処である仍て当役場で関係の向に就て調査を遂げ漸く公報に記した如く其の真相を明瞭にすることが出来た次第である須らく其の職に局に当る我々町村吏員は自己が日常親愛する町村民が迷惑を蒙らない為には常に深甚なる注意を要すべきことを当然とせねばならぬ (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵) 三四九 町村吏員の勤務に関する件注意事項 当役場吏員ハ左記事項ニ付テハ特ニ注意セラルル様希望ス 昭和三年十二月一日 湯河原町長 伊藤浜平 出勤簿ノ整理ニ就テ 一 出勤簿ノ捺印ハ各自之レヲナスト雖ドモ休暇、病気、出張、忌引等ノ事項ハ爾後助役、主事ニ於テ記入整理スベキニ付各自ニ於テ記入セサルコト 出張受命簿、遅刻早退申告簿等ニ記入ナク又何等申告ナキトキハ無申告欠勤トシテ処理スルコトトナルベキニ付注意スルコト 二 遅刻早退申告簿ノ記入ニ就テ 止ムヲ得ザル私用生ジ遅刻、早退、外出一時間以上ニ及ブトキハ遅刻早退申告簿ニ記入捺印シテ申告スルコト 申告簿ヲ以テ申告スルノ暇ナキトキハ電話又ハ使ヲ以テ申告スルコト 三 服務上ニ就テ (一) 吏員ハ毎日其ノ所在ヲ明カニスルハ職務上当然ノコトナリ無申告ニテ欠勤シ、出張シ、外出シ、遅刻、早退ヲナスガ如キハ規律ヲ乱ダシ職責上不都合ノ譏リヲ免カレサルニ依リ最モ注意スベキコト (二) 休暇ハ暑中又ハ一ケ年ヲ通ジテ二十日以内之レヲナスコトヲ得ル旨定メアルモ吏員ガ当然有スベキ権利ニアラズ病気又ハ止ムヲ得サル事故若クハ旅行スル等勤務上支障ナク町長ニ於テ認メラレタル場合ニナシ得ルモ若シ病気等欠勤ノ場合ニ於テ二十日迄ハ休暇トシテ認メ得ルモ二十日ヲ超ユルトキハ当然病気其ノ他欠勤トシテ取扱フベキ意ニ外ナラザルコトトス休暇、病気、忌引等欠勤ハ総テ書面ヲ以テ届出ヲナスベキコト (三) 吏員ハ公私ノ別ヲ明カニスベキコト (イ) 祝儀、無祝儀其ノ他ノ私用ニシテ其ノ自己ニ重要関係ナキ以上又其ノ他一般組内ノ事ニテモ知人相互ノ用事ニテモ総テ執務時間中ハ之レヲ避ケ休日又ハ執務時間外ニ於テ弁スル様ニナスベキモノトス (ロ) 吏員ニシテ神職ノ職ニアリ又青年団役員、赤十字社、愛国婦人会等ノ職務ヲ兼ヌルモノノ如キハ役場吏員タル本務ヲ妨ゲサル範囲程度ニ於テ用務ノ緩急ヲ図リ執務スルコト (四) 吏員出勤スルトキハ袴〔羽織〕、洋服ヲ着シ昼食弁当ヲ持参スルコト (五) 吏員職務ヲ取ル上ニ於テハ全責任ヲ以テ之レニ当リ苟クモ責任ヲ軽ンズルガ如キコトナキ様篤ト心掛クベキコト (六) 吏員ハ役場事務其ノ他ニ付秘密ヲ外部ニ漏洩シ又ハ外部ニ知ラシムルベカラサル事項ヲ妄リニ私語セザルコト (七) 自己担任ノ事項ハ一切自己之レヲ処弁シ成ルベク他ニ手数ヲ掛ケサル様努力スベク若シ自己一人ニテ到底弁ジ得サル事務ハ他ノ掛リノ援助ヲ求メ町長、助役ニ之レヲ申告スルコト (八) 町民ヨリ戸籍騰本、抄本ノ下付、諸証明等ノ出願アリタルトキハ出来得ル限リ急速処理スルコト (九) 吏員職務ノ為メ出張シ用務ヲ弁ジタルトキハ成ルベク其ノ日ノ内ニ復命スヘシ (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵) 三五〇 町村負担経費による事業報告の件通知 会発第二三号 昭和三年十一月五日 足柄下郡町村長会長 殿 震災後ニ於ケル町村経済ニハ余裕ナク為メニ予算ノ如キモ非常ナル緊縮方針ノ下ニ編成セラレ逼迫セル財政ヲ切抜ケ居ル折柄ニ付貴御施設ノ経費ニシテ直接間接ニ町村負担ニ帰属スヘキモノニ対シテハ前以テ本会若クハ関係町村長ニ一応御交渉ノ上御施設御計画相成様致度町村長会ノ決議ニ依リ御通知申上候 (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵) 三五一 昭和三年度末現在郡市別県税滞納額調 県税滞納額調 昭和三年度末現在 備考 大正十五年度以前ノ分ニハ昭和二、三年度ニ於テ賦課ニ係ル大正十五年度以前ニ属スルモノヲ含ム 市町村税滞納額調 昭和四年二月二十日現在 (「町村長会書類」(大正一三―昭和四年)大和市役所蔵) 第二節 昭和大恐慌下の行財政問題 三五二 昭和四年県市町村長会議における県知事山県治郎の訓示指示事項 山県神奈川県知事訓示要旨 昭和四年九月 予ハ先般本県知事ヲ拝命シ爰ニ諸君ノ会同ヲ煩ハシ地方長官会議ニ於ケル総理大臣以下各大臣ノ訓達事項ヲ伝達シ併テ所懐ノ一端ヲ陳ブルハ洵ニ欣快ニ堪ヘザル所ナリ 敬神崇祖ノ美風ハ建国以来一貫シテ渝ラサル国民精神ノ象徴タリ方今時運ノ進展ニ伴ヒ世態愈々複雑多岐ヲ加フルニ至ルト雖建国ノ精神ハ国民生活ノ各般ニ互リテ磅礴タルモノナカルベカラス昨秋畏クモ御即位ノ大典ヲ訖ラセラレ今秋亦皇祖奉斎ノ至重ナル祀典トシテ近ク神宮式年遷宮ノ奉行セラルルアリ是ノ機会ニ於テ諸君ハ更ニ一層叙上ノ精神ヲ発揚セシムルコトニ力ヲ致サレムコトヲ望ム 中央地方ノ財政ヲ整理緊縮シテ我ガ国現下ノ難局ヲ打開セムトスルハ現政府ノ最重要ナル政策トスル所ニシテ政府ハ曩ニ本年度予算ノ実行ニ就キ極力経費ノ節約並事業ノ繰延ヲ断行シ既ニ其ノ実行ニ着手シツツアリ尚来年度予算ニ就テモ亦同一ノ方針ニ依リ之ヲ編成セムコトヲ期シツツアリ然レトモ財政ノ整理ハ中央地方相与ニ併行スルニ非ザレバ完全ニ其ノ目的ヲ達成スルコトヲ得ス依テ此ノ趣旨ニ基キ本県ニ於テモ極度ノ整理緊縮ヲ断行スルハ勿論諸君ニ対シテモ過般訓令通牒ヲ発シテ市町村財政ノ整理緊縮並地方債ノ整理ニ関シ幾多重要ナル事項ノ実行ヲ求ムル所アリタリ之カ実行ニ当リテハ地方ニ依リ或ハ相当困難ナル事情ノ伴フモノアルベキモ諸君ハ此ノ際牢固タル決心ト誠意トヲ以テ之ニ当リ濫ニ従来ノ行懸リニ囚ハレ若ハ地方ノ情実ニ左右セラルルコトナク緩急ノ序ヲ制スルニ於テ一ニ公正ナル判断ニ依リ万難ヲ排シテ所期ノ目的ヲ達成セラルル様格段ノ努力アラムコトヲ切望ス 近時我ガ国民中動モスレハ新奇ナル外来思想ヲ迎フルニ急ニシテ醇美尊厳ナル我ガ国体ノ儼存スルヲ遺レ不知不識ノ間之ニ誘惑セラレテ国体国情ト相容レザル思想ヲ抱ク者アルニ至リ青年学生生徒ニシテ亦ニ之眩惑セラレ遂ニ其ノ本分ヲ遺レ常軌ヲ逸シ甚シキハ共産党事件ニ関係セル者アリ光輝アル我ガ国ノ歴史ニ拭フベカラザル汚点ヲ留メタル昭代ノ為洵ニ遺憾ニ堪ヘザル所ナリ固ヨリ我ガ邦ハ三千年ヲ一貫セル宇内無比ノ国体ヲ有シ国運ノ隆昌窮リナキ国ナルヲ以テ此等詭激ノ思想ニ依リ断ジテ国礎ニ累ヲ及ボスガ如キコトナキヲ信ズト雖一ト度其ノ道ヲ踏ミ迷ヘル者ハ再ビ其ノ本ニ返ルコト難ク有為ノ青年子弟ヲシテ其ノ将来ヲ誤ラシムルハ人道上深ク遺憾トスル所ナルヲ以テ苟モ青年学生ノ修養教習ニ関シテハ社会ト家庭ト相俟テ其ノ中心ヲ謬ラザラシムル用意最モ肝要ナリ随テ諸君ハ教職ノ任ニ在ル者ト相呼応シテ平素彼等ニ対シ十分ニ我ガ国建国ノ由来ヲ諒得セシメ国民精神ノ涵養ト国民自尊心ノ扶植トヲ図リ外来思想ニシテ其ノ健実ナルモノハ之ヲ摂取シ進歩啓発ニ資スルトコロアラシムルト共ニ常ニ適当ナル指導監督ニ竭シ矯激思想ノ之ニ乗ズル間隙ナカラシムル様努メラレムコトヲ望ム 今ヤ公私経済至難ノ時ニ当リ人心漸ク弛緩シ軽佻浮華ノ弊習深ク一般ニ浸潤セムトスルノ傾向アリ上下相戒メテ質実剛健ノ俗ヲ興シ勤倹力行ノ風ヲ奨ムルハ時弊ヲ匡救シ難局ヲ打開スルノ基調タリ政府カ中央地方ノ財政ニ対シテ一大整理緊縮ヲ断行シ汎ク一般ニ互リテ財界ノ整理ト国民ノ消費節約トヲ促進セムトスルモノ亦実ニ興国ノ基礎ヲ確立シ国民生活ノ安定ヲ庶幾セムトスルニ外ナラス而モ中央地方ノ財政整理ノ実ヲ挙クルノ容易ナラサルハ既ニ述ベタル所ノ如ク勤倹力行ノコトタル亦言フニ易クシテ行フニ難キモノアリ況ンヤ多年馴致セル頽風ヲ一洗シテ現下ノ沈滞ヲ決セムトスルニ於テヲヤ其ノ実行ヲ進メ其ノ効果ヲ挙クルニ於テ国民一般ノ理解ト不断ノ努力トヲ要スル固ヨリ言ヲ俟タサルトコロナリ是ヲ以テ政府ハアラユル機会ヲ利用シ一般民衆ニ対シ消費節約勤倹力行ノ必要ナル所以ヲ徹底セシメテ其ノ覚悟ト決心トヲ促サムコトヲ期シ此趣旨ノ下ニ曩ニ公私経済緊縮ニ関シ特別ノ施設ヲ講ジ之カ実行ニ努メツツアリ本県ニ於テモ其ノ趣旨ヲ体シテ今回公私経済緊縮委員会ヲ設置シ諸君ノ理解アル協力ニ倚藉シテ中央地方相呼応シテ為政者ノ苦心ノ存スル所ト国民ノ処スヘキ途トヲ一般ニ周知セシメ国民ノ一大覚醒ヲ促カシ相率ヰテ浮華ヲ戒メ浪費ヲ省キ従来吾人ノ日常生活ノ方式ニ関シテハ合理的見地ヨリ之ヲ改善シ真ニ挙国一致節制ト力行トニ励ミ由テ国力ノ回復ト難局ノ打開トニ邁進セムコトヲ期ス 我ガ国ガ思想、経済其ノ他ニ於テ今日容易ナラサル難局ニ直面シ居ルコトハ前述ノ如クニシテ此ノ難局ヲ打開シテ健全ナル国家ノ発達ヲ図ラムニハ国民精神ノ作興ト国民ノ経済生活ノ改善トヲ計ルヨリ急務ナルハナシ此ノ事タル素ヨリ上下一致全国総動員ノ下ニ真剣ニ之ニ当ルニ非ザレバ其ノ効果ヲ挙クルコト能ハザルベキヲ以テ政府ハ直接之カ事業ノ遂行ニ当ルト共ニ汎ク社会教化団体ノ組織的活動ヲ促カシ一般国民ノ自覚ヲ喚起セムコトヲ期シ全国教化総動員ノ計ヲ樹テ 一 国体観念ヲ明徴ニシ国民精神ヲ作興スルコト 二 経済生活ノ改善ヲ図リ国力ヲ培養スルコト ノ二大項目ヲ標榜シテ国民ノ覚醒協力ヲ要望セリ本県ニ於テモ各種社会教化機関ヲ慫慂シテ其ノ自発的活動ニ依リ以テ本運動ノ普及ト徹底トヲ期スベク又一面之等諸団体ノ連絡統制ノ機関タルヘキ委員会ヲ設置シテ其ノ実効ヲ挙クルコトニ努メ専ラ国家ノ要望ニ副ハムコトヲ期ス諸君ニ於テモ能ク其ノ趣旨ノ存スル所ヲ体シ本運動ノ徹底ニ協力援助アラムコトヲ望ム 衛生保健ニ関スル事項ハ実ニ国力進展ノ原動力ニシテ又民衆福祉ノ基軸タリ今ヤ衛生保健ノ施設漸次充実改善ノ歩ヲ進メツツアリト雖社会生活愈々複雑ニ趨クニ従ヒ国民ノ健康ヲ害シ其ノ発育ヲ妨クヘキ社会的原因亦著シク増加スルノ傾向アリ一般国民ノ衛生保健ノ状態ハ今ニ尚遺憾トスルノ点尠シトセス此ノ如キハ畢竟衛生保健ニ関スル事項カ従来動モスレバ中央地方ヲ通ジテ為政者ノ閑却スル所ト為リ国民ノ衛生保健ニ対スル自覚モ亦十分ナラサリシニ因ルコト大ナルモノアリト信ス諸君ハ能ク世態ノ推移ト国民体力ノ消長トニ不断ノ注意ヲ払ヒ保健施設ノ改良充実ト衛生思想ノ涵養トニ一層力ヲ用ヰラレムコトヲ望ム 各種社会問題ノ解決ハ近代国家ノ当面セル最重大ナル任務ナリ近時世相ノ変転ト産業経済ノ発展トニ伴ヒ社会各方面ニ於テ生活ノ安定ト地位ノ向上トヲ主張スル思想運動ノ漸ク滋カラムトスルハ蓋シ自然ノ趨勢ト謂フベク此ノ種ノ思想運動ニシテ穏健適法ナルモノハ啻ニ之ヲ排撃圧迫スルノ不可ナルノミナラズ宜シク之ヲ善導助成シテ其ノ健全ナル発達ヲ期待セザルベカラズ更ニ進ンデハ社会不安ノ由テ生ズル所ヲ究メ各種社会事業ノ整理充実ヲ計リ以テ社会生活ノ安定ト向上トヲ期図スルハ方今喫緊ノ要務ナリ因襲ニ基ク差別観念ヲ除キテ社会ノ和平親善ヲ図ル融和事業ノ如キモ亦之ヲ促進スルノ要愈々緊切ナルモノアリ政府ハ社会政策確立ノ為新ニ機関ヲ設ケテ調査審議セムトシツツアリ本県ニ在リテハ幸既ニ社会委員制度ノ設アリ之ヲ善導シ活躍セシムルコトニ依リ能ク部内ノ実情ヲ知悉シ凱切ナル措置ヲ講ズルコトヲ得ベシト信ズルニ依リ諸君ハ常ニ社会ノ実相ニ活眼ヲ開キ政府ノ方策ト相俟テ適切有効ナル施措ニ出ラレムコトヲ望ム 今秋施行ノ農業調査ハ農業政策上及農業経済上ニ正確ナル基本資料ヲ供与スベキ重要ナル調査ニシテ我ガ国ニ於テハ全ク創始ノ事業ニ属スレドモ諸君並ニ調査従事員ノ熱誠ナル努力ト農家其ノ他ノ協力援助トニ依リ諸事順調ニ進捗シ今ヤ其ノ実査ヲ終リ結果表作製ノ時期ニ入リタリ諸君ハ此ノ際一層ノ努力ヲ以テ本調査ノ完成ヲ期セラレムコトヲ望ム尚明年ハ法令ノ規定ニ依ル大規模ノ国勢調査並第三回労働統計実地調査ノ年ニ当リ加之本年施行ノ耕地調査ト共ニ全農業調査ヲ構成スベキ生産経営及家畜調査ヲモ行ハルベキ計画アル等国勢ノ伸張社会ノ発達ニ伴フ各種ノ統計調査相亜イテ行ハルベキヲ以テ諸君ハ予メ充分ナル用意ヲ整ヘ之ガ施行ノ円滑ヲ期セラレムコトヲ望ム 既ニ公布セラレタル市制町村制ニ関スル改正法律ハ一ニ国民政治思想ノ発達ト自治訓練ノ実績トニ徴シ之ニ依リテ自治権ヲ拡充シ地方自治体ノ健実ナル発達ヲ期セムトスルニ在リ故ニ自治ニ対スル国民ノ負荷ハ此ノ改正ニ依リテ益々重キヲ加ヘタルト同時ニ執行ノ局ニ膺ル者ノ責務モ亦是ニ一層重キヲ加ヘタル勿論ニシテ而モ制度ノ効果ノ挙ルト否トハ一ニ運用ノ如何ニ存スルカ故ニ克ク制度改正ノ本旨ヲ会得シ之カ運用ニ習熟シ実地ニ施シテ愆リナキヲ期スルト共ニ改正法ノ趣旨ヲ汎ク一般ニ徹底セシメ地方自治ノ発展振作ニ努メラレムコトヲ望ム 以上ノ外諸君ノ協力ヲ得タキ事項ニ付テハ別ニ指示スルトコロアルヘキヲ以テ能ク其ノ意ヲ諒シ各種ノ機関ト連携シテ其ノ実績ヲ挙クルコトニ努力アラムコトヲ望ム 市町村長会議指示事項 昭和四年九月 市町村実行予算ニ関スル件 市町村昭和四年度既定予算ノ実行ニ関シテハ神奈川県訓令第四十号第一項ノ趣旨ニ準ジ相当措置シ若シ特別ノ事情ニ依リ右趣旨ニ依ルコト能ハサル場合ハ予メ内務部長ニ協議可相成義ニ付目下夫々調査作製中ノコトト思料セラルルモ最早実施期日モ目前ニ差迫リツツアルヲ以テ未タ実行予算作製ニ至ラサル向ハ此ノ際速ニ作製シ若シ協議ヲ要スル場合ハ至急之カ手続ヲ履行セラレムコトヲ望ム 滞納整理ニ関スル件 近時租税滞納ノ弊風漸ク甚シク各位鋭意之ガ改善ニ努力セラレツツアルニ拘ラズ其ノ額逐年増加ノ傾向ヲ示シツツアリ殊ニ県税及市町村税ニ於テ其ノ甚シキヲ見ルハ地方財政上洵ニ憂慮ニ堪ヘザル所ナリ依テ各位ハ此ノ際一段ノ努力ヲ以テ納税思想ノ鼓吹、納税組合ノ設置、奨励等積極的改善施設ヲ講ズルト共ニ部下吏僚ヲ督励シテ極力之ガ整理ヲ行ヒ已ムヲ得サル者ニ対シテハ断乎トシテ強制徴収ノ途ニ出ヅル等整理改善上遺憾ナキヲ期セラレムコトヲ望ム 家屋賃貸価格調査促進ニ関スル件 家屋賃貸価格準備調査ハ既ニ其ノ過半ヲ了セラレタル町村尠カラザルニ未ダ実地調査ニモ着手セラレザル向アルハ洵ニ遺憾トスル所ナリ家屋賃貸価格調査委員会ニ関スル勅令ハ未ダ其ノ公布ヲ見ザルモ大正十五年三月法律第二十四号地方税ニ関スル法律付則第四項ノ猶予期限ハ延期セラレザルベキニ付之レガ施行ニ関シ支障ヲ来タサザル様準備調査ノ促進ヲ図ラレ度尚調査ニ関シテハ至公至平調査員ヲ督励セラレツツアルコトハ信ズルモ若シ分担区域ノ異ナルニ依リ建築価格庭園ノ等級等ノ均衡ヲ失シ調査区々ニ渉ルガ如キコトアリテハ折角ノ調査モ遂ニ完全ナル結果ヲ得ルコト能ハザルヲ以テ此等ノ点ニ付一層ノ注意ヲ払ハレムコトヲ望ム 神宮式年遷宮ニ関スル件 今秋挙行セラルベキ神宮式年遷宮ノ意義ヲ普ク国民ニ知悉セシメ挙国奉賀ノ実ヲ挙クルハ最モ緊要ノコトニ属スルヲ以テ常日神社ニ於テ遥拝式ヲ執行セシメ学校男女青年団等ニ於テ奉賀式ヲ挙行セシムル等適当ノ方法ヲ講シ以テ皇祖奉斎ノ意義徹底ヲ図リ敬神尊皇ノ大義ヲ闡明スルニ勉メラレムコトヲ望ム 公私経済緊縮委員会設置ニ関スル件 九月十七日県公報 既ニ県告諭並ニ訓示ニ於テ明示セル如ク県ハ今回政府ノ方針ニ基ヅキ窘迫セル国家財政ノ難局打開ヲ図ラムガ為メ県ヲ中心トシタル公私経済緊縮神奈川県委員会ヲ組織スルト共ニ各市町村ニ市町村長ヲ中心トスル該委員会ヲ組識スルコトトナシ本運動ノ目的達成上適切ナル計画ヲ実施シ各種ノ機関ト連絡提携シテ之ガ実効ヲ挙クルニ全幅ノ努力ヲ払ハムトス 仍テ各位ニ於テハ速ニ市町村長ヲ中心トスル該委員会ヲ設ケ衆智ヲ聚メテ公私経済緊縮ニ関スル理解ヲ促進シ之カ実績ヲ挙クル様夫々地方ノ財政生活ノ状態ニ鑑ミ適切ナル実行事項ヲ協定シ管下ノ各種団体ト密接ナル連絡ヲ保チ之カ普及徹底ヲ計ルニ努力セラレムコトヲ望ム 教化総動員ニ関スル件 訓示中ニ大綱ヲ明示セル如ク現下ノ国難ヲ打開スルノ途ハ挙国一致国民精神ノ作興ト経済生活ノ改善ヲ図ルニアリ本県又中央ニ於ケル教化総動員企画ノ旨ヲ体シ曩ニ告諭ヲ発シテ其ノ趣旨方針並方法ヲ諭示シ各種教育教化機関並篤志家ノ自発的活動ヲ促スト共ニコレ等機関ノ連絡統制並援助ノ機関タラシムベク教化総動員神奈川県委員会ヲ設置セリ本運動タル固ヨリ一時的宣伝応急的施設ニ非ズシテ教化運動ノ恒久的素地タルベキモノナリ蓋シ国ヲ憂フルノ士ハ何人ト雖本計画ニ賛シ其ノ運動ニ協力スルニ吝ナラザルベシ諸氏宜シク部内ニ於ケル各種教育教化機関並篤志家ノ活動ヲ促シテ夫々ノ立場ニ於テ土地ノ実情ニ応ジタル実施方法ヲ講ゼシメコレ等相互ノ連絡提携ヲ緊密ナラシムルト共ニ本運動ノ実効ヲ挙ゲシムル様援助アラムコトヲ望ム 生活改善ニ関スル件 現下ノ我カ国民ノ生活状態ヲ観ルニ衣食住ノ方式冠婚葬祭ノ儀礼其他一般日常生活ノ事項ニ至ルマデ頗ル不合理繁雑ヲ極メ之カ為メ負担徒ラニ過重ニシテ生活ノ困憊ヲ招来スル事例尠シトセズ然ルニ其ノ弊風ハ依然トシテ改善セラルルニ至ラズ或ハ虚礼虚飾ニ流レ或ハ奢侈贅沢ニ溺レ自ラ生活ヲ暗黒ニ導クノミナラズ延イテハ往々禍ヲ社会一般ニ及ボスガ如キコトアリ而シテ生活ノ合理化ノ如キハ棄テテ顧ミラレザルノ観アルハ我ガ国家ノ将来ニ取リ太ダ寒心ニ堪ヘザルトコロナリ 今ヤ中央地方相呼応シテ全国的ニ公私経済緊縮並ニ教化総動員ノ国家的一大事業ノ達成ニ総努力スルノ秋ニ際リ各位ニ於テハ宜シク管下ヲ督励シ県民一般ヲシテ前述ノ弊習ヲ打破シ進ムデ公私生活ノ両面ニ亘リ合理的ニシテ経済的ナル生活風習ヲ喚起シ勤倹力行ニ努メ以テヨリヨキ社会国家ノ建設ニ向ツテ努力セシムヤウ夫々地方ノ事情ニ適切ナル方法ヲ講セラレムコトヲ望ム (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵) 三五三 神奈川県教化総動員計画要綱 神奈川県教化総動員計画要綱 我カ国ノ現状ヲ案ズルニ国際ノ関係ハ姑ク措キ国民ノ生活ハ甚シク浮華放逸ニ流レ思想亦軽佻詭激ニシテ中正ヲ欠キ国歩艱難世態益々険悪ナラントス国民方ニ戒慎ノ秋ナリ顧レバ大正十二年民風漸ク偸安軽浮ニ流レントスルヲ憂ヘシムル切ナルモノアル折柄彼ノ関東大震火災ノ惨禍ニ遭遇シ本県ニ於ケル被害又劇甚ヲ極メ父祖以来建設セル文化一朝ニシテ滅尽セルノ概アリキ当時以テ天譴下レリト為シ災後ノ民心ハ諧和協戮一意復興ヲ念トスルモノアリシガ忽チ災前ノ風潮愈々募リ国家ノ前途寒心ニ堪ヘザルニ至リ 国民精神作興ニ関スル詔書ハ煥発セラレタリ爾来風俗匡励セラレザルニアラズ綱紀粛正セラレザルニアラザルモ多年ノ積弊ハ之ヲ一掃スルニ難ク放縦浮華ノ習ハ近時倍々都鄙ニ洽ネカラントス民心ノ弛緩甚シキ聖旨ニ対シ奉リ真ニ恐懼ニ堪ヘザル所ナリ翻テ経済界輓近ノ趨勢ヲ観ルニ財政ハ中央地方共ニ膨脹シテ貿易ハ累年輸入ノ超過ヲ示シ国債ハ積ンデ六十億ノ多キニ達スルニ拘ラズ国民ノ消費ハ依然トシテ節度ヲ超エ国家経済ノ危機将ニ目睫ニ迫ラントス 今ニシテ時弊ヲ匡救セズンバ噬臍ノ悔至ルコト亦甚ダ遠カラザルベシ此ノ秋ニ当リ政府ハ教化総動員ノ計ヲ樹テ国民精神ノ作興ト財政経済ノ整理緊縮トノ二項ヲ標榜シテ一般国民ニ対シ質実剛健勤倹力行ヲ鼓吹シ国民的自覚ヲ喚起セシメ闔国ノ協力ニ依リ其ノ目的ノ達成ヲ期セントス〓々タル積弊打破スル易カラズト雖モ古来国民ノ胸裡ニ潜在セル伝統的精神ノ忽焉トシテ覚醒シ憂世慨国ノ至情勃然トシテ湧起スルモノアラバ弊竇ヲ芟除シテ難局ヲ打開スル敢テ至難ノ業ニアラザルベシ 惟フニ教化ハ改風ノ本易俗ノ源ナリ之ヲ醇厚ニスルハ世道ヲ更張シ人心ヲ一新セシムル所以ナリ 此ノ時局ニ鑒ミ所在各地ノ教育機関及教化団体ハ勿論苟モ経世済民ヲ以テ自ラ任ズル者相率ヰテ国民覚醒ノ運動ニ従フアラバ一代ノ風尚欝然トシテ振起センコト毫モ疑ヲ容レザル所ナリ 此ノ機ニ於テ中央ト相応ジ県下ニ於ケル教化ノ総動員ヲ行ヒ一般県民ノ覚醒奮起ヲ促スト共ニ学校、青年訓練所、男女青年団体、宗教、教化矯風団体等一切ノ教育教化機関互ニ連絡提携シテ大イニ風教ノ振作ニ各其ノ全力ヲ傾倒シ以テ本運動所期ノ目的ヲ達成センコトヲ切ニ要望ス之レ聖旨ニ対ヘ奉ル所以ニシテ亦国家ノ危急ヲ匡救スル緊切ノ方途ナルヲ信ズ 一 目的 現下ノ世局ニ鑑ミ左記二項ノ理解徹底ヲ期ス 1 国体観念ヲ明徴ニシ国民精神ヲ作興スルコト 2 経済生活ノ改善ヲ図リ国力ヲ培養スルコト 二 方針 1 本運動ハ朝野一致之ニ当ルベキモ特ニ各種教育機関及教化ニ関係アル民間諸団体並篤志家等ノ自発的活動ヲ促スコト 2 本運動ハ純真ナル社会教化ノ立場ニ於テ行フ愛国的奉仕運動タルベキコト 3 本運動ハ一時的宣伝ニアラズシテ恒久的実践運動タルベキコト 4 公私経済緊縮運動ト連絡提携スルコト 三 方法 1 県告諭ヲ以テ教化総動員ノ要旨方針並方法ヲ県下一般ニ諭達スルコト 2 教化総動員ノ趣旨徹底方ニ付市町村長ニ対シ学務部長ヨリ通牒ヲ発スルコト 3 教化総動員神奈川県委員会ヲ設置シ本運動ニ関スル各種機関ノ連絡統制ヲ図リ諸般ノ計画宣伝実行等ニ付其ノ活動ヲ援助スルコト 4 市町村長、学校長、青年訓練所主事及男女青少年団体、神職会、教育会、在郷軍人会、宗教団体、教化団体、婦人団体等ノ代表者並教化事業ニ関係アル有力者ヲ召集シテ知事ヨリ本運動ニ関スル訓示ヲナスコト 5 新聞社、通信社、雑誌社等ト連絡ヲ図リ其ノ協力ヲ求ムルコト6 各種社会教育教化機関ハ夫々ノ立場ニ於テ本運動ノ趣旨達成ノタメ地方ノ実情ニ応ジ自発的ニ大体左記ノ如キ事項ニ付最適ノ途ヲ択ビ之レガ徹底ニ力ムルコト イ 実行事項ノ設定 ロ 講演会 ハ 講習会 ニ 映画会及音楽会 ホ パンフレツト、ポスター等ノ配付 ヘ 展覧会 ト 論文、詩歌、標語等ノ募集 チ 篤行者及団体ノ表彰及事績ノ調査発表 7 寺院、教会、劇場、活動写真館其ノ他多衆集合セル機会ヲ利用シ本運動ノ趣旨徹底ヲスルコト 8 各団体ニ於テ本運動ニ関スル行事実施ノ場合ニハ予メ関係市町村ト連絡提携ヲ図ルコト 9 本運動ニ関シ多人数ノ集合ヲ催シタル際ハ可成国民精神作興ニ関スル詔書ヲ捧読シ国歌ヲ合唱スルコト 教化総動員神奈川県委員会規程 第一条 本会ハ教化総動員ニ関係アル各種機関ノ連絡統制ヲ図リ諸般ノ計画・宣伝・実施等ニ付其ノ活動ヲ援助スルヲ以テ目的トス第二条 本会ハ会長一名委員若干名ヲ以テ組織ス 第三条 会長ニハ本県知事ヲ推挙シ委員ハ会長之ヲ委嘱ス 第四条 会長ハ会務ヲ総理シ本会ヲ代表ス会長事故アル時ハ会長ノ指名シタル委員其ノ職務ヲ代理ス 第五条 委員会ニ幹事長及幹事ヲ置キ会長之ヲ委嘱ス 幹事長ハ会長ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ掌理ス 幹事ハ会長及幹事長ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ処理ス 第六条 委員会ニ書記ヲ置キ会長之ヲ委嘱ス 書記ハ上司ノ指揮ヲ承ケ庶務ニ従事ス 教化総動員神奈川県委員会ニ於ケル実行計画 1 第一回委員会〔九月二十八日午前十時於横浜開港記念会館〕 〔会ノ順序予定〕 イ 委員会会長ノ挨拶 ロ 実行事項協議 2 教化総動員講演会〔右同日午後一時三十分於同館〕 〔会ノ順序予定〕 イ 知事ノ挨拶 ロ 文部大臣訓示 ハ 講演 〔参集者ハ委員ノ外市町村長、学校長、青年訓練所主事其他社会教育教化関係各種団体長等〕 3 巡回講演会及映写会〔十月、十一月中ニ実施ノ予定〕 イ 横浜市 ロ 横須賀市 ハ 川崎市 ニ 小田原町ホ 平塚町 ヘ 厚木町 ト 鎌倉町 チ 藤沢町リ 中野町 ヌ 都田村 4 印刷物配布 イ 中央ヨリ頒布ノモノ ロ 協議会及講演会ニ於ケル講演要領ヲ印刷セルモノ 5 篤行者及団体ノ表彰及事績ノ調査発表 6 各団体ノ実行援助 講師並映画班派遣其他 (裏書) 講演会参会者注意 1 本講演会ハ教化総動員神奏川県委員並市町村長・学校長・青年訓練所主事及男女青少年団体・教育会・在郷軍人会・神職会・宗教団体・教化団体・婦人団体等社会教育教化ニ関係アル団体ノ代表者ニ限リ聴講セシムル者トス 2 参会員ハ当日正午ヨリ午後一時二十分マデノ間ニ下ノ入場券相当欄ニ職氏名ヲ記入スルカ又ハ職氏名ヲ明記シタル名刺ヲ会場受付係ニ差出シ係ノ指揮ニ依リ入場セラルベシ 昭和四年九月二十八日午後於開港記 念横浜会館 教化総動員講演入場券 職又ハ資格 氏名 (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵) 三五四 神奈川県公私経済緊縮運動計画要項 神奈川県公私経済緊縮運動計画要項 戦時好況時代ニ馴致セラレタル浮華放縦ノ弊習ハ深ク人心ヲ浸シ経済的反動及大震火災ニ遭遇セルモ浪費贅沢ノ風尚更マル所ナク国民精神著シク弛緩シ他面産業ノ萎微不振既ニ久シク貿易逆調比年相亜ギ為替相場ハ平価ヲ下ルコト遠ク経済界ニ一大暗影ヲ投ジツヽアル現況ハ真ニ国家ノ深憂タリ 斯クノ如キ実状ニ鑑ミ政府ハ曩ニ声明ヲ発シ我国現下ノ難局ニ処シ公私経済ノ整理緊縮ノ切要ナルヲ明ニシ自ラ中央地方ノ財政ノ整理緊縮ヲ断行シテ其ノ基礎ヲ鞏固ナラシムルト共ニ一般国民ノ自覚奮起ヲ促シ挙国一致消費ヲ節シ冗費浪費ヲ排シテ国民経済ノ根底ヲ養ヒ以テ当面ノ難局打開ニ努メ他日躍進ノ素地ヲ作リ国力ノ充実伸張ヲ図ラントスル方途ニ出デタリ 災後〓ニ六年今ヤ官民一致ノ協力ニヨリ県下復旧復興ノ偉業ハ其ノ形態上ノ結構ニ於テハ殆ンド災前ニ相均シカラントスル観アレドモ真ノ復興ニ至リテハ前途猶遼遠ナリト言ハザルベカラズ是ヲ以テ県民等シク震災当時ニ体験シタル艱難ニ省ミ克己節制ノ美徳ヲ守リ勤倹力行ノ良風ヲ涵養スルコトハ単ニ時弊ヲ匡正シ国力ノ振興ヲ期スルガ為ニ必要ナルノミナラズ実ニ各自ノ生活ヲ安定シ復旧復興ノ実効ヲ期スル上ニ於テ最モ緊要トスル所ナリ 仍テ本会ハ〓ニ公私経済緊縮中央委員会ニ策応シ左記各項ニ依リ趣旨ノ普及徹底ヲ図リ以テ難局ノ打開ト国運ノ進展ニ資セントス 第一 公私経済緊縮運動ノ要項 現下我国財政並ニ経済ノ難局ニ在ルコト並ニ之ヲ打開スルニハ公私経済ノ緊縮ニ俟ツノ外ナキ所以ヲ明ニシ就中 一 財政ノ緊縮、公債ノ整理、金輸出解禁ノ我財政経済建直シノ為急務ナルコトヲ説キ国民ノ理解ヲ求ムルコト 二 個人経済ト財政並ニ国民経済ノ関係ヲ明ニシ国民全般ガ協力シテ消費節約ヲ為スノ必要ヲ自覚励行セシムルコト 三 質素、貯蓄ヲ奨励シ生活ヲ簡素ニシ社会生活ニ於ケル各種ノ弊習ヲ矯正シ進ンデ消費経済ノ各方面ニ工夫ヲ加ヘシムルコト 第二 公私経済緊縮運動ニ関スル機関 一 公私経済緊縮神奈川県委員会 公私経済緊縮中央委員会ト連絡ヲ保チ公私経済緊縮運動ニ関スル計画、宣伝、実行ノ統制促進ノ機関タラシムルコト 二 公私経済緊縮市町村委員会 各市町村長ヲ中心トスル公私経済緊縮何市〔町、村〕委員会ヲ設置スルコト 但シ区ノ設置アル市ハ区単位ニテモ可ナリ 第三 公私経済緊縮運動ノ方法 一 県告諭ヲ以テ公私経済緊縮運動ニ関スル要旨並ニ方法ヲ県下一般ニ諭達スルコト 二 公私経済緊縮運動ノ趣旨徹底方ニ付市町村長ニ対シ内務、学務両部長ヨリ通牒ヲ発スルコト 三 市町村ニ於テハ委員会ヲ設ケ本運動ノ要旨ニ基ヅキ夫々地方ノ事情ニ適切ナル実行事項ヲ協議シ各種団体ト連絡ヲ保チ之ガ実行ニ努ムルコト 四 本運動ニ関スル各種機関ノ連絡統制ヲ図リ諸般ノ計画、宣伝、実施等ニツキ其ノ活動ヲ援助スルコト 五 新聞、雑誌等ト連絡ヲ図リ其ノ協力ヲ求ムルコト 六 実業団体、教化団体、婦人団体等ノ民間団体ト連絡ヲ図ルト共ニ学者、実業家其ノ他ノ篤志者ノ協力ヲ求ムルコト 七 金解禁、国際貸借、列国ノ財政、公債及国富並ニ消費経済改善等ニ関スルポスター、冊子ノ頒布、映画ノ利用、講演会、講習会等ノ開催ヲ為スコト 八 寺院、教会、劇場、活動写真館、其他ノ場所ニ於テ多衆集合ノ機会ヲ利用シ公私経済緊縮ニ関スル趣旨ノ徹底ヲ図ルコト 九 公私経済緊縮ニ関スル優良ナル施設又ハ其ノ実績ヲ一般ニ推奨スルコト 十 国産品ノ使用ヲ奨励スルコト 公私経済緊縮神奈川県委員会規程 第一条 公私経済緊縮神奈川県委員会ハ公私経済緊縮ニ関スル諸般ノ調査講究ヲ為シ之カ実行ニ関スル事項ヲ掌ル 第二条 委員会ハ会長一名委員若干名ヲ以テ之ヲ組織ス 第三条 会長ハ神奈川県知事之ニ当リ委員ハ神奈川県知事之ヲ委嘱ス 第四条 会長ハ会務ヲ総理シ本会ヲ代表ス 会長事故アルトキハ会長ノ指名シタル委員其ノ職務ヲ代理ス 第五条 委員会ニ幹事長一名及幹事若干名ヲ置キ会長之ヲ委嘱ス 幹事長ハ会長ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ掌理ス 幹事ハ会長及幹事長ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ処理ス 第六条 委員会ニ書記ヲ置キ会長之ヲ委嘱ス 書記ハ上司ノ指揮ヲ承ケ庶務ニ従事ス (仙石原村役場「足柄下郡町村長会書類」(昭和二―四年)箱根町役場蔵) (注)この資料の年代は昭和四年九月である。 三五五 町村予算編成に関する神奈川県町村長会幹事会の決議 協議事項 (神奈川県町村長会幹事会昭和五年二月七日於県庁内会議室) 一 全国町村長会第十回総会経過報告 二 昭和五年度町村予算編成方針ニ関スル件 本年度ノ人件費ハ現員現支給ノ方針ヲ以テ編制シ増俸ヲ見合スコトノ可否 三 震災借入資金免除期成同盟会費分賦方法ニ関スル件 四 本年度本会予算編成方法ニ関スル件 五 本年定時総会ニ於テ表彰スベキ町村長其ノ他ノ選定ニ関スル件 六 現行選挙法実施ノ経験ニ鑑ミ改正スベキ意見蒐集ニ関スル件 昭和五年度県下各町村予算ハ昭和四年度当初予算ニ比シ凡ソ壱割五分減ノ見込ヲ以テ編成スベキ旨指示有之シニヨリ経営部臨時部共各費目ニ渉リ相当削減スルノ方針ナルモ人件費ハ当分ノ間削減スルノ余地ナキモノト思考スルニヨツテ現員現支給ノ方針ニヨリ編成シ増員増俸ハ一切之レヲ認メザルヲ適当トス 右決議ス 昭和五年二月七日 神奈川県町村長会幹事会 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三五六 町村予算更正に関する神奈川県町村長会会長の通達 昭和五年六月十二日 神奈川県町村長会長 新田信(印) 各町村長殿 町村予算更正方ニ関スル件 拝啓 今回義務教育費国庫負担金一千万円増額ニ相成候結果各町村ニ於テハ夫々本年度予算更正ノ手続ヲ執ラルヽ儀ト存候就テハ其ノ場合各町村共無論該交付金ハ専ラ負担軽減ニ充当候コトニ処理相成候儀トハ被存候ヘトモ若シ万一其ノ手運ヒニ不相成向モ有之候如キニ於テハ当時全国町村長会ニ於テ町村負担軽減ノ喫緊ナル所以ヲ力説強調シテ該増額案ノ成立促進ニ力メタルノ主旨ニ戻リ延ヒテ他日同会行動上ノ信用ニモ関スル由々敷結果ヲ招来スル虞モ有之候ニ付テハ此際右強調シタル精神ヲ充分ニ各町村ニ諒解ヲ求メ以テ該予算更正方ニ関シ適正ヲ失セサル様可然御取計相煩度儀全国町村長会長ヨリノ申出モ有之候間為念此段及通知候也 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三五七 時事問題に関する全国町村長会の小冊子発行の件照会 第八号 昭和五年七月拾壱日 中郡町村長会 大磯町長殿 時事問題ニ関スル小冊子発行ノ件 今回全国町村長会ニ於テ町村会議員ニ配布ノ為メ左記要項ニ依リ時事問題ニ関スル「パンフレット」ヲ発行ノ趣ニテ郡内町村長ニ対シ購入方御計画成度旨県町村長会ヨリ申越ニ付御通知旁一応御照会申上候 記 一 毎月壱回重要ナル時事問題世相事項等ニ関シ適当ナル人士ニ依リ為セル平易通俗ナル説明解釈ヲ為シタル小冊子ヲ発行シ実費ヲ以テ全国町村長会議員一同ニ配布スルコト 二 冊子ハ其ノ需要部数ヲ全国町村長会ヨリ一括各町村長宛送付シ各町村ニ於テ其ノ町村内各議員ニ配布スルコト 三 代金壱冊五銭一ケ年分六拾銭トシ半ケ年分其ノ半額参拾銭ヲ其ノ町村会議員数丈ケ本会〔県町村長会〕ヘ前納ノコト〔大体一ケ年拾円以内ニテ事足ルモノニ有之〕 四 前記実費前納金ハ各郡町村長ニ於テ之ヲ取纒メ本県町村長会事務所〔県庁地方課内〕ヘ送金ノコト 五 前記申込並送金ハ来ル七月末日限リ取計ハレタキコト 六 本誌第一巻ハ凡来ル八月下旬発行ノ見込 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三五八 神奈川県町村長会昭和五年度会務報告 昭和五年度会務報告 神奈川県町村長会 神奈川県町村会々務報告〔昭和五年通常総会以後〕 第十一回通常総会 昭和五年五月三日鎌倉町神奈川県師範学校講堂ニ於テ第十一回通常総会ヲ開催セリ当日ノ会員出席者百四十二名ニシテ其ノ郡別内訳左ノ如シ 久良岐郡 二名 橘樹郡 七名 都筑郡 八名 鎌倉郡 十五名 中郡 二十二名 足柄下郡 二十名 津久井郡 十四名 三浦郡 十三名 高座郡 十六名 足柄上郡 十五名 愛甲郡 十名 一 来賓ノ主ナル者左ノ如シ 神奈川県内務部長稗方弘毅、長橋商工課長、篠原事務官、上原鎌倉警察署長、豊田師範学校長、金子前会長、東京府渋谷町長、城所、白井両県会議員 一 会議ノ顚末、午前十一時三分開会石渡副会長開会ヲ宣シ一同君ケ代ヲ二唱新田会長国民精神作興ニ関スル詔書ヲ捧読シタル後別記町村長ノ表彰式ヲ行フ夫ヨリ知事代理稗方内務部長ノ告辞アリタル後新田会長ヨリ昭和四年度会務報告ヲ為ス〔印刷物配布〕 次ニ議事ニ移リ新田会長議長トナリ別記宣言書及各郡町村長会提出事項ノ順序ニテ逐次議題ニ供シ左ノ通可決確定セリ 宣言 我ガ国地方自治制度ハ其ノ形式的構成ニ於テ素ヨリ海外諸国ノ例ニ則レル所多シト雖其実質的精神ニ至リテハ遠ク建国ノ大精神ニ立脚シ民族発展ノ跡ニ考ヘ隣保団結ノ情誼ニ基キテ発達シ来レル古来ノ習慣ヲ尊重シテ相互ニ協力扶助シ以テ共同ノ福利ヲ増進セムコトヲ希求セラレタルハ市町村制発布ノ上諭ニ徴スルモ昭ニシテ専ラ道義ヲ以テ自治ノ根柢ト為シタルモノナルニ拘ラズ較モスレバ欧米ノ制度習慣ヲ模スルニ急ニシテ我ガ国二千五百年来長養シ来レル固有ノ団体精神ヲ忘却シ徒ニ個人ノ権利ヲ擁護スル事ノミニ走リ義務ノ観念ヲ欠ケル者多ク租税滞納ノ如キ逐年其ノ額ヲ増加シ今ヤ自治体ノ財政ヲシテ殆ド窮地ニ陥ラシメムトスルニ至ル吾人自治政運営ノ局ニ在ル者宜シク率先シテ自治精神ノ高調ト道義ノ恢弘ニ努力セムコトヲ期ス 現下我ガ国情ニ照シ憂フベキ事象一ニシテ足ラズ政治ニ教育ニ産業ノ萎微ニ比々皆然ラザルナシ就中財政経済ノ窮迫ヲ以テ最ト為ス殊ニ本県ニ在リテハ震災ノ劫禍絶大ニシテ公私共ニ多大ノ損害ヲ被リ現在ノ負担程度ヲ持続スルコト既ニ困難ナル状態ナルニ拘ラズ早クモ震災応急復旧費ノ為借入レタル多額ノ負債ヲ償還セザルベカラザルニ至ル是ノ窮局打開ノ方法ニ関シテハ従来不断ノ努力ヲ続ケツヽアリト雖吾人ハ此ノ際更ニ一層協力シテ以テ局面展開ノ途ヲ求メ速ニ具体的効果ヲ実現セシムベク邁進セムコトヲ期ス 地方自治ト中央政治トハ自ラ其ノ分果ヲ存セザルベカラズ然ルニ近時中央政界ニ於ケル政党ノ勢力著シク地方自治政ニ浸潤シ中央政情ノ変動ハ惹テ地方自治政上ニ紛争ヲ繁カラシメムトスルノ風ヲ馴致シ今ヤ其ノ弊ニ堪ヘザラムトスル向少カラズ吾人ハ町村ノ代表者トシテ自治運営ノ職権ヲ有スルト共ニ一面国家ノ事務ヲ分任スル責任ノ地位ニ在リ宜シク其ノ職守ヲ厳守シ不偏不党毅然トシテ地方ノ公利公益ヲ進メ自治体ニ於ケル紛議ハ努メテ之ヲ自治ノ機関ニ依リテ解決シ政党勢力ノ浸入ヲ抑止シ真ニ自治ノ本領ヲ発揮セムコトヲ期ス 〓ニ第十一回通常総会開会ニ当リ敢テ本会ノ所信ヲ宣ス 昭和五年五月三日 神奈川県町村長会 決議 一 町村公民権及衆議院議員選挙権被選挙権ノ欠格要件中ニ左ノ一項ヲ加ヘ義務ノ履行ヲ為サヾル者ニ対シテハ権利ヲ付与セザルコトニ法規ノ改正方ヲ其ノ筋ニ上申スルコト 一 租税滞納処分中ノ者 各郡提出事項 一 義務教育費国庫負担金分配ニ当リ貧弱町村ヲ決定スル要件極メテ妥当ナラズ直接国税戸数割ノ標準規定ノ外ニ府県知事ノ認定スル順位ヲ最モ尊重スルコト〔原案可決〕 二 統計事務ニ従事スル書記ノ給料ハ之ヲ国庫支弁トスルコト〔同上〕 理由 口頭説明 高座郡町村長会提出 三 県費支弁〔道路橋梁堤防〕ノ土木工事ヲ地元請負ニ変更セラルヽ様県ヘ陳情スルコト〔原案可決〕 理由 口頭説明 足柄下郡町村長会提出 四 昭和五年度県税地租付加税ハ昭和四年度ニ比シ著シク増額セラレタルモ近時極度ニ疲弊セル農村ニ於テハ到底其ノ負担ニ堪ヘザルヲ以テ之ガ軽減方ヲ其ノ筋ニ請願スルコト〔原案可決〕 理由 口頭設明 五 神奈川県々税賦課規則第四十一条除税事項第九号ヲ左ノ通リ改正方其ノ筋ニ請願スルコト 記 「耕作専用ノ船及同専用ニシテ車輪直経曲尺二尺未満ノ荷積小車」トアルヲ「耕作専用ノ船及同専用ノ荷積小車」ニ改ムルコト〔同上〕 理由 口頭説明 中郡町村長会提出 ○県奨励金下付 昭和五年五月五日本県知事ニ対シ昭和五年度奨励金下付ノ申請ヲ為シ同年五月十六日神奈川県指令地第二、三六五号ヲ以テ金九百円ヲ交付セラルベキ旨許可セラレ現金受領セリ ○陳情書提出 本年度通常総会ノ決議ニ基キ左ノ陳情書ヲ知事ニ提出セリ 陳情書 本年五月開催ノ本会通常総会ニ於テ別記ノ通決議候ニ付テハ町村自治振興並ニ目下窮乏ノ極ニ在ル町村財政ノ現状ニ鑑ミラレ篤ト御賢察ノ上之ガ実現方御高配相成度此段及陳情候也 昭和五年七月十日 神奈川県町村長会長 新田信 神奈川県知事 山県治郎殿 記 一 県費支弁〔道路橋梁堤防〕ノ土木工事ヲ地元請負ニ変更セラレタシ 二 昭和五年度県税地租付加税ハ昭和四年度ニ比シ著シク増額セラレタルモ近時極度ニ疲弊セル農村ニ於テハ到底其ノ負担ニ堪ヘザルヲ以テ之ガ軽減相成度 三 神奈川県々税賦課規則第四十一条除税事項第九号ヲ左ノ通改正相成度 記 「耕作専用ノ船及同専用ニシテ車輪直径曲尺二尺未満ノ荷積小車」トアルヲ「耕作専用ノ船及同専用ノ荷積小車」ニ改ムルコト ○陳情電信発信 義務教育費国庫負担金増額ノ件ニ付貴族院特別委員公爵近衛文麿氏外十五名宛左記電信ヲ以テ陳情セリ 電文 「義務教育費国庫負担金ノ増額ハ是非必要ニ付実現方特ニ御配慮ヲ乞フ神奈川県町村長会」 ○幹事会開会 昭和五年七月十四日県庁四階予備室ニ於テ開会新田会長外各郡幹事及鎌倉、秦野、小田原各町長出席 会議顚末、午前十時五十分新田会長開会ヲ宣シ去月二十四日東京ニ於テ開会ノ全国町村長会幹事会ノ決定事項関係各府県ニ於ケル震災応急資金償還ニ関スル状況等ヲ報告シタル後左記協議事項ヲ決定セリ 協議事項 (一) 一時償還ニ属スル預金部借入金ハ借替ノ決議ヲ為スコー (二) 昭和六年度ヨリ償還開始ノ預金部資金ハ尚三年据置期間ヲ延長シ昭和九年度ヨリ償還スルコト (三) 昭和四五年度預金部資金ノ利子ハ予算ニ計上スル事 右財源ハ県当局ノ了解ヲ求メテ義務教育費国庫下渡金ノ増額分ヲ直ニ振向クルヲ得ルコトヽ為スコト (四) 前三項ハ町村ノ財政状況ニ依リ特別ノ措置ヲ受クルコトヲ妨ゲズ (五) 国庫借入金ノ分ハ当初ノ目的ニ向ツテ進ム事 ○幹事会開会 昭和五年七月二十九日県庁二階会議室ニ於テ開会新田会長石渡副会長外各郡幹事出席 会議顚末、午前十時二十五分新田会長開会ヲ宣シ本月十四日ノ幹事会ニ於ケル申合事項ノ各郡ニ於ケル決定状況ヲ報告各郡ノ意見ヲ参酌シ適当ナル案ヲ作ルベク種々協議シタルモ結局成案ヲ得ズ 次ニ来ル八月十八日午前十時東京赤坂区三会堂ニ於テ開催ノ時局ニ関スル全国町村長臨時大会ノ出席者各郡一名宛出席スルコトニ決定セリ 次ニ篠原相談役ヨリ今回退官セラレタル長岡官房主事ノ記念品ニ付協議ノ結果県町村長会ヨリ金百円贈呈スルコトニ決定セリ ○幹事会開会 昭和五年八月五日県庁二階会議室ニ於テ開会後藤副会長外十名出席会議顚末、午前十一時五十分後藤副会長開会ヲ宣シ七月三十一日開催セラレタル期成同盟会役員会ニ於ケル決定事項及本県ノ執リタル態度ヲ報告スベシトテ左ノ通其ノ状況ヲ報告セリ (一) 預金部資金ハ各府県個々ニ解決スルコト (二) 国庫貸付金ハ従来ノ方針ニ依リ関係府県ノ同盟ヲ以テ解決ヲ図ルコト 尚本県ハ場合ニ依リ同盟会ヲ脱会スルニ至ルベキ旨ヲ述ベ置キタルコト 次デ震災資金ニ関スル関係府県期成同盟会脱会ノ件ニ付左記ノ通臨時総会開会ノコトニ決定セリ 一 開会年月日 昭和五年八月十一日午前十時 一 場所 大磯小学校講堂又ハ平塚小学校講堂トシ平塚町長ニ於テ決定ノ上直ニ県町村長会ニ報告スルコト ○臨時総会開会 昭和五年八月十一日中郡大磯小学校講堂ニ於テ開催新田会長外関係町村長百十名出席 会議顚末、午前十一時五分後藤副会長開会ヲ宣シ次デ河野豊川村長議長トナリ期成同盟会脱会ノ件ヲ議題ニ供シタルニ多少ノ異論アリタルモ結局満場一致脱会スルコトニ決定セリ 尚将来ノ運動方針ニ付テ協議ノ結果震災借入金関係ノ運動ハ県町村長会トハ別ニ各郡ヨリ一名乃至二名ノ実行委員ヲ選定シ運動スルコトヽシ河野豊川村長実行委員長ニ当選セリ 実行委員長及委員左ノ如シ 実行委員長 足柄下郡豊川村長 河野治平 実行委員 久良岐郡金沢町長 松本房治 橘樹郡宮前村長 都倉義知 都筑郡都岡村長 瀬戸豊之助 三浦郡浦賀町長 石渡秀吉 同郡西浦村長 新倉豊吉 鎌倉郡大正村長 川辺勝三郎 同郡本郷村長 佐相竹次郎 高座郡茅ケ崎町長 新田信 同郡海老名村長 望月珪治 中郡平塚町長 鈴木清寿 同郡城島村長 菅沼保之輔 足柄上郡中井村長 城所源助 足柄下郡豊川村長 河野治平 同郡真鶴町外二ケ村組合長 松本赳 愛甲郡厚木町長 後藤宗七 津久井郡中野町長 三樹保治 午後三時四十四分閉会セリ ○幹事会開会 昭和五年十月十六日足柄下郡湯河原町富士屋旅館内ニ開催新田会長外各郡幹事出席 会議顚末、午後五時新田会長開会ヲ宣シ政務調査会ノ経過状況ヲ報告シ次デ各地方ニ於テ府県連合会ヲ設立セラレアルニ鑑ミ関東地方ニ於テモ大体左記要項ニ依リ関東連合会ヲ設立セムトスルノ議アリ依テ之ニ参加スベキヤ否ヤヲ諮リタルニ満場異議ナク加盟スルコトニ決定セリ (一) 加盟府県 東京府、神奈川県、千葉県、埼玉県、群馬県、栃木県、山梨県 (二) 開会及出席者連合会ハ問題ノ起ル毎ニ随意開会スルコトヽシ出席者ハ普通ノ場合ハ関係府県ノ代表トス (三) 会費 大体開催地ノ府県ニ於テ負担スルコトヽシ一部ハ関係府県ニ於テ分担スルコト (四) 開催地 第一回ハ東京府ニ於テ開催スルコト順次各府県ニ於テ開催スルコト 午後五時二十分閉会後出席者一同ニ金子前会長ヲ加ヘ同所ニ於テ懇親会ヲ開催セリ ○幹事会開会 昭和五年十一月二十五日県庁二階会議室ニ於テ開会新田会長及各郡幹事出席 会議顚末、午前十一時八分開会関東連合会創立総会提出事項及出席者ニ関スル件ヲ議題ニ供シ左ノ通決定セリ (一) 出席者 各郡町村長会長及副会長ノ二人ヅヽトスルコト 〔外ニ県町村長会長及石渡副会長出席ノコト〕 (二) 提出事項 1 選挙権ノ欠格要件中「租税滞納処分中ノ者」ヲ加フルコト 2 小学校教員恩給基金ハ一般官吏同様本人ヨリ納付スルコトニ法ノ改正方要望ノ件ハ未ダ実現ニ至ラザルヲ以テ之ガ実現方ヲ更ニ陳情スルコト 次ニ左記事項ヲ県当局ニ陳情スルト共ニ第四項第五項ニ付テハ県会議員ニ向テ運動ヲ為スコトヲ議決ス 1 小学校教員ノ初任給ヲ二円引下方ヲ要望スルコト 2 昭和六年度ニ於テモ引続キ増俸ヲ中止セラレタキコト 3 補助教員ハ当分ノ間之ヲ置カザルコトヲ承認セラレタキコト4 地租付加税ハ昭和四年度当初予算ノ税率以下ニ引キ下ゲラレタキコト 5 耕作専用車ハ免税セラレタキコト ○幹事会開会 昭和五年十二月十五日県庁四階会議室ニ於テ開会新田会長外各郡幹事出席 会議顚末、午前十時新田会長開会ヲ宣シ左ノ通豆相地方ノ震災ニ関シ取リタル措置等ヲ報告ス イ 震災直後関係町村ヘ取敢ヘズ電報ヲ以テ見舞ヲ為ス ロ 二十九日会長副会長三名ニテ関係町村ヲ訪問シ見舞ヲ為ス ハ 箱根町外二ケ村組合ヘ見舞金トシテ金五拾円ヲ贈呈ス ニ 関係町村長ヨリノ謝電及各府県町村長会長ヨリノ見舞状等アリタルコト 次ニ全国町村長会第十一回定期総会出席者及提出事項ヲ左ノ通決定セリ (一) 出席者順位ニ依リ足柄下郡、橘樹郡、都筑郡ヨリ各一名〔何レモ郡町村長会長〕 (二) 提出事項 小学校教員ノ恩給基金ハ一般官吏同様本人ヨリ納付スルコトニ法ノ改正方要望ノ件未ダ実現セザルニ付之ガ実現ヲ期スルコト 尚昭和六年度町村予算編成方針ニ付協議ヲ為シ午後〇時三十分閉会 ○幹事会開会 昭和六年一月十二日県庁二階会議室ニ於テ開会新田会長外各郡幹事出席 会議願末、午後一時五十分新田会長開会ヲ宣シ各府県ヨリ震災見舞状ヲ受ケタル件及之ニ対シテ措置シタル顚末ヲ報告シタル後昭和六年度本会予算編成上ノ資料トシテ町村吏員ノ表彰ハ如何ニスベキヤヲ諮リタルニ前年同様町村長ノミノ表彰ニ止ムルコトニ決定ス 次ニ前会ノ幹事会ニ於テ決定セル全国町村長会第十一回定期総会出席者ハ何レモ客年四月三重県ニ於テ開催ノ臨時総会ニ出席セラレタル者ニ付次位ノ足柄上郡、三浦郡、高座郡ヨリ出席スルコトニ変更セリ尚昭和六年度町村予算編成方針ニ付更ニ具体的決定ヲ為スベク諮リタルモ右ハ県当局ノ了解ヲ得ベキ事項ニ付県ノ意向ヲ確メテ後審議スルコトニ決定ス 会議事項ヲ終リタル後、落合内務部長、福本地方課長ヨリ震災借入金問題ニ付詳細ナル希望意見アリ午後三時三十分閉会セリ ○幹事会開会 昭和六年一月二十八日県庁二階会議室ニ於テ開会新田会長外各郡幹事出席 会議顚末、午後二時五十五分新田会長開会ヲ宣シ客年十二月十五日ノ幹事会ニ於テ決定シタル昭和六年度予算編成方針ニ付数回県当局ト折衝ヲ重ネタル結果本日此ノ席ニ於テ内務部長ヨリ県ノ御意向ヲ述ベラルヽコトヽナリタルニ付聴取セラレタシト述ベ落合内務部長ヨリ別記実行要目〔編成方針〕ニ付逐条的ニ県ノ意見ヲ述ベラレ結局一部修正ヲ行ハルヽニ於テハ県ハ之ニ同意スルモノナル旨ヲ述ベラル仍テ会長ハ右修正案ニ付各幹事ニ諮リタル処各幹事ヨリ交々県当局ニ質問アリ之ニ対シ落合内務部長、九鬼学務部長、村上教務課長ヨリ夫々回答アリ結局満場異議ナク修正案通決定セリ 記 昭和六年度予算編成ニ関スル申合セ事項 一 来年度ニ於ケル町村予算ハ出来得ル限リ之ヲ緊縮シ以テ負担ノ軽減ヲ図ルコト 二 町村予算ノ各費目ニ対シ努メテ節約ヲ加フルハ勿論ナルガ就中其ノ大部分ヲ占ムル教育費ニ関シテハ左記事項ニ依リ節減スルコト 1 教員俸給ハ成ルベク一割ヲ標準トシテ低減ノ途ヲ講ズルコト但シ預金部借入金ヲ有セザル町村ハ此ノ限リニ在ラズ 其ノ方法トシテ イ 初任給ハ男子三円女子二円及各種兼務手当ハ一割以内減ズルコト ロ 教員ノ増俸ハ特別ノ事由アルモノヲ除キ一ケ年間中止スルコト ハ 六年度予算ハ現員現給ニ依リ編成スルコト 2 学級ノ整理ヲ行フコト 3 十二学級以下ノ学校ニ在リテハ成ルベク専任学校長及補助教員ヲ置カザルコト但シ十三学級以上ノ学校ニ在リテモ可成校長ニ於テ授業ヲ担任スルコト 4 已ムヲ得ザル場合ハ低学年ノ二部教授ヲ行フモ差支ナキコト 5 住宅料ノ給与中止ハ随意トスルコト 三 町村役場吏員ニ関シテハ前項教員ノ例ニ準ジテ之ヲ行フコト 四 各種団体補助額ハ相当減額スルコト ○幹事会開会 昭和六年三月二十七日県庁二階会議室ニ於テ開会新田会長外足柄上郡、津久井郡、高座郡ヲ除ク各郡幹事出席 会議顚末、午前十一時四十分新田会長開会ヲ宣シ昭和四年度決算及昭和六年度予算ヲ議題ニ供シ篠原相談役ヨリ説明ヲ為シタルニ満場異議ナク可決 次ニ昭和六年度本会通常総会開催ノ件ヲ議題ニ供シ種々協議ノ結果大体五月上旬藤沢町ニ於テ開催ノコトヽシ詳細ハ追テ幹事会ヲ開キテ決定スルコトニ決ス 次ニ本会総会ニ於テ前会長金子角之助氏ヲ本会顧問ニ推薦スルコトヲ諮リタルニ之亦満場異議ナク午後○時十分閉会セリ ○評議員会開会 昭和六年三月二十七日県庁二階会議室ニ於テ開会新田会長外各郡評議員十九名出席 会議顚末、午後一時四十分新田会長開会ヲ宣シ昭和四年度決算及昭和六年度予算ヲ議題ニ供シ篠原相談役ヨリ説明ヲ為シタルニ満場異議ナク左ノ希望条件ヲ付シ原案可決トナル 来年度〔七年度〕ヨリハ会長及副会長ニ対スル幾分ノ手当ヲ予算ニ計上スルコト 次ニ会長ヨリ本日ノ幹事会ニ於テ決定セル本年度通常総会開催ノ件及右総会ニ於テ前会長金子角之助氏ヲ本会顧問ニ推薦スベキコトヲ諮リタルニ之亦満場異議ナク可決セリ 次ニ来月松江市ニ於テ開催ノ全国町村長大会ニハ順位トシテ愛甲郡、中郡、鎌倉郡ノ三郡ヨリ代表者ヲ出席セシムルコトニ決定午後二時二十分閉会セリ ○幹事会開会 昭和六年四月二十八日県庁二階会議室ニ於テ開会新田会長外各幹事出席 会議顚末、午後二時三分新田会長開会ヲ宣シ協議ノ結果左記ノ通本年度〔第十二回〕通常総会開催ノ事ニ決定セリ (一) 開会月日時 五月九日午前十時 (二) 総会ノ場所 藤沢町湘南中学校講堂 (三) 懇親会場 同町角若松 但シ午後三時ヨリ開宴シ徴収会費ハ金二円トスルコト (四) 表彰 前年ノ例ニ依リ換算八年以上勤続ノ三浦郡田浦町長渡戸直三氏ヲ表彰スルコト (五) 決議案 左ノ七件ヲ提案スルコト 1 衆議院議員及県会議員選挙開票事務ハ町村長ニ於テ之ヲ行フコトニ関係法規ノ改正方ヲ其ノ筋ニ具陳スルコト 2 市町村ノ出納閉鎖期ヲ従前ノ通リ六月末日トスルコトニ其ノ筋ニ具陳スルコト 3 衆議院議員、県会議員及市町村会議員ノ選挙資格ヲ統一シ選挙人名簿ヲ一ニスルコト並ニ名簿登載ハ公簿主義ニ依ルコトニ其ノ筋ニ具陳スルコト 4 租税滞納処分中ノ者ハ総テノ公権ヲ停止スルコトニ其ノ筋ニ具陳スルコト 5 家屋税調査委員会ハ四年ニ一回之ヲ開キ家屋ノ賃貸価格ヲ調査スルコトニ其ノ筋ニ具陳スルコト 6 県営土木工事ニ付テハ地元請負ヲ許サルヽ様県ニ陳情スルコト 7 冠婚葬祭費ヲ節約シ生活改善ヲ図ルコト〔具体案ハ幹部ニ一任ノ事〕 右ノ外各郡町村長会ヨリノ提出事項アリタル場合ハ幹部ニ於テ適宜取捨選択ノ上提案スルコト (六) 宣言左ノ通 1 義務教育費国庫負担金ノ増額ヲ期ス 2 農漁山村及中小商工業者負債整理ノ実行ヲ期ス 3 町村財源ノ拡張充実ヲ期ス 4 町村有建物火災保険相互組合法及町村吏員互助組合規則制定ノ実現ヲ期ス 5 町村吏員優遇案ノ実現ヲ期ス 午後三時三十分閉会セリ 本日ノ幹事会ヲ以テ現役員ノ任期終了ニ付閉会後出席者一同記念撮影ヲ為シ午後四時ヨリ野毛坂小川屋ニ於テ懇親会ヲ開催セリ 昭和六年度会費分賦徴収方法 ⑴ 分賦方法 昭和五年十月一日施行昭和五年国勢調査ニ依ル現住人口ヲ標準トシテ左ノ区分ニ依リ各町村ニ分賦ス 一 人口五千未満ノモノ 一町村役場ニ付 金拾五円 二 人口五千以上一万未満ノモノ 同 金弐拾円 三 人口一万以上二万未満ノモノ 同 金弐拾五円 四 人口二万以上ノモノ 同 金参拾円 五 人口三万以上ノモノ 同 金四拾円 ⑵ 徴収方法 昭和六年六月中一時ニ之ヲ徴収ス 〔参照〕 一 人口三万以上ノ町村 平塚町 二 人口二万以上ノ町村 田浦町、浦賀町、鎌倉町、藤沢町、茅ケ崎町、小田原町、計六 三 人口二万未満ノ町村 逗子町、三崎町、秦野町、足柄村、計四 四 人口一万未満ノ町村 金沢町、高津町、中原町、稲田村、都田村、衣笠村、葉山町、南下浦村、長井町、西浦村、戸塚町、小坂村玉縄村組合、腰越町、川口村、中和田村、寒川村、海老名村、座間村、大野村〔高座〕、大和村、綾瀬村、渋谷村、大磯町、吾妻村、大野村〔中〕、西秦野村、中井村、松田町、川村、酒匂村、真鶴町外二ケ村組合、湯河原町、厚木町、計三十三 五 人口五千未満ノ町村 以上一、二、三、四、以外ノ町村、百十四 ○総会又ハ大会ニ出席スル県代表者選定ノ郡順位 第一 足柄下郡 第二 久良岐郡 橘樹郡 第三 三浦郡 第四 高座郡 第五 愛甲郡 第六 中郡 第七 鎌倉郡 第八 津久井郡 第九 足柄下郡 第一〇 都筑郡 神奈川県町村長会表彰規程 第一条 本会ハ現ニ本県町村吏員ニシテ同一町村ニ於ケル勤続年数左ノ各号ノ一ニ該当シ其ノ功労顕著ナル者ニ対シ之ヲ表彰スルモノトス 一 町村長 八年以上 一 助役 十年以上 一 其ノ他ノ吏員 十五年以上 助役ヨリ町村長ニ転ジタル者及其ノ他ノ吏員ヨリ助役又ハ町村長ニ転ジタル者ニ在リテハ助役ノ二年ヲ以テ町村長ノ一年ニ其ノ他ノ吏員ノ二年ヲ以テ助役ノ一年ニ同三年ヲ以テ町村長ノ一年ニ換算シ前項ノ年数ヲ計算ス 第二条 表彰ハ本会幹事会ノ詮衡ヲ経テ会長之ヲ決定シ毎年一回本会定期総会ノ際ニ於テ之ヲ行フモノトス 但シ必要ニ応シ臨時表彰スルコトアルモノトス 第三条 表彰ヲ行フニハ表彰状ヲ用ヰ且ツ永ク紀念スルニ足ル物品ヲ贈呈スルモノトス 第四条 表彰者ハ順次本会表彰者名簿ニ登録スルト共ニ一般ニ之ヲ公示スルモノトス 被表彰者若シ禁錮以上ノ刑ヲ受ケ又ハ素行修マラザルトキハ幹事会ノ決議ヲ以テ表彰ヲ取消シ表彰者名簿ヨリ削除スルモノトス 付則 本規定ハ昭和五年度ヨリ施行ス 勤続年数ハ其ノ就職ノ日ニ遡リ之ヲ起算ス ○本会役員氏名 会長 高座郡茅ケ崎町長 新田信 副会長 三浦郡浦賀町長 石渡秀吉 幹事 久良岐郡金沢町長 松本房治 都筑都都岡村長 瀬戸豊之助 鎌倉町大正村長 川辺勝三郎 中郡平塚町長 鈴木清寿 足柄下郡豊川村長 河野治平 津久井郡中野町長 三樹保治 評議員 久良岐郡金沢町長松本房治 橘樹郡宮前村長都倉義知 都筑郡都岡村長瀬戸豊之助 三浦郡西浦村長新倉豊吉 鎌倉郡大正村長川辺勝三郎 〔欠員一名〕 高座郡座間村長稲垣許四郎 愛甲郡厚木町長 後藤宗七 橘樹郡宮前村長 都倉義知 三浦郡西浦村長 新倉豊吉 高座郡 欠員 足柄上郡中井村長 城所源助 愛甲郡厚木町長 後藤宗七 高津町長 田中鉐雄 中里村長 蕪木晴之 〔欠員二名〕 本郷村長 佐相竹次郎 麻溝村長 斎藤五郎 六会村長飯田伝之助 〔欠員一名〕 中郡大磯町長二宮長松 伊勢原町長田中音吉 足柄上郡中井村長城所源助 平塚町長 鈴木清寿 城島村長 菅沼保之輔 〔欠員二名〕 足柄下郡真鶴町外二ケ村組合長 松本赴 国府津町長長谷川弥三郎 仙石原村長 石村喜作 小田原町長中田寿一郎 愛甲郡厚木町長後藤宗七 〔欠員一名〕 津久井郡日連村外一ケ村組合長 杉本銀次郎 串川村長大内寛 顧問 神奈川県書記官内務部長 落合慶四郎 地方事務官地方課長 福本柳一 同 庶務課長 広田増太郎 同 会計課長 小玉道雄 相談役 地方事務官 篠原忠治郎 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) (注)神奈川県町村長会歳入歳出予算、決算、神奈川県町村長会会則、神奈川県町村長会旅費規定は省略した。 三五九 川崎市市会における市会議員市参事会員の費用半減に関する議事録と決議(一-二) (一) 意見書 現下深刻ナル経済界ノ不況ニ鑑ミ市会議長、同副議長、市会議員及名誉職市参事会員ノ年費用弁償ヲ当分ノ内各其ノ定額ノ半額ヲ減シ依テ生スル金額ヲ社会政策的施設ニ充当相成様適当ナル御措置相成度 右市会ノ議決ヲ経意見書及提出候也 昭和五年十月二十八日 市会議長 石井郁之助 川崎市長 春藤嘉平殿 右提出者 市会議員 野口喜一 同 高塚龍介 同 吉浜新右衛門 同 増山周三郎 同 松本喜久蔵 同 出川健 賛成者 市会議員 斎藤幸一郎 同 愛波与平 同 金刺不二太郎 同 和泉安太郎 同 岩崎太左衛門 同 井上章平 同 平野藤太郎 同 石川慶蔵 同 栗谷住蔵 同 伊藤利次 同 広沢友次 同 石井郁之助 (二) 十一番〔野口君〕 提出者ノ一人ト致シマシテ、意見書提出ノ理由ヲ申上ゲタイト存ジマス、今ヤ深刻ナル此経済的不況ハ我ガ都市ヲ冒シマシテ、愛スベキ市民ハ年末愈々近キ時ニ際シテ、生活難ニ泣クコトヽ思フノデアリマス、殊ニ先刻理事者ノ提案ヲ見マシテモ、追加案ニ対シテ、賞与一割減ヲ提案セラレ、而モ此窮迫セル財政ニ鑑ミマシテ私等ハ〓ニ市会議員トシテ受クベキ弁償額、即チ歳費ヲバ半減シテ然ルベク社会施設ノ財源ニ充テタイト思フノデアリマス、何卒賢明ナル我ガ議員諸君ニハ此歳末不況ノ差迫ル目前ニ於テ、此意見書ガ通過致シマスルヤウ御賛成アラムコトヲ、意見書ノ理由ト共ニ希望ヲ申上ゲル次第デアリマス 七番〔愛波君〕 私ハ本案ニ対シテ賛成スル者デアリマス、其理由ト致シマシテ固ヨリ我等ハ市会議員ト云フ名誉職デアリマシテ、是ニ対スル報酬ハ受クベキデナイト云フコトハ明デアリマスガ、是ニ対シテ吾々ガ費用弁償ヲ受クルト云フコトハ、最モ合理的デアルコトハ、申スマデモナイコトデアル、此費用弁償ハ大正十三年ニ制定サレマシテ、其後非常ニ物価ガ下落シ、最近又稀ニ見ル物価ノ激落ヲ致シタノデアリマス、サウ云フ際ニ於テ吾々ガ斯カル費用弁償ハ-多額ノ費用弁償ヲ受クルト云フコトハ、洵ニ時勢ニ逆行シタモノト考ヘルノデス、随テ本意見書ニ賛成スル者デアリマス 三十四番〔金剌君〕 本案ニ賛成致シマス 二十七番〔井上君〕 本員モ原案ニ賛成致シマス 十七番〔清水君〕 本員モ此問題ハ非常ニ良イト思ヒマスカラ賛成シマス 副議長〔石川君〕 本案ハ成規ノ賛成ニ依リマシテ議題トナリマシタ、直ニ第一読会ヲ開キマス 市名誉職費用弁償半減ニ関スル件 第一読会 〔増田君退席〕 十九番〔陶山君〕 突如社会施設ノ名目ニ依テ出サレタ本意見書ニ対シテ本員ハ意見ヲ申上ゲタイト思ヒマス、何故ナラバ本意見書提出ノ石井郁之助氏ハ、今日此提案ヲサレル前ニ於テ、吾々遺憾乍ラ不信任案ヲ提出シタ人デアル、其不信任ノ理由ノ根本ニ於テ、苟モ地価僅ニ六七円ヨリ安イト云フ地所ヲ市民ノ為ノ水道用地ヲ二十五円デ売ルト云フヤウナ行動ヲ明瞭ニシテ居ツタ此議長ノ名ニ依テ此意見書ガ斯ノ如ク突如提出サレルト云フコトニ付テハ甚ダ意外ニ考ヘザルヲ得ナイ、少クトモ吾々議員ガ今日ノ経済界不況ニ対シ、費用弁償ノ半減ト云フヤウナ問題ハ、全市会議員ニ関連スル問題デアルカラ、宜シク吾々全員ハ共ニ協議シ、然ル後ニ斯ノ如キ意見書ヲ提出スベキモノデアル、然ルニ拘ラズ此意見書が突如提出サレタノデ其経過ニ於テ本員ハ本意見書ノ内容其モノニ向テヨリモ、本意見書ガ提出サレル所ノ経過ニ向テ、吾々市会議員トシテ賛成スルコトハ出来ナイノデアリマス、尚ホ此意見書ニ賛成スルコトノ出来ナイ根本的理由ヲ〓デ以テ詳細ニ申上ゲルコトハ避ケマスガ、苟モ議員ノ職責ニ於テ今日不況ノ際、市民諸君ガ負担ニ苦シム折、費用弁償ヲ全廃スル位ノ意思ハ持ツベキデアル、サリ乍ラ今日此費用弁償ヲ半減シテ幾何川崎市ノ財政上余裕ヲ保チ得ルカ、吾々真ニ努力シ真ニ市政ニ尽シ、公正純潔ニ事ヲ処スナラバ斯ンナ少々ノ減額ハ問題デナイ、一方市民ニ大損害ヲ与ヘテ居ルト云フ事実アリ乍ラ、此小額ノ減額ヲ意見書トシテ〓ニ提出サレルト云フコトハ不可解デアル、サウシテ吾々ニハ共通ノ問題デアルニ拘ラズ、一言ノ協議モナク相談モナク意見書トシテ〓ニ突如提出サレタト云フコトノ実際ノ経過及提出者タル所ノ市会議長石井郁之助ノ執ツタ所ノ過去ニ於ケル不信任ノ事実、其根本ノ理由ガ市民ノ負担ヲ増額シテ自分ノ私腹ヲ肥シ、其為ニ水道用地ヲ三倍ノ値デ売ツテ、不信任ヲ受ケテモ議長ノ席ニ著クト云フ人カラ、本意見書ノ如キ提出サレルト云フコトハ、社会道徳上私ハ大ニ考慮シナケレバナラヌ問題ト考ヘルノデス、是等ノ諸意見ヲ総合シテ本案ノ保留説ヲ提出スルモノデアル、諸君ハ本案ノ内容ニ付テハ其保留後ニ於テ休憩中ノ相談会ニ於テ吾々一同ト議ヲ練リ諸君ノ意思ヲ十分発表シテ、吾々ノ意見ヲ徴シ然ル後本案ノ如キハ提出サルベキモノデ、少クトモ提案ノ経過ニ於テ不穏当ト認メテ居ルノデ本員ハ〓ニ休憩ノ動議ヲ提出スル、諸君願クハ此動議ニ御賛成下スッテ、休憩中ニ十分協議セラレムコトヲ希望スル次第デアル 〔「賛成」「休憩」其他発言スル者多ク議場騒然〕 副議長〔石川君〕 暫時休憩シマス 午後二時二十五分休憩 午後二時三十七分開議 副議長〔石川君〕 引続イテ開会致シマス 〔書記、出席議員副議長トモ三十一名ト報告〕 副議長〔石川君〕 御諮リ致シマス、本案ハ大分紛糾ヲ重ネマシタ結果提案者カラ撤回ノ御話ガアリマシテ一時撤回スルコトニ致シマシタ、本問題ニ付キマシテハ、改メテ協議会ヲ開キ御協議ヲ願ヒタイト思ヒマス 八番〔菊地君〕 南河原ノ踏切問題ニ付テハ屢々県庁ニ陳情ニ行ツテ陳情シマシタガ、其後ノ消息ハドウナツテ居リマスカ、大蔵省ノ起債ノ話ガ出来タト云フコトヲ承知シテ居リマスガ、餘リ此儘ニシテハ交通上不便ヲ感ジ苦情モ聞クノデアリマスガドウシタ工合ニナツテ居リマスカ、明快ニ答弁ヲ願ヒマス 番外〔横山助役〕 丁度私ハ其事ニ付テ六月十二日ニ此会議デ三万円ノ追加予算ガ議決サレ参事会ニ掛ケテ参事会デ決定サレルノデ参リマシタガ御承知ノ通リ其時予定通リ進ミマセヌノデ九月十二日之ニ関係シテ委員諸君ノ御苦労ヲ求メマシテ、県会議員ノ応援ノ下ニ知事、内務部長、土木部長ニ面会致シマシテ、今八番ノ御話ノ通リ鎌倉三崎間ノ失業救済ノ二十三万円バカリノ事業ノ起債ガ許可ニナレバ其内ニ出来ルト云フ御話デアツタノデアリマスソレモ九月一杯ニハ許可ヲ得ラレサウダト云フコトデアリマシテ、其後県庁ニ参ル毎ニ催促シテ居リマスガ、最近十月二十日ニ土木部長、内務部長立会ノ下ニ相談スルコトニ御話ヲ致シマシタガ、矢張リ神奈川県ノ現在ノ経済状態ガ新シキ事業ノ為ニ起債ヲ許可スル程度ニ至ツテ居ナイノデ大蔵省ノ許可ヲ得ルニ至リマセヌガ、内務省ハ八月ニ通過シテ居リマス、大蔵省ニ引ツ掛ツテ居ルノデ土木部長モ最近大蔵省ニ行ツテ許可ヲ得ルヤウ促進方ヲ陳情シ、直チニ工事ノ関係ニ於テ何分ノ回答ヲスルコトニナツテ居リマス、或ハ又是等ノ関係ニ於テ委員諸君ノ御骨折ヲ煩ハシ、モウ一回位御尽力ヲ願ウコトニナルカト存ジマスガモウ少シ本件ノ進ミ方ヲ見マシテ善処シタイト思ヒマス、南河原方面寄付等ノ関係デ、諸君ニ御迷惑ダラウト思ヒマスガ今暫ク御待チヲ願ヒマス 三十四番〔金刺君〕 本員ハ去ル二十六日ノ全員協議会ニ於テ問題ニナツタ学校新設ニ付テ質問ガアルノデアリマス、去ル二十一日ノ協議会ニ於テ学校一校新設ノ議案ニ対シテ即刻之ヲヤルベシト云フノト、来年度本予算ニ於テヤルベシトノ二様ノ意見ガ出テ、結局時期ヲ見テ協議スルコトニナツテ、其儘ニナツテ居リマスガ去ル七日ノ学務委員会ニ於テ決定シタ学校新設案が其儘ニナツテ今以テ協議シマセヌガ、ドウ云フ考デアルカ一寸御伺ヒシタヒト思ヒマス 番外〔春藤市長〕 過日ノ協議会ニ此問題ハ御承知ノ如ク色々ナ意見ガアリマシテ、更ニ能ク協議ヲシテカラト云フコトニナツテ居リマス、当局ノ希望ト致シマシテハ、来年度成ベクソレニ応ズルダケノ教室ヲ設ケ二部ヲ撤廃シタイト云フノデ、当局ノ希望トシテハ来年四月カラサウ云フコトノナイヤウニシタイト思ヒマス、先日ノ留保ト云フコトデ通常予算マデ待ツト云フコトデアリマスト、自然ソレカラ予算ヲ取ツテ、起債ノ許可ヲ得テヤルト云フコトニナルト、再来年マデ二部教授ヲ多少シナケレバナラヌノデ、遺憾ニ思ヒマスカラ、此機会ニ尚ホ相談ヲシテ御協議ヲシテ見タイト思ヒマス 三十四番〔金刺君〕 更ニ協議ヲシテ見タイト云フコトデスガ、時期ハ最近デスカ 番外〔春藤市長〕 最近デス 副議長〔石川君〕 本日ノ提案ハ全部議了致シマシタ、会議ノ顚末ハ本職ヨリ市長ニ報告致シマス是デ会議ヲ閉ジマス 春藤市長 提出致シマシタ議案ハ議了致シマシタ、是デ閉会致シマス、御苦労様デアリマシタ 午後二時四十四分散会 右会議ノ顚末ヲ速記ニ付シ各自署名ス 市会副議長 石川慶蔵 市会議員 愛波与平 市会議員 松下義久 市会議員 田良多一郎 市会議員 高塚龍介 (「市会々議録及市会書類」(昭和五年)川崎市役所蔵) 三六〇 町村予算編成に関する中郡町村長会の申合事項(一-三) (一) 昭和六年一月三十一日 中郡町村長会長 鈴木清寿(印) 大磯町長 二宮長杉殿 昭和六年度町村予算編成ニ干スル件 本月三十日開会ノ評議員会ノ結果ニ基キ来ル二月三日午前十時平塚町役場内ニ於テ標記予算編成方針ニ関シ御協議致度候条定刻御参集相成度此段及御通知候也 (二) 昭和六年度予算編成ニ関スル申合事項 一 来年度ニ於ケル町村予算ハ出来得ル限リ之ヲ緊縮シ以テ負担ノ軽減ヲ図ルコト 二 町村予算ノ各費目ニ対シ力メテ節減ヲ加フルハ勿論ナルガ就中其ノ大部分ヲ占ムル教育費ニ関シテハ左記事項ニ依リ節減スルコト 1 教員俸給ハ最低度一割ヲ標準トシテ低減ノ途ヲ講スルコト其ノ方法トシテ イ 高級教員ヲ整理スルコト ロ 初任給及各種兼務手当等モ亦一割減スルコト ハ 教員ノ増俸ハ一ケ年間中止スルコト 2 学級ヲ最高限度マデ整理スルコト 3 十二学級以下ノ学校ニ在リテハ専任校長及補助教員ヲ置カザルコト 但シ十二学級以上ノ学校ニ在リテモ可成校長ニ於テ教授ヲ担任スルコト 4 低学年〔尋常科一学年乃至二学年〕ノ二部教授ヲ行フコト 5 三学級ニ教員配置トスルコト 6 住宅料ノ給与ハ中止スルコト 三 町役場吏員ニ関シテハ前項教員ノ例ニ準シテ之ヲ行フコト 四 各種団体補助額ハ相当減額スルコト (三) 昭和六年度予算編成ニ関スル申合事項 一 来年度ニ於ケル町村予算ハ出来得ル限リ之ヲ緊縮シ以テ負担ノ軽減ヲ図ルコト 二 町村予算ノ各費目ニ対シ努メテ節約ヲ加フルハ勿論ナルカ就中其ノ大部分ヲ占ムル教育費ニ関シテハ左記事項中ニ依リ節減スルコト 1 教員俸給ハ成ルベク一割ヲ標準トシテ低減ノ途ヲ講スルコト但シ預金部借入金ヲ有セサル町村ハ此ノ限リニ在ラズ 其ノ方法トシテ イ 初任給ハ男子三円女子二円及各種兼務手当等ハ一割以内減スルコト ロ 教員ノ増俸ハ特別ノ事由アルモノヲ除キ一ケ年間中止スルコト ハ 六年度予算ハ現員現給ニ依リ編成スルコト 2 学級ノ整理ヲ行フコト 3 十二学級以下ノ学校ニ在リテハ成ルヘク専任校長及補助教員ヲ置カザルコト但シ十三学級以上ノ学校ニ在リテモ可成校長ニ於テ授業ヲ担任スルコト 4 已ムヲ得ザル場合ハ低学年ノ二部教授ヲ行フモ差支ナキコト 5 住宅料ノ給与中止ハ随意トスルコト 三 町村役場吏員ニ関シテハ前項教員ノ例ニ準ジテ之ヲ行フコト 四 各種団体補助額ハ相当減額スルコト (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三六一 昭和六年県市町村長会議における県知事山県治郎の訓示指示事項注意事項(一-三) (一) 山県神奈川県知事訓示要旨 昭和六年五月 本日〓ニ諸君ノ会同ヲ煩ハシ地方長官会議ニ於ケル総理大臣以下各大臣ノ訓示事項ヲ伝達シ併セテ所見ノ一端ヲ開陳スルコトヲ得ルハ予ノ寔ニ欣幸トスル所ナリ 政府ハ国民負担ノ軽減ニ専念シ倫敦海軍条約ノ結果トシテ生シタル剰余財源ヲ以テ国税地租及営業収益税等ノ軽減ヲ行ヒ而カモ地租ニ関シテハ従来ノ課税標準タル地価ヲ改メテ賃貸価格ト為シ専ラ負担ノ公平ヲ期スルコトトシ尚之ニ関連アル地方税制ノ改正ヲ行ヒ本年度ヨリ実施スルコトトナレリ地方税制ニ関シテモ国税改正ノ趣旨ヲ一貫シ大体地方総体ニ於ケル従前ノ税収入ヲ維持スルト共ニ地方負担ノ公正ヲ期セムトスルモノナルヲ以テ諸君ハ克ク現下ニ於ケル経済界ノ実情ニ留意シ運用宜シキヲ制シ税制改正ノ目的ヲ達スルニ遺憾ナカラムコトヲ望ム 最近ニ於ケル学校教育ノ欠陥ハ益々甚シク学生生徒ノ思想問題ハ啻ニ大学ノ学生専門学校ノ生徒ノミニ止ラス中等学校ノ生徒青年団等ノ間ニモ波及シ事件ノ数ハ漸次多キヲ加ヘ且ツ其ノ運動方法モ益々実際的トナリ来リタルハ洵ニ遺憾ノ次第ナリ殊ニ近時師範学校ノ生徒小学校教員間ニ於テ危険思想ニ感染シ進ンデ実行運動ニ投スルカ如キ者ヲ生スルニ至リシハ国家ノ為真ニ憂慮ニ堪ヘサル所ナリ斯ノ如キハ其ノ原因種々アルヘシト雖諸君ハ克ク地方民衆ノ思想傾向ニ留意シ一面学校教育ノミナラス汎ク社会教育家庭教育ニ亘リ指導訓育ヲ施スコト最モ肝要ナリ随テ諸君ハ教職ノ任ニ在ル者ト協力一致シテ夫々適切ナル対策ヲ講シ以テ之カ思想ノ啓導ニ努メラレムコトヲ望ム 方今時世ノ趨向ト経済ノ発展ニ伴ヒ各種ノ社会問題ヲ生スルニ至リ其ノ推移スル所都鄙ヲ通シテ愈々深刻ヲ加ヘツツアリ之カ対策ハ一ニシテ足ラスト雖就中社会事業ノ発達ヲ計リ其ノ充実ヲ期スルヲ以テ最モ緊切ナリトス乃チ政府ニ於テハ斯業ニ関スル各般ノ調査攻究ヲ行ヒ其ノ必要ナルモノニ在リテハ事ノ緩急ヲ計リ財政ノ許ス限リ之カ助長改善ヲ図リツツアリ諸君ニ於テモ亦克ク地方ノ実情ヲ考察シ適切ナル計画ヲ樹立シ進ンテ之カ実現ヲ計リ以テ各般ノ施設常ニ宜シキヲ制シ社会ノ進運ニ副フコトヲ得ル様一段ノ努力ヲ加ヘラレムコトヲ望ム 失業者ノ救済ハ実ニ刻下ノ重要問題ニシテ政府ハ深ク其ノ推移ニ留意シ之カ対策ノ周到適切ナラムコトヲ慮リ本年度ニ於テハ失業公債ヲ発行シテ迄モ諸般ノ事業ヲ遂行セムコトヲ決意セラレ新ニ二ケ所ノ職業紹介所ヲ増設シ更ニ職業紹介所ニ対スル補助費ノ増額ヲ為ス等所謂職業紹介網ノ完成ヲ期スルノ外政府直轄ノ下ニ国道ノ改良事業ヲ執行スルコトトシ尚一面国庫ヨリ補助ヲ与ヘテ府県道ノ改良事業ヲ起サシムル等中央地方相俟テ失業者ノ救済ヲ企図セムトシツツアリ本県ニ在リテハ夙ニ其ノ緊切ナル状勢ニ鑑ミ失業救済事業トシテ府県道片瀬大磯線新設工事並平作川及鶴見川ノ改修工事ヲ計画シ昨年十二月開会ノ通常県会ニ提案シテ該予算ノ議決ヲ経目下着々之カ施行準備進捗中ニ属スル以テ本事業カ地方ニ齎ス影響ノ尠カラサル点ニ鑑ミ其ノ効果ヲシテ一層顕著ナラシムル為諸君ニ於テモ相当協力セラレムコトヲ望ムト共ニ市町村事業ノ施行ニ当リテハ其ノ時期方法等ニ関シ失業緩和ニ一段ノ留意アラムコトヲ望ム政府ハ明年一月ヨリ救護法ノ施行ヲ決定シ之ニ要スル経費予算モ既ニ其ノ公布ヲ見ルニ至リ又之ト相伴ヒテ軍事救護法ニモ一部改正ヲ加ヘ実施セラレタリ御承知ノ通財界ノ不況ハ漸ヲ追フテ愈々深刻ヲ加ヘ国民生活ハ動モスレハ安定ヲ欠キ生活上ノ困苦ヲ訴フル者ノ数益々増加ノ傾向ヲ示シツツアリ政府カ今回最モ財政ノ整理節約ヲ要スル時ニ当リ特ニ多額ノ経常的財源ヲ捻出シ以テ本法ノ実施ヲ決定シタル所以モ亦此ノ現状ニ鑑ミ国民生活ノ不安ヲ芟除セムトスルニ外ナラス申ス迄モナク救護法ノ制定ハ我国救貧制度ノ確立ヲ計ルニ在リ固ヨリ法ノ良否ハ其ノ運用ニ在リ救護法ノ円滑ナル施行ハ直接救護ノ機関タル市町村ノ工夫ト努力トニ俟ツコト多大ナルヲ以テ諸君ハ克ク本法ノ精神ヲ理解シ常ニ社会ノ実情ヲ深察スルト共ニ必要ナル調査研究ヲ怠ルコトナク之カ施行ニ当リテハ厳ニ濫救漏救ヲ誡メ以テ本法ノ重大ナル社会的使命ノ貫徹ニ努メラレムコトヲ望ム 国産品ノ使用奨励ニ関シテハ幸ニ諸君ノ声援協力ニ依リ爾来相当趣旨ノ普及ト実行ノ促進トヲ見ルニ至レリト雖現下ニ於ケル経済界ノ不況其ノ他各般ノ事情ヲ省察スルニ此ノ運動ハ尚将来ニ亘リテ之ヲ持続スルノ要殊ニ緊切ナルモノアリト信ス要スルニ此ノ種運動ハ相当長期ニ亘リテ努力ヲ続ケ而カモ挙国一致之ヲ実行スルコトニ依リテ所期ノ目的ヲ達成スルコトヲ得ヘキモノナルヲ以テ諸君ハ深ク思ヲ此ニ致シ地方ノ実情ニ応シ更ニ適切有効ナル措置ヲ講セラレ内地産業ノ振興ト国際貸借ノ改善ニ資セラルル様一段ノ努力ヲ望ム 政府ニ於テハ昨年夏臨時産業合理局ヲ設置シ爾来生産ノ組織経営ヲ合理化シ経済的ニ商品ノ生産費ノ低廉ヲ期シ以テ我国産業界ノ整理改善ヲ図リ且ツ無規律無統制ノ宿弊ヲ除去スルコトニ鋭意努力シツツアリト雖目下ノ不況ヲ打開シ国民経済ノ更生ヲ期スルニハ更ニ合理化ノ徹底ニ一段ノ力ヲ致スコト最モ緊要ナリ即チ政府ハ我国重要産業ニ於ケル無謀不当ノ競争ノ宿弊ヲ匡正スル為メ臨時応急方策トシテ「重要産業ノ統制ニ関スル法律」ヲ制定セルヲ以テ諸君ハ克ク此ノ趣旨ヲ体シ地方産業ノ実情ニ応シ之カ普及促進ニ就キ適切ナル方途ヲ講セラレムコトヲ望ム 保健衛生ニ関スル施設ハ漸次改善ノ歩ヲ進メツツアリト雖国民保健ノ状態ヲトスル標準タルヘキ一般死亡率ハ未タ減退ヲ示スニ至ラス急性伝染病ハ尚累年相当数ノ発生ヲ見慢性伝染病亦依然トシテ深ク国民ノ間ニ浸潤シ之カ脅威ヨリ免カル能ハサル状態ニ在ルハ洵ニ遺憾トスル所ナリ更ニ一般国民ノ健康増進ノ方面ニ於テモ其ノ施設ニ就キ一層配意ヲ要スヘキモノアルヲ以テ諸君ハ特ニ最善ノ注意ヲ払ヒ今後衛生施設ノ創始改善ニ努力セラレ一般国民ノ健康保持増進ニ対シ一段ノ力ヲ致サレムコトヲ望ム 昨年十月施行ノ国勢調査並労働統計実施調査ハ諸君並関係各方面ノ協力援助ニ依リ前回ニ譲ラサル成績ヲ以テ完了ヲ告クルコトヲ得〓ニ我国最近ノ人口状態ヲ審ニシ政治代表調節ノ基礎其ノ他国勢ノ基本資料タル重要ナル統計調査ヲ完成シタルハ国家ノ為寔ニ同慶ニ堪ヘサル所ニシテ諸君ノ御尽力ニ対シ深ク感謝スル所ナリ国運ノ進展社会ノ発達ニ伴ヒ国民生活ノ様式又ハ社会組織ノ内容ヲ審ニシ又文教ノ程度産業経済ノ事情等ヲ明ナラシムルハ行政ノ目的達成上最モ必要トスル所ニシテ各般政策施設ノ基礎資料トシテ正確ナル統計ノ必要益々緊切トナルニ至リ其ノ事務愈々複雑多岐ニ渉レルヲ以テ諸君ハ宜シク部下吏員並統計調査員等ヲ指導督励シ一層統計事務ノ刷新改善ニ意ヲ留メ調査ノ正確報告ノ通達ヲ期セラレムコトヲ望ム 政府ハ曩ニ国家資源ノ統制運用計画ノ設定又ハ実行ノ必要上資源調査法其ノ他関係法令ヲ制定シ資源調査制度ノ確立ヲ企画実施セラレタルモ之カ事務ノ執行ニ関シテハ諸君ノ努力ヲ煩ハスヘキモノ尠カラサルヲ以テ諸君ハ進ンテ資源調査ノ趣旨普及ニ努メラルルト共ニ調査ノ正確ト迅速トヲ期セラレムコトヲ望ム 以上ノ外諸君ノ協力ヲ得タキ事項ニ付テハ別ニ指示注意スル所アルヘキヲ以テ能ク其ノ意ヲ諒シ各種ノ機関ト連携シテ其ノ実績ヲ挙クルコトニ一段ノ努力アラムコトヲ望ム (二) 市町村長会議指示注意事項 昭和六年五月二十六日 目次 一 県税徴収事務ニ関スル件 一 昭和六年度予算ノ執行ニ関スル件 一 市町村財政ノ経理並市町村債ノ許可方針ニ関スル件 一 地方税ニ関スル改正法令ノ施行ニ関スル件 一 行政ノ経済化ニ関スル件 一 盲学校聾啞学校ノ発達助成並就学奨励ニ関スル件 一 実業補習学校並小学校ニ於ケル実業科振興ニ関スル件 一 青年訓練振作ニ関スル件 一 神社経理ニ関スル件 一 感化事業ニ関スル件 一 社会委員督励ニ関スル件 一 海外移植民ノ奨励ニ関スル件 一 癩予防法改正ニ関スル件 一 寄生虫予防法制定ニ関スル件 一 県税徴収事務ニ関スル件 昭和四年十一月税務出張所設置以来諸君ハ出張所ト協力一致シ徴収事務ニ努力セラレタルハ洵ニ其ノ労ヲ多トスル所ナリ然レトモ一昨年以来ニ於ケル財界ノ不況ハ愈々深刻ヲ極メ一般納税観念亦減退シ滞納者ハ年々増加シテ乍遺憾昭和四年度ニ於ケル納税成績ハ全国道府県中最末位ヲ占ムルノ不良ナル結果ヲ示シ県財政経理上非常ナル困難ヲ来シタリ諸君ニ於テハ宜シク此ノ現状ヲ諒察セラレ納税者ニ対シテハ一層納税思想ノ鼓吹ニ努メ納税組合ノ組織ヲ奨励スル等納期内納入ノ良風ヲ訓致シ滞納者ニ付テハ直ニ滞納報告ヲナシ以テ税務出張所事務ノ進捗ヲ計ル等一層徴収事務ニ関シ尽瘁セラレムコトヲ望ム 一 昭和六年度予算ノ執行ニ関スル件 本年度市町村予算編成ニ関シテハ昭和五年六月会同ノ際ニ於ケル指示及其ノ後更ニ通牒シタル趣旨ニ基キ之カ編成ニ当リ其ノ確実ヲ期セラレタルコトヽ思料セラルヽモ最近経済界ノ実状ニ鑑ミルトキハ市町村税其ノ他ノ収入ハ尚相当減少スルノ虞ナキニ非サルヲ以テ予算ノ執行ニ当リテハ予メ此ノ点ニ留意シテ経理宜シキヲ致シ以テ収支ノ均衡ヲ計リ歳入ニ不足ヲ生セシムルカ如キコトナキヲ期セラレムコトヲ望ム 一 市町村財政ノ経理並市町村債ノ許可方針ニ関スル件 現下ノ経済界ノ不況其ノ他各般ノ状勢ニ稽フルニ市町村財政ニ関シテハ従来ノ如ク尚緊縮ノ方針ヲ持続シテ国民負担ノ軽減ヲ期スルノ要アリ市町村債ノ許可ニ付テモ亦此ノ際其ノ取扱ノ方針ヲ変更スヘキ理由ナシト認メラルヽヲ以テ諸君ハ是等ニ付テハ曩ニ訓令又ハ通牒シタル趣旨ヲ体シ之カ実行ニ就キ充分ナル注意ヲ払ハレムコトヲ望ム 一 地方税ニ関スル改正法令ノ施行ニ関スル件 今回国税地租及営業収益税ノ軽減ヲ行ヒ且ツ地租法ヲ制定シテ地租ニ関スル制度ヲ改正セラレ之ニ伴ヒ地方税ニ関スル法令ノ一部ニ改正ヲ加ヘラレタルニ付テハ之カ実施ニ当リ其ノ運用宜シキヲ制シ以テ税制改正ノ趣旨ヲ没却スルカ如キコトナキヲ期セラレムコトヲ望ム殊ニ法律ノ改正ニ依リ地租付加税制限額ト特別地税付加税ノ制限額トノ合算額ト従前ノ規定ニ依リ課税シ得ヘキ地租付加税ト特別地税付加税トノ合算額ト比較シ減少スヘキ市町村ニ在リテハ努メテ経費ノ整理節約ニ依リ減収補塡ノ途ヲ講シ之カ為他ノ税ヲ増徴スルカ如キハ出来得ル限リ之ヲ避ケ増加スヘキ市町村ニ在リテハ地租付加税特別地税付加税ノ賦課ニ付土地所有者ニ対スル負担ノ増加ニ充分ノ考慮ヲ払フハ勿論其ノ増徴額ハ必ス当該市町村ニ於テ比較的負担ノ重キ他ノ税ノ軽減ニ充当スルコトニ措置セラレムコトヲ望ム 一 行政ノ経済化ニ関スル件 最少ノ経費ヲ以テ最大ノ効果ヲ収メ以テ行政ノ経済化ヲ図ルコトハ地方財政ノ整理緊縮ニ伴ヒ其ノ要特ニ緊切ナルモノアリ諸君ニ於テモ著々之カ実施ニ努メラレツツアリト雖尚備品消耗品其ノ他ノ用品ノ経理方法工事請負及工事用諸材料購買ニ関スル契約方法等ニ付テハ将来一層留意シ之カ改善ヲ図リ以テ経費ノ節約ト能率ノ増進トヲ期セラレムコトヲ望ム 一 盲学校聾啞学校ノ発達助成並就学奨励ニ関スル件 盲聾啞児童ノ教育ハ文運ノ進歩ニ伴ヒ輓近漸ク発達シ来リ之カ普及ニ関シテモ相当ノ考慮ヲ払ハルヽニ至リシハ洵ニ喜フヘキコトナリ、本県ニ於テハ昭和六年度ニ於テ私立盲聾啞学校中ヨリ三校ヲ選ヒ県立代用校ニ指定シ此ノ種教育ノ普及発達ヲ期セリ然ルニ盲聾啞児童全体ノ学齢児童ニ就テ見レハ其ノ就学率ハ現在僅ニ二割ニ過キサルヲ以テ諸君ニ於テハ克ク此ノ情勢ヲ察シ管下ニ於ケル此ノ種施設ノ発達助成ニ力ムルト共ニ適当ナル方途ヲ講シテ是等盲聾啞児童就学ノ奨励ニ関シ一層ノ考慮ヲ加ヘラレムコトヲ望ム 一 実業補習学校並小学校ニ於ケル実業科振興ニ関スル件 近時実業補習学校並小学校ニ於ケル実業科ニ関スル設備漸ク整ヒ其ノ実績亦見ルヘキモノアルハ洵ニ悦フヘキ現象ナリ然ルニ往々生産品ノ良否又ハ収支ノ関係等ニ基キ直ニ実業科施設ノ価値ヲ批判シ其ノ計画ヲ決定セントスルカ如キコトアルハ聊カ遺憾トスル所ナリ、由来此等ノ学校ニ於ケル実業科ノ目的ハ実業ニ関スル普通ノ知識技能ヲ授クルト共ニ実業ノ趣味ヲ領得セシメ勤労作業ヲ尊重スルノ習慣ヲ養フニアルヲ以テ一面生産品ノ改良ヲ図リ収支不足ナキニ努ムヘキハ勿論ナルモ又他面其ノ趣旨ノ徹底ヲ期シ市町村挙ケテ該科ノ発達助長ニ力ムルヤウ留意セラレムコトヲ望ム一 青年訓練振作ニ関スル件 県下青年訓練所ノ現況ハ諸君ノ努力ニ依リ逐年内容ノ充実ヲ見ツツアルモ入所比率ニ至ツテハ未ダ以テ充分ナリト云フヲ得ス近時地方財政緊縮ノ関係上実業補習学校ヲ青年訓練所ニ充当セントスルノ傾向アルモ青年訓練所タル青年ノ心身ヲ鍛練シテ公民タルノ資質ヲ向上セシメントスル喫緊ナル国家ノ施設ナルヲ以テ積極的ニ青年教育ノ方途ヲ講センカ為之ヲ充当セントスルハ慶フヘキコトナルモ単ニ経費ヲ軽減センカ為或ハ事務ノ繁多ヲ厭フカ為ニ敢テ充当セントスルカ如キハ青年教育上大イニ考慮ヲ要スルコトニ属ス 現下ノ世相並過去六ケ年ニ亘ル青年訓練所ノ成績ニ鑑ミ此ノ施設ヲ益々拡充スルノ要切ナルモノアリ之カ管理ノ任ニアル諸君ハ青年訓練所創設当初ニ於ケルカ如キ意気ヲ以テ其ノ趣旨ノ普及徹底ニ努メ大イニ之カ振興方法ヲ講セラレムコトヲ望ム 一 神社経理ニ関スル件 近時財界ノ不況其ノ他ノ影響ヲ受ケ神社ノ収入激減シ経済上困難ナルモノアルハ神社経営上寔ニ遺憾トスル所ナリ諸君ハ一層此ノ点ニ留意シ時勢ニ鑑ミ努メテ冗費ノ節約ヲ図ラシメ以テ漫リニ資金ヲ消費シ或ハ負債ヲ後日ニ胎スカ如キコトナカラシメ又寄付金ヲ財源トスル営繕工事其ノ他ノ事業ヲ計画シタル神社ニシテ予定ノ収入ヲ得ル能ハサルカ為事業ノ蹉跌ヲ来シ或ハ之カ為神社ノ財政ヲ紊ルモノナキニアラサルヲ以テ斯クノ如キ事業ノ実施ニ関シテハ之レカ財源並ニ経理ニ付特ニ細心ノ注意ヲ払ハシメ苟クモ世ノ非議ヲ招クカ如キコトナカラシメムコトヲ望ム 一 感化事業ニ関スル件 不良少年ノ保護教養ニ関シテハ従来屢々指示スルトコロアリ諸君ニ於テモ夫々適当ノ方途ヲ講シ相当効果ヲ収メツツアリト雖最近不良少年ノ数ハ却ツテ逐年増加ノ傾向ヲ示シ之カ保護教養ノ完キヲ期スルハ極メテ緊要ナルヲ以テ諸君ハ関係官公署、諸団体等ト連絡ヲ計リ此ノ種少年ノ早期発見並感化院ノ退院者保護ニ付適切ナル方法ヲ講スル等感化事業ノ普及徹底ヲ期スルニ一段ノ努力ヲ致サレムコトヲ望ム 一 社会委員督励ニ関スル件 昭和三年一月三十日県訓令第一号ヲ以テ社会委員設置奨励規程ヲ設置シ既ニ二市六十一ケ町村ニ付二百八十五名ノ社会委員ヲ置キ著々事業遂行ニ努メ相当ノ実績ヲ挙ケツヽアリト雖本制度ハ其ノ性質上極メテ至難ナル事業ニシテ且ツ本県ニ於テハ右設置後日尚浅ク其ノ運用上遺憾ノ点尠カラス殊ニ近時都市農村ヲ通シテ所謂社会問題ハ日々其ノ複雑ト深刻トヲ招来シツツアル情勢ニアルノミナラス現下ノ経済不況ニ件フ失業者ノ激増ハ益々一般社会生活ノ不安ヲ加重セントシ一面亦救護法実施ニ直面シ愈々本施設ノ活用ニ俟ツヘキモノ多キヲ加フ依テ関係市町村長ニ於テハ之カ責務ノ重且ツ大ナルモノアルヲ諒得セラレ各社会委員ヲ一層督励シ弥々本制度実施ヲシテ有意義タラシムヘク努力セラレムコトヲ望ム一 海外移植民ノ奨励ニ関スル件 海外移植民ノ保護奨励カ我カ国刻下ノ情勢ニ鑑ミ社会上並ニ経済上極メテ緊要ナルハ言ヲ侯タサル所ナリ殊ニ多年封建鎖国ノ下ニアリテ土着ノ因襲ニ捉ハレタル我カ国民ニ対シ海外移住ノ奨励保護ヲ為スハ最モ必要トスル所ナリ県ハ本年度ニ於テ其ノ普及徹底ヲ図ル方途ヲ講スル計画ナルヲ以テ之レカ実行ニ際シテハ諸君ハ克ク其ノ趣旨ヲ一般ニ周知セシムルト共ニ特ニ青少年ノ海外発展思想ノ涵養ニ留意シ本奨励ノ目的達成ニ遺憾ナキヲ期セラレムコトヲ望ム 一 癩予防法改正ニ関スル件 癩予防ノ徹底ヲ期センカ為今回明治四十年法律第十一号ヲ改正シ之カ施行ヲ見ントス改正ノ要旨ハ療養所入所資格ノ拡張入所費及一時救護費全額ノ国庫又ハ道府県負担業態上病毒伝播ノ虞アル患者ノ従業禁止患者及其ノ家族ニ対スル生活費ノ補給医師又ハ公務員ノ黙秘義務私立療養所ノ監督等ナリトス諸君ハ能ク法律改正ノ趣旨ヲ体シ向後一層癩予防ニ努力セラレムコトヲ望ム 一 寄生虫予防法制定ニ関スル件 寄生虫カ広ク国民ノ間ニ蔓延シ殊ニ将来ニ富ム年少者ノ健康ト活力トヲ滅殺シツツアルハ憂慮スヘキ事実ニシテ之カ予防効果ノ末タ顕著ナラサルハ遺憾トスル所ナルヲ以テ今回寄生虫予防法制定セラレ近ク施行ノ見込ナルカ之カ要旨ハ予防施設ノ強制並義務費用ノ補助等ナリトス諸君ハ宜シク法ノ趣旨ヲ体シ之カ予防撲滅カ社会共同ノ責務ナルコトヲ知悉セシムルト共ニ督励助成シ以テ目的達成ニ努メラレンコトヲ望ム (三) 注意事項 目次 一 家屋賃貸価格調査ニ関スル件 一 蚕ノ奨励品種普及ニ関スル件 一 養蚕組合蚕信用取引ニ関スル件 一 耕地整理法ノ施行ニ関スル件 一 自作農創設維持ニ関スル件 一 農業生産費ノ節約ニ関スル件 一 耕地ノ利用増進ニ関スル件 一 輸出蜜蜂ニ関スル件 一 救護法施行ニ関スル件 一 改正軍事救護法施行ニ関スル件 一 失業状況査察ニ関スル件 一 「トラホーム」ノ治療施設ニ関スル件 一 家屋賃貸価格調査ニ関スル件 昭和五年度家屋税ノ課税標準タル家屋ノ賃貸価格調査ハ法令公布後第一回ノ調査ニシテ而モ調査ニ関スル法規ハ複雑多岐ニシテ疑義多カリシニ不拘諸君ノ熱心ナル研究ト努力トノ結果大体ニ於テ支障ナク調査ヲ了シタルハ洵ニ同慶トスル所ナリ而シテ本調査ハ土地賃貸価格調査ト其ノ趣ヲ異ニシ毎年賦課期日現在ニ於ケル家屋ニ付調査ヲ要スヘキ規定ナルヲ以テ諸君ニ於テハ本年度分ニ付目下夫々調査中ノコトト信スルモ調査ニ当リテハ規定ニ反セサルハ元ヨリ公正ヲ旨トシ以テ下調書ノ作製ヲ完全ナラシメ調査委員会ニ於テ多大ノ修正ヲ生スルカ如キコト無キ様特ニ留意セラレムコトヲ望ム 一 蚕ノ奨励品種普及ニ関スル件 本県蚕ノ奨励品種ハ従来孰レモ糸質良好ナル春蚕種「青熟×諸桂」秋蚕種「相模×諸桂」ノ各一品種ニ統一セルモ最近国立蚕業試験場ニ於テ多糸系ナル良品種ヲ撰出セラレタルヲ以テ新ニ左ノ三品種ヲ奨励品種ニ加フルコトトセリ依テ之レカ普及徹底ニ努メラレムコトヲ望ム 春蚕種 「国蚕欧十七号×国蚕支×一四号」 「国蚕欧十七号×国蚕支一〇五号」 秋蚕種 「相模×国蚕支一〇五号」 一 養蚕組合繭信用取引ニ関スル件 世界的経済界ノ不況ニ依リ糸価未曽有ノ暴落ヲ来セルモ生糸生産費ノ低減之レニ伴ハス現在ニ於テハ生産費ト原料繭費トハ相半ハセルノ状況ニアリ故ニ生産費ノ軽減ヲ図ラサレハ原料繭ヲ高価ナラシムルコト能ハス而シテ生産費ノ軽減ヲ図ラントセハ原料繭ノ改良ヲ行ハサルヘカラス然ルニ事実ハ之ニ反シ当業者ノ繭安価生産ニ努ムルノ結果繭質悪化ノ憂ナシトセス依テヲ県ハ製糸同業組合及養蚕組合ヲ督励シ繭信用取引ヲ行ハシメ繭質ノ悪変ヲ防止スルノミナラス進ンテ徹底的改良ニ努メ以テ不況緩和ニ資セントス宜シク其ノ趣旨ニ基キ当業者ヲ指導セランコトヲ望ム 一 耕地整理法施行ニ関スル件 今般地租法ノ改正ニ伴ヒ耕地整理法中地価配付ニ関スル規定ヲ改正セラレ従来ノ課税標準タル地価カ賃貸価格ト改正セラレ之カ調査ノ為メ国庫補助ニ依リ専任職員ヲ県ニ常置スルコトトナリタルヲ以テ事業施行上便宜ヲ計ラレムコトヲ望ム 一 自作農創設維持ニ関スル件 自作農創設維持施設ハ本事業開始以来相当ノ効果ヲ収メツツアルモ事業ノ完了ハ極メテ長期ニ亘ルヲ以テ此ノ間種々ノ事態ヲ生シ事業遂行ヲ困難ナラシムルコトアルヲ以テ創設維持ノ土地価格並借受人ノ選定ニ当リテハ十分ノ調査ヲ為スト共ニ貸付後ノ指導監督ニ努メ以テ本施設ノ効果ヲ完カラシムルコトヲ要ス殊ニ最近農産物価格暴落ノ為メ農家経済ニ急激ナル変動ヲ来シ延ヒテ自作農創設維持資金ノ借受者中ニモ年賦償還ニ支障ヲ来セルモノアルヲ慮リ今回償還方法ノ変更ヲ認メタル次第ナルモ今後尚ホ災害其ノ他不時ノ障碍ノ為償還不能ニ陥ルモノナキヲ保シ難キヲ以テ之レカ対策ノ一トシテ客年通牒セル自作農資金償還組合ヲ組織シ以テ本事業ノ堅実ナル発達ニ努メラレムコトヲ望ム 一 農業生産費ノ節約ニ関スル件 生産能率ノ増進ト生産費ノ合理的節約ハ農業経済上最モ緊要欠クヘカラサル二大要目タリ 而シテ現下農産物ノ価格ハ異常ナル低下ヲ見ツツアルノ現況ニ鑑ミルモ生産費ノ節約ハ収支ノ均衡ヲ得セシムル為メ益々其ノ緊要ヲ加フルモノアリト云フヘク而モ農村ノ現況ハ生産費ト至大ノ関係ヲ有スヘキ肥料ノ経済的施用殊ニ安価ニシテ合理的肥料ノ採択自給肥料ノ改良増殖等ノ如キ未タ完カラサルモノ尠少ナラサルヲ以テ今後地方ノ実情ニ即シ極力之レカ適正ナル指導勧奨ニ努メラレムコトヲ望ム 一 耕地ノ利用増進ニ関スル件 現下ニ於ケル農家経済不振ニ際シ之レカ打開振興ノ途一、二ニシテ止マサルヘシト雖耕地ノ利用、能率ノ増進ヲ図ルカ如キ復式農業ハ最モ必要ナル事項ナリトス殊ニ冬季作物ノ作付ナキ耕地各所ニ存在シ徒ラニ休閑ニ任セルモノ多キヲ見ルハ農家経済並国家経済上極メテ遺憾ニシテ地方農村ノ実情ニ照シ適作物〔例ヘハ小麦、菜種、緑肥等〕ヲ選定シ之レカ栽培ト生産ノ増加ニ一層留意シ農家経済ノ緩和進展ニ努メラレムコトヲ望ム 一 輸出蜜蜂ニ関スル件 本県ノ養蜂事業ハ各地ニ亘リ副業的ニ行ハレ殊ニ近年中華民国ニ対シ相当ノ輸出ヲ見ルノ現状ナルモ今回対華輸出蜜蜂ノ販路確立ノ為本年三月三十日輸出蜜蜂検査規則ヲ公布セラレ輸出港ニ於テ検査ヲ施行シ健康証明書ノ交付ヲ受ケ輸出スルコトトナレリ 目下本県ニ於ケル蜂群ハ約四、五千ナルモ蜜源等ノ関係上尚増殖ノ余地有之ヘキニ付適当ナル地方ニ夫々飼育方奨励セラレ以テ農家経済ノ緩和ニ資セラレムコトヲ望ム 一 救護法施行ニ関スル件 救護法ハ昭和七年一月ヨリ之カ施行ヲ見ル予定ナルヲ以テ政府並当局ニ於テハ目下関係法令ノ制定其ノ他諸般ノ準備ヲ進メツツアリ諸君ニ於テモ特ニ左記事項ニ付周到ナル注意ヲ払ヒ以テ本法制定ノ目的ヲ達成スルニ努メラレムコトヲ望ム (一)本法制定ノ趣旨ヲ管内一般ニ周知徹底セシムルト共ニ関係吏員ヲシテ克ク法規ヲ理解シ之カ運用上遺憾ナキヲ期セラレタシ (二)市町村長ノ救護事務ヲ補助セシムル為設置スル委員ハ現在ノ社会委員又ハ方面委員ヲ之ニ充ツル方針ナルヲ以テ法規ノ円滑ナル運用ハ委員ノ活動ニ俟ツヘキモノ多キヲ以テ必要ナル指導訓練ニ努メ以テ其ノ職務執行上遺憾ナカラシメラレタシ (三)曩ニ要救護者ノ調査ヲ依頼セルカ該調査ハ予算ノ編成上緊要ナルノミナラス本法実施ノ基礎的資料トシテ必要欠クヘカラサルモノナルヲ以テ之カ調査ニ当リテハ正確ヲ期シ且所定ノ期日ヲ厳守セラルル様努メラレタシ 一 改正軍事救護法施行ニ関スル件 改正軍事救護法ハ昭和七年一月ヨリ施行セラルヘク目下之カ準備中ニ在リ改正ノ要点ハ被救護者ノ資格タル傷病兵ノ範囲ヲ拡張シテ一種以上ノ兵役ヲ免セラレタル者ヲモ之ニ加ヘ且救護ノ種類ヲ増加シテ新ニ助産ヲ加フルト共ニ埋葬費ヲ支給スルコトト為シタルヲ以テ被救護者ノ数ハ相当増加ヲ見ルニ至ルヘシ諸君ハ能ク法律改正ノ趣旨ヲ普及徹底セシムルト共ニ予メ要救護者ヲ調査スル等適当ナル方途ヲ講シ之カ施行ニ当リ遺漏ナキヲ期セラレンコトヲ望ム 一 失業状況ノ査察ニ関スル件 失業対策ノ樹立ニ関シテハ先ツ失業状況ノ推移ヲ知悉スルノ要アルコト論ヲ俟タス曩ニ諸君ヲ煩ハシテ昭和四年九月以降例月失業推定月報ヲ徴シ又客年十月国勢調査ノ際ニ失業調査ヲ行ヘル所以モ亦〓ニ存スルヲ以テ諸君ハ常ニ推定月報ノ正確ヲ期シ出来得ル限リ之カ状勢ヲ察知スル有力ナル資料タラシムルニ努メラレムコトヲ望ム 一 「トラホーム」ノ治療施設ニ関スル件 「トラホーム」ノ予防ニ関シテハ常ニ留意セラルル所ナルモ未タ之レカ撲滅ヲ期スルコト能ハサルハ誠ニ深憂ニ堪ヘサル所ナリ之レカ予防対策ハ固ヨリ種々アリト雖要ハ罹病者ノ治療督励ニアリト信セラルルヲ以テ例年蔓延最モ著シト認ムル地方ニ対シ特別指定治療ヲ命シツツアルモ財政ノ関係或ハ適当ナル治療医ヲ得ルニ種々ナル支障ヲ来タシ実行困難ナル事情アルニ鑑ミ県ハ曩ニ「トラホーム」治療専門医ヲ置キ之レ等町村ニ順次派遣シテ経費ノ節減ヲ計ルト共ニ予防ノ達成ヲ期スル計画ナルヲ以テ之レ等治療医ノ派遣ヲ求ムルカ其他適切ナル施設ニ依リ之レカ予防撲滅ニ努メラレムコトヲ望ム (「地方長官会議書類」(昭和六年)神奈川県庁蔵) 三六二 神奈川県町村長会昭和六年度会務報告 昭和六年度会務報告 神奈川県町村長会 神奈川県町村長会々務報告〔昭和六年通常総会以後〕 第十二回通常総会 昭和六年五月九日藤沢町県立湘南中学校講堂ニ於テ第十二回通常総会ヲ開催セリ当日ノ会員出席者百四十一名ニシテ其ノ郡別内訳左ノ如シ 久良岐郡 二名 都筑郡 八名 鎌倉郡 十四名 中郡 二十五名 橘樹郡 五名 三浦郡 十一名 高座郡 十九名 足柄上郡 十五名 足柄下郡 十九名 津久井郡 十三名 愛甲郡 十名 一 来賓ノ主ナルモノ左ノ如シ 落合内務部長、福本地方課長、篠原事務官、横溝藤沢税務署長、赤木湘南中学校長、山崎県会議長、白井、長谷川両県会議員、福井全国町村長会主事、金子顧問 一 会議ノ顚末、午前十時三十五分開会一同君ケ代ヲ二唱新田会長国民精神作興ニ関スル詔書ヲ捧読シタル後別記町村長ノ表彰式ヲ行フ 次ニ知事代理落合内務部長ノ告辞来賓山崎県会議長及福井全国町村長会主事ノ祝辞アリタル後会務報告ヲ為ス〔印刷物配布〕 次ニ議事ニ移リ新田会長議長席ニ着キ前会長金子角之助氏ヲ本会顧問ニ推薦ノ件ヲ諮リタルニ満場異議ナク決定夫ヨリ別記宣言及各郡町村長会提出事項ヲ逐次議題ニ供シ左ノ通可決確定セリ 午後一時十二分ヨリ会長及副会長ノ選挙ヲ行ヒタル処左ノ通当選セリ 会長 三浦郡浦賀町長 石渡秀吉 副会長 中郡城島村長 菅沼保之輔 同 鎌倉郡大正村長 川辺勝三郎 次ニ全国町村長会政務調査委員候補者ノ選定ヲ行ヒタルニ左ノ通決定 全国町村長会政務調査委員候補者 神奈川県町村長会長 石渡秀吉 右ヲ以テ会議事件終了ニ付石渡会長地元藤沢町ノ斡旋ヲ謝シ閉会時ニ午後二時二十三分 午後三時三十分ヨリ角若松ニ於テ懇親会ヲ開催盛会裡ニ散会セリ 一 三浦郡田浦町長渡戸直三氏ニ左記表彰状及銀杯ヲ贈与 表彰状 三浦郡田浦町長渡戸直三 多年町村吏員ノ職ニ在リ本会表彰規程第一条ニ依リ勤続八年ニ当リ其ノ功労顕著ナリ仍テ銀杯一個ヲ贈リ之ヲ表彰ス 昭和六年五月九日 神奈川県町村長会 宣言 日進ノ大勢ニ順応シテ市町村自治団体ノ施設スヘキ公共事業愈々多キヲ加ヘ且其ノ必要緊切ナルモノアリト雖市町村殊ニ町村今日ノ財政ハ一般財界不況ノ影響ニ因リ殆ト行詰リノ状態ニ陥リ辛ウジテ国家ノ委任事務ヲ処理スルニ止マリ何等積極的施設ヲ講ズルノ余力ヲ存セズ自治体本来ノ面目ニ立ツ町村ノ機能ヲ発揮スルコト至難ノ状態ニ在リ而モ法令ニ基ク町村ノ義務支出ハ逐年増加セラレ其ノ負担亦従テ増大スルニ拘ラズ之ガ負担ヲ分任スベキ町村民ノ担税力ハ反ツテ農家ノ生産物価格ノ暴落ト購買力ノ減少ニ依ル中小商工業者ノ収益激減トニ因リテ著シク減耗セラレ剰ヘ町村民各自ノ負ヘル従来ノ高利債償還ニ迫ラレ其ノ生活ニモ脅威ヲ感ズルモノ尠カラズ為ニ民心弥々萎縮シテ較モスレバ自暴自棄ニ陥ラムトスル傾向スラ認メラレザルニ非ズ今ニシテ之ガ対策ヲ講ゼザランカ終ニ町村自治体ノ破滅ヲ招来シ国家ノ基礎ヲ破壊スルニ至ルナキヤヲ惧ル吾人ハ多年町村自治行政ノ任ニ衝リ日夕地方民ノ実生活ニ直面シ常ニ民心ノ嚮背進止ノ状ヲ察知シ町村財政ノ窮状如何ニ深刻ナルカヲ知悉セルヲ以テ現下未曽有ノ難局ニ処シ之ガ打開ノ方法ニ付テハ焦心熟慮シツヽアリト雖之素ヨリ一町一村ノ力ニ依リテ展開セラルベキモノニ非ズ宜シク国策ノ実行ニ俟ツベキノミ即チ政府ハ速ニ行政財政ノ根本的整理ヲ断行シ物価ノ下落ニ対応シテ一般官公吏、教員等公務員ニ対スル諸給与ノ低減平衡ヲ図リ恩給制度ノ改正、冗員ノ淘汰等ニ依リテ中央、地方相応ジテ歳出ノ減少ヲ計ルト共ニ地方財源ノ拡充並義務教育費国庫負担金増額等ニ因リテ町村民負担ノ軽減ト町村財政緩和ノ途ヲ講ジ更ニ進ンデ地方産業資金及旧債整理資金ノ低利供給ノ途ヲ開ク等民力ノ復興ニ対スル根本的方策ヲ樹立シ断々乎トシテ之ガ実行ニ邁進セラレムコトヲ要望ス本日第十二回通常総会ヲ開会スルニ当リ〓ニ所信ヲ宣明ス 昭和六年五月九日 神奈川県町村長会 決議 一 町村財源ノ拡張充実ヲ期ス 二 義務教育費国庫負担金ノ増額ヲ期ス 三 農山漁村及中小商工業者負債整理資金ノ低利供給方実現ヲ期ス四 町村吏員優遇及町村吏員互助組合規則ノ制定並町村有建物火災保険相互組合法ノ実現等既決議事項ノ実現ヲ期ス 決議事項 一 衆議院議員及県会議員選挙開票事務ハ町村ヲ単位トシ町村長ニ於テ之ヲ行フコトニ関係法規ノ改正方ヲ其筋ニ陳情スルコト 理由 現行制度ニ於テハ投票函送致及開票事務取扱ノ為多大ノ経費ヲ要シ且不便尠カラザルヲ以テ之ヲ町村長ニ委任シ選挙長ハ其ノ報告ヲ俟テ当選者ヲ定ムルコトヽセバ行政整理上資スル所多カルベキニ由ル 二 市町村ノ出納閉鎖期ヲ従前通リ六月末日トスルコトニ法規ノ改正方ヲ其ノ筋ニ陳情スルコト 理 由 輓近市町村税ノ滞納著シク増加シ四、五、二ケ月間ニ於テハ到底完全ナル整理ヲ遂グル能ハズ多額ノ滞納ヲ翌年度ニ繰越スコトヽナリテ経理上支障尠カラズ仍テ農村ニ於テ比較的収入多キ六月迄之ヲ延長シ整理ノ完璧ヲ期セムトスルニ由ル 三 衆議院議員、県会議員及市町村会議員ノ選挙資格ヲ統一シ選挙人名簿ヲ一ニスルコト並ニ名簿登録ハ公簿主義ニ依ルコトニ関係法規ノ改正方ヲ其ノ筋ニ陳情スルコト 理由 現在衆議院議員ト県会及市町村会議員ト選挙人名簿ヲ異ニセザルベカラザルハ主トシテ住居〔住所〕ノ一ケ年ト二ケ年ノ差ニ因ルモノナルモ両者ノ間ニ如斯差異ヲ設クルノ理由薄弱ナリト認ムルニ依リ之ヲ統一シ選挙人名簿ヲ一本トスルト共ニ其ノ登録ヲ公簿主義トセバ多大ノ手数ト経費トヲ省クヲ得一面戸籍法及寄留法等ノ励行ヲ奨励スルコトヽナルニ由ル 四 租税滞納処分中ノ者ハ総テノ公権ヲ停止スルコトニ関係法規ノ改正方ヲ其ノ筋ニ陳情スルコト 理由 租税滞納処分中ノ者ノ公権停止ニ関スル規定ヲ削除セラレタル結果近来相当有力者ニシテ滞納ヲ為ス者漸次其ノ多キヲ加ヘ為ニ一般ニ滞納ノ弊風ヲ助長スル傾キアルハ甚ダ遺憾ノ次第ナリトス仍テ本文ノ如ク義務不履行者ニ対スル制裁規定ヲ復活シ其ノ弊風ヲ矯正スルト共ニ思想善導上資スル所アラシメントスルニ由ル 五 家屋税調査委員ハ四年ニ一回之ヲ開キ家屋ノ調査ヲ為スコトニ法規ノ改正方ヲ其ノ筋ニ陳情スルコト 理由 毎年家屋税調査委員ヲ招集シ家屋賃貸価格ノ調査ヲ為スニハ多大ノ経費ト手数トヲ要ス而カモ特殊ノ町村ヲ除キテハ家屋ノ賃貸価格ニ年々著シキ変動ヲ生ズルガ如キ事ナシ仍テ本文ノ通改正シ行政及財政整理ノ一端ト為サムトスルニ由ル 六 県営土木工事ニ付テハ地元請負ヲ許サルヽ様県ニ陳情スルコト理由 利害関係甚大ナル地元請負ト為ストキハ将来ヲ考慮シ極メテ親切ニ工事ヲ施行スルコトヲ得ベク且疲弊セル町村民救済ノ一助トモナルベキニ由ル 七 冠婚葬祭費ヲ節約シ生活改善ヲ図ルタメ各郡若ハ各町村ニ於テ夫々最適ノ方法ヲ定メ其ノ実行ヲ期スルコト 理由 冗費ヲ省キテ個人経済ノ確立ヲ促シ質実剛健ノ気風ヲ養ハントスルニ由ル 昭和六年五月九日 〔以上原案可決〕 神奈川県町村長会 各郡提出事項 一 特別税戸数割ノ資産状況ニ依リ資力ヲ算定シテ賦課スベキ額ハ戸数割総額ノ十分ノ五迄賦課シ得ルコトニ規定ノ改正方ヲ其ノ筋ニ陳情スルコト〔原案可決〕 理由 口頭説明 二 市町村税等ノ滞納処分ニ付テハ特別ノ執行機関ヲ設クルコトニ制度ノ改正方ヲ其ノ筋ニ陳情スルコト〔原案可決〕 理由 口頭説明 高座郡町村長会提出 一 昨年度総会ニ於テ議決セル左記事項ノ実現方ヲ其筋ニ請願スルコト〔原案可決〕 (イ) 現在ノ県税地租付加税ハ土地収益ノ激減セルニ反シ依然トシテ従前ノ課率ニ依ルハ極度ニ疲弊セル農村ノ現状ニ鑑ミ到底其ノ負担ニ堪ヘザルヲ以テ之ヲ軽減スルコト (ロ) 神奈川県々税賦課規則第四十一条除税事項第九号ヲ左ノ通リ改正スルコト 「耕作専用ノ船及同専用ニシテ車輪直径六十センチメートル未満ノ荷積小車」トアルヲ「耕作専用ノ船及同専用ノ荷積小車」ニ改ム 中郡町村長会提出 ○幹事会開会顚末 昭和六年五月二十六日午後四時開港紀念横浜会館二階待合室ニ於テ開会石渡会長菅沼副会長及〔愛甲郡ヲ除ク〕各幹事出席左記事項ヲ協議決定セリ 一 前会長新田信氏及前副会長後藤宗七氏両氏ヲ本会相談役ニ推薦スルコトニ決定 二 前項両氏ニ慰労金トシテ新田氏ニ金百五十円後藤氏ニ金百円感謝状ヲ添ヘ贈呈スルコトニ決定 本年度通常総会当日ニ於ケル宴会費トシテ農工銀行ヨリ金三百円明和銀行ヨリ金百円寄付決定セル旨会長ヨリ報告アリ尚関東興信銀行ヨリ金百円寄付方ヲ会長ニ於テ具体化ヲ計ルコトニ決定 次ニ震災借入金償還延期ニ関スル実行委員ノ件ニ付協議ノ結果左ノ通決定午後四時四十分閉会 1 河野氏自然失格ニ付後任委員長ニ松本真鶴町外二ケ村組合長ヲ推スコト 2 同氏ニ於テ速ニ前委員長トノ引継ヲ了スコト 3 引継ヲ受ケタル上ハ之ヲ町村長会ノ事業ニ復活シ経費ハ其ノ特別会計トスルコト 4 松本新委員長ハ来月六日委員会ヲ招集シ善後策ヲ協議スルコト ○幹事会開会顚末 昭和六年六月六日午前十一時県庁二階会議室ニ於テ開会会長、副会長及〔津久井郡ヲ除ク〕各幹事出席震災借入金償還延期ニ関スル実行委員ヨリノ事務引継ヲ為シ尚石渡会長ヨリ新田前会長及後藤前副会長ニ感謝状及記念品ヲ贈呈午前十一時閉会 感謝状 元神奈川県町村長会長 高座郡茅ケ崎町長 新田信 君ハ昭和三年九月本会々長ニ就任セラレ爾来二年有七ケ月鋭意本会発展ノ為ニ尽瘁セラレ町村自治ノ向上ニ貢献セル所尠カラス特ニ義務教育費国庫負担金ノ増額、震災応急費債償還延期並利子減免等幾多ノ重要事項ニ付之カ実現ニ努メ大ニ本会ノ威力ヲ示シ更ニ今後震災復旧費債減免、義務教育費全額国庫負担、自治権ノ拡張其他町村自治行政上幾多ノ懸案事項実現ニ関シ一層君ノ力ニ期待セムトスルノ秋任期満了ノ為今回退任ノ已ムナキニ至リシハ洵ニ惜別ノ情ニ禁ヘス〓ニ幹事会ノ議決ヲ経金百五拾円ヲ贈呈シ謹テ感謝ノ意ヲ表ス昭和六年六月六日 神奈川県町村長会 感謝状 元神奈川県町村長会副会長 愛甲郡厚木町長 後藤宗七 君ハ大正十四年五月本会副会長ノ職ニ就任セラレ爾来六ケ年ノ久シキニ亘リ鋭意本会発展ノ為ニ尽瘁セラレ町村自治ノ向上ニ貢献セル所尠カラス特ニ義務教育費国庫負担金ノ増額、震災応急費債償還延期並利子減免等幾多ノ重要事項ニ付之カ実現ニ努メ大ニ本会ノ威力ヲ示シ更ニ今後震災復旧費債減免、義務教育費全額国庫負担、自治権ノ拡張其他町村自治行政上幾多ノ懸案事項実現ニ関シ一層君ノ力ニ期待セムトスルノ秋任期満了ノ為今回退任已ムナキニ至リシハ洵ニ惜別ノ情ニ禁ヘス〓ニ幹事会ノ議決ヲ経金百円ヲ贈呈シ謹テ感謝ノ意ヲ表ス 昭和六年六月六日 神奈川県町村長会 ○幹事会開会顚末 昭和六年八月十日午前十時三十分県庁二階会議室ニ於テ開会、会長副会長各幹事出席左記事項ヲ協議決定午前十一時五十分閉会 1 デパート地方進出ニ関スル陳情書ノ件 次回迄ニ各自研究シ置クコト 2 中小商工業者運転資金償還延期ニ関スル件 関係町村ニ於テ極力回収ニ努メ尚回収不能ノタメ救済方法ヲ県ニ陳情スル場合ハ相当応援スルコト 3 関係府県震災借入金償還延期々成同盟会脱退ノ件 本件ハ預金部資金ニ付テハ別個ノ行動ヲ執ルコトニ決定シ居レルモ国庫貸付金ニ付テモ同様ノ方針ヲ採ルコトヽシ之迄ノ精算ヲ為シタル上完全ニ脱退スルコト 4 評議員補欠ノ件 欠員アル郡ニ於テハ速ニ補欠ヲ為シ報告スルコト 5 役員退職ノ場合ニ於ケル慰労方法ノ件 次回迄ニ案ヲ作リ提出スルコト ○幹事会開会顚末 昭和六年九月二十八日午前十時二十分県庁内県会書記室ニ於テ開会会長外副会長及幹事全員出席左記事項ヲ協議決定午前十一時二十分閉会 1 役員退職慰労金支給規程 原案可決〔別記〕 2 関東一府七県連合町村長会開催ニ関スル件 左記ニ依リ開催ニ決ス 記 開催月日時 十月二十日午後一時 会場 小田原高等女学校講堂 懇親会場 箱根塔ノ沢環翠楼 但シ会費ハ金三円五十銭トスルコト 出席者〔本県分〕 会長、副会長、各郡会長、副会長、県評議員、足柄下郡ニ限リ全町村長出席ノコト 規約ニ依ル県ノ代表者ハ一郡二名宛トスルコト 提案事項 各郡ノ分ハ幹事会ニ於テ取纒メ来ル十月七日幹事会ヲ開キ決定スルコト 3 昭和六年度追加更正予算 原案可決〔別記〕 ○評議員会開会顚末 昭和六年九月二十八日午前十一時二十八分県参事会室ニ於テ開会会長、副会長及評議員計二十七名出席左記事項ヲ審議決定午後〇時二十分閉会 1 役員退職慰労金支給規程 宮治御所見村長ノ動議ニ依リ満場一致別紙ノ通修正可決〔別記ノ通〕 2 昭和六年度追加更正予算 原案可決〔別記ノ通〕 ○幹事会開会顚末 昭和六年十月七日午後一時四十分県庁二階会議室ニ於テ開会、会長副会長及各幹事出席左記事項ヲ審議決定午後四時三十分開会セリ 一 関東一府七県連合町村長会提案事項ノ件 左記事項採択ニ決定 1 町村起債許可ニ関スル件〔三浦郡提出〕 2 地方官々制第四十一条削除ノ件〔鎌倉郡提出〕 3 農漁山村民並地方中小商工業者ノ負債整理ノ件〔高座郡提出〕 4 衆議院議員及県会議員選挙開票事務ハ町村ニ於テ行フコトニ改正方ノ件 〔会長副会長提出〕 5 町村吏員ノ恩給支給ニ関スル件〔同上提出〕 6 官報無料配付ノ件〔同上提出〕 右決定後河辺教務課長ノ出席ヲ求メ小学校教員ノ転免増俸ニ付テハ予メ町村長ノ意見ヲ徴セラルヽコトニ了解ヲ得アルモ実行セラレサル場合尠カラス仍テ之カ実行ヲ期セラルヽト共ニ年度内ハ町村長ヨリ希望アル場合ノ外増俸ヲ行ハレサル様幹事会トシテ陳情スル所アリタリ之ニ対シ河辺教務課長ヨリ転免ニ付テハ全部ト云フヲ得サルモ校長首席等ニ付テハ可成御希望ニ添フ様致スヘキモ特別ノ事情アル場合ハ相談セサルコトアルヘシ但シ此ノ場合ハ何等カノ方法ヲ以テ町村ニ支障ヲ生ゼヌ様考慮スベシ増俸ノ件ハ了承セルモ昭和七年度町村予算ヲ編成セラルヽニ当リテハ特別ノ事情アル者ニハ増俸ノ恩典ニ浴セシメ得ラルヽ様御考慮願ヒタキ旨述ベ退席セラレタリ ○幹事会開会顚末 昭和六年十一月三十日午前十時県庁二階会議室ニ於テ開会菅沼川辺両副会長及〔津久井郡ヲ除ク〕各幹事出席菅沼副会長ヨリ会長欠員中会長ノ職務ヲ代理スル旨挨拶アリタル後左記事項ヲ議題ニ供シ審議ノ上満場異議ナク決定 一 満洲軍慰問ニ関スル件 (イ) 慰問金醵出方法 一戸十銭以上トシ物品ヲ取扱ハザルコト 但シ已ニ各種ノ名義ニ於テ醵出シタル者ハ除ク (ロ) 取纒及送金方法 各町村長ニ於テ其ノ町村分ヲ取纒メ十二月十五日迄ニ郡町村会ヘ送金スルコト 郡町村長会長ハ十二月二十日迄ニ県町村長会ヘ送金シ県町村長会長ハ全額取纒メノ上之ヲ陸軍省ヘ送金スルコト 二 全国町村長会第十二回定期総会提出議題及代表者出席者ノ件 (イ) 提出議題ハ本年五月九日本会通常総会決議事項中「四 租税滞納処分中ノ者ハ総テノ公権ヲ停止スルコトニ関係法規ノ改正方ヲ其ノ筋ニ陳情スルコト五家屋税調査委員ハ四年ニ一回之ヲ開キ家屋賃貸価格ノ調査ヲ為スコトニ法規ノ改正方ヲ其ノ筋ニ陳情スルコト」ノ二件ヲ提出スルコト (ロ) 本県代表出席者ハ従来会長ヲ除キタルモ今回ヨリハ会長一名ヲ加ヘ其他ハ二名トスルコト 出席郡順位ニ依リ左ノ通リ決定 神奈川県町村長会長代理副会長 菅沼保之輔 中郡平塚町長 鈴木清寿 津久井郡中野町長 三樹保治 尚前石渡会長ヲ本会相談役ニ推薦スルコトニ決定次会総会迄幹事会及評議員会等ニハ新田、石渡、後藤三相談役ニモ出席方ノ通知ヲ発スルコトニ決定午後一時十分閉会 ○幹事会開会顚末 昭和六年十二月十九日午後一時県庁二階会議室ニ於テ開会菅沼、川辺両副会長及各幹事新田、石渡、後藤各相談役出席菅沼会長代理ヨリ満洲軍出動軍人ニ対スル慰問金ノ件及本月十三日ヨリ十五日迄東京市ニ於テ開催セル全国町村長会各府県町村長会長会議ノ結果報告ヲ為シタル後本会相談役ニ関スル内規〔別記〕ヲ決定午後一時閉会○幹事会開会顚末 昭和七年一月十一日午前十一時三十分県庁二階会議室ニ於テ開会副会長各幹事〔橘樹郡ヲ除ク〕出席昭和七年度予算ハ前年度繰越金ノ減少、平塚町ガ市トナリ会ヲ脱会スル等ノ関係上会費ヲ増徴セザレバ編成不可能トナルニ依リ之ガ諒解ヲ求メ一同異議ナク之ヲ承認シ尚郡ノ合計額ニ異動ヲ生ゼシメザル範囲内ニ於テ郡町村長会ガ郡内各町村ノ負担額ヲ適当ニ定ムルハ支障ナキコトヲ申合セ左ノ通増徴ノコトニ決定正午十二時閉会 人口五千未満 二十三円 同 一万未満 二十八円 同 二万未満 三十三円 同 二万以上 四十円 ○幹事会開会顚末 昭和七年二月十日午前十一時県庁二階会議室ニ於テ開会菅沼副会長及〔足柄下郡、津久井郡ヲ除ク〕各幹事出席菅沼副会長ヨリ過般東京市ニ於テ開催ノ全国町村長会ノ結果報告ヲ為シタル後昭和七年度町村予算編成ニ関シ県当局ヨリ要望アリタル下級小学校教員増俸ノ件ニ付打合致シ度旨ヲ述ヘ河辺教務課長ノ出席ヲ求メ種々協議ノ結果別記方針ニ依リ増俸ヲ行フコトヲ協定シ且増俸ニ依ル経費膨脹ノ緩和策トシテ高級教員ノ整理ヲ断行セラレタキコト並ニ曩ニ県当局ノ了解ヲ得タル小学校教員ノ辞令ヲ町村長ヲ経由シテ本人ニ交付スルコトノ励行方ヲ希望シ午後一時二十分閉会 小学校教員増俸ニ関スル件 一 昭和七年度予算編成ニ当リ小学校費ニ付テハ左記ノ方針ニ依ルコト 1 俸給五十円未満ニシテ増俸後満三ケ年以上ヲ経過シタル成績優良ノ教員ニ対シ二円程度ノ増俸ヲ行フコト 2 五十五円未満ニシテ特別ノ事情アル者及校長異動ノ際ニ於ケル増俸ニ付テハ県学務当局ト町村当局ト合議ノ上決定スルコト○幹事会開会顚末 昭和七年三月十七日午前十一時二十七分県庁二階会議室ニ於テ開会菅沼副会長及各郡幹事〔鎌倉郡、津久井郡ヲ除ク〕出席 左記事項ヲ審議決定午後一時閉会 一 昭和五年度決算認定ノ件〔別紙ノ通異議ナク認定〕 二 昭和七年度予算議定ノ件〔別紙ノ通リ原案可決〕 三 来ル五月十七、八ノ両日金沢市ニ於テ開催ノ全国町村長大会ニ本県代表トシテ左ノ者出席ニ決定 神奈川県町村長会長 〔氏名未定〕 足柄下郡小田原町長 中田寿一郎 都筑郡都岡村長 瀬戸豊之助 四 福本前地方課長ニ昭和六年度本会費ノ内五十円震災借入金償還延期運動費ヨリ五十円合セテ金百円慰労金トシテ贈呈スルコトニ決定 ○評議員会開会顚末 昭和七年三月十七日午後二時県庁二階会議室ニ於テ開会菅沼副会長外評議員十九名出席左記事項決定午後二時五十分閉会 一 昭和五年度決算認定ノ件〔満場異議ナク認定〕 二 昭和七年度予算議定ノ件〔原案可決〕 三 本年度通常総会開催ノ件 四月三十日頃平塚市ニ於テ開催スルコト ○幹事会開会顚末 昭和七年四月十一日午前十一時県庁二階会議室ニ於テ開会菅沼副会長及各幹事〔津久井郡ヲ除ク〕出席左記事項ヲ決定 一 本年度通常総会開催事項ニ関スル件左ノ通決定 イ 宣言ハ⑴義務教育費国庫負担金ノ増額ヲ期ス⑵租税滞納処分中ノ者ハ総テノ公権ヲ停止スルコトニ関係法規改正方ノ実現ヲ期ス⑶町村吏員優遇ノ実現ヲ期スルノ三件ヲ骨子トシ篠原相談役ニ依頼シテ作製ノコト ロ 決議事項ハ各郡町村長会ニ於テ必ス一件以上ヲ決定提出シ来ル二十日午前十時ヨリ更ニ幹事会ヲ開キ之カ採否ヲ決定スルコト ○幹事会開会顚末 昭和七年四月二十日午後二時県庁二階会議室ニ於テ菅沼川辺両副会長及各幹事出席左記事項ヲ決定 (一) 通常総会開会期日変更ノ件 前会ノ幹事会ニ於テ決定セル本年通常総会開会期日四月三十日ヲ日支事変戦病死者忠魂慰霊祭執行当日ト重復スル関係上五月二日ニ開会ノコトニ変更セリ (二) 日支事変戦病死者忠魂慰霊祭執行ノ件 来ル四月三十日県、市、県町村長会及県神職会主催ノ下ニ日支事変戦病死者忠魂慰霊祭執行右慰霊祭費用トシテ一町村二円宛ノ支出ヲ為スコトニ決定 (三) 通常総会各郡提出事項ノ件 何レモ保留ニ決ス 以上ノ如ク総会ニ付議スヘキモノ皆無ナルニ依リ午前中ニ議事ヲ終了午後ハ県嘱託ノ国分大佐ヲ聘シ満蒙問題ノ講演ヲ聴クコトニ決定午後三時三十分閉会 ○県奨励金下付 昭和六年五月十六日本県知事ニ対シ昭和六年度奨励金下付ノ申請ヲ為シ同年八月八日付神奈川県指令地第二、三六五号ヲ以テ金七百円ヲ二期ニ分チ交付セラルベキ旨許可セラレ現金受領セリ ○同 昭和六年十月十三日本県知事ニ対シ昭和六年度経費中ヘ奨励金下付ノ申請ヲ為シ同年十月二十六日付関東一府七県連合町村長会費ニ対シ補助スル旨許可現金受領セリ ○震災見舞発信 昭和六年九月二十二日群馬県、埼玉県町村長会宛左記見舞電報ヲ発ス 「貴県下震災御被害甚大ノヨシ御同情ニ堪ヘズ御見舞申上」 ○水害見舞礼状発信 昭和六年九月二十八日付栃木県町村長会長ヨリ本県下水害ニ対シ見舞状来簡アリタルニ依リ同月二十九日礼状発信セリ ○日支事変戦死者左記三君ヘ弔電発信 横浜市 故陸軍上等看護兵 北林林之丞君 足柄下郡大窪村 故陸軍輜重兵上等兵 瀬戸実君 足柄上郡清水村 故陸軍歩兵上等兵 佐藤功徳君 ○満洲事変出征軍人慰問金 昭和七年四月十三日迄取纒メ陸軍大臣宛発送ヲ了シタル各郡醵出額左ノ如シ (円) 橘樹郡 二七九、七六 都筑郡 九七六、九六 鎌倉郡 二、〇三三、六一 高座郡 一、三九三、二四 中郡 一、九一八、四三 足柄上郡 八三〇、六〇 足柄下郡 一、七二三、八二 愛甲郡 八〇〇、〇〇 津久井郡 四四六、五八 合計 一〇、四〇三、〇〇 神奈川県町村長会役員退職慰労金支給規程 第一条 会長副会長及幹事ニシテ引継キ二年以上在職シ退職シタル者ニハ別表ニ依リ慰労金ヲ贈呈ス 付則 本規程ハ昭和六年四月一日以降ノ退職者ニ之ヲ適用ス 〔別表〕 相談役ニ関スル内規 本会々長タリシ者ハ退職後本会相談役ニ之ヲ推薦ス 但シ其ノ任期ハ二年トシ在職ノ日ヨリ起算ス 付則 会長以外ノ町村長タリシ者ニシテ現ニ相談役ノ職ニ在ル者ノ任期ハ二年トシ町村長退職ノ日ヨリ起算ス ○本会役員氏名 会長 〔欠員〕 副会長 中郡城島村長 菅沼保之輔 幹事 久良岐郡金沢町長 松本房治 都筑郡都岡村長 瀬戸豊之助 鎌倉郡大正村長 川辺勝三郎 中郡城島村長 菅沼保之輔 足柄下郡小田原町長 中田寿一郎 津久井郡中野町長 三樹保治 鎌倉郡大正村長 川辺勝三郎 橘樹郡宮前村長 都倉義知 三浦郡浦賀町長 加藤小兵衛 高座郡海老名村長 望月珪治 足柄上郡松田町長 鈴木善太郎 愛甲郡中津村長 原鹿之助 評議員 久良岐郡金沢町長 松本房治 橘樹郡宮前村長 都倉義知 都筑郡都岡村長 瀬戸豊之助 生田村長 高橋加六 柿生村外一ケ村組合長 森連之助 三浦郡西浦村長 新倉豊吉 長井町長 原田好安 葉山町長 小林章司 鎌倉郡大正村長 川辺勝三郎 深沢村長 吉田政五郎 〔欠員一名〕 高座郡御所見村長 宮治彦治郎 座間村長 稲垣許四郎 〔欠員二名〕 中郡大磯町長 二宮長松 城島村長 菅沼保之輔 伊勢原町長 田中音吉 〔欠員一名〕 足柄上郡松田町長 鈴木善太郎 桜井村長 中戸川清太郎 川村長 田淵勝蔵 足柄下郡足柄村長 府川庄次郎 仙石原村長 石村喜作 愛甲郡中津村長 原鹿之助 津久井郡日連村外一ケ村組合長 杉本銀次郎 下曽我村長 長谷川良輔 前羽村長 石塚八郎 依知村長 梅沢舜三 〔欠員一名〕 顧問 神奈川県書記官内務部長 古川静夫 地方事務官地方課長 小田成就 同 庶務課長 福本柳一 同 会計課長 青木雄司 金子角之助 相談役 地方事務官 篠原忠治郎 新田信 石渡秀吉 後藤宗七 (「中郡町村長会書類」大磯町役場蔵) (注)昭和七年度会費分賦方法、総会又ハ大会ニ出席スル県代表選定ノ郡順位、神奈川県町村長会表彰規程、神奈川県町村長会々則、神奈川県町村長会歳入歳出予算、決算表は省略した。 三六三 義務教育国庫負担金増額租税滞納処分者の公民権停止等に関する神奈川県町村長会の宣言 宣言 義務教育費国庫負担金ノ増額ハ国民教育ノ本義ト町村財政ノ窮状トニ鑑ミ吾人カ常ニ提唱シテ渝ラサルトコロナリ今ヤ打続ク財界ノ不況ニ依リテ町村ノ歳入ハ年々欠陥ニ欠陥ヲ重ネ資力薄弱ナル町村ニ在リテハ殆ト教員俸給ノ支払ニスラ支障ヲ生シ数回ニ之ヲ分割支給スルノ止ムナキモノアルニ至レリ今後尚依然トシテ今日ノ状態ヲ持続セムカ終ニハ町村財政ノ破滅ヲ招来セムコトヲ惧ル町村ニ在リテハ歳出中其ノ大部分ヲ占ムルモノハ実ニ教育費ニシテ他ハ殆ト見ルニ足ルモノナク而モ教育費ノ大部ハ小学校教員俸給費ナルヲ以テ町村財政ノ緩和ヲ図ル為普遍的ニシテ条理ニ叶ヒ且恒久性アル財源ヲ求ムルトキハ義務教育費国庫負担金ノ増額ヲ措キテ他ニ適当ノ財源ナシト信ス依テ吾人ハ此ノ際小学校教員俸給費全額ヲ目標トシ国庫負担金増額実現ニ向ツテ邁進スルヲ緊切ノ要務ナリトス 自治ノ本義ニ照シ町村ノ要スル費用ハ町村民各自ニ於テ之ヲ負担スヘキコト当然ナルニ近時動モスレハ有識階級ニ在ル者又ハ有産者ニシテ故意ニ納税義務ヲ怠リ恬トシテ恥ツルコトナク反テ之ヲ世ニ吹聴シテ憚カラサル者等アリ為ニ漸次滞納ノ悪風ヲ助長シ町村財政ノ運用ヲ害スルコトアルノミナラス多クノ善良ナル納税人ニ対シ思想ヲ悪化セシメツツアルコトハ洵ニ看過スヘカラサル重大事ナリトス今ニシテ之カ矯弊ノ策ヲ講スルニ非スンハ終ニ町村自治ノ運営ヲ妨ケ国政ノ基礎ヲ破壊スルニ至ルヘシ依テ吾人ハ斯カル反社会的行為ヲ敢テスル者ノ中少クトモ租税滞納処分中ニ属スル者ニ対シテハ刑余者破産者ト等シク各種法令ニ定ムル総テノ公権ヲ停止スルコトト為シ之ニ関スル現行法令ノ改正実現ヲ期シ以テ町村自治ノ円滑ト思想善導トニ資スルノ適当ナルヲ痛感ス 町村吏員ハ町村自治体ノ機関ニシテ町村事務ノ執行ヲ以テ職務ト為ス然レトモ今日ニ在リテハ寧ロ法令ニ基ク国政事務ノ執行ニ其ノ能力ノ大半ヲ傾注スルノ現状ナリ而モ其ノ事務タルヤ極メテ多種多様ニシテ何レモ町村民ニ直接シ国政ノ基調ヲ為スモノナルヲ以テ其ノ国務ニ対スル功労敢テ官吏ニ譲ルトコロナシ然ルニ国家トシテ町村吏員ヲ遇スルノ途未タ甚タ菲薄ニシテ下級官吏小学校教員ニスラ及ハサルハ吾人ノ常ニ遺憾ト為ス所ナリ依テ将来少クトモ一町村ヲ代表スル地位ニ在ル町村長ノ叙位、叙勲年限等ニ付テハ之ヲ奏任官同等ノ振合ニ改メ其ノ他ノ栄典授与ニ関シテモ出来得ル限リ優遇ノ方途ヲ開カレムコトヲ要望シ以テ町村吏員ノ社会的地位ノ向上ヲ期セムトス本日第十三回通常総会ニ当リ〓ニ其ノ所信ヲ宣明ス 昭和七年五月二日 神奈川県町村長会 決議 一 義務教育費国庫負担金ノ増額実現ヲ期ス 二 租税滞納処分中ノ者ニ対シテハ総テノ公権ヲ停止スルコトニ関係法令ノ改正実現ヲ期ス 三 町村吏員ニ対スル優遇方法ノ実現ヲ期ス (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三六四 農家経済救済方法に関する中郡町村長会の請願事項 号外 昭和七年六月十八日 中郡町村長会長 菅沼保之輔(印) 大磯町長殿 臨時総会開会ノ件 来ル六月二十日午前九時ヨリ大磯町役場ニ於テ左記ノ件ニ関シ総会開会致シ度候条必ス御出度相成度此ノ段及通知候也 記 一 農村経済困難ニ対スル救済方法ノ件 農村経済困難ニ対スル救済方法 一 農産物ノ価格ヲ速ニ引上クル様政府ニ陳上スルコト 二 農村高利債借替ニ対シ低利資金ノ運用ヲ其ノ筋ニ請願ノ件 各種団体並ニ個人ニ対スル高利債ヲ低利債ニ借替ノ事ヲ知事並ニ政府ニ請願ノ事但シ有担保ノ価格ノ引下ヲセザルコト 三 震災応急資金借入金ニ対スル件 震災応急資金借入金ハ据置中ノ利子ヲ政府ニ於テ補給セラレタキコト 四 自作農借入金償還ハ三ケ年間据置キ据置期間中ノ利子ハ政府ニ於テ補給スルコトニ其ノ筋ニ請願スルコト 以上 (欄外注記)中郡町村長会昭和七年六月二十日提出即時可決 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) 三六五 中郡町村長会の町村財政救済陳情書 陳情書 我国ノ経済ハ積年財界不況ノ脅威ニ因シ従テ之ニ伴フ地方財界ノ窮迫益々深刻ナリ仍テ本郡町村長ハ熟議ノ結果客年度以降薄給ナル町村吏員淘汰減給ハ勿論公私経済組織ノ緊縮整理ヲ断行シ以テ町村民ノ負担軽減ニ努メタルモ著シキ曙光ヲ認メス然ルニ昨秋十一月十四、五日ノ風水害ニヨリ甚大ナル災害ヲ蒙リ復旧未タ終ラサルニ旱害ニヨリ多大ノ町村費ヲ要シ以テ被害ヲ減少ナラシム故ニ町村経済ハ一層ノ窮迫ヲ加ヘ担税力ノ欠乏甚シク特殊ノ財源ヲ与フルニ非スンバ到底其負担ニ堪フヘカラサルハ本郡各町村ヲ通シタルノ実情ナリ故ニ本郡町村長ハ臨時総会ヲ開催シ別紙決議ニ基キ預金部資金元金償還延期ノ請願セリ何卒事情御洞察ノ上特別ノ御詮議ヲ以テ御高慮相仰キ度一同連署ヲ以テ陳情候也 昭和八年九月 日 (「神奈川県全国町村長会議書類」(大正九―昭和九年)大磯町役場蔵) (注) 別紙、連署とも欠。 解説 総論 政治・行政編の資料編集方法 この巻は、明治四年(一八七一)の廃藩置県前後から昭和四年(一九二九)の昭和大恐慌発生前後にかけての約六十年間にわたる神奈川県の政治・行政関係資料を収録している。ここでひとくちに政治・行政関係資料といっても、どういう狙いでどのような性質の資料をとりいれたかをあきらかにしておいたほうがよいと思うので、あらかじめ本巻の編集の方針と経緯について説明をくわえておきたい。 わたしたちは、県史編集事業がスタートを切った昭和四十二年(一九六七)の夏以来、当時、神奈川県下の三十八市町村の公文書の所在をたしかめるために予備調査に着手し、四十六年にいたるまでは、公文書および在地の私文書を調査し収集をかさね、資料の検討をくりかえしてきた。またこの間、県内在住の金原を中心に、県下の近代地方史研究を地味に進めている多くの研究者や関係者とのコミュニケーションを密にし、「県民に親しまれる県史」のパイプを設置する前提をつくりあげることに努力をかたむけてもきた。こうして四十六年の夏から秋にかけて、調査チームの内側で数回にわたり資料編をどうつくるべきかということをテーマにすえて討論をおこない、金原が「神奈川県史資料編11近代・現代(1)政治・行政」構成試案を作成した。その構成試案(昭和四十六年十一月二十二日)は、以下のようなものであった。 1 全般的な方針 ⑴ 政治・行政編は二巻構成であるので、第一巻は明治初年から昭和十年代後半まで、第二巻は昭和十年代後半から昭和四十年代後半までとする。 ⑵ 神奈川県の近代の政治・行政資料を通じて神奈川の近代の歴史像を浮かびあがらせ、同時に資料として耐えうるものとする。 ⑶ 本編資料集にとりいれる資料は、主として県郡市町村ならびに地方政治に関する未刊行の資料を収録する。したがって重要な資料であっても、既刊の文献・雑誌・新聞に収録されている資料は原則として掲載しない。ただし太政類典・神奈川県史料等々、最小限必要なものは関連資料として採用する。 ⑷ 本編に収録する資料の構成は編年体により、神奈川地域の時期区分をおこない、主としてテーマ別に、「シークエント方式」をとることにする。なお部分的には、一般テーマをおりこまざるをえない場合もある。しかし通史的資料配置の方法は避ける。 ⑸ 資料の範囲は次のとおりである。 ア 主要な政治・経済・社会・教育問題をめぐる政策運用とその実情 イ 県郡市町村の地方行政の展開過程(アの項目を中心にして) ウ 地方議会の動向(アの項目を中心にして) エ 政党をはじめとする政治的諸運動 オ 地方政治家の足跡 カ 県民の政治意識の変化 ⑹ 明治初年から太平洋戦争下にいたるまでの時期において県内の政治上の特色を示すような問題を中心にして、神奈川県の政治・行政の発展過程を構造的・立体的にあきらかにしていくことをねらいとする。 ⑺ 文献目録と資料索引を付すことも考えて見る。 2 時期区分 ⑴ 明治維新・自由民権期-①前期(明治 五―十一年)、② 後期(明治十一―明治二十六年) ⑵ 帝国形成期(明治二十七―明治四十三年) ⑶ 大正デモクラシー期(明治四十三―昭和四年) ⑷ 準戦時・戦時体制期(昭和四―昭和十八年) この後に試案では「3 資料構成案大綱」を表示し、前記の時期区分にもとづいて資料テーマと所収予定資料と資料の所有者名の一覧表を掲げておいた。これが試案のすべてである。試案はその後、近代・現代担当主任執筆委員大久保利謙をはじめ近代編担当の執筆委員、県側の担当職員の参集をえて討議に付し、さらに近代・現代分科会にはかった。分科会では、もっぱら時期区分の表現をめぐって論議が集中したが、そのねらいとか区分けにかんしてはおおかたの承認をえ、こうして、ほぼこの試案にそって補足調査をおこないながら、資料の編集作業をつづけてきた。 ところで編集の過程で、技術面で難題に直面せざるをえなくなった。それは紙幅の関係で昭和十年代後半までの諸資料を包摂することが不可能となったことである。そこで収集し、かつ最小限ぎりぎりに選択し採用した資料を除外し、内容の質を落して当初の時期をカバーするか、時点をさげて採用資料をそこなわないようにするか、どちらかの道を選ばなければならない。 わたしたちは、結局、後者の道をとることにしたが、ここからさらに第二の問題が派生してくる。それは、時期区分の問題である。さきにふれたようにこの資料編は、編年体を縦軸にしてテーマ主義を横軸にしてかけあわせているので、昭和初年まで時点をさげるとなると、とうぜん時期区分を示す編だてを考えなおさざるをえなくなる。そこでやむをえず試案での政治・行政編の時期区分を前提にすえて、便宜上、第一編は廃藩置県から市制および町村制の公布・施行まで、第二編はこの新地方制度が布かれてから日露戦争前後まで、第三編は日露戦争後のいわゆる「戦後経営」の時点から郡役所廃止まで、というたてかたをとった。したがってこの編だては編年形式をとっているけれども、わたしたちの狙いとする時期区分を示すものではない。 編集を進めてくるなかでの第三の問題点は、資料の性質と範囲にかんしてたちあらわれてきた。試案において六つの角度から政治・行政編の論点を設定したが、この資料編では、主要な政治・経済・社会問題をめぐる政策運用の面と、地方行政の過程に的をしぼらざるをえなくなった。したがってこの資料編は、県政を頂点とする地方行政の制度や機構とその運営および政策過程とそこにおける政治諸力の動きを中心に構成することとなったのである。 こうしてわたしたちは、国家的な規模での近代政治・行政の推移を背景に、いやむしろその動きとのかかわりあいにおいてさらには国の政治を支え影響をおよぼしているという視点から、神奈川県域の地方政治の特殊個性的な歩みをあきらかにし、前述したように資料をつうじてひとつのまとまりをもった政治・行政の歴史像をとらえなおしてみることを課題にすえることとした。そのために資料をどのように構成するかが問題とならざるをえない。 県史として近代資料をとりあつかうにあたって、近代史料論の欠如、県史編さん事業の構想とその具体化への認識が全般的にまったくといってよいほど欠けている事情のもとで、しかもひとつの県域といっても自然的風土、社会的、歴史的事情の異なる諸地域を包含している県を単位とする編集作業は、技術的にも至難の業である。このことは、資料をつうじて政治・行政の歴史像を浮きぼりにし、かつ政治・行政の発展の過程を構造的にあきらかにするといいきっても、それ以前に深刻な解答不能な難題がよこたわっていることをものがたっていよう。 わたしたちは、そのためにこの巻の「全般的な方針」の要件をみたすうえで、編集関係者の共通の理解として、神奈川県下の地域差を重視し、考慮にいれてきた。その地域差という場合、経済的に特徴づけられる地域差、すなわち臨海部と内陸部、あるいは臨海部と内陸平野部、山間部という地帯区分にとどまらず、政治的・行政的に生みおとされた地域差、さらには近代以前からの歴史的伝統の近代への作用を重くみてきた。 この点にかんして経済発展の視角では、工業化と都市化によって神奈川県が単一構造と化している今日の実情からふりかえると、横浜開港後の生糸貿易の発展とそれにともなう横浜地域の経済変動を初発として、以後明治末年からの臨海工業地帯の開発にともなう商業県から商工業県化への転回、さらには十五年戦争下のいわゆる戦時経済下における工業化の促進という変化の道をたどってきている。また第二次大戦下と戦後の一時期の破壊-停滞期は別として、今日では、地域が資本とそれを支える政策によってその特性を奪取されるほど、工業化と都市化によって画一化されてきていることは否定できない。地域は、国家によって無差別にエンクロージャされているのである。 しかし視角をかえて社会・文化、人びとの生活意識の内側にたちいってみるとき、経済的画一化にもかかわらずに相模川を境とする東部と西部は、今日といえどもはっきりと異なっている。その地域差を適確に区分けすることは不可能であるが、地域差を維持している伝統の重みと変動の関係を、わたしたちは無視することはできないと思う。今日におよぼしているその近代の契機は、明治初年の複雑な県域の離合集散の過程にあり、大ざっぱにつかみなおせば旧神奈川県と旧足柄県の関係のなかにひそんでいるように思われる。 ともあれわたしたちは、地域の違いというものを下敷にして政治・行政の面での変化、発展とそこで提出されてくる諸問題を資料でとらえなおしてみたつもりである。もとより政治・行政関係資料で地域の個性をえがくことは不可能であるから、ここで強調しておきたいのは、この資料編の諸資料のなかには、そうした配慮が伏線としてはりめぐらされているということである。このような視点を設定しないかぎり、とりあつかいに困難な県単位での資料編さんはますますあいまいなものになってしまうであろう。以上、補足をこめて編集方法の概要をのべてきた。以下、本編を読んでいくさいの参考になるような角度から各論の解説を進めていきたい。 一 明治前期 神奈川県の成立と再編成 明治維新政府は慶応四年(一八六八)三月、かつて幕府が日米和親条約(神奈川条約)を締結したあとに設けた神奈川奉行所を接収して横浜裁判所を設置し神奈川府と称することにした。知事には東久世通禧が任命された。この巻の資料もここから始まるように、この時点から維新政権のもとで事実上神奈川県が誕生したのである。 神奈川府の管域は、神奈川宿を中心として約四十キロメートル四方にすぎなかった。その後間もなく明治に改元された九月に、神奈川府は神奈川県となり寺島宗則が知事に任命された。またこの間、六月には韮山県が置かれ、酒匂川流域を中心とする小田原藩、愛甲郡を主とする荻野山中藩、金沢を中心にした六浦藩の領域が定められ、明治二年一月に武蔵県知事が廃止されるとともに川崎宿は神奈川県に編入されることとなる。そして明治四年七月の廃藩置県によって九月には、神奈川県域は相模国の三浦・鎌倉両郡と武蔵国の橘樹・都筑・久良岐三郡となり、足柄県には相模国の足柄上・足柄下・高座・大住・愛甲・淘綾・津久井七郡と伊豆国一円が属することとなった。 この二つの県域は、伊豆国一円をのぞくとほぼ今日の神奈川の原型とみなすことができる。ところでこの年十一月の新置改県によって、「太政類典」の資料にもみえるように、神奈川県庁は横浜、足柄県庁は小田原に置かれ、神奈川県は東京府・入間県から多摩郡を、足柄県から高座郡を引き受けることとなった。その最大の理由は資料「大蔵省伺」の別紙に「十里部内外国人遊歩ノ地ニテ開港場県庁ニ於テ管轄不仕候テハ彼我取締不都合ノ儀モ有之」とあるように、もっぱら対外的な関係を重視しての事情によっていたのである。多摩・高座両郡はたしかに横浜から約四十キロメートルの範囲に位置している。このことは、幕末における外国人殺傷事件をひきおこした苦い経験に立っての措置であり、事件や摩擦を生ずることにより明治政府が対外的に窮地におちいる事態を回避するひとつの策でもあったのである。こういうささやかな県域管轄替えのなかにも、明治政府が、一方では民心を失なって「尾大の弊」に悩み、他方では対外的に受け身になり、政権を運用するうえに苦慮していたその一端がうかがえよう。 ともあれ神奈川県・足柄県の設置によって、新しい地方制度がここに創出されたのである。当時、神奈川県は人口約十万六千余人、戸数は約四万九千余戸、石高は約三十三万石であり、足柄県のほうは人口が約六万八千余人、戸数約三万四千戸弱、石高は約二十六万石であった。そして政府は神奈川県令に陸奥宗光を、足柄権令に同県参事の柏木忠俊を任命した。 陸奥はあらためてのべるまでもなく、和歌山藩出身で海援隊に加わり尊王攘夷運動に身をていし、維新後兵庫県知事を歴任し、明治五年六月神奈川県令から、大蔵省租税頭・地租改正局長として地租改正事業を推進していくいわゆる明治政府の中堅的人物である。これにたいして柏木は、韮山の出身で、幕末に江川太郎左衛門の公事担当の裁判官をつとめ、オランダ仕込みの航海運用・砲術・鉄砲製造を学んだ藩の中堅人物でいわゆる地域の人間である。では政府はなぜこの柏木を起用したのか。おそらくそれは柏木の維新における実績-江川英武を推しての討幕派への参加、韮山県判事、大参事-という経歴がものをいっているであろう。さらに小田原藩内の幕末維新期における藩論の不統一のような事情とか、相模・伊豆の地勢も風土も異なるこの県の維持困難な実情をみきわめたうえで、政府は地域の事情や民情にくわしい柏木をたてることによって、政策を円滑に推進しうると判断したからであろう。 このように廃藩置県にいたるまでの神奈川・足柄両県の設置の経緯を制度面からのみふりかえってみても、複雑な過程をたどっていることがあきらかである。それというのも、相模・武蔵国には、小田原藩をはじめ、他の藩領が錯綜したかたちでいりまじっていたうえに、横浜開港にともなうその後の外国軍隊の駐留と横浜貿易というあたらしい国際的条件と、さらに首都に隣接しているという事情がかさなりあっていたからであろう。事実、県域の問題をめぐっては、その後後述するように明治九年の足柄県廃止にともなう相模国七郡の神奈川県への編入と明治二十六年の西、北、南多摩三郡の東京府への管轄替えはともに大きな紛糾を呼びおこしていく。要するに神奈川県域の再編成-分離統合問題は、明治五年の「武蔵国多摩郡ノ内中野村外三十一箇村」の東京府移管をめぐるいざこざをはじめ、明治前半期における県政の主要な争点になっていたことは否定できない。 ところで置県によって神奈川県は、明治四年の暮、職制と事務章程を施行して県庁内に庶務・聴訟・税務・出納の四課をおくこととなった。しかしその職制と事務章程は、県政創設ということもあって、どこでも同じだと思われるが、ことは円滑に運用されたとはいえない。その事情は、資料の神奈川県布達、県官員にあてた「事務章程制定に関する神奈川県権令大江卓の諭告」からも知ることができる。また県制度とそれを運用するにあたっての困難さと問題の所在の一端をあきらかにするために、わたしたちはこの資料を掲げることにしたのである。 また県当局は、それぞれ管内の民衆と密接な連携をはかっていく必要に迫られていた。というのは「王政不如幕政」という風潮は、かつての「奇兵隊日記」にあらわれた世上の浮言にとどまらず、明治政府にたいする民衆の不信の動きは各地で渦巻いていたからである。明治五年から六年にかけての学制の制定、徴兵令の発布、地租改正条令の布告といういわゆる三大改革の公布から施行にかけて、負担増と苦境にあえぐ民衆がこれらの対策に反発する動きをあちこちでくりひろげた事実はすでによく知られている。また一方では小田原県の坂田丈平の「国律租税」を審議する権限をもつ臨時議院設立の建白書に代表されるように、地方民会の開設要求もあらわれ、明治政府の基礎は安定していなかった。 だからこそ「県治民情相背馳」することを防止するために、神奈川県令中島信行は「管内各区ニ議会ヲ開キ毎町村ノ代議人ヲ公選シ民政民事」の件を議定させるよう区戸長に告示していくのである。資料「管内区戸長にたいする神奈川県令中島信行の諭告」がそれであり、また「地方長官会議に臨む足柄県権令柏木忠俊等の諭告」も、かたちこそ異なれ、「公議輿論」にもとづいて「上下協和民情暢達」の道をすこしでも拡大していこうとする方策を示したものである。 ところで神奈川・足柄両県が県統治機構の整備と県行財政の安定をはかることに苦慮している最中の明治九年四月、足柄県が廃止され、県域は神奈川・静岡の両県に分属することとなった。この足柄県廃止問題は、肥田浜五郎の柏木県令あての書簡から推定してさして間違いがないように思われるが、県民にとっては寝耳に水のような措置であったと考えられる。足柄県の廃止は、明治政府・神奈川県の利害関係からはじきだされた政策決定であり、おそらく横浜を中心とした京浜の経済圏の拡張とふかくかかわりあっていると思われるが、足柄県民にとって、とりわけ小田原を中心とする神奈川県編入地域在住の人びとには大きな衝撃をあたえていたようである。 その動静は、小田原を去っていく柏木県令にたいする地元の小学生の「惜別」の作文の端々にうかがうことができるし、さらに後年明治十九年に元老院議長大木喬任に提出された小田原町有志の「足柄県再興建白書」の資料の文脈のなかにうかがうことができよう。「惜別の辞」のそれぞれの文章は、その治績と人柄とあわせて人望の厚かった柏木個人にたいする儀礼的な送別ではなく、柏木の帰国と廃県という二つの事実をかさねあわせた悲痛の訴えにもなっていると思われる。こうした廃県への衝撃は、その後の足柄県再興運動の有力な根拠ともいうべき「賦課重クシテ其利薄ク」「地勢民情一モ其可ヲ見ス」という訴えとなってあらわれていく。この半面において利害関係のからんだ横浜を中心とした神奈川県の東部にたいする小田原を中心とした西北部の風土の差は、今日においても消え去ってはいない。 区番組制から大区小区制へ 廃藩置県および県行政区画の設定にともないその中央集権体制の地固めのために地方制度も整備され、大区小区制がとられていく。が、そのまえに明治四年(一八七一)四月、太政官布告により戸籍法が制定され、神奈川県では六月にその施行準備としてこれまでの寄場組合を廃止して六十の戸籍区を設け、戸籍吏として戸長・副戸長を人選していた。もっともこれによって旧来の自然村の組み替えがおこなわれたわけではない。戸籍法の第二則但書に「戸長ノ務ハ是迄各地処ニ於テ荘屋名主年寄触頭ト唱ル者等ニ掌ラシムルモ又ハ別人ヲ、用ユルモ妨ケナシ」とうたわれていたように、庄屋名主を認めていた関係から考えてみても、「村」の根本的改革は日程にのぼっていなかった。ただ戸長が戸籍法第三則に明示されているように、旧体制下の村役人そのものとしてではなく、資料「戸長副戸長心得」(壬申三月)にみえるように、維新政府の末端行政官としての性格をあたえられ、「村」が「四五町若クハ七八村」をもって構成される戸籍区に編入されている結果、これまでの「村」秩序の解体をうながしていく契機になっていたとみることはできよう。 その後、明治政府は明治五年四月に、庄屋・名主・年寄などの制を廃止して戸長・副戸長などを設置した。そしてこの年の下半期、資料「足柄県大区小区設置に関する件達」にみられるごとく足柄県では大区小区制が敷かれ、神奈川県下では明治七年六月、区番組の制を廃止してあらたに大区小区制を実施していった。そこでこの間における神奈川県下の地方制度の推移を眺めておくことにしたい。 明治六年五月、神奈川県布達(無号)によると、県は区画改正の実施(二十区に分画)と同時に区に区長副区長、番組に戸長副戸長、駅町村に各用掛を置いた。正副戸長は小前百人につき五人の代議人を選挙してその代議人の間接選挙によって選出するという方式をとり、正副区長は、その部内の正副戸長によって選出のうえ県令がこれを認可するということになった。そしてこれらの長は原則として「高拾石以上之者」という資格要件をとっていたが、こうなると旧来の村方三役と人的なつながりをもつようになることは否定できない。この区画改正の内容については、その他の事項もふくめて資料、明治六年四月の権令大江卓名による「区画改正の大略」に明示されている。なお参考のために、正副区長名を、足柄県下もふくめて、「神奈川県自第二区至第廿区正副区長名簿」と「足柄県正副区長名一覧」で掲げておいた。 ところで地方行政組織の末端機構の行政責任者ともいうべき番組の正副戸長の役割は、資料「戸長副戸長事務取扱大略」にあきらかなごとく、「区長学区取締ニ次キ制限ニ従ヒ番組一切ノ事務ヲ取扱フ事」となっていて、整理するとおよそ以下のような内容になっていた。⑴番組内の訴訟にかんする説諭、風紀の取締り、⑵租税取立ての事務、⑶諸願届等々の受理と県庁、区長への具状提出、⑷地所の売買質入れの書き入れ事務、⑸出火、洪水のさいの指揮、防御策、⑹戸籍事務、⑺番組入費事務、⑻堤防、道路、橋梁などの修繕工事、⑼社倉積立金取立ての事務、⑽鎮守祭礼にかんする事務、⑾田畑耕作状態にかんする区長への報告、⑿布達の掲示、布達規則違反者の取締り、⒀公祭の執行、⒁勧学の奨励、⒂衛生思想の普及等々。このように正副戸長の執行する事務内容は、布達の掲示、戸籍の整備、租税の取立てなどというような国政事務を主軸にして、番組内の風紀の取締り、道路、橋梁、堤防などの修繕、出火・出水のさいの指揮、祭礼等々、「村」共同体に固有の事務を、政府の打ちだしてくる方針にそくして、推進する役割をも担っていたのである。 戸長副戸長は、このように明治政府の行政吏としての機能をもちながら、「村」の総代としての性格をつよくまとっていたといえよう。しかも県政のもとで小前↓代議人↓正副戸長↓正副区長という統治の機構にそくして、さらに数か村によって番組がかたちづくられている事情から正副戸長の位置を考えてみると、ここでいう「村」総代的性格は、もはや旧来の「寄合総代」ではなく、中央集権的な近代国家をつくりあげていくそのもとにおける「村」総代として変化しつつあった。 このことは、資料「区長副区長事務条例」に明文化されている正副区長の役割とともに、正副戸長は、明治政府の国政事務執行者として位置づけられていることをものがたるものである。事実、正副戸長は、明治七年五月には、太政官達第二一八号の適用を受けて県官待遇を受けている。 地方行政の組織が、近代的な衣をまといながら上から創出されてくる過程は、一面ではその効果を生みだすためにこれまでの「村」共同体の条件を利用しながらもその根底において機構的に変容をうながしていかざるをえないのである。しかもそこにみられる変化は統治制度にとどまらず、実は「村」共同体内部においてひきおこされている経済的な変動とふかく関係していることに留意しなければならない。その点について神奈川県管下武蔵国都筑郡第二十九区の地域(下谷本村・上谷本村・成合村・恩田村・奈良村・鴨志田村・寺家村・岡上村・黒川村・栗木村・片平村・五カ田村・古沢村・万福寺村・上麻生村・下麻生村・早野村・鉄村・黒須田村・大場村・市ケ尾村)を素材にして考えてみる。 この区の構成は、「武蔵相模国宿村区別其外取調帳控明治五年四月」 (吉浜俊彦氏所蔵)でみていくと、明治五年三月の時点で、戸数は千七十一(内訳 家持千五十七、借家十四)、寺社堂六十、人員構成は四千四十一人(そのうち平民四千九人)で、そのうち千百二十五人が労働力として算出され、その九〇%弱が農業従事者であった。残りの一〇%強は、商業八十四、大工職十九、杣職九、屋根葺職九、紺屋職六、桶職四、鍛冶職三、建具職・左官職・炭焼職各一という職業となっている。この地域の職業構成は、明治六年になっても「神奈川県管轄武蔵国第二十九区職分表 明治六年二月」(吉浜俊彦氏所蔵)でみるかぎりほとんど変化を示していない。わずかに農業従事者が五人増加しているだけである。しかし労働力の移動はかなりおこなわれていたとみてよい。さきの「宿村区別其外取調帳控」でみると、第二十九区二十一か村で管内他区への出稼・奉公人として流出した者は男百七十五人、女百七十人で、他区より奉公人として流入してきた者は男八十三人、女六十三人となっている。また「神奈川県管轄武蔵国従第二十九区他管轄寄留奉公出増減表 明治六年二月」(吉浜俊彦氏所蔵)でみると、この資料は十五か村分のものであるが、流出入戸数は五十五戸、その人数は六十五人となっている。したがって労働力の移動という観点からとらえなおしてみると、横浜周辺のいわゆる平坦部の村落においては、労働力の移動を中心として経済事情が変化しつつあることを推定することができよう。 ところでふたたび地方行政制度に目を転じると、神奈川県では明治七年六月、これまで維持してきた区番組の制度を廃止して、あらたに大区小区制を実施することとなった。その数字は二十大区百八十二小区で、さらに九年、足柄県の廃止による管轄替えによって二十三大区二百八小区を数えるにいたる。この大区小区には、明治七年の「神奈川県布達第一五六号」によると、大区には正副区長、小区に正副戸長をおき、さらに村方の統治機構の一環として、それぞれの大区に区会を設け、小区ごとに代議人を選出するように達をだしていった。 ここで正副区長の役割について注目しなければならないのは、資料「区長事務章程および同追加」をみてもあきらかなように、「官民ノ間疎遠ニシテ上下隔絶ノ弊」がままみられる状態のもとで、実質的に「官民ノ媒介人」として県治の立場から「上下情意」の融通をはかるよう、強く要請されていたことである。正副区長は、実際に行政吏としてますますその地位を鮮明にしていく。この任命制の正副区長のもとに各小区に正副戸長と任命制の村用掛をおき、村内の租税収納とか当時最大の事業であった地租改正作業の補助など、直接に「村」の利害にかかわる業務を担当させていった。もっとも村用掛の事務の執行にかんしては、さまざまな紛議がひきおこされ、そのためか七年十月には「庶五五号」で村用掛の区戸長任命制を改め、代議人一同の投票で採用する方式をとることにした。こうみると代議人が地方の底辺で統治を円滑に推し進めることができるかどうかの重要な鍵になってくるが、区会に参加するこの代議人は、小区ごとに小前一同が投票して選出することになっており、代議人の数は、五十戸まで二人、六十戸まで三人、八十戸まで四人、百戸まで五人という割合になっていた。このように代議人は小前の投票によって選ばれるてまえ、その行為はすべて「村」共同体全体の承認をうる関係もあって、「民情実際ニ経験スルモノ」は、すべて代議人に下問していかなければならなかったのである。しかも当時、この資料集ではとりあげることができなかったが、政府は地租改正事業に着手し、改租を円滑に進めるうえでも代議人-区会の役割を重視していた。その間の事情は、資料「足柄県大小区議事概則」などからもうかがえよう。 神奈川県下の動きをとってみても、明治政府は大区小区制を敷くなかで、旧来の村役人を廃止して村方役職者を県官に準じて待遇し「村」秩序を権力的に編成しなおそうと試みたのである。しかし実際にはこうした制度の改革をつうじて地方行政の最大の任務である殖産興業による民産の富殖と民智の開発を推進し、治安をはかって国家秩序をつくりだしていくことはたやすいことではなかった。このことは、明治十一年十月の大住郡真土村における真土一揆とか鎌倉郡内でひきおこされた地租改正反対運動に象徴づけられているように、政府の施策とその線上にたつ大区小区の村方役職者の動きと農民層の利害関係が相反し、しかもその渦中で政府にたいして批判的な村吏もあらわれていく実情にあったからである。いくつかの資料にもみえるように、大区小区制のもとで制度変更を試みなければならなかったのは、たんに法制上の不備を是正するというだけではなく、実は反政府的な空気の流れにもかかわっていたのではないかとも思う。 地方三新法体制と政治社会状態 その後明治十一年七月、太政官番外達によって、地方三新法(郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則)が制定され、神奈川県でも十一月に郡区町村編成法と郡区役所を設置した。そして十一月かぎりで、「大小区并ニ正副区戸長以下」を廃止して、郡区町村編成法が地方統治を進めていくその一翼を担うことになる。郡区町村編成法のもとでは、大区小区制下の正副区戸長の事務は、郡区長、戸長におきかえられ、県令-郡長-戸長-「村会」というルートによって地方統治の機構がつくられていく。郡区長、戸長の職務内容は、「郡区長等管掌事務に関する件達」以下の資料に明記されているように、大区小区制下のそれとほぼ同一内容のものである。 にもかかわらず郡区町村編成法において旧来の郡と町村を復活させこの年の神奈川県達一四八号「戸長撰挙規則」により戸長公選の原則を定めたことは、地租改正事業の施行をめぐってこれに反対する動きが激発している情勢のもとで、かたちづくられてきた民会組織のようなものを逆に利用しながら地方支配の機構を創出しようとした点にひとつの特色があったといえよう。この事情は、町村会の組織や選挙規定について「大則数章」が規定されただけで統一的規制はおこなわないで各町村の便宜にゆだねられ、町村会の組織、機構は、それぞれの町村が決めていった点からも考えられよう。こうみてくると、明治政府は、その中央集権的な地方統治の網の目にいまだ町村段階を直接にとらえきっていないことを意味しているとともに、そのような状態のもとで町村に制度上運営権を委譲しておいたほうが、かえって得策でもあった。 ところですでにのべたように、新制度の郡区吏員、戸長に、大区小区制下の区戸長の事務が引き継がれていくわけであるが、その職務内容の一端を知る手がかりとして「第六大区二小区吉田村区務受渡に関する件届」をあげておいた。この資料から三新法体制初期の戸長の職務を推定できるが、ここからあきらかなことは、国政事務の比重がますます大きくなってきている点で、公選戸長といえども、区番組制、大区小区制下の戸長を経て明治政府の下部組織の官吏としてはっきり位置づけられてきているのである。しかし戸長の配置については、郡区編成問題とあわせて愛甲郡下の「戸長の配置に関する上申案」の資料の例にもみえるように、地域の広狭、利害関係にからんでさまざまなかたちで紛議の的となっていたし、さらに自由民権運動がいわゆる在村的潮流のかたちをとって農民諸階層に大かれ少なかれ影響をおよぼしていく社会状態のもとで、戸長制度も再検討せざるをえなくなっていた。明治十七年(一八八四)五月、三新法体制のおおはばな改正-区戸長、県令の権限強化を中心とする区町村会法改正と戸長公選制を任命制(官選)に切り替え、数か村に戸長役場をひとつおく戸長管区を設けて、かたちのうえで町村は行政単位としての姿を呈するようになっていく。戸長官選の手続きは、同年甲第二号県布達「戸長薦挙会施行に関する件達」、「大住淘綾両郡戸長選挙細則」の資料にあきらかなように、数か町村をひとまとめにした戸長薦挙委員を選出し、戸長薦挙会をテコにしておこなわれていったようである。しかしこの制度切り替えは円滑にことがはこんだわけではなかった。たとえば「愛甲郡田代村他三か村戸長改選をめぐる紛議」の一連の資料がものがたるように、戸長を推薦する過程で、地域的利害、人的つながりを介しての権力争いのような確執がみられ、この地域での繰上げ推薦-任命というような事情をめぐって「違法ノ投票」問題が社会的にまた行政的に争点として浮びあがってくるような紛糾も各地にみられたことはじゅうぶん考えられる。また県令沖守固が、戸長の所轄区域変更にともなって事務の煩雑と渋滞により民衆の不便を緩和するために、戸長役場の出張所を代行する総代などの設置等々についてそれを禁止する訓示をだしていることからしても、そこから逆に行政事務上の難題もあらわれていた。こうしたなかで、明治政府は、県令-郡長-戸長というラインで町村を掌握していく制度を確立しようとしていたのである。 ところで一方町村会の推移についてふれておくと、神奈川県下の町村会は、「神奈川県町村会規則」として資料に掲げておいた明治十二年県布達甲一〇一号の施行によって開設された。この間、前年には明治八年の各町村代議人規則を廃止している。ところでこの町村会規則は、十三年に公布された区町村会法によってわずか一年で廃止される。そこで県下の各町村は、明治十三年県布達甲十七号の「区町村会規則取設に関する件達」にもとづいて、県令の裁定による認可をうることを条件にあらたに町村会規則を作成しなければならなくなった。その一例として本編資料として「大住郡子易村村会規則」を収録したが、この村会規則は、選挙資格などの差異をのぞいては、明治十二年の町村会規則とほぼ同じ内容のものであった。いま選挙資格についていうと、町村会規則では町村内に本籍住居を定めてその町村内に土地を所有している成年男子と定めていたが、子易村の村会規則のなかでは、この要件に加えて「戸主タルモノニ限ル」と規定していたのである。 このように改めたのは、おそらくそれなりの理由があるのであって、それは村の公共に関する事件とその経費負担を審議する場である村会をもふくめて、郡長-戸長-地主・自作上層という統治系列を設定する必要性に由来していたことはじゅうぶん考えられよう。というのは、子易村をふくむ大住郡一帯は、真土一揆以来明治十七年の善波峠事件にいたるまで数多くの農民騒擾がひきおこされ、こうした騒擾のなかで豪農層のなかから民権運動家が輩出していた。したがって下からのこの動きを規制し、自由民権運動に触発された農民層のエネルギーとか圧力を阻止し転換していく場として、さらには地方統治の濾過装置の機関として村会が重視されていたことは、ほぼ間違いない。このことは明治十六年六月、県布達乙第一三七号で、町村会議員と人民総代をはっきりと区別し、その周知徹底をきするよう戸長に達しをだしている事情から推定することもできよう。なお町村連合会関係の規則とか議事細則にかんしては高座郡、橘樹郡下の一連の資料を本編に掲げておいた。 ところで区町村会規則にもとづくそれぞれの町村会規則も、戸長管区の設定と関連して明治十七年五月には改正されていく。それは、元老院の廃案にもかかわらず強権的に改正公布された区町村会法による区町村会である。この改正法によって、各地域での住民を中心とする区町村会規則制定権は奪われることとなった。しかもそればかりか、区町村会の議長には区戸長をあて、召集権、議案発議権も、区戸長の専一の権限にぞくし、その後さらに改正をえて区戸長に区町村会の中止権をあたえることとなった。 このようにみてくると、明治十七年の三新法体制の再編成は、地租納入者に限定された一定数の戸長薦挙人によって推挙された「名望資産ヲ有スル」戸長を基底に、もっぱら行政を主軸とする地方統制の機構に置き変えられていったといえよう。地租を納入しえない無産の下層農民は、自分の生活範囲内の政治に参加する権利は、この時点で制度のうえでもまったく切り離されたとみてよい。 これまで三新法体制下における郡区町村のうちとりわけ町村段階を対象としてその推移を説明してきた。あらためてのべるまでもなく三新法は、この郡区町村編成法と地方税規則のほかにもうひとつ府県会規則がある。そこで以下県段階を中心にそこでの府県会規則制定の意味および政治上の争点についてすこしのべておくことにしたい。 府県会規則はその議会構成の基本理念をみるとき、「地方官会議傍聴録」(明治十一年四月十五日)であきらかなように「恒産無キノ人ハ亦恒心アル事難シ」という観点からいわゆる納税額-財産資格を基準にしていた。そして具体的には選挙権資格は国税地租五円以上を納入する者、被選挙権資格は一〇円以上納入者と規定されていた。この府県会規則は、徴税確保を条件とする議会方式の位置づけにほかならないが、その制定の背景には、欧米の近代制度と思想による世論のつきあげと地租改正の実施による私的所有権の確定という現実を考えあわせることが必要であろう。事実、すでに紹介した区町村会法もこの府県会規則と同じような意味での制度的投影なのである。県会と町村会とは、ともに財産上階層的関係をともなった議会構成をとっていた。しかし府県会は、三新法体制下の前半の町村会とやゝ対照的に、統治権との関係でいえば議会の権限は当初から制限されていた。すなわち府県会の権限が、課税承諾-予算審議を中心にしていて国の安寧とか秩序を害する恐れのあるような論議がおこなわれたさいには、府県会は会議にたいして中止権を発動することができるようになっていたのである。 このような府県会規則のもとで、神奈川県では明治十二年、最初の県会議員選挙がおこなわれた。県布達(庶第二七号)の資料「第一回県会議員選挙区と定数」が、そのさいの選挙区と定員の内訳である。この資料編では、県会議員の動静にかんする資料は掲げていないが、初代の議長には南多摩郡選出の民権家石坂昌孝が、副議長には足柄下郡選出で元足柄県県官をつとめた小田原の小西正隆が当選した。そういう傾向にあったからこそ、国会開設請願運動が全国的に盛りあがりをみせてくるなかで、ここ神奈川県下でも県会議員-豪農層を原動力として国会開設の請願運動がくりひろげられ、自由民権運動の輪はひろがっていった。 神奈川県下のこの請願運動は、明治十三年二月、第三回地方官会議が開かれたさいにその傍聴のために東京に集まった全国府県会議員有志の中村楼での会合で、これに参加した神藤利八、今福元頴、杉山泰助が、「国会開設のための永久的な結合体」を組織する論に賛意を表し、帰県後の三月、国会開設願望有志者名で運動の趣意書を各郡下町村有志に配布して以降もりあがりをみせていった。そしてこの年六月に、相模国九郡二万三千余名の署名をもって「国会開設ノ儀ニ付建言」(小田原市立図書館蔵)を元老院議長大木喬任に提出していったのである。 その後民権運動は、すでに多くの研究が示すように、野火のごとく県下一円にひろがっていった。石坂昌孝、細野与之助、平野友輔らを幹事とする神奈川県懇親会が開催されたのは、「第四回神奈川県懇親会報告」によると、やはりこの年の十一月であり、この月横浜に顕猶社が組織され、十二月には府中で武州懇親会が催され、武相懇親会が町田に結成されたのは翌十四年一月であり、八月には湘南社が設立された。このように民権政社が結成され、戸長をふくむ地主たちにも影響をあたえ国会開設要求、圧制政府非難、県政批判の世論はもりあがっていったのである。こうしたなかで地方統治の要ともいうべき郡長のなかからも民権運動の先頭にたつ者やその渦に巻きこまれていく人間もいた。元県令中島信行ともに湘南社の設立に尽力した山口左七郎は大住・淘綾郡長であった。山口は十四年十月の国会開設の詔勅をめぐって当時の県令野村靖と激論をかわし郡長を辞めて二宮の水島保太郎らと運動を進めていった。また橘樹郡長松尾豊材が集会責任者となり郡下の有力な戸長が役員に名をつらねて開かれた十四年二月の橘樹郡親睦会は、この郡下の民権運動のきっかけとなっていた。「橘樹郡親睦会記」から判断すると、その口火をきったのは席上で県会議員岩田道之助で、彼は「有志ヲ団結シ連月或ハ隔月政談演説ヲ開キ以テ郡ノ進歩ヲ促ント欲ス」と演説していた。 右のような事例をあげていけばさまざまなデーターがあがってくるが、この資料編は自由民権運動そのものをとりあげてはいないので運動にはたちいらないが、豪農層-県会議員クラスが民権運動の先頭にたっていったことは、県政のありかたがいきおい県令側と民権派との対立の争点となっていかざるをえなくなる。そこで資料として県政をつうじて政府の施策がどういうかたちでおろされてきているか、を「県行政と民情」で一括して掲げることにした。ここでは言論、集会などの取締りにかんする治安政策と教育奨励、それに「窮民救育規則」に代表される統制的性格をもつ民政政策の一端をとりあげているにすぎないが、それでも当時の行政の直面している政治、社会問題をとらえる手がかりになろう。また元老院議官関口隆吉の報告書「明治十六年甲部巡察使復命書神奈川県の部および関係書類」をここに収録したのは、明治十五年前後の神奈川県下の地方行財政の実情と問題の所在を包括的に把握するうえで必要だからである。 ところで当時、野村県令は民権運動を弾圧する態度をとっており、明治十六年度支出予算をみても、いぜんとして警察費が一位で予算総額の二十%をうわまわっていた。しかし松方デフレ政策下で村々は不況にあえぎ、資料「騒擾事件と行政取締報告書」で掲げておいたような不穏な社会情勢が、入会地問題とか負債弁償問題をめぐってかもしだされていた。こうした事態にたいして県当局は、一連の諸資料が示すように「負債者徒党」の取締りを強化するとともに、債権、債務両者の個別折衝を内達で奨励し、郡長、戸長が尽力するという対処の策をこうじていった。また村単位での勤倹儲蓄の手段をとりいれてもいた。 けれども問題の根の一つは、この間「紙幣整理原資」を増加するために警察費、土木費の地方税への全面的移管がおこなわれるにおよんで、国家財政の地方財政への圧迫強化とそれにもとづく民衆の負担が増大してきた点にある。明治十五年の神奈川県会議員の建白になる資料「地方税負担集会等学校使用制限に関する県会議員建白書」は、やはり神奈川においても、県会議員が明治政府の地方統治と対立し府県会規則をはじめ三新法体制を修正する「地方自治」を要求している事情を示していよう。民権派議員の主張の根底には「民力疲弊」を重視し経費節減を要求すること、民権を地方政治の場で実現することが論拠としてすえられていたのである。 実際、農民たちは中小地主もふくめて公租の負担と米価をはじめとする農産物の下落で生活は深刻であった。明治十七年以降租税不納により強制処分を受ける者があいつぎ、大住郡子易村では農民四十人が質地取り戻しの騒ぎをおこし、津久井郡下では郡役所へ押しかけようとした農民たちが警官隊と衝突した。大住郡下ではあちこちで高利貸にたいする農民の強談判があいつぎ、負債党と名のる一団が活発な動きをみせていた。こうしたなかで十七年十一月、七郡三百余か村の加盟によって武相困民党が結成され、翌十八年一月には、困民党員は負債の全免、小作料の引下げを要求して県庁へ向おうとしたその途中で警官隊と衝突し大量の逮捕者をだすという事件がひきおこされた。この世情の不安に、十七年十一月高座郡下鶴間村他三か村戸長長谷川彦八、鵜野森村他四カ村戸長河本崇蔵らは納税「五か年賦の上申書」を提出し、後述のように愛甲郡二十七町村三百九十一人の納税者たちは地租軽減建白運動をおこした。また困民党員が警官隊と衝突する前夜、若林高之助、須長漣造は県令沖守固に農民の窮状を救済するよう哀願し、県会議員肥塚竜、島田三郎は県令に県税の減額を要求していた。 農民たちの困窮と彼らの行動は県政をゆさぶり、民権派議員と県当局はこの社会不安をめぐってあいかわらず対立していた。県令は県税の減額を決定したけれども、一方ではすでにのべたように三新法を改正し、統制を強化しながら民権運動の根をたちきることに奔走せざるをえない。しかしそのこと以上に、政府は、地方議会と統治機構を関連づけて体系的な地方制度-官僚的統治機構を町村単位から確立し、「市制町村制制定理由書」がのべるように「細民ノ多数ニ制セラルヽノ弊ヲ防ク」必要があった。こうして「政府ノ事務ヲ地方ニ分任」する財力、人材をそなえた町村制の理念-町村合併が要請されてくる。 二 明治中後期 郡制市制町村制 市制および町村制が公布されたのは明治二十一年(一八八八)四月であり、翌年の四月から施行ということになり、また府県制および郡制の公布は二十三年の五月、施行は二十四年四月という運びになった。この間この地方自治制度の創出の中心的役割をはたした内相山県有朋は、明治二十一年六月に地方長官に町村合併規準を訓令し、町村制施行にかけて町村合併は進んでいく。この地方自治制度はあらためてのべるまでもなく、大区小区制、それを裏がえした三新法体制下における町村の容認という十数年にわたる地方制度制定史のなかで、最後にして最大の難題であった町村=部落(自然村)にたいする政府・官僚側の勝利であった。それは「市制町村制制定理由書」が「政府ノ事務ヲ地方ニ分任シ又人民ヲシテ之ニ参与セシメ以テ政府ノ繁雑ヲ省キ」「政府ハ政治ノ大綱ヲ握リ方針ヲ授ケ国家統御ノ実ヲ挙ク」とのべているように、法制度のうえからみればまさに「近代的」体系であり、右の文字のなかに「自治」の基本関係がしめされている。 ここで地方自治制度を施行していくにさいして最大の課題は町村合併であった。町村合併は立法から施行までの一年間に実現しなければならない。山県は、そこで住民に日常生活上の損害をあたえないかたちでの統治規模を考え、旧町村の共有財産の所有権および収益権はすべてそのままとすること、県庁の合併計画は天下りに実施させるか、有力者に諮問する程度で強行することとしたのである。 ところで神奈川県では内相の訓令がでるすこしまえの六月初旬、県知事沖守固は郡区長会において市制町村制施行にかんする演説をおこない、「町村ノ区域」設定の件は最大の重要事項であり慎重に対処しなければならないが、合併の主眼は「有力ノ町村ヲ造成」することにあり、「連合町村則一戸長所轄区域」より区域を大きくとることを要請し「小合併小独立」を避けること、やむをえない場合には組合町村の方式をとるよう要請していた。資料「市町村制施行に関する県知事沖守固の演達および諮問」は、その間の事情を告げるものであるが、ここで目をひくのは、市町村制施行にあたって諮問方式をとっていることである。この方式は、九月の郡区長会での知事の演説、「町村制施行準備に関する県知事沖守固の演達要旨」にもあきらかなように、職権をもって処置するだけでは不十分で、「人民ノ意向」を汲みいれなければならなかった事情がはたらいていたからである。しかし知事自身が中心になって諮問することは時間的にも物理的にも不可能で、郡区長にその諮問任務をゆだねざるをえなかった。 しかも町村合併を基本とする町村制施行の道程は難渋をきわめた。まず資料「町村制施行に関する郡区会記録」がものがたるように、合併町村にせよ組合町村にしろその実施の基準、資力支出の標準、町村予算の調整、修正、さらには諮問の可否をめぐっても意思の統一をはかることは容易ではなかった。また合併が実現しても、あらためて新町村名をどう選定するかも問題となる。そこで町村制施行の関係資料としてこの巻でとくに重視したのは、旧「村」共同体にかえて新町村を創出していく過程はどのような実情であったのかという点であり、そこでできるだけ地域にそくしてそこでの問題点をとらえる手がかりになるものを系統的に集めてみた。「足柄上郡の新村名選定をめぐる往復文書」以下の足柄上郡内の各町村の文書をはじめとして愛甲郡、都筑郡下の一部の資料がそれである。 これらの諸資料をみると、旧町村の合併にかんする去就の判断の決定は、村内で協議をかさねながらもかなり大幅に戸長ら有力者にゆだねられていることがうかがえよう。そして山間部の足柄上郡のいくつかの村を例にとると、神山村・金手村はそれぞれ合併を希望し、新村設立に同調を示しているケースであるが、たとえば神山村の場合は、松田と合併することは、将来利害関係をめぐって紛議を生ずる恐れがあることと地勢のうえから不便であることを理由に金子村・金手村と合併することを解答している。金手村も同様に松田とは合併を望まないで金子村・神山村と合併して新村をつくることを希望している。この二つの村の「答書」の文体がほとんど同じであることが気にかかるが、それはそれとして両村とは異なり金子村は、「独立」を希望する旨の上申をしている。金子村の場合は、上申書の資料にもあるように、当初村の負担経費が年額千円以上を支弁する資力をもたないために独立が不可能であるとして三か村合併を承諾していたのであるが、後日「町村制」を再検討してみて「年額一千円以上ノ経費」を負担しえなくとも「独立スルヲ得ル」と解釈して「施政ニ不便」をきたす合併よりも、独立することを解答しなおしていたのである。 町村合併をめぐる村々の動きをみると、どうも合併についてはそうじて積極的ではない。やむをえず法律上「合併セサルヲ得ス」という場合においても、地勢、生活、生産、社会関係の利害関係を最優先において従来の「村」共同体を維持しようとしていた。それだけに、町村合併問題をめぐってたとえば資料「都筑郡二俣川村他二か村の合併問題に関する関係書類」にみられるようなゴタゴタももちあがっていたし、さらに橘樹郡下星川村・和田村・仏向村・坂本村の保土ヶ谷町への合併をめぐる係争資料「橘樹郡保土ヶ谷町他数か村の合併問題をめぐる紛議」が示すように、長期間にわたる紛争とか、行政裁判にまでもちこまれた津久井郡中野村他四か村組合分離問題は町村合併-町村制施行がいかに難航をきわめたかを如実にものがたっていた。 しかしそれでも町村制実施の大勢は、困難をきわめた地域でも、足柄上郡長松尾豊材が県知事浅田徳則にあてた「町村制実施后ノ状況具申」(「郡制実施の状況調査に関する依命通達ならびに上告書」)でしるしているように、明治二十三年上半期には軌道にのっていたようである。そこにはこう報告してあった。「本制ノ民意ニ適ヒタルヤ村役場ニ於テハ漸々事務整理シ人心安寧穏聊紊乱ノ恐無之」と。ちなみに市制町村制の施行の結果、県下の市町村の数は一市二六町二九四村となった。 こうしたなかで当局は、さらに郡制改革にのりだしていくが、内相訓令が示しているように、政府がとくに留意したのは町村制の組織とか事務整理の成果をみて、そのうえで郡制実施にふみきる方策をとり、極力紊乱をもたらすような弊害を回避しようとつとめていたことである。そのためか、「郡制実施にともなう足柄上下両郡の郡界変更関係文書」とか、「大住淘綾足柄上両郡の郡界変更に関する件通牒」の資料がものがたるように、県の方針は慎重をきわめ、現状維持の線にそっていることがわかる。 いま足柄上下両郡の郡境界にかんしていえば、境界設定にあたって上郡曽我村と下郡下曽我村に散在する飛地の処理と曽我村の上曾我と曽我大沢とを下曽我村に合併しようとする動きがもちあがっていた。問題は、飛地の処理にかんしては両郡の郡長が県知事に具申するかたちをとっていたけれども、合併については関係村民が請願するという地域からの要請によっていたが、曽我村村長、足柄上郡長は現状維持論で、県当局も「郡内ノ小部分ヲ移動シ郡界ヲ変更スルカ如キハ此際一般ニ施行セサル」という趣旨にもとづいて、合併の件は後日の課題という処理をしたのである。この措置は、足柄上郡井ノ口村の淘綾郡への編入問題にもとられていた。したがってこういう事態から推定してみると、郡制改革はできるだけ紛糾を呼びおこさないようにことを進めていたといえよう。実際、曽我村、下曽我村の分合問題は、地域の利害関係がふかくからんでいただけに、一歩ことを誤まるとさまざまな波紋を呼びおこす恐れがあった。郡長以下村の重立にいたるまで、結果的には政府の方針にそうように動かざるをえなかったのは、そのためであろう。 郡制、府県制は町村制を基軸として設定され、地方制度は体系化されていく。しかも町村制は山県有朋の「傑作」であるとさえいわれる。それは「村」共同体、郡区町村の場において民衆との対抗を続けてこざるをえなかったその対立を転換させる体系をつくりだそうとした点でそういえるのである。そこで中央の統治機構の再編成-内閣制度の創出↓大日本帝国憲法の制定-にみあうかたちで民党の影響力を除去して、しかもその国家体制の底辺を地ならししていくうえで町村長の横断的なつながりを強化していかざるをえない。たとえば「行政上ノ事項ヲ交詢質議シ地方自治ノ発達」をはかることを目的として組織された橘樹郡町村長会の資料「橘樹郡町村長会同盟規約」は、その事情の一端を告げている。 たしかに「国家ノ基礎」としての地方自治制は急速に効力を発揮していくようにみえた。そして地域住民の意思も地方議会をつうじて地方制度のその枠内に誘導されていくかの感も強かった。けれども地方制度をめぐって府県レベルでの境界変更にかかわる政治争点がもちあがったのである。いわゆる多摩三郡の東京府への管轄替え問題である。 三多摩分離問題 「神奈川県下武蔵国西多摩郡北多摩郡南多摩郡ヲ東京府ニ移ス」との条文を第一条とする「東京府及神奈川県境域変更に関する法律案」が帝国議会に上程されたのは明治二十六年(一八九三)二月、第四議会の会期末である。その理由は、政府委員大森鐘一(内務省県治局長)の説明によると、⑴東京市の新水道事業を達成するために「水源の保護と上水流域の衛生警察の取締り」のうえから三多摩の東京府管轄が適当であること、⑵多摩川流域外の南多摩郡も交通、地形のうえから西北多摩郡とともに東京府管轄とする必要があること、⑶管轄の変更によって民衆の租税負担に大差は生じないということ、であった。この三点のうち第一点が政府提案の主要な趣旨である。このことは、資料「神奈川県下西北南多摩三郡の東京府管轄替の要領」をみてもあきらかであるが、要するに東京市の人口規模の拡大と水道事業問題、それに明治十九年のコレラの流行がその背景をなしていた。 これらの事情とか経緯そのものを検討しなおすことは重要であるが、ここで法案が帝国議会に提出される半年ほどまえの二五年九月、東京府知事富田鉄之助が井上馨内相に提出した上申書「多摩三郡の管轄替に関する東京府知事富田鉄之助の上申」と神奈川県知事内海忠勝の内申「多摩三郡の管轄替に関する神奈川県知事内海忠勝の内申」の二つの資料をみてもあきらかなごとく、府県知事の間では多摩三郡を東京府に管轄替えする点において見解を同じくしていたのである。とりわけ内海知事が多摩三郡を東京府に移管する意見を提出していたことは、それまで東京側からの再三にわたる上申をとりあげてこなかった政府をしてその態度をがらりと変えるきっかけとなった。 しかしそれにしても内海知事はなぜ移管に積極的に賛成したのであろうか。その動機を推定するには、政治的伏線からみていくよりしかたがない。というのは、三多摩は周知のように自由民権運動の強い地域であり、この当時、神奈川県会は三多摩をはじめとする自由党系議員によって牛耳られていたからであり、さらに衆議院事務局「選挙干渉ニ関スル参考書類」をみてもあきらかなごとく、さらに知事自身第二回総選挙(明治二十五年二月)での選挙干渉の責任を県会から追及されていたという事情も左右していたのではないかと思う。このへんの事情は、自由党が、三多摩管轄替えの法律案が上程されると間もなく反対の声明を発表している事情からも類推することができる。 ともあれこうして三多摩管轄替えの問題は、当の三多摩地域と神奈川県にたいして大きな波紋を投げかけることになった。そこでこの資料編では、どのような反応と動きがあらわれていたかに焦点をあわせて、神奈川県からの三多摩分離をめぐる賛成、反対のそれぞれの動静をあきらかにしようとした。そこにみられるひとつの大きな特色は、三多摩分離の問題がきわめて政治性をおびていることで、両派の間で対立と確執がくりひろげられている事情は、資料「境域変更の賛成調印取消要求」から想像することができる。すなわちこの資料は法律案に反対しむしろ撤回の請願に署名している人物が、毎日新聞紙上に賛成の調印をしたと掲載されて、その取消しを要求したものであるが、賛成、反対をめぐってさまざまなからくりの糸が張りめぐらされていたと思われる。 ところで三多摩の東京府移管に賛成しかつその推進を陳情していた派は、おおむね政府案の根拠とする理由と一脈つうじていたが、さらに資料「多摩三郡有志者の境域変更法律案賛成陳述書」にみえるように、神奈川県にぞくしていたのでは地理的にも「無用ノ財ト無用ノ時間」を費す恐れがあり、「人民保護上国家経済上」東京に属するべきであることを強調していた。そこには多摩地域が交通網の発展と商工業のいわゆる流通事情の進展によって東京への依存度が強くなっていることが有力な口実となっていた。これにたいして反対意見は、資料「神奈川県県会議員の境域変更反対理由書」をとりあげてみても、その理由としてあげている主要な論点は、多摩をふくめて「全県其人情風俗」を同じくしていること、繭、生糸のように県下の多数の民衆のかかわりあいがある中心市場が八王子にあること、さらに多摩三郡が神奈川県の「財源ノ府」であり、また三郡は東京府に属すると「過重ノ負担」にあえがざるをえなくなることにおいており、結局、三多摩管轄替えは「東京府ニ利スル所」はあるが、「神奈川県ニ害スルコト実ニ甚シキモノ」があると論断していた。また多摩三郡町村長は、「多摩三郡町村長の境域変更反対陳情書」にみえるように「三郡人民ノ利害」をかえりみていない調査不足を楯にとって反対の陳情をおこなっていた。それからさらに無視しえないのは、資料「多摩三郡人民の境域変更反対意見」などが指摘しているように、問題は地方税負担額を比較して東京への移管は、三多摩の民衆にとって不利であるという点である。この点は甲論乙駁かなり大きな争点となっていた。 この間、激烈な反対の動きを背景に自由党は三多摩地域の民衆の地方税負担増加を理由として東京府移管反対の大衆運動を展開した。しかし帝国議会は、三多摩分離を賛成百三十三票、反対百十票で可決した。 神奈川県にとって、三多摩分離はたしかに不利であった。その一端は資料「三多摩分離後の神奈川県景況私見」から推測することも不可能ではない。その第一の理由は地方税の負担が増加したことであるが、自由党もまた打撃を受けざるをえなかった。そのためもあろうか。この年五月には、多摩地域に隣接する愛甲郡と高座郡の民衆三千余名は署名をもって三多摩復旧請願書を内務省に送付していたし、さらに翌二十七年十一月には神奈川県会は、資料「多摩三郡神奈川県へ管轄復旧に関する建議ならびに請願書」で掲げたような三多摩復旧の建議と請願書を内相に提出していた。 三多摩分離とその復旧運動は、足柄県廃止と再興問題にひきつづき、神奈川県政にとってひとつの画期をなす政治・行政上の争点であった。しかもこの問題は、県境の変更とその管轄替えが地域の民衆の経済生活のうえに変化を呼びおこして社会変動をうながしていくというにとどまらず、さらに政治対立の状況にまで問題の輪はひろがっていたのである。というのは三多摩分離問題は、県知事対自由党系の対立の争点であったばかりでなく、自由党系勢力を駆逐するために、改進党をはじめ反自由党系勢力が三多摩管轄替えを叫び、この問題は政党政派の対立・抗争の争点となってもいた。しかも分離決定後においても、県政界は荒れ、内海知事への自由党の反対運動は熾烈をきわめ、自由党と改進党の反目もすさまじいものがあった。こうしたなかで、二十六年三月、内海知事は依願免官ということになったが、激しい政治抗争の波浪にもまれて、神奈川県の府県制の施行は明治三十二年までまたざるをえなかったのである。 地価修正地租軽減運動 市制および町村制、郡制を体系づけた地方制度が施行されていく明治二十年代の前半から後半にかけて、県民の側からの大きな政治社会問題は、それぞれの地域での生活にまつわる諸問題であった。とりわけ明治十年代後半からの大きな問題は、すでにすこしのべてきたように松方デフレ政策下における農民層の公租の実質的負担の増大であった。この問題の経緯は、さまざまな立場からとりあげられてきたが、ここでまず、あらためて県官吏の眼からみた租税論をとりあげてみるのも意味があると思い、租税課長-収税長を歴任した添田知通の具申書を掲げてみた。「租税問題に関する県収税長添田知通の具申書」の一連の資料がそれである。 この具申書をみてあきらかなように、明治十七年以降添田が収税長として租税問題にかんして苦慮していることが理解できる。すなわち明治十七年はじめには、添田は「客年ノ已行ヲ顧ニ秋収以降米価非平ノ低落従テ金融閉塞世上一般ノ不景気ヲ現シ」とのべ、「農夫ノ経済ヲ注目スルトキハ危急存亡ノ秋」というべきであるとしたためている。そして十八年収税長として、彼は「爰両年間穀価非常ノ低落ニ原因シ四民共ニ財計不測ノ逼迫ヲ極メ必至衰頽ノ状況ヲ現ス加之暴風水災被害ニ罹リ農民ハ無上ノ困難ニ陥リ」と告げざるをえず、収税の渋滞および事務実施の多端繁忙と租税確保の道をいかにはかっていくべきかという板ばさみの苦悩を吐露していた。このことは凶作、違作、飢饉の「憂患止マス」という事態のもとで「何ヲ以テ租税納付之義務ヲ奏セシム可クト夙夜痛慮ニ耐ヘサリシ」とのべざるをえなかった十九年の「政治上緒言」にも示されている。もっとも二十、二十一、二十二年の具申書は収税事務が順調に進んでいるような印象をあたえるが、二十三年県知事浅田徳則にあてた具申書のなかで、添田は、市制町村制施行にともなう税徴収手続の変更とか風水害の打撃もあってか、「日夜汲々トシテ其職務ノ挙ラサルヲ憂フ」と書いていた。 他方、民衆の側からみるとき、公租は生計がなりたつかどうか死活にかかわるかたちでたちあらわれていた。そのため十年代の後半から地租延納、未納分年賦払い、あるいは租税軽減の請願がいろいろなかたちで提出されていたし、二十年十月高知県の代表片岡健吉らが元老院に提出したいわゆる三大事件建白運動のなかで、言論の自由、外交の回復とともに地租軽減がもられていたことは地租軽減、地価修正の問題がいかに重視されていたかをものがたっていよう。それは民衆の困窮を打開する手だてでもある。そして大同団結運動のスローガンのなかに独立の大権、集会の自由などとならんで、農・工・商社会の協和、改良と民力休養、地方自治を掲げ「天下ノ大勢」を制しようとした動きこそは、この運動が国会開設をひかえてのキャンペインの色彩が強かったとはいうものの、もう一方では「地方制度ノ完全」を期するそういう必要性のある現実がよこたわっていたことを示していよう。この資料編で地価修正、地租軽減の運動がどのようにくりひろげられていたか、その一端をとりあげてみたのも、実は右にのべてきたような諸事情を考慮してのことである。 資料としては、横浜近郊の平場地帯、久良岐・橘樹・都筑三郡の「地価修正請願同盟会」の組織化をはじめ、運動の進めかたをめぐる内容のものを中心に構成してみた。この運動でまず目につくのは、明治二十四年二月付、橘樹郡大綱村の飯田快三らの「地価修正請願書」で、この請願書は、現行地価の不均等と米価変動を理由として「全国耕地ノ価格」を改定し負担の平等化を狙いとして「各府県ニ於テ調査シタル最近五年間平均ノ米価ヲ標準トナシ現在各府県耕地ノ地価ヲ改算スル事」を要求していた。当時、神奈川県の地価は二十四年八月二十八日付の飯田・金子久林の書簡によると、島根県・岡山県についで四番目に高い。そのため五月に大阪府他一九県が連合して地価修正請願同盟会が組織され、その動きが波及してくる過程で、県下でも地価修正請願同盟会が結成されていく。資料「久良岐橘樹都筑三郡地価修正請願同盟会規則」は三郡の地価正請願同盟会の目的と組織を知る上でのひとつの素材であるが、そのはたらきかけをおこなったのは添田知義であった。この点は資料「地価修正請願運動関係書簡」の最初の手紙をみればあきらかである。添田は、地価修正請願運動は「政治問題ニアラスシテ国民一般挙テ希望スル」ところであると、運動を組織化すべき必要性を強調していた。なおこの書簡資料は、明治二十四年秋から翌二十五年春にかけての運動の内情を知る手がかりになろう。 ところで日清戦争をはさむ明治二十年代後半におけるこの種の資料は、ここに掲げていないが、日清戦争後の「戦後経営」費を調達するために、政府は安定せる財源を確保するうえでなんといっても地租の増徴に手をつけざるをえなかった。この地租増徴問題にかんしては、明治三十年、ときの貴族院予算委員長で農本主義にたって地租増徴に反対していた谷干城と地主層=不労所得者とみて地租増徴により不労所得への課税強化をとなえる経済学者で衆議院議員の田口卯吉との有名な大論争があるが、地租増徴は軍備拡張、殖産興業、植民地領有を骨子とする「戦後経営」の展開のもとでは、もはや避けることができない情勢であった。 こうして翌三十一年十一月、第十三議会で地租増徴法は、地価修正法とともに衆議院、貴族院を通過した。地租増徴法の実現は、渋沢栄一・益田孝・中上川彦次郎ら「実業諸大家の奮起」とその彼らを支えた全国主要都市の中小資本家の行動が大きな圧力となっていたのである。そこで資料としてここでは当時の「地価修正請願書」と「地租増徴案反対請願書」を収録しておいた。このときの「地価修正請願書」は「農民ノ疾苦ヲ除却シ始メテ立憲政ノ美挙」に浴することができるのであると指摘し、要請がいれられない場合には「行政ノ進路ニ就キ国家ノ治安ヲ害スルノ挙動アルヤモ難計」と強い口調の文体でつづられており、「地租増徴案反対請願書」も「軍備拡張ヲ過大ニ失シタル」ことが増徴案となってあらわれてきたのであるとのべて、法案に真向うから反対していた。 地租増徴法が、いかに在村地主層をはじめ自作農民層の肩に重くのしかかっていたかという事情は、淘綾郡大磯町民有志が貴族院議員に請願した「地租軽減請願書」を一読すれば察しがつこう。この請願書は、地租額を地価の百分ノ二に軽減するよう要求していた。そうじて土地所有者の負担は重たかった。当時、高座郡相原村の助役をつとめていた豪農相沢菊太郎は明治三十二年四月二十二日、その「日記」に地租増徴・地価修正の件についてこう書きとめていた。「地処取引此頃更に無し、而し売買は地価の四掛を中庸とす、地主の困難は今年より向五ケ年間地価修正の為め、地価は減ずと雖も、租金は(二半の処三分三厘歩)増殖し、負担の重きを苦しみ之を小作者に負はさんとするも、無資の小作者なるを以て金ばかり増ても更に入るところなくんば、只帖面大臣に不過、一般小作人の困窮せる今日なれば、右の不平均を生ずるも亦不止得に至る」と。しかも景気はよくなかった。 日清日露戦争期の地方政情 地租軽減、地価修正の要求は、一面では民力休養、経費節減をもとめることにほかならない。それはまた国家の疲弊を打開するひとつの道の模索でもあるが、帝国議会の場から地方社会にいたるまで政治抗争、社会的な対立が渦を巻いていた。したがって政府としてみれば国民のなかに「自分の国家」という観念をいかに培養するか、いいかえれば民衆個々と国家との一体感をどうあみだしていくかが切実な政治課題であったり、それだけにこの問題にとりくむ舞台装置をつくりだしていかなければならなかった。こうした意味あいでとらえれば、明治二十七、八年の日清戦争は、まさに国民を統合していくうえでの絶好の機会であったと思う。 そこでこの資料編では、まず日清戦争にさいして行政系統をつうじて戦争協力体制をどのように組織していたかという視点から諸資料を構成してみた。資料「日清戦争下の橘樹郡の動向」でもあきらかなように、すでに戦争が不可避となった局面で、義勇兵、義勇団体の組織化と有志者からの義捐金の募集方法を決定していたのである。またこの一連の資料から戦争勃発と同時に町村役場の運営が戦時体制向きに切り換えられている事情も読みとることができよう。こうした戦争目的達成のための措置がとられるなかで、さらに注目すべきことは、応召軍人家族の救済を目的とする組織がつくられていったことである。たとえば「足柄郡下軍人家族救済に関する件通達」、「愛甲郡下軍人家族救護に関する件通達」の資料に明らかなように、この救済組織が、当局の指導のもとに、「有志ノ義挙ヲ以テ」各町村単位に設立されていったのである。また資料「戦時軍人家族扶助規程」は、当時の具体的な扶助内容を知るうえでの手がかりになろう。 ところで挙国一致のようなかたちをとり軍人家族救済のための団体を町村単位で設立していったとはいうものの、そこから深刻な問題が浮きぼりにされていた。それは、山間部をはじめいわゆる僻地において救護の手がとどかず、そのため生計を維持することが不可能な家庭があらわれていたことである。たとえば資料「足柄下郡下軍人困窮家族救済に関する件通達」によると、「荒涼ノ村落等ニ於テハ有志者ノ義捐金等其額寡ナキカ為メ或ハ救護方行届兼為メニ飢餓ニ迫マル者有之」という事態が発生し、そのために救護の「厚薄ノ差」を是正するよう、当局は実情を調査して策をほどこすよう指令せざるをえなかった。また「愛甲郡下軍人家族救護に関する件通達」の資料によると、救護団体の設立をみない町村はないけれども、「救護団体ノ施設ニ留意シ益々周密督励ヲ加ヘ以テ苟モ救護ニ遺漏」のないように留意すること、さらに「現金ノ給与」による救護の方法は弊害をもたらしやすくしかも多額の資金を必要とし維持も困難であるから「生業扶助ノ実効」をあげるよう指示していたが、救護を必要とする家族に「自営ノ途」をこうじせしめる方策をどうあみだすかもひとつの大きな課題であった。 日清戦争における戦争協力体制をどうつくりだしていくかという試みは、戦没者の招魂碑建設問題とか兵事奨励のとりきめなどの方法もふくめて、民衆の愛国心をどのようにひきだし、膨張政策を戦争という手段に訴えていく権力の正統性を確保していくうえでの試金石であったといえよう。このことは、「戦後経営」のなかで、伊藤博文流にいえば、「商業」ないしはそれを中心とした「実業」をもって対外的な経済劣勢を挽回していくために、市場獲得のための予見と先制の争いに諸列強に伍していくうえでの必要不可欠な条件でもあった。 ところで明治三十年代にはいると、都市貧民や労働者の生活状態が社会問題として注目をあびてくる。階級分化が進み、社会変動もまた促進されていく。横浜に目をやれば、すでに明治三十年には西洋家具労働者が西洋家具指物師職同盟会を組織し、日本郵船会社の艀船水夫、京浜間艀船人夫がストライキをおこし、横浜船渠の労働者も半月にわたる争議をひきおこし、本格的に労使対立の幕が切って落されていた。また農村地帯においても、相模川とか鶴見川・酒匂川流域をはじめとして、自然災害による減収のために、小作人が地主にたいして小作料減免の動きを示しはじめたのも三十年代の前半であった。都筑郡新田村・愛甲郡妻田村・足柄下郡酒匂村などの小作人の動静がその間の経緯をものがたっている。こうした社会変動をうながす労働者、農民の動きとかかわりあって、他方では町村財政はますます膨張して民衆の担税の負担も増大し、さらに負債もかさなってきて安定を欠いていた。資料「愛甲郡町村長会における郡長演達要項」のなかには、行政担当者の立場からみた町村行政の直面している問題点-町村財産の蓄積と管理、町村債起債、地方税滞納矯正等々-の指摘をつうじて、そこに町村行政が困難な状態にあった事実を知ることができる。 このような地域の実情にもかかわらず、日本帝国は、明治三十五年日英同盟協約の調印によって、帝政ロシアとの衝突はもはや不可避となり、それだけに日露戦争に日本が踏みきったことは一種の賭であった。資料「中郡町村長会における郡長演達要項」は、戦争勃発にともない「戦時中国庫ノ税源」を涵養するために地方財政の緊縮をはかることをはじめ、戦時体制にすべての産業を配置換えすることを指示した内容のものである。ここで注意しておかなければならないのは、農商務省農務局長酒匂常明が「時局以来農商務省は参謀本部、地方長官は軍司令官、地方高官部長は師団長、旅団長其他官公吏員は将校と云うやうな手配で忠実なる兵士即ち農民及農事の諸機関と共に農事の改良生産の発達を計った」と語っていたように、この戦争の過程で戦時重要農政の諭達による強制力以上に、農業そのものが軍事目的に包括されていたことである。そういう傾向は、もちろん農業をはじめとする産業界においてだけではなく、戦時体制を村落という底辺から支え、国権拡張と国威宣揚を旗じるしとする戦争観念を植えつけるかたちでのさまざまな組織づくりの点においても濃厚にあらわれていた。「神奈川県戦時軍人家族救護会規則」をはじめ「中郡報国会事業施行方法細則」とか「中郡下政費節減軍人家族扶助に関する件通達」とか「戦時勤倹貯蓄組合標準」などの資料はその一端を示すものである。 日露戦争は、民衆にとって戦争を身近かに引き寄せて考えるようになっていたことは否定できない。この風潮は日清戦争のときとあきらかに異なっていた。「時局問題ノ切迫ニ関シ有志ノ輩ヨリ軍資献納ヲ出願スルモノ有之」という「国債軍資献納金に関する件通牒」のなかの一資料は、その傾向を推測せしめるに足る。しかしその反面、戦争資金の大半を英米の外債に仰がなければならなかった日本は、武器、弾薬をはじめとする物資面では帝政ロシアに一歩も二歩もひけをとらざるをえなかった。政府が軍事債券に民心をかりたてようとしたのもそのためである。 ところで日露戦争は、国民を戦争に巻きこんでいく反面、この戦争にたいする反対の動きとか非協力の徴候も顕著にあらわれていた。荒畑寒村・鈴木秀男らが組織した横浜平民社-横浜曙会は、戦争反対の演説会を開いたり、三浦半島から湘南地域を行脚して戦争反対や社会主義を宣伝した。また徴兵適齢期に達した青年のなかには徴兵忌避の考えかたが浸透し、戦場に駆りだされるのを避けるために検査に不合格になるような手だてをこうずる者やグループがあちこちにあらわれ、それとなしに軍事関係者の間で大きな問題になっていたようである。 このように戦争にたいする二つの対立せる社会模様をえがきながら明治三十八年九月、合衆国大統領T・ローズヴエルトの斡旋により、日本の勝利ということで日露講和条約が調印された。この条約締結を「卑屈醜辱」としてこれに反対する非講和運動の波は、県下では横浜での騒擾をはじめ三浦郡では郡民大会になってあらわれていた。そうした戦後処理をめぐる紛擾をかかえこみながら戦後の最大の問題は、疲弊した民力をどう回復し挙国一致体制をつくりだしていくかということであったが、明治三十八年秋、郡長会で試みた県知事周布公平の演達のなかに、政府の戦後経営の方針が具体化されていたとみてよい。すなわちそこでは、「穏健ノ思想ト進取ノ気象ニ富メル我国民」の課題として挙国一致して「東洋ニ於ケル我帝国ノ地位ヲ確立セル名誉アル交戦ノ結果」をさらに「光輝アル国運ノ発達」に引き継いでいくことが強調されていた。しかし国力の培養にかんする地方事業を推進していくには、日露戦争後の現実は、あまりにも厳しさを増していた。 三 大正昭和初期 地方改良計画 日露戦争後、戦後経営の名のもとで政府は行政権を強化して社会の底辺から殖産興業・農事改良をほどこし民力を高めていかなければならない。しかしたとえば資料「愛甲郡町村長会における郡長演達要項」にも示されているように、町村レベルにおいては町村税の滞納額が「莫大ノ巨額」に達する地域もあり、財政は「之レカ為ニ紊乱シ諸般ノ施設ハ之レカ為ニ障碍セラレ延テ種々ノ紛擾ヲ惹起シ遂ニ自治ノ発展ヲ阻害スル」恐れがあるというありさまであった。このような実情は、石田伝吉「理想ノ邦」の指摘にもあるように、日露戦争後毎年二万戸の農家が破綻し、農村の荒廃は明治四十年代はじめに農業恐慌が発生するとともにいっそう促進されていたのである。しかも農村の衰微は資本制生産に規制され、農産物市場圏の拡大による農民経営への圧迫とか労働力市場のあらたな展開もあって、農村は経済と生活環境の両面からも変化をよぎなくされ、鉱工業の領域での労働争議とあいまって地主・小作間の対立もふかまりつつあった。 そのために政府は、階級対立を回避し経済不況を克服していかなければならなかったが、明治四十一年(一九〇八)夏、桂太郎も組閣にあたって貧富の差がはなはだしく「社会の間に乗離反動」を生じ、「安寧を危害」する傾向がみえるのは欧米の歴史にてらしてもやむをえないことであるが、それだけに「国民の道義」を高揚する必要があると説いていた。この年十月に発布された「戊申詔書」は、その一節で「上下心ヲ一ニシ忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治メ惟レ義醇厚俗ヲ成シ華ヲ去リ実ニ就キ荒台相誡メ自彊息マザルベシ」と規定しているように、当面の混乱を収拾するうえでのわが国はじめての生活規範を示した詔勅であった。この詔勅は、その後国民がことあるごとに経文のように、一種の戒律として唱えることを義務づけられていくのである。これが当時どのように強要されていたかは、資料「中郡大山町戊申詔書奉読式挙行等関係書類」、「戊申大詔紀念高座郡相原村勤倹貯蓄組合等規約」を一瞥しても理解できよう。 ところで「戊申詔書」の発布に関連して、内務省が中心となり自力更生的性格をもつ地方改良運動を推し進めていく。その狙いは、内務省参事官井上友一が「自治要義」のなかで書いているように、「戦後の経営は国力の充実に俟ち国力の充実は地方自治の力に俟つべきもの多き」という視点から「名実伴はざる一等国」を下から支えようとしていたのである。 地方改良運動は、内務省-府県知事-郡市長-町村長という行政のパイプをつうじて進められていくが、神奈川県では県の地方改良会を中心に郡市に支部を設け、町村レベルにも改良会を設けていった。資料「神奈川県地方改良会規則」をみると、第三条にその目的が条文化されているが、それは「教育ニ関スル勅語及戊申詔書ノ聖旨ヲ奉体シ地方ノ改良」をはかることであった。また会員要件については、規則第四条、五条で明示されているように、県内在住者であれば誰でも地方改良会の会員になる資格をもち、かつ運動の指導者となりうるような道がこうじられていた。このように地方改良運動は、民衆の自発性を導きだすような形式をふみながらくりひろげられようとしていたのである。ちなみに県地方改良会が設置され規則が制定されたのは明治四十三年四月、第一回県地方事業功労者表彰式後の協議会においてである。 では県地方改良会を頂点とする地方改良運動はどのように進められていたであろうか。その運動の動きと地域での受けとめかたを郡と町村との関係を中心に追跡するために掲げてみたのが資料「神奈川県地方改良会中郡支部関係書類」である。この一連の資料は中郡役所と大磯町役場との往復文書が主であるが、まず指摘しておかなければならないのは、この地域では地方改良運動を直線的に社会のなかに浸透していくことが困難な実情にあったということである。というのは、四十三年五月の末、中郡長は町村長会同の席上で「地方改良会員募集方」を要請し、郡役所通達で「公職ニ在ルモノ神官僧侶其他篤志者重立タル者」などを会員に勧誘するよう指示していた。けれども大磯町役場から会員になることに賛成した四十六名の名簿を郡役所に送付したのは九月の中旬であり、この間、町役場は四回にわたって督促照会の通達を郡役所から受けとっていたありさまである。ところで町村レベルでの地方改良運動の推進者の実際の主力は、大磯町でみるかぎり寺院住職のようであり、とりわけ「夜学校」事業をつうじてのこれらの人びとの活動の比重はかなり大きい。このことは、資料「中郡大磯町における地方改良運動の動向」のいくつかの資料とあわせて判断するとき、あきらかになろう。 地方改良運動は、行政機構をつうじて上からの指導により強力に推進されてきたとはいうものの、効果をあげるには町村単位での実のある計画と運動のもりあがりを促進していかなければならない、そのために県レベルで地方改良会幹部会を開催するとともに支部・町村単位でも講習会などを開いて地方改良計画の趣旨を徹底していく策をこうじていた。またこの運動のイデオロギーが報徳思想を骨格としていることは、報徳会の雑誌「斯民」を宣伝し販売の拡充を行政機関をつうじて役場、学校、青年団等関係者におこなうとしている経緯からもうかがうことができる。すなわちこの雑誌は「民風ノ作興ニ資スル」とか「地方改良上裨益スルトコロ不尠義ト存候」と価値づけられていたのである。しかし「斯民」の購読は、関係者の期待に反して地域ではあまり徹底せず、役場では苦慮していた。さらに改良運動の内容としては、青年団、在郷軍人分会、産業組合あるいは戸主会、納税組合など「公益団体」と関係をもちながら、地方改良の五大要項、すなわち「一町村基本財産増殖ヲ力ムルニ在リ 二納税成績ヲ善クスルニ在リ 三就学歩合ヲ高ムルニ在リ 四農事改良ヲ実行スルニ在リ 五青年会ヲ改善スルニ在リ」という事項を、民衆にそれぞれの町村の実情を理解させながら民風を改善しようとしていたようである。町村の意向にもとづいて中郡役所が印刷した「町村財務及教育等ニ関スル参考書」を各町村の住民に伝達しようとした試みはそのあらわれとみてよかろう。 しかし地域におけるこの運動は、そうじて観念的性格が強い傾向にあった。それだけに「進取経営ノ気性」「民力ノ伸暢」「風気ノ作興」をはかり、「自治」の発達をうながすうえで町村長などに課せられる責任と役割は大きい。「町村相互視察」というような方法がとられるのはそのためである。この資料編では、そのような空気をとらえかつ「優良模範町村」ないしはそれに準ずるモデルとはどのようなものであるかを知るために、足柄上郡共和村と南足柄村についての大磯町長の視察事項概要を資料「足柄上郡共和村南足柄村視察事項大要」として掲載しておいた。 地方改良運動は、社会的な動揺のふかまりのなかで、試行錯誤の道をたどりつつ、さまざまな方法と形態と組織関係をもって進められていた。たとえば中郡護国団をあげてみる。この団体は、その「概則」にもみえるように、民間での運動の実践団体として郡長を団長にすえ郡下の寺院住職、有志者により、「衆庶ノ健全ナル精神ヲ養成シ公徳ヲ進メ地方事業ノ改良ニ資スル」ことを目的として町村ごとに組織の網の目を張りめぐらそうとしていたことがうかがえる。しかしこの護国団がどの程度組織化されていたかを大正二年(一九一三)の「神奈川県中郡地方改良事績一覧表」でみると、郡下二十七か町村のうち、大磯町・吾妻村・平塚町・相川村・岡崎村・高部屋村・比々多村・秦野町の八か町村にすぎなかった。団体の組織化はかならずしもうまくいっていなかったようである。 以上のように、中郡大磯町の事例を中心に地方改良運動の実情をあれこれみてきたが、どうもこの運動は県レベルでのかけ声、熱のいれかたにくらべて、町村レベルでは予期に反してあまり成果をあげえなかったのではないかと思う。もちろん地方改良会は、資料にもみえるように、大正期にはいってからも存続していたし、さらに中郡役所には地方改良室が設けられ町村の改良事項の収集に意をそそぎはじめていたけれども、それだけにますます官製的な運動としての色彩が濃くなっていた。その間の事情は、一方では会員の増募に神経をくばり、支部総会が運動の焦点となるとともに、他方ではますます精神主義的、観念的な傾向をたどるようになっていた。たとえば大正二年三月の中郡支部総会での「一各種納税ハ納期内必ス完納ヲ努ムルコト 二各種ノ集会ニハ時間ヲ励行スルコト 三地方改良会其他公益ノ集会ニハ奮ツテ出席スルコト 四奮ツテ青年会ノ改善発達ヲ計ルコト」という決議案をひとつとりあげてみても、そこに地方改良運動の精神主義的側面が如実に示されている。 大正政変前後の政治潮流 「国力の充実」を地方自治の力でもって補っていく趣旨にたつ地方改良運動は、その効果は別としても、長州閥・軍閥の軍備拡張政策を中心とする国家構想の実現をはかる支えにしようとするものであった。帝国農会に次いで明治四十三年に全国的規模で大日本産業組合中央会が設置されるとともに、帝国在郷軍人会が組織され、民風の作興は、陸軍省軍務局長田中義一の表現をもちいれば「良兵即良民」をつくりだすことと一脈あいつうずる。そこで明治末年から大正はじめにおける体制の組織化の断面を知る手がかりとして、帝国在郷軍人分会、青年団体、あるいは村落組織にかんする資料の一端として、「橘樹郡大綱村青年会第三支部規約草案帝国在郷軍人分会関係書類」、「足柄上郡南足柄村関本区第二組組合規約書助誠講主意書」、「高座郡下青年団体善導の件通達」を掲げることにしたのである。 しかし長州閥・軍閥は、膨張主義を維持し推し進めるために軍備の拡張にのりだしていたが、しかしその財源を確保する必要上、租税を増徴せざるをえなくなっていた。この軍備拡張政策と租税増徴は、中小資本家以下の国民大衆に犠牲を強い、民力を疲弊させていくことになる。だからこそ地方改良計画もその実効をあげるのが困難となっていたが、もう一方、「過大な軍備」に反対し「租税負担の軽減」を主張する地方中小資本家の運動がくりひろげられていたし、さらに責任内閣制を要求する「立憲主義」への関心もジャーナリズムを介してたかまっていった。そしてこのような政治気流は、日露戦争後の不況と増税政策のもとで苦しい生活を強いられていた民衆の生活擁護の行動によって、いちだんとひろがっていったのである。都市と農村を問わず、このような動きがあらわれてきた事態こそは、自由主義的な気運をうながすものであり、大正デモクラシーの基調の一環をかたちづくっていた。 ところで軍備拡張政策に対立し反発する空気は、大正元年(一九一二)の暮から翌年二月にかけてみられた大正政変・第一次護憲運動において集中的かつ鋭角的にたかまっていた。この大正政変は、時の首相西園寺公望が陸軍の主張する二個師団増設要求を拒否し、そのために陸相上原勇作が天皇に辞表を提出するという非立憲的行為によって西園寺内閣がやむなく総辞職し、その後任に元老山県有朋の直系桂太郎が組閣してひきおこされた政変である。これに対する「憲政擁護・閥族打破」を旗印とする第一次護憲運動は、東京・京都・大阪をはじめとする都市部において大きなうねりをみせていた。実際、交詢社系のブルジョアジー、ジャーナリスト、立憲政友会、立憲国民党を政治の主体とする運動は、たしかに政界の気流の方向を変える役割を演じていた。横浜においても政友会系を中心とする護憲運動の動きは活発をきわめ、新聞報道をまつまでもなく、わたしたちは資料調査においても、護憲大会の集会案内を報ずる葉書に何回となく接してきた。 大正政変の非立憲性と第一次護憲運動は、民衆の反藩閥・憲政擁護への意識をたかめていったことも否定できない。大阪毎日新聞社の社長本山彦一は、「珍らしき政治思想の変化普及」であるとみて、後藤新平に「有識者有志者は勿論、男女学生より素町人百姓馬丁車夫」にいたるまで大正政変は話題になり、元老会議の手口にたいしては、「炊婦こまづかいまでが窃かにののしり」あっているほどであるという趣旨の書簡を送っていたが、社会の空気はまさにそういう状態にあった。このような事態のもとで、大正政変・第一次護憲運動をなかにしてその前後で県政界の空気も政党の浮上によって様相を変えてきていたようである。この資料編では、その動向にかんするデータはまったく掲げなかったが、横浜市を中心とする政友会系派と横浜市政刷新派(立憲同志会系派)の競合・対立というこの小ぜりあいのなかに、山県直系の県知事周布公平とその後任政友会系の大島久満次がともに巻きこまれた事実は、これまでみられなかった現象であったといえよう。 このような事態のなかで、問題は地方行政のうえにどのような変化がおとずれていたかということである。そこでここでは、第一次大戦下の大正四、五、六年の三か年にわたる「足柄下郡町村長会における郡長演達」を掲げてみた。 この足柄下郡郡長の演達を「時代の大勢」と関連づけてみるとき、まず目につくのは挙国一致力を合わせて国運の発展に努力を傾むけようというとき、その基準にすえているのは「列強ノ状勢と帝国ノ将来」ということである。この国際情勢の推移のなかで日本の国益をとらえなおそうとする関係を強調していることと、もう一方では大正四年の衆議院議員選挙にかんして、選挙の弊風を断ち切り、「議員選挙ノ立憲政治ニ於テ最モ貴重ナル人民ノ権義ナル所以」を了解せしめようとしている点も重視しなければならない。このように国家立憲の本旨とか立憲政治という用語を行政指導の基準にすえ、政党政派にたいして「厳正中立ノ態度」をとるべきであると要請している事情は、大正デモクラシーの政治雰囲気を反映している。また政党政派の進出と社会的混乱のひろがるなかで、経済上の安定をはかりながら「町村自治ノ基礎」を確立し、「地方自治体ヲシテ穏健著実ナル発達」をはかっていくことが、従前にまして焦眉の課題となっていたのである。 実際、大正政変・第一次護憲運動から第一次大戦にかけては、川崎、多摩川、鶴見川下流沿岸地帯を中心として工業化が進みいわゆる京浜工業地帯は第二の発展期にはいっていた。浅野総一郎が埋立組合-鶴見埋築会社をもって、県から事業許可をえて田島村の大島海岸、鶴見川沿岸の埋立事業をおこなったのは大正二年から四年にかけてであり、「京浜の高炉」で著名な日本鋼管が稼動したのは三年であった。こうした工業化とそれにともなう環境の変化を背景に、横浜周辺を舞台として政友派と刷新派-横浜自治倶楽部は、横浜市域の拡大による選挙区条例改正とか、電気事業計画、道路整備計画等々争点となるものはことごとく政治問題にとりあげて県会・市会内外で対立をふかめていたのである。大島久満次知事と与党の政友派は、地主層の利害関係を重視しそのうえにたって、中小商工業者以下労働者らの政界への進出に極度に警戒の目をひからせ、刷新派は知事の非立憲的行動は「県治・市政」を乱すもとであると非難していた。 政党・政派の対立は、一面では立憲政治を要求する世論に応じて、「官権・金権」政治への批判となってあらわれてきている。しかしその反面、地域的利害をめぐって内紛を導きだし、選挙における確執・暗闘、買収・饗応をはじめとして利害情実を中心とする動きも目にみえてひろがっていた。しかし政党・政派を主役とする政治の世界のこの動きのなかにあって、民本主義者吉野作造流の表現をもちいれば「民間の世論」もまたたかまりをみせていた。 第一次大戦・米騒動と民力涵養運動 大正初年における民衆の政治的、社会的進出は、神奈川の地域のすみずみにまで多くの変化をもたらしていた。とりわけ京浜地帯の工業化と都市化の急速な進行のもとで、経済不況もてつだって改良主義の空気が流れはじめているのが目につく。たとえば大正元年八月、鈴木文治が設立した友愛会のはじめての支部が友愛会川崎支部として二年の六月に川崎町に誕生し、九月に前川崎町長石井泰助が支部長に就任した。東京電気と日本蓄音器商会の工場労働者を中心にした会員百十余名のこの支部は、労資協調を本位とした穏健な性格もさることながら、医療部の無料診察など厚生事業の活動をつうじて広範な層に影響力をおよぼしていた。しかも橘樹郡長など行政関係者、会社、工場管理職なども支部設立大会に出席し、その後会員に川崎町の在郷軍人分会長や小学校長、町内の有力者層が加わり、会の月例会にも出席していたほどである。このような動きをどう評価したらよいか、いろいろなみかたができると思うが、すくなくとも広範な社会層のなかに社会改良をつうじてあらたな体制秩序をつくりだすべきであるという考えかたがひろがっていたことだけは指摘できよう。それだけにこのような社会風潮は地方行政のなかにも投影していた。 この点に関連して、資料編のなかで、わたしたちは大正四年八月から八年四月まで県知事をつとめた有吉忠一の回想録の一部を「『米騒動と横浜』等県知事有吉忠一の県政回想」として掲載した。それは、大正初年から中期にかけての県行政担当者の眼からみた行政の内部事情とか社会情勢を知る手がかりになるとともに、この資料から「多摩川堤防問題」に示されているように「県民主義」の立場からの行政を推進していかなければ行政効果をあげえない事情の一端をとらえることができるからである。 多摩川改修問題は、すでに自由民権期に川崎の民権家井田文三などがとりあげて以来、長年にわたる沿岸住民の強い願いであった。その後明治の後半からとりわけこの川の洪水の被害をこうむる関係町村長は、多摩川の築堤期成同盟を結成して運動を進めてきていたが、県政レベルでは市部の県会議員の反対にあって築堤請願は受けいれられないありさまであった。こうしたなかで大正期にはいって橘樹郡下の農民たちは、厳しい官憲の目をかいくぐってアミガサ、わらじばきで県庁に請願をかけ、そうした事情もあって、有吉知事は「河川法の施行区域外に里道を設くること」を橘樹郡御幸村に許可し県費補助をあたえたのである。しかし内務次官が築堤工事中止命令をくだしてきた。そればかりか工事撤去の圧力もある政治筋からかかっていた。が、結局は、内相一木喜徳郎が道路としてではなく堤防として認定するということで結着をみたけれども、有吉知事のとった態度は、大隈内閣の譴責処分を受けることとなった。このいわゆる「有吉堤」にかんする譴責について、知事は「自分は名誉の譴責と心得て居る」とのべ、「自分の地方長官としての心構へは、常に県民本位であり、県民のために公害を除き、県民のために公利を計り、管下の進歩繁栄」をつくりだすことだったと回想している。有吉知事は、一説によると「上の人を恐れない」「万人の幸福のため」という信念の持ち主であったらしい。 政治機能とか行政作用が時代の流れや社会の動きに適応しなくなり行詰りをみせていくとき、おうおうにして激しい社会変動が呼びおこされるものである。第一次大戦の後半には、そういう徴候があらわれてくる。すなわち大戦景気のなかで未曾有の経済成長をみせた日本の経済は、「成金天下」を出現し、各地で労働力の不足をもたらす一方、米価をはじめとする諸物価の高騰をまねき、中産階級以下の民衆は生活難にあえいでいた。こうした事態にたいして、ときの寺内正毅内閣の米価調節、暴利取締などについての政策はまさに無為無策というべきであった。大正七年の夏、青森・岩手・秋田・栃木・沖縄の五県をのぞいて一道三府三八県で三八市、一五三町、一七七村にわたってひきおこされた米騒動は、民衆がみずからの手で生存権を要求し、生活危機を打開しようとした近代史上最大の規模の民衆峰起である。 米騒動はけっして偶然に発生したものではない。雑誌「東洋経済新報」(八二五号、大正七年)は、この事件は「政治機能の無能不適堕落」をばくろしたものであり、「政治上の還元運動」ともいうべき性格をもち「時の政治機能が旧式・不適・行詰りに陥ればイツも必然的に起る」意味あいをもっていると指摘していた。 では、神奈川県下の米騒動の実情はどうであったろうか。まず横浜市をみると、ここでは八月十五日夜、約三千名(一説によると二千名)の群衆が二度にわたって横浜公園に来集したが、この日は拘引者をだしたので解散。翌十六日夜は、横浜公園に集合した群集が十七日午前三時ごろまで、伊勢佐木町を中心に商店、民家に投石したり交番を破壊し、十七日も吉田橋から伊勢佐木町大通をへて足曳通から長島橋にいたる区域で群衆が不穏な行動にでていた。横浜市の騒動は若干不穏な形勢を残しながらも、この日の騒動をもっていちおう終りを告げている。その他の地域では、横須賀市において八月十五、十六日に諏訪公園内で民衆が集会をもったが、ここでは暴動にまでいたらなかった。また橘樹郡保土ケ谷町では十六日株式会社保土ケ谷曹達工場の煤煙公害問題とのかねあいで、群集が同会社に押しかけ工場の一部に火を放ち、暴動状態をていしていた。このほか騒動にまではいたらないけれども不穏な動きをみせていた地域としては、橘樹郡御幸村南河原の日本製鋼会社、足柄下郡小田原町などがあげられる。 しかし神奈川県下の騒動の実情は、騒動が全般的に激化した東海道、山陽道の地域のなかでは平穏な部類に属していた。隣接の東京府、静岡県下の激しさとくらべてみても比較できないほど意外に低調である。どうしてそうなったのか。第一の理由はただちに県当局が県令第六六号で「十人以上連行、または集合、佇立する」ことを禁じ、違反者は拘留または科料に処する取締りの措置をこうじたからである。しかも有吉知事の「県政回想」にもあるように、小田原の閑院宮別邸に泥棒がはいり、そのため県下全域にわたって大がかりな密行捜査をおこない、事実上警戒体制をとって、そのために「米よこせ」のビラやチラシを発見し不穏な動きを事前に防止することができたのが騒動を抑制しえたひとつの要因になっていよう。第二には有吉知事が不穏な情勢をとらえて外米を大量移入して騒動に先手を打ったことが大きくものをいっていたようである。この間の事情を裏づけするかのように、米の廉売・施米対策が敏速に進められている事情は、資料「中郡大磯町の米廉売施米実施状況」」からもうかがえよう。 米騒動後、日本で最初の政党内閣である原敬政友会内閣が誕生した。と同時に、この米騒動は、労働運動、農民運動、部落解放運動など社会運動の開花の跳躍台となっていた。たしかに米騒動を契機として第一次大戦後には「争議の時代」、「民衆の組織化」と呼ばれる社会風潮がうねりをみせはじめていた。横浜・川崎の都市、工場地帯での労働運動とか、政治的自由獲得運動はもりあがりをみせ、そのため県当局は、世相について「危険思想ガ充満シテ不穏ノ状態」にあると判断せざるをえなくなっていたのである。 そこで県行政をどう推し進めるべきか、体制改革を目標に掲げた大正デモクラシーの社会情勢に対抗して、政府は第一次大戦後の「戦後経営」の方向を積極的に打ちださざるをえなかった。政府は「戦後経営」の方策にかんして、物価騰貴と社会不安のもとで国民生活の充実と、国富の増殖をはかることを緊要の課題としてあげておいた。だから政府もさまざまな行政回路をつうじて、「勤労主義」と「食糧節約」を強調していたのである。そこでこの資料編でも、米騒動から「戦後経営」にかけて、神奈川県下ではどのような対策がとられていたか、その動向を示す資料を掲げておいた。すなわち「節米奨励に関する神奈川県告諭および通牒」、「勤倹貯蓄奨励等に関する橘樹郡訓令」をはじめとする諸資料がそれである。いま後者の「橘樹郡訓令」をひきあいにだしてみると、「地方ノ開発国運ノ伸暢」をはかるうえで、「自覚的消費節約」を促進し、そこから蓄積される剰余をもって「生産資金ノ増殖」をおこない「戦後ノ経営」を支えていこうとしていた。 このような趣旨を体系化して全国的規模で「戦後経営」を方向づけようとしたのが民力涵養計画である。民力涵養計画の趣旨は大正八年三月、床次竹二郎内相をつうじて公表され、趣旨の普及徹底を期するために道府県地方長官に訓示を発していた。その目標ともいうべき要綱は、⑴国家的自覚-立国ノ大義、国体ノ精華、健全ナル国家観念、⑵統治的協力-立憲ノ思想、自治ノ観念、精神的協力-公共心ノ涵養、犠牲的精神、⑶世界的自覚-世界ノ大勢、日新ノ修養、⑷社会的協力-相互諧和、彼此共済、⑸個人的自覚-勤倹力行、生産資金ノ増殖、生活ノ安定、というような内容をもつ五点にわたっていた。この民力涵養計画は、その特色として、五つの要綱の確定とは別に、実施にあたってその趣旨を活用するために「民心を機の動くに察し、善導啓発・地方の実情に適応する方策」をとろうとしていた点である。 では民力涵養計画は、どのように進められていったか。その経緯と実情の一端をあきらかにするためにまず資料「神奈川県民力涵養大会における県知事井上孝哉の講演」「民力涵養大会協議会」を掲げておいた。神奈川県民力涵養大会が、自治功労者表彰をかねて、開催されたのはこの年十月であった。この大会は中央から内務省地方局長添田敬一郎、元内相一木喜徳郎を招聘し、県内各方面からの代表来会者は千二百九十六名にのぼっていた。大会で添田地方局長、それに井上孝哉県知事が説いている論理は、つづめていうと、デモクラシーの風潮に対抗して、日本社会の従来の密な「上下の関係」に加えて「横の連絡」すなわち「国民相互の連絡」をとり、そして「責任観念」、「自治観念」の養成を強調していたことである。とりわけ井上は、「此非常なる国家的変調」にたいして、自治功労者のような地域の指導者が「郷党の中心」となり「郷党」を率いて「地方の進歩」「国家の進運」に貢献すべきことを要請していた。 なお、資料に掲げておいた民力涵養大会の「協議会」では「民力涵養実行要目」を討議し、町村本位の「実行要目」を設定することを可決し、その線に沿って町村レベルで民力涵養運動を推進していく。県下におけるこの運動は、「神奈川県下郡市町村等主催民力涵養講演会成績」として資料のなかに試算しておいたが、他府県とくらべてみても活発をきわめていた。その一端を知る手がかりとして「実行要目」だけではあるが、町村レベルでのそれとして「橘樹郡大綱村民力涵養実行要目」をとりあげておいた。 ところで第一次大戦後の「戦後経営」は、行政内容の多様化、複雑化とともに、「政治的牧民官」的な行政の域を脱して「社会政策」的視点を加味していかざるをえない。また一方では大正九年の恐慌により町村財政は決定的な打撃を蒙むりその救済問題が大きな課題となっていた。そこで大正七年から十二年ころにかけての地方行政の動態をあきらかにするために「足柄下郡町村長会における郡長演達」をはじめ「神奈川県町村長会における町村財政救済決議協議事項」とか「橘樹郡町村長会における町村行政事務関係指示事項」などを掲げておくことにしたのである。しかも地方行政を効果的に推進するには、「郡市長会における県知事井上孝哉の訓示」にも示されているようにその基本線に、「国体ノ精華」「立国ノ本義」というような伝統的観念に加えて「時運ノ趨勢」とか「憲政有終ノ美」を実現するというような大正デモクラシーの社会風潮に順応する観点をとりいれてきているのもひとつの特徴であろう。 関東大震災-昭和恐慌下の地方行政 有吉県政から井上県政の時代にかけては、大正デモクラシーの時代の影響を反映しながら労資協調とか貧困者の福祉問題をとりあげるようになってきていた。たとえば横浜匡済館、川崎匡済館の設立の援助とか、公衆浴場、授産所、託児所の設置などはそのあらわれである。しかし他方ではすでに指摘したごとく社会運動の高揚と転変する社会情勢のもとで、いわゆる「思想偏向」を排除していく対策も体系づけられつつあった。 こうした状態のもとで大正十二年九月一日関東地方の南部を大地震が襲った。震源地は相模湾海溝の最深部の北西端、マグニチュード七・九、最大震幅約一二センチ、周期一・五秒というたいへんなものであった。その被害度の正確は期しがたいが、東京と横浜を中心に死者九万九千余人、負傷者十万四千余人、行くえ不明四万三千余人、全壊・半壊家屋数各十二万戸、焼失四十四万七千余戸にのぼっている。神奈川県は、この関東大震災によって全域に被害を受けた。資料「神奈川県下の状況一覧表」以下の被害報告の諸資料が、その恐るべき被害の大きさを示していよう。 しかもこの大地震は、日本の政治、経済の心臓部ともいうべき東京、横浜を壊滅状態におとしいれてしまったので、政治・行政のあらゆる分野が麻痺状態におちいった。そこでこの資料編では、すでに公刊されている神奈川県警察部編「大正大震火災誌」、「神奈川県震災誌」などの報告資料と重複する部分もあるけれども、それとは別に政治行政の視点から関東大震災を重視し、諸地域に震災がいかなる衝撃と影響をおよぼしたか、またどのように復興処理の過程をたどったか、震災はその後の政治行政をどう規制したかというような諸点を中心にして諸資料を構成してみた。地域としては、横浜市、川崎町については前掲の「大正大震火災誌」などにゆだねて、この資料編では郡役所、役場関係資料をもちいてもっぱら三浦、鎌倉両郡の海岸部、横浜市近郊の橘樹郡、それに山間部の津久井郡を主な対象にしてとりあげておいた。また政治行政の側面から関東大震災を問題にする関係上、県政レベルから市町村レベルにいたるまでの脈絡のなかで災害対策、復興更生の動きをとらえなければならない。県当局を中心とする動きにかんしては当時県警察部高等課長の職にあった西坂勝人氏の「震災状況報告」の一部をもちいた。 関東大震災は、周知のように未曾有の災害をもたらしたが、それは自然現象にとどまらず、人災の感すらあり、しかもこの災害ショックによって社会は混乱の渦にまきこまれたのである。資料「神奈川県下震災状況に関する県知事安河内麻吉の報告」は、その間の事情をつぶさに告げている。しかも「人心恟々トシテ殆ト死生ヲ知ラサルカ如キ不安」の渦中に投げこまれた罹災者をさらに混乱のなかにおとしいれたのは、県下では横浜、川崎の一部にとんだ社会主義者、朝鮮人、一時釈放された囚人の襲撃の流言であった。この件について警視庁警保局長が全国に「不逞鮮人取締」を打電し、翌三日には関係地域の郡市町村に「注意ノ件」の通達がおろされ、資料「『不逞鮮人』に対する自衛勧告の件通達」のなかにみえるように、「不逞鮮人」が暴行を加えるだけでなく井戸水などに毒薬を投げこむ事実もあるから、「伍人組」などを活動せしめて自衛の道をこうずるよう指令していたほどである。こうして各地に自警団が組織され町や村の要所をかため、その任には消防組、在郷軍人分会、青年団などがあたった。この自衛組織は、関東地方一円で約三千七百つくられたといわれる。自警団は、民衆の極度の恐怖心にもとづいてつくられたものであるとはいえ、麻痺した警察の機能にとってかわり、その暴虐さは歯止めを欠き、「朝鮮人虐殺騒ぎ」をおこしていった。もちろんなかには西坂勝人氏「神奈川県下の大震火災と警察」に紹介されているように迫害されている朝鮮人を保護したり救護した良識ある民衆もすくなからずいたが、このような動きは、殺害事件に対抗する秩序をつくりだすまでにはいたらなかった。 災害と社会混乱のなかで九月三日、神奈川県に戒厳令が施行された。戒厳令は一種の臨戦態勢のもとで外患、内乱にさいして適用されるのであって、地方行政事務、司法事業も軍事に関係のあるかぎり、いっさいの権限が現地の司令官の手にゆだねられることとなる。ところで関東戒厳司令官には陸軍大将福田雅太郎がつき、ただちに資料に掲げたような「関東戒厳司令官告諭」を発表し、糧食分配のさいの秩序紊乱、不穏破廉恥行為を注意するとともに、「不逞団体蜂起」の誇大流言を戒しめていた。 戒厳令下の社会状態、地方行政の実情はどのようなありさまであったのか、わたしたちはこの点を重視して、資料「戒厳令施行にさいし橘樹郡大綱村の告示」、「三崎戒厳地区管下状況概要申告覚書」外かなりの資料を収録することにした。ここで留意すべきは、資料「戒厳令施行にともなう命令事項」にも明記されているように、各戒厳地区指揮官は、それぞれの地区内で「治安維持ヲ担任シ地方官憲ト協力シテ罹災民ノ救恤保護」につとめることを任務とし、実施内容が、地方行政のあらゆる分野にわたっていたことである。なんのためか解らないが、これは一種の臨戦態勢であり、その態勢にすべての社会関係が規制されていることが、他の資料とつきあわせてみていっそうあきらかになる。 ところで一方、臨時震災救護事務局神奈川県支部が設置されたが、事務局の組織・施設・支部における活動状態にかんしては資料「臨時震災救護事務局の組織と施設」をみれば、その概況をとらえることができよう。が、災害対策はたいした効果をあげてはいなかった。横浜市では市長渡辺勝三の説明によると、生活必需品の配給すら意のままにならず、入港してくる食糧も、小船・船員・人夫・燃料不足のため陸揚げも困難となり、避難所の建設、道路とか橋梁の応急修理も、大工・人夫・用具の不足で見通しがたたず飲料水すらこと欠くありさまであった。また燈火も欠乏し、チフスなどの伝染病も発生して住民を他府県へ避難させようと考えていたほどである。このような深刻な事情は、大同小異ではあっても、資料「鎌倉郡下町村の震災対策状況報告」「三浦郡下町村の食糧需給統轄の件訓令」とか「橘樹郡大綱村の罹災者救助の経過」をみれば想像することができよう。 震災という異常事態を乗りきっていくためには、災害対策とともに復興運動を進めていかなければならない。資料「三浦郡町村長会における災害地復興等に関する協議希望事項」にみえるように、九月十三日の三浦郡町村長会議は、震災救護運動の先駆的なとりくみであった。震災が県財政から町村財政にあたえた打撃は絶望的であり、県下の町村長会をはじめとする震災救護運動は十月にはいると軌動にのり、その狙いは徴収不能な町村税の欠損分・小学校費・土木費などの地方公共団体の経費にぞくする施設復旧費の国庫負担を要求し、国税・県税を免税にしようとする点におかれていた。その動静にかんしては、神奈川県民を網羅しての神奈川県復興促進会をはじめ、資料「神奈川県町村長会決議」他の諸資料が示しているが、ここで注目すべきは、九月中旬から横浜復興会を先きがけとして「自町内ノ復興ノ必要」を痛感してさまざまな復興会が組織されていたことである。資料「復興会の組織と活動状況に関する県知事安河内麻吉の報告」は、復興会の動きを伝えている。 震災から二か月半たった十一月中旬、戒厳令が解除され、そのころ「国民精神作興ニ関スル詔書」が発布された。この詔書は国民に「浮華放縦」の気風、「危険思想」を断ち切り、国力の振興をはかるために精神をひきしめるべきであるという趣旨のものであった。大正末年から昭和恐慌期にかけての思想善導運動は、すべて「国民精神作興ニ関スル詔書」の線上にそって進められていったのである。 当時「天譴論」という言葉が世上にのぼり、震災は天罰であるというみかたも流布していた。この観点からの「国民精神ノ作興」は、地方行政をつうじて「綱紀ノ粛正」「質実剛健」「節約貯蓄ノ奨励」というかたちをとって推し進められていく。このような傾向の指摘は、資料「橘樹郡町村長会における郡長演述要旨」など行政指導論をみても、震災まえにくらべて高い調子になっていることが解る。ところが、大正末期から昭和初年にかけて、町村財政のいちじるしい悪化と諸産業の衰退-慢性的不況に加えて、郡役所が廃止され、神奈川県町村長会は、資料「神奈川県町村長会の郡役所廃止にさいしての宣言決議」にもあるように「自治能力ノ充実」「自治権ノ拡張」をどうはかっていくかを最大の課題として掲げざるをえなくなっていた。しかし資料「昭和三年度末現在郡市別県税滞納額調」もものがたっているように、県民の担税力の低下により、震災の打撃とともに地方財源は枯渇していたのである。 この金融恐慌から昭和大恐慌の局面にかけて、経済的・財政的危機は極度に進行した。その最中、県知事山県治郎は、資料「昭和四年県市町村長会議における県知事山県治郎の訓示指示事項」のなかに明示されているように、難局を打開するために「質実剛健」と「勤倹力行」の風を底辺から培養すべきことを強調していたのである。それは浜口民政党内閣の「財政緊縮」「産業合理化」「金解禁」の政策によるものであるが、ここから教化総動員運動と公私経済緊縮運動が大々的にくりひろげられていく。そして恐慌の過程でのこのようなキャンペインは、町村長会の運動とともに脆弱な地方自治体を媒介として社会の再編成-「革新」的要素をにじみだしながら国家を直接に支えていくという制度化をうながしていく大きな契機となっていた。 最後に一言。この解説を書くにあたっていろいろな研究論文を参考にさせてもらったが、いちいち論文名はあげなかった。とくにこのことを断っておきたい。 収録資料所蔵者一覧 (敬称略・順不同) 国立公文書館 東京都千代田区北の丸公園 国立国会図書館 東京都千代田区永田町 東京都公文書館 東京都港区海岸 静岡県立中央図書館 静岡市谷田 神奈川県議会事務局 横浜市中区日本大通り 神奈川県立図書館 横浜市西区紅葉ケ丘 神奈川県立文化資料館 横浜市西区紅葉ケ丘 川崎市議会事務局 川崎市川崎区宮本町 横須賀市立図書館 横須賀市上町 小田原市立図書館 小田原市城内 相模原市史資料室 相模原市中央 三浦市役所 三浦市城山町 大和市役所 大和市鶴間 伊勢原市役所 伊勢原市伊勢原 清川村役場 愛甲郡清川村煤ケ谷 大磯町役場 中郡大磯町東小磯 大磯町教育委員会 中郡大磯町東小磯 箱根町役場 足柄下郡箱根町湯本 湯河原町役場 足柄下郡湯河原町門川 立教大学 東京都豊島区西池袋 了義寺 足柄上郡大井町山田 有吉義弥 東京都渋谷区大山町 飯田助丸 横浜市港北区北綱島町 今福祥 海老名市中新田 内野悌二 東京都東大和市蔵敷 大矢ゑひ 愛甲郡愛川町田代 柏木喜重郎 厚木市林 柏木俊孝 静岡県田方郡韮山町山木 桜井栄一郎 横浜市旭区下川井町 砂川昌平 東京都立川市砂川 関原徳三 厚木市棚沢 瀬戸格 足柄上郡開成町金井島 添田茂樹 横浜市鶴見区市場上町 曽根田重和 中郡大磯町高麗 西坂勝人 横浜市港北区菊名町 前野栄造 横浜市旭区鶴ケ峰 山口匡一 伊勢原市上粕屋 吉浜俊彦 横浜市緑区千草台 和田傳 厚木市恩名 あとがき 一 この巻は、明治初年から昭和初期までの政治・行政関係資料をテーマ別に分類、構成して収録した。なお、昭和初期以後の資料については、次巻に収録する予定である。 本県では、関東大震災と今次の戦災により、県庁文書をはじめ多くの関係資料が焼失しているため、資料収録にあたっては、個人所蔵資料およびこれらの災害をまぬがれた市町村公文書を主とした。関連資料は豊富であったが、予定したテーマ別にみた場合必ずしも十分でないものもあり、できるだけ平均的に適切な資料を収録、配列するよう努めてある。 一 この巻の資料の収集過程においては、県下各地域の多くの方々にお世話になった。紙数及び構成の関係から多くの良質の資料の割愛を余儀なくされたが、これらの資料については、将来なんらかの機会を得て世に送り出すべきだと考えている。資料の収録について快くご承諾いただいた方々に対しては、心からお礼を申しあげるとともに、また、調査のさいにご協力をいただきながら収録できなかった資料の所蔵者には、とくにこの点のご理解をお願いし、あわせて深くおわびしたい。 一 この巻の資料調査・執筆および編集には、竹内理三総括監修・大久保利謙主任執筆委員のもとで、金原左門執筆委員が担当し、内田修道、大木基子、桜庭宏、長谷川邦男、若林源基の各氏に補助者として協力していただいた。 また、いちいちお名前をあげないけれども、この巻の資料調査から編集発行にいたるまでご協力・ご教示をいただいた多くの方々に、厚く感謝の意を表する次第である。 昭和四十九年三月 神奈川県企画調査部県史編集室長 主な関係者名簿 神奈川県史編集懇談会会員(順不同) 昭和四十九年二月一日現在 津田文吾 神奈川県知事(会長) 石井孝 元東北大学教授 亀井高孝 元清泉女子大学教授 呉文炳 元日本大学総長 坂西志保 評論家 清水末雄 神奈川新聞社社長 小串靖夫 神奈川県中央会・信連・経済連・共済連会長 高村象平 慶応義塾大学名誉教授 永田衡吉 劇作・芸能史家 伊原隆 神奈川県商工会議所連合会会長 脇村義太郎 東京大学名誉教授 山本十九三 神奈川県議会議長 石井忠重 神奈川県市長会会長 田中富 神奈川県町村長会長 神奈川県史編集委員会委員(順不同) 昭和四十九年二月一日現在 委員長 知事 津田文吾 副委員長 副知事 森久保虎吉 〃 県史総括監修者兼主任執筆委員 竹内理三 委員 県史主任執筆委員 大久保利謙 〃 〃 児玉幸多 〃 〃 安藤良雄 委員 県総務部長 遠藤保成 〃 県教育長 武田英治 〃 県企画調査部長 下田泰助 〃 県立図書館長 羽毛田潔 〃 県立川崎図書館長 阿部宗芳 〃 県立博物館長 土屋武人 〃 県企画調査部参事兼県史編集室長 大胡満寿男 顧問 (東京大学名誉教授) 坂本太郎 神奈川県史執筆委員 昭和四十九年二月一日現在 原始・古代及び中世 ○竹内理三 早稲田大学教授 (県史総括監修者兼資料編監修者) 百瀬今朝雄 東京大学助教授 貫達人 青山学院大学教授 近世 ○児玉幸多 学習院大学学長 木村礎 明治大学教授 神崎彰利 明治大学講師 川名登 千葉経済短期大学助教授 青木美智男 神奈川大学講師 近代及び現代(政治・社会・文化担当) ○大久保利謙 国立国会図書館憲政資料室 今井庄次 東京外国語大学教授 金原左門 中央大学教授 江村栄一 法政大学助教授 山口修 聖心女子大学教授 近代及び現代(産業・経済担当) ○安藤良雄 東京大学教授 経済学部長 山本弘文 法政大学教授 経済学部長 丹羽邦男 神奈川大学教授 寺谷武明 横浜市立大学助教授 三和良一 青山学院大学助教授 腰原久雄 横浜国立大学助教授 林健久 東京大学助教授 民俗 大藤時彦 成城大学名誉教授 考古 赤星直忠 県文化財専門委員 (県史調査員) ○印は、各時代担当の県史主任執筆委員を示す。 人物編の編集に協力をお願いしている方々(順不同) 昭和四十九年二月一日現在 石井光太郎 横浜市史編集室副主幹 石井富之助 元小田原市立図書館長 臼井弘 元平塚市立浜岳中学校教諭 神崎彰利 明治大学講師 沢寿郎 元鎌倉市図書館長 座間美都治 相模原市史編集専門委員 竹田平 元横須賀市図書館長 中野敬次郎 小田原市文化財保護委員 浜田勘太 三浦市文化財保護委員 服部清道 横浜商科大学教授 村上直 法政大学教授 神奈川県史編集参与(順不同) 昭和四十九年二月一日現在 秋元益利 横浜市立大学教授 浅香幸雄 東京教育大学教授 大岡実 日本大学教授 岡本勇 立教大学助教授 加茂儀一 関東学院大学教授 久保常晴 立正大学教授 小出義治 神奈川歯科大学助教授 小山富士夫 和光大学教授 酒井恒 東京家政学院大学教授 佐野大和 国学院大学助教授 玉村竹二 元東京大学教授 辻達也 横浜市立大学教授 長倉保 神奈川大学教授 服部一馬 横浜市立大学教授 藤田経世 跡見学園女子大学教授 堀江重次 県文化財専門委員 本阿弥宗景 刀剣研究家 見上敬三 横浜国立大学教授 三上次男 青山学院大学教授 宮脇昭 横浜国立大学教授 森栄一 刀剣研究家 山中裕 東京大学教授 吉川逸治 東海大学教授 神奈川県史 資料編11 近代・現代(1) 第8回発行 昭和49年3月20日印刷 昭和49年3月30日発行 非売品 編集 神奈川県企画調査部県史編集室 発行 神奈川県 横浜市中区日本大通り1 印刷 大日本印刷株式会社 東京都新宿区市谷加賀町1丁目12番地